2009年5月31日日曜日

5月31日(日)5月最後の日

・ 最近また時々知人から「先生はどうして企業界から学校に転じようとされたのですか」と聞かれる。こういう質問者には一つの特徴があってある程度「親密な関係」になってからである。付き合いの浅い人はこういうことは聞かない。
・ こういう質問が出るには一つの特徴があって「私と本校」のことをよく知っているということで、すでに「何をやっているか、その成果も」十分知っており、「その次に出てくる疑問がそのような質問をする動機」になっていると思われる。
・ 即ち「木村がそこまでやる、そこまで頑張るのは何故なんだろう、どこから来るのだろう」という素朴な疑問だと私は想像している。この様な質問がくると私は「ああ、来た、来た」と思うのだ。
・ そしてそういう場合「丁寧に説明する」ことにしている。これをしておかないと「大きな誤解」を生む恐れがあるからだ。中には誤解が行き過ぎて、特に同窓会のOBなどの中には「卒業生でも親戚でもないのによく頑張ってくれている」などと「信じられないような発言」をする人もいる。
・ 浪速の卒業生だから頑張って、卒業生でないから頑張らないということはないのであって、簡単に言えば「それが仕事だから頑張る」のである。発言には気をつけなければならない。
・ 卒業生で思い込みの激しい人は「学校は自分の私物」みたいに感じているのではないかと見間違うばかりの人がいる。何年か、何十年か前に浪速を卒業しただけの事実のみであってそれ以上でもなければそれ以下でもない。「母校愛」など誰もが持っているの物で特別なものでもなんでもない。
・ だから学校の中には「ともすればややこしい」から卒業生を教職員に採用するのを控えるところもある。和歌山桐蔭高校みたいに教員の半分以上が桐蔭卒業生というのはまったくの異例である。大阪の府教委の方針は知らないが実態としては学校あたり2ないし3人といったところだった。それも「偶々そうなった」というに過ぎない。
・ 話を戻そう。企業人から転職してもう足掛け8年になると思う。自分で数えながら「えー、もう8年!?」という感じだ。「8年も、計算間違いない?」しかしどう計算しても丸々7年、足掛け8年だ。
・ 一言で言うと「あッ」という間の8年であった。「走り続けた8年」「休む間のなかった8年」と自分の性格からは本当は言いたくないが、最近何故だが素直に言えるようになった。自分をゆっくりと顧みる「余裕」みたいなものが出来てきたのであろう。
・ 正直このような気分になったのは、2月の卒業式、3月入学者数の決定、4月の入学式、5月の決算理事会とここ数ヶ月、節目、節目で徐々に心に滲み出てきた。今まではこのような気持ちになったことはなかった。「心の余裕」か。
・ さて冒頭の質問に答えることにしよう。私は「人事異動」みたいなもので住友金属から教育界に転じた。ある日突然住金の人事部から「大阪府最初の民間人校長の話」が舞い降りて来たのである。
・ 平成13年の12月のことであった。当時は学校改革の一つの方法として企業管理職を招き「管理マネージメント実践能力」を期待して東京都、広島県と民間人を招聘する動きが「一種のブームみたいな動き」であった。
・ 方法として草創期は「財界団体に人材を依頼」するというスタイルであった。各地の教育委員会も誰に相談してよいのか分からないから必然的にこういう形になったのだと思う。
・ 大阪府は「関西経済同友会」に相談しその結果、純民間企業として私の勤務していた「住友金属工業と松下電器産業」に「白羽の矢」(?)が立ったのが事実である。そのようにして二人の「大阪発祥の大手製造業出身」の民間人校長が大阪府に誕生したのである。関西電力、銀行とか公益事業もしくはそれに近い会社は外したのだと思う。
・ その後民間人校長の招聘は「一般公募」の形となった。これは教育委員会が一定の条件をつけて「全国公募」をしてその中から採用を決めるというスタイルで今や全国同じ方式である。経済団体推薦か公募のどちらが良いかなどはまったく意味はない。「要は人物とその成果が問われるべき問題」である。
・ そうなのである。だから私は「人事異動」で教育界に転じましたというしか答えはないのである。勿論会社からの打診に対して「断る」こともできたが大企業で30年以上勤務してきたサラリーマンが「人事異動に異議を唱える」というような選択肢は我々の世代にはなかったのである。勿論「教育界に興味や関心があったのは事実」である。
・ 「どうしてそのように頑張れるのですか」という質問には正直「当惑」する。たとえ教育界に転じなくとも民間会社で頑張っていただろうし、「大体組織人で組織から禄を食んでいるものは頑張るのは当たり前」でないのか。
・ 公立教員だろうと私立の教員だろうと「頑張るのは当たり前」でそれが「約束事、契約ごと」と私は考えている。「手を抜く」など私の辞書にはない。自分の仕事は私立学校の理事長と浪速中高の校長であり、その「役職の責任を果たすのが私の仕事」である。だから「どうしてそこまで頑張るのですか」などの質問は困るのだ。
・ 教職員は「不平不満」があっても「仕事はして貰わねばならない」し、「サボタージュ」するなどは「言語道断の話」なのである。労働組合が「ストライキ」をするには私立学校であるからこれは許されている。しかし「ストライキの1秒前」までは一生懸命仕事をして貰わないといけない。
・ 書いて、話して、走って、仕事のベクトルを合わせ。間違いなく予定計画以上に成果を出して、それで「一息」などまったくせずに、もう「次の目標」に向かって用意が出来ているという「仕事のやり方」は私のスタイルであって、部下に「好きか嫌いか」を問うべきものでもない。
・ 特に古い教員文化に染まった教員の一部にはこの種のスタイルがまったく今まで校内に存在せず、見たことも聞いたこともないことだっただけに「戸惑った」ことは想像できるが、私に言わせれば「それが、何か?」という具合だ。
・ 「成果を見よ」とは私は言わない。それでは「品位を失くする」からだ。「打つ手、打つ手がすべて的中」し「学校がどうなったか」、最もよく知ってくれているのは理事会と教職員だ。「この2年間、本校で何が起きたのか」、それを「骨身に沁みて知っているには教職員だけ」だ。このことは「歴史の大きな、大きな一こま」である。気にいる、気にいらないは関係ない。目をそらすわけには行くまい。

2009年5月30日土曜日

5月30日(土)多聞のさくらんぼ

・ 昨日のことだが多聞の館長とⅡ類長が特にⅢ、Ⅱ類の生徒でまだ多聞に行っていない学年や類の「生徒アンケート」の結果を説明してくれた。前からお願いしていたものだ。私は気にしていたのである。
・ 「多聞は勉強が出来る生徒の為にある」という噂が出ることを恐れている。「とんでもないこと」で、「多聞は浪速中学校、浪速高等学校全ての生徒の為」にある。だから先般の1年生対象の「中学校復習講座」などを急いで企画して実施したのだ。
・ これは大変評判が良かった。入試広報室のメンバーから報告を受けている。「塾関係者や中学校サイドから素晴らしい企画」と言われているとのことである。「我が意を得たり」と一人「ほくそ笑んでいる」のだ。
・ 今回は「部活動もやりたい、勉強もやりたい」という生徒を対象のアンケートであるが結果から「英語」に関心があるのが分かった。英語は彼らの今後の進路において最も重要な科目だ。英語からスタートすれば良い。
・ それに負担にならないように「一泊二日」で良い。二泊三日では長過ぎよう。希望者を募って実施することを決めた。Ⅱ類長が最近良い顔になってきた。年を取って「味わい」が増して来たのだろう。結構なことである。 男は50過ぎたら顔に責任を持てというのが私の信念だ。

・ 新型インフルと中間試験で止めていた「週末スペシャル」が始った。昨夜から70名の生徒が3人の教員に連れられて来ている。教科は数学と英語だ。今日は久しぶりに多聞訪問である。「激励」に行った。「うーん、激は檄だな」。生徒は拍手で歓迎してくれた。
・ 数学はもうベテランの先生で多聞を最も活用して呉れている先生だ。「信頼にたる、人品骨柄卑しからずの人物」である。英語はもう数回多聞経験のある常勤講師の先生だが誰に聞いても「すこぶる評判」が良い。「良すぎておかしい?」くらいだ。
・ 今回補助に回ってくれた女性の先生も常勤講師であるが「大阪市大を4年間特待生と言う輝かしい経歴」の先生と聞く。素晴らしい組み合わせだ。女生徒が居るので必ず1人の女性教諭は女生徒の為に必要なのである。
・ 北部の女子校の校長、教頭、校長代理の先生方が「多聞見学」に来てくれていた。一度本校の学習合宿に「合同参加」させて欲しいというもので今日は自らの「下見」である。ついでに昼食も生徒と同じ者を食べて頂いた。友好校であるし、面白い試みなので歓迎したい。私も見たが「豪華なバイキング料理」であった。「脳に栄養」を与えねばならない。

・ 多聞尚学館の中庭に「さくらんぼ」の苗木が植わった。3本である。植木屋さんがわざわざ「山形県」から取り寄せたものだという。「佐藤錦」というブランドで一本1500円と事務長補佐が言っていた。多聞は庭が広くて寂しいから植えて貰ったのだ。
・ 千早地区の区長さんの奥様が「学校だから桜を植えたい」と言った私に対してアドバイスしてくれたものだ。ご自宅にサクランボを植えたら大変良くなって、実も美味しいと教えてくれたものである。
・ 金剛山麓の気候が山形県に似ているのかなと思ったりしている。何年後になるか知らないが「収穫が楽しみ」である。「浪速多聞サクランボ」のブランドで売り出す積もりだ。高く売れるだろう。
・ 遅れていたが多聞尚学館「隣接の農地」が借用できることになった。これは中学生の「植物栽培体験用」である。今までは和泉の街中の土地を借りて「サツマイモ」を栽培していたが、今年から多聞尚学館で出来ることになった。
・ ただ土地の面積が広くて大変だ。生徒が耕すのもしんどいだろうから半分くらいは「樹木園」にしたらどうかという意見がある。琵琶とかミカンとかだ。確かに「千早赤阪は柑橘類で有名」である。
・ 1300㎡もあってメンテナンスが大変だが一部分の借用は適わなかったのである。PTAで野菜栽培に趣味のあるお方を探して使って頂くのも一つの考え方だ。もともとの「」だから「地味は肥えている」と地主さんはおっしゃっていた。
・ 中学校の副校長はサツマイモは成りが悪いので今度は「じゃがいもとサトイモ栽培」と言っていた。段々と「多聞の環境」が良くなっていく。素晴らしいことだ。生徒はそれを本校の近隣の老人施設にお裾分けするのが伝統なのである。

・ かねてから要望のあった「網戸」が付いた。普通の家庭用では持たないので「特別品」である。これで窓を開けても「虫」は入って来ないだろう。又「裏門の門扉を設置」した。これで「セキュリティ」は一応完成した。盗まれる物は何もないので「セコムはしない」。無駄なお金は使えない。
・ これであらかた計画していた設備は完成し揃ったことになる。中学生の野外体験時の「飯盒炊爨装置」は結局「取りやめ」とした。3学年分の装置は大変だしその後のことを考えたら今までの場所が「よかろう」ということになった。

・ 「 PTA成人教育研修会」のスケジュールが固まった。6月13日(土)である。例年は大学訪問とか観光地とかにするのだが、「新型」のこともあるので今年は河内長野市の「観心寺」と「多聞尚学館」とした。
・ 特に観心寺は「真言宗名刹中の名刹で大楠公の菩提寺」である。ご住職は本校理事長職務代理と府立富田林高校の親友で「高野山の総務部長、総本山金剛峰寺執行の要職」にあらせられる。私も数回お会いしたが豪放磊落、知的で「素晴らしいお坊様」だ。今回は住職自らの「お説教」が聞ける。理事長職務代理も同行して頂けることになった。
・ その後山里の隠れ家的レストラン「山燈花」で昼食を済ませて多聞尚学館だ。丁度その時は「週末スペシャル」で生徒が一生懸命勉強している。丁度良い機会と思って私も参加することとし、今日はその下調べで担当教諭と「料理の試食」に行ったのである。
・ しかし今日は教諭の運転する学校車で行ったのだが「怖かった」。「」しか乗ったことがないそうで、「ナビ」に触るのも初めてとのこと。信号は行き過ぎるし、道は迷うし、直進するのに左折レーンのままでいるから車は動かない。また背が高くないから首がちょこんと飛び出た感じで上目使いの運転スタイルだ。あれでは「空しか見えない」のではないか。後部シートで私は何時も「チョイ寝」するのだが今日はさすがに出来なかった。

・ さて今日で5月度も終わったが今月は「新型インフルエンザ」に振り回された。しかし何とか乗り切ることが出来た。来週からはもう6月だ。一向に蒸し暑くならないが例年通り「クールビズOK」とすることとした。

2009年5月29日金曜日

5月29日(金)理事会・評議員会

・ 本日は「理事会・評議員会」である。特に5月は「決算理事会」とも言われ、「20年度の「学校会計諸表」が審議承認される重要な理事会である。学校会計基準では年度終了から「2ヶ月以内」に行い理事会を行い、その議事録とともに「監督官庁即ち大阪府橋下知事に提出」しなければならない。
・ 2ヶ月以内というところが「ミソ」で極力「年度替わり直ぐにやれ」ということだろう。前年度の会計が確定しなければ翌年度の方針も「ママならない」だろうということである。これは「法律」だから破ると大変なことになる。「何か粉飾決算でももくろんでいるのではないか」と疑われかねない。
・ とにかく「公益法人」の不祥事というか犯罪が多い。最近では例の「漢字検定協会」理事長親子の「背任容疑」だ。新聞報道だけしか知らないからいい加減なことは言えないが報道されていることが事実なら「無茶苦茶」である。
・ 自分や「親族の経営するペーパーカンパニー」をスルーさせて「資金移動」をしたり、「法人のお金を自分のお金と勘違い」して流用するなどは「古典的な手法」で誰でも容易にわかりそうなものだが「創業者理事長親子」の「暴走」を誰も止められなかったのだ。
・ 特に「オーナー」というか「創業者」が理事長の場合、「家業」みたいに「錯覚」してしまうのは「人間の弱さと悲しさ」だ。この理事長も「塗炭の苦しみの中から這い上がって」今日の巨大な漢検を作り上げたのだろう。「自分のもの」と錯覚するのは「人間としての弱さと品格」である。
・ 株に流用する、骨董品買い入れに5000万円、カーレースへの資金流用、6億円もするような豪邸の買い入れ、とにかく「尋常」ではない。「感覚が麻痺」していくのだろう。周辺に誰も止める人材はいなかったのか?
・ ところがそれは居ないのだ。居ないようにすべて理事長親子が遠ざけるのだ。理事は十名以上居ても「名誉職」みたいなもので「社会的に立派な人」ばかり集めているが、そういう人は大体「業務内容や会計」には「うとい」人が多くて、理事長親子の言うがままだ。
・ それでは「理事の職責」は果たせない。又欠席が多く、「委任状」ですべて「お任せ」である。それが「理事長親子の狙い」でもあったと思うが。理事や評議員になるということは公益法人の場合、「大きな責任」となる。
・ まず「出席すること」、次は極力「勉強する」ことだ。一つでも二つでも知識を仕入れ、分からないこと、理解できないことは「質問したり、説明を求めたり」することが必要だ。「感想」でも良いのだ。それが「チェック機能」である。「理事長は評議員に意見を求める」ことも法律に書いていることである。評議員は何でも良いから意見を述べることが責任なのである。
・ 理事会も一流ホテルで「しゃんしゃん理事会」であったという。要は「理事会を総理する責任がある理事長の説明責任」が果たされていなかったのだと思う。公益法人の会計基準は「資金収支」と「消費収支」、それに「貸借対照表」の三つで全てが分かる。
・ 資金収支は「資金の使い途と調達先を明らかにする」ものであり消費収支は「年度の消費収入と消費支出の内容を明らかにして両者の均衡状態を表示」するものである。企業で言う「損益計算書」に類似したものであると考えてよい。
・ 「貸借対照表」は年度末の資産、負債を明らかにして「正味の財産の状態」つまり「財政状態」の表示である。恐らく漢検の場合、「大金持ち」だから皆さん、「目くらまし」にあったのではないか。「お金はたっぷりありますから」安心してくださいと。
・ どうも文科省の指導もあったみたいだが「金がないようにないように」隠すことが行き過ぎて「背任行為」に繋がっていったのだと思う。「検定料を下げるべき」であった。公益法人は私企業ではないのだから「お金が有り余ってはいけない」のだ。学校会計も基本的に同じことである。

