2008年5月31日土曜日

5月31日(土)鶴の一声

鶴の一声
・ 「大阪府庁、鶴の一声、今日から全面禁煙に」大阪日日新聞の見出しである。朝日は「府庁今日から全面禁煙、出先機関の敷地も、喫煙室、会議室や倉庫に衣替え」である。遂に大阪府は世界禁煙デーの31日から出先機関を含む府庁敷地内を全面禁煙とし「勤務時間の職員の喫煙を禁止」する。
・ 府職員の喫煙率は2007年度で26%らしいが「仕事中のタバコ休憩は認めない」という“鶴の一声”で全面禁煙が決まった。予想されたことで何回もこのブログで書いてきたが遂に打ち出してきた。「学校敷地内はこの4月からすでに実施」している。
・ 府庁本館には国の出先機関があるがこれらも禁煙に協力するという。府議会は自民が検討中、公明党と共産党は以前から実施中で民主は「知事が決めることではない」と言って「分煙」を継続するそうだ。
・ 面白いのはタバコ業界だ。日本たばこ産業の大阪支社長は府庁を訪れ、市町村や民間に波及する恐れがあるとして「分煙継続」を知事宛に陳情したそうだが一蹴されている。「お笑い」ではないか。どういう神経か私には分からない。「サラリーマンも辛い」といったところだろう。
・ 注目すべきは「勤務時間内の職員の喫煙を禁止」という点だ。これは凄い。元々はあほな女子職員が知事を公の席で「あなた」呼ばわりして「サービス残業しているのに・・・」と懇談会で詰め寄った時に、知事は「そんなことを言うなら勤務時間内にタバコやお茶は止めて、仕事をして!」と反論したことから始まっている。
・ 26%の喫煙派が「人権問題だ」と言って訴えたら「橋下劇場」は面白くなるがそれはしないだろう。74%の職員が喜んでおり、府民の理解は得られないだろう。しかしこういうことは「鶴の一声」で決まる。
・ 私は橋下さんほど大きな世帯ではないが「組織の長」として同じことは出来る。何時でも鶴の一声は可能であり、「トリガーに指は掛かっている」。何時でも引き金は引ける。それよりも一人でも二人でも今のうちに禁煙派になって欲しいと思うばかりだ。
・ 公立の小中高がすでに全面禁煙となった。「いくら遅くとも1年遅れでは実施に踏み切る積もり」だ。当たり前である。私は橋下知事ほど「冷たくはない。時間的猶予」を与えているのだ。
・ 考えても見よ。生徒指導に当たる教員が校舎内で生徒の目に付く場所で「喫煙する」と言った行為が「おかしい」と感じられる時代になったということだ。昔と比較する教職員も居ないだろうが「時代の流れ」である。公立も多くの私学も敷地内禁煙に移行しつつある。
・ 私の経験から言う。「絶対にタバコは止められる。止めると意思を持てば止められる」それは間違いない。こういうのを「年貢の納め時」という。今回の修学旅行でも食後一服している教員の姿が「滑稽」に見えるようになった。いくら生徒に見えない場所で吸っていてもだ。喫煙中の自分の姿を鏡に映して見てみればよい。少なくとも格好は良くない。
・ 「死んでもやめません。タバコを止めるなら死んでも良い」と冗談交じりに言う人は結構多いが、重大な病気になり、医者から「あなた、タバコを止めないと大変なことになりますよ!」とでも言われたら「すぐ止める」のは分かっている。要は意思が薄弱だけではないのか。
・ 昨日のクローズアップ現代で「禁煙治療に保険適用」をと主張して活動する団体や個人がテレビに出ていたが「ふざけるな!」と子どもたちは言いたいだろう。パンク寸前の医療保険や社会保険を将来担う次世代の子どもたちのことも「考えてものを言え」と言いたい。喫煙は今までは嗜好品と言っていたではないか。病気ではあるまい。
・ 少なくとも来年4月、後10ヶ月に間に努力する必要がある。一つは8時30分から5時までは「喫煙を我慢」するようにするか、「思い切って止める」かだ。別に喫煙派だからと言って人材育成評価システムに影響を与えることは全くない。しかし勤務時間中は「職務専念義務違反」という就業規則がある。タバコは吸えない。外にもいけない。
橋下改革 私学助成
・ 修正議論が大詰めになってきた。知事と各部局との公開議論が終末を迎えつつあるが、姿が見えてきた。私学助成は残念ながらもう既に知事の頭には決まっているみたいだ。昨日は生活文化部との議論があった。
・ 知事は言う。「私立も公立と同じ公費をあてなきゃいけないとは思わない。公私間格差を言うなら公立と同じ学習指導要領(?:これは私が付記したもの)にしないといけない。平均所得以上の世帯では収入に見合った進学先を見つけるべきだ」と朝日は報じている。
・ 根本的に捉え方が違っている。知事の頭には基本的に「私立への理解が出来ていない」。自分が公立出身でラグビーでは私学に負けてばっかりいたから恨んでいるのかと思うばかりだ。もっともそういうことはないだろうが。
・ どうも「私学はお金持ちがいくところ」だとの思いが消えていない。実体はそうではない。お金持ちもいれば支援が必要な家庭もある。公立にいきたくとも「いじめ」とか辛い体験が公立忌避になっている場合もある。
・ 元々公立の受け入れキャパは70%で30%は私学が生徒急増期も努力して受け入れ、「15の春を泣かせるな」と「中学浪人をさけるように努力したのは私学」だ。府民税や所得税は公立保護者も私学保護者も同じように支払っている。どうして私学だけ「格差」をつけられるのか。一律とは言っていない。「経営努力をしている私立への適切な支援は大阪教育の再興には不可欠である。その他言いたいことは山ほどある。
・ 「6月5日大阪維新プログラムが最終的に発表」される。厳しいものになろう。もし巷間言われているような助成削減であれば「経営への影響」は大きい。本校の教職員は自分のことである。関心を持ってこの日の内容を注目しようではないか。

2008年5月30日金曜日

5月30日(金)理事会

修学旅行その後
・ 先ほど「伊丹空港」から帰ってきた。どうも気になって中学生が伊丹に帰って来るのを「出迎え」てやりたいと思ったからだ。「人間が一回り大きくなって」到着口から出てきた。皆順列を組んで出てくる。疲れた様子はない。それよりも久方振りに家に帰れる嬉しさが顔に出ている。
・ 多くの保護者が出迎えに出ておられた。校長ブログを読んでおられ、「無念の撤退」が話題になった。あれを読んで保護者も「がっくり」きたそうだ。それにしても保護者は校長日記が楽しみと言われる。しっかりと書かねばならないなと思った。
・ 校長の顔を見て「ヤッホー」と呼ぶ者もいる。1昨日霧で見えなかった「千尋の滝」にチャレンジして、今回はくっきりと見えたという。デジカメ写真を見せてくれる。縄文杉が駄目だったから何としてもと先生方も配慮してくれたのだろうが、大変良いことをしてくれた。
・ 今日は4日ぶりの学校であり、何時もより早く学校に着く。しかし副校長や事務長、秘書がしっかりと留守を守ってくれており、特段急いで処理すべき事柄はない。今朝から、気持ちの上で「中学生は今頃起床して、朝食かな」「今は鹿児島の維新館かな」などと思ったりするものだから、まだ気分は修学旅行を引きずっている。だから伊丹空港に迎えに行った。
・ さすがに留守中の報告事項は多くて、まとめて副校長よりある。しかし大きな問題はない。色々な報告に入ってくる教員は「修学旅行。ご苦労さまでした。」と言ってくれる。嬉しい限りだ。「明日は関空に北海道から帰ってくる高校生」を迎えてやらねばならない。
理事会
・ 今日は理事会、新評議員が30名近くお集まりになり重要な会議だ。資料等はすでに事前に作成しており、準備は万端整っている。重要な議題を用意しており、「授業料の値上げ」もその一つだ。
・ 橋下改革とは全く関係ない。2年くらい前から考えていたことだ。本校の授業料は府内全私学に比べて極めて安く、近隣のHA高校、MO学院、OG高校、UE高校等に比べて格段に低い。その是正を入試広報室に指示し、結論が出てきた。それを理事会にかけて議論をして頂いた。
・ もう一つの大きな課題は「大学との連繋」だ。これはまだ「海のもの山のもの」か分からないが、近隣の学校の動きや私の後の事を考えた時に「基盤強化」に繋がることを評価する声が大きかった。
・ 最後の大きなテーマは新校舎建設に関わる問題だ。どうしても「武道館の集約」は進めたいが、通る道に一点解決しなければならない部分がある。最も数ある方法の一つであリ、結論がどうなろうとも良いのであるが、「出来れば」という感じだ。
・ 「新評議員は殆どが新しいメンバー」で今後3年間重要なお仕事をお願いすることになる。有力な神社の宮司さんや大学教授、現役の市長、元高校教諭など多彩だ。我々も耳を澄ましてご意見に耳を傾けなければならない。今日も大変良いご意見を頂いた。見識高い人ばかりだ。
・ 今日はたっぷり2時間理事評議員全出席者がご意見を出してくれたから、まことに盛り上がった求心力のある理事会評議員会となった。有難いことであった。名誉理事長は「隔世の感」「まさに神慮を頂いた」と最大限のお言葉でまとめて頂いた。私は「勝って兜の緒を締めよ、謙虚に足元を見つめて」と最後に決意を申し上げて会議は終了した。
・ 府庁の橋下知事ではないが会議の模様を「実況中継」したいくらだ。隠すことは全くない。私立学校法は「公開透明性」を強く求めており、理事会に出席しない一般の教職員のためにすべてを公開する時代が直ぐそこに来ている。今日の結論は次回の職員会議に報告される。
・ 本日も評議員の先生方から「校長日記」に言及された。しっかりと読んでいるといわれるのだ。「素晴らしい方法」とお褒めも頂いた。「こういうやり方もあるのですね」と公開透明性に触れられた方がおられたが格別嬉しいコメントであった。「我が意を得たり」である。
・ 私学の教職員は「公教育の一環」を担っており、「国民の税金が投入」されている。いわゆる「私学助成」だ。これを1円でも受け入れている限り、私学の教員といえども「公人」に近いというか、私は公人であると考えている。「公人は透明で公開の対象」である。
・ 公立の教職員は100%公金で運営されており、100%公人である。私学は50%の公金投入とすれば50%は公人である。最低でも50%は透明で公開の対象である。「この考えを持つことが出来るかどうかが教職員のビヘイビアの根本」に繋がる。
学校看板
・ 待ちに待った「学校案内看板」が完成した。南海『我孫子前』駅だ。従来のものは何か「国立結核療養所」みたいだといって文句を言ったら入試広報室がやり変えてくれた。白字に小さく黒色で学校名を表示していたが今度は違う。
・ 「浪速カラーのエンジ色」に大きく白字で中学校と高等学校を並列で表記し、看板自体も大きくなった。間違いなく「人目を引くだろう」。後はJR我孫子駅付近に一つ欲しい。出来れば御堂筋線「我孫子」にも一つ欲しいが。大きな看板をはれるようにようやくなって来たということである。

2008年5月29日木曜日

5月29日(木)修学旅行その3;無念の撤退

中学校修学旅行:その3「無念の撤退
・ 5月29日13時過ぎ、ホテルに帰着。「無念の撤退」だ。キスカ無血撤退みたいだ。残念だが仕方がない。「名誉の撤退」ということもある。退くことは進む以上に勇気が要る。雨にやられた。すごい雨だった。 「生徒の安全が第一」だ。
・ 4時起床。長い間の習慣で「シャワー」を使わないと目が覚めない。髭も必ず落とす。外はまだ暗く、様子を伺うが「雨はない」。これは行けるかもと思ったのが早計だった。4時45分全員揃う。カウンターに置いてある朝食と昼食用の2食、ポカリと生茶のペットボトル2本だ。それにカロリーメイトが一箱づつ。生徒は早くから起きて準備してたそうだ。
・ バス2台で約50分ほどの「荒川登山口」に到着。汚い廃墟みたいな屋根だけある場所を借りて立ったまま朝食だ。おにぎり2個と少しのおかずである。このコースは初心者用に準備された「トロッコ道」を歩くルートだ。途中で「5人の山岳ガイド」さんをバスに乗せて行く。すでに雨が降り始める。登山口周辺は車が数十台、登山服姿の老若ではなくて老壮男女で一杯だ。100人近くは居たのではないか。
・ 「雨はますます酷くなり」、些か校長としては「気になる」。ガイドのセンターらしき人に「大丈夫でしょうか?」と聞く。心得たもので「まだ行けます。ただ今後どう降るかですね」とお答えになる。危ないと思ったら止めますから」と。安心する。
・ 生徒はあらかじめ5班に分けてそこに一人ずつガイドさんが先頭に立つ。教員は添乗員を入れて5人が最後に回って出発だ。雨は変わらない。足場はトロッコ道の軌条内を歩くのだが「枕木」を踏んで歩けば問題ない。途中からはその軌条内に「足場板」を走らせており、極めて歩き易くなっている。
・ 幅が30センチ程度であるが丁度下駄の裏みたいに凸凹になっており、すべることもない。この道が2時間ほど登り道であるが続く。しかし手すりがなく一つの板場を歩くのも結構難しい。特に川を渡るつり橋というか鉄橋というか陸橋の数が多く、そこは手すりもなく、「眼下は激流」だ。
・ 岩に当たり砕ける水しぶきと轟音が山にこだまし、篠つく雨の音で幽玄な雰囲気だ。生徒はあれほど普通はふざけあっているのに声一つ立てづただ歩くだけである。雨はますます強くなってくる。一句「分け入っても分け入っても山の雨」パクリに近いが。」
・ 全員完全に「雨具用意で完全装備」であるが、雨はどこからともなく伝って体に入ってくる。全員立ち止まって「写真撮影」などの雰囲気ではない。下手をしたら今まで撮ったメディアをパーにしてしまう。ビニールで包んでリュックの奥だ。
・ 最初のポイントは小杉谷小中学校の跡地。看板によれば大正12年に集落が完成した学校の跡地だ。林業関係者の子弟のためにこのような山奥に学校があるなんてと思うが、雰囲気がとても良いのだ。正門がまだ残っている。ここまで50分か。
・ 次のポイントは三代杉だ。江戸時代初期から3代に亘って一つの切り株に自生してきた大杉である。ところで屋久島では1000年未満は「小杉」といい、1000年を越えて初めて「屋久杉」というらしい。ガイドさんの説明は親切で時々立ち止まって草花など説明してくれるが雨が邪魔をする。
・ 遂にトロッコ道が終わる。これからは厳しい山道である。足場は悪く石ころだらけ、雨のため水の流れ道となりジャブジャブと足を入れながら歩かないと危ないのだ。端を歩いてもし滑ったりすると滑落ということに成りかねない。この辺から私の気持ちは「暗澹」として来る。「大丈夫だろうか」。
・ 私は2班目についており後のグループは無事に来ているのか、さっぱり分からない。携帯など不通の山の中である。全員の集合場所はあらかじめ「ウイルソン株」というところに決めていたが、そこまでの道はまさに難所であり、滑りながらなんとか生徒を激励しながら進む。
・ 亜熱帯に属し「もののけ姫の舞台」そのもので、原生林の中と言ってもこう雨が降れば「恐怖感」が少しもたげてくる。登山口を出発して3時間遂にウイルソン株に到着だ。ここで休憩とするが他のパーティの人たちもここで思案顔をしている。
・ ガイドが集まり協議している。案の定である。言わなくとも彼らはプロだから「危険は察知」している。下ってくるメンバーもいる。ガイドは携帯電話ではなくてトランシーバーを使って他のガイドと連絡を取り合っている。
・ このウイルソン株でますます雨はきつくなり土砂降りの感じだ。雷が遠かったけれども2回光った。「もう限界」と感じていたところ、添乗員が寄ってくる。低気圧が停滞し風が少し出て来た。倒木が危険だし,上の方には道が川のようになっているところもあり、「これ以上は無理」と言っていると報告だ。即座に「了解」とし生徒に伝達する。
・ 生徒の中には「えー、」という残念そうな声もあったが「仕方がない。引き返す勇気も要る」と説明して、記念に何とか写真を1枚撮ったが大雨の中の写真である。どうなっているか分からない。
・ 他のグループの人々も三々五々引き返す準備に入っている。帰りは帰りで足のとり方など難しく体制を立て直して出発だ。時刻はまだ9時過ぎである。しかし生徒は元気だ。帰りの足は早い早い。「走るな」と先生の声がとどろく。「皮肉なもので少し小ぶりに成ってくる」。
・ 生徒は蛙や蟹を捕まえたりしてどんどん下っていく。雨が止み、おなかが空いたというので私の班は10時30分に2個目の弁当だ。出発地点の登山口についた時は完全に「雨上がる」だ。仕方が無い。12時30分全員が下山。誰一人事故なくだ。一人や山ヒルに腹の血を吸われたのが居たが。
・ 添乗員は一足早く降りて迎えのバスを手配していたので、丁度良いタイミングでバスが到着。ホテルに到着が13時30分。生徒には風呂に入らせてその後近くの屋久杉加工工場とかお土産店に連れて行くそうだ。
・ 私は夕刻の飛行機で鹿児島空港へ、乗り次いで伊丹に22時前に着陸の予定。時間が有るので校長日記を今書いている。今回のコース、男子生徒なら十分いけるし問題はなかろうが、「来年の女生徒と2倍の生徒」のことを考えるといささか問題である。
・ まず、カヌー下りはしんどい、更衣や水温、危険度など考えると良くない。指導員が大勢必要である。又縄文杉登山は女子中学生にはきつすぎると思う。思い付きではあるが隣の島「種子島」にしてロケットの発射基地などは如何かと副校長には言っておいた。
・ 「縄文杉」まで行けなかったのは残念であるが又15才の若い生徒には何時か機会があるだろう。私自身も雨に祟られたことを恨む気にはならない。「まあ、こういうものだ。これも屋久島登山記念だと思うように」と生徒には言った。生徒はあっけらかんとしている。一句「雨の屋久 縄文人の声がする

