2009年4月30日木曜日

4月30日(木)遠足

・ 日本語は本当に「雅味」ある言葉である。私は「遠足」という言葉に「懐かしいもの」を感じる。「言葉の響き」が何とも言えないではないか。自分の育って来た「原点」というか、「出発点」を思い出すのだ。考えれば「人生も遠足みたいなもの」だが。
・ 私にとって遠足といえば母が作ってくれた「特製弁当」をすぐ思い出す。昭和も30年代の初めのころは今ほど物の豊富な時代ではなかったが、それでも母は私の好物をそろえて朝早くから「遠足の弁当」を作ってくれた。遠足で何処に誰と行ったかなど覚えていないがこの遠足弁当だけは今でも記憶にある。
・ とにかく平生とは異なるご馳走で、「好物のハムと卵焼き」は必ず入っており、「大きなおにぎりにのりをぐるり」と巻いただけのものであったが、これが旨かったのである。おやつの果物は「バナナ」と決まっていた。当時のバナナは今ほど安価なものではなかったのではないか。バナナに誇らしく感じたものだった。
・ 日本人であれば誰しもこのような「遠足」に「言いようもない郷愁」を感じるのではないか。これを感じる人は「良い思い出を有した幸せな日本人として育った人」と私は思っている。だから生徒が「コンビニで買って来た弁当」などを広げたりしていると可哀想になってくる。
・ 味わいのある言葉「遠足」であるが英語では何と表現するのだろうか。「ハイキング」「ピクニック」くらいだろうが、少し「遠足」とは異なる感じがする。やはり遠足の語感のほうが良い。
・ 「遠足の起源」は明治45年頃というから歴史は古い。しかし本格的になってきたのは戦後で学校に定着したとものの本にはある。昭和の43年に学習指導要領に正式に「特別活動」として認知されている。
・ したがって遠足は「林間学校」「臨海学校」などと同じく有用な教育効果のある活動ということで日本では私立公立問わず小中高と学校行事に入れている。高校生にとって「まだ遠足か」という声もあろうが、やはり遠足はそれなりの効果を私は認めている。
・ 特に春の遠足は高校に入学して1ヵ月後に行うものでこれくらいからクラス単位の雰囲気がまとまってくるのに大いに役立つと考えている。高校3年生には秋の遠足はない。当たり前だ。受験が近いのに遠足でもなかろう。
・ 明治の頃には「花見や遊山」などの娯楽的要素や、「隊伍を整える」という「隊列運動」みたいな趣旨もあったのだろうが今は「歩いて」いく遠足ではない。観光バスや電車で行く、まあ「日帰り旅行」みたいなものであるが、それでも意義はあるとの考えだ。
・ 自然を愛でる、歴史的建造物を観察する、などいろいろあるが「集団訓練としての趣」もまだ残っている。しかし段々と薄れてきているのは間違いないだろう。だからといって校長が「遠足やーめた!」というには勇気がいるだろう。私は止める気はない。
・ 実は授業の合間にこういう行事を入れることは「熟成期間」としての意義もあるかもと私は考えている。担任の教師にとっても常日頃の「教室とは異なる生徒の顔や態度に接する機会」となり、意味は有ると思っている。
・ そういうわけで今年も春の遠足である。浪速中学校は奈良県だ。春の一日を「柳生街道」「春日大社」「若草山」の「徒歩コース」だ。付き添う教員も大変なのである。事前に資料を作って準備する。事故があってはならないから常に目を光らせている。
・ もちろん事前に教員は「下見」をしなければならない。実際自分で歩いて食事をする場所や休憩場所などあらかじめ確認しておかないと万が一の時に「トラブル」になるからだ。学校が責任を追及されることになる。
・ 中学校の資料の注意書きには持参してきてはけないものとして「現金、おやつ、ゲーム、ヘッドフォン、カメラ」と書いている。写真は所属の専門家がついてくるしとにかく「紛失」などしたら大変だから持参品は厳しく管理している。
・ 高校1年生は同じく奈良であるが範囲が広くなる。「奈良公園、興福寺、猿沢池、春日大社、二月堂、東大寺大仏殿、国立博物館」と盛り沢山である。見所が多いし、近いあら大阪にとって奈良は便利だからかとにかくこの地は定番だ。
・ 高校2年生は京都である。「宇治平等院、天ヶ瀬吊り橋、大吉山展望台」、オプションで「源氏物語ミュージアム」がコースに入っている。1年生も2年生も科コースで時差集合としておりそうしないと混雑して大変なことになる。
・ 高校3年生は「もう大人」であまり遠足にも熱が入らないのではないか。分かるような気がする。行くところがもうなくなったのか今年は「天王寺集合」で「上町台地散策」という。まあ良いだろう。
・ 現地で解散の場合責任者は留守番の教頭、あるいは副校長に「無事解散」の報告をしてその日は終わる。今年も無事に終わった。この日は教員は学校に戻る必要はなくて「宅着」といって現地から自宅へ帰ることを許可している。それが大体のシステムなのである。
・ そして束の間の休息「5月の連休」となって教員は4月以来の繁忙から一時期解放されて「ホット一息」の時間が取れるのだ。本校は「5月1日が創立記念日」で学校は休業、生徒にとっては2日は8月末と振り替えの休業として教員には「有給取得奨励日」とし「連休」とした。最も「多聞」で頑張ってくれている教員はいるが。

・ 遠足は近い場所だからまったく問題はないが、今頭にあるのは「5月末の高校2年生の海外修学旅行」のことである。「豚インフルエンザ」の動向によっては「勇気ある決断」が必要な場合もあるだろう。すでに9人の保護者から問い合わせがあった。
・ 私は今「固唾を呑んで」、冷静に動向を見守っている。「オーストラリア」に感染者が大勢出て死亡者でも発生すると情勢は厳しくなるだろう。すでに27日の校務運営委員会でも議論し、今は「事態の様子見」というところである。無事この騒動が治まってくれることを願うばかりだ。
・ 連休明けにでも「新型インフルエンザの情報を整理」して次のステップに向けて議論しなければなるまい。他校の動向も見ながら、「旅行会社」を呼んで7日頃にはある程度の考えを出さねばなるまい。果たしてどういうことになるのか。頭が痛いが仕方がない。「生徒を危険な目に合わせない、守る」ことが私の考えの基軸だ。私は「冷静」である。

2009年4月28日火曜日

4月28日(火)多聞快調

・ 初めての試みである「高校1年生対象の中学校復習講座」が始まった。今年からの企画であり、私が大いに期待している「目玉商品」と言って良い。4月6日に入学して極力早い段階で生徒の「実力」を測定してレベルに合わせて「気になる生徒」に「数学と英語」で「中学3年生の復習」を受けて貰うのである。半ば強制的でもある。
・ 雨の土曜日25日に1回目の一泊二日「数学復習講座」参加対象の高校1年生84名がバス2台で多聞に向けて出発した。初めての試みであり,私は成り行きに些かの心配もあり、外出先から急いで戻り生徒たちを見送った。生徒は大きなかばんを持って修学旅行にでも行くような楽しそうな顔をしていた。
・ その結果を27日に主担の先生から報告を受けた。一言で言えば「大成功」と言える。府内の私立高校で中学3年生の数学の復習をここまで「システマティック」にやるような「サービスの良い学校」は他にあるだろうか。入学早々に診断テストを実施してから「いささか課題を抱えている」生徒を選び、まず生徒保護者宛に私から「手紙を出す」。
・ その手紙は「今のままでは高校のスピードについて行けない可能性があるのでもう一度中学校の復習が必要で講習会に参加を促す」という趣旨の内容である。これを読んで「希望した生徒」が第一回目としては84名も集まったのである。レベルは悪くはないが「」としておこう。
・ この講習への参加を恥ずかしいと思ってはいけない。レベルにあった講義の展開で「分かるようになる」ことを期待してのことだ。これを「習熟度別」という。中学校のレベルがある程度完成していると考えられる生徒は参加して貰っては困るのである。これは「上級レベル」への参加を促すのだ。
・ 今回の講座の生徒アンケート分析結果は「二日間全力で取り組みましたか?」という設問については「とても出来た、まあ出来た」を合わせて81%、「普通」が残り19%で「あまり出来なかった、「ほとんど出来なかった」はゼロであった。
・ 「自分の実力が上がったと思いますか」いついては「かなり上がった」が29%、「少し上がった」が52%、「代わらなかった」が19%と出た。こんなものだろうと思う。正直なデータである。一泊二日で「快刀乱麻」の如く数学が出来るようになったら教師は苦労はしない。しかしかなりの改善だ。これを期待していた。
・ 今回は元々4名の教諭団で2名は今後の為の「ボランティア参加」であったが、合計6名で丁度良かったという。今までのクラス単位ではなくて各クラスからの混成部隊であったから「行動指導」に幾分苦労があったという。
・ 面白いのは「ご飯を良く食べた」そうで「急遽追加でお米を炊いた」そうだ。それに今回は初めて「バイキング形式」としたらしい。副校長は運動部の子が多いので良く食べるといったので私はおかずがバイキングだからではないかと言うのだが付き添い教員に言わせると炊飯サービスの方から今までと「食べっぷりが違う」と言われたらしい。学力レベルと食欲は関係があるのかと思ってしまう。
・ 生徒は大変喜んで「綺麗だ」「環境が良い」とか「賞賛の嵐」だったらしい。特に「3段ベッドが評判」で皆最上部の奪い合いだったという。自宅では個室で兄弟もいなく、このように一室で大勢が寝泊りするのは「楽しい経験」だったのだと思う。
・ これで既に4回目の学習合宿であるが今まで生徒は「多聞尚学館」を「極めて、極めて好意的に誇りと受け止めてくれている」のが分かる。私はこういう状況に「嬉しさがこみ上げてくる」のだ。「多聞尚学館を手に入れて良かった」とつくづく思う。
・ これがもし「逆の現象だったら」恐らく「批判の陰口も出る」だろう。「それ見ろ、誰も生徒は行きたくないといっているではないか」「無駄なお金を使ったものだ」「お金があるなら教員の給料に回せば良いものを」などとね。 私は誰がこういうことを言いそうなのか分かるのである。
・ 第二回目の数学復習講座は明日から一泊二日で始る。これはレベルとしては「中の上」だ。その次は5月1から2日にかけて「中学校の長文英語」で中学3年生と2年生、引き続いて3日から4日にかけて「中学校英語復習講座」が高校1年生で実施される。そして4.5.6日が学力高レベルの「春のトップセミナー」となる。
・ 引きもきらない「人気の多聞」である。その後は通常の「週末スペシャル」が1年生の理数科とⅠ類で二泊三日の「特訓講座」となる。完全に軌道に乗ってきた。加えて千早赤阪村の村長からも神社界からも「夏休み中の借用」の依頼があった。良い傾向である。外部の方もどんどん使って欲しい。
・ こういう状況で私は今日28日に「多聞尚学館のネット接続工事」を行った。元々小学校の時代から「光ケーブル」が敷設されており、これを復旧し新たに「ネット講義」が可能なように一つの教室に「52インチの大型テレビ画面とスピーカー設備」をつけた「特別視聴覚教室」を作ったのである。
・ 当面は1教室である。成果が出ればもう一教室作っても良いが当面は一つで良い。前にこのブログでも書いたが「インターネットを使った電子学習E~ラーニング」が脚光を浴びつつある。
・ 企業社会では「ノウハウの伝授」や「OJT」などに有効な手段としてもう古い話であるがようやく学校にも登場し始めた感じだ。特に「生徒の家庭学習用」にこの仕組みを活用した「通信教育的活用」が人気になっているらしい。
・ 子どもを塾に通わせることに比べてお金がかからず、塾からの往復の時間も節約でき、安全であると言うこともあるだろう。しかし背景には「インターネットが家庭に波及」したということがある。私などの子どもの時代には考えも及ばなかった光景である。
・ 教師の人件費の削減、「地方や田舎に居ても東京や大阪の大手の塾や予備校の教材をそのまま学べる」と言うことは画期的なことである。特に「トライグループ」が積極的である。難関大学向けのZ会、城南進学研究社、ベネッセコーポレーションなども教材開発に積極的であるという。
・ また「代ゼミのサテラ講座や河合塾のDVD」など広範囲に広がってきており多聞尚学館でも教師の講義の合間や自学自習用に活用できればと今回の設備増強を「決心」したもので教師や生徒に喜んでもらえるだろう。今後とも「多聞を更に武装」して行くつもりだ。すべて「生徒のため」である。

2009年4月27日月曜日

4月27日(月)性教育指導

・ 久し振りに保護者から「クレーム」があった。教頭先生がお電話を受けたものである。「お名前を」と申し上げてとお願いしたそうだが、「匿名」であったそうだ。匿名は本当に困るが仕方がない。保護者のお気持ちも分かるからだ。
・ これが「生徒の保護者」ではないと考えた場合は「放置」することもあるが「お話の内容」から判断して内部か外部か我々にはすぐ分かる。学校に文句を言ったからと言って決して生徒に不利益になどならないから、堂々と名乗って欲しいが、親の気持からすれば「それでも名乗りたくない」というところだろう。
・ お話の内容は「保健体育の授業」で「性教育の部分」が「過激」ではないかというものであった。教頭から報告を受けて私は敏速に今行われている「保険体育の教科指導」の「性教育の部分を教科書、副教材、模型」などを校長室に持って来させチェックしたのである。
・ 数ヶ月前に外部の先生をお呼びして「中学生対象に出産」というテーマで大きなプロジェクターを使って行う「授業を参観」した「ことがある。これは大きな意味で人権教育の一環であった。
・ しかし正直言って私の世代には「驚き」の内容で「そこまで教えなくてはならないのか」という感想で授業のあと、担当の教諭を部屋に呼んで少し議論したものだった。こういうのを目の当たりにすると「時代の変遷」を痛感する。
・ 今回は高校生対象の通常の授業であり、気になったのである。学習指導要領から「保健の教育は必修で2単位」と決められておりこれをクリアしなければ生徒は卒業できない。週1時間で2年間高校生はどのような保健教育を受けているのかがテーマである。
・ 今回保護者からお電話を頂いた部分は「大修館書店」というこの分野では最大手の有名な書店発行の「現代保健体育」という教科書でこれは文部科学省の検定をパスしているもので全く問題はない。
・ これは我々の想定であるが、クレームを受けた授業は「生涯を通じる健康」の章で「思春期と健康」「妊娠・出産と健康」のパートだろうと打ち合わせで結論を得た。クレームの内容から最近行われた授業の内容とクラス、担当教諭がほぼ特定出来たのである。
・ 内容は正直書くのもはばかられる感じであるが女性、男性の生殖器を細かく図示し、言葉も「射精」「マスターベーション」「コンドームとピル」などオンパレードであり、「間違いだらけの避妊法」などの項目もある。
・ 要は「性意識の男女差と性的欲求」にどう対処し、「性に関する情報と性行動を正しく教える」と言う視点にたった指導要領なのである。教科書とは異なるプリントもチェックしたが「胎児はなんというところを通って出産されるのか」というような問題形式なのである。
・ 本校は共学にして4年であるが学校の歴史は80年を有に超えており、保健の教育は経験豊富の先生が多く、その点に関しては問題ないと思うが「男子校時代」と違って女生徒も多いだけに「発言には慎重を期する必要」があると考えて、その点も確認したし、生徒の代表にも女性教諭からヒヤリングして貰ったが、問題はなかったということであった。
・ 「担当した先生は生徒思いの良い先生」であるし私は今回の事案は保護者の幾分過剰な反応と結論を出した。それでもクレームが合ったと言うことは事実であり、今後気を付けなければならないことは当然である。
・ 実は性教育指導に関しては「東京都で訴訟問題」に発展しており、いまだ社会の一部の方々からは「学校教育における性教育」問題は「微妙な途中段階の問題」と考えることも出来、慎重である必要があると私は考えている。
・ 東京都の都議会議員が都内の養護学校の性教育指導に「人形」を使って「なまなましく」指導するのを観察し、これらの教諭は「ジェンダーフリー」を標榜する思想的に偏った偏向教育の一つとして「都議・都の介入」事件となったケースである。我々は「萎縮する必要はないが」、「教育として厳粛に進める」ものだと私は考えるのだ。
・ 従って教える教員も自信を持って厳粛に教科指導欲しいとして今日保健体育の教員全員に集まってもらって私の率直な思いを伝えた。特に「言葉の引用」には注意を要するとした。
・ 生徒の中には「成長の過程」がそれぞれ違うのであり、ある生徒には問題ない言葉でも別の生徒には「気分を悪くする」ように受け止めることはあるのが当然であって、それは「生徒の目」を見ながら進める必要がある。
・ 教員も人間だから「ハイな状態」と「ローな状態」と色々あるだろうがハイの時に「調子に乗って」言わないでも良いようなことを言ったり、「教科書にない言葉」を使ったりするとそれはやはりまずいと私は考える。
・ 2,3日前の大阪の新聞では松原市で高校の女生徒が子どもを出産し、その子どもを放置して浴槽の中で嬰児が発見されると言う事件が報道されていたが今や高校生に対する保健体育科の授業はますます重要度を増しており、「エイズの防止」「薬物汚染」など「真綿でくるんだような指導」ではなくて「問題の核心を真正面」にすえる授業がますます求められることは間違いないところである。
・ 本校の保健体育科の教員は「センスを持って」この問題に立ち向かって欲しいと念願するばかりである。想定する対象のクラスには「校長のメッセージ」を保護者宛に届けることにした。
・ しかし「匿名」というのは本当に困る。現認するのが難しいからだ。全てが想定でことを進めなければならない。しかし「声なき声」に耳を傾けることが必要と考え、私はこのように対応したのである。