・ 本校の場合を考えてみよう。まず私は「創業者でもなければこの学校法人のオーナーでもない。」この学園は「木村家の家業」ではない。言ってみれば「雇われマダム」である。「サラリーマン社長」と言っても良い。
・ 従って「自分のもの」という感覚は全く無い。確かに「危機に陥っていた学校を救ったという気概」はあるが、それは「私の仕事」であって「責任を果たした」という気持ちだけである。
・ 従って関係する会社もないし、ペーパーカンパニーも無い。制服販売会社もアルバム制作会社もスポーツ文具店も私とは「赤の他人」で私が来る前から何十年も取引のある会社だ。もし私が別の会社を持ってきたら「何かあると疑ったら良い」。
・ 私のした仕事への対価は「役員報」と「退職時の退職金」だけである。もし退職する時に財政的に可能であれば「役員功労金」だろう。判り易く言えば「プロ野球選手の年俸」であり、前年度の成績による「年俸決定」的考え方である。4名居る管理職へも「年俸制」で同じ考え方だ。すべて「理事会規則」に添っての話だ。恣意的であってはならない。「契約」の考え方だ。この方が余程すっきりしている。
・ 理事会・評議員会には徹底した「内容の開示」を行っており、「すっぽんぽん」である。隠すことは何もない。又お金がないから「隠すものもないのだ。」会計や経理についても事務室にはすべて開示している。
・ 本校では「複数チェック」体制、即ち複眼作業としており「1人の事務職員がお金を扱う」ようにはさせていない。必ず「2名一組」だ。理事長が何処にお金を幾ら使っているか、事務職員は誰もが知っており「透明」である。
・ 例えば理事長の会計は秘書が行い事務長補佐と給与担当職員がチェックする。そして事務長となっていく。すべて彼らはお見通しだ。「秘密に処理する」ことなど不可能である。又「実印、銀行印」は絶対に他人に任さず「私が捺印」する。「当たり前」のことである。

・ 非常に中味の濃い理事会と評議員会は手前味噌であるが見事に終了した。重要な議案であった「新武道館建設」は本日の理事会・評議委員会で「承認」された。これで又加速度が付くだろう。22年度の「学則改定」も承認された。これが結構討議を呼んだのであるが、「来年度の土曜日の使い方」という「戦略的方針」が出席者から高く評価されたのである。
・ 6月9日の「関西大学との特別連携の契約調印」も最終的に確認された。新たに関西大学から理事を招聘したのだが、この理事の出席で「本校理事会の議論の内容がまた進化した」と感じた。まとめにおいて「神社庁を代表」して神社庁顧問、道明寺天満宮宮司から「心温まるお褒めの言葉」を頂いた。
・ 私は「勝って兜の緒を締めよ」「油断大敵」「今後とも細心の注意で学校改革を進める」「徹底した透明性と説明責任」を述べ「今後ともご指導ご支援」をお願いしたいと頭を下げた。今までは良かったが来年の入学者数など誰も分かりはしない。来年はどうだろうかと「心配性」だから不安にもなるが、「しっかりとやるべきことをする」だけしか方法はない。
・ これで私の2年目が会計的には公式に終了したことになり、3年目に突入した。私にとって今日は「企業で言う株主総会」みたいなもので「全権委任」を得て「たった一人の学内理事」として新年度に入ることになったと言える。頑張らねばならない。

2009年5月28日木曜日

5月28日(木)中学か高校か

・ 無事に「中間試験が終了」した。大事な校内考査であり終わって「ほっ」としている。後は1学期の期末試験であるがこれも時期を1週間遅らせることで何とかなりそうである。教員から「部活動」についての再開を求められておりそれも解除とした。
・ 悩ましいのは「他校との練習試合」であるがこれも構わないとした。ただ他府県でやる場合は「大阪から来た」と用心されるかもしれないからそれえだけは気をつけるように言った。育ち盛りの高校生が臨時休校1週間、試験で1週間も「静かにしている」ことは「青春エネルギー」が余って大変なことはよく分かる。
・ 「新型インフルエンザ」での感染はもう「下火」だと思うが、「油断」は出来ない。ただ現時点では「弱毒性」ということで今後の対応は「柔軟に」していく積りだ。毎回臨時休校などしていたら「教育が成り立っていかない」。
・ 本人も含め家族で新型と判断される生徒が出たら「本人にのみ休校を命ずる」。その後本人の発熱状態等を勘案して「復帰の判断」をする。そのような生徒が同時期に2名以上発生した場合はその「クラスの閉鎖」をする。これが現在の「ガイドライン」である。

・ ところで昨夜の教員との懇談会で色々な話が聞けたのだが、考えさせられることがあった。実は「このテーマ」は前から抱え込んでいたのだが久しぶりに「頭の押入れ」から取り出してきたのだ。
・ 昨夜のメンバーの一人はこの4月に高校担当からから中学担当に替わって貰った教員なのだが、明るくてよくしゃべり、「中学の先生方は皆さん前向きで楽しい」と言って盛んに言っていたのである。当初は「中学は嫌だ」「都落ちした」「格下げだ」「遂に流浪の旅人」とか親しい同僚に言って「落ち込んで」いたらしい。
・ それは私宛の義経的「腰越状」直訴文で前から確認はしていたのだが、私は言ったのだ。「これから始まる長い浪速生活、また何時か高校に戻れば良い。後35年浪速での時間がある。」今の先生は「気分一新、中学で再スタートするが良い。」「キャリアパスだ。」と激励していたのだ。
・ 実はこの先生、「和歌山県の公立の採用試験に合格」していたが「私の元で働きたい、浪速高校で進路指導で頑張りたい」と言ってくれたので、昨年4月に専任に採用した教師である。ところが頑張りすぎて「体調を崩した」。ようやく復帰がなったので私は副校長と相談して「良かれ」と思って中学校に移って貰ったのだ。「環境一新、気分一新、再スタート」をと考えたのである。
・ その教員が目に見えて元気になってきていることは私にとっても大変嬉しいことなのである。私は彼を「採用した責任」がある。この先生を育てていかねばならない。しかし私の疑問は、当初、高校から中学に移動させた時に「何故そのような気持ちになるのか?それは何処から来るのか」未だに私には分からないのだ。これがテーマである。
・ 単に自分が「高校教師」を夢見て「やりたいことが一杯ある」のに不本意に一方的に替えられたから、このようなことを言うのか、他に中学と高校では本校の教員の深層心理として「中学は一段格が下がる」と思っているのであろうか。
・ 昨夜同席していた公立中学から本校に来て呉れた絵に描いたような中学の教員は「それなら、自分も格落ちかい」などと反撃していたが、一般的に「中学の教師は高校の教師をどのように見ているのか、高校の教師は中学の教師をどのように見ているのか」私には大変興味がある。
・ 単なる「自分の思い込み」だろうと思うが一体全体どうなんだろうか。同じことは管理職にも当てはまる。「高等学校の校長と小学校や中学校の校長の相対的関係」はどうなんだろうか。
・ 私は単なる「生徒数の違い、規模の違い」「専門性の適用の深さの違い」「生徒が幾分大人に近い」等々違いはあるのだが、給与処遇は中学と高校では違いはない。それに大体教員免許は「中学と高校の両方の免許」を保持しているのが普通だ。
・ しかし世間一般的は「小学校の校長先生と高等学校の校長先生ではどちらが格が上」と思っているのであろうか。「高校の校長が一段上」と思っているのかとも感じられる「ふしはある」のだ。
・ とにかくこの問題は「微妙」であるし、「いい加減なことは言えない」。このテーマはもっと勉強したいと思っている。「専門性の楽しさでは高校、生徒対応の楽しさでは義務教育」しかし、いずれも「それぞれの難しさ」がある。「高校は大学に近いから偉い」ということではなかろう。

・ 本校でも中学と高校は全く差が無い。1円の差もない。正直に言えば今理事長としては「中学の方が気にかかる」、校長としては「高校のほうが気にかかる」とでも言えるか。言い換えれば「経営的には中学、校務運営的には高校」ということである。
・ 昨夜のこともあり、久しぶりに「中学校の職員室」に入った。「とても明るく綺麗になった」感じだ。「スッキリ」している。教室を回った。生徒たちは校長が教室に入ると「キャーと歓声」を上げて迎えてくれる。これでは先生に申し訳ないから何時も指を口に当てて「シーッ」として生徒を制する。
・ 全教室を回ったが皆元気一杯で丁度中間試験の答案用紙を返されて点検していた。あるクラスでは3名の生徒が立たされていたな。騒いでいたに違いない。私はこういうのを見ると「面白く」なるのだ。「先生と生徒の距離」がよく分かる。
・ 高校の試験は今日明けたが中学は二日前に終了している。私は着任以来中学と高校を精神的にも物理的にも「分離独立」させてきた。わかり易く言えば「教員の渡り」を極力廃止してきたのだ。「高校の都合、高校教員の都合で中学への影響を少なくする」ためであった。実態としてその効果が出てきているみたいである。
・ 来年からは「関西大学連携浪速中学校」となり、「浪速高等学校は関西大学パイロット指定校」となる。基本的には大きく変わることはないが「中学、高校が切磋琢磨して良い学園」を作っていくための「戦略」である。今浪速中学校が「元気」であることは間違いなく「栄光への道」を着実に歩んでいるのだ。
・前述した教員もその「熱気」を感じ、「中学校は素晴らしい、全ての先生方が前向きである。ずーと中学校に居たい」とまで態度を急変させた「何かが中学校に生まれてきている」のだと思う。素晴らしいことだ。この先生が中学校で「大きく大きく卓越した輝く教師」に育ってくれる事を念願する。

2009年5月27日水曜日

5月27日(水)理事会準備

・ 朝一番に某私学の教頭先生が来校。「多聞尚学館」における本校の生徒の「学習合宿」にその学校の生徒さんを是非「合同参加」させて頂きたいとの要望を受ける。友好関係にある学校であるし他校の生徒との学習も「本校生徒への刺激」になると思って了解した。
・ まず校長先生と教頭先生が「現場を見るべし」と言うことでこの土曜日にお二人が多聞を見学することが決まった。「週末スペシャル」が行われている。生徒と一緒に「昼食も試食」ということで、ご案内はこの先生の知己である1年生の学年主任となった。
・ この教頭先生は「本校OB」で弓道の世界では有名な指導者であり、今回も今我々が検討中の「新武道館」のために「弓道場の図面」を貸与してくれた。先般「教頭就任祝いにネクタイをプレゼント」したのだが、今日それを締めておられた。大変良く似合っておられた。奥様の評判が大層良いということで私も嬉しかったのである。「センス」だ。

・ その後生徒は全く問題が無い状態で「新型インフルエンザ」はどうも本校の生徒に襲って来ない。「一安心」である。中間試験は3日目、「順調」である。
・ 気にしていた「修学旅行キャンセル問題」は大阪府私学課から「調査依頼」が正式に来た。「ニンマリ」と嬉しくなる。これで少し進むだろう。何とかして頂きたいと思う。政府も動いてくれており公的助成が私学にも成されることを期待致したい。

・ 朝、今年「4月に専任教諭に採用した3名の教諭」を読んで「厳しく激励」した。この前の臨時休校明けの月曜日に8時20分頃自転車で「ちんたら、へらへら」出勤してきた先生も含まれている。「変革と創造の志」を忘れてはならないと。
・ 3人は「同期の桜」として今後とも仲良く助け合っていくように年長のD先生を兄貴分として「団子3兄弟で頑張るように」激励したのだ。そして彼らがこの3月に私に書いて寄越した「専任としての決意文」を時々読み返し、「専任になれた時の喜び」と「初心を忘れるな」とも言ったのである。

・ 29日の理事会資料を作成。今回は20年度の「決算承認を頂く重要な理事会」である。先だっては公認会計士2名の監査を受け、昨日は私立学校法に定める「監事」の「会計監査と業務監査」であった。
・ 業務監査の対象は「学年主任とインテンシブコース長」であった。皆さん資料を揃え、上手く説明してくれたみたいで評価されていたが、中でもこの「女性のコース長の評価が抜群に高かった」。論理が明快で反応が良いと言われるのだ。監事のお一人はあの有名な四天王寺学園高校の校長先生を長い間された先生だ。学校の教員のことはすべて「お見通し」である。
・ 最後の講評で「理事長、ああいう女性の先生は大切に育ててくださいね」とわざわざ念まで押された。この女性教諭は共学になった時に採用された「第一号の女性教諭」で「橋下知事と同じ高校の卒業生」だ。そう言えば性格も良く似ている。「期待の星」だからコース長に抜擢したのだと私は説明した。
・ 「新校舎建設チーム長」を呼んで理事会に提出資料のために若干の打ち合わせをした。新武道館の設置場所は「三つの案」があり、それで「校内の意見集約」をするように指示した。「立地場所は教職員全体の総意」でなければならない。使うのは私ではない。生徒と教員だ。
・ 朝方、事務長が多聞に出張したので管理職会議を午後に持った。私から「理事会の資料と進め方」について説明した。理事長は「議長」であり理事会と評議員会を「総理」することが責任である。企業で言う「取締役会」だから極めて重要な会議である。
・ 何時も私は自ら資料を作り、それぞれの管理職にも「出番」を与えて「しっかりと仕事」をしてもらうことにしている。今回は「決算報告」が事務長、「関西大学との連携」の話が中学副校長、「22年度教育課程」が高校副校長だ。
・ 私は「経営と校務運営の状況の概括報告」と「新武道館建設」議案だ。今回はいずれも重要で「理事会の承認」、評議員会に「意見を求める」ことが法律で定められており、この辺のところは私は手を絶対に抜かない。管理職には極めて指導が厳しい。
・ 案外知られていないのだが教員が勝手に「教育課程」を決めることは出来ない。「教育課程は学校のそのもの」だからである。決めることが出来るのは「理事会のみ」であり、今回も来年度の課程を今回決めておかないと「来年度募集の学校説明資料など作業が前に人進まない」のだ。

・ 1人の校務員さんが「田舎に帰る」可能性が出てきたらしい。この前から事務長を通じてお話は伺っていた。中々真面目に仕事を「陰日なた無く」やってくれるお方で私は大層感謝し、評価している「派遣社員」さんだ。
・ 奥様も鹿児島のご出身で最近義父君が亡くなられ、いずれはあちらに家もあるので1年後までには帰るご意向という。もう自分では「年だ、年だ」と言われるし、幾分お疲れになったのかもしれない。直接お会いして話も聞き、止むを得ないので「常勤から非常勤」にして派遣ではなくて「直接雇用」としてあげる事にした。
・ これであれば時間的にも自由がきくしフルタイムで無いから疲れも軽減されるだろう。仕事は「週3日の多聞尚学館勤務」とした。これであれば「一人勤務だからマイペース」で行けるだろう。時間給を提示したら「そんなには要りません」と自ら下げてくる。「このような人も世の中にいる」のだ。
・ さて慌てて「校務員さん」を探さねばならない。ハローワークに頼んだところだ。条件はまず「健康」ということと「学校勤務に興味がある」という人だ。時間給は「弾む」と言いたいが、ここは公金の入った学校だから十分には出来ないが「そこそこ」までは考えねばなるまい。
・ 仕事は結構「変化に富んでいる」。学校行事の資材準備とか学院神社の「社守り」とか清掃掃除とか簡単な校舎施設の「営繕作業」とか私は面白いと思うがなー。今ベテランの本校専任校務員がいるのでその職員と「ぺア」を組むことになる。しっかりとした指導者もいるから、初めての人でも仕事は覚えられる筈だ。
・ ただ「教員は様々な人格を持った色々なタイプ」が多いから、それらに「驚かないこと」と「協調性」も必要だろう。ブログの読者で適切なお方をご存知でしたら直接事務に問い合わせてください。

