2008年9月30日火曜日

9月30日(火)保護者アンケート結果

・ 「得スマ」が再放送される。来週の10月5日、日曜日9時45分、同じ時間帯で3チャンネルSUNテレビだ。視聴率が高かったのでテレビ局が自主的に再放送を決めてくれたものではない。私は気が付かなかったが字幕の「浪速が浪花」になっていたとのことで申し訳ないと「お詫びの気持ちとしてただで再放送」してくれるというものだ。
・ 私はまったく気が付かなかった。画面ばかり見ていたからだろう。それにしても「誠意ある態度」で嬉しい話である。交渉は私ではない。入試広報室のO教諭が話をつけたものだろう。前回見ていなかった読者のお方は是非視聴して頂きたいと思う。「大変に良く出来きている内容」と思います。
・ さてこの27日の「浪速中学校体験学習参加者の保護者アンケート」がまとまったと入試広報がデータを送ってきた。例によってその「原文」を将来のために日記に留めておこうと思う。当日のブログには「手ごたえ」を感じたと書いたが結果は「私の思いが保護者には伝わっていた」みたいで一安心する。
・ アンケートの問いは数項目あるがその中のメインは「本日の説明会で印象に残ったこと?」である。お答えを下記のように戴いたが謙虚に受け止めなければならない。同時に「責任を果たしていかねばならない」とつくづくと思った。
・ 国会が始まり、昨日は麻生内閣首班が「所信表明演説」を行い、どうも近々に麻生・小沢の一騎打ちの国政総選挙が始まると思うが、組織というのはその「トップが何を語るか」が大切で「言葉が命」である。政治家も企業の社長も学校の校長もその限りでは違いはない。
・ 組織のトップは「自分の言葉」で「一生懸命語る」ことが重要であり、語ることで「自分の責任を自覚」する。この一連の内なるものが「覚悟」というものであろう。覚悟を決めた組織のトップの言葉は重い。この重さが聴衆を唸らせ、消費者の関心を呼び、教職員の理解と協力を得、生徒を集めることに繋がる。