2008年5月28日水曜日

5月28日(水)修学旅行その2:屋久島

中学校修学旅行その2:屋久島
・ 昨夜に話が戻る。夕食後8時から貸し切りの大風呂。興味があって生徒と一緒に入る。さすが男子中学最後の学年だ。「仲が大変良い」。担任のN先生に言わせると「最初は喧嘩とか色々ありましたが」としみじみ話しておられた。
・ 大浴場なのだが、ふざけあって水掛遊びなどしている。副校長に言わせると昨年よりも「些かおぼこっぽい」と言っていた。おぼこは女子にいう言葉だろうが「よく分かる」ような気がする。風呂の中でも前など隠さない。おおっぴろげだ。大人の象徴もまだハエソッロテいない。中学3年生は大人と子供の丁度中間地点になるのか。
・ 風呂上りで又一騒動だ。一つの部屋で「ゴキブリ」が出たと言って大騒ぎしている。「亜熱帯」の気候だし海の側だ。それにホテルも建築後相当時間が経っている感じだ。ゴキブリの一匹二匹は出るよと先生が言っていたが「怖い、怖い」と言っている。一人の生徒が紙を掴んで追い掛け回していた。
・ 「 朝食はバイキング」、生徒には好評のようだった。パンもご飯も両方手にしている生徒が目立った。牛乳を何倍も飲む生徒もいたりして今朝は幾分元気に見える。指宿港から8時30分高速船で屋久島宮之浦港まで約1時間、時速80キロというからあっという間に屋久島到着。この船の名前が「トッピー」という。由来は分からない。「縄文号」くらいの方が分かり易いのに。
・ すぐ迎えのバスに乗り南下だ。今日の宿泊場所「安房」(あんぼう)を通り過ぎて大きな滝のある「千尋の滝」に向かう。約1時間である。途中雨が降ったり晴れ間がのぞいたり忙しい「洋上の島」が屋久島である。町の名は屋久町である。
・ 地形は丸く勿論「世界遺産の島」であり、目玉は「屋久杉」であるのだが、バスのガイドさんは「屋久しゃくなげ」の宣伝に相当の時間をかけておられた。それにポンカンとタンカンという果物のPRにも熱心であったな。ちょっと意外であった。林芙美子はここの安房旅館に逗留し小説「浮雲」を執筆したとのことであった。
・ 3時間で597ミリという豪雨の記録があり「雨の島」だ。バスのガイドさんは今日も又若く大人しい感じのガイドさんだ。ゆっくりと説明される。「屋久島は人が2万で猿2万、鹿で2万で計6万」と言う言葉があるらしく「猿と鹿の町」でもある。
・ 生憎「千尋の滝」は霧でまったく何も見えず、やむなく引き返して昼食の場所に移動となる。「レンガ屋」と言い「豚の焼肉屋」である。団体客がほとんど行く場所らしく我々以外に数台大型のバスが止まっていた。こういう場所を生徒は好む。豚の味も結構いけた。
・ 昼食後は「安房川のカヌーくだり」だ。全員体操着で一人一台のカヌーを漕いで川上を目指し帰ってくる3時間弱のコースだが「透き通る美しい川」に一人慣れないカヌーを漕いで奮闘する様は良い経験となる。
・ 勿論5グループに分け、専門の指導者がそれぞれについているのであるが、生徒は突き進んでいくものやジグザグでまっすぐ進まない者、ひっくりかえる者がいたりして盛り上がる。男の子はこういうのが好きだとつくづく思う。
・ 私はどうしようか迷ったが「一緒に遊ぶことにした」。ただしS先生と二人乗りだ。副校長もN先生も一人カヌーだ。皆さん頑張っておられたがN先生は3回ひっくり返って川の中であった。我々は大丈夫であった。
・ しかしこれらが出来るのも男子ばかりだからであり、バスの中で体操着に着替えることが出来るわけで、これが来年女生徒が入ると「どうしようか」と考えてしまうのだが「指導してくれる地元カヌーの先生」は「テント持ってきますよ。女子の方が男子よりカヌーは上手いですよ」と主張して、来年も是非という。
・ 確かに今日だけで一人当たり5000円として総計15万円位の現金収入だから地元関係者にとっては小さくはないだろう。来年のことはゆっくりと考えよう。3時30分本降りになってきた。急いで上がらせホテルに直行だ。すぐ風呂に飛び込ませる。風を引かせてはならない。明日が本番だからである。
・ ホテルは「屋久島グリーンホテル」、立派なホテルで新しい。夕食まで時間があり、この時間で日記をまとめている。部屋にランケーブルが来ていないのが少し残念だがモバイルカードを入れたら部屋からネットに接続できる。便利な世の中になった。「何処にいてもネットに入ることができ、メールが確認できる」のだ。
・ 小さなモバイルパソコンが久しぶりに役に立っている。昔このパソコンをリュックに入れて歩き回ったことを思い出す。撮った写真もすぐパソコンに取り入れられる。今回も良い写真が沢山撮れた。少しずつ公開していこう。北海道方面に出かけている高校生の一段はトラブルなく修学旅行を継続しているという。これも毎日メールで学校の副校長から情報が入って来るのだ。
・ 夕食は18時、まあまあというところか。「飛び魚のから揚げ」が有名というが、今ひとつと言う感じだ。食事後明日に向けての注意事項だ。食後改まって「校長講話の時間」を貰った。明日の夕方はもう大阪に向かって帰らねばならない。ゆっくり話せるのはこの時間しかない。「校長の思いを伝えた」。
・ 遂に本番を迎える。「縄文杉登山」。全員の登山用荷物はホテルに宅配便で着いていた。100%雨という。雨の登山である。どの人も絶対雨具が要るという。加えて傘があれば更に良いという。4時起きだ。朝食抜きで2食分とペットボトル2本を持たせてホテルを出る。

2008年5月27日火曜日

5月27日(火)修学旅行その1鹿児島

中学校修学旅行その1
・ 文句の言いようのない天気に恵まれ予定より30分以上も早く伊丹空港着。それでも生徒は既に全員集合だ。暑いのに伝統的にジャケット着用となっているので生徒は暑そうである。PTA役員の見送りがあった。
・ この時期多くの中学生が修学旅行で,隣のゲートは樟蔭女子中学で長崎雲仙方面、その隣は神戸の共学の公立中学だ。初めて知ったが修学旅行生は最初に乗り、最後に出ると決められているらしい。どの学校もそのようであった。他の中学の生徒や教師を観察していたが、生徒は違うが「なんで教師はすべて同じように見える」のか。何でだろうと思う。
・ ANA、飛行機は予定通りの時間で鹿児島空港着陸。32名の生徒のうち、10名強は初めての飛行機だとかで些か興奮気味。緊張したらしい。出迎えのバスガイドさんの出迎えを受けて一路「知覧」に向けて。若い23才の美人のガイドさんで一挙に車内は盛り上がる。
・ 一番前の席を与えられたが「何か照れくさいというか気恥ずかしいというか」15才の中学生に混じってガイドさんのアナウンスを聞いているとそのような気がする。どうして観光バスのガイドさんというと、あのようにプロらしくやるのであろうか。まさにプロと言う感じがする。マニュアル、先輩からの引継ぎ、訓練、すべての総合力だ。
・ 車内で話題を色々と提供する。鹿児島弁でしゃべり、後で標準語で同じように話したりするのが面白い。8つの果物の名前を挙げて好きな果物に手を上げさせ、その後「講釈」が入る。「桃」のときに教頭先生が手を上げたら「貴方はスケベーです」と言われていた。理由は桃の形が女性のお尻に似ているというのだ。先生、真っ赤な顔になっていた。
・ まず昼食だ。「ウーン」という感じだ。食べ盛りの中学3年生だから、「先生、ご飯もう無いのー」という声がする。サツマ揚げ2切れにハンバーグ、これは冷たくて酷かったし、釜飯も冷めて量も少ない。あれでは足りないだろう。別にケチった訳ではないという。添乗員さんが見て回っていたな。
・ 生徒から「お土産、買っても良いですか」と。このレストランの売店で買いたいというのだ。そういえばガイドさんが知覧はお茶の産地ですと盛んにPRしていた。おそらくお小遣いを貰ったおじいちゃん、おばあちゃんへのお土産に「知覧茶」と思ったのだろう。私もつられて買ってしまった。今日的生徒は「優しいところ」があるのだ。
・ 食後「知覧特攻平和会館」に歩いて向かう。まず館長さんから30分程度のお話を伺う。知覧生まれで特攻隊のことを分かり易く生徒に説明してくれる。大変良かったと思う。生徒代表が感謝の言葉を述べて館内自由見学だ。熱心に回っていた。「何か感じるものがある」のであろう。
・ 本校の生徒、ここまで極めて立派である。無茶苦茶な生徒はいない。「品が保たれている」のが嬉しい。校長として誇りだ。知覧を出発してガイドさんが、少し改まって「劇場的に」特攻隊と鳥浜はまさんという特攻隊の母と言われたお話を20分程度歌入りでしてくれた。「シーン」として生徒は聞き入っていた。
・ バスは山川の地熱発電所に到着。九州電力のPR館であるが生徒には大変勉強になったのではないか。発電の仕組みがよく理解出来た筈だ。地球がボイラーというのが分かったかな。
・ そして今日のお宿、「指宿海上ホテル」に到着だ。このコースになって以来の定宿で社長さん自ら出迎えだ。私の部屋はなんと部屋数が5つもあるこのホテルで特別のスイートではないか。気を使っているのだ。目の前は錦江湾だ。着替えて近くの「砂蒸し」に出かける。なんとも心地よい。浜辺で砂を体全体にかけて地熱でユカタ着のまま体を蒸すのだが生徒も大変喜んでいた。時間は30分もは出来ない。結構熱いのである。平日だというのに観光客が多い。
・ 観光と言うとこの指宿はNHKテレビの「篤姫」の舞台になっているところだ。ここは生家島津今泉家の領地である。しかしガイドさんが篤姫の話をしても生徒は関心を示さない。「テレビを見ている人?」と聞いても誰も手を上げない。「へー」という感じだ。
・ 今鹿児島県は盛り上がっているが主演の宮崎やよいさんは良いが名前が気に入らないという。薩摩の人は日向すなわち宮崎県人は昔から嫌いだそうで「宮崎の姓」が面白くないと思っているらしい。
・ 7時から夕食。今度はボリュームたっぷりだ。生徒はかぶりつくように食べ始める。見ていて気持ちが良い。本校の生徒は「頂きます」と「ご馳走さまでした」を本居宣長の和歌を合唱して一斉にする。それを見ているホテルの人は例外なく驚く。良いしつけである。
・ 砂蒸しが効いたのか、体調が良い。20時から展望風呂貸し切り、21時30分点呼、22時就寝となる。しかし教員も大変だ。でも男子生徒ばかりだけだからこのようにスムースに行くが来年2倍の生徒数で男女となったら「大変」な事は容易に想像できる。しかし「それが仕事」だと思えば又楽しいではないか。
・ 添乗の看護師さんが鹿児島空港から同行してくれているのだが、何もすることがなくて「笑ってばかり」いる。余程本校のことを気に入ってくれたのであろう。明日は屋久島、天気予報は50%で雨だ。

2008年5月26日月曜日

5月26日(月)前歴換算および給与回復措置

前歴換算及び給与回復措置
・ まったく耳慣れない言葉であるが学校社会にはこのような規定がある。大阪私学経営者協会発行の資料があるくらいだから「重要な規定」であろう。最初この言葉を聞いたときには何のことかさっぱり分からなかったものである。
・ わかり易く言えば「専任教員になった時に当て嵌める初任給」のために「直前の職業」と「初任給与を徐々に専任教職員に合わせるような回復措置」のことである。しかしこれでも分かりにくい。具体例を上げた方が分かり易いか。
・ ある人が大学で教員免許を取り、教員となる資格を有していたが、一般の民間会社に就職して10年が経過した。しかし教師への思い絶ち難く、決断して会社を辞職し、ある私立学校に「講師」としての職を求めた。年令は33才の時である。本人は努力し、勤務状況が良く、指導力も高いと衆目一致した評価を受け、正式に3年後に「専任教諭」として採用されたと考えれば分かり易い。年令は36才になっていた。「さてこの人の専任教諭としての初任給料は幾らで、その後どのように上がっていくのでしょう?」と言う問題だ。
・ こういうケースもある。前述のケースと違い、3年の講師経験を踏まず、運よく直接「専任職員」として採用されたときには、この人のお給料はどうなるのかという問題である。前の会社は「おもちゃを作る会社で学校の教育とは全く関係ない経歴の人」だ。これを「前歴換算」と言う考え方で調整しなければ可哀想と言う発想である。そして前述した3年間常勤講師で頑張った先生との違いはどうなるのかという問題もある。
・ 逆の問題もある。過去ずーっと他の私学で頑張ってきたが訳あってそこを辞め、本校に就職したケースだ。言ってみれば「教師としてはベテランであるが本校では新任」だ。この先生のお給料はどうなるのか。前の学校の給与がそのままスライドというわけにはいかない。
・ 更にこういうケースもある。大学を卒業して5年間、職に付かず、外国を行ったり来たりして自由を謳歌した人が6年目に思い立って「正規職業に付くことを決心」し、見事、採用試験に受かり、私立高校に就職したケースだ。「無職の期間が5年」ある。この人の前歴をどう見るのという問題である。
・ ところがその私立高校には大学新卒で就職した先生がすでに勤務しており、まったく同じ年令ではあるが給料は違う。分かり易く言えば「5馬身の差」が付いているのだ。この5馬身は一生、「」として付いて回るのは些か可哀想だと言うことで、何年間で「並ぶ」ようにするのかという問題である。これが「給与回復措置」だ。とにかくややこしいのである。
・ 私は平成14年大阪府で初めて民間出身校長として府の職員に採用された。民間人から公務員になったのだが、この時に多くの他の校長の関心事は定年まで5年しかない「私の給料」のことであった。大別すると3種類あったような気がする。
・ 一つは「新規採用の教員レベル」・・・あり得ない話だ。そのような条件で来るわけがない。一つは「無給で来ると言う話」・・・まったくあり得ない話で、こういうことを言う人は全く分かっていない。一つは「企業と学校と両方からダブルで貰っていると言う話」でうらやましそうに、これは良く言われたものだ。要は最初の民間人校長の給料に他の校長は関心があったのである。結論は同年代校長と同じレベルの当て嵌めであった。即ち大学卒業して大阪府に勤務したと同じレベルの給与が支払われたのである。鉄鋼会社勤務であったが「前歴換算」はしないが、給与回復期間は「0」ですぐ通常の校長職の給与が支給されたのである。
・ 本校の給与回復措置は以下のようになっていた。まず「対象者は40歳未満で本校に就職した者、本校で採用される前に直前の職場を定年前に退職し、かつ本校の在職期間が10年以上見込める者、理事長が回復措置の適用を必要と認めた者の3パターン」である。ただし採用直前の職場を定年扱い又は退職勧奨で辞めた場合は退職金や、割増金を貰っているはずだから回復の幅は通常より小さくしている。
・ 「 3年で30%、5年で50%、8年で80%、10年で100%が回復内容の数値」である。このような前歴換算や給与回復措置は「優秀な人材を集めるための一つの方策」であったのだと思うが、余りにも今日的ではない。教員免許を有しているだけで、子育てが終わり、55才になったから「教員にでもなろう」となった人が本校の場合65才年令であるから残り10年あるから定年までには100%の給料となる。大学を卒業して30年以上継続して勤務してきた教員と同じ給料で良いのかと言う指摘もあろう。
・ 前歴が教員で他校から変わってきたと言うだけで100%保障と言うのは如何なものかという意見もある。あくまで本校での経験年数はゼロだ。見てみなければ分からない。公立の優秀な教員を60才定年前の58歳くらいで引っ張ってきたとして、残りが10年ないから回復はしませんでは誰も来てくれないだろう。色々あるのだ。
・ 「平成20年以降の採用者には前歴換算、給与回復措置の規定は反映させないように内規を変更」した。その代わり「専任教職員初任給決定基準」を設けて適用することにした。優秀な人には回復措置も何もない。最初から当て嵌めれば良いのだし、法律の改正で教員免許を有しないでも教壇に立てる時代となったのだ。飛行機に乗っていた女性が「しつけ教育」として小学校の先生になれたりする時代だ。努力したら給料が上がる時代になり、努力も成果も上げられない教員の給料は下がる時代となった。個々の教員の給与に差が生じる時代となった。「何時までも続く黴の生えた規定」は改めなければならない。

2008年5月25日日曜日

5月25日(日)その2:大阪の財政悪化、責任は誰に?

