2008年11月30日日曜日

11月30日(日)教室手配

・ 11月も終わった。本当にこの月は忙しい月であった。まあしかし学校というのは「忙しくない月はない」のであって、大きな学校行事がなくとも突然に重大事が発生したりするものである。しかし11月も大変だったが順調に乗り切れた。
・ 企業時代からそうであるが「月度単位」で物事を整理する。一月済めば又一月と言う感じである。「浪速に来てこれで23ヶ月」が過ぎた。早いか遅いか、正直言ってよく分からないのだ。しかしとにかく23ヶ月過ぎた。
・ 忙しいと書いたが「時間的な忙しさ」は全然苦にならない。「時間的忙しさが苦痛な人は教師を辞めたほうが良い」。本校では時間的な忙しさを苦痛に感じているのはいない様子でそこは校長として嬉しい限りだ。「神経戦の忙しさ」が心体に応える。
・ 一昨日のブログで「遅出、早退教員」のことについて書いたが、逆の意味でこれらの人は「時間的忙しさのない人間」である。しかし圧倒的に多くの教員は「自己の時間を削って生徒のために」に頑張ってくれている。
・ その中の一人の教員が「早退は誰にも迷惑をかけていません」というから「そうではないだろう。考え違いをするな」と指導したところだ。「君みたいなベテラン教師が勤務時間内一杯頑張ってくれれば学校は更に良くなる」と言ったのだ。「時間休」というのはやむをえないケースでの「セイフィティネット」であり、「定常的」なものではない。
・ 「個人の事情を優先するか」「公的な正規の職業を選択するか」の択一の問題で「両方で得をする」という訳にはいかない。生徒のためよりも個人を優先させたいのであれば「教師としての根本的な資質」に欠けると言っている。
・ 学校というのは便利なもので家庭の主婦とか介護の親を持っているとかの人のために「授業だけする時間講師制度」というものがある。これだと自分の時間の時だけ来て済めば「さっさと帰れば良い。」「親のところに行こうが、スーパーに買い物に行こうが、腰の痛さのためにリハビリに行こう」が好きに出来る。
・ 正規職員というのは「運命共同体」であり、一人だけが勝手な振る舞いをしていては組織の秩序は保てない。いわゆる「目に余る」という言葉があるが、再三の注意で改善されなければ公立で言うところの「分限免職」という伝家の宝刀を抜く。
・ 「地位保全]の訴えだろうと堂々と受けて立つ。その「覚悟」は出来ている。私は1730名の生徒と140人の教職員を守っていかねばならない。組織というのは意識の遅れている人間を変える努力を惜しまないがそれには限界がある。人間一人の持ち時間は誰でも24時間だ。私も意味のないことに多くの時間は割けないのである。

・ 「同窓会長」からお電話があった。本校の理事を委嘱し「母校が可愛くてならない素晴らしいバランス感覚」をお持ちのお方だ。私よりお年は一回り上である。私はかねてからその人格を敬服している。
・ 会長のお話というのは「来年度の教室は大丈夫ですか」というものである。実は理事は今私以外に6名いるのであるが一人は現役の市長さんだから私が「なにをかいわんや」であるがどうも若い理事を除いて「ITが不得意」だ。まあお年を考えれば仕方がない。
・ それでこの11月から同窓会長にも私のメッセージやブログを朝秘書がファックスするようにした。毎日流れている学校情報を直接校長の言葉で把握することは「外部理事として、また同窓会長」として「お役に立つだろう」と考えたからだ。
・ 最初の日は秘書が朝の7時すぐにファックスしたら「びっくり」されて電話があったので翌日から朝食時の8時30分過ぎとした。大層喜んで貰っている様子でこちらも安心したのである。
・ 同窓会長は来年の「同窓会室」の動向が気になられているのだと推察したが、これについて私は率直に申し上げた。「まだ分かりません。でも今の勢いからすると教室が足らないので昔の教室はすべて復旧」せざるを得ないと。
・ 「学校改革」が評価され昨年は府内トップレベルの生徒が入学してくれた。来年度も今までの中学プレテスト、高校入試説明会の参加状況を見れば幾分数の低下は見込んでも必要な「教室数は5部屋不足」する。卒業クラス数引く入学クラス数で誰でも分かる算数の話だ。
・ この不足の5部屋を今どうするか検討に入っている。英語科や国語科の教材準備室、進路指導室、人権教育室、生徒指導室、女子更衣室、同窓会室など昔教室で今他の目的に改装された部屋を「教室に復旧」しなければ間に合わない。週に木曜日のみ使用の同窓会室は当然その対象である。
・ 来年は何とかしのいでも「再来年はひとつも余裕教室がなくなる」。もう「新たに教室を建設」するしか方法はない。来年度の入学者数が決定した段階ですぐゼネコンを決め工事に着工するしかない。場所は現在の「新館を延長して数教室確保」することを「教員の新校舎検討チーム」は考えてくれているみたいだし私もそのように思う。お金が無いからとにかく「やりくり」が大変なのであろう。
・ 私は会長に申し上げた。余程のことがあって入学者数が減らない限り「8割、9割がた、今の部屋は明け渡して頂く事になるでしょう」と。代替部屋については非常に厳しいかもしれません。今いる生徒や教職員が学び、勤務することが第一で「優先順位から答えは出てきます」と。
・ 80年、90年の伝統校というのは大なり小なり「同窓会館」とか同窓会室を個別に持っているもので「生徒が学んでいる隣の教室」を使っているのは「珍しい」ですよとまで今まで申し上げてきた。
・ 「新校舎が建設」されるときには、ご希望であれば同窓会用に一部屋組み込むから「その予算は出してください」と同窓会80周年のときも8月の総会のときもわざわざ時間を頂いて申し上げた。「学校が学校の予算で私的な団体の同窓会室を設置することは公金の入っている立場では出来ない」と考えている。「同窓会室は同窓会が自らの力で手配するもの」だ。
・ いずれにしても来年の状況は厳しいので「同窓会としても準備」に入って頂きたいと申し上げたのである。場合によっては校内に確保できないこともあるし、その場合は新校舎まで設置できなくなる可能性がある。
・ しかし同窓会事務局役員には本校の教員がいるのである。教室手配の事態は十分分かっていそうなものをと思う。仕方がないので副校長に指示して今週同窓会事務局に「展望」を説明しておくように言った。しかし「不可思議」なことである。
・ 施設保持者で施設管理者の理事長校長に「一回も挨拶さえない事務局の人間」がいることに「いささか憤懣」もあって同窓会長にクレームをおつけした。例えば年に一度くらいは「同窓会の動向とか、1年間の施設借用のお礼の言葉」とか一言あっても良い筈である。それが社会の常識だろうと思うと。
・ 補助金と生徒の納付金で運用されている学校の費用支出先に「一私的な団体である同窓会」に電気光熱費施設損耗など費用がかかっているという感覚がまるでないのだろう。学校は同窓会のものではない。「学校法人と同窓会とはまったく関係ない」。同窓会とは同窓生の親睦と母校への応援だけであろう。学校の経営と運営に協力していただくことは当然である。勘違いされては困る。「その通りです」と同窓会長は同意して頂いた。

2008年11月28日金曜日

11月28日(金)授業料値上げその2

・ しかし今回のことで私は大変気になることがある。それは橋下知事が府教委に次のように指示を出したことだ。このブログでも何回も言及しているが「大阪府の場合、公立私立の割合は昔から7:3」で来ている。知事は「この数値を見直せ」と言ったと言う。
・ 大阪日日が取り上げている。この記者は相当学校のことに詳しい記者だと思う。単に授業料がこれだけ上がって大変だなどの記事だけではなくて「本質の問題」に言及した知事の発言を捉えているのである。
・ 同日行われた来年度の予算編成に伴う「知事ヒヤリング」で「府公私立高等学校連絡協議会」が決定する公立私立の受け入れ比率ありきではなくて、公立高校進学希望者は「受け入れる」体制づくりの検討を指示したとある。
・ 知事は「七、三は経営者同士のキャパシティの割り振りで子どもたちには関係ない」と批判したという。更に「授業料の関係で公立しか行けない人のため公立のキャパシティを広げるよう検討していただきたい」と述べたという。
・ これはもう「やけくそに近い発言」と思わざるを得ない。もしこれをやったら「しんどい私学は間違いなくつぶれることになる」「子どもの学ぶ権利の侵害」となって「訴訟に発展する可能性」がある。泥沼の戦争となるであろう。
・ 昨夜の夜8時45分からのNHKテレビはここだけであったがキャスターがこの問題に言及し、「場合によっては学級の人数を45人とか50人とかにして受け入れることも含めて」とかなんとか言っていたが「トンでもない話だ」。
・ どうも「知事は追い込まれ」てきている。それは世界的な金融危機で近畿の景気も落ち込み、パナソニックが下方修正するくらいだから、「府税収入」は7月の正規予算設定時に比べ当初見込みから1000億円以上落ち込む可能性があるという。
・ 橋下改革で1000億円の合理化を図ったが景気の動向でその数値は「吹っ飛んだ」格好になり21年度予算を現在検討中であるが「財政規律」を守るとすると財源が全くなく「ニッチもサッチも行かない状態」である。
・ 知事は「やけくそ発言」みたいだが「いっそ財政再建団体になった方が簡単によみがえる」とまで言ったそうな。終了後の記者会見では「素直に思いを言っただけで再建団体にしますというわけではない。」と述べている。少し知事は疲れている。
・ 読売新聞は来年度予算で「安全網充実を求める」「私学助成カット見直しも」とあるが本質に迫った私学助成議論が必要である。現状前提で七三比率を変えることには絶対反対である。そうするのであれば「公私の公金助成を均等」にするべきである。それは公立私立の区分がなくなるということである。即ち「公設民営・民設公営」という究極の姿が見えてくる。
・ 今回の新聞記事で分かったことは「学校間で大きな考え方の差」があるということであった。今回値上げに踏み切ったのは84校中、高校で50校、中学校で34校である。これは前年度比で高校が28校の増、中学で20校の増加である。特に高校では1993年度の51校が同時に値上げしたときに匹敵する数値である。
・ 中に10万円以上値上げしているのは7校とわざわざ書いている。授業料と納付金を合わせた初年度の最高額は前年度と同じで千里国際学園の120万円、最低額は金剛学園で高校596000円、中学校292000円となる。
・ 本校は約6万円の値上げをお願いしてこの結果、ようやく「府内私学平均値」となった。昨年までは近隣の比較で実に平均以下25番目であったが21年度は38校中15位となる。中学も19位が15位である。突出した状態ではない。高校、中学とも平均値になるよう設定したのが当たったということである。昨日の職員会議で私は「良い位置につけた」と表現した。
・ それにしても今回驚くのは早稲田摂陵で16万円の増、初芝立命館が14万円の増である。お隣さんの初芝は今まで本校と並びであったが完全に差がついた。「学校の中身ではない授業料の高さ」である。しかし何で「大学のグループ入り」するとここまで「強気になれるのか」ということだ。
・ 今回相当私は悩んだが値上げ幅は私が事務局案を差し戻して最終決定した。結果として高校が58万円、中学が60万円となった。約6万円の値上げである。これで近隣では桃山さんと高校ではぴったりと並んだ。中学では桃山が62万円で本校が60万円だから少し差があるがこれは残念だが今となっては仕方がない。
・ 理事会も授業料値上げには慎重で不安を表明する向きもあったが、慎重に検討してきたことは間違いない。今回40%の高校が値上げをしていないがその理由は「上げたいのはやまやま」だが勇気がなかったということだろう。恐らく他人のやり方を観て1年遅れでやると言うことだろうが、私のスタイルではない。
・ 入試広報も事務室も慎重であった。それを無視して私はぎりぎりまで待って決断した。本当は清風みたいに10万円くらい上げたかったがそれは出来なかった。結局今回のことで分かったのは「自分の決断」しかないということであった。入試広報も事務長も当然であるが従業員で経営者ではなかった。清風の理事長は経営者としての10万円の孤独の決断をされたのであろう。
・ 今回の授業料値上げはまだ余波が続くと思う。我われは値上げさせていただいた分、「浪速教育」に反映して「保護者の負担に仕事のやり方でお返しする」ことが重要だ。必ずご期待に応えていかないといけない。そうしないと「詐欺」になる。
・ 相変わらず意識の変わらない教員がいる。最近二人の教員に注意を促した。「時間休」ばかりとって、一人は「重役出勤」、一人は「3時過ぎにはご帰還」だ。「言語道断」だ。有給と言う考え方を取り違えている。雇用契約とは勤務時間内はしっかりと仕事をしてもらうということで給料を対価でお支払いしている。有給をとってはならないと言っているのではない。ただ極めて常識を外れて頻繁に個人事情で遅出早退のために時間休を導入したのではない。大いにこちらは迷惑を受けている。
・ そういう人は時間講師になってもらいたい。そうすればすべて解決する。大体授業振り替えで迷惑を受けているのは生徒である。高い授業をお願いしており「容易な授業振り替えは許さない」と今日教務部長を呼んで指示したところだ。「プロの教師は授業に穴や振り替えなど頻繁にするものではない。」これは最低限の「教師としてのけじめ」だろう。それが出来ない人は幕の後ろに退場して欲しい。

11月28日(金)授業料値上げその1

・ 11月26日午後5時に「大阪私立中学校高等学校連合会(中高連)」は報道関係に資料提供をした。各校宛にその旨のファクスが送られ、13時24分に本校は受信する。それは来年度の授業料改定について「改定校と改定理由」について示したものらしい。らしいというのはその資料がどういうものか各校には知らされていないからである。
・ 私の印象は遡ること数週間前にアンケートがあったので「遂にこの日が来たか」というもので、この日まで本校は微に入り細に亘って準備してきたので、特段の不安感はなく、明日は「大騒ぎ」になるだろうなという受け止めであった。
・ 中高連のファックスも「個別に取材申し込みがあるかも知れません」というもので、その旨事務長には指示して問い合わせがあった場合の対応などについても調整して帰宅した。
・ 夕方5時のプレスリリースであれば夕刊には間に合わないのでこれは翌朝の朝刊に大きく出るだろうと私は踏んだが、ところが27日の新聞には各紙とも一切触れていない。「私は怪訝な面持ち」となる。朝10時前に事務室に「中高連に問い合わせ」をさせたのである。「一体どのような資料をマスコミ各社に出したのか」と。
・ そうすると実は昨日の2時から具体的な学校名が入った詳細な資料を説明付きで「会見発表」するとの事実が判明した。事務には「その資料を早急に入手するよう」指示したのだが、そこで「若干のすったもんだ」だがあったがようやく午後2時の報道資料が事前に入手できたのである。午前10時頃であった。木村流である。
・ それを事務室と入試広報室に渡し「分析を試みた」。しかし中高連はもう少しやり方を考えなくてはいけない。報道各社に出す前に「加盟各校」に同じ資料を出すのが「世の中の常識」である。これは私が「民間的発想で強く要求」したから入手できたが、恐らく他校では「どのような資料がマスコミに流れたか」知らなかったところが多いのではないか。こういうことでは困る。
・ 今朝の朝刊、当然各紙とも扱いは微妙に違うが報道資料そのままを記載している。即ち各校別に「入学金と授業料と合計金額」を「男子高、女子高、共学校それに中学校」の区分別表である。この表に各紙単位に「記事というかコメント、解析記事の類」をつけている。
・ 日経は当然「シラー」とした小さい扱いであったが記事に関しては「読売と大阪日日」が破格の扱いで大きく取り上げているように見える。読売は三つの紙面を使って記事にしている。朝日と産経は同じ程度で余り「緊迫感というか緊張感」というかそういうものが感じられない淡々としたものであった。
・ 各紙とも見出しは「助成削減の影響もろに」「生徒募集にマイナス」「苦渋の決断」とかが並んでいるがまあ今まで予測され報道されてきたことと同じで特段驚く内容ではない。ただ「府内の全私学の姿勢が明らか」になったと言う点では一つの節目となろう。
・ 関心のある読者や小学校6年生と中学3年生を子に持ち、私学進学を考えている保護者は「目で追う」だろうが、果たして「生徒募集に影響がどの程度あるのか」誰も想像できない。しかし個人的には「そういう見方は正しくない」と思っている。
・ それは「私学進学を考える生徒保護者」には「強い信念」があり、「授業料が上がったから公立へ行こう」と単純にならないからだと思っている。「学区制に縛られた公立」「部活動をやりたい」「徹底して進学を考えたい」「不登校から脱却したい」「雰囲気を変えたい」実に様々な理由があって「私学選択」を考えている人たちである。
・ 「私学はお金持ちが行くところ」と思うと根本的に考え方が間違っている。経済的困窮の中でもやむなく私学選択をしている保護者は実に多い。橋下さんはここのところがまるで理解できていなかった。だから唐突に「私学助成費削減」をまず最初にぶち上げた。
・ 人間誰しも「心のひだに特別なもの」を抱いているものだが知事は就任後多くの場所で「公立優先」「それも北野高校オリエンティッド」「付加価値の高い私学の選択はそれなりの保護者負担は当然」と無茶苦茶な論理で押し通した。私は何回もブログで批判をしてきたのである。
・ 特に中学校の25%削減などは酷いやり方で助成金が1/4も削減されたら「やっては行かなくなる」のは目に見えている筈である。大阪府の職員が平均10%の給与削減されたのだから「私学も10%努力せよ」と言うのなら理解は出来るし私学もそれくらいは経営努力をせざるを得ないだろう。しかし普通の世に中で「一度に25%」というのはプロ野球の年俸改定くらいしか私は知らない。
・ 概してマスコミの論調は「私学助成は結果として府民の負担を増やしたことになる」と言った論調で、さすがに橋下知事は「神妙な面持ち」で「府民の皆さんにご迷惑をおかけする」ことを率直に認めている。更に「家庭環境に合わせて学校を選択して欲しい」と述べたとある。
・ 強調しておきたいが私学に通っている保護者は「立派な納税者」で「公立に通わせている保護者と同じ税金」を支払っているのだ。元来公立私立の「公的負担が数倍も格差」があること事態が「おかしい」という議論もあって当然なのである。私学に対して公立並みに公的助成を増やせば授業料は限りなく公立に近くなる。
・ この公的助成を変えずに助成金を削減することは「納税者からのダブル搾取」となっていることに気付かないと困る。だから今回私学は教職員の人件費を削減する方向で走っている。記事によれば清風学園の事務長は「ボーナスをカットするが自助努力ではまかないきれない」と延べ、清風中学は10万円の授業値上げである。
・ 保護者からは大幅な負担増に「橋下改革の影響がこれほど強いとは」と悲痛なコメントを出し、堺市の女性(53歳)は近隣の学校説明会で年間5万円を超す授業料値上げを知り、「娘を志望校に行かせたいのだが・・・」と悩んでいるという。ひょっとしてこの学校とは本校のことではないのか。
・ 市内の女性(42歳)は娘二人を私立学校に通わせているが「知事の改革には共感するが自分に影響がここまで及ぶとなると思いは複雑」とコメントしているが、これは恐らく次回の選挙では橋下さんを応援しないと言っていうのではないか。
                     (その2に続く)

