2009年1月31日土曜日

1月31日(土)公立エリート校

・ 大阪府教委は昨30日、平成23年度から一部公立高校に「学区不問の学科を設置」し府内全域から成績優秀な生徒を集める「公立エリート校」構想の詳細を明らかにした。今朝の朝刊に記事がある。「遂に来たか」と言う感じだ。
・ この記事を見て私は幾分「ホッ」としている。思ったよりも「穏便な形」と思ったからである。橋下知事の意向を受けて「もっと大胆な案」もあるのかとも思っていたがそうでもなさそうである。最もまだまだ先行きは分からないが・・・。
・ このようなコメントが書けるのは私学の経営者でもそれほど多くはないのではと思う。「私には見える」のである。その理由は私が「公立のトップ校の校長経験」があるからである。公立と私立の校長を連続で経験している人間は多くない。
・ 橋下知事は選挙当選後の教育関係改革の第一声がこの「エリート校設置」であった。間違いなく知事の頭には自分の母校である「府立北野高校」のイメージがあったことは間違いない。その後の知事の発言を注視しておればすぐ判ることだった。
・ 2年前に当時の「9学区制を4学区制に変更」した教育委員会としては知事の意向を受けてその胸中はどうだったんだろうか、興味がある。一つには学区を変えてまだ2年、少し早いと言うのもあっただろうし、この際知事の意向をかさに「学区撤廃」の考えを盛り込みたいという密かな思いがあったとも考えられる。新聞記事は前者のニュアンスだった。
・ 当初橋下知事は「学区など撤廃」と叫んでいた。確かに2年前も多くの教育関係者の中にはやるなら中途半端な4学区などではなくて「完全撤廃」という声も大きかった。私なども「完全撤廃論者」であった。ところが役人的発想、特に大阪という土壌では一挙に撤廃とはならなかったのである。
・ 元々この種の学区制変更などは「世の中の一大事」で簡単にいける話ではなかった。「バッジ組」と言われる議員諸侯は選挙区の子どもたちが行ける学校の数に関わる話で「簡単にハイ、分かりました」のような話ではないし、「私学サイドの思惑」もあっただろう。結局形の上では「審議会の答申」通り4学区制に落ち着いたのであった。
・ 例えば旧の9学区の時代には勉強の出来る子どもは「北野高校に受験」は出来ても2学区の「茨木高校」には受験できなかったのであるが新4学区制の第1学区ではどちらか選択できるようになった。この二つの学校は実力的にそれまでは「ライバル校」で大阪を代表する公立高校であるが「北野の雰囲気は嫌いだから僕は茨木に行く」ということが可能になったのである。
・ 今度府教委が発表したエリート校は「文理科」の名称で「府下で10校、定員は4クラス160人」とある。この発表だけで私は府教委の考えが手に取るように分かるのだ。「10校とは何処だ?」であるが、これは容易に想像できる。間違いなく「旧の9学区時代の学区内トップ校」だろう。
・ 1学区の北野から始まって、茨木、大手前、四条畷、高津、生野、天王寺、三国丘、岸和田の9校が入ることはほぼ間違いない。後1校が何処になるかが興味あるがが私の予想は「府立豊中高校」ではないか。「八尾高校」とはならないだろう。
・ 八尾高校は旧制大阪府立第三中学校として名門中の名門だが「凋落」著しく、あの「塩爺こと塩川正十郎元財務大臣の母校」で,塩爺をして「何でや、こんな進学実績に落ちたのか」と嘆かせた学校だ。
・ 以上の学校は旧制府立中学から戦後に新制高等学校になった、言ってみれば「伝統校であり、名門校であり、大阪を代表する進学校」なのである。卒業生も多くベビーブーム時代の子どもを受け入れるために「どんどん作っていった学校」とは全く異なる性格を有した学校なのである。創立100年を超える学校も多い。
・ 旧制中学のナンバーを用いて「ナンバースクール」とも言われている。例えば府立北野高校は旧制府立第一中学校であったように。茨木は第二中学、高津高校が第七中学校であったように。
・ 定員の根拠は東大、京大、阪大、神戸大、早稲田、慶応などの「超難関大学」への進学数値を現在の約1000人から1600人程度で6割増を狙っていると言うから160人の10校分という計算になるのだが、果たしてそんなに上手く行くのか。
・ 10校間で「連絡協議会」を持ち、合同授業や成果発表会、共通テストなど考えていると言うが今でもトップ校の9校では「9校連絡会」というのがあるはずだ。私の時には月度一回連絡会があった。焼き直しだろう。
・ ポイントはこの府立10校が「私学の優秀層」を奪い返さない限りり「意味はない」のではないか。府立高校間で優秀な生徒の取り合いになっては意味はない。それどころか「エリート10校間で順位付け」が成されるだけだ。これは面白いランク付けになる。
・ 恐らく北野、茨木、天王寺、三国丘が4強でその次が大手前、高津、四条畷が来る。後塵は生野と岸和田、豊中だろう。私には読める。しかしこの順位では今までと何ら変わりはしない。
・ 10校に「何が起きるか」と言うと従って全府下から「生徒を集められる」から10校の校長以下教員は優秀な生徒を集めるために「東奔西走、走り回る」ことが予想される。府教委は「文理科設置校の入れ替え」も考えていると言うから「ニンジンと鞭」は大いに入るだろう。
・ しかし南部の泉州から北摂の茨木高校に通うとも考えられないし、結局はそう大きな「地殻変動」は起きないかもしれない。しかし私は指摘したい。「安い授業料」でこのようなエリート校を10校も作ると言うのは誇張して言えば「憲法違反」にならないか。
・ このようなエリート校は「卓越した技量を有するエリート教師」を配属することになる。しからばそうでない学校には「いい加減な教師」が相対的に多く配置することになる。すべてが「受験指導」が出来るはずは無いからだ。これは明らかに「公教育の公平性」を逸脱するものである。
・ 進学校とそうでない学校との「教育コスト」は大きく変わるため課題のある学校に通わす親は「同じ税金を払っている」のに「不公平」と騒ぎ立ててもそれは理屈がたつ。即ち私の言いたいのはこのような「エリーと校の授業料は一般の高校と異なった体系」にすべきである。
・ わかり易く言えば「私学並みの授業料にすべし」と言っているのだ。この理屈は分かってくれる人には分かる話だ。そうしなければ私学の優秀層は単純計算でも600人も公立エリート校に流れるだろう。
・ 600人と言うのは大阪で私学の進学校が約30校として一校当たり20人が公立に流れるとなればもう「私学の優秀層は壊滅状態」になる恐れがある。超難関大学へ進学するには公立10校の何処かに行かねばならないとなったら「進学は私学が優位」が一朝にして崩れるだろう。
・ 私学は今でも全府下の学区などないから今度の10校はもう私学だ。公立高校ではない。私は本校の教職員に言いたいのだ。「このエリート10校とはこういう性格を有する」ことで、私学の我々がやるべきことは「公立とは違う教育の展開」こそ「私学の私学たる所以」であるということだ。
・ 大阪の教育が変わる。公立が変わる。その影響は本校にも及ぶ。しからば我々は「何を成すべきは考えよ」と言っているのだ。朝読書で1時間持ち時間を減らせなどの発想の人間ではこれから先の厳しい「私学冬の時代」を乗り切っては行けない。「それが分かっているのか」と言い続けているのだ。

2009年1月30日金曜日

1月30日(金)体育科教諭

・ 「耐寒行事金剛山登山」の計画が煮詰まってきた。もうすぐ2月だから月替わりでもなれば更に「機運」が盛り上がってくるだろう。「楽しみ」である。これにつき昨日保健体育部長と体育科教諭の2人が「経験多い、ある私立女子学校の実践を勉強」に行ってくれた。
・ こういう行動が素晴らしい。「経験者に耳を傾ける」ということを私は評価している。口では簡単なことだが「中々出来ることではない。」特に教師という職業を持つ人間は「プライド」が高いから「人は人、我は我」となるものだが、体育科の教師は「幾分幅が広い。」それは他の教科に比べて「付き合いが広い」からである。部活指導で常日頃から交際範囲が広いのである。
・ 私の経験では体育科の教師で「組合員」は極めて少ないか、いないところが多い。「体育系の大学や学部を卒業」し、専門競技などで伝統性、先輩後輩の上下関係、勝った負けたで、生きてきているから「国旗掲揚反対、国歌斉唱反対」とは彼らは言わない。
・ イデオロギーに毒されていないのだ。本校に着任時10名の教諭のうち、たった一人の先生が組合員であったが中々の人物であった。「組合教員でも色々」なのである。とにかく私は体育科の教諭を買っている。
・ 性格も「スパッ」としたところがあり、「手当て」とか「残業代」とか一切不平不満など口に出さない。朝錬や放課後の部活動指導、土日などは試合で自分の時間などない。だから逆に私は体育科の教諭に「何かしてやりたい」と思うのである。学校経営に「体育科教師の果たしている役割」は極めて大きい。
・ まず「学校行事」については彼らの力がなければ滞りなく進まない。昨年初めて行った「中学校の運動会」、それに今回の「金剛山登山」だ。「陸上競技大会」「耐寒マラソン」もそうだ。大体部活動で多くの生徒を「抑えている」から「生徒への指導力」は抜群である。
・ 従って生徒の生活指導上の問題も運動クラブに属している生徒の問題は少ないと言うか殆どない。それは「部活動を通じて人間教育」をしてくれているからだ。ただ気をつけなければならないのは行き過ぎた指導即ち「体罰」と「自分たちの世界に耽溺する唯我独尊」だけである。「自分たちだけのワールドの世界」に陥る言うことだけは気をつけなければならない。
・ 彼らへの支援として私は着任以来積極的に投資をしてきた。まず「中庭を人工芝生化」した。「体育館の全面塗装」をしてリフレッシュした。そして「第2グラウンド」を作った。これはテニスコート3面化で彼らからも大変評価された。
・ ところが信じられない話だが体育科の教師には「学閥めいたもの」が厳然としてある。日本体育大学閥、筑波大学閥など公立私立にもある。酷いところになったら全ての体育科の「教師が特定の大学に集中」というのもある。本校はばらばらである。
・ 今はご結婚で東京に行かれたが昨年の常勤講師の先生は筑波大の卒業で、公立の体育科の教員であったが「学閥が嫌で辞めた」と言っておられた。とにかく体育科の教員はあっさりとはしているが些か「古い」ところもあるのである。しかし本校は全く学閥などないし、彼らはよく仕事をする。そしてどうも聞くところによると「仲が良いので有名」らしい。
・ ただ仲は良くて大変結構であるが「赤信号、皆で渡れば怖くない」で「サボりの集団」となったら困るが全くそういうところがないので今は安心している。だから合宿とか遠征とかも幾分私は「大目に見ている」のだ。
・ 今回新年度の教室手配の関係で「体育教官室」も改装の対象となったみたいだ。広いので半分に仕切って半分は男性教諭のロッカールームとして活用したいと言う副校長案であった。
・ しかし私は最終的に「現状維持」とし、ただ今までとは「雰囲気を変える」ように言ったのである。昔は酷い所だった。「梁山泊」ならぬ「体育科租界」みたいな雰囲気で「煙草をぷかぷか」の紫煙の充満している部屋であったのである。「保健体育を教える教官室が煙草の煙り」でクスぼっているのは許せないとした。
・ 今度は「「第二弾の改装」だ。レイアウトの変更になろうが良く考えて決めて欲しい。やはり体育科は「全員一致」で「仲良く公平に公正に」が合言葉だ。「ドン」などは学校には不要である。居てはいけない。
・ 話を金剛山に戻そう。調査に行った学校はなんと「50回を迎える」という。今年は2月10日で記念登山だという。お世話になったお山だからと言って山頂公園に「ベンチ」などを寄贈するという。
・ 1400名の生徒を80人の教師が引率する。本校は200名の生徒を34名の先生だから初回ということもあり本校は「手厚い」体制だ。しかし多くの参考になった情報を頂けたと言う。
・ 上り口付近に「タクシーを1台待機」させ「万が一に備える」という。早速これは見習うこととした。「簡易タンカ」も持参するという。弁当は山頂にて「トン汁」で、おにぎりが冷えているので温かい汁物をつけるのだという。本校は下山後「多聞尚学館でPTAサービスの具沢山のトン汁」らしい。今年はこれで行く。
・ 1400名の女生徒の部隊が登山するとなるとまず「トイレ」の問題らしい。先頭が山頂に着いても最後尾はまだ上り口というからこれは大変だ。本校は今回中学生だけだから問題はないが浪速高校の生徒ともなると1800人近い生徒となるからもう不可能に近いのではないか。大型バスだけでこの学校は30台強だろうと思うが本校だと50台近くになる。何処に停めておくのか。
・ 「浪速高校の耐寒訓練は何か別のもの」を考えて欲しいと今日の時点では言ったが「何が出来るのか、あるのか難しい問題」だ。何しろ数が多い。私は「耐寒20キロウォーキング」が良いというのだが「交通事故が心配」とすぐ教員はいう。
・ 報告を受けて分かったのだが「すごい汗をかく」ことになるから生徒などは「薄着」らしい。ところが私は「寒さ対策で完全防寒服を用意」をしている。もう買ってしまったから高島屋とスポーツ高橋に返却は出来ない。「早く言えって!」。
・ ところで「校長ブログのファンで本校の応援者」からお手紙を頂いた。「昭和28年、中学2年生で冬の金剛山登山」を「良い思い出」としているお方だ。「(前略)普通の運動靴に手袋とジャンパーくらいの準備、山は凍てつき氷の山、すべるので全員荒縄を持参、現地で運動靴の上から何重かにしばるのです。
・ 昇りは何とか小枝につかんだりしながらでしたが問題は下りです。とても立っては下りられません。持参の縄やタオルをおしりに当ててすべりおりるのです。顔は真っ赤。
私は母が新品の綿のズボンを買ってくれましたので大丈夫でしたが、何人も何人もおしりの布が破れ恥ずかしく、リュックなどで隠していました。
・ 冷たいお弁当、おやつも飴玉が3~4個くらいでした。しかし今は懐かしい嬉しい思い出です。浪速の中学生は私たちの時と違い恵まれていますね。心に残る人生の想い出は沢山経験できるとその人生は豊かになると存じます。温かいお汁も忘れられないことでしょう。相変わらず世話焼きの大阪のおばちゃんの一人言です・・・。(後略)
・ この方のように「浪速中学校の生徒に良い思い出」を作ってやりたい。しかし今までのところ「盛り上がっているのは私一人」でどうも教員も肝心の生徒も熱気が伝わって来ない。近く「アイゼン」をつける練習をするというからその内に?                        

