2008年3月31日月曜日

3月31日(月)19年度最終日

1.中学校2年編入希望者
・ 市内北東部にある某私立中学校から浪速中学2年に「転入」したいとの強い希望で先週から話しが進んでいたが本日「転入試験」を行い、成績他を確認した。
・ 「見事な成績」で間違いないと判定、本日午後、管理職会議で「合格判定」、中学生が又1人増えたことになる。どうしても「浪速で学びたい」という親御さんと生徒の言葉には「ほろり」とさせられる。「お引き受けしました。お任せください。」
2.退職者辞令交付
・ 本日付けでご退職になる先生方の「辞令」を朝9時、手交
・ 「早期退職優遇制度」を創設したこともあり、「想像を超えた多さ」であったが、皆さん「良いお顔」をされていた。本当に長い間「ご苦労さまでした。」「有り難うございました。」
3.1年、2年学年主任 入る
 ・最終的進級者のリストを持参  「全員進級」となる
 ・本校は本当に「面倒見の良い学校」だ。今まで課題を抱える生徒に指導してくれた先生方に頭が下がる。
4.校務運営委員会
 ・ 本年度最後の委員会、「慰労と感謝」の言葉を述べる。色々と「1年前の状態を振り返って話し」をしたが「感無量」である。「良くぞ、ここまで来れた。」これも校務運営委員会の「メンバーの理解と協力」のもたらしたものだ。間違いない。
・ 今年でメンバーから外れる人が4名、新たに4名の先生が4月2日の運営委員会から以降加わることになる。「更にこの会議をレベルアップ」をしていきたい。
5.最後の職員会議
 ・ 年度最後の職員会議、「慰労と感謝」の言葉を述べる。特に「27日の理事会評議員会の決議事項や決定事項を報告」した。もう退職の常勤講師の先生は誰もおらず、専任教諭でも出て来ない先生がいたりしている。企業では考えられない光景だ。普通は最後まで全うするというのが「大人の対応」だ。
・ 職員会議の後、理事長から退職者への若干の経歴と成果など紹介し、「言葉を尽くして感謝の言葉」をお1人ずつ述べさせて貰った。その後、先生方から「お別れのご挨拶」を頂く。ところだが・・・。
・ こういう時の返礼の挨拶は「一つの形」があるが、学校の先生はそれらをご存じない。皆さん、大変良い方ばかりであるが、こういう時の「身の対処の仕方」、結局社会の常識というか訓練が些か不足しているのかなと思う。まず、“ただ今は校長から過分のお言葉を頂きまして云々”が皮切りの言葉だ。次にこの学校のおかげで我が人生が成り立った云々”が続く。次に“最大の思い出は云々”と思い出を一つ加え、次に“今後の自分の行き方などを少し紹介し”、最後に“同僚教員へお世話になったお礼と学校のますますの発展を祈る“が一つのテンプレートだ。
 ・ すべての人は理事長・校長の紹介の言葉へのお礼がない。「返礼」というのが常識だ。「卒業式の生徒の答辞」の方が余程常識に叶っている。浪速のお蔭で生計を立て、結婚し、子をなし育て、家を建て、還暦を迎えた。「これは浪速のお蔭だと言っても損にはならない」。ほとんどの人は自分のことばかりしゃべるだけだ。60才を超えた男ならもう少し言い方もあろうになーと思った。
 ・ その後「花束の贈呈」とした。少し豪華なものにした。拍手で全員を部屋から送り出す。男性教員に女性職員が花束を渡すのは如何かと思ったが、そうするのだったら1人いた女性教員には男性教員が渡すべきなのに今日は関係のない女性職員だった。退職するこの女性職員には女性二人しかいない職場なのだから「そのお方」から渡すべきだろう。要は誰も真剣に「考えていないのだ」。社会科なども多くの社会の先生が退職されるのだから残った社会の先生からが適切かもしれない。
・ 事務も管理職も何にも考えないのだ。ただ花束は女性が渡すと、それだけの頭だ。要は「花束は女性から渡すという既成概念」から離れられないのだなー。
6.お別れ昼食会
・ その後、特別会議室で「お別れ昼食会」。近隣の仕出し屋で「最も高価なお弁当」(5000円相当)を用意し、食べて、終わる。是にて三々五々、学校を離れられる。気になったから「花束はご自宅に持って帰ってね」とわざわざ念を押した。
・ 陪席は高校副校長。司会をしないから「昼食のお礼の言葉もない。」「当たり前だと思っているのかな」。「割り増し退職金」に更に加えて「功労金まで上乗せ」したのに、それらのお礼もこの間正式に無かったな。 副校長いわくこのような退職離任式は始めてでしたと。これが「感想」なのだから、要は「形がなかった学校」だったのだと思う。
7.第2グラウンド「テニスコート3面化並びに人口芝生化」工事完成
 ・ 神道科の先生が生徒の安全を祈ってお払いをしてくれた。
・ その後校長による「始球式」 テニスは何年ぶりだろう。「とても下手」で生徒の前で恥ずかしかったが仕方がない。格好だけだ。
・ 「生徒からの感謝の言葉」 それにしても生徒の喜ぶ顔といったら、やって良かった。
・ 使用開始許可 最も使用頻度の高い場所になるだろう。「授業」のテニス、フットボールフットサルサッカー、それに「部活動」のテニスだ。硬式テニス、ソフトテニス、中学校テニス、応用範囲が広い「第2グラウンド」の完成である。
8.旧「食堂」新名称「カフェテラス」工事進捗
 ・ 壁紙を貼ったから「観に来てくれ」と担当。凄い「岡本太郎ばりの派手なもの」としたのだが結構いけている。「大満足」。工事業者の責任者は「フーン」と言った顔をしていたな。彼の提案を蹴ったから機嫌が良くない。「センスの問題」だ。
・ 「42インチのシャープアクオスを購入」して壁に取り付けるよう指示した。これは多目的に使用できる。「PTA役員会」も喜んでくれるだろう。「部活動の保護者会」も使用を許可する。
・ 壁周りには自動販売機をズラッと並べ、ケイタリングでお弁当を運び、電子レンジや湯沸しなどを完備、隅には理事長寄贈の応接セットだ。見違える「カフェテラス」となろう。「浪速新名物」が出来る。
.女性職員更衣室洗面所の増強
 ・ 初めて侵入して工事進捗をチェック。良い物が完成しそうだ。今日中に完成しなければならない。明日から常勤講師の先生が多数登校される。ロッカー前のスノコが足りないので校務員さんがホームセンター「コウナン」に買いに出かける。
・ 私からはロッカー配置を変更させ、「一隅」を大きく開けて「長椅子」のリフレッシュコーナー的「憩いのスペース」を設けるように指示した。喜んで貰えるだろう。事務室のOさんに「灰皿は要る?」って聞いたが「不用」とのことで、その代わりに雨の日の「傘入れ」を手配するようにした。
・ 夕刻に担当の教員が明日には女性職員をロッカールームには案内しないというので驚きおののいた。「明日張り切って着任される方々のロッカールームやトイレの鍵を渡さないとは何事か!」私の望む「人を迎える対応」ではないと厳しく指導した。皆自分の都合だけだ。相手の事を考えていないのだ。
10.コーヒーサービス
 ・ 「学校正門真向かいの喫茶店の副店長」から「1年間、お世話になりました。」と私にお礼のコーヒーが一杯届く。本校の教職員に出前でコーヒーやランチを届けてくれるお店だ。素直に有り難うと頂いた。味は大変良かった。
・ いわゆる「お隣さん」であるが、学校をよく観察されており、「激変」という言葉を使われて「この1年の浪速の変貌振り」に感心されていた。「観られているのだなー」と思った。
11.宝来賞授与
 ・ 夕刻17時過ぎ、本年度1、2年生の学年最優秀生徒各1名へ「宝来賞」を校長室で授与する。初代理事長を顕彰するもので「金一封」、金額よりも大変名誉なことである。
 ・ 保護者同伴だから夕刻遅くなったが、大変喜んでおられた。「自慢の息子」となる。
以上のように「なんやかやで1年が終わりました」。「アーあっ」という感じだ。しかし総じて「本校の教職員は良い仕事をしてくれた」。これだけは言える。間違いない。先生方「有難う、良く頑張ってくれました。」「来年度も宜しくお願いします。」

2008年3月30日日曜日

3月30日(日)その2 学校社会の格差問題パート2

学校社会の格差問題(パート2)
5.常勤講師公立と私立
 ・とりあえず非常勤講師と常勤講師は区分して論考をした方が良い。非常勤の中には「ご本人の強い意志で非常勤を選択」しておられるケースが多い。子育て、介護他様々な理由がある。又公立高校の60歳定年を過ぎて、なおかつ「教壇から離れられない」と自己の自由時間とのバランスを考え、非常勤講師を選択する人もいる。
 ・課題は常勤講師である。これは論考が難しい。「基本的に専任教諭と同じような業務をこなす」。時には専任教諭をさしおいて「担任」などになったりもするし部活動指導も対応する。同じような仕事をして「身分」が違うのはおかしいではないかというものだ。その限りにおいては正しい意見である。
 ・公立高校にも常勤講師制度はあるが基本的に「その数は圧倒的に少ない」。まず産休、長期病気療養等の代替教師以外に年度末平教員が教頭に昇格した時の代替教員当て嵌めも常勤講師だ。タイミング上合わないからその学校の校長は教頭で一人送り出したのは良いが、その後は「どんな常勤の先生が来るのだろう」と心配になる。
 ・私学は些か様相が異なる。私学における常勤制度の歴史はそれほど古くは無いと思う。本校においても古い話でない。少子化の中で生徒募集に困り、財政的に苦しくなっていく中で「専任教諭を抱える」ことの影響を経営者が考えるのは分からない話ではない。それにしても「本校の専任比率は小さく」、これは問題として捉えている。
 ・ある程度の人材の弾力性を持たすために考えだされたのではないか。正直そのように思う。もう一つの理由は学校の抱える教員数の違いだ。大阪府では高校だけで約10000人もの教員を抱える。本校はせいぜい130人前後だからその違いは大きいというのを通り越している。次元の違う話だ。
 ・府立の教員は4年から7年で転勤がある。ぐるぐる回っていくが多くの私学は基本的に転勤などはない。そこに勤めれば最低でも35年から40年勤務する場所は変わらない。何を言いたいかというと「一人の教員の持つあらゆる意味での重さ」は公立と私立では異なるのである。
 ・もし、結果として「教員の質が問われるような教員を保持する」ことにでもなれば「その影響は図りしれない」のである。何時かのブログにも書いたが専任教諭一人当たり法定福利費を入れて年間1000万円近いコストがかかり、「学校運営に戦力とならない教員を抱えるようなことにでもなれば私立は死活の問題となる」のである。
6.組合の主張と難しさ
 ・ 本校の組合分会も「常勤講師制度はおかしい。セイムワーク、セイムペイである。」と過去、大私教本部の統一要求を受けて各分会の要求項目にもなったりもした。しかしこの論点は一部視点が抜けてないかと指摘したこともある。
・ 理由は前述に加えて「本当にセイムワークですか?」という問いかけだ。教員100人が居て100人が「セイムワーク」と私は考えていない。全然異なるといっても良いくらいだ。
・ 「セイムワーク、セイムコンテンツ、セイムアウトプット」であれば成り立つ議論だが残念ながら「教育現場では現実に能力も執務態度も、努力も成果も一人一人異なる」。まずここの論点を整理しなければならない。
・ だから大阪府をはじめ全国の公立学校は「教員の評価システム」を導入し、ここを明らかにしようとし始めた。国も教員免許法の改正をして、10年後の研修を義務付け、不可能な場合は「教員免許の更新はさせない」と法的に整理した。
・ マスコミは「駄目教師は教壇から追放」とか過激な言葉を使っているが、今「社会の学校、教員を見る」が大変厳しい」のであり、そのような背景は教員一人一人が全く平等だとか公平だとかの議論が違っていたということではないだろうか。「教員の資質」が本気で問題にされ始めたのである。
・ 理想論的には専任教諭と常勤講師との並存は無いほうが良い。しかし現実には難しいから一歩一歩近づけていくプロセスが望ましい。その場合の必要条件は「評価システムの導入」と「公立でいう分限免職」、即ち「解雇権」であると私は考えている。その権利が経営側に与えられないと「母船そのものが沈没」しかねない。
・ 生徒数が減少し、専任教諭ばかりで解雇も出来ずでは船は立ち行かなくなるのである。誤解の無いようにいうが今でも「解雇権」はあるのであるが、その行使と手続きには制限と煩雑さが多いから、このように言っている。
・ 「学校整理」の前段階で「教職員数を調整できる権限」があれば、専任常勤の議論はなりたたなくなっていくだろう。今朝の日経新聞は解雇が出来ないから経営側は非正規雇用社員に行かざるを得ないと論じる学者の言を引用していた。
7.格差の本質
 ・格差の解消について分会に対し、「専任教諭と常勤講師の財源をプールして均等に分配するのを受け入れるなら、専任と常勤の年収格差を解消しても良い」と回答した経緯があるが「出来うる話」ではない。
 ・前述した日経新聞には次のような記事もある。「正規社員の収入規模を下げるか、非正規社員の収入を上げるか」は簡単に行く話ではなく、「雇用」そのもののあり方に影響を与えるとしている。米国流に正規も非正規も簡単に「首を切る」国ならいざ知らず、日本は欧州に近い「終身雇用を原則」として社会を作ってきた国だ。
 ・正規社員と非正規社員とを区別しなくなったら「まったく別次元の国の形」となろう。ところで常勤講師と専任教員とはどこが違うかということであるが、基本的に実は「1点を除いて」大きな違いはないのである。退職金も付くし、諸手当も専任と同じである。
・その一点とは「雇用契約期間が1年」ということである。1年で契約の更新がなされない場合はそれで「終わり」という契約なのである。それは本校独自のものではなくて、公立も他の私学も同じなのである。
・従って常勤講師問題の本質は「不安定な身分」ということではないか。「専任に何時になったらなれますか」「何年待てばなれますか」ということであると想像する。「専任になるためにどのようなことが必要ですか」というのもあろう。
・期間について各学校間で考え方の違いがあるみたいだが、「大体3年を上限」として契約の更新はしないというものが普通である。本校も現在までは3年ということであったらしい。公立もその基準である。
・ちなみに本年度常勤講師から専任になった教員の期間は20ヶ月が一人、33ヶ月が一人、36ヶ月が二人、12ヶ月が一人と様々だ。一人は非常勤講師から一挙に専任だ。それ以外の常勤講師の先生はすべて「契約打ち切り」となったものである。ほとんどの方が36ヶ月の期間であったらしい。
8.浪速高校の専任教諭に期待される資質
・以上のように本校では「本校にふさわしい専任教諭」を常勤講師の先生から、大学卒業の新卒の先生から、非常勤の先生から、公立を含めた他校から積極的に採用していくつもりであるし、それを具体的に本年度実行した。丁稚奉公でもあるまいし、「期間」などは大きな意味はない。
 ・期待する資質として文言にすれば以下のようになる。
 ①まず「社会人としての常識を有し、行動できる方」が何をさておいても最初にくる。教師たるもの、社会のコンプライアンスについては絶対条件である。特に金銭にまつわるトラブル、飲酒運転等の問題、通勤費等公金の不正受給、セクハラ、男女問題、人権無視等は教育者としてあってはならない。
 ②次に「教科指導力」である。これは教師としての最低条件であり、生徒に教えられないということは教員免許を取得しているとは考えられない。大学入学問題が解けないような教師に生徒を教えられるとは思えない。
 ③次に「生徒生活指導力」の問題である。これは必ずしも当初から絶対的必須項目ではないが、これがないと「授業が成り立たない」からである。経験とともに力はついていくと思うが、意識して努力することが大切である。ただし生徒への体罰、暴言などは「教育の敗北」であり、処分の対象とする。
 ④次に「校務運営に熱心であるということである。」各分掌業務、学年団、学校行事、部活動指導等に積極的に参加し、「生徒の為に汗をかく」ことのできる先生は本校の望む先生である。特にベテラン、あるいは特別な特技があるような教員に時に唯我独尊的行動をするところがあるがそれではいけない。「集団での協調性」と言っても良い。
 ⑤「勤務態度、服装」については本校の教員であるとの「矜持」を持つためにも重要である。特に遅刻、早退等については「注意」が必要である。有給休暇や時間給は事前申請となっており、事後処理で整理するものではない。権利を行使することはまったく問題ないが「逸脱した権利の行使」は許されない。
 ⑦最後に「謙虚」に「勉強・研究」に熱心な教師は伸びると信じて疑いはない。「社会の尊敬」を受ける教師という職業に「誇り」を持ち、謙虚に「学び続ける先生を浪速高校は欲しているのである」
9.そして
 ・以上のことは本校理事長校長としての勝手な言いざまであると思うが、「生涯の勤務先」を「本校のみに絞るような選択の幅を狭めない方が良い」。社会には立派な学校は極めて多い。又現在は「売り手市場」であり、公立高校へのチャレンジや有力私学への研究を怠ることなく、「自分に合う学校」「自分の能力を発揮出来る学校」を探すことだと思う。
 ・そのために本校をステップアップの舞台として有効に活用されることは「踏み台にされた」と憤ることではなくてむしろ「誉れ」であると考えている。とりあえず、1年間「ご縁」があってともに職場を同じくするのだ。「明るく元気一杯に頑張って頂きたいと念願」するばかりである。

3月30日(日)その1 学校社会の格差問題パート1

 寒い朝である。特段何もすることがなく、従来から考えていたことを今文字にしている。テーマは「学校社会の格差問題」である。実は伏線があり、一昨日28日のブログ「常勤講師の先生」、29日「結婚披露宴参列」と言及してきており、一連のシリーズとして遂に今日のブログは「常勤講師問題に直接切り込む」ものとした。4月1日には新しい常勤講師の先生方に初めてお会いできる。
ある勘の鋭い事務室の職員が何時か「理事長のブログの出す順番は絶妙に設計されていますね」と言っていたが、絶妙かどうかは別として、当然「書く内容と順序」は大変気をつけている。それを考えないブログは芸能人の「昨夜、おいしいものを食べました」程度のものになってしまう。
今までの常勤講師の先生とは「契約が終わり」、4月1日以降40名近い常勤講師や派遣会社からの社員が新たに本校で勤務される。「時は今」だ。明智光秀流に言えば「土岐は今、桜したしる弥生かな」だ。本校の正規雇用教員も非正規雇用教職員(?)もじっくりと読んで欲しいと願っているが・・・。借り物ではない私自身の論考である。