2008年11月27日木曜日

11月27日(木)偏差値考

・ 理数科長が「11月度、高校1年生の進研模試記述の度数分布」を持って報告に来てくれた。それによると本校の理数科が国数英3科目の平均点偏差値で府立「岸和田高校を抜き、高津高校に肉薄」していると些か興奮気味だ。
・ 確かに数学では高津を抜いている。今回は国語は頑張っているがどうも「英語が弱い」。これは大変気にしている。最も勝った、勝ったといっても「母集団の数は全然違う」が「まあ伸びていることは事実」だから「良くやってくれた」と私は褒める。
・ 1類やⅡ類も頑張っているのだが課題はやはり「英語」である。受験に「英語」はキー科目だから「何とかするように」副校長に指示を出した。特にT1,T2クラスなどはもっともっと伸ばさなければならない。「何をしているのか」と言いたい。
・ しかし偏差値と言うのは「厄介な代物」である。昔は「偏差値の高い学校に勤務」していたから偏差値のことを言われても平気で、むしろ誇り高い感じがしたものだが今の学校に来て「ビミョー」となる。
・ この偏差値、「偏差値教育」とか「偏差値偏重」とかという言葉でまったく「悪者扱い」されてきた感がするが「標準偏差値」や「平均点偏差値」は極めてというか唯一の生徒にとっても学校にとっても「重要な判断数値」である。
・ 私は「偏差値嫌いの人」は学校と言うものが分かっていない人だと思う。この「概念」がなかったら受験生にとっては「不安な日々」を過ごすことになり、「目標設定」も出来ない「暗闇の牛」になってしまうであろう。
・ 即ち目標とする中学校や高等学校の公立私立を問わず、その学校の「合格難易度」と「自己の学力レベル」を客観的にかつ的確に掴んでおかないと「行く学校がなくなる」というような事態も発生しかねないのである。
・ 勿論偏差値は揺れ動くもので、高い生徒が不合格になり、ずっと偏差値の低い生徒が難関校に合格することはしばしば起こるし、絶対的なものではないが偏差値が無ければ「進路指導」は現実の問題として不可能ではないか。
・ 私立難関中学、私立難関高校とは偏差値の高い学校のことである。学力のある生徒は保護者や塾関係者などがまず「偏差値を見て学校選択」することになる。「ここを受けてみたらどうか」と。「この辺が良いところ」とか、「可能性は五分五分」とか。
・ 逆に生徒保護者からは「先生、ここを受けたいのですが大丈夫でしょうか」となるのだ。特に子どもの偏差値がある程度高い場合には「これ以下の学校は選べない」「そこまで落とすことは無い」とか「生々しい会話」が交わされることになる。
・ 実際は「意地」とか「見得」とかが左右する場合もあり、必ずしも「偏差値の高い学校が良い学校」とはなっていないのだが、未だに「偏差値オリエンティッド」になっている。仕方がないのかとも思っている。良い学校と言うイメージが具体的でないからである。
・ 昔は偏差値などを気にせず、今はビミョーと前述したが、見ない訳には行かず、特に中学校の偏差値が「焦眉の急」の気になるアイテムである。とにかく今後中学校に経営資源を投入して「偏差値を上げる」覚悟をして、努力中だ。
・ 高校はどうも「ベネッセ即ち進研模試」と言われるのが「主流」の感じであるが関西の中学校は圧倒的に「五ツ木書房の駸々堂テスト」と言われるものが「権威」である。五ツ木書房の清田社長は良く存じ上げており私が浪速に着任した後に鶴見区の本社にまで出向いてご挨拶した人だ。高津高校のご卒業である。
・ 「先生、今後とも私学側から情報発信しないといけませんよ。」と言われたのが記憶に新しい。この五ツ木の模擬試験は本番同様に行われ、継続してやるから「データの信頼性」は抜群で何しろ関西で57000人規模の母集団であるから「駸々堂テスト結果」で学校のレベル、生徒の実力が一発で分かる「恐ろしいもの」だ。
・ 中学校の副校長が11月の進学希望先受験の結果を持参してきた。確かに浪速人気は上昇気流にあるが「偏差値レベル」は上向きと言えどもまだ満足はしない。3,5.7.9月と受験し11月受験は「志望校受験」で最終局面となる。
・ 一方入試広報室のメンバーは先の本校のプレテストを受けてくれた受験生の塾などを回って「感触」を探るのだが、小学校6年生の私立中学校受験は複雑で今後様々な局面が流動的に出てくる。これらの背景にあるのはすべて「偏差値」である。それくらい偏差値と言うのは「大変な数値」なのである。
・ しかしだ。私は言いたいのである。「偏差値が学校の価値ではない」ということだ。単に偏差値だけで学校選択すると「大きな間違い」を起こす。無理して偏差値の高い学校に行き、そこで「挫折しメロメロ」になるよりは「余裕の有る学校」を選び、そこで成績がトップレベルであれば自信をもって毎日が過ごせ難関大学に入れる可能性が高いということだ。
・ 「親の見栄で学校を選択」してはならない。決して良い結果は生まない。まず「自分の子どもはどのようなタイプか」見極める必要がある。確かに中学受験は親が進路選択に大きな影響を与えるだけに余程慎重でなければならない。
・ 子どもが毎日イキイキと過ごせ「朝、学校に早く行きたい」と思えるような学校が良い学校である。浪速中学校は保護者から次のようなクレーム(?)が来る。「とにかく朝早く家を出ようとします。危ないですから何とか成りませんか」。そういうお母さんの声は喜んで弾んでいるのだ。
・ だから「浪速中学校の保護者会」は極めて仲が良く「ネットワーク」が強い。時にこれは学校にとって「プレッシャー」になったりするが私はそれで良いと思っている。浪速中学校は「極めて良い中学校」である。単なる偏差値だけでは分からない。
「私学のススメ」「浪速中学校へのススメ」を主張したい。良い点は何か。まず「面倒見の良い学校」と言う点に関しては府内一番と自信を持っている。又学習についていけない生徒への完全なるバックアップ体制を更に充実していく。
・ 公立を蹴って浪速に進学してくれた生徒は「徹底的に鍛え」、「社会で生き抜いていく力」を有する生徒を作る。そのために「強い関西大学」との連携を強化していく。「バリュー感の」ある中学校、将来に株価が上がる中学校、それは「浪速中学校」である。偏差値は間違いなく後から付いてくる。                           

2008年11月26日水曜日

11月26日(水)麻生総理、頑張れ

・ 麻生総理、少し「懲りた」と見えてやり方を変える事を決意したみたいだ。就任2ヶ月「感情が高ぶっていた」のだろうと割り引いて考えても良いが一国の宰相である。「覆水盆に還らず」だがもう少し見てみたい気もする。「成りたくて、成りたくてようやく掴み取った総理の椅子」だ。「高揚感に支配」されたのも分かる。
・ 個人的には嫌いなタイプではないが、正直なところ、どうも麻生首相、もうすこし「益し」かとも思っていたが今までのところ「期待外れ」だ。「漂流」し始めた感じで、安部、福田内閣より「脆いというか稚拙というか」、どうもこれ以上浮かび上がれない感じになってきた。
・ 就任直後に「解散」を打つべきだった。元々の戦略はそうだったはずだ。ところが政局より政策とかなんとか言って解散のタイミングを完全に外した。これは「総理の椅子」に固執し過ぎたからだろうと私は思っている。
・ 昨日と今朝の読売だけが小さく報じているのだが政府の「教育再生懇談会」について麻生政権は廃止する方向だと言ったり、今朝は継続だと言ったりふらふらしている。この懇談会は元々教育問題に熱心だった安部内閣が2006年10月に設置した「教育再生会議」を福田内閣が「今までと同じでは嫌だ」といって名前を「教育再生懇談会」に改めたものである。「会議」が「懇談会」に変わっただけでも政府の「やる気」が伺える。
・ 今年2月に衣替えし5月に「英語教育の強化」などの答申をしたがその後9月22日の会合で終わり、福田さんは「バイバイ」で麻生総理になってから一度も全体会議など開かれていない。大体「麻生総理の教育に関する発言」など聞いたことがない。総理も河村官房長官も元々文教族なのにこれでは残念だ。「得意の分野で勝負する」、これも重要な考え方だ。
・ 「教育は国家百年の体系」と言いながら全く持って中央政府はリーダーシップなどなき有様だから、ここに日本の「国を動かしているのは誰か」という構図が見えてくる。「日本は官僚主権国家であり、中でも財務主導型の国家運営」が背景にあるのである。これが「諸悪の根源」である。政治主導で官僚政治を破壊しなければならない。
・ 「ゆとり教育」を見直したのは安部内閣の教育再生会議であった。このような大きな路線転換は「官邸主導の教育行政」の結果であり、「官僚を使う」と述べた麻生さんは「実は官僚機構を温存」し「その上に乗って采配を振るう」という「古典的な宰相論」を夢見ているに過ぎない。従って先の「国家公務員改革」でも極めて冷淡な扱いである。やる気は元々ないのだ。「自分なら官僚を使いこなせる」とでも思っているのだろう。
・ 民主党の小沢代表から「その辺のチンピラ」とまで言われても反論しないそうだ。「挑発に乗らない」と述べてはいるが「言葉が貧弱だから」、攻めには強いが受けにはどうも弱そうに見える。恐らく側近が止めているのだろう。とにかく「言葉が軽い」。これはもう致命傷に近い。「政治家は言葉が命」である。
・ それに「発言がぶれる」。これはもう無茶苦茶に近い。「定額給付金」問題も「特定道路財源」問題も「第二次補正予算」問題も「軽く言って軽く前言を翻す」のは驚くばかりで、私が凄いと思っているのは、それでいて「本人は平気」な様子でいることだ。
・ 「医師は社会的常識がない人が多い」と言い、元厚生事務次官が殺害された時の第一声は「他人事みたいな」コメントで国民をびっくりさせ、19日の全日本私立幼稚園PTA連合会全国大会で何を血迷ったか、出席者を幼稚園の先生と勘違いして「しつけるべきは子どもではなくて母親ではないか」と「普段より子どもで苦労してるよりは親で苦労していると思っている」と親の前で保護者批判の「珍発言」を連発した。言ってることは正しいが言う場所が違う。
・ 自衛隊の田母神航空幕僚長の論文問題の時も「文民統制を揺るがす大事件」にも関わらず最初のコメントは「あれは防衛省の問題」とやってのけた。その後直ぐに発言を強化するのだが、とにかくブレと言うか揺らぎというか「強弱の感覚」が分かっていない人だと思う。「温度差が感知できない」と言っても良い。
・ 22日にはペルーで記者団とのやりとりで「1929年のいわゆるブラックマンデーでしたっけと」言いかけたが事務方が「世界大恐慌」と声を出し、遮って総理も言い換えたそうな。官房長官などは「総理はサービス精神が大きくて」つい思ったことを口に出して喋るとフォローしているが確かに麻生さんはサービス精神は旺盛だ。
・ 週刊誌などはもっと酷いことを書き始めた。「マンガ脳宰相」「アホ太郎」「学習院関係者も大恥」「無教養」などと書き放題だ。1昨日の朝刊各紙は昨日の24日が内閣発足2ヶ月だからいずこも「特集」を組んでいるが「論評は極めて厳しい」。支持率も急落だ。
・ 内閣発足後2ヶ月でこのように「こき下ろされる」内閣も珍しい。しかし私は最近になってこの人は結局こういう人だったんだなと思い始めている。まず「蓄積」が少し足りないような気がする。
・ それは「踏襲」を「ふしゅう」と読むからとかいうのではなくて、幅の広い蓄積された「知性、教養、見識、学識」と言ったものが「匂って来ない」のである。確かに「軽くてさっぱり」して「粋な」感じもあるのだが一言で言えば「重み」みたいなものが伝わって来ない。絶対に悪い人ではない。「気前は良さそうだし」けれんみは無い。
・ 麻生財閥の御曹司、幕末の大久保利通、牧野公爵、吉田茂、皇族にも縁が連なり、閨閥などは群を抜き、学んだ大学も小学校から「学習院一筋」で背広も一着数十万円もするものを簡単に誂え、自邸などは大きすぎて訪問者が迷うほどだという。
・ 性格的には「自信過剰」「プライドは有り余るほど」で「目立ちたがり屋」で「気障そのもの」である。何時も官邸に入るときにちょこっと右手を頬のところに持っていく仕草は見るたびに私はあれは止めた方が良いと思うのだ。それにあの「ベランメー調」は何とかならないか。
・ だから組閣の時も「大物官房長官」を持って来ず、「存在感のない」人に託したのも「目立つのは自分だけでよい」と言うことなのだろう。自民党の幹事長も地味な細田幹事長とした。これらの人事だけでも総理の心根が透けて見える。
・ 麻生総理は得意の外交で得点を稼ごうとしているがどうも「空回り」で今回のAPECでも中国の胡均濤国家首席には良いようにあしらわれ、アメリカの次期大統領オバマ氏にも会えず、レイムダックのブッシュさんとだけ会って「拉致問題は忘れない」などと決まりきった話をしても何の意味もなかろう。
・ 大体選挙をやるためになった総理が「景気優先と孤軍奮闘」頑張っていても国民は誰も信任しているとは考えていない。「勝負時を失った」としかいうことしかない。この勝負時というのが大切だ。何時も私の口癖だ。組織の長の絶対的なものは「勝負時とその時に使う言葉」である。麻生総理、体制を立て直して頑張って欲しい。もはや自民党には他に誰も残っていないのだから。