2009年4月25日土曜日

4月25日(土)新武道館建設宣言

・ 本当は「パンパカパーン」とファンファンファーレを鳴らして宣伝したい気分だ。私は「新武道館建設宣言」をしたのである。本校は「来年度中に新武道館を建設することを内定」した。勿論5月理事会で正式に決定するがほぼ名誉理事長、理事長職務代理との「3人の常務理事会」で方針を定めた。金利が低く建設資材が安い今がチャンスかも知れないと考えていたが「思い切る」ことにした。計画よりは2年早いことになる。
・ 現在の「練成館」と言われる「柔道場、剣道場に加えて、弓道場」を移設しないといずれにしても「新校舎」は建てられない。「遅かれ早かれ」必要となるから、決めたものだ。新武道場は従来から「新校舎建設チーム」も構想を進めてくれており、概念設計は出来ているからスムースに運ぶだろう。
・ 構成は「剣道場」「空手道場」「弓道場」「和室」「プール」の組み合わせとなる。詳細はこれからだ。場所は現在のプールのある場所しかない。まずグラウンドは「土地一升金一升」の土地だから極限まで有効にしなければならない。これ以上グラウンドを狭くするわけにはいかない。
・ 和室は「「悩ましい」がこれからの本格的な検討で結論が出てこよう。今は図書室に衣替えをした新館の旧和室「修養室」が無くなったから和室は欲しい。和室は「雅学部」や合宿などに大変便利であった。
・ しかし合宿の場所は1時間で多聞尚学館に行けば幾らでも「寝る場所」はある。私はスポーツクラブの顧問の先生に「何時でも多聞を使いなさい」と言っているのだ。遠征で他府県からこられる学校の生徒さんにも利用可能としているからこれは助かるだろう。
・ 共学にして4年目、「茶道部」はまだないがその内に出来るかも知れない。あった方が良いのは分かっているので「茶室というか作法修練場」はいずれ必要となるだろうと思っている。「神社神道の世界と茶道は極めて近い」し、指導者は神社界に山ほど居られる筈だ。
・ ところで学校に「プール」は必要か。このテーマについて保健体育科に宿題を出し検討してもらった。プールが必要ないといえば建物の設計が楽である。確かに府内でもプールを保有していない学校は私学では多い。それで検討を依頼したのだが答えは「プールは今後とも必要」の答申であった。私もそのように思う。従って「結論」はこれで出た。恐らく「新しい武道場の屋上」に今と同じ「25メートルプールを設置」することになるのか。
・ 空手道場については現在専用の練習場は保有していない。良い成績を上げているのにこれでは可哀想と思っていたところに体育科から重要な提案があった。それは「武道の授業」については現在の剣道と柔道を「剣道と空手」にしたいと言ってきたのである。
・ 理由は明確で問題は柔道であり、現在専門の指導者がいないのと生徒の希望者も段々と少なくなってきているからだ。本校には空手と剣道で府内はもとより「全国区の有名な指導者」がいるのでその方が「生徒のためにもなる」と考えたから私も同意した。
・ 私は「職員の意見を大変良く聞いている」積りだ。それは多くの教職員が認めてくれているのではないか。このような重要なテーマは時間をかけて専門家の先生方に検討して貰い、その「結論は尊重」してきている。「勝手に一人で決めたことはない」。
・ この辺のところは誤解をされている部分はある。「超ワンマンですべて自分で決めている、教員の意見など聞かないとか」、実態の分からない人はそう思っているかもしれないが決してそうではない。
・ 「教育は教員が司る」が学校教育法の規定するところだ。ただ経営に直結するテーマは教員の意向は確認するがそれに拘束されることはない。「経営」とはそういうものだ。そして私は「決定に至るプロセスと説明責任は徹底的に果たしている」積りである。
・ 私が言っているのは例えば武道授業を正式に空手とすることを教職員全員の挙手で決める必要はないのではないかと言っているのだ。進級会議のブログでも書いたが1年生の進級判定に1年生の授業に行ってもおらず、生徒の顔も知らず、本校の勤務日数が1年間未満の「教職員が賛否で投票するのは理解できない」と言うのが私の主張なのだ。
・ だからプールは必要といえば反対する理由はない。ただしプールの大きさは50メートル必要となればそれは意見は挟む。「温水プール」にして欲しいと言って来てもそれは駄目というであろう。その決定権限は私にあり、教員にはない。
・ しかし体育科の仕事の姿勢は素晴らしい。運動会も陸上競技大会も、体力測定も、金剛山登山も見事にやってくれた。皆仲が良くて「万機公論にて決すべし」としているらしい。それに前向きだ。何処かの教科とは違う。
・ 部屋が汚いので「少しイメージを変えるように」指示していたが、出来たと言うので見に出かけて行ったが確かに雰囲気は変わっていたがまだまだだ。一応狭いところをうまく活用してイメージ一心しているが・・・。まだ汚い。
・ 本年度以降女性の先生が一人増えて3人になり、「大部隊」になった。私は図書室を改造して教室を4教室作ったのも体育教官室を守るためだった。生徒指導や部活指導でこの部屋は職員室とはまた違った雰囲気で必要なものだと私は確信している。
・ 体育科の教員は私のこのような思いを裏切らない。昔は「はすに構えた癖のある教員や組合色丸出しの先生」も居たらしいが今はそのような教員はいなくなった。今後とも一致団結して「新しい学校つくり」に先頭にたって頑張って欲しいものだ。
・ その代わり部活動指導は「思い切ってやれ」といっている。ただ合宿や遠征などは家庭の経済状態が厳しいからバランスを取って進めるように言っている。このことだけが気になることである。
・ 体育科は「給料や手当のことなど言わない」。何も言わない。言わないだけに私は気になっている。次の大きなテーマは「教員の部活動指導手当て」問題だ。何時までも「教員のボランティア」などと言って逃げるのは良くないことだ。何とかしてやりたい思っている。
・ その前に「新武道館」を作る。すでに校務運営委員会では2週にわたってテーマに上げて前回の「職員会議」で正式に教職員に説明した。今日の「PTA実行委員会」でも明らかにした。役員の皆さん、喜んでおられた。
・ 今年中に詳細設計まで行い来年度中に完成させる。「多聞尚学館」が完成し次のターゲットは「新武道場建設」である。面白くなってきた。こういう目標が出来ると「元気が出てくる」。「建設の槌音が聞こえる学校は良い学校」の証明である。
・ 絶対に良いものを造って「生徒と教職員の喜ぶ顔」が早く見たい。設計は「都市設計㈱」としゼネコンは当然まだ決めていない。まず徹底的に設計を検討し、どうせやるなら「素晴らしい武道館」を作ろう。費用はまったく問題ないから安心して進めよと新校舎建設チームに言ったところだ。それにしても私は「次から次と仕事を作って自分を追い込んでいく」。「誰が私の気持ちを知らんや。」

2009年4月24日金曜日

4月24日(金)その2:私立高校の入学者数

・ 平成21年度大阪府の「私立高校の入学者数の実態」が明らかになった。このデータを待ち望んでいたのであるがようやく入手できた。これを見ることで全てが分かってくる。まだ詳細分析はしていないが、データは容赦なく現実を突きつけてくる。
・ どうも「授業値上げの影響は無い」見たほうが良い。これは予想していたがデータがそのように示している。即ち授業料を上げたところが入学者数を減らしているかというと必ずしもそうではない。授業料を上げていないのに大幅に生徒数を減少している学校も多い。
・ 「戻り率」は公立回帰といわれて、各校軒並み落としているかと言えば必ずしもそうではない。どうも「統計的に明確な性向」は見えない。進学校では全般に戻り率は低いと思っていたが15%以上の高い数値を示しているところもある。
・ その「私立学校のレベルと対応する公立受験校との数値ギャップ」が生み出す「魔法の数」みたいなもので結局は「想定できない代物」と今回思い知った。「人知を超えている」のだ。戻り率に一喜一憂しても仕方がない。しかしそれでも気にはなるが・・・。
・ 本校は「外部入学者数」で言えば共学59校のうち、上から「5番目のトップ5」と数値は示しているが、昨年よりは入学者数は落とした。上位をキープしているが戻り率は低かった。定員に対する過不足率で言えば100%以上が定員確保であるが、「トップは202.8%のOO高校」だ。すごい。2年連続である。何故だろう。
・ 次がOT学院で150%、SE148.4%でDSS140.3%、浪速130.5%と続く。過不足率でも絶対値と同じく本校は5位である。逆に最下位は東京の大学の係属校になった高校で、定員充足率6.0%という信じられない数値である。ここは週刊新潮などに書かれまくられているくらいもうこれは悲惨ではなくて悲劇だ。17人しか入って来なかったとデータにはある。
・ もう一つの大きな特徴は「大学の系列」に入った学校で授業料を値上げし、偏差値を上げた私立が「厳しい状態」になっているのが良くわかる。大学の系列に入っても「持って行き方」が重要であり、「伝家の宝刀にはならない」ことが大変良く分かった。本校も気を付けなければならない。
・ 男子校の外部入学で言えば「KOの一人勝ち」の様相である。従来から「強い、強い」と言われてきた学校も「内部生」即ち「付属中学校から進学」がないと恐らく低下傾向に顔色が青ざめると言うことではないか。それだけ「中学校の有り難味」が分かる。
・ 女子校は相変わらず「SJ」と今回「SE」が気を吐いている。しかし中身を含めると「SI」「PG」「OO」が強くKOを入れて「4強」といえるか。友好姉妹校のKGが健闘している。
・ しかし「女子校では27校のうち100%以上がたった2校」で他はすべて「定員割れ」だ。厳しい状況である。先に事務長を東京の私学財団に出張させた時に得た情報と一致する。70%未満が11校もありこれが続けば経営的には大変なことになる。
・ 入試広報室長が朝入室して来たのだが「今年は私立高校の広報活動がすでに始っている」という。塾訪問で言われたそうだ。例年5月の連休明け、本格的には6月くらいからだが今年は「もう動いている」という。分かるような気がする。
・ 各私立中学校高等学校は「強迫観念」にかられて落ち着いているわけには行かないのだろうが、それは本校とて同じことである。しかし焦っても仕方がない。今までの戦略をぶれることなく「誠意」を持って進めることしかない。
・ 「浪速中学校」を強化する方針に間違いはない。とにかく中学校が「極めて大切である」。「中高一貫教育」である。高校の専願数を増やさねばならない。そのためには「学習強化」である。「部活動強化」である。「文武両道と面倒見の良い学校」をさらに徹底していかねばならない。特に中学生は高校生に比べてまだ成長過程でありその分教職員は「気配り、心配り」をしなければならない。
・ 中学校に勤務する教員は「その気」になって頑張って欲しいと昨日の職員会議でも「」を飛ばした。中学校は高校との渡りなど止めて「自己完結で責任を持て」と私は示した。教員もしがらみのない若手で構成している。「今年から新たな中学校作りへと邁進」だ。
・ 今年入学してくれた高校1年生のレベルが大体分かってきた。昨日理数科長とⅡ、Ⅲ類長が揃って「新1年生のスタディサポート試験結果分析」を報告に来て呉れた。その結果を見て私は小躍りして喜んだのである。「大いに楽しみである」。
・ SS,Ⅰ類、Ⅱ類まで「成績優秀者の数が多い」のだ。」「層が厚い」と言える。それにⅢ類でも大躍進だ。これは間違いなく「鍛えれば伸びる」ことを示している。今の2年生を圧縮した感じの生徒構成に近い感じでありこれは自信が持てる。
・ とにかく「21年度が勝負の年」である。入試広報には「人材も資金を投じて」、後で悔いの残らないように頑張るように言った。平成19年4月を「第2の創業」と位置づけた。即ち「浪速改革」が開始された年であった。それから2年で初期の改革をやり遂げた。生徒も多く来てくれる学校になってきた。進学実績も大きく伸びた。「すべて教職員が頑張ってくれたから」だ。
・ そして21年度から「新経営計画」がスタートした。期間は平成25年までの5年間である。「平成25年が創立90周年」である。「この5年が21世紀の浪速を占う極めて大切な時期」となろう。改めて名誉理事長、理事長職務代理から最低ここまでは私に頑張って欲しいと本日も念を押された。後5年、「気力、体力」が続くか、それが問題だ。
・ まず「生徒保護者に信頼される学校つくり」だ。「改革に終わりはない」。そのことが多くの「小学校6年生と中学生3年生の熱いまなざし」を受ける学校に繋がる。最大の宣伝広告効果は今本校で学んでいる生徒とその保護者が、「浪速、メチャ良い学校よ」と地域で言ってもらえるようになることだ。我々は一丸となって頑張る。