大阪の財政悪化、責任だれに?
・ 今朝の産経朝刊の2面に囲み記事がある。2面だからこれは大した扱いである。「古典個展」という記事なのだが登場は立命館大学教授の加地伸行先生である。日本の誇る漢文の大家、碩学のお一人である。
・ まず「船場吉兆の使いまわし事件」を取り上げ「普通の人間には出来ない感覚」と切って捨てられ、「もったいない精神」で新幹線駅を止め、当選した滋賀県の嘉田由紀子知事と「もったないをテーマ」に対談して欲しいと皮肉っぽく書いておられる。船場吉兆は老舗なんかではない、老舗とは6世紀に四天王寺を建立した「金剛組」などをいうと云われる。
・ 勿論二人の精神構造が違うと言っておられるのだが、先生は「大阪の劣化」と本題に進まれる。有る時パーティで大阪府の幹部と同席した時に教育問題に話が及び、先生は「今日的高校生が漢文離れ」をしていることを憂えて「高校生に漢文の面白さと先生方に教授法など話をしても良いよ」とおっしゃったとある。この幹部は渡りに船と同席していたB教育長を呼び、「先生が、このように言って下さっている」と紹介したところ、この教育長は即座に「それなら府立の非常勤講師登録をしてください」と言ったそうだ。
・ まあしかし「よく言ったものだ。」信じられない。その道の大家に「失礼千万」な話だ。先生は「ああ、分かっていないな。」と嘆息されたそうだ。そして加地先生は橋下改革に話が及ぶ。
・ 先生は、引き続いてこのB教育長は橋下改革を「乱暴な案だ」と批判していることを引き合いにしてまたまたこの人物を匿名であるが「劣化人物」と厳しく批判しておられる。「分かってない」と。そして必要もないのに「最近辞めたらしい」とわざわざ先生は書いておられる。この人物を特定せよという風にしか私には読めない。最近辞めた教育長は世の中にあの人間しかいない。
・ 確かにそうである。このBという人物は元大阪府の財政課長をして最後は教育長として私学との高給料亭接待疑惑で処分され、どういうわけか現在枚方市の市長になっている竹内某氏と考えて間違いあるまい。公人だから名前を出しても良いだろう。
・ その竹内某は昨日の朝刊各紙に写真入りで登場している。橋下知事が各市町村長めぐりをしている一環で枚方市を訪れ改革の論戦をした内容が記事になっているのだ。知事は「これまでの幹部にも責任がある!」といい、この男は「制度を決めた国に責任があり府庁には責任はない」と言い張ったというのだ。
・ まさにこの男のこの発言の中に「無責任な、横柄で、プライドだけが高い謙虚さの欠けらも感じられない」正体が見えるではないか。国に責任があるだと。ソリャ幾分はあるだろうが現場で財政執行した歴代の府庁幹部には責任はないのか。問題となっていない府県だってあるではないか。「開き直り」とはこのことだ。
・ 特にこの男が財政課長の95年から97年の時代に公共事業を増やし府の借金が急増した時期である。今このときの負担を現役世代が給料を削減されてまで負わされようとしているのだ。人間の心があれば「我々の時代の付けを後輩の君たちに負わせることになってスマン」の一言くらいあってもよいのではないか。それが男の生き様だ。公開の席で府庁の後輩を「君らは知事を止めないのか」と叱責したあのテレビの画面は衝撃的であった。
・ 大阪府はこのような人物を処遇してきた不幸を嘆かなければならないが「救世主」が今現れつつある。信じて付いて行けば良い。加地先生は言う。「これほど自治体の暗部に切り込んでいく知事は初めてではないか。この知事の良いのは“公”を第一に考えていることだ。思い切ってやりなはれ」と先生は激励している。
・ 抵抗勢力は橋下改革が進めば自分の取り分が減る、補助金が減るとかすべて“”の発想だ。自分が損をしたくないだけだ。嘆かわしい。これが「大阪の劣化」と断じている。「貧しく、怨みなしは、難し」と漢文の先生らしく結んでおられるが、意味は貧しくともそれに耐えて怨みなど持たないことは人間社会では中々難しいということらしい。
・ 「なるほど」と感じる。私なども改革の中で怨みを買っているであろうが「これが皆のためで、将来花や実となって返ってくる」といい続けている。私は「不退転の決意」で進める。文句のある人は、亡くなった岡八郎の決め台詞ではないが「どこからでもかかって来んかい!」だ。「私にとって守るべきはもはや浪速しかない」、「学校は一命にかけて守る」。特定の連中の好きにはさせない。
・ 先の対談で竹内某は「知事のメッセージを府民は信じているみたい。発言は慎重にしてと捨て台詞をいったそうだが、知事は聞き流し「このまま突き進んで行きます」と折り合うことはなかったそうだ。
・ しかし竹内のこの発言は「許されないは発言だ。府民を馬鹿にした発言ではないか、府民が信じているみたいだと。そういう言い方はあるまい。」本当に加地先生ではないが「分かっていない、懲りない人間」だ。

5月25日(日)その1:日曜日の朝

日曜日の朝
・ 小雨の残る日曜日の朝である。何時もは5時過ぎに起きるのであるが日曜日は少々朝寝となるがそれでも7時にはベッドを出た。その後は住居の1階に下りて、新聞5誌を隅から隅まで目を通す。「至福の時」だ。
・ 小一時間で終わり部屋に戻る。朝食だ。牛乳、ヤクルト1本、りんご1/2個と決まっている。人はそれでは少ないと言うがその分昼と夜に食するからこれで十分である。テレビでは厚生労働大臣が久し振りに出て論陣を張っていた。この政治家は好きだ。
・ その後は1週間に一度の掃除だ。まず掃除機をかけてその後ウエットタイプの紙を巻いた「手動拭き掃除棒」を使って隅々を拭くのだが、掃除機をかけても綿埃というか小さなごみがたっぷりと紙に付く。しかしこれは「優れもの」だ。大変良い。
・ その後本を読むか整理だ。特に来週は修学旅行なのでその準備に入る。副校長が「ひざのサポーターは役に立ちますよ」と言ってくれたので午後にでも求めに難波に出る積もりだ。脚を痛めているのを気遣ってくれているのだろう。縄文杉登山の後、生徒は下り道を走るように下って行くそうだが、私にはそれは無理だ。ゆっくりゆっくりと行こう。
・ 医者は原因をはっきりとつかめられないが「腰のヘルニア」らしい。痛みが酷くてクスリを服用していたが、ようやく痛みが薄くなってきたので今は薬をやめて、少し体重を落とすことにした。
・ 還暦を過ぎてから体がどうも昔ほど思うようにいかない。58歳、59歳がピークのような気がする。このときは「健脚」そのものであった。この時の無理が祟ったのであろうか。人は私を見るたびに「元気だ。パワーを貰った。」などと言われるが、裏事情は色々あるのです。
・ 昨夜のブログは力を入れて書いたものだ。本校の教職員には是非読んで頭に入れて欲しいものだ。とにかく戦後60年を経て「改正教育基本法」が施行された。「教育は国家百年の体系」、国の根本政策に教育が来てもらわないと困る。
・ 日曜日、このようにゆったりとした時間の中では「頭が整理」出来て思索が深まる。5月16日のブログ「教育費」にて論述したが教育に関する財政出動は国内総生産(GNP)の3.5%が現在の規模であるが文部科学省はこれを欧米先進国並みに5.0%に引き上げるのが悲願である。
・ 今注目すべき法律が検討されているが、それは「教育振興基本計画」というものである。改正教育基本法の目玉中の目玉であり従来の理念法の教育基本法を「実践法」として高めるために「国は・・・、地方教育委員会は・・・」「教育上必要な支援を講じなければならない」「その実施に責任を負う」とかの文言が頻繁に出てくる。
・ その柱に「教育振興基本計画」があるのであるが文科省原案が明らかになりつつある。その中心は「教職員を2万5000人増やす」としている。加えて「法律の中に5%も明記」するという。
・ 現在教職員の数は公立私立で100万人弱くらいの規模だと思うが、25000人増と言うのは大きな数値だ。小学校英語の教師、理数系を中心とした少人数の指導に増員をと言った具合だ。基本的には「良いこと」である。
・ しかしこれには「立ちはだかる法律」がある。「行革推進法」は「児童生徒の減少を上回る割合での教職員の純減」を定めているのであるが、今後財務省との激しいバトルが始まるだろう。
・ 道路族は道路、橋がいると言い、医療制度のためには後期高齢者医療制度は必要だと言い、文化を残せと言う人もおり、財源の為には消費税を18%程度要ると言ったり、教員の数より「校舎の耐震強度」の方が先だという人も居たりで日本は「めちゃくちゃ」になりつつある。「今の日本に政治はない」。
・ ところで四川の大地震は「ダイジシン」と読むのか「オオジシン」というのか分からなくなってきた。テレビでは「オオジシン」とアナウンサーは発言していたが。

2008年5月24日土曜日

5月24日(土)学校評価

学校評価の実施
・ 昨年6月、戦後60年を経て教育の憲法ともいうべき「教育基本法が改正」された。この影響は今後大きく学校現場に出てくることになる。教育再生会議の議論を経て、同年10月に「学校教育法施行則の改正」で「自己評価および学校関係者評価の規定」が設けられ、遂に本年1月31日に文部科学省より「(改訂)学校評価ガイドライン」が作成された。
・ 狙いは「保護者や地域の信頼に真に応える学校にすること」として「教育水準保障機関(仮称)を設置」し学校の外部評価監査システムを導入したいと彼らは考えて答申したのである。これは極めて重要な法律であり、大阪府も早速具体化に乗り出した。
・ 評価の内容は
「教職員による自己評価」と「結果の公表ならびに結果の公表」、「設置者への報告義務」
「学校関係者評価(努力義務)」
「第3者評価の実施(将来課題)」の「3段階」で進められる。
・ 当面大阪の私学はまず「自己評価と公表ならびに設置者への報告から」進めることになった。しかし本校では第2段階の学校関係者評価まで検討していくつもりである。関係者とは「保護者」「中学校関係者」「」「地域」などが含まれると考えられるが出来るところから始めれば良いと考えている。まだ努力目標であるから。しかし努力義務とあるからそのうちに義務になる。
・ 第3者評価は当事者や関係者でない専門家による「第3者評価」であるが教育再生会議がいうところの「教育水準保障機関のイメージ」であるが、これはそう簡単にはいかない。理論先行といった感じがする。
・ 企業でいう「品質システムのISO標準」みたいなものだろうが一挙にはいかないだろう。この機関を上手く立ち上げたら「大金持ち」になれる。全国の学校を回って「貴校は良好です。」「貴校は努力が足りません。優秀学校とは認定できません」と権威ある機関の認定するイメージだと思う。
・ 学校評価は既に35年くらい前から一部の公立学校や地域で行われており、新しい考えではない。最も本校ではまったく初めての話であろうが。平成17年には文科省は「学校評価ガイドライン」を作成し、外部評価を全国に広げようとした。今回のものはその改訂版である。
・ 教育再生会議は「学校は学校評議員、保護者、地域住民などによる外部評価を導入し、その結果を公表する。評価は閉鎖的・独善的であってはならない。学校評価に当たっては保護者や児童生徒の意見を反映させる。学校は外部評価の評価基準を明確にする。」ときっぱりと規定されているのだ。この文言を教職員は頭に叩き込まないといけない。
・ 法律の精神を受けて本校も20年度の末までに「自己評価」をまとめなければならないことになった。大阪府の私学一斉に実施することになる。6月には大阪府私学課による指導会も予定されている。5月も終盤になり、ぼつぼつ具体化しなければならない時期となってきたので、本日副校長教頭と打ち合せをした。
・ しかし本校は「心配する必要はない。すでに始めている」からだ。私は教育法律論から学校社会に入っていった。教育基本法を読み、学習指導要領にも目を通した。公立学校で様々な経験をした。いずれも制度の初めの段階から経験してきているから、ある程度の先が読めるのだ。
・ 例えば初めて「学校協議会」を組織し、委員候補を自ら探し出し、お一人お一人就任をお願いした。そして学校側の公開資料を決めて協議会の席上にて順番に各分掌の部長に説明してもらった。「生徒の授業評価」もこのときに初めて実施した。
・ 管理職からだけの説明ではないのである。それはそのような機会が教員の教育になると考えていたからである。企業においても一担当者が「役員説明」の機会を得ることは名誉であり、絶好のチャンスなのである。このような「場」が教員を教育していく。
・ 「本校の人材育成評価システムはまさしくこの自己評価そのもの」である。これをどこまで外部に公表するかは今後の課題である。勿論個人が特定されるような公表はありえないが全体として学校の標準のレベルの向上と課題は公表する考えである。最も公表先は設置者であるから「理事会」となる。
・ 中学は生徒アンケートも取り、保護者の授業参観や懇談会もすでに順調に実施中である。全国学力調査も客観的学校レベルの把握に効果がある。すでに浪速中学校は自己評価のフォームも出来ており、今後の詰めの段階まで進んでいる。いずれにしても中学校は先行している。
・ 課題は高校だ。これからだが今浪速高校も全教員頑張ってくれており、これから「形を作る」事で良い。まず自己評価との繋ぎをどのように定量的に管理職が整理するかである。次に初めて「生徒による授業評価」をしなければならない。もはややっていない学校は世間にはないのではないか。
・ 「 教科主任会議でフォームを決め生徒のアンケート内容を決めて10月頃に一斉に実施」して欲しい。まず此処からだ。生徒や保護者からの意見を聞くことが外部よりも先だろう。アンケート結果を分析し、「自分たちの授業が生徒からどのように見られているのか?」がすべての出発点である。法律もその点を指摘している。
・ 昨年の監事による内部監査は従来の「会計監査だけではなくて業務監査」も加えた。1年経って殆どの分掌部長が直接監事にご報告した。このような実践例は他校にはないのでないか。
・ 学校全体の動きは「公式サイトの校長メッセージ及び校長日記」で改革の変遷、現状の課題、解決の為に方向などを「タイムリーに、正しく、公表してきた」。「これ以上の情報公開はない」と考えている。あれは「ええかっこ」でやっているのではない。教職員、保護者、中学校、浪速に関心を持つ府民の方々に「十分なる説明責任」を果たしてきたつもりである。結構しんどいのです。
・ 「理事会は、かってないような充実した理事会となった。」と全理事から高く評価して頂いている。入試広報室は「誠実さの浪速」と言われるぐらい「誠実に、ありのままの浪速を広報」してくれている。「校長も入試広報も前線に立っている」のである。今後は「奥の院に光をさす番」である。奥の院とは教職員の自己評価である。
・ 「生徒の授業評価」、保護者との距離を縮めるための「秋の学年集会」で「その辺の情報公開が出来ればよい」かなと思っている。そして「年度末には教職員は1年間の自己評価と管理職による評価」だ。それを学校全体に広げて「学校自己評価」となる。これは管理職の仕事だ。それらを「理事会に報告し一連のサイクルは終わる」。これが私の描いた絵である。心配することはない。すでに一部は実施しているし、結果も良好だ。
・ 自己評価が目的ではなく、「良い学校つくり」が目的である。自己評価はそのための一つのツールであることを認識しなければならない。この前のブログに書いたが「監事説明」を「何でやねん、何でせなあかんの」などの寝言を言ってはいけない。
・ 法律なのだから、やるしかないのである。私学は公立と違って誰も手を差し伸べてくれない。自ら「どこをつかれても問題ないように」しておかねばならないのである。「世の中は変わって来ているのである。」「空気を読め、風を敏感に感じよ」。

2008年5月23日金曜日

5月23日(金)その2:私学助成削減

私学助成9県で削減
・ 昨日の朝日夕刊に「私学助成削減」で注目すべき記事がある。朝日新聞の調査によると今年度全国で9県が財政難を理由に私学への運営費助成をカットしたとある。岩手、秋田、福島、石川、滋賀、兵庫、島根、広島、愛媛、大阪の「9県」である。
・ 減額幅は児童生徒一人当たりに換算して「最大で5.4%」である。従って現在の大阪府の橋下改革の案「小中学校で30%、高校で10%の数値はとんでもない高い数値」であることが分かる。
・ 私学助成金は私学の「運営費への助成」と保護者の「授業料負担の軽減助成」の二つに分かれているのだが、大阪府は授業料軽減の部分にも手をつける。普通はこれには手をつけないのだが橋下さんはやるといっている。もうなりふり構わずだ。
・ 実際全国で踏み切ったのは滋賀と奈良県だ。滋賀は一人当たり1000円から2000円の減額、奈良県は対象の年収上限を1155万円から756万円に引き下げた。大阪府のプロジェクト案は年収に応じて4万円から9万円に減額するという。加えて保護者の年収規模が600万円台に落ちる。
・ 確かに運営費助成は全国最低レベルであるが授業料軽減分は結構手厚く全国平均の4倍強である。私学助成で「09年度33億円程度」の財政好転を目指しているというが、どうも仕方がないという感じだ。
・ しかし実現すれば助成水準は07年度の全国27位だった小学校と15位だった中学校はいずれも「全国最低」に、45位だった高校も最低の位置になる。一人当たりの運営費助成は10%カットされたとして「26万4204円」となり、平成18年度の「全国平均32万732円」を大きく下回る。
・ トップは鳥取県48万円、もうライバルとは言えないが東京が365000円、関西県で言えば京都328000円、兵庫335000円、奈良312500円、和歌山320524円だから「大阪は完全に取り残されてしまった」。
・ 前にも書いたが「どうして大阪はこうなってしまったのか」と言う問題だ。ここを明確にしないとちゃんと納税してきた大阪府民にとっては割り切れない話しだ。しかしとにかく橋下知事は「現状をブレイクスルー」しようとしている。数値合わせだろうとナンだろうと現状を変えよ。そうしたら見えてくる。
・ 一部の人間は「壊し屋」というが、皆の言うことを聞いていたら改革など出来るはずがない。もっと時間をかけてと言う人は「するな」と言うことだ。私は基本的に橋下改革を支持する。「壊し屋は名誉な呼称である。」と思う。「頑張れ、壊し屋 橋下知事!」。

5月23日(金)その1:知事は壊し屋?

知事は「壊し屋」?
・ 橋下知事は昨日、遂に「人件費の削減」について正式発表した。二つの労組に申し入れ、幹部会議においても正式通知とした。最もこれで決まりではなくて「公務員の給与は条例で決定」だから、7月議会での結論待ちだ。
・ 民主、共産は大反対だから、後は「与党の自民と公明」がどう出るかだ。反対に回ったら知事は「議会を解散」すれば良い。丁度良いのではないか。「橋下改革の賛否を直接府民に問えば良い」
・ おそらく「抵抗勢力」と呼ばれるのを怖れて自民も公明も「大きな抵抗にはなるまい。」と思うがこれは読めない。議員諸侯も今回は難しい。府民有権者は二つのタイプに別れるからだ。賛成、反対五分五分ではないか。
・ 昨日府議会4会派は「議員歳費の削減に一致」したとある。「当たり前だ」。知事以下一般職員が血を流しているのに「議員が避けては通れまい」。後は削減幅だ、しかし昨日の知事の発表で、ある程度の幅は見えてきたのではないか。10%程度では済まないだろう。
・ 月額給料は知事で30%、副知事20%、部長級14%、管理職12%、一般4%から10%と言うから「大きな数値」である。8月から2010年までの3年間の期間限定だ。
・ 従って「給与体系の根本的見直し」ではなくて、あくまで「暫定的な削減という措置」である。しかしもう元に戻ることはなかろう。知事もその辺のことは分かっており、「給与体系の見直し」があるとコメントしている。
・ 退職金も5%の削減であり、その他住宅手当などの諸手当も国に合わせて削減するという。府内近郊へ出張する時に出る雑費手当200円もなしにするという。早速事務長に本校と比較検討するよう指示を出した。
・ 中でも私が常に持ち続けている問題意識は「住宅手当」だ。持ち家になって数十年が経過しているのに「何故、住居手当を支払う必要があるのか?」と今朝、又言ったばかりだ。又というのは時々言うからだ。事務長は「むやむや」と言うばかりで要を得ない。
・ 私は「しつこい」ところがあって「決着か納得」するまで言い続ける。例えば授業日数や授業時間などは教務部長が恐らく嫌になるくらい言い続けてきた。だから前に進むのだ。その結果、授業日数は普通の学校並みかそれ以上になった。「12ヶ月を13ヶ月とした」のである。言わねば誰もやらない。それが前の本校の姿ではなかったか。
・ 大阪府は持ち家者への住居手当を従来の月額4600円を月額2500円の国家公務員に合わせるという。それも新築・購入後の5年間だけである。本校や他の私学は基準内で20000円近く支払っており、それも定年まで一生だ。基準内だから賞与に反映されている。「おかしい」。
・ 事務長は「形を変えた俸給の一部」ですというが、それでは今後大阪府には通らないだろう。支給するなら明確に基準内号俸に合算してはっきりとした方がよい。いずれにしてもそのうちに「見直す」積りだ。
・ 今後は府からの私学への圧力は相当大きなものになるであろう。覚悟しなければならない。「私学の甘え」は許されなくなるものと想定される。特に住宅手当て分については各私学間で差が出てきている。SEI12535円、KUN17200円、KAO16000円、MIJ14915円、KAM5200円、OOJ5000円、HTS14200円、OOT6900円、SDS9000円、SEK7796円、YUH7000円、HGR9537円、TDK13656円、TDI10447円などだ。
・ 年収規模は部長クラスで1373万円がマイナス75万、管理職が1029万円がマイナス56万円、非管理平均691万円がマイナス33万円と計算されると記事にはある。「府の管理職の年俸が1000万円を切る時代になってきた」。特にこの点が感慨深い。
・ その他宿泊出張の手当から食事代2000円から3000円を減額するという。家で食べようと出張先であろうと食事代はかかるので、手当に入るのはおかしいという論法である。分かる。しかし「自宅で食べる方が安く済むし、栄養価もある。好きで出張し、外食しているわけではない。」と論争をされたときにどう返事するかも考えておかねばならない。
・ しかし削減は基本給の部分であって「勤勉手当て」とかの諸手当てが一時金や月度分にあり単純比較は出来ないが知恵を絞って「比較検討せよ」と事務長にきつく指示したところだ。
組合の言う「同一仕事には同一賃金の原則」を求めるにはもう少し時間がかかろうが間違いなくその方向に行っている感じだ。高いところは補助金で狙い撃ちされるだろう。
・ 「知事はただの壊し屋だ」と労組の反発は凄いらしいが、知事は「今手を緩めたら将来世代に大きな影響が出る。この程度は負担しなければ」と一歩も引く積りはないそうだ。「府民と痛みを分かちながら財政を立て直すには、皆さんにも血を流してもらう」と知事は言い、「歴史上例を見ない類を見ない巨額な削減案だ。」と組合委員長は怒る。しかしこの程度は民間では当たり前の話だ。驚くに値しないと私は思う。28日、第1回目の団体交渉だ。論戦が楽しみである。
・ 我々は「高みの見物」ではない。今回の件は大きく「私学に火の粉」が降りかかっってくる。「私学助成の削減」は避けられそうもない。府庁の役人、公立の教員、警察官、全てが「我慢を強いられる」としたら、我々が「反対!」とただ叫ぶわけには行かない。考えても見よ。公立の教員が10%程度給料が削減される。「大変なことだ。」
・ このまま削減が実行されると「府の給与水準はラスパイレス指数で昨年4月時点の97.0から89に下がる」。ラスパイレスとは国家公務員を100としての数値であるが、これで「全国で最下位」だ。小中学校の全国学力調査結果と同じ最低レベルとなる。
・ 本校は何時も府の教職員との比較ラスパイレス比較を見ているが、先に実施した水準の見直しでようやく揃ってきたと思ったらここで又「10から12ポイントの開き」が又発生することになる。これを精査せよと言っている。
・ 現在「時間外勤務時間の整理」をしているが「昨日の府の発表と今後の展開を注視」しながら「本校の方針」を定めて行きたい。昨年から始めた諸基準の見直しを先行しておいて「つくづく良かった」と思う。「先手を打ったのだ。」私は運が強い。