11月25日(火)橋下知事教育討論会

・ 24日橋下知事との二回目となる「教育討論会」が大阪厚生年金会館であった。希望者が多くて会場を変更し昨日は1700名の府民が参加したという。第一回目は堺市で行われ、このブログでも書いたが「ヤジや怒号で騒然」としたもので、とても討論会と言える代物ではなかったらしい。
・ これを受け主催者の府教委は「ヤジなどがあったら退出」と前宣伝をしたり、会場でビラを配ったりしたそうだが結局、「怒号と拍手」が渦まくようなものになったらしい。途中までは混乱なく進行したらしいが知事が「競争を否定する教員は無責任」と発言した途端に教育関係者と見られる参加者から「反論のヤジ」が相次ぎ、会場は一時期騒然としたとある。
・ 面白いのは各紙の取り扱いで朝日などはたった2段で「隙間を埋めている」ような冷たい取り扱いであった。「何故だろう」。「一部の教員の生態」を読者に報道する義務はあろうと思うのだ。大体他の新聞は写真もつけた4,5段の大きな取り扱いであったと言うに朝日の扱いは少し変だ。
・ 「競争を強いることで子どもの意欲が育まれるとは思わない」との参加者からの発言に対して知事は「競争を否定してはいけない」と反論する。「学校の先生から競争は良くないと教えられた子どもたちも高校を出た途端に競走の荒波にほおり込まれる」と知事は言う。
・ 更に「競争を否定できるのは絶対に倒産がない公務員だから。それが教員の無責任さ」だとも述べている。この発言の途中から「帰れ」とかの怒号と「知事を支持する拍手」が交錯する異様な雰囲気になったと産経の記事にはある。
・ 続いて設けられた「意見表明のコーナー」では二人の教員が「知事への拍手が多かったのは意外だ」と発言したとある。この「発言に私は興味を持つ」。それはどういうことか。実は教員に多いのだが「自分で体験したことや目の前で見たこと以外に信用しないという習性」がここにも現れている。
・ まあしかしこれは仕方がないのであろうか。だから公立も私立も学校と言うものを変わってこなかった。それは自分たちが「学校を一番知っているという勘違い」が全ての源になっているからである。この「思い違い」が全てを支配している。だから「考えが発展」して行かないのだ。
・ 「自分たちは学校のプロだ」「素人は間違っている」「学校は教師に任して欲しい」と思い込んでいる連中だからこのような知事が「競争は現実の姿」だと発言しても「競争と言う意味」について考えたことはないから「彼らの精神に受け止めるような素地」などない。「競争は悪いことだ」と信じ込んでいる教員に「競争原理の意味するところ」を喋っても意味はない。
・ 運動会で走った順位付けは無く試験の答案も個人だけで「相対評価はしない」と決め込んでいる人たちである。知事が言うように「現実に社会は競争社会」と言っても彼らは「それは企業が悪い、社会が悪い」となるのだ。
・ しかし府民が「大きな拍手」をして知事を支持する光景を見せ付けられたら「驚いた」に違いない。この教員は恐らくヤジを飛ばすグループとは距離をおいている比較的「幅の広い」観察が出来る先生なのだろう。
・ 誰かが言っていたが「教員ほど勉強しない職種はいない」と言うが「外部を知ろうとはしない」「実践と考察といった研究」をしないだけにこのような社会との乖離が生まれてくる。25歳で教員になって60才まで全く変わらなくともやっていける職業が教師だと論破した人もいる。一言で言えば「謙虚」でないのだ。
・ それはそうだろう。6年間で小学校は、3年間で中学と高校は「生徒は完全に入れ替わる」から又、又スタートから出発するだけで「学校生徒のの平均年令」は全く変わらない。「グルグル回っているだけ」なのである。しかし「教師だけは年毎に一才づつ確実に年を取っていく」。年を取れば体力も衰え、考え方も硬直していくものだ。
・ 討論会の後、知事は報道陣の取材に「ヤジを飛ばしていた人は前回と同じ顔ぶれだった。前に比べて勢いが無かったのは自分たちの主張が府民に受け入れられていないと会場の雰囲気から感じた為ではないかと言ったとある。
・ 教師には4つのタイプがあるというのが私の統計学的分類だ。まず「コチコチの組員教員」「組合員ではあるが良識を有している教員」「非組ではあるが右顧左眄の日和見的な教員」「非組で社会常識を有している教員」、これは「謙虚な教員」と言い替えても良い。
・ この中で厄介なものが非組で日和見教員だ。都合の良いように動く。時には組合員ばりに動いたり組合員をけしかけたりするが組合費は1円も払わない橋下流に言えば「クソ教育委員会ならぬクソ野郎」だ。こういう連中は時には簡単に「権力の側」に擦り寄ったりする。
・ コチコチの組員はこれはもう幾ら話し合っても無駄だ。「行き着くところが異なる」のだから時間の無駄だ。特にイデオロギーを真正面に据えて出てくる教員は絶対的に「卒業式の国歌斉唱と国旗の掲揚」には幾ら説明しても反対なのだからもう時間の無駄だ。
・ 「人事評価は反対」「全国学力調査反対」「開示反対」「給与削減反対」「日の丸君が代反対」「教員削減反対」「職員会議のやり方変更反対」「ゆとり教育見直し反対」とにかく何でも反対で幾ら時間をかけても平行線で交点はない。
・ 知事に言いたい。確かに広報宣伝ではこのやり方は分からないでもないが本当の意味で「教育議論」をするにはしっかりとした考えを有した教員をセレクトして議論を進めなければならない。
・ それが例え「組合教員」でも良いではないか。壇上に組合教員を5名くらい並べ「討論会」だ。それを会場の府民が見守りながら「考えれば良い」のである。テーマを絞らなければならい。
・ 今回は「卒業式の国旗国歌問題について」次回は「全国学力調査」について、その次は「公立教員の給与削減問題について」と。これは「真剣勝負」となる。何ゆえ国旗国歌の斉唱が「子どもを戦場に送ることになるのか」反対の教員は論理的に議論を展開しなければならない。
・ しかしこうすると「特定される」と言って「出て来ない連中」が大半ではないか。ヤジは飛ばすが理論と勇気はないという輩が結構多いのである。ところで本校には組合員はいるが良識を有してる。
・ 問題なのは非組合員であるがサボることとお金のことばかり計算する奴だ。ここは私学だ。私は生ぬるくはない。「正論と筋を通す」。したがって足元を掬われないように個人的に向き合った時の発言は120%気をつけている。「いざというときの為」である。時には発言はテープに取って証拠の為に保存しているのだ。

2008年11月23日日曜日

11月23日(日)結婚式

・ 今日は本校「専任教員の結婚式」である。英語科の男性教諭で優秀に付き昨年10月に「期中昇格」であったが本校勤務1年半で専任に採用した先生だ。期待に応えて頑張ってくれている。学歴は府立清水谷高校から京都外国語大学英米語学科だから素晴らしい。人の事は言えないが、少し太めの男前である。
・ 本校には「府立清水谷高の卒業生が結構多い」。本日も出席しているK中学校副校長、国語のI教諭、理科のO教諭もそうだ。4人とも何か共通するものがある。本当に面白い。何が共通しているか本校の教職員は分かる筈だ。しかし、これくらい学んだ高校の似たようなDNAはたった高校3年間と言えども植え付けられるものか。
・ 新郎、年は32歳、年頃であり今回結婚式とあいなった。私が浪速にきて1年と10ヶ月であるが既に結婚した人は4人おり、すべて男性教師である。偶然であるがすべて32歳前後である。うち私が結婚式に出席したのは今回を含め三度目となる。
・ 一人は体育科のイケメン教師、次は英語科のIT達人教師であった。今回の先生は何か良いネーミングを考え出さねばならない。しかし「結婚式は良い」ものだ。将来に希望を持った「カップルが誕生」するのは見ていても「元気」になる。
・ 2年に3回の結婚式は少ない方ではない。如何に「適齢期の若い先生が多い」かの証明だろう。前の公立には丸々4年間いたが元々一番若い先生が39歳でそれも結婚されていたから結婚式など全くなかった。企業時代は定例行事で多かったが。
・ 新婦は医療事務をなさっている近代的な知的美人であった。初めてだ、新婦が病院関係者というのは。院長先生や看護婦長さんとかも来られていた。大体私は白衣を見ると血圧があがるタイプで病院嫌いで通っているのだが今日はそうでもなかった。
・ 先に麻生総理は「医師は常識に欠けた人が多い」と言って袋叩きにあったが、無茶苦茶な言い草だ。常識がないのは「麻生総理、貴方でしょ」といった感じだ。
・ しかし結婚式というのは小さな緊張が続くものだが悪くはない。私は最近はやりの「同棲」というのを好まない。幾ら理屈を言っても「結婚と同棲」とは違う。又「入籍だけ」というのも個人的には好まない。学校の教師で世間からは先生、先生と呼ばれる人だ。「最低限の社会的通念」には合致して欲しいのだ。
・幾ら時代の流れと言っても結婚式を親族で挙げ、それを友人知人に披露するというのは「世界共通の文化」だ。アフリカの奥地でもパリでもそうだから。このカップル1年目に既に入籍し一緒に住んでいたのを今度名実ともに皆さんに披露したのだ。こうでなくてはいけない。
・ 何時まで浪速にいるか先のことは分からないが今後も結婚式は続くだろう。今本校には専任教職員で20台、30台の「独身貴族は8人」居る。うち女性教員は4名で半分半分だ。40台以上の独身者は敢えて書くまい。しかし結構いらっしゃるのだ。
・ 常勤講師は現在33名おられるが何と「31名の先生が独身」である。これはすごい数値だ。ところで私は申し訳ないが常勤講師の先生の結婚式にはたとえご招待があってもご遠慮させて頂いている。
・ 理由は深いものではないがやはり「1年契約の先生」であるからお互い辛い局面を避けるという私の配慮が働いているのだ。例えば11月に華燭の典を上げ主賓で出席し、年が空けたら副校長より「来年の契約は打ち切らせて戴きます」では辛いだろうというのだ。
・ 前にも書いたが過去そういう場面があったという。校長以下管理職や関係の先生が大挙して結婚式に出席させてもらったらしい。そこへ私が来て「余りにも遅刻の多い先生」だったから「契約を打ち切った」のである。
・ そうしたら新婦の奥様から管理職に電話が来るわ、ご本人も前校長に残留を依頼するわで大変だったのである。そういうことを避けるために私は常勤講師の結婚式には出席しないことに決めたのである。
・ そうしたら副校長、教頭まで「私も」というが、それはおかしいので人事を扱っている副校長以外は出来れば出席してあげて欲しいとおもっている。「何だ,腹のちっちゃい奴だ」との批判が聞こえて来そうだがそのほうが良いとまだ感じている。ある常勤講師の式には出てある人には出ないというわけにはいかないし、難しいのである。
・ さて式場は本町御堂筋沿いにある。ここは私のウォーキングコースで玄関横にクラッシクカーが停まっており、これは飾りかなと思っていたら驚いたことにこれに乗って新郎新婦が登場だ。教会であるが最近は客寄せに様々な趣向を凝らしているのだろう。しかし学校の先生が車に乗って式場に登場する時代になったのだなと感慨深いものがあった。
・ 挙式は5時30分、披露宴6時30分、前回もそうだったが私らの時代は大体11時頃に式が始まり12時から披露宴で3時にはすべて終わっていたが、最近は「夜に式を挙げる」のも「流行」なのか。今日は日曜日だからNHKの「篤姫」は見逃した。仕方がない。
・ 私と同じでお招きいただいた先生は12人もおりほぼ浪速中学校の教師すべてだ。皆喜んで祝福していた。内女性の先生は4名で皆さん素敵なドレス姿であった。特記事項は「本校女子バスケクラブの女生徒が16人」もお祝いに駆けつけてくれたことだ。
・ 「教師冥利」に尽きるだろう。生徒が式場で歌を歌って祝福する光景など教師以外にはあり得ない。新郎からは「今日あるのは私のお蔭」と感謝の言葉が最後に皆さんの前で言ってくれた。先立つこと新郎のご母堂からも「すべては先生のお蔭です」とお礼の言葉があった。母上は小学校の教師である。
・ 常勤講師1年半で専任に採用されたことを言っているのだ。これで「結婚に踏み切ることができた」と言われるのだ。今日の私のスピーチは抑えて抑えてお話をした。「生徒に尊敬され慕われる優しくてそして強い先生になれ」と私は激励した。
・ しかし披露宴が終わったのは9時30分を過ぎており家に帰ったのは10時前であった。式の進行は肩が凝らず中々良い雰囲気で「今までの形を崩した進行が評価」できる。例えば乾杯の前に既にドリンクは配られそれぞれの人はもう飲んでいるのだ。そして後刻シャンペンで乾杯を持ってきている。
・ さて「次はどの先生の結婚式」であろうか。対象者は多くいる。立派な伴侶を得て腰をすえてしっかりと大地に足を踏みしめ「内を平らかにして欲しい」。そうすれば「外は成る」。これが今の元号「平成」の由来だ。「内平らかにして外成る」だ。

2008年11月22日土曜日

11月22日(土)第二回高校入試説明会

・ 昨年の第二回目の高校入試説明会は11月17日(土)であった。その時のブログを読み返して見ると当日は余り体調が良くなかったと書いている。理由は某教諭が探してきて前夜入試広報室のメンバーと会食をした場所が酷くて飲み物も食べ物も「身体にあたった」というようなことを書いている。
・ 1年経って「今日の説明会は快調」である。本日は「2008年度第二回浪速高校入試説明会」であり、重要な日である。「教職員総出で対応」することになる。体育館の椅子を用意したりするのは順番に「部活の生徒の応援」も借りて行う。済んだ後は又急いで片付けて元に戻すことになる。そうしないと部活動に影響を与えるからだ。
・ 昨年は「敵失」という幾分不適切な言葉を使って「近隣の学校の理事長経理不正問題や関関同立センター試験受験費用援助問題」などを表現したものであったが、この影響がなかったといえば嘘になるだろう。「彼らは敵ではないライバル」だ。とにかく本校の説明会に来てくれる生徒数は2006年度に比べ急増していた。
・ 「果たして今年はどうか」ということである。本校では3回に分けて行われる。一回目は10月25日、2回目が本日、3回目が12月13日(土)となる。本校の傾向としては第3回目が最も集まる人数は多く、その次は2回目である。
・ 今年は初芝さんが立命館入りし、学芸高校は有している底力を出されてくるだろうから昨年ほどには行かないと思うが、「誠意」を見せて頑張って参りたい。1回目から3回目にかけて増えてくるには背景があると入試広報の教頭は言う。
・ 大体11月末から12月トップにかけて公立中学や塾関係者は「中学3年生の進路指導」に関して「最終的な意思決定」をするみたいだ。これを受けて12月中旬の説明会は「ほぼ決定した学校」の説明会に行くのだという。確かに過去3年分を見てみるとそのような傾向となっている。
・ 迎えに来た副室長が「理事長、大変な人ですよ」「資料足らなくて大変でした」と。「会場はほぼ満員」でこうなると私は元気がますます出る。「嬉しい限りだ」。しかししゃべる方も大変なのである。如何に本校がPRできるか「とりの理事長校長」が失敗すれば今までの教職員の努力が駄目になる。しかし聴衆が多いと気合が入る。「大変良く出来た」と思う。何時もだが「最後に拍手が沸く」のだ。
・ 本校に来て私が素晴らしいと思っているのはこの「入試説明会だけは全員が協力し実行する姿勢」が明確に見て取れることだ。私は他校の事は知らないし、これはどの私学でも同じようなものだと思うが、それでも贔屓目で本校のほうが良いと思ってしまう。
・ 公立の教員はこのような手間隙をかけた「生徒募集活動と説明会業務」を知らない。あっても全然規模が違う。何もしなくても中学校の輪切りで公立には生徒は集まる。確かに「定員割れする公立高校」はあるがすぐ「学校がつぶれる」ことにはならない。
・ 公立高校の競争倍率を見るが良い。大きな差と成らないように、言い換えれば「15の春を泣かさないように」進路指導が徹底しているからである。学力で行ける学校は殆ど決まっているといっても過言ではない。そういう公立には「競争と言う意識」は基本的にない。
・ ところが私学にとって「生徒募集」は「命綱」であるから人もお金も時間を使って1年間努力しその集大成が「何名説明会に来てくれるか」である。従って私学の教職員が一生懸命せざるを得ないのも当然だと言えば当然だがそれでも一生懸命頑張っている教職員を見ると嬉しいのである。
・ 「昭和23年スタートした新制中学」は国立98校、公立13838校、「私立855校」であったという。「新制高校」は国立16校、公立2349校、「私立845校」で当時の人口は8000万人が今や人口は1億2000万人で私立中学は855校から735校に減少し、逆に「高校は845校から1321校」まで増えてきている。
・ 私立中学の数が減少していることに注目しなければならない。この論評はここでは省くが私立高校を含めて丁度今がピークであろう。今後は少子化の中で一校あたりの生徒数が減少していく。私立中学は特に、私立高校も学級数の減少から究極的には「募集停止」になるところが出てくる先行きは見えている。近隣でもそのような学校は大学グループ入りして生き残りをかけているのだ。
・ 従って今所管の都道府県知事部局は私立高校や私立中学の「クラス数増には極めて慎重と聞く」。我々は幸い先輩のお陰で「浪速中学」を継続してきた。ピンチはあったがなんとかしのぎ、ようやくここまできたがこれからが「正念場」である。
・ 一方日本経済の状態は完全に「景気後退局面」で家庭の経済状態、特に「教育費」にしわ寄せが来ることは間違いない。そこへ持ってきて各「自治体の財政悪化」もあり今後私学助成が増えることは有り得ない。
・ ここに一つのデータがある。「全国私立学校教職員組合連合会(全国私教連)」の調査で親の経済的理由で「3ヶ月以上学費を滞納している私学は1校あたり12.1人」と明らかにした。
・ 調査には大阪府など28都道府県の265校で生徒数218727人と言うからデータは信頼できる。「本校も滞納者が増える傾向はあるが12.1人もはいない」。いずれにしてもこの数値には「学校も一定期間滞納すると除籍とする傾向」とかがあるが基本的には「保護者の経済的困窮」が背景だろう。
・ 戦後60年の私学関係者のご苦労とご功績にただ私は頭が下がる。「お上が一番」という「官高民低」の風土の中で本当に血の涙と汗を流しながら今日まで私学の隆盛を高められてきた先達のご恩に報いるためにも我々は頑張っていかねばならない。
・ 「日本私立学校振興・共済事業団」の鳥居泰彦理事長は「63年前、敗戦の焦土の中から立ち上がった私立学校にはそれぞれの苦闘の歴史があります。それらを貫いていたのは国家の再建は教育から、“教育の再建は私学”からという“私学人”の情熱でありました」と言っておられる。
・ 「私学人」という言葉、なんと素晴らしいのだろう。私学勤務、中でも「浪速勤務」を誇りにして頑張って欲しいと思う。「どこの私学さんで?」と聞かれたときに「浪速です」と今でも胸を張って答えられるような学校であるが、更に更に高めていきたい。しかしそれは私一人ではできない。今日のような「一致団結、手弁当」「手を休めず汗をかく教職員の力」がかかせない。