・ 今日は一部の教員の「慰労会」だ。先ほどの新採用専任教諭3名と例の朝読書事件の当時中学教諭の2名、それに病気が回復して高校から中学に替って頑張ってくれている先生だ。この先生、中学に行くように言った時は「抵抗」したが、なんと今日は「中学が良い、ずっと中学で頑張りたい」とさ。「よく言うよ」。
・ 今日は「トルコ料理」、最近見つけ出したレストランで私は「嵌っている。」皆もトルコ料理など初めてらしく喜んでくれた。以上のような「訳ありメンバー」だから座が盛り上がらないわけはない。
・ 今日も例の休校明けぎりぎり学校に来た新人教諭は時間ぎりぎり1分前の到着で「最後のお出まし」となった。どうしてこのように遅いのだろう。初めての理事長招待で「この前のこともある。今日は早く行っておこう」となぜ考えないのか私は本当に不思議な気がするのだ。私の感覚が間違っているのだろうか。

2009年5月26日火曜日

5月26日(火)大学及びその周辺の当世的事情ー教育費

・ 前にも書いたが「多聞小学校を買収」したとき、「浪速さんは小学校を始められるのですか」と聞かれたことがある。「囲い込み」のために「浪速小学校を開設」するのも悪くはないなと思ったことは事実である。最も単なる気分のようなもので深く考えての話ではない。
・ 小学校を持つのは「余程の財政基盤が必要」であり、「ノウハウ」も必要である。「中学校や高校とは異質の難しさがある」のではないか。精々3クラスか4クラスでそれも6年間面倒を見るのであって、私などには「想像のつかない世界」である。
・ ところが今や「関関同立と言われる名門大学」は小学校を併設し「囲い込み」というか「エリート教育」というか、「大学が小学校から大学まで一貫コース」を有すると言うのは「時代の流行」なのである。最も関東では慶応幼稚舎とか学習院幼稚園部とか今に始った話しではないのであるが。
・ ところで現在「大阪府の私立小学校」はこの4月に開校したところが1校あるので、それを含めると「17校」ある。新しい私立小学校というのは「四天王寺学園小学校」である。例の藤井寺球場の跡地に作った四天王寺学園の系列である。
・ この小学校を見ると何か「慶応小学校」とか「学習院小学校」みたいな感じがする。これくらいインフラを固めて、素晴らしい校舎にてようやく「囲い込みに入った」というところであるが、今年は1年生と2年生からスタートしたのではないか。とにかく藤井寺市に素晴らしい施設の私立中学校が誕生した。
・ この学校のホームページを見ると「自信に満ち溢れ」ているのがよく分かる。授業料も安くは無い。四天王寺学園中学校、高等学校も大阪を代表する私立学校で、「系列の大学」も有しておりこれで「小学校から大学までの一貫学園」になった。

・ 一方全国に広がる「公立の中高一貫校」は明らかに私学を意識した内容と成っており、当初の「ゆとり」とか「多方面」とかではなくて「進学実績重視」と成ってきている。2002年の岡山県立岡山操山高校、2003年の滋賀県立守山高校は卒業生を出し始めているが素晴らしい進学実績を出してきた。
・ 今後04年以降の千葉、小石川、洛北、宮崎西などの伝統校から卒業生の実績が出始めれば、なだれをうって「公立中高一貫校がブーム」になってくるだろう。このことで何が起きるかとなれば結局のところ「塾業界が活気付く」のである。実際のところ「大手塾には公立中高一貫対策コース」などが設けられ「活況」だという。
・ 元来「塾業界は私立高校との連携で発展」してきたがこれがさらに「公立受験と言う新たな受験層の拡大」ともなればますま「私学のポジションの厳しさ」を認識せざるを得ない。「大変な時代なったものだ」。
・ 完全に「教育格差は親の経済力格差」と相関してきた。「狭き門」を潜り抜けるには塾予備校、そして少数の公立進学校、公立の中高一貫校への「受験勉強」、そして私立小学校中学校、高校、私立大学となってきたら一体全体「教育費」はどうなっているのか。
・ 大学卒業までの教育費は「すべて国公立でも860万円」という。「小中高は公立で大学のみが私立の場合は1250万円」、「小学校のみが公立で中学校から私立となると1600万円」、「すべて私立となると2300万円」という。
・ 以上はAIU保険の調査結果である。食費などの「基本的な養育費と教育費」を合わせると「中学校から私立で大学が理系なら3800万円」というから「家一軒の値段」である。とにかく授業料は上がり続け国立大学でも30年前の14倍の53万円、私大も5倍もの83万円が平均となった。
・ かっては「貧しくとも学ぶ機会」はあった。弟妹を養うために中学を中退し高卒認定に合格して働きながら大学に進むとか色々なケースがあった。「支援する制度は確かに機能」していた。しかし今やそのような話もあまり聞かれなくなった。
・ 東大の大学経営・政策研究センターの調査によれば「4年生大学への進学予定率は親の年収が1000万円超えだと61%」だが、「400万円未満だと34%」に留まる。所得格差の固定化がまさしく心配される。「お金のない家の子はそのまま循環される」というのだ。
・ 「貧乏」が故に人材が埋もれてしまう危険性に体が震えるが今「政界で話題の世襲議員問題」なども同じ理屈だろう。「地盤、看板、かばん」のない一般者が議席を得るなどは極めて困難になってきており政界に人材を得ないひとつの理由になっている。
・ とにかく「親が子どもの教育費に一財産費やす現代の日本」はやはりおかしい。親の経済負担をとにかく減らすことが緊急の課題である。これは資源のないわが国の「知的財産立国」「人材立国」を打ち当てるためにも「絶対に必要」である。誰もが分かっているこの対応になぜ故政治は動こうとしないのか。
・ 「教育にもっと公費を使え!」と私は叫びたい。在校生一人当たりの教育費は国と地方を合わせてもOECD加盟国で米国が1位、日本は8位だ。公共事業といって農業土木に税金を使うよりももっと建設的創造的な投資は「教育費」であることは間違いない。
・ ただ教育問題は実は最後の関門「企業側」にもあるのである。今だに企業の有する「学歴神話」は大きい。「大学名で選別する危険性」にすべての企業が早く気づき、出身大学や面接で分かるのはほんの一部分だと知らねばならない。
・ もちろん文科省や大学サイドにも責任はある。一部の大学に学生が集中するのはおかしいとしなければならない。学部を増やし、定員を増やしまさに大学は「仁義なき戦い」にある。ようやく大学の中には授業料の値下げや奨学金の充実化などの動きがでて来たが高校サイドは大歓迎する。
・ 私は今教育界は「戦国乱世」だと思っている。「個人の思いと一私立学校の経営者との立場で天秤」にかけながら動いている。「新校舎建設で膨大な資金が必要」だが公金は一円も出してはくれない。このお金も大きな意味では保護者の教育費である。
・ 「 教育に対する姿勢と公約、マニフェスト」を今度の選挙ではしっかりと見なければならない。2000万も3000万円も教育費がかかる日本をとにかく変える努力を国民問題として議論が盛んになるのは一体何時ごろになるのであろうか。このように考えれば気が滅入るが何もしなければ何も変わらない。私は私の出来る範囲で「意見を発信」しなければならない。

2009年5月25日月曜日

5月25日(月)休校明け

・ 「酷い目にあった」が仕方がなかった。「1週間の臨時休校」を終えて「学校は再開」だ。今日は滅多にないのだが正門で生徒の来るのを迎えてあげた。皆元気そうだ。時々生徒に「家でゆっくりと勉強できて良かったね」と声をかけるのだが「ウーン?」という感じで「手ごたえ」はなかったなー。
・ 学校と言うのは「生徒が居てナンボの世界」である。生徒も学校に来て「友達に会えるのが楽しみ」なのであろう。「良い顔」をしている。しかしそれにしても今回の臨時休校で本校でも「大きな損失」が出たが、府全体では莫大なものだろう。
・ さすがの知事も「参った」に違いない。「都市機能回復宣言」というが、こちらは「学校機能回復宣言」を出した。関西大倉は月末まで休校の継続だ。ところで本校の理事のお一人で茨木市に住んでおられる理事のご子息が関西大倉に学んでおられ、この29日にある理事会に出席されるのかどうか気になる。発熱が無ければ是非おいで頂きたいと思っている。
・ 試験は2限目からとして「全校生徒に検温」だ。朝自宅で体温を計ってくるように言っていたのだが中にはしてこない生徒もいる。「保健室で検温」とした。結局高校1年生で3名、2年で1名、3年で1名の発熱、と言っても37.3度以下であるが、用心して「自宅へ帰す」ことにした。
・ 同時に保護者に連絡して「病院での診療」を要望した。新型ではなくて一般の風邪だろう。嘔吐や下痢はないし、それほどの高温ではないが念には念を入れたのだ。中学生は微熱のあるものはいるが全く問題はない。
・ このようにして2限目から試験に入った。遅れた「中間試験」である。通常は試験期間中は学校居残りで生徒同士が勉強するのを許していたが、今回は「試験終了後即下校」とした。電車の空いている時間帯に帰宅させるのだ。

・ 「多聞尚学館」はこの間「小休止」であった。「新型インフル問題」と学校が「中間試験」であったからだが、試験が終了する今週末から「週末スペシャル」が又再開される。今度は1年生のⅠ類の1組とⅡ類の1組80名だ。基礎学力の出来ている集団であり、楽しみだ。「激励訪問」に出かける積りである。今の季節は千早は随分と気持ちが良いと思う。
・ 現在「学院神社の分社」を多聞に設置することを進めている。「御霊わけ」という。簡略な方法は建物内に「神棚」を設置することであるが、あれだけの建物と規模だから、小さいながらも「お社」を建てることとした。正門近くに設置することで生徒や近隣のお方の目にも触れる。多聞にかかわる人々の「弥栄」をお願いしなければならない。
・ こういう物はすでにビジネスとして確立しており「既製品」があるのだが、当然小さいものから大きなお社まである。従って「金額もピンきり」である。贅沢は出来ないが「みすぼらしい」のも困る。今慎重に検討しているところだ。
・ 多聞を「使わせて欲しい」という要望が出てき始めた。まず今年の夏休みのお盆に「藤井寺市のボーイスカウト」が宿泊活動のため、又8月の終わりには「(財)大阪府青少年活動財団の事業」で府内の選ばれた子どもたちの「自然体験の宿泊場所」としての要望を受けている。
・ 又来年のことだかが全国ボーイスカウト全国大会の会場にとある議員を通じて要望されている。「多聞は外部開放」しているのでドンドン外部の方にも使って欲しいものだ。「使用料は一泊1000円」である。

・ 来年度の「中学入試の科目数」を最終的に決定した。今までは国語、算数の2科目であったが来年から「国語・算数・理科・社会の4科目」とし、理科と社会のうち合格判定には良い点数の方を採用して判定することとした。これで名実共に浪速中学校は「1級の中学校」として進むことになる。
・ 来年度の「生徒募集のポスター」原案が完成した。これが素晴らしい。中学校は「校鳥のふくろう」が、高校は「金剛の山並みに多聞尚学館」が「ぼかし」で入れられており、なかなか「品の良いデザイン」となった。多くの小学生や中学生の目に触れることを期待するのみである。

・ 前からの懸案事項であったが「資金の運用」について事務長に最終的に決済を出した。資金の運用と言っても例の漢字検定協会のように「お金持ち」ではないから、恥ずかしいばかりの「手元余裕資金」である。「新校舎建設資金」として「ちみちみ」と溜めてきているのだ。
・ 「当座預金」や「普通預金」では利率も低く、検討の結果「1年定期」とすることとした。一時期、一部の大学が「デリバティブ取引」などに手を出して「失敗し大きな損失」を出したことが社会問題となったが、本校ではそういうことは絶対にしないことは決めている。
・ りそな銀行と三井住友銀行に分けて「1年定期」とするものだ。「利率は0.4%」であるがゼロよりは良かろう。「溜めては使い、溜めては使い」で落ち着いて溜まる暇もないが年間100万円でも利息が出れば有難いと考えたのだ。

・ 9月の「芸術鑑賞会」の出しものが決まった。担当の先生から報告を受けた。今年は昨年から始った「古典芸能シリーズ」の2年目と言うことで「和楽器鑑賞会~津軽三味線と和太鼓」となった。「良い企画」だと評価する。
・ 昨年が「浪曲」でベテランの三原佐知子師匠に今売り出しの若手「菊池まどか師」他であったが今年は「KUNI-KEN兄弟」に和楽器集団「独楽」のコラボである。津軽三味線のこの兄弟、三重県四日市の生まれ、今売り出し中である。同じ兄弟でも吉田兄弟は大御所過ぎて、値段が高くて呼べないのだ。

・ しかし「けしからん」と思う新任の教員もいる。今朝正門で生徒を迎えたことは冒頭に書いたが、なんとこの4月に専任に採用した新人が生徒と同じ8時20分頃に自転車で「ちんたら、へらへら」して学校に来た。臨時休校明けのそれも初日、月曜日である。
・ この教員が最後の最後に門をくぐった。130人いる教職員で新採用の教員が「最後のお出まし」なのである。またこの教員は担任だ。他の多くの教師は正門で門立ちして生徒を迎えているというのに「それはないだろう」と言いたい気分だ。
・ この5月12日には歓迎会までして祝ったお人だ。私は今年同時に「3人の専任を採用」したが他の二人は「緊張感」を持って頑張ってくれている。結局「こういう人物」なんだろうと思う。「やっとこさ、専任になれた。」この瞬間「プツン」と糸が切れたのかも知れない。こちらも切れたいような気分だ。もう泣きたくなる。
・ 生徒を迎えるのに門に立ったがまさか新人の教員を迎えるとは、「冗談ではない」。これは「本校が求める新人専任教員のあるべき姿」ではない。1年間は「試用期間」だ。厳しく対応する。教頭に「噛んで含めるように指導するよう」言ったところだ。
・ 「せめて30分前には学校に入るのが常識」だと私は思うがなー。「私が間違ってます?」「何?」「早く来るから“早出手当て”を出せって・・・?」「・・・・・?」