2009年1月29日木曜日

1月29日(木)その2:桑田は賢い

・ 1月26日のブログで「男道:清原和博本」として清原さんという人物論を少し書いたが結構の反応があった。「まあ、気持ちは分かるがそこそこに・・・」というアドバイスもあったり、関西では大人気の清原だから反発を買うぞなどもあったりした。
・ しかし「本を出版」したのだからこれはすでに公共に触れるもので「読書感」などは当然のことであり、私は全く問題としていない。しかし今回の反応は19年度に書いた「女やくざ:細木数子論」に比べては反響は小さかったみたいだ。あの時は大きかった。
・ 実は私のブログは特定の近い関係にある知人から「個人宛メールに感想」などを送って貰っておりその感想文は大いに助かっている。時には誤字脱字の指摘もあったり、「それは不味いよ」と修正を余儀なくされたりすることもある。
・ 昨夜のテレビや今朝の新聞各紙は「桑田真澄」さんのことが大きく取扱われている。プロ野球元巨人軍の桑田さん(以下敬称略)が早稲田大学大学院に合格したと報じているのだ。囲み記事もあったりして極めて「好意的扱い」である。
・ しかし「この男の生き方は賢い」の一言に尽きる。「賢い」という表現は必ずしも良い表現でない場合もあるが正直良い意味で今は賢いを使っている。英語で言えば「スマート」というのだろう。
・ そういえばオバマ大統領と争ったが、結局は国務長官に就任したヒラリー・クリントンはブッシュ外交からの決別を込めて「スマートパワー」と表現していたがこのスマートだ。「よく考えた」という意味である。
・ 桑田は巨人で栄光のエースナンバーの18番を背負い、右ひじの故障から戦力外通告されても「復活」し、「40歳を前にアメリカの大リーグにも挑戦」した。この時の語り草は代理人任せにせず、自ら契約にこぎつけ日本人スタッフとの会話も「英語で通した男」だ。
・ PL時代の活躍は清原と並んで一世を風靡し今でもPLのKKコンビは高校野球界の伝説になってきつつある。桑田は述べている。「朝から晩まで練習の中で勉強するのは大変だった。あの時頑張って良かった」と言い、「授業中に居眠り」したことがなかったと言う。
・ 巨人指名は清原で間違いなく、桑田はドラフト当日まで「早稲田進学」が語られていたがふたを開けてみれば巨人は「桑田指名」でその状況は当時の社会問題にもなった。しかし桑田は23年後の今、早稲田合格を受けて彼の言葉を借りれば「一生懸命勉強し、駄目ならしょうがないと思えるくらいやった。やっぱり嬉しい」と笑顔で語っている。彼は「努力」をする。芸能人とも付き合わない。
・ 桑田はかくも言う。「野球界に恩返し」と言い、将来的には「プロアマ協定」など課題を抱える野球界の改革に興味を抱いており、「野球界から幸せを頂いた。恩返しとして後輩が少しでもいい待遇を受けられるように勉強して野球界に貢献したい」と大学院での1年間の勉強に夢を託している。
・ しかし私は思うのだ。野球界では「ワイや、清原や」「番長清原」と言われ続け、23年後に引退してまで清原は「しゃべりまくり」そして本まで刊行し、「高校時代につけられた古傷に又錆びたナイフを差し込むのか。どうして巨人はそこまで痛めつけるのか」との歎き節だ。
・ これに対して桑田は「黙して語らず」23年が経過してこのPLの同級生は今回でも完全に「生き方」が別れた。一方は「怨嗟」の声を放ち、一方は「野球界に恩返し」と叫ぶ。
・ この両極端の生き方から「学ばねば成らない」。清原和博、岸和田市出身で中学は岸和田市立久米田中学校、桑田真澄、八尾市出身2人とも典型的な「大阪人」である。このことも興味深い。一見桑田はその合理性と金銭感覚から「関東人」と見られそうであるが八尾市立大正中学校PLに入るために八尾市立成法中学校に転校しPL高校だ。
・ 桑田から「八尾のイメージは伝わってこない感じ」がする。清原は間違いなく「岸和田だんじり男」である。桑田が今東光描く「八尾の浅吉親分」でれば言うことないのだがあの一見神経質そうな面持ちは「小説家的」でもある。
・ 現役時代の桑田はピッチャーズマウンドで時々「祈り」を捧げる仕草をした。対して清原は「金髪にピアス」で相手投手を睨み付けた。私はこの2人を見ると「何か牧師と極道」の対比を感じるのだ。「面白い」。
・ 桑田の生き方を見て何を感じるか。私は「賢い」と感じざるをえないのだ。「スマート」である。「」「」に生きてはこういう形にはならないのか。賢いか、「ずる賢い」か紙一重の関係であるがいずれにしても賢いことは間違いがない。
・ 清原のブログにも書いたが「朝青龍、清原」「白鳳、桑田」のコンビネーションが面白い。ところで私はどう考えても「前者に近い」と言わざるを得ない。生き方が「賢くないし、アホなところがある」からだ。そうでなかったら社長になっている。
・ しかし男は「棺おけ」に入って価値が定まる。言いたい奴には言わせておけ。朝青龍よ、清原よ、「頑張ろうぜ、共にな!」と言いたいところだ。しかし「桑田は賢い」。

1月29日(木)その1:2年前の1月29日

・ 今日は1月29日、私にとって「忘れられない日」である。思い起こすと2年前の今日1月29日に私は全校教職員を集めて「教職員集会」を持ち「浪速改革宣言」をした日である。特別に名誉理事長、理事長職務代理、他の数人の理事にも出席願って「現状認識と改革の方向」について20ページ近い資料を使って説明した日である。この日が「改革の幕開け」であった。
・ 1月9日に着任してあらゆることを自分の目で確認し、資料を読み、一人残らず「全教職員と面談」した。「初動のやるべき」ことをした上で「この日に臨んだ」のである。あれから丸々2年が経って、今はこの4月入学してくれる生徒の教室手配に追われている状況にまでなった。この2年間を思えば「感無量」である。
・ ところで本校はいわゆる「オーナー系の学校ではない」。厳密に言うと「家業として経営している個人オーナー系の私立学校」ではない。しかし設立者とその後の理事長並びに理事各位は「大阪府神社庁長ならびに役員、ならびに傘下の神社の宮司」が輪番で役員を構成してきた学校である。
・ 従って私は何時も使う表現として「実質的オーナーは大阪府神社庁」ですと言っている。これは「未来永劫不変の鉄則」である。校内に「学院神社を擁し神社神道の精神を建学の礎にしている学校」であるから大阪府神社庁は「絶対的存在」である。
・ しかし設立の趣旨がどうあろうとも現在の「学校の形」は「私立学校法」に定めるところの「寄付行為」の細目が全てであり設立者が誰であろうと関係ないのである。要は「現時点の学校法人の理事会と評議員会」が「意思決定」を行うことになっている。
・ 「ファウンダー(設立者)」が誰であろうともそれは「尊敬の対象」ではあるが経営陣に入っていない場合何の権限も有しない。従って「個人オーナー系の私立学校の理事の構成」は極めて重要で「城を明け渡すことのないように」理事会を構成するのも理解できる話なのである。
・ 私は「長い本校の歴史で初めて神社界以外の理事長」である。前任の理事長は市内でも有名な神社の宮司さんで立派なお方であった。お体の具合から私が「後任として招聘」されたのであるが神社界としては「勇気の必要な決断」であったろうと思う。
・ 有力理事であった「大阪天満宮と道明寺天満宮の宮司お二人」が中心となって「三顧の礼」で迎えてくれたのだがそこには「当時の学校の状況にそれなりの事情」があったのである。平成18年12月22日の理事会で満場一致で「まず理事に就任し互選で理事長に就任」した。同時に4月以降は「校長兼務」もその席で決定されたのである。
・ この時に理事候補について「先生がお連れしたい人は2名までは良いですよ」と言われたが私は結局その話はお断りした。2名というのは私を入れて3名が神社界外部からであり、「理事総数7名の過半数4名は神社界で押さえておきたい」と言う当然のお気持ちであったと言える。
・ 今想像するに当時、このお2人のお気持ちがよく分かるのだ。私は「単身で乗り込む」と決心した。誰も引き連れずに「一人で赴任する」こととした。さすがに着任当日は理事長職務代理が「大きなシクラメンの花」を名誉理事長との連名で持って来て呉れたが、30分ほどで「葬儀に出席」と言って帰っていかれた。
・ あれ以来「一人でやってきた」のである。私は「雇われ理事長」で良いと考えたし、この学校は「木村家」とは全く無縁のものであり個人木村の力量を買われての理事長就任であり「単独」の方が「やり易い」とも考えたのである。
・ 神社界4名、外部3名という組み合わせは一見「理屈がある」ようには見えるが当時最も必要なことは「理事会が一枚岩」になることで「セクトにつながる」ような可能性が些かでもあるような理事配置はすべきではないと考えたからである。
・ しかし当然私は「条件」をつけた。学生時代に見た東映映画の高倉健さん主演の「唐獅子牡」のように「ドスを片手に一人で切り込む」のだから「理屈を超えた全面的支援の一筆」と「天満宮宮司の名誉理事長就任、道明寺天満宮の宮司の理事長職務代理就任」である。お二人は固辞されたが、最終的に受け入れて頂いたのである。
・ それから丸々2年が経過しようやく「一息」つけるようになったのであるがまだ先は長い。しかし名誉理事長も、理事長職務代理も心中では当初は「はらはら、どきどき」であったろうが、今は大層喜んで頂いているみたいだ。
・ 私の仕事は「浪速の復活」であり、全てをこの一点に集中して「事なれりの暁」には「理事長職を大阪府神社界のお戻」するべしと考えている。やはり理事長は大阪府神社界の神職のお方が就任されるのが自然だと考えている。ただし「動ける理事長」でなければならない。「お飾り」ではいけない。
・ 形だけの理事長では「すぐに元の木阿弥」に戻ってしまう。「理事会がしっかりと機能」し、「現場」即ち学校の校務運営を監視して「学校長は校務を運営し教職員を監督する」という学校教育法28条第3項を厳格に適用するのだ。校長から「マニフェスト」を取り、期待値が出なかった場合は「校長更迭」をしなければならない。
・ 現在大阪の私立高校で「元気を有している」のは一部の独立系を除けば「大学を有している」学校法人である。例えば賞与一時金の支給月数の多いところはすべてと言って良いほど系列の大学を有している私立高校である。
・ 最近又「学校法人統合」の話が新聞記事にあった。千里国際学園が「関西学院大学グループ」入りすることが報道された。昨年来連続である。北陽が関大北陽に、摂量が早稲田摂陵に、初芝が初芝立命館に、啓光学園が大阪工業大学グループに飛翔館が近畿大学グループにととにかく法人合併、法人統合が次々と発表されてきている。それだけ「私立高校の経営が苦しい」ことが背景にある。
・ 大きな理由は独立系の私立高校で「余程の先行き展望に自信」がないと「やって行けない」という「敗残の恐怖」から、大学グループ入りして生徒募集に繋げ経営安定化を図る狙いがあるかであろう。このことは大変良く理解できる話である。
・ しかし理由はどうあれ、「統合される側、吸収される側、併合される側」の学校法人の理事会側にとっては「辛い話し」であることは間違いない。祖父が拓いた学校を孫の代になって「売り渡す」など今後とも増えてくるのではないか。
・ 「売り渡す」と書いたが実際は「売り渡すのではなくて」、「身柄を手放す」と表現した方がよかろう。お金は動かないものだから。「教職員の雇用を守り」、今入る生徒の卒業までと今後の有り様をお願いしますと言って「白旗を掲げる」のである。
・ もし私が理事長なら「切腹もの」として「責任を痛感」するだろう。今日まで綿々と存続させてきた命がそこで途絶えるのだから「並大抵の神経」でないと耐えられないことになる。
・ 本校は大学を有していない。いないだけに自由に動けるのであるが「将来が磐石」とは言えない。しかし少なくとも私の代で「法人を明け渡す」ことは絶対にしないし有り得ない。若しそうなれば「万死に値する」話しだ。
・ 名誉理事長、理事長職務代理と理事長たる私の3人が元気なうちに「浪速の未来を確固たるもの」にするため、「あらゆる障害」を取り除き「不屈の闘士」で進めていかねばならないと、今日、「二年前の29日」を思い出しながら「更なる覚悟」を決めているのだ。

2009年1月28日水曜日

1月28日(水)教室手配

・ 新年度の「教室手配」が風雲急を告げて来た。毎日、毎日中学生が志願書の提出に大挙してやってくる。今日で2000名を超えた。一方朝一番に郵便局から「検定料納入」の電話が来る。こちらは2430名を超えた。
・ 「併願戻り率」は分からないが「手をこまねいているわけには行かない」。副校長と新校舎建設チームの検討をベースに「出来るところから」、「教室への改装」の準備が始まっている。
・ 元々教室だったものを生徒数が少なくなるにつれて他の目的用に改装したものを又「教室に戻す」のである。前にも書いたが「生徒の動線」が大切だから結局は「玉突き」になってあたかも「民族の大移動」みたいなことが起きているのである。
・ しかし私が「心配していた」ことが今日判明した。担当は「良かれ」と思って考えてくれているのだが、結局は私の言っていることが理解できていないのだ。余りにも「ぎりぎり」で若し1クラスでも増えたら「万事休す」となるのだ。「余裕がまったくない」。
・ 教室数を固定して考えているから若し戻りが計画を超えていたら「生徒を受け入れられない」ことが発生する。こんなことになったら「大恥をかく」ことになるだけで大阪私学の「笑いもの」だ。又「2年計画で考えよ」と言ったのだが「単年度」でしか物事を考えていない。
・ 「来年は間に合うのか?」と聞くと「来年は全く余裕が無いため、校舎を作らねばならない」というのだ。それなら今ある建物で教室に改造可能なものは「今年中に改造すれば良いじゃないか」と私はいうのだ。
・ そうすれば「来年の増設規模」も見えてくるし、とにかく今年については一抹の「不安感が払拭できる」という具合だ。今日副校長と事務長補佐に「厳命した。」「図書室を教室に改造し、これで4教室確保し、図書室は新館の修養室に移動せよ」と。まだ2ヶ月もあるのだ。十分間に合う。
・ 彼らは「極力コストの少ない方法」と思ってやっているのだがどうせ来年は必要である。出来るときにやっておくのも機会ロスの防止である。それに今日驚いたのは入試広報室の横で2分割して、今まで英語と国語の準備室だったところを教室に戻すというので見に行ったがとんでもない。
・ 窓は野球部の更衣用プレハブでふさがれ「暗い窓の無い離れ小島みたいな部屋」をところに生徒を入れるわけには行かない。これは生徒からも保護者からもクレームが付くかも分からないと私は思ったので、これは「教室とはならない」と言ったのだ。あくまで教室は教室に相応しい選択をしてやらねばならない。
・ しかし先生方はジャージに着替えて本などをエッサエッサと運んで作業してくれている「姿は美しい」。私は大変喜んでいる。教室改装で少々お金がかかろうがそんなことは大した問題ではない。新たな生徒を迎えるための「支度料」と思えば良い。
・ 唯一の外部機関としての同窓会室は「にっちもさっち」もいかない。同窓会長にお電話して「ご理解を求めた」。数年は校外に事務局を置いてもらわねばならないかもしれない。勿論会合などは遠慮なさらずに使用してもらって結構であるが言ってみれば一等地に使用頻度の低い部屋を設ける余裕は全くなくなってきたのである。唯一写真室が可能であるがここは窓も無く使用に耐えないだろうと思っている。

・ 「多聞尚学館」の改造計画が大分煮詰まってきた。まず教室、職員室、男性教師の寝室、女性教師の寝室、男女の浴場、3段ベッドの部屋は男子生徒用、女生徒用それぞれ、そしてそれぞれに和室と言っても絨毯敷きで多目的に使用可能な部屋など大きな投資を入れないで改造を進めている。
・ 「 3段ベッド」は最も安い木製のもので生産地はインドネシアみたいで輸入手配となっている。風呂についてはこれは私のアイデアではないが「中々考えたうまいやり方」を担当と施工会社が考えてくれた。当面はこれで行けば良い。
・ いずれ近い将来は浴場と寝室の建物は「新築」しなければならないだろうがそれまでの辛抱だ。これで千早赤阪村の建築指導課に申請することになろう。それにしても村当局ものんびりしている。
・ 「村長と私の間で値段は決着」したのだがまだ土地の測量とかで契約書の準備や臨時村議会は開かれていない。まあこちらは支払いが遅れるのだから助かる話であるが。とにかく3月27日には理事会・評議員会を多聞で開いて披露したいから間に合うように急がせている。