4月24日(金)その1:パワーハラスメント

・ 今日のブログは一昨日の「日本的経営の幻想」に関連している。即ち「終身雇用と年功序列賃金体系は作り話」というテーマで論考したものであったが、今日はさらに1歩突き進んで「世相」を切ってみたい。
・ 卓越した経営者として一世を風靡した「元GE社のCEO(チーフ・エグゼブティブ・オフィサー)のジャック・ウェルチ氏の言葉」に以下のような有名な言がある。「暇になると自分は従業員をクビにする」というものである。
・ その理由は「緊張するから」という。誰をクビにするか、そんなことを考えると自分も緊張するし、クビにならないように緊張する。生き残った社員はありがたみを感じて一生懸命仕事をするというのだ。
・ 実際GEは毎年15%ずつ首にしていたという。プレジデント5月4日号の大前研一氏の「その手があったか」の記事にある。副題として「誰も豊かになれない日本の非常識」とある。特集記事の主題は「給料の格差」である。
・ しかし「恐ろしい表現」であるが、大変良く分かる。「さすがアメリカ」とも言えるが誰彼クビにするのではなくて「全体の中で相対的」に「勤務成績の悪いもの」「能力の無いもの」「向上心のないもの」「失敗の責任」など「それなりの理由がある人をクビにする」のである。
・ アメリカ的市場主義は経営効率最優先・最大狙いであり、「人的投資に極めて敏感」だからこのような発想がまかり通り、アメリカ社会では大きな問題とはならない。逆に彼らの論理は「何時までもこの会社に居ても貴方の将来はないからどこか別のところで再スタートを切った方が良いですよ」という論理なのである。実際GE社などはその世界では有名な「社内教育を徹底して実行している会社」なのである。
・ 私も行ったことがあるがニューヨークのクロントンビルにある企業内ビジネススクールの素晴らしさはつとに有名で日本からも社内教育担当者の訪問があとを絶たないのである。GEやIBMの社員教育はとにかく有名である。
・ これには噂話があって、GEをクビになってくる人間を狙ってGEの周りには「リクルート会社」のリムジンがグルグル回っているという。それくらい優秀な人材がGEには多く、クビになっても「すぐ仕事にありつけるすごい人材ばかり」と言う訳だ。
・ しかしそれにしてもジャック・ウェルチの「暇になれば自分は従業員をクビにする」とはすごい言い方だ。日本では余程注意しないとこうはいかない。そこで4月14日日経夕刊、「急増、解雇パワハラ」の大見出しで「まだいたの?」「社員証回収・・・」の中見出しの記事に話しは飛ぶ。
・ 職場での地位、権限を背景にして「部下に暴言」をはいたり、「無理難題を押し付けたりするパワーハラスメント」が後を絶たないという。特に金融危機後景気悪化で「解雇」に絡むパワハラが目立っていると言う。
・ アメリカではパワーハラスメントなどあまり聞いたことがないが、日本ではとにかくなんでもハラスメントだ。まず古典的な「セクシャルハラスメント」、そして世に出たのが大学での「アカデミックハラスメント」そして企業での「パワーハラスメント」医者の「ドクターハラスメント」そして直近では「団地自治会ハラスメント」「幼稚園保護者間ハラスメント」などを聞く。その内に「食堂ハラスメント」とか「居酒屋ハラスメント」などが登場してくるのかもしれない。
・ 「夫が人前で立たされ上司に机の私物もチェックされているようだ」「上司から有給休暇を取るとは何事だ。社会人失格だ。」リストラの対象となり「まだ居たの?」「死んでもかまわん」「目障りだからちゃらちゃらしたモノはつけるな、指輪は外せ」「お前なんか居てもいなくても同じ」「お前は一番出来ない社員」とか色々ある。
・ 特に「退職勧奨や解雇予告に絡んでの相談」が多いという。えげつないと思うが通知と同時に「貸与パソコンの回収や事務所への立ち入り禁止、社員証の取り上げ」など「ロックアウト型」が目立っているという。
・ 最近の新聞記事に載ったのであるが、さすがに厚生労働省も放置できずにパワハラによる「うつ病」をきっかけに自殺したことを「労災」として認定し、最近「職場における心理的負荷評価表」を改正して「酷い嫌がらせ、いじめ、暴行を受けた」の項目を新設した。
・ 法律に絡む相談を受け付ける「法テラス」には職場のパワハラの相談が舞い込むが2008年10月から09年3月までの半年間に1126件で前年度よりも48%増えたと記事にはある。
・ この新聞記事の面白いのは「身を守る5か条」と言うのがあって「パワハラが深刻になる前に初期の段階で自分の行動パーンを変えよう」と言う提案である。大変理解できる。第一条は「しかられ上手になること、上司はどのような時に怒り、叱るのかを知れば回避行動」をどう取ればいいか明らかになってくるとしている。
・ 第三条には「自分が上司だったらと言う視点から考えると、ものの見方も変わる」とある。その通りだ。第五条には「文句を言わせないように実力をつける」とある。その通りだ。これを作ったパワハラ防止研修会社の社長さんは偉い。
・ 私は人からよく「元気ですね、パワーがありますね。身体全体にパワーがみなぎっていますね」と言われる。だから特にパワーハラスメントについては気をつけなければならない。本校の管理職もそこを心配しているのは顔を見ればよく分かる。
・ しかし私は「教職員を指導するのに臆することはない」「指導教育するのは私の仕事であり、責任」である。それをパワハラと取られたら「そうではないと証明」する用意に怠りは無い。嫌がらせや無理難題は押し付けない。出来ない人に言っても意味はない。問題は出来るのにやらない人だ。これは「サボタージュ」である。これは指導しなければならない。恐らく「言い方の問題」なんだろう。
・ 私は必ず「指導の履歴を文書で保存し、複雑な相手には必ず管理職を立ち合わせ」て1対1は避けている。重要と考える時は「テープに会話録」を取っている。特に就業規則違反は公立教員のことを思えば見逃すわけにはいかない。公立は厳しい。
・ それを「パワハラ」と取られたら仕方がないだろう。堂々と法廷論争するしかない。その覚悟は出来ている。それが出来なきゃ「学校改革」など進むわけがないではないか。「甘い言葉」で結局は母船を危うくするようなことはトップの責任ではない。真面目に一生懸命頑張ってくれている人たちを巻き添えにして「沈没」するわけにはいかない。
・ ところでジャック・ウェルチみたいに「暇があれば従業員をクビにすることを考えているか」という問いに対する答えであるが、私はそういうことは考えていない。彼みたいに暇はないからだ。

2009年4月22日水曜日

4月22日(水)日本的雇用の幻想

・ 4月13日の日経夕刊に「関西大学教授の竹内洋先生」のコラム記事があった。「旅の途中」という囲みなのだが中身は「日本的経営の神話」というものだ。しかし竹内先生の寄稿は何時も「頭の整理」に参考となる。
・ 「派遣切り」とか「正社員のリストラ」とか雇用問題が大きな社会問題と成っているが、その対比として「日本的経営」と言われる「終身雇用や年功序列体系」は昔からあったわけではないと先生は切り出されている。
・ 先生は一つの「データ」を持ち出されて論考を進められる。この辺がとても私は好きなのである。自分の意見ばかり言わないでデータを出してこれを読み解いたり比較したりすることで「論考に厚みを持たせるスタイル」で、どちらかと言えば「理系のスタイル」である。
・ 私は完全に「理系人間」であるが、読み物や書いたり、喋ったりすることが好きな人間である。教員が理系か文系かはここでは本題からそれるから言うまい。理科や数学の先生が「理系人間」と考えて良いのか。これについてもここでは論評しないでおこう。
・ 話しを元に戻して「1937年の戦前のサラリーマンのアンケート調査結果」を先生は持ち出して来られ、その中の質問項目に「サラリーマン最大の恐怖」というのがあると書いておられる。1位は「馘首」、すなわち首になるということであるが、2位は「病気」、3位は「仕事の失敗」と続く。
・ しかも1位の馘首は2位以下を大きく引き離しており、回答者の2人に1人は挙げているという。即ち当時もサラリーマンの大半は「何時解雇されるかも知れない」という大きな不安を抱えていたのであると先生は証明してみせる。
・ 同時に質問で「サラリーマンに必要な社会政策は?」との問いには「失業保険」が1位に来ていると言う。若しサラリーマンが「終身雇用」を信じていたらこのような回答にはならなかった筈だと先生はいわれる。
・ 実際戦前の企業においてはサラリーマンの「解雇は日常茶飯事」であり、又同時に景気がよくなればサラリーマンの方もこれまで勤め挙げてきた「会社に見切り」をつけて簡単に「転職」しているという。こういう「論旨の展開」は本当に面白いし勉強になる。何か日本の話ではなくてアメリカの話しみたいである。
・ 戦前のサラリーマンにとって「永年勤続によって昇給・昇進・昇格し定年まで企業に留まると言うのはかなりかなり稀」だったのである。「終身雇用や年功序列の日本的経営」がある程度定着したのは「戦後の高度経済成長時代になってから」に過ぎないと先生は言われる。
・ 以下からが又面白い。しかし高度経済成長を生きたサラリーマン(かく言う私もこの世代)にとっても終身雇用に当てはまる人はそれほど多いわけではない。1991年度で見ても50歳代前半で同一企業に勤めている人は「高卒で12%、大卒で22%」に過ぎないと。
・ 大企業(1000人以上)で見ても高卒22%、大卒51%であるから戦後の高度成長期を生きてきたサラリーマンでも戦前の作り話と同じで「終身雇用など半分は神話の世界」と竹内先生は言われている。「昔は良かった」とか「昔に戻れ」とかいうがその昔とはついこの前の話であり、わざわざ「日本的経営」などと大上段に振りかざすものではないと先生は皮肉られているのである。
・ 考えてみれば私も55歳で前の会社から「退職金」を頂いた。定年まで5年を残して退職した。人事異動みたいなものであったが、民間人校長になるということは「大阪府の公務員になる」ということで退職せざるを得なかったのであるが、とにかく定年を待たず早期退職をしたのである。その時は「まさか」と思ったものだった。
・ それから4年間公立高校の校長を勤めた。即ち第二の職業として私は「地方公務員」であったのである。そしてそこでも「すずめの涙」ではあったが退職金を頂いた。このために私は今でも「公務員共済」の支給を「しずく」ほど頂いている。今言われているところの「渡り」に近い。即ち「終身雇用ではなかった」のである。
・ 「大きな企業に勤める大卒の半分は早期に退職」しているというデータも分かった。今問題と成っている「高級官僚の早期退」と「渡り」についても考えてみれば「終身雇用」ではない。「終身雇用とは幻想」であったのかも知れない。
・ そこで「一体教員の世界はどうなんだ」と話しを展開しないと面白くもなんとも無い。単なる「ああ、そうですか」に終わってしまう。そうなのである。「教職こそ唯一の終身雇用の世界」なのである。教員と言うのは基本的に昇進昇格というのはない。同期が偉くなったからと言って「身を引く」様なことは無い。悪いことさえしなければ「定年まで給料が上がり続ける世界」である。
・ 即ち「階級のない社会」なのである。戦後60年「ズゥート」そのような状態で来たのだが、そのことの「不条理」に社会は気付き、「おかしいではないか」と騒ぎ始めたのである。生徒の夏休みを自分の夏休みと勘違いし、サラリーマンは蒸し暑い夏を一生懸命に働いているというのに教員は「たっぷりと休み」、授業がなければ朝ゆっくりと出勤し、授業が終われば早退するといった「甘えた構造」に社会は気付いたのである。
・ 公務員である公立の教員に対して伝家の宝刀「分限免職」を行政は使い始めた。懲戒処分による解雇ではないが「貴方は教師としての資質に欠ける」として「免職処分」をこの2ないし3年で使い始めたのである。大阪府において中学校の問題が解けなかった高校の数学の先生が「クビ」になった時は大騒ぎになったものだ。
・ 「生徒の為に自分の時間を犠牲」にして頑張ってくれている教員と、何かと理屈は言いながら「自分のことを優先」させて考える先生や「教師としての資質に疑問」があるような教員の給与が1円も違わないで誰が真面目にやろうと言うのか。その担保が「評価システム」と言う論理も分からないではない。
・ どうも職業が色々とあるが教職は「終身雇用の形態を保持している」唯一の職業かもしれない。しかしこれも現在大きく変質し始めている。そのように思えてきた。本校でも一昨年大量の早期退職者を出した。それは「早期退職優遇制度を創設して割り増し退職金を上積み」したからなのである。
・ 過去にもそのような事例は多かったのである。公立の学校でも校長の1,2年残した退職は多い。このように考えれば教職の世界でも今ようやく「終身雇用の崩壊」が始ったと考えられる。自然な状態に1歩近づいたのである。しかし「比率の問題」であってやはり圧倒的には「定年まで頑張る先生」は多いのである。
・ 「全国110万人いる教員の圧倒的に多い公立教員の定年は60才」である。本校は65才である。この5年と言うのは大きい。高齢化社会と言わせるな。まだまだ若い。元気で「浪速にとって、生徒にとって為になる先生」は終身雇用とし、65才、いやそれ以上までも働いて貰って良い。条件は「為になる先生」だ。

2009年4月21日火曜日

4月21日(火)その2:第二回週スペ

・ 「 第二回週スペ」が終わり「もう報告が上がってきた。」当面はこのようにして詳細報告を聞いて「実践の問題を確認し改善」するためだ。実際に経験したものでないと「説得力ある意見」は出ない。
・ 今回は女生徒が28名で多かった。総勢で71名、付き添いの教員が3名だったから教員は「ぎりぎり」の詰まった忙しい状態であったろう。それに3人の先生は多聞が初めての先生ばかりであった。
・ 初代館長の副校長は「お試し宿泊」で一泊してくれて食事や風呂なども経験したから、立派である。かく言う私はまだ泊まったことはない。私が宿泊すれば教員も生徒も緊張すると思って遠慮しているのだ。夏に一度は泊まってみたい。
・ まずスケジュールは以下のようなものであった。付き添った今回の「主担教諭のレポート」をそのまま転記すると:
* <1日目>16:45にバスは本校を出発し、17:50多聞尚学館着。多目的ホ
ールで開校式。食事後諸注意をし、着替え・入浴と同時進行で寝具配布。寝具置き場出入り口が狭いため、時間を要したが、予定通りの21:00から問題演習開始。ほぼスケジュール通りに実施。黙々と学習を行っていた。
* <2日目>朝食の遅刻者無し。全日予定表どおりに進行。古典・英語とも、90分間の代ゼミのサテラインを利用しての講義も行った。おやつ時間に学校敷地内の外出を許可。数名がグランドまで行きくつろいでいた。入浴・食事を手短にし、少しまとまった休憩ができるように配慮した。確認テストに向けて問題演習中も集中して勉強し、教師への質問も積極的であった。23:00より、確認テストの成績が不十分な生徒に居残り指導を行った。
* <3日目>予定通り、8:20までに寝具をかたづけ、定時に1限目開始。2限と3限をつなげて100分間とし、その後問題演習。準備とかたづけに時間がかかるため、昼食時間は30分では不十分であったため、食後の授業を50分に短縮。片付けや掃除は分担してスムーズに終了。15:10にバスが多聞を出発し、16:30本校に到着。16:35解散。

・ どうも「大きな課題が整理」できた。それは「ベッドの設え」である。多聞保健室に「リネン屋」さんから人数分の「マット、敷き布団、毛布、かけ布団、枕、シーツ」が時間までに運び込まれているのだがどうもセットに時間がかかっているみたいだ。
・ 以上のように18時に到着して食事、風呂、ベッドの設えを終えて21時から勉強開始では確かに「しんどい」と思う。1回目の週スペでもそうであった。「女生徒用の寝室」は多聞保健室の側にあり問題はないが、「男子の寝室は別の建物」であり確かに遠くて、又階段もあるから尚更だ。
・ これは駄目だと私は結論を出した。理由は中庭に入る門が狭くて業者が寝具を車で直接男子宿舎まで持っていけないからだが、「門を広くしてトラックが入れる」ようにすれば済む話で改造すれば良い。「すぐ取り掛かる」ようにと指示した。そうすれば大幅に時間は短縮される。
・ もうひとつの案はリースの「敷きマット」を保有することだ。マットは直接肌に触れるものではない。その上に敷き布団が来るから「気持ちの問題と清潔感」には関係ないだろうと考えて木製ベッドに「敷きっ放し」とするのである。湿気もないからじめじめすることはなかろう。そうすれば一回分敷く時間が合理化される。これも実施することを決めた。費用検討をした結果レンタルより1年で元が取れる。定期的に買い換えれば良いのではないか。
・ 最後の感想として同じように先の主担は以下のようなに私に報告した。
* 今まで学習合宿に参加したことの無い生徒も結構いたが、集中して学習できていた。1週間通常の授業やUP講座で疲れもあっただろうが、非常にまじめに勉強していた。「なんかわかるようになった。」と生徒同士で話しているのを耳にして嬉しかった。生徒各自、やりきった誇りを持って帰宅しただろう。ただし、夜にはしゃいで、寝るのが遅かった生徒もいて、眠気と疲れで勉強に集中できない生徒もいた。見回りをまめにし、消灯後に話をせず、早く寝かす必要がある。寝具配布や食事の際、生徒は協力し合っていたが、次回からは自分たちでより効率よく動けるよう、考えて動くように指導する必要がある。クラスの生徒たちが共に生活をし、仲良くなれた。両クラスともよい雰囲気である。最終日はかたづけやアンケートがあるため、スケジュールの見直しが必要だと思う。
・ 特に私が嬉しいと感じたのは中程の部分、「クラスの生徒たちが共に生活をし、仲良くなれた。両クラスともとても良い雰囲気」とあることだ。本当に生徒は「喜んでくれていた」らしい」
・ 生徒のアンケートには次のようにある。生徒アンケート(コメント欄)
 <学習>
  ・落ち着いた環境の中で勉強できてよかった。  ・集中して勉強した。
  ・よくがんばれたし、実力もついた。・説明がゆっくりで頭の中が整理できた。
  ・理解できるようになった。    ・2泊3日は丁度良く、やる気が出た。
  ・力不足がわかったので勉強をしようと思う。・教科・分野を絞ってよかった。
  ・がんばったが、まだ理解できていない。
  ・スケジュールが詰まりすぎていた。自由時間や長めの休憩時間。
  ・睡眠不足で集中できなかった。   ・スピードに追いつけなかった。
 <施設について>
  ・思っていたよりきれいなところでよかった。 ・ゴミ箱を増やして欲しい。
  ・寝室が狭いので動きにくく、ベッドのはしごが不安定。
  ・洗面(手洗い場)が低くて使いづらい。
 <食事について>
  ・おいしかった。   ・油物が多い。
  ・おいしくしてほしい。   ・おかずが冷たい。
  ・量を増やしてほしい。(男子)  ・量を減らしてほしい。(女子)
 <その他>
  ・友達と仲良くできて楽しかった。  ・がんばれた。  ・成長した。
・参加できて本当に良かった。  ・思っていたよりもよかった。苦ではなかった。
  ・自分で時間を見て行動できるようになった。 ・睡眠時間が少ない。
  ・自由時間・まとまった休憩時間がほしい。  ・疲れた。
  ・次の日は休みにしてほしい。
・ 今回の提案の中で食事を「バイキングスタイル」というのがあった。これは面白い。早速検討する。確かに一人ひとり弁当箱に入れて持ってくるのとどちらが弁当屋さんにとって良いかということになろう。これだったら量の過不足なども問題とはならない。なるほど思いつかなかった。「発想の柔軟な先生」はいるものだ。素晴らしい。