【1】本日の催しを知った方法は?(複数回答)
  新聞 4   塾 57   知人 19  本校教職員 6  本校保護者 10
  本校卒業生 3  ホームページ 56
  その他(在校生 5  私学展 6  その他の説明会 8)
【2】本日の説明会で印象に残ったこと?(明らかな誤字以外は原文のまま
・ 校長先生を始めとして先生方の熱意が伝わってきました。生徒がクラブ活動などで楽しそうな様子が印象的でした。
・ 校長先生の熱い語り口。とにかく熱心さはものすごくよく伝わってきました。
・ 「面倒見の良さ」ということを強くおっしゃっていたことが印象に残りました。
・ 校長先生がとても熱く語られていたのがとても印象的でした。
・ とても楽しそうな子どもたちの様子が伝わりました。
・ 「面倒見の良さ」という点と大学連携。校長先生の熱意(もう少しお話を聞きたかったです)
・ 校長先生の熱いお話を楽しく聞かせていただきました。
・ 在校生が「学校はとても楽しいです。」と言っていました。とてもさわやかで好印象でした。校長先生の力のある言葉が心に残りました。
・ 校長先生の熱意のすごさ、学校方針などよく理解できました。
・ 教育への熱意がたいへん伝わってきました。生徒の皆様もあいさつがきちんとでき、とても気持ちよかったです。
・ 校長の挨拶をはじめとして、浪速の力強さを肌で感じた。単なる進学に止まらず「人間」としての力 の向上への取り組みに期待が持てる。
・ 木村先生のお話
・ 学力を高めようと努力しておられる先生方の熱意が伝わりました。
・ 校長先生の教育に対する熱心な姿勢が印象に残りました。
・ 志願者が増えているようで心配になりました。頑張ります。
・ 学校長のお話がとても楽しく子どもをますます浪速中学校にお願いしたくなりました。面倒見のいい学校ということで是非よろしくお願いします。
・ 熱心に教育指導いただける学校だと感じました。
・ 学校に神社があったこと。学生さんたちがとてもやさしく気持ちのいい人ばかりでした。
・ 去年に続き教育への力強い話が聞けて良かったです。
・ 生徒の挨拶。
・ 校長先生の今の公立私立の学校のお話、浪速中学校の様子、取り組みがよくわかりました。
・ 校長先生の熱意溢れるお話。
・ 校長先生の教育に対する熱意に感銘を受けました。
・ 校長先生の勢いのあるお話にとても熱意を感じました。伺ってよかったです。ありがとうございました。
・ 正門から説明会場へ案内してくれた生徒の印象がとてもよかったです。
・ 生徒の言葉教育を重く考えてくださっているところが印象に残りました。
・ 学校長の熱意がよく感じられました。
・ 校長先生のお話。本当に元気のある学校だと感じました。
・ 校長先生の話。
・ 校長先生のパフォーマンス、パワー。 
・ パンフレットだけではわからないけど、先生のお話を直接聞いて熱意も伝わってきたし、受験に向けて私(親)の方が意欲がわいてきました。
・ 生徒の皆さんのあいさつに迎えられた第一印象がとてもよかった。
・ 学校長の教育に対する熱い思いを感じた。
・ 生徒に対する熱意が強く感じられました。また、勉強への指導内容もびっくりさせられました。
・ いい学校だなあと思いました。
・ 校長先生始め他の先生方の説明、お話などわかりやすく、前向きな姿勢がよく伝わりました。
・ 今年入学した長男から聞いたとおり、子どもと正面から向き合って教育していただける学校だと確信いたしました。今般、入学を希望する長女が空手道部への入部を熱望している点が気掛かりです。万一御校にて空手が出来るのであれば当然専願とさせていただきます。
・ 教育に対しての熱心さをとても感じました。このことは何よりも子どもを預ける親にとってはとても心強いことです。
・ 校長先生のお話を聞いて入学の気持ちが固まりました!!
・ 前回より具体的だったと思います。(成績等について)
・ 校長先生の熱意溢れるスピーチ。
・ 生徒さんのお顔を拝見して、とても楽しそうにのびのびしていた表情がよかったです。校長日記も読ませていただいておりましたが、学校長の先生が関わってくださっていることが、教職員によく反 映されていると思いました。
・ 今までできなかったことができて、数学も美術もおもしろかったです。
・ 子どもの学力低下と教育への取り組み方。自立できる大人への教育。子どもの内面を変える教育について。
・ もっと知りたいです。
・ 校長先生のお話を聞き興奮して涙がでました。
・ 校長先生の言葉が非常に印象的でした。
・ 校長先生の教育への熱意がとても伝わりました。
・ 校長先生のお話が子どもたちのことをとてもよく考えてくれていると思いました。学校が元気であるということがとてもよかったです。新聞の書写や小テストの取り組みがあるということ。
・ 校長先生のお話が印象的でした。今もずっとバレーボールをしているので、文武両道できればと思っています。