学校社会の格差問題(その1
1. 一般企業社会の格差問題の理解
・ 「小泉改革で格差が拡大」というのが一般的な世評であるが、私はそのようには思わない。確かに声高に「市場化と聖域無き改革」を叫んだが具体的な政策が何かといわれてもすぐ思い付かない。小泉改革が格差問題を生み出したと私は考えない。
・ 明らかに「バブル崩壊後のデフレ社会」の中で、物の値段が下がるという戦後経験したことがないような経済状態を経験し、「企業がリストラ推進」の名目で「正規雇用社員を非正規雇用社員に切りかえながら、総人件費の抑制を図る」ことと、「経済ソースをコストの安い海外調達に切り替える」ことが現在の格差を生み出したのである。
・ 資源を海外、特に中国やインドに求めることは、これも「形を変えた人件費の削減の意味」であり、そのように読まねばならない。加えて「団塊世代の正規社員が大量退職」する時を迎え、その置き換えに相当数の正規雇用社員ではなくて新たな知恵を生み出し、「アウトソーシング」として「外部に発注するシステムを完成」させた。
・ しかしこのような動きはバブル前の相当早い段階からなされてきており、例えば「保安防犯業務」などを今社員の手で実施している会社はあまりあるまい。「清掃業務」も外部発注だ。今や給料の算定支給業務なども外部委託され、企業内の人事給料部門は必要最低限の社員で対応している。
・ 正規職員と非正規職員の格差問題は基本的に「昔からあった話」で、それが経済活動の低調が続く中で「顕在化」してきたに過ぎないと私は考える。給料が上がり続ける時代にはお互いが並行状態で分配がなされていたから、大きな問題にならなかったが、結果として「全勤労者の三分の一が非正規雇用社員」となったから問題となってきたのである。問題は「数の多さ」である。
・ もう一つ格差問題で見逃してはならないのは一部門丸ごとの非正規への切り替えではなくて「同じ職場内で正規と非正規が混在」し始めたからである。これは従来無かった現象で、あっても極めて少なく問題とならなかったのが、これも「数の多さ」が課題を突きつけてきたのである。
2.言葉の定義
 ・ 「学校における非正規雇用社員の定義を明確」にしておかないと議論がおかしくなる。社会でいう非正規雇用社員は一般的に「パート労働」という。もう少し範囲を広げて「派遣社員」を含めても良いも思う。
・ 「学校の常勤講師と非常勤講師の先生を非正規雇用職員と呼ぶか?」呼ぶ訳には行かない。パートでもなければ派遣でもない(一部英語教育には派遣教員はいるが)。「契約雇用職員」(木村の造語?)が正しい呼称であると私は考えている。
3.本校の非正規雇用社員
・ 本校には「直接契約のパート労働者は存在しない」。確かに校内清掃業務に当たっておられる方々は総勢6名のグループで午前、午後に分かれたパート労働であるが、本校が清掃会社に「○投げして契約」し、ご本人たちの契約には一切学校は関知していない。4月以降「改正パート労働法が施行」されるが、どのようになるのかはその会社のマターで我々は知る由もない。
・ ところが「校務(技術)員」さんは現在2名存在しているが、1名は正規雇用職員で1名は「派遣会社からの派遣」である。直接的雇用契約はない。事務室にも2名の派遣社員が存在する。男女各1名で男性のお方は最近新たに増強して来て頂いているお方だ。あと入試広報室には「時間給直接契約」の職員がお一人いる。
・ 課題と感じているのは「校務の仕事」と「事務の仕事」であり、これはまさしく現在の社会問題とされている「同一仕事での正規・非正規の混在」である。「年収差は正直極めて大きい」
・ 年収差がそのまま「大きな問題」と言われても、こちらは困るのであるが、「ここに至る経緯、本当に同じ業務か?」という提議はあるだろう。見た目は同じような仕事でも実際の中身は異なる」と反論を受けるかも知れない。
・ 何時かはこのような仕事がなくなるかもしれないという前提で「自由度を高める」ために「派遣会社に頼んで派遣して貰っている」のであり、経済問題はその会社との話し合いで終結してもらわないといけない。そこまで我々は責任が持てない。
・ 恐らく派遣会社への求人希望がある限り、派遣社員と派遣会社とのクールな乾いた関係は保たれるのであろう。「厭だったらお辞め頂き、他所へどうぞ」と言われるだけだろう。
・ しかし派遣社員の仕事ぶりを見ている限り、「素晴らしい」と感嘆せざるを得ない頑張りだ。これらに対しては正直頭が下がる。我々の出来ることは契約会社との契約単価のアップと福利手当てなどを直接に手渡す気遣いくらいしか今のところない。「本校の派遣社員は本当によく働く」。
4.トラブルの事例
 ・ 「直接雇用と派遣職員との違いでトラブルになる事例」は結構多い。どこの事例とかは言わないがここに典型的なレポートがある。「英語教育に必要なネイティブスピーカー」を大体どの学校も保有するのであるが、「契約の違いで大きな問題となる要素をはらんでいるのだ」。
 ・ 公立学校はすべて教育委員会の契約で直接学校が契約することはあり得ないから、現場は気が楽で「問題あれば教育委員会に言えば問題はすぐ解決する」。それは派遣会社が契約に違反しているのだから「議論の余地も何もない」のである。すぐ講師を差し替えたり解雇出来るからである。
 ・ 問題は私学で「多少の派遣会社の管理費を削減」しようとして「直接契約」にしようものなら「大変なことになる要素」を抱え込むことになる。契約に関する一切の労働上の契約、雇用保険、健康保険などを自らの責任で対応しなければならない。
 ・ 「当事者能力があれば特段問題とはならない」のだが、こちらにその力が無い場合、「ややこしい」ことになりかねないのである。ある学校に2名の外国人教師がおり、1名はテレビコマーシャルで最近「座頭市」が出演している有名な派遣会社から、一人は直接契約だ。問題はこの直接契約職員だったらしい。
・ 自らの強い意志で派遣から直接雇用に切り替えさせ、今度は「正規教員と同じ一時金賞与」を要求して来たらしい。「やってることは同じだから同じように支払え」というところだ。加えて「外部の労働組合に加入」し、組合を通じ「保険」についても要求し、要は自ら「格差の解消」にあらゆる手を使って動き出したのである。「就業規則の英語版を要求」してきたこともあったらしい。
・ 確かに同年齢の日本人英語教師と比べて収入格差はあるらしが、この場合は仕事の内容が全く異なるのではないか。自分は「フルタイム正規職員」であるとの主張に対してその学校の経営者は「貴方は年間勤務時間が少ないパートタイム労働」であると論破したらしいが、顧問弁護士をまじえ、円満解決に相当な時間と労力を要したらしい。
 ・ この影響からか派遣会社からのもう一人の外国人教師も「直接雇用に切り替えて欲しい」と要求に来たそうだ。明らかに前述の外人の影響を受けている。結果としてその学校はその2名の外国人教師との契約を解除し、本年度からはすべて派遣会社からとしたそうだ。二人の男性外国人に懲りた訳でもないのだろうが今度の2名は「素晴らしい女性外国人教師」と聞いた。女性だから問題が無いというのは間違っている。たまたまだろう。
・ 結構高い「管理費」を派遣会社が取っても企業も学校も「派遣会社の使い勝手の良さ」はあるのであり、特に永続性がない、内容に変化の要素が大きい場合などは「固定の正規職員を抱える」よりかは格段に事業継続に便利性をもたらすのである。
(学校社会の格差問題その2に続く)

2008年3月29日土曜日

3月29日(土)結婚披露宴出席

某教諭の結婚披露宴参列
・ 本校勤務の男性教諭の結婚披露宴に招かれて参列した。本校のOBでもある。場所は岸和田市のホール、すでに京都の平安神宮で神前結婚式は済まされている。参列者は多く大変立派な披露宴であった。
・ 新郎の家は極めて由緒ある神社であり、岸和田の人なら何方もご存知だと思うし、名前の姓が町名であり、神社名であるのだが、「どうして自分の神社で式をして、ご先祖に神前奉告しないのだろう」と隣の席の副校長と話をしたが、いろいろあるのかも知れない。ちなみに新婦のご実家は京都である。
・ 新郎新婦は知的な美男美女で本当にお似合いのカップル、ともに「教職を職業」にする。新郎は英語、新婦は数学で、その昔、といってもそんなに昔ではないらしいが、本校で講師のご経験があり、その時に司会者が2~3回使っていた言葉「運命の出会い」があったのだという。
・ 私は「主賓」として最初に「ご祝辞」だ。もう結婚式の仲人や主賓は何回務めたか分からないくらい多いが、何時も結婚式における最初のご挨拶は緊張する。本校に勤務して以来、これで2回目だ。1年で2回だから相当な頻度であろうか。
・ 前の学校では4年間で結婚式への参列は無かった。招待が無かったというのではなくて式そのものが無かったのだ。「何でそのようなことが分かるのか?」と聞かれたら以下のように答える。「家族台帳や扶養家族の申請、公式お祝い金など、校長は印鑑を押すから分かるのです。結婚とは逆の「離婚」のときもすぐ分かります。もっとも個人情報ですから校長と事務の担当しか知りえませんが。
・ 結婚式が多いのは、私学はいささか平均年齢が公立に比べて若いということではない。専任教職員の平均年齢はいずれも47~48才台だ。若い常勤講師の先生が多いということではないか。公立に比べて圧倒的に多い。公立は2ないし3名くらいが平均だが私学は桁が違う。「本校でも30人近い常勤講師の先生」がいる。
・ さて、私以外に仕事の関係が深い教員が多く招かれていた。招待客を見ることで新郎新婦の交友関係も想定できる。男性教員は皆さん、式服に慶事用ネクタイ、「ビッシ」と決まっている。本校の男性教員は「おしゃれ」の人が多く、本当に決まっている。
・ 私は「差別化」で最近はネクタイではなくて「ウイングカラーに蝶ネクタイ」にしている。今日は近鉄であつらえた新品のシャツで色を白ではなくて薄いピンク色にした。招待側であれば色シャツは使えないものであるが被招待側であれば「問題なし」とデパートの専門家は言う。
・ 人生も第4コーナーに差し掛かり、年を取ってくると様々なスタイルをしたくなる。亡くなった父親は晩年勤務先にも蝶ネクタイをして行っていたように思いだす。大正生まれの男性はそのような気風があったのかな。その血を引いているのかも知れない。
・ 女性教諭がお二人が招かれていたが、今日はお着物ではなくて洋服であった。「なぜ今日というのか」のご質問には以下のように答える。「この前の卒業式はお二人とも着物に袴だったから」。クラブの指導も同じクラブで教科も英語で、何時も二人ずれだから、ついついそう思ってしまうのだ。深い意味はない。
・ この二人の女性教員は新郎の英語科の仲間という立場での参列かと思っていたら、どうもそれだけではないらしい。新婦が本校にご勤務時代に仲が良く、ともに旅行に行ったくらいの仲という。「なるほど。」
・ しかし驚いたのは、別に驚くことではなく、私が驚いただけであるのだが、「多くの常勤講師の先生が出席」されていたことだ。まず最初に受付はすべて常勤講師の先生が務められていた。受け付けを常勤講師の先生がしていたかといって驚くことではないが・・・。
・ 実はこれらほとんどの先生があと1日、即ち「3月31日で本校との契約が切れる」ことだ。もう大きな行事も無いため、すでに学校には来られていない人が多い。彼らはすべて新郎新婦と「同期の桜」だと副校長は言う。
・ 新郎新婦は晴れてこの1月に専任教諭になり、結婚式を挙げて友人に披露する。参列の常勤講師の先生方は「本校とのご縁」で4月以降は他校で勤務される。「友情は素晴らしく」、この「晴れやかな舞台で職場の離別を確認」することに、何か「人生」を感じて「理事長として複雑なもの」を些か感じたことを驚きと表現したのである。
・ 本年度の採用人事を一手に引き受けて執行した「副校長先生も同じような気持ち」だったらしく、何時もに比べてお酒のピッチが上がっておられたなー。今日は隣り合わせの二人でさしつさされつ、どうでも良いような話をしていた。「人事責任者として私以上に副校長は思うところがあるのかも知れない」。
・ お別れになる常勤講師の先生方は本校へのご貢献は大きく、感謝以外の言葉はない。たまたま本校には本校の事情があり、「ご縁がなかった」と思うだけだ。どうか常勤講師の先生方、新しい勤務先で持ち前の能力を発揮され、頑張って頂きたいと念願するばかりだ。きっと新しい学校は先生方を更に輝かせるものだと思う。「健康に気をつけて頑張ってください。本校へのご貢献有難うございました」。
・ 最後に新郎に「この1年、何が我が身に起きたのか!」「誰のお蔭で今日の自分があるのか!」ご両親、友人、同僚他、多くの方がたへの感謝、今後何を気を付けていかねばならないのか、気配り、心配り、謙虚に勉強し続けることを忘れてはならないと主賓の祝辞に加えて強調しておいたことを忘れてはならない。

2008年3月28日金曜日

3月28日(金)常勤講師の先生

1.職員会議座席表
・ 朝会において担当教頭からまず4月2日、「年度最初の職員会議の座席表」の原案提示があった。この日は常勤講師の先生方が初めて出席される日で「ご挨拶」の為に分かり易いお席の方が良いだろうという管理職の配慮で2段階方式となっている。
・ ご挨拶が済んだ後は今後1年間の「定席」に着くことになる。本校ではそれぞれの教員が自分の「指定席」を有している。最初はいささか驚いたが、悪くはない。前の学校では自由席であった。しかし自由席と言っても何時も大体同じような席に着いたりするし、仲の良い先生同士が隣り合わせだったり、「人間模様」も色々だ。
・ 面白いことには必ずしも教科でまとまった据わり方はしない。ばらばらで、校長には見えない「秩序」があるのかも知れない。だからある先生が何時もの席にいないとなると「お休みか」「どこへ行ったんだろう」「どうして席が変わったんだろう」などと想像したりするのだ。ここが又面白い。
・ その点、本校は中学、高校の類別、科別、事務、養護と分かれているので、分かり易いと言えば分かり易いが、まあそんなことは大したことではない。重要なことは「職員会議には絶対出る」ということだ。
2.職員会議の進め方
・ 20年度から少し「進め方」を改める。名実共に「校長の校務運営の補佐機関」として位置づけ、進行役は「教頭」とする。意味も時代性もいかがかと思う「議長、副議長」の職位と呼称はなくする。これで教員の時間減も節約できる。職員会議の「進行役」に時間減を施している学校は知っている限りない。
・ 敢えていうなら「校長が職員会議の議長」であるが「代理として管理職の教頭が進行を司る」とした。又、教頭原案の席の配置表には未だに「書記」などの言葉を使っているが、本日これは改めさせた。「記録担当」「記録係」で良い。
・ 記録は昨年専任教諭に採用され、「試用期間の1年間」が過ぎ、晴れて正教員になった先生方が記録の任にあたる。任期は1年、その翌年は本年4月に専任になられた5名の先生方が「当番」だ。
・ 議長とか書記とか何かの団体みたいなイメージを払拭させ、組合員も非組合員も本校の教職員で「校長が校務を運営する補佐役として会議に参画する」。職員会議は又「団体交渉の場」や「個人糾弾会」ではない。これは徹底していく。「職員会議を絶対に守る」積もりだ。
・ 学校法人としての経営説明や労働条件に直接関わるものを職員会議の場で議論するものではない。必要時は「職員集会」に切り替えて理事長が「経営説明」を行う。あくまで校長の職務は「校務を運営し所属教職員を監督する」ことである。
・ 校長にとっては「学校現状の把握や教職員の意向確認の場、校務運営の方針徹底」,教職員にとっては「管理職の考え方の確認、教員間の情報交換、疑問解消等」であり、最終的には「全教職員の意思結集の場」が職員会議であると考えている。
・ 全員に個人パソコンを貸与し「IT武装化」を始めて半年、今、ようやく戦力化されてきた。どうでも良いようなことでダラダラ貴重な職員会議の時間を費やすべきでない。意識を変え、やり方を変える為に今まで準備してきた。「IT化と職員会議のレベルアップは表裏一体」のものである。
3.新採用専任教諭と新採用常勤講師
・ 今年新たに「6名の専任教諭が採用」された。内2名は6ヶ月短縮で昨年の10月、1人は3ヶ月短縮で本年1月から、残りの3名はこの4月からだ。これらの先生は昨年本校で常勤講師だった先生である。長い人で3年、短い人は1年である。
・ 残り1名は非常勤講師から一挙に専任教諭だ。この先生は近隣県の公立高校の採用試験を受かっていたのだが「木村校長の下で働きたい」と公立を蹴ってきてくれる先生だ。別に公立を袖にしたから採用したわけではないが。
・ 私は「本校に適性がある」と考える先生は積極的に専任教諭に採用していきたいと考えている。団塊世代教員の大量退職で公立、私立とも「教員募集に血まなこ」になっている。特に私学はいかにして優秀な教員を確保するかが「学校存続の要」だ。
・ 本年度、常勤講師の先生は「全員が本校新任」である。「その数36名に上る」。数も昨年当初が22名だったから14名の増だ。その分非常勤講師を減らした。40名の非常勤を19名にしたので教務は「時間割作成が大変楽だ」と言っている。
・ 非常勤は大体「他校との掛け持ち」があり、「授業のコマの設定に条件」があったりして、その数が多くなると時間割編成が難しくなる。あたり前の話しで、私は方針として極力非常勤を減らしていく積りである。
4.個人パソコン配布
・ 常勤講師には個人パソコンを貸与するのだが、数が増えた分、不足する。専任教諭で早期退職された先生のものをクリーニングして新品同様にしたが、どうしても足らない。人が増えたのだから仕方がない。
・ 結局「14台の新品パソコンを新たに購入」した。全ての『配布リスト』が出来上がっており、4月1日にお渡しする準備が整っている。その日、「イントラネットのシステム説明会」もあるという。大変結構である。
・ 初めてお迎えする先生方は幾分不安なお気持ちであろうから「温かく、優しくお迎えするよう」何度も副校長には言っている。これを受けて4月2日は教務、生指、事務室も新先生方に「マニュアル」をお渡しして説明する手筈だ。初めて作ったものもあり、不十分かも知れないがとりあえずスタートだ。それもこれも多い新任の先生方に早く戦力になって欲しいからである。
5.常勤講師のプロフィール勉強中
 ・ 本年度は副校長二人、事務長の3人が採用センターとなり、採用業務に校長は直接タッチせず、すべてこの3人にお任せしたのであるが、ぼつぼつ「どのようなお方」かを頭に入れねばならない。校長としての当然の仕事だ。
・ 副校長が常勤講師の先生方の「履歴書」と「課題レポート」を持参してきた。課題レポートは副校長が先生方に「本校理事長・校長の言葉」をホームページから参照し,「2000字以内で感想文・教育論・所感、意見等を提出」して欲しいとしたらしい。
・ 履歴書を見ながら朝からこの課題レポートをしっかり読んだ。2000字の文言、文章の中に「その人の全てが現れる」ものだ。眼光紙背に達するとは言わないが課題文を読みながら「どのような先生だろう」と想像するのは楽しい。
・ 縁あって同じ職場で働くのである。若い先生方にとって「魅力的な労働環境と仕事の質を提供」することが私の仕事だ。4月1日以降新たな常勤講師の先生と共に「学校進化」のため、「新たな校長の戦いは始まる」。新しい先生方への期待に胸が膨らむ。