2008年5月22日木曜日

5月22日(木)耐震補助金

政府「学校耐震補助引き上げ」検討で一致
・ 5月18日のブログで政府の対応について言及したところだが、早速「出てきた。」中国四川大地震で学校の倒壊が相次ぎ大きな犠牲が出たことによる政治家の反応である。「当たり前である。」ねじれ国会であるが今回は「民主党も方向性は同じ」と言っているから自動車税や後期高齢者医療費などのように党利党略とはなるまい。
・ 公立小学校、中学校の耐震化について自民党の議員連盟が21日会合を開き、倒壊の危険性が高い校舎の工事費を最大で98%国が負担するため議員立法で改正するとしたものだ。面白いのは「政府ではなくて議員から」ということだ。金のない政府が自分の首を締めるようなことはまず口火を切って言わない。
・ 公明党も動いており太田代表が福田総理に進言し「学校の耐震補強が進んでいない。補助率を上げなければならない」ことで「一致」したそうだ。政治家の話は面白い。「一致したのであって“する”ではない」。国民すべてがすでに一致している話だろうと言いたい。補助率については現在の1/2を大体2/3程度にまで上げるもので、併せて地方交付税措置も拡充するという。
・ 文科省によれば全国公立小中の校舎13万棟のうち、昨年4月現在で耐震性がないと判断されたのが45000棟あるという。政府は08年度予算で学校耐震化工事のために1150億円を計上しているが、1校で1億円要るものだから自治体は財政事情を理由に工事を見送っているのが現状だ。地方が進めたとしても後数十年もかかる勘定になる。気の遠くなる話しだ。
・ 今回の措置は「地方実質負担分の軽減」を狙いとしているが、まだ話しの段階で法律の話しではない。財務省が財源をどう捻出するのか、今後の展開に注目だ。政党による「総選挙前のぶち上げ」に終わらないように願うばかりである。6月になったら東京の私学財団に事務長を出張させて「私学についての情報」を得るように決めた。
・ しかし大阪府の動きが理解できない。中国での地震発生以来、橋下知事は一切この校舎の耐震強度問題に触れていない。1100億円の削減で頭が一杯なのだろう。「大阪府の学校の耐震強度は大丈夫なのか、どうなのか」「どこまで進んでいるのか」明らかにすべきではないのか。
・ 府民は覚えていると思うが知事が最初にあげた公約が「校庭の芝生化」であった。関経連会長からやんわりたしなめられて一時期小さなバトルがあったが、「芝生」なんかより「校舎」だろうが。しかし本日「府庁職員の人件費について大幅削減幅を発表」し、労組に申し入れたという。このコメントは次のブログにまとめたい。
・ 大体地域にとって最も安心出来、避難する場所は昔から学校や体育館と決まっている。この学校がつぶれたら中国のようになる。昨日の夕刊ではさすがに「間が悪い」と思ったのだと思うが、今年度は「芝生化、見送り」と結論を出したそうだ。「当たり前だ」。
・ 「大体校庭を芝生化するのは良いこと?」との疑問が私にはつきまとう。中庭、テニスコートなどはすべきだと思うが一般の校庭を何のために芝生にするのか、今もって私には分からない。
・ 土、砂の「生の大地」で何故悪いのか。雨水の浸透、夏場太陽の照り返し、色々なことを考えても「土、砂」の方が良いと思うがなー?分からない。1校当たり1800万円の費用と言うから大きな金額ではないが、優先順位の問題ではなくて「必要性」の問題だ。耐震強度を図る話しと根本的に違う話だ。

・ 新校舎建設の目的は少なくとも四川規模の地震エネルギーで「ペチャンコ」にならないようにする為である。今日明日,地震が来るとは想定しての話ではないが少なくとも「そのような方向を確認する」ことが重要であると考えている。
・ 今はどう工事を進めれば全体が順調に行くかを考えている。「お金さえあれば校舎は立つ」のだが、「グラウンド」を狭くしてはならない。工事期間中の部活動の場所は確保できるのか、無駄な仮設校舎はなるべくなら作らなくて済む方法はないのか。周辺の条件整備がまず必要だ。
・ まず「武道場の集約」が必要だと前のブログにも書いた。工事期間中一部の部が練習する場所がないのは可哀相だ。問題はその場所を何処に取るかである。可能なら「現在のプールのある位置」に5,6階建ての建物を作って集約できれば言うことはない。
・ 問題は隣地と「日照権の問題」でそう簡単にはいかない。現在のプールの隣は大阪市保有の行政財産である「墓地」がある。1200基が存在する。ここに小さな建築物もある。現在どうするのが良いのか研究をしている最中だ。「土地購入の意思」も示したがこれは駄目だった。
・ 武道場は地域にも開放するし、新校舎なども万が一の時は「府民市民に開放」して使って貰えば良い。どちらにしてもこの問題が整理できれば次のステップに進むことができる。勿論、第2、第3の手も考えているが、最後まで努力する。明日はそのために「大阪市役所に出張」だ。

・ 13時 会計監査、業務監査 監事2名
・ 13時20分   職員会議 「時間外管理についての方向
・ 14時      学校医の講話「熱中症対応
・ 16時 監事の講評「大変良かった。素晴らしい。今日、説明していただいた先生も大変立派だったと思います。」

2008年5月21日水曜日

5月21日(水)中学校修学旅行

中学校修学旅行
・ 今「わくわく」している。来週の27日から「修学旅行」というものに参加できるからだ。自分が高校生の時以来だから45年ぶりか。「楽しみ」である。前にも書いたが前任校でも結局修学旅行に参加するチャンスがなかった。
・ 公立の学校においては、特に義務教育では基本的に校長が引率責任者として参加するらしいが高校では「校長が、行ったり行かなかったり」らしい。本校でもそのようである。校長が行かない場合は教頭が行くらしい。しかしいずれも正直な話、「校長は付き添い教員にとって歓迎されざる客」であろう。分かるような気がする。
・ 教育界に転じて6年経ち、ようやくその機会が来た。手始めに中学校からだ。来年は何と言っても高校について行く積りだ。しかし「嫌がられるだろうな」。中学校と高校は同一日に出発で、高校の行く先は「北海道」である。
・ 参加の目的は勿論生徒の監督保護もあるのだが「来年以降をどうするか」がテーマである。来年から女生徒が加わる。強行軍的な山登りのある計画が男女中学3年生に適当かどうかの問題である。今日的中学生が「学校以外でどのような行動パターンをとるか」観察もしたい。
・ 中学の行き先は「南九州・屋久島方面」である。5月27日伊丹から鹿児島空港に飛び、まず「知覧特攻平和会館」、戦争と平和を学び地熱発電所から指宿温泉で「砂蒸し体験」だ。「楽しみー!」。翌日は高速艇で屋久島宮之浦港に入り、周辺を散策しながら安房に移動。安房川のリバーカヌー体験をして屋久島グリーンホテルに投宿となる。
・ 翌日がメイン、「縄文杉登山だ。」朝5時出発、朝昼2食の弁当をリュックに入れて荒川登山口から入る。丁度昼頃「世界遺産屋久島のシンボル縄文杉」に到着だ。夕刻までに下山してホテルに入るが私はここから別行動となる。
・ 30日午後理事会があるため、帰阪しなければならない。「誰だ!」。このような日に理事会を開くなんてと事務長に文句を言ったら「私が決めたらしい。すでに案内もしているので仕方なく帰って来なければならない。」
・ 今準備に余念がない。トレッキングの用具は一通り持ってはいるが、とにかく「雨対策」が必要だと言うし、アンクルをカバーしたトレッキングシューズが必要だという。教員や生徒は学校で履いて今足を慣らしている。去年豆が出来たりして「学習」したそうだ。

・ 中学生は本当に「こども、こども」して可愛い。中学校には戦略的に動いていかねばならない。今後とも「浪速中学校のレベルアップ」を図るために「全力を投入」するつもりだ。少子化の中で中学生は金の卵以上だ。「良い教育をしなければならない。」
・ 「中学校全教室に42インチ液晶テレビを設置する」ことを決めた。教員全員に個人パソコンを持たしておりこの環境を最大限に生かすためにテレビをコンピューターのモニターとして利用し、教科の「ビジュアル化」を図ることで何か変わったことが出来る筈だ。
・ 生徒の興味関心を引出し、教科学習の効率化を図る。準備が整えば「インターネット教育」も一部導入すれば良い。又ネット問題の対応にも使える筈だ。
・ 「中学校の教育後援会の組織」はしっかりしている。まとまりが良いのも特徴だ。恐らく人数規模が適切なのであろう。教職員もまとまっている。どうも「面倒見の良い教員の集まり」という気がする。
・ 面倒見の良さは時に「指導が行き過ぎる」「しつこい」という反応になって返ってくるが、それはそれで良いと考える。あっさりして面倒見が悪いと言われるよりは良いだろう。浪速中学校を高めて行く、この方針に間違いはない。
・ 着任時、今こそ言えるが「一時期、完全撤退も考えた」。後世、名を汚す結論を出さなくて良かったー。つくづくと思う。「神慮」を頂いたとしか思えない。「今は浪速中学校が元気だ」。先の全国学力テストの結果が待ちどうしい。
・ 今年の高校は良かった。「初めて東大合格も出し、国公立大学も昨年の2倍以上」だ。うわさは直ぐに広まる。今年高校の志願者が2200名近くになったことで、私が直接聞いたわけではないが、「浪速中学校の人気がうなぎ上り」と聞く。高校に入るのが難しくなって来たから「中学からだ」と保護者は考えるらしい。本当なら「嬉しい話だ。」
・ 前から冗談交じりに「中学は独立するか?」など言ったこともある。更に言えば理数科とⅠ類とⅡ類で独立学校.Ⅲ類で独立学校と「3つの学校に分ける考え」もあって良い。勿論今すぐとは言わないが、将来あり得る話だ。大阪国学院は3つの学校を有するのだ。
・ それぞれが独立会計とし人員も独立して持つのだ。その上に企業で言う「ホールディングカンパニーではなくてホールディングスクール」として大阪国学院が来てもよい。しかし3部門の生徒数規模は8クラス/独立学校は最低は欲しい。Ⅲ類は現在7クラスだから十分成り立つ話だ。
・ 問題は中学が6クラスから8クラスいけるかどうかだ。中学の強化の為には場合によっては「他の銀行と、いや間違った、他の学校と合併」しても良い。製造業や銀行は合併して体力をつけ「国際化に対応」した。学校にあっておかしくはない。
・ それは「強いもの同士が合併しないと意味はない。」吸収合併では効果は出ないし時間がかかる。企業でも1位と2位が合併してこそ力が出る。八幡製鉄と富士製鉄の合併で新日本製鉄が出来た。そして今新日鉄と住金が合流している。ますます強くなるのだ。阪急と阪神が合併した。マイクロソフトはヤフーと一緒になるかもしれない。そういう時代になってきた。「面白くなってきた。」

2008年5月20日火曜日

5月20日(火)スーパーティーチャー

スーパーティーチャー
・ 学校に「新たな教員の職位」が生まれてきている。戦後60年考えられなかったことだ。これだけでも学校の変化が分かる。学校社会の組織系列は従来「一般教員、教頭、校長の単線」、すなわち一本線であった。戦後長い間これだけしかなかったのである。
・ しかし最近ようやく新たな職位が誕生し始めた。背景には「学校改革」が声高に叫ばれまず校長支援の目的でまず「中間管理職」が設けられるようになった。「学校を組織化」しようとし始めたのである。
・ 東京都が皮切りで「主幹」、大阪府は色々な意見があったが結局「首席教諭」となった。いずれも管理職位である。加えて大阪府はこの4月から正式に「准校長」の呼称を始めている。これは校長試験に合格して「ポスト待機組」の当て嵌めであろう。普通の副校長とは違うと言いたいのだろう。良い考えだ。
・ 新たな職位の増設については様々な意見がある。「折角のフラットな構造をピラミッド型にするのは如何なものか」という意見と、「昔と違う。安全対応やモンスターペアレンツ、ネットいじめなど従来の学校とは質的に変化してきており、校長の指示ですぐ動ける人間が必要だ。」等が大きなものである。
・ 本校では教頭の下に「担当教頭」を設置した。現在2名当て嵌めている。入試広報担当教頭と生徒指導人権担当教頭だ。初期の目的を達成しながら大変良くやってくれている。狙いは当たっている。勿論対外的には「教頭」で良い。
・ しかし重要なことはもう一つの線路だ。教員の処遇体系を単線から「複線化」しなければならない。「あの人はライン長になるよりは教科指導で行った方がご本人にも学校のためにも良いのでは」というタイプは結構多い。
・ 小難しい分掌の長や温度差のある教員を部下にして「へとへと」になって教頭、副校長に昇進していく生き方よりも「数学指導を極めたい」「国語の教科書を作りたい」等々ライン業務から離れて「スタッフ的業務」でこそ「私の力は発揮できる」と言い張るタイプはいるだろう。
・ このような教員に対して職位を整備したのが「指導力が高い」として「スーパーティーチャー」とか「エキスパート教員」とかである。自治体によって呼称が異なる。面白いのは埼玉県の義務教育の先生では「はつらつ先生」というのもある。
・ 文部科学省によると2006年度までにスーパーティーチャー制度を導入したのは都道府県や政令市の教育委員会で11あり、他に導入を計画中が29もあったという。
大阪府は「指導教諭」と呼称し一般教諭と処遇に差をつけている。当たり前だ。名前だけならそんなもの付けて欲しくはない筈だ。すぐ「名誉」とかなんとかいうが名誉なんかより「」だ。処遇に差をつけなければ意味はないというのが民間出身の私の考えである。
・ 全国の人事委員会で作る全国人事委員会連合会がまとめたモデルによると従来は校長4級、教頭3級、教諭2級であったが「指導教諭の当て嵌めは教頭と教諭の間の特2級に位置」づけられるという。まあ2.5級だ。それでも給料が上がる。
・ 「校長、教頭以外は皆同列」と言って「管理職を敵対視」していた一部のグループからすれば「鍋蓋社会の崩壊」に繋がるこの制度は「大反対」であったが、最早大きな力もなく、全国の自治体は導入している。
・ とにかく学校教育法が改正された法律だからパワーはあるし、文科省財務課は「努力した教員に報いる制度を目指す」と言っているからますます教員間の給与差が拡大していくのは目に見えている。
・ 本校も「指導教諭」の職位は整備した。まだ「当て嵌めた実例」はない。少なくともそこそこの年令基準が必要だろう。40才台初めで「指導教諭です」でもなかろう。大阪府は確か55才超えだったような気がする。
・ いずれにしても本校でも今年から始めた「人材育成評価システム」はそのような趣旨で「頑張ってくれた教員に報いるための制度」の性格もある。評価が高い先生のうちから、誰もが認める「高い指導力を有した先生」が「浪速高等学校指導教諭」として認定されることになろう。給与は管理職としての扱いとなる。
・ 指導教諭となれば各種研修会の講師や他校の模範授業に呼ばれるなどもあるだろうし、論文なども求められたりするだろう。特に若手の指導はやってもらわないとならない。しかし横並びだった教員の間に「職位の差」が出来ることへの戸惑いも出てくるかもしれない。
・ 教職員組合は「認定を受けようとして教師が上の顔色ばかりみるようになる」とか「職場内に上下の意識が生まれる」との意見が出てくるだろうが私は逆に「なり手がいない」ことを心配する。少々の手当で「しんどい気苦労なことは嫌だ。」である。しかしそういう気概のないことでは困る。
・ 教員間に上下の意識が生まれるというが「元々全ての教員が同じ力ではな」ことは皆が知っていることではないのか。新人とベテランは違うし同じような経験長さを有していても「実力は全く違う」ということは真実中の真実である。誰もが知っていることである。
・ 「前向きなはつらつ教員」と「サボることばっかり考えている教員」がいることは学校社会の常識ではないのか。それをあぶりだして正しい処遇をしようというのが本制度の趣旨であると主張する積りはないが、余りにも20世紀的な硬直的、教条的な発想を主張しても税金や授業料を払ってくれている国民保護者は「学校の甘えだ」として許してはくれないだろう。
・ 学校はいやおうなしに変わっていく。「風を読み、正しく適切に振舞うか、すねて一人わが道を行くか、個人の選択だ」「金を稼ぐと言うことが如何にしんどいことか、学校の教職員も社会の格差で揺れる実態を直視し、素晴らしい仕事を有している幸せに気が付かないといけない。」

