2008年7月31日木曜日

7月31日(木)私大定員割れ

・ 飛行は順調で予定よりも早い着陸となった。偏西風が弱かったのかも知れない。こういうのも珍しい。ゲート出口で簡単な「解団式」をした。保護者は今日が普通の日ということで全員来られているとは見えなかったが、それでも多くの保護者が久し振りに見るわが子をうっとりと眺めていた。
・ 英語科からT先生が迎えにきてくれていた。彼は今回も最初の1週間の立ち上がりに協力してくれた。付き添いのH教諭、T教諭を含めて3人に「慰労の言葉」と「今後の方針」について今回の「総括」を含めて実施し、報告するように指示した。
・ 外は蒸し暑い。余りにもカルガリーとの差に体が悲鳴を上げる。自宅到着は5時過ぎであった。久し振りの我が家であったが「部屋は蒸し風呂」状態であった。窓を開けて風を入れるも「熱風」である。
・ 荷物を整理し、夕食に出かける。悲しい性で5日ぶりの日本の新聞を無性に読みたくなる。5大紙に目を通す。7月31日の各紙は「私大定員割れ」が大きく取り上げられている。
・ 今に始まったことではなくて1996年くらいから出てきている状況で「驚くにあたらない」と私は思っているが10年以上連続の割れで「日本私立学校振興・共済事業団」が2008年度分を発表したものに各紙は「食いついた」というところだろう。
・ 「47%が定員割れ」だから大学の2校に1校が割れていると言ったほうが分かり易い。しかしこの数値は注意して読まねばならない。定員が3000以上の大学は充足率が114%、志願倍率も11.87倍と超難関となっている。
・ ところが「定員800人以下の小規模大学」では一気に落ち、すべてが定員割れしているとある。完全に「2極化」だ。「大都市の大規模校はいわゆる有名伝統校でブランド力を力にますます生徒をかき集める」。
・ 定員800人未満でデータは鮮明であり、800人と言うのは極めて重要な統計数値だ。これ以下では軒並み定員割れで、地方の中小大学は記事の見出しでも「地方苦戦」と書かれており、私学事業団も冷たく「地方や小規模の大学は定員を縮小しつつ収支を均衡させる「縮小均衡」とならざるを得ない。教職員削減など収支を合わせる対策が必要だ。」と明確に述べている。
・ この財団、本当に面白くて文科省の息がかかっているお役所体質だと思っていたが「はっきりものをいう」ところを私は評価している。本校も1昨年、イエローカードを出され、厳しく経営を糾弾された。「2年しか持たないよ、今のままではと。」
・ 早稲田の志願者数は約125000人で九州の全私大130000人に匹敵する。一つの大学が九州全域の志願者を集めているのだ。定員充足率で言えば東京116%、南関東、京都、大阪が109%、近畿103%、それ以外の地域は100%を切っている。私立短大は「悲惨」としか言いようがなく、気の毒だからここではあえて上げない。
・ それでも早稲田は貪欲に大阪に出てきて摂稜を傘下に入れた。初芝は立命館、近大は飛翔館と賢明を支配下に入れ、もう近隣でも大学との連携が「火がついたように」燃え盛っている。
・ 「私立高校の経営難」と「学生が欲しい大学との思惑が一致」してこのような「ブーム」になっているのだが「果たしてそれで良いのか」という疑問がないわけではない。「学力不問」「「指定校」「AO入試」等々2008年度の私大入試では「推薦入学」の学生の割合が45.9%に達し過去最高を更新している。
・ 一生に一度の受験勉強を一生懸命して「一般入試」で入学する高校生はもはや「少数派」になりつつあるのである。したがって定員割れ私大の急増は大学経営を直撃するだけではなく、「入試のハードル」を下げたことになり、高校生の学習離れ、即ち受験勉強離れを引き起こしてきた。
・ 本校でも9月には「指定校推薦」が始まり9月末には大学決定となり生徒は喜んで「クラブ活動」などに汗を流すのだ。受験勉強など不要の層があるのだ。そして大学側は入学させた学生の学力レベルに愕然として大学で「高校の補講」をしたりしている。何か「おかしくないか」。
・ しかし7月は忙しかった。今日で7月は終わり。明日は京都に移動し、「トップ100人の徹底学習合宿」だ。生徒にはこのブログの内容など話してやりながら「檄を飛ばす」つもりだ。私は徹底的に勉強させる。させなければならない生徒には徹底的にやらせる。
・ 3年生は京都本能寺会館、1,2年生は大津のセミナーハウスを借りて総力を挙げて、初めてトップ層の徹底的学習指導をやってみる。どういう結果になるか大変興味がある試みだ。
・ 本校のように1500人も生徒がいれば様々なタイプの生徒がおり、「ワイドレンジ」を受けとめながら、資質にあった学習展開が必要なのである。私は「3つのタイプの高校を運営」していると考えている。明日からはその一つ「超進学校を目指して」、「学校の責務を果たす企画」と考えているのだ。

現地7月30日(水)カルガリー、さらば。

・ 朝5時30分起床。ゆっくりと帰り支度をする。短い滞在ゆえに荷物は少ない。買うお土産もない。ゆっくりとバスルームを使う。こちらの国は湯船が浅いので使いにくいがそれでもバスタブがあるのが嬉しい。最後は流してシャワーとなる。
・ 副校長からのメールを見て学校の様子を知る。その後朝の散歩をかねてボンバレーカレッジに向かう。朝の7時前というのにビジネスに向かう男女が結構目に付く。皆さん、一生懸命仕事を大切にしているのだ。日本もカナダもそれは変わりはない。
・ 大学の横に大型バスの停車しているのが見える。近づくにつれそこに本校の生徒がいるのが分かる。それは同じようなスカートと青いブラウスが見てとれるからだ。各人はホームステイ先から車で送ってもらって、ここを集合場所としているのだ。
・ 「涙の別れ」の場面を観察にきたのだ。女生徒はホストファミリーとの別れを惜しんで「涙、涙」である。中には手紙を貰ったり、家族との写真に添え書きを加えて額にまで入れてもらっている者もいる。
・ 女生徒は多くの者が泣いて目を腫らしているが、男子は一向にそういうことはない。「感動的ですねー」と茶化している男子もいた。この男子は「早く帰りたい、早く帰りたい」と昨日まで元気がなかった者であるが今朝は軽口が出るくらい機嫌が良い。
・ 女生徒の中にはこちらで買ったぬいぐるみを抱いている者が数人いた。帰りの服は「制服着用」としているので、何かちぐはぐでおかしいというか滑稽である。スカートは短くし、上下のアンバランスも悪く、見た目にもセンスが疑われるというものだ。
・ 男子に一人「異様なスタイル」をしているのもがいた。なんと太い白のベルトでズボンをづり下げ、オレンジ色の、ほら小さな穴が無数にある「クリック」とかなんとかいうサンダルっぽい、あれは靴とはいえない代物を履いているのが居た。見ている方が恥ずかしかった。
・ 少し遅れてバスは空港に向かって出発。私はホテルに戻り朝食。その後支払いを済ませ、車でカルガリー空港へ。小雨となってきたが、乙なものである。予定通り10時離陸、バンクーバーに着陸。長いコンコースを歩いて国際線に向かう。
・ エアカナダのラウンジに入り「最後の現地レポート」をまとめている。全日空のメンバーだが「アライアンス」でエアカナダのラウンジも使える。インターネットもすべて無料で一瞬にして世界と繋がる。
・ そういえばホテルでは一日14ドルの接続料を要求されていた。ホテルはすべてが高い。今現地時間11時10分、カルガリーとバンクーバーは時差が1時間、日本は31日の夜中の3時10分、皆さんぐっすりとお休みだろう。
・ 僕はもう体がこちらになれて普通だ。今から2時間後離陸する。関空到着は31日15時45分頃AC35便だ。飛行機ではひたすら寝るだけだ。このような忙しい海外出張は初めてだった。しかし多くの知識と経験を加えた。
・ 副校長によれば飛翔館高校が近畿大学泉州高校となるという。立命館初芝と言い、なんでもかんでも大学グループ入りを表明しているが、経営が苦しくなってのことである。「本校は安い身売りはしない」。面白くなってきた。早く帰ろう。又戦闘モードになってきつつある。
・ それではこれでカナダ現地レポートを終わります。報道は浪速高校、木村でした。

2008年7月30日水曜日

現地7月29日(火)修了式

・ 今日は生徒たちの「修了式」」である。それに先立ち「評価面談」というのがあり、その後修了式となる。誰一人事故なくこの日まで来られたのは「大変嬉しい」ことである。その後カレッジのスタッフを交えて市内チャイナタウンにある中華レストランで「ブッフェスタイルのお別れ昼食会」が今日の自程となる。
・ 今日は生徒たちがボンバレー大学の関係者と過ごす最後の機会となる。明日は日本に向けて朝早い出発となる。生徒はステイ先から7時大学に集合だ。修了式に先立って先にご挨拶したカレッジの幹部と「ブランチ付きの会談」となった。ブランチとは朝食と昼食の両方を兼ねた大きめの食事である。
・ 元々は日曜日教会にお参りしたあと、遅い朝食、少し早い昼食のようなものであるがアルコールも許されている。勿論アルコールはスキップだ。アンディ副学長とショーン取締役で本校側からはT教諭を同行させた。先方のご招待を受ける形である。
・ このように夜のディナーよりは昼のランチで会合を持つのが「垢抜けたやり方」だ。夜はそれぞれプライベートという訳である。市内超度級のホテルのレストランで会合は始まった。色々な話題に盛り上がる。もと本校教諭で今春リタイアしたO教諭の話が良く出た。彼がボンバレーから高く評価されていた様子が分かる。「出来る立派な男は何処でもやはり評価されている」のだ。駄目な奴は何処でも駄目だ。そういうものである。
・ 「浪速とボンバレーの関係継続」について今後とも協議していくことで合意した。まず形を変えた「語学研修方式」、カナダのどこかの高校との「交流プログラム」、カナダを含む「北米の大学への進学支援」ほかあらゆるケースを考えて「新しい形を創造」するというものだ。
・ 先方は大いに協力してくれると言う。私が帰国して正式にこの「プログラム開発に当たる教諭を2名指名」し、ショーン氏に連絡すると述べた。旨い朝食と良い天気に恵まれ「良いトップ会談」がなされたと思う。サミット会談とはこういうものだ。
・ 11時30分から「修了式」が始まった。場所は大学の隣の公立図書館である。カレッジのスタッフも勢ぞろいで今日以降彼らも「仕事がなくなる」。このようにしてコース単位でスタッフを用意して、終われば彼らはもともとの仕事に戻っていく。このようにしてコストを削減しているのだ。
・ 底抜けに明るい修了式となった。最初に私が「感謝の言葉」を述べ、ショーン氏は「浪速とは特別な関係である。長い歴史がある」と今後の関係継続に強い期待を示し、担当の教師から生徒一人づつ壇上に上がって修了証と記念品が手渡されていく。それをT先生がデジカメにパチッと撮ると言う訳だ。
・ 生徒は最後の私服と見えて飛び切りおしゃれをしていたな。私は下から眺めていると「格好だけはもうすでに大人の女性」の感じがする。やはりこの3週間に大きく成長したのだと思う。取り終えたあと、全員が又壇上に上がり「英語でスピーチ」をする。それぞれ思いを考えて来たらしく上手くしゃべっていた。
・ そして次は全員による「ダンス」だ。ここで教わったもので、なかなかモダンでよい振り付けであった。私から「浪速祭でやってね」と言ってやった。そして最後は昨夜中に作成したのであろうがT教諭が作った「映像入りのビデオ上映」となる。
・ 関空出発から昨日までの様子が時間を追って映像化されており生徒は「歓声、歓声」だ。「T先生良くやる!立派だ」。学校でもこのように気配り心配り、早い仕事をお願いしたいものだ。実は彼にはこのカナダ語学研修は「特別の思い入れがある」ことが分かった。もう明かしても良いだろう。
・ T先生は浪速高校の卒業生で岸和田では有名な神社の子息である。高校1年の時にこのカナダ語学研修に参加した1回生なのである。朝ブランチを共にしたボンバレーの幹部よりも古くこの研修を知っているのだ。彼らはこの話を知って驚いていた。
・ その時に「英語に目覚め」、普通は国学院か皇學館に進んで将来宮司になるべく準備するのだが天理大で英語の教師の資格を取る。この時もカルガリーに来た。そして母校の浪速で常勤講師として3年間働く中で2回もこのカナダ語学研修を担当することになった。この先生は今回を含めると5回目である。
・ そういうことは一切知らなかったが、私が浪速に来た時には「来年度は契約切れ」を宣告され本人にも通知されていた。前の管理職の評価がよくなかったのだ。複数のベテラン教諭からT先生の有するポテンシャルを聞き、私も面談して「再雇用」し、本年1月に期中であったが「専任教諭」に私が引き上げたものだ。
・ 3月に結婚して、新婚3ヶ月で3週間海外出張させるのも「可哀想」とは思ったが、今回担当の一人として現地に派遣し、期待通りの仕事をしてくれた。そのような背景から彼はこのカナダ語学研修を一生懸命やってくれたのである。
・ 勿論もう一人のベテラン「H教諭はこのクラスの担任」で常に生徒から目を離さず、頑張ってくれかたら「事故なく修了式を迎えることが出来た」わけで、彼も高く評価したい。地味ではあるが押さえるところは押さえてくれていた。今回分かったが「結構笑顔がある」。これは良いことだ。もっと学校でも言葉多く、笑い顔を作って欲しいものだ。実力のあるところを観れたのが嬉しかった。
・ 修了式の後、歩いて10分程度のところにあるチャイナタウンの大きな「中華料理店でバイキング方式のお別れ昼食会」となった。別室が用意されており、円卓に分かれて生徒は座り現地の先生も揃っている。私はその様子を見てホテルに戻った。「打ち上げ」だから校長はいない方が良いと思ったのと、先ほどブランチで済ませたからお腹が一杯だったのだ。
・ 少し時間が取れたので「カルガリータワー」の頂上に上ったが、最高の天気の中で360度のパノラマは遠くロッキーを見ながら、深い感動と生徒の無事な修了に「強い満足感」を覚えた。しんどかったが来て良かったとしみじみと感じた。「見直して最出発を誓った」。
・ 夕方私には最後の仕事、もう一軒ホームステイ先を訪問する仕事が残っており、これをこなしたが、その時に報告を受けたが昼食後ボンバレーの教員が帰る段になって「生徒は泣きじゃくったらしい。」別れが寂しいのであろうが男子生徒は「早く終わってくれよ」というような顔をしていたらしい。
・ ホームステイ先から帰ってこれで延べ3日間に亘る私の「公式日程はすべて終えた」。明日は日本に向けてバンクーバー径由で関空に向かう。帰国の翌日は早朝、京阪電車で京都に向かう。「夏季学習合宿の初日」だ。生徒に「檄を飛ばさねばならない。」頭のギアはもう京都、大津に向かって切り替えているのだ。

現地7月29日(火)ホームステイ先訪問

・ 現地のホームステイを担当しているスタッフに頼んで「2軒のホームステイ先を訪問」させて頂いた。「百聞は一見に如かず」だ。生まれて初めてホームステイというものを観ることが出来た。
・ 浪速のケースで言えば現地の(エージェンシー)として小さな会社がある。女性一人の会社で大阪の守口出身の女性だ。彼女から具体的にお話を聞くことができた。元々この女性はボンバレーカレッジに留学しておりそのまま現地人と結婚してこの地に住んでいるという。
・ 浪速のステイ費用は「ずばり34カナダドル」だと言ってくれた。1ドル110円として3740円が一日あたりの費用である。これには3食が含まれているから我々の感じからすれば「大変な安さ」だと思う。この値段は確かに安く、通常は8週間とか1年の留学する時の値段だという。「浪速特別価格」だと言っていた。有り難いことで申し訳ない気がする。
・ お金の流れは一旦ボンバレー大学に入りその後ステイ費用をこの会社経由で各ステイ先に入る仕組みとなっている。元々ボンバレーが直接ステイ先も取り仕切っていたが法令でそれが出来なくなりこのようなエージェントを作ってそこ径由するようにしたものらしい。
・ 従ってすべての「ステイ先リスト」が彼女の経営する会社に渡され、この日本人女性が浪速教職員34名のステイ先を決めているという。現在100軒以上のリストを有していると言われていたが、「大変な仕事」だと。良く分かる。
・ 生徒には日本で「アプリケーションフォーム」というものに希望等を、例えば同世代の子供いる方が良いとかなどの希望調査をして「当てはめる」のであるが時に「マッチングしなくて」問題となる。これが「最も困る」としみじみ言われていたなー。
・ 昨年も1件、今年も1件あった。理由は「性格が合わない」とかいうが、調べてみると「かまってくれない」「冷たい」「歓迎されていない」とか思い込んでいくらしい。あれほど出発前に私からも「郷に入れば郷に従え、自分の家とは違う」と注意したが、自分のことになるともう駄目だ。
・ 自分の家のように好き勝手に快適に過ごしたいと言ってもそれは駄目だよと言ってもこれだ。ステイ先が「困惑」して、間に入ったスタッフと本校教員は大いに気を揉むという。ステイ先のホストファミリーは「何年も経験があり、基本的には自由に使ってね」「余りあれこれ口出ししないスタイル」としているのだが上手くいかないケースがあるのだ。
・ 食事も持参の日本食や簡易食品を自分だけ食べる場面もあるという。今年のケースは「生徒の扱い方が分からない」と言ってエージェントに言って来たそうだ。今までの生徒と少し違うと言っているのである。要はだんだんと「子供っぽくなってきている」と言われた。
・ ホームステイも様々な理由で実施されており、子供が独立したから余分の部屋を、最初から一部屋余分に作って活用、等あるのだが基本的には「ボランティア精神」がなければ3週間も3食付で4000円以下で面倒は見られないだろう。勿論部屋を有効に利用して少しでも「稼ごう」と言う気持ちはベースにある。当たり前だ。欧米のスタイルだ。
・ 1昨年は一人が行方不明になりかね、そこの主人が必死に探し、駅に深夜ポツンといるところを保護されたりしたことがあったそうで預かる側の精神的苦労も大変なものだろう。いずれにしても今日的生徒は「我慢や修養が足りない」のではないか。常日頃の生活習慣が如実に出るという。
・ 昔は直接エージェントの電話番号を教えていたが、もう電話がかかりまくって大変だったという。それで今回はT教諭をつけ、すべては彼径由としたから「助かりました」とこのエージェントは言っていた。しかしこのT教諭は逆に電話が鳴りっぱなしだったという。「先生、・・・・どうやったらええノン」と。
・ 以上のような様々な話を聞いていたので是非この目でステイ先を確認したいと思い、日本を出る前にアレンジを頼んでいたものだ。「たこ部屋」「2階の布団部屋」などでは許されないし、大体どのようなご家庭か大変興味があったのである。ところがトンでもなかったのである。
・ 1軒目は郊外50分程度のところにある住宅街の立派な家であった。フィリッピン系のビジネスマンで奥様と娘さんの3人家族に2名がお世話になっている。それぞれ個室が与えられ洗面所や洗濯室も別になりとにかく新築間もないのか快適そのものだ。
・ このお家は2年目にも男子生徒を預かって頂いたことがあり、親浪速のお方だ。生徒たちも満足しており「優しいお人柄」に滞在を楽しんだと思う。行ったときにはおにぎりと味噌汁を作ってくれていた。まったく言うことのないご家庭でこちらが恐縮するくらい気を使っていただいた。勿論お土産は心を伝えるものであり、用意していったが逆に帰りには頂いたくらいだった。
・ 女性徒の部屋も見せてもらったがきれいに片付いており、良い滞在をしたことが観てとれる。すでにスーツケイスには日本へのお土産などが一杯詰め込まれており、「早く帰りたい、でも寂しい気もする」と二人とも言っていた。
・ 今日、もう一軒を訪問した。カナダ人の家でびっくりするような「大きな家でプールやピアノ」まで揃っている。素晴らしい作りと家具で言うことはない。可愛い女の子が姉妹でおり、会社の社長の主人と美人の気さくな奥さんだ。全く言うべきことはない。
・ ところがだ。ここにステイしているのは前のステイ先が気に合わないといって替わってきた二人組だ。一部屋しかないところに二人も来たものだから同じベッドに寝ているらしい部屋も乱雑だった。ここには書けないが「色々あって」「ウーン」と言う感じだ。ホストファミリーには言うことはない。感謝だけだ。
・ 今年からステイ先を2名一組としたが「これは失敗」だと思う。帰ってから「総括」したい。ステイ先に帰っても二人であれば家族と話などしないだろう。部屋に閉じこもっただけとならないか。ステイ先で英語を使わねばステイする必要はない。ホテルや寄宿舎で良いはずだ
・ 「今回の訪問で見えないものが見えてきた気がする。そういう意味で大変良かった」。「再構築」するという私の方針は間違っていなかったのである。