・ 門から説明会場まで案内してくれた中学生がとても丁寧な案内でとても好印象でした。生徒各人のあいさつがすばらしい。先生方や生徒各人の対応がすばらしかったです。よい時間をすごせたことに親子で感謝いたします。
・ 木村理事長のお話が感動いたしました。
・ 熱心に勉強させてくれそうだなあと思った。
・ 校長先生のお話を伺って、ぜひ子どもを浪速中学校で学ばせたいと思いました。先生方の熱心さがよくわかりました。
・ 社会で生きていくちからをつける!
・ 先生の説明がわかりやすかった。優しそうな感じを受けた。校長先生のお話を伺うたびに、ぜひ浪速中学校に入学させたいと思います。
・ 校長先生がとてもパワフルでした。
・ 校長先生がとてもパワー溢れる話し方でよかったです。子どもを安心して通わせることができると感じました。
・ 校長の情熱。
・ 校長先生の熱意が伝わり是非入学させていただきたいと思いました。
・ 学園長の教育への姿勢が非常に良かった。(学校長のお考えになられる教育方針に強く賛同いたします。)絶対に子どもは貴校にお任せしたいと思います。(学力はもちろん、国を愛し、他人を大切 にする昔の日本の良さを子どもに伝えて欲しい。)屋久島への旅行に知覧をコースに入れていることは大変すばらしい。できれば韓国に不法に侵入されている対馬へも行ってほしい。(子どもに日本の四方の国土を守る心を持たせたい。)
・ 浄明正直の校訓が印象的でした。また、校門を入ってすぐの在校生の皆さんの案内やあいさつが、うれしく感じました。
・ 校長先生の熱心さに感動しました。
・ 関西大学との提携と来ておられる方の人数が多いことに驚きました。
・ 木村校長の力強い言葉が印象的でした。子どもを安心して任せられる学校だと感じました。
・ 嘘をつかない学校だなという印象がますます深まりました。この学校なら(浪速さん)安心して子どもを預けられると思います。どうぞよろしくお願いします。
・ 校長先生の熱血ぶりに信頼を寄せさせて頂きました。
・ 校長の話はすごいと思いました。文武両立できる学校にすごく興味があります。
・ 生徒たちの礼儀正しい姿勢に感心いたしました。
・ 木村先生の熱心さが伝わってきました。よく理解できました。各先生方も丁寧で親切で、とてもありがたく思います。
・ 校長先生の「教育についての熱い心」がとてもよく伝わりました。
・ 先生方の熱い思いがとても伝わってまいりました。ありがとうございました。
・ 木村先生のお話がとても印象に残りました。また、文武両立が基本であるという校風にひかれました。
・ 先生方の熱意を感じ、志望校にしたいと思います。
・ 校長先生の熱意が伝わり、安心して子どもを預けても大丈夫だなと思いました。すばらしいと思いました。在校生たちが素直そうであいさつも気持ちよく、明るい学校だなと思えました。
・ 自分の力でしっかりと生きていく、という言葉が印象に残りました。
・ 学校長のお話が分かりやすく、子どもをお願いしたいと思うような内容でした。
・ 浪速の教育のあり方に自信を感じました。
・ 校長先生のお話。
・ 学校長のお話がとてもインパクトがありました。
・ 校長先生のお話がとても楽しく、もっと聞きたいと思いました。
・ とても分かりやすかったです。
・ 楽しい学校だからぜひ来させたい。
・ 生徒さんのあいさつが良かったこと。先生方のお話が分かりやすかったこと。その他参加させていただいて良かったと思いました。
・ 校長先生のお話に感動いたしました。ぜひ浪速中学校に合格さできますよう頑張りたいと思います。先生方、生徒さん方の暖かさに触れ感激いたしました。ありがとうございました。
・ 学校長の熱意が伝わりました。ポジティブな印象が強く、大人しく勉強ばかりの私学のイメージが吹っ飛んでしまいました。
・ 中3の兄も浪速高校で関西大学へ入学希望します。
・ 関西大学との提携校契約について印象に残りました。
・ 中2の男子生徒に案内してもらいましたが、とても礼儀正しくにこやかで気持ちよかったです。
・ 兄が在籍しているので分かりますが、改めて子どもを安心して預けられます。
・ 校長先生の熱いお言葉に感動いたしました。
・ 校長の説明を聞き浪速中学に入学できれば安心して子どもを6年間預けることが出来ると思いました。熱意がすごく感じられ、浪速中学に合格できればと思いました。
・ 志願者数が増えていたこと。
・ 学校長の挨拶で教育に対する前向きな取り組みと熱意が伝わってきて、子どもを安心して預けることが出来ると思い、是非、浪速中学に通わせたいと思いました。
・ とても熱意を感じられました。
・ 学校長の教育への熱意が伝わってくるお話が印象的でした。
・ 校長先生の元気の良さにびっくりしました。子どもを預けても、とても安心できると思いました。
・ 現在小3の下の男の子の受験を考えており、本日は上の女の子と参加させていただいたのですが、学校内がとても良い雰囲気で大変気に入りました。
・ 生徒が礼儀正しい。校長の熱意が感じられた。                   