2008年11月21日金曜日

11月21日(金)その2:広島県私立学校教頭会

・ 「広島県私立中学校高等学校教頭会」の先生方26名が本校を訪問してくれた。本年2回目の教頭研修会の対象高校に選ばれたということらしい。
・ 広島からバス1台にて来校された。まずビデオを御覧頂き、校内見学だ。生徒数が「1700人を超えてこの学校の静けさに驚きました」と言ってくれた先生がいらしたらしい。
・ 私の持ち時間は40分程度なのでまず最初に「教頭の職位と期待」と題して思うところをお話した。要点は:
 新文化創造へのリーダーシップへの期待
教員室に陣取り、日常的に教員と接する教頭はまず変化する学校の状況を分析し、変革を進める新しい職場風土を作り上げるための推進力に力を発揮すべきである。言わば常に変化していく状況に機敏に対応しなければならない組織の文化的素地の養生が大切である。校長の経営方針を受けて、個々の教員に語り、教員の意見も取り入れながら校長と教員間の双方向の適切な着地点を探ることが重要である。このことのために必要なことは具体的な現状分析と変革を進める建設的な提案が重要である。例えそれらの提案がその時点では着地できなかったとしてもその行為は後で何らかの形で残り、生きたものになっていく。職場での新文化創造へのリーダーシップが教頭の重要な仕事である。校長の経営方針はかかる土壌があって初めて花開くものと成る。校長に必要な資質はマネージメントであり、教頭にはリーダーシップが必要であると考える。新文化創造の旗手となれと申し上げたい。
学校全体の教育的リーダーシップへの期待
学校には教科、担任団、学年団、分掌と大きく分けて4つの組織で回転されている。一般社会には無い極めて特徴的な組織であり、この組織が良いも悪いも大きな影響を与える。特に今日、学校社会を取り巻く環境が変わり、生徒像も質的に変化していく中でここの組織が円滑に回転しなければ学校運営は出来ない。即ち「後手」を踏むか結局何もせず、「現状維持」に終わってしまうかである。分掌、担任、教科間で利害得失があるのは当然のことでこの調整が解決の迅速性の観点で重要である。これらの仕事はまさしく前述したように教員経験豊富な教頭の仕事である。
・ そして「資料つき」で「新勤務管理への移行」を少しだけお話した。言いたい事は「学校社会に初めて時間外労働という概念を作り出し残業手当を出現させたということです」とご説明した。聞いて頂いている熱心なお顔には驚きみたいなものが見て取れた。
・ 「 一宿一飯の恩義」があるから今度当方から訪問する場合は迎えていただけるだろう。お互いが懐を広くして開示すれば良い。私は最後に言ったのだ。公立がますます私学に近づいている。
・ 然らば私学は更に付加価値を高めるために教頭先生は「新文化創造の旗手となって頑張ってください」と。「旗手とはフラッグを掲げはためかすこと」である。その旗が何か良く見定めよと。
・ それにしても広島県の私学連盟は立派だ。このように教頭会を組織し管外宿泊研修会を実施しているのだ。「大阪にはない」。教頭同士が知り合うことは大きな力と成る筈だ。とにかく私立は閉じこもればどこも見学する機会や場所などない。閉じこもりと成るだけだ。本校は私が来るまで完全に「引きこもり、閉じこもりの学校」であった。
・ 従って私は通常の「外部出張には極めて寛大」である。今までの2年間で「ノー」と言ったことはない。とにかく「外を見てきなさい」が口癖になっている。学会や研究会も全て許可している。
・ 本校の先生が他校に友人を持ち、目が広がるのであれば大歓迎である。常日頃私は教員に言っている。「井の中の蛙になってはいけない」「外部に友人を持て」「外部の研究会や勉強会に参加しなさい」「外に出て行きなさい」と。
・ それは明らかに学校内部だけの内向きだけの先生と外部を知っている先生では「考え方に大きな広がりの差」があることを知っているからだ。まず部活動指導をしてくれている先生は幾分広い。それは他校の先生などを見知り時々話をするからだろうと思っている。
・ 進路指導の先生方も大学や塾予備校関係者と話をするから自ずと広くなる。このように何らかの接点を外部と有している先生は幾分視野が広い。本校は狭く、広がりが無いだけに外部に視野を広げて自ら拡張していく意識が大切である。これは私の大きな仕事だ。「本校を鎖国状態にしてはならない」し、教職員を「内向きのがちがちな常識はずれ」「時代遅れの学校」にしてはならないと戒めているのである。金は無くとも先生を外部に出す。

11月21日(金)荒れる学校、暴力行為

・ 久しぶりに全国紙の1面を飾る教育関係の記事である。各紙とも表現方法は様々であるが「荒れる学校」「小学生の暴力急増」等とある。文科省は昨日「児童生徒の問題行動調査」結果を発表した。
・ そこには「驚くべき数値」がある。平成19年度の全国の小中学校や高校で発生した「暴力行為」は52756件で前年度より「18%増え、過去最高」だった。又「小学校で37%増加」するなど「低年齢化」が進み、遂に高校では校内暴力があった学校は53.6%と初めて「半数を超えた」。
・ いじめについても101127件でこれは昨年より2万件以上減少しているが文科省は「隠れているのがあるのでは」と慎重な見方を示している。しかし「本当に深刻な学校現場」である。
・ 暴力行為の内訳は「生徒同士」が28396件で最も多く、「器物破損」、「対教師暴力」と続く。朝日は都道府県別件数を出しているが私はこれはあまり信用ならないと思う。東京などは余りにも低すぎないか。府県の乖離が大きすぎる。
・ しかしそういう前提で見ても「大阪は暴力行為の発生率が全国で4番目に高い」。2年連続の学力調査の最下位近くと歩調を合わしたのかどうか知らないが両方ともこのような結果では明らかに「基礎学力と校内暴力・・荒れる学校」の相関図が見えてくるではないか。
・ ところがだ。学力トップの秋田、福井、富山などは確かに暴力行為も低い数値であるが学力ワーストの沖縄はそうでもない。しかしブービーであった高知は大阪より悪い数値だから「学力と問題行動は相関がある」と言ってほぼ間違いはないとデータを読むことが出来る。
・ それは本校においてもデータが完全に一致するから私は補強意見として言っている。橋下知事も言っているように「基礎学力が身についていないから子どもたちが自暴自棄になって荒れていく」と言う見方は正しい。
・ 「大阪の悲惨さ」はまだある。「高校中退率」が全国平均の2.1%に対して3.4%と「全国最多」である。又府内の高校生の「不登校」が5881人に上り、04年度に調査項目に加えられて以来4年連続でこれまた「全国最多」である。
・ 校内暴力が全国6番目、中退率全国トップ、不登校全国トップだから府教委の教育長は「非常に由々しき結果で深刻に受け止めている」とのコメントがあるがそれはそうだろう。橋下知事のいうように「勉強が分かるようになればある程度は収まると考える。基礎的な学力を徹底していくことで問題行動の数値を下げたい」と述べている。
・ 「急がば回れ」で私もこれしかないと思う。「授業が分かれば少しは落ち着く」。分かれば次に進もうとなってくる。先日も私は朝会で述べた。「完全に習熟度別を徹底して学習進度を変えること」「新入学生には中学3年生の数学と英語を授業を使って復習するシステム」を検討するようにと指示したのだ。
・ 今や大学でも入学したらすぐ高校の復習をするといわれている時代だ。授業がさっぱり分からない生徒を引きずっていくだけでは「彼らにとっては地獄」だから「地獄から救い出してやる方策を考えろ」と言っているのである。これは本校の「売り」になるかもしれないからとも。
・ 教育評論家は色々な事をいう。「言葉でコミニュケーションをとる力が不足していてすぐに手が出てしまう」「かっては荒れていたグループがはっきりしていたが、今は一人ひとりの突発的な暴力が目立ち、対応が難しくなっている」と「ルールなき学校社会」が現れていると表現する人も居る。
・ 大阪府の寝屋川市立の中学校では「怒りの感情をコントロールする方法を身につける授業」をしたという。「怒りの温度計」として生徒に数値化させる試みらしい。この学校の校長は「集団で学びながら自然と身につけてきたことを授業で学ぶ時代になった」と話しているらしいが「何か変」だと思う。こういうことをするとますます怒りを表面に出すことを助長させないか。
・ 元中学教師で現在日本教育大学院大学の教授をしている河上亮一先生はこういっている。「自由や個人を重んじて子どもを一人前扱いする社会的な風潮が強まり、難しいこと、辛いことに挑戦させる機会も減った。」
・ 「教師と対等だとの雰囲気が広まり、指導に我慢できず、暴力で反抗してしまう」。「自由を大事にするのも結構だがそれだけでは子どもの自立は難しい」と。80%くらいは同調したい。戦後の教育の結果がここにあると私は考えている。
・ こういう問題が出れば誰でもすぐ「教育評論家」になってコメントするが問題は「具体的にどうするか」である。実はここがないというか最大公約数的な正解がないのが学校社会であり、これは個別の学校が独自に考え出していかねばならない。「実践あるのみ」ではないか。口であれこれ言っていても仕方がない。
・ 本校は前述したように色分けをはっきりして教育活動を行うこととした。全員一律は無理だ。特に本校のような規模が大きくなると三つくらい性格のことなる学校があるのと同じである。このことは頭で分かっていたが最近「骨身に沁みてきた」。
・ 文武両道、スポーツで生きていく生徒と難関大学を目指している生徒、目標を見失っている一群と分けて対応を考えねばならない。そのためには世の中の逆で「ゆとり教育」を本格的に研究することも必要だと気付いたのである。
・ 分からない授業を6限、7限まで引っ張っていくことはそのような生徒には「地獄」である。「地獄にならないようにじっくりと分かるまで教える」というシステムが必要かも知れない。
・ 教師にとって出来る子を教えるよりは実はこちらの方が大変なのではないだろうか。しかし今まで本当の意味で「勉強に立ち遅れた生徒の面倒を捨て身で」みてきたことがあっただろうか。今私はそこに着目して検討しているのだ。

2008年11月20日木曜日

11月20日(木)その2:かんしゃく玉2発

・ NHKテレビの「クローズアップ現代」を見ていたら経済評論家の内橋克人氏が「荒廃するマンション」とかの企画でコメンテーターとして出演し何やら訳の分らない左翼的な意見を述べていた。この人、私が公立高校勤務の時代、初めて「進学目標を数値化」して組合とトラぶっていた時に「時代錯誤、売り上げ目標みたいだ」と新聞で批評したおっさんだ。
・ 今日の晩酌は日本酒とした。こういう寒い日は日本酒となる。酒は長浜で買った滋賀県木之本冨田酒造の「七本槍」だ。「入魂厳寒造り」とある。中々旨い酒だった。純米酒であるがこの七本槍という名前が気に入っている。本校で「木村を支える七本槍」は誰かと考えたりしながら酒を飲むのだ。
・ 秀吉が北国攻めのときに活躍した小姓群、福島正則、石田佐吉、木村重成、浅野幸長などの7人の側小姓の名前を取っている。私は寸暇があれば戦国大名ゆかりの場所に出掛ける。この前は安土で「安土城」とか「信長」とかの清酒を買ってきた。
・ 今日は二回かんしゃく玉が炸裂した。私は「仕事から逃げる人」は根本的に許せない厳しいところがある。出来なくとも向かって頑張ってくればたとえ十分ではなくとも許せる。「組織人として基本的にトップの木村が何を評価し、何を求めているか十分に考えなければならない」。
・ 私の「ブログはすべて本校の教職員の為」である。このブログに私が求めていることは120%入っている。これを熟読し頭に入れることで99%は「仕事への対応設計は可能」となるはずだ。これは私の「親切心であり親心」である。
・ にもかかわらず「いい加減に読むというか見るだけ」で何も考えない連中には「ブタに軍艦」みたいなもので意味はないのかと思えば肩から力が抜ける。同時に人間は「自分を変える」には相当なエネルギーが要るのだなと思ってしまうのだ。
・ 朝一番神道科の主任教諭を呼び、「新しい神道科の教科書の進捗具合」について報告を求める。合わせてホームページ上の教育方針を来年4月を目処に改定するから原案を考えるように指示したのだが、彼はブログをしっかりと読んでいるから「すぐ私が何を求めているか」、一言、一発で理解する。こういうところが「この男の凄い」ところだ。
・ ところがだ。2限目某クラブの顧問先生にもう「数ヶ月も前から指示していた案件」の報告に入室してきたが「全く何も分っていないというか分ろうとしないか」どうしようもないレポートでここで一発かんしゃく玉が炸裂だ。要はやりたくないだけの話か深く考えていないのだろう。
・ 資料を作って校務運営委員会で臨時に出席して報告するように指示しても「逃げる」だけでそれは了解をしたが、職員会議では「やってもらう」と指示したのだが、その資料がこの程度で時間をかけているにも関わらず、「何も新しいことがない」ようなものを良くぞ持ってきたと驚くばかりだ。他を調べることもまったくしていない。
・ それを担当管理職も同行して入っている。いい加減なものだ。何で言わないのだ。「これでは理事長にどやされますよ」と。この先生は元来優秀な先生で期待しているからゆえに厳しくした。もっと力を発揮せねばならない。「仕事の範囲に遠慮はいらない」。校長が指示した仕事は自分の仕事である。
・ 午後は別の一件だ。本校の「生徒が読書感想文で入賞」したから「表彰して欲しい」と「鼻を膨らませて入ってきた」がこちらは何のことかさっぱり分らない。その表彰を受ける感想文を見せてと言っても無いのだ。それで表彰しろという。
・ 「かくかくしかじかの大会があり、本校からここにある3名の生徒の作文を出そうと思います。これで良いでしょうか」とまず来るべきだろう。そして「理事長、一人が入選しました」と駆け込んできて「表彰を依頼する」のが手順だろう。当方は全く何のことかさっぱり分らず、いきなり入って来てこういう顛末だ。ここで2発目のかんしゃく玉だ。
・ 大会機関からは私宛の「公式文書」が来ており、どういうわけか私を素通りして直接その教諭がハンドルしていたものらしい。学校とはそういうところなのだ。これには参った。教諭と常勤講師は鼻を膨らせて「やりました」と「お褒めの言葉を期待」してきたのだろうがもし落選したいたら私は一切このような経緯があったことさえ知らないことになっていた。教諭が悪いのではない。長い間そのような学校だったのだろう。
・ 時々事務室にもこのようなことがある。この前は私が出なければならない重要な会議が事務長判断で処理されていた。「厳しく指導した」ところだ。今度同じようなことあったら許さない。今私が安心してみておれるのは高校副校長だけだ。だから信頼できる。中学の副校長は時々「結果として隠す癖」がある。恐らく自分は自覚していないのだと思うが。ここまでは報告、ここからは私の判断でというのは「感性の問題」だ。
・ 今日の高校3年の学年主任は今「カナダ英語研修」の件で走り回っているから10分ごとに部屋に入ってきて「事態の報告と作戦を練る」。理数科の長も進路指導部長も同じように勝手なことはしない。今日は2類と3類の長も節目の報告に入ってくる。これが普通の姿だ。
・ 今日は珍しく3年生の某担任も「某生徒のことで報告」に入ってきた。珍しい。私が校長で組織の長なのだから、基本的に「管理職にこの件は任す」と言ったもの以外「誰にも決定権はない」。校務運営の最終責任者は私である。外部からも攻められるのは校長であり、副校長や事務長や教頭が責められることなど学校では全くない。「責任は一切理事長と校長に帰す」のだ。
・ 何か「私のブログを評論の対象としてみているような考え違いの人」はいないか。教職員に評論を求めて書いているのではない。「私の考えはこうですよ、こういうところが評価ポイント」ですよと親切に言っているのである。
・ 組織人で最も大切なことは既にブログで「報連相」だとかなり詳細に書いてある。「報告、連絡、相談」のことだ。もっとも教師が弱いところだ。自分だけ知っておればそれで事たれりとする20世紀初頭の考え方から抜けきれない人がいるのは困ったことだ。
・ 何時かは一旦ブログは閉止するつもりである。それまでにどれだけの人が組織人として「しっかりとしたビヘイビア」を持つかと言うことだろう。「あなた方にはちゃんと言っていますよ」と私は何でも言える。毎日書く「ブログはその確証」を積んでいるのだとも言える。

11月20日(木)今週は進路週間

・ 今週は「進路週間」である。色々な行事が計画されている。18日には「中学校の授業参観と学年集会」が行われた。特に「中学3年生は高校進学の話」が主体となり微妙で幾分重苦しい雰囲気であったらしいが副校長からは「うまく行きました」としか報告がないのでが無事終わったのだろう。
・ 高校は「保護者懇談」が始まっている。短縮授業だから6限終了後三々五々と保護者が学校に見えられる。「三者懇談会」となる。生徒が門近くでお母さんを待ったり、駅まで迎えに行ったり携帯で連絡を取りあったりしている。
・ 生徒は勿論、保護者のお顔は喜んだお顔ばかりではない。気が重くなっているのが良く分かる。それはそうだろう。中間試験の結果を明らかにして課題を話し合うのだから好まれる行事ではない。男子生徒に比べ女生徒はそうでもなさそうに見える。
・ お帰り時にはもっとお顔が暗くなられる保護者もいり。担任から「余り良いことを聞かされなかった」ことがすぐ分かるのだ。昨日も正門から駅までPTA役員の保護者と一緒になった。「話し、良かったですか」と聞くと「良いこと一つもありません」と苦笑いの状態であった。
・ 「校長先生、本人にその気にさせるのはどうしたら良いんでしょう」と聞かれるから、「特効薬などありません。学校も言いますが自宅の方でも諦めずに・・」と話が続いた。「お母さんの言うことを良く聞きますか」「「まったく聞きません」「お宅だけではありません」からと慰めにもならないようなことを話して駅まで着いた。とにかく「今日的生徒と母親との関係」が目に見えるように分かってくる。