2008年7月29日火曜日

現地7月29日(火)バンフ課外活動

・ 昨日28日はもう一つ仕事をこなした。「課外活動」の場所を視察するためバンフに出かけたのである。生徒たちは7月11日出発から30日カルガリー出発までの間、毎日ボンバレーカレッジに通学するだけではない。
・ 中々上手い課外活動が組み込まれておりそれらを視察することになった。「課外活動も英語の演習」と考えており、いろいろとハプニングが発生することが生徒の勉強になるのである。
・ どのようなものがあるかというと、「カルガリー大学」への訪問や「バンフ国立公園」へいき大自然の素晴らしさの体感旅行がある。特にバンフには1泊旅行としており、3000メートル級の「カナディアンロッキー山脈」に囲まれて乗馬やレイクルイーズ、コロンビア氷原などを体験させるものだ。
・ それ以外には「ホストファミリーとのバーベキューパーティー」などがあり、すべて土曜日、日曜日に計画されて休みを上手く活用されるよう配慮している。カレッジが企画してくれているもので生徒には当然のことながら評判は良い。
・ 毎日毎日カレッジ通いで息も詰まろうものだがこういう行事を間にいれることは大切なことである。「Banffはロッキー山脈観光の中心地で一大リゾート地」である。加カルガリーから135キロ西に位置し、車で1.5時間。人口は8000人強で国立公園内にあることから厳しい居住条件があるらしい。1885年カナダ最初の国立公園で世界でも3番目に古い国立公園でもある。
・ 同乗のT先生とカレッジ差し回しの車で出かけたのであるが文字通り「素晴らしい景観に感動」を覚えるものであった。旅行客の中には日本人も多い。どういうわけかすぐ分かる。高速道路沿いには「カルガリーオリンピックの競技場跡地」などが良く見える。
・ 有名なホテル、人気のレストランなど多いらしいが混雑すると聞いていたT先生はバンフダウンタウンで最も有名な「メイプルシロップハウス」を予約してくれておりそこで昼食を取ったのだが「名物店に旨いものなし」とは良く言ったもの(?)で、リブステーキサンドイチを頼んだのであるが「今一」であった。
・ T先生はバーガーを頼んでいたが味はどうだったんだろう。しかし問題は時間がとても長くかかり、厭になってきた。30分以上も待ったであろうか。しかし仕方がないのでチップは15%、しっかりと付けた。日本人が馬鹿にされてはいけない。
・ 生徒のバンフ一泊は「山小屋風の一軒屋」を借り受けてそこに6名程度泊り込むのであるがこれが又面白いという。食材をスーパーで買ってきて自分たちで思い思いの料理をするのが楽しいらしい。調理器、食器などはすべて揃っており、この目で確認したがこれは大変生徒には思い出になるものだったろう。
・ 野外でバーベキューも出来、焼きそばなどが大変旨く出来たという。ここまでは良いが問題は夜だ。興奮した生徒は中々寝ずに深夜まである家に集まり大騒ぎをしていて近所の現地の人や他の旅行客からクレームをつけられたのが昨年だ。
・ 昨年に懲りた教員は今年こそと思って事前指導が効を奏したか今年は立派だったという。要はここでも生徒たちの「子供っぽさ」を伺い知ることができる。
・ 空気は乾燥し適温で顔に当たる風は肌に心地よい。自然を満喫し、生徒たちが借り受けたロッジを視察したあとトンボ帰りでカルガリーに帰るがさすがに眠たく気がついたらホテルの前であった。首をたれて寝ていたものだから首筋が痛かった。しばらく休憩して今度は「ホームステイ先を訪問」する。
・ 日本からのメールでは変わったこともなく安心する。中学生も無事伊勢から帰阪したみたいだ。教職員は「今この時に日頃できない仕事をこなしておかねばならない」。2学期の定期考査の問題などもこの機会に作成したりしておけばその中から選択して出題出来る筈だ。
・ 校長は校長で、管理職は管理職で、教職員は教職員で自分の仕事をしっかりと処理すると言う意識と行動が重要だ。いちいち「指示待ち人間」ではどうしようもない。皆が自分の仕事をしっかりと処理すれば学校は良くなる。又このような時に日頃の考えをまとめるのも重要だ。そうすれば授業が始まれば「仕事は平準化」される筈だ。
・ 生徒の休みは教職員の休みではない。勘違いしてはいけない。勿論有給をとっても良いが8月6日から18日まで「12日間連続のリフレッシュ休暇」を入れている。今はこれを楽しみに頑張って欲しいということだ。9月からは時間管理を一歩前に進める。休むだけ休んでおいて、「残業はします」では世の中は通らない。

現地7月28日(月)授業参観

・ 「授業は3クラス」に分かれている。昨夜でもカレッジ側は強調していたが「クラス12名までがベスト」で20名となったら指導の効果は落ちると言う。32名を11,11,10名に分けて「英語力別のクラス編成」としていると担任のH教諭は説明する。
・ まず最初にトップのクラスの教室に入った。女性の先生で日頃は小学校でフランス語を教えていると言われる。3クラスに3名の「教師を固定」している。これらの先生は我々がいう「契約講師」みたいな身分で本校のコースにだけ対応しておりこれが終われば「バイバイ」となるそうだ。
・ 即ちこちらではどうも「教師の兼職兼業が許されている」みたいで「夏休み中のちょっとしたアルバイト」といったところか。一般的にカナダの教員の給与は高くないと言われている。教えるプロだからその辺の「プータロー」ではないのだ。
・ 大学は良くても教師が酷かったら「怒ろうか」と思っていたら、中々の実力と観た。他の2クラスは男性教師でこれらの方も「教え方は上手い」。第一授業中の声が大きい。熱意が伝わってくることが嬉しい。
・ 教室は明るく、この明るさが良いのであるが中央に先生が立ち、弓状に生徒が囲み、「双方向の授業」を展開していた。これが「素晴らしい」。誰一人学校みたいに私語する生徒はいない。
・ それは次から次と指名されるから「一生懸命聞かねばならない」からである。「少人数授業の良さを初めて体感」した気がした。それに教える道具が揃っている。カセットガアリ、ビデオ再生機があり時に「音響を使って」授業している。
・ 3クラス次々に回ったがいずれも同じような進捗で「分厚いファイルのシラバス」が完全に整備されており、その中からコピーが生徒に配られている。どの教室も同じようであったから聞いてみると3人の教師は朝ミーティングを持って調整しているそうである。
・ 私はこの点に特に感心した。「シラバスと日々の授業の展開がしっかりと整備され教師間で大きな差異が出ない」ようにしている点である。これは本校も見習わなければならない。こういうところが「欧米流」だ。これだけでも「このカレッジの筋の良い面が分かるのだ。」
・ 授業は朝9時始まりで一こま90分から100分程度で「午前中二コマ、昼食後一コマ」だから結構きつい。他のコースの授業の関係から「チャイム」はない。45分から50分授業の6コマ授業に相当するから「いい加減ではない」のだ。駅前のECCの土曜講座は止めさせたが、こうでなくてはいけない。
・ 時間数で言えば学校設定科目として「英語演習で1単位与えても良い」と思った。浪速の単位に反映するものであれば生徒も喜ぶであろうし、「その気になるはずだ」。再開時の課題である。
・ 生徒は服装も自由服だからそれぞれ好きな格好をしている。髪を染めているのが数名いたが、困ったものだ。ある日突然「金髪」になった子がいて、現地の教師もこれには驚いたらしい。関空の結団式では「かつら」をして分からないようにしていたらしい。
・ 付き添いの教員が指導したら翌日黒髪になって来たので安心したら「かつら」だったらしい。「かつらだから良いでしょう」と言ったらしいが、「そういう問題ではないでしょう」と諭したらしい。そこでようやく黒染めをしたという。
・ 服装は構わないが折角の黒髪を何でカナダまで来て外国の人に見せたがるのだろう。しかし授業はふざけている生徒は一人もいなかった。これは嬉しいことであるが、教室の後ろに据わって聞いているのだが、教師の質問に的確に答えることの「出来る生徒と分からない生徒との差異」が目立った。
・ 特に一般常識を問われたりすると「答えられない」のだ。従って答えは例えば「日本に帰って最初に食べるものは何ですか」という質問にはただ「UDON」と答えるだけだったりするだけだ。
・ カナダで何が思い出になりましたかという質問にも「ホースライディング」とだけで主語も何もない。いくばくかの説明などはつかない。「要はイエス・ノーしか答えない」のだ。この点は残念と感じた。
・ やはり隣は仲の良い友達同士で据わっており、時々質問の意味を日本語で確認したりしていたが、それでは困るわなー。でも総じて真面目で熱心にノートを取っておりこの点は好感を感じた。ある程度レベルを合わさなければならないだろう。
・ 「英語に浸ると言う意味では効果はあるが本当に身についたものになっているのか、単なる経験をしただけ」なのかは容易に判断できようが、高い費用をかけているだけに校長としては心配するのである。
・ 今日が最後の授業日で明日は閉講式になる。ただ3週間も自宅を離れて頑張っただけにどの顔も「幾分成長した」あとを感じた。生徒の中には「ホット」した者や「まだ居たい」と思う者など居るだろうが今日で最後の授業だ。「可愛い子には旅をさせろ」だ。「参観できて大変良かった」と思っている。

現地7月28日(月)カレッジ訪問

・ 一日目の始動は「授業参観」である。「Bow Valley College」 は Calgary のダウンタウン中心部にある大学で投宿しているホテルからは歩いて10分程度のところにあり、至便この上ない。ここに生徒はホームステイ先の家から通う。付き添いの教員2名もホームステイだ。
・ 大学の中で受け入れてくれている部門は「インターナショナル エデュケーション」部門で国際的な短期留学生を受け入れて「語学特訓」をする部門である。通常は8週間コース、あるいは4週間短期というのが一般的だということであるが「浪速向けに特別に4週間コース」を開発して貰っている。
・ 長ければ長いほど、それは良いのだろうが、日本の高等学校教育ではこれが限界である。昨日のディナーの時に色々とお話を直接聞いたが、やはり現地の責任者と直接お顔を見ながら議論できるのは効果がある。微妙な問題は直接対話が必要である。
・ 幸いブロークンでも英語がしゃべれるので私の場合、通訳は不要だから「いったりきたりの議論」が高まる。昨夜も両脇の本校2名の教員は時折私には日本語で説明するが、それ以外は飲んだり食べたりだから大いに助かったはずだ。これがもし完全通訳とでもなれば落ち着いて物など口には運べまい。
・ 大学の受け入れは1年を通じて何時でも良いが冬季は寒いしやはり良い気候の時がベストだと。ただホテルや寮宿泊ではなく、ホームステイ方式は当然のことながら時期が限定されるとのことだ。
・ 3月や12月は絶対に無理でステイ先も家族で行事などがあり、ベストは8月、その次は7月と言われていた。本当は9月がベストらしい。ホームステイの話は明日に譲ろう。ステイ先を訪問してこの目でどのようなものか確認する。
・ 本校のこのプログラムの良い点は「語学学習の専門機関と連携」している点と「ホームステイ」だ。だからこそ「異文化体験」になる。ホテルなどに泊まってでは効果は限られるものだ。ちなみに法律で市内の大学は寮を有することは禁じられているそうだ。この辺が「合理的」ではないか。これも地方振興策の一つだと思う。
・ 飛行機でも良く寝て、到着後いくらかベッドに横になったから、目が冴えて来て「眠れなくなってしまった」。「眠り狂四郎」と言われる私にしては珍しいことだ。体の調子も良さそうだ。腰の痛みも「五十鈴川の禊」から以降幾分和らいでいる。「ご神徳」を頂いているのかもしれない。
・ 今回の請負業者はまず旅行会社と学校、それにホームステイの3部門に分かれており統括する部門はないが、特に大学とホームステイ担当とは近い関係であろう。それぞれと話を進める本校の教員も大変だった思うが、「経験によるノウハウが蓄積」されているから大きな問題とはなっていない。
・ まず旅行会社は最大手のJTBでこちらのバンフに支店もあるから気が強い。旅行費用であるが生徒32名と教員2名で一切合財で「一人当たり略16万円」である。原油高で燃料サーチャージが航空代金の1/3も掛かっており、これが頭の痛いところだ。片道8万円でカルガリーまで来られるのは個人的には高くはないと感じているが・・・。とにかく「16万円の費用をかけてカナダで学ぶ意味と効果の具合」を「直接確かめに来たのが今回の渡加の目的だ。」しっかりと観察する。
・ 朝食を済ませ、8時30分にT教諭とロビーで待ち合わせる。靴を履くのに困った。普通は「靴べら」が部屋にあるのだが見当たらない。フロントに行って貰おうとするのだが「靴べらの英単語」が出て来ない。ボディ・ランゲッジで通したが「shoe horn」と分かった。靴笛とはなー。
・ 大学は小さいながらもしっかりとしたもので「公的資金」の入っている「パブリックスクール」である。現在隣の裁判所のあったビルを払い下げてもらって現在の校舎ビルと繋いで規模を拡大する工事が進んでいる。従って本部は近くの借りビルに入っており、そこにまず大学幹部に挨拶に出向く。
・ アンディ・シコースという副学長と昨夜会食をしたショーン・メイリー取締役にお会いした。この副学長は役所から出向して来ている人物で,この面からもこのカレッジが公立学校というのが分かる。学長は出張不在で丁重にも私宛の手紙とプレゼントが用意されていた。
・ 大学と言っても多くのコースがあり、例えば「看護士養成学校」とか「会計部門」とか言ってみれば「専門学校」の機能や「職業訓練学校」の性格なども有しており、「外国人向け語学コース」はメニューの一部である。即ちカルガリーのカレッジがわざわざ本校のために教室を開いてくれているのではなくて、「ビジネス」なのである。
・ 「 私は安心した」。「駅前のNOVA」ではなかったのである。これなら「信頼に足る学校」で今後とも「お付き合い」が出来る。大切な生徒を預けるからにはどのような学校か気になっていたが、今回の訪問で「安心」した。
・ この学校との関係について良く知っている本校の人材も少なくなってきた。随分昔は英語科が自ら「海外語学研修」を遂行していたという。立派なことだ。本校の「英語集約コース」についてはこの2年生で一旦打ち切ったが「語学研修の重要さ」を切ったわけではない。早期に再開したいが、その時にノウハウを知る教員は大切である。
・ 入学最初から規定するのではなくて1年生終了時に2年生の夏のカナダ語学研修を募集し、「意識の高いレベルで実施する」方向が良いと考える。それで2類の一クラスを英語強化型にするのだ。カリキュラムは他と変えない。ただ英語が好きで「希望者を選抜して編成」するのが良いと考えている。勿論修学旅行に置き換えるものである。
・ 来年度の入学生から再開したらどうだろうか。思案中である。または今回大学側と少し議論したが「高校交流プログラム」も頭の中にある。現地の高校と連携し、受け入れてもらう代わりに浪速も現地高校生を受け入れるのだ。勿論「ホームステイ」付きでなければ効果は薄くなる。色々と思いは巡る。