2008年9月29日月曜日

9月29日(月)中山成彬前国交省大臣

・ 「天皇陛下御在位二十周年をお祝いする大阪府民の集い」のことについては既に触れた。もう少し関連する話を書き足そうと思う。当日は特別講演として「高千穂神社宮司の後藤俊彦先生」による「皇室と伝統文化」の素晴らしいお話があった。
・ 後藤先生とは夕刻の祝賀会では同じテーブルにして頂いたこともあり、良くお話を伺ったのである。高千穂神社は言うまでもなく「天孫降臨の地」として名高い日向の高千穂地方にある。創建は「垂仁天皇の御代」であり平安時代からは中央の記録にもしばしば登場する由緒ある神社である、まさに「日本書紀、古事記の神話街道のお社」なのである。場所は「宮崎県」。宮崎県と言えば今話題の中山大臣と東国原知事だ。
・ 後藤先生は丁度「中山大臣の一連の発言」が大問題になっていた時でもあり、「ウーン、困ったものですね。宮崎では中山さんよりも奥様の中山恭子さんの方が地元には大変評判が良い」とお話になっておられた、ついでに東国原知事のことは大阪の「橋下さんと違って言葉を選んで」お話されると大層褒めておられた。
・ 連日連夜「中山報道」でマスコミは大変な書き方、報道の仕方である。この視点から各紙を眺めてみると面白い。各紙当然のことながら「批判的」な記事であるがいささか驚いたのは「産経の取り扱い」だ。厳しい。
・ 産経は朝日に対峙した保守系の論陣を張ることで知られているが、今回の中山発言には「距離を置いて、突き放して」いるように感じた。いささか意外であった。「彼を擁護する論調では真の保守派の識者に申し訳が立たないのと産経が逆に叩かれることを恐れた」のかも知れない。これに対して読売はニュアンスとして「些か異なる感じ」がある。
・ 今朝の読売の社説の見出しは「節度を欠いた発言だった」とだけある。中身にはまず冒頭の文章は「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」ということだろうから始まる。書き方に何か「優しい感じ」がしないか。
・ そして中山氏は「国旗国歌も教えない」「道徳教育に反対している」などと日教組を批判した。的を射ている点があるとしても・・・・。と言う具合だ。この「的を得ている」と書いてある点に私は着目している。
・ 同じようなコメントは大阪府の橋下知事も出している。「ある面、本質をついていますよね・・・・」という発言が報道された。これについてはマスコミも批判は抑えており、次の「クソ教育委員会」みたいな言葉を待ち受けている感じに私は捉えている。橋下知事の次の失言をまっているのだ。
・ 「日教組をぶっ壊す」という発言が問題で、個人なら良いが国交省大臣としては「いけない」というのも私には分かりにくいが、又「所管外」だし、「確信犯」がいけないということか。良く分からない。
・ まず中山氏は「保守派の論客」ではない。このような短絡的な話をするような人を「論客」とは言わない。日本には保守派の論客は山ほどいらっしゃるが中山氏は保守系の政治家に過ぎない。言ってみれば地方村町市議会の議員から国会議員まで多く居る自民党の政治家のお一人である。
・ 又「失言」と書いているが失言ではない。「思い込んでいる自分の主義主張の話し」に過ぎない。最後の方は気持ちが高揚して辞任覚悟で「連発」したのだろうが、事実と異なる部分は修正すれば良いのであって政治家として「確信ある思想信条を自分の言葉で喋る」ことが「政治家の政治家たる所以」だと私は思うが・・・」。所管など関係ない。
・ いずれにしても日教組の「左翼的思想傾向への批判」は根強く、このような思想性の強い団体が教育と言う営為に直接関与することを危険視する人々からは「今日の教育荒廃の元凶」「教育改革の抵抗勢力」とか言われてきているのが「社会の実態である。」
・ 東京杉並区の山田宏区長は「自分たちの権利だけを主張している日教組はすでに保護者から見放されており、そのような態度を改めない限り組織率低下もこのまま続いていくだろう。日本の教育が悪化した原因は日教組にある」とまで言い切っている。しかしこのことは問題となっていない。区長と大臣の違いでもあるのか。
・ 特に許されないのは「政治活動」だと言う人は多い。最近では山梨県教職員組合が2004年の参議院選挙に向けて「校長、教頭を含む小中学校教職員から選挙資金を集めていた」ことが産経新聞にスクープされ一大騒動となった。山梨教委が委員長ら19人を処分した事件は記憶に新しい。
・ 未だに「ストライキを打つ組合」も珍しいのだが北海道教職員組合の労使協定を巡る反対闘争、査定昇給制度に反対しての時限ストもあった。これなど昔の話ではなくて今年の1月30日に起きたストライキなのである。
・ 2006年の教育基本法改正案を巡る反対も記憶に新しい。「国を愛する心」「日本の伝統尊重」を盛り込んだ改正教育基本法には全国で署名運動を行い200万筆を集め、労働組合や市民団体と一緒になって「教育基本法改悪反対」とデモを繰り返し、国会前での座り込みなどを行った。
・ この集会には全国から多数の組合員が参加したが「授業のある平日」に行われて、社会からの批判もあり、別の教職員団体の全日本教職員連盟からも「国会の後ろで座り込みをやったり、デモをやったりするのは本来の教師の姿ではない」と批判の声も上がっていた。
・ 典型的な運動テーマは「卒業式における国旗の掲揚と国歌の斉唱問題」である。未だに反対する勢力が存在しており、その理由は「憲法が保障する思想信条の自由に反する」として「内心の自由論」だけで済まず、「生徒への間違った指導や不起立指導」など卒業式シーズンの毎年行事となっている。
・ 日教組が「御用組合的体質」だと指摘する話は多く、現場教員の殆どが加入している組織率の高い都道府県では組合役員を経験することが管理職や教育委員会への登用など「出世の定番コース」となるような民間企業張りの労使協調路線もどきの事例もある。身近な府県の事例を調べてみたらすぐ判る話で「昔組合の闘士が今は校長先生」などの事例は日常茶飯事である。私でもすぐ何人もそのお名前を挙げられる。
・ 中山国交省大臣の言い方と事実誤認はいけないが、日教組のあり様を考察した時に「ある面、本質をついている」と評した大阪府の橋下知事の見方は間違ってもいないのではないか。中山大臣は極めて頭の切れる人で、このような人にありがちなように「前略、中略、結論のみ」の人に多い「言葉足らず」だったと思う。確信犯、確信犯というが、犯罪はいけないが政治家は「確信的なことを喋らないといけない。」確信的なことを言うことは悪いことではないと私は思う。
・ マスコミもこの際「問題提起をされた」と考えて「全国学力調査の開示、非開示」ばかりに焦点を当てず、日教組が最初からこの調査そのものまで反対している背景にメスを入れ、「戦後の教職員団体の功罪を国民世論を喚起して議論」してみたら良いのではないか。中山大臣は最後は「そのことが狙いだった」とまで言っているのだ。