2008年5月19日月曜日

5月19日(月)部活動費

部活動費
・ 「橋下改革」もこの22日から府議会が始まり今議会は初めて慣例を破って「代表質問」があるという。当然のことだ。ここまで言われて府議会議員がシャンシャンシャンでは有権者府民に申し訳が立つまい。元来府議会議員の仕事でもある。
・ 自民公明与党は「対案を用意」しているという、民主党も出すという。面白い論戦になりそうだが、どうも答えは見えてきた。当初知事が言っていたことと中身は異なりそうだ。市町村への補助金も本年は切らないみたいだし,府債の発行もするみたいだ。どういう先行きになるか、面白くなってきた。
・ 私学助成はどうも「切捨て御免」で切られるみたいだ。10%程度は覚悟せざるを得ない。本校は来年度「授業料を上げさせていただく積り」だ。これは元々考えていたもので別に今回の助成費の削減とは関係なく内定していたものである。誤解されかねないのを怖れている。
・ 本校の年間授業料は私学平均に比べて低いし、近隣の似たような学校に比べてまだまだ低い数値だ。今までは「切り出せなかったのだろう」。しかし経営が安定してこそ「責任ある教育」が可能だ。まだ最終決定ではないが「ほんの少しだけ」上げさせて頂きたいと念願しているが・・・。
・ 私学助成が削減されると厳しいことには違いないがこれは「部活動費にまで影響」してくると考える。通常の助成補助費の削減ならまだしも「授業料減免制度の基金が削減」されると保護者にはこれまた大変なことになる。
・ 修学旅行の積み立て、自己所有の教材費、PTA会費、生徒会費などには通常の軽減措置はない。府立で言えば夏場のクーラーの5500円も受益者負担だ。これが困窮家庭では負担になる。
・ 更に加えて活発な部活動に所属すると「合宿費や用具代も自己負担」だ。これが結構馬鹿にならない大きな数値である。本校で言えば看板クラブの硬式野球部ではクラブ予算は28万円つけているが、とてもこれでは回らなく、保護者にお願いして「保護者会」が組織され年間一人当たり45000円徴収されている。
・ これで用具とかを購入したりするそうだが加えて「臨時に合宿費や遠征費」もある。あれこれあるが整理すれば昨年度の実績で言えば年間5万円程度が臨時に必要となっているから小さな数値ではない。これでも他の私学に比べ極めて少ないと顧問は言う。
・ サッカーは年間30000円以外に合宿遠征が好きだから、春には宮崎、夏には岐阜、冬は合同合宿ということで1、2年生では88000円必要だ。3年生は引退もあるので大きく減少する。同じようにラグビーは費用ではチャンピオンだ。年会費72000円で合宿遠征費用が100000円を超える。これでも顧問に言わせれば『無茶苦茶低い』という。
・ 私が言いたいことは各ご家庭では「経済状態が厳しい中でも子どもが喜んで部活動をし、合宿に参加したい」と言ったら「親心は行かせてやりたい」と思うからだ。保護者の貴重なお金を使っているのだから「その積りでお金を使え」と言っているのである。「成果を出せ」と言っているのだ。
・ この前校長の許可なく某クラブで「3年生の一部部員を強制引退させた」という情報が入ってきたから即刻元に戻させた。保護者からクレームがあったのだが「当たり前だ。」この運動部の指導者は「教育の一環の部活動」ということが分かっていない。
・ 最近府内で大きな事件があった。実名入りで報道されていたが、夕陽丘学園高校で「部活動の合宿費水増し事件」への関与で2人の教員が学校法人から「就業規則にのっとり処分」されたものである。一人は解雇、一人は減給処分である。
・ 内容はこうだ。書道部の顧問として合宿に生徒を連れて行き、宿泊料とは別に「施設使用料」名目で「架空の請求書を受領しPTA会費から支払いを受けた」言う。学校側は事情を聴取(恐らく内部告発だろう)して事実を認めたため処分をしたという。
・ しかし記事には驚く。処分を受けた教員は「就業規則については、存在さえ知らなかった。従業員への就業規則の周知徹底を『義務つけた労働基準法に違反しており処分は無効だ!』と騒いでいるらしい。驚くばかりの「言い草」ではないか。
・ 本校ではそのようなことは無いと信じている。合宿先での飲酒や私用を生徒の合宿費から出費させていたなどしたら、夕陽丘学園と同じで厳重調査の上で「厳しい処分」だ。今は教職員を信頼して「保護者会という私的の任意団体の会計」だから、最後のまとめだけしかチェックしていないが、お金を集める時は私の名前を使っており、今後チェックを厳しくする積りだ。間違いはないと信じているが、もしもの時に私の管理責任が問われる。
・ しかし面白い。「就業規則があろうとなかろうと架空の請求書を作って生徒のお金をポケットに入れてはいけないことも分からない教員がいる」ことが学校社会の実態である。学校の常識は社会の非常識というが、圧倒的な教員は社会の常識は有しています。一緒にしないでください。と言いたいところだ。
・ 「就業規則」に関していえば本校は昨年新しく改訂し全教職員に渡し説明しているから問題ないが、渡しても中身を知らない、守れない教員がいることに驚いた。今朝小さな事件が本校でもあった。
・ 管理職の「職務命令」に従えず、反抗した教員がいるというのだ。これは間違いなく「就業規則違反であり、処分の対象」となる。理事長の指示を受け、管理職が順番として保健体育、保健室の実態、運動部の活動、文化部の活動などの資料を用意して「内部監査の監事に報告する」よう指示したのだが「何でや?なんでせなあかんねん?」と抵抗した者がいると言う。
・ 驚いて呼びつけ、指導したが「分かっていない」のだ。昨年以来各分掌がやってきていることさえ知らない。理由を聞くと「急に言われたのでつい」というから、「物事は何時でも急に始まる」。口に出した時が始まりでそれが急な話ではないと諭した。まあ「空気の読めない教員」であることは間違いない。

2008年5月18日日曜日

5月18日(日)中国四川大地震

中国四川大地震
・ 言葉がない。本当に痛ましい。今朝の朝刊の伝えるところによると死者は29000人を超えていると言う。まだ1万人以上が「生き埋め」という。生死の境目は72時間と言われているらしいが、すでに120時間以上が過ぎ、その時は過ぎた。私は「生き埋め」という言葉に戦慄を覚える。最も悲惨で冷酷な死に方ではないか。
・ 「2次災害」で「ダムが決壊する恐れ」があるという。土砂崩れにより川の決壊の危険性が日々増しており、風評などで多くの人々が退避する騒ぎも起きている。中国は水力発電が主体でダムの数も多い。
・ 記事によると、辺りには異臭が漂い始め当局は懸命の消毒作業に当たっており、防疫チームが数多く編成されているが、80万頭のブタと1250万の家禽が死に、水がないから糞尿が散乱し、食事の食べ残しなど見た目も当てられないと言う。もはや「地獄図」だ。
・ 「日本の救助隊」も現地に入って一生懸命対応されている。韓国、ロシア隊も入り、とにかく一人でも二人でも救い出して欲しいが日本隊はまだ成果を上げられていない。それほど「ぺちゃんこ」で事態が酷いということではないか。隙間などないのだ。ファイバースコープなど差し込む穴さえないのではないか。
・ 競技会ではないが「何とか一人でも二人でも日本隊が救助して欲しい」と思うのは私だけではないだろう。それにしても現地に入るのが遅かった。
・ 「おから工事」について政府も認めたとある。今朝の記事には総工程師のコメントとして「セメントや鋼材が少なく」コンクリートも十分でない「レンガを積み上げただけの工事」が「学校の校舎」を中心として大きな被害になっているとしている。
・ 誰もチェックしない学校の校舎では「汚職」で材料を抜き、「工事を手抜き」している中国の腐敗の構図が今回明らかになってきている。「耐震基準の見直し」に入ると中国政府が言っているとあるが、基準を見直しても問題は工事管理と監督だ。
・ 日本の「姉歯事件」と同じだ。鉄骨を抜き、柱を少なくすればどんな良い基準を作ってもこういうことになる。それにしても中国官僚の腐敗は驚くばかりだ。一党独裁政権では歴史的に東欧でもどこでもこのようになるのか。腹が立つ。それにしても「徳の国中国の道徳観の廃れ」は酷いが日本も人事ではない。
・ 今回の地震で四川省では22000の小学校中学校で「1/3が倒壊」したという。授業中であったから被害がこれだけ酷いものになった。人口抑制で一家族あたりの子どもの数を抑えているから子を失った親は悲劇である。
・ 早速日本でも動きが出てきている。渡海文部科学省は16日の会議で「非常に重く、深刻に受け止めている」と述べたと言う。「国内の校舎耐震化を加速する」為に検討をするとの方針を明らかにしたと新聞は報じているが「検討する方針を明らかに」しただけで「する」とは言っていない
・ 文科省の発表によれば昨年4月段階で国内の公立小中学校は約35%の45000棟余りが耐震性不足とされており、「既に分かっているのに、いまさら検討する」だからまあ何を言っているか分からない。
・ 耐震化工事は国が費用の1/2を補助してくれるらしいがどうも上限数値もあるみたいだし、「私学は大体どうなるのだ」と言いたい。昨日事務長と主査を呼んで私学課などに問い合わせて「情報を整理するよう指示」したところだ。私学は自らが動かないと情報も入って来ないし、誰も心配などしてくれないからだ。
・ 財政赤字の大阪府もあとの1/2の財政支出がしんどくて「手を出せない」面もあるのではないか。大臣は「地方には地方の事情があるがこれで良いのか検討を加えたい」とのんびりしたことを言っている。
・ まあ中国の地震の騒動が落ち着きオリンピックでも始まれば「又誰も地震のことなど口にしなくなるだろう」ことは想像にかたくない。「そんなものだ。」しかし本校では「しっかりと、ぶれずに予定通り進めるだけ」だ。
・ 何時来るか分からないが、万が一20年後あるいは30年後に今回と同じような南海沖大地震が来ても「浪速中学高校の校舎だけはびくともしなかった」と言われるようにしておきたい。その時に働いている教職員と生徒の「皆から感謝される筈だ」。
・ 感謝される対象は建設したときの教職員すべてだ。個人名ではなくて「偉大なる先人」ということになろう。それで良い。例え私がどういう事態になっても「この意思」だけは受け継いで言って欲しいと思うばかりである。

2008年5月17日土曜日

5月17日(土)イントラネットのレベルアップ

イントラネットレベルアップ
・ 私学の中でも先行していると思う、「イントラネットはまあ何とか出来ている」と言ったところか。何時も「使いにくい」と事務長と情報委員長に文句を言うのだが「大阪府は何億も出して富士通と言う大手に開発させたシステムで、こちらは小コストで数人で開発したシステムですから」と言い訳をする。
・ 承認決済はすべて最後は私のところに来る。教職員は自分の分だけ「ネットで申請」すれば済む話だが最後はすべて私のところにくる。当たり前だがこれが結構「大変だ。」溜めると200件くらいになる。でも仕方がない。それが仕事だから。
・ 「教職員の時間管理」を次のステップに進むためには「イントラネットのレベルアップ」が必要である。教職員の時間管理とは単に残業時間の管理だけではなくて「個々の教職員の勤務状況を毎日見て」、過負荷なら「是正指導」し、休みを取らせるとか「健康管理」も管理職の大きな仕事となる。これが労働基準法だ。
・ 月度まとめた数値を見て「今月はどうだった、こうだった」では管理とは言えない。「日々見ておくことが重要」だ。こう考えると今のシステムでは不十分となる。この点を担当者に指示していたのである。これがまず完成して「次のステップに踏み込む」予定だ。
・ 現在のシステムであれば「ログインと同時に勤務開始」とみなされてしまう恐れがある。朝7時に学校に来て個人パソコンの電源を入れると「イントラネットが立ち上がり」コンピューターは「仕事開始」と認識する。
・ ある人が「ああ、朝の早いのは自分の生活習慣です。早出の仕事ではありません。電源を入れたのは、楽しみにしている「校長日記」を読むためで、これは仕事ではありませんから。」と言い張っても「労働基準監督署」はそうは思わないだろう。
・ マイドキュメントのファイルなどを開きようでもすれば「もうそれは仕事だ。」と言われる。エクセルのファイル名を見ただけで「それは仕事です」と言われたら反論できないだろう。
・ ご自分が上司の命令もないのに自分の判断でパソコンを開き、ファイルを覗いたからと言って「時間外勤務」と言われてもこちらは困る。今までブログにおいても言及してきたが「微妙な問題」であるのだが、法律論的に整理する必要がある。自主的自発的は早出残業ではない。
・ 又放課後自主的自発的に部活動の指導を終えて、自席に戻り、パソコンを触って明日の分掌の準備仕事をしたら、その部分は残業であるが、その間すべて時間外勤務とコンピューターは判断するがそうではないだろう。「中抜け」で「仕事の再開」である。こういうケースもある。しかし相手は機械だ。分かるようにしてやらねばならない。言っても無駄である。
・ 典型的な例は中学校だ。放課後部活動をして生徒を帰してから自席に戻るのが一般的なスタイルだ。これもどうするのか判断しなければならない。したがって現在のログインでは勤務開始とは判断できないのだ。
・ イントラネットのレベルアップのポイントは「出退勤管理」である。「勤務開始」ボタンと「勤務終了」ボタンはどうしても必要で「勤務中」「勤務外」を赤色青色で画面上部に表示して管理しやすくする必要がある。これは絶対だ。
・ 管理職フラグを立てて管理職は「指定日勤務状況」が何時も指定された日、あるいは個人別に勤務状況が何時でも把握できるようにする。これで「管理職は全教職員の勤務状況を一瞬のうちに画面で見られる」ことになる。
・ 残業の続いている人に「大丈夫か」と声をかけ、毎日時間給を取っている担任に「何故なの?何かあったの?」と聞かねばなるまい。ホームルームをしていないのだから当然だ。こういうことを「時間管理」という。
・ 次に「クラブ指導開始」ボタンも要るだろう。勤務終了ボタンの横に設置して一旦勤務は終了させ「クラブ指導開始」としてもらわなければならない。そうすることによって正規の時間外勤務とクラブ指導活動と区分が出来る。
・ クラブ指導者からすれば「割り切れない気持ち」は分かるが「残業である」とは言えない。大変なことになる。土曜日、日曜日、遠征、合宿すべてに絡んでいるし、「本校だけの問題ではない」。
・ いずれにしても誰も助けてくれない、我々だけで開発しなければならないシステムであるが、「ここをクリアして初めて時間外管理が可能」となるのだ。情報委員長には「更にあらゆるケースを考えよ」と今日も指示した。
・ 入試広報室は出張後学校に戻ってデータ入力の仕事もあるだろう。これは時間外勤務で「出張」プラス「時間外勤務」となる。自宅から直接出張先に出かけるときは「宅発」出張先から直接自宅に戻る場合は「宅着」となる。
・ 4限と5限の時間だけ私用があって「中抜けで時間給」をとることもある。こういった表示についても分かり易くお願いしたいものだ。「イントラネットも本格化」してきた。歓迎だ。昔のことを皆すぐ忘れるが、事務合理化には「大きな戦力」になるはずだ。事務長と情報委員長には頑張って欲しい。お金は潤沢にはないのだから「安く仕上げる」ことも忘れてはいけない。
・「受益者負担講習」については今のところ「残業とは見ない考えだ。」「兼職兼業を認める形」にする方が教員の為になると考えているから講習に出かける前に「勤務終了」とボタンを押して貰わねばならない。しかし再度考えて見たい。サマースクールの手当ての問題もある。