2008年7月28日月曜日

現地7月27日(日)カルガリー一日目

・ 予定通り27日15時35分、カルガリー空港に降り立つ。一日得をしたことになる。空からみる大地は緑が深く、先ほど雨が降っていたのか路面がしっとりと濡れて、落ち着いたたたずまいをみせている。一目で良い町と分かる。
・ アルバータ州の首都でとにかく今一番の「元気印の町」がここ「カルガリー」である。石油産業が主体だから「笑いが止まらない」。都市で税金も無いという。カナディアンロッキーを抱え観光も伸び年間300万人以上だというからものすごい数だ。中東を除けば世界で今最も輝いている都市かも知れない。
・ 出迎えは積川先生となんと女生徒代表の2名が来てくれていた。これには驚いた。それに生徒がお世話になっているボンバレーカレッジの責任者のショーンさんと現地日本人の女性スタッフ、およびバンフJTBの支社長さんが来てくれていた。申し訳ないことだ。恐らく日本から「うるさいのが行くから出迎えに行くように指令」が出たものだろう。必要もないのに。
・ 短い滞在だから荷物は手提げに着替え用のガーメントバッグで機内持ち込み分だけ。スーツケースの出てくるのを待つ必要もない。リムジンのサービスでホテルハイアットリージェンシーに入る。ダウンタウン中心部でカルガリータワーのすぐ傍だ。部屋は15階である。
・ 適当な大きさで部屋からの眺望が素晴らしい。中々格調のあるホテルである。マネージャーから果物のウエルカムサービスが来る。この辺が「スタイル」である。部屋で荷物を広げ整理する。便利な世の中になったもので「備え付けのLANケーブル」を差し込めば一瞬にして「世界中とインターネット」で繋がる。持参のモバイルパソコンは大きな戦力である。
・ パソコンを持ち込まなくともテレビがパソコンに早代わりする。部屋にはキーボードだけがあるのだ。最初は意味が分からなかった。試しに副校長先生に一通メールする。学校からは副校長から定期的に報告が入るし、メールも閲覧できる。さも学校の自分の執務室で仕事をしているような錯覚にもなる。全教員は理事長校長が居ないから幾分気分的には楽だろうがこちらは遠くカナダから眺めているのだ。
・ ここ最近の「伊勢修養学舎について論考している校長日記」を参考に実務部隊で「総括」をしておくように出かける前に指示しておいたところだ。今日から中学生が神宮会館で夏季学習合宿に入る。そちらにも顔を出したいが、それは今回は無理だった。来年は是非と考えている。
・ 住金時代からの癖で荷物を解いた後、スーツをクローゼットに吊るすのだが、折りたたんだものだから「しわくちゃ」になっている。それを備え付けのアイロンで自分でプレスする。部屋にある大きなアイロン台と強力なアイロンは便利この上ない。昔は日本から小さいアイロンを持参していたものだ。
・ 昔若い頃、海外で「しわくちゃのズボン」をはいていてこっぴどく上司に叱られて以来の癖となった。それに靴も磨く。こちらのエリートビジネスマンはまず服装と靴だ。折り目のあるズボンと靴は勝負服であり、今でも最初にやる仕事はこれだ。こういうことを徹底的に教えられた。だからアイロンかけなど上手いものだ。
・ 6時にロビーで待ち合わせして近くのレストランに出かける。今日はお世話になっている現地の学校の責任者と教師2名、それにホームステイを担当してくれている現地日本人の4名を招待した。それに本校付き添いの教員2名の慰労だ。
・ 先方の勧めで「バッファローの肉」を食した。テンダーで悪くはなかったがそう旨いものではない。。カナダワインもいけた。「話は大いに盛り上がり」、終わったのは8時30分過ぎであったが外はまだ明るく緯度の高さを感じる。「白夜」だ。
・ レストランの入り口でお別れし、私はぶらぶらとホテルまでを遠回りして歩いて帰った。気温は15度前後で空気も乾燥して、本当に顔に当たる風が心地良い。関空を出る時の炎暑と蒸し暑さは何処に行ったかと言う感じだ。飛行機の中では良く寝たが眠たくなってきた。カナダ一日目の夜はこのようにして行きつつある。

2008年7月27日日曜日

7月27日(日)カナダへ向け飛ぶ

癒しということ
・ 大体何時ごろから「癒しブーム」となったのであろうか。「これは自分へのご褒美」という言葉も登場してきた。私の世代や多くの苦労人は「癒し」などの言葉は知らなかった。自分へのご褒美などの概念さえ無かった。
・ 頑張ったら母親が何かを作ってくれたり、大きなものは父親が「買って与えてくれた。」近所の叔父さん叔母さんが「良くやったね」と言って褒めてくれるのがことさら嬉しかったものだ。
・ ご褒美とは自分以外の他が認めてくれるもので、自分以外だからそれだけ「認めて貰った」と嬉しさ倍増であった筈だった。自分で自分を褒めるなどは「自己満足」と言って笑われたものだが最近はどうも様子が違ってきた。
・ 苦労に直面したり「挫折」したときに「これも修養や」「勉強した」「勉強になった」「えらく高いもんについた」「授業料や」などと自分をポジティブに考え進んでいったのである
・ 「苦労人物語」には「自分も頑張ったら何時かあのようになれる」という「希望」があった。苦労や刻苦、修養には将来の希望があった。しかし「癒し」にはそのようなものは感じられないのだ。
・ 本校の「伊勢修養学舎」にはこのような入り口部分を生徒に伝えることが大切である。高校3年の間に一度くらい学業を離れて「しっかりと自己を見つめ、心を鍛える」ようか機会があって良い。
・ 言うは易く行いは難しであるが、出来ないことではない。教職員全員がその気になれば可能だ。私は諦めない。大阪府下は及ばず全国に「浪速の伊勢修養学舎」が知られるくらいに内容と効果を高めなければならない。
・ 今日は「夕方の便でカナダに飛ぶ」。2時過ぎ関空に向かう。しかし今日も暑い。異常なくらい暑い。現地スタッフへのお土産を求めに昼前心斎橋に出たが歩けるものではなかった。
・ 求める物が見当たらなく高島屋、大丸、そごうと3つのデパートをはしごしたがこの暑さの中でも人は一杯である。特にデパートの商戦は真っ盛りというところであるが、商品がどんどん出ている感じではなかったなー。
・ しかしそごうは大変だ。客の入りが極めて悪い。11階などは人は数えるほどで店員さんの方が明らかに多い。一度は破綻して再起をかけてオープンしたが人が行ったのは最初のうちだけではっきりいって「じりひん」ではないか。
・ 大体あの店構えは大阪人には似つかわない。余りにも脱大阪過ぎる。近鉄、高島屋、大丸とそれなりに「ベチャーッとした」たたずまいが大阪の人には好まれる。そごうは東京でもなければ大阪でもない。あれは「失敗作」だ。
・ 中堅幹部の社員が一生懸命客寄せしていたが何か可哀想な気がした。何か買ってあげようと思うのだが買うものがないのだ。商品も少なくなっている。結局高島屋にした。
・ 関空から海外に飛び立つのは初めてではないか。国際線に入る。しかし成田に比べ「小さいし狭い。」関空だけを見ても関西の地盤沈下が容易に分かる。更に大手の国内便が減少するという。
・ 市内からこのように離れた場所でなおかつ伊丹、神戸と近隣に3空港もあるのでは仕方がないわなー。まったくもって経済不合理性の典型だ。それでもカナダ便は多くの人が搭乗手続きで並んでおられた。府民も2極化してきているのか。
・ 「フライトは17時25分オンタイムでエアカナダAC36便、バンクーバー直行便で乗り次いでカルガリーに飛ぶ」。カルガリーは25年ぶりに降り立つ地だ。アライアンスでANAのラウンジが使える。ここでこのブログを書いている。

2008年7月26日土曜日

7月26日(土)修養ということ

・ 今年も私の「伊勢修養学舎」は終わった。「改革後初めての学舎」であり、「まあ及第点」と思っているが、最近の日記に連続して書いているように「本年度の反省と成果」を明らかにして「来年度の準備」に入らねばならない。
・ 「 学年主任のK先生、学舎主担のM教諭、講師の身分であるがK先生とY先生」は主担を補佐してよくやってくれたと高く評価したい。又科・類長も「存在感」を示した。今年から学校責任者として「教頭を常時配置」としたが大変良かった。いざいう時に学校代表者が外部や保護者に対して対応できるからだ。
・ 結局こういうところでは「生徒指導が出来るか否か」が教員にも問われている。「生指の力量」もこういう場所でこそ「実力が判明」する。今年4月に来てくれた常勤講師や専任教諭の中には何を勘違いしているのか、何のために来ているのか分からないような先生もいたらしい。しかしそれでは困る。
・ 集合時間に生徒よりも遅れてきたり、何を勘違いしたのか「生徒にお土産を配った教員」がいると言う。今朝報告を聞いて「嘘だろう」と言ったところだ。保護者への連絡は「懇切丁寧」にしなければならない。保護者は「学校からの電話に過剰に反応する」。「スピーディでわかり易い誠意ある言い方」が重要だ。それをそっけない言い方や言葉足らずでは保護者の不満を買うことになりかねない。
・ スカート丈をきっている生徒を見つけた先生がいるらしい。「お手柄だ」。巫女の装束に着替えた時に全生徒のスカートを見ながら見つけたらしいが、立派である。「感性」の成果だ。終業式に示した「校長方針を受けて具体的に行動した結果」である。
・ ここは「修養学舎」である。学校ではないし、普通の授業ではない。「修養する場」である。従ってまず教員がその気になって貰わないと「修養学舎」とはならない。教員が単なる「バスツァーの添乗員」だったり「お母さん」だったりしては修養学舎にはならないだろう。
・ 今はもう「死語」になった感がする「修養の言葉」であるが、我々の世代はこの言葉を大変良く使っていた。「しっかりやれ、修養のためや」とか「お前はまだ修養が足りない」とかである。「修行」とは違う。
・ 竹内先生は「修養とは行いを正しくすることによって心を養っていくことである」と定義されている。「脳ではなくて心を養う」ことが必要だといわれる。「修養論」を考える時に我が国は二人の偉人がいるといわれ、一人は「新渡戸稲造ともう一人は野間清治」だとおっしゃっておられる。特に新渡戸の「修養」は明治44年に刊行され「修養論の原点」らしい。私はまだ読んではいないが。
・ 講談社を起こした野間は「何事も修養であり、何事もまず自分を作ることである。だから雑巾がけをすること、ご飯を食べること、お辞儀をするようなことを誠心誠意勤めることである。そういうことの積み重ねの上に人物が出来上がり、世に出る機会も生まれる。それを今の仕事を抜きにして夢ばかりを空想していれば、ろくなことはない。“人間は誰でもその仕事に全身全霊を打ち込んだ時くらい立派で尊いものはない。その顔も態度も一点の隙も無くただ光り輝いて神々しく見える。”
・ 「修養」はこのように明治時代の終わり頃から日本人の心に入り込んできたが、元は「江戸時代の心学」に遡るそうだ。「倹約と勤勉」を説き、多くの日本人の基礎となり、その延長線上に「修養」は位置した。
・ それが「心を磨かずして頭は鍛えられず」の言葉となる。頭だけで生きようとはぜず、「頭から曇りを取ってスッキリ」することがより重要であり、この思想が「修養」だという。生徒からはこういうことをいうと古臭いといわれるかも知れないが実は「大変重要な学校教育の根本」がこれらの記述にあるような気がしてならないのだ。特に最近つくづくと思うのである。最近このようなことばかり考えている。
・ 明治から戦前までは今から考えるとはるかに身体を動かさなければ成らなかった筈である。「修養」の概念は頭をどう使うかよりも「辛い仕事を忍耐して続けることが課題」となる。頭の使い方よりも「勤勉とか克己心の養成」のほうが重要な概念である。辛いとか忍耐とか勤勉とか克己心とか今日的生徒が最も苦手の文言ではないか。
・ しかし現実には戦後民主主義の発達の中で「苦労人物語」は分が悪くなり、敬遠されるようになって来た。親もわが子には「自分と同じ苦労はさせたくない」と「ただ一筋に子の教育にかけた」のである。
・ ところが現実には「忍耐とか辛さに耐えるとか、勤勉とか、克己心とか」の概念は遥かかなたに追いやられ、逆に「個性尊重」「辛さに耐え自分を押し殺すのはいけないこと」「厭なものは嫌と言う自己主張こそ美徳」として「おしん物語」は吹っ飛んでいったのである。
・ 「伊勢修養学舎」を有する本校は「幸せ者」である。「修養の部分をもっともっと高めねばならない」。私は開講式では決まったように「これは修学旅行や遠足で来ているのではない。学校とは言わず学舎と言っている。修養とは・・・・」と口を切るのだが何処まで生徒に伝わっているのか。
・ 「辛さに耐え、何かを掴んでもらうため」にこの学舎を再度見直さねばならないと考えている。又今回「付き添う教員のレベル」の重要さも分かった。教員自体が「この伊勢修養学舎の意味」を正しく捉えていないと意味はない。前述したように、そのような教員も散見されたという。それは「生徒指導の本当の意味が分かっていない教員」だと思う。こういう教員は本校には「不要」である。退場して頂かねばならない。「担任を連れてくる必要もないかなと今感じている。」
・ 「修養の意味」をもっとこの学舎の講座に入れなければならない。そのためには「適切な外部講師を招聘」し一部を学校の教師の手を離れて預けることも一案かもしれない。「修養の意味を教えられない教員では逆効果」である。
・ 今、保護者も学校も大金を費やしてカナダにホームステイさせ勉強させているが「英語よりも髪の色に気を取られる生徒」や「ステイ先と合わないとダダをこね、家を変わりたいとか」まったくもって信じられない「個の世界」に落ち込み、誰もそう易々と経験できない外国の地で「自分の家と同じような快楽と快適さ」を主張する生徒もいるが、すべて「修養が足りない」と言いたい気分だ。
・ 日本の美しい心である修養を見捨てた結果、「キレる」「むかつく」「癒し」などの反吐が出るような概念が登場してきて、教育の難しさはますます高まってきている。しかし「浪速は良い教育をしているし更に高める自信」もある。教職員と頑張っていきたい。

2008年7月25日金曜日

7月25日(金)今日的高校生の側面・・・私語

私語とうつ伏せ
・ 社会教育学者の竹内洋先生はある書物に「大学生の私語」について論考されている。学生の私語が問題となったのは「大学の大衆化と消費社会の始まりの時代」だったといわれる。更に先生は「大学の休講が多い」ことが社会問題化され、大学は「休講を減らし、休講した場合は補講」しなければならなくなった時期と符節すると言われる。
・ 要は休講が多いと「今日はノートにとっておこう」と学生は考えるらしい。当然私語は少なくなる。新学期の最初は休講、酷いのになると5月の連休明けから講義というのもあったらしい。昔は「開講日」として掲示板に載せるくらいだから、「たまの授業には静かに聞こう」となるらしい。先生らしい論考だが、最近の「高校生の私語」はどう考えたらよいのだろうか。
・ 「伊勢修養学舎」でもそうだが、担当の教諭は叫びまくる。「静かにしなさい」「口を閉じなさい」「なんで喋るんですか、喋ることは何も無いでしょう」「そこ、静かにしなさい!」「どうして皆さんは全員で集まった時にそのように喋るんですか」「みんなに迷惑をかけていますよ」「静かになるまでは始まりません」「後にずれていきます」「早く終わりたいでしょう」「そこ、静かにしろ!」くらいでようやく静かになる。
・ 指導する教員の声は段々と大きくなってくる。そして「一旦静かになった」と思ってもまた直ぐ何かのタイミングで「私語が始まる」のだ。今度は幾分規模は小さくなる。50分の授業の間のことは問題とはしていない。本校は授業が崩壊している学校ではないし、授業妨害は厳しい処分としているので、その事自体は問題ないのだが、とにかく「ドリフターズの全員集合」みたいに全員集合時に私語が飛ぶ。「がやがや、どやどや、ざわざわ」静かになるまで一定の時間がかかるのだ。
・ 中庭で行う一斉参拝とか始終業式など立ったままのときは私語や笑い声だけだが、椅子がある講堂等の場合も基本的に同じである。加えて机がある場合、休憩タイムなどのときは文字通り「グターッ」と机に両腕を投げ出してうつぶせになる。あれは「一体全体なんだ?」と思ってしまう。
・ とにかく今日的生徒の2大特徴は全体集合時の「ペチャクチャ」と「グターッ」だ。どうしてあのようになるのであろうか。前述の竹内先生は私語をする大学生を「透明な存在」と表現され、「今の大学生には世間とか社会とかの感覚などは無い存在」と論破されています。
・ 私は「「ペチャクチャ、グターッ」の高校生と「私語」の大学生は関係があると思っています。だって高校を済んでから大学に行くわけで連続しているわけですよ。「透明人間」とは上手く表現していますが、確かに今日的高校生にとって「自分の世界」が全てなのですね。
・ 「ジコチュウ」と言って「自己中心人間」は高校生仲間では代表的嫌われ者ですが、全体が実は「ジコチューの世界」なのですね。あくまで自分中心。自己と周辺、社会の中の自分と言う「相対的な見方がどうも苦手」なようです。その中で際立った自己中心に刃を向けて自分の自己中心には意を介さない。まさしく自己中心なのですね。私はこのように観ています。
・ 「公共心、公共用事とか公共の場所」と「自己の私的な感情と私物、あるいは自分の居場所」などの概念が対峙して存在するという概念が希薄になってきています。電車内での飲み食い、ポイ捨て、駅や、最近では学校の教室までが「自己の所有物」というか「一線引かれた場所」という概念が無くなってきています。
・ 大人でも電車内ではまず100%携帯を取り出しますし、化粧をする女性は今や普通の光景になってきました。最近少し減りましたがべた座りもまだあります。髪染め、化粧なども「人の迷惑になっていないのだから良いではないか」という屁理屈です。
・ 「厳しく叱る」と「ようやく考え始め」、直ぐに「ああ、こういうことはしていけなかった」と反省はします。「反省の天才」ですね。これは重要なポイントで反省せずに「食ってかかる」生徒が多い学校の教員は大変ですよ。まず反省から学習していくようになってきたと思います。反省する前に「これはしてはいけないことだ」と深く考えないようになってきています。
・ 「静かにしなさい」と大声で言われて「あれ、自分のことか」と気づけばそこで静かになります。最初からは静かには出来ないのです。そして「ここは静かにする場所」だと分かっているところでは「待ちの間」、先ほどのように「グタ-ッ」としてうつ伏せになって時を待ちます。こういう光景も昔はそう多くはなかったと思いますよ。
・ 彼らは「納得させることが重要」です。特に成長するにつれてこの「納得性」が大きな比重を占めます。納得しないと繰り返しになります。ところが一度の経験で他に応用するということが又不得手ですね。同じことは繰り返しませんが近いことは又やる。そして指導を受けます。
・ 教室単位、即ちホームルーム単位が学校の重要な単位ですが、ここも秩序が全く変質してきています。成績一番で皆の尊敬を受けている生徒、喧嘩にめっぽう強くて番長みたいな生徒、芝居じみたおどけ者、暗らーいネクラなど様々なタイプで教室の秩序は保たれていましたが、携帯電話社会では同じクラスが友達とはなりません。他のクラス、他校の顔を見たことにないメル友、ますます教室と言う共同体が崩壊しつつあるのです。
・ 携帯電話さえあれば自分は孤独ではない」「熱い人間関係は余計に暑苦しい」と思ってしまうのです。完全に「自己中心社会」に浸っているところに「人間関係から学ぶ」側面は薄れてきています。だから全員が揃った時には「大きな社会の突然の出現」に最初のうちはなじめず、「デジタル」から「アナログ」の世界に慣れるまで落ち着かないのだろうと思っています。「学校は完全なアナログ社会」です。「教育はアナログである」は私の造語ですが肝心の生徒はもはやデジタル社会の申し子になっているのです。
・ 彼彼女たちは自ら発信することが好きで「国語の作文は苦手」だが「メールは極めて早く上手く書きます」。ところが「受信はどうも苦手」で「発信」には強い。教師からの発信を上手く受け止められません。難しい世の中になってきました。
・ 今日で「伊勢神宮」での私の出番は終わりです。来年に向けて又作戦を練りましょう。名誉理事長が宮司の「大阪天満宮での天神祭」の日です。本校の生徒が100名以上参加して陸渡御、船渡御に応援参加しています。無事な帰還を祈っています。今日も暑い日でした。