4月21日(火)その1:人間ドック

・ 1年に一度の「人間ドック」の日である。例年連休前のこの季節と決めているのだが、もう「体があちこちガタガタ」という感じで「行っても同じこと」と思い、スキップしようと思うのだが、近づいてくると「まあ、行くか」と思って何時ものクリニックに出かける。「長生き」したいのだ。1.5日のフルコースである。
・ 昨日の昼食以来何も口にしていないので「余計にしんどい」が仕方がない。体重は増えて肝臓の周りは内臓脂肪がきっちりと付き、血圧は高く、血液中の中性脂肪の数値は異常に大きく、大腸にポリープがありますとか例年「悪いことばかり」言われる。今年もそうだろう。
・ 「アラカン」であるが還暦を過ぎてから「衰えの自覚」が凄い。でも気障なようだが「浪速の仕事」が自分を引っ張っているようで「気力」で頑張っているのだ。企業時代の友人はイタリアに行ったとか地元へ貢献しているとか色々言ってくるが「仕事をする喜び」は何事にも変えがたい。
・ 今日は「和歌山カレー事件」の最高裁判決の出た日であった。あの事件の時に僕は東京本社の部長から和歌山製鉄所の幹部として「大きな使命」を帯びて着任した1ヵ月後で、暑い日であった。町中にパトカーや救急車ののサイレンが鳴り響き「大騒ぎ」だったのを今でも覚えている。
・ 徐々に詳細が明らかになるにつれ、会社の社員もその家族も事件に巻き込まれているのが判明し、入院先まで部下を走らせたものだ。あの「園部」という地域には社員が多く住んでおり、犠牲者は居なかったが、確か10名くらい入院したと記憶にある。
・ 後日退院した社員に直接僕は聞いたことがある。「カレーの味はどうだったの」と。「何か変な味がしてすぐ口から吐き出しました」と答えてきたのを覚えている。「あれから11年経った」のかと特別に感慨が深い。今日の判決を彼はどのように聞いているのであろうか。

・ ふざけた話だ。「たるんでいる」とか言いようが無い。今朝の新聞各紙に結構大きく記事になっている。特に朝日や毎日は「1面トップ記事」の扱いである。朝日や毎日は時々こういうことをする。立派ではないか。
・ 要は兵庫県の県立高校で「入試の採点ミスが84%」の高校にあったというのだ。最初は1校で判明しこの1週間前くらい前に小さな記事になっていたのだが、県教委が一斉に各校を調べさせたらこの結果が出てきたという。
・ 「122校で全受験者の5.8%、1447名の解答用紙に採点ミス」があったというのだから「言葉を失う」。何をしているのかと言いたい。さすがに驚いた教育長は過去5年に遡って再調査を命じたとある。
・ 「合否には影響なかった」というが、誰も心では信じる者はいないだろう。同じ問題を使っている神戸市立高校なども採点ミスだというから兵庫県の公立高校の教員は「たるんでいる」と言われても仕方がないだろう。5.8%というのは異常に高い数値である。
・ 集計ミスが42%、不正解を正解としたミスが37%で教科別では社会402件、国語367件、理科356件、英語270件、数学127件とあるから「全ての科目」である。
・ 大体専門教科の先生が専門の採点をするからどの教科でも全滅である。一体これはどうしたことか。教育長は「緩み以外の何ものでもない」と憤慨しており「関係教員の処分」をするという。当たりまえだ。「生徒の人生」がかかっているのだ。
・ 採点は一人の教員がやるのではなくて極めて「精緻にシステム化されている筈」である。私の知る大阪府の場合は採点者は複数、小集計、大集計、と次々と人を変えて行われそれぞれが印鑑を押して確認をしていく。
・ その昔やはりミスが続出し当時の府教委の優秀な職員が考え出した方法で確かにここまでやるとミスはあっても手順の中で判明するようになっている。採点の日も試験当日は疲れているからと言って翌日からとして時間をたっぷりと取っている。
・ 兵庫県も「採点方法の見直し」を検討するとあるが幾ら検討しても最後は「教員の意識が問題」である。「いい加減」と言われても仕方がなかろう。僕ははこういう「ざま」を毛嫌いする。それは「プロ教師にとってあってはならない話」だからだ。
・ 今回も受験者からの「開示請求」で判明したのであるが、兵庫県の公立受験者は「信用できなくなった」と激怒していると新聞記事にあった。「大恥をさらした兵庫県の公立の教員」ということになろう。
・ 本校ではこのようなことは無い。本校は試験終了後当日から「採点開始」となりその日のうちに採点だけは終わらせる。今までミスは無い。観察していると皆「真剣そのもの」である。今後とも最も重要な入試業務に「間違いがあってはならない」。あってもそれがプロセスで浮かび出てくるよう「システムの完成度を高める必要」がある。うちは「教務と広報情報委員会がしっかり」している。

・ 今朝の読売のみが報じていたがおそらく他紙はスペースがなかったのだろうか。今後大きく扱われてくるのではないか。「教員の10年研修で248人が不合格」と報じられている。正直私は驚いた。数値が大きいのだ。
・ 教員の資質向上策として10年単位で「研修を義務付け」たのであるが、20年度は試行で45000人が講習を受けそのうち「貴方は駄目ですと言われた教員が248名」もいるというのだ。
・ 元々この制度は議論がいろいろあって「駄目教師の排除」を目的とする、いやそうではないなどあったが結果としてこのような数値が出てきたことに私はびっくりしたのだ。「クビ」にはしないだろうがなんとも不名誉なことだ。
・ この制度は4月以降本番化しているが全国130の大学や独立法人機関で研修が開催される。今全国に110万人の数の教員が現場で働いており、「ペーパードライバーと言われる免許保持者」は約500万人もいると言われる。
・ 今後「研修で不合格」となる先生は幾らくらい出てくるのか分からないがこのような先生は他の教員や肝心の生徒保護者の信頼を失うであろう。辞めてもらった方が良い。本校にも多くの対象者がいるが今のところ「不合格」はいない。

・ 全国学力調査だが「浪速中学校の生徒は頑張ってくれたかなー」。相当中学校の先生方には「ハッパ」を掛けたりして指導をお願いしたが頑張るのは生徒だ。「9月の結果判明が楽しみであるし不安」でもある。橋下知事も中西教育長も陰山先生も藤原先生も心配だろうなー。

2009年4月20日月曜日

4月20日(月)明日は全国学力調査

・ 府教委の新たな教育長に就任した中西さんのコメント記事が出ていた。明日21日に実施される「小6中3の全国学力調査」について「今年は自信がある」と言い切っていた。橋下改革の大きな柱には「教育改革」があるのだが、確かにこの1年大阪府は相当な勢力を注いできたのは事実である。今日の夕刊読売などは「学力テスト挽回躍起」と若干揶揄気味だ。
・ 私は前に「眠れる獅子が起き上がると強敵」だとブログに書いたが正直起き上がってきつつあると認識している。2年連続全国比較で下位に低迷した大阪府は「橋下知事の誕生」で従来の教育委員会では出来ないような施策を矢継ぎ早に打ち出してきた。
・ 「放課後講習」や「塾の講師」を教室に入れ、百マス計算で有名な陰山先生の力を借りたり、夜スペの藤原先生を呼び、予算も注ぎ込み、「やれるモノはなんでもやる」と言った姿勢である。知事も自信があるのか「若し今年も悪かったら僕の責任」と言っていたから、このことは逆の意味で「自信を示している」と私は見ている。
・ 公立の教員は「厳しい選抜試験」を潜り抜けてきた先生ばかりだから「学歴」はキラ星の如くである。このような基礎的力のある先生が「起き上がったら」それは大きな力となることは間違いない。それを私は「眠れる獅子」と言った。ずっと寝てくれていたら良かったのに「橋下と言う鞭を持った調教師」が動くものだから変わってきたのだ。
・ 公立の「ぬるま湯」に浸かっていると折角の力の発揮も出来ないような内的、外的要因があり徐々に「どうしようもない教員」の出現に繋がる傾向はあるが、元々は基礎力はあるのであって、知事はそこを突いて来たのだ。背景には「私学の教員はよく頑張っている!」という思い込みがある。
・ そのため、橋下と言う男は「クソ教育委員会」「駄目教師」「このざまは何だ」とか厳しい言葉を投げつけ意識改革を求めてきた。2年連続最下位ではさすがに教職員組合も何も反論は出来ず今年の3回目の全国調査となる。この結果が判明する秋口に結果次第で「大騒ぎ」になるのではないか。しかし私は大阪府は大いに成績が向上すると思う。
・ ところで過日の「多聞尚学館の開館式」で来賓の南河内郡選出の府会議員の鈴木先生が冒頭挨拶の中で「今日のために少し調べて参りましたが実は、今進めている大阪府の教育改革は木村理事長が民間人校長として公立高校でやられたことと同じ」というような趣旨のお話があった。
・ まさしくその通りで、今大阪府がやっていることは私が府立高校でやったことと基本的に同じであり、授業時間数の拡大と成績の統計的分析、外部教育機関との連携などである。それと同じことをこの2年間浪速で進めてきたのである。特に「浪速では授業時数の拡大」に勢力を注いだ。
・ 言いたいことは「誰が考えても基本的にはやるべきことは同じ」で教員がしっかりと生徒に向き合い、授業時間を確保し、「しっかりと教える」と言うことだけである。別に難しいことではなくて、言い換えれば「新たな学習風土の確立」と言うことかもしれない。
・ 「教育意識環境の整備」と言っても良い。これは設備を新たに作ると言うことではなくて「意識の環境整備」であり、外部模試への参加や放課後講習、外部講師の招聘等々で生徒も教員も「自分の置かれているポジション」が分かる。
・ 自分の「立ち位置」を知ると人間は動くものだ。それを「競争状態に置く」と非難したければするが良い。「切磋琢磨」というのは「人間の尊厳ある行動様式」だと私は思っている。
・ 「今年の私立高校入試の様相」は従来見られなかったものがあったことは何回も触れた。明らかに「公立回帰」現象が確認され定時制などは生徒で溢れかえった。私立もいわゆる課題を抱える学校と言うのは「併願戻り」で生徒が溢れかえり、中には理事長以下、嬉しくて嬉しくて「祝勝会」をした私立高校もあったと言う。
・ ブログにも書いたが「なすびの形」「ビニールに水を入れて吊るした状態」の構図で中位クラスの学校は「その煽り」を受けている。有名な進学シフトをしている高校でも「併願戻りゼロ」であったというからすさまじい話である。結局この学校は1.5次で充足したと言う。
・ 今私は来年度のことを考えているのだが、実質的に「公私比率7:3の時代は終焉」したと思っている。「終わりの始まり」が既に今年の入試から始っていると考えるべきだと思う。
・ 先週市内の有力な私立高校の理事長を訪問したがこの先生も「同じ意見」で橋下知事のいう「公私カルテルは崩壊の道」に入り、「人気と力のない私学は完全に淘汰されていく厳しい冬の時代に間違いなく入った」と嘆息されていた。
・ 同時にこの理事長先生は今は公立回帰の現象であるが多くの課題を抱えている生徒群が公立に戻っても、それは「空き教室一杯まで」であり、財政難の大阪府が「教員数は増やせるのか」等々クリアすべき課題は多くてそう簡単に行く話ではないということも私との議論となった。
・ しかしいずれにしても公私比率がなくなったら大きな「公私間の堰」がなくなるわけである。この意味は100%税金で運営する公立学校に比べて「私立の財政基盤」は保護者からの納付金が大きな割合を占めているだけに「その価値を認められた私立学校のみが生き残っていける」という単純な構図になる。
・ 私学助成の替わりに「バウチャー」と言っても財源が確保できるのかと言う疑問もあろう。私学の厳しい状態はまだまだ続くと考えねばならない。「生徒を如何に集めることが出来るか」全てはここにかかっているのである。
・ 私はこういう時に「2年前に本校に来て良かった」「間に合った」とつくずく思うのである。改革を先行したお陰でいささか余裕を持って「考察できる分」心が楽である。「先手必勝」「備えあれば憂いなし」である。改革の手を緩めるわけには行かない。 

2009年4月19日日曜日

4月19日(日)財団法人大阪国学院

・ 暑い日だった。完全に「夏の日差し」であった。まだ湿度が幾分でも低いのだろうから、まだ持ったがこれから先が大変だ。特に私みたいな体型には「暑さが応える」。冬の厳しい寒さのほうを私は好む。
・ 結局今年は「コートを一回も着なかった」。真冬でもスーツだけでしのいだ。理由は必要なかったこととコートがもう古く着るのがはばかられたからである。事務室の女性が「先生、コートは?」と聞かれたが「買いに行く暇がない」と答えたことを思い出す。
・ 3月の終わりには「掛け布団」を薄いものに取り替えたのであるがこの2,3日は寝ている間に「毛布」を跳ね飛ばしていたから今朝洗濯機にかけて洗濯した。外出先から帰宅した3時半に取り込んだのであるが「パンパン」に乾いていた。
・ 押入れに納めたのである。冬物の整理であるが、大変気持ちが良かった。「洗濯物の乾き具合」は心に影響を与えると感じた。洗濯をする女性陣の気持ちが良く理解できた。太陽で乾かすことが最も良い。「まことに有難いお天道様」である。
・ 今日は大阪府神社庁で財団法人大阪国学院が主体の「神職養成通信教育部の卒業式」と「入学式」が取り行われたのである。本校は学校法人大阪国学院、今日は財団法人大阪国学院であり、分かりやすく言えば「血を分けた親子の関係か兄弟の関係」だと思う。一度詳細に研究する積りである。
・ 明治43年に財団法人大阪国学院は文部大臣から設立を許可され、「本校は大正12年に財団法人が浪速中学校を設置出願し神道科を併設したことから歴史が始まる」。戦後学制改革で浪速高等学校と改称され今日に至る。
・ 従って本校は文科省認可の学校法人であるが財団の方は公益法人として「神職養成の通信制教育機関」であり、昭和51年に着手し昭和52年から開講したものであるから長い歴史を刻んでいる。東京の「神社本庁」の認可を受けている正規の組織である。
・ 神職になるには「皇學館大學か國學院大學」で学ぶか通信制の教育機関であるこのようなところで資格をとるかしか方法は無いのであるが、通信制と言っても2年間の学びはスクーリングはあるし神社奉仕実習とかとにかく「大変」なことで有名である。
・ 相当厳しいカリキュラムらしい。「レポート、レポート」「筆記試験」など生易しいものではないことは受講生全てが言われる。特に2年次は本当に大変らしい。即ちそう簡単に神職の資格は得られるものではないということである。
・ ここに学びにきている人は様々であるが他に仕事を持ちながらであるから大変だ。全国から来られている。1学年50名前後で神社の縁者がやはり多い。今日もあの有名な産経新聞論説委員の「石川水穂」氏と名詞を交換したが、このようなお方も来られている。
・ ここで「階位」を得れば神社をお守りしながら「祭式を斎行できる資格」を有することになる。私などは「ご奉仕」は出来るが「お祭り」を斎行することは許されていない。要は神社の宮司になることは出来ないがここの卒業生は宮司になれる資格を有したことになるのだ。
・ 今日本には「神職の資格を有しているのは約20000人おられるそうであるが神社は約80000社」あるそうで、従って全国には神職の居ないお社が如何に多いかということである。こういう人々が一つの「鎮守の森に囲まれた神社を拠点」として地域の活性化や町おこしなどに寄与できれば大きな力になるだろう。
・ 私は唯一一人の「来賓」で玉ぐし奉てん、「祝辞」が卒業式と入学式双方であり「学校法人理事長賞」も授与する役目も仰せつかっている。従ってこの日は午前9時から、午後3時まで神社庁庁長で財団法人大阪国学院理事長兼務の大阪天満宮の寺井宮司とずっと一緒だ。
・ これだけは「外せない重要な行事」で、これが済めばようやく1月以来の「私の仕事」と「学校行事が一段落」する。今年は「多聞尚学館」の用事があったから余計に忙しかったが今日で一段落である。
・ 今回で3回目の出席であるが「素晴らしい式」で私は何時も「感動」する。今日の式も大変良かった。それは「中身」が良いからで「大人の卒業式であり、入学式」である。「敬神生活の綱領」を吟じ全受講生に「受講生手帳」が授与される。
・ その1ページには「生日の足日」という言葉があり「いくひのたるひ」と読む。意味は生日とはあらゆる物事がいきいきと栄える日のことで、吉日を意味し、足日とは物事の満ち足る佳き日という意味である。
・ 毎日がそのように「生日の足日」となるように自分自身がただ念願するばかりではなくて、世のため人のために奉仕し明き清きまことを持って努力することで招来しうると教え、「自身を観照する心の鏡」として授与される大切な手帳である。「いくひのたるひ」とは何と響きの良い言葉であろうか。