3月27日(木)理事会

理事会・評議員会
・ 今日は平成20年度予算理事会だった。評議員会も引き続いてあり、理事および評議員の先生方が学校に来られる。大体学校で開かれるスタイルが定着してきた。学校でやるのが良い。まず全員で学院神社をお参りし、その後、「工事中の現場をご案内」することができる。何時ものパターンである。
・ 完成なった「第2グラウンド」は人工芝が映えて綺麗で皆さん、感嘆されていた。工事中の食堂の改造現場に回り、女性教職員用の更衣室増強工事中の前を通って特別会議室に戻るルートを辿った。
・ 会議は「理事長の全般経営状況の説明」から入り、19年度2次補正予算、20年度予算案並びに事業計画案、それに重要な項目は新たな「評議員の選任」に入る。事前に神社庁から推薦がなされており、機関決定の手続きだけだ。新管理職の選任も確認された。
・ その他、来年度の授業料の見直しや神道科教育課程の見直しなど議論され決定された。正直、「良いことばかりの報告」で何か気持ちが落ち着かないのだが、仕方がない。「謙虚に」「勝って兜の緒を締めよ」としか私は言うことが出来なかった。
名誉理事長、理事長職務代理からは最後に経営全般、校務運営について「お褒めの言葉」があり、ま評議員に対し慰労と感謝の言葉が述べられた。
新1年生の学年主任
・ まだ入学式もしていないが、新入生の「来年度海外修学旅行」について学年主任が相談に来る。生徒数が620名にもなり、仮押さえしている機材では間に合わないとほとほと困った顔をしている。分からない話ではない。オイル高で各飛行機会社は飛行機を小さくし便数も減らし、効率的な運行を目指している。
・ ぎりぎりの運行計画で、要は「空気を運ばないように」しているから、1グループのまとまりとしては付き添い教員も入れて180名が限界というのだ。現在のところ、オーストライアで3コース、国内北海道1コースとしているがこれでは類科はばらばら、クラスもばらばらになり問題だと言うのである。
・ 特に今回Ⅲ類は7クラスで274名もいるから抽選で決めると言うのは無理があり、ハワイならJAL,ノースウェスト等で同一日に出発できるという。顔には「ハワイに変えたい」と書いているのだ。しかし「ハワイは駄目」だ。修学旅行にはならない。あそこはリゾート地だし、幾分「危険」であると私は感じている。
・ 結局これ以上結論のないのも先に進めないので思い切って発想を変え、「北米2コース(カナダとフリスコ)、オーストラリア2コース、国内1コースの5コース」で検討するよう指示した。学年主任「大変喜んでいたな。」しかしこちらは費用や安全面で大変だが仕方がない。これで先に進むだろう。
門真市立第三中学校事件
・ またぞろ、この話しである。もう嫌になる。今月13日の卒業式で約170名の生徒の内、国歌斉唱時に起立した生徒はたった一人で、「教員の不適切な指導」があったと今朝の産経は報じている。
・ 式に出席の3年生の担任、副担任系11名のうち、9人も起立せず斉唱もしなかったという。学校管理職は「事前に教員が生徒に不起立を促した可能性が」あると見て調査中であり、事態を重く見た府教委も調査に乗り出したらしい。
・ 以前のブログで「今年もどこかであるよ」と書いていたが、お膝元の府内でやはりあった。学校の調査に対し、「生徒には国歌の意義について説明し“歌うかどうかは自分で判断しなさい”と指導した。」と言っているらしい。ふざけた言い草だ。
・ まったく言語道断で生徒の内心に立ち入り侵した行為だし、学習指導要領を無視した確信犯であり、弁解の余地はない。厳しい処分となろう。本校ではなかったが、今後ともしっかりと観察していく。

2008年3月26日水曜日

3月26日(水)制服受領日

1.制服受け取り
・ 今日は専願合格者の「制服受取日」である。ちなみに併願合格者はこの24日が入学手続き日だったが、この日「採寸」をして、4月4日が受け取り日である。実質10日しかないため、制服販売会社は大変だろうが、まあ「商売(ビジネス)」だ。
・ 長い経験があるため、ノウハウをお持ちなのだと思うが、私などは入学者数も分からず、男性女性も不明で肝心の「体つき」も違う生徒の300名近い制服をよく期日までに揃えられるなーと感心してしまう。
・ 恐らく在庫をある程度読んでそれぞれのサイズを用意し、ズボンの裾、ウエスト、スカートの丈、エンブレムの取り付けくらいにしないと間に合わないと思う。だって本校だけならそれでもと思うが大阪府内の私学制服取り扱い会社が公立の合格発表日の24日に一斉に制服の用意に入るのだから大変だ。
・ 公立高校も制服のあるところは24日から入学式までに用意する筈だから、この一瞬大阪府の制服流通業者、制服卸し会社、生地の会社、縫製の会社、「てんてこまい」だろう。
・ こういう業者さんで私学は助かっているのだと思えば有りがたい。1年でこの数日が「勝負の時」であるのは間違いない。本校の出入りは正門真ん前の「中西学生服店」さんだ。昨年まではここ以外に2会社あったが、お引取り頂いて「中西さん、一本に絞った」。
・ 生徒の購入の便利さとアフターサービスを期待してのことである。本校とは長いお付き合いで「誠実な社長さん」が家族総出で経営されている。信頼にたる会社だと考えそのようにした。
.“学生服少子化でも堅調”新聞記事から
 ・本日の読売に上記のような記事が出ている。生徒数が伸び悩む中で「学生服が根強い需要」を保っているというのだ。確かに制服の「モデルチェンジ」でイメージ一新を図る私立の中学、高校に比べ最近は公立でも統廃合や単位制高校とかに変わるときに制服を変えたりする。
 ・本校でも昨年5月から夏にかけて相当「検討」したが結構本校の制服は「生徒の評判も良く、マイナーチェンジ」で終わった。例えば女子のジャケットにはエンブレムを付けていなかったが小さいものをつけるようにした。又ボタンホールには七色の糸で縁取りをしていたが、「女生徒からは恥ずかしい」と言って要望が強く、これもなくした。
 ・苦労したのは「」で成長著しい中学生には今まで白のスニーカーとしていたが、革靴も選択対象にし、高校生用も少しデザインを変えた。制服のチェンジには時に「保護者が口を挟んでくる」時もある。「制服は大きな意味で学校教育の一環」に位置づけて「学校裁量」なのだが、保護者も意見があるのだろう。
 ・日本で最初に制服を導入したと言われる京都の平安女学院高校は4年ぶりに一新するそうだ。4月からの新制服は濃紺、簡素で「大人っぽい」という。最近は「可愛さ」などより「フォーマルなスーツ調」が人気という。
・ 本校でもそのうち「変えて」という声が上がって来るかも知れない。制服は1980年代後半から伝統的な「詰め襟」や「セーラー服」から「ブレザー」への切り替えが進み、それが一巡してからモデルチェンジが激減したと記事にはある。「なるほど」。
・ 浪速の制服は平成7年からだと言うから今から13年前に現在のものを導入したことになる。「長い寿命」だと思う。女生徒用は共学になってからだからまだ4年しか経っていない。
・ 男子の制服は結構カッコ良く、中西社長は「あのズボンのグレーとモスグリーンのチェエク柄は日本中でも本校のみですよ」と何時も言われる。「フーン」。女生徒もリボンの評判が良いみたいだ。ただカーディガンは高いと文句を言っていたな。
・ 国内の学生服市場はここ数年1100億円規模の市場であるが大手の「トンボ」「カンコー」なども増収増益というから少子化の影響はない。大体「年250~300校のモデルチェンジ」が続くとみているが果たして?この世界も勝ち組み負け組みの勝負が激しいのであろう。本校のT制服会社は勝ち組なのであろうか?
3.制服考
・ 制服について様々な意見があるのは知っている。前任校では制服がないことが特徴であったが、特段問題はなかった。しかし「生徒生活指導の面から必要だ。」との声も大きい。又女生徒の中には「毎日着る物に困って、制服を作って」という声もある。
・ 今、「食育」の次に何と言う言葉が来ているか、このブログを見てくださっている人はご存知か?「服育」というのだ。ここに極まれりという感じがしないでもないが「やはり服装は大切で人格を表わす」という評論家もいる。そのうち服装係の専門教諭が出てくるかもしれない。
・ 確かに「服育」は考えさせる。男子のズリ下げズボン、女子のスカート丈、見るに耐えないシーンに出くわすこともあるが、概してそういうことを好む生徒は詳しくは書けないが、日常生活習慣、学習意欲と関係があると断じる評論家もいる。だから「服育」なのだろう。
・ 制服のある学校は費用が大変だと言う声もあるが、本校の昨年の例で男女とも夏冬服、セーター、シャツ等一切込みで、又かばん、靴等を入れて85000円くらいの筈だが、これで365日過ごせると思えば「高いか、安いか」議論の分かれるところだ。
・ しかし品物や制服を抱えて母親と帰る姿を見ていると「よいシーン」だ。「高校生になったという感慨」がこみ上げて来るのだろう。「本校の生徒であるという誇り」を持って制服を早く自分のものにして欲しい。

2008年3月25日火曜日

3月25日(火)資料つくり

1.イントラネット立ち上げ状況
・ 順調な立ち上げであると以前評価した。その気持ちには変わりはない。これくらいのシステム規模でこれほど「虫」が出ないのも珍しい。「ソフト会社の力」なのだろう。
・ しかしだ。「使い勝手で教職員からは色々と情報委員会に物申す」こともあるらしい。当然だ。しかしその内容には「なるほど」とうなずけるものもあるが、「何、言ってるねん!」というのもある。
・ 個人情報で扱うべきものが見ようと思えば見えるなど一部に問題があるらしい。まさか他人の動静をわざわざ覗きに来る人もいないと思うが、そうもいかない。「修正」が必要である。システム設計段階での検討不足だが、想定出来ない部分も分からないでもない。
・ 情報委員長と事務長補佐が腰を低くして「システム追加増強」のために「追加費用が70万円、下さい」と来た。「仕方がない。」了解したが、まだ今後出てくるのではないかという質問には「大丈夫ですと」と返ってきたが本当かなとまだ疑念を持っている。
2.市内中部の女子高の校長先生の訪問を受ける
 ・ 民間出身のお方で本日、わざわざ本校に来て頂いた。波長が合い、「教育議論に時を忘れる」。中々立派なご意見をお持ちで「きっと素晴らしい学校作り」をなされるであろうと感じた。「胆識」をお持ちだ。是さえあれば「学校は変わる。」
3.今日の時程
 ・ 朝一番に副校長と「時間減基準」と「担任」を正式に決定、今日は忙しいので朝会はなしとした。
・ 「教務、教科主任会議」で時間割作成のための「原票」を作成確認
・ 「学年別担任会議」 新規採用の常勤講師の先生の中で担任を受け持って頂く先生は8名に上る。このうち6名は新1年生だ。大変だと思うが「チャンス」でもある。頑張って頂きたい。
・ 「新科類別担任会議」生徒のクラス別の振り分け  「習熟度別クラス」の展開
・ 「非担教員の所属学年団の決定
  以上の作業を経て最終的に教務部が「時間割」作成に移れる段取りとなる。具体的には明日以降となるのだろう。
・ 仕事の進め方がこの点では非常に合理的でシステムとして完成されたものだ。大変評価している。相撲で言えば「番付表の作成みたいなもの」だ。昔は「わがまま」みたいな個人事情などを主張する先生もいたらしいが今やまったくいないという。
・ 教員の顔もどこか「余裕ある微笑んだ顔つき」をしている。それもこれも620名という大量の1年生を迎えるからだろう。これが少なかったらこうは行くまい。それにしてもつくづく良かったと思う。
4.27日理事会資料作成
 ・入学者数が決まったのでその数値を入れて資料の修正を図る。上方修正だから「嬉しい話」だ。途中天満宮の名誉理事長に電話で数値を報告。大変に喜んでおられた。
5.資料作りに関して
 ・私は書くことと喋ることは「企業時代から訓練」されてきており、一向に苦にならない。管理職で資料つくりが下手では話しにならない。結局部下の力を借りることになり、それでは幾ら手を入れたからと言っても自分の言葉ではない。
・ 「資料とは自分の思いを伝える手段」だから、まず「分かり易い」ということ、「何を言いたいのか」明確であること、「紙数は少なく」、出来れば「表やグラフ」が最も効果的だ。私は資料に関して管理職には厳しい。公式資料には手直しが入る。
・ しかし本校の管理職は「概して上手い」感じがする。これだけは「幸運」であった。資料つくりが上手いということは「頭の中が整理できている」ということだ。事務長補佐はその中でも抜きん出ているが、それは私と同じように民間出身ということが背景にある。民間では資料1枚にその人の全てがかかっているといっても過言ではない。
・ 1年観て来て教諭の資料作成力も大体分かってきた。きらりと光る資料を作る先生、何を言いたいのか分からない資料、資料などあまり作ったことのない先生、様々だ。特に分析、解析の類は不得意と見える。
・ 頭からだらだらと書くことだけはできるけど、論点整理、起承転結が不明な資料など色々目にする。とても「訓練」されているとは言えない。「資料がエネルギーを発しているような、叫んでいるような資料を作らねばならない」。不思議な感じがするが「概して教員は資料つくりが上手いとはいえない」。最も「考査の問題つくりは上手いが。」
 ・ 私の時代になって理事会の資料など万全を期している。理事各位や評議員に正しく現状を理解して頂くためだ。そのことが結局学校に成果として跳ね返ってくる。「資料は重要」であるし、「その後の歴史の証人」になったりもする。

2008年3月24日月曜日

3月24日(月)併願合格者点呼日

1.神道科教育課程再編会議
・ 第1回目の会合、大阪府下神社界、屈指の「教学」にお強い方で現職の宮司4名の先生方と本校理事長職務代理に学校の方に来て頂き、「フリーディスカッション」を行った。
・ 「会合は大変良かった。」今後1年間かけて「素晴らしい課程」を再編できるそうだ。本校の神道科の先生方の顧問格として「良いアドバイスが頂けるだろう。」今後のスケジュールはこちらから個別に各宮司を訪ね、「詳細なご意見をお聞きし」、神道科として「概案というか素案」を作り第二回目の打ち合わせで良いと思う。
・ その後は2ヶ月に一回くらいのピッチで肉付けをし、1年かけて「シラバス」が完成すれば良いと考えている。本校教諭の「熱意と腕の見せ所」だ。M教諭ならやってくれるだろう。
・ 「外部の意見を聞く」「外に耳を傾ける」、このことが重要だと何回も事に触れて強調してきた。「唯我独尊、しんどいことは嫌だ」では困るのだ。丁度良い時期である。自分たちのやっていることを「棚卸し」することは「有効な現状脱却の方法の一つ」だ。まず神道教育から始めたい。
・ 肩に力を入れる必要はない。良いものは残せば良いし、新しいことを入れることに臆病であってはならない。やってみたら「自ずと取捨選択、自然淘汰」される。良いものは残り、駄目なものは廃れる。それが「エネルギー保存の法則」だ。果敢に挑戦して「誇りうる浪速の神道教育」を「再出発」させたい。
2.併願戻り
・ 朝から正直落ち着かない日であった。会議をしていても「併願戻り」が常に心に引っかかっていた。今日は「公立高校後期の合格者発表日」だった。ここ数日というか、1ヶ月くらいの「気になる数値」が遂に今日判明した。
・ 「凄いことになった。」予想を超えて戻りがあり、専願併願合わせて600人をはるかに超えた。予想は580プラスマイナス20、600プラスマイナス20と立てててはいたが強気の方に寄った数値となった。
・ ここ最近の新記録だ。団塊世代が高校時代であった時の学年クラス数になる。大部隊の新1年生団だ。何とか15クラスで調整して欲しいが、その場合一クラス40名を超えるが、必ずしも「少人数クラスが良いとは限らない」。素晴らしい教師の下で多くの生徒に混じって切磋琢磨することの方が良いケースもある。特に進学重点の場合はそう思う。
・ それにしても「責任を感じる。」今年は「東大」にも入れ、「国公立は昨年度の2倍の伸び」だ。今、浪速は大きく変わろうとする「息吹を感じる」。公立に失敗し、本校に入ってくる併願の生徒には「本校に来て良かったと思わせてやる!心配するな。」
・ 新一年生、3年間の戦いは4月8日、入学式から始まる。「徹底して教え込む積りだ」。3年後を楽しみに、「やれることは、なんでもやる」今日改めて「覚悟」をした。今日で本当に「浪速改革1年間の足跡」が数値で明確になった。やってきたことの「正当性が証明」されたのだ。
・ 経営的にもこの600名超えの生徒は有りがたい。しかし今年は「敵失」もあった訳だから、正念場は20年度だ。「謙虚に、謙虚に」が大切だ。入試広報室にはこの旨、口が酸っぱくなるように言っている。やってくれるだろう。
・ 新しく作る「学校案内」は思い切って、今年の成果を材料にして載せるように指示した。「嘘を書くのではない。本当のことだから自信を持って書くように」言っている。「私の今年は今日で終わった」。もう20年度に向けてエンジンをふかし始めているのだ。
・ 副校長と二人、最終的担任当て嵌めと各教科単位での「持ち時間の調整」を行った。基本的に副校長の設定どおりとなりそうだ。明日発表して教職員に開示、し具体的な教科内での調整が始まる。明日は常勤講師も学校に来てくれることになっており、「忙しい一日」となりそうである。
3.高校3年生転入希望者
 ・ 続く時は色々なことが続く。なんと「府内有力な進学高校」から「木村校長の浪速に預けたい」と1名の生徒が転入希望だ。3年生ですよ。その高校のことは書くまい。言えない理由が人それぞれにあるのだ。3年生になって本校に転校するにはそれなりの理由があるのだろうがそれを聞いてどうする。ルール違反とかではなくて先方の高校もちゃんと理解したうえでの転入だ。
・ 浪速も正規の手順で「編入試験」を行ったが、「ぶっつけ本番のテストで結構点を取っている。」校務運営委員会で入試判定を行ったが全教員、転入に賛成と来た。「可能性を秘めていることを評価」したのだろう。不得意の科目はあるが高校3年生なら分からない話ではない。
・ 浪速には1年しか在籍しないが本日午後、保護者と生徒を呼んで、まず「早稲田、慶応、上智、国際キリスト教大学、それに同志社」を目指せと発破をかけた。目がらんらんと輝き、「はい」と大きな声で返事が返ってきた。