2008年7月24日木曜日

7月24日(木)学校は静か

・ 学校は「静か」である。極めて静かである。講習やクラブで生徒は結構登校しているのだが、校内は「静か」である。「この感じは嫌いではない」。何か「ゆとり」みたいなものがあって、生徒も先生も「良い顔」をしている。
・ 高温多湿の日本は「夏休み」という制度を作った。先人は本当に賢い。正式には「夏季休業」という。しかしこの制度は日本だけではなくて世界的に実施されているものだ。太平洋高気圧の支配下での暑熱や夏季の伝統的な慣習、例えば自営業者や農家の手伝い、薮入りの習慣の影響、教職員の研修や採用試験などの準備、教職員の休業など色々な理由はあったのだろうが、「夏休みは良い制度」であると私は考えている。
・ 大阪は暑い。大阪だけではない。日本全国今の時期、どこでも暑いこの季節だ。幾らエアコンが完備されているとはいえ、小さな教室に40名の成長盛りの若者の体温で室温はいやがおうにも上がる。設定温度28度Cなどでは、正直汗が吹き出る。
・ 私は当初、エアコンがあるのだから「授業、授業」と叫んでいたが、幾分軌道修正した。一昨年までの本校は夏季休業中しっかりと休業していたが、「お盆明けには授業を入れた。」1学期の終業式の翌日からは2泊3日の「伊勢修養学舎」が1年生には始まる。
・ 2年生の1クラスは「カナダにホームステイ」だ。「校内特別講習が7月一杯」続く。8月上旬には「選抜者強化学習合宿」が京都と大津で計画されている。「インターハイ」があり、多くのクラブは練習試合や「強化合宿」が始まる。生徒も逆に夏休みといっても忙しいのだ。
・ 休みと言っても「実際の休業はほんのわずかの期間」しかないのが実態である。しかし授業とは違った気分的には前述したように「ゆとり」みたいなものがあって「休業期間は生徒を大きく成長させる」ような気がする。それで私は「夏休みを再評価」している。
・ 夏休みが数年前、大きな問題とされたのは「生徒の為の夏休みを一部の教員が教員の夏休み」と世間に錯覚せしめるような行為が社会的に糾弾されたからである。元来この時季は「研修」をして教員としての技量を高めるとか、「授業研究」とか、日ごろ出来ない「分掌業務の整理」をするとか、あるところを「研修と言って家族旅行に出かけたり」「学校に顔を出さず、自宅で車を洗っていたり」する「不届き者」がいたのも事実である。
・ 社会の勤労者は暑い中、仕事に出かけている中を「教員も夏休み」と思われ,「先生の仕事って良いですねー。休みが多くて」などと思われてきたのだ。これでは一生懸命自分の時間を割いて生徒の部活や学校行事に集中している教員に申し訳ないことだ。
・ したがって本校は昨年から8月7日から17日まで「夏季リフレッシュ休暇」として年間労働時間を設定するときに「特別休暇」を入れた。連続10日の休みである。厚生労働省から表彰されても良いくらいだ。これは教員の正式な休業期間である。これ以外は勤務日だ。全教員、この日を楽しみに頑張ってくれている。
・ 「静かな学校」も良いものだ。何時もかつも静かなのは困るがこの暑い中、マイペースで仕事が出来るのだから教員の仕事もはかどるものと考えている。通常は「チャイムが鳴る」と学校は騒がしくなる。緊張の授業が終えて生徒は一挙に教室から飛び出し「歓声」が学校内にこだまする。短い時間でバレーボールなどするグループもいる。特に女生徒の甲高い声が良く聞こえる。
・ そして10分経ち、又「始業のチャイム」がなると汐が引くように「静粛」に急変する。「学校のこのサイクルは誠に持って心地良い」ものだ。しかしチャイムが鳴っても生徒の声一つ聞こえないのは夏休みの特徴であり、校長としては「いささか寂しい気」もする。しかしだ。1年に一回夏のこの時期にこのような静粛な時があっても良いと考えるようになった。
・ 生徒は生徒でそれぞれ、何処かの場所で「頑張っている」筈だ。家で寝ているような者はいない。とにかく事故など無くお盆明けの授業開始を待つのである。夏休みと言っても「様々なことがある」、決してゆっくりというわけではない。逆に校長は忙しい。
・ カナダからはメールが入り、ホームステイ先と合わないと言ったり、迷子になったとか、伊勢では生徒同士のいざこざがあったとか、学校では1学期で起きたことが今頃露見して先生が走り回ったり、結構大変なのであるが、「授業」がない分落ち着いて対応も出来ている。
・ ところで「ノーチャイムの学校」を研究したいという考えもある。思い切って「全校一斉のチャイムをなくする」ことで「生徒が自主的に時間管理」ができないかというわけだ。7月18日の日経は「静かに広がるノーチャイム」の見出しで取り上げていた。
・ 実際実施している学校は増えてきているらしい。教室や廊下に時計を増やし、後は生徒の腕時計で時間を管理しながら行動するというものだ。勿論教師は「ベル着」で教室に入っていかねばならない。時間が来れば授業に入るのだ。そうすれば学校から一切「チャイム」が無くなり、静かになるというより、「生徒の自主性を育てるという狙い」だろう。勿論定期考査の時にはチャイムは必要だ。
・ 元来このチャイムは明治期に現在の学制が決められた時に導入されたもので当時は「鐘を鳴らして」始業時間を知らせたのが始まりという。長い歴史があるのだ。あのメロディーも日本では殆ど一緒だ。町の通りを歩いていて遠くからあの音が聞こえてくると「ああ、この近くに学校があるね」とすぐ分かる。
・ しかし現実は厳しいものがあるらしい。ある校長が導入したが数年後校長が変わった瞬間に「元に戻る」という事例もあるらしい。又生徒の自主性などと言っても一向にそのような気配はなくて「授業に生徒が揃わない」という学校もあるだろう。
・ 本校の学校の力で「ノーチャイムの浪速」はどうなんだろうかと何時も思うのだが「まあ難しいと感じる教員は多い」と感じる。新聞記事にもあったが、中学校や小学校の柔軟授業では意味があるかも知れない。高校生にはどうなんだろう。本校みたいに50クラスもあるマンモス校で一挙に「理想論」を振りかざしても上手くはいかないと言われるだろうな。
・ まあもうしばらく様子をみよう。明日からは最後の3班の「伊勢修養学舎」だがあそこには「チャイム」はない。しかし生徒は時間通りに集まってくる。特に食事時には遅れて来ることは無い。「本校の生徒はチャイムなしでも時間管理が出来る生徒」だと私は踏んでいるのだ。

2008年7月23日水曜日

7月23日(水)女生徒たちの伊勢修養学舎

・ 「女たちの忠臣蔵」とか「女たちの太閤記」とかの表現がある。それにあやかって「女生徒たちの伊勢修養学舎」と行こう。共学に移行した時にこの伊勢学舎をどうするか当時の学校関係者は悩んだことと思う。しかし結果的に良い方向でやってくれていると言える。
・ 私は昨年初めて参加した時に、まだ訳が分からないのに「女性にも禊を」と本気で考えた。それほど「禊の印象が強烈」だったし、神職を志す女性は「禊」をしている筈だから女生徒がしてもおかしくないと考えたからである。
・ 男子生徒に比べ行事内容に「些かインパクトに欠ける」印象を持ったものだから、「何かないか、何かないか、女生徒にも禊を」と考え、学校に帰ってから担当のM教諭と相当議論をしたのである。
・ しかし結局結論は現段階では「女生徒の禊は時期尚早との結論」になったのである。加えて昨年参加して頂いた府内の神社関係の女性の宮司や禰宜さんに本校に来て頂いてご意見を伺う機会も持ち、2回ほど議論をした。色々なアイデアが出てきて、本年度の学舎となったのである。
・ 今でも「女生徒に生涯思い出になるような伊勢修養学舎を」という思いが強い。男子は問題ない。今後とも「五十鈴川の禊」を中心として伊勢修養学舎はこの混迷の時代、生徒指導に難しさを感じる時代ゆえにますます意味はある。絶対にこの行事を止めてはならない。止める時は学校を閉める時だ。
・ 本年度も参加して私は女生徒の禊は完全に諦めた。「無理と感じた」のである。男子生徒でも「大丈夫かな」と心配するような「今日的生徒」であり、更衣室があるとかないとかのとかの問題ではなくて「優先順位」として「女生徒には他に何かある」ような気がしてきたからである。それが「何であるか」はまだ掴めていない。更に突き詰めていかねばならないと思っている。しかし今回の経験で「女生徒を水の中に漬けるよりは他にまだなにかある」と、確実な答えはまだないが「少し見えてきた感じ」がする。
・ 今回の大きな特徴は全女生徒に「襦袢と白の着物、朱の袴の三点セットを用意した。「巫女」さんの装束である。70着分用意した。まず「着物の着付け」を勉強して貰った。金はかかったがそれはどうでも良いことで、着物を着るという行為と巫女と言う通常人には普通経験できないスタイルをさせることで彼女たちは「変わる」ことが分かった。着た瞬間「変化する」のである。
・ 加えて今回のもう一つの特徴は近くの「皇學館大學の祭式教室」というか講堂を借用して「舞や祭式」の勉強をして貰ったことである。とにかく会場が素晴らしい。誰しも身ずまいを正さざるを得なくなるような感じにさせる立派な会場で「神楽舞の練習」などを実際に「」を持ってやる様は絵になっているのだ。とにかく女生徒の目がらんらんと輝いている。たとえ3分程度の舞でも彼女たちに大きなインパクトを与える。
・ 今回の学舎第1班は男子が141名、女子が63名である。3班ともで大体このバランスとなっている。これに対して引率の教員は男性が12名、女性教員が5名であるが女生徒には外部講師の先生が5名付いている。神職の方々である。生徒一人当たりにすると圧倒的に女子の方に人員が掛かっているのである。これくらい「女生徒指導には手間隙がかかるのが実態」である。今後間違いなく女生徒の数は増えてくるだろう。これを考えただけで私は重たい気持ちになる。中身と女性教師と外部講師の先生の手配である。
・ 男子生徒は持参の水着一つで五十鈴川に禊するのも、無料であるが女生徒にはとにかくお金がかかる。今は致し方ない。それだけの教育効果が上がれば惜しくは無い。それよりも「何を提供するか」である。後メニューとしては「大祓詞」の書写がある。これは中々意味あるもので一生保持してくれれば記念になるものだ。
・ なんやかやで「女生徒たちの伊勢修養学舎」も大夫形が出来てきた。しか正直なところまだ「満足していない」。祭式教室で輝く生徒の顔を見ていて、今日感じたのは「礼儀作法教室と茶道指導」を瞬間思いついたのである。舞を踊るのにあれほど生徒は興奮していた。知らないことを教えて、たとえそれがほんの入り口部分でも「導火線」になれば良いと思ったのである。
・ 日本の母になる女生徒である。こう書けば一部の団体は「女性を母になるべきものと規定する」と騒ぎ立てるが、そんな集団のいい草などに負けるつもりはない。立派な強い母になって欲しいのだ。共学に移行して4年目の女生徒だ。「極めて本校にとって大切な女生徒」だ。しっかりと浪速の教育を展開していかねばならない。
・ 携帯電話しか興味がないのかと思わんばかりの女生徒でも「知らないことには大いに関心」を示すことが今日分かった。それならばそのようにプログラムを組んでやりたい。「小笠原式作法」とか「茶道の入り口」みたいなものも効果があるかも知れない。
・ 昨年の女生徒に比べ、今年の生徒は「良く話を聞いてくれる」と外部の先生は言ってくれたがこれは正直「稚拙」な面があると私は考えている。要は段々と「こども、こども」になっているのだ。まだ中学生みたいなところがあるのだ。幾ら「静かにしなさい」と言っても「私語が止まらない。」大声を張り上げるとようやく止まる。自分に関心があるものは興味を抱くがそれ以外は「関係なーい」と考えてしまうのだ。
・ 女生徒たちの伊勢修養学舎を今後とも追及していきたい。辛いのはこのような指導は本校の女性教員では、限界はある。当然である。従ってどうしても神職を生業としている先生とか「外部の先生方のお力が必要」だ。女性教員が少なすぎる。増やしていかねばならない。今回も初めての先生が2名来て頂いているが、「人材バンク」を用意して人材を集めておかねばならない。
・ 2班の「校長講話」を終えて今帰りの電車の中でパソコンを打っている。明日は終日学校で、25日3班に参加する。その後はカナダだ。宇治山田駅で例の「赤福」を買った。お店の方に「再開後、売り上げは如何ですか?」と余計な事をすぐ聞くのは悪い癖だ。いささか不意を突かれたみたいで「前より上がっています!」と。「本当かな?」。電車の中で食したが「旨かったなー」。やはり賞味期限内のものは新鮮で、使い回しでないのは旨い。赤福復活か?

2008年7月22日火曜日

7月22日(火)五十鈴川の禊

・ 朝5時30分に生徒は起床する。私は何時もの癖で5時には起きている。1年ぶりの「五十鈴川の禊」だ。心身が緊張する。学校で誂えている「日本手ぬぐい」がすでに生徒には手渡れされ使い方も担当の先生から昨夜説明されている。
・ 「学校の校章」と「浪速高等学校伊勢修養学舎の文字」と伊勢の山々と恐らく「五十鈴川をデザイン」したもので4つに折って校章を前面に「鉢巻」にする。「」というそうだ。全校生徒はそれをして神宮会館駐車場に集合する。既にズボンの中には水泳パンツをはいているのだ。
・ 持参するものは「パンツ」と「タオル」だけで会館から2列縦隊で禊の場所に向かう。この間しゃべってはならないことになっている。「高校生の集団が黙々と鉢巻をして歩く」さまは「迫力」はあるだろうが、朝の6時過ぎ、行き交う人は居ないし、車もまばらだ。
・ 川の傍に駐車場がありそこで全員服を脱ぐ。ちゃんとした更衣場所があるわけではない。言ってみれば道端で服を脱ぐようなものだが、男子ばかりにつき、一向に気にならない。この辺が女生徒に「禊指導」が出来ない所以である。
・ 昨夜も練習指導に来て頂いた神宮の神職の先生が2名で既に来られていた。全員河原に勢ぞろいして「禊式」が始まる。すぐに川の中に入るのではなくて準備がある。この「手順が凄い」のである。昨年生まれて初めて経験して「驚愕に近い」ものを感じたが内容についてはまだ完全に理解できていない。
・ 神宮の先生からは簡単な説明は受けているが、それくらいの時間で把握できるものではないが、「何世代にも亘って先輩から後輩へ」、「一字一句変わらず伝承された日本語」が素晴らしい、一つ一つに意味があるのだが、今は分からなくとも良いと思っている。
・ まず「鳥船行事」というのがある。まだ勉強していないので良くは分からないが禊はまずこれから始まる。3段に分かれ大きな掛け声を上げながらまさしく船を漕ぐような格好で歌を歌いながら船を進めるように体を動かす。「朝夕に神の御前にみそぎして、すめらが御代に仕えまつらむ」と「全員で大声」を上げる。これは1段の歌詞だ。
・ 「合いの手の掛け声」も「イーエッ エーイッ」が1段で、2段になると「エーイッ ホー」、3段は「エーイッ サー」となる。鳥船の後は「雄健(おたけび)行事」がくる。とにかく持てる声一杯に「生魂 足魂 玉留魂」と叫ぶ。(いくたま たるたま たまたまるたま)と発言する。腹の底から大声を上げる。
・ まだまだ行事は続く。その後「国常 立命」と「雄叫び」をあげるのだ。(くにのとこ たちのみこと)と発言する。その後「気吹行事(いぶき)」というのが来て「ようやく身漱(みそぎ)」となる。身体を漱ぐというのだ。
・ 30分も準備がありようやく入水となる。この字を書いても自殺ではない。川の深いところまで行き、首までつかる。生徒は「水の冷たさでヒャー」という声が上がるが、付き添いの教員は「声を出すな」と厳しい。しかし生徒は観念してるのか、嫌がるものはいない。
・ 大きな体、まだ子供みたいな小さい体格、色々あるが皆並んで川の中央に立ち、川上の「宇治橋」を仰ぎ見るのだ。緑に見える清流に影を落としてかかる高欄つきの和橋で遠くから見ると本当に「神々しく」見える。この橋から境内が「神域」とされており、伊勢が好きだった吉川英治は「ここはこころのふるさとか」と詠った宇治橋である。
・ 「道彦という指導員」は全員の目を閉じさせ、「祝詞」を奉唱する。生徒は「早く川から上がりたい」と思っているのだろうが、そうは行かない。結構長い時間15分くらいは入っているのではないか。私は勿論列の先頭で頑張っている。16歳の若々しい体の中に60歳を超えた「腹の突き出たおっさん」も頑張っているのだ。
・ 上がった後又最初と同じ行事をこなす。入る前は体を温め、入った後も体を温める効果はある。終わる頃には体が乾いてくるのだ。その後「着装」となり一連の行事が終わる。しかしこれからが本番で宇治橋を渡り「天照皇大御神」をお祭りする「内宮」すなわち、「皇大神宮」にお参りする。禊の済んだ後ということになる。
・ 列は4人で横一列とし200名の生徒は並んで宇治橋を渡る様は「形になっている」のだ。全員鉢巻すなわち「冠」はつけたままだ。生徒は制服で、全員が日本てぬぐいの鉢巻だから、おそらくこれを見る他人は「一種異様な集団」「右翼少年隊」みたいに見えるのではないか。先頭を歩く私などはさしずめ「右翼の巨魁」だろう。いかようにも思えば、思えだ。
・ 一同打ち揃って「二拝二拍一拝」が今日は良く揃った。何処となしに生徒は声も立てず「静粛」そのもので、聞こえるのは踏みしめる玉砂利の音だけである。帰りも黙々と歩きだけで神宮会館に到着する。時刻は7時45分頃で予定通りだ。約2時間弱の時程で生徒は「空腹」だろう。朝8時全員揃って朝食となる。「手を合わせ合唱して“頂きます”の声が食堂に木魂する」風景は大好きだ。
・ 生徒代表が前に出て「本居宣長の歌」を先導しながら「頂きます」というのは神宮会館でお世話いただく皆さんには好感を持って評価されているらしい。「先生、素晴らしい生徒さんですねー」と言われるのだ。
・ このようにして「一日目の禊」は終わった。明日の朝も2回目がある。「2回やって本当」というのが神道の精神にあるのかも知れない。もし雨が降ったりしたらの予備というが根本には「2回やる」というのがあるのかも知れない。
・ 確かに神道行事では「国歌の斉唱でも2回詠う」のが普通だ。生徒にとってはもう一生このような経験は無いと思う。貴重な機会と経験だ。「浪速高校1年生の夏に五十鈴川に禊で2回もつかった経験は決して人生で無駄にはならない」だろう。これは間違いない。
・ 気にしていたが常勤講師の先生方も一緒になって頑張っておられた。立派であるし嬉しい。一昨年はある常勤講師の先生が裸になるのは厭だと言って、結局「首になった」と聞いた。最初は水着を忘れたと言い、それでは「ふんどし」があると言ったら、「川の水アレルギー」と言ってどうしても川に入らなかったらしい。禊は本校の生命線だから、「ちゃぷちゃぷ」でも入れば良かったのに。