2009年4月18日土曜日

4月18日(土)学校はこのようにして変わっていく

・ 4月14日の日経の記事である。「在宅学習で単位取得」「不登校の高校生卒業し易く」とある。これに準じる話はこのブログにおいても今まで何回も言及してきたが、正式に文科省は全国の教育委員会に「通知」したから「これで本番」となる。
・ 要は「学校に来なくとも」一定条件を満たせば「卒業認定に必要な単位を在宅学習でも認める」というものだ。高校生の場合卒業と認めるための「必修単位数は74単位」であるが・・・。
・ 今回の指導は、74の半分である「36単位までなら在宅学習を認める」というもので「完全な学校文化の変革に繋がる話」だと私はみている。「学校はとにかく行くもの」と教えられてきた世代には「奇妙な違和感」も残ろうが、学校に来ることの出来ない生徒とのことを考えた結果である。不登校は「病気」としたのである。
・ 「不登校の生徒」は2007年度で約53000人に上り、不登校をきっかけにした「留年」や「退学」を減少させるのが狙いであるが、一方では当然のこととして「在宅学習が安易な単位認定に繋がり、不登校を助長」することがないように「学校側は教職員の体制や指導法に十分留意して欲しい」と文科省はコメントしている。
・ 色々条件をつけても結局は「自宅学習」も学校の単位認定に繋がるわけで「学校の性格が又一歩変質した」と私は考える。教員は生真面目な面があり、「出席日数至上主義的な文化」が身体に染み付いており、とにかく学校に来さえすれば「何とかなる、何とかする」という「優しい面」を有しているのだが「学校に来なくとも良い」となれば「受け止めに複雑なもの」があるだろう。しかしこれが時代の流れである。
・ しかし全ての在宅学習に単位を認めると言うことではないのであり、「メールを活用」したり教師の添削指導や対面指導、宿題指導など「様々な条件」が付いており、実はこの条件が曲者で又「教師の仕事が増える」方向にあることは間違いない。
・ 大体「新たな施策展開は何時も教員の労働負荷の上に成り立っている」のである。このような意見を付則する教育評論家などいない。だから私が代わって言う。新たな仕事にはそれなりの「処遇を考えてやる」べきではないか。

・ そのように思っていたら15日の読売である。「大阪府30才代校長も」「経験など条件緩和」とある。府教委は10年度から「若手の教諭を教頭などを経ずに校長に登用する人事制度」を府内の小中高で導入することを決めたとある。
・ 橋下知事と同世代の30才代校長が誕生する可能性を言っているのだが、同時に府立高校では教員免許を持たない「行政職」から校長に起用する仕組みも取り入れるらしい。要は「校長に多様な人材」を確保することで「学校現場の活性化」に繋げる狙いだ。
・ 橋下知事らしい。これもまた「公立学校文化の破壊と創造に繋がる」のだと思う。従来は「校長先生」になるのは公立で言えば長い教諭経験、組合経験そしてまず「教頭職」を経験して平均で「公立小中が54.4歳、高校で55.6歳が校長になった時の年令」だ。私は民間企業出身であるが55歳で校長になった。
・ 一般的に言って公立の場合は55歳で校長になって大体2校程度廻って「定年」になる。しかし38歳くらいで校長になればその後はどうするのだろう。22年間も校長をやるわけが無い。大体教頭経験もせず38歳で平から一挙に校長になって「海千山千のベテラン教諭」を使いこなせるか。
・ 行政職からも登用とあるがこれは「グッドアイデア」である。とにかく「行政職と指導職(教職)との垣根」を取り払うためにはお互いが「相互乗り入れ」することが肝要だ。又教育長や副知事、知事になるような人が若い時に校長として学校現場を経験することは「役に立つ」話だ。数年の経験で又行政職に戻ればよいだけの話である。
・ 私学の場合はどうであろうか。大体私学の校長で教員出身と言うのは案外少ないのではないか。銀行家や上場会社の管理職経験者など様々である。だから「私学は面白い」とも言える。校長職は「特別職」であり、「学校運営経営は校長のマネージメントにかかっている」のは間違いないから、ここをポイントに考えれば必ずしも教諭出身が校長にならなければならないと言う時代はすでに過ぎ去ったとも言える。
・ 本校の事例を見るまでも無く「校長一人で学校は変わる」のである。逆に言えば「校長一人で学校はつぶれるか」の問いについてであるが、私学の場合、それは「理事会側の責任」だと考えねばならない。校長がアホで理事会が「ぼんくら」であれば間違いなく学校はつぶれる。公立がつぶれることは無い。公立は教育委員会が絶対的権限を握っており、又人材も豊富だ。
・ 「ワイン通の理事長」などと言われるようになったら「おしまいは近い」と考えた方が良い。特に私学の「オーナー系理事長」が校長兼務となれば「大成功するか」「大失敗するか」の両極端だろう。権限が強大であるからだ。
・ 理事長・理事会がしっかりしていれば「校長がアホでも学校はつぶれない」。「校長を首にすれば良いだけの話し」である。だから観察していると大学系の私立高校は、「いとも簡単に校長の首をすげかえる」。これはすごい。
・ しかし考えてみれば、これは当たり前で「理事会の経営意思が最優先」なのであり、これが私学の「骨格」なのである。大学法人が系列の高校の校長人事を決めるのは至極当然であるのは分かる。
・ 変わらない教員の意識の中で、教員とさも「談合しているような校長」「教員にとって都合の良い校長」であったが、3年経ったら学校は「消えていた」では仕方がなかろう。いずれにしてもやはり「校長の職位」は重要なのである。
・ 校長職に求められる資質は「経営的視点」であり、「強力なリーダーシップ」である。戦後「擬似コミューン化された学校現場」を解体するのは余程の「剛腕」が必要である。組合出身で教員社会にどっぷりとつかった教員出身校長が「既存の秩序を破壊して新たしい秩序を打ち立てるのは至難の技」と考えておいた方が良い。
・ 教員出身校長が悪いと言っているのではない。彼らに全く罪は無い。「状況の問題」なのである。「状況を責めよ」と私は言っているのだ。長い間に良いと思っていた制度も「旧弊」と言われる。しかしその制度を作って運用してきた人々にはそれを「変えよ」と言っても「一筋縄にはいかない」のである。
・ 私や橋下知事の誕生で「既存の秩序は崩壊して変わる」のである。30代校長の誕生、結構ではないか。知事部局の40台の保険課の参事が校長になる、良いではないか。その代わり知事も「人事責任者」として「大きな責任」を抱えることになる。
・ 学校に行かなくとも在宅で単位が貰える生徒の誕生、教壇に立ったことのない38歳のサラリーマンがある日「校長先生」になると言う時代の到来はまさしく「学校というもの質的変換」を現在進行形で示しているのである。
・ 教職員は「この世の流れ」を恨みがましく、妬みを持って、眺めるのではなくて「変革期に学校社会にいる」という喜び、楽しみと考えるようになれば立派である。良い年をした分別ある教師が「昔はどうだった、こうだった、給料は高かった」などと歎いても、愚痴っても、悪くは無いが、仕方がないではないか。ボツボツ諦めたらどうだ。時代は変わりつつあるのである。

2009年4月16日木曜日

4月16日(木)その2:週スペ

・ 「第2回目の週スペ」が明日から始まる。17日から19日までの2泊3日であり、今回は「2年生の2クラスで英語と国語の古典」だ。これは面白いことになりそうだ。英語科2名に国語科1名の講師陣である。特に国語は「古典」に特化し常勤講師の先生が対応する。「大いに期待している。」
・ 第2回目の講師陣で「ちょっとしたこと」があったが、教員には言っておかないといけない。「食事の段取り」「生徒指導」「教科指導」全てを講師陣が「取り仕切る」のであって「食事当番」とか「生指担当」とかを多聞に派遣する気はさらさらない。
・ 多聞は1人の教師が「全人間力」を持って「生徒を導く」のであって、一つの「私塾」である。例えば今回英語の教諭の名前を取って「K塾」と言っても良い。分散させては意味はない。「複数の先生が持ち時間を決めて交互に教えるのではない。」1人の先生の「私塾」であることは忘れてはならない。

・ 続々と「多聞学習合宿の予定」が出てきている。まず連休5月の1日から2日にかけて「中学校3年生」が対象の特別講座だ。「英語の発展講座」と「数学の基礎講座」となる。「中学生だから1泊2日」の予定である。
・ 英語の担当は今年卒業生を送り出した先生でまだ3年生対応がホットな感覚で残っているだろうし面白い。こういう積極的な教諭は素晴らしい。「数学は新進気鋭の若いイケメン常勤講師」の先生だ。大いに期待している。

・ 以上に先立って4月25日から26日、28日から29日にかけ、連続2回の「数学特別講習」が実施される。これは別名「中学数学復習講座」と呼ばれるもので高校1年生の希望者を対象に「中学校の教材を使い」、「復習をする」もので「本校の目玉」である。
・ 高校の教科のスピードは速いから特に数学など初期に躓くと「その後が分からなくなる」のがこの教科の特徴である。したがってここでもう一度「おさらい」をしておこうと言う「面倒見の良い学校」を地で行くような「特別サービス」である。今や大学でも高校の復習をしている時代であり本校もそれに習ったと言うわけである。
・ 診断をして、理解度の中クラスを対象に90人くらいを3クラスに分けて「数と式の計算」「一次関数と二次関数」「文章題と方程式」の組み合わせと言う。きめ細かくやって欲しい。そして「数学嫌い」を少しでも減少してくれれば有難い。

・ 英語も実施してくれる。中学が5月2日に終わったら翌3日から一泊二日で「英語特別講座」の開講となる。これも高校1年生の希望者を対象にして90名程度の人数で中学校の復習講座である。
・ 今朝ほど講師陣を配置しなおしたので「時間割も教材」再検討して欲しい。大体基礎が理解できている生徒へ教えるのと基礎がまだ固まっていない生徒へ教えるのとでは「どちらが難しいか」であるが私の意見は後者だ。分からない生徒に教えることほど難しいことはない。時間割も少し甘いのではないか。
・ そう簡単なものではなかろう。ここでも又「エース級」を投入する。このうち一人の男性の英語の先生はこの講習の後、トップクラスの「GWスペシャルセミナー」が4日から6日まで続くので可哀想に連休は多聞である。しかし「有難い」ことだ。「」してやりたい。

・ 「多聞尚学館」を有したと言うことは「学力向上体制へシフト」したと言うことである。これが分からないようなことでは困る。勿論多聞では中学校の金剛山登山や植物栽培、剣道、空手などの体育館を使った部活動合宿なども考えてはいるがまずは「進学シフトへの具体的な実践活動」である。
・ 「関西大学」へ優秀な生徒を大勢送り込まねばならない。物理の集中講座や生物、化学などどんどん展開していかねばならない。「教室の時間数だけでは無理」だ。「集中」して教えねばならない。疲れた後の「放課後講習」は本当に効果があるのか。
・ 私に出来ることは「先生方のご労苦に報いる」ことである。「多聞特別ファンド」は既に大台を超えてまだ続々と寄付金が集まってきている。本校教員の「兼職兼業を多聞における特別講習に限って認める」ことも「理事会として決定」している。頑張ってくれた先生に報いることは当然である。「自分の休みを犠牲にした給与分以外の仕事については当然対価が発生する」。勿論「労働基準法」が許す範囲内である。
・ 教員は「人の懐」を気にするきらいがあるが「人の財布のことは人のこと」であって関係ない話だ。ある教員が多聞に積極的に対応している教員に対して「楽やろー、なんぼ貰たん」などと言うのは「人間の品性」に関わる話だ。
・ 今朝ほど館長には時に「予備校のトップ講師」を招聘して生徒に話しを聞かせたり講習を受けさせたりさせて欲しいとお願いした。私は将来次のように考えている。要は「土曜日の使い方」とも関連するのだが多聞専属の講師陣を手元に置いておくことである。
・ 「専属契約」とするか「直接雇用」とするか「非常勤講師の採用」で行くか、色々と考えはある。又本校を定年退職した先生の中から意欲のある先生をここで働いて貰うなど「発展性」は大きいと見ている。
・ 早速塾関係者から「多聞の借用依頼」が来ていると言う。大阪府は本気になって「教育改革」に取り組んでいる。公立学校に塾の先生が入って教える時代となっているのだ。「ぼやぼや」しているわけにはいかない。
・ 公立の数馬身先を走っていなければ誰が「浪速に来てくれるというのか」。そのための一つのツールが「多聞尚学館」である。今年1年は「試行」である。今年の実践と成果の分析で来年度以降を考えれば良い。
・ 「やらない人間がやっている人間のことをとやかく言うな」、このことを言いたいのだ。私はやってくれる先生とスクラムを組んで「生徒の為に学力を付けてやりたい」、ただこの一念である。このことが「浪速が生きていくための唯一の道」だ。
・ 文武両道である。このことは間違いない。しかしこれほど難しいことはない。又部活だけでは生徒が充足はしない。今活動中の部活動生徒を全て合計しても大した数値にはならない。これでは学校はやってはいけないのだ。
・ 私は若い先生方にも大いに期待している。まず授業をしっかりとして欲しい。部活動にも精を出して欲しい。その上で「本校発展のために特別な力」を付け、それを発揮して欲しい。
・ 部活もせず、ただ授業だけで平々凡々と日常を流して「見た目教師の姿」では本校では活躍する場は幾ら待っても来ないだろう。「教師としての付加価値」をつけるということを忘れてはいけないのではないか。気力、体力頑張れるのは若いときだけだ。頑張って欲しい。

4月16日(木)その1:多聞週末スペシャル

・ 日曜日の「多聞尚学館開館式」の余韻がまだ体全体に残っている。それが「非常に心地良い。」これはもう昔あったNHKのプロジェクトX完結編みたいな感じになる。最もこれから「命を吹き込んで行く」のだから、「これからが大変な仕事」である。
・ しかしこれからはもう「教職員の仕事」だ。「理事長としての仕事」は多聞開館までであらかた完了した。これを単なる「箱物」に終わらせてはいけない。「魂を込めるのは教師の仕事」だ。勿論私も「最大限の支援」をする。