2008年3月23日日曜日

3月23日(日)大相撲大阪場所

大相撲春場所(大阪場所
・ 今日は校長ではなくて「理事長の立場」でこの1年間、大変お世話になった「PTA会長を大相撲春場所にご招待」した。ご陪席を女性副会長と次期会長候補の現副会長にお願いした。会長と女性副会長はこの5月で本校を卒業だ。校長の立場ではこういうことはしないほうが良い。今日は学校法人を代表してだ。
・ 本当にPTA会長には本校の教育についてご理解とご支援を頂いた。私にとって「PTA会長というのはPTA全体を意味」している。組織というのはやはりトップである。従ってPTA全体をPTA会長と理解しているのだ。「本当に会長には感謝している」。それを補佐した女性副会長もだ。有難くて生涯忘れられないだろう。幾分の不安を有して赴任したが、そんな心配は杞憂であった。
・ 2月頃、当時の副会長であった現会長が「電光石火のごとく毎月17日の休みを授業日に変えるという理事長の話を聞き、そしてそれを新年度から実現するというスピードの速さに驚きました。何時も家内から何で浪速は17日が休みなの、そんな学校あるの?」と言われていただけに驚き、「こういう人が来るんだ。」と思いました。この一件から「我々は新校長の応援団」となりました。
・ PTA会長のこの言葉は今も忘れることは出来ない。「新車の寄贈、正門塀の寄付金活動、高校教育後援会の組織化」などどれだけPTAからご支援頂いたことか。「浪速改革」の成功は「PTAの成果」でもある。
・ 私としては心からPTA会長に対し理事長の立ち場で「御礼と慰労」の意味を込めて今日の日となった。「白鵬、朝青龍横綱同士が相星決戦」、それも千秋楽、席も東正面土俵近く、状況はこれ以上のものはないという最高の設定であった。
・ 結果は朝青龍が白鵬を小手投げでぶん投げた一番で、朝青龍は4場所ぶり、22回目の賞杯を手にした。私は朝青龍の応援である。昔からそうだ。色々言われているが、大したことではあるまい。国に帰ってサッカーに興じたくらいでなんであんなに大騒ぎするのか不審に思っていた。闘志を表に出すところが良い。素直だ。
・ 相撲は国技とか相撲道とか言っても勝つか負けるか勝負の世界だ。彼らに何を我々は期待しているのか。昔ゴルフの世界でも当時全盛時代の尾崎将司の態度が悪いといって、ゴルフは紳士のスポーツとかなんとかの屁理屈を言って責め立てたことがあったが、あれと現象は同じだ。
・ 日本人はとにかく「強いものに反感する。」大鵬、北の湖もそうだった。小兵、舞の海は好き、若乃花のお兄ちゃんは好きで弟の貴乃花は嫌い、強い巨人は嫌いで弱い阪神は好き、頼朝は嫌いで義経は好き、秀吉は好きで家康は嫌い、態度の大きい朝青龍は嫌いで紳士の白鵬は好きと、こうなる。
・ しかしすごい一番だった。相撲は好きで6年ぶりくらいの大阪場所だ。春場所は荒れるといわれるが、途中2番続けて朝青龍は星を落とし、どうなるかと思ったが「勝たねばならない」という闘志が前面に出ていた。会長は予想をして「白鵬の勝ちですよ。落ち着いています。」と言っておられたのだが・・・。
・ 橋下知事、東国原知事の表彰伝達を見た後、ご縁があり、「尾車部屋の千秋楽祝賀会」に誘われてそちらに廻った。商工会議所6階の宴会ホールが超満員でメインテーブルにて尾車親方(元大関琴風)以下小結の豪風、嘉風、若麒麟など十数名の力士の接待する宴席に出たのは我が人生初めての経験だ。
・ しかし尾車親方のご挨拶は素晴らしいものであった。気配り心配り、言うべきことはすべて入れ見事にまとめられる。どの世界でもリーダーとなる人はやはり違うなと感じた。それに唄はプロはだしだ。いやプロらしい。「上手い」。
・ 相撲社会は完全な縦社会であるが、このような宴席でもそれが徹底されている。席に座ったり、一人で飲んだりする関取は一人もいない。ビールを注ぎに回り、ちゃんこをサービスしてテーブルを回る、子どもと写真を取る、決して厭な顔を見せない。
・ 新弟子も序二段も幕下も幕内の力士も「しつけと礼儀」が徹底的に身に付けられている。「親方が絶対」であるが、それが「自然な形」なのである。決して違和感のない上下関係である。「様式美の世界」である。このような世界は大切にした方が良いし、外部の人間がとやかく言わないほうが良い。あの石館牧子?、何だ、あの女性は?!
・ 「会長も二人の副会長も大変喜んで頂いた」。喜んでいただければご招待した当方も嬉しい。本当に波乱の1年間、PTAを取りまとめて頂いて有難うございました。後一回入学式の挨拶がありますので宜しくお願い致します。

2008年3月22日土曜日

3月22日(土)年度末研修会

年度末研修会
・ 本年度から始めた「年度末研修会」。今日は昨年4月に専任教諭として採用された3名の教諭と10月の1名、計4名の先生の「初任者研修」と「先進校視察の出張報告」である。都合5件の発表であったが、概して「立派」なものであった。
・ 初任者研修の4名は発表順で英語女性教員、数学男性教員、英語男性教員、保健体育女性教員であった。英語の男性教員はまだ採用後1年未満であり中間報告ということらしい。したがってこの先生はこの8月の夏季研修会が本番となる。
・ 元々「就業規則」で1年間が「試用期間」となっており、この研修会を終え、晴れて4月1日に正職員になるための「極めて重要な研修会」であり、「指導教官」もあらかじめ指名しており、最後には指導の先生のコメントもある本格的な研修会であった。
・ 発表時間は大体20分から30分以内で、資料の形式などの規制はない。好きなように「1年間の新採教員としての実践の成果と課題、本校の教諭としての抱負」などを聞きたかったが、「実践に主体」が置かれており、「まあ、これは仕方ないか」なという感じもするが・・・。
・出来れば「研究」的なものが欲しかったが、数学の教員にはそれが感じられて大変良かった。理系文系の差かなという気もするが、単なる「実践報告」では「1年の研修としては物足りない」気がする。英語の女性教員は「生徒アンケートを取って分析」しており、これは今後学校として進めようとしている「生徒の授業評価」の先駆け的なもので評価できる。
・ 私はこういう研修会で「資料外に光るもの、資料を通じて伝わってくるもの、常日頃のビヘイビアと本日の発表との整合性、資料、発表の口ぶりから伝わってくる人柄」などを「直視」している。単なる資料の発表だけではない。企業でも何でも上司の部下を見る目とはそういうものだ。
・そういう意味で保健体育の教諭の発表は1年を時系列的に追ったもので「人間としての教諭」が滲み出ていた。こういうのに私は弱い。「苦労した人間はそれだけ光るものがある」。「全体から匂ってくる」のだ。比較的ベテランの部類に入るがこの先生は「謙虚で良い」。
・ 1年間の研修で「何に気付いたのか?何が分かったのか?今後のポイントは何か?分析解析は普遍的にされているのか?肝心の生徒はどうなのか?本校の教諭として65歳まで頑張っていこうという気になったのか?」等々理事長・校長に訴えたいものはあった筈だ。それをアッピールしたら良いのに。後に続く人は参考にすべきである。このブログはコピーくらいしておけば良い。
・ それに「教師として自己啓発、自己開発、自己目標、自分を教師として高める個人的な目標」などあるはずだが今日の発表ではそれがなかった。それがなかったらマンネリになり、教師としてのレベルアップはおぼつかない。要は「勉強しない教員になってしまう」のだ。こういう教員の如何に多いことか。
・ 今日の発表者は若い人で30歳平均、後35年間本校で頑張ってもらう先生方だ。私や副校長など、もう死んでいない。「浪速の将来」はこのような若い先生方の意識にかかっていると思えば私の「気合は入る」。大きく、大きく、立派に育って欲しいからだ。
・ 今後数年間で多数の専任教諭を採用しなければならない。それこそ私の仕事だ。ここ数年で「30人以上の専任教諭」を増やさなければならない。公立や他の私学との「奪い合い」だ。「良い先生の確保こそが本校発展のキー」であることは間違いない。
・ 國學院栃木への出張報告は「出張者の高ぶりが伝わってくる良いもの」であった。ああ言うのを聞くと「行って貰って良かった」と思う。出張報告の中には良かったのか、悪かったのか、行きたくなかったのか、どうにも分からないような報告があるのだが、ああいうのは聞くのが辛いし腹が立つときがある。「お金の無駄使い」だ。前回の夏季研修会にそのようなものがあった。
・ でも今日の出張報告は十分とは言えないと会の席でも厳しく指摘した。「先進校と本校を対比」させ、「具体的に何をするのか」、そこまで方針を示さねばならない。理数科長と進路の副部長が出張して「あと他に誰が方針を出せるというのか!」。
・ 行ってきました。すごかったです。感心しました。「さあ、後はどうしましょう」では頂けない。此処はこうしたい。これはもう少し様子を見たい。等々意見はある筈だ。決められる人間が出張したのだ。副校長、教務部長、学年主任などと議論すればすぐ方針は出せる筈だ。後は管理職が決済すればよい。
・ 私などこの1年間、「あれは駄目、これも駄目」などと言った覚えはない。逆に「あれもやれ、これもやれ」だ。とにかく「現状を変えるためには何でもやる」というのが私の現在の哲学だ。部下にとって私ほどやりやすい上司はいなかろう。「やるなというより、やれという上司の方が良いに決まっている。」
.私学教員の質的レベル
・ 微妙な問題であるが正直に書こう。「公立高校の教諭に比べ決して本校の先生方は劣っていない」。むしろ「誠意や素直さ」などは勝っているのではないか。公立4年間の校長勤務、多くの高校への出張等を通じて「浪速1年の感想」が私にそういわせる。
・ 本校の教諭を長い間やり、現在非常勤で来ていただいている先生は中々「論の張り方が常人を超えた素晴らしいところ」があり、私が敬意を表する大変勉強になる先生の一人だが、この人が何時かこのように言われたことがある。
・ 「先生、私立の教員は公立みたいに東大、京大、阪大などを出た先生はそんなにいませんよ。国公立大学に行けず、私大に学び、公立教員の採用試験に落ち、やむなく私立の教員になるなど、人それぞれに挫折など経験している教員も多く、そういう先生が私立には多いのですよ」と。
・ 又私の知己である元公立トップ校の大物校長先生で、今私立の校長をしている先生は会うたびに「私立の教員は相対的に公立に比べ落ちる」などと言われるのが常であったが、今の私はそのように思わない。1年経って自信を持って言える。
・ 勿論公立にも私立にも酷い教員はいるし素晴らしい教員はいるのだが、その「平均値」は本校の方が勝っているのではないかと最近考えている。「教員にとって、どこの大学で教員免許を得たかは関係ない」な。最近つくづくそのように思う。
・ 「京大、阪大を出たからといって素晴らしい教員とはならない」。有名無名、中央地方、国公立私立、大学など関係ない。確かに公立のトップ校はいわゆる難関大学を出た先生が多くいるが、すべてではないし、中にはそういう中に唯我独尊の首を傾げる先生がいることも事実だ。
・ 今日の5名の先生方の発表を見ていたら間違いなく言える。「決して負けてはいない。それよりも勝っている部分は多い。」と。ただ本校の場合、「刺激」が余りにも少ない。公立のように数年ピッチの転勤は無い、生徒のレベルも悪くは無い、やんちゃな生徒もいない、保護者の質も高い、そういう環境は人間を「現状維持」にする。
・ 「教職員に刺激を与えることの出来るのは理事長・校長、管理職」だ。他校の管理職は何も言ってはくれない。「生徒・保護者も刺激材」だ。「刺激に感性」を持たないと痛痒を感じない。楔を打ち込むのが管理職と何回も書いた。「刺激を与えない管理職は失格」だ。
・ 今日の研修会で「浪速は長い間、鎖国状態にあり・・云々」と言い、こうも言った。「太平の眠りを覚ます蒸気船、たった一杯で夜も眠れず」ではなく、一艘の迫力あるパワー満載の黒船で浪速太平の眠りが覚めつつあると。 「今後とも教員を外へ出すことを心がけよう。外の空気を吸わせよう。」
・ 言いたいことは「外に門戸を開け」「外に目を向けよ」「他に学べ」だ。「内輪でごちゃごちゃ言っているだけでは、現状は変わらない」。今こそ太平の眠りを覚ますときだ。立ち上がって行動すべき時だということを研修会最後に強調した。
・ そのためには「謙虚」ということかもしれない。謙虚になれば「学ぼう」という気になる筈だ。自分は大したことはない。もっともっと高めなければならないと思えば体は動く。偉そうにしたって、たかがしれていると「客観的に自分を見つめることのできる教師が本物の教師になる秘訣」ではないか。最近自戒を込めてそのように思う。

2008年3月21日金曜日

3月21日(金)修了式当日

1.終了式
・ 学年末の終業式を本校では「終了式」と称する。1年単位だから「意味ある言い方」である。1年、2年それぞれの生徒に「宝来賞」といった初代理事長の奨学記念賞や成績優良賞、皆勤賞なども式の中で校長が手渡す。
・ 式に先立ち「神前奉告の儀」を行い、1年の無事と学業の成果を感謝・奉告し、その後終了式に入る。後は「特別講習」などが予定されたり、「部活動の合宿」などがあって学校は一時休戦状態となり、4月8日の始業式、入学式となる。
・ 校長からは3年生の大学進学実績など「東大合格」の話しもまじえ、激励を行い、この春休みを有効に活用するよう訓示した。生徒もやはり休みになるのが嬉しいのか、良い顔をしている。式の後ホームルームになり「浪速通信」他資料を受け取って下校の運びとなる。
2.浪速通信
・ 本日発刊した「浪速通信も6号」を数えるようになった。1年間で6号だから凄い。来春は遂に「正式名称」がつくという。果たしてどのような名前だろう。編集長も交代だ。中々センスが良さそうだから、更に良いものにしてくれるだろう。
・ 6号のタイトルは「凛とした卒業式」となっている。今回の卒業式は中々良かったという声が多い。凛としたと取る向きもあるが「楽しい、良い雰囲気の」という声も多く届いている。
・ 7号は始業式と入学式を主体に出すと言う。楽しみだ。こういう地道な努力が「浪速の教育」として公立中学校や、塾関係者に届くことになる。そうだ。駅などにおいてある「グルメ冊子」などと同じように駅や病院などに置けないのかなー。又入試広報からは「前例がないといって反対されるかなー」。
3.新保健体育部長
 ・ 新保健体育部長とテニス部顧問を呼び、「4月以降の第二グラウンドの利用計画とテニス部の使用」について意見調整。授業としてテニス、ハンドボール、フットサルサッカー、場合によっては女子モダンダンスの場所として「授業単元」を組み、1年を通して有効に活用するよう指示した。女性教諭も二人になるし、これで「女子の体育の授業は大変革」となろう。
 ・ 「浪速の女子の体育はテニスばっかり」という愚痴はなくなると思う。テニス部の活用は硬式テニス部、ソフトテニス部、中学テニス部と3部間で揉めないようにうまく利用するよう顧問に指示。
 ・ 3月31日「第2グラウンド事始め式」を教諭からは希望されたがネットなど間に合うのか。「始球式」を頼むと言われたがテニスは苦手だ。どうしよう。私は書くかしゃべるか、どちらかだ。
4.某先生 入る
 ・ 3月31日で辞職される先生が入られる。二人の幼子の養育に専念するため、「決心」されたのであるが、惜しい先生であった。母君のこともあるらしい。教諭と言う職務と2児の母親という責務から、一つを選択されたのであるが、今日は「良いお顔」であった。「気持ちが楽になったのであろう」。
・ 「お世話になったお礼」ですと記念の品物を頂いたが、購入先は「阪急メンズ館」であった。この先生はこのようなところがある。さすがである。先般も本校の教員が栃木県の学校に出張する時に、心配になって「先方へのお土産はキオスクや車内販売で買うのではなくてちゃんとした大阪名物を持参するように」言ったところだが、この先生には不必要な話だ。しかし名物先生がいなくなって寂しくなる。
5.27日理事会資料作り
 ・ 良いことばかり書けるので嬉しいが、ここは「謙虚に、謙虚」に。
6.浪速中学校合格者登校日
 ・保護者同伴で登校、新入生心得、健康の記録、教科書、歯科検診票、通学定期手続き説明など実施
 ・昨年の1.6倍の入学者で2クラスが「3クラス」になった。「男女比率」は偶然かも知れないが昨年とほぼ同じ。皆健康そうで結構である。制服も手渡したそうだ。詳細報告を中学校の副校長から受けるが「保護者の皆様、ゆったりとしてご満足そうだった」とのこと。「良かった。」責任は重大である。「今後6年間しっかりと面倒をみなければならない」。
7.教務部長 入る
 ・来年度行事予定の一部変更案を持参、「了」とした。年度末は大幅に授業日を入れ、期末考査後は「試験範囲の復習授業を1週間取り」、その後は「英・国・数」の「弱点克服・強化授業」だ。この時点で時間割を組み直すことになる。
 ・将来、場合によっては「外部の教育機関との連繋」をこの時に考えても良い。「行事は全て4限の授業の終わった午後に入れる」。尚卒業式は原案の2月21日から28日に移動となっている。教務部長、苦心の案だ。「結構である。立派な教務部長を持って幸せだ。」この人物は大人である。
8.更にもう一件
 ・ 実はもう一件、今日は走り回った、と言っても実際走ったわけではないのだが「某重大事案」があり、副校長、教務部長と大変だった。これは書かないでおこう。
9.通夜見舞い
 ・ 本校教諭のお父上の通夜に河内長野市へPTA役員の車で。明日は重要な研修会があるため、葬儀は副校長が出席となる。多くの教職員が参列してくれていた。
 ・ 帰りは南海電車急行で帰ったが案外難波まで近いのが意外であった。一人での外食となる。