2008年5月16日金曜日

5月16日(金)教育費

教育費
・ 一体我国は国として幾らくらいの「教育費」を投入しているのであろうか。この答えは簡単で「あまり投入していない」ということになる。国家としての財政支出で見ると最も分かり易い。
・ 教育関連予算が国内総生産(GDP)に対して『何%か』が一つの目安になる。現在「3.5%」である。これが「アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスなど有力な国は揃ったように5%超え」だから少ないと言えば少ない。
・ 文部科学省や自民党の文教族は「OECD諸国平均の5%へ引き上げるべきだ」とぶち上げているが、財務省は「ふざけるな」という姿勢だ。財務省の言い分としては「一人当たりでみれば、先進国の中でアメリカについで2番目の公的教育支出国だ」と主張する。
・ 元々財務省は「どのような子どもを育てようとしているのか、学力や規範意識に数値目標を設けるべきだ」と教育効果について厳しい味方をする部門だから、一筋縄ではいかない。少子化が進む中で「財政支出の増額など全く考えられない」と言う。
・ 橋下知事が「大阪府の教育費増強」と東京に陳情に出かけてもこの前のように「玄関払い」が落ちである。仮に3.5%を5.0%に増額したら必要財源は7兆4000億円になり、後期高齢者医療とか道路とか橋とか吹っ飛んでしまうような額になる。
・ 一方親からみる「教育費」も安閑とはしておられない。家計収入が伸び悩み、「年収水準が下がる時代」になってきた。例えば大阪から東京の私大に進学すると新大学1年生が実家から毎月受け取る「仕送り」は19年度平均で95900円という調査結果がある。対前年度少し減少している。1986年以降調査を始めて以来最低の額という。
・ 受験費用(受験料と旅費)、最初の家賃、敷金礼金、生活用品代、大学への納付金、生活費として4月から12月までで、総計すると「302万円」という数値が出てくるらしい。東京の大学に進学すると1年目には最低でも302万円かかり、世帯収入の31.4%という。しかしこの世帯収入は結構大きい数値だ。おそらく夫婦共働きであろうか。
・ テレビによく出てくるコメンテーターで経済評論家の森永某という人の書物「年収300万円で暮す方法」では収入のすべてが教育費になる。しかしこんな本、無茶苦茶だ。自分は何千万円も稼いでおいて「よく言うよ」と言いたい。
・ 仕送りから家賃を差し引いた生活費も月度36700円だから、首都圏で学ぶ大学生はアルバイトでもしない限り「一日1200円で生活する計算」となる。朝昼晩「牛どんの吉野家」にも行けない厳しい数値だ。奨学金の受給を希望する学生のうち実際に申請したのは61%で始めて六割を超えた。自宅外通学で約7割、自宅通学で5割という。
・ 本当に厳しい世の中になってきた。「親の経済力が教育の機会格差」となって現れ、ますますその傾向は助長されてくると思われる。本当に「教育を立国の柱」と政治家、中央省庁の役人が考えるなら「公的助成を増やせ」と言いたい。
・ 大体政治家は直ぐ「教育を口にする」が結局は何もしない。まず最初に槍玉に上げるのが教育費だ。橋下さんも小学校の35人学級を見直すと言い、私学助成を削減するという。言っていることとやっていることがまさに逆だ。しかしこれが社会というものの実態だろう。「食べることがまず先に来る」。昔はその次に教育が来たのだと思うが現代は「個人の嗜好品」が次だ。教育費は後に追いやられる宿命である。
・ 今ブログを書きながら横のNHKテレビはブラジル移民がまず子どもの教育費だけは優先し、大学に行かせて、それが3世代になってブラジルをリードする人材に育ったと放映している。昔の日本人はそうだったのだ。
・ 本校でもそうだが「生徒は関東に出たがらない」、「大阪の大学で十分」というのは、秀吉と家康以来の因縁と上方、江戸の文化の違いも背景もあるかも知れないが、私はこのような「家庭の経済的背景」が色濃く影響しているのかもしれない。無理して東京に下宿までして行かなくとも、親の側で自宅から大学に通いたいのではないか。
・ 首都圏や地方には立派な大学は山ほどあるのだが「関関同立」を始めとして関西の大学にこだわる。しかし考えてみると生徒は立派なことをしているのかも知れない。企業は本社をどんどん東京に移し、吉本の芸人さんも「東京のキー局でテレビ」にでると「ビッグ」になる。皆東京に行くのだが生徒だけは大阪だ。一つには前述したように経済力、「東京という文化に対する怖さ」もあると思うが、結果的に生徒は「大阪で頑張る」と言っているのだ。立派ではないか。
・ 「大学全入時代」「地方分権の時代」「中央よりは地方」「少子化の中で就職戦線では別に東京の大学でなくても良い」食べることにきゅうきゅうする「苦学生」よりも上方文化の溢れる住み慣れた大阪の大学で良いと考えるのは理屈が通っていると考えるようになってきた。東京に行きたいものは行けば良いし、大阪にこだわるなら「大阪の大学」で良いのではないか。
・ こう考えると親の経済力や年収水準を考えれば「学校としての指導に柔軟性」が必要である。近畿「2府4県の国公立、そしてブランド私大「関関同立」をはじめとする特徴ある大学」は極めて多い。今まで「国公立大学」「国公立」とばかり言って来たが、少し「関西の私立大学を研究」してみよう。
・ 早速今日は「某有力私立大学の理事長と面談」だ。午後から出張した。行動は素早いのが唯一の取柄か欠点だ。「電光石火」であるといいが「拙速」という言葉もある。しかし「動かなければ次が見えて来ない」のも事実だ。じっとしていると体がしんどいが、このように動くとリンリンと体が熱くなり元気になってくるから不思議だ。

2008年5月15日木曜日

5月15日(木)前任者の責任を考える

前任者の責任を考える
・ 今朝の朝刊各紙にもまたまた橋下知事の言動が詳細報道されている。各社見出しはそれぞれであるが「過去の職員からの寄付を要求する」というものだ。どうも「退職金を5%減額」する提案の余波が本人自身にあったのかと思える。気にしているのだな。
・ 退職手当の減額は当該年度の職員だけに負担を強いることになり厳しい。「運が悪かった」のか、「仕方のない側面」もあるのか、よく分からないが、全国でも珍しいケースである。団塊世代の大量退職で今年度だけで1110億円見込まれており、5%と言えば50億となり「実弾」だからこれは大きい。
・ 本校では今年3月末大量退職者を出したがそれは、「早期退職割増金」と「20年度以降退職金を削らざるをえません」といったアナウンスが効いて、「希望者が殺到」したのであるが、橋本さんと違って、私などは「神様、仏様」の筈だ。割増金の用意に金策で走り回って用意した。(それほどでもないけど)この5月20日頃退職者に振り込まれるはずだ。2人のやり方の違いを考えて欲しい。
・ 要は現在の大阪府の「財政危機の責任は誰にあるのか」という問題だ。歴代の知事や副知事、職員に「退職金の中から寄付金の形」でいくばくか寄付して「今の職員の苦境を幾らかでも助けようとする意気込みガあっても良いではないか」と知事は考えた。
・ 確かに人件費を大幅にカットし、退職金まで手をつけるとなると「その気持ちは分かるような気がする。」ところが一般職員まで対象にするのは如何なものか。幹部、管理職だけで良いのではないかという気もするが、民間と公務員は異なるのかな。
・ 遡って責任を追及する方法は一般の社会では「当たり前」で「会長、社長が経営責任を問われて退職金なし」という例は多いし、時には「個人資産の提供」も求められることがある。しかし多くは「法令違反」とか「無担保融資」とかぎりぎりの線が主体で通常のケースではあり得ないし一般社員まで巻き添えにするなんてことはない。
・ 役人の場合は「無作為の責任」だろう。しかし首長は選挙で府民が選んだ訳だから、難しいところはあるよね。大量得票で横山ノックさんを選び、太田房江さんを選び、大阪の首長にしたわけだから、構造としては知事から「多くの府民に選ばれた知事です。私の言うことを聞いてください」となれば府の職員は「羊」にならざるを得ないところもあるかもしれない。それが「役人」というものだ。
・ この知事は言う。「本当はもっと早めに広く薄く、皆で負担しておかねばならなかった。それをやらなかったから、今の職員のところにドーンと来てる訳で、現職の人たちが全て一気にかぶらないといけないのは納得できない。過去の職員のみなさんにも寄付でもしてもらいたい。」全くその通りだ。
・ 確かに「失われた8年」と言われる前太田知事の退職金は2期8年で8352万円であったというから橋下知事の気持ちは分からないでもない。勿論法的には「損害賠償請求」とはならないから「寄付」という言葉を使っている。
・ 1年前、学校改革に着手した時に持ち時間、諸手当など組合に申し入れた時には「歴代の理事者側や管理職が何もせず、残った我々が痛みを負うのは納得できない。退職金をがっぽり貰って今は知らぬ顔の権ベーの人たちから、少しでも取り戻すことは出来ないのですか」と泣きつかれたものだ。当然の感覚だ。
・ 実は平成19年3月31日で退職する管理職に、今の橋下さんと同じように退職金から「寄付金」を考えて欲しいと組合から言われなくとも私は動いていた。さー、何回頼んだことだろう。目安の金額まで提示したものだ。
しかし結局この2人の管理職は満額の退職金を貰って1円も寄付せず去って行った。以来学校には顔を出さない。まあ、出せないわな。
・ 管理職とは言ったが「理事者も退職金を出せ」とはさすがに組合は言わなかった。当たり前だ。「月度の給料も貰わず、1円の退職金も要求せず、どちらかと言えば寄付ばかりして」いたのが実情だから言いようがない。大阪国学院は特殊な学校法人である。当時の理事11名には内部理事を除いて1円の役員報酬さえなかったのである。
・ 学校の80周年と言えば大口の寄付をしてくれ、浪速改革では正門の更新などの都合500万円ポンと寄付して頂いた。今後定期的に援助も考えていると言って頂いている。浪速の理事者はそのようなまさにご奇特な役員である。
・ 私は「仕事のプロ」である。「無報酬などとんでもない」。その代わり「浪速を再生させます」と「マニフェストを明らか」にして取り組んだ。理事長報酬を受け取る役員は私が85年歴史で初めてではないか。私がいる限り、校内理事など不要である。だから「専務理事も校長も私が兼務」している。私一人で十分で、居れば逆に邪魔になるくらいだ。
・ 経営の実態は最後の局面では少し形が変わったが、長い間、「名目だけの理事長」で実質は「校長以下の管理職」が「経営も運営も執行」していた学校だ。ここ「15年の管理職全てに責任」がある。彼らには損害賠償を要求したいくらいだ。
・ 結局今の大阪府と同じことが起きていたのである。それを橋下徹という男が府庁に乗り込んできて、初めて全てを明らかにされつつあるということではないか。基本構造は同じなのである。「赤信号、皆で亘れば怖くない」であったが、「一人の縄文人が出現」して「大騒ぎ」になっているというところだろう。
・ 大阪市の関前市長は退職金を全額寄付した。太田知事や歴代の少なくとも部局長以上の管理職が「どう出るか、どうコメントするか」興味あるところである。今朝の管理職朝会で私は言った。「管理職とはそういうものだ。」経営執行の責任はある。「覚悟して仕事をして欲しい」と。
・ 今日は「5月度の給料日」だ。4月には「臨時賞与」を出すことが出来たが、「将来を確実にするまでの辛抱」である。「頑張って欲しい」と思うばかりだ。私を中心とした管理職が全責任を持って新経営計画の達成に邁進する。安心して付いて来て欲しいと思う。

2008年5月14日水曜日

5月14日(水)教員人事広域化

教員人事広域化
・ 13日の朝刊の記事の一つに目立たなく、本当に扱いは小さくて、しかも産経と日経しか報道していない注目すべき記事があった。「公立小中の教員の人事」について一歩新たな動きが出てきた。私は悲しい性ですぐにこのような記事に目が留まる。恐らく一般の方は意にもとめないであろうが。
・ 文部科学省は12日、公立小、中学校の教員の人事について「現在の都道府県にある人事権を市町村に移管する」ことを「検討する協議会を設置」したと報じている。これは先に諮問機関の「中央教育審議会」からの答申を受けてのことである。記事には「広域化の制度設計」を検討するとあるが、これだけでは何を言っているのか、一般の人には理解が出来ないだろう。
・ 要はこういうことだ。現在、政令指定都市を除いて「義務教育教員の人事権は都道府県の教育委員会」にあり、市町村の教育委員会にはない。大阪府で言えば「府費負担職員」と言う言葉があり、衛星都市の小学校、中学校の教員の給与と人事権は府が握っているのだ。だから「教員採用」なども大阪府の仕事である。
・ ここが実は問題の要因で、金も人事権もない市町村はこと教育に関して言えば「徒手空拳」でしかないわけだ。教員を増やそうにも、勝手には出来ない。大体金も人事権もない市町村の教育に関するパワーが弱いのは当たり前だ。幾ら市町村議員が「やいのやいの」言ってみたところですぐどうこうなるものではない。
・ そこで何時も府と市町村は仲がややこしくなる。ところが府のほうから「全てお渡しします。そちらでやってください」と言われた時に市町村は「自ら教員を採用して」「給与を渡し」「一生面倒みられるのか」ということになる。その前に単独で「優秀な教員を集められるのか」ということになる。
・ 小さな、小さな行政府で小学校が二つ、中学は一つしかないような町、村の学校に誰が行ってくれるのかという問題だ。今の「医者のいない過疎地」と同じことが起きる。転勤はないというか、転勤する学校がない。一生同じ学校となってしまう。新聞記事にある「広域化」とはそのような小さな行政府が連携して広域化を進めようというものではないか。
・ 当然クラス数の調整や給与処遇の調整も必要だ。給与の高い市や町には新卒の教員は行くが山に近い村の学校には誰も行かないということが起きる。大阪府は全ての人事権を握り、そういう小さな村にも町にも現在は教員を定期的に移動させて回しているから、なんとか持っている。
・ 「私学には人事異動はない」。一生そこに勤めるだけだ。その代わり公務員でないから、学校がつぶれたら「セーフティネット」はない。即ち行き場所は公立教員みたいに「転勤」で次の学校はないのだ。
・ 公立学校が統廃合されても公立の教員は転勤でどこかにもぐり込めるが、私立の学校は学校を辞めるか、辞めさせられて、次の私立学校を自ら探さなければならない厳しさが待っている。そういう例は今後多く出てくるだろう。現実にある話だ。
・ 「公立教員を目指すか、私学の教員を目指すか」、本人の選択であるが公立小中学校が市町村に人事権が移管されたとしたらそのうち、市町村別に給与が異なるなんて起こるかも知れない。要は「公立の私学化が始まる」と私は考える。
・ 現実に大阪府で言えば10000人の高校教員も含めて府費負担職員の「評価制度」が始まり昨年からは「処遇へ反映」され始めた。同じ学校に勤務していても、同じ年令で同期でも「隣の席の人とお給料が違う」ことが始まったのである。今朝の新聞によれば府庁の役人に対して「橋下知事は能力主義を更に徹底する意向」を示した。
・ 公立が変わって来たら「これは脅威」である。もともとポテンシャルが高い教員が多く、彼らが「その気」になったら我々は「やばい」。今のうちに力をつけておかねばならない。数馬身は差はつけておかないと追いつかれる。
・ 私学は元々各校別々だ。私学間の連携などない。ちょっと前にある私立学校の校長に冗談交じり「教員交換制度」を考えませんかと提案したが、そのときは笑いになったが将来本格化してくるかも知れないと私は観ている。
・ クラス数の変動によっては「教員のやりとり」が私学間であってもおかしくない。お互いに助かる話しではないか。3年後逆にクラス数が減少したら、本人の希望を聞いて『正式転籍』とする「元の学校に戻るか」決めれば良い。
・ 「公立の教員と私学間の交流」は現在でもなされている。良い結果を生んでいるみたいだがもっともっと規模の拡大と「私学間同士の交流」がそのうちなされてくるようになるのではないか。そうすると、この意味は「セイムワーク・セイムペイ!」(同じお仕事には同じお給料を!)になると言うことだ。組合が要求していることが実現する。
・ 恐らく現在の橋下改革が進んでくれば公立の教職員の給料が10%削減される。当然私学助成が10%削減される。私立の教員の給料が公立より高いということにはならないだろう。即ち私立と公立間において教員間で給与処遇に差をつけられなくなるということである。
・ それはどういう結果を生むかといえば私立学校において「平均給料を出せないところは敗退」していくしかない。教員がそんな所を敬遠するからだ。私立学校の優勝劣敗がますます進み、「負け組は廃業」となる。当たり前だ。少子化の中で昔と同じ数だけの私立学校は必要ない。公立がどんどん統廃合されているというのに「私学が安泰」と言うわけにはいかないのではないか。
・ 私立はここ数年が大きな分水嶺となる。「浪速は何としても生き延びる」。そのために少々のことは我慢しなければならない。本校で私とともに「浪速の将来を築きたい」という先生は頑張って欲しい。楽をしたいと言う先生は去って貰って結構だ。今年入って来た常勤講師の先生の中には明日からでも「専任教諭」が勤まる人もいるらしい。誰か知らないけれども副校長2人が朝会でそのように言っていた。人材は結構いるのだ。人材を生かして来なかったのではないか。

2008年5月13日火曜日

5月13日(火)中国内陸部大地震

中国内陸部大地震
・ 中国四川省でM7.8もの大地震が起き、既に12000人以上の死亡が確認されたと言う。学校などが多数倒壊し重慶、都江堰市など「小学生、中学生の被害」が目立っている。中には3階建ての「校舎が全壊」し50人の死亡を確認、まだ生徒数1700人のうち「900名以上が生き埋めとの情報」もあるらしい。別の情報ではまだ生き埋め10000人と言う情報もある。
・ 阪神大震災の20倍ものエネルギーという。長さ100キロの活断層が動いたと言うからすごい規模だ。阪神では20キロだった。それにしても中国政府、素早い動きで首相の現地入りも早い。北京オリンピックを控えて、今回の場所がチベット自治区だけに「必死」なのであろう。長く続いた中国時代であったが、何か「中国の低落」が見えてきた感じがする。踊り場から下降線になったように見えるのだ。
・ 児童生徒学生の被害は痛ましい。胸が痛む。「授業中に突然襲われ命を落とす」なんて「あってはならないこと」だ。学校は地震、火災、外部からの暴漢の侵入など全くない「社会で最も安全な場所」でなければならない。読売夕刊は学校倒壊は「おから工事」が原因とインターネット掲示板に書き込まれているという。おからとは豆腐の殻という意味で「汚職による手抜き工事」が原因という。
・ 企業時代には中国によく出張したが、あちこちの工事現場で見る光景は日本とは根本的に異なり、特に足場は竹で組むのには驚いたものである。鉄筋コンクリート造りなどは余り見られず、レンガを組み上げていく工法で「へー、耐震強度はどうなんだろう」と感じたのを覚えている。確かに夕方のテレビではレンガ構造の崩壊を映していた。
・ 本校でも昔々、現在の新館体育館が新築なった卒業式で当時の校長が得意満面に生徒を舞台に上げたところ、ずるずると舞台の床が下がり始め大変な事故があったという。幸い怪我人はなかったらしいが「原因は容易に想定できるのではないか」。演台を掴んだまま校長の首から上だけが見え、全体がずり落ちていく様を見ていた人々はさぞ「驚いた」ことだろう。笑うに笑えない、あってはならない事故だ。生徒50人が上がったとしても一人50キロの体重として2500キロで「静荷重」だ。揺れる動荷重ではない。設計構造に何かがあったに違いないと思うが・・・。
・ しかし「地震、雷、火事、親父」とはよく言ったもので、中でも「地震は恐ろしい」。私も地震は怖いと感じる。まず昼夜を問わず「突然」ということと、「程度」がさっぱり予測できないということ、それに「時間」が分からないと言うこと、最後に「逃げる場所がない」からだと私は考えている。
・ 本校に突然このような地震が来たらと考えるだけで、「戦慄」を覚える。壁にヒビが入る程度ならまだしも建物全体が倒壊し「ペチャンコ」になるものだけは避けなければならない。
・ しかし地球は間違いなく変わりつつあるのを実感する、特にアジアだ。阪神淡路大震災からこっち、大きな天変地異が続いて起きている。インドネシアの津波、スマトラのサイクロン、今回の中国地震、「何かが地球で起きている」。不気味だ。それだけに「備え」が必要だ。
・ 日本の次は今、まことしやかに「南海沖地震の心配」をしているのが実情だ。本校は上町台地活断層の延長線上に位置し南海沖に近いし大和川は直ぐ傍だ。「危険域に位置する」。一介の私立学校の理事長としては「力はない」がせめて「自校の校舎の耐震強度を上げておく」ことは可能だ。
・ 今回の中国地震で900名の生徒の生き埋めのテレビを見て、つくづくとそう思う。「未来を担う子どもたちを生き埋めにしてはならない」。「鋼鐵の如き新校舎を建設」することが私の最後の仕事だ。自分自身との競争になってきた。この方針に立ちはだかる連中は、最早いないとは思うが「どんなことがあっても私は進む」。悠長なことは言ってはおれない。新校舎の桃山や学芸の生徒は助かり、本校の生徒だけが犠牲になるということはないようにする。「覚悟は出来ている」。