・ 1月1日以降「敷地内禁煙」に移行して4週間が経った。何処と無く「空気が清浄化」してきた感じがする。結構なことである。喉を痛めないので「風邪やインフルエンザにも耐力」となっているのではないか。管理職の先生方も朝会で私の部屋に入ってくると前には臭ってきた「プーン」という「タバコやヤニの匂い」がしなくなった。これだけでも気持ちが良い。

2009年1月27日火曜日

1月27日(火)大阪私学振興大会

・ 「大阪私学振興大会」が昨日午後大阪国際会議場にて行われた。主催は「大阪私立中学校高等学校保護者連合会(私学保護連)」である。「大会スローガンは保護者負担の公私間格差の解消」がメインであるが今年は橋下改革での私学助成削減がなされたあとでもあり熱気に満ちた大会となった。本校からも多くの保護者の方が参加している。
・ 新聞各紙は一応記事にはしているがいかにも扱いは小さい。来賓は橋下知事、府議会議長他であったが知事は昨年と同じく「公務のため」とか言って副知事の代理出席だ。多くの府議会議員が「大阪府議会私学振興議員連盟」に加入しておられ、自民、民主、公明他であるが共産党議員は出席されていない。
・ 2000数百名の保護者が勢ぞろいして決議文を採択した。採択された決議文は一字一句そのままで「中学校卒業生の進路保障と学校選択の自由のために、一刻も早く公費支出の公平化を実現してください」となった。
・ 我々私学関係者が言いたいことは世界に寄与する青少年を育成するために「公立私立で公費支出に差があってはならない」ということである。知事の言うように「大阪の教育を日本一にする」ためには「公立私立が切磋琢磨」して時代を担う青少年を育てていかねばならないということである。
・ 「公立と私立が適正な競争」を行うことで「質の高い教育を提供」できるし受けることが出来るといっているのです。しかるに現在は「公立高校への公費負担は年間一人当たり867000円もあるのに対して私立には387000円だけ」です。実に「その差は48万円」もありその差額を保護者が負担しています。
・ 即ち「公立の授業料は117000円に対して私立は平均593000円」と負担は「約5倍の差」になっています。これでは「私立で学びたい」と思っている生徒に機会を与えられない場合もあるのです。「著しく不公平な公費支出の是正」を早急に進めて欲しいと行政、立法当局にお願いした大会でした。

・ 昨26日から「入学願書受付」が始まっている。2月2日まで続く。志願者は「検定料金20000円の振込み証明書」を願書に添付して提出し交換に「受験票」が手渡されることになっている。
・ 振込みは本校指定の「郵便局口座」で、これはその後の振り込み手数料が安いからである。毎日「日単位の数値」が郵便局から知らされる。今朝時点で「2440人」の振込みを確認しているがもっと増えるであろうと予想している。
・ 平成16年がボトムで志願者が607人であったが今年が2500人予想だからざっと「4倍以上の伸び」である。「嬉しい」の一言である。約5000万円が入金される。多聞の買収金額の一部に充当されることになるだろう。
・ 今朝の管理職朝会で私は指摘をしたのだ。「内部の浪速中学生の検定料」は取っていないと言うから「それはおかしいではないか。浪速高校以外の外部受験を認めてそこには検定料を納めて本校の検定料を無料」というのは理屈に合わないではないかと。
・ 23人程度の中学生時代と違って今や数がうなぎ登りに増えており「手間隙」は外部受験生と同じなのだから「頂くべし」とした。入学金は頂いているのにつじつまが合わない。今年は間に合わないので来年からということに成ろう。「中高一貫」なら別の話であるが「浪速中学校と浪速高等学校は基本的に分離」されているのだ。
・ このように本気でお金のことなど管理職といえども誰一人考えていないのだ。残念の一言であるがこういう「訓練がされていない」から仕方がない面もある。2万円X100名として200万円のお金は心斎橋を歩いてみても「落ちていない」と私は語気を強めるのだ。
・ 橋下知事は昨日府庁に「外部人材を入れる条件」として「お金にセコイ人」と表現したみたいだがその通りだ。税金で食っている役人や学校の教員で「金に苦労していない人間」「金を本気で稼いだことにない人間」には何回言っても私のいうことは肌で分からない。民間出身の私は「自分で稼ぐ」ということが骨身に沁みているから寝ていても稼ぐことを考えている。

・ 「部活動外部指導者」の来年度の「雇い止め」「継続雇用」について検討に入るよう副校長に指示を出す。契約は一年単位である。本校は現在のところ硬式野球部、ブラスバンド部、雅学部、弓道部、柔道部において卓越した外部指導者を教員の顧問以外に充当している。
・ 大きな効果を挙げてくれており感謝しているが、元来は「教職員の手」で実施しなければならない。あくまで「教育的見地からのクラブ活動」であり、1週間に一回2ないし3時間指導に来るというのではやはり限界があると思うのだ。
・ ただ特殊な技量を要する部活動では教職員だけでは限界があることも事実であり,そういう場合に「外部からの技術指導者」を招聘することになる。しかしこれも「期限がある」ということを知って貰わないといけない。「コストがかかっている」のである。

・ 今「インフルエンザの状況」を注意深く監視している。「罹患の拡大」ということにでもなれば「即刻、学級閉鎖」である。「手筈」は整っている。中学生が危ない。2年A組が今日現在で5名欠席している。教員では今のところ2名がインフルエンザと診断されている。
・ 今年は昨冬を上回るペースで「Aソ連型が主体」とある。特に西日本で広がりを見せており心配の種だ。大阪府では約300の医療機関で今月確認されたインフルエンザ患者は5268人と産経夕刊が報じていた。Aソ連型は「タミフルが効かない」らしく注意が必要だ。外出時の「マスクうがい」が最も予防に有効という。
・ 保護者には「風邪の症状」と間違い易いのでちゃんと医師の診断をお願いしますと言っている。これ以上出るようであれば日曜日を挟んで学級閉鎖であるが本校は私学であり、ギリギリまで持ちこたえたいと中学副校長は言っている。

・ 高校生に「生活指導上のこと」で緊急に伝えたいことがあったので朝のショートホームルームの時間を使って校長室から一斉に「校長メッセージ」を放送で伝達した。一斉参拝や朝礼時では外部に筒抜けになるから時々この方法を最近とっている。校長の言葉で直接生徒に語りかけることは重要であり、又この方法は効果が大きい。

2009年1月26日月曜日

1月26日(月)「男道」清原和博本

・ 「男道」という「清原和博氏」が書いたという幻冬舎の本を難波のジュンク堂書店で求め一気に読んだ。本屋では入口に陳列していたから「売れているのか」。通常本屋は新刊本や売りたい重点本を目に触れる場所に置く。
・ 「清原大好き人間」が待ちに待ってこの本を購入したものではない。僕は兼ねてから清原和博氏という人物に興味があったことと本の宣伝の「帯の記述内容」に釣られたと言って良いかも知れない。
・ しかし読んでみて「後味の良い本を読んだ」という感想とは全く無縁の本であった。逆に「嫌なものに触った」というような感慨を受けた。本を読んでこのように感じさせる本も珍しい。それは何故なんだろう。
・ タイトルの「男道」の表紙デザインも「その面積の90%を占めるあの清原さんの顔」で埋め尽くされているしその「顔つきも怖い感じ」がする。本全体から「恨み、つらみ」が臭って来そうなのである。「じゃあ、どうして手にするのか?」と聞かれても困るのであるがやはり「清原という人物」に「興味なり、関心」があったとしか考えられない。
・ 新聞の下段に大きな広告欄があり、発行元の幻冬舎の作戦なんだろうが「強烈に文中の一文を」載せて読者の関心を引き寄せようとしている。本には「波乱万丈の野球人生を振り返る、最初で最後に自叙伝」とある。
・ 新聞の広告記事は以下のようなものだ。(仮名使いなどそのまま)
 “神宮外苑の並木道にクルマを停めて、ハンドルにつっぷして泣いた。僕だって覚悟はしていたのだ。最後くらいは平和的に握手をして別れたかった。9年の間には、僕の方だって迷惑をかけたこともあったし、お世話になったこともたくさんあるのだ。結論は解雇でも「9年間よくやってくれた」と感謝して別れるくらいの思いやりがなぜ持てないのか。・・・”
・ 巨人から2005年8月に「来季、君とは契約しないから。で、なんかある?」と言われた後の彼の行動を自ら記述したものだ。“この9年間の苦闘は何だったのか。高校時代につけられた心臓の古傷に、なぜ又錆びたナイフの刃を差し込むのか。”とまで書いている。
・ この本で「私が特筆する場所」は以下の部分だ。ここに「清原和博という野球人の全てが凝縮」されている。おそらくゴーストライターが本人からので聞き語りを文章にしたものだろうが、ここがポイントである。
どうして巨人は最後の最後まで僕を痛めつけようとするのか。組織というのはそんな冷酷なものなのか。僕の野球人生は恨みで始まって恨みで終わるのか。”
・ 清原さんというという岸和田生まれの、並みの日本人男性の平均体格から外れた「大男」は小学校4年生でリトルリーグに入り野球を始め、PL学園時代は桑田と組んで5度の甲子園出場を果たした。
・ 本人が書いているように「自分が勝手に思い込んでいた巨人行き」をチームメイトの桑田にさらわれて(?)から彼の「」というか「」の人生が西武、巨人、オリックスとプロ野球23年間続くことになる。この間タイトルは一つも取れていないが「スター」であったことは間違いない。
・ 私は清原選手時代も含めて「ファン」ではないが別に「嫌い」でもないし、ただテレビでやる「清原物語」とかはたまたま見たり、週刊誌を騒がしたゴシップめいた銀座の女性との子ども認知騒動とか、23年間に24台の外車を買った話とか、よくある芸能人の類の「騒動の多い人間」であるくらいは思っていた。
・ 今年頂いたある塾の経営者の年賀状には、縁戚関係もないのに「キヨ。カッコ良かった。私もキヨのようにカッコよく今年も決めたい」と書いていたのは今更ながら驚いたものだった。未だに「どこがカッコよいの?」というのが私の偽らざる気持ちだ。恐らく清原ファンの神経を逆なでするかも知れないがこういう「清原人物論」を有する人間も世の中にはいるのである。
・ この本から私は完全に清原和博氏という人間の有する「社会的視点」が私が想像していたものと全く間違っていなかったと確信した。「単純思考」であり、「複層的思考の拡大」が全くもって不得手である。
・ 彼の思考構造は「余りにも人間関係論で物事の決着をつけるのが主体」である。もうこれはこの本の随所に現れる。彼は長淵剛の「トンボ」という歌がとても好きみたいで桑田との関係、王監督、人生の節目に長淵氏、勿論亡くなられた仰木氏など本に登場する人物は極めて多い。「男の一生にこれほど他人が関与」するだろうか。そこが私の疑問なのである。
・ 彼は「義理人情の世界」で生きる「仁侠映画」の主役みたいな感じがした。本の最後の方に尊敬する王監督から「人生には思い通りにならないこともあるんだよ」とハワイで言われたらしいのだが、その時は心のどこかにこだわりが邪魔をして王さんの気持ちが僕の心の底には届かなかったと正直に告白している。
・ そうなのである。王さんは良いことを言われた。しかし彼は人生は自分の思うようにいくと思っていたのではないか。「自分はこれくらい一生懸命思っている。貴方のことを考えている」だ。それは清原氏自身が他人に気を使い、細かい神経を有し、友人に尽くし、親孝行であり、「思い込み」で一生懸命するだけに思うようにならないときに怒りの対象を自己以外に求め「何でやねん」と成るのではないか。
・ 「巨人への恨みがあのピアス」になったと言うが本当だろうか。あの金髪や突然の丸坊主も巨人への恨みなのかそれは書いていなかった。私は「はけ口と存在感の誇示」だと見ている。とにかく気持ちを「内に秘めておく」ことが出来ないのかも知れない人間だと私には見える。
・ 「愛憎」という言葉があるようにこのような人物は徹底的に「面倒をみるという男気」に満ち溢れているがひとたび「裏切られたりすると」極端に「怨み」の世界に沈溺する。その恨みが「自身のエネルギー」となるのだ。
・ 従って清原氏を知っている人間は「徹底的に見た目、清原さんを尊敬しているかそのようなふりをしている。」のではないだろうか。逆らって「逆襲、復讐を恐れているのだ」と思う。即ち利害関係の遠いところで無難に付き合っておれば良いと考えるのだ。
・ ところが清原氏は「親分子分の関係」「義理人情」の関係を重要視する。大体ドラフト制度や巨人軍のやり方などは「冷徹な組織の論理」そのもので長島を切り、王を切り、金田を切り、張本を切り、原を一方的に切ってきた大企業そのものの論理で動いてきた冷徹な組織中の組織なのである。
・ 岸和田という田舎町に住むPLの清原など巨人からすれば関係ない。「客を呼べ、勝負に勝つ為に必要か否か」だけが巨人の判断基準でそのためなら「裏技」で「江川を取ったり」「「桑田を取ったり」することは平気な組織なのである。
・ 惜しむらくは清原さんはFA宣言した時に阪神の吉田監督が「縦じまを横じまにしてまでも」と要望されながら心の奥底にある巨人への「怨み」の対象そのものに「身を売った」ことに全ての結末があるように感じられてならない。阪神に移籍して「巨人をやっつけたる!」としておれば偉大なる「大阪岸和田だんじり男」として何時までも耀きを放ったのではないか。
・ しかし私は思った。17歳の高校生が受けた人生最初の挫折がこのように中年男になるまで生き続けることの「怖さと人間心理の複雑」さだ。彼も書いているように1年で普通のサラリーマンが一生かけて稼ぐ年俸を得ていてもだ。
・ 清原さんも、昨日復活した朝青龍も「人間二つのタイプ」に分けるとしたら間違いなく同類項である。清原に常に対峙してきた桑田や横綱白鳳はまた同類項であろう。このように言う私も年上ではあるが完全に「清原タイプ」であり、この本を読んで今更ながら清原氏の気持ちと言動論理が分かるのである。
・ これだけの男が晩節にこれだけの苦しみを残し、それを公的に明らかにしただけに、今私は自分の身を「投射」させて思いを致しているのだ。この本を読んで「清原万歳」と声を上げるような人がいるだろうか。そこが悲しい。
・ 又ここまで書く必要もなかろうにとも思う。自らが古傷をいじくりまわしているのだ。何億円も年俸を貰い、9年間もお世話にもなった巨人軍だろう。私は時に男は黙って墓場まで心の中を持っていくのも「大事な男の覚悟」と考えているのだ。王さんではないが「人生は思うようにはいかないんだよ」と。逆に思うように行く方が少ない。あれだけのファンに愛されてそれだけでも普通の人には叶わないことなんだと。