・ 今年から進路指導部は「特別企画」をしてくれた。しかし何時も私は進路指導部長に言うのである。「今までの進路週間とは一体何をしていたの」「三者懇だけです」「そんなものだけでは普通、進路週間とは言わないだろう」「エー、マー」とこうなるのだ。
・ 新しい企画の一つは「先輩、お帰りなさい」というプログラムだ。テレビでやっているものは「年食った有名人を呼ぶ企画」であるが、進路が考えたのは「若い年代の年令の近い先輩を呼ぶ」ようにしたことだ。これは立派で褒めてあげた。「ウン、良く考えた」と。
・ 年取った有名人を呼んで話して貰っても、余りにも世代がかけ離れており、話す内容も幾分古びているのが正直な感想だ。「有名な先輩がいる」というのは「学校の求心力」にはつながるが目下の悩み解消には繋がりにくい面もある。
・ 今回は二人の若い先輩だ。一人は浪速中学、浪速高校、府立大を経て現在「みずほ銀行」勤務の銀行マンだ。20台で独身、見るからにフレッシュそのもので生徒には新鮮な感覚、背広でネクタイをピシっと決めた先輩は「輝く存在」に見えただろう。
・ もう一人は「大学の先生」だ。1995年浪速を卒業し阪大に現役合格、そのまま阪大の博士課程まで進む。九州工業大学の助手として就職し、2006年京都大学工学研究科機会理工学の助教として迎えられ今日に至っている新進気鋭の学者さんをお呼びした。
・ この先輩の話が大変良い。レジメまで用意してくれており、タイトルは「大学での力学」というものであった。ご専門が「計算力学」だからこのようなタイトルを付けられたのか分からないがタイトルにも「知性」を感じるではないか。
・ 「努力して学ぶことは力学」と定義されている。「力学以修己」をいう大阪の「懐古堂学舎の門に掲げられていた対聯の言葉」を流用されてお話を始められた。勉学は自己鍛錬といい、鍛錬は何処でもできるが「良い環境は何処にあるか」と話が具体化していく。
・ 「上位の大学の何が良いの?」とズバッと切り込み、頑張って一流大学に入る、遊んで適当に単位を揃えて卒業する、一流(と言われている)企業に入る、終身雇用で良い生活を送るは「このような時代はほぼ終わっている」から具体的な話が始まった。この「ほぼがポイント」である。完全に終わったではないところがミソだ。
・ 更に続く。「長いトンネルを抜けると雪国だった」という川端康成の名文をもじって「長いトンネルを抜けると更に長いトンネルの入口が待っている。」と言う。良い大学に入ってもそのこと自体は評価されず(時々チヤホヤされるだけ)と喝破し、結局次の長いトンネルが待っている。「いい大学に入る意味を考えろ」と強調し、結局「学ぶことの喜び、興味を持てる分野の選択、地道でも置かれた環境で勉強すべきことを勉強する」ことの大切さを現役の生徒に訴えてくれた。
・ そして「良い大学に入るには・・」とノウハウを後輩たちに伝授してくれ、面白いのは次だ。「良い大学に行けそうにない人は・・・」と番外編があることだ。これが良い。これは著作権侵害になるから公開ブログには書けない。しかし「立派に育った卒業生」であった。
・ 「誇らしい」。最後の締めが「若さこそ力」と言ってくれた。良い講演であった。講演後生徒が8名ほど追加の話を聞きに行ったそうだ。

・ 進路週間もう一つの目玉は「芦屋大学」訪問である。「人それぞれ天職に生きる」が建学の精神で特に教育系では力のある幼稚園から大学まで擁する一大学園で芦屋市六個園にある。ここには前の学校時代にお世話になった先生がおられる身近に感じる。そういえばあの先生、お元気であろうか。
・ なんと大学はバス1台仕立ててくれて本校の正門から正門まで送り迎えしてくれ、「パワーランチ」と言って豪華な昼食付きの大名旅行に保護者生徒の混成部隊がお世話になる。それにしても「大学も大変」である。

・ 「進路週間」が少しづつ変わり始めた。私は不思議でならないのだ。中にはいい加減な教師もいるが概して力のある教員が揃っていてこのような新しい企画がまったく持ち込まれなかったことは「一体、何が原因であるのか」と。進路指導部長ももう20年選手で今の中学の管理職も前の進路指導部長だ。私にはこのような優秀な人が何で今まで何もしなかったのか理解できないのだ。ここに「学校の基本的な問題」がある。浪速だからまだ居られるが企業だったら今頃は網走支店だろう。二人とも。
・ 昨年から辞める教師は多く居るが新しい人間は常勤講師は別として「私一人」である。この私の号令でこれだけ変わる素地を有していながら、結局何も変えようとしなかったのか変わらなかったのか、それが仕組みの問題なのか人の問題なのか、教員の意思決定と当時の管理職の責任など様々であろうがとにかく私には不思議でならないのである。ここに至ると「腹が立つ」のだ。

2008年11月19日水曜日

11月19日(水)小中教員に負担感

・ 「小中教員に負担感」との見出し記事があり、「辞めたいと思った」人は6割に上ると言う。教育問題の専門家らで作る民間団体のアンケート調査でこのような実態が明らかになったと日経夕刊が報じている。
・ 調査は教育分野で提言活動をしている「日本の教育を考える10人委員会(委員長:佐和立命館教授)」がこの8月にインターネットで公立の小中の教員1200人から回答を得てまとめたものとのことである。
・ 若手の3人に一人は週20時間以上の残業で特に負担に感じている業務は「教員評価・学校評価」が80%と高く、次に「保護者・PTA対応」「会議」がいずれも75%と続く。私などはこの数値を見て「ウーン」という感じだ。
・ 子どもと向き合う業務以外はどうも「負担感」を感じているみたいだ。「教材開発・授業研究」は49%と低めである。これは「当たり前」だろう。教材開発・授業研究に負担感を感じるならば、もうこれは「教師と言う職業」から離れるしかあるまいから。
・ 「辞めたいとしばしば思う」「たまに思う」の回答が62%で理由は「業務が多忙すぎるから」が37%で20歳代では47%に上がっている。しかしこれら若者の言い様は何時もどの業種でも言われていることで特段目新しいことではないと私は断じる。
・ 確かに教師は「忙しい」ことは事実である。本当に様々なことに対応しなければやっていけなくなっているのが現実だ。以上の調査は公立の小学校・中学校の話であるが私立でも基本的には同じことだろう。「教師が忙しい職業」であることは間違いない。
・ まず学力対策の特別課外講習、生徒の日常規範指導、部活動、保護者への対応、校務運営に関わる仕事が「純粋の授業以外の時間」に当てられる。時間は人間24時間が一日の「持ち時間」だからこのうち家で「寝る8時間弱と法定義務勤務時間が8時間」で16時間は、全ての人に当てはまる、これだけは自然の摂理だから如何ともし難い。
・ 残りの8時間で往復の通勤時間をまあ2時間取ったら残りは6時間となる。このうちまあ3時間くらいはいわゆる残業、居残り、ボランティア活動等で取られるとしたらこれで「週18時間は残業」だから調査結果にある週20時間などの残業は有っておかしくはない。18時間、20時間の残業が良い悪いを言っているのではないが。
・ 私は言う。週20時間の居残り残表がしんどいから「辞めたい」と言う人は「早く辞めたほうが良い。」朝は定刻の8時30分の5分前に学校に入り、授業が終わりホームルームが済み、定刻の4時半が5分過ぎたらもう帰り支度をして門を出たいと思っている人も「早く辞めた方が良い」。
・ 「学校」というのはそういうところではないからだ。発達過程の児童生徒を集団で抱えて「教育と言う活動」を行っている極めて子どもの人生に大きな影響を有する「崇高な営為」であり、今日はノルマを果たしたから「終わり」というようなものではない。
・ 自動車のセールスマンのように「今日は3台売れたから上がり」とか自動販売機の在庫チェックで「今日は予定数を回ったから終わり」というような仕事ではない。夕方終業前の30分頃に教員同士が「今日は何もありませんでしたね」と言った瞬間、「グラウンドでボールが目に当たり、痛がってます」と緊急連絡が入る。
・ まず様子を見て救急車を呼び、誰かが付き添い病院に運ぶ段取りだ。そして直ぐ保護者に連絡しなければならない。一方現場に戻り状況の調査をして事態を正確に把握しなければならない。その瞬間勤務時間はとうに過ぎていると言うのが実態だ。
・ 「辞めたい」と思うのは「別に大きな理由」があると私は考えている。少なくとも「教職と言う職業を志した以上」前述のような「生徒との関わり」はまったくと言って良いほど理由にはなっていないと思う。先ほどの辞めたいと言う若い先生の気持ちもそうである。
・ 「辞めたい」と思うのは「攻められる」「責められる」「押し込まれる」と自分ではどうすることも出来ない「第三者の意向が働き」、これによって「自分に影響が及ぶ」という現象行為に「慣れていないから」だと私は考えている。
・ 学校文化は「教師は専門店の社長」で教科、専門分野で一人ひとり経験もキャリアも「教育観」も異なる。はっきり言って「ばらばら」である。それを「職員会議というフィルター」を通すことによって「皆で決めた」形で「一人ひとりの教育観を押し殺して全員でやろう」とのスタイルをとる職業である。「上意下達」というのはない。
・ ところが調査結果にあるように「教員評価」という外部の力が働いたり、「PTAからの圧」などの外部の力が作用してきたりすると、途端に「ぐらぐら」と来る。生徒を責める、攻めることは得意でも自分が「攻められる、責められることには慣れていない」から、「受身にはからっきし弱く精神的にダメージ」を受け易くなるのだと私は分析している。
・ 評価などが無い時代は幾ら働こうが早く帰ろうが給料が1円も違わないので「なんであんなにあの人は働くのだろう」と冷ややかに見ていたが、評価されるとなると途端に「隣の人が気になって」来るものだ。特に同期や同じ世代だと余計に感じる。
・ ところがベテランになると長い間の経験で幾ら保護者が文句を付けに来ても「馬耳東風」「聞き流し」「面従腹背」「ポーカーフェイス」「成りすまし」みたいな高等な芸当が出来るから若い教員ほどストレスをためないコツを体得している。要領も良くなり、今日は「早上がりだ」と言ってさっさと帰り、パチンコくらいに行っているのではないか。これも「ストレス解消法」だろう。
・ 若い教員の3人に一人は「辞めたい」と思っているのはしばらくの間で、そのうちに結婚でもして子どもでも出来ると責任が出てきて、「社会を見る目が備わってくる」。そうすると今まで言っていたことが「やばい、学校の方が断トツに居心地が良い」となってくる筈だ。
・ 折角得た教師の職を自ら去ることはなかろうにというのが私の感想だ。「上から辞めろ」と言われてもしがみついていた方が良い世の中になってきた。そして「外部からの力」に耐える「耐力と体力」を有する「自覚と努力」が必要だ。
・ 最大の効果ある方法は私の下で数年「鍛えられる」ことだ。私の下で数年持ちこたえることができたら大げさな話、「世界中何処でも通用する組織人」にはなれる。それは保障しよう。「頑張って欲しい、若い先生方」「辞めるなど考えてはならない。」待てよ、本校でもアンケート取ってみるかな?

2008年11月18日火曜日

11月18日(火)中学校授業参観日

・ 昨日のブログの反響が早速あった。国語科の教員が部屋に入って来て「四訪」というのは深い意味はなくまず「再訪」「三訪」「四訪」とあり、「五訪」だってあっておかしくないというのである。「なるほど」とすっきりとクリアできた。有り難い。
・ 合わせてこの先生、「墨跡淋漓」ではなくて「墨痕淋漓」と使わねばならないと僕の間違いを指摘してくれたのである。意味は筆で書いた文字が黒々と生き生きとして勢いの有る様をいうのですと教えてくれた。「有り難う」また一つ賢くなった。嬉しい。

・ 今朝の新聞で気になった記事は扱いは小さいが各紙とも取り上げている「勤務時間内の組合活動・・・厳格化で9割減少・・大阪市」である。勤務時間内に不適法な組合活動を有給で行う「ヤミ専従問題」である。
・ 国から「余りにも酷い」と見直しを求められていた大阪市では今年4月から9月までの半期で時間内組合活動の許可件数が992件で前年の90.1%減になったという。許可時間も1439時間で94.5%の減少という。
・ 市は「勤務時間内に開いていた会議を時間外に開いたのではないか。組合活動に支障が出ているとは考えていない」とコメントしている。しかしそれにしても大きな組織だから減ったといってもまだ「1000件、1500時間の勤務時間内組合活動に給料が支払われている」のだ。驚くばかりである。
・ 組合活動に支障を来たしたり、弊害をもたらすような施策や干渉は許されないが「このご時勢」に給料を貰いながら組合活動をせざるを得ない大阪市の職員団体と行政当局の複雑な思いは想像できる。
・ とにかく大阪市は長い間「ながら条例」というものがあり、これを廃止するにも時間を要したが今回の「職務専念義務免除」の対象の見直しが大きな効果を生んでいると言うことは言えそうだ。「正常化」しつつあるということか。
・ 本校では勤務時間内の組合活動は「認めていない」。小さな所帯であるし、全員が走り回って頑張っており、そのような暇がないというのと組合員が揃う時間帯は放課後遅くなるということだろう。
・ 勿論機関決定のために外部会議に出席せざるを得ない役員が「職免許可申請」が出てくれば一件審議で判断することになる。

・ 今日は「公認会計士」が来校されて監査の日である。始まる前にしばらく懇談するが話題は当然「厳しい経済状態」で、ここでも担当している決算見通しや企業の状態について話題が集まる。「本当に大変」らしい。特に銀行の貸し渋りなどは不動産業などに酷いものがあるらしい。
・ そういう中で兼ねて依頼していた事務室勤務の人材について、一人の候補がいてその方の履歴書を見せられた。今企業は人員整理に入っており、「買い手市場」だという。何とか良い人材を得たいので今後とも宜しく頼みますとお願いした。
・ 昼休み「ボクシング部と弓道部」が入室。近畿大会や全国大会への出場祝い金と激励金の手渡しだ。当然のことながら部員は喜んで顔がはち切れんばかりだが、事務長は財布の中身を知っているから複雑だ。しかし弓道部には何時も出している感じがするなー。
・ ボクシング部は伝統あるクラブで支援を惜しまないが今居る選手の後輩を養成していかないと先行き苦労する。余程の根性がないとこのクラブはつとまらない。亀田親子でイメージを損なったが本質は「美しいスポーツ」だ。

・ 昼休み、理数科の科長がY常勤講師を連れて入室。先の1年生の「実力テストのクラス別得点分布」を整理して説明してくれた。中々分かり易い資料であった。この若い先生、「ITの達人」と聞いていたが今日は「その片鱗」を見せて貰って嬉しかった。
・ 聞けば枚方から90分かけて通っているとのこと。「自分は長男で親の面倒をみなければ成らないから自宅から通勤します」ときっぱり。立派である。親孝行ができないような人間は先生の資格はないと思っているから「感じ入った」。

・ 風邪の直りが遅い。午前中はまだ調子が良いが午後近くになると少ししんどい。昨日来校してくれた卒業生がお土産に持参してくれたお菓子が殊の外旨い。「福井県勝山市の銘菓」という。
・ 金花堂「はや川」の「羽二重くるみ」というもので本当に品のある味でくるみと餅のコンビが何ともいえない。事務室やら理事長室に入ってきた人には一個づつ差し上げている。

・ 今日は「浪速中学校の授業参観日」である。保護者の出席率は75%だからこれは異常に高い数値なのか他の私学はどうなのか分からないが大変結構なことだ。午後1時30分から50分授業が始まった。
・ 初めて全ホームルームを回って様子を見てきた。1年生は2クラスが国語で後一クラスが社会、2年生は技術と理科で3年生は英語だ。突然教室に入って行ったので先生も生徒も驚いていた。「良い授業」であった。
・ その後学年集会と学級懇談会があり、特に2年生と3年生は高校進学の話があるから副校長が担当してご説明することになる。概して高校に比べ中学の保護者はお子さんが小さいこともあり「学校教育にご熱心」である。

・ 今週21日(金)「広島県私立中学校高等学校教頭会」の先生方が30名近く「浪速改革」についてお聞きしたいと訪問される。私は本校ホームページを読んで頂ければそこに全て書いてありますというのだが受け入れセンターの高校副校長との調整でやはり現場を見たいということになった。
・ 初めての「大型の訪問団」である。誠意をもってお迎えしなければならない。私の話がメインだと要望されており、それならばとまだホームページにアップしていない新しいテーマでもお話ししようかと資料準備に入っている。