2008年3月20日木曜日

3月20日(木)名ばかり管理職論

名ばかり管理職パターン1
・ 遂に「連合」が「名ばかり管理職の実態調査に乗り出す」という。夕方、NHKは報道していた。この背景は日本マクドナルドが若い店長を管理職として扱うのだが実態は「名前だけの管理職」で「残業代を払わなくて責任だけを押し付ける」という「不届きな行為」を司法、社会が糾弾した事件以来この言葉「名ばかり管理職」が社会問題となってきたことにある。
・ それにしても「品格のない会社」はあるものだ。若い青年が本社の偉い人に「貴方は管理職店長だ。頑張って売り上げを上げてね。」といわれて頑張らない日本の若者はいないだろう。若者に限らず40台、50台も「やりがいと責任」に自分を鼓舞して頑張る筈だ。
・ まして非正規社員との格差が大きく問題提起され、「雇用不安」の中で小さいといえども、店長は一国一城の主だ。「ようやく自分にも風が吹き始めた。辛抱してきた甲斐があった。」と心を奮い立たせる筈だ。普通の人間ならそうなる。
・ 家族も「お父さんは店長」と父親を誇りにして、張り切っている父親を見ると元気になったはずだが、毎月の「給料袋」を見て愕然とする。責任に見合う給料となっておらず、少しばかりの管理職手当てがついているのだろうが、「残業代はゼロ」だ。
・ 家計を見ているお母さんは「びっくり」するが、何も言わないお父さんの姿を見て物も言えなくなる。父親は店長になった途端、夜は深夜に帰宅、帰っても何か帳面を付けたりして朝は早くから家を出る。
・ 疲労が蓄積するのは当たり前だ。疲れきって、口数も少なくなり「何とか家族のために頑張ろう」とするのだが、「手取り給料が管理職になっても下がる」のだから、「生活の質は低下」する。
・ 母親はお給料が上がるだろうから少し貯金を増やして「持ち家計画」と夢を抱いていたのがまったく違う現実に夢も希望も失い遂に家庭は崩壊する。店長になったばかりに家庭が暗くなるとはまったく間違っている。
・ しかしこういう品の無い会社が徐々に増えていっていないか。私がここでそれらの職種などを論評するわけにはいかないが、一部企業は人件費削減として非正規社員を増やし、「従来とは違った概念の管理職」を作り始めたと私は考える。
・ 従来とは違った概念の管理職とは「簡単に言えばグループのまとめ役」だけで、別に戦略とか経営資源とかはすべて本社機能とし、現場の管理職は「ただ働いて非正規社員の管理」だけで結構だというもの。当然呼称は管理職店長だから「売り上げ減少の責任は問われる。」酷い「残酷物語」だ。
2.名ばかり管理職パターン2
・ しかし注意しなければならない。もう一つの「名ばかり管理職」がある。管理職手当てはバッチリ受け取っているのだが、「一向に管理職の仕事をしない管理職」である。これを「名ばかり管理職パターン2」としよう。こちらも問題だ。
・ タイプはいろいろある。管理職になった途端に「仕事ができなくなる人」、「仕事をしない人」に分けられる。この二種のタイプは更に分類できる。若い平社員の頃はばりばり仕事をしていたのだが、課長になった途端に「何をすればよいのだろう」と管理職の何たるかが全く分かっていない人。
・ 上司に上手いことばかり言って、部下の手柄を横取りして、要領だけで管理職になったのは良いが「今度は自分で決めなければならない局面で、自分で決められない、いわゆる無能な管理職」。
・ 俺もようやく管理職だ。これからは「楽をするぞ」と言ってすべて「部下のかつぐ神輿に乗っているだけのただ乗り管理職」。組織を壊す最大の問題は「無能なものがリーダーになること」「有能な者がリーダーになって何もしないこと」だが、このどちらも「危険」である。
・ 本校の管理職の歴史を見れば誰でも分かるはずだ。ここ20年、4代の校長、副校長、教頭で10名以上の管理職が君臨していたが、結果本校はどうなったかということだ。これくらい管理職の影響は大きい。管理職の責任とは「無作為の責任」ということである。
・ 要は「組織の栄枯盛衰はすべてリーダーによる」ということだ。大阪府も新しいリーダーを得て今動き始めた。府民はノック時代、太田時代と橋下時代を厳密に観察しないといけない。関市長時代の市政と今の平松さんを冷厳に見つめなければならない。
3.学校の管理職
・ 学校とて同じことだ。「学校の管理職は校長と教頭」である。昨年から本校で始めた制度である「担当管理職」は「準管理職」の位置づけである。言ってみれば「特命担当大臣」みたいなものである。公立の「主幹」とか「首席教諭」とかの「中間管理職に相当するもの」として理事会が導入したものである。
・ 従って担当教頭には「授業も幾分かは持ってもらう」。もちろん管理職扱いとしての「管理職手当て」は支払うが、しかし当然それは「高校教頭、中学教頭、事務長の管理職手当て%とは異なる」。当たり前だ。
・ 担当教頭からキャリアとして「正教頭」に昇格するのが自然であるが必ずしもそればかりとは限らないだろう。「指導教諭」として分かりやすい表現で言えば「予備役」に入ることもある。勿論予備役に入れば準管理職相当の給料は保証しなければなるまい。予備役ではなくて「教諭に戻る」こともあるだろう。
・ 「管理職から平教諭に戻った場合」は当然「管理職手当て」は無くなる。昨年本校の歴史で初めてこの実例があった。給料ダウンは辛かったけれど、ご本人はさらりと理解してくれた。この先生は民間企業経験が長かったから「当たり前のこと」と分かっているのだ。今年もう一つ実例が出ることになる。
・小さい学校だから多くの役職があるわけではない。しかし「管理職経験は必ず本人の自己実現に役に立つ」筈だ。多くの教員に「管理職経験」を付与してあげたい。管理職をさせてみたい教員は結構多くいる。そうだからといっていくらでも増やすわけには行かない。「悩ましいところ」だ。
・ さて学校管理職の「名ばかり管理職パターン1」、「名ばかり管理職パターン2」について考えねばならない。少なくとも本校の管理職で「マクドナルド管理職店長みたいな人」はいない。それは断言できる。夜遅くまで働く人はいないし、少なくとも給料も公立の管理職には負けてはいない。
・ 大体60歳を超えて年収が大台を超えて、65才まで働けるのだ。「頑張ってもらわないといけないわな。」「名ばかり管理職パターン2」になってはならない。「管理職の仕事とは何か」をよくよく考えなければならない。
・ 「教員をまとめるだけの仕事」ならそれはほんの一部だ。「経営の目標実現に対して組織に楔を打ち込み、組織を進化させ、目標に向かって組織構成員を立ち向かわせることが管理職の仕事だ。」赤信号、皆で渡れば怖くないといって「列の先頭にたって赤信号をわたるような管理職は管理職ではない」。全員が滅亡する。本校の過去を見れば明らかな筈だ。
・ 本校は一法人、一学校であり、公立と違って転勤などない。系列の大学もない。30年以上、本校だけしか知らないから、余程本人が気をつけないと「井の中の蛙」になる。もう新しい発想が出て来ないのだ。それでは組織は変わらない。
・ 私は「民間企業の管理職経験を条件」として大阪府に最初の民間人校長として採用された。住友金属という鉄鋼会社で、副長、課長、次長、部長、とにかく長い管理職経験を有している。キャリアは多彩だ。
・ それも3年ピッチで鹿嶋、ニューヨーク、鹿嶋、大阪、鹿嶋、東京、和歌山、東京、大阪と場所も変わってきた。仕事も製造、海外技術援助、工場長、本社次長、技術部長、営業部長、製造所副所長、関係会社取締役、何でもやってきた。「管理職論」にかけては「一家言をもっていると自負」している。
・ 公立高校の校長時代は時間を見つけては他の高校を勉強に出かけた。48校に上る。「何時も新聞はなめるようにして記事を追い、そこで考える」のだ。「教育関係の書物」は本当によく読む。このようにして「自分を攻めている」。理事長・校長という絶対権限を有しているだけに、「裸の王様」にならないように外の空気に触れるよう気をつけているのである。

2008年3月19日水曜日

3月19日(木)仕事中禁煙

1.仕事中喫煙防止
 ・橋下知事が又新たな検討指示を出した。今朝の朝刊各紙が報道している。要は「職務専念義務で仕事中の喫煙を禁止する」というものだ。
・しかし是には複線があって先般知事が若い職員と懇談と言うか、ミーティングをした時に「知事の発言」に対して突然立ち上がった女性職員が「あなたは職員のサービス残業は分かっているのですか?府民と職員を分断する・・・」のような発言をした時に知事が「残業云々を言われるなら仕事中はお茶やタバコの時間はなくそう・・・云々」との切り返し事件があったのが裏にある。テレビで何回も放映されたから観た人も多いはずだ。
・今朝の週刊新潮には「橋下知事にくってかかった大阪府のジャンヌダルク、美人職員」と揶揄されて出ているが、この反響は大きくて府庁には抗議のメールが1000通を超えているという。あたり前だ。「上司をあなた呼ばわりするようなアホな人間が府庁にいるとは驚きだ。」メールの内容も「府民の代表に対して礼儀がなっていない。」「あんな職員はクビにしろ」とか大騒ぎだ。
・私は、同じような改革を進めているが、本校ではまだ「あなた呼ばわりされていない。」「良かった」。うちの教職員はレベルが高いというか社会的常識を有している。今朝のABCテレビでも芸能レポーターの、あの“みといせいこ”さんという人が「あれはおかしい」と言っていました。
・話を喫煙に戻そう。大阪府は条例で一日2回各15分の休憩時間を定めているという。今時このような自治体はないだろう。大阪府くらいではないか。知事は府庁内に喫煙室をなくし、条例を改正して休憩時間をなくしたいと担当部署に指示したという。府庁には8ヶ所の喫煙室があり26%の職員が喫煙すると言う。4人に1人か?果たして本校ではどれくらいの数値になるのであろうか。
2.「新浪速の教育
 ・ 3月14日のブログ「研修誌と研修」に早速反応が返ってきた。4月以降の新図書研修部長が概案を作って来てくれた。この先生は何時も仕事が速い。優秀だがもう少し「ゆったり」してくれば更に光る先生だ。彼ならやってくれるだろうが、皆協力してあげて欲しいと思う。
・ 中身は教員に任せている。口は出さない。此処まで言っているのだ。ちゃんとやってくれるだろう。ただ問題は「タイトル」だ。これは誰彼に出来るというものではない。国語の先生だから知恵は色々とあるから案を山ほど持ってきた。
・ 校報「浪速の光と風」、校報「浪速の蛍雪」、浪速校報「骨刻銘心」(こんなの初めて聞いた)、校報「日東、浪速」(日東とは日本のことらしい)、「浪速校報 生彩」、「校報 浪速の生々」、校報「浪速の記注」、校報「時事通信」、「浪速校報 明道」とかあるのだが、どれも今一歩だ。
・ “光と風”と“蛍雪”は私のアイデアだが今ひとつである。結局「紀要 新浪速の教育」とすることにした。サブタイトル“紀要”は創刊号の末尾、編集委員の言葉の中にあり、中々良いのでこれを復活させ、従来からのタイトル「“浪速の教育”との繋がりを大切に考え」、“新”をつけたものだ。良い響きだと思う。
・ 編集ソフトはMS社の「仕事ノートブック」というものが便利だという。情報委員長と相談して必要なら購入しても良いと言った。21日に関係者集まってキックオフしてくれるという。大いに期待致したい。
3.進級判定会議
 ・ 学年原案通りの決定となった。これで後は21日の終了式で本年度の公式行事はすべて終わる。会議の最後に今年お世話になった常勤講師の先生に「御礼」を申し上げ、良ければ「有給取得を奨励」申し上げた。
4.有力塾(予備校)の塾頭から電話
 ・ 前任校の人気が間違いなく上がってきており、この件に関して意見を求めてきたもの。天王寺の普通科なら高津の普通科に変える生徒が目立ってきたとのこと。「木村時代の成果」とこの塾頭は言ってくれた。私は「このためにこの一点だけで頑張ってきた。4年目には普通科比較では天王寺には負けていなかった」と応えた。
・ 私が辞めてまだ2年しか経っていない。現校長はまだ1年、その前の校長は1年未満の短期、まだ改革の余波は今後出てくる。そのために総てを犠牲にして私は頑張ったのだ。この学校が上手く行かなかったら「私の4年間は何だったのか」となる。嬉しい電話であった。
5.清掃会社からの清掃員と懇談
 ・6名の女性清掃員の方々と時間は短いが特別会議室にお招きし、「懇談会」を初めて持った。「何事だろうと」と大変緊張されていたが、そこは人生経験豊富なご婦人たち、最後は笑いもあり、成果のあった懇談会であった。
6.入院中の教員を見舞う
 ・食べることには問題なく、病院食がまずいという話を聞いたので「好物のうなぎの上」を内緒で持参して夕食に食べるように言ったら、本当に喜んだ顔をしていた。その時に看護婦さんが入ってきたので慌てて隠した。
7.久し振りに教員とアフターファイブ
 ・天王寺は卒業、従って今日は御堂筋沿いの某場所で。大いに盛り上がる。