2009年5月24日日曜日

5月24日(日)大学及びその周辺の当世的事情ーセンター試験

・ 連休前の4月27日の日経新聞の中に久しぶりに「分かり易い」記事に遭遇した。インタビュー「領空侵犯」という囲みで大体「門外漢」と言っても実体はそうではないのだが、見識ある人を選んで「オピニオン」を紹介するものだ。
・ タイトルが「センター試験、科目選択なくせ」である。インタビューした記者は「聞き手から」として「この人、高校生の実態や大学入試の現状を知らないんじゃないの」と「戸惑った」と書いてあるから、言ってる内容は想像できるだろう。
・ オピニオンの当事者はいわゆる「教育界の人」ではない。「ここが良い」のだ。ニッセイ基礎研究所経済調査部長の櫨(はじ)浩一氏(55歳)という人である。東大から経済企画庁、そして現職だ。この人は言う。「若者にはもう少し勉強してもらわないと日本の将来が心配です」。
・ 「大学入試センター試験の科目選択をやめるべき」と論陣を張る第一人者である。センター試験は余りにも科目選択の幅が広い。だから昨年社会問題となった高校での「世界史の未履修問題」などが発生する。大学入試に出ないなら「勉強しなくて良い」となるのは当たり前だ。それを誰もチェックしようとしないのはおかしいと言われる。
・ そういうことなら「学習指導要領に必修科目」として入れる意味が無い。「センター試験は高校の必修科目を全部課すべき」との主張である。「イヤー胸がすくオピニオン」だと思いそうだが「ちょっと待って」という気もする。
・ 「受験雑誌」にはどの科目は平均点が高いとか点が取り易いとか書いてあるがナンセンスで科目選択の巧拙が合否を左右するのは「不公平」である。理系は理科選択が2科目、文系は理科などなくて社会科2科目とか、社会なら「地理」と「現代社会」が点を取りやすいとか、確かに受験生は良く知っている。
・ この方はそんなことは止めて「高校生ならこの程度は知っていて欲しいという内容」を「全部の領域から出題すべき」。これに対してインタビューした記者は「選択科目の拡大は高校進学率が97%という「多様化した高校生への対応」でしたよと反論する。
・ この「突っ込み」は的を得ているみたいだが、必ずしもそうではない。記者の視点ははっきりいえば「ほとんどすべての中学生が高校に進学する」時代になり「勉強のできる子と、できない子がいるでしょ!」と。「基礎学力のない子供にも全科目を課すのですか?」という疑問であろう。
・ これに対して「範囲を減らせば負担が軽くなると言うのは幻想」と切って捨て、「逆に範囲が狭いと問題が作りにくいため、瑣末なことばかり聞く問題が増えてかえって詰め込み」となる。議論がかみ合っていないのではないか。
・ 「範囲を広げて基本的な理解を大局的に問うことの方が高校生のため」という。このかぎりでは正しい意見だと思う。そして続ける。「大学はAO入試や推薦入試が増」え、私立大学の半分は「学力試験」を受けずに入学している。これは「当たり!」。
・ こういった大学生は「学力スタンダード」はきちんと守られているのか、「高校卒業に相応しい学力」が身についているのかチェックしなければならない。「大体、大学も大学で、安易に入学させる大学も、大学で何を学んだか問わずに採用する企業も問題」だと幾分「八つ当たり気味」だ。そして大学卒業時に「能力を測る試験が必要」と言われる。どのような能力を測定するのと私は聞きたいのだが。
・ センター試験はいずれ全国統一の「高校卒業認定試験に衣替え」すべきと結論を述べられ、難しくなくて良いから広範囲から出題する「全国統一の評価基準で高校での学習到達度を測定できる仕組み」が必要だという。これは分かる。
・ その上で各大学が独自に試験をすれば良い。そして最後が面白い。「高校の序列化」を招くと批判はあっても試験があるから人間は勉強する。高校生は勉強すべきで「こんな勉強何の役に立つのかと思ってもそれは後になって必ず役に立つと言われている。
・ しかし考えてもみよ。ご自身は東京大学から中央省庁に行ったエリート中のエリートであるだけにこのようなご意見を述べられるが、そういう高校生は「ホンの一握り」だ。まさに記者がいっているような「多様化した高校生」の集団である。
・ 学力は今一でも「性格の良い誰からも好かれる高校生」、「部活動に汗を流し、礼儀正しい高校生」、「文化活動や社会貢献に熱心な高校生」と「様々な高校生」がいるから高校は「面白い」ということも出来る。
・ ただ高校へ行くことの「目的を見失った高校生」、アルバイトに精を出す高校生、まったく勉強しない高校生などもいる。「親が高校だけは行ってくれ」と頼むから高校に行っているが本当は行きたくないとはっきりという高校生もいる。「好きなようにしたいねん」生活指導の厳しい学校は行きたくないと髪を染めたりオシャレしか関心のない高校生もいる。「学力だけが高校生の価値判断基準とならない」のだ。
・ ただ「全国統一の高校卒業学力認定試験」の提言などは十分意味があり、私は賛成である。120万人程度の高校生生のうち現在「センター試験を受験する高校生は45万人から50万人までである
・ その他の高校3年生はその段階でほとんどが「進路が決まっている」のと大学に行かない高校生である。大学に行かないということは就職か就職もしたくないフリーター予備群の高校生である。
・ 同じ学校において隣の生徒はセンターを目指して一生懸命勉強しているが、その隣では9月終わり頃には推薦入学が決まっている生徒がいるのは「普通の光景」である。そしてそれは「学校単位」で極めて明確であるということである。
・ 中学校の進路指導は「完全な、徹底した偏差値輪切り」であり、その「高校の名前」を聞いただけで、口には出さないが「ピンッ」と学校のレベル(?)が誰でも容易に分かるとうことが「教育界の常識」である。
・ このような高校教育の現実の姿を見ながら「日本の将来を担う高校生の学力レベルの担保と進路指導の議論」こそ重要である。単にセンター試験を全科目に課すとか全国統一高校卒業学力認定試験とか「言いたいことは分かるが、簡単なものではない。」まだまだ「深い議論が必要」である。しかし難しいのは、こういう議論が出来る人は現場の実態の分かっている人しか出来なく、「その数は極めて少ない」のである。
・ 教育問題は誰でも「すぐ教育評論家になれる」が、そのベースは「自分の関心の範囲内」か「自分の高校時代の体験・経験」である。英語が話せないのは日本の英語教育が「ナットラン」と言い、漢字を知らねば「日本語の教育が駄目」と言い、「理系教育が全滅」と嘆き、「30年前や40年前の学校の先生は良かったー」などと短絡的な意見は誰でも言えるのが、ますます教育問題の解決を複雑にするのだ。

2009年5月23日土曜日

5月23日(土)大学及びその周辺の当世的事情ー大学5年間

・ このブログは5月22日の「大学及びその周辺の当世的事情―就職活動」の続編です。

・ 確かに理論的には「技術技能の伝承」などと一時期言われて、若い世代の採用が取りざたされたが最近はさっぱり聞かれなくなった。これなど私は当初から「おかしい!」と思っていた。古い技術や技能の伝承など逆に「技術革新」から言えば「邪魔」である。技術は進化していかねばならない。伝承は歌舞伎などの「古典芸能の世界」だけで十分である。
・ 子どもの数は少なくなるが、大学は増え続け、企業は採用を厳しくするとなると「どういうことが起きるか」。「答えが現在の姿」である。大学は学生確保に「血眼」になって「指定校推薦状」を配りまくり、「AO入試」とかなんとか言って高校での成績と作文や面接などで筆記試験など課さずにいとも簡単に入学を許可する。
・ 驚くことに新大学生の45%がそのようにして大学生となっているらしい。だから漢字や簡単な英語、日本の福島県の県庁所在地を知らず、イギリスの首都は「パリ」などと言ったりする大学生が時に現れる。
・ 昔は大学生となれば社会から期待も込めて「尊敬の眼差し」みたいなものがあったが、最近は新地のホステスさんかと見間違うようなヤンキーな大学生や、いつ勉強しているのか分からないアルバイトが本職みたいな大学生が現れる。
・ そして実に大学卒業生の20%から30%は卒業年次に就職が出来ず、彼らは「フリーター」となり、「非正規雇用者」と呼ばれていくような運命を辿るのである。次年度も同じ現象だからそういう非正規は解消されるどころか「積み上がっていく」のである。
・ 先輩の姿を見ている後輩の大学生は大学に入った瞬間から「就職のこと」を考えており、これでは「おちおち」学問をするということにはならないのではないか。私の時代は4年生の10月が解禁で卒業まで半年もあれば十分だったが、いまや大学3年生になったら「気が焦ってくる」という。
・ 3年生の後半はまさに就職活動本番で「大学生ではなくて就活生」となるらしい。「就活生とは悲しい言葉」ではないか。そして運よく成果のあった者は4年生の5月連休明けには就職が決まる。この段階で6-7割が「就職勝ち組」というのだ。
・ この勝ち組がその後じっくりと「勉強しよう」とはならないだろう。「バンザーイ」と叫んで、後は卒業単位を揃えれば良いだけの話となる。まだ決まらない残りの学生は「目が引きつり」、もう学問するなどの気持ちはなく、「就活」で走り回るのだ。
・ 福井県立大学の祖田学長は文科省の大学設置・学校法人審議会委員であり、「大学教育の在り方」議論の有力メンバーであるが、この先生は「大学5年生」を提案している。入学後半年は「社会体験」を義務付け、最後の半年間を「就職活動」に振り向けるというのだ。なんと前後で1年ですぞ。
・ 要は「学士力回復」のため「まるまる」4年間は勉強の時間に取っておき、前半分は「社会勉強」後半年が「就職活動」というのだ。特に前半の目的は自らの意思で企業、農林業、観光業、地方自治体など社会のどこかで「ボランティア活動」を行い、社会経験を踏ませるというものである。
・ その後は10月になったら「大学に戻り」、専門の勉強をしっかりと行い4年後に初めて就職活動をさせると言うものだ。目的は「継続可能な職場」を見つけるための熟成期間で自信を持って社会に巣立つのであるとしている。授業料は4年分で良いという。
・ この内容は4月27日の日経新聞にあった記事であるが、私はこの先生のご意見を読んで「エー、マジ?」と思わざるをえないのである。例え授業料は4年分で良いとはいえ、学生を5年間拘束し、前半年は社会貢献に、後半分は就職活動と言っても「学生もいろいろ」で一律にはいかないだろう。ましてこの1年分の生活費は誰が負担するのか。学生保護者負担であれば「何をかいわんや」である。
・ 大体大学側だけの論理で考えている話で、先生が言われるようにこのシステムが何故若い世代の非正規雇用の解消になるのか良く分からない。又10月入社となれば企業社会の人事の季節は4月であり、定年退職者も10月まで延長させねばならない。
・ 大学院は10月から始めれば良いと簡単に言われているが大学院進学者を農業体験のために大学に来ることを禁止するには正気の沙汰ではなかろう。マスターコースは2年間である。このうち半年を社会経験などさせるべきではない。「研究とさらに専門性の向上」である。
・ 自分のところ、即ち大学だけは「良いところ取り」で4年間先にしっかりと取って置き、後は「上手くやってね」と言う感じで、賛同できかねる案ではない。世の保護者はこのアイデアにどのような感想を持つであろうか大変興味がある。
・ 私は思うのだ。この種の考えが出てくる背景は冒頭にあるように「大学生の学力の低下論」がベースにある。それを「学士力」と表現されている。しかしよくよく考えて見よ。全ての学生の学力が昔に比べてそれほど下がっているだろうか。
・ 祖田先生は京都大学を卒業され確かに頭脳明晰である。先生がご卒業された当時に大学に進学することの出来た時代は高校卒業生の「ほんの上積み」であり今は高卒の半分が大学に進学する時代だ。それぞれの平均値は大きく違って当然である。
・ 何時もこのような時に私は言うのだが40年前の18歳のトップ10万人と今のトップ10万人でどれくらい学力の差があるのだろうかって。全平均では比較にはならない。基礎学力の出来ていない「これでも大学生?」というのが現実に大学生になっているのだから、分析科学としては成り立たない話ではないか。
・ その1においても書いたように大学生の約半分は受験勉強などしなくても大学にいけるのだ。推薦入学、AO入試実に様々な方法で大学は学生を囲いこんでいこうとする。今や大学が「幼稚園」を抱える時代だ。大学は完全に学生の「囲い込み」の時代になった。
・ 全国800の4年生大学の半分は定員割れだ。大学人は「脅迫観念」にかられているのである。基本的に高校卒業数と大学定員数が逆転した「大学全入時代」である。人気のない大学、力のない大学は厳しい経営となり「来てくれる学生は無条件で受け入れる」という大学を私は現実に知っている。
・ 都市にある伝統のブランド大学に集中し、そこには学生は溢れかえっていても地方の私立大学は「閑古鳥」が泣いているというのが今の姿である。そういう状況にあって「日本の大学は一体どうなっていくのであろうか」。
・ 規模は小さいが私立の高等学校をあづかるものとして私は「かなりかなり複雑な思い」で生徒の「進路指導」を実施しながら「大学の行方」を注視しているのである。高等学校と大学の距離は近いというが私の感じは「遠い」。大学が見えないのだ。

2009年5月22日金曜日

5月22日(金)大学及びその周辺の当世的事情ー就職活動

「新聞の投書欄」も興味深いものがある。私は必ず目を通す。様々なジャンル、年代の方が社会の世相や事件などに「物申す」のであるが、新聞社はそれをどのように選択して掲載するのか難しいらしい。
・ その昔公立高校で「進学目標の数値化」をやろうとした時に組合と大きな騒動になり、朝日新聞が特集記事を組み「賛否の紙上討論」みたいなものをやった。賛成派の筑波大学の教受と反対派は例の内橋克人という経済評論家だ。この人に私は「時代錯誤のノルマ主義」まで言われた。
・ この時には投書が大量に来て、朝日はそれを載せてくれたが「多くの投書は肯定派」が多かったらしくて、その時の記者は「不本意」という感じで、それを私に伝えてくれたのを今でも覚えている。朝日新聞社はこの事件をその後「教育改革の本」にまで掲載した。
・ 今朝の投書で面白かったのは大学4年生で経済学部の学生が、「就職活動で大変だった」「勉強になどならない」「何のための大学か」などと自分の体験での苦労を投書していたのだが、現役の大学生だけに「その文章に静かな迫力」を感じたのである。
・ 完全に一昨年までの「大量採用時代」は終焉し、「雇用不安」の中で大学生の「就活」は厳しい。私の時代など「就職活動」の「活動という言葉」さえなかったような気がする。4年生になれば就職先を決めてそこに「面接に行く」といった感じで、今のように5社とか6社とか試験に行くとか、「内定を貰った、貰った」などという言葉も無かったような気がする。
・ 「貰った」などの表現は切ない。もっと「堂々として」という気がするのだ。「私を採用して良かったですよ。お買い得です」などと言わせてやりたい。本当に今の学生に申し訳ないような気がするが今から40年前頃とは全然様相が異なる。
・ 大学進学率も今の50%近い数値ではなくて25%くらい?、やはり当時は「大学進学」は一種の「エリート」的扱いであったように思う。高校進学者比率も現在のような「97%というほぼ全員高校進学」ではなくて「中学後就職」は普通だった。子どもの数は「団塊」と言われる世代だから「多かった」が大学数も今よりは少なく当然のことながら大学は名実共に「狭き門」であった。
・ 我々の世代の国立大学は「一期校」「二期校」という厳然とした区分があり、まず東大を頂点とする旧7帝大を中心とした「国立一期校が第一グループ」であった。エリート養成機関であったと言える。
・ 私立大学の数は極めて少なく「東京六大学」と言う言葉はあったが関西でいう「関関同立」などの言葉は私は後年になって知ったほどであった。完全に「国立大学優位の時代」であった。
・ 国立一期校を失敗したら国立二期校に行くかというとそうでもなく「併願の私学」に進んでいたような気がする。私の場合は同志社だった。人気の私学は全く今と同じで「都市圏のブランド私学」であった。従って当時の国立一期校の学生は就職に苦労するというようなことは無かった感じだ。
・ どの会社か官公庁かを選択するのかで頭を使うが就職したい会社を決めたら「就職する方法」は沢山あって、まず「企業からの指定大学」みたいなものがあり、先輩のコネやら色々とあって、国立1期校の学生には狭き門ではなくて「比較的緩やかな門」だったような気がする。
・ この時代は「高度経済成長の時代」でだれもが企業に就職するか、中央の役人を狙い、「教師になろう」というのは極めて少なかった。後年揶揄されて「デモシカ教師」といわれたものだ。教師にデモなるか、教師シカなれないという意味である。今は「超難関職業」となった。
・ 今、私はこのようにして年を重ね、若い頃に何処に就職するかを思い出してみると見ると「時代の移り変わり」を痛感する。大学で学んだ若者が「就職先が無い」「就職活動に神経をすり減らす」などはどう考えてもおかしい。しかし現実の姿は「過酷そのもの」なのである。
・ 私は現在の大学と大学生を見た時に「この国の現実の姿の全てが映し出されている」ような気がしてならない。いまこそ大きな意味で「大学改革」「大学を巡る周辺の改革」が必要であると強く思う。この職業に付いて以来「ヅーッ」と思っていたのである。「本音と建前」という言葉があるが、「思いと現実」と言った方が良いかもしれない。
・ 確かに今まで「大学改革」はなされてきている。「国立大学が法人化」され、「大学院大学」の設置などかなり踏み込んだ改革と思うが、結局「大学設置基準の緩和」は「大学の数」を増やし続ける結果となっただけではないのか。これでは大阪の「タクシーの数の増加」と同じであり、「大学の半数は定員割れ」の状態である。「タクシー運転手残酷物語」ならぬ「大学残酷物語」だ。
・ 1998年には「4年制大学の数は604校、それが今は2008年で765校」である。子どもの数は「18才人口で言えば162万人から124万人」だ。流れる川の水量は減少しているのに「ダムの数」は増えているのだから「水が一杯」になるわけが無い。「自然の法則」である。
・ 大学と言うダムでせき止められた水は今度は「企業と言う入れ物」に殺到することになるが、こちらの方も一層の厳しい状態になっている。しかし考えて見ればこの傾向は90年代のバブル崩壊以降、実は傾向的には「労働力の多様化」のために「新卒の門」は狭められてきたのだ。
・ 高齢者が元気を出すようにと「定年が延長」され、「高齢者雇用促進法」が整備され、「外国人労働力」が認知され、「パート、派遣労働」など「何でもあり」の状態になってきた。企業は少数の「幹部候補生」だけが継続的に採用できれば「後は何とかなる」と腹をくくれる「仕組み」ができてきたのである。
・ 以下 今後に続く。(大学とその周辺の当世的事情について今後定期的に独断と偏見の意見、感想などを述べて参りたい。)   
                             以下その2に続く。