2008年11月17日月曜日

11月17日(月)教養ということ

・ 「教養」がないと見られるくらい恥ずかしいことはない。特に漢字の読みを間違えるとその後遺症はしばらく続く。書き間違いより応える。僕などの「生き様」を気にする性格では特にダメージが大きい。
・ 「踏襲(ふしゅう)」「未曾有(みぞうゆう)」「頻繁(ひんざつ)」などと麻生総理が使うといって最近のマスコミは皮肉っぽく報道している。しかし麻生さんは一向に平気で「読み間違え」とシャーシャー言っているだけだからたくましい性格で、だから政治家が務まるのだろう。
・ 今朝の産経新聞には曽野綾子さんがコラム欄に「総理の日本語が貧しくて漢字を読めないようでは困る。マンガ愛好を売り物にしているとこうなるという見本である」と木っ端微塵に切り捨てていた。笑ってしまった。そこまで言うか。
・ 昔、私の勤めていた会社の上司が社員を集めての何かの話のときに「順風満帆」を「じゅんぷうまんぽ」と何回も使って「エー」というどよめきが出たくらいだから特に組織の長は気をつけなければならない。「まんぽ」と読めないわけではなかろうが「まんぱん」だろう。勝手に読み方を変えて貰っても困る。
・ 話をしていても「品の無い言葉」をわざと使うのが「てらい」がなくて良いという向きもあろうがそれは不味い。それに間違った言い方もその人間を良く現す。兵庫県の井戸知事が「関東大震災は関西のチャンス」というような使い回しで「チャンス」を使い「ぼこぼこ」に叩かれたがこれなどは散文的役人出身だからだと私は思う。チャンスなどは奥行きのない言葉だ。
・ 案の定、東京都の石原知事は「木っ端役人の使う言葉云々」といって批判していた。橋下知事は「くそ教育委員会,ざまァ見ろ」といい、石原知事は「閉経した女性は世の中の害」とか何とか言って訴訟騒ぎになった。
・ しかし麻生総理の漢字の読み間違いとこれら井戸、橋下、石原知事などが使う表現方法とは根本的に性質が異なる。基本的に「蓄積された教養の部分と、性格、人格の違い」がこういう時に表にでてくるものだ。
・ 私の考えは「漢字の読み間違いは低レベルの話」で表現方法の問題は逆に知性と教養がベースとなる「人格がなせるわざ」だから始末に負えないのである。だからややこしい。中学生や高校生に時々「反省文」など書かせることがあるが、中学1年生の作る文章と高校2年生の作る文章では当然、漢字の数や表現方法に雲泥の差がある。
・ ところが同じ高校3年生でも素晴らしい文章を作る生徒と「えー、これは何?」といおうような文章しか書けない生徒がいる。一言で言えば完全に広い意味での学力とその蓄積と相関があるのである。
・ 学力が高く成績席次上の方の生徒の文章はしっかりしており、漢字数も適切であるが、そうでない生徒の文章などは、まず平かなが多く、中には句読点などない文章に出くわしたりする。そして文章の長さなどもおかしい。又「話し言葉」を文章にしようとするから読んで何かおかしい。
・ さすがに教員は人に教える立場にある人間だから文章や言葉使いなども上手い。しかし読書量の多さが伺える優れた文章を書くことができるかどうかとなると微妙に違ってくる。そのようにして教員の文章を読んでいると極めて面白い。
・ 教員だから教養があるとは必ずしも言えないのではないか。今手元にある教職員の人材評価育成シートの自己申告表の文章がそれである。これを見るだけで私にはその教員の教養の蓄積と人格レベルが手に取るように分かる。
・ 文章を作る時に特に私が心がけているのが「分かり易い」ということだ。何を訴え、言いたいのか分からないような文章は作らない。元々文章など作るのが好きだから良く「毎日更新するのは大変でしょう」などと人は言ってくれるがブログの文章など全く負担ではない。
・ 時に「ユーモアのある文章」、これは「硬派の文章」「骨太の文章」と書く内容で変化をつける。「表現方法」についても気を遣っている。最もこれは蓄積されたもので付け焼刃ではダメであるが、これは日々の努力で向上できると思っており、死ぬまで進化可能だと信じている。
・ だから私は「努力」する。日々のブログの一字一句や表現に工夫と努力をしている。これが面白いのだ。それに私は基本的に「勉強」することと他人の優れた言い回しを「パクる」のが得意である。
・ 先のブログで私は関西大学の河田悌一学長先生が私学助成で「大学人として初めて意見を発信」して頂いたことについて触れたが11月13日の日経夕刊の「文化カルチャー」欄に先生の「中国の近代化と格差実感」と題された一文が載っているのだが、その末尾に「四訪」という単語があった。
・ 文章は「この地を四訪してみたい」と使われてるのだがこの四訪と言う「初めて見る単語」に惹かれて少し調べてみた。旺文社の国語辞典、講談社の「日本語大辞典」、三省堂の「大辞林」、それにネット辞書も調べたが結局見つけることが出来なかった。
・ この「四訪」という言葉は河田先生の「造語」なのか私がまだ調べきれていないのか分からないが,言いたいことはこのようにして私は言葉を調べることが大好きだ。そして「パクル」のだ。何事も最初は人真似や昔のやり方をパクって最後には自分のものにしていくのである。
・ 「四訪」というのは「前に三度行ったが又四度目を行きたいのだ」という思いから使用されたのか、何度でも行きたいと言う強い思いの表現なのかまだ分からない。このようにして私は言葉を増やしていく。今朝はまた一つの単語を勉強した。「墨跡淋漓」と言う単語だ。「墨跡」までは良く使うが初めて墨跡淋漓と知ったのである。
・ とにかく「学者・研究者・小説家・文章家・新聞記者」などが使う単語や熟語は勉強になる。英語と違って「漢字は醸し出す雰囲気」がまるで異なる。私は日本語が大好きでこの年になっても新しい言葉を知ると嬉しくて興奮する。
・ 一昔前ある国語の教員がこのブログを書き始めた頃の私の先生で日本語の使い回しや誤字脱字をチェックしてくれていたのだが彼が私の文章の中の「中食」というのは間違っている。「昼食」でしょうときたから、いや「ちゅうじき」と読んでこれで良いのだといったことがある。国語の先生でも知らないことがあるのだと思ったことがある。
・ 上手い文章家は天賦の才も勿論あるが長い間に「名文」に触れることによって醸成されていくものであろう。だから私は感激する一文に触れると嬉しくなってメモに留める。そして何時かそれを自分の文に応用してみる。つくづく「作文と言うのはその人が出て面白い」と思う。

2008年11月16日日曜日

11月16日(日)第二回中学校プレテストその3

・ 中学校務の意思決定は通常「中学校務会」で議論が練られ、それが全体の「職員会議」で賛否が取られ決定される。しかし大体は当事者の集まりである中学校校務会での結論が職員会議で覆ることはないらしい。
・ 風邪でふらふらであったが何とか中学校校務会を乗り切り、次は「職員会議」の場面であった。誰が基調提案をしたのか記憶にないのだが説明が終わった後の質疑で私の言う「超法規的措置」に質問が出てきた。一言で言えば「それを認めれば高校教育の根幹である評定というものが崩れる」と、このようなカッコ良い言い方ではなかったが、これに近い発言であった。
・ とにかく簡単に言えば良いものを回りくどく言い方を変えて又同じ事を言う人という印象を強く持ったが、言っていることは至極当然のことで「ああ、理屈派もいるんだ」という印象を持ったのである。発言したのはベテランの教諭であった。
・ 「この学校は議論はまだ出来る素地が残っている」と感じたものだった。逆に意見が無い方が異常であり内心ほっとした感じを持ったのを覚えている。職員会議後その教員を理事長に呼び更に僕の話を聞いてもらって理解を求めた。とにかくこのようにして中高一貫問題は解決に向かうことになった。
・ まずクラス編成は議論を経て「完全なばらばら状態にはしない」「普通と一貫をまとめた混合クラスの考え方」「中高一貫の考え方は存続」させ「成績処理は分離して行う」などの具体的な方式が教員のアイデアで次々と進められていった。僕の出す大きな方針が決まれば私は些事にはこだわらない。教員に任すのがやり方である。
・ このようにして「中学校の存続」は成し遂げられたのである。結果的にこの中高一貫の解体が経営に大きな利益をもたらしたのである。勿論当座の利益追求のためだけの判断ではなくて当時関西の有力な大学が次から次と中学校、小学校を作って「囲い込み」をする時代に「せっかくある中学を廃止」することは「正しいことか」との自問自答の毎日でもあったことも事実である。
・ そして2年が経過し、3回目のプレテストを今年迎えるたのだが、もし今と全く違う局面、即ち昔と同じような「募集に苦労」していたなら「判断を誤った」と後世悔いの残る結果になっていただろう。「止めておけば良かった」と。
・ ところがこの「人気ぶり」だ。一クラスが二クラスになり二クラスが三クラスだ。「嬉しい」限りである。同時に強調したいのは単なる中学の存続ということではなくて「教員の雇用場所を確保」したことである。
・ 現在浪速中学校は管理職が1名、教員が14名今中学に配置されているのだが、もし中学を廃止していればこの15名の先生は不要であった。加えて入試広報室のメンバーとか広報予算を考えれば相当なものになる。それが逆にまだ来年は中学の先生が4名近く増強しなくてはいけないのだから「隔世の感」がする。
・ 着任時全教職員と面談したのだが多くの教員が特に高校配置の教員に多かったのであるが「中学廃止論者」一色であったが、今その人たちは何を感じているのか聞きたいものだ。面白いのは中学校の責任者のK副校長兼教頭である。
・ この先生は「中学勤務の経験が全く無いコチコチの中学廃止論者」であったが今や中学校の顔として「走り回って」くれている。彼は朝会などで時々「隔世の感」という。恐らく「照れ臭い」のであろう。いや、それだけに愛着と責任を持って中学校の面倒をみてくれているのかも知れない。
・ 当時の中学高校間の問題は「教員交流」などがなくて中学と高校に大きな壁が出来ており、特に中学校に組合教員が多かったこともあり、神社界は「ここを何とかしたい。」と強く思っていた。
・ それで私も「中学校を廃止し、組合教員を整理解雇したい」と内心思っていたのである。法廷闘争とはなった思うが法的に十分成り立つことは調べ上げた上でのことであったのである。私学においては法廷係争中の案件が一つや二つはあるのが普通であった。
・ まず労働審判、民事裁判などあり得たが「整理解雇」とは「解雇権の濫用」とならないためには解雇止むなしの合理的な考え方と社会通念上理解が得られる状態であれば「可能」であったと私は自信があった。
・ 特に「私学助成振興財団」からの「経営診断資料」は大きな私への「援護射撃」となったのである。極めて権威ある機関からの出された「イエローカード」は絶対的決め手としてこれを導入した前理事長の特筆すべき功績である。
・ しかし結局組合は見識を持って学校改革に100%協力してくれた。逆に大きな推進力となったのである。そのあたりから「あれッ」と組合に対して抱いていたものと異なるものを感じ始めたのである。理事会から聞いていたことと異なる様相なのである。
・ その要因については別の機会に詳述しなければならないが、まず僕の説明する内容に異論がなかったこと、説明責任を果たしていると言う行為、これ以上の労使対決の無意味さ、先行きの危機感、そして有力組合員が途中で敵前逃亡に近いとみられるようなに近隣の他校に変わっていったことなどが複雑に交じり合っていたのではないだろうか。整理して議論したことがないため良く分からない。いずれ誰かが整理してくれるだろう。
・ 私は「高校から中学に教員を入れ、交流」を図った。又中学校が一時期仲良しグループの朝のモーニング喫茶店と化している状況を目にして解体しなければならないと強く思った。「学校内にセクトや派閥や仲良しグループが出来ることは必ずしも良いことではない」。あくまでそれは「生徒の為に」なっていないことが多い。処遇などの不満分子が集う形は校内では良くない。
・ とにかく「楔を合法的に打ち込む」ことが肝要で「自然体」というのは経営者の「逃げ口上」である。中学と高校の教員を入れ替え、中学出身者で担任や分掌などの仕事をしない人間を、普通に分掌の仕事をしてもらうようにした。特に専任教員は担任に当て嵌めた。
・ あと2ヶ月で満2年がくるが実は「浪速改革」は「中学校改革」であったのである。これで初動の改革は成功した。しかしだからと言って今後とも上手く行くかといえばそうではない。
・ 僕の考えでは「3本くらいの太い背骨が必要」だと考えている。一本は「関西大学との連携」である。これで相当持ち上げられる。しかし一抹の不安感は消えない。関大にとっても「大学だけを頼りにされても困る」と成るだろう。後二本くらい核となる背骨を考えねばならない。「案はすでにある」。
・ 僕が何ゆえ浪速中学校に特別な思い入れを有しているか、僕のブログの読者には以上でお分かり頂けたと思う。「V字回復で浪速中学校はすばらしい中学校に育ちつつある」。さらにさらに誇れる中学校にするべく教職員一同で頑張って参りたい。

11月16日(日)第二回中学校プレテストその2

・ 今でも其の時の感覚は覚えているのだが、「遂に来たか」「かかってきたな」と瞬間はそう受け止めたのだが、直ぐに違う感覚になっていった。どうも様子が「少し違う」というものであった。
・ 誰も発言しない「ひんやりした雰囲気」の中で、この問題に限って「具体的な提案」をしてくる姿勢と「新校長を迎える適切な抑制の効いた姿勢と物言い」が大きく今でも印象に残っている。
・ こういう場合、すべてではないが、大体敵愾心を表に直ぐ出す組合教員などは以下のように発言する。先の橋下知事との教育討論会で「もっと人の言うことを聞きなさい」とたしなめられた一部勢力に属する教員の陳腐なやり方である。
・ まず喧嘩腰で「大体、来て現場も見ないうちに中学校の廃止など貴方に分かるのか」「一生懸命頑張っている中学校の教員の気持ちを分かって言っているのか」と怒気を含んだ物言いで新校長に「一発かます輩」が普通の姿である。
・ ところが当日はそのような教員はいなかった。当然私は「想定」して言質をとられないように文言には注意を払い、「こう言えばああ答える」「ああ言えばこう答える」と準備をしていたのだがそれらは杞憂に終わった。それだけに前述の教員の「インテリジェンスな立ち振る舞い」が印象に残っているのだろうと思う。
・ 他の多くの教員はおそらく私の資料説明を「しらけた」感じで聞いていたに違いない。「本当に出来るのか」「やれるものならやってみろ」というくらいではないか。「お手並み拝見」という高尚なものでもなかったろう。とにかく学校全体がしらけていたといっても過言ではないと僕は今でも確信している。
・ 1月9日の着任から2ヶ月の後私は方針を全面変更して「中学校は存続の結論」を出した。ただし条件を出した。これは教員に出したわけではなくて言ってみれば経営的に自らに課した条件である。
・ それは「中高一貫の解体」であった。当時中学1年生から3年生までの3年生分と浪速高校に進学している高校1年生の分4年間分の生徒は中学校入学から「中高一貫制度下」の生徒群であった。
・ 他校に遅れ中高一貫にしたのは良いが戦略も戦術もなくただ闇雲に導入した中高一貫は塾関係者や保護者の理解を得ることなく当初から「生徒募集に辛酸な思い」をし、入学した生徒も他の私学などのいわゆる進学重点の一貫ではなくてどちらかといえば「高校入試が免除される中高一貫の様相」であったと言える。
・ 僕は暇さえあればNという課程のクラス(中高一貫クラス)を見に行き、この目で確かめ、同時期に始めた教職員との面談でこの中高一貫の現状について議論を重ねた。議論にならない人もいたが概してすべての教員が「最大の問題」と思っていることは把握できた。
・ 生徒群については詳細は書くまい。ただ「学力に大きな課題を抱えている生徒」が多いと言う現実とそれを少人数で展開しているから中には一クラスあたり5ないし6名という授業もあり、これは「教室」ではない、一種の「施設」とまで見えてきたのである。この状態で6年間も過ごすという不幸をこの子たちに味あわせてはならないという決意であった。
・ 理事会側も一部の理事はこの問題把握はしていたようであるが「あと4年間続かざるを得ない」と諦めていた節があったが、この状態が4年続けば「学校は終わる」と私は見た。そこで「中学を存続させる条件としてこの中高一貫を解体」することを自らに課したのである。
・ まず「クラスの統廃合」を進めることが結論である。これを解体して高校入学時には外部からの入学生を混在させる方式を条件とした。しかしこれには「相当の神経」を使った。緊張した毎日であった。覚えているのは当時ひどい風邪をひいて体調が悪くふらふらした状態であったが学校を休むわけにも行かず「重たいテーマ」を抱えながら天王寺から通っていた。
・ どうも僕は2年に一回くらい高熱を出してふらふらになる。倒れたり学校を休んだりはしないのだが体全体が疲れてだるく本当にしんどい思いをするような体の癖が付いているみたいでその時がその状態であった。これは体が僕に「ブレーキをかけている」と最近気付いたのであるが・・・。
・ 「入学の条件を覆す」のだから尋常ではない。普通の感覚ではやらないしやれることではなかった。しかし「僕はやった」のである。まず教員説明、保護者説明と順序立てて進めていった。
・ この過程では保護者集会の席で僕に対して「高津の件はどうなんですか」等と全く関係ない話を持ち出したりして明らかに「新理事長への反発」を見せる保護者もいた。当時まだ僕は校長兼務ではなくて理事長校長となるのはまだ1ヶ月後のことである。
・ この間、大いに僕を助けてくれたのは記憶にある限りでは当時中学にいた理科のK教諭と中学教頭のN教諭、それに当時のH校長であった。大いに意を強くし、本当に彼らには助かった思いがある。忘れてはいない。
・ 窮余の一策として「入学金の返却」まで用意して私は臨んだが、「案ずるより生むが易し」で保護者の中に「大いに賛意」を示してくれる勢力も現れ流れが決まった。ただ「中高一貫から高校編入」とした場合に「学力保障」と「進級保障」が保護者の最大の関心事であり、これはある面当然のことであった。
・ 学力保障は放課後講習などでどうにでもなるが問題は内規による進級保障の扱いであった。このときに僕の発した「超法規的措置」という言葉が出てくることになった。この意味は入学時の学力、入学前提条件が途中で変わるという「路線変更する列車に乗せる」のであるから「通常の高校内規とは異なる適用が必要」という言ってみれば「憲法9条拡大解釈」みたいなものであり私が考えに考えた方式であったのである。
   (以下続きは次回のブログ第二回浪速中学校プレテストその3へと)