2008年5月12日月曜日

5月12日(月)その2:上司の顔より

上司の顔より仕事の顔を見よ
・ 今朝の日経新聞に良い記事があった。インタビュー記事「領空侵犯」の囲みで、今日は「哲学者の梅原猛先生」の登場だ。とにかく従来からの学説をどんどん覆す、このためにお仕事をされているかと思わんばかりの「異端の研究者」で知られている。記事のタイトルは「辞表も出せる会社員に」である。
・ 記事の末尾に以下のような先生のコメントがある。「狩猟採集を主とした縄文人が独創性に富んでいたのに対し、弥生時代に稲作が始まると同じ品質のものを大量に生み出すようになり、弥生人はついに強い個性を持つことがありませんでした。以来弥生文化が連綿と今日まで続いて日本の組織は弥生人ばかりになってしまいました。組織には品質管理する弥生人も必要ですが、縄文人がいなくては新しい発想は生まれません。日本社会はもっと縄文人のような創造的な異端児を育て、生かすという視点を持つべきです」で終わっている。
・ まったくその通りで「我が意を得たり」であり、学校社会にそのまま当てはまる。「学校は弥生人の集まり」である。「農耕民族の集まり」である。春が来れば種を植え付け、苗を植え付け、秋に収穫する、毎年同じことの繰り返しである。それで「食べていけるから」である。
・ 春に新一年生が入ってきて遠足をして夏休みが来て修学旅行に行って文化祭や運動会が秋にあり、年が明けたら直ぐ卒業式で又春になったら新入生がくる。「学校は行事消化型社会」とは私の造語であるがまさしく「弥生文化」農耕民族そのものだ。
・ 学校には縄文人のような創造性は必要なく、逆に創造性を持ったり、異端と思える発想をする人間は「排除される仕組み」である。良いアイデアを言っても過半数の意見にならない限りそれは実現できない。今まで何回も書いて来たとおりである。
・ 梅原先生は企業社会を念頭にタイトルの如く「辞表も出せる会社員になれ」と言っておられるが、この意味は「創造的な仕事をするには前例や慣習、常識にとらわれることなくやれと。保守的な先輩や上司の考えと対立すると組織の中で孤独になり、冷や飯を食いかねませんが(ご自身は冷や飯を食っている経験がある)それに耐える力を持たなくてはいけないと言い、“上司の顔でなく、真理の顔”を見たほうが良い。場合によっては意思を貫くため会社を辞める覚悟や勇気も必要でしょう。それはたとえ中高年であっても同じです。」と言われている。
・ まあしかし哲学や文化人類学の世界では分かりますが真理の追究と言ってもわれわれには難しいところがあります。だからこのブログのタイトルは私が書いたように「上司の顔より、仕事の顔を」としたのです。もっと言えば「仕事の結果」でしょう。
・ 不細工な私の顔など見なくて結構ですから自分の仕事の結果を見て欲しい。「本当にそれで良いのか。新しいアイデアはあるのか」「去年より自分は教師として成長したのか」等々仕事の顔をみることが重要です。
・ そのようにして自分の仕事を見ていくと「弥生人だけでは駄目なことが分かります。時に荒々しい縄文人の独創性やアイデア狩猟性などが「仕事の変革には必要」なことなのです。
・ 梅原先生は更にこのようにもコメントされています。「同じ顔をした社員ばかり揃える会社は必ずどこかで行き詰まります。女性もいればアメリカ人もインド人も中国人もいる。誰一人同じ顔をしていない個性的な人たちが集まって議論することで新しいものが生まれるのではないでしょうか」と。
・ たとえば理数科長が信念を持って「こうしたい、こうすべき」と議論を吹っかけてきたら「堂々と受けて」議論したら良い。そして「最後に決めるのは学校長」です。基本的に校務運営で教員が決定できる項目はないと思います。このことを皆さん、ご存じない。碌な議論もせず「職員会議で挙手で賛否を問う」なんてやらないほうが良い。
・ 意識レベルの低い人やイデオロギーを持ち込み、「教員の労働過負荷は嫌だ。」「生徒の過重な負担になる。」「遅れている生徒はどうする、生徒に差をつけて良いのか、人権問題だ」などというのが「弥生人の常套手段」なのだが、これらは言い訳に過ぎない。「ようはしんどいことはしたくない」だけの話しだ。
・ 縄文人は得てして「激しいところがある」からと時に物議をかもすが、実は社会は“時に所に”で「縄文人が出没することによって進化」しているのだ。ただし縄文人ばかりでは社会はまとまらない。縄文人、信長で大改革がなされ、弥生人、家康に移って日本は安定した。実力のある弥生人も必要なのである。
・ 私は縄文人である。理数科長も縄文人である。事務長も縄文人かな?その他縄文人らしいのはいる。結局自分の中に縄文人の部分と弥生人の部分を合わせ持つことが望ましいが、簡単な話しではない。私は自分が縄文人であると考えているから弥生人を心がけている。この気持ちが大切だと自戒している。
・ 気をつけなければならないのは「縄文人なりすまし」である。自分は完全に「弥生人なのにスタイルは改革を口にしたり、権力者に擦り寄ったりする「似非縄文人」である。しかし「心配は無用」。それほど私は甘くはない。海千山千の企業社会を経験してきている。眼光紙背に達するだ。
・ 浪速は今完全に「弥生式農耕型行事消化社会」から「際立った縄文人校長」を得て「鍬と鋤だけの社会に鉄器を投入」し「大地ごとひっくり返して大地を耕している」。変革だ。「変革は痛みを伴うが変革をしなければ生き残ってはいけない。」
・ 浪速と言う大地がよみがえれば「安定した弥生人と縄文人の共生社会となるだろう。」様々な教職員が居て良い。そうあるべきだ。判断基準は「仕事の顔」だ。これを目指して私は頑張っている。
・ 「人材評価育成システム」とは実は「縄文人タイプ」「弥生人タイプ」「成りすましの偽者タイプ」を見定め、指導育成していくものと考えられる。教職員は「上司の顔を見ず、仕事の顔を見よ」。私は教職員の顔を見るのではなく教職員の仕事を見ているのだ。出自、大学、組合非組合、経験、男女差、等々「関係なーい、仕事だ。」

5月12日(月)その1:道明寺天満宮

道明寺天満宮「釋奠会
・ 昨日は本校理事長職務代理であり、大阪を代表するお宮の一つの道明寺天満宮の南坊城宮司からお誘いを受け、同宮で斎行される「釋奠会」というものに参加した。難しい読み方である。「しゃくそんかい」ではなく「せきてんかい」と読む。
・ 昨夜来の雨は上がっていたが肌寒い中、9時頃、準備して藤井寺市道明寺に向かう。昔は天王寺の住居であったから近鉄南大阪線一本で大変便利であったが、転居したものだから難波からは御堂筋線で天王寺まで出ることになる。
・ 18年度末から19年度初めは本当に良く通った。学校が落ち着いてきたから訪問の頻度は大きく落ちたが、昔を思い出せば「感慨深い」ものがある。「通いなれた道」と言えよう。社務所にご勤務されている神職の全てのお方ともう顔見知りで、宮司の奥様はじめご家族とも親しい。
・ 「釋奠」の奠は「孔子」のことを言うみたいで初めて知った。「何で菅原道真公をお祭りする天満宮が孔子様をお祭するのか」という疑問があるが、すぐに理解できた。明治6年朝廷から藤沢南岳先生に下賜された、「孔子尊像」を明治36年になってその守護役に道明寺天満宮が当てられ、爾来100猶予年にわたって同宮で祭典が執行されてきたという。そう言えば境内には孔子ゆかりの「階の木」など樹木がある。
・ 祭祀されている像は小野筧作と言われ古くは足利学校に崇祀せられていた由緒正しき「我が国最古の孔子尊像」である。年に一度しか開帳されず、私も本日は拝見できる幸運に恵まれたが、年代を経てきているだけに「圧倒的な存在感」を有し、「香気」を放っておられる。
・ 一口に100年というが、ここ南河内の地において面々と祭礼を継続されてきた道明寺天満宮の「意と力は大したもの」であるとつくづくと感じる。明治36年頃の道明寺天満宮の周辺は当たり一面何もなく、ただお宮とお寺があり、管公と孔子が祭られる神社となるのは「むべなるかな」といったところである。
・ 「釋奠会」は協賛会の形をとっておられ全国から参集されている。本日も遠く新潟からというお人もおられる。玉串奉奠のあと、「祭文」が上奏された。仏事では祭文があることは知ってはいたが「神道の世界」でもあるのだと初めて知った。当然だがまだまだ知らないことは多い。いや、知らないことばかりである。
・ 「祭文」は関西大学名誉教授で「論語研究の碩学長谷川先生」の手によってなされた。この文章が又良いのだ。後で前文のコピーを頂いてきた。一部を紹介しよう。「前略・・・然レドモ戦後60余年、民心安キニ流レ贅ニ奔ル。為政ノ任ニ当ル者ニシテ然リ。今ヤ我ガ邦ノ良風美俗退廃ノ極ニ達セリ。是允ニ憂ウ可キ現状ナリ。心アル者焉ンゾ看過シ得ンヤ。・・・後略」
・ 祭礼後は長谷川先生の「論語講義」となる。3節ほど特別講義があった。有名な「子曰」であるが、先生は「子ののたまわく」と言われていた。「子いわく」よりこちらのほうが良いらしい。今度から私もそうしよう。
・ 祭典の後は「お弁当」だ。私が食べ終わったときには宮司はまだ半分くらいだ。「もうひとつ如何ですか」と言われたが「今朝からダイエットしていますので」とお断りした。私は食べるのが早く、宮司は遅い。遅いと言うか余り食されない。
・ その後お茶席となる。今日は「お抹茶席とお煎茶席」の2席が立てられている。こちらも本日の来訪目的である。特にお煎茶の正式なものは初めてで大変勉強になった。ご社中はお抹茶が道明寺天満宮、お煎茶は花月菴流でお家元が来られていた。
・ それにしても南坊城宮司はもはや「大阪を代表するお茶人の一人」であることが分かった。知識経験見識全てに亘って茶の道を極まれつつあり、「凄い」と今更ながら恐れ入ったし驚いた。茶道具や掛け物も素晴らしいものが山ほどある。「即中斎直筆」とかいったものがそこらへんに山ほどあるのだ。「南坊城家3代のお宝」だ。
・ 驚いたのは「お茶室」である。「明治天皇」が行幸され同宮を「ご在所」とされた部屋を50年経って改造されたものらしいが明治和風建築の趣を色濃く残しており隣の「ご寝所」や「三種の神器」を置いてあった床の間など見学させて頂いた。道明寺天満宮には「国宝」が5つもあるが、この建築も今や重文だ。
・ 私などは実業の世界出身だから「すぐ金儲け」のことを考えるのであるが。宮司に「料亭にしたら良いかも・・・」と独り言みたいにいったら、宮司は「驚いたお顔」をされていたな。まずかったかな。しかし高級茶懐石の料亭にすれば「全国30選茶懐石名料亭」に選ばれることは間違いないだろう。
・ まだまだサービスは続く。近隣の有名な「書画家20人」を天満宮が招聘され来訪者に色紙に好きな画や文字、文章をその場で揮毫して貰う趣向もある。無料だ。私も書いて頂いたし、特別に大和川次郎さんと言われる漫画家に「漫画似顔絵」を描いて頂いた。しかし、これは顎が二重に描かれており、他の人は私そのものと言われるが、私自身は「もう少し男前に・・・」と思った。
・ 10時に始まりあっと間の4時間で、14時30分過ぎお暇した。大変勉強になった一日でした。収穫は「釋奠」という言葉を知ったこと。「孔子尊像」を拝見できたこと。「お煎茶席」を経験したこと。「神社の祭文」を知ったということ。「宮司は完全にお茶人」であることを再確認したこと。「明治天皇」がお座りになった部屋で私も座ったこと。和服はやはり「白足袋」がきりりと締まって良いということを知った事。以上かな。

2008年5月10日土曜日

5月10日(土)春季PTA総会

20年度春季PTA総会
・ 生憎の雨であったが、多くの保護者が来校された。本日は「PTA総会」である。出席の保護者400人を超えて、委任状の集約率はほぼ100%である。すごい学校だ。本年からPTA担当教諭がS教諭に替わったが、最初、少し上がり気味に見えたがそのごペースを掴んだようである。
・ S教諭の司会で順調に総会は運ぶ。何時もは最初に校長挨拶があるのだが、遅参される保護者のことを考えて「19年度事業報告、会計報告、退任役員の紹介」の後に持ってきている。
・ 別途「ホームページに校長の話の概要はアップ」されるであろうが、余りにも順調だった19年度の実績はPTA皆様のご支援のお蔭と冒頭深く御礼を申し上げた。その後「学校を取り巻く環境」について話を進めた。
・ 19年度は「浪速が変わる、浪速で変える」がコピーであったが、20年度は「新生浪速の第二章」とした。今後この文句が「ポスター」や「学校案内の表紙」を飾ることになる。とにかく「謙虚に、謙虚に」だ。
・ その後、「感謝状の贈呈」があり、「20年度の役員にバトンタッチ」され、「20年度の事業計画、予算が満場一致で承認」された。これで総会は終わりであるがその後は中学と高校に別れ、高校の部は「河合塾の校長先生」が「特別講演」である。昨年から始めたものであるが評判もよく今年も継続した。保護者にとっては学校の教諭とは一味異なるトップ予備校の幹部の話は「大層勉強になったと」今回も評価されたらしい。
・ 16時45分迎えのバスで懇親会場だ。何時も南港の「ハイアットリージェンシーホテル」と場所は決まっている。素晴らしいホテルだが「いかにも遠い」のだが、「ここは料理が良い。旨いのだ。」
・ 滅多に料理の味などコメントしないのだが「昨年度が初めてで今日が2回目」、間違いなくこのホテルの料理人は「確かな腕を持っておられる」。出席した皆さんがそういわれるのだから間違いはあるまい。
・ 今日のオードブルは「ローストビーフと大根とのあえもの」であったが美味なり。又サラダの食材と、かりっと揚げたベーコンとの組み合わせがとても良く、滅多に野菜ものをお代わりなどしないのだが、今日はしてしまった。
・ 又このホテルのパンは何時も温かくてこれが超旨いのだ。バスケットに盛って出てくるところも嬉しい。ホテルによっては更に一個づつしか出さないところがあるが、冷たい皿にパンを載せてどうする。
・ 一流ホテルだから、又PTA役員と学校からの出席者は学年主任、分掌の長、管理職であるから、昨日のように「誰も席を立たず、にこやかにテーブル単位で談笑しながら料理を酒を味わっている」。これが「あるべき姿」だ。料理が相当進んだところで、「カラオケ」となる。 そうなれば席を離れて談笑が始まる。カラオケは定番メニューである。
・ 新会長はプロはだしの声と節回しで上手い。リズム感が大変良い。学校側はトップバッターT教諭が「青春とさわやかさ」を感じさせる選曲、しかし声量がない。元気がないのだ。次のO教諭は声量はあるが、元気すぎてあれは歌うというより”がなり”だ。内容もこれまた25年こればっかりという持ち歌らしいが正直何を唄っているか分からなかった。ベテランN先生は何時もの持ち歌「浪曲子守唄」だ。私はPTA総会のたびにお聞きする。この先生何時も背広にネクタイで、決まっているのだが、足元と言えば大きめのスニーカーだ。最初はそのバランスに驚いたが見慣れてしまうと結構格好良く見える。
・ 次に若い方のN先生が登場したが元々含んだような声だから音程が外れたり、遅れたりするとさっぱり何をを言っているのか分からないけれど、とにかく3コーラス唄いきった。私と副校長しか聞いていなかったような気がする。本人は満足して、放心したような顔で席に引き上げていった。
・ どうしても聞きたくて私のほうからお願いしてK先生の登場だ。「これはほんまもんである」。チョイ悪親父のイメージで彼が情感を込めて歌うと本当に味がでるのだ。左手で自分の胸を押さえながら唄うのだ。決まっている。「浪速一番の歌い手」ではないか。黒いサングラスをかけて唄ったら更に決まるのではないか。言っておこう。そして最後がPTA女性陣の登場だ。10人くらい出て唄われていたが、最後は退任する女性副会長を囲んで「涙、涙」だ。良い光景であった。
・ その後「じゃんけんポン」でホテル側からプレゼントされた「ペア宿泊券」をめぐっての勝ち抜き合戦となる。趣向があり、最後の勝者と校長が決戦勝負になる。勝ち抜いたわけでもないのに私との勝負で「勝ち取れ」という意味なのか。
・ 「あっち向けホイ」なのだが、間違いなく私の負けだったが、私が勝つまで勝負をするものだから宿泊券は遂に私のものになった。しかし受け取るわけにはいかない。大変に頑張ってくれた「女性副会長に差し上げた」。大変喜んで頂いた。大きな拍手も出た。
・ そして最後の最後、おおとりで私の登場だ。今日は上手く唄えなかったなー。何を唄ったかは書くまい。「ど演歌であるし三つある持ち歌の一つ」だ。今日は「和服」であったから、どうも唄のイメージと合わなかったのかなー。
・ このようにして昨日、今夜と続いたパーティは無事、盛会裏に終了した。明日は道明寺天満宮でお祭りの参加とお茶会だ。連休後行事が続くが、「心地よい疲労感」で消耗感はないから嬉しい。このように「仕事が安定していると心まで豊かになる」。