2008年9月28日日曜日

9月28日(日)その2:教育勅語

・ 昨日の「天皇陛下ご即位二十周年奉祝大阪府民の集い」において「感動というか驚愕に近いものを感じた」のは清興の一つとして府内「南港さくら幼稚園児による教育勅語の暗誦」であった。40~50人のいたけない園児がまさに顔中口だらけのように、思いっきり口をあけて「教育勅語」を暗誦するのである。あの有名な「朕惟うに、我が皇祖皇宗、国を肇むること宏遠に徳を樹ること深厚なり、我が臣民克く忠に克く孝に・・・・・」の文章だ。
・ 私は最初何を言っているのか分からなかったがすぐ、「教育勅語」だと理解した。勅語とは天皇が国民におおせられる公式のお言葉であるが現代の今ではそのような言葉さえ使われなくなった。昔の尋常小学校以上の生徒はこのような難しい漢字を自分のものにしていたのだ。
・ 1890年、明治23年の10月山形有朋内閣の時代に明治天皇が発布し、文部省はただちに謄本を作成し、全国の学校に配布し学校儀式での奉読などを指示した。私の祖父や父の時代は天皇陛下や皇后陛下の「ご真影」とともに「奉安殿」というところにある教育勅語を奉じたことを大変良く覚えていると聞かされたことがある。
・ 時々、祖父はそらんじて孫の僕に言い聞かせていたのである。だから今でもかすかに頭に残って入るのかも知れない。大阪天満宮宮司で本校名誉理事長が後刻の祝賀会の最初のご挨拶で「最初の方は今でも覚えています。・・・・。」と言われていた。75歳におなりであるがまだ頭にあると言われている。
・ 敗戦後の1947年、昭和22年3月31日の「教育基本法の制定」によって、その内容が否定され翌23年には国会において「根本的理念が主権在君並びに神話的国体観に基づいている事実は基本的人権を損ない、国際信義に対して疑点を残すものとなる」とわざわざ「失効確認・排除の決議案」を可決したのである。いわゆる「天皇の人間宣言」である。
・ 私は戦後昭和21年の生まれであるから私が小学校に行く頃には「教育勅語」を教えられた記憶は無いが学校のどこかにあの難しい漢字で書かれた教育勅語と天皇皇后陛下のお写真が学校にあったのをかすかに覚えている。田舎であったからかも知れない。
・ しかしその後60年、「日本の子どもたちの状況はどうなったかという問題提起」の声はますます大きくなってきている。学力低下もしかりだ。しかも様々な意見があるものだから今の政治社会状況では何も具体的なことが決められないのが国の実態である。
・ 「教育が悪い」「道徳を教えるべきだ」「学力低下は何たるさまか」「子どもの日常生活規範は一体どうなんだ」「いじめ、不登校は、子どもに携帯はいるのか」等々テーマは増えるばかりでどれ一つ解決したことは無い。「道徳教育」ひとつ教科化されない。「自由だ」「個性だ」とかなんとか言っている間に日本の教育はどうなって来て、これから何処へ行こうとしているのか。
・ 私は危機感を持ち、本校だけでも出来るように、先行して「浪速生活の綱領」「学院神社拝詞」をまとめた。そして今、道徳観も入れた「新しい神道の教科書」を編修している。新たな歴史教科書採択もすでに視野に入れている。
・ 今更「教育勅語」でもないという意見があろうが、さくら幼稚園児とその保護者は胸を張って暗誦朗読をしていた。ここから何かを掴もう、子どもたちに何かを伝えたいとされているのだ。そこにはただ「理念」を振りかざすだけの「具体論のない輩」とはない「さわやかさと力強さ」を私は感じた。
・ 私は「神社神道の学校という誇りと喜び」を今日ほど感じたことはなかったし、「浪速生活の綱領」をもっともっと大切にしなければならないと思った。「本校の将来を託す若い柔軟な先生方にこのことをしっかりと伝え、お願いしていかねばならない」と今更ながら感じた。
・ 私が遠慮する必要はないのだ。学校の最高経営執行者であり、校務運営の責任者だ。不退転の決意で明日の日本を作る本校の生徒たちを教育していかねばならないと私は再度宣言する。