2009年1月25日日曜日

1月25日(日)二つの復活物語

・ 「渋井陽子が復活」した。これは素晴らしい。心から祝福だ。しかし最近のマラソン実況中継は昔と様相を完全に事にする。単なるスポーツ中継が一つの「ドラマ仕立て」である。「感動物語」というわけだ。
・ 今日は「大阪国際女子マラソン」の日である。毎年私は長居陸上競技場あたりに観に行くが今日は寒い、寒い。些か疲れもあって珍しくどこも出掛けずに自宅でテレビ観戦である。
・ 今日のドラマの筋たては「渋井陽子」がどうなるか、ママさんランナー赤羽由紀子の初マラソンがどうなるか、小出門下になった脇田茜の初マラソンと言ったところだが、何と言っても渋井が復活するかどうかであった。
・ 渋井は5年前にここ大阪で鮮烈なデビューを飾った。初マラソンで新記録のタイムを出して優勝し「女子マラソン界の星」となったがその後が出るたびに脱落、特に30キロ以後は「急ブレーキの渋井」で出る試合、出る試合で惨敗の連続。
・ 特に今回は2ヶ月前の東京マラソンでも失敗で、それから2ヶ月しか経過していないから「無謀」とかなんとか新聞やマスコミは批評していたが結果は今日の「ダントツの優勝」であった。マラソン界で2ヶ月で大きな大会に連続出場というのはないらしい。
・ 関テレの実況中継、何時ものようにマラソン中継は小倉智昭でサブはQちゃんこと高橋尚子さんだった。もう小倉などは涙声で「渋井賛歌」だ。35キロ過ぎからはテレビ中継のアナウンサーも「生まれ変わった渋井」「復活渋井」「女王渋井」言葉を尽くして賞賛の嵐だ。
・ タイムも2時間23分42秒だからまあ悪くは無い。ここは素直に復活を喜びたい。しかし渋井は鮮烈デビューの頃の顔の方が良かった。目を「ふたかわ」に整形手術し何かを入れて頬を膨らませてから調子が悪くなったと私は想像している。
・ 「アスリート」が見た目にこだわってはいけない。「プロ野球の清原」も男のくせに金髪やピアスをしてからおかしくなったと私は思っている。スポーツ選手は見た目ではなくて「記録」だ。だから今日もテレビ写りは良くない。ふたかわの目がおかしいのだ。しかし今日で「乗り越えた」ということだろう。
・ 元々吉本流の「元気印なキャラ」が売りで、ここ数年落ち込んでいたが今日は「素質の片鱗」を垣間見せた。勝って小倉のアナウンス部屋に入ったら勝利の月桂冠を外し、茶染めの髪を見せて耳のしたタブではないうわたぶにピカッとしたピアスを光らせていたな。
・ 私は「マラソン」が大好きで見逃さないのだが今日も良い「物語」を観戦した。女子マラソン界は人材の層が厚い。有森裕子、高橋尚子、野口みずえ、渋井陽子と次から次と「スター誕生」だ。当面「渋井物語が続く」ぞ。それに比べて男子はだらしない。
・ それにしてもマラソン監督というのは「ひげを生やす」のか。渋井の鈴木監督は鼻ひげ、2位の赤羽の夫でコーチの旦那はもみあげからあごまで、そして9位に終わったが脇田の小出監督は赤ら顔で「顔中ひげもじゃ」だ。
・ 私には「分からない謎」である。顔にひげを生やしたら選手は強くなるのか。本校の教職員が強くなってくれるのから私もひげを生やしても良いが、保証がなければひげなど生やしておられるか。
・ しかし昨夜の前夜祭から今までのテレビで印象に残ったシーンは二つある。一つは小出監督だ。この高橋尚子を潰した「ひげもじゃのおっさん」は「単なるアル中男」だということが分かった。佐倉アスリートクラブの選手との夕食の場面で上手そうにビールを何本も飲んでいたな。あれであの赤ら顔の理由が分かった。「けしからん男」だ。何が名伯楽だ。生徒との食事で監督がビールを旨そうに飲むか?
・ もう一つはママさんランナーの赤羽だ。渋井は長居競技場に戻った瞬間、サングラスを捨てた。整形したふたかわの目が「カッコ良」見るように捨てたのだ。ところが2位で帰ってきた赤羽は捨てずに手に持ってゴールだ。「勿体無い」と思ったのだろう。「主婦らしく次回も使える」と判断したのではないか。私は二人の生活と性格が分かって思わず「にんまり」としたのだ。

・ 「朝青龍復活」である。土俵上白鵬を送り出した後、髪は乱れ土俵上から周囲を睨みつけていたが、目は潤んでいた。「どうだ。見たか!」と言ったところだろう。8年ぶりの横綱同士の優勝決定戦、頭を付け左をしっかりと引きつけ完勝だった。
・ しかし今まで朝青龍を批判してきた連中に「ふざけるな」と言いたい。相撲関係者も多くの相撲ファンもここまでやるかと言うくらいに「朝青龍を痛めつけた」くせにここ2,3日は「朝青龍賛歌」である。
・ どこか朝青龍の問題なのか。あの「気合と気力」を見習え。3場所休場して「もう終わり」「早く引退せよ」とか何とか冗談ではない。「格闘技のチャンピオン」だ。「気力を全面に出す」のは当たり前だ。時間があればモンゴルにも帰りたいだろう。彼の故郷ではないか。帰ったって良いではないか。
・ 場所前「殺す」と書き込まれて「殺すなら殺してみろ」というのは当たり前ではないか。どこに「横綱の品格」に問題があるというのか。「まず勝って何ぼの勝負の世界」に生きる人間だ。まずここを抑えないといけない。市中の民間人ではないのだ。一般社会の常識をそのまま当て嵌めてはいけない。
・ 大体あの内館牧子とか何とか言う女性の評論家、「親の敵」みたいに「バッシングを続けた」。許せない女だ。早くブラウン管から消えろ。本割では「フワッ」と立って簡単に押し出されたが決定戦は完全に「戦法を変えて」勝った。彼は「頭が良い」と思った。堂々の勝ちだ。
・ 人気低迷の麻生総理が賜杯を渡していたが「お笑い種」だった。「見え見え」であった。東京国技館の観客は「白鵬、はくほう」の声がこだまする中で朝青龍の掛け声は少なくアナウンサーによれば「混じっています」と言っていた。「狂気に似た気合」とまで言っていたな。許せないアナウンサーだ。
・ 確かに白鵬は静かな立派な横綱である。不平不満は一切無い。しかし23回も優勝し国技を一人で朝青龍は引っ張ってきた男だ。「違ったタイプが居てよいではないか」。無茶苦茶な「朝青龍叩き」は許さない。私は土俵上で辺りを睥睨し廻しを「バーン」とたたいて、左上を真上に上げ塩を振りながら顔を引き締める「朝青龍が大好き」だ。
・ 「帰ってきた大横綱 朝青龍」を3月大阪場所に見に行く積りだ。昨年の3月大阪場所も白鵬を千秋楽に破って優勝だった。しかし今日は二人の復活劇を見て良かった。「体が火照って仕方がない」ので夕方6時から「ウォーキング」して「クールダウン」した。
・ 問題は「浪速が復活」するかどうかである。「復活の手がかり」は掴んだが「勝負はこれから」だ。1年1年しっかりとやるべきことをして平成26年に「新校舎建設で復活」と言える。この道をふさぐ者は容赦はしない。「土俵上から押し出す」のみだ。

2009年1月24日土曜日

1月24日(土)授業参観日

・ 本日は「浪速中学入試2次試験の合格発表」があった。これで「本年度の中学入試は全て終わった」ことになる。人数も偏差値も言うことはない。十分満足している。「大切に、大切に」育てていかねばならない。改めて「決意」を固める。
・ 高校の方も「教育相談件数が過去最多記録」となり、来週の26日(月)から「願書受付」が始まる。その結果「受験者数」が固まる。大体教育相談件数からいくらか目減りするのが普通であるが今日現在はやり2508名という大きな数値である。
・ 「専願者の数と併願戻りで新高校1年生の規模が決まる」のであるが「景気後退と公立回帰現象」で昨年と比べて本校も「専願数は減少し併願数は大幅な伸び」となった。昨年同様とすると「中学3クラス高校15クラス」となるが果たして今年は「併願戻り」がどうなるのか、入試広報、管理職、誰に聞いても「答えは返ってこない。」「誰にも分からない数値をじっと3月末まで待つ」のもしんどいよ。
・ 仮に昨年と同じ規模と見たら「不足する教室は6教室」という大きな数になる。これを入学式までに用意しなければならないが、今年はまったく心配はない。生徒減少時に教室を他の目的の変えたものを「元に戻す」ことで足りるのである。
・ しかしこういう時にはその翌年度のことも考えておかねばならない。だから私は「2年のスパン」で検討するように言っているのだ。来年乗り切れば「仮設校舎の心配はしなくてすむ」から、「知恵を出す」必要がある。
・ 「新校舎建設検討チーム」には既に指示している。同時に「高校の教頭も私案」をまとめてくれているみたいだ。両者ドッキングして「良い案」を提案してくれれば良い。昨年食堂を改造してカフェテラスを作った時に「4つの部屋」を作ったがこれが「有効打」になりそうである。
・ 四つのうち、一つは進路指導室、一つは国語と英語の準備室となろう。英語と国語は同室の共同利用だ。その空いたところには「女生徒の更衣室」を持って来るのがベストで、そうすることによって現在の更衣室が「教室に戻る」ことになる。この方が「生徒の動線」が良い。「ぐるぐる回し」なのである。
・ しかし「ギリギリの綱渡り」であることは間違いない。教職員が「お互い不便を分かち合う」ことが大切だ。数年の辛抱である。しかし「生徒の為の空間」はケチってはいけない。あくまで「生徒最優先で対応する必要」がある。

・ 朝一番に事務の担当から「授業料滞納者一覧」の報告を受ける。高校3年生でまだ10名、中学3年生で2名の滞納者がいる。高校は2月28日には卒業式だから時間的余裕はない。何としても「支払って貰わない」と私立学校はやって行けない。
・ 来週1月28日が「引き落とし日」だからこれが最終確認日となる。入金されておれば良いがこれが確認できない場合は「自宅訪問などして督促」をする。事務と担任の共同歩調が必要だ。私からは「絶対に入金して頂くようにお願いしなさい」と今までも厳命し、対応してきたが最後のトライとなる。
・ 万が一、入金が成されない時は「卒業式への参列は認めるが卒業証書は授与されない」と本校では決めているので「その事もご説明する」ように言っている。私学だから授業料を支払って頂かないと経営など出来ないし、適切に支払っていただいている生徒保護者に申し訳が立たない。
・ そうしていたら昨年高校2年の3学期に「進路変更した生徒(自主退学)」から「高校1年生の成績証明書を出して欲しい」と電話があったそうだ。この生徒は2年の時の授業料が未納のままである。これは内規により「証明書は出せません」とお答えしたとのこと。「分かりました。未納分を納めます。」と答えたそうだ。34万円という小さな金額ではないから果たして納めて頂けるのか。

・ 過日のブログで子ども3人のご家庭で3人全てが本校に「同時在籍」するという珍しいケースについて記したが、たとえ1年間と言えども授業料が3人分で180万円というのは「しんどい」と思うし、このように「浪速の教育を信頼」してくれる保護者のことを考えて「授業料の減額を検討」した。一人分だけをを60万円から40万円に減額するのだ。
・ 「特待生制度の見直し」である。元々兄弟姉妹同時在籍は「入学金免除」という制度はあるのだが今回は3人の場合である。私からこの保護者のお気持ちにお応えして決めたものだ。このように「サービスできるところはする」との姿勢は有している積りである。

・ 本日は中学高校の「授業参観日」である。「学校公開」の一貫で、今年から始めたものである。高校は3年生はもう授業をしていないので高校は1.2年だけである。土曜日と言ってもご家庭ではお母さんも何らかのお仕事や用事があるために出席率は高いとは言えないが「学校の透明性を高める」狙いと「共に学校を良くしていくという心持」を有して貰いたいと考えたものだ。
・ やはり「中学校の参加率が高い」。半分近い。高校は1年生が当然のこととして高いが中学よりは低い。やり方は1限~4限までの間に何時来ても良いように自由にしておりその後職員室に言って担任と相談したりするのは大歓迎である。このようにして保護者を出来るだけ「学校に来て頂く機会を増やす」ようにしなければならない。
・ 中学をグルッと廻ってみたが保護者は熱心に参観されていた。プリント教材は教室の入口にコピーを置いて教室に入るときに取ってもらうようにしているのは大変良かった。中学1年生などはまだ「子ども、子ども」しているので校長が教室に入ると瞬間は「ざわざわ」するが、私が「指を口に寄せてシーッ」とするとその後「静かになる」。どのクラスもそうだった。
・ 今私の頭にあるのは来年度は「塾の先生方への授業公開」だ。これほど私立校が塾と連携しているのであれば当然塾関係者に学校公開をする必要があるのではないかと思うのだ。新しい図書研修部長が検討して呉れるだろう。

・ 今日は今から「高校10期生の新年会」とかで招待を受けている。大阪で多くの店舗を有する有名な「祇園寿司」の社長は本校OBで何時も母校を応援して頂いている。先に作った学校紹介DVDを持参して皆さんに見て貰う積りだ。土曜日も今日みたいに3時頃に帰宅できれば少し体が楽になる。