2008年5月9日金曜日

5月9日(金)その2:歓送迎会

・ 本日「歓送迎会」があった。例年この時期である。3月31日付けで「退職された先生方」と4月1日で新たに仲間になって頂いた「常勤講師の先生方」を歓迎する会合である。ところが本校は欲張りで5月8日に「永年勤続表彰を受けた教職員」の祝賀、更に加えて「6名の新専任教諭誕生」のお祝い、最後に全教職員の「慰労会」もかねているから、盛りだくさんだ。
・ 場所は去年失敗したから今年から元に戻した。「道頓堀の中華料理店」だ。メニューは何時も中華である。円卓回転テーブルで一席10名程度が据わり、今回はなんと11テーブルで110名の大宴会となった。
・ 名誉理事長、理事長職務代理をはじめ理事、監事もご出席頂き、言ってみれば「学校法人主催の招待パーティ」である。昨年から私が執行するようになり、大分雰囲気が変わってきたという。
・ 特に出席者は昨年が70名そこそこで、それでもかなり圧力をかけて集めた数値であったが、なんと今年は何もせずに100名を超えたという。数年前までは出席者が少なく、なんとも締まりのない会合だったという。気力のうせた人間集団にはよくあることだ。皆が勝って気ままで「ばらばら」だったのだ。
・ しかし今の浪速は違う。「当たり前だ。これは年に一度の準公式行事だ。単なる飲み食い会合ではない。」組織人として「大人のお付き合い」というものだろうと先のブログに書いた影響もあるかもしれない。たとえ、お酒が飲めなくとも「付き合い」をするのが「品格ある大人の対応」というものだろう。
・ こういうところに出て「常日頃とは幾分違った自分を出し、日ごろ口を利かない人間とも接触してみる。おまけにお酒と料理があり、お土産まで付く」と言うのだから「行かないほうが損だろう」。子どもでも分かる話だ。それでも行かない人間がいるという。 お体の調子でも悪かったのだろう。
・ お土産については昨年私が始めたのであるが「551の豚マン10個入り」だ。狙いは「ご家族へのお土産」ということである。私の「ささやかな心配り」だ。飲んだ後、電車で帰る人には申し訳ないが、持って帰ってもらう。それにしても原料の小麦粉の値上がりで豚マンも値上がりしているのには驚いた。4月以来「一個当たり20円の値上げ」という。 従って一箱1600円のお土産である。
・ 551の豚マンはお好きな人と、あの匂いが駄目という人もいるらしいが、一般的に男は「どうも」と言う比率は高いが、女性陣と子どもはお好きなような気がする。しかしあの「赤い紙袋」、何とかならないものか。すぐ分かる。持って歩くのが些か恥ずかしいくらいだ。まあ 大阪らしいがね。
・ 従って私は何時も私の分を人に差し上げる。心斎橋や道頓堀を551の紙袋を引っさげて歩く趣味は私にはないからだ。551なら「アイスキャンディ」に限る。あれは安くて旨い。でもお土産にはならない。溶けるから。丁度中国の胡主席が大阪入りした日だし551の豚マンを食べて頂いたら良いのにと思った。
・ 今日は新しい常勤講師の先生方が33名と全員出席で誰が誰やら分からなくなるので胸に全員が「名札」をつけるようにした。常日頃接触の機会が少ない名誉理事長や職務代理には便利だったと思う。当然私にとってもそうである。正直まだお名前とお顔が一致しない。
・  しかし予想したとおりだ。理事長職務代理の乾杯の後10分も経たないうちに宴席は「ぐちゃぐちゃ」になっていった。まず体育のベテラン教員の一人が私の横の今年退職した教員にビールを注ぎに来る。これを皮切りの席は「徐々に乱れ始める」。 まだ料理は前菜が出ただけだ。
・ 名誉理事長、理事長職務代理の席はオードブルが出てまもなく、酒を注ぎに来る連中がいるものだからお二人とも遂に席を立って対応されている。ほとんど食されていない。理事長には「様子を伺っていたのだろう」が、一人がビールを注ぎに来て以来、「堰を切ったように」常勤講師や専任の先生が並んで私に挨拶とビールを注ぎに来られるのだ。
・ その数50人を超える。それをいちいち受けるのは大変だが、職務として「一応カップで1センチはお受けした。」はっきり言って「大変だった。」しかし皆さん、礼儀だと思ってご挨拶に来られるのに、対応しないわけにはいかない。「こちらも失礼な態度は出来ない」。笑ってお受けした。しかし常勤講師の先生方は今日のところは挨拶だけで良いのではないかな。
・  「考えてもみよ」。「今日は私の席だ」。会費制ではない。私の招待だ。それを招待された側が「お酒を私に注ぎにくるなんておかしいと思いません?」結局マナーとか礼儀とか基本的なことを知らないのだろう。来るなら「XXです。英悟を担当しています。宜しくお願いします。」で良いのだが、「そうもいかない」と考えられたのだろう。最後の方になると「ご挨拶が遅れました」と言って来られるお方もいたね。早くも、遅れるもないわな。運動会ではないのだから。
・ 宴席最後の最後を見計らってだろうか、ある「専任教諭に連れられて挨拶だけ」に来られた先生がいらっしゃったが、これは素晴らしいやり方だ。部活動顧問に就任してくれたと言う。ベテランの先生だからこちらも立って返礼した。力のある専任教諭が連れて来たのにこちらが座ったままでお受けするわけにはいかないからだ。
・ まず原則、基本的に「ホストたる私が席を動かない限り、席を立ってはいけない」。もしくは「デザートが出てから」だ。「酒席の常識」だ。もしくは私から「本日は無礼講」と言えばすべては自由で許される。上着もホストから「お外しください」と言われて初めて取るものだ。一昔前までは、基本的にお酒を注ぎに、目下があるいは部下が上司に対して最初に「酒を注ぎに来るなど無礼なことはあってはならない」と教えられた。「基本を教えておこう。」 基本を知った上であとは「応用編」だ。
・ まず部下は上司の前に進み出て「お流れ、頂戴いたします」と言って上司からまず「注いで貰う」のが酒席のマナーだ。然る後「ご返杯」と言ってそこで初めて上司に杯を「洗って返し」、そこで初めてお注ぎするのである。伝統ある企業の総合職の社員はまず入社後、このようなことから指導を受ける。もっともこれは日本酒の場合であるがね。ビールコップでは無理だ。タバコもデザートが出てきて初めて一服つけるのがスタイルだ。
・ それは「酒席の失敗」を避けるためだ。学校の教員はこういう訓練を受けていないし、時代も変わってきたから、言う人もいなくなった。返杯のスタイルも「不衛生」とかの価値観で廃れていったのだろうと思う。しかし今でも一流どころでは「完全にこのスタイル」を守っている。
・そんなことは全く考えず、ただ「注ぎに来るだけ」なのだ。今日は100%ビール瓶を持ってきた。今日の私は紹興酒であったが、私が何を飲んでいるかなど頭にはないのだろう。まず相手が何を飲んでいるか観察しなければならない。
・ 冒頭の教員など、直ぐ席を立ち、尊敬するお一人にお酒を注いで「さあ、これで今日のやるべきことは終わった。後は知らない。」くらいにしか考えていないのだろうか。又理事長がもう50杯もビールを注がれているなんて誰も考えない。「とりあえず理事長にビールでも注いで挨拶しておこう、損にはならないだろう」ってところではないか。
・ しかし大変盛り上がった大宴会でした。成功です。「先生方、ご苦労様でした」。来年まで又頑張ってください。これで公式の宴席はもうありません。実は今日はPTA総会ですがこれは「会費制」ですから基本的に自由です。連ちゃんで大変ですが今日、出席される先生、頑張りましょう。
・ 中締め後、理事長職務代理と二人で外に出たが、理事長職代理はなんとおなかをすかして、私から「コーヒー」でもと誘ったのだが「先生、ラーメンにしましょう」といって高島屋近くのラーメン店に入った。今日は中華料理店でのパーティであったのにラーメンだ。聞いてみれば今日は宴席で「食べた記憶がないという」。「あー!」。でも大変ご機嫌で「良かった、良かった、嬉しい。昔とは様変わりだ」とご機嫌でした。名誉理事長も大変ご機嫌でお帰りになられた。何か先生方と約束されたらしいが、「まさか、教員が理事長、校長の許しもなく、勝手に約束などする筈はなかろう」と思うのだが・・。

5月9日(金)その1:いわゆる残業問題

時間外勤務考・・・いわゆる残業問題
・ 昨日の特別講習制度に関連して教員の時間外勤務についてさらに論考を進めてみよう。とにかく「ややこしくて悩ましい」のである。「昔の人は偉かった」とつくづく思う。“員に残業などはない。教育に携わるものが「時間外勤務とは何事か」、4%程度調整手当ての名目で支給するから、この範囲内で我慢せよ。”と単純明快に整理したのである。
・ しかし時は変わり、特に「条例適用を受けない私立大学、私立学校」は「ぼつぼつ是正すべき」時期が来ているのかもしれない。国立大学から法人化された大阪大学は最近では残業代未払い問題で揺れ、マクドナルドの「見せ掛け管理職の残業不払い問題」等々この種の問題に対して社会の目が厳しく成って来ていると思わざるを得ないのである。
・ 従って本校も現在は改革の過渡期なので色々事情はあるが、今後教員の「時間管理をあるべき姿」に近づけなければならないと感じていることは今までのブログでも強調してきたのである。昨日の職員会議でも時間を取って説明した。
・ 例えば放課後講習でも今は勤務時間内と勤務時間外が混在しており、受益者負担の金額も「教員による講習」と「自主学習」では金額が違い、これは整理しなければならない。
・ 勤務時間内の講習は給与内に元来含めれていると考えるものであるが、それをダブルカウントにするのはまったくもっておかしいという意見もある。例えば通常日は17時10分までが勤務時間でそれからが「受益者負担」に相当する。講習だろうとも自主学習だろうとも教員が付き添っており、ここに金額の差があるのも不自然である。同じでなければならないと思うのだが。
・ 一方ここで「残業問題を持ち出すのなら、それは受益者負担で整理するのはおかしいではないか」という声が当然出てくるだろう。その疑問の答えは「学校法人会計から時間外勤務として支給する」ということになるべきであるという考えが正統派の意見であろう。
・ 元々、受益者負担で整理する限り「兼職兼業」となり勤務時間内での講習はまさしく「アルバイト」となる。本校では兼職兼業は就業規則で原則禁止だ。校長の許認可事項である。生徒を教員の自宅に呼んで教えることまでは許していないが、ただ自校の生徒を学校内で講習することは「校長の認可」事項として許可している。兼職兼業だ。
・ 放課後講習、勤務時間外講習を「時間外勤務」と位置づければ全ては解決する。しかし「問題は財源」だ。教員の給料は高いから労働基準法に規定される時間外手当は受益者負担として保護者にお願いしているどころではなく、数倍は高い。
・ 結局教員に支払う残業代と受益者負担額の総額を引いたものが余分な学校法人としての出費になるが、これをどうするかがポイントだろう。教員からすれば手取りが増えるのは嬉しい筈だが、それで経営が立ち行かなくなったら元も子もない。
・ しかし「残業として整理するとなると、話は簡単ではない。5月6日のブログ「ブルーな再始動」で論述したように京都市の判例が指し示したごとく、「残業は上司命令、指示に基づく」もので「自主的自発的にボランティア」でやっていますというようなものではない。厳しい結果を問われることになる。放課後講習は学校長命令となった正式な業務となるのである。
・ しかし、運動部の指導に当たっている教員からすれば放課後のクラブ指導はどうなるの?となるだろう。教科指導の講習は残業で放課後の部活指導は「ボランティア」というのでは「辛いですよ」となるだろう。気持ちとしては分かるが、毎日毎日の放課後のクラブの練習や朝練を早出・残業とする訳にはいかない。
・ 休日の外部での練習試合や合宿までを「休日出勤」とする訳にはいかないのは教員も分かっている。それらを勤務時間外としたらまさしくこれは労働基準法を超えた労働時間となり、休日には殆ど教員は家にいないのが実態だ。まさに自宅は「風呂、飯、寝る」だけの場所になっているのが実態だ。
・ このような献身的な運動クラブのお蔭で日本のスポーツレベルが維持向上している現実がある。文部科学省も各教育委員会も部活動は正規の教育課程ではないと言っているのだが、罪作りな話だ。日本のプロ野球もJリーグサッカーも高校総体、高野連のお蔭だろう。
・ 公式戦は生徒も「公欠扱い」にしているので公式戦の場合に限って、教員の勤務は残業、休日出勤とせざるを得ないのか。しからば何時から何時までを勤務時間として算定するかが問題となってくる。
・ 昔こういうケースがあった。陸上競技大会で短距離の試合で10秒で終わり、勤務時間は10秒かという話しがあったが、これはさすがに集合場所から現地解散までの時間をカウントすることにしたが、自分の試合はすぐ敗退して終わってから他校のゲームを見ている時間まで残業とは出来ない。
・ 昨年から、伊勢修養学舎やサマースクール勉強合宿の教員手当ては思い切って上げた。勤務日であったが「配慮」したのである。このような「私からの気遣い」は残業として整理したらあり得なくなるだろう。
・ 加えて「3.5%の調整手当ては廃止」となる。これは基準内賃金だから影響は大きい。賞与一時金や退職金まで影響してくる数値だ。果たして教職員はどのように受け止め考えてくれるだろうか。「山場に差し掛かって来た」。

2008年5月8日木曜日

5月8日(木)特別講習

受益者負担の特別放課後講習制度
・ 本校には充実した講習制度がある。何時頃から始まったのか定かではないが、形としては充実したものである。「面倒見の良さを売りにしている本校としては当然のこと」と考えており「教員も良く対応してくれている」。正式には「放課後講習」という。
・ 今年の1年生から科・類制で全面的に内容も呼称も変わったが2年生、3年生は従来通りのスタイルで実施している。理数科は2年生で英、数、理(化、物)、3年生で社会が加わる。特進文科Ⅰ類は2年生で英・数・国、3年生で社会が加わる。
・ 放課後講習の形は「教員による講習」と引き続いての「自主学習」で構成されており、16時30分から17時40分までが、まず「教師による講習で70分」、その後は19時までの70分を「定着のための自主学習」である。
・ 曜日は火・水・金で土曜日も13時20分から同じようなスタイルで実施、本年度の参加者は理数科では殆ど全員、特進文科は2年生が76%の参加率、3年生になると少し落ちて70%程度である。
・ これらは「受益者負担」で諸経費が賄われており、勿論市中の予備校や塾などと比較すると「メチャ低いコスト」であることは間違いない。本校は「予備校に行かなくても行きたい大学へ行かせます」が謳い文句であり、生徒の学力向上には役に立って入る筈だ。
・ 「自主学習」というのは「生徒をほったらかし」にするのではなくて講習した先生が居残って面倒をみてくれているのだが、これについては少し疑問があり、少し是正を指示している。この一こま70分は極めて重要な単位で単なる自主学習では「教師が講習で教えたことの確認」が出来ないのではないか。70分と言うのは丁度良い長さで、この時間の有効利用を踏み込んで考える必要があると思っている。
・ 最も、最近は自主学習は少し形が変わってきていますと理数科長は言うが70分二コマを更に有効に活用するため「一工夫」して欲しいと思っているのだ。具体的に言えば理解促進、定着を図るにはここで「小テスト」を入れて欲しい。
・ 65分や70分授業をしている学校は10分程度の小テストをして定着を図っている。そのための70分授業だ。進学校のスタイルは二つあり、一つは一こま45分で一日7限授業、もう一つのスタイルは65分から70分授業だ。この場合は必ず前述したように授業の最後に小テストなどを入れるという。こま数が少なくなるから分かる話だ。
・ そして残りの時間で生徒隣同士で採点させ、教員が本日の「ポイントの念を押す」。要は「一回完結方式」にしいないと「本来の授業」もあり、本末転倒に成りかねない。是非この方式に切り替えて欲しい。「自主学習」と言葉は良いがこれでは貴重な時間がもったいない。自主学習は自宅でやらせるべきだ。「教師は教えないといけない」。これは私の方針である。
・ 学校はあくまで「授業」である。授業をおろそかにしておいて「補習」や「講習」でもなかろう。それでは塾や予備校になってしまう。あくまで「授業第一」だ。授業の補完として講習がある。
・ 授業だけでは「理解が遅れる生徒」、授業だけでは「進度に物足りなさを感じている生徒」と様々いるがこれらの生徒が「自ら希望して取り組む場合」に学校は講習というものを用意するのだ。授業は文部科学省が指定する強制科目であるが補講や講習は義務ではない。
・ 昨年、サマー学習合宿というものに付き合ったが、あれでは「勉強遠足」か「場所の変わった授業」だ。一こま、二こまの為にわざわざ教員が京都まで出かけて行き、クラス単位で「授業みたいなこと」をして何になるというのか。
・ 「 サマー合宿」はあくまで合宿で運動クラブの合宿みたいな「選ればれた者だけの徹底指導」みたいなものでなければならない。朝早くから夜遅くまで英国数を徹底してやるのだ。関関同立の過去問ばかりをやってもよいくらいだ。
・ 「 ライバルは予備校」である。河合塾や駿台、代ゼミを相手にしているのに「ちゃらちゃら」したスタイルで何をしようとするのか、考えただけで腹が立ってくる。300人近い生徒がクラス単位で揃って夕食を取っている光景を見たときには体が震えたものだ。
・ 夏休みとか春休みとか生徒は休みであるが教員は出勤日である。この時を使って学校でやればよい話だ。わざわざ京都や琵琶湖の側に行く必要はない。それに「スポーツで行きたいと望む生徒」まで連れ出す必要はない。あくまで希望者で「学校が認めたものだけ」だ。それは「レベルを合わせる」ということだ。
・ レベル合わせとは「習熟度判断」である。家で勉強せず、講習にさえ出れば「それで安心」「皆出るから、私も、僕も」では効果などないだろう。徹底的に引き伸ばすためには「相当な学習意欲のある生徒で基礎基本が出来つつある生徒」が対象だろう。
・ 普通の授業でも「理解や進度に課題がある生徒」は学校で放課後希望者だけ「繰り返し、繰り返し基本を教える」ことが重要だ。京都くんだりまで連れて行く必要はない。学校でやれば良いだけの話だ。
・ 特に「新1年生のSSとⅠ類は対外的に公表し、集めたそれなりの生徒群」である。「3年後彼らをどこまで伸ばせたか偉大なる実験」である。この「4クラスを更に区分」しなければならない。「徹底してやらねばならない」。やりたい部活動まで規制して、保護者負担でやるコースだ。「大きな責任」があると教員は心得なければならない。
・ 「赤信号、皆で渡るわけにはいかない」。伸ばすものは徹底的に、遅れているものは早く追いつくように基礎基本を教える。学校には早く走れる生徒と、ゆっくり進む生徒と様々である。「ゆっくり進むものに早く走れる生徒を合わせるわけにはいかない」。これは「犯罪行為」である。私学であれば尚更だ。「浪速はどうも形は私学だが、やっていることは公立」だ。私は今浪速を名実ともに誇り高い私学にしようとしているのだ。
・ 文武両道を誇る清風、桐蔭など見れば良い。スポーツは天下一品、進学実績も超一流、ちゃんと「峻別して対応」しているではないか。「転科転コースの為に易しいほうにレベルを合わしている私学」などどこにもない。とんでもない話だ。