2008年7月21日月曜日

7月21日(月)伊勢修養学舎

・ 第1班生徒数204名、付き添いの教員18名が学校正門前からバス5台に分乗して伊勢神宮に向かう。2泊3日の「伊勢修養学舎」だ。3日後には2班、25日には3班が始まる。生徒数が多いから3分割だ。「嬉しい悲鳴」である。
・ 今年から「大型バス」にした。昨年までは鶴橋から近鉄であったが、伊勢での動きを考えるとこの方が便利と初めて採用したものだ。確かに便利である。11時30分予定通り「神宮会館」に到着。
・ ここで持参の昼食を摂らせ、まずバスで「外宮」にお参りだ。私と生徒代表が御垣内に入れて代表参拝だ。全生徒との二拝二拍一拝が揃って境内にこだまする。良いものだ。その後「猿田彦神社」の参拝する。本殿の中で有り難い宮司のお話を頂く。
・ 15時神宮会館に戻って「開講式」となる。神宮司庁ご代表のご頂き、会館の館長さんから歓迎の祝辞を頂く。「55回目だから相当の歴史」で今や有名な行事になっているものだ。会館もこの1週間全館貸し切り満員で「笑いの止まらない有り難い」筈だ。館長さんとももう顔なじみになっている。
・ 女生徒も増えているため、「祭式指導や着物着付け」などの指導には府内の女性神職にお願いしているが今年は5名の数だ。わざわざ大阪から来て頂いた。有り難いことである。16時30分から自由時間とし入浴、そして夕食だ。
・ その後も男子は明日の「禊指導」、女子は「着付けと礼儀作法」の指導会となる。遠足や修学旅行ではない。夜10時まで寝かせない。生徒はなかなか良いが中には「子供っぽい」生徒がいるのも事実だ。「集中できない」にである。すぐおしゃべりする。黙っておれないのだ。付き添いの教員が根気良く指導している。
・ 私は「今、この時を大切にする」というテーマで50分一コマの「校長授業」だ。姿勢正しく一生懸命に聞いてくれていた。難しかったかも分からないが何か一つでも頭に残ってくれていたら本望である。「教育とは諦めずに粘り強く伝えること」だ。一回言って分かるようなら教師ほど楽な商売はあるまい。何回も何回も手を変え品を変えしゃべることだ。
・ ただ200人もいると生徒は様々で伝える方法、対象、内容については「難しい」。「教師の仕事の難しさ」は実はここだ。能力、生い立ち、現在の環境一人ひとりの生徒は違ったものを有しており、そこを把握しながらやることが重要だが、「言うは易く」だ。
・ 今日の私はレジュメとして以下のようなものを用意して一生懸命しゃべったが・・・。
平成20年度伊勢修養学舎               平成20年7月18日作成
1年生への校長講話要旨              
        「今、こ の 時 を 大 切 に す る
                            浪速高等学校長
                                 木村 智彦
1. 感激の入学式から3ヶ月強が経過して
・ 自分の想像していた高校生活と実際の生活との違いについて考える。「人間は自ら考えることの出来ること」が大きな特徴。正しく考える。
・ この「自分の頭で考える」ことから全ては始まる。「忙しい」「勉強する時間がない」「部活動で忙しい」「考える暇がない」等々は「起点の喪失で方向を見失う」。考えるための道具が「基礎基本の学力」「人から学ぶ」「書物から学ぶ」「他から学ぶ」
・ 考えることは一つの「訓練」、「考えた次に何をすべきか、すべきでないか」が「判断力」と言われるもの。社会の中で生き抜いていく為にはこの「判断力が重要」。努力と訓練で身に付くもの。「目ではなく、頭で学ぶ」「頭を使う」
・ 今後とも皆さんは高校生活の進行で自分の考えなども変化していくでしょう。「変化」を感じることは素晴らしいことです。それは自分自身が「成長」しているからです。即ち「現状を見る判断力が成長している」のです。1年生と3年生では大きな変化が見えます。
2. 「決意、心構え、覚悟」ということ
・ これからの3年間を「完走する」ことがまずもって重要、「卒業証書を手にするまでは!」という気持で頑張る「強い意思」が重要
・ 社会に出ても簡単に職を変えたりすることは常にリスクのあるもの、「初志貫徹」の「心構え」が必要です。これは「覚悟」です。「覚悟」は自分を強くします。
3.  これからの高校3年間をどのように「時間管理」するか
(1) 1年生の時    基礎基本を徹底すること
(2) 2年生の時    基礎基本と応用に進む
(3) 3年生になって  「仕上げ」と「進路の決定」
     要はこの高校3年間は終りの3年間ではなくて新たな「始まりの3年間」です。
     この3年間は将来設計の為の極めて重要な期間ということ。勉強について言え
     ば:
・ まず授業を大切に、予習復習がもっとも大切、加えて「特別講習」など
・ 元々は「自学自習」が本当に身につくやり方、もっともいけないのは「だらだら」と意味のない時間を使う、時間の浪費を避ける。「高校生だということを自覚する
・ 大学進学も「学びの期間」、「大学を出て何をするか?そのために大学で何を学ぶか?」
3. 実は「時間の使い方は一生の課題」というか人生のテーマ、全世界の人類共通の
    問題      時間管理のできる人間が強い!
人生はこれから先、色々なことがあるが、「かけた時間だけ返り」がある。
(1) 大学進学、そしてその後の社会進出  今から7年後あるいは9年後が勝負
(2) 就職、あるいは自立、いずれにしても時間との戦い
結局「時間はコスト」「自分の時間は限られている」「Time is Money」
・ ・・・・成功する人は時間の使い方の上手い人・・・・
 (3)社会で最も問題視されること、「人の時間を無駄にする行為」「人に迷惑を欠ける行為」「無為な時間を過ごさない」人は誰も一日24時間、「優先順位を付ける」
5. 時間を上手く使うこつは?
 (1)「」を持つこと  これが軸である。これさえあれば行動がぶれない。めげない。
(2) けじめをつける 遊んでも良い、遊んだ後は学習するというけじめ
言い換えれば自分なりの「生活習慣ライフサイクル」を持つということ
 (3)「時間の積み重ね」という感覚を身につけること。一挙に何事も出来ない。少しずつ、一つずつ進む。取り戻せないものは過ぎ去った時間、急には何事もならない、「時間の積み重ね」が必要、従ってこの時間の積み重ねをどのようにするかで結果は違ったものになってくる。「かけた時間は結果で返る」「間違った時間は失敗で返る」

6.結論   浪高生は、「時間を上手く使う達人になる
そのためには「今、この時を大切にする」  
  
7.社会で生き抜く力とは
変革・混迷の時代を読み解くキーワードを頭に入れる
・個性化と自己責任 ・規制緩和と結果責任 ・多様化、流動化、・格差
・公開, 説明責任、透明性   ・グローバルスタンダードの人権と共生
・地球環境問題 ・小さな政府、地方分権、・物つくり立国、知的創造立国
人材および雇用流動化・多様化の時代
終身雇用スタイルの変化
人材流動化   力さえあればどこでも通用する時代
    専門家集団の集まり
① ジェネラルマネージャーからスペシャリストへ
② 学歴ではなくて学修歴 、職務歴 「何が出来るか?」
                  「何で貢献できるか?」
    そして今  「共生の時代」「男女共同参画の時代」「地球規模のネットワークの時代」「IT」と「地球環境」を「生き抜いていく力
そうした時代に社会が求める人材
  ・ 遵法精神 「正しく生きる」「真面目に生きる」「仕事を通じて社会に貢献する
何よりも全人間的魅力・・・「豊かな人間性と専門性
明るさ  積極性  責任感  品性品格  正しい歴史観  専門性
コミュニケーション能力  課題設定能力  英語力  その他 以上

2008年7月20日日曜日

7月20日(日)ブログ

国内ブログ単行本
・ インターネット上で公開されている「国内のブログ」が08年1月末現在で「約1690万件」あるそうだ。「私の校長日記」もそのうちの一つである。「記事総数は約13億5000万件」というから、実に「単行本約2700万冊分のデータ」に相当する。
・ 総務省の情報通信政策研究所の調査結果が7月10日に発表された。それによれば日本語のブログサービスサイトを使って開設されたブログを国内ブログと定義されているようだが、私も「無料のサイトサービス:ブロッガー」というのを使わせて貰っている。
・ 調査によればブログの総数は04年以降急激に増え、06年1月には1000万件を突破したという。「一ヶ月に一回以上更新されるブログは約300万件で全体の2割弱」である。毎月40万件から50万件が新設されているから今後とも増えるかもしれない。
・ 私のようにほぼ「毎日更新」しているのは珍しいのかもしれない。意地でやっているのではないし、約束の1年が過ぎたのでこの6月1日から止めても良かったのだが、「裏を返す」と言う言葉があるように何事も面と裏、2年やって「一応の区切り」とする積りだ。
・ 記事によればブログを開いた動機として最も多いのは日々出来事を伝えたい「自己表現型」が30.9%、情報のやりとりを重視しする「コミュニティ型」が25.7%、趣味に関する情報の整理の「アーカイブ型」が25%、「収益目的型」が10.1%、知識を発信する「社会貢献型」が8.4%だという。
・ 果たして私のブログが一体どれなんだろうと考えてしまう。まず間違いなくコミュニティ型ではないし、アーカイブ型ではない。自己表現型の部分もあるし、収益目的型でもある。生徒を集めるという行為を収益型というならこれにも当たる?
・ 小さな私学の一介の校長ではあるが一般に広く「学校内部の実態」を知らしめると言うことであれば社会貢献型にも相当しよう。でも大体本校の教職員とPTA向けが頭にある。「個人攻撃ではない。状況を問題」としているのだ。先般のブログでも書いているが結構一般の保護者も学校選択の判断に「公式ホームページ」を利用している。結構影響力はあるのだ。
・ 本校のサイトを空ければいやおうなく私の顔が出てきて、「木村智彦の言葉」なるものが目に付く筈だ。ここをクリックして「嫌になるほど長い日記」を読まされるほうも大変だが書く方も大変と言いたいところだが、そこは全く大変ではないのだ。
・ 時間が有り余っている暇人ではないが、夜はどなたも時間があるはずだ。私は「一日の締めくくり」をこの日記のアップを持って「区切り」としているから一向に苦にならないのだ。書きたいことは山ほどある。学校は社会と連動している。社会の動きに合わせて「木村智彦が何を発信するか」がないと読者の期待を裏切ることにもなろう。タイミングを重視している。
・ ブログの面白さは携帯で更新すれば更に面白くなるという人が多いが、私のスタイルとは違う。モデルさんや芸人さんがやっているブログは「簡単な日記風の代物」で「朝ご飯、ゆで卵と卵焼きどっちにする?」などを携帯で時間にあるとき書き込めば返信が数百件、来たりするのが面白いのだろうが、こういうのを日記というのであろうか。疑問だ。
・ 私は「双方向」としていない。目指すは一方的な「硬派の日記」の形である。どちらかと言えば「新たな思索論考の場の一方的な提供」と考えている。これを読んだ人が「何かを感じてくれれば、それで良い」と満足する。「ウェブ上で議論する気はないし、議論は相手の顔が見えないといけない。」
・ 誰かが私のブログ内容で「意見」があればその意見を私に届ける方法は多く考えられるものだ。最近お会いした公立中学校の現職の先生は私のブログに対して「このブログは日々の旬な話題に浪速の現状を織り交ぜながら毎日更新され、世間へのインパクトは非常に大きいと思われます。加えてそこまで言って良いのかと思うぐらい学校の現状が公開されています。(中略)貴校のこの公開度の高さが保護者から厚く信頼される要因になっているのでしょう。又教職員を意識した内容が数多く見られます。例えば教職員の服務・授業の様子・保護者からの匿名の手紙などについて厳しいコメントつきでこれを読む教職員にとってはかなりの刺激になっていることでしょう。しかしその中で若手(特に講師)をほめて励ましている場面が多いことにとても好感が持てます。(後略)」とあった。
・ もう一つ嬉しかったのはブログにある「教師を待たせない」ということらしい。「ちゃんと見る人は見ている」のだと感じた。私は教師を待たせない。幾ら重要来客があっても部屋に来た教師の決済はすぐするように心がけてきた。そのために会議が中断しても教師を優先させている。
・ 忙しい教員は「生徒との対応でタイミング」というものがある。その場で決済してなるべく仕事を引きずらないようにしているのだ。これを読みきっている外部の人間がいるとは驚きだ。
・ 生徒は夏休みとなったが学校はある。今日はゆっくりだが明日から「伊勢神宮での修養学舎」だ。「五十鈴川において禊」を行い、1年のお礼と来る1年の学校と生徒の安全を祈念する。

2008年7月19日土曜日

7月19日(土)1学期終業式

・ 1学期が終わった。「大きな問題もなく順調に経過」した。教職員が頑張ってくれたからこそだ。部活動表彰をし、2学期まで事故の無い様に、3年生は「頑張りどころ」と激励して終わった。しかし暑い日だった。
・ 今日は何時もと違って場所を中庭学院神社前から「体育館」に移した。目的は終業式の後の「全校集会」である。2学期から「生徒生活指導強化作戦」を展開することを生徒に校長の声で直接伝達するためだ。少し何時もより時間が長くなるので配慮したのである。
・ 体育館にはエアコンが無いので中学生は新館ピロティの椅子席とし、ビデオモニターで実況中継し、高校生だけ体育館に集める。密度を薄くしたのである。保健体育部長のアイデアだ。彼は良くやる。風通しを良くするために会場内の幔幕はなしとし、窓を開けっぱなしにして風を取り入れる。時間短縮のために一部を合理化し、生徒は床に座らせることにした。すべて「熱中症防止」のためだ。
・ 昨日、臨時職員会議を開き、「職員の意思結集」を図った。今日のホームルームで各クラス担任には「保護者宛の私の手紙」も生徒には手渡した。今日「ホームページの保護者通信欄には全文をアップ」することになっている。
・ このようにして準備は整った。「全ては生徒の為」である。本年本校は多くの生徒が入学してくれた。現在来年に向かって「広報活動」を展開しているが「塾関係者の情報」では「浪速人気」は依然として高いと言う。
・ 去る13日は初めて中学校の入試説明会でも昨年の25%多い保護者が参加してくれた。高校はボツボツと中学3年生が高校訪問で本校に来てくれている。明日は本校で初めて「クラブ体験入学」を行う予定で予想を超える多くの中学生が来て呉れそうだ。本校の部活人気は高い。昨日のブログではないがやはり「クラブ投資」は必要だ。第二グラウンドの評判が高いと聞く。
・ このようなときに一番最初に目に付くのは「在校生の姿」である。「在校生の姿が美しい」と「学校の品格」が評価される。ところが、ところがだ。99%以上の生徒は立派であるが正直中には「クビを傾げる生徒」が出始めてきているのも事実である。数が多いとどうしてもそのような生徒は出てくる。入学式当初から徐々に服装が乱れてきている。
・ 決して無茶苦茶に悪いわけではないが明らかに「校則違反」だ。違反だ、違反だと言い立てる積りはない。可愛い生徒ばかりだが、どうもその数が増えてきつつあるような気がするし、真面目にしている生徒や保護者から「うちの子は真面目に云々しているのに学校はどうして・・・」という声が出始めてきたからでは遅い。ボツボツ,舵を切るときと校長として決断した。
・ それが「生徒生活指導強化作戦の展開」だ。髪染め、スカート丈、化粧、男子のずり下げズボンについて「指導を強化」することにした。内部で相当議論をした。生指を強くして「嫌がる保護者はいません、入試広報活動には影響はありません」との意見も出た。
・ ただ「総論賛成、各論反対」が世の常で保護者も「わが子のこととなると口を開く」だろう。「あの子も髪を染めているではありませんか、どうしてうちの子だけが・・・」となるものだ。
・ しかし私は「退かない」。度重なる違反には「進路変更」を勧める覚悟は出来ている。私は「学校を守らねばならない。」ただしだ、ただしだ。「喧嘩を売っているわけではない」「粘り強い教師の指導」がやはり決め手になる。そのことは分かっている。
・ 「教員の温度差こそ問題」であり、これがあれば一挙に崩壊する。「あの先生は厳しくて、あの先生は優しい」では生指は出来ない。極力教師間の温度差をなくするように今日の職員会議で徹底した。
・ しかし「言っても、言っても出来ない生徒」に言い続けることは教師を疲れさせる。「生指に関わる教師の消耗感は我々の想定以上」であり、教師を追い込むことになる。生徒を追い込むなら良いが教師が追い込まれては意味がない。
・ そういう意味で全員が対応する「織田祐二の踊る大捜査線」としたのだ。生徒からは「キターッ」との声が聞こえる。勿論この程度のことで、ある日を境に「全面的に好転」など期待はしていないが、「些かでも押し戻す」ことが出来よう。それで良いと考えている。「生徒のエネルギーと学校のエネルギーの綱引き」である。
・ 一方、「スカートの丈」については腰のところで生徒が勝手にくるくる巻いて短くならないように新しい商品があると聞き、早速見本を取り寄せたが、これはダメだった。小さなプラスチックが2箇所ほど入っているのだが「外せばそれまでよ」だし、ウエストが「痛くなる」と間違いなくクレームが付く代物だ。しかし笑ってしまった。「各校も苦労している」のだなと。
・ 次に考えているのが、ジャンバースカートと言われているものだ。ワンピースである。これだと清楚に見えて又ウエストをくるくるして丈を短くすることは出来ないだろうという意見が出た。すぐ飛び付いたのであるが「すこぶる女生徒の評判は悪い」と制服屋さんは言う。入学者が減るとまでいうのだ。
・ 「生指の浪速」を標榜するが実力を見せなければならない。今カナダでホームステイしている2年生のクラスにもメールで知らせ生徒には徹底した。果たしてこの作戦、どのようになっていくのか、想像が付かないが教職員一致協力して「数歩、前に出る」ことにしたのである。
・ 今日は私も制服のズボンをはいて壇上で「づり下げズボンの実演」をして「いかに格好悪いか」を示してやったのだが生徒は「拍手で大喝采」大きな笑いを取ったが、笑うのではなくてちゃんとしてもらわねば困る。しかし「ウーン、生指は本当に難しいなー」と思う。しかし諦めずにとにかく少し「押し戻そう」と思う。