2009年5月21日木曜日

5月21日(木)修学旅行のキャンセル料

・ 休校期間中に特に高校生が「あちこちに出没」していると新聞記事に出ていた。橋下知事も「困ったものだ」という様相で「しっかりと家で勉強して欲しい」などのコメントを出している。教育長も「対応策を強化する」と述べている。
・ 府教委への「クレーム」が凄いのだろう。勝手に学校を休みにするだけで、生徒の面倒を見ていないから朝から外に出歩いて子どもは遊びまくっている。「何とかしろー!」というようなものではないか。想像できる。
・ 確かにカラオケ店や駅前のショッピングセンター、ゲームセンター、アメリカ村などでに出没している生徒もいるらしい。私自身も心斎橋を歩いていたら、これはひょっとしたら「高校生?」などと感じる若者を見かける。
・ 休みだから制服など着てはいないが商売柄一目で「高校生かどうか最近では分かるようになってきた」。しかしこれは基本的に「不味い」わけでちゃんと指導しなければならない。大阪府の私学課からも指導強化の要請が来ていた。
・ 本校は生徒生活指導の教員がグループを組んで堺駅、岸和田駅など生徒がうろつきそうな場所を巡回しているし、いままでお店の方から通報などはない。しかし徹底のため学校ホームページの「緊急連絡」欄に「指導事項をアップ」するなどして注意を喚起している。
・ 本校の場合、運よく25日から「中間試験」になっており、これは大きな「規制力抑止力」になっているはずだ。特に1年生や2年生の中間試験成績はその後の「転科転コースや進路に影響」あるので生徒は「気になっている筈」だから、勝手気ままには出来ないと私は踏んでいる。
・ しかし「生徒の気持ち」も分からないではない。家には誰も居なくて兄弟姉妹が居るところはまだしも、たった一人で、お母さんは外に働きに出て留守の状況の中で、朝から晩まで「勉強、勉強」と言うわけには行くまい。「ストレス最高潮」と言ったところだろう。
・ 特に修学旅行が直前で中止になった学校などの生徒は「脱力感」なども加わって大変なことは想像できる。今朝の記事に「樟蔭高校」の例が出ていた。18日伊丹空港で北海度行きの飛行機に乗り込む「寸前で中止」の連絡があり生徒は「有り得なーい!」と言って泣き出す者も居たという。分かる。

・ ところで「修学旅行のキャンセル問題」がにわかに「クローズアップ」されてきた。私はこのことを想像していた。橋下知事なら絶対にその内に「言及するのではないか」と想像していたが「的中」した。
・ 我々は5月12日に「修学旅行中止」の「臨時保護者集会」を持って一連の経緯をご説明した。その時の様子は12日のブログに詳細に記載しているが想定どおり「キャンセル料」問題が保護者の最大関心事の一つであった。そのブログの一部を再掲しよう。
 “保護者の関心は色々あったが、「中止はやむなし」、しかし代替として何処に連れて行くのか」という質問が多かった。しかし延長論やオーストラリア以外の国など様々なご意見が出てきた。
やはり「キャンセル料」の問題が関心の主体であり、ご理解は頂いたが今後とも削減の努力と新しい国内修学旅行の企画でトータルとしては「損金」の少なくなるように努力すると私は申し上げた。
7時きっかりに始まり体育館での説明会が終わったのは8時45分、その後遅れて参加された一人の保護者と校長室で「キャンセル料問題の延長戦」となった。これが終わったのが10時過ぎで「完全にご理解」頂き、最後は握手、握手で「すべて校長に任す」と言って頂いたのである。
その後別室に待機していた旅行会社3社の担当者総勢6名にニュアンスをお伝えし、中止の正式決定と今後の段取りについて最終確認をしたのである。“

・ 昨日の夕刊から今朝の朝刊が記事にしている橋下知事の発言は「修学旅行は最大のイベント、悲しんでいる子どもたちのためにもどうにか財政的な支援をしたい」というもので「府教委に対してキャンセル料の発生状況を調査」するように指示したとある。
・ 知事は「良い勘」をされておられる。前にも書いたが「15兆円もの補正予算」がある。自治体には一般財源として大層大きな金額が期待できる筈で、それを期待されているのかどうか分からないが、「支援」して頂ければ有難い。
・ 「唯一の不安と言うか不満」はここでも「私学の私の字もない」ことだ。このキャンセル料は授業などと違って私学も公立もあるまい。支援なら「公立私立平等であるべき」だ。私学の保護者は善良な納税者である。
・ 無いと思うが若し公立学校のキャンセル料は公費から補填して私学は保護者負担と言うことにでもなればこれは「許してはおけない」と言うことになるだろう。私自身も立ち上がなければなるまい。
・ 今回の知事の府下全校の休校措置は「英断」であったと私は評価している。ただ私学樟蔭高校のように伊丹空港で直前に中止になった学校とか本校のように本当であれば「本日21日の夕方、関西空港から順次オーストラリアや北海道に出発の日」であったのである。
・ 今朝の日経新聞の記事はJTB西日本や近畿日本ツーリストが「修学旅行キャンセル料無料」と出ていたがこれは「誤解を招く」記事だ。「延期なら無料で中止の場合は対象外」とあるが真偽を確かめるように担当に指示するとともに、午後旅行会社3社に私から直接電話して「正当な扱い」「常識的な扱い」「温情ある扱い」をお願いした。
・ 延期と言っても本校のように600名を超える部隊で海外旅行において飛行機、ホテル、訪問地が全くこの5月と「同じようにスケージュールが組めない」と想定し、又「学校行事」がすべて「がちがち」に決まっており、やむなく中止としたのであって好んで決定したわけではない。
・ 本校は進学校だから高校3年生にもなって修学旅行に行かせるわけには行かない。だからギリギリ「来年の3月トップに国内旅行」で「新たな企画」を組みなおすことにしたのだ。これは「中止だから駄目」と言うのは解せない。それなら延期に変えるだけだ。
・ いずれにしても大阪府、旅行会社、事態はまだ「流動的」であり、「今後の展開」を見極めたいと考えている。しかし「旅行会社も大きな被害者」であることは間違いないが、「休校は致し方ないとしても、修学旅行中止のキャンセル料を保護者負担にすることは出来ない」 と考えなければならない情勢になってきた。
・ まして公立は公費で弁償し、もし「私立は知らない」ということでは私学の関係者は納得できないだろう。私は今後どうなろうとも「本校の2年生の保護者へキャンセル料で負担を求めることは出来ない」と昨日から本日にかけて意識が変わりつつある。「最悪のケースの覚悟を決めなければならない。」

2009年5月20日水曜日

5月20日(水)今、農学部が面白い

・ 「静かな毎日」である。妊娠中の女性教諭一人を除いて全員出勤してそれぞれが業務をこなしてくれている。「自宅待機中の生徒からは今のところ異常の報告は無い」。「ひやひや」の毎日である。気温よ、上がれと毎日出勤時に学院神社にお願いしている。
・ 神戸では治療に当たっていた病院関係者からも出たという。又大津市では「第一号の大学生感染者」だ。今まで高校生に多くて大学生に居ないのは何故だろうと思っていたがこれで納得だ。大学もクラブや集団行動はあるし高校生と年もほぼ同じではないか。この大学生、15日から18日に掛けて「神戸へ出かけた」とある。行かねば良いのに。
・ ところで大学生と言えば、最近「五月病」という言葉を聞かない。新聞記事でも出てこない。例年なら大体5月の連休を過ぎたら大学への新入学生や企業への新入社員の中には「こういう筈ではなかった」と言って「落ち込み」、「退学したり、退職」したりすることが話題になったものだ。
・ 100年に一度という経済不況が背景にあることと今年は連休前に「新型インフルエンザ」という爆弾が世界中に落ちたから「のんきなこと」を言っている暇もなかったのかも知れない。
・ しかし私は日本もミニバブルが米国のサブプライムローン問題を引き金にして弾けて、少し「落ち着いて」きたことが背景にあるのではないかと思っている。今の方が普通でちょっと前の方が異常と考えれば話のつじつまは付く。
・ 90年代後半のITバブル崩壊後、製造業を中心に「ミニバブル状態」が続き、元々我々日本人は「少しバブル状態の中」で生きていく方が心地よく感じる性向を持つ民族である。「少しくらいのお祭騒ぎが大好きな国民」なのである。
・ 「少子化傾向」は間違いない統計的事実であるが、「大学や学部は増え続いているというのも日本らしい現象」である。「1998年には604校であった4年制大学は2008年には765校と急増」である。コンビニをしのぐ伸び率ではないか。
・ 一方この10年間に「18才人口は162万人から124万人に減少」している。通常で言えば企業の採用などは「売り手市場」であり、何処でも入社できたのであるが必ずしも「雇用情勢の変化」で一方的に売り込める時代は去ったということか。
・ しかしある程度は企業も人材確保が必要なのであり、最低限の幹部候補生はとるにしても「どうでもよいような学生」は必要としなくなってきているのではないか。一つには「高齢者雇用促進法」の影響があるだろう。若者の仕事を年寄りが奪っていると言う人もいる。
・ 昨日のクローズアップ現代では「就活(就職活動)に奔走」する大学生の姿を追っていた。「正社員になりたい」との願望は極めて強い。「分かる」。卒業年次に正社員就職できなかったらその後の機会は大きく減じるらしい。
・ 「本格的に実力時代の到来」という気もする。本当に必要とされる人材しかチャンスはないという厳しい現実が待っている。「人材バブル時代の崩壊」と私は考えている。常に私は本校生徒にはこのような事を伝えているのだが彼らには切迫感がない。薄いのだ。
・ 「大学で何を学び社会でどのような生涯をかける仕事を持つのか」、ボツボツ考えよと声を張り上げるとちょっとの間は「静かになる」が、すぐ頭からははずれ目先のことに興味関心が行ってしまう。
・ 人生の分岐点になることは間違いない「大学選び」も生徒にはまだ「真剣み」が足りない。頭にはあるのだろうが頭の引き出しに仕舞っており動かそうとしない。だから「世相」に大きく影響される。
・ 大手予備校の調査分析結果によれば今年の大学受験は間違いなく景気悪化の影響をもろに受けているという。地元志向がますます強まり、「親元から通う大学」、それと大きな特徴は「記念受験の減少」という。
・ 「確実に受かる大学を選び」、「学部選択も減少」だという。大体受験料は一校あたり35000円くらいだから、それを気にして受験する大学学部を精選する傾向だというのである。統計的には一人6大学学部を受験すると言うからそれだけで21万円もかかる。「下宿」となると自宅通学の3倍以上は費用がかかるから大学進学は確かに「大変」なのである。
・ そのようにして「本人の意思で行った大学」が気に入らなかったといって「5月連休後のバイバイ」では親も泣くに泣けない。しっかりと「進路選択」を学校も何より本人が考えなければならない。
・ 今年の人気は「食への関心」から「農学部への人気」があり、「ノーベル賞受賞者」が出たこともあり「理学部」を中心とする理系人気だという。一時大人気を誇った歯学、薬学は惨憺たる志願者減となっている。一時期の薬学人気はすごかった。
・ 駿台予備学校の調査によれば完全に「理高文低」という。断トツに理学部、そして農林水産学部、看護保健学部、工学部、医学部の順番となる。文系では「教育学部」が強い。これらは明らかに社会の風潮というか世相を反映しており、当分この傾向は続くのではないか。又岩手県立医大、島根大、大分大など「地方の国公立大学」が伸びている。
・ ところで今まで定員割れに泣いていた全国42の都道府県にある「公立農業大学校」で今年入学者が急増しているらしい。16日の朝日が報じている。主に高校新卒者が学ぶ養成過程に前年度対比で190人増でやく1900人が入学したと言う。
・ 総定員に対する充足率は4年ぶりに8割だと言う。間違いなく背景には深刻な雇用不安があるのだと思う。今テレビでも時々放映するが「就農」が一種の「ブーム」になっている。「脱サラ」して農業をやるとか。
・ 羽曳野市にある「大阪府農業大学校」でも3年ぶりに25人の定員を満たした。農家出身が3人、農業系高校から3人だがそれ以外は「違う畑」からの参入組みという。高校は普通科で農業に興味を持って専門的実践的な知識を学び「休耕田」にチャレンジしても良いし、いまや大手企業が「農業の工業化」に取り組んでいる。私は素晴らしい着点だと思う。
・ 誤解を恐れずに言えば「大学に行かなくとも良い」時代になってきたということではないか。大学に行くことが輝かしい人生への切り札とはならないと明確になってきたのだ。元々そうであったのだが「誰もが大学に行く」時代は終焉しつつあるような気がする。
・ 「ファッション感覚」で大学に行っても無駄で意味はないのである。希望の就職先などあっても入れないだろう。そうなら畠で汗を流す方が良いと考える層が出てきたとしても不思議ではない。だから農学部や農業大学校が人気となる。
・ 日本は徐々に「常識の、普通の国」になってきつつあると私は思っている。それは「良い傾向」と思っているのである。今の激変は「胎動」である。新しい国、価値観への「生みの苦しみ」かも知れない。
・ 今「専修学校」化の動きが急であるという。専修学校から大学の3年生に「学部編入」するのが気が利いていると言うのだ。これも素晴らしい。実践を経験しさらに「上を究めたい」と考えた者が大学に進学するのだ。
・ 遅々として改革が進んでいないように見えるが、「どっこい」、よく観察すれば私はこのような兆候があちこちに出てきているのではないかと思うのだ。「そういうことも生徒には教えていかねばなるまい」。前述のクローズアップ現代でも企業は「即戦力」「実践力」を採用のキーワードだとしていた。どうしようもない大学生など、どの企業も組織体も採用などしないだろう。外国人、ベテラン、転職者、引き抜き、定年退職者、「労働力ソースはまさに多様化」してきたのである。