2008年3月18日火曜日

3月18日(水)大阪桐蔭高校と授業日数

1.中学校転入試験判定会議
 ・ 浪速中学校新2年生と3年生に複数名の転入希望者があり、本日試験、判定が行われた。それぞれの事情があって公立中学から私立中学への転入希望だ。まったく通常の手順で試験を行い、面接を行い、中学校の校務会と運営委員合同の判定会議で検討し、最終的に校長が入学許可を決定した。明日発表を掲示する。
2.進級判定資料概要の事前説明と些かの指摘
 ・ 学年単位で明日にかける「進級判定会議」の基礎資料の説明を各学年主任から受ける。正直「ウーン、という成績の生徒もいる」のは事実だが、教員の追試、追加指導等で「追い込み」をかけて教員は「なんとか進級させてやりたい」と頑張ってくれている。「本校の面倒見の良さ」だ。この点は極めて立派だ。ただ「些か問題もあることが生徒の動きと他校との比較」を見て感じる。
・ この面倒見の良さは良いが、このために「圧倒的に多い普通の生徒の面倒見がお留守になってはいけない」。高校中学の教頭、教務の副部長、進路部長、1,2年の学年主任、理数科長を集めて少し議論した。
・ 年度末の一番大切なこの時期をいかに一般の生徒に「不足した部分」や「弱点克服」「1年間の総復習」などをするかの「視点が抜けている」のではないかという「問題提起」だ。「重要な教育対象を見逃している」。そうでなければ「何か意図」があるのかと疑いたくもなる。
3.授業日数
・ 午前の最も良い時間をかけて、ほんの一握りの一部の生徒にかかりっきりとなって、「遅れた生徒にばかりに時間を取り」、「もっともっと伸ばすべき生徒への配慮が足りないのではないか」という指摘だ。「教員の勤務時間は夕方5時近くまである」。多くの教員は職員室に座っている。
・ 何でこの時期、会議がすべて朝の9時とか10時なの?午後にしたら午前中は時間が取れるのではないの?何で中学校と高校の「渡り」が規制になるの?同じ勤務時間でしょう?何で追試が午前なの、専願点呼が何で朝なの、午後にしたら良いでしょう。追試が何で一日2科目程度なの?言いたいことは山ほどある。
・ 議論の課程で私も評価している、ある良識ある、賢い某教員は「昔の残渣」ですと言い切ったが、もう残渣は払い飛ばさなければならない。大体授業をせずに終了式(本校では年度末は終業式といわず終了式)まで一般の生徒を「自宅放置」させて理屈が通るのかと言いたい。「普通の学校は授業が終わった翌日が終業式」だ。自宅に何日も放置する学校などあるまい。本校は公立ではない、私学だ。
・ 「年度末の時間の使い方を再度整備」しなおさねばならない。理数科にも不満だ。「理数科は習熟度別を公式に認めている課程」だ。「難関大学を目標と学校案内に書いている」、「そういう約束で学力のある生徒を募集」しているのだ。。それを「一般と同じような授業時間や教科書の進捗では詐欺」といわれても仕方があるまい。理数科は3年間の教科書を2年で済ませ3年生は「演習」だ。どこの学校も実態はそうだ。進学校で英国数、教科書通りにやっているところなどあるまい。これでは難関国公立、私立に入れられる訳がない。
・ 教科書を使うのは楽だ。「プリント」を用意しなくても良いから。しかしそれでは「難関国公立に進学させるには「授業時間が足るまい」。誰でも分かる理屈だ。要は進学実績を上げるという崇高な目標を上げても、やっていることは、そのへんの「温泉高校」(ぬるま湯高校)と同じだ。
4.大阪桐蔭高校
・ 文武両道を誇る「桐蔭高校のカリキュラム」を勉強すればよい。桐蔭は凄い学校だわ。実績を上げているところはやはり違う。「年間授業日数は267日」だ。267日だよ。教職員の法定出勤日が大体283日以上だから「教員が出勤している日は授業をしている」ことになる。
・ 授業時間の多さ、これを桐蔭は「売り」にしている。桐蔭みたいな学校でそうなだから、本校はもっと頑張らねば追いつくわけがない。離されるばかりだ。聞いた話だが、大体夜9時前に帰る教員は居ないという。本当かな?桐蔭中学でも50分授業で週40単位の授業だよ。それで267日の授業だよ。すごい。別に夜9時まで残ってくれとはいわないが、「勤務時間一杯は働いて欲しい」。
・ 1,2年生の3月の授業は学年末考査は3日間で済ませ(本校は5日間)、その後は「春季特別授業」と称してなんと3月26日(本校は3月13日)まで授業をし、その間ちゃんと保護者懇談会などを入れ、27日が終業式(本校は21日)だ。特別授業が年間59日あるという。全然違う。
・ こういうのを見ると私は「落ち込む」。なんで本校はそういう「発想が管理職からも進路からも、理数科からも教務からも出て来ないの?」という訳だ。教員は高校も中学も様々だ。とにかく教員間の均等論がまず先にくる。通らない理屈は言うが「ようはしんどいことはしたくないではないのか」「要は早く早く家に帰りたい、休みたい」ということではないか。これは副校長が認めた。確かにそういう面はあったと。
・ 帰りたい人は帰って貰って結構だが「勤務時間内は授業でも何でもして欲しい」。それが「契約」だ。それに「横並びの発想」は間違っている。野球をしたくて入ってきた桐蔭の中田選手と京大に進学したい進学コースの桐蔭の生徒とは当然スピードも内容も異なって当然だ。それを昔、本校では「反対」という輩がいたそうだが許せない。
・ 「大体何もやらなくて、好きな部活指導が本務で、クラブ指導の合間に授業をしているという教員がいるとすれば大問題」だ。本末転倒である。「自分の子女を本校に通わせたいと思わない」で自分の子どもは四天王寺や清風南海、桐蔭、京都洛南などに行かせている教員はそれらの学校の取り組みは分かっているはずだ。それらを見て「ああ、うちは楽な学校で良かった」と思う人は教員失格だ。「教員ではあるが教師ではない」。無責任極まりない。
・ ある学年主任に会議で「どう思うか?」と聞いたら「行事どおりにしています」と返ってきた。これ以上言うのが馬鹿らしくなってそれでいうのを止めた。 議論にならないのだ。
・ 「決して私は諦めない」。この学校が「まだまだ、もっともっと素晴らしい学校」なるため、私は「不退転の決意」でやる。志を同じくする教職員を集め、「仕事ぶりと成果に応じて処遇」を考えていく。決して私は諦めない,負けない。私がやるといったら絶対やる。我が人生、最後の勝負の時だ。覚悟は出来ている。サボりと無責任教員は絶対に許さない。」

2008年3月17日月曜日

3月17日(月)専願点呼

1.専願点呼
・ 「専願点呼」とはいかにも古めかしい言い方だ。本日は専願合格者の第1回目の登校日、副校長によると長い間、本校では「公立高校の後期試験」の日にぶつけているという。理由はよく分からない。おそらく「公立へ逃がさない」という“気持ちの表れ”なのかもしれないが、いまさら逃げるなど有り得ない話しである。
・ それにしても「点呼と言う言い方」に違和感を感じる。「1人1人名前を呼んで人数を確かめる」と国語辞典にはあるが、辛い話しだ。人数を確かめ「ああ、今年もこれで学校がやっていける」くらいの「私学経営のせつなさ」みたいなものがこの点呼という言葉にあるのか。
・ 一方では「何か軍隊か自衛隊的な行列点呼のイメージ」が拭いきれず、この専願点呼の言葉には馴染めない。来年は変えよう。「専願合格者登校日」で良い。公立の後期の合格発表日の24日は「併願点呼」となる。こちらは「戻り」という重要な数値概念があり、「点呼」というのは分かるような気がするが、別に点呼でなくともよかろう。
・ 今年は専願数が大幅に伸びた。一切脇目も振らず本校にのみ絞って来てくれる生徒だ。「有り難い話し」だ。本日登校する予定の数は総勢383人、内女子は93人と対前年度38名の大幅増で、これまた確実に伸びている。
・ 専願だけで383名の数値はここ「最近の新記録」で素直に嬉しい。認められてきた証拠だ。昨年は対一昨年対比で専願が減少して気にしていたがこれで「復活」した。専願で定員一杯になることが理想だが、一挙にはいかない。まず実績を示さなければならない。
・ 専願、併願どちらが学力レベルが上で、学習意欲がどうだとか、生活習慣はどうだとかは関係ない。昨年の入学式でもそのように話した。入学した以上、すべて同じ生徒だ。「本校教育方針にのっとり公平に平等に対応」していく。あたり前の話だ。
・ 今日は新入生心得、健康の記録、自転車保健、通学証明書、教科書・副教材の申し込み、それに「宿題を英国数で出す」。それを入学式の翌日4月9日に宿題試験を行い、初めて本格的な生徒の学力を見る。至れり尽くせりだ.
・ 10時過ぎ体育館に揃った生徒の状況を観に行ったが、新学年主任のK教諭が一生懸命説明していた。生徒は静かに聞いていた。生徒生活指導部長が注意して観察していたが、私の見るところ、皆、真面目そうで賢そうで、これなら新1年生の生指は楽になるか。「うん、まだ早いって!?」
2.クラス名の呼称
・ 副校長に頼まれ、色々考えたが次のようにした。「理数科はS,普通科Ⅰ類はR,Ⅱ類はT、Ⅲ類はA」とした。複数クラスの場合は例えばA1,A2、A3、・・・となる。クラス数が幾らになるかは24日の併願点呼まで分からない。戻りの数値による。
・ 由来は理数科のSはこれは誰でも分かるサイエンスのS、Rはリアライズ(実現する)のR,Tはトライ(挑戦する)のT,Aはオールラウンド(すべて)のAの意味だと副校長とK教諭が後付で考えてくれた。これで良い。元々Aはアスリートで考えていたのだが。All Roundの方が良いな。
.藤本義一先生から電話 校歌の件で、ご機嫌であられた。
4.第2グラウンド整備状況
 ・いやー立派なものが出来つつある。これは素晴らしい。正門入って、真っすぐのところ、体育館に通ずる通路沿いにある。入学式には間に合うし、これは生徒保護者に大変喜ばれると思う。
 ・柱やネットの色がこれまた良い。シルバー色だ。誰かの本だったが「学校というのは何時も“槌音”が聞こえていないと駄目」というものであったが、つくづくとそのように思う。これは名言だ。
 ・「槌音響くのは学校の元気印」だ。考えてみれば昨年1月から「槌音ばっかり」だったような気がする。正門、塀、体育館、家庭科調理室、中庭人工芝、1階女子トイレ、それに今回の第2グラウンドテニスコート3面化だ。
・ もう私の頭には次の槌音だ。それは「食堂のカフェテラス化」である。カッコよいものを作るぞ。お金は後から付いてくる。
5.今朝の産経新聞記事 私学助成から
・ 「大阪府私立中高連会長の野田浪商学園理事長のインタビュー記事」を載せているが、「まったくその通りだ」。橋本行財政改革に関して私学助成をするなら「その前に公私間の公費支出格差46万円を無くせ」と言っておられる。
・ 3月20日の私のブログ「橋下知事と平松市長」のところで明確に書いているがまったく論点は同じだ。野田会長、良く存じ上げているが、立派な指導者で、良くぞ言ってくださいました。
・ 私は言いたい。「橋下さん、大阪の私学助成は各都道府県の中で小中の全国学力調査の順位と同じで45番目ということを認識して喋らないと。」あまり発言が軽いと折角の府民の期待が変わってきますよ。ちょっと「発言が軽すぎる」気がします。基本的に「橋下改革を応援」しているのですから。
・ 記者の突っ込み「府立に比べ私立の教員給与は高い」に対して野田会長は次のようにコメントされている。「私学は本務教員の数を抑え、非常勤の割合を高めているため、教員の負担は生徒数も含めて府立よりも大きい。ボーナスも毎年下がっており、公務員を下回るのはそう遠くないとみている。
・ 橋下知事の教育の発想の原点は「公立」のみだ。このことはブログにおいて何回も強調してきた。「大阪の教育を日本一に」というがそれは良い。大変結構だ。しかしそのために「公立の学区撤廃」をと言い、母校の北野や天王寺しか頭にないのだ。どうして「私学も頑張って欲しい」と言えないのか?不思議だ。
・ 「大阪の子どもの40%が私学で勉強している」と言う発想がまったくない。私学に言うことは「私学助成の削減」だけだ。「驚きを超ええて怒りさえ感じる」。府立高校には寛大で私立高校は痛めつけるというのでは、大阪全私学の優良な保護者納税者と私学とビジネスを展開し、納税している企業家が叛旗を翻すことになりかねない。勿論「私学も経営努力を怠ってはならない」が。

2008年3月15日土曜日

3月15日(土)中学校卒業式

1.卒業式で福岡県中学生二人逮捕
・ 昨夜から一部のテレビで報道され、今朝の新聞でも各紙記事にしているのだが、福岡県田川郡内の公立中学校で卒業式のあと、8名の生徒が暴れだし2名が福岡県警に逮捕されたとある。校長室の湯飲みを割り、校長のロッカーを蹴って損壊したという。
・ 学校はこのグループを「個別指導」と称して昨年から美術準備室に隔離して(新聞報道の言葉)指導していたが、テレビゲームやラジカセ、電気足温器、漫画などが持ち込まれ「溜り場」になっていたため、2月末に閉鎖したことが気に障ったらしい。
・ 50センチの鉄パイプを振り回し、レポーターのマイクを取り上げて歌いだしたり、傍若無人ぶりは度が過ぎ、遂に学校は警察を呼んだものだろう。校長は心労で休職、教頭は自宅療養中だという。しかし「弱い管理職だな」とも思う。二人とも倒れるかなー。
・ 本校ではあり得ない。決してこのような生徒は作らないしこのようなことはさせない。しかしこの県の教育長も冷たいよなー。テレビのコメントでは「もっと学校が早い段階で指導しておれば・・・」みたいなことを言っていたが、それは違うのではないか。
・ 教員の力は得られず、保護者も怖い、教育委員会も当てに出来ず、マスコミを恐れ、四面楚歌で行き詰まった校長と教頭の哀れな姿が見えそうだ。これが今の「今の荒れた公立中学校の姿」と言える。
2.浪速中学校卒業式
・ 「良い卒業式」だった。中学生は本当に可愛い。「あどけなさが残っている」ところが良い。これが数ヶ月もすると一挙に高校生の顔になるのだから不思議だ。36名の生徒に「卒業証書を授与」した。
・ 浪速中学校が生徒募集に苦労した時代の生徒で言ってみれば「虎の子の生徒」だ。男子ばかりである。優秀な生徒も多い。なんと高校受験の成績で言えば2200人のうち1番と2番、4番、46番の席次は浪速中学の生徒だ。
・ こじんまりとした卒業式であったが、装いは立派にしてあげた。「中身は光る卒業式」だった。予行練習を見たが「どうも冴えない」ので「赤じゅうたんを前に敷き詰め、金屏風と幔幕で一挙に豪華な会場」になった。
・ 歌も「仰げば尊し」がなかったので、急遽加えた。「この曲のない卒業式は何か物足りない」。教師から「仰げば尊し、わが師の恩・・」と歌わせるのはおかしいではないかと言う向きには「現場を知らない教条的な人」で無視する。この唄は生徒教師双方のものだ。
・ 体育館などの大きな場所ではないため、かえって歌声が会場に響いて大変良かった。高校生になってくると照れくさいのか歌声は、もそもそと小さいのだが。「中学生は声を張り上げて歌う」から、これが又良かった。
・ 式辞は高校と違ってあまり難しくてもいけないし、長いのは禁物だ。今日は短くまとめた。「司馬遼太郎先生のお言葉を借用」したりして、語ったつもりだ。学業優良表彰は成績がトップの生徒に贈るのであるがこの生徒が実は高校受験成績トップの生徒だ。大きく、大きく伸びて欲しいと願うばかりだ。
・ 保護者の謝辞にはほろりと来る。特別な感慨があるのだろう。おそらく今日で「子離れの覚悟」を決めたかも知れない。ブラスバンド部の生演奏も入れた。盛り上がった良い卒業式となった。卒業式は何度やっても良い。「校長冥利に尽きる」。
・ 11時30分頃、職員室で中学3年生学年団が全教職員の前で総括と挨拶、それを「全員が拍手で慰労」する。中学校の担任団、苦労もあったのだろう、しっとりして良い挨拶だった。「高校に行っても、皆さん、浪中の卒業生を宜しくお願いします」と深々と頭を下げていたな。良い場面だった。
3.東大合格 福嶋唯大君
・ 担任のK教諭が本人を連れて挨拶に来てくれた。お祝いを手渡す。学校の正門入口に垂れ幕をつけたことを恥ずかしそうにしていた。「慶祝、本校初の快挙、東京大学合格 福嶋唯大君」と大書きしたものだ。
・ 長身でハンサム、さすがに頭脳明晰な感じで色々とおしゃべりした。世界史が不得意でよく出来なかったが「英語でカバーできた」と担任のほうを向いて言っていた。この担任はTOEIC900点の英語の教師だ。この二人には信頼関係があると伺えた。
・ 一人っ子、両親も大変喜んでおられ、本郷、井の頭線界隈で住むところを探すという。私からは2点強調してアドバイスした。何をしゃべったかはK教諭しか知らない。福嶋君の「将来に関して」のことだ。相当力を入れて話をした。真剣に聞いてくれた。
・ それにしてもよく「東大」に行ってくれた。此処が素晴らしいし、嬉しい。「京大」でも勿論大変なことだが前にも書いたように「東大は別格」だ。正門前の制服店の社長はじめ、アルバム会社の社長など「お祝いに来てくれる」。この人たちも胸をはれるほど嬉しいのであろう。