2009年1月23日金曜日

1月23日(金)為替レートと学校

・ 昨日からテレビでは「ソニーの赤字転落」を頻繁に報道していたが今朝の朝刊各紙も当然のこととして一面に大きくソニーの不振を掲載している。正直「ソニーよ、お前もか?」という気分になる。「世界のソニー」が大不振だ。
・ 先には「トヨタ自動車の赤字転落」を「これでもか、これでもか」と報じていたが、これで「もう一方の雄であるソニー」までとなると確かに「景気の酷さ」を実感する。日本の超優良企業で世界ブランドの会社を「二つ挙げよ」と言われたらまず誰でも自動車のトヨタと電機のソニーを上げるほど、「この2企業は日本を代表する企業」である。
・ 経済評論家でもないし経済アナリストでもないから専門的な分析はできないが、それでもその昔、「鉄鋼業」に勤めていたときは「為替レート」の動きには習慣的に目がいき、「1円のレートの動きにも敏感」であったものだ。
・ 大体サラリーマンは「日本経済新聞」を「なめるように読む」ようになると「一人前」と言われ私も日経は角から角まで目を通すことはもう「癖」になっていた。日経に加えて大手4紙から1紙読むというのが「毎日のパターン」であった。
・ ところが「企業界から教育界」に転じて8年目ともなると徐々に為替レートなどに「疎遠」になることは分かっているのだが、「感覚が遠のいて」いくのに驚く。毎日生徒と先生と接しているから直接的には為替レートには無関係になってくるのだ。しかし私の気持ちは複雑である。「ノスタルジー」があるのだろう。
・ そうなのである。「学校は為替レートから最も遠い存在」である。「関係ない」と言ったほうが良いかも知れない。このように昔は教育論文など書いたものだった。確かに日常の仕事の中で為替レートの変動は教師の仕事と直接的には関係がない。
・ しかし今日東大阪の中小企業と言えども大手の下請けなり請負で「為替レートと無縁の会社は存在しない」。中国製品と戦っている国産品を作っている会社もある。世界中が貿易という血液循環で結ばれているからアメリカに端を発した「金融危機」が世界の隅々まで「アッ」という間に広がってしまうのが世界の経済なのである。「世界同時不況」が当然起こり得て当然なのである。
・ そのような状況から、先ほど学校は為替レートに無関係と書いたが最近は「その見方は間違っている」と考えるようになった。適切に言えば廻り回って「為替レートは教師や生徒に影響」と言った方が良いかも知れない。自営業、勤労者いずれにしても保護者世帯に為替レートはその「家計を直撃」するのである。従って今回の生徒募集に見られるように不景気になれば「公立回帰」が起こり大学選択も「安・近・少」となるのである。
・ 問題は「教員の意識」であり、「為替レートが自分の給与に直結している」と感じる教員は少ないのではないか。私の経験と観察でそのように思う。「自分には関係ない世界」と感じているならそれは間違っているのである。
・ それでも海外旅行が好きな教員は為替レートについては少しは敏感であるがトヨタやソニーや原材料を輸入している鉄鋼業などは「必殺パンチ」となって襲い掛かってくるのだ。今回の急激な業績悪化は間違いなく「為替レート円高」局面での「ハンマーパンチ」であると私は思う。
・ 特に「電機業界の不振」はこれに間違いない。「派遣切り」は昨年12月初めに東芝とキャノンが九州工場の半導体関連で非正規雇用者の削減に踏み切ったのが序章で、その後直ぐソニーは国内工場を軸に8000人の正社員、同規模の非正規社員の「首切り」をアナウンスした。これは「社会に大きな衝撃を与えた」。
・ 新聞記事をスクラップしているから分かるのだが、その6日後にはシャープが三重工場、天理工場の液晶製造ラインを閉鎖し亀山工場に集約することを決めている。即ち先を争うように日本を代表する大手電気メーカーが「リストラ」を始めているのである。派遣切りは非正規社員の話ではなくて今後「正規社員のリストラ」が本格的に始まると考えて良い。
・ 自動車業界はそれでもまだ世界市場の中で「比較優位」のポジションはキープしているからまだ救える。ただ不景気で車を変える購買力が低下したからだが、今後「小型車」や「ハイブリッドカー」など技術開発力は抜きん出ているから「しばらくの辛抱」で何とか成るかもしれない。
・ 問題は電機業界だ。電機業界はバブル崩壊後の経済立ち直りの過程で「技術流出を避けるためには国内で生産するに限る」と一斉に「」を切ったのである。シャープの亀山や堺新工場など見れば分かる。「国内で囲い込み」をしたということである。
・ コストを下げるためには社員を抑え、「徹底的に派遣社員化」を進めたのが現在の実態である。これで「儲けに儲けた」のであるが、円が120円台から80円台になった瞬間に「利益はすべて吹っ飛んだ」のである。
・ 「円安バブル」で稼いでいた「砂上の楼閣の利益」は「円高」に触れた途端、一瞬にして競争力を失ったのである。基本的に輸出産業だからシャープで言えば亀山から世界の各地へ物を運ぶ「輸送コスト」に振り回されているのではないか。ソニーなどは50%が国内生産で輸出比率が80%だからちょっと考えれば分かる話である。
・ そして業績悪化の最初の犠牲者が「派遣社員」である。円高になったのだから「製品価格を値上げします」と言えば「派遣切り」はなかった理屈になるが、そうすれば「国際価格競争力」が中国や韓国に比べて落ちるから当然製品は売れなくなる。
・ 要は「円高の日本国内でモノを作り続けていくため」に何を成すかであるが、今更「中国やインド、ベトナム」に出て行く訳にも行くまい。私の独断と偏見で言えば「給料ダウンの時代」が本格的に始まると言うことである。
・ 非正規社員の首切りが一段落したら次は「正規社員のリストラ」が始まり、それが大きな社会問題となるから「ワークシェア」が本格的に俎上に上る。「給料を下げて皆で仕事を分かち合う」ということではないか。
・ 「製造業の空洞化防止」と言って「派遣業法」まで変えて大手企業に「人切り」を容易にさせる「大企業の品格」まで失わせて国内産業を育成しようとした官民の目論見は見事に崩れ、「路頭に迷い公園で寝泊りする」多くの人を作り出した。その結果「銀行強盗やタクシー強盗」など「社会の不安定」をもたらしたのである。
・ 今共産党の機関紙「赤旗が売れに売れ、部数を伸ばしていると言う。「蟹工船」が読まれ、私は「不気味な世の中が来る足音」を感じるのだ。「勘が良い」のが取柄だと思っているだけにどうも匂いが違ってきている。本当に「先行きを心配」している。
・ 「産業の米と言われた鉄鋼業」で企業戦士として仕事をし、今学校という塀の中で仕事をしているだけに「世の中の微振動」が余計に感じるのである。言いたいことは学校の教職員は「他人事」と思ってはならないということである。苦難にさらされた府民や保護者から「一体学校の先生は何を考えているのか。高い給料を取って」となってはいけない。
・ 今年は何とか「いけそう」であるが「来年の浪速」など誰も分からない。一挙にして「沈没」などは十分あり得る話だ。私は先を読み、じたばたしないように「先手、先手」でここまでやってきた。
・ 少なくとも今までは教職員が「付いて来てくれた」から「今日の浪速」がある。3年前の「惨劇の状況」を忘れてはならない。「地獄のような状態」から抜け出した。しかし問題は「これから」なのである。
・  「人間、楽になってきたら昔の苦しい時代のことをすぐ忘れる」。それでは駄目だ。直ぐ元の木阿弥だ。校務運営委員会のメンバーが3人も朝読書で持ち時間を減らせといってきたようにすぐ「気がゆるみ増長」するのだ。私は心配している。本当にお金を貯めて新校舎を建設する気が教職員にあるのかと。「お金は誰も呉れない。自分たちで稼いでいかねばならない」。
・ 「学校長経営者論」がここ8年くらいの教育界のテーゼであった。これからは「教員一人ひとりが経営者」でなければならない。「私学教員の給料は理事長や理事者が出すものではなく、自分たちで稼ぐもの」と考えねばならない。

2009年1月22日木曜日

1月22日(木)その2:今日はカレーライスの日

・ 本校の「担当教頭で硬式野球部の総監督の小林敬一郎先生」がこの2月28日の卒業式の日を以って27年勤めてくれた本校を退職されることとなった。「お目出度い話」である。小林先生は「浪速野球部を育てて呉れた偉大なる先生」である。「2回も甲子園」に生徒を連れていってくれた、高校野球界では有名な指導者である。
・ この度「京都創成大学」から新しい体育系の学部を作るのでそこの「教官」にと迎えられるものだ。勿論「大学野球の監督」としてチーム強化を期待されている。私は当然慰留した。「浪速の小林」でこの後も副校長や校長の可能性はあるし、「浪速一筋」というのも「男の生き方」だと言ったのだが本人は悩みに悩んで決意を固められた。
・ 私にこう言うのだ。「理事長がビジネスの世界から教育界に転じられたのが55才、私も今丁度55才、人生最後のチャンス」と言うのである。これには「参った」。考えてみれば浪速の教員が大学の教官に迎えられるのは「本校の名誉」であり、「生徒の為にもなる」と私は考えた。
・ それで心より「喜んで送り出す」ことを決めたのである。問題は「生徒にどう伝えるか」であり、本日全野球部員を昼休みに、中庭に集め「伝達」したのであるが、生徒は冷静に聞いてくれていた。恐らく中には「しめしめ、これで京都創成大学に進学しよう」と心で思っているのかもしれない。
・ 小林先生は特にこの2年間生徒生活指導担当の管理職として「大きな仕事」をしてくれた。「功績は極めて大」である。心から御礼申し上げ、今後とも親しく浪速のためにお力添えを頂きたいと思っている。

・ 今日は特別イベントとして「プロバスケットボールチームの大阪エベッサ」の主力選手の「ジャスティン・ノートン選手と仲西淳選手」をお招きして本校の中学生と中高バスケットクラブの選手に模範プレーやお話をお聞きする機会が持てた。
・ 「トップアスリートの学校訪問事業」を利用させていただいたものだが「素晴らしいプレー」と「目標に向かって努力することに大切さ」を生徒に語っていただいて大変喜んでいる。
・ 生徒は目を輝かし食い入るように眺めお話を聞いていた。最後に生徒から選手に質問のコーナーでは「年収は幾らですか」と聞いたのには「ぶったまげた」のである。今後エベッサは浪速の生徒の応援を得ることになっただろう。
・ こういうトップアスリートとの交流は「大きな教育的効果を生むことが実感」できる良い機会であった。この機会を紹介頂いたある府議会の先生に感謝申し上げたい。非常に「礼儀正しい選手ばかり」で最後までその姿勢は崩さなかった。立派でした。

・ 朝一番に事務長補佐が駆け込んでくる。多聞特別ファンドに「関西大学の副学長先生が振込口座に寄付金を振り込んで頂いている」と言うのだ。「驚くと同時に感謝、感激」である。通信欄に「志の実現に向けた大きな一歩に心よりお慶び申しあげます」とあった。「有難うございました。」

・ 某大手旅行会社の支店長と課長が挨拶に見えられた。長い間本校の修学旅行を担当していただいた課長さんが本店にご栄転で後任の課長さんを連れて、ご挨拶に見えられたのだ。このように本校担当のお方が栄進されていくのを見るのは嬉しいものだ。
・ 今年初めて「本校は初の海外修学旅行でオーストラリアに行く」が宜しく支援頼むとお願いした。雑談の中で今最も売れている海外先は「韓国」「グアム」らしい。とにかく安いらしいのだ。

・ 「職員会議」。重要な留意すべき事項を整理してお話して「理解と協力と注意を喚起」した。社会は経済状態で厳しいがその影響はあらゆるところに広がり。私学経営も「いい加減なこと」は許されなくなった。それは「公金がこの学校に投入されている」からである。
・ これを「厳しいとみるか、普通に戻ったかと見るか」だが、答えは簡単だ。「普通に戻っただけの話」である。職場は憩いの場所ではないし休息の場所ではない。「価値ある仕事をして対価を得る普通の職場」である。
・ 今まで多くの新しい先生が「緩い、生ぬるい職場」と言い切ってきたが、それを私は変革してきた。別に世の中がひっくり返るような新しいことをやったわけではない。「普通の当たり前の職場に戻しただけの話」なのである。
・ 教務部長から先に行った「生徒による授業評価」のアンケート分析の概要が報告された。「やって良かった」と評価している。「連続性が必要」だと思う。生徒の多くが「学校が楽しい」と出ておりこの点については喜んでいる。楽しくない比率が高かったら「それこそ大変」であった。

・ 職員会議の後、新年度の「教室手配」について副校長と事務長補佐から中間報告を受ける。「知恵と工夫」で上手いアイデアを出して、「最小限の投資で済むように考えてくれている」が、正直それで「行けるのか」という気持ちもある。
・ 余りにも「余裕が無いアイデア」なのである。それにいずれにしても22年度は完全に不足するのだから21年度と22年度の2年のスパンを考えて「先行手配」も視野に入れながら「再検討」するよう指示をしたのである。

・ 本降りの雨の中を電車で帰る。今日は何故か知らないが「カレーの日」とテレビが言っているので夕食はカレーにした。最もレトルトのカレーとパックの冷凍ご飯を「チン」するだけで食べられるから自宅到着後20分後には食事は終わった。早くて便利な代物だ。味もそう悪くない。

1月22日(木)オバマ大統領誕生

・ 「新しい世界の歴史の1ページ」がめくられた感じがしますね。考えてもみなさい。単なる一国の大統領の交代が、これほどまでに世界に「熱狂、興奮、期待、希望、清新、勇気・・・」みたいなものを与えたのはついぞ珍しいと思いますね。
・ 「米国に黒人大統領が誕生」しました。「バラク・オバマ氏47歳」ですよ。47歳。世界一の国力、軍事力、とにかく一強と言われる国に47歳の大統領が誕生しました。僕は若い頃アメリカで住んでいたことがあるから、この米国民の熱気が伝わってくるような気がするのです。
・ 僕が駐在員としてニューヨークに着任した時はカーターからレーガンに変わった時でした。「レーガンが地すべり的な圧勝」をした時の「ニューヨークっ子」の街頭でのお祭り騒ぎの熱気を今でも覚えています。
・ しかしアメリカと言う国は「凄い国」ですね。「自由と平等」を建国理念に掲げながら奴隷制や有色人種への差別という「原罪」と格闘してきた国です。オバマ大統領自身、就任演説で「つい60年ほど前に地方の食堂で食事をすることさえ許されなかったかもしれない父親を持った男が今最も神聖な宣誓をした」と述べています。
・ 私がニューヨークに駐在したのはもう30年弱前のことですがNY近郊の「名門のゴルフクラブの会員」「JJは駄目」と言う時代でしたよ。「ジューイッシュ:ユダヤ人とジャパニーズ:日本人」の意味ですね。私は差別されました。
・ 180人万人以上の人が集まった首都ワシントンでペンシルベニア通りをホワイトハウスへ向かって歩く大統領夫妻の姿をテレビで見ながら私は「時代の変革」を感じました。
・ ところで世界が注目した「就任演説」でしたが、実感は「地味な抑えたトーン」だったと私は感じました。彼ほど「演説の上手い」政治家は最近では知りません。あの激しい選挙戦を潜り抜けてきた彼の唯一の武器は「演説、話しぶり、トーク」だったと思いますよ。ある大学の先生がコメントを出して「大統領候補から大統領になった演説」と評していましたが「上手いことをいうものです。」
・ 第44代大統領として就任演説で「我々に必要なことは“新時代の責任”だ」と述べています。「What is required of us is a new era of responsibility」ですね。昨日の読売新聞夕刊は「国民に覚悟を問う」との大見出しです。
・ J.F.ケネディの就任演説は余りにも有名で、私もこのレリーフを自宅に飾っていますが「国民が国家に何かを期待する前に貴方方が国家に何をすることが出来るか考えよ」と言う意味でしたが、これと根底では通じていますね。
・ 「Change」、「Yes, we can」を訴えて当選した、新大統領はここで「変革の期待」に沸いている米国民に「責任」というメッセージを込めて「覚悟」を問うているのです。この辺が「素晴らしい」。「責任と覚悟」、私の大好きな言葉です。
・ そして次のキーワードは「米国再生に着手」だと言っています。「Starting today, we must pick ourselves up , dust ourselves off , and begin again the work of remaking America. 」と表現しています。それにしても分かり易い英語でこれなら本校の中学生にも分かる単語の羅列ですね。人種の坩堝と言われている米国ならでは配慮だとおもいますね。
・ 「今日から我々は立ち上がり、ほこりを払って、米国再生の仕事に着手しなければならない」と訴えています。“ほこりを払え”などとは面白い。「古い意識を変えて仕事をしろ」と言っているのです。
・ そして大統領は「融和と平和」について語っています。「For the world has changed. And we must change with it. 」です。「世界は変わった。だから我々も世界と共に変わらねばならない。」私も言い続けてきました。「浪速は変わった。だから教員も浪速と共に変わらねばならない」と。
・ 圧巻は次のフレーズです。「Our success depends (upon) honesty and hard work, courage and fair play tolerance, and curiosity loyalty and patriotism 」です。
我々の成功は誠実、勤勉、勇気、公正、寛容、好奇心、忠誠心、愛国心にかかっている」と言うのです。
・ 「浪速の成功は教員の自らの仕事に対する誠実、勤勉、勇気、公正、寛容、好奇心、愛校心にかかっている」と僕も言いたい。最も僕も寛容の精神は少し欠けていることを常々反省していますがね。
・ 新大統領は経済情勢では「大胆で迅速な行動が必要」と訴え、その具体策として「太陽や風力や地力を活用すると述べ環境問題に真正面に取り組む姿勢」を明らかにしました。「グリーン・ニューディール」政策です。景気対策で「定額給付金をばら撒く」日本の政治とこういうところが違う。
・ 今はご祝儀相場で「歴史に学ぶ改革者」と言われていますが見るからに「頭脳明晰な感じ」がします。最後はやはり「頭の中身」なんだというのも事実ですね。日本のテレビなどマスコミまでもが極めて「好意的な扱い」に驚きます。麻生総理に対するものとは大きな違いですね。
・ 僕も当面はオバマ大統領に大いに期待したいと思います。しかし同時に彼が民主党員であるから徐々に「社会民主的」な味わいを出してくるものと予想されます。「日本との関係」も徐々に変わってくるのではないでしょうか。この点を心配しています。日本の頭越しに中国との関係が進むと世界秩序は大きく変わってくるだろう。私は「取り残された日本」となることを心配しています。
・ しかしアメリカに比べて日本の政治の「体たらく」はどうですか。「定額給付金」「消費税問題」とか建前は良いが言ってみれば党利党略で国民不在の茶番劇です。どうでも良いようなことばかりに国会で論争しており、全く持って論評する言葉もありません。「脳死状態」ですね。
・ しかしオバマ大統領47歳、大阪の橋下知事37歳、世界のトヨタ自動車の新社長が52歳、もう「若いがゆえに駄目」という時代ではなくなってきました。中央政治を牛耳っているのは皆70代以上の「クソ爺」ばかりです。若い優秀な政治家の登場を期待したいですね。各言う私も年寄りですが引き際だけは誤りたくないとつくづくと感じています。