2008年11月15日土曜日

11月15日(土)第二回浪速中学校プレテスト

・ 昼前に校内を巡回していたら新館入口付近から入試広報室の先生が「中学校、プレテストの数、年々増えていきますね」と声がかかった。「増えてもなー、問題はどのレベルの生徒かだねー?」と混ぜ返して“お互い大笑い”となったのだが、今日は第二回浪速中学校プレテストの日である。笑えるだけ良いのだ。
・ 段取りは一回目とさして変わらず、今日は「中学校1年生による体験発表」がある。これが結構評判が良い。従って僕の時間は10分マックス、それに一回目のプレも受けて2回目も受けに来る比率は約60%であるから、保護者に同じ事を2回も聞いてもらう必要はない。
・ 先ほどの“年々増えていますねー”ではないが「ここ数年の伸び率」は凄い。18年度入試を100とすれば19年度が99%の伸び率でその後さすがに99%とは行かないが50%の伸び率をキープしている。今年もそうだ。
・ 世の中にこのような伸び率を示す変数もなかろう。中国の経済成長率でも一ケタ台になってきた。しかし「問題はこの後」である。中学は高校入試と違ってまったく読めないのであり、深く静かに進行していく。長引くのである。
・ プレテストはあくまでプレテストで「志願者数」とは限らない。しかしまずプレテストを受けておくことが絶対的条件ではないが有利だから大体「その気がある」ならプレは受けるのが普通だ。
・ 志願者が決まった後でも高校入試と違って私立中学は受験日がばらばらだからこの段階でも「受験するかどうか分からない」。例年だと数名は他の私学に切り替える者は当然いる。そして次が「合格者」となり、「入学者」となる。入学者は入学料を払ってくれた人である。以上のようなわけで中学入試は局面が何回もあるのだ。
・ 府内の私立中学も大体プレは2回に分けて行う。だから最初のプレで「基準点をクリア」しておけば、「A判定」を貰えるからAを貰った生徒は「朱印状」を手にしたのも当然だから、2回目のプレは受けに来ないのも居る。
・ どうしているかといえば「良かった。もうしんどいから受けに行かなーい!」というのと「もっと上のレベルを目指す」というのと二つのタイプだろう。わざわざレベルの低いところに2回目を受けに行くなど考えられないからである。
・ 本当に私立中学の入試システムは上手く考え出されており最初にこのシステムを誰が考えたのであろうか、僕は感心してしまうのだ。前回ギリギリだった子は2回目何としても頑張ろうと受けにやってく。2回もプレを受ける生徒は「本校に入りたい一心」だと思って良い。
・ そういうと「そうでもない」と入試広報は言う。今や私立中学のプレテストは「外部模試的感覚」であり、受ける子は片っ端から受けるらしい。とにかく前述したように中学入試はこのように複雑怪奇なところが面白い。僕は今は「嵌っている感じ」だ。
・ 今日以降入試広報室の面々は受験してくれた生徒のいる塾などを回り「情報を集めて」最終判断するのだが今年は余計に大変だろうと思う。それは本校のポジションが相対的に上がったことと近隣の初芝が立命館グループ入りして「初芝立命館」となったことである。
・ 今まで本校と初芝は似通った中学校であったが「本校の実力アップ」と果たして立命館と名前が付くことになった「初芝との勝負が興味深い」のである。大阪市内ならまだしも泉州に住む生徒が東海道線の草津くんだりまで行くかという声は良く耳にするがこれだけは分からない。立命館は立命館だ。
・ その点本校が今最終的に話を進めている「関西大学」は全く違う。アクセスの良さと言ったらもはや「同じキャンパス内」という感じだ。順調に話し合いも進んでいる。正式に決まったらお金を使って大々的に宣伝だ。ひょっとしたらテレビコマーシャルまで流すかも知れない。
・ 僕はやる時は思い切ってやる。大体「少量小出し作戦」は旧日本軍のやり方だ。だから負けた。「けちな根性が失敗する」。アメリカみたいに「大量集中投入作戦」でなければならない。これは「兵法」である。
・ とにかく今大阪の南部ではこの経済不況下であるが「私立中学人気」が高まっているという。それというのも橋下知事の怒りの原点、「公立中学校の現状」に希望を失った親が「少々授業料が高くとも」、可愛いわが子の為なら「面倒見の良い私学へ」と考えているからだ。
・ それにしても僕は「中学校に思い入れが強い」。生まれて初めて中学校の修学旅行について行った。全員に屋久島登山撤退記念に携帯の屋久杉が付いたストラップを一人ひとりに手渡してやった。時々「まだ持っているか」と聞くのだが「家に大事に置いてある」と答えてくれる。これが「嬉しい」のだ。
・ 「サツマイモ育成体験」も場所を改め継続した。昨日は生徒会の役員がお芋を持ってきてくれた。「中学校運動」を始めた。大変好評だった。「遠足」について行き一緒にカレーライスを食べた。「テニスコート」を作り変え、「1面は中学優先」とした。「雅楽やブラバンの楽器」はどんどん買う。どうしてこうなんだろうと自分でも驚くくらいだ。
・ 「理由はある」ような気がする。2年目着任したときの最初の最重要なテーマは「中学校の廃止問題」であった。勿論理事会各位には同意を得て、浪速中学校卒業生の同窓会長までにも経営実態を詳細説明し「覚悟を決めて」赴任したのである。
・ 「忘れもしない」。1月9日の着任日当日16時から始まった私の「着任挨拶と経営方針」の資料だ。その年の年末年始を潰して私が「浪速を徹底分析した資料」で20ページにも及ぶものだった。
・ その時の資料は「中学校は廃止する」とは明確に書いては居なかったが誰が読んでも「そう分かる資料」であった。最後の質疑応答で一人の教員がやおら立ち上がって発言した。極めて「抑制したトーン」で「中学校廃止問題はもうしばらく1,2年待てないだろうか」というものであった。
・ その男が据わっていた席は私から見て最も右側で後ろから数番目に据わっている「背の高い男」であった。その時にはまだ名前も知らない人物であった。しばらく字数を使って中学校問題を振り返ってみよう。本音の文章となるだろう。
(その2:以降は浪速中学校プレテストその2として明日のブログに続く予定

2008年11月14日金曜日

11月14日(金)生徒による授業評価 

・ 「生徒による自己分析と授業評価」の方式がまとまった。教務部長から正式に案が出されたのでそれを了とした。12月4日に全校生徒へアンケート用紙の配布がなされ実施される。校務運営委員会、職員会議で最終確認された。
・ 副校長が原案を出し、これを教務部、学年団で議論し学校全体のものになった。とりあえずやることが重要だ。先生方も不安は無いだろう。しかし本校の教務部長のIT技術は大したもので「アンケートの分析ソフト」をこしらえた。素晴らしい。
・ しかしこういうアンケート方式に完成版はない。後のことも考えねばならない。「ヤッタ」というだけでは意味はない。アンケート結果を「どう読むか」が重要である。生徒の心をこの用紙1枚でいかに捉えるかが問われてくる。
・ 学校というところは「アンケートが好き」で良く取るがその分析が得意とはどうも思えない。そしてそれを特定の個人の情報にだけ留めていたら折角の時間と暇がもったいない。「徹底的にデータを味わい尽くす」という心が大切だ。
・ 記名式としてわざわざ「名前を書くことによる不利益はありませんと」とまで書いている。5段階評価で「5はとても当て嵌まる」から「1は殆ど当て嵌まらない」までの「5段階の評価」である。
・ まず「自己分析」の欄には「①学校生活が楽しい」から始まる。この意味合いは深くてこれは「個別の生徒の声無き声を読む」ためだ。まず「学校が楽しい」ということでなければならない。
・ 特に中学は今回対象にしていないが殆どの生徒が学校大好きで早く、早く学校に来ようとしてこちらとしては安全面から心配なのだが、こうでなければならない。楽しくないのは「いじめ」とか「授業が分からない」とか色々考えられる。
「②は塾を除いた一日当たりの家庭学習時間を問う」ものである。「③は予習や復習をしているかと自己分析を問う」ものにした。これがないと自らを振り返らないからだ。先の全国学力調査でも家庭での学習時間が極めて少ない。私の時代の記憶では結構予習や復習などあった。教師もこの点は一度考えねばならない。
・ 「授業評価」欄のポイントは特に「評価できる授業があれば科目名と教員名」、そして「理由」を書いて貰う欄だ。同じように評価できない授業についても問うことにしている。ここが最大の眼目である。
・ 一般的に生徒はこういうアンケートについて好きな教員には優しく書き、嫌いな教員には厳しく書くものだが、当然それを含んでいる。しかしそれでも敢えてこの問いを設定したのはその中から問題の本質を掴みたい。
・ 又今回は「授業の静粛さ」については問うことにしている。私の指示で少し原案を変えて聞く内容を高めた。アンケート結果によっては、問題のある教室には当然調査が入ることになるだろう。
・ 本校の生徒であれば適切に書いてくれると思っている。ただ温度差を極力少なくするために校内放送で校長が趣旨を説明することとした。そして同じ日同時刻に一斉に書いてもらうのだ。
・ 分析が大変だが一度はやっておかねばならない。同時に「学校自己評価」もやる。これは常勤講師以上の全教職員でまずやることにした。学校運営と教育内容に分けて相当細かく自己を分析する。「浪速高等学校評価委員会」が案をまとめてくれた。
・ 大阪府私学課からの指導でもあるし文科省からの通達もある。学校の評価と公開が今後とも大きな流れになる。自分勝手な論理で好きなようなことは出来ないのだ。公金が入っている以上当たり前である。私学課は助成の評価項目だという。やらねば削減されるのだ。
・ 次は「保護者からのお声」をいかに吸い上げるかであるがこれは学年単位で従来より実施しているのだが一回まとめた形で実施したいと考えている。まず「保護者の授業参観」を来年1月に実施する。中学は簡単に出来るが高校は何しろクラス数が多い。しかしそうは言っても生徒個人からすれば重要な問題で「授業料の値上げ」などお願いするには当然保護者の信頼を得ないといけない。
・ 先のブログ「名無しの権兵衛」さんのようなお方もおられる。不満を感じておられる保護者も多い」と謙虚な姿勢が重要である。生徒に用紙を持ち帰ってもらってそこに書いてもらい回収するという方法も考えられるが権兵衛さんのように匿名を好まれるお方もいよう。しかし本当に匿名は当方としても対応に困る。
・ いずれにしても学校は「待ったなし」で次々と新しい企画を持ち込み学校を揺り動かさなくてはならない。そうすることで古い幹や腐った実などは下に落ちる。そのようにして「新しい芽」を育てていくことが必要だ。
・ 植木職人にとって重要なことはどの枝葉を残しどの枝葉を切り捨てていくかであり、私も十分注意しなければならない。浪速はこのような「動き」に遅れをとったが今、私の手で追いつき抜こうとしている。
・ 「何でそんなに急ぐんですか」と最近こそ言われなくなったが、つい少し前にはよく言われたものだ。大体そういうことをいうを言う連中は「改革について来れない連中」である。私は何時もこのように言っている。
・ つまり人間一生の間でやることは決まっている。それを均等にやるか、先にやるか、後でやるかの違いだ。エンタルピーは保存されている。先にやって果実を味わいながら次の作戦を考えるのが良いが、無為無策で日常をむさぼり、あとで苦労するかどうかの違いだと。
・ 「先にやらなかった分、今苦労するのは当たり前」だ。それを「急ぐ」と言われるのは心外極まりない。嫌なら橋下知事ではないが「好きなタイプの校長のいる学校に去ってもらって結構」とまで言っている。大阪府は「夜スペ」とか「百マス計算」の導入とか徹底して「公立学校の改革」に入ってきた。
・ 公立が変わる。どのように変わるかまだ分からないがこれだけのエネルギーを投入すれば何らかの形で変わってくる。それが「自然の法則」だ。私学の付加価値を高めるために今が「乾坤一擲の勝負の時」であると考えているのだ。

2008年11月13日木曜日

11月13日(木)定額給付金

・ 残念ながら「自民党はもう終わり」だな。このブログは「教育問題に特化して発信」することを心がけてきているから政治向きのことは控えてきた。私のブログの読者には政治家もおられ、自民党の党員で議員さんも多くおられるから書きにくいが仕方がない。
・ 私自身、自民党の応援団であるが自公の枠組みから公明党にもシンパシーを感じている。個人的には民主党の小沢代表など自分が「住金の小沢一郎」と若い時言われたくらいだから興味関心はあるが表立っては自民党だ。
・ 民主党は右から左までのイデオロギーでよく分からない。それに自治労とか日教組とかの結びつきが強すぎ、「ウーン」と言う感じだ。民主党の中には立派な政治家が多くいるのに残念だ。離合集散で何時か本格的な進歩的保守政党の誕生を期待するしかない。「ニューライト」だ。
・ 「定額給付金問題」がようやく決着したとある。結局迷走をし続けたが「辞退基準」は1800万円となったそうだ。サラリーマンの年収では2000万円を超えるレベルだ。これ以上の高給取りには「辞退」をするよう一文を添えるという報道もあった。
・ ところが具体的なやり方は「自治体に任せる」ということらしいから、要は「丸投げ」だ。各自治体で判断が異なるなど法的に可能なのだろうか。自治体は事務処理で来年3月末まで大変な事務量となる。
・ 大体年間所得が1800万円を超える世帯比率は1%程度でこれなら「全世帯支給」に沿うと判断したらしい。年収2000万円を超えれば「確定申告」の対象だからというのも1800万円にした理由らしい。本当に全所帯に必要な「生活支援策」だろうか。
・ 今「困窮家庭の年収規模は300万円以下のレベル」であり、ここをどうするかが社会的な問題である。「治世」とはこういうところに目を向けることだろうがと言いたい。教職員も支給対象であり、各家庭によって内情は違うだろうだが、私の目には「生活困窮者」はいない。パチンコやギャンブルにこり、家庭を顧みない教員が居るとすればお金は幾らあっても必要である。とにかく教職員が修学旅行の積み立てを流用したとかの報道が後を絶たない。
・ 首相も二転三転し、与党もばらばらで肝心の「国民は60%近い人が要らない」と思っているとのデータが1昨日各紙を飾った。多くの国民はこの突然のばら撒きに「ウーン」となっているのである。しかし正直くれるというものを「要らない」とは最後の局面ではならないだろう。
・ 大体「給付金」とは何だ。元はといえば我々の税金だと大見得を切る気はないが先ほどの「後期高齢者医療費」と同じで政治家、官僚には「言魂」という意味が分かっていない。もっといい表現を考えるべきだ。
・ 完全に選挙目当てのばら撒きだから国民も「うさんくさい感じ」で見ている。与謝野さんは頭が大変良いから「辞退を促すというのは制度ではない」と最初に発言したものだからばらつき始めた。論理的筋道を立てずに走るとこうなる。
・ 今後全国の市町村など自治体が「どうやって配布するの,人手はどうするの」などと騒ぎ始める。確かにそうだろう。5000万世帯の支給を年度3月末までに配布するには相当な事務量になる。窓口は大変な混雑となろう。
・ 恐らくその頃総選挙だろうから国民は貰って喜び自民党に一票となれば良いが果たしてそんなに上手く行くだろうか。99年の「地域振興券」の時は配布のコストが750億円もかかりこの時は政府が面倒見たが今度は2兆円で各世帯だから学者の算定では2000億円以上らしい。
・ 銀行口座の無い人にはどうするのか。金融機関のない僻地の人にはどうするのか。振り込め詐欺への対策はどうするのか。ホームレスやネットカフェー泊り込みの人にはそうするのか、一人暮らしのお年寄りにはどうするのか、イチャモンではないが面倒なことが余りにも多い。
・ 一家族4人で大体6万円規模となるらしいが、消費につながるのであろうか。疑問とする識者は多い。「元々は景気浮揚策」からスタートした。2兆円くらいで景気が良くなるはずは無いし、6万円ではあっという間に実感する前に消えてなくなる感じだ。それでもないよりは良いが。
・ 麻生さんや太田さんは「良いことをした」と思っているとしたら大間違いだ。恐らく今頃「失敗した」とほぞをかんでいるのではないだろうか。私なら別の事を考える。まず「公立私立の校舎の耐震補強工事に支援」する。
・ 「すぐやれ」となったらゼネコンや町の建設会社は一息つけたはずだ。これは大きい。小学校だけでも良い。全国に行き渡らないとしたら地震の発生頻度の高い地域を優先させるというのが「政治」だろうと思う。道理が通れば地域も文句は言うまい。
・ あるいは昨日のブログではないが、「全国の母子家庭に高校の授業料援助を今年に限って全額援助する」となると泣いて喜ぶご家庭があるだろう。こういうときこそ「教育投資」に回せと言っているのだ。
・ それを高速道路代を安く、週末と夜間には1000円にするといってもガソリン価格がまだ高い中で車で遠出する家庭が増えるとでも思っているのか。今は車を控えて電車で通い、日曜日も仕事を探しているのが現実の姿だ。もう政府与党や官僚は国民が見えなくなっていることが今回判明した。
・ とは言っても根本的な解決策と混乱回避にはならない方法の見えないところが現在の「日本の抱えている病」だ。病は深く静かに進行しているが政府も与党も野党も解決策を打ち出せずに70近いおっさん連中の政治家や官僚が跋扈している。
・ 海の向こうのアメリカは46歳の若い黒人大統領が「Yes,we can」と叫び、「Change we needと言って誕生した。国民に何か希望を与えているではないか。「政治は国民に希望を与える」ことだ。
・ 一律にお金を配ることより「国民に夢」を与えて欲しい。夢があれば国民は頑張れる。本校も「無血革命」を成し遂げ、今描いた夢に向かって全教職員が頑張っている。来年4月入学者数が決定し計画以上となれば私は「報奨定額給付金」を支給する可能性も考えている。頑張ったらご褒美がもらえるというのが正しい。今年の4月も実施した。しかしこの程度のお金は一回家族で夕食に出かければ終わりだが「夢は実現するまで終わらない」し、近づくにつれて「ますます元気が出る」ものだ。