・ 第一回「週末学習合宿スペシャル(略称週スペ)」が終わり、明日から第二回が始る。1回目は「多聞開館式」と同時並行で行われ、昨日生徒の「アンケート結果」が報告された。1回目は3年生の2クラスで「数学と日本史」の1科目集中で初回と言うこともあり「講師陣はベテランと中堅エース級の投入」であった。
・ アンケート項目は色々あるのだが主なもので、「2泊3日の長さ」は2クラスとも「良い、丁度良い」の比率が「数学で100%、日本史は89%」である。「週末3日間は丁度よい具合」と分かった。
・ 次に「3日間全力でやりきれましたか」の問いには「とてもできた、まあできた」の比率は「数学で76%、日本史で51%」となっている。「ウーン。日本史は何なんだろうか」。
・ 「自分の実力が上がったと思いますか」の問いには「かなり上がった、少し上がった」が「数学で95%、日本史で83%」である。これは素晴らしい。1人でも2人でも「力が付いた」と感じてくれた生徒が居ることが目的だ。
・ 元々2泊3日で急激に力が付くなどありえない。しかしこの週スペで学習のポイントや勉強の仕方や自信などが付いてくれれば私は満足である。「刺激」を与えるのであり、考え方としては「個人指」の思想である。
・ 「1科目に絞ったことについて」は「して良かった」が「数学で46%、日本史で17%」である。「2科目以上やりたかった」は「数学で54%、日本史で83%」と出ている。ここは注目しなければならない「重要なポイント」だ。
・ 日本史は「物足りなかった感じか」。やはり数学に比べて記憶に頼る部分が多いから「飽きてくる」のかもしれない。しからば「世界史」と「日本史」の組み合わせで考えたらどうだ。これならお互いの教科が参考になり効果があがるのではないか。是非考えて欲しいものだ。
・ 元々「1科目集中」を考えていたが生徒にはどうも「1科目連続では飽きがくるのか」「集中力が途切れるのか」以上のようなアンケートになったのだと私は見ている。教師の中にも「2科目がベター」と言う人もいるらしいが、もう少し「様子を見てみたい」と考えている。
・ しかし私は言いたい。「飽きさせないように」「教材を工夫したり」「試験を入れたり」「散歩させたり」「自習にしたり」色々と「教師の技術」が問われるのではないか。まさしくここは「教師の腕の見せ所」なのである。2科目になったら「どっちつかず」で一つが「刺身のつま」になる可能性が高いから1科目に絞ったのである。私は前からこの点を強調してきた。
・ ところが分野を絞ったことについては数学で78%、日本史で83%の生徒が「分野を絞って良かった」と回答しているから「範囲集中の効果と効率」は生徒も認めているのが分かる。
・ 「教材」については「普通とやや難しい」の両方で「数学が86%、日本史で86%」となっており教材選択は今回の場合良かったと見える。「解説」については「良く分かった、分かった」が数学で「95%、日本史で77%が評価」している。如何に「解説することが重要」かを示している。
・ 全般に第一回週末スペシャルは「成果があったと評価」して良いと思われ、私は「一安心」である。教科指導以外については「教室に時計を」「トイレに鏡を」「風呂の脱衣所の床がべちゃべちゃ」「弁当に油物が多い」等とかあるが全て「生徒の為に改善対応」してやる方針で既に担当に指示した。
・ 飽きの来ないように「講習に変化」をつけるため「DVDモニター」を設置することも今朝決めた。「52インチの大型モニター」のスピーカーを付け「再生装置」セットでかなり「高価」であるが「役に立つ」だろう。私の支援だ。
・ 当面は1教室の設置だからその教室は「時間割を上手く組めば」使用頻度があがる。教室を入れ替わるのが面倒くさいなどとは言わせない。とにかく私はこの1年は多聞に「力を投入」する積りだ。「高価な買い物」であっただけに「成果を上げる」ことが求められる。
・ 講師陣についてもまず「私生活と健康に不安」がある先生は外すよう館長に指示した。2泊3日と言っても夜24時頃まで続く「スペシャルセミナー」である。まず「先生方の健康が第一」であるし、心に不安があっては「良い仕事」は出来ない。
・ 次に「順番、輪番」の類で講師陣は決めるものではない。館長が認め「卓越した教科指導力のある先生」が当たるべきであり、基本的には「教室の延長」ではないことは口が酸っぱくなるまで今まで述べてきている。その「力量」に「多聞ファンドからは特別な対価」をお支払いするのである。
・ 「大学受験教育に特化した講習」と言っても良いのであって、それに耐えられる「経験と意欲と可能性を有した講師陣を配置」するようにも今朝徹底して館長に指示を出した。勿論「若い先生を育てる」ことも大切であるが最初は「見習い」からとなるのは仕方がない。
・ 多聞の講師に選ばれたから「専任へのキップを手にした」ということにはならない。対価をお支払いする「契約関係」なのである。そうしないと家庭科や美術や神道科などは多聞での講習などやろうにもニーズがないではないか。
・ 専任教諭になるということは「教科指導力を含めて全人間力での評価」である。それに本校の校風に合致するかどうかである。「若い常勤講師の先生、全ての人にチャンスはある」。自らの手でそれを掴み取らなければならない。与えられるものではないだろう。
(以下その2:に続く)

2009年4月15日水曜日

4月15日(水)祖霊社に合祀

・ 一昨日の事だが突然の「ご来客」があった。ご来客と言っても「特別なおもむき」で訪問をされたのである。私や副校長と同年輩の男性お一人とご婦人が3名であった。男性は和歌山の有田から女性のうち、お一人は奈良の橋本であるが他の御2人は埼玉県にお住まいである。わざわざ埼玉からお越しになったのである。
・ 用件は一人の男性を本校の「祖霊社に合祀」して欲しいというものであった。この男性は昭和39年に卒業し、本日同席された男性も同期の卒業生で兄弟のような関係であったという。ご婦人方は合祀を希望される故人のご兄弟であり、兄弟姉妹4人のうち、たった一人の弟であったとお話された。
・ 亡くなられた男性は何時も「母校である浪速高校学校」のことを話されていたとのことで、遺品を整理していたら高校時代の資料をすべて残し、「卒業式の校長先生のお話の資料」まで出てきましたと、涙ながらに女性はご説明された。
・ 女性兄弟はすべて「名前が変わっていき」、弟はこの和歌山の男性を実の兄弟のようにして「付き合って」いたといわれる。その方に相談の結果、浪速には学院神社と祖霊社があるから、そこに祀って貰ったらどうだろうと考えて今日の訪問となったものだ。
・ お話の間中女性の兄弟は涙を流され、余程仲が良かったのであろう。弟の残したものからと言われて「大金」を祖霊社に差し出されたのである。私は急いでネクタイを通常のものから式用に変えて、手配のついた英語科のT教諭に頼んで合祀の斎行をして貰ったのである。
・ この先生は実家が神社で資格を有しておられるから全く問題はない。元来は神道科の先生が御奉仕するのであるが生憎授業中であったからだ。しかしいつ何時このようなことが起きるかも知れないが「気持ちよくご奉仕」してくれる先生を抱えているのは嬉しいことだ。
・ しかし「良い話」ではないか。亡くなられたことは悲しいことであるが、生涯の友人を浪速高校で得て、全ての資料を几帳面に押入れの中のダンボールの中に入れ、母校のことを話しておられたと言う。調べてみたら校長先生は平岩先生と分かったが何方が担任の先生であったのか不明である。
・ お姉さんが言われた。堺の初芝に住み、鶴橋に移って、父の事業の失敗で一家を挙げて埼玉に移住し、「変転極まりない弟の人生」でした。サラリーマンとしてある程度の地位には上りましたが家庭生活は必ずしも幸せなものだったとは言えなかったと思います。
・ しかし弟がこのように高校時代を懐かしみ、たった一人の高校時代の友を親友としてお付き合いさせていただきました。私たち兄弟は既に他家にとつぎ、お墓もママ成りません。「どうか弟の母校の祖霊社に祀ってやって下さい」と泣きながら頼まれたのである。

・ 昨日は終日雨であったが中学1年生が多聞で「入学オリエンテーション」を日帰りでやると言うから朝10時の開校式に「校長講話」をした。行って、しゃべって、帰っても3時間で済む。「近い」。これがとにかく素晴らしい。しかし120名の中学生というのは「実感として多いなー」という感じがした。これが3学年分となると360名になる。それを目指して来年も頑張らねばならない。
・ 私は「中学生を特別に大切にする」。「いじめ防止」「携帯電話の使い方」「しっかりと勉強する」この3点を話した。静かになるまで時間がかかるがいったん静かになると中学生はその状態をキープする。
・ 問題は高校生だ。幾ら注意しても中々静かにならず、先生が「大声」を出したら「瞬間」静かになるが、1分後又「ざわざわ」だ。何であんなに話すことがあるのかと思ってしまう。大体女生徒に多い。

・ 今日は午後河内長野市役所に出かけて「市長と面談」した。言ってみれば「表敬訪問」である。多聞尚学館を入手した千早赤阪村と市町村合併する河内長野市のトップであり、もとは市内の私立学校の教諭だったお人である。
・ 私が買収を急いだ理由の一つに「河内長野との合併の前に千早赤阪村から買いたかった」のである。千早赤阪村でなければならないと思っていた。売却金額は千早赤阪村で有効に利用されなければならないと考えていた。しかし河内長野の行政、市議会当局には「様々な意見もあるだろう」と慮って市長に会い「一連の報告」をしに行くことを決めたのである。
・ 市長は大変立派なお方で話は当然「教育改革」に終始する。市長は間違いなく「教育者」である。公約は「教育立市」である。社会科の先生であったお人で特に「歴史」がご専門であらせられ、今日も先生の著作「幕末太平記」「「啄木・賢治・太宰 じょっぱり」の2冊と幕末太平記の「シナリオ版」を頂いた。
・ 特にシナリオ版は第101回コスモス文学シナリオ部門の新人賞受賞作品で直ぐ読んだが素晴らしい。表紙の見開きに「日々維新」の言葉がある。これで理解できたのである。市長の名詞には大きな文字で「日々維新」とあった。読む楽しみが増えて嬉しい。頂いた「幕末太平記」のことは読後ブログに感想をまとめたいと思う。
・ 長身でハンサム、知的なお方で、「浪速改革」のことも当然ご存知であった。一度多聞尚学館をご視察して欲しい旨お願いした。今回のことは一つの「モデルケース」だと言って頂いたのである。

・ 事務長を東京に出張させた。本当は私が行かねばならないのだが、どうしても「こちらの仕事がまず優先」となる。公立時代にとにかく学校の外に出かけることが好きな校長が居たが基本的に校長は「でんッ」として校長室にいなければならないというのが私のスタンスだ。
・ 事務長の出張目的は「私学助成共済事業団」に「経営報告」をするためである。2年前に危機的状況に陥り、「レッドカード」が切られ、それ以来定期的な経営改善状況の報告が求められている。
・ 結果は「浪速さんみたいな学校の話しを聞くのは久しぶりで、こちらも元気になります。」と言われたそうだ。特に大阪では「極めて厳しい学校が数校ある」との事らしい。経営の改善からすれば「新校舎」を少し「早められたら如何ですか、煽るわけではありませんが」とまで言われたという。
・ 「有難い話」だ。金利が低く、建設資材価格も低い今がチャンスではないかと言われているのだ。しかしそれにしても全国の私学の経営状況の厳しさの中で「浪速の上昇気流」を高く評価してくれているという。校長のブログも読まれているとのことである。嬉しい限りである。

2009年4月14日火曜日

4月14日(火)私大生の生活費

・ 「多聞尚学館」の開館式も無事に終えて1月以来の重要な行事、イベントなどがすべて終わった。授業も始まり、学校には「落ち着いた雰囲気」が戻ってきている。このようにして「新年度」は始まっていく。
・ 「3年生は静か」であるし「1年生はようやく学校に慣れてきた」というところか。2年生は前にも書いたが5月末の「修学旅行」の準備で大変である。学年主任と担任の先生が走り回っている。「ご苦労様」
・ 気になるのは卒業した3年生が上手く「大学に馴染んでくれているか」ということである。これは高校関係者にとっては気になる問題で折角大学に送り込んでも「イメージと違う」「この学部ではなかった」などと「五月病」に罹ることだ。
・ もう一つは進学した大学の経営状態である。4月8日のブログにおいて今大学が「学生募集に躍起」で「ホームページ」なども従来の概念を超えて学生主体で高校生参加とか「イメージキャラクターの出現」とか様々な様相について書いた。言い換えれば「なりふり構わず生徒募集」に走っているとは言わないが、イメージ宣伝などで「誤った幻想」を高校生に与えるようなことがあってはならない。
・ しかし「私学経営については厳しい財政状態」であるらしい。約半分が消費収支の赤字で毎月毎月資産を食い潰している、言って見れば、「体力を消耗」しているのである。大きな要因は「学生が集まらないから」であるがもう一つの要因は「私学補助金の減少」である。
・ 「日本私立学校振興・共済事業団」は国が08年度に私立大学や短大、高等専門学校に交付した補助金の状況を発表した。4月6日の朝日他各紙が報道している。それによれば「873校に3248億円が交付されたが前年度から32億円少なかった」という。
・ 07年度から毎年1%ずつ5年間減額していくことを決めている政府の「骨太の方針」に沿ったもので2年連続の減少である。「真綿で首を締める」ようなやり方で本当に私大経営者は大変だと思う。
・ 交付先の内訳は「大学536校、短大334校、高専3校」で交付額のトップは学部生が6万9千人と最も多い日本大学で112億円、4万8千人の早稲田が93億円、医学部のある慶応義塾が89億円で3位であった。
・ 厳しいのは東北文化学園大学(仙台市)、創造学園大学(群馬県)、瀬戸内短大(香川県)、夙川学院短大(神戸市)の計4校は「経理に不適正」な点があったとして「交付が見送られた」と言う。
・ 又大幅な定員割れや「超過」などを理由に補助金を申請しなかった大学短大も47校あったと言う。「入れすぎても駄目」なのである。まさしく「私学冬の時代」である。我々も注意し、とにかく「コンプライアンスの精神と透明性」が最も重要である。
・ しかし大阪府の橋下知事がやったことは年率1%で5年間などの生易しいものではなかった。一挙に「私立中学で25%、私立高校で10%が削減」された。そして今年の生徒募集状況であった。「公立回帰」が確実に観察された。
・ 昨日大手の教育旅行社の支店長が久しぶりに見えられて色々とお話したのであるが話題はやはり各私立高校の今年の入学者数であった。この支店長は私のブログの読者で「全く今年の私学受験模様は例年と変わった」と私の見方を指示してくれている。
・ しんどい学校には生徒が溢れかえり、中位の学校が「割を食った」というか、公立回帰の「津波」をもろに受けているとの状況はその通りであり、学校単位で明暗が分かれているという。又大きな特徴として大学の系列にある高校が必ずしも生徒を集めたとは限らないと話があったがその内に中高連からまとめが出てくるだろう。

・ 大学生の生活はどうなのであろうか。ここに興味深い記事がある。「私大生の生活費も月度3万6000円」」にとの見出しの7日の日経の記事である。これによると首都圏の私立大に昨春入学し「自宅外通学」している学生の生活費が「13年連続で減り過去最低の36000円」になったというのだ。
・ この数値は「東京地区私立大学教職員組合連合」の家計負担調査で分かったという。この生活費では学生はアルバイトに頼らざるを得ない。首都圏の学生も地方から上京しては「日常生活が苦しい」のは目に見えて分かる。一日幾らで暮らせというのか。
・ この生活費は仕送り額の平均値95700円から家賃平均59700円を引いた値であるが、過去最も多かったのが1990年の73800円で現在は半分に低下している。それが36000円だ。
・ 計算すると「一日当たりの生活費は1200円程度」だから、これではろくなものが食べられない。勉強どころではない。従ってアルバイトにうつつをぬかすことになりかねない。日本は奨学金制度がアメリカみたいに充実していないからである。
・ 又自宅外から通う親の平均世帯年収は前年から45万円源の915万円9千円というから「最早年収1000万円ないと子どもを東京の大学には行かせられないのか」。受験料や初年度納付金、住居費などの入学の年にかかる費用は約305万円で年収の33%を占めている。
・ 学費などの負担について「4割の保護者が大変重い、重い」と回答した人の比率は91%だと言う。このため自宅通学生を含め5人に一人が入学費用などを「銀行から借り入れ」ており平均借入額は164万2千円と言う。「ローンを組んで子どもを大学」にやらねばならない。
・ 当然「奨学金」を希望しており、64%の保護者は希望し自宅外通勤では71%に達している。東京私大教連は「父母と学生の教育費負担は限界に達している。私大助成の増額や奨学金制度の拡充などで経済的負担を軽減することが急務」とコメントしている。

・ 私は以上のような記事や現実に大阪の公立高校私立高校で起きた今年の受験模様から「日本の教育システム」が大きく揺らぎ始めているということを実感する。ここまま行くと間違いなく「学歴神話の崩壊」に繋がるであろう。
・ 苦労して大学に行っても経済情勢は厳しく、就職に苦労し、デフレの中で昔のように高給や雇用の安定が期待できないとなったら一体どうなるであろうか。すでに高校段階からその兆候が出始めている。
・ 無理して「高校に行きとうはないが、親が高校までは行ってくれと泣くから受けに来た」と言う比率は徐々に増えてきている。今年の公立私立高校の受験にそのような気配が出てきている。定時制の受験生が溢れかえっているのだ。新聞記事である。
・ もう一つは都会の大学に「ファッション感覚で行く時代の終焉」だろう。私はもう一度「地方の大学の復権」が始るのではないとも感じている。「本当にしっかりと勉強する学生」が「地元の大学」で自宅から通い、学ぶというスタイルが再度正当化されるかも知れない。「大学の地方分権」である。
・ 私立大学はより大きい所はより大きくなって駄目なところは「淘汰」されていく。私大の半分がなくなれば日本における大学の存在価値は上がり、高校生はそれを目指して頑張るであろう。「大学卒業の意味」をもう一度我々は確認すべき時代にきているのではないか。
・ 大阪の私立高校で東京のブランド大学を冠に付けたものの今年の入学者数が20名以下と言う信じられない状況を「週刊誌」が取り上げている。「○○○大学の誤算、入学者が○○名と言う悲劇」とかなんとか。名前だけでは生徒は取れないのだ。年収1000万円ないと子どもを東京には行かせられないのだ。