2008年3月14日金曜日

3月14日(金)研修誌と研修

1.研修誌「浪速の教育」全面改定
・ 本校には「浪速の教育」として立派な研修誌がある。1人の図書研修部員の先生が中心になってまとめているものだ。経緯も明らかで21年前の「昭和62年の5月が創刊号」である。当時のI校長先生が始められたもので今年で第21号になり、題字もその先生の揮毫になるものだ。
・ 創刊号を読むと「浪速全盛時代の息吹」を感じることが出来る。編集後記には発刊の主旨として「紀要とまで形式ばらなくとも機関紙・雑誌的なものを刊行し、教育の中身の充実にむけて本校の教育研究、教育実践等諸活動を記録を蓄積し全体の財産にしていく」とある。気宇壮大であり大変結構である。
・ しかし当時の研修部のメンバーも鬼籍に入った方もおられ、委員10名のうち、本年4月以降3名の先生しか学校にはもう居られない。21年の年月を感じる。内容はこの種の物に共通するのであるが「すべて創刊」に似てしまう」。即ち創刊号の枠を超えてこないのが普通となる。此処が問題だ。「段々、良く鳴らないのだ」。
・ 「研修誌」とあるように元々教員の1年間の研修した成果の代表的なものを管理職が精査し、4ないし5つの論文というかレポートをピックアップし、掲載して後世に残すとしたらしが、どうも観察するに「マンネリ」に陥ってきていると観た。「もう少し時代背景やその年の教育活動や成果を細かく歴史に残さなければならない」と感じた。
・ 法人が実は事務も含めて各教職員に年間4万円、「研修費用」を出し、その成果を問うというものらしいが、全員一律に4万円を支給するというのも、今日的ではなかろう。「研修費名目の給与の一部」ととられるとまずいことになる。事務室など論文を出した跡さえ見当たらない。
・ 昨年3月末に全員から教頭に「提出」された研修レポートをすべて読んだが、「ウーン」と唸るようなものもあるのである。これが「1年かけて学校の教員がまとめた「レポート」か」?という訳だ。
・ 勿論、中には社会科の先生のレポートで「大塩平八郎の乱」の時代背景と考証を専門的に著述しているのがあったり、国語の先生の「越前竹人形イメージからの考察」とかあって悪くはないのだが、もっとその年度にあった「直接的な教育活動と成果分析」などを記録に残さなければならない。
・ 特にこれから浪速100年に向かって今教育界は最も重要かつ厳しい時代であり、「後世に伝える歴史書を整備するのが今に生きる我々の責務」と考えるのである。元来研修は費用が出ようが出まいが教員がやるべき最も大切なことで、殊更特定の人たちのレポートを載せるだけでは駄目だ。今最も必要なことは「足跡」を残すことだ。
・ そうすれば90年誌や100年誌などはすぐ出来る。そういうわけで「全面的に「浪速の教育」を改定」することとした。当初は研修費の4万円は廃止と考えたが、これは研修を奨励する立場としては矛盾すると考え、継続とした。
・ 取り上げるのでなくて年間賞与の定額分として賞与一時金に組み込んだ。決して無くしたわけではない。言ってみれば「特定道路財源を一般財源に変更」しただけのことである。加えて全員に義務としての「レポート提出は廃止」とした。即ち「色をつける」ことを止めたのである。今年からはレポートの提出は義務とはしなかった。
・ 新しい校報は図書研修部の担当、「浪速の教育」の言葉も変え、中身も思い切って記録重点にし、研修は研修として別途まとめれば良いと考えている。既に私から副校長、教務部長、図書研修部長等に趣旨は説明し賛同を得ている。敢えて「本誌の発表会などは不要」である。
・ 少し他校の調査もしたら良い。ある例では卒業式の校長式辞、生徒の答辞、在校生送辞、などすべて公式なものは残しているのもあった。個人の研究事例など記載しているようなものはない。
2.研修会
・ 研修会は特に力を入れてやりたい。今までは年3回、6月、秋頃(随時)、12月ということだが本年から既に移行しつつ見直している。8月夏季研修会、3月年度末研修会と「定例研修会は年2回」にする。後は随時だ。8月に実施したが概して良いものだった。
・ 浪速の12月年末研修会は、有ること自体は評価できる。まず校長が「基調講演」と称して、これも仰々しい言い方であるが、「特定のテーマ」に関して「提議」し、それを「分科会」に分かれて議論し、その結果を代表者が報告するというものだが、「変化の激しいスピードの要求される時代に少しまどろっこしい」。
・ それに校長の基調講演などは「理念」だけでは駄目だ。何をどのようにしたいのか、到達レベルは何処までを要求するのか、教員に何を求めるのか、組織の長として明確にしなければならない。
・ 給料の高い教員が半日全員が集まって討議するなら「何かを具体的に決めない会議や研修会などは意味がない」。各人の勉強会に終わってはいては駄目だ。法定福利費を入れると一人年間1000万円とすると、教員の1時間あたりのコストは一人5000円になる。それが100人だから相当なものだ。
・ 定例8月研修会は4月から8月までの外部研修会出席報告会、プロジェクト報告、随時のテーマ議論などとし、3月はこれらに加えてその年採用の専任教諭の1年間研修のレポートの発表だ。これは重要だ。これで1年間の試用期間が終わる。
.データの残し方
・ 重要なことは新たな視点として「デジタルに記録を残す」ということだ。それを浪速のイントラネット上にデータとして保存しておけば「何時でも誰でも閲覧」出来る。この方にも力を注がなければならない。広報情報委員会の力を借りねばなるまい。
・ 現在「浪速の教育」の印刷代は200冊で50万円で大した金額ではないが、何時まで製本でやるのか。「デジタル状態で記憶装置に残せば良いではないか」。必要時に個人が必要なページをプリンターで印刷すれば良いのではないか。大切なことはデータを残すということだ。又DVD一枚で相当なデータが残せる。勿論「貴重な映像」も残さねばなるまい。今の研修誌には映像が少なすぎる。
・ 確かに冊子が手元にあれば、すぐ開けて便利かもしれないが、200冊も印刷して誰が年に何回この冊子を手にとって開くというのか。観察していたが余りそういう光景を見た事はない。いずれにしても時代は21世紀だ。「やり方、考え方を変えようよ、先生方!」
・ 製本ソフトを図書研修部に与え、ネット上に研修誌が「BOOKの形」で保存するのは難しい話ではあるまい。そのために「各人には個人パソコンを貸与」しているのだ。各人のデータをネット上で集め「製本の形」とする。それが「浪速の足跡」だ。
・ 対外秘として扱うことで従来整理して残っていなかった「生徒指導」「不登校」「進学実績」「行事分析」等々ジャンル別に簡単に整理できよう。学年、分掌、当然事務もデータを出して貰う。是非図書研修部は頑張って欲しい。今年分は無理だから来年が創刊号だ。

2008年3月13日木曜日

3月13日(木)先生が先生を先生と呼ぶ社会

先生が先生を先生と呼ぶ社会
・ 学校と言うのは不思議なところで、同じ「組織内の人間に敬語」を使う。「先生」という呼称は学問的に敬語なのかそうでないのか、今、私にはよく分からないが、とにかく「先生の乱発」である。即ち何時でも何処でも「先生が先生を先生と呼ぶ社会」なのである。
・ 平成14年4月、府立高校の校長に着任した。早速その日から「校長先生」と呼ばれるようになった。最初に言ってくれたのは確か教頭先生だったと思うが、何か「気恥ずかしかった」のを覚えている。
・ あれ以来、6年間「先生」と呼ばれ続けている。最近は「理事長先生」もあれば「校長先生」もある。生徒はすべて校長先生だ。もう慣れた。「先生と呼ばれても不思議な感じはしなくなってきた」。仕事の終わったアフターファイブからも先生と呼ばれる。先生と呼んでくれないのは「親戚と会社時代の友人」だけだ。特に会社時代の友人は飲む時など「校長先生」と言う時があるが、あれは完全におちょくっているのだ。顔に出ている。
・ 考えてみれば転身するまで30数年間、企業時代に「先生」と呼ばれることは全く、一切,決して、絶対になかった。逆にこちらが相手を先生と呼ぶことは結構あった。企業の特にメーカーは「大学教授とのお付き合い」は新技術や学生の採用などの点で大切なものであり、たまたまそういう「役回り」もあったものだから「先生と呼ぶご相手」は政治家も含めてよくあったのである。
・ 「学校の常識は社会の非常識」というが、こういうものを超越して学校は成り立っている。来客があり、「○○先生、いらっしゃいますか、こういう者です。」と来たら「○○先生は今授業中でお部屋にはいらっしゃいません」と、こうなる。
・ 企業なり一般の組織では「生憎○○は今授業中で部屋にはいませんが、云々」となるのが普通だ。学校内部だけの会議の時も以下のような形になる。「今、XX先生が言われましたが、云々」となる。
・ これは夜の酒場で飲食している時も変わらない。ビールを注ぎながら「△△先生は何時も頑張っておられますからねー云々」となる。このように何時も同僚の先生をいかなる時にも「先生、先生」と呼ぶ心理は一体何なんだろうと遂考えてしまう。
・ しかし待てよ、「先生」と言う呼称は学校の「教師だけではなく、医師と政治家の先生、この三つの職業に共通」している。しからばこの三つの職業に共通する何物かを分析すれば背景が分かるのでないかと考えるようになった。
・ 教師と医師は国家試験を受けた「資格職」で、サラリーマンみたいに誰でも無資格でなれる職業ではない。一応「独立職」だ。政治家は「選挙で民意を得た」これまた「一国一城の主」みたいなものだ。即ち経験の差はあれ、身分上の上下関係はないと言ってよい。すべての人が独立した「」みたいなものだ。
・ ベテランが若い人を「呼び捨て」にするような場面は例外を除いて全くと言って良いほど学校社会にはない。お互いが「先生」と呼び合うことで、見た目は「お互いの存在を尊重」しているのだ。それは朝起きた時から、夜寝るまで続く。職員会議であろうが、夜飲んでいようがこの形は続く。機嫌の良いときも悪い時も「先生」だ。
・ 「継続は力」というが戦後そのようにして学校社会は続いてきた。「昔から先生と呼び、呼ばれてきたから誰も不思議ではない」のである。「君付け、さん付け」などはこうなってくると「違和感を醸し出す」ので「○○さん」と呼ばれようものなら、「エッ、誰のこと?」となるのである。先生が先生でいることの「アイデンティティ確認は先生と呼ばれていることだ。」それは現役を退職しても、墓場に行っても人々の記憶に残る限り「先生」が続く。
・ 私ががたがた言う必要は無い。ここに良い本がある。最近騒がれた近くの学校の話だ。この学校の理事長が書いた「教師殿、企業へ出向を命ずる」という本の39ページに、学校の生指部長をやっていた人が2年間「うどん屋」に出向を命じられ、その方の言葉として以下のように書かれている。「それまで先生と呼ばれることに慣れていましたので、いきなり江口“さん”と呼ばれることに最初は違和感がありました・・・。」とある。正直な感想だと思う。
・ 勿論例外はある。本校の50才台後半のベテランのH先生は時々若い先生を「何々さん」と呼ぶこともあるが、この場合の何々さんは大体40才台が多い。「どちらかというと親しい仲、評価している先生に対して“さん付け”をしているみたい」だからややこしい。30才台や余り親しくないと今度は先生となる。
・ 慣れ、馴れ、狎れ、熟れとは本当に怖い。「それで普通」と誰もが疑問を持たなくなる。「社会の常識なんか、関係なーい、ここは学校だ!」となるのだ。下手に“何々さん”と呼ぼうものなら、「さん付けなど失礼極まりない」と言って返事などして貰えなくなるのが“落ち”だ。“さん”そのものが敬語なのになーと思うのだが。
・ しかしそれだけではあるまい。私は次のように観ている。「学校文化は平等、公平を厳守」するところが“”だ。以前のブログにも論考しているが「共同互助会組織」である。「皆で決めて皆で行う、誰もが均等、持ち時間も分掌の仕事も全て公平、平等」にだ。
・ 学校の方針も「職員会議で全ての人が一票を保持し、それの投票で物事を決める」ということを戦後ズーッとやってきた。こういう社会には「役職呼名は校長と教頭」だけで「他はすべて先生」であったのである。この文化を維持するためには「さん、とか君」ではまずいのである。「先生一本」でなければならない。分掌の部長も□□部長とはあまり呼ばれない。やはり先生である。
・ 言いたいのは学校現場における「先生呼称の頻発」は上記のような学校文化が色濃く反映されていると私は解析する。英語の教師と理科の教師は全然違う。教えるものが違うからだ。「売り」が違うからこれらを統一する呼称は「先生」でなければならない。
・ 特に高校の教師はすべて「専門店の社長」みたいな「独立独歩の人たち」みたいなものだから「高島屋総合デパートの売り子」ではなくて「心斎橋筋専門店の売り子」なのである。高島屋の売り子は何でも売るが専門店は専門品しか売らないのだ。
・ しかし時に教科の中では「ドン」みたいな先生がいて、若い教員を「呼び捨て」にしたりする人がいるが、これは例外だ。決して悪気ではなくて「親しみの表現」と理解しているが「フラットな教員社会に管理職でもない平教員が他の教職員を呼び捨て」にしたりしたら逆に組織管理者にとっては「違和感」を感じて、「君の部下でもない私の部下に貴方は何て呼ぶの!」という具合になりかねないから、これは止めた方が良い。大体体育会系に多い。
・ そういえばこういう事件もあった。某運動クラブの外部監督が「本校教諭を部員の前で高校の後輩だからと言って呼び捨て」にすることが「聞き苦しい」と「保護者会からクレームがついた」ことがある。少なくとも教育の一環の部活動だ。生徒の前では「先生」と呼ばねばなるまい。これは阪神の兄貴、金本と新井の間の関係ではないのだ。
・ 結局「先生という呼称ほど便利なものはない」のである。先生と言っておけば、まず間違いない。生徒が「先生、先生」と言ってきているのに、その傍らで「さん、クン」では良くないことは容易に理解できる。
・ 「先に生まれ」60才近い人生のベテランの保護者でも、「後に生まれた」若い20才台の教師に「先生」と呼ぶ。俺の方が先生だと、本当は言いたいところだろうが、文句を言わず、むしろ社会通念上積極的に「先生と尊敬の念を有して呼ぶ」。このような職業たる「教師という仕事」は素晴らしいと思う。「誇り」を持って頑張って欲しい。それが先生と呼ばれることへの恩返しだ。

2008年3月12日水曜日

3月12日(水)関関同立

1.関関同立とは
・ 関西の人なら大概の人は「関関同立」の言葉くらいは知っているだろう。学校関係者や高校生は間違いなく知っている。関東の人は「それって、何?」だろうがね。ネット百科事典にも出ているから今や「一般化されてきている言葉」である。
・ この言葉の起源は「旧関西六大学連盟」で行われた伝統の野球の一戦、「関関戦と同立戦」から来ているらしい。「阪神間の関西大学と関西学院大学、京都の同志社大学と立命館大学」はお互いにライバル意識が強く、当時の野球人気もあり関西の名物対決として定着していったとものの本にはある。何時頃かは定かではない。
・ 関関については「関大と関学、どちらが先か」という話や、立命の発行する広報誌などには最近まで「立同関関」としていたらしいが、もうそれも使用されなくなったらしい。即ちこの4大学は関西のブランド大学として発展し、今や学生サークルの連合組織や大学院の単位互換制度など有効発展の「シンジケート私大」だ。一般受験生垂涎の大学かも知れない。この「一般」と書いているところが味噌だが・・・。
・ 上記4大学のうち、どれが「偏差値の高い大学か」など,私がここで論じる訳にはいかない。大変なことになる。どの大学にも本校から生徒を送り出しており、教職員も関関同立の卒業生は多い。
・ 昨年の「大学合格者水増し事件」はこの「関関同立を舞台」にして行われた。高校側からすれば関関同立に何名入れたかが「評価に繋がる」として無理をしたのだが、「ウーン、それほどまでにする価値があるかなー」という感じも正直なところある。
2.センター試験の経緯
・ 私の世代は「共通一次試験の前の世代」であり今のようなセンター試験などは勿論なかった。昭和40年代第一次ベビーブームによる受験生の急増、高学歴志向で受験環境の厳しさが社会問題化したが、この当時は国公立大学隆盛の時代で、一期校、二期校と別れていた時代である。歴然と「国立大優位の時代」である。一部の私大を除いてそれは厳然としていた。
・ 激しい大学紛争の時代を経て、受験競争緩和の目的で昭和52年「大学入試センター」が設置され、昭和54年、第一回目の共通一次学力試験が実施される運びになる。しかしこれらも、すべて国立大学を中心に考えた入試制度改革で「私立大学はカヤの外」であった。ますます大学の序列化に繋がり、輪切りの進路指導、入試改善は国公立大学のみに留まり、私学は無視を決め込み、この制度は立ち行かなくなり、共通一次は11年間で終焉となる。
・ 中曽根内閣の臨教審は「新しいテスト」を昭和60年に導入することになるのだが、これが現在の「センター試験」で、ようやく「国公立、私大が利用する」ようになったのである。しかし国立大学の従来からの「5教科7科目方式」が大学の自由裁量になる「アラカルト方式」なるものも出てきて、この時期から「大学は大きく変質し始めた」と私は分析している。
3.「何が起きたか?」
・ 「地方国公立大学の地盤低下」が徐々に進んできた。「受験の大衆化」に伴い、受験生は「地方から都市部へと流れ」、都会の「おしゃれな大学」が人気を博するようになってきた。関関同立もその中に入る。
・ 特に大都市圏の国立大は旧帝大を中心とする京大や阪大など、「超難関大学」となり、特に「文系」は多くの受験生が私大に流れ「入試難易度は一挙に上昇」、「私高国低」などの言葉が生まれるようになる。関関同立は難関大学へと変身する。
・ しかし 「私立大の受験課目は3科目が当たり前」、中には2科目とかまで現れるようになり、これにつられて地方国立大学も「学生を確保するため」課目数を5教科7科目から5科目、4科目、3科目と減らすところが出てきたり、AO入試と推薦入試とか「勉強しなくとも大学に入れる教科」がどんどん増加していったのである。
・ そこへ持ってきて文部省が「ゆとり教育」と称して授業時間数の削減や訳の分からない課目を設定したりしてきたものだから「学力低下」論争が沸騰してくるのは当然である。要は文系の大学生では「分数の出来ない大学生」が多く見られるような事態に立ち至ったのではないかと見る。
・ 大学が「ファッション化」し「受験課目の少ない都会型の私立大学は今や人気の的」となり、少子化の中で「親も自宅から通わせたい、地方になどやりたくない。まして東京など怖いところには行かせたくない」となるのである。遂に「関関同立の時代」が来たのである。一昔前までは「国公立の併願大学の位置づけ」しかなかった私立大学が、都会型に関して言えば一挙に栄耀栄華の時代を迎えることになったのである。
・ 関関同立は今や高校、中学は言うに及ばず、小学校を作り、小さいころから「囲い込み」をするようになる。新しい学部をどんどん増設し、留まるところを知らない。関西大は来年外国部学部を設置し、再来年には堺と高槻に健康文化学部、防災系学部を予定と聞く。関学は来年「教育学部」を設置するし、再来年は「国際系学部」だという。驚くばかりの伸張だ。勝ち組と負け組がはっきりしてきた。「関関同立は間違いなく勝ち組」だ。
4.関関同立の受験課目
・ ライバル校だから基本的に同じである。「関関同立文系」は英語、国語、選択科目で1科目の計3科目である。配点は立命は少し違うが基本的に英語が200点、国語が150点、選択が100点のところと150点のところがある。立命館は英語120、国語100、選択100だが「比率」は似たようなものだ。関大は英語の比率が高い割りに、選択の比率は小さい。
・ 「関関同立理系」はやはり3科目受験で英語、数学、理科選択である。理系でも3科目だから驚く。国語の成績など問わない。配点はそれぞれ少しづつ違うが比率は大体同じで英語が35%、数学35%、理科が30%程度だ。「これで良いのか」という気持ちになる。
・ どこかが受験科目を1科目でも増やそうものなら「一挙に人気を失う」ことを怖れて関関同立すべて「横並び」だ。最近ようやくセンター利用方式の拡大で4科目受験も現れるようになったが。
5.関関同立志願者数
・ 2008年度の独自入試で言えば関西大62824人、関学大31224人、同志社大44446人、立命館大42220人と「凄い数の志願者」を集めている。「地方の小さな町の人口を超えている」のだ。合格者は関西大で11191名、関学大7159名、同志社12071名である。
・ 関西、地方何処から集まっているのか、次回に分析するが、関関同立も頭に入れながら「日本全国に目を配れ」と生徒にはいう積りだ。「地方の国公立大学も捨てたものじゃない」。授業料は安い、歴史はある、卒業生も多い、良い教授陣、じっくりと勉強できる、新幹線を使えば数時間で大阪に戻れる、日本に大学は多いのだ。

2008年3月11日火曜日

3月11日(火)東大合格者 出る!