2008年11月12日水曜日

11月12日(水)社会的排除

・ 「社会的排除」と言う言葉がある。家庭崩壊、失業、自営業の倒産、世帯主の死去など様々な理由から「貧困状態」に陥りそこから抜け出せずに社会の中にいかなる居場所も見出せない状態と言うらしいがこの新しい造語の主は読売新聞ではないか。
・ 読売は10月15日から22日まで「生活ドキュメント 社会的排除」の特集を組み報道したが中々本質を直視した良い記事であった。しかし読んで「切ない」。それは書いていることが一々学校長たる自分にとって「身に迫ってくる」ものだからである。
・ 「家庭環境の乏しさから学力を育めなかった子どもが高校を中退」していく現状を詳細に伝えた記事であり、「貧困から学力低下、中退、不安定な就労、そして社会的排除という負の連鎖」が生々しく伝えられている。
・ 1970年代には「一億総中流」と言われ、栄耀栄華を誇ったが、この10年で格差は急激に拡大していった。その一方で「高学歴化」はますます進み、社会の構造は一部では「高卒の仕事がなくなり」「大学卒が高卒向けの仕事に就く時代」となった。大阪府や市は大きな騒動となったが大卒の履歴を隠し高卒と偽って公務員の職を得るなどの事件が出てくるようになっているのである。
・ 高校中退では不安定な条件になってしまうことはデータで明らかである。言い換えれば「高卒で安定した職に就ける時代は完全に過ぎ去り」、「中退なら尚厳しい」ということである。都市部の若者の実態調査で「大学卒で正規雇用に定着している割合は50%であるが、中卒や高校中退では男子で5%、女子で0%」というから驚きの数値がある。
・ 北海道の某道立高校の校長(59歳)は言う。「我が校でも中退者が多く、事件を起こして家裁から連絡が来る。中退から犯罪予備軍になっていく子たちを思うと切ない」と。しかし犯罪予備軍とは、悲しい言葉だ。しかし私はこの校長の気持ちは同じ校長として大変良く分かる。
・ 更にこの校長は続ける。「貧しさと学力の低さは明らかに相関関係がある。自宅に辞書さえなく勉強など出来る家庭環境ではない。何とかしなければと思うが学校だけでは解決できない」と。全くその通りだ。120%正しい。
・ 更に別の識者は言う。「経済的に苦しい家庭の子が小中学校の勉強からこぼれている現実がある。義務教育段階で身につけるべきことをきちんと学校で教える対策が必要だ」と。これは紛れも無い事実で中学校から基本学力が出来ていない生徒がスピードの速い高校教科に対応できていないのだ。要は授業についていけない生徒が多くなっているという現実である。
・ 大阪市の公立中学の教師であった先生が縁あってこの11月から本校に勤務して頂いているが、この先生は私に向かって「授業をしているという実感に身が震えます。嬉しい。生徒が私の言うことを良く聞いてくれます」というのだ。如何に現状の公立中学の教室の実態が分かろうかというものだ。
・ 更に静岡県立大学のある准教授(犯罪学)は「犯罪を犯して、少年院に来る子の7割が中卒か高校中退という現実」を見てきたと分析されている。「貧しいがゆえに学力がつかないという社会の現実」から最早目を背けることはできないのではないか。私はそのように最近つくづくと感じるのである。変わりつつある時分に時々驚くことがある。
・ 本校は良い学校だが、中退者がいないわけではない。私はいつも本校の生徒らに一斉朝礼とかの機会で説くのだ。「良いか、歯を食いしばって頑張り、浪速の卒業証書だけは手に取れ」と言っているのである。しかしやむなく中退していく生徒が出た日は夜、家で一人その生徒の行く末を案じ「悲しい酒」を飲む。「これで良かったのか」と。
・ しかし世の中には色々な意見があって「若者の努力不足を社会のせいにするべきでない」「中退を社会の責任にするのは甘えているのではないか」「子どもに対する責任はまず親だろう」とかの意見が出てくるが「将来を考えれば違った視点が必要」である。
・ 労働政策研究研修機構のある研究者の意見は「若者の社会的排除を防ごうとする英国などの先進国で対策を講じているのは将来の社会的コストを見越した結果だという。」生活保護などで“税を使う存在”になるより“税を納める存在”になってもらおう」という考え方で日本は子どもは親が育てるべきとの考えが強いが社会が育てる方向が強くても良いというご意見であろう。
・ 中退する若者をほおっておいて将来どのような結果を招くか考える時期に来たといわれるのだ。「放置すれば将来にコストがかかる」と言うのだ。一つの卓見である。親がその親から、すなわちおじいちゃんおばあちゃんからの援助も親族間の助け合いも消えた今、支援する新たな仕組みつくりといわれるのだが「それは何か」といわれた時に答えが無いのが現実だ。
・ 私は今母子家庭の問題に気が行っている。深刻な母子家庭の困窮は何とかせねばならない。日本女子大の教授は「日本の母子家庭は世界で類を見ないほど、母親が働く率が高い」。それでも貧困から抜け出せない。経済的困窮が子どもの教育格差になっていると指摘し低所得家族の子どもを支える施策が必要をここでも言われる。
・ 同志社大学の教授は「日本の母子家庭の貧困は非常に深刻で教育費の公費負担が少なく、家庭に依存しているため母子家庭には特にしわ寄せがあると指摘」されている。ここに重要なデータがある。母子家庭の経済状態の厳しさである。
・ 厚生労働省の全国母子世帯等調査(2006)によれば「父子世帯の平均年収は421万円に対して母子世帯は213万円」で約1割が生活保護を受給している。先進各国と比較してもOECDの調査で日本の働いている一人親の貧困比率は断然に高い。悲しいデータだ。
・ 兵庫県の介護職の女性(54)は29歳で3人の子どもを連れて離婚し、「身を削って血の涙を流して子どもを育て上げる覚悟」でやってきて、全員を高校卒業させたという。又ある母親は「母子家庭になって3年、経済的に苦しく精神的にも追い詰められています。イライラを直接子どもにぶつけ、寝顔を見て反省する毎日です。」更に続く。「貧困を精神的な安定でフォローすることは出来る筈と思っても不安は尽きず闘う毎日」だと。
・ むろん全ての母子家庭が貧困に陥るわけでもなく高校を中退するわけでもないがその比率の高さは圧倒的で「母子家庭で育つ子どもへの支援は今は極めて手薄く」、所得に応じて支給される児童不扶養手当の増が必要にも関わらず、政府の動きは長期受給者には削減と打ち出している。無茶苦茶だ。この国は一体どこへ行ってしまうのかと思ってしまう。

2008年11月11日火曜日

11月11日(火)教員人事の複線化

・ 「教員人事の複線化」について頭を絞っている。現在の形は「一般教員から始まり担当教頭、教頭、そして副校長、校長」までが人事体系であるがこの「単線だけではなくて複線」を考えている。
・ それは本校みたいに一法人、一中学校、一高校では人事上の当て嵌めに結構苦労するからである。あの先生は管理職としてマネージメントはいささか不得手かも知れないが「進路指導力」「生徒生活指導力」「教科指導力」等にかけては「素晴らしい見識と能力と実績」を有している先生はいるものだ。
・ ところがそういう先生に対する処遇のシステムが無いと管理職にでもならない限り身分上の処遇とはならないので、組織の活性化の観点からいささか辛いなと考えていたのである。教頭、校長にならなくとも立派な教師は多い。
・ そういう観点から大阪府は平成18年度から「指導教諭制度」をスタートさせた。私などは検討の段階で「やるべし」と言った方だった。今はどうなっているか知らないが府立高校には30名近い指導教諭がいると思う。
・ そういうわけで本校も「指導教諭」制度(スーパーティチャー)を現在検討中である。単なる名前だけだったら意味はない。ちゃんと「処遇に反映」されていなければ名前だけとの批判も出よう。ミッションは教科指導、指導方針の企画立案、模範授業、シラバスの作成、若手教員の指導、教育研究などに当たって貰うことを考えている。
・ それに加えて「特別講習の主務教官」としてお願いするつもりである。この意味は大きくて課外の講習の指導に当たる教科指導力を期待してのことであるから「副収入」になる。勿論学校法人は「指導教諭当て嵌め手当て」を支払うことになる。
・ 現在その幅について事務に検討を指示している。いずれにしても「指導教諭当て嵌め基準」を現在詳細に検討中であり、「12月理事会で最終決定の運びだ。来年4月からスタート」させたい。
・ 最も30歳台、40台で指導教諭とはならないだろう。大阪府は55歳を超えて初めて資格を得るはずだ。本校の場合は更に利点があり、指導教諭になれば満年齢が60才を超えても「通常の給与ダウン比率」とはならない方向で検討中だ。
・ 扱いは管理職ではないが一般教員ではないからその中間の手当を支払うことになろう。加えて前述のように講習主担だから「受益者負担の講習費」は収入となるからひょっとすると担当教頭より手取りは多くなるかも知れない。
・ 今大阪の公立教育界ではまことしやかに次のようなことが囁かれてる。「橋下改革で教員の給与がカットされたが管理職のほうがカット幅が大きく、年を食った平教員よりも給与が安くなり逆転現象」が起きているらしい。おかしな話だ。管理職が平教員より手取りが少なければやる気は起きないだろう。
・ そこで橋下知事は月内にも「倫理基準」を改正し「兼職兼業を一部認める方向」という。これは素晴らしい。しかし本校ではすでに先行して実施している。給料が下がるのだから「自分で稼げ」と言うわけだ。
・ 橋下知事も新聞記事にあるが「自分で稼いで欲しい」と述べている。まず講演会などの講師の謝礼について「文句をつけない」ことから始めるという。知事は「能力を活用せよ」と言っているのである。
・ 私の考えはこうだ。競馬の騎手になるとか夜スーパーで働くとかの兼職兼業は許されないが「塾、予備校の先生になっても良いが、ただ生徒は本校の生徒に限る」という条件で兼職兼業や「週末の特別講習」を許すということだ。
・ ただし実施場所は家庭訪問ではいけないし、自分の家に呼んで教えることも絶対に許さない。学校かもしくはこれに準じた公共の場所でなければならない。大体自校の生徒を最も良く知っているのは学校の先生である。
・ これらの学校の教師が特別講習で受験指導に入ることは最も効果ある方法である。「条件は受験指導のできる教師」と言うことになる。こういう先生が一つには「指導教諭」に当て嵌まるであろう。
・ 私は教員に言いたい。基本給は下がっても稼ぐ方法はある。「評価システムで良い評価」を得れば同年齢でも生涯獲得賃金は大きく変わってくる。特別講習で稼げ。お金の要る人間は堂々と講習で稼げと。
・ これが「能力と蓄積と体と頭を使ったことの差」として形に現れるものである。「講習をしてください」「先生の受験指導を受けたいんです」と言われるような教師に成らなければならない。早く帰って家の用事がある先生はそれで良いと思う。人間は二つの道を同時に選択できない。
・ 生徒に向き合って稼ぐか自宅で自分の時間を大切にするか、その人の選択だ。両方の選択に合致するような処遇のシステムを用意するのが私の役目だと考える。
・ 本校で稼ぐ方法はまず日常の業務を見事にこなし人材評価育成システムの評価を高くする方法、失敗して就業規則違反となり減給などの処分を受けないこと、兼職兼業で保護者の信頼を勝ち取り特別講習で受益者負担から戴くこととなろう。
・ それに大切なことは「稼ぐという発想ではダメ」である。あくまで「生徒の学力を上げるという強い責任感」が来て、その結果について保護者から「あの先生ならお支払いしたい」といわれなくてはならない。
・ 段々と教員の世界も「護送船団方式」が通用しなくなってきているのである。皆の影に隠れて何もやらなくとも手に入ってきた「全員手取り平等の原則」が遂に学校社会で崩壊した。「稼ぐ教員は稼ぎ、稼がない教員は稼げない」とメリハリが付けられる時代になったということである。
・ それを格差といわば格差でも良いが格差とは同じ身分上で言う言葉ではない。「学校格差」というのは例えば専任教職員と派遣職員間で言う言葉である。同じような仕事をして、結果も同じであるのに処遇に差があるというのは格差と言われても仕方がない。
・ しかし何処かを退職し、退職金をがっぽり頂いてきている人には格差とはいわない。同一身分、同一年令で処遇に差が出るのは格差とは言わない。それは「能力と業績と体と頭を使った活動の差」である。そこに違いがあれば手取りに差があるのは当たり前である。

2008年11月10日月曜日

11月10日(月)学校も訴訟対象の時代

・ 「学校が対策を怠った」「高1自殺」「部活動仲間はずれ」「両親大阪府を提訴へ」、最近の新聞記事の見出しである。大阪府茨木市で昨年10月マンションから飛び降り自殺をした府立高校1年の男子生徒の自殺を巡ってその両親が2400万円の損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に求めるとある。
・ 「部活動の仲間はずれが自殺の原因であり、学校は適切な対応を取らなかった」というもので「スー」された大阪府も受けて立つしかない。両親によると生徒は水泳部に所属、好意を寄せていた女子マネージャーに交際を断られた腹いせにこのマネージャーの悪口を友人にメールで送信した。「良く聞くストーリー」だ。
・ ところがこのメールを受けた友人がこのメールを他の部員に転送した。「良く聞く話」だ。このことで部内での人間関係が悪化したという。悩んだ生徒は8月末に「ごめん、オレもういいわ。空に行くから」と言って「自殺をほのめかす」メールを送ったがこれも他の部員に転送された。
・ ますます距離を置かれた結果になってしまい、生徒は9月に両親に「水泳部で浮いている」と相談した。母親が担任に「部活での様子に気を配って欲しい」と要請したとある。これを受けて教諭は3回にわたり、本人から聞き取りを行い、自殺をほのめかすメールの存在も把握した。
・ 他の部員にも謝るように勧め、生徒も従ったが関係は改善せず男子生徒は10月9日朝に自殺した。「両親は事実関係を独自に調査」し、自殺を示唆するメールの件も葬儀後に初めて知ったという。
・ 父親は「自殺の1ヶ月以上前に教諭に相談し、対応を約束してくれたのに必要な調査を怠った」と主張していると言う。さらに「聞き取り内容を親に伝えず」精神的に追い込まれている子への治療を受けさせる機会を奪った。自殺を考えるほど悩んでいると分かれば学校には行かせなかったと訴えているのだ。
・ 一方学校側はメールの件は生徒本人が申し訳ないと思っており、「両親には伝えなかった」。その段階で自殺するような切羽詰まったようすは無かったと説明したという。水泳部の顧問とも連携し誠実に対応してきた「積り」だ。自殺という結果については非常に残念だと話しているらしい。
・ 真実はどうなのか私には分からないしそれは今後の司法判断が下されることであるが要は「学校は今や訴訟の対象」に簡単になるということである。昔は学校と言うのは絶対的な正で教師は「先生の言うことは間違ってない」と一目も二目も置かれる尊敬の対象であった。
・ やんちゃな私がいくら自己を正当化しても私の母などは「学校の先生に間違いはない」という思い込みは凄かった。先生や学校を訴えるなど考えも及ばないことであったろう。ところが今や教師と言えども簡単に訴訟の対象となって久しい。
・ 私はこの点を極めて心配しており日常教職員には「まずスピーディに対応すること」そして必ず「顛末を保護者に報告すること」の2点を口が酸っぱくなるほど言っている。大体この二つであらかた問題は解決するものだ。
・ 同時に私はこの間の保護者との話し言葉と態度に「誠意」を含めるように言っている。この誠意が「面倒を見るということの裏返」しだと思っているから、とにかく相手に伝わるように話をしなければならないと言っている。そしてそれでもこじれた場合は早い段階で直接私が「お話を聞く」と言うことにしている。
・ 「校長が直接保護者のお声を聞くという行為は大きな効果」があるものでこれをためらってはならない。売り込みもトップセールスが大いに効果あるのであって「謝罪もまずトップから」という「感度が重要」である。
・ 加えて私はすぐ事務長に指示して「顧問弁護士」に相談し、万が一の場合に備えて「論理構成と判例」を勉強しているのである。本校は弁護士を2名契約しており「セカンドオピニオン」を得ることが出来る。
・ 今後「個人の権利」「裁判員制度の改正」などで「訴訟」というものがより身近になることは避けられない。従って学校の訴訟件数は増えることはあっても減ることはないだろう。
・ 教職員も簡単に「訴えられる」ということを覚悟しておかねばならない。勿論訴訟大歓迎と言う態度ではダメであり、前述したように「スピーディに誠意を持って」対応し、とにかく「保護者に連絡」を怠ることなくこまめに報告しておくことが重要だ。
・ 今回の事例も保護者にメールの内容が伝わっていなかった。連絡していないのだからこの点は大きな争点になるだろう。とにかく保護者に連絡し「記録して置く」ように私は教員に言っているのである。この記録が後で役にたつ。
・ 「生徒には言いました」は通用しない。それに生徒というものは「学校で起きたことを親には話さないものだ」。そのように考えておけば間違いない。高校生と言っても「子ども」であり、未成年である。子供化に拍車がかかっているように思えてならないからだ。
・ そのことは間違いなく保護者そのものが変わってきていると言うことではないか。モンスターペアレンツと別の意味で「訴訟保護者」は今後とも増えてくるだろう。橋下知事は弁護士出身だから公立学校に「訴訟対応」を準備させた。さすが時代を読んでいるのだ。
・ 思い切って学校は「教科指導だけに限定」していく方法もある。部活動も運動会も芸術鑑賞会も修学旅行も遠足も一切無ければ訴訟の対象はなくなる。そういう言う時代が近づきつつあるのかも知れない。世界の学校で日本ほど教科指導以外の行事などがある国はない。
・ イベントがあるから事故は起きるのであってそれらは家庭でしてください。学校は一切関与しませんとなったら教員は本当に「楽になる」だろう。こちらの方が教育的見地からも良いのかもしれないという意見はある。