2009年4月13日月曜日

4月13日(月)回転寿司

・ 昨日の「多聞尚学館開館式」の余韻がまだ体全体に残っている。それが「非常に心地良い。」昔あったNHKの「プロジェクトX」みたいな感じだ。最もこれから「命を吹き込んで行く」のだがこれはもう「教職員の仕事」だ。「理事長としての仕事」はあらかた完了した。単なる「箱物」に終わらせてはいけない。「魂を込めるのは教職員の仕事」だと思っている。それはそうだろう。誰も「異議」はあるまい。
・ 特に部活動の「演舞」をしてくれた「雅楽部」「ブラスバンド部」「剣道部」「空手部」には特別に「校長激励賞」を出すことにした。ブラスバンド部には300万円の予算で「打楽器」を中心に楽器を揃えてあげることを既に実施した。
・ 雅楽部には「礼装」を新調してあげることとした。これは結構高いものつくが仕方がない。加えて彼らはこの8月にロータリー国際活動にのっとって「韓国」に派遣することを決めている。
・ 剣道部と空手部については本日昼休みに生徒を部屋に呼んで演舞をしてくれた生徒に「図書券」をプレゼントした。しかし昨日は「圧巻」だった。私の隣の名誉理事長も目をぱちくりさせて驚いておられた。
・ とにかく迫力があったのである。パーティの最中多くの人が「浪速の文武両道」を賞賛してくれた。「私の意とするところ」であり、ご褒美をあげたくなったのである。しかしこの両部には「びっくりとするようなビッグプレゼントが来年末くらいにはあるかも知れない。

・ 秘書から昨日の「引き出物」を頂いた。頂いたというのはおかしいが、昨日教職員よりは一足早く帰ったので私の分(?)を持って帰らなかったのである。自分で用意した物を自分で持ち帰ると言うのは少し「奇異」に感じて、余ったら貰うからと言っていたのだ。
・ 中身は「三田屋のハム詰め合わせ」である。どうして知っているかというとそれは私が選んだからである。事務長補佐と式典の担当の二人は色々考えたらしいが彼らの発想は「お菓子」しかない。それもホテル特製のお菓子である。しかし引き出物に「洋菓子」など貰って嬉しいかと私は言ったのである。
・ それで私は「ハム、ハム、ハムなどが良い」と言ったのである。そしたら事務長補佐は探してきた。「金剛山山里で作られた幻の手作りハム」というやつだ。私は飛びついたが結局数が揃わないことが分かった。相当交渉したらしが駄目だったらしい。
・ 事務長補佐は我孫子の阪急に行った。携帯電話がなる。「冷蔵品だし、数も無い」と又ここでも言う。「近鉄に行け、なかったら高島屋に行け」と私は言う。そしたら近鉄から電話があり、「ありました、ありました」「三田のハムで有名らしいです」「数も揃うそうです」「明日、時間までに多聞に届けてくれるそうです」。私は言ったのである。「それ、見ろ」ってね。そのようにして昨日の引き出物の「ハム」は入手できたのである。事務長補佐が苦心して探してきた代物なのである。

・ 「大きな仕事の節目の後」はどういうわけか「外食」したくなるのは何故だろう。何時も考えてしまう。そういうわけで今日も外食を決めた。ところがどこに行くかとなると、これが難しくて色々と考えてしまうのだ。
・ 又疲れを感じている時は「イタリアン」とか「フレンチ」とか「肉料理」とかは「体が敬遠」してしまう。従って私の場合はこういう時に「回転寿司」に行くことが多い。最大の理由は基本的に「魚料理」だし「体に優しい気」がするからだ。又とにかく待つのが嫌な私としては「待ち時間が全く無いからだ。」回ってきたものを「ひょいッ」と取れば直ぐ食べられる。
・ とにかくミナミには回転寿司店が多い。「回る元禄寿司」「がんこ寿司」「赤垣屋回転寿司」「348(さしみと読みます)回転寿司」「大漁寿司」など数え上げられないほどある。大体全てのお店を私は経験している。
・ 何時行っても大体満員で行列を組んで待っている客も目立つようになってきた。完全に「認知されたレストラン」になった感じだ。しかし一昔前までは「入るのが恥ずかしかった」。しかし今では平気で入れる。
・ 私が小さい頃は「握り寿司」などは「超超高級品」で1年で何回も食べれるようなものではなかった。父親が時に持ち帰る「寿司の詰め合わせ」などには子ども心に興奮したのを覚えている。庶民には「高値の花」だったものがこのように今や「庶民の食べ物」になったのは素晴らしいことだ。
・ 「誰が回転寿司を発明したか」お分かりか。私は知っている。ただそれが真実かどうかは分からない。調べたことが無いからだが、また調べる気もない。「元禄寿司」に言わせると昭和33年に東大阪布施で元禄寿司を始めた白石さんというお方が「ビール工場のベルト」を見てひらめき、発明したという。
・ 最初は「コンベア旋回食事台」と言ったという。全国に広まったのは昭和45年の日本万国博覧会に装置を出品してからという。私の感覚ではここ10年くらいで「ポピュラー」になったもので、昭和45年とは随分ギャップがある感じである。
・ 私は回転寿司で食事をする「人々の挙動を観察」しながら食べるのが好きだ。私など「アッ」という間に十数皿が空になるのだが、時間をかけて回ってくる皿を見つめ、取るのかと思ったら見過ごしたりする人もいる。こちらは「いらいら」してしまう。多いのは既に自分の前を過ぎてしまっているのに手を伸ばして「他人の前の皿を取る人」や、直ぐに回って来るのに「右側の人の前の物を横取り」したり、焦ったり遅れたり色々とある。
・ コンベアに回ってきているのにいちいち「オーダーする人」もいる。どうして目の前のものを食べないのかと不思議だ。そうかと思えば私の皿の数を時々「チラッ」と見て皿の数を数えてくれたりしてくれる人もいる。人の食べた皿など数えるなって。僕など皿の数が多いから時々恥ずかしくなる。
・ 面白いのは指を出して「自分の皿の数を数えて」、やおら次の皿に手を出す人もいる。「わさび」をわざわざネタを外して自分で追加する人も時々目にする。又「ガリ」という生姜のピクルスばかり食べる人も時々だが目にする。
・ お茶は危険で結構力を入れないとお湯が出なく、湯飲み茶碗を正規の位置に置いてボタンを押さないと、そこらじゅう「お湯がこぼれて大変な事態」になる。一度やられて大変だった。だから私は両隣には気をつけている。大体回転寿司店は「狭くて」物を置くスペースなど無い設計だ。
・ 人間を詰め込むように設計し、そして「人間の回転を早くする」ように考えている。回転寿司とはお寿司の回転ではなくて「人間の回転」ではないのか。私はそのように思う。だから回転寿司で勤めている人は早口で大声できびきび、忙しそうにしており「いささか落ち着かない感じ」がする。
・ しかし回転寿司も「国際的」になってきて、心斎橋筋にあるお店などは今や韓国や中国の方の「ツアーのルート」になっている。ネタも寿司ネタといわれるオーソドックスなものから色々と出現してきている。この前は皿に乗って「シュークリーム」が出てきたのには驚いたのである。
・ 回転寿司が安いかといえば最近は「そんなに安くは無い」とも思うようになってきたがそれは高級な「江戸前すし」などに行っていないからだと思う。やはり「安い」と思うし「ネタも新鮮」ではないか。完全に「社会的認知を得た料理」である。しかし一度行くと「しばらくは行く気がしなくなる」のは何故であろうか。それに「もくもく」と話し声など聞こえないでただ回ってくるのを掴み取り、食べている光景も何か「異様な感じ」がするのも回転寿司の特徴である。

2009年4月12日日曜日

4月12日(日)多聞尚学館開館式

・ 「わが生涯最良の日」と何時も良い時があると「口癖」のように言うのだが、僕の場合、それが多すぎる。一つの仕事をやり遂げた時に何時もそのように感じるのであるが、もう目標は次に向かっており、又数ヶ月先に「わが生涯で最良の日」と言うのは間違いない。しかし今日は「特別な日」となった。「特別な我が最良の日」であった。
・ スポーツ選手が良い記録を出した時など「自分を褒めてあげたい」とか言う時がある。こういう言い方は「仕事師人間」「プロ仕事人」と自負している僕には向いていなし、どちらかというと嫌いであるが、今日は瞬間でも些かそのような気になった。年を取ったせいかも知れない。後何回このような仕事ができるだろうか。
・ お金の無い時から、今や「無借金」で「校外学習合宿施設」を手に入れたのだから私の気分は高揚する。千早赤阪村と言う「太平記の世界」、日本の歴史の中で天皇親政「建武の中興」の「日本史の大舞台」にもなったこの地に、このような「資産」を得ることが出来たのだ。
・ 知っている人はまさか「2年で」でと思ってくれるに違いない。「まさか」という言葉があるがそのまさかで本校は格好の物件を手に入れた。「千早赤阪村村長様始めご関係の皆様のお蔭」である。今日ご出席頂いた方々と「深いご縁」を頂き、「何か血縁を結んだ」感じが僕にはした。
・ 生徒も教職員も大変喜んでくれ、もうこれで京都や琵琶湖周辺の宿泊場所を探し回る必要もなくなった。行きたい時に行ける場所があるだけでも「幸せな気分」になるではないか。最後の打ち上げで誰かがそのように言っていた。「分かる、分かる。」もう年間の週末は全て埋まっており、この14日には中学1年生が「入学オリエンテーション」を多聞でやるそうだ。
・ 昨年の10月16日に初めて物件に触れて「丁度半年」である。まだ校庭にある桜の巨木が花を誇っている今日、ご関係の皆様をお迎えしてこのように「盛大に開館式を挙行」できたのは本当に嬉しいなどの単純な表現では表すことは出来ない。誰もこの2年間の「僕の気持ち」など理解は出来まい。それで結構である。ただ「多聞尚学館が教職員の目の前にあるという事実」だけで十分だ。
・ この多聞は最初から最後まで私が千早赤阪村と交渉した。「誰にも任せなかった」。ただ改造工事については事務長補佐と、出入りの建設業者の専門家を当方サイドのポジションに立たせ、3人でチームを組んだ。この二人が「私の思いを具現化」していってくれた。多聞はこの3人での合作であると言える。
・ この補佐は重要な村当局との会談にも同席させ、先方の窓口である総務課長ともコミニュケーションを取らせるように配慮した。事務長補佐と何回二人で千早赤阪村に行ったことであろうか。「影の功労者はこの事務長補佐」だ。式典に先立ち地元の「建水分神社」のご斎行で「四方払いお清めの神事」をして頂いた。「雅楽部」のみやびな音色が晴れ渡った千早の空にこだましていった。
・ 式典における冒頭の私の挨拶は「今日に至る経緯を校長日記を振り返る形」でお話しした。とにかく12月以降多聞のことばかり書いている。松本村長も「阿吽の呼吸」で素晴らしいスピーチをして頂いた。その後初代館長の副校長先生が「多聞で何をやるか」を説明され、次にご来賓として府議の鈴木先生、塾代表として㈱イングの青木社長からご祝辞を頂いた。
・ こういう時には必ずと言っても「その人の歴史」が語られる。来賓お二人のスピーチには私個人のことが何回も言及された。確かにその時々だけではなくて「過去の蓄積」が今日ある姿だと考えれば話は分かる。「スピーディに行動力と熱意で物事を先取りして実現する男」というようなお話だったように聞こえた。恥ずかしい限りだ。そしてまとめが名誉理事長の謝辞で「大阪府神社庁の本校に対する姿勢」をお見せしたのである。
・ 「今日で浪速は完全に変わった感じ」がする。「変わった証明がこの多聞尚学館」である。教職員全員の力で購入することが出来た。このことだけは間違いない。本校では私が着任以来折に触れて全教職員に「財布の中身」を開示している。借金が幾ら、定期預金が幾ら、手元現金が幾らと公開してきた。教員は全てを知っている。これで一応の「新生浪速の草創期」は終わったと思う。明日からは次の段階である。「ステップが一段上がった」のである。
・ 第一部は以上のような式典、第二部はアトラクション、第三部は午餐パーティの組み合わせであったが「今日のハイライトは第二部」だったと思う。誰もがそのように思ったことであろう。「剣道部と空手部の演技というか模範試合というか演舞」というか言葉が無いくらい素晴らしかった。
・ 顧問の先生と生徒の呼吸がぴったりとあい「師弟関係の美しさ」も感じた。「迫力」あるまさに「文武両道」を地で行く「浪速の真骨頂」をお見せすることができた。そして最後が「ブラスバンド部」だ。圧倒的に女生徒が多く「華やかであるが品がある演奏」は経った2年でここまで伸びるかという感動の演奏だった。
・ そして多聞尚学館のイメージソングとして「青葉茂れる桜井の」の「扁額の除幕式」があり、揮毫は泉州にお住まいの「書道家前田芳陽先生の幅2メートルもある大作」である。気品に溢れ女性の筆とは思えない勢いのある字体である。村長も副村長も感心されていた。
・ そしてブラスバンド部の伴奏で司会の勧めもあり、私が「青葉茂れる」を6コーラスすべてを前に出て、恥を承知で歌ったのである。会場のご年配のお方も合唱してくれ、私は思わず5番の歌詞「行けよ正行ふるさとへ、老いたる母の待ちまさん」のところでは感極まってしまった。
・ とにかく極めて多くのお方が参加していただいて総勢180名である。その中に前にブログにて紹介した瀬戸様という妙齢のご婦人のお姿があった。「毎日1000円ずつ机の引き出し貯金をして1年分365枚をご寄附頂いたお方」である。なんと今日はあれから「100日」と言って1000円札100枚を頂いた。こちらは汗が出るやら感激するやらであった。
・ 第3部は「大ホールでのパーティ」だ。冒頭道明寺天満宮の南坊城宮司よりご挨拶を頂き、次は地元の区長様の音頭で「乾杯」である。堺ロイヤルホテルの料理は量も味も大変良く支店長は私の反応を気にされていたが「最高」と言って上げたら大層喜んでおられた。確かに旨かったと思う。地元の方々も美味しそうに召し上がっておられた。
・ お客様には「引き出もの」をご用意し、お送りした後全教職員で「打ち上げ」をした。教職員は本当によくやってくれた。お客様が大変喜んでお帰りになられたのは接待に当たった「教職員の誠意」があったからである。「良い学校」になった。私はボランティアで今日お手伝いに来てくれた教職員に深く感謝の気持ちを表した。中でも司会に当たってくれた入試広報室のT副室長と支えたメンバーの功績は極めて大である。