2009年5月19日火曜日

5月19日(火)臨時休校の余波

・ 朝一番に広報情報委員会のT先生が「昨日のホームトップページのアクセス数」を持ってきてくれた。「過去の記録は3月のネットでの合格発表」の時であったが、この時を別格とすると「新記録」となった。「緊急連絡の設定は大成功」であった。又この日の「校長日記」はネット発表日の数の1.4倍となっている。名実共に新記録である。
・ ところで校内に生徒が一人も居ないというのは本当に「静か」である。静かさを超えている。「物音一つしない」というのが実際的な表現である。「冷え冷え(ひえびえ)」としていると言っても良い。日曜や休日では部活動などで生徒の姿は見えるものだが、全く見えないというのも「寂しい」ものだ。日頃生徒数が多いだけに尚更に感じる。
・ 結局のところ昨日の休校決定から「全校生徒の健康状態を把握」するのに今朝までかかった。昨日は中間試験開始日であったが、約20%の生徒は朝登校してこなかったのである。それを追いかけるのに大変だったのだ。それには要因がある。
・ 来なかった生徒はテレビの報道で「休校になるな!」と踏んで学校に出て来なかったのである。「学校ホームページ」を見て確認したのはまだ良いほうで、「テレビニュースを聞いて」勝手に休校と思い込んだのも居たのではないか。「とにかく学校に行って見よう」と考えるのが普通の感覚だが、「無駄になる」と「無駄を省くのが美徳」だと思う向きも「当世風」なのである。
・ 今朝の新聞ではある公立の教員がこのことを問題にして投書をしていた。知事や府教委が現場のことを考えずに一方的に朝早くから「休校措置を発表」したものだから、同じように学校に出てこない生徒が多くて困ったと書いていた。しかし昨日の夕刊によれば大阪府も厚生労働省からの要請で「ギリギリの知事の決断」だったと言うことがわかる。
・ 学校の中には出てくる生徒を待ったり、来ない生徒への連絡の仕方など確認しようがなくて教室に閉じ込めたまま昼前になってようやく帰宅させたなどあったらしい。特に「家庭学習の教材」を渡せなかったりした学校もあるらしい。浪速中学校は「郵送」した。家で遊ばせる訳にはいかない。
・ 又「伊丹空港」で北海道行きの修学旅行で飛行機に乗り込む寸前に「取りやめ」の指令が入り「泣く泣く」学校に戻って行ったとか、「新大阪」でも同じような光景が見られたと今日の新聞にある。生徒にとっては「生木を裂く」ような酷い話だが長い人生にはこう言うこともある。可哀想だが仕方がない。出発しても「大阪から来たー!」と言って「閉じ込められ」食事も出して貰えなかったかも知れない。
・ まずは全校生徒を集め、しっかりと事態の説明をし「休校中の注意事項」などを持たせて帰らせるのが筋で「現場無視も甚だしい」と先の投書者は歎いていたがこれは分かるような気がする。しかし「非常事態」で先例は無いから仕方がないわな。それよりも私はこれだけの大阪府内の全学校が「粛々と休校に移行」したのは立派で「キスカ撤退作戦」に匹敵する「橋下知事の求心力のなせる技」だと評価している。「知事の力」ってつくづくと凄いなと思う。
・ 7時30分にホームページにアップしたのでそれを見た生徒は学校に出てこなかったのであるが、次回からの「反省事項」だ。一旦学校に来させてから「帰す」と言う手が本筋だろう。次回と言ってもこのようなことが何回もあっては困るが・・・。
・ 現在本校には総勢1854名の生徒を数え、とにかく多い。中学289名、高校生1565名である。常勤講師以上の先生でこれらの数の生徒の全てを把握するのだから正直「大変」なのである。
・ 学校に来なかった生徒を中心に「健康状態」を把握するにはまず「電話」である。ところが電話が繋がらないケースもあって結局昨夜の22時になってようやく1名を除いて把握できたのである。電話をしてもつながらないと言うのは「誰も居ないか」「電話口に出ない」かのどちらかである。
・ 最後の1名については結局昨日中には把握出来なかったために担当の先生が今日朝早く「家庭訪問」となる。そして朝九時半ようやく生徒と保護者にも「面会」出来たのである。私はその報告を受けて「ホッ」と一安心した。早速まとめて大阪府へ報告となる。
・ これで本校では今朝現在「感染疑いのある者」は一人もいないことが把握できた。一人熱がある生徒が居るのだが、しっかりとした保護者でちゃんと医療機関に見せて「陰性」で普通の風邪だと確認できている。もう熱も下がっているとのこと。
・ 保護者連絡で言えることは、まず基本的に今日ご自宅にいて「一日中家事だけしている主婦」は少ないと思ったほうが自然である。様々な理由があろうが自営業、フルタイムのお仕事、パートタイムのお仕事など色々だ。
・ だから臨時休校にしたところで、生徒は家に帰っても「誰も居ない」ということである。昨日のブログに少し書いたが、今朝の新聞も幼稚園、保育所、小学校児童を抱えたお母さんは学校が休校になって「困った、困った」ことが報じられている。働くために「子どもを預けて呉れる場所」がなくなったからだ。
・ 又現象として「カラオケ」店が高校生で満杯になったという。中には「高校生お断り」の張り紙を出しているところもあった。本校も生徒指導の先生が近隣を見回ってくれたがさすがに昨日は見かけなかったという。
・ しかし今週土曜日まで休校だから、橋下知事の言うように「生徒の皆さん、家で静かにしておいてください」と言われても「無理だろう」と思う。明日くらいから「要注意」だ。友達同士、連絡しあって落ち合い、遊びに出かける可能性が高い。
・ いまや学校は生徒にとって唯一の「居場所」となっており、家に帰ってもお母さんは働きに出ており、留守で、自分ひとり「ジーッ」と家に篭っているのは苦痛以外の何物でもない。家にはおじいちゃんやおばあちゃんも大体居ない。まさに「核家族化」しているのである。
・ 臨時職員会議を行い、教職員は特に「健康管理に留意」して欲しいと伝えた。午前中は学校に来て貰い、特段状況に変化が無ければ午後からは「静養と健康管理の為」に「有給を取っても構わない」と言ったのである。「教材研究」も自宅のほうがはかどるかもしれない。生徒もいないのにじっと席に据わっているのも可哀想と考えたからである。
・ ただ有給を取っても「居場所連絡体制」だけは確実にしておいて欲しいとも述べた。本校の教職員が学校の休校中に「有馬温泉」や「住之江競輪場」に出かけてそこで「新型インフルエンザ」に罹患したとなったら「不味い」からである。
・ 政府は幾分「現在の対応基準」が厳しいということに気付いて、「何とか緩和措置を検討する」と言い始めたが今後どのような展開をしていくのかサッパリ想像も出来ない。日本国内1億2000万人の人口で163人程度の罹患がこれほど世の中を騒がすような事件なのかどうか私には未だに理解できない。
・ 橋下さんも「まさかここまで影響があるとは・・・」と思っているのではないか。新型インフルエンザで大騒ぎの日本を外国の特派員が見たら「不気味な国民」と感じていると思う。私はそのように感じる。
・ 今日は「公認会計士の監査の日」であったが2人の先生は部屋に入るなり「マスクして良いですか」と断わって話し始めた。まず相手に「断わるものらしい」。お顔の感じは「私からうつされないぞ」と書いてあるみたいだ。私は言ったのだ。「新型のウイルスは保有していないがそれよりも強い毒性のウイルスを私は持っているのでマスクをどうぞ」と。
・ 事務長を入れて「大の男4人がマスクをして話している姿」もおかしいと我ながら思った。今まで長い間生きてきたがこのような経験は全く無かった。私など眼鏡をしているので「眼鏡が曇る」し息が苦しくなる。しかし相手が外さないので最後までこちらもつけたままとした。「何時までマスクをするの?それが問題」だ。

2009年5月18日月曜日

5月18日(月)臨時休校決定

・ このような扱いでは「切ないではないか」「やるせないではないか」と思ったが「まあ、行政当局の私学への思いはこの程度なのだろう」。しかしいささか「腹が立つ」。深夜厚生労働省の要請を受けて「大阪府は未明に府内管轄の中高の7日間の休校」を決めた。
・ 府教委は朝6時過ぎには「各公立学校」に対してファックス等で「休校措置」を命令した通知文を出す。NHKは朝6時のニュースでそれを「速報」として流していた。「何処も私学のことは言わない」。これを見た瞬間私は怪訝な面持ちで「私学はどうなるの?」と思ったのは当然だろう。
・ アナウンサーの言葉や橋下知事の午前1時30分の深夜の記者会見でもすべて府管轄の公立中学校や高等学校の話ばかりで、政令都市の大阪市や堺市はそれぞれが判断すると述べるだけで「私学の私の字もない」のである。
・ 私は携帯電話で副校長に電話し、管理職ならびに指導・教務部長、学年主任、広報情報委員会メンバーを極力早く学校に呼び寄せるように指示を出した。この時点で「休校止む無しかな」と覚悟しながらの連絡であった。
・ 朝6時40分学校到着。丁度指導教諭も自家用車で到着したところであった。「緊急事態の時」はこういう対応でなければならない。タクシー代など後で学校が支払う。江戸時代から「登城太鼓が鳴れば」急いでくるのが「禄を食むものの振る舞い」である。一般の教員もこういう時に「ちんたら、ちんたら」何時も通りの時刻に出勤するのは「感性の問題」である。
・ 私学課への問い合わせ、各学校などへの情報収集を指示する。「7時頃から学校への電話がひっきりなしに鳴る」。テレビ報道を見た「生徒・保護者からの問い合わせ」であろうが、教員は電話に出ておれないので申し訳ないが「話中」として電話には出られない。とにかく早急に対応を決めなければならない。「本校はどうするか?」である。
・ 7時20分  管理職会議   「休校を決定・宣言
ホームページへのアップを指示」。学校へ登校してくる生徒は一旦教室にて待機させ、校内放送を8時40分に入れることなど今後の対応を決定した。
・ 7時30分  私学課へ「休校決定」を連絡   
・ 8時25分 「臨時職員会議
・ 8時45分 「校内放送」生徒へ校長から休校を伝え注意事項などを連絡する。
・ 9時00分 「生徒下校開始
  通勤混雑がほぼ終わる時間帯を見て下校させ、その前に生徒の健康状況の調査を実施。
  私は正門で帰っていく生徒を観察しながら見送る。生徒はどうも「喜んでいるように」見えるのだ。試験が延期されて嬉しかったのか。中には「校長先生、良い判断だと思います」などと茶化しているようなケシカラン生徒もいた。
・ 10時30分 「校務運営委員会
ようやく落ち着いて「今後の段取り」の打ち合わせ出来た。しかし本当に学校と言うのはこのような事態になると大変なことになる。「様々な行事がすでに決まっている」からそれをどうするか大変なのである。教員は「ため息」を出している。
・ 11時00分 全教職員にマスクを配布
全教職員に「マスク」を配布した。ここで「教員が倒れると人手が足らなくなる」ので困るのである。とにかく教職員の健康管理を頼み、「全生徒の健康状況チェック」を確認。すでにホームページを見て学校に出てきていない生徒も居るからだ。
・ 11時35分 私学から正式文書が届く「休校要請
  私学からのファックス送信表には「私学課からの電話が繋がらず、メールの着信確認が出来なかった学校様に対し、念のため送付しております。」とあった。
・ しかし昨日のブログでも書いたが「ウイルスは怖い」。「目に見えぬ敵」であるだけにどうしようもない。「過剰反応」とか言われても万が一本校から感染者が出たりしたらこのようなことでは済まないことは先の大阪の寝屋川の公立高校の例でも分かる。
・ 症状のない「不顕性感染」もある。あれだけ政府主導で「水際作戦」を展開したが海外渡航暦の無いものに感染者が出て、それも高校生に多いと言う現象は「集団行動」が多いからで「基本的に食い止めるのは無理」だとうことが今回のことで分かった。
・ 「感染力は強いが病原性としては弱い」ということで回復も早そうなことは安心出来ることであるが正直なところ、今の「政府基準」では「都市機能や学校機能は麻痺」する。普通の学校でこのようだから感染者を出した最初の学校などは「もう悲惨な状態」ではないか。寝屋川の公立高校、神戸高校、兵庫高校、関西大倉高校など何が学校で起きているか容易に想像できるのだ。
・ 本校は今のところ感染者は確認していないが「何時どうなるか」分かったものではないが、現時点で「出来ることをする」しか方法はない。隔靴痛痒みたいでしみじみとしないが「諦めて粛々」とするしかあるまい。文句を言っても始まらない。
・ 本校は「私がこういうやり方」だから「スピーディ」に進めたが近隣の学校では「もたもた」している学校の話も伝わってくる。「泣く子と地頭には勝てない」ではないが「ウイルスと知事には勝てない」といったところだ。
・ 行政の縦割りも問題だ。府は府で大阪市や堺市はそちらで判断しなさいといっているのだがそのようなことでは効果はない。やるなら「府下の学校は小中高、公立私立同時だろう」。ここに役人の縄張り意識が垣間見えるのだ。ようやく大阪市と堺市は追随することを午前遅くなって発表した。
・ 「本校のホームページの緊急連絡欄」を見ていただければ「学校で何が起きつつあるか」大変良く分かっていただけるのではないか。ある保護者から「携帯電話での問い合わせが大変良かった」とお褒めに与った。広報の仕事の成果だ。私ではない。こういう緊急時の「広報情報委員会」は素晴らしい。トップページに時々刻々と「生徒保護者向けの連絡」を入れている。
・ 18日から23日までの「臨時休校の代替日」は今後工夫して「補填」しなければならない。文の里中学校の校長は「授業数が足らなくなりどこかで代替授業が必要」とテレビで話していた。長期休業期間を利用することになるのだろう。
・ 12時30分 旅行会社に「中学校修学旅行の延期を正式に伝える
高校と違って「中止ではなくて延期」である。国内だし代替措置は比較的簡単に取れると考えているが・・・。夏休み中に実行することで検討作業に入るよう中学校サイドにも言ったのである。
・ それにしても「想像を超える対応が必要」である。「誰もが経験していない世界で、マニュアルが全く無い」。幼稚園保育所が閉鎖なので働きに出ているお母さんが泣いていたし、東京から関西方面への修学旅行の中止、「新世界のビリケン」さんも消毒しないと触れない。街にはめっきりマスクをしている人が多くなった。

2009年5月17日日曜日

5月17日(日)新型インフルエンザ感染拡大

・ 大阪でも「新型インフルエンザ」が先の寝屋川に続いて北部の方の私立高校で思わぬ形で発生した。昨夜以来学校名は出ていなかったが今日のテレビでは午後から校名を上げていた。そう言えば神戸高校も当初は神戸市の高校と言っていたが昨夜から神戸高校、兵庫高校と名前をあげている。大阪は関西大倉高等学校である。どういう「公表基準」なのか興味がある。
・ 本校の広報情報委員会のT先生がメールを送ってくれた。「良いセンス」だ。早速関西大倉のホームページを見るとしっかりと学校は記載している。中々この学校の「トップページのデザイン」は良い。「トッピクス&ニュース」という欄が最初でここに以下のような内容がある。参考になる。
緊急連絡! 在校生の皆さんへ
本校生徒数名の新型インフルエンザ感染が判明しました。緊急連絡網でお知らせした通り5月23日(土)まで休校とします。塾・稽古事・買物など外出しないよう各自自粛し、自宅で安静に学習してください。発熱などの症状がありましたら、すみやかに保健所へ連絡し、さらに学校にも連絡をしてください。担任が体調確認を行なっています。また、今後の連絡事項も緊急連絡網でお知らせしますので、ご協力をお願いいたします。現在症状の出ていない皆さんも、規則正しい生活、食事などで体調管理を行ない、免疫力を高めるよう努めてください。