1.東大合格者 出る!
・ 本校の歴史始まって以来、初めての「東大合格者が出た」。実は昨日の夕方遅くには一報が入っていたのだが、「真偽をもう一度確認しよう」と一日待ったが、「間違いなく合格だ。」
・ 1浪だが福嶋唯大君(本人の了解を得て実名)、見事に文Ⅲ合格だ、メチャ嬉しい。「すごいことになった。」昨夜から少し興奮状態だ。「本校の教科指導と進路指導でもちゃんと東大に合格させる」ということが「東大側から証明」されたのだ。このことを喜んでいる。
・ 今朝の管理職会議もこの話題で持ち切り、事務長補佐は「理事長は運の良い人です。」と言うが運だけではないだろうと言ってやった。運も実力のうちというではないか。敷地内禁煙の話は当面凍結だ。進路指導部長は朝から入れ替わり立ち代わり部屋に入ってくる。「浪速通信」の進路指導部の原稿を書き変えるという。彼も顔が笑っているのだが、この先生は結構口が上手くて、「理事長が進路にも“福”を持って来られました」とお世辞をいう。とにかく数学と英語が抜群に出来た生徒だという。
・ 「東大は別格」である。前任校でも3年目にようやく1名、10年近くぶりに出した時はわざわざ教育委員会の幹部から喜びの声が上がったものだ。大体、大阪の出来る生徒は「京大志向」が強い。しかしやはり「東大は東大」だ。
・ 小さな私学の本校で「東大合格」を出したことは大きな意味と意義がある。小躍りしたいような気持ちだ。85年の歴史で初めてだ。昨日を「3月10日は浪速、東大記念日」としよう。二人の副校長も何か上気している。「何で今年やねん?!」と顔に出ている感じだ。「すべて僕から新しい歴史が始まる」。本当に僕は運が良い。
・ これからは「浪速さん、東大に入れられますか?」と聞かれても「ええー、入れられますよ。」と答えることが出来る。「後に続け」だ。関関同立も悪くはないが大学は大阪だけではない。東京にも地方にも立派な大学は多い。「浪速高校は日本全国、東大を含めて、国立・私立どこにでもやれます。」と言えるのが嬉しい。唯一残っていた東大もこれでクリアした。
・ 日本最古にして最強の総合大学、知の拠点、日本のリーダー養成群、明治10年以来130年以上にわたって「東京大学は日本の全ての分野での基盤」であった。「そこに本校から入学者を出す」のだ。この生徒を指導した担任、教科担任の嬉しさはいかばかりであろうか。「先生方に心から「ありがとう」とお礼」を言いたい。
2. 校内工事順調
・ 機嫌よくなり財布の紐が緩むというのは冗談だが、新年度に備え、至るところで「工事」が始まっている。最も1、2年生はまだ授業なので工事は土、日とが主体になるのだが、とにかく夏休みと春休みは校内工事で忙しくなる。
・ 最大の工事は「テニスコート3面化と人工芝工事」だ。生徒増もあり、人気スポーツのテニスのコートが2面しかなく、高校生の影に隠れている中学生にも配慮してやらねばならず、一面増強することとしたもの。
・ 計3面となる。ポールを抜けば「ハンドボールコート」にもなるようデザインした。保健体育部長は「フットサル球技場」にもなると言っている。「なるほど」。これで女子の体育の授業でも有効に時間割と内容が組めるようになるだろう。今日部長を呼んで「カリキュラム、部活動等万事抜かりのないよう」お願いした。
・ 「第2グラウンド」と称することにした。中学の女生徒が「校長先生、有り難うございまーす!」と会うたびに声が出る。余程嬉しかったのか。良いことをした。
・更に工事としては、総合コースを完全共学にするから「女生徒対応」も必要で従来4階にはなかった「女子用トイレ」のために、男子トイレを改装だ。これはかねてから女生徒の強い要望でもあった。又来年は女性教員が大幅に増えるので「女性職員用の更衣室を増強」しなければ収容できない。これは今ある場所の拡張だ。
・ それに大工事は「食堂の改装」だ。今ある食堂を改装し、「カフェテラス形式」にして雰囲気を盛り上げる。「テーブルも丸テーブルが格好良い」だろう。ここに自動販売機を「ずらッー」と並べ、又、温かい弁当やどんぶり、麺類、カレーなどの「宅配方式」との共存で「温め用の機器、チン(電子レンジのこと)」を設置し、イメージを一新する。
・ 食堂の片半分は「職員用の会議室を4部屋」取る。加えて北館と南館の階段吹き抜け部分に「安全対策」として「落下防止用のネット張り」を行う。「新館入口の鉄製アーチや階段手すりの塗装」などもするよう発注した。
・ なんやかんやでウン千万円もかかるが「仕方がない。要る物は要る。」ただし支払いは来年度だ。これで当面の大きな設備対応は一段落する。今までは一切このようなことが出来なかったが、ようやく出来るようになってきたということだ。
・ 財布の底を見ながらだったが、結局個人パソコンも、中庭の人口芝も大変良かった。大きな効果を上げている。経営者にとって最も大切なことは「お金の使い方」だ。教職員も「目に見える形で学校のお金が使われている」ことは理解し易いだろう。
・ 大阪府神社庁が今後5年間にわたって毎年○百万円支援して頂けると前にブログにも書いたが、昨日神社庁であった「例祭」の席で私は「お礼を申し述べた。」「学校が良い回転をし始めると、お金もついてくる」から不思議だ。しかし「謙虚に、謙虚に。」「勝って兜の緒を締めよ!」だ。

2008年3月10日月曜日

3月10日(月)英検かTOEICか

1.英語力
・ 今から25年前、「ニューヨーク事務所勤務」を命じられた。まだ30歳代の若かった頃だ。英作文は好きというか得意というか、少しくらいは出来たけど、喋る方はかっらきし駄目で、全く「聞き取れなかった」。
・ NYの中心地のグランドセントラル駅に隣接した事務所に赴任するまで、日本で3ヶ月、「ベルリッツ」というところで会社は訓練期間を呉れ、「にわか英会話勉強」をしたが、まったく「現地会話には役には立たなかった」。
・ 「仕事になるのかな」「英語、どうしよう」と不安で仕方がなかったが、最後は「当たって砕けろ」でケネディ空港に着いたのを覚えている。事務所には現地スタッフがいるのだが、日本人スタッフが彼らとミーティングや飯時などに会話して「笑って」いるのを見たりしたら、「何で笑っているのか、分からないくせに、自分もニヤニヤしていたのを今でも屈辱的に思い出す」。 会話は満足に出来ないし、裕ちゃんは倒れて慶応病院に入院するわで、切なかったのを覚えている。
・ しかし3ヶ月だ。3ヶ月頃から不思議と分かるようになってくる。英語ばかりのところに住んだら誰でもそのうち英語はしゃべれるようになる。生きていけなくなるからだ。買い物もスーパーも医者も皆、英語だから、英語から逃れられない。
・ 6ヶ月間くらい経つて、明確に何を言っているのか分かるようになると、今度は「たどたどしくとも喋れる」ようになる。相手の単語を使えば良いのだ。言いたいことは「必要に迫られれば、ものになってくる」ということだ。心配する必要はない。
・ ある時、クリーブランドの鉄鋼メーカーの幹部との夕食時に「Tomo(私のニックネーム)は何処で英語を習ったのか」と聞かれたことがある。「高校時代に勉強した。」と答えたら「君の英語は流暢ではないが、正しく喋っている、喋ろうとしている。そこが大変良い。」と褒められたことがある。
・ その後も結構こういう場面は多かった。移民の国で、中には不法入国をしたり、どちらかといえば英語も「喋れず、書けず」といった人たちの「耳からだけの英語」はひどいものだということを言いたかったらしい。「はー、英語はこの国の国語なんだ。」と思った。
・ このときに初めて「高校時代の英語の先生のありがたさを痛感」した。文法、言い回し、構文、等々「日本英語の実直さ」に感謝したのだ。上手く喋る必要はない。「正しく、ゆっくり、品良く、喋る、このことが重要」だと思っている。外国語だから尚更だ。「言葉は人間そのもの」だ。知性、教養ある人間は喋る言葉ですぐ判別できるという書物もある。学歴で言葉が変わるという本もある。
・ 高校英語は別に「駅前のNOVA」でなくても良い。NOVAはなくなったが「英語の基礎基本は高校時代に身につける」、これが「学校英語」だと私は思う。小学生に英語を教えるのは「英語に親しむ目的」であれば良いが、あんなもので喋れるものではない。それよりも「国語の方が余程重要だ。」大体国語が弱い人間に英語が出来るとは思えない。
・ 「英語の重要性はますます大きく」なってくる。国際語であり決済語だ。「大学受験でも英語の重要性」はますます大きくなってきているし、「企業への入社もTOEICのスコア」などは極めて有力なアドバンテージとなる。「本校では英語を強化しなければならない」。
2.英検かTOEICか
・ 「英検」は「実用英語技能検定」といい1963年に創設されたもので延べ7400万人が受験し、現在でも年間250万人が受験している国内最大規模の、今や「権威さえ感じられる検定試験」だ。実は私も高校生の時に受験し2級を得ている。2級は高校卒業程度の力だ。
・ 本校でも英検は指導の一つとして奨励し、「理数科」を主体に多くの生徒が一つの目標としている。「大変良いことだ。」しかしここに来て英検に代わる「TOEIC」という目標というか評価システムが伸びてきている。
・ 英検が「合格・不合格」と結果を直截的に示すのに対して、TOEICは合否ではなくて「10点から990点までのスコア」で表わされる評価システムである。これはもはや「グローバルスタンダード」で世界60カ国で利用されており、日本でもここ最近伸びており、世界で450万人、日本で160万人くらいか。
・ 外国に行ったりすると「TOEICは何点ですか?」と聞かれたりするのは今や普通になって来ているが「英検は何級ですか?」とは聞かれない。徐々にTOEICが伸してきている証拠に今年の「センター試験ではTOEICと同形式の問題が出た」。このことに英語の高校教師は驚いている。
・ どちらが浪速高校にとって良いかという議論は難しい。それぞれ特徴があるからだ。本校も「英検派とTOEIC派」と分かれているが、そんなに厳しいものではない。ベネッセの開発した「GTEC」というのもあるが、今のところまだ少数派だ。本校ではI先生などがこの方式を主張する急先鋒だが、他の教師の賛同を多く得るところまでは言っていない。どうも「英検派」が未だ多数を占めている様子だ。
・ 私の感想で言えば「生徒には英検2級を目標に」、先生には「TOEIC830点以上を目標」にして欲しいと思っている。高校の英語の先生だからこれ位はあたり前だ。英検で言えば「準1級以上」が望まれる。今年1月と4月に専任教諭に採用の男女二人の先生には今年中の「800点」を義務つけている。
・ 「20年度入学の1年生のSSクラスとⅠ類は全員に、まず「英検準2級を目標」にさせることを考えている。英検はやはりTOEICに比べて「受験英語」に近い。前述したようにTOEICもセンター問題と似たようなものが出たが、まだまだ希少だ。
・ 元々TOEICは「国際コミュニケーション能力を総合的に高める」ためのもので、どちらかといえば「ビジネス界にとって有効」なものとして開発された。勿論昨今は学校でも活用されてきているが「英語総合力の授業効果測定」などには最適であるが受験となると「汎用性」は英検に一歩譲るのではないか。
・ 本校の「K教諭はTOEIC900点保持者」であるが、この900点というのはすごい数値であるのだが、この先生が「英検の方が良いのでは」というのだから、強い味方を英検は持っていることになる。
・ 私は余りよく分かっていないのだが「新しもの好き」で「どちらかというとTOEICに興味」がある。そこで前述の二人の英語専任教諭を「TOEICテストスコアアップ英語指導者セミナー」に参加させてみた。この二人のレポートを読むと大変面白い。狙い、教え方等TOEICは「革新的なところが良い」。
・ 社会に出て最も役に立つのはTOEICだろうが、社会に出る前に「大学に入って貰わないと困る」わけで、当面の「浪速英語は受験英語」に特化してやっていきたい。基礎基本をしっかりと教え、「英語を好きになって貰わねばならない」。英語は特別科目だ。「受験にとっても最重要な科目」「就職するにも最重要な科目」であることは間違いない。

2008年3月9日日曜日

3月9日(日)高体連成績

1.神道科教育見直し
・静かな落ち着いた日曜日となった、風が当たると肌寒いが陽だまりは心地よい。昨夜も名誉理事長、理事長職代理と会合があり、職務代理とは珍しく2次会だった。今度本校の評議員に入って頂けるI戎の宮司も一緒だ。この宮司、大学の後輩に当たる。
 ・見直しを進めようとしている神道科の課程に関し、宮司の言われるのは「皇學館大學の桜井教授のご指導」をサジェッションしてくれた。早速M教諭に言って検討してみようかと思っているが、本校の目指すものとここは高等学校であるという点で果たして・・・。
2.高体連成績
・年度末にあたり「高体連の閉会式」が先週7日(金)にあり、担当教諭から結果報告があった。高体連は「大阪高等学校体育連盟」の略で総合体育大会の総合結果の表彰式がホテルアウィーナであったものだ。これを見れば「一目瞭然で運動クラブの実力」が分かる。野球は「高野連」だから別組織になっている。
・公立勤務の時もこれを楽しみにしていた。何時も運動部を誇る八尾高校に負けていたのだが2年目に5学区でトップになったときは嬉しかったものだ。進学も部活も両方出来て「文武両道の学校」だ。「浪速はこれを目指している」。
・何でもそうだが「指導者次第」だ。教科指導力も部活動指導力も指導者により成績や伸びは大きく影響される。国だって政治家次第だし、学校だって校長により大きく変わる。部活動でもそのとおりだ。
・第62回、即ち本年度の総合成績男子で言えば、優勝は近大付属、上宮、清風、柏原、北陽、太成学院でベスト6だ。本校は「男子優良校」として表彰はされたが、順位は東海大仰星、参大付属、興国、桃山、体育大浪商、大阪学院の次だから13位だから誉められた位置ではない。「残念で結果に大きく不満」を感じている。0.5点差でひしめき合っているからあと少しで一挙に順位は上がる筈だ。
・ちなみに女子では優勝が四天王寺、羽衣、四条畷学園、福島女子、市立桜宮、樟蔭東、がベスト6だ。それに薫英、汎愛、信愛、府立大塚、太成学院が続いている。
・本校種目別で言えば「弓道が男子、女子とも2位」、男子では卓球が6位、剣道が5位、空手が3位、ボクシング4位だけが表に記載されているだけだ。弓道については指導者の「M先生」を昨日校長室に呼び、「よくやった」と誉めてあげたところだ。
・この女性の先生、弓道の世界では全日本レベルで有名な選手であったが、3年間、英語の常勤講師として頑張ってきた。私自ら1年間じっくりと見定め、部活動指導力以外に教科指導力も生徒生活指導力もあると考え、4月からは専任教諭に採用する。なにより「礼儀正しいところは天下一品」だ。
・「トップになるための課題は何か」と問うと「生徒の体力の問題もある」と答えが返ってきた。「先生はスマートでそんなに大きくないではないか」「高校の頃は大きかったです」「来年度完全に共学になり女生徒も増える。まず体の大きな部員を増やし、頑張れ」と檄を飛ばした。「頑張ります。」と力強い応えが返ってきた。
・「空手と剣道の指導者は専門家で超一流」だと思っているがこの成績では「期待外れ」だ。もう少し頑張らねば駄目だ。「油断」ではないのか。特に空手の凋落が著しい。「ガクナビ」のテレビにも出たし頑張らねば。このような成績では専用の道場は作れない。
・「ラグビー」はこの前応援に出かけ、様子を見たが徐々に成績は上がっている。今の実力ではこの程度だろうがもう一山越すように頑張って欲しい。選手の体全体の大きさ、パワーが大阪のトップクラスと全然違うが、まだまだ伸びる可能性がある。指導者に期待が持てるからだ。
・サッカーは良く分からない。部員数も多く、大体3人も正教諭が顧問にいて宮崎合宿とか、派手なことばかりして、力は付いてきているのか。「指導方針が間違っているのではないか」と言いたいくらいだ。
・部活動の指導者も「硬直した考え、マンネリの練習方法、指導者の姿勢がそのまま生徒に跳ね返る」等々影響が大きいということを考えねばならない。「何か自分たちの仲間だけでことを進めようとしていないか」。駄目だったら外部から指導者を招聘することも考えべきだ。
・部活動の指導者に言っておきたいことがある。「要は大切な生徒を校長が部活動顧問に預けて、それらを校長が認めた指導者に指導して貰っているという考え方」だ。「唯我独尊」の指導、「部活動ワールド」を作ることは許さない。
・勿論教育の一環だが「勝つことでこそ教育効果も上がる筈」だ。伸びない、勝てないでは顧問を降りてもらうか、変わって貰うしかない。部活動の指導で採用しているのではない。あくまで教科指導で採用しているのだ。
・20年度からは「公式戦の戦績を数値化して本年度と比較して評価する」ことを考えたい。当たり前のことだ。それくらいの覚悟でやらねば「文武両道の学校」は覚束ないし、「良質の生徒」も浪速には来てくれないだろう。
・「あの先生の指導を受けたい」「あの学校でサッカーをしたい、野球をしたい」といってくれるようにしたいものだ。その世界で「顔が広いとか」「付き合いが広いとか」「協会の顔役だとか」そんなものは関係なーい。大した顔でもあるまいし。そんなことで生徒の力が伸びるのなら楽な話だ。大体「部活動の指導者は謙虚でなければならない」。
・テニス、バスケット、アメフト、水泳なども来年は頑張って欲しい。陸上部は再出発だ。今年は色々なことがあった。柔道をどうするか、頭が痛い。相撲部を復活できないか、とにかく「運動クラブについては色々考えてしまう」。
・20年度1年掛けて「根本的に部活動のあり方を再検討」することを考えている。今本校は中途半端だ。進学もクラブも、どっちつかずでは結局どちらも成果が上がらないのは困る。生徒に選択権を与え、はっきりと「路線」を打ち出し、徹底してやることが重要だ。土曜日の活用も色々合ってよいと考えるようになってきた。