2008年7月18日金曜日

7月18日(金)部活動後援会

部活動後援会
・ 一昨日重要な会議が持たれた。「浪速中学校高等学校部活動後援会の役員会」である。本校はこのような名前の後援会を有している。この後援会は「平成3年の選抜高校野球大会出場時に組織された後援会」を起源としている。
・ 当初、選抜出場を祝って多くのOBから浄財が集められたと聞く。その「残預金」を部活動後援会と言うしっかりとした組織を作って母校の生徒が部活動で立派な成績を上げた時に「激励金」として手渡すことを主な事業としたものだ。
・ 数千万円のファンドがあり、実に「17年の長き」にわたって母校のクラブ活動の振興に大きく寄与された。誠にありがたいことである。昨年着任したとき、財政がアップアップの状態であっただけに「誠にあり難かった」。感謝申し上げている。
・ しかしこのファンドは新たな収入策があるわけではなく、「支出一方の会計」であり、残預金も大分少なくなってきた。心配した私はPTAにお願いして新たな高校部門の教育後援会を組織して貰ったのである。中学校には従前からあった。
・ これは「浪速高等学校教育後援会」として昨秋のPTA総会で正式に機関決定され名実共に動き始めた。ここに従来から積み立ててあった「バザー収益金」を原資として会計がスタートしたのである。又20年度4月の新入学生の「有志保護者から寄付金」も戴き、良いスタートがきれたと大変喜んでいる。
・ 新たな後援会が出来たこともあり、この部活動後援会の行く末を実は議論してもらうべく集まって戴き、方針が確認された。まず「この部活動後援会はファンドがなくなった時点で自然消滅とし、新たな収益策は考えない」、「組織をスリム化する」の2点が正式に決まった。
・ 従来14名もの役員がいたが20年度からは5名とした。会長、副会長も「タイミング」としてこのたび交代した。本校卒業生で企業の立派な経営者で実に人品卑しからず尊敬に値する会長であったが、もう6年の長きにわたって勤められて来られたお方であったが、今回でご放免となった。
・ 新たな会長は現PTA会長であり、別途の高等学校教育後援会とこの部活動後援会の両方に近いところでのポジションであるから「うまくやっていただけるだろう」と皆で推挙されたものだ。
・ 会計監査は同窓会長で本校の理事者のM氏にお願いしたのは、元々がOBの拠出金であり、「使い途に目を光らせて」いただければとの思いからである。理事長の私は法人会計の責任者であり、役員から外れ、その代わり、「筆頭副校長が執行の実務責任者」として入った。会計は事務長が担当する。
・ これで本校の財布は理事長所管の法人会計、部活動後援会、高校教育後援会、中学校教育後援会の4部門に明確に別れ、「目的別にファイナンス支援」を行うことになる。ここまでしっかりと組織が整備されている学校もそう多くはないのではないか。最も私の財布が最も大きく、元来はこの財布だけで賄わなければならないのだが、難しい場合には臨機応変に他のファンドが対応してくれれば「生徒のため」になる。
・ 部活動後援会の財布の底が見えて来たので「支出基準を少し下げて延命させますか」という議論には今回の役員会では「大反対」で今まで通り「出してやって欲しい」ということであった。ちなみに平成19年度は「4286619円」使っている。大きな額である。
・ 激励金が95万円、公式戦出場の生徒旅費等の支援265万円、創部支援69万円だ。バスケット他多くのクラブに支援をした。個人的には少し使いすぎかもしれないと思っているが、昨年は特別だ。そのおかげで「立派な部活動成績」を上げてくれたし、なにより「学校が元気一杯」だ。元は十分取れている。
・ しかも昨年は法人会計も部活動支援には大きなお金を使った。弓道場の床張り更新、体育館リフレッシュ、テニスコート3面化、中庭人口芝、ブラスバンド部楽器購入、雅楽部楽器購入、バスケットユニフォーム新調、「とにかく遣いに遣った」。額は「1億円を軽く超える」。教職員の持ち時間増など「合理化のお陰」だ。これで一段落したと考えている。
・ 物品購入だけではない。「人的支援」も大きかった。ブラスバンド部、雅楽部、今度柔道部と弓道部には「外部の指導者」を高い金額で招聘している。こちらの費用も馬鹿にならないが、要るものは要る。しかしやはり「強くなる、上手くなる、部活動を通じて生徒が成長している」ことが大切だ。
・ 19年度の部活動支援のお陰で校長の私は生徒からは「神様、仏様」みたいに見られているみたいだ。特に中学生は素直で体全体に喜びが溢れている。この姿をみれば「やって良かった」とつくづく感じる。「部活動の声がこだまする学校は良い学校」だ。今後とも少しブレーキをかけるかも知れないが、支援はしていってやりたい。

2008年7月17日木曜日

7月17日(木)その2:浪速の公用車

本校の公用車
・ 「本校には公用車はない」が、持てるような学校でもなければ、私もそのような身分でもない。電車通勤で十分だ。時に必要時はタクシーを使わせてもらう。時間がもったいないからだ。それに「PTAが寄贈してくれた学校車ホンダオデッセイ」がある。
・ 本校にもかっては公用車があったらしい。着任したときに正門の右手の小屋みたいなものがあったが「車庫」だったという。そういえば私が浪速にお世話になる前に相談する人も居たのだがその人がしみじみと言っていた。
・ 「浪速の某校長が黒塗りの公用車で府庁に乗りつけ」、当時「大きな話題」になったと。校長風情で公用車とは浪速は大したものだと皮肉に見られていたのだ。昭和59年、浪速は「大物校長を大阪市から招聘」したらしい。私に言わせれば「小物に過ぎない」のだが、当時あるトラブルで困っておりその方面の対応策で役所から来て貰ったらしい。
・ 頼まれたこの校長の最初の仕事は「270万円でクラウンを買い」、車庫を建てたという。そして年収800万円の「専任の運転手」を雇い入れ、かって気ままに使い始めたという。理事者は誰も止められなかったと後でお聞きした。理事長ではない、一介の校長だよ、信じられない。2回の車検後、古くなったといって平成元年、新車に買い換える。このときも黒のクラウン。
・ 平成6年1月更にグレードアップし3000CCのクラウンを417万円で購入したが、この年3月、病死されたと言う。校長在位12年だ。「待ってました」とばかりにたった2ヶ月で「車は売却」、専任の運転手も解雇されたという。「車庫だけがつわものどもの夢の跡」で残っていたとうわけだ。これを私が着任後2週間でぶっ壊したのである。
・ 多くの私学の理事長校長、特にオーナー系学校の理事長は専用車をお持ちであるみたいだが、それは蓄積があるからだが、どう考えても「メリット」はない。必要時には「タクシー使用」で済む。大体教職員に我慢を強いている時に専用車に踏ん反りかえるような理事長や校長では教職員に物は言えまい。学校を放り出して校長が何処へ行くのか?「校長は学校にいなければならない」。
・ 浪速は未来永劫、「専用車は持たない」ことを「新たな学校を創設した理事長校長として宣言」する。本校の「理事会内規」としたい。本校のような小規模の学校はまず理事長校長が朝、しっかりと学校に来ると言うことが大切だ。
・ 電車の中、歩いている生徒の観察から「アイデアは浮かぶ」。学校に殆どいなく何処にいっているか分からないようなトップでは学校改革は推進できない。「トップの方針を具現化し実行に移すのが管理職の仕事」だ。私は私で学校全体を見ながら「次の一手」のために考える。
・ 「私が教職員と同じ発想だったら学校進化なんど進む筈がなかろう」。「私は私」だ。私と教職員の間に「5名もの管理職」を置いている。元来本校の規模では5名は多い。一昨年までは校長を除けば3名であったのを2名も増強している。
・ 本校で働いている人間は「4グループ」に分かれる。経営者は一人私だ。専務理事も校長も兼務している。そして管理職は5名、そして類科長・主任分掌長が16名、そして一般教職員だ。それで「ピラミッドを構築」している。これを「組織化」という。
・ 「 みんなよく頑張ってくれている」。私には古くて時に蚊が出る部屋が与えられ、エアコンの音が大きいが気に入った部屋と良く気が付く秘書さんがいる。公用車はないが素晴らしい仲間がいる。それで十分だ。「エコ浪速」で行きたい。
・ しかしこういうことを考えていたら、本日前からのお約束で某大学の理事長が新型の黒塗りのクラウンを横付けして本校を訪問だ。「素晴らしい車」だったが「私の発想はこの車の維持費と運転手の人件費で専任教員が一人賄える」と直ぐ考えることで、これは悪い癖だ。

7月17日(木)その1:知事の公用車

知事の公用車
・ 橋下知事が叩かれている。公用車を使って「市内のフィットネスクラブ」にいったというものだ。今朝の産経などは結構大きく取り上げ、他紙も記事に大小はあるが触れている。書くことがあまりなくなってこのようなことまで書かないとネタがないのかもしれない。
・ 昨日はテレビまでやっていた。夕方のあれは何というのか、「報道番組」ではないし、「オチャラカ」とまで行かないが、目的が良く分からない番組だ。自称評論家諸氏やタレントや芸人さんがあれこれ感想じみた「コメント」らしいものを喋っているのだが、あの種の番組を見ると気分が悪くなる。
・ 言っている内容は時に良いこともあるのだろうが大体的や深い考察からは程遠いコメントで、とにかくメディアを私物化しているような場面が多々ある。特に名産とか旨いレストランの料理とかを出演者が「ぴちゃぴちゃ」食べる様子は「お里が知れるような感じ」がして嫌になる。「食べ方に品がない」。昔は人前では物を食べてはいけないと我々の世代は教えられたが、いまや大きな影響力のある大きなネット系テレビでもこうだ。
・ 話しを元にもどそう。「何が問題なのか」。知事用の公用車であり、原則的に24時間使って良い筈だ。大阪府のトップだ。直接選挙で選ばれた首長であり、「特別職」である。特別職とはこういうことだ。「その代わり一切の責任を取ってもらわねばなるまい」。テレビでぺちゃぺちゃ食べているような人があれこれ論評するなって。
・ 殺人予告が来たり、何時襲われるかもしれない可能性の高い人だ。「府民全体で守らねば成らない人」だ。こういう考え方が重要だ。いつ何時に何があるかも知れない人に個人の車やタクシーなどでは「緊急の時に間に合わない」。知事を守れるのか。このようなことを騒ぎ立てるのは日本だけではないか。メディアが発達したお陰で即座に情報も得ることが出来るようになったが、メディアがこのようなことを問題視するから品のない話しとなる。
・ 組織のトップの仕事のためには「執務室」と「移動用の車」である。それに「有能な秘書」がいる。これが三種の神器である。部屋に閉じこもって人に会うのが苦手の人が首長が務まるわけがない。「分刻みで動いてもらわねばならない」。日本全国、政府も会社も学校も自治体もそうだ。その代わり「多くの良い仕事と課題解決」をしてもらわねばならない。公的か私的かなどは本人の判断だろう。そのような人を府民は選んだ筈だ。
・ 就任して半年、走りに走ってストレス太りだ。本人はちょっとした時間を見つけてジムに走った。その後府庁に帰って又仕事だ。自宅に帰ったのは22時前だ。「何処が悪いのか」。走らなくても運転手のコストや車の減価償却は進んでいる。
・ もう一つの指摘は予算案の修正に向け職員が走り回っていた中にという論調だが、関係はあるまい。これも分かっていない人の言いざまだ。「知事の仕事と職員の仕事とは全く違う」。職員が走りまわっておろうが、寝ていようが知事は知事としての仕事の優先順位で動けば良いのであって、10000人もいる職員の動きなど管理し、調整するのは副知事や部局長、課長等管理職の仕事だろう。「何のために中間管理職がいるのか」と言いたいところだ。
・ 知事は堂々としていた。「反省はしていない。批判があるならそれは私の仕事が評価されていないということ」と言い切っていた。それで良い。特別職や公益法人の理事長などは時間に拘束されなし、「就業規則の制約など受けない」。当たり前のことだ。
・ 「24時間仕事がトップの姿勢」である。そのかわり「処遇には配慮」をしてもらっているのだ。公用車も配慮の一つだ。自分の車と考えて良い。その代わり「仕事の成果でお返し」をするのだ。評価されなければならない。ジムに公用車で行こうが、寸時を惜しんで子どもの誕生日にお祝い品を買いに高島屋まで公用車で行こうが構わないのではないか。段々と日本の言論はおかしい方向に来ていると感じる。これらを「言論の自由」というのでは寂しい。

2008年7月16日水曜日

7月16日(水)ひげ考

ひげでマイナス人事評価
・ 面白い記事があった。各紙に掲載されている。「ひげを理由に人事評価をマイナス」にしたのは「人権侵害」と例によって大阪弁護士会に申し立てをした人間がいる。この人は郵便事業会社の55歳の男性社員で90年から口ひげを蓄えているという。
・ 面白いのは朝日の記事は顔全体を出さず、「口ひげだけの写真」だ。読売は顔全体を出していた。朝日のように口ひげだけ出ていたら、最初「これは何か?」とギョッとした。気持ちが悪いものだ。しばらくして吹き出してしまった。朝日の意図はナンだろう。
・ 日本郵便の前身、郵政公社の時代の2005年から「接客マナー」を三ツ星で3段階評価する制度を導入したが、「ひげを生やすことは評価の対象外」だったらしい。これに対して文句を言った人は荷物の引き取りなどの担当だったが星はひとつもなく、人事評価でも制度と連動する顧客対応の項目だけが低く、「身だしなみの改善」を要求されたことが気に障ったらしい。
・ 何でもかんでも弁護士会に「救済申し立て」をする風潮はまあ「弱者と言われる人」には便利な方法かもしれないが、言ってみれば「たかが口ひげ」一つで大騒ぎとなるものだ。
・ 弁護士会は口ひげが低い人事評価の理由と認定し、「ひげは個人の自由で人格権として保護に値する」とし、無精ひげではなく手入れしている、顧客の苦情もないとのことから「評価が低いと昇給などで不利益を受ける」として是正を求めてきたものと記事にはある。
・ 訴えた本人は「一方的な価値感を押し付ける風潮を変えることが出来れば」「泣く泣くひげを剃った同僚もいる。納得できない」と言っているらしいが、人のことはどうでも良い。自分のことだけを考えなさいと言いたいところだ。日本郵便は「ひげを生やしていることで人事評価への影響はない」と言い切っている。当たり前だ。
・ 天下の日本郵便だ。優秀な人事労政の専門家を有している大組織が「ひげだけで労務管理に影響を与えるようなアホな制度設計」をするわけがないではないか。もし評価が低いというなら、ひげと人事評価とは関係ないところでこの人の評価に関わる部分で問題があったと考えることもできる。
・ 本校にも「ひげ教員」が思い出すだけでも3人はいる。二人は「口ひげ」、一人は「あごひげ」だ。3人とも「男前」で別にひげなど生やさないほうがより「イケメン」に見えそうだが、ひげを付けている。私から「剃れ」と言ったことはないし、今後始まる人事評価でもひげで評価が低くなるようなことは全くない。この3人の先生はどちらかと言うと教師としては優秀な先生ばかりである。
・ しかし「私はひげは嫌いだ。」好き嫌いは個人の感情の問題でどうにもならないが「嫌いなものは嫌い」である。その根本にあるものは「何故ひげなの?」という命題の答えが見つかっていないからだと思う。
・ アラブのように「男のひげは普通、ないのは異常」の文化の国ならいざ知らず、高温多湿の日本で、そうでなくとも暑苦しいのにひげの顔を見たら余計に熱く感じるのだ。「ひげを生やす目的は何なんだろう」?まず「男の権威」というのが一般的な答えか。しかし100人いる男の先生の中でわずか3%、3人だけだ。他の男はひげなしで「男の権威」を示しているのかな。
・ しかし一体全体男の権威とは何事か?「男女共生」の世の中にあって今頃男の権威などと言うこと自体「ジェンダーフリーの思想」を勉強しなさいと言われそうだ。女の権威のためにと言って女はひげを生やしてはいない。権威など関係ないのではないか。
自己顕示」しか考えられない。「存在感の確認」かも知れない。「強く賢く見せたい」と言う事かもしれない。精一杯の自分の「概観の創造」かもしれない。
・ ひげの歴史にも栄枯盛衰があるらしい。仏教伝来以降僧や一般人もひげを蓄える風習が出てきて「ひげを整える」のは毛抜きで行っていたらしい。その後「武家に対抗」して「偉ぶる」ためかどうか知らないが「公家」がひげを生やし始め、「徳川幕府はひげを禁止」した。
・ 明治政府になってから欧米の風習を真似、まず「官吏、政治家、学者」がひげを流行させたらしい。明治の元勲は皆ひげを生やしている。漱石も、鴎外もそうだ。この三つの職業はまさしく「偉ぶる職業」と言っても過言ではない。そのうち、政治家は「選挙民の目」を意識してひげを生やさなくなった、
・ 覚えていますか。大阪府の知事選で橋下知事に対抗した民主党の候補は大阪大学の教授で立派なひげを蓄えていたが「それでは選挙民の反感を買う」と言ってひげをそり落としたが、結局大差を付けられて敗れて終った。
・ 大手企業ではまず「ひげ社員」はいない。先ほどの日本郵便は大きな組織で民営化されたから企業であり、ましてや「「客商売」だから「ひげ禁止」があるのは当然だ。訴えた人がいうような一方的な価値感の押し付けではあるまい。
・ 役人も官高民低「偉そうにするな、公僕だろう」との批判からひげを剃った。例外は田中真紀子元外務大臣と喧嘩して飛ばされたあの野上という外務次官がいたな。結局残っているのは学者だと思う。「大学教授、学校の先生がいまやひげの主流派」となってしまったと私は論考している。
・ これは「社会学の分野」である。尊敬する教育社会学者の竹内洋先生の書物において「日本のひげの社会的分析」を調べようとしたら、なんと「竹内先生までが立派な口ひげ」を蓄えておられた。むべなるかなである。
・ 本校の3人のひげ先生も「どうか手入れだけは怠りなく」お願いします。私は「立派なひげを生やしているからと言って人事評価でプラスにはしません。」考え方としては「ひげを生やして偉そうにしても決して高い得点にはなりません」というべきだろう。
・ 結局「ひげを生やして何を訴えようとするのか」「ひげを生やして他人と差別化をして何を得ようとしているのか」というのが明確に分からないところへ持ってきて、「かたくなに自己主張するものが組織にとって必ずしも歓迎せざること」ではないか。
・ ひげを生やす、生やさないことが「個人の価値感」ではないと私は思っている。日本には欧米と違ってひげを生やすことが「マジョリティ」として広く認められて来てはいない。現実がそうである。「例外」なのである。「平均値を考える場合に母集団に入らない」と私は論じる。価値観という考え方は同じ母集団の範囲内にある。
・ 「喫煙」と同じ運命である。「嗜好品」として許されてたものがいまや「バッシングに近い」感じで社会は喫煙者を攻め立てている。同じような運命にあるのではないか。未だにひげ先生と話をするときは話していることは半分くらいしか頭には入らず、立派なひげを私はただ眺めているだけなのである。このひげが無かったら「どんなお顔だろうか」ってね。