・ 学校の方は副校長と教頭、指導教諭・教務部長の4名が学校に詰めて「私学課からの連絡・指示」「近隣の学校の状況」について情報を集めてくれている。「今後どのような展開を見せるのか」全く分からない。私学課も今の時点では「出方が難しい」のだろうが、私立校同士の部活動試合などの自粛を要請されるかもしれない。
・ 従って私は今日の日曜日は「自宅待機」である。丁度良い。昨夜はPTAの新旧役員の懇親会であったが、本当に数年ぶりに「2次会」に参加した。私としては珍しいことである。何時も1次会で終わりにするのだが、昨夜はどういうわけか行く気になったのである。だからNHKのドラマ「遥かなる絆」を見逃した。これは残念。
・ 「街の様子を観察」にナンバパークスや高島屋、心斎橋当たりを少し歩いてみたが「マスク」をしている人は少ないと言うかほとんどしていない。「なんばグランド花月」では丁度「はね」たところであったが、ここはマスクをしているご年配の人が目に付いた。劇場の中では「笑うのにマスクをしていてどうするのだろうか」と要らぬことを考えたりして。
・ どう見ても70歳くらいのご婦人がマスクをしておられたが「そのお年では必要ない」のにと思ったが、まあ念には念だ。通りでは若い人がやはりしていたのと「カップル」が意外と多い。そのうち「ミナミあたり」で感染者が出たりすると多くの人がするのだろうな。
・ 学校の副校長先生から電話あり。明日からは予定通り「中間試験」を行うことをきめた。ただ「北部の豊中、高槻、茨木辺りから通学している生徒が中高で15名」おり、「自宅待機」「試験免除」とすることを決定し、今からご自宅に連絡を入れることにしたのである。
・ 昨日、神戸方面で9名それに府内北摂で15名の生徒には「不利益扱い」はしない。「内規」で決められており分かり易く言えば「部活動の公式戦参加のために校内考査免除」と同じ扱いとなるだろう。
・ しかしひどいことになった。「実際の感染者はもっと多い」と考えておかねばなるまい。もっともっと「感染拡大」となることはもはや「時間の問題」と思う。こうなると個人、個人で責任を持ってもらわないと学校としてはどうにもならない。
・ いずれにしても誰か一人でも感染者が確認すれば本校も「即刻休校措置」とする。さて浪速中学校の修学旅行をどうするか。今のところ大阪府私学課からは具体的な指示や要請はない。さてどうするか。悩ましい。
・ 来週から「生徒の観察を強化」しなければならないだろう。今までも手は打ってきたが「発熱状態の観察」は重要だ。これは生徒だけでなくて「教職員、学校出入りの業者、保護者など全ての人」に当て嵌まる。
・ 「誰が新型のウイルスを保有しているか」我々には分かりはしない。「発熱」して初めて「疑い」となる。関西大倉は当初「普通のインフルエンザ」として100人近い2年生の欠席から「学年休校」したというが、これは「感度が少し問題」だ。しかし「人様のことは言えない」。「明日は我が身」となる危険性が大である。
・ 新PTA会長から携帯電話に電話あり。昨日のお礼の電話であった。丁度良かったので新型インフルエンザの対応についてお話しておいた。私は「PTA会長と副会長とだけは常に携帯連絡」が出来る様にしている。会長も今後の展開を心配しておられた。
・ 来週からは「中間試験」であり基本的に生徒は午前中で、そのまま自宅に戻って外に出かけることはせず、翌日の試験勉強をしてくれるだろうから、そういう意味では安心である。何とか「本校は休校となるような事態にはならないことを祈る」しかない。全員マスクで授業を受けるとかは実際的ではない。教師がマスクをしたら授業にはならないだろう。
・ しかし「準備は怠り無く」だ。早速本校はホームページに「緊急情報欄をトップページに設定」してくれた。「仕事がスマートで大変結構である。」こういうのは嬉しい限りだ。「生徒・保護者から携帯電話でアクセス」できるようにしてくれた。 今回の事態は日本でも始めてのケースで私自身も教職員にとっても初めての体験だ。これから「ノウハウを蓄積」していかねばなるまい。
・ まだ運が良いのは「弱毒性」というから安心しておられるが、これが1918年のスペイン風邪などのように致死率が高かったら、「日本中大パニック」になったことは間違いない。早く気温が上がって呉れないかと思う。上がればウイルスは弱まるのか?しかし「ウイルスは怖い」。メキシコの田舎村で発生した豚インフルエンザがたった数ヶ月で世界39の国に伝染し10000人近い人間を苦しめている。「ウイルスとはすさまじ」いものだ。

2009年5月16日土曜日

5月16日(土)PTA総会

・ 土曜日は「半ドン」だから「午後からは帰れるのでしょう」と時々タクシーの運転手さんに言われるが、とんでもない話で土曜日の方が忙しい時がある。今日も「緊迫した局面」もあり、大変な一日であった。
・ 私は土曜日に勤務するようになって2年半になる。それまでの私は何十年間も「土日と連休」であったが、私学に来て、「土曜日に勤務する」ようになった。最初は正直大変だった。ようやく土曜日の勤務も身体にはなれてきていると思うが「寄る年波」で「軽い疲労感」がさすがに土曜日にはある。
・ 日曜日がこれほど「楽しみ」と感じたことは今までなかった。今日一日頑張れば「明日は休み」と思えば嬉しいが、この週末は「新型インフルエンザ問題」でそうでもなくなった。気の休まる時がない。「学校勤務の者の勤務の大変さ」はここにある。
・ 大概のことは何とかなるが「生徒の安全と健康の問題は絶対的課題」であるから、ここを外したら保護者の信頼は一挙に落ちる。私学にとってこの問題は極めて大切でとにかく「保護者との緊密な連絡」が欠かせない。学校での「生徒の怪我や体調不良」はまず保護者連絡が必要である。この手順を間違うと「後でクレーム」となる。

・ 今日は春の「PTA総会」である。そして夜は「役員歓送迎会」が難波であった。このようにして土曜日も行事がある。その内「学校説明会」などが入ってくると土曜日はすべて埋まる。私学にとって土曜日は「稼ぎ時」なのである。
・ 朝一番PTA担当が本日の資料を持参し説明してくれる。昨日遅くまで残って仕事をしてくれていたらしい。初めての「仕切り役」で発言の順番までメモにしていた。昨年新しく専任に採用した女性の英語の先生だが「立派」と言う言葉に尽きる。
・ PTA総会は何の問題もなく新旧役員の交代、決算承認、予算承認と粛々と進み、終わった後は中学、高校の学年別に分かれて「学年委員会」に切り変わる。特に重要なものは「高校3年生の保護者進路説明」だ。
・ 3学年の学年主任と進路指導部長とは昨日資料の調整は行っている。朝一番に部屋に来て貰って最終確認した。3年生の保護者にとっては大学受験は最大の関心事だから「丁寧に」説明するよう言ったのである。
・ 管理職の朝会では高校副校長、中学副校長、生指担当高校教頭、事務長の順番で情報を出し合い、短い議論や結論、方向などを手早く決めていく。長くても30分以内である。
・ 今日の話題は新型インフルエンザが神戸の高校生で発生したというニュースで「危機管理の為に万が一に備えて連絡体制について」保護者に通知した方が良かろうということになった。副校長が保健体育部長にすでに指示を出しているそうだ。
・ ところがこの朝会の取り決めは「予想外の展開を示すことになる。神戸の高校生は「国内感染第一号」と確認され政府はレベルを第2段階に引き上げ、舛添厚労省大臣の記者会見や「総理談話」などが出始めた。PTA総会と同時進行である。
・ 極めて「厳しい局面の展開」となった。海外渡航暦のない神戸市の高校生が新型インフルエンザに感染していることが確認され、政府も公式に発表した。神戸市は緊急対策会議を開いて東部地区の全校の休校。修学旅行延期、神戸祭りも中止したとネットには流れテレビは連続して放映している。
・ 同時に神戸市は市内の私立学校にも休校を要請したと聞く。遂にこの問題は「新しい局面」になった。「水際作戦」は時間の問題と言われていたが海外渡航者ではなくて国内から人から人への感染と言う事態である。
・ この学校はさらに2名が確認されてその他17名の生徒が「体調不良」を訴えているという。私は副校長と素早く動いた。まず4限終了後「緊急校内放送」を行い生徒に事態の説明を行ったのである。
・ 明日の日曜日は大阪駅や神戸方面に出かけることを自粛するとともに本日手渡した予防プリントや連絡体制について徹底するように話した。又副校長から「私学課」に連絡を入れた。14時から私学課は「緊急会議」を開くということであった。
・ 神戸の隣町、大阪と神戸は通勤客や生徒、学生などは「大阪駅を介在」して今日では一体である。「人から人へ感染するのはもはや時間の問題」なのかもしれない。調査の結果、本校にも高校で8名、中学で1名の生徒が神戸方面から通学していることが判明し、この生徒たちの対応が問題となってきた。
・ 兵庫に近い府内の数校の私学の対応を聞き取り、結論的に言えばこの9名を特別室に読んで一人ひとりに「マスク」を手渡し、寄り道などせずに、気をつけて帰宅するように申し渡した。
・ 実は来週月曜日から始る「中間試験」が始まるのであるがこの9名については「自宅学習」として「受験免除」を申し渡したのである。その旨後刻担任から各ご家庭に連絡するようにもお願いした。
・ 北の方の私立高校に問い合わせるも「大体同じような措置」であり、特に1/3の生徒が兵庫県から通学しているよく知っている私立女子校などは大変だと言っていた。しかし遂に新しい局面になり今私の頭には重く「25日から出発する中学校の修学旅行」についてどうするか考え始めたのである。
・ どうして先には大阪の寝屋川市の高校生であり今度は神戸市の高校生だ。近畿の高校ばかりに感染者が出る。ニューヨークでも高校が3校ほどやられているという。「高校生が狙われている感じ」である。年寄りに感染者はいない。どうしてだろうと思う。
・ 保健室に言って予備のマスクを大量手配するようにも指示し、何とか1000個は確保出来そうだと事務長から報告があった。神戸ではマスクがもう無いと伝えている。真冬の普通のインフルエンザではなくてこの季節のこのような新型のインフルエンザウイルスがここら中飛び回っていると考えれば身の毛がよだつ。変な世の中になったと言うことを痛感する。
・ PTA総会後も冒頭はこの話となり来週中学校の修学旅行の結論を出すとした。出発までまだ1週間あるがどうもきな臭くなってきた。PTA懇親会はスイスホテルで盛り上がったが「大阪市内の私立高校で遂に感染者が発生」したとどんどん連絡が入ってくる。大変なことになってきた。                         

2009年5月15日金曜日

5月15日(金)教員の残業

・ 12日の「臨時保護者集会」での教員の勤務について朝会でも議論したのだが、「2時間の時間外勤務手当を支給」するかどうかで迷っている。正直なところ内心では「冗談ではない」と言いたいところであるが、「理事長・校長が出席した会合」であったから今回に限り「了」としても良いかとの思いもある。しかしまだ内心は「?」の感じが残る。
・ あの会合は「臨時の保護者集会」、言って見れば「火事場」であり、教員の通常勤務ではない。「異常事態の緊急作業」である。「作業であり形は会合」なのである。「新型インフルエンザ」のためにやむなく海外修学旅行を中止したことの「責任者である校長からの臨時の保護者説明会」であり、「これは私の仕事」なのである。教員の本来の業務ではない。
・ しかも立ったまま2時間喋ったのは私一人であり、その間教員は受付や付き添ってくれていただけだが、そう言うと「準備したり椅子を並べたりの教員の作業はどうなるの?」と言いたいという気も分かるが、少なくとも「教員の残業と言う概念」ではないだろう。
・ 「火事見舞い」ということで手伝ってくれた教員に「一律金一封」を出すのであれば十分理解できるが「残業代」ではなかろう。このように理屈を立てて考えねばならない。先例となるからだ。本校ではこういうことを考えることの出来るのは結局私と事務長だけだ。教員出身の管理職では無理である。昨年9月以来の新勤務管理移行以来つくづくと分かった。「定時を超えていればすべて残業」と彼らは考える。
・ 日本の学校と言う学校で「臨時保護者集会」の教員の定時外を「勤務」として「時間外割増賃金を払うかどうか検討している学校」は日本広しと言っても「本校だけ」であろう。関係教員はそこだけは押さえておいて欲しいものだ。
・ 理事長・校長はお金の額は少ないとは言え、遅くなるだろうから「ペットボトルとパン数個」の「軽いスナック」まで用意して気を使った理由は「火事場見舞いの心配り」である。「世の中に残業代を出しながら軽食を出す職場」もあるまい。
・ 今寝屋川の公立高校で新型インフルエンザで大変な事態になっているがあの学校で教職員の勤務は大変な筈だ。教員はおそらく「へとへと」で府教委も橋下知事が「シフトを組んで対応」しなければ「ばてるだろう」と言うくらい公立の教員は仕事をしている。
・ 制度があるからこれを「使い尽くす」という態度ではどうしようもない。当然他を睨みながら「バランス」を取っていかなければ直ぐに「財布の底」が見えてくるだろう。見えたら私は「給与・賞与を躊躇せず削減」する積りだ。「財源」の限りはある。
・ 人事院勧告が出され今年の夏のボーナスは国家公務員も大阪府も大阪市も0.2ヶ月削減して遂に4ヶ月を割り込み3.95ヶ月と聞く。「本校は4.0ヶ月支給」することは既に仮決定しており教職員はこの辺も両睨みしておいて欲しい。
・ 昨年10月から「新勤務制度」に曲りなりにも移行し、公立学校から来た教員は「浪速はこんなに様々な手当があって、驚いた。本当に貰って良いのですか」という実態であるが本当に「教員の勤務は複雑で難しい」。
・ そういうところに長時間労働の抑制を目指して「労働基準法が改正」された。施行は2010年4月からだが「残業代の割増率や時間単位での有給休暇取得などの改正」などが盛り込まれているが、学校社会にどのように影響が出てくるのかいまだ読めない。
・ 少なくとも「浪速は時代を先行」して時間外勤務手当てを支払い、時間有給を認めるなど教員の働き方には「配慮」をしてきている。これは胸を張って私は言えることだ。世界がこの経済危機と今回の新型ウイルス問題などで従来経験していない新しい事態の出現に従来のマニュアルが役に立たない時代となってきた。それは間違いなく「労働環境の変化」をもたらしてくる。
・ 現実にもたらしているのだ。こういうなかで「労働時間の短縮」ばかりに視点をおいて物事を考えるのは最近間違っているのではないかと私は思えてならない。日本は少子化にますます移行し、「国力の低下」は目を覆うばかりで、誤解を恐れずに言えば「今、日本国民が戦後の復興と高度経済成長の時代」のように「より一生懸命働く」ということではないのか。
・ そういう時代の中での私立学校だ。「誰も助けては呉れない」。「要は自分たちで働き、稼ぎ、それを再生産の為に投資し、サイクルを回していくのが重要」であって「経営から分捕ってくる」という発想ではないと思うが、私の心配の種は「自分の足を食って生きていく」という感覚になってはいけないということだ。それは「自殺行為」である。
・ 労働時間の柔軟化を図るには「フレックスタイム制」「変形労働時間制」「裁量労働制」などがあるがいずれも一長一短である。「本校は変形労働制」を敷いている。特に額に汗して働く製造長の操作マンや自動車組み立て工などと違い「ホワイトカラーの働き方」は難しい。
・ 大学卒のホワイトカラーでも証券会社勤務や財務省、大阪府庁など色々職種はあるが最も難しいのが「教員の仕事」だ。昔みたいにただ教室で教えておけば良かった時代はとうに過ぎ去った。「肝心の子どもも親も質的に変わってきており、全てが学校に要求」としてくるのが実態だ。
・ まして私企業的な私立高校や私立大学は労働基準法の規制をもろに受けるだけに、振舞いが難しいし微妙である。特に「教員の仕事は裁量性が高い」し、労働時間の長さと成果が必ずしも比例しない。一々校長や教頭が指示を出すものではない。
・ だらだらやろうがゆっくりやろうが分かりはしない。教えた結果がパチンコみたいにすぐ「出玉」としては出てこないからだ。教育の成果にはすぐ判るものと時間の掛かるものとある。
・ 「労働時間と非労働時間との境界が曖昧」で前述したように臨時保護者集会の教員の居残りが、労働時間なのか、残業時間なのか私にもまだ良く分からない。しかし感覚的には「臨時保護者集会の準備と居残りは残業ではない」のではないかと言う気がするのだ。
・ 教員には「ホワイトカラーエグゼンプション」が本当に議論されるべきではないのかとい言う気がする。特に教員には「賃金計算の基礎となる時間」と「健康配慮措置の基礎となる時間」に分けて考えるべきではないか。健康配慮措置の中でも臨時の、即ち火事場見舞いみたいな労働時間(?)は又個別に考慮すべきではないのかという気がしてならないのだ。
・ しつこいようだが臨時保護者集会の椅子を並べたり、受付をしたりした労働時間は教員の基礎賃金を決める労働ではないだろうということだ。あれは火事場見舞いか通夜葬儀への出席に近いとい感覚だ。保護者の葬儀に出席する教員に残業と言うのはない。
・ 「生徒に教えるという本来業務」に関することは「資格の発露」であり「正当な対価」を支払うべきものだと考える。だから私は多聞尚学館での教科指導は「土、日を潰した貢献的本来業務」として教員の想像を超える手当を「本日の給与日」に合算して支払ったのである。「私の考え方、やり方は極めて明確」である。