2009年1月21日水曜日

1月21日(水)第二回進路希望調査結果の発表

・ 朝、新聞に目を通した後、「入試広報室」に出向く。そして私が述べたことはメンバーの「20年度活動の慰労」と「21年度のキーワードとしての謙虚の言葉」だ。この言葉しかない。敢えて付け加えれば「誠実」だと思う。頭を低くし保護者、公立の先生方、塾の先生方に「お礼」を申し上げ、「謙虚と誠実」で21年度も頑張るように私自身にも入試広報室のメンバーにも言い聞かせたのである。
・ 各紙一斉に「平成21年度入試第2回大阪府進路希望調査」の結果を記事にしている。昨年が1月19日だったから今年は2日遅れである。公立、私立ともに生徒の志願先が数値で出ておりこれをみれば「各校の状態が一目瞭然」である。
・ 大阪の場合、これらの数値に奈良県や和歌山県の希望者が加わるしこの調査タイミングのあとまだまだ動きがあるので新聞の数値は途中経過のものだ。例えば「本校は専願併願合わせて2415名となっているが手元の今日現在の数値は2500名を超えている」。
・ 又これらの数値は進路相談の数値で実際に願書を提出した数値ではない。まだ変化はあるが一応大きな山場を越えたというところである。中高一貫校は高校での外部入学は制限されるし。最初から定員が少ないところもあり、今日の新聞発表の数値で「学校の実力」など図れるものではない。しかし一部の学校を除いて一応「専願数値と併願数値の合計数値は人気度を示す」といっても間違いではなかろう。
・ さて今日の新聞数値で言えば「浪速、断トツのトップ」である。「群を抜いている」とはこういうことである。20年度が同じタイミングで2090人であったが今年21年度は2415名である。「倍率が昨年は5.7倍が今年は6.58倍」となった。私学平均が2.54倍だから如何に凄い数値だと言うことが分かる。
・ 新聞各紙は揃って「私立髙 専願者11%減」と書き、「大阪助成カット影響も」との見出しである。専願率が15.69%と過去最低であった。本校も専願数は減少している。この春公立中学を卒業見込みの生徒7万654人のうち、私立高の専願者は101086人で全年度より1404人の減少だ。
・ 一方で「公立の人気」は高まり、前期日程の平均競争率は1.41倍と昨年の1.32倍を軽く超えている。「景気低迷」のほか「橋下改革での私学助成削減の影響」で本校も含めて「半数以上の学校が授業料を値上げ」したことが影響しているとの記事である。しかし本校も相当授業料を上げさせて頂いたが・・・。
・ 府公立中学校校長会は「保護者の経済状況によって進路を変更せざるを得ない生徒がいる」とコメントを出している。ただ私はそれだけではなくて橋下知事の教育改革メッセージが力強く生徒保護者に伝わり、「公立高校への期待」が高まったことも要因であろう。
・ 各校別に見て見ると際立った特長がある。専願はいずれも減少しているが併願数値でも格差が大きい。専願+併願の合計数値で比較してみる。

   浪速(2415)、大阪学芸(1964)、常翔学園(1729)
   大阪産業大学付属(1713)、大阪商業大学堺(1711)、大阪(1671)
   四条畷学園(1562)、桃山学院(1535)、近畿大学付属(1442)
   清明学院(1337) 以上がトップ10である。
・ 清明学院さんの健闘が目立つがここは授業料を上げず府内最低レベルの授業料を標榜する経営戦略であり、昨年の991名から大きな伸びを示した。「学校の姿勢が府民に支持」されたのだろうと思う。
・ 男子校では「興国」さん、女子校では「堺女子」さんが何時ものように頑張っており、大阪国際滝井高が伸びている。興国、堺女子の実務経営責任者は女性の先生で創業者のお嬢さんである。遂この前にある会合でご一緒になり食事を共にしたところだが「とにかく若いし発想が柔軟で行動派」であることは間違いない。「塾関係者の評判がすこぶる良い」。だからこういう数値を出せる。
・ それにしても「女子校の厳しさは予想以上」だ。定員に満たないところが多い。ある学校などは90名の外部募集に専願併願合わせて42名と言うところもある。又某大学のグループ入りして冠に大学名を付け、学校名を変えても240名の募集に対して専併2コースで42名だから、これはもう他人事ながら教室が成り立っていかないのではないか心配になる。
・ 今回分かったことは「大学名を付けても」すぐに大きな効果は期待できないということだ。それはそうだろう。鳴り物入りの早稲田摂陵さんは印刷ミスではないかと思うくらいだ。外部募集275名になんと33名だからこれは何かの間違いに違いない。
・ 初芝立命館さんも本校と同じ400名の募集で535名だからどうなんだろう。最も1.5次や2次もあるからまだ分からないが、強力なブランド力である立命館大学、近畿大学、早稲田大学の名前だけではどうも「アッピール力」に欠けるということか。
・ 入試広報室はこの新聞記事を見ながら「喧々諤々」議論をしていた。彼らは「脚で情報をかき集めている」から時に生々しいくらいの情報を有している。彼らは言う。「学校全体の求心力が勝負」だと。「トップの姿勢こそ重要」と強調する。
・ 「学校全体が一枚岩」になって、それを入試広報のメンバーが代表して「学校広報の責務」を負っているという意識を持ってくれているのが嬉しい。塾などに赴き、「学校内部のことをあれこれ悪口」を言ったりするような学校もあるらしいが、本校はまさに「誠意」を持って「チームワーク」でメンバーが広報活動に当たってくれているからこのような結果が出たのである。私はそのように思っている。
・ 昨年は「科・コースを全面的に見直し、SS(理数科)。Ⅰ類、Ⅱ類、Ⅲ類と初めての募集」であり相当心配したが「改革2年目の今年もこのような数値を府民の方々から頂いた」。「浪速改革の第二章」は取り合えず「順調な路線上にある」ことが確認できたことで、私は正直「ホッ」としているのだ。
・ 断トツのトップで2400名を超えて2位との差が500人近くもある状況に「うぬぼれてはいけない」。謙虚に誠実にだ。「大切なことは生徒を集めることではない。選択して本校に入学してくれた生徒に何を与えるか」と言うことである。
・ 「 理数科とⅠ類に関して1.5次募集をすることを管理職朝会で決定」した。これ以上に未だ要るのかとブーイングを受けそうだが、必要だ。日程は今後早急に入試広報室が決めるだろう。さて「志願者の数値は抑えた。」しかし本当の問題はこれからで「併願戻りが幾らになるか」である。併願者から実際に何名来てくれるかという問題である。
・ 併願戻りについては公立回帰の現象の中で「例年並みか例年以下か」さっぱり分からないのが実情である。それは「3月24日(火)の公立高校合格発表日」まで分からない。その日まで「私立高の辛抱の日々」が続く。教員手配も教室用意もそれからだ。しかしそれでも「一安心」できる。「良かったー」。数が少なかったらそれこそ大変だった。「良かったー」。

2009年1月20日火曜日

1月20日(火)その2:東京都君が代問題

・ 「君が代不起立の元教諭、都の再雇用拒否 違法」との東京地裁判決が出た。20日の朝刊各紙の扱いは小さいながらも以上のような記事にしている。驚いたのは「実名入り報道」だ。新聞各紙もこの人と同じく覚悟した行為なのだろう。
・ 「卒業式の君が代斉唱時の不起立」を理由に「再雇用を拒否」されたのは「違憲違法」だとして元東京都立高教諭の申谷雄二さん(62)が都に賠償などを求めた訴訟で東京地裁は19日約210万円の支払いを命じたとある。渡辺弘裁判長は「不起立をあまりに強調する一方、他の事情を一切顧みず著しく合理性を欠く」と判断したのである。
・ しかしおかしな判決だ。とにかくこの季節になると「卒業式の国歌斉唱国旗掲揚問題が日本の学校にうごめきだす」。こんな国はあるまい。同種の訴訟騒動では都側の勝訴が07年6月に、敗訴が08年2月に出されているがいずれも「控訴審審理中」である。お互いが一歩も譲らない確信犯的行動なのである。都教委も簡単には引き下がれないのだろう。
・ 判決によると申谷さんは都立南葛飾高校に勤務していた04年3月の卒業式で君が代斉唱時に「起立せず」戒告処分を受けた。公立の教員は定年になっても再雇用制度があり、希望者の殆どが「非常勤で再雇用」されていたが、この人は07年3月の退職時に「不合格」となったのである。
・ 判決は「都教委の判断は制度の趣旨や従来の採用判断のあり方からも大きく逸脱している」と指摘している。要は「再雇用の拒否は裁量権の乱用で違法」としたのである。従って再雇用したものとして報酬1年分の210万円の支払を命じたのだ。
・ しかし同時に君が代斉唱時の起立を命じた「校長の職務命令自体は合憲」として再雇用を求める「訴えは却下」というから分かり憎い判決だ。言ってみれば「校長職務命令は正しいが、事を荒立てず、まあ1年分の給与くらいは払って手仕舞いにしたら。」と言ったところか。

・ しかしおかしな話だ。「私が裁判長」なら以下のように判決する。

 「主文:原告の訴えを全面的に棄却する
判決理由:公立学校の教職員はまず公務員として採用された時点で提出した日本国憲法を守ると言う責務がある。これは法治国家として法令を遵守するということである。法令である学習指導要領や教育委員会から通達された法的根拠として明確に規定された卒業式の国旗掲揚国歌斉唱に成長発達過程にある生徒の見ている眼前で起立しないとう行為は公立教員に禁止されている政治イデオロギーの学校現場への持ち込みと見られても仕方がない。
  原告の要求する憲法に規定された思想信条の自由とは当然保護されるものであるが公教育に携わる立場の教員にあっては時に「内心の自由」にとどめるべき場合もあってしかるべきである。原告は自分の給与の原資たる税金の納税者たる保護者の前でかかる行動をかたくなに取るが、保護者の中には原告と同じ考えを有しない人が居るだろうし同じような考えを有する人もいるかもしれない。しかし参列した保護者は原告のような行動を取っていない。即ち「内心の自由」にとどめているのである。
  原告はどうしても自分は起立ができないと言うことであれば式場内に入室しないと言う手もあったし、国歌斉唱が終わってから入室する考えもあった筈である。そういう行動を取らず万座の前で不起立を通すと言うことは明らかに成長段階にある生徒に対する政治的示威行動であると見做されても仕方がない。
  原告はかかる騒動を起こしているにも関わらず、定年退職後に引き続いて「再雇用」を望んだと言うことであるがこれは社会的常識を大いに逸脱していると一般的には解される。そのような教育現場で混乱や問題を与えようとする教員を「継続して雇用」する組織など一般的に世の中にはないと考えるのが普通であり、かかる騒動を起こした上にその職に留まりたいと言うのは非常識であって、原告は少なくとも原告の取った行動の結果責任として自ら再雇用を望むのが不自然と感じるべきと考える。
学校社会と言えども一つの組織であり不起立によって被告は満足したであろうが厳粛であるべき卒業式を混乱に落としいれ、多くの参列者に不愉快な思いをさせたと言うことにも考えを及ばせて欲しいと思う。時に大勢に順じ個人の感情は抑えると言う態度こそ組織の秩序維持には必要である。原告の定年によって原告の当該職場での政治行動は終焉したと考えることが重要で雇用をする側からすれば又卒業式で不起立に動くであろう原告の再雇用を拒絶することは東京都民のマジョリティの思想に合致すると考えるのが相当である。国民の80%以上が日の丸を国旗を認め、君が代を国家として受け入れているのである。したがって再雇用の拒否は違法とは言えず裁量権の範囲内である。以上が判決主文である。」

・ ここで裁判長は静かに原告に問いかけるのだ。「先生、そんなに自分が住んでいる国の国旗や国歌がお嫌いですか。先生の教え子の晴れの卒業式にそのような行動を取って先生の生徒さんはどのように感じるでしょうか。生徒や保護者が先生の取った行動でどれくらい複雑で悲しい思いをしたのかお考えになったことはありますか。会場に入らねば良かったではありませんか。そういう凝り固まった思想信条を有する限り再雇用を望むのは無理があると思いませんか。退職金を沢山貰われたはずです。もう学校で働くことは諦めて、何処か遠くの山の中で山紫水明を友とし、日の丸や君が代のない世界で余生を送られたら如何ですか?

1月20日(火)その1:1月朝礼の日

・ 本年最初の1月「朝礼の日」。3年生がいない分「寂しく」感じる。私からは週末に実施された「大学入試センター試験」と昨日のブログの「安・近・少」について触れた。国公立,難関私立の「目指す大学」に進学するため「センター試験を標準」にするよう「」をとばしたのである。センター試験受験者を増やしていかねばならない。しかし「肝心の2年生は分かっているのかなー?」
・ 次は他県で起きた中学女子生徒の携帯電話書き込みによる「いじめによる自殺事件」について話し「いじめは絶対にあってはならない」ときつく話したのである。今浪速中学高校の入試が始まっているが「人気沸騰の学校」であり、このことに「誇りを持ち」そのような学校で学ぶ生徒として「恥ずかしくない行動」を取るよう訴えた。
・ 講話の最後には2月の中学生の「金剛山登山」計画を喋り高校生には「耐寒マラソンは中止」と伝えた。初めての中学の金剛山登山に「安全を期するため」教員を多く配置し、高校側に手が廻らないからである。とにかく冬山登山だから「用心には用心」で総力を挙げて耐寒訓練金剛山登山の成功に向けることにしたのである。
・ 高校生は「えーッ」とため息か歓声か知らないが「どよめき、ざわめき」が上がってきたので「授業のほうが良いでしょッ!」というと又「ざわめき。」だ。高校生は寒い中を5キロも10キロも「走るのは嫌」だし、そうかと言って「授業も嫌」なのである。気持ちは分かるが「ほったらかして」遊ばせるわけにはいかない。「高校生は7コマの授業」だ。
・ 朝礼の最後は「空手道と弓道が近畿大会で優勝するなど良い成績」をあげたので表彰したのである。「全国大会」に出場だ。部活動については「奨励し激励する」ことを私は念入りにしている。「スポーツ後援会」がありそこから支援金が出される。有難いことである。
・ 昨夜、「年末年始に特別講習」をしてくれた教員を道頓堀で慰労したのだが2名を除いて全員が常勤講師の先生ですべて「独身」だ。若い。朝、全員揃ってお礼を言いに来てくれたが「ニコニコしながらサッパリした良いお顔」をしていた。滅多に直接話する機会のない理事長と学校以外で初めての夕食招待の席が「まあ嬉しかった」というところだろう。
・ 全員私のブログのファンで中には「日に3回読む先生」がいた。驚いたが携帯電話で読むそうだ。まず9時過ぎ、そして寝る前の11時過ぎ、そして学校に来て朝パソコンで読むらしい。この先生は私の文章が時々刻々変わっていくのに気付いていた。
・ もう一人の先生は「私学の教員は自分で自分の給料は稼ぐのだよ」というと「大きくうなずいていた」。考えはどうも順調に出来てきているみたいだ。「変な癖が付いていない」。皆さん、仲が良くて、とにかく「本校で働くことが楽しい、嬉しい」と強調していたな。この辺のニュアンスを今朝副校長に伝えたところだ。
・ 管理職朝会、中学一次A、一次B試験の合格者の納金状況の確認。「読み通り」である。二次試験は予定通り1月23日に実施し最終決定となるがさすがだ。入試広報と中学サイドの読みがぴったり当たっている。「効率の良いクラス編成」が出来そうである。とにかく「中身が良い」。
・ クラス数は3クラスである。卒業する中学3年生が1クラスであったから2クラス増だ。これで浪速中学校は中3生から2.3.3のクラス数編成で「総計8クラスで総勢300名弱の大部隊」となった。「一人前になった」と言えるのではないか。
・ これらの生徒を「大切に、大切に」育てていかねばならない。ある保護者からお電話があった。「先生、中学一次Aで合格させて頂きました。有り難うございました」と言うものだが、このご家庭からは高校2年生、中学3年生、今度新中学1年生と「3人の子どもさん全てが本校在籍」となる。極めて珍しいケースである。
・ 4月以降中学校の「教員配置を全面的に見直す」ように副校長に指示した。「浪速中学校は戦略的学校」と位置づける。「関西大学との特別連携」の話もある。関西大学から「さすが」と言われるような「レベルの高い教員」を揃えなければならない。
・ 「中学をやりたい」と「FA宣言」してもらったらどうだろう。自ら「手を挙げてもらう」のだ。極めて重要な「新生浪速中学」が昨年からスタートしている「発展途上」だ。すべて「教師の腕」にかかっている。
・ そして「見事な腕」を見せてくれたら「優先的に専任教諭として採用」だ。中学生には若い先生が多いほうが良いかも知れない。特別手当を十分に考える必要があるかも知れない。高校と違って「中学は手がかかる」だけに考えても良いかもしれない。
・ 「担任手当」という概念もある。「時間外残業予算を増やす」か担任手当で賄うか思案のしどころである。「生徒の為」に「我が時間を犠牲」にして頑張ってくれる教員でなければならない。「持ち時間を減らせ」とかノタマウ連中などに任してはおけない。
・ 中学新一年生団の「学年主任(主任)」は副校長はもう「腹案」を有しているみたいだ。彼なら「身を粉にして」頑張ってくれるだろう。とにかく古い体質の人は寅さんの口上ではないがもう「結構、毛だらけ、猫灰だらけ」だ。
・ 教室改造に「素晴らしいアイデア」が出てきた。数学科のY教諭の提案だというが、この教員は「柔軟」だから私も及ばない「発想」をする。私も昔からアイデアの固まりと言われて来たがこれには「参った。」新校舎検討チームに人は多く居ても「結局は一人の優れた人間でアイデアは出される」と言うことだ。
・ 要は現在の「図書室を改造すれば4教室確保」できるというのである。新しい図書室は現在の新館2階の和室の「修養室に移動」するというものだ。この考えは素晴らしい。元々は修養室を教室に改造する案でいたが、これでは教室数は2クラスまでで大壁を壊したり工事が大変になりそうになったのであるが新しいアイデアでは全てが上手く行きそうである。その方向で変えることにした。新校舎建設までのしばらくの間だ。
・ 本校の「スクールバード(校鳥)のお守り木彫りの“ふくろう”が300個到着。それを入れる「紙袋」のデザインも固まった。これは良い。貰った方はお喜びになるのではないか。金剛山登山記念だ。
・ 「学校PR用のDVDビデオ原版」が出来上がった。「パソコンの達人」3名に依頼していたのが完成したのだ。実態は英語科のT教諭がやってくれたものらしい。早速試写してみた。「良く出来ている」。
・ 今までの「得スマ」テレビ、「学ナビ」テレビ、「新校歌と学校行事の紹介」「多聞尚学館」の4つのチャプターに別れて、それぞれに関係する音楽が入っている。次はこれを少し短くする必要がある。しかしこれでお客さんなどにお見せすることが出来る。映像での紹介が分かり易い。一発で分かる。言葉は不要だ。