2008年7月15日火曜日

7月15日(火)私学助成削減幅縮小

私学助成削減の修正
・ 「想定したとおり」だ。橋下知事は昨日公式に「私学助成の削減幅の修正」を表明した。併せて府庁職員の人件費も修正するとのこと。議会側は「ようやく修正に応じた」と基本的に歓迎だ。勿論私学側も「ホット」としているだろう。「だろう」とは何だ?「嬉しくないのか?」と問われれば勿論「本校にとっても有り難い」のだが、一方では個人的に一抹の「寂しさ」を私は感じる。
・ 同じ「改革派の人間」として橋下さんが「後退する姿」は見たくはなかった。これで府議会与党の自民公明は勿論、野党も「まあ、首は取ったとは言えないが、押し戻しました」と胸を張って選挙民には言えるだろう。
・ 府労連始め組合関係者も「安堵とは言えないが組合員に対して些かの申し開き」が出来るとホットしているかもしれない。これが出来なかったら組織脱退者が増えて組織が持たなかったかもしれない。「役に立たない組合で、入っていてもこれでは意味はない」と。
・ 勿論警察官も教員も行政職も目減りが減る分、喜ぶだろうが、将来を考えた時に本当にそうだろうか。「損して得取れ」と言う言葉がある。修正削減案は18日までに府議会側に提示されると言うが「案はもう出来ている」筈だ。
・ 問題は目減りの財源をどこから持ってくるかだが、その点を今調整しているのだろうがこれも出来ていると考えた方が良い。もう「勝負は終わった」のだ。私学助成で言えば中学で25%。高校で10%が何処まで減少されるかだから、これを幾ら下げるかの世界だから、今後は中学生でも想像できる話だ。
・ ある人は小中学25%から20%へ、高校は10%から7%とか8%とか言うだろうがそんなところだろう。もうどうでも良い話だ。「落ち着くところに落ち着くだろう。」昨日、私学課は同時に各私学のアンケート結果も発表した。
・ それによると「私学の90%以上が大きな影響が出る」とある。しかしこれは「当たり前」ではないのか。大きいかどうかは分からないが、影響は出る。対処方法では「授業料の値上げ」でやると答えたところが「60%」で値上げ幅は高校で言えば2万円から4万円が最多とある。
・ 今回削減幅が縮小されたら、勢いがそがれて「授業料値上げ」とは今後言い出しにくいのではないか。本校はいずれにせよ「少し上げさせて頂く予定」だ。前にも書いたがこれは橋下さんが当選する前から決めていた話で「陥没の是正」と私は言っている。
・ 昨日府議会は教育文化受任委員会に私学中高連の会長、PTA会長他2名を参考人として招致し意見を聞いたが、その席で会長は「私立では教職員人件費を府立の90%に抑えているなどの取り組みをしている」と述べたとあるが、個人的にはこれだけでは良く分からない。
・ 私立学校の教員が公立よりも安いとなるとそれこそ「人材確保」に支障をきたす。私の考えは「私立は公立に比べて週休二日ではない」。土曜日も夕方近くまで多くの私学の教員は働いている。これは「勤務時間で言えば10%多い」わけだから、給与は同等以上でバランスが取れると言うのが私の基本的な考えだ。
・ どうして私学と公立の教員の「年齢別基準内賃金と諸手当の一切合財」をオープンにして「比較」しないのか私には良く分からない。これをやれば全てが明らかになる。公立で言う「期末勤勉手当」などに相当する「私学の賞与一時金」も合わせた「年収」で比較しなければならない。私学は公立に比べて月例給与よりも半期ごとの「賞与一時金」が多いという意見もある。
・ しかし「私学議員連盟」は強い。「聖域」と言われるのも最もだ。今回の揺り戻しは「府議会諸派」の応援のお陰であろう。元々知事は議員の声が議会民主主義の柱であり、これを尊重すると言っていたからまあ落ち着くところに落ち着いたわけだが、「準備不足」もあった。「周到な論理的構成」がなされず、最初に「私学助成削減」とぶち上げたのが敗因である。
・ それに余りにも、これは本人の偽らざる思いなのであろうが「私立に対する理解」が著しく欠けていた。「私立嫌い」が透けて見えてきた。府内の北野高校の卒業であるという自意識が全てをコントロールしていた。余りにも学校界のことに無知であったと思う。
・ 府民も30%が私学に通っており、公立を挑戦しやむなく私立に行っている子どものことは頭には全くと言ってなかった。最初から「お金持ちの子」だけが私学に行くとしか考えが及ばない人であった。後半になってようやく理解し始めたというところだろう。
・ 発想は「大阪を教育日本一」にと言っておきながら要は「北野みたいな高校を作る」ことしか彼の頭にはなかった。小学校は校庭の芝生化から元々教育問題に入っていったから、順番を間違えたと言える。
・ 学力、生活規範、親の経済力、教員の資質、公私間比率の歴史的経緯、大阪の教育の土壌、人権問題と教職員組合、等々あらゆる視点で「一息」する間を持って打ち出せばまだ何とかなったろうに。頭の良い人だから直ぐに理解した筈だ。
・ 「何が出るか、何が出るか」と思わせながら最後の最後で「一挙に出す」とこうは成らなかった。最初から10%カットだからこうなる。残念だ。結局今回の削減幅の縮小は「後ずらし」しただけで本質的な私学問題の解決にはならない。「いささか、延命治療」をしただけにすぎないと私は考えている。
・ 約束の1100億の削減の旗はどうするのだろう。これで知事の「指導力にかげり」の芽は出てしまった。押し戻せばなんとかなることを府民に知らしめてしまった。悲しい残念な思いをしている人々は結構多いのではないか。「数パーセント戻して貰ったって役人も教員も警察官も諸手を上げて「嬉しい」とは成らない」だろう。そのような気がする。返って「してやったり」とにんまりしているのは案外知事だったりして。

2008年7月14日月曜日

7月14日(月)保護者との距離を縮める

保護者との距離を縮める
・ 「IT武装化」の第三段階として「学校保護者双方向連絡網システム」を考えている。着任以来温めていた構想だ。校内メールシステムもイントラネットシステムも上手く立ち上がった。情報委員会の働きによるところが大きい。
・ 基本的考え方はインターネット・電子メールを利用して「保護者と学校間の距離」を「情報」面で縮め、「正確で迅速な情報のやりとり」を目的とする。あくまで「生徒の為」の情報交換であると考えている。
・ まず「緊急連絡」がある。気象状況にともなう予定変更、不審者情報など学校から保護者への緊急連絡をしなければならないケースがある。
・ 次に「重要配布物の確認」がある。インフルエンザによる「学校閉鎖」「修学旅行などの学校行事」「特に金銭の取り扱いに関する情報」の場合は徹底しなければならない。
・ 前の公立の時代にも取り組んだけれども中途半端で終わった。もう5年も前だからご家庭にパソコンや携帯をまだお持ちでないご家庭はあった。ご主人はお持ちでも「お母さん」は持たれていないケースもままあったのであるが、昨今は相当拡大している。今回は徹底できそうな状況であると考えたのだ。
・ 携帯サイト機能をどのように利用するかがポイントとなろう。特に「生徒の欠席、遅刻連絡」については朝の忙しいときに電話が込み合って大変である。これらを自動的にサーバーに取り込み、クラス別に各教員に渡している個人パソコン画面で見られれば言うことはない。
・ このモニター画面を各クラスの教壇前の「教師机の画面上」に出力できれば授業単位で生徒の状況も把握できる。これが出来ればメリットは大きいが相当の設備投資が必要だ。
・ 情報委員長と事務長から報告を受けた。「もっとレベルアップ」を考えるように言ったが「新校舎後」で良いのではという。確かに無駄な投資になることは避けたい。
・ しかしまだ5年も先のことだし、生徒の状況把握に1700人も超える生徒がいると担任、教科担当は大変であることは間違いない。私の考えは「ICチップの埋め込んだ生徒証」を正門通過時に自動入力させ、生徒の登校時間や退校時間時間などが自動的に整理でき、各授業についても出席状況がコンピューターで自動把握できるようにすることだ。これは物凄い教員の負荷軽減になるはずだ。
・ 生徒というのは「親に学校のことを知られたくない」ものだ。親御さんも「学校のことをご存じない」ことが多い。今最も必要なことは生徒を中心に「学校と保護者の距離をどう縮めるか」だ。このことが最も今求められている。
・ 「3者懇談会」などもこのシステムが上手くいけば簡単になる。いちいち電話して時間取りなどに時間を使わなくて済む。今教員の負担を以下に如何にして軽減するかがテーマだ。本構想はその一助になればと思っているのだが。
・ 予算金額は大したことはないが、作って見たけれど「使い勝手が悪い」「勤務中の保護者から着信メールは迷惑だ」などの声が出ないとも限らない。やはり「肉声が一番ですよ」という声が出ないとも限らない。又携帯をお持ちでない保護者にはプリント配布となると結局「二重手間」になりかねない。
・ 保護者のメールアドレスという「個人情報」を間違いなく管理できるのかというご指摘もあろう。とにかく今頭の中で熟成しているのだ。もう少し時間が要る。それで本日の校務運営委員会で少し議論をした。
・ まず「双方向」は時期尚早の意見と大体朝の連絡も8時20分前後に集中し、「電話の方が早い」という保護者は多いだろう。又、電車の遅延連絡などは生徒から保護者、そして学校へというルートが多くて結局保護者は朝の忙しい時にメール返信するよりは電話だと言う向きもおられるだろうとの意見もあった。それに1700名以上の保護者を捕らえられるのかという疑問もあろう。
・ 「ウーン、悩ましい」。言い出しっぺは私であり、はっぱをかけてきただけに悩ましい。投資額は大したものではないが旧システムも残りこのシステムも中途半端では結局教員の「仕事が増える」事にでもなったら意味はない。
・ もう少し考えて見たい。今教職員には新経営計画の完遂で苦労をお願いしており「無駄な投資」に結果としてなったら申し訳ない。少しでも「内部留保」をしたいところだ。しかし私は「必要なものは例えお金がなくてもやる」ということは徹底している。「お金の工面」はどうにでもなる。しかし「担当者の検討不足で結果的に無駄な投資」となったら関係者には激しく責任を問うくらい厳しいところがある。
・ これは19年度の私の動きで教職員は「徹底して分かった」はずだ。正門を作り変え、家庭科教室を作り、体育館を整備し、テニスコートを作り変え、カフェテラスを設置し、視聴覚教室をつくり、教職員には個人パソコンを手渡し、ありとあらゆることを実施してきた。すべて大きな効果を上げている。一つも失敗はない。これが20年度の入学者増にも些かでも貢献したはずだ。今後とも「必要なことはやる。」
・ 私は昔から「金の使い方は天才的」と言われてきた。意味は「最大効果を狙ったお金の使い方」と言う意味だ。無駄なことはしたくない。今朝の法人朝会では月曜日のみ主査も出席するのであるが事務長と二人に対しては「しっかりと財布の中身を見ておくように」改めて指示したところだ。何人の力ではない。すべて私が体を張って一人で戦って体質を変えたから今いささかでも余裕が出てきた。「君らの力ではない。自分のお金と思うな」と。
・事務所の中庭側に面した窓ガラスに休み中の生徒が遊ぶバレーボールが当たって「大変だから防御柵が要る」という。25万円必要だ。「ボールが当たって音がし、びっくりする」という。しかし今まではどうだったのか?。びっくりしてどうだと言うの。我慢は出来ないの?これなど「生徒の為の投資」ではない。事務所に働く人間の気持ちだろう。
・こういう話が出てくるようになって正直「心配」している。本当に必要なの?と思いが消えない。「柵に当たっても音はする」。事務所近くでやらさないように出来ないのか?25万円と言えば常勤講師一人分の手当てだ。決して小さい金額ではない。5年後には取り壊すものだ。
・そんなことよりも事務所の人間が音がするとか驚くとかで「このような要望をしてくることを懸念」している。長い事務所の歴史で初めてのことではないか。怪我をしてもらったら困るから「いやいや許可」をしたが心底「疑問」と割り切れない。「効果はあるのか?」1年前まではこのような要望など事務室では誰も考えさえしなかった筈だ。どうしてこのようなことに成ってきたのか。「もし作っても効果がなかったら、これは許されない。
・事務室で変わったことは事務長が変わり、人間が1名減ったことだ。又派遣社員さんを1名増強し2名となった。確かにこの人たちに「気を使う」としてこの設備を設置するというのは分かるがボールの音が厭なら仕事を変えてもらわねばなるまい。
・ここは「学校である」。静かな環境の企業の本社事務室ではない。教員の見本とならねばならない事務の人間からこのような投資要望が出てきて「懸念」している。「お金に些か余裕が出てきてそのように思うようになったらそれは考え方が著しく間違っている。」人数でも20倍以上の教員が我慢をして溜め込んでいるお金だ。間違ってはいけない。
・「ゆるんできた証拠」と言われないようにしなければならない。目に余るようになったら断固処置する。「事務長も主査も、骨身に沁みて過去のお金の苦労は分かっている筈」だ。この二人が居て「欲しい」というし、「事務も大変良く頑張ってくれている」。これは間違いない。だから今回は許可した。しかし私は内心割り切れないのだ。金額の多少ではない。物事の考え方だ。

2008年7月13日日曜日

7月13日(日)中学入試説明会アンケート結果

・ 昨日行われた「今年最初の中学校入試説明会」の参加者の「アンケート結果」が送られてきた。自宅のパソコンで学校のメールが閲覧できるから出先から直接家に帰っても全く問題なく情報管理が出来るし、そのおかげで深く考える「機会が広がる」。時間を有効に利用出来るのだ。まさに私の場合、それほどでもないが一応「ITを武器」にして仕事をしている。
・ アンケート結果は注意深く読まねばならない。「ここから保護者の関心や本校の課題などが浮かび上がってくる」。昨日のブログに書いたようにまず校長の基調となる挨拶、その後中学副校長の教育内容説明、最後に入試広報室から具体的な事務処理等の話で終わる。
・ 私は挨拶の中でまず「大阪府の私立・公立の学校教育をめぐる環境」から話を説き起こし、「教育の目的」「「生き抜く力」とは何かを強調し、「本校の伝統と実績」に話が展開していく。そして今検討中の「大学との連携」をさりげなく「初めて外部に向かって言及」した。そして「親としての学校選択の重要性」を訴え、最後に本校は「面倒見の良い学校」であるし今後ともその方針に揺るぎはなく、「学校を誰が率いているか」と組織のトップとして「生徒の為に改革進化を今後とも進める」と訴えたのである。
・ 私の場合、「原稿」などない。当日揃っておられる生徒保護者のお顔を見て、会場の雰囲気からしゃべる順番や内容が変わる。変幻自在であるがしっかりと「頭には引き出し」があり何処からでも出せるのだ。これは本当に「特技」だと言う人はいるが「勉強もしているし蓄積でもある」
・ 少しアンケートの内容について記してみたい。*本日の説明会は、どのような方法でお知りになられましたか。(複数回答可)のアンケートでは圧倒的に「ホームページが47%、塾からが35%」とこの二つでほとんどを占める。この傾向は去年と同じだ。これを見ると新聞広告やチラシなどは意味のないことを示している。やはり「口コミ」と「学校自らの広報」が重要なのである。
・*“説明会で印象に残ったことがあれば、お書きください。”との問いに対しては:一字一句変更せずに「一部を入試広報スタッフの資料をそのまま添付」すれば以下のようになる。
・ ○○大学との提携
・ 校長先生のお話で、「安心してお預けいただければ・・・」という言葉。スライドの現1年生の楽しそう    な生徒たちを見て納得しました。
・ 理事長の熱意にホレました。娘は小4なので小6になった時、プレテストを受けてみます。よろしくお願いします。
・ 校長先生のキャラクターとスライドショーでの子どもの顔、両方とも楽しそうでした。
・ 校長先生のおっしゃった「面倒見の良い学校です」という言葉です。
・ 学校生活が楽しそうに思いました。
・ 木村理事長のお話、感動いたしました。まったく同感です。
・ (校長先生の話より)「面倒見の良い学校」この言葉は子どもにとっても親にとっても、とても心強いものです。公立にはなかなか期待の出来ないことです。又、6年後のことまで見据えた教育は、子どもが勉強していく上で、生活を送っていく上で期待や希望に胸を膨らませられることと思います。良いお話を聞かせていただきありがとうございました。
・ クラブ活動が盛んなところ
・ ○○大学との提携
・ 校長先生が色々な行事や日々の学校生活に積極的に参加される様子がとても印象的でした。
・ スライドなどで校長先生が行事等によく参加されていて、また、生徒と給食を食べている様子を見せていただき安心しました。
・ 学業、躾教育等すべてにおいて希望のもてるが校だと思いました。生徒の皆さんの挨拶がとても感じよかったです。貴校のみを志望校としております。貴校の教育に期待しています。しっかりとした理念の下に指導をされている感じを受けました。今後ともよろしくお願いいたします。
・ 校長先生のお話がすばらしく、ぜひ浪速中学校に入学できればと思いました。
・ 様々なことを資料にしてくださっているので大変参考になりました。
・ 神道の学校で感謝の心やしっかりと生きていく力を育てる方針がすばらしく思いました。現在サックスを習っており、中学校のクラブではブラスバンドがある学校へ入学したいと申しております。校長先生が新入部生には楽器をプレゼントしてくださるということにすごく喜び、入学したいと望んでおります。よろしくお願いします。
・ 木村校長のお話を聞き、はっきりとしたお考え。生徒の環境や勉強だけでなくスポーツ・あいさつなど、とても共感することができました。
・ 神社神道が基本で家族を大事にするというところ。それに、中学で部活が75%ということで文武両立ができるという点が印象に残りました。
・ 勉強にもクラブにも一生懸命取り組まれているのがわかりました。校長先生が野球部の応援に急がれる姿に、大変熱意を感じました。安心して子どもを任せられる学校だと思いました。
・ 校長先生のお話が力強くてよかったと思いました。
・ 校長先生の生き抜く力を身につけるという言葉に感銘を受けました。
・ 一人一人の生徒にしっかりと目が届くような教育に感心しました。
・ やはり校長先生の子どもたちのお話が印象に残りました。子どもには心の貯金、豊富な経験をと考えておりました。クラブ活動、行事、健全な心で将来をみること。自分にあった職業を見つけ独立すること。欲は限りなくありますが、保護者の立場からも「子どもをこの学校に通わせることについて恥ずかしくない生き方を」と思える中学校だなと校長先生のお話から感じることができました。公立中入学を予定しておりましたが、兄が楽しそうに通学している様子から入試したいと決めたようです。よろしくお願いいたします。
・ 面倒見の良い学校。
・ よく分かりました。又来校したくなりました。本日はありがとうございました。