2009年5月14日木曜日

5月14日(木)久々の橋下知事

・ ブログの読者から「最近は橋下知事論評がないですね」などの葉書を頂いた。その方は知事と私のファンと言って下さっており、私は知事ほどの人間ではないが、外部のお方で支持者がいることに嬉しく思っていたところに「格好のニュース」が入ってきている。早く書こうと思っていたが修学旅行問題でその機会がなかったのである。
・ 久しぶりに「橋下知事論評」を書くことにした。ようやくその気にさせる記事が出てきたのである。最近は私を誘うような内容がない。成田に停留されている新型インフルエンザに罹患した寝屋川の公立高校生に「元気で帰ってきてね」などは当たり前で、橋下さんらしくない。
・ 国に対して「全国の公立私立小中高校の修学旅行のキャンセル料は国が払え」などと言ってくれれば「大いに湧くに湧くのになー」と思う。自民党も民主党もまったくセンスがない。15兆円もの補正予算があるが、使い切るのは大変だ。回してくれたら一挙に「国民の人気は沸騰する」だろうに。
・ 知事はこの5月7日の定例記者会見で府庁を「大阪ワールドトレーディングビル(WTC)移転に伴う意思決定の過程」で議案を「無記名採決」した「府議会自民党を批判」した。
これは当時に大きな騒動とはならなかったが、「じわじわ」とその後も続いていたらしい。
・ 橋下知事は酉年生まれであるそうだが、自ら「私はしつこいですよ、蛇みたいに」と言うだけあって「出来る男はしつこい」のが当然であって、千葉県の新しい知事で青春が売り物の森田知事みたいに「あっさり派」はどうも「仕事は出来そうにない感じ」だ。
・ 私自身は若い頃は「あっさり、さっぱり」した好青年と思われていたときもあるのだが(???)、年を取るとともに、責任が大きくなるに連れて変わって来たのだろう。最近では、知人から「しつこ過ぎる」とまで言われている。特に「朝読書持ち時間減要望事件」でその片鱗を見せたというのだ。私はしつこい時と、驚くくらいあっさりとする時がある。要は「二重人格者」である。
・ 否定された直後にも不満を漏らしていた知事であったが、この「憤懣」はまだ尾を引きずっており、昨日も口に出たのだろう。批判された府議会側は自民党の議長が強く抗議した。
・ これに対して知事は「全く理解できない。議会と知事の2元代表制で議会に物言うのは当然」としたが、さらに議会批判のトーンを上げた。これに対して頭に来た議長は抗議文を出して戦いは続く。
・ 「無記名投票は議員の責任を果たしていない」という知事に対して議会側は「投票方法は民主的手続きに従って決めている」との抗議文の内容らしい。しかしこの問題は府議会側に分が相当悪い。
・ 「誰が賛成か反対か」分からないようにして投票するなど「卑怯そのもの」であり、どう考えても成り立つ理由は見えない。堂々と論陣を張り、賛成、反対の立場で投票すれば良いのであって「覆面投票」するのはどういう意味か。「目的は何か」。
・ この無記名採決は府庁移転案が否決された後、東京の中央省庁でも、知事の地方分権論を揶揄して「その前に大阪はちゃんとしなさいよ。今頃無記名投票などする自治体に地方分権の気概があるのですか」に近いような批判があった。これは常識的反応であろう。
・ 想定するに府庁移転案は知事から持ち出された話で驚いた府議会側は「すったもんだ」の挙句、特に与党である自民党を揺るがす大騒ぎになり、結局のところ一枚岩にまとまらず、挙句の果てにあのような無記名反対票断トツと言う結果に繋がったと私は見ている。
・ 「橋下の野郎,こんちくしょうめ、好き勝手言い寄って」などの「感情論が投票行動」に出たのであって、本気で将来の大阪像を考えていたのかと私でも思う。財界はじめ多くの識者は投票の結果に「遺憾の意」を示した。
・ 知事の人気は大きく、表立って反対には動きにくい、されども「一矢報いたい」、結局覆面投票で反対に回ったのではないか。お粗末限りない。こういうのを「面従腹背」というに近い?
・ 反対とした議員は地元の選挙民に対して「私は賛成でした」「実は反対にしましたんや」などと説明してもその「確認」が成されないではないか。それでは地元民に説明が出来にではないかと言うのが知事の批判の「議員の責任が果たされていない」に繋がっている。まったくその通りだ。

・ この種の話しを聞くと私は数年前の公立高校時代を思い出す。これと同じような「大騒動」があって閉口したものだった。校長に「校務分掌の人事権」を取り戻すべく学校改革で動いた私であったが抵抗は相当な物があり、それでも諦めず私は挑戦し続けた。
・ 賛成に回ってくれる教員も居たりして徐々にその流れが出てきたのは良いが「職員会議での投票は無記名」にするというのだ。とにかくこの学校は過去から無記名投票が多かったのである。「内規」もあった。
・ 無記名投票は職員会議の時間が倍はかかる。議長が投票用紙を配り、回収し別室で開票し、また戻ってきてそれを説明する。詳細に言えば誰かが、特に組合教員に多かったが「無記名投票を提案します」と言えばこのことの是非を無記名で投票し、可決されたら本議案を無記名でやるという方式なのである。
・ 私は最初子のやりかたと見たとき、「ここは日本か」と思った。それを平成16年の雑誌「正論」に「学校社会の不可思議」として論文発表した。表紙に名前が載るような「当時一大反響を読んだ寄稿」であった。
・ 要は「自分の行動や考え方は知られたくない」と言うものでるが根底には「改革などどうでも良い。」「今のままでどこが悪いの」「しんどいことをしたくない」という心理であり、表立って「改革提案には反対できない」から「闇で反対」でということになるのである。要は「自分の姿を隠したい」のである。
・ 府庁移転の府議会の動きもまったく教員社会と同じ心理パターンではないか。民主的に進めていると反論しても民主的かどうかが目的ではなくて改革に対する取り組みの本気度が問題であり、「正々堂々」ではないのか。
・ 大の大人が「身内の問題」についてこそこそと無記名投票する姿は「不気味」ですよ。それは不気味です。私などは背中に冷や汗が出た。一方では「透明性の確保こそ重要」と言いながら「隠れたところで内緒の意思決定」するのは「匿名の紙つぶて」を投げるようなものだ。
・ 本校において無記名投票が過去あったのかどうか知らないけれども「これだけは絶対に許さない」。そういうことは必要ない。堂々と反対理由を述べて「対案を出し論陣」を張れば良い。
・ そういう人物は返って私は「評価する」積りだ。良い意見であれば即刻採用する。どうも見ていると「反対理由が成り立たないのと対案がないから、覆面投票に走る」のであって、そういう人たちに対して「隠れ蓑、目だし帽」である無記名投票をさせるわけにはいかない。今晩は焼肉にするか、回転寿司に行くか家族内で投票するようなものだ。笑ってしまう。

2009年5月13日水曜日

5月13日(水)中学校の修学旅行

・ 「高校の修学旅行」では突然の悪魔、「新型インフルエンザ」で酷い目にあったが、何とか「浪速中学校の修学旅行」は「行けそう」であり、「ホッ」としている。生徒が「修学旅行のしおり」を持ってきてくれた。昨年は同行して屋久島縄文杉トライの「無念の撤退」はまだ記憶に新しいが今年は「成功を祈ってやりたい」。
・ 5月25日から28日までの3泊4日で、今年からは私の強い希望で「カヌーの川下り」は中止して貰った。「あれは危ない」。何時か大事故が起きると直感した。川幅が広くて流れも速い大川を遊ばせているのだ。見た時に体が震えたのである。
・ その代わり「種子島」を入れて貰った。屋久島とは目の鼻の先にあり、「鉄砲記念館」とかもある。フェリーで行ったり、来たりで良いのではないか。本当は私も付いて行きたいがこの時期仕事が立て込んでいて無理だから来年を狙う。25日には伊丹空港に「見送り」に行ってやろう。
・ 私は中学校の修学旅行の中身は「完成度がかなり高い」と評価している。まず飛行機で鹿児島に降りたったら「知覧特攻平和会館」の見学である。これが「素晴らしくて断然良いのだ。」生徒に「戦争と平和」を考えてもらうのにこれ以上は無い教材である。今後ともこれだけは絶対に外せない。
・ 次は今年からの新しい企画、前述した「種子島」だ。「宇宙科学技術館」要はロケット打上げ基地「種子島宇宙センター」を見学して船は西之表港から屋久島安房港に入る。翌朝4時半起床で「世界遺産の屋久島登山」だ。実に雰囲気が良いのだ。
・ 今年は「初めて男女共学の修学旅行」となる。従って細かいところで気を使ったスケジュールである。縄文杉登山は女生徒の体力では少し厳しいかとも考えて教員は「オルタナティブ」を用意してくれている。
・ 即ち縄文杉登山と比較的楽な「もののけ姫」トレッキングコースだ。女生徒24名のうち11名が縄文杉、13名がもののけ姫コース選択と聞いている。最初の共学部隊でクラス数も2クラス65名、にぎやかな修学旅行になるだろう。「行きたいなー。」
・ 主担は理科のK先生で、「仏僧みたいな」感じのする先生でしっかりとやってくれるだろう。物をいう時に「目をつぶる癖がある」が今回は常に目を見開いていて貰わないといけない。この先生と担任のK先生に下見に行って貰った。
・ 以上に管理職と2人の常勤講師の先生が付く。「生徒65名に教員数が4名」だから一人当たり15名の生徒となる。十分だと思う。これでトラブル無く帰ってきて欲しい。屋久島や種子島は「新型インフルエンザ」は大丈夫と思うが副校長は「あそこは外国人が旅行で多いから不安」と言うので、「それではもう何処にも行けないではないか」という朝会での会話になった。

・ 私は今朝の朝会でも強調したのだ。浪速中学は浪速高校と「精神的には分離独立」して「自立して頑張るように」と。どうも中学校は高校の陰に隠れて「はっきりしなかった」が、学校改革で「今、浪速中学校は注目」され、「実績」も上がってきている。
・ クラス数は3クラスで120名、偏差値も「うなぎ登り」でありこの6月には関西大学と連携調印し「関西大学連携浪速中学校」とする。私は言ったのだ。「誇りと気位」を持って「質を高めよ」と。
・ それもこれも「教員間の渡り」をなくしてきたからだ。確かに中学もOK、高校でも教えられると言うのは一見便利なようだが、そのためにお互いが制約を受けるようでは「生徒の為にならない」。
・ 試験期間などは今まで高校の時期と合わせる必要があったが、「関係ない」。「独自のスケジュール」でやれば良い。中学1年も2年でも「評定」をしないでどうする。「遊び」ではない。教育の結果をしっかりと評価していかねば何時までたっても独り立ちは出来ないし外部から普通とは見られないだろう。
・ とにかく中学校は「旧弊に汚染」されてきた。人事は固定され、特定のグループに所属する教員が相対的に多く、そのリーダーは前もその前も何時も中学の教員から出ていた。 だから朝読書なども誰もしようとはしなかった。思い出しても腹が立ってくる。
・ 最も中学自体の実力も弱く生徒数も少なく、経営的には大きく浪速の「脚を引っ張っていた」のは事実だが、いまや時代は大きく変わった。「大変貌」である。「この勢い」をなくしてはいけない。だから朝読書事件の時は厳しく対応したのである。
・ 象徴的な事件が最近あった。校務運営委員会で中学の教務部長が高校の教務部長の横に一人ぽつねんと席を有していたので、「高校の中に居るな、中学の方へ行け」と席を替わるように言っておいたのだが、そのままだったから、これをその場で中学校側に席を変えたのである。「中学校から離れるなって!」ね。
・ 公立中学校の現役教員を2名「採用してすぐ新1年生の担任」にし、「要職」に当て嵌めた。私の「期待の星」だ。でも今までも期待の星は多かったが、だんだんと色が褪せていった。今度は大丈夫かと不安な気持ちもいささかある。
・ このようにして「中学校教員団の顔ぶれ」も徐々に変わってきた。今後とも中学には向かないと思ったら「ドンドン替えて行く」積りだ。高校教育に比べて中学教育は別の意味でも難しいところがある。「気配り、心配り」は絶対的に必要で「保護者からの信頼」は絶対に必要だ。保護者から陰でクレームを受けるようでは駄目だ。 まさに中学校は「面倒見の良さ」が問われる。
・ それに「まとまり」が重要だ。「セクト的な行動を取る教員は排除」する。特定のグループに入りその考え方が身についている先生も代わって貰う。「中学はまず生徒対応第一」だ。 中学は教員全員が学年を超え、クラスを超えて「一致協力・手弁当の精神」が必要である。まとめ役は英語のN教諭だ。この先生を私は人物だと評価している。今中学で「水を得た魚」のように「陰日なたなく」動いていてくれる。私の信頼は厚い。この先生が「中学のセンター教員」である。
・ 「鬼の生指で睨みの存在」である国語のN教諭、「ねっちりどっちりタイプ」の英語K教諭、「飄々としたサッカー少年の面影残る」数学のY教諭、「優しさ溢れる癒し系感じ」の英語のN教諭が専任グループだ。KもYもNもすべて私が専任に採用した先生だ。彼らは私に「恩義」がある筈だ。今何処に簡単に専任に採用してくれる私立高校があるというのか。「恩義を仕事で返せ」。
・ 常勤講師は担任に当て嵌めている「イケメン数学」のI講師、「外部の呑んだくれにも一歩も引かない度胸ある」理科の女性N講師、それに体育科で2名の女性講師を有している。今私はじっと常勤講師の先生を観察している。
・ 家庭訪問、保護者懇談、外部模試、運動会、金剛山耐寒行事、文化祭、芸術鑑賞会なども独自で企画すれば良いのではないか。特に芸術鑑賞会は高校に比べて人数も少ないから「融通性」は高いのではないか。文楽劇場、歌舞伎座、サントリーホールなど色々なところに出かけることが出来る筈だ。
・ 副校長に言ったのだ。近いうちに教務部長を連れて「関西大学第一中学校を訪問」して勉強してくるようにと。「関大グループ入り」するのだ。親戚になる。ご挨拶に行って来いという感覚である。こういう「発想」がすぐ出てくるようにならないといけない。「センスだ、センスだ。」センスのない者は何をやっても駄目だ。「センスは研ける」のだ。「センスを磨け」。