2009年1月19日月曜日

1月19日(月)「安・近・少」

・ 受験は「安・近・少」傾向。世界的な金融危機による景気悪化が深刻になり、高校教員の約7割が「受験生の進路選択に影響」と感じていることが大手予備校河合塾の調査で分かったと13日の大阪日日は報じている。
・ 国公立大学など学費が安くて身近にある大学を選び、受験校数を少なくする「安・近・少」だというのである。進路への影響を大きく感じるが12%、やや影響が55%であわせると67%に上っている。
・ 具体的な影響を複数回答で聞くと「奨学金の活用を考える」が64%で最も多く、次いで「通学可能な範囲の大学を選ぶ」が54%、「学費の安い国公立大志向」が45%そして「私立大学の受験校を減らす傾向」が40%と続くとある。
・ 「大学進学自体を見直す」も14%あるというからこの河合塾名古屋の調査結果は衝撃的であるが、よく考えれば「理解出来る」話である。従って「推薦入試」や「AO入試」を積極的に利用する志向も59%にのぼり、一般入試の受験料負担を回避しようという意識も伺える。
・ 先般親しくしている大学関係者と懇談した時も「学部受験の数の減少」傾向が顕著だという。一学部3万円から4万円の受験料だから、そう大きな数値でもないと考えるが七つも八つも受けると相当な金額にもなる。こういうところから「節約」しているのだ。
・ 河合塾名古屋によれば「推薦は関東、関西の有名私大でも希望者はいなかった」というから愛知県から東京や関西に出てくる希望者が完全に減少傾向となっていることは間違いない。私は今100年に一度と言われている経済危機に落ち込んでいる世界の状況の中で「日本の大学進学パターン」が本質的に変わりつつあると見ている。
・ その証左は私立高校を巡る環境変化にもあるのだ。新聞報道によれば、大阪の私立中高受験地図を塗り替えるとまで言われた早稲田摂陵は思ったほど志願者を得ることはなかったと校長が歎いていた。
・ 大学入試センター試験が終わったがここでもその傾向は見て取れる。志願者は昨年よりも596人多い543981人であり、その中でも「現役志願率」は初めて4割を超えて40.4%となった。この意味は大きい。
・ 本校でも有史以来最大数のセンター受験者を数えた。数は言うまい。しかし伸びが凄い。センター受験者の数がその学校の「進学熱」だと言っても良い。着任したのが2年目の1月、すぐセンター試験があり、受験者数を知って「愕然」としたのを覚えている。
・ 前の勤務先であった府立高津高校でも着任当初は受験者が他の学区のトップ校に比べて少なく恥ずかしかったものだ。それを最終的に3年生在籍の93%を超える受験者にまで私は高めた。それから進学実績が「ぐんッ」と上がっていったのである。
・ とにかく金融危機の波がとにかく受験生にも押し寄せていることが分かる。センター試験の受験生の一人は「親の経済事情から併願校を減らした」「遠方の大学は諦めた」との声が引き続いている。
・ 大阪の東成区の私立高校のある3年生は「学費のこともあるし親の元から通えるし」と府立大が第一志望で尚且つ私大受験は数校絞って3校にしたそうだ。京都府立校のある女生徒も自宅から通える神戸大が第一志望でとにかく将来の就職のことも考えて学費、ブランド力から国立大学に進みたいと思っていると記事にはある。
・ 言い過ぎを覚悟で言えば「今後大学は地元志向」が強くなるのではないか。東京大学や京都大学は別格として大阪大学や神戸大学などは「地方大学」の位置づけでそれは「東京六大学も関関同立」も地方大学の域で存在意義が出て来ると思う。
・ 中央の大学が「大学名の冠」をつけて地方に進出し傘下の高校を増やす動きも、それが単なる「学生募集のため」だけだったら「期待したほどの効果」はないのではないか。私はそのように感じてならない。
・ すべての生徒がブランド大学にいける偏差値であるわけでもなく、大学名を冠につけても少子化の中で地元を離れてそのような遠くの大学に行くであろうか。それよりも地元のしっかりとした大学で十分であるとの機運が出始めてきたのである。
・ 私は思う。傾向としては行政組織も「地方分権」が始まり、その流れは本格的になっていくだろう。少子化の中で現在のような「48都道府県という行政単位では人も金もついていけなくなる」のは目に見えている。「道州制」とならざるを得ない筈だ。
・ 広域行政で役人の数を減らし小さな市町村は合併で適正規模と成ると問題は「知の拠点」となる「大学のありよう」ではないか。江戸時代は私に言わせれば「素晴らしい地方分権の時代」であった。「」単位に「藩校」が設けられ、「私塾」が大いに活躍した時代であった。大阪などは特にそうだ。
・ 明治のエネルギーも地方から起きた。何も中央に出かける必要はない。「地元志向」で結構なのである。そういう意味でじわじわとした「地殻変動」が起きてくるのではないか。いや、既に起きつつあると思う。
・ 徳川時代は265年、近代日本は明治以降で140年でこの140年は官僚主導の中央集権国家であった。そして「行き詰って」きたのである。ボツボツ新しい形の出現でありそれはもう一度「地方分権の時代」ではないだろうか。
・ 「安・近・少」というのは実はその地殻変動の予兆であると私は思う。「地方分権と安近・少は実は一体なのである。」とも言える。遂に横浜市は500校の小学校と中学校の「小中接続」をするという。
・ 道州制はもろに「府立、県立の高等学校の有り様」に影響を与える。又高等学校は「小学校・中学校サイドに近づくのか、大学サイドに行くのか」、「統廃合」をしながら「変わっていくだろう」。ますます私の興味は尽きない。

2009年1月18日日曜日

1月18日(日)その3:12月10日ブログの再掲 朝読書

・ 12月5日の賞与一時金支給日のブログに私の願望、即ち「朝読書」について触れたが「全く反応がなかった」。従って翌日に担当教員を呼んで話をしたことは既に書いた。その後さすがに国語科は「前に進めて」くれているみたいだ。しかし「複雑な気持ち」である。
・ 複雑と言うのは「なんでやねん、校長がいわな、せえへんのかいな」という所だ。「疲れる」というのが正直な感想だ。「言われる前にやったらどれほど素晴らしいか」。教員というのは「こういうものだ」と思わざるを得ないのか。
・ 企業ならつぶれているところだ。次々と新しい技術、新しい商品を出さないと市場に弾き飛ばされる。「学校はつぶれない」。生徒が来ている間はつぶれない。つぶれないから新しい企画は、しようがしまいが「関係ナーイ」だ。ここの相関に私は疲れると言っている。
・ 平成19年度は「学校の形」を作り直した。もうこれは「新しい学校の創設」と言っても良いくらい全面的に、本当に徹底して「変えた」。また途中であるが「残業と言う概念」まで学校現場に取り入れた。そして20年度は「中身の充実」と当初から宣言した。
・ そのために「学力と生活規範の向上」を全面に立てて取り組んでいる。教職員は頑張ってくれ、少しづつでも「手ごたえ」を感じている。しかし先行する他の私学をみるとまだまだだ。「これで良いと思ったら、進歩は止まる」。私学間の競争は激しい。今や公立とも取り合いになっている。
・ 「学力と生指は車の両輪」だ。生徒にとっても日常生活規範が出来ている生徒は「学力も高い、少なくとも進歩はしている」と言える。学力の絶対的高さも重要だが日々進歩しているという「実感」が重要である。そうであれば生徒は「やる気」になるものだ。
・ 生指と学力の双方に有効な手が「朝の読書」だと考えた。今や学校現場では「常識になりつつある朝読(略称)」である。インターネットで「朝読書」を検索して見れば良い。物凄い数が現れる。この朝読はもうこういう「一般常識の状態レベル」なのである。
・ 「朝の読書推進協議会」なるものもありホームページまで開設している。「朝の読書ホームページ」「広げよう、朝の読書」といった具合だ。もう「実践例のオンパレード」である。情報には事欠かない。「誰か研究している教師が本校に一人でもいるのか?」
・ 情報としてはまだ不確かな部分があるが千葉県の2人の高校教諭が提唱したもので、徐々に広がりを見せ全国的な取り組みに成ってきている。全国都道府県別実施校一覧というのがあり、小学校が16183校、中学校が7875校、高校が1902校というデータがここにある。
・ このデータは日々更新され以上の数値は20年12月5日現在のものだ。もし本校がやってくれたら1903校になるであろう。とにかく全国の小中高で25960校がやっているのだから「中途半端」なものではない。
・ 「実施率」というのもある。高校だけで言えば「全国平均が38%」である。「大阪府は埼玉県の15%に継ぐ16%」とどん尻から2番目だ。ここでも「全国ワーストレベル」である。「一体大阪はどうなっているのか」。橋下知事がしればまた「怒り狂うであろう」。
・ 沖縄も26%と低い。全国学力調査の結果と同じ傾向である。60%以上は岩手、山形、栃木、福井、山梨、静岡、広島、愛媛、高知、福岡、佐賀、長崎、熊本、宮崎、鹿児島である。
・ 九州勢が頑張っているが例の大分は入っていない。44%と低い。大分は不正採用教員が多いからと言われないようにしなければならない。全国愛媛がトップで87%の実施率というから凄い。しかしそれにしても「大阪は恥ずかしい」。
・ どうも私の情報では「朝読の4つの原則」があって、実践例からすれば各校どうも同じような仕方である。
* みんなでやる
* 毎日やる
* 好きな本を読む
* ただ読むだけ、感想文など求めない
・ 時間はどこもかしこも10分間である。「10分間朝読書」というのは今や「熟語」になった感じがする。こういうのもある。「朝の10分間読書」。時間は大体8時30分から40分までが多い。
・ こういうのもある。8:30分から朝読書、40分から50分がSHRだ。そして8時55分から1限目が始まる。「学校の事情」に応じて様ざまな考えが出てこよう。特に朝講習や放課後講習などに影響を当然与えるが「優先順位」の考え方だ。
・ あれもこれもは出来ない。それに7限日であれば「部活」にも影響が出てくる。来年からは類で課程を変えるつもりだ。Ⅲ類が6,7限までしなくて良い。しからば当然朝読を入れて「1限目は遅らせて始める」と言う考え方も出てくる。疲れ果てて放課後の時間を延ばすよりも頭の比較的冴えている朝に読書をするというのもあるだろう。
・ 教職員は10分、15分延びようが勤務時間内だから問題ない。放課後講習を10分縮めたらどうだという考えも出てこよう。とにかくこれは「国語科だけの話ではない」。それでは絶対に失敗する。「全校のもの」にしないといけない。
・ 京華女子では「毎朝8時30分から40分まで学校と言うのがウソだと思えるほど静まりかえります」と言っている。「せわしない朝に心落ち着ける時間を導入したことでこの後の授業の能率も上がりました」。
・ その他「問題行動が減少しました」「遅刻が減りました」と良いことばかりの話なのである。「読書を通して自分を見つめる」事が可能に成ったのである。やらない手はないではないか。
・ 朝担当教諭が進捗報告で廊下での立ち話となったが「慌てることはない。しっかりと「事前研究が必要」とだけ申し渡した。管理職朝会で副校長が週3日とか簡単に言っていたが、研究が足りないわ。これではどうしようもない。
・ 私は理系出身だが文系大好き人間である。「事前に研究し考えに考えて企画案」をまとめる。ところが教師と言うのは本当に考え研究して「物を言っているのか時々不安」になる。大体「教材」はどうするのか。
・ ネットには「高校生のための一押しガイドブック」とか「朝の読書46校の奇跡」とか様ざまな実践例がある。これらをまず研究して物を言って欲しい。「カッコウだけならやめとけ」。やるなら成功するようにやって欲しい。

以上のような校長メッセージが発せられて1ヵ月後の答申の中身が「持ち時間を1時間減にせよ」であったのである。

1月18日(日)その2:新春拝賀始業式の夕方の再現

・ 「朝読書持ち時間減要求事件」については簡単に「矛を収めない」と私は宣言した。その理由はこの問題に「教員文化が包含する極めて重要な根幹的課題」が隠されているからである。この事件は単に「朝読書の教員監督時間を持ち時間に入れよ」とする「単純なものではない」のである。
・ まず全ては私の「12月5日と10日のブログ」から話は始まる。「ここまでやるか」と言うくらい、私は「具体的に客観的に現状を分析し学校管理者の思いを3人の責任者に伝達」したのである。
・ 「世の中にはトップが何を望んでいるか分からないから部下は行動できない」などという声も時にあるが、「私ほど明瞭に課題を指し示している人間もいるまい」と思っているくらい徹底して指示を出す。「理由となる背景、他校との比較データ」等を入れて教職員に「訴える」のだ。
・ 本日のブログ:その3には12月10日のブログを再掲する。私がどのようにして何を要求しているかを改めて自分ながら読んでみる。