2009年4月11日土曜日

4月11日(土)小中一貫教育

・ 今朝の朝日に神戸市教育委員会も11年度から「小中一貫教育」導入と小さな記事があった。ここに来て公立の小学校、中学校において「小中一貫教育なるもの」が目立ち始めている。大阪市が11年度、横浜が12年度からだ。
・ ところで多聞小学校を買収したとの話が府内に流れた時に少なからず「浪速さんは小学校を始められるのですか」と聞かれた。思わず「苦笑」したものだった。確かに今や大学が小学校を設置し「囲い込み」をしようとしている状況下にあり、分からない話でもない。しかし今は全くそのようなことを考えていない。あんな山里で小学生が確保出来る筈もなく、生徒がいないから「廃校」になった小学校である。
・ しかし今、公立学校では小中一貫教育が全面に躍り出てきつつある。一種の「ブーム」である。ついこの前には「2学期制導入」がブームの如く躍り出たがこの風は「ピタッ」と止んだ感じがする。そうだ。「教育の世界もファッション」と同じような面があり、「流行に振り回される」きらいがある。しかし横浜も大阪も神戸も大都市だから注目に値する。
・ しかしついこの前までは「中高一貫教育」といい、今度は小中一貫教育だからいい加減なものだ。その内に「幼小一貫教育」などの言葉も出てくるかもしれない。一挙に「幼小中高大」と1直線のシステムに向かって行っている感じだ。
・ しかし考えても見よ。幼稚園から大学まで一本線の教育システムで厳しい受験勉強も無く、それで世界に伍していけるしなやかでたくましい生徒学生が育つだろうか。そこには海外の大学進学などの発想は無い。全く持って日本人の「内向き発想」である。
・ 小中一貫とは小学校の6年間と中学校の3年間を一体的に捉えて教えるシステムであるが組み合わせはいろいろとある。小学校1年生から「4-3-2、3-4-2、5-4の3種類の組み合わせ」である。
・ 私も詳細勉強したわけではないので良く分からないが一言で言えば「小6ギャップ」「中1ギャップ」対策だろう。とにかく小学校6年生と中学校1年生で「学校適応力の問題がある」ことが背景にある。今はどちらかというと中1ギャップのほうが問題となっている。
・ 狙いは「小学校から中学校への段差」を滑らかにするものであり、「軟着陸」を図ろうとしているのが基本的考えである。中学に進んで急に「授業の進度」が速くなったと感じる生徒が多いとのことで特に小5,6年生は「教科担任制」を取ることが目玉だ。
・ 小学校は「担任制」で何でも間でも一人の担任が面倒を見るのであるがこの限界を改めるということではないか。これは大変「良い考え」だと思う。大体小学校教育で一人の担任が全てを見るというのは「その先生一人の全人格」が小さな生徒に降りかかってくる。私はここを危険視しているのだ。幼いながらも「先生には色々なタイプがいる」ということを肌で感じさせることが必要である。
・ しかし小中一貫教育の理念は良いが上手く「機能」するように仕組みを作らねば「魂入らず」となる。横浜や大阪市、今度発表した神戸も校舎の一体化や校名の統一までは考えていないという。ということはそれぞれに校長が居るということである。ここが問題だ。
・ 普通は一つの中学校に学区内の2ないし3の小学校がある。これを「1中2小」とか「1中3小」とか言うのだが形はそのままだとすると「出来ることは限られるのではないか」。
・ 中学校の教員が小学校に教えに行き、小学校の先生が中学1年生の生徒に小学校の算数をもう一度教えにいくというのは口に出しては分かるがどのようにカリキュラムを組むのか難しい面もあろう。
・ 校長を一人にして小学校、中学校に副校長を置き、「連携を強めれば」効果は大きいと分かるが生徒の安全や費用などを考えれば大変になる。だから出来る範囲でやっていこうと言うのが今回のアイデアだろう。
・ しかし私立中学校からすれば前述のような形が望ましい。それは小中一貫教育を受けている生徒が中学は公立に行かず私立に進学したいと行って来た時の対応だ。公立小学校のカリキュラムが様々だと私学に進んだ時に「学習進度の調整」を取らねばならないという課題もでてこよう。
・ とにかく今全国の自治体で動きが出て来た。香川県直島町立直島小中は5-4タイプだ。3-4-2は宮城県登米市立豊郷小中、主流の4-3-2タイプは東京都品川区、広島県呉市、宮崎県小林市、宇都宮市などだと報道されている。
・ 現在の学校教育法は「6・3制」を明確に規定しているがどうも「運用面では柔軟に措置」できる雰囲気になってきており確かに戦後60年を過ぎて6・3制も見直す必要があるが見直せない理由は「莫大な費用と人事」なんだろうと私は思ってしまう。
・ 実は08年度で小中合計で1566校が「教育課程の特例校」としての指定を受けており、その地域の教委委員会の強力な指導力でやり方は様々に出来るのだから是非弾力的に進めるべきだと思う。
・ そして公立が小・中・高と一貫に出来た時に日本の教育は変わるだろうが、ところがそれは「一筋縄ではいかない話し」である。大阪府と大阪市の仲の悪さは有名で水道事業一つ,簡単にまとめられないレベルだ。まず「教育委員会の意義再検討の議論」が必要である。
・ 又「道州制」などが俎上に上ってきたら他府県との接続も議論になるだろう。私は思うのだ。戦後の教育の枠組みを再構築することこそ今の日本に必要な国家百年の体系」だと思うのだが政治は教育に疎いし余りにも鈍感だ。
・ 「国立大学は大学法人となり民間に1歩近づいた」。これで基本的には大きな障害は無くなった筈だ。後は高等学校の公私間の垣根を取っ払い、次に小中の一貫教育を一人の校長で行うのだ。その校長は公務員では駄目だ。即ち「公設民営」とする。そうすれば教職員組合も「経済闘争に特化」していく。イデオロギーとは決別せざるを得ないだろう。
・ 戦後60年継続された日本の公教育は実は「極めて狭い閉鎖された塀の中」でやられていたもので外部には窺い知ることさせ出来なかった「治外法権の世界」であった。「鉄は熱い内に打つ」ことが肝要で「小学校中学校教育改革こそ最大の問題」である。今後とも紆余曲折はあると思うが徐々に「教育改革の本丸」に近づいた感じがする。小中一貫というのは過程にある一つの形である。

・ 明日は「多聞尚学館の開館式典」だ。保健体育部長の運転する学校車で13時、学校を後にして多聞に向かう。準備状況の視察であるが万全でほぼ整っていた。素晴らしい。教職員が頑張ってくれている。明日が本当に楽しみになってきた。明日は「ご来客を心から歓迎してサービスに努めたい」。

2009年4月10日金曜日

4月10日(金)春季例祭

・ 今日は「春季例祭」の日である。朝二コマ使って正式に「学院神社」への参拝である。昨夜の「合祀祭」とセットのものでその翌日に行われる。「春の祭」は新入生を迎えての「奉告」と教職員も生徒も健康で明るく無事に学校生活が送られることを願い、そして本校のいよいよの発展を祈念し、更にこの1年間の努力を見守って欲しいと「誓い」を込めて行われるものだ。
・ 神社庁の庁長、大阪天満宮宮司にも出席して頂けた。お祭りの斎行は「大阪府神社庁」から正式の神職が派遣される。今回は座間神社のご担当であった。例祭が終われば「直会」と言って神に供えられたものを頂くのであるがこれは「神の魂」の入ったものを神様と共に頂くという神道では意味ある行事であるが本校では生徒に「ノート」などが配られる。教職員には昼食弁当が「直会」として振舞われる。
・ このようにして徐々に霧雨のように頭から体全身に「本校のアイデンティティ」を生徒は浴びながら「神道の世界の理解を深めていく」のである。そして次の神道行事は秋の例祭であるがこれは「浪速祭」とドッキングしており春季例祭と「味わい」が少し異なる。このことは又秋に。
・ 1年生は初めてのことで静かにしていたがどうも2年生が少し「弾けて」、式の最中、少し「ざわざわ」して神道科の先生にお目玉を後で食らっていた。3年生は随分と大人になったものだ。静かにこなしてくれている。ついこの前まで2年生での「ざわざわ」がこのように静かになるのが「いとおかし」だ。

・ このように学校行事が粛々と進行していく中で実は5月の「修学旅行」の準備が本格化している。学校という組織で素晴らしいと思うのは「準備に万全」を期すというシステムが結構教職員に動脈のように行き渡っているということであろうか。
・ 私など民間出身からすれば「そこまで書いて、そこまで心配して用意するか」と思うときもあるのだが、先生方は必ず手順を踏んで細部まで規定しながら準備をしてくれている。
・ ただ「書いたマニュアル」どおりには行かないのが普通でマニュアルに書いた通りの事案はスムーズに処理するがいったん「想定外」のことが起きると「あたふた」するのも学校文化の特徴である。
・ 「学校バッシング」になるのは大抵の場合「あたふた」するか「ボー」としていて肝心なことを「タイミング」よくしない場合が多い。特に「保護者対応」だ。大切なことは「初動」であり、まず「起きたらすぐ動く」ことを心得ていたら、問題は拡大していかない。
・ ぬかるみにはまり、もがけばもがくほど沈んでいくのは大抵の場合、初期に「ボタンの掛け間違い」が修正できずにそのまま進んでしまうことである。最近でもこのような事案があって本当に大変だった。
・ そういう時に効果あるのは「管理職が速やかに動く」と言うことであり、先方も管理職が出てきて「最初に頭を下げたら」大体決着する。しかし教員出身の管理職と言うのは概して「頭を下げるのが苦手」である。テレビで時々校長が謝っているシーンがあるが、「あれでは遅い」。

・ 話が横路にそれたが今回は「初めての海外修学旅行」だから何としても成功させなければならない。「付き添い教員」をどうするかが問題である。今年の行先はオーストラリアである。英語圏でテロなどに比較的安全圏だからと、選択した場所なのだが、決定した当時の状況は「原油高」の時代でもう大変だった。毎日毎日状況が変化し、機材の変更や、路線の廃止などで振り回された感じである。
・ 結局海外組は4班に別れて一日違いで順じ出発するという「機関銃発射」の出発の形となった。関空便が無く1班は、申し訳なかったが「中部空港からの出発」というのもある。朝早くバスで名古屋に出かけそこから機上するしか方法はなかったのである。
・ 又飛行機苦手の生徒には北海道ルートが用意されているのだがそこは各クラスからの混成クラスだから「求心力」をどう保つかと言う疑問の声が教員から出されたりした。これは分かるような気がする。従ってこの北海道の付き添い教員を誰にするのかが又重要な判断を要するのである。
・ 大体修学旅行の付き添い教員数は公立で言えば「クラス数の1.5倍の教員が標準」とされており仮に学年が10クラスとすると15人までと言うのが一般的であるが私学の場合結構難しい判断がいる。まして初めての海外であり、生徒も教員も不安を抱えていては「良い仕事」も出来ないと私は考える。
・ この辺をケチって海外でトラぶったりしたら「元も子もない」から付き添い教員数には慎重で今朝の朝会で議論して最終的に決めた。学年主任からの意見も聞いた。1班が教員一人当たりの生徒数で14人、2班16人、3班、23.5人、4班23.8人、5班22.8人と言う計算となった。
・ 「教頭は全班通して現地滞在」だ。英語が駄目だから補佐役に英語科の教員をつけて万全の体制を図った。問題の北海道は指導教諭を団長に体育科の男性、女性の「豪腕派」を付け、新しい常勤講師も1名補強した。ちなみに中学校は同時期に屋久島種子島だが付き添い教員は5名で教員一人当たり12.8人である。
・ 「イヤー、海外修学旅行は手間とお金がかかるわー」というのが実感だ。標準数より多くなったがこれは「保険料」と割りきっている。どうか「生徒に良い想い出を持たしてやって欲しい」と念願するばかりだ。
・ あくまで「海外の旗を降ろさない」。それで今年の入学者については中部空港出発などナンセンスは止めて、又田舎のオーストラリア以外にも「新しい候補地」を探すように昨日1年生の学年主任に言ったところだ。
・ 例えばルフトハンザでハンブルグに降り立ちハイデルベルグ地方からベルリンに入ると言うルートなどである。時期も5月にこだわることなく1年で最も安価にいける時期を探すように言ったのである。高校の思い出はなんと言っても修学旅行である。良い旅行にしてやりたい。先生方に期待し、お願いするばかりだ。

・ 第一回「週末スペシャル」のチームが夕方5時学校を出発した。3年生の数学と日本史選択の2クラスである。受験科目であるから真剣に取り組んでくれるだろう。指導教官は数学1名、日本史2名だ。出発前部屋に呼んで私の思いを伝えた。何か「特攻隊の出発みたいな雰囲気」になってきた。頑張ってくれるだろう。

2009年4月9日木曜日

4月9日(木)多聞開館式準備

・ 高校1年生も大変だ。入学式が終わって二日目でもう「全国模試に参加」である。「スタディーサポート」と言って進研ゼミの実施する全国規模のもので全国の進学校では多くがこれを導入している。今回は時期を早めた。主体は進路の副部長だ。大変良くやってくれている。
・ 高校2,3年生は通常授業であるが「1年生は国、数、英の順番で3科目」ぴっちり各60分のテストだ。これに「学習状況調査」というのが50分あり一日を使って行われる。これで「本当の実力」が分かるだろう。
・ 昔、公立時代にこれを導入しようとしたら反対をされた。「早い段階でこのようなことをしたら生徒はショックを受け良くない」「2年生くらいからが最も良い」と、さも分かったような教員が居たが、これが「独特の教員の発想」である。
・ 自分たちの「思い込みが激しい」というか、「しんどいことはしたくない、先送り」ということなのか、とにかく「新しいことには挑戦しない」。それでいてスタディサポートのことなど何も知りはしないのだ。
・ ちなみに島根県の有名な公立進学校「松江東高」にこの件で出張させたら「1年生の極力早い段階で」と聞かされて「しゅん」となっていた。全国何処でもこのスタディ・サポートは1年生のそれも早い段階で実施するのが常識である。「鉄は熱い内に打て」だ。生徒には今回の全国模試で自分たちの実力が分かった後こそ問題だ。それからの努力で差が付くのである。
・ 今年から「校内の実力試験を合理化」して「外部模試を積極的に導入」していく。教員の作る問題で「実力試験」をすることも悪くは無いが、「問題作成、略して問作の実力の違い」もありまず、今の本校みたいに若い先生が多いと経験が少ない。
・ この問作の経験は重要でだれかれ作れるものではない。又大切なことは試験の答案の成績のレベルがどの程度かという「相対比較」である。本校は今まで「絶対比較」ばかりだった。これでは「唯我独尊」になる。
・ 少なくともSS,Ⅰ類、Ⅱ類くらいまでは「全国規模」で実力を測らなければ難関大学には太刀打ちできないだろう。「他流試合」と言う言葉もある。若い先生方は「乳母日傘」と言う言葉をご存知か。「おんばひがさ」と読む。「過保護」はいけないのだ。
・ もう一つ高校1年生対象の新しい企画がある。それは「中学校復習講座」だ。これは素晴らしいと自負している。SS、Ⅰ類、Ⅱ類で希望者で数学と英語の苦手の生徒に多聞で徹底した中学校基礎の復習を行うものである。「1泊2日を連続2週」する。ただし英語と数学は別々だ。これを出来れば「本校の目玉」にしたいと考えている。早く「企画書」をまとめて欲しい。入学式で私はPRした。

・ 政府は15兆円規模の追加経済対策を決めた。注意しなければならないのはこの中に「教育費支援」が幾ら盛り込まれているかということだ。まだ詳細が見えていないので分からないがどうせ教育費には思い切った財政出動はしてくれないだろう。
・ 子ども手当とか高速道路1000円とか医療費とか、定額給付金とかすぐ反応の出てくる「ばら撒き」みたいなことには議員諸侯はすぐ対応するが家庭の経済困窮に対して「教育費」を思い切って支援する制度に限ってやったらどうなのと思ってしまう。
・ 「耐震校舎に改造」するための補助金を学校単位に3億円くらい出せば建設業者から関連する「業者の雇用」にも繋がり、校舎と言う資産も残るではないか。今定額給付金で飲み食いに使うなど世界の笑われ者だ。奨学金の拡充、授業料の助成金額の大幅なアップなどやるべきことは多い。
・ そう思って腹を立てていたら今朝の朝日は「高校生20万人就学支援」「文科省3年間で480億円規模」と出た。額は少ないが「嬉しい」。景気悪化で私立高校の授業料減免のための予算の拡充とか奨学金も国公私立を問わず広げてくれるそうだ。約20万人の高校生の退学を防ぐ効果があると言う。結構な話だ。

・ 午後から久しぶりに「千早赤阪村」に出向く。村長に「契約成立のご挨拶」と当方がすでに「振り込んだ購入金額」を何に使われるのか聞いてみたい興味もあった。村長、副村長と楽しい会談だった。今回の件で「裏話」なども聞けて大変良かった。廃校になったもう一つの赤阪小学校も買って欲しいと言われたがそれは丁重にお断りした。
・ 「12日の多聞尚学館の開館式」の概要がまとまってきた。「総勢200名の参加規模」になるそうだと担当は言う。準備は着々と進んでいる。村長には今日出席のお礼も申し上げた。
・ 府議会議員、村長以下行政当局、村会議員、地元住民、塾関係者、PTA、同窓会、保護者、神社界関係者、教職員など多彩である。まず地元の由緒ある「建水分神社」のご奉仕で神事が玄関入り口で執り行われる。その後体育館で「開館式典」だ。
・ 式典の後「館内参観」が行われる。当日は2クラスが「週末スペシャル」をやっており生徒が一生懸命勉強しているところを見てもらえるだろう。当日の進め方はその後「剣道部の模範試合」「空手部の演舞」「ブラスバンド部の演奏」等が行われその後多目的大ホールに場所を移して「パーティ」となる。
・ 「仕出し」は堺ロイヤルホテルで「料理は豪華」にしている。大体このホテルは「塾長様説明会」で何時も使っているが味は良い。「ビュッフェ料理」に「寿司の桶盛り」「お蕎麦」の屋台も出す。参加してくれた生徒には宴席に出させるわけには行かないから体育館で「ホテル特製ハンバーグ弁当」だ。
・ この2年厳しいことばかりでこのような「お祭り」はなかった。素晴らしい「校外学習合宿設備が完成」したのだ。「慶ぶ時には喜ぼう」という考えである。費用は学校法人というより「神社庁からの寄付金」を当てて生徒からの納入金を当てるわけではない。
・ お客様の対応を教員の役職者が中心で「ボランティア」で対応してくれるというからお手伝いの教職員に記念品も考えている。日曜日だからと当方は遠慮しているのだが、もしお時間があれば他の先生も見に来られたら良いのにと思う。敷地内には「大きな桜の木が6本」あり、満開だった。この花の下で多聞尚学館の開館式は行われる。楽しみである。
・ 今日は19時から「合祀蔡」であった。この「厳粛な神事」は素晴らしい。定例メンバーに新しい常勤の先生が数名参加されていた。大変「積極的な姿勢」で結構である。自分の勤務する学校の理解に大いに助かる筈だ。私でも常勤講師だったら最初の年くらい絶対に「好奇心で参加」して観察する。