2008年7月12日土曜日

7月12日(土)中学校入試説明会

平成21年度浪速中学校入試第一回説明会
・ もうこの時節になった。早いものだ。昨年は初めての経験で様子も分からなかったが、2年目になるとある程度の余裕が出てくる。しかし今年良かったから来年もということなら安心だがそうはいかないところが難しい。今日だって何名の保護者がお見えになるかは一切分からない。ここは「依然として不安」である。
・ 今日以降、年明けまで数回もたれ、そのうち9月からは「高校入試説明会」が本番かする。胃の痛む季節となってきた。式次第はまず「私が基調の御挨拶」、その後中学校の副校長が「浪速中学校の教育内容」をパワーポイントを使ったりして説明、最後に入試広報室より入試のかたちについてより具体的に話しを展開していくことになる。
・ 時間は全てで1時間少々としその後は校内見学会等になる。多くの保護者生徒が来てくれることを念願していたが「結果として昨年の25%アップの来校」となった。3年連続で偶然一回目の来校の数値は同じであったが今年は「出足が良い」。「ほっと、一安心」して南港球場に走った。
・ それにしても中学校で「転入希望者が増えている」。実は本日2名の公立中学校の1年生が浪速中学に編転入したいと試験を受けに来る。4月以来結構多く、「このようなことは初めてのケース」だと副校長はいう。
・ どうも一部の公立中学校が荒れているとの話しもあり、私学転校の数が増えているのだと分析しているが、よくは分からない。しかし「本校を選んで頂いているのは名誉なことだし嬉しい話」だ。
部活動激励
・ 学期末ということで部活動後援会の激励金を順次部屋に呼んで手渡しだ。卓球部近畿高等学校選手権大会、剣道部近畿高校剣道大会、青少年ペンフレンドクラブ全国大会、それにインターハイ出場の空手道部だ。最後に全国中学校空手道選手権大会の中学生チームだ。
・ 額は結構大きなものになる。「後援会が支援」してくれるから助かる。生徒代表に手渡すのだが皆喜んだ顔をしている。滅多に校長室に生徒は入る機会はないが、こういう時に招き入れるのだ。最初はキョロキョロしていたが、最近はなれた形になってきた。
生指部緊急ミーティング
・ 高校副校長と生指部の主だった部員を呼んで臨時のミーティングを持った。この1年、生指の努力と成果は大いにあったと認めた上で「次なる展開」に移行する旨「校長の方針」を示したものだ。
・ 生徒数は集まり、浪速のバリュー感は高まる中で「次の一手」が重要である。進学実績の向上対策は「形も中身」も1歩進んでいる。これは将来大きな果実に結びつく筈と確信している。
・ 残った課題は「生指の浪速」を名実ともに掲げるように「壁を突き破る」こととした。「学校の品格」を高めるためである。2学期以降徹底してやることを伝えた。「女生徒の化粧、スカート丈、茶髪、男子生徒のずり下げズボン、茶髪」について「校則を守らせる」ことを徹底させると言うものである。
・ 「遅刻については知恵と仕組みで相当大きな効果」があった。このやり方で新たな仕組みを考えるように指示したのである。生徒保護者には通知文を出し、徹底させる。数回の指導にも関わらず是正されない生徒には「進路変更」も勧告する覚悟が出来た。
・ 浪速にとって今が最も大切な時だ。「勝ち組として生き残れるか」の瀬戸際に来ていると言う認識だ。「生指に甘い学校」とは言われたくない。「正念場」と考えて対応する方針であるから生指に「具体案をまとめるよう」に指示した。今でも決して悪いというわけではないが「一段のレベルアップ」だ。
・ 少しはざわつき、もめることがあろうが私としては真面目にしている生徒を守らねばならない。ここは学校であり「校則が有名無実」となっては秩序は保たれない。「教師の温度差」も今度からは厳しく問い詰めていくこととした。
・ ほんの一部の生徒で学校の評判を落とすわけにはいかない。圧倒的に多い生徒は「賢く、立ち振る舞い」も素晴らしいのに、一部の生徒の為に教職員も疲れている。帝塚山や阿倍野の女子高の生徒に比べ本校が負けるわけがない。言えば「分かる」生徒ばかりだ。生徒のためである。次のステップに学校全体を進めることにしたのだ。                        
甲子園野球大阪大会
・ 入試説明会を終えた後、急いで南港球場に向かう。相手はしぶといといわれている明星高校だったが結果は8:4で快勝(?)だ。球場に着いたときは4回表の攻撃中でゼロ対ゼロであったが私が観戦すると途端に2点入れた。
・ 後は一方的な攻撃であったが最終回思わぬ油断から3点を入れられたが「ひやり」という感じではなかった。ピッチャーの辻田は昨年よりも球威が上がっていた。下手投げで相手の明星は連打とならない。応援で来ている保護者の数も相当なものだ。冷たいものをサービスしてくれる。
・ それにしても「野球部員は120名を超える大部隊」で揃って応援する様は壮観だ。試合に出れなかった3年生も最前列で声を上げている。「ベンチに入りたかったろうに」と思うといとおしいが仕方がない。
・ 試合後全員を集めて慰労と激励の言葉をかける。「高校の校長であることの嬉しさ」を実感するときだ。浪速の野球部をここまで育ててきたK総監督で教頭先生は実は今日の対戦相手の出身で明星が甲子園に出たときのセカンドの名選手だった人だ。試合が終わったあと、「ごめんね」と「よくやった」と慰めと誉めの言葉を同時に与えたのである。
・ しかし野球は面白い。明星は中学生もスタンドに連れてきているのに本校の中学生はいない。これはなんとかしなければならない。高校生の野球を見るだけで中学生には勉強になると思うのだが。次回は公立高校が相手だ。これは間違いなく勝てる。昨年はベスト4だ。大阪のベスト4は地方では優勝以上だと思う。私が校長のときに「甲子園」に行けるかも知れない。そのような気がするのだ。

2008年7月11日金曜日

7月11日(金)その2:K先生と難波

・ 関空に同行した「K教諭を難波に誘う」。聞いてみれば各グループ別慰労懇親会に出席しなかったという。途端に私の気持ちが曇る。「何故だ?」と、又「要らぬ遠慮」をしたのかと。誘いはあったみたいだが本人から「固辞」したという。 しかし強い誘いがあったのかどうかは分からない。
・ 理由は4月に一旦退職し「嘱託教諭」になって科の会合などもタイミングの関係で出席できず、皆は遅くまで頑張っているのに私だけ自由に勤務しているみたいで「気おくれ」するという。今まで2度ほどあった生指の会食もスキップしたから今回も体育科のK教諭から話があったがお断りしたという。
・ 「えーなんでや、あれは私の会合だよ」というと「キッ」と顔を上げて驚いた様子であった。知らなかったみたいだ。しかし結果的に「可哀想なこと」をした。よし今日は二人で難波で私自ら慰労してやろうと誘ったのだ。
・ この先生、とにかく「独特のもの」があり、人は色々と言うが、私は評価している。「健康も気力も生徒に対する思いもずば抜けてある教師」だが昨年自分が指導していたクラブでちょっとした生徒の問題や、、クラス担任であったが課題を抱えていた生徒が退学した事案、ご本人が肋骨を折るというハプニング、そして決め手は30数年同期で一緒にやってきた同じ体育の先生が「早期退職」するという様々なことがあり、「自分も身を引きたい,後進に道を譲る」というのを押し留めて、なんとか嘱託教諭として時間を減して私が頼んで来てもらっている先生だ。
・ でも「やはりそうか」。「自分は正教諭ではないから、一歩身を引く」という「独特の自分流の美学」を、誰も気にはしていないのに「余分に感じて」しまう先生なのだ。そこが良いところだし悪いところだ。分かってはいたが、やはり「可哀想」と私は感じるのである。あの時、「辞職を認めるべきではなかったと後悔している。」そういうわけで予定はなかったが今日は二人で飯でも食おうと急遽決めたのである。
・ 焼肉、寿司、串しカツ、イタリアン、日本食どれが良いかというと即座に「スパッゲティ」というので千日前のイタリアンにした。時刻は5時から始めて8時30分だから長すぎだ。しかしよく話をしたなー。何時もは私がしゃべるのだがこの先生だと「聞くほうにまわる」。それが楽しいのだ。
・ 前述したような「思い」があるから「時々部屋に呼んでたわいもない話」をするのだが、これも同室の教員には「なにかしらあるらしい」。「校長室で何の話なの?」とあからさまに聞くものもいるらしい。私は言ってやった。「貴方の評判を聞かれたので正直しゃべりました」と言ってやれと。
・ 今保健体育科はまとまり、素晴らしいチームになったが皆さん担任を持ち、分掌業務もあり忙しい思いをしていると、「彼は決して人の悪口は言わない」。これは立派だ。最近Y先生の目の調子が悪いと心配していたが確かに昨日の職員会議ではサングラスをしていた。あれで理解した。明日でも様子を聞かねばならない。
・ 他のY先生も調子がいま一つらしい。この先生は大学が後輩になり心の奥ではもっとも親近を感じているのかと言う感じだ。剣道では日本を代表する指導者になるだろうと言っていた。大学では700人の部員を率いていたトップ剣道家とわが事らしく話していたな。この息子が又良い。この前京橋でこの息子といっても本校の生徒だが飯を食わせたと言っていた。知らなかったが奥様も剣道家らしい。
・ 若いI先生も評価が高い。結婚してさらに大きくなったという。昨日も正門前でうろつく他校のやんちゃな子を「そうか、そうか」と上手くあしらっていたという。彼が世界に通用する空手のチャンピオンと知ったらこの先生を前に「ええカッコ」など出来まいにというのだ。
・ もう一人のI先生には頭が下がると。泣き言を言わない、次から次へと仕事を処理する。「生指部のキッシンジャー」だと言っていた。もう一人のキッシンジャーは英語科のY先生だという。「生指の飛車角」とも言っていたな。確かにこれは光っている。
・ 女性のK先生は「姐御、姐御」と言われて皆の信頼を得ており、「こんな素晴らしい先生が専任になって」大変良かったと評価は高い。この先生の後輩で常勤講師のA先生も明るくて最高という。生徒を扱うこつは逆に勉強になるとまで言っていたな。
・ もう一人の常勤講師のH先生も2年目だが学歴が良いものだから「天才とか秀才」とか言われながらも頑張っているらしい。昨日の生指の2次会ではさくらんぼのパンパンで盛り上がっていたらしいと聞いたと言っていたな。パンパンて何だ?
・ 最後のI先生はとにかく「仕事、仕事」と頑張っているらしい。「私の野球部」といって中学の野球指導やら運動会準備で走り回っているらしい。K先生が校長室に入るのを気にしてるらしいが関係ないと言っておけと言ってやった。少し仕事を抱え込む傾向があるが、分掌部長として中島誠之助ではないが「良い仕事していますね」 。
・ 「運動会は最初から良いものにしたら後が大変だともし考えていたら大きな思い違い」だ。「何事も最初が肝心」、後で手を抜くのが常道だ。「最初から小出しにしたら絶対に評価は上がらない」。後で努力しても駄目だ。「一回目がとにかく大切だ」。手を抜くなと言っておけと言ってやった。
・彼に補助が必要ですというからそれはA先生と私は心得ているとも言ってやった。彼女も中学の運動会の成功次第が自分の将来にかかっているくらいは分かっているだろう。I先生をどれだけサポートできるかにかかっている。
・ その他色々話が弾んだ。最近辞めたM教諭の理由を詮索する声も最近は消えた、今休んでいるT教諭は私に似ているところがあるとか、退職金を奥さん、娘さんと本人で分けたとの事。「1000万円は厚さ9.5センチ、重さが丁度1キロだった」とか、ご家庭の事など男二人の会食であったが時間を忘れるほど話が弾んだ。
・ 私と丁度同じ年で「親近感」を感じるのだと思う。来年はもう身を引こうと思うというから「怒鳴りつけてつけてやった。許さない。ずっと学校に来い」と。これほど「学校が好きで浪速が好きで生徒思いで身を粉にして働く男」を結果として辞職させて私は後悔している。
・ 最もお金はいくらあるか分からないという資産家だから、我々庶民とは違う。少し話が長いとか、くどいとか、ネクタイが派手だとかは関係ない。私が本校に必要な人材かどうかが基準だ。今やH先生、N先生に続く古参の先生だ。大切にしなければならない。若手の中で「エースは?」と聞くとM先生という。私はまだまだだと言ってやった。
・ ところで戎橋のリクローおじさんというケーキショップで本校に勤務している先生が妙齢のお若いご婦人と仲良く連れ立って買い物をしていたのを偶然目撃し、二人とも目を合わせて静かに気付かれないように通り過ぎた。「あれ、奥さん?」「知りません」「フーン」「綺麗な人だったね」「奥さんかな」「いやそんな感じではなかった」「奥さんならあんなに近くには立ちませんよ」「そうかなー」「どうでも良いじゃん」。しかし気になる。

7月11日(金)その1:カナダ出発

語学研修出発
・ 2年生E組の生徒32名がカナダカルガリーへ向け今日関西国際空港から飛び立った。「3週間の語学研修」である。今年で3回目であり、一応これで終了とした。「英語集約コース」については体制を立て直して新たに出発させる積りだ。
・ 3年間やって一応の結論を出したのである。生徒数が期待ほど伸びなかったのが主因である。今年卒業したのが30名、今の3年生が24名、今の2年生が32名で目標の40名に届かなかった。今回も32名のうち26名が女生徒で男子は極端に少ない。                          
・ それと英語中心でカリキュラムが余りにも偏っている。これでは他の教科が大きく犠牲になっており、バランスのとれた高校教育が出来ないことと、外部教育機関と連繋するのは良い考え方だが「丸投げ」に近く「土曜日の校外学習の安全等責任問題」もあると考えたからである。大体教員の免許も持たない講師が会話を教えてどうなるの?浪速は駅前のNOVAではありませんと言ってやった。
・ 「英語教育」の必要性で議論する積りはない。私はこの年になっても些か「英語が使える」のであるが、それは高校時代にしっかりと基礎を教えてくれたからだと思っている。今でも高校の英語の先生に感謝している。良い先生だったな。「会話なんか必要に迫られたら直ぐ出来るようになる。」「大切なことは文法だ。」と良く言われたものだ。高校生の段階で「英語がぺらぺら喋れる必要はない。」それよりもしっかりと文法、構文などを時間をかけて教えて欲しいというのが私の本音だ。
・ 駅前のNOVAは破綻したが、内部の実態が明らかになるにつれて外部英会話練習所というものが如何に学校とは全く異なることが広く明らかになってきた。別に高校生の段階でNOVAやその他外部の機関というか、企業に頼む必要はない。学校でやれば良い。生徒は土曜日になれば天王寺に朝から行けるから「嬉しい」のだろうが、それではいけない。「本校の英語の教師は数倍優れている」と思っている。
・ 「小学校に英語教育」を取り入れるような動きとなっているが、個人的には反対だ。英語なんかよりも「国語」だろう。日本語、国語を学んで始めて外国語だと思うよ。日本語、日本の文学も知らず、英語が分かる筈はない。喋るだけなら、子どもでも喋れる。外国の異文化を理解することはまず母国の文化を理解することが必要だ。様々に考え、英語集約コースは3年で廃止し、今年の1年生からⅡ類ということで文系コースを設定した。
・ 大体高校1年生でゴチゴチに進路を決めるべきではない。高校2年次に進級するときに進路を判断すればよい。今考えているのは「Ⅱ類の中に2年次で英語特化クラスを作る」ことである。そのクラスは「外大か外国語学部に進学する意思」を有している生徒だ。勿論「大学と連繋した上」である。
・ そうなればこのクラスはカナダに「ホームステイ」させ現地の学校で学ばせることも意義あるし可能だ。その代わりこのクラスは「海外修学旅行」には行かない。来年から本校では初めてオーストラリアに海外修学旅行となるがそれに置き換わるものだ。
・ 今一部の私立高校で海外留学などのカリキュラムで生徒募集をしているところは苦戦しているという。「お金がかかって保護者は大変」だというのだ。したがってその辺のところを考え、高校2年次に判断すれば良いと考えた。外部との連繋の費用も馬鹿にならない。折角学校には立派な英語の教員がいるのだから、わざわざ駅前のNOVAに行く必要はあるまいというのが理由だ。
・ しかし「異文化体験」と言う意味では多くの実りがあるだろう。無事に行って帰ってきて欲しい。15時、関空にて結団式、付き添い教員はビギニングは3名とし1名は1週間で戻ってくる。2名で32名の面倒を観て貰う。最後の5日間は将来の現地調査と3年間のお礼で私自ら現地に乗り込む。
・ 果たして本校の生徒が他人の家庭に泊まって掃除、洗濯、食事の支度、後片付け、現地家族とのコミニュケーションなどトラブルなくやってくれるのか不安が募るがまあうまくやってくれるだろう。そういう失敗をしに行くようなものだから、それは問題ない。しかし迷惑をかけてはならない。昨年は1名が家族の人と合わないと言ってステイ先を変えたことがあった。
・ この前学校での最後の説明会で私は英語で言ってやった。「When in Rome, do as the Romans do 」、「意味は?」と聞くも生徒は応えられない。「郷に入れば郷に従え」だろうと言っても、その日本語の意味も深くは分からないみたいだ。大丈夫かな。
・ しかし便利な世の中で現地のステイ先の決定や学校はすべてシステムとして出来上がっている。現地の学校は“Bow Valley College” というスクールであるというがどのような学校なのか私には想像がつかない。
・ 体育科のK先生を連れて関空に赴き「結団式で激励」した。この先生を朝呼んで「行きますか」と聞くと「行きたい」というから連れていくことにした。担当でもないのに生徒一人ひとりに「手紙を書いて」激励するような先生だ。
・ すべての保護者が来ておられ、暫しの別れを惜しんでいる。中にはたった3週間というのに涙を浮かべて送っている夫婦もいた。生徒も「お母さん、お母さん」というばかりで一向に「お父さん」の声は聞かない。
・ 丁度この飛行機には宝塚西高校の生徒40名も乗り合わせるということで、今から15時間のフライトが始まる。同行のK先生というのだが生徒は「良い顔」をしていたな。私は無事の帰還を祈ると挨拶した。こういうのを見ると「機会を作ってやるのも学校の仕事だ」とも思うのである。