・ 「1月8日午後3時30分過ぎの校長室で起きた状況を再現」してみる。「新春拝賀始業式」も見事に終わり、早朝には「1000円札で365枚のご寄付を受けた」こともあって、私は極めて「機嫌の良い、幸せそのもの状態」であったといえる。
・ 3人が入室してくる。
校長:「やあやあ、話を聞かせて。待ってましたよ。」用意された資料の説明が始まる
     中略、そして説明が始まって15分くらいで:
校長:「どういうこと?」「1時間持ち時間を減らせということ?」
国語科の教科長:「そういうことです」
校長:「エッ何、授業にするということ?」「コマきれ10分の寄せ集めで「総合的時間」とするから、時間減にせよというのか?」「何処がやっている?」「授業としたら評定は如何する?」「法的に成り立つのか?」矢継ぎ早に課題を投げかけた。
校長:「これは国語科の総意か?」「どういうプロセスで決まったのか?」と次第に私の声は大きくなっていったと思う。
図書研修部長:「教科長の意見は違うところにありましたが・・・」と言って教科長に助け舟を出す。この間教科長は黙りこくって下を向いているだけだった。
校長:「それでは誰が主導したのか。その名前を述べよ。教科長の意見ではないというが資料はそうなっている。私はこの問題に大きく関係する君たち3人の責任者に「諮問」した。その「答申」がこれであればこれは君たちの意見である。それが違うというのはおかしいではないか。それなら主導した教員の名前を言え。直接に真意を正してみる」
 (私はこの時点でピンッと来ていた。これらは明らかに「組合的発想」であり,そうであれば該当者は限られるからだ。)
校長:この時点で電話を取り、2階の副校長を呼び出す。「このような答申を受けた。副校長は知っていたのか?」
副校長:「いや知りませんでした。」しかしまだ何が起きているか理解できていないようであった。
校長:私の頭には思い当たる人間が2人いた。3人に対して「X教員とY教員か」と問い詰めるが当然名前は明かさない。この辺で先ほどから黙っていた中学の教務部長は突然立ち上がる。下を向きながら青ざめた顔をして次のように言った。
中学教務部長:「中学はやらせてください」「やらせてください」
校長:「調べると今まで中学の保護者から朝読書の実施を要望されて来ていながら君はなぜ今まで放置してきたのか。その理由を説明せよ。」
中学教務部長: 黙る
校長:「君たちが名前を言わないなら直接私が聞く」と言って国語科のX教諭を部屋に呼ぶ。
校長:「X先生、君が持ち時間減を主導したのか?」
  Y教諭:「私ではありません」。
校長:「分かった」。「帰って良いですよ。」「分かった。Y教諭だな」「Y教諭を呼んでください」
副校長:「本日Y教諭は私用で休んでいます」「今日は今から私が別室でなぜこのような答申になったのか詳しくヒヤリングして調べます。」
中学教務部長:「中学はやらしてください。」
校長:「この問題は原点に返って人も体制も入れ替えてやるからしばらく凍結」とする。
    以上が掻い摘んだ当日の夕刻の状況である。

置かれている状況への認識不足というより全く現状認識が欠落している問題
* 二日前の本年最初の職員会議で私はA4版2枚に詳細な現状分析と課題を書き上げ1時間に渡って詳しく「努力と辛抱」を訴えた。そのたった二日後のことである。
* 更に一両日中には多聞小学校を買収する値段交渉の真っ只中にあり、そのことは全員が知っている。私は全員が「我慢」をして新経営計画を完遂する意識結集を図ったと思っていた。当然教職員は「分かって」いてくれていると思っていたのである。
* しかし実際はそうではなかったのだ。右から左へ聞き流していたに過ぎない。「組織目標」が完全に無視されたのである。
意思決定プロセスを逸脱した答申手法
* 後の調査で驚くのであるが中学は「工夫でなんとか実施できるという校務会の結論」があったみたいだが中学教務部長の手で持ち時間減の答申に変わってしまったということが判明した。図書研修部長も中学在籍の教員である。
* 科会の実態は大きな議論が巻き起こって喧々諤々の議論にはならず「影響力のある教員の一言」が流れになって「うやむやのうち」に会議は終わったのが実態である。
* それを中心となる科長が「そのまま全体の意見」として記載したというのが実態である。彼から提出された顛末書にはそのように書いてある。
不公平というものへの考察の不足
* もし担任の朝10分を持ち時間にカウントすれば例えば生徒生活指導部の教員が朝の門立ちの指導時間をどう考えるのか、話は担任だけに及ぶだけではなくて全体の問題という認識がない。これは私の問題提起にも明確に述べている。
無知をさられけだすというか仕組みを勉強しない
* 持ち時間1時間がどれくらい大きな意味を持つか今まで何回も何回も何回も説明してきているのに「頭にはなかった」と誰もが回答しているように勉強をしない。「それは無いだろう」といいたい。
* だから「総合的学習の時間に入れる」と言ってもそれを実施している学校はどこか答えられない。その意味は「学習指導要領に合致」しているのかも答えられないのである。要は「いい加減な答申」なのである。
組合的な流れに直ぐ乗る
* 今回はその典型的な例である。一人の存在感のある組合教員の発言に「ガバッ」と食いついてそれに合わせて話をまとめたように学校社会は「自分は組合員でもないのに組合の力を借りて学校を動かす」というところがある。
* 中学などはその例である。中学の教員の意向とは違う声が科会で出た時に中学教務部長は“中学はこうさせてもらう”と言わなければならないだろう。少なくとも会議ではそのような発言があって然るべきと思うがそのような形跡はない。この教員も昔は組合教員であった。

今回の事件で私は自分の味方を改めて再確認した。
① 教員には「入るを図り、出るを制する」という考え方がない。言い方を変えれば「経営」ということが全く持って頭には無い。お金をどのように稼ぎ、それを適切に経理するということが全く分かっていない。
② この点は公立教員にもなくて「税金」は独りで入ってくるものと彼らは考えている。私立の教員は少しは「まし」かと思ったが結局経営の考えは全く無いことが分かった。
③ 「自分たちの給料は理事長や理事者が出すもの」で「自分たちで稼ぐもの」という考えはまったくない。だから生徒数が少なくなろうとも不景気になろうとも「給料は増え続けて当たり前」という考えから抜けられない。
④ 頭脳の構成が偏っており一つのことしか考えられない。「物事を複層的に多面的に関連つけて考察することが極めて苦手」というか出来ない。だから持ち時間1時間減がどういう影響をもたらすか考えが及ばなくなる。
⑤ 「日和見的行動」が身についており、都合の良いときは管理職に擦り寄り、仕事が増える校務の流れは「組合主導」に乗っておけば「損は無い」という誠に持って「さもしい」考え方が行動を左右する。
⑥ 科会とか職員会議とかにおいて民主的に決めると言っても結局は組合の考え、大きな声の持ち主の意見に沿っておけば「身にかかる火の粉は少ない」と考えている。今まではそれで世の中を通って来たが校長が変われば世の中が変わるということに考えが及ばない。「時代は変わった」という認識がない。
⑦ 結局教員の民意とは「楽をする、損をしない」という自分の処遇が第一で「飯の種」である「生徒の為」というのは彼らには幻想であったということだ。職員会議とは結局自分たちの都合の良いように話を「全員が決めた」と言って格好を付けるが要は「全員が決めるということは誰も責任を取らないシステムである」というトリックであるという私の考えが今回見事に立証された。
⑧ 「井の中の蛙」でありとにかく他校の調査などに考えが及ばない。それに法的知識が極めてというか殆ど無い。だから平気でびっくりするようなことを言ってくる。「総合的時間を授業とする」など。
⑨ したがって「他校での実践例」や経験などは全く役にたたないというかそういうものを導入することに極めて臆病である。「飛び出るくいは打たれる」ことを極端に恐れ、首を縮めて上目使いに周囲の教員の反応ばかりを気にする。
⑩ 先に飛び出ることを恐れ、自分の思うことと大勢が違っておればとにかく大勢に逆らわない。それは「言い出しっぺの責任」を恐れるからである。特に仕事量の増大などは極端に恐れる。今回の問題もその本質的な要因はこれである。
⑪ 「反省」という概念はない。生徒には強く反省を求めるが自分には反省を求めない。今回の問題でも近くのライバル校はすべて実施しているというのに、誰も言い出さない、「今まで放置していたことへの反省」などはまったくない。校長から指摘を受けるなど「」だという考えは何処にもない。
⑫ 「まず成果を出して成果配分を求める」という考えがない。「やる前に出すものは出せ」が彼らのやり方である。私とて「鬼ではない」。成果が上がれば「出すものは出す」。
⑬ 教員の持ち時間に対して給料を払っている。持ち時間とは「お金」なのである。それを私は「均等に出す気はない」。「形だけカッコウつけてそれでやった、やった」という者へ出すお金は一円もない。「成果を上げてくれるか、誰もが認める努力をした者」にこそ「成果配分」はあるべきである。それが私学である。

頭に今、去来していること
① 私は今「失敗した」と思っている。あの時答申の言い分を聞いて「持ち時間1時間を受け入れてその分の給与カット」をした方が良かったかなと反省しているのだ。
② 標準が18時間だから「1/18で5.6%の年俸ダウン」の方が経営的には良かったのではないかと思っている。これは既に平成19年の理事長・校長メッセージに公式に詳細説明してる事項であり、「何時でも引き金は引ける状態」である。
③ その方が教職員も体は楽だろうが本当にそれで喜ぶのであろうか。「私立学校の稼ぎ手は我々教職員しかいない」ことを分かって貰いたいと私は念願するばかりである。

1月18日(日)浪速中学入試一次B

・ 「浪速中学入試一次Bの試験日」である。このように私立中学は土曜日も日曜日も無い。私も通常通り出勤である。それでも今日は30分ほど遅く7時過ぎには学校に到着する。なんと学校の前に多くの塾関係者が立っておられる。このような光景も今まではなかった。
・ B試験と言うのは「第2希望」と言って間違いは無い。昨日、何処かの私立中学を受験した生徒が「すべり止め」に受けるか「同じ学校のAとBの両方を受ける」かの生徒である。
・ 従ってBの受験者は一般的、全く一般的であるが「学力レベルは相対的に高い」といっても良いかもしれない。恐らく昨日難関といわれる中学を受験して少し落として「本校をバックアップとして選択」してくれたのだと思う。
・ 浪速中学B試験で本年は「極めて特記的なこと」が起きた。「それは何であるか?」。実はBの受験志願者がA試験の志願者を数で追い抜いたことだ。A試験で128名、なんとB試験で132名と「初めて逆転」した。「歴史上初めてのこと」である。このことの持つ意味は大きい。
・ 塾の関係者は「当たり前でしょう、浪速さんはそういう学校になっているということです」と答えられたという。「普通の進学を旨とする私立中学になってきたということです」と言われたそうだ。それでは「今まではどうだったの?」と言いたい気もするがそれは言わない。
・ だから「難関私立の受け皿」としてB受験者が増えていると分析されるというのは今や「一般的な本校を見る世評」である。表面上は「素直に喜びたい」。しかし内心は「今に見ておれ、そのうちに超難関校にしてみせる」と私は思っているのだ。
・ それは実際に昨日のA試験の解答率を見ても分かるのである。確かに分散はしているが高得点をとる比率が極めて多くなってきている。分かり易く言えば「偏差値の高い生徒が浪速に目を向け始めた」と言うことである。
・ 中には偏差値60以上と言う子もいる。それが昨日のブログに書いたように「浪速中学で違った世界が始まる」ということに繋がっている。しかし同時に私の本音の一部は「入りたい子はすべて入れてやりたい」と思っているのも事実である。
・ しかし「教室数の制限」があり、又「定員」という考え方がある。加えて「教育の展開」において「教育効果」を考えたら極力「一定のレベルの範囲で生徒が揃う」ことが望ましいという考え方もある。「難しい」ところである。
・ 経営的には中高6年間本校で学んでくれる生徒は有難いことではあるが「教育責任」と言うことも考えねばならない。やはりここは「学校」であり、「施設的なもの」となってはいけない限界もあるのだ。
・ 昨日の「合格判定管理職会議」でも私の意見と管理職の意見は激しくぶつかり合った。教育現場出身の管理職は「彼らなりの適切と考える線引きライン」を主張し、私はその「論理的な説明を求める」と言う具合だ。特に昨日は時間がかかったのである。
・ それもこれも「レベルが上がり生徒数が増えて来たから」であり、ある管理職は「考えられない」。昔は議論も何も来てくれた子を入れなかったら「一教室も組めなかった時代」を思い出して感無量に言うのだ。しかし「物事が変わる」ということはこういうことを言うのだろう。
・ 私は「学校説明会を最重要な校長の仕事」としている。高熱が出ようと腰が痛かろうと欠かしたことはない。それよりか私の出番の順番、私の持ち時間、説明する資料など「徹底的に準備」して、「私の言葉」で保護者に訴えてきた。
・ 決して通りいっぺんの「挨拶」などでは終わらせない。「現状を正直に語り」、「未来を具体的に示して」「今やるべきこと」を生徒・保護者に語りかけるのだ。そして教育の持つ力強さを感じて貰い、「夢を持って貰う」のである。「トップの言葉が重要」なことなのである。
・ だから多くの保護者や塾の先生方が「支援」をしてくださっている。格好良く言えば「透明性を確保し説明責任を果たす」ということに他ならない。「マニフェスト」「公約」と言っても良い。だから私は「生徒・保護者を裏切ることは出来ない」のだ。それは「浪速の消滅」を意味する。
・ 私の学校説明会で「保護者から大きな拍手」が起こるなど当初教員は信じられなかったという。アンケートをとっても「この校長がいる限りこの学校は大丈夫だ。子どもを預けたい」とすべての人が書いてくれているのだ。
・ このような「声を背負って」私は毎日業務をこなしている。「決して教員の顔を見て仕事をしているのではない」。「生徒の力の付き具合」とそしてその後ろに控えている「高い授業料を支払ってくれている保護者のお顔」だ。
・ 「この理屈」がまだ分からない教員がいるとしたらそれは厳しく糾弾されなければならない。まず「私立学校は生徒保護者の信頼を勝ち取る努力が最優先」される。その後だ。「自分のことを考えるのはその後だ」。この思想だけは「絶対的な未来永劫不変不滅の浪速の哲学」である。
・ 朝10時、正門入ってすぐ横の掲示板に「合格発表」を張り出した。見慣れた光景となる。歓声が上がり飛び上がって喜ぶもの、下を向いてそそくさに立ち去る者。今年は不合格者が多く私も入試広報室の面々も「暗く辛い悲しい」気持ちになる。でも仕方がなくこれが現実なのである。
・ 試験終了後昨日と同じ手順で「B試験合格判定会議」が行われる。A試験の合格者はほぼ100%入学手続きとなるが明日発表するB試験の合格者の入学は「入学金が入金」されるまで我々には分からない。というのは合格者のうちに他校の一次Aに合格した受験生の数が把握出来ないからである。高校受験で言う「戻り」である。
・ 我々の作業はこの後も続く「AとBとの合格者が入学金を納付」してくれた数で「クラス編成」をし、調整の為に「2次試験の段取り」に入るのだ。しかしこれは微調整で本日の試験で4月以降の体制はほぼ決まった。今日の判定会議で私はメンバーにこの「優秀な生徒」のために頑張って欲しいと「檄を飛ばした」のである。