教育勅語の口語文訳】 
私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。   国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。  このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。~国民道徳協会訳文による~

教育勅語の十二の徳目
孝行(こうこう)  親に孝養をつくしましょう
友愛(ゆうあい) 兄弟・姉妹は仲良くしましょう
夫婦ノ和(ふうふのわ) 夫婦はいつも仲むつまじくしましょう
朋友ノ信(ほうゆうのしん) 友だちはお互いに信じあって付き合いましょう
謙遜(けんそん) 自分の言動をつつしみましょう
博愛(はくあい) 広く全ての人に愛の手をさしのべましょう
修学習業(しゅうがくしゅうぎょう) 勉学に励み職業を身につけましょう
智能啓発(ちのうけいはつ) 知識を養い才能を伸ばしましょう
徳器成就(とくきじょうじゅ) 人格の向上につとめましょう
公益世務(こうえきせいむ) 広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう
遵法(じゅんぽう) 法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう
義勇(ぎゆう) 正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう

9月28日(日)その1:「得ナビ」コマーシャル

・ 朝9時45分テレビの前に座る。正直言って忘れるところだった。9時33分ぎりぎりのところで突然気付いたのである。年を取ると本当に忘れっぽい。さて「得スマ」だ。どういうものなるのか心配だったが「杞憂」に終わった。それよりも期待以上に上手い編集で大変「嬉しい」。「良かった」。「満足している。」
・ 昨日の中学生体験授業には200名の保護者生徒が集まってくれ、このことをご連絡しておいたから恐らく見て頂いたと思う。在校生の保護者にも連絡し、生徒にはホームルームで知らせたから恐らく「瞬間視聴率」は高いものがあったと思う。「得スマ」とは何の意味か分からなかったが今日理解した。「得してスマイル」という略だと画面が知らせていた。
・ 9時45分からオンエアであるが中々本校は出て来ない。最初は「バイオフューチャー」というバイオを使った匂いや汚れ取りの宣伝だ。これが結構長い。学校の前に「汚れ取りや匂い消しの宣伝」に不安な思いが胸をよぎった。次に大阪カイロプラクッテックという「カイロ整体学校」のコマーシャルが続く。段々と学校に近づいてくる。その後川西市のオンリーワンの家という「ハウスメーカー」が出てきた。これは時間が短かった。恐らく「単価が違う」のかも知れない。
・ 「遂に本校が出てきた」。まず最初の画面は大正12年創立時の学校写真が出てくる。「良い感じ」である。そして校内がくまなく紹介され、学校のコースが十分すぎるくらいテロップ付で説明される。さすがにプロは違う。展開が上手い。
・ 良いことは教員や生徒が多く登場してくることだ。これが良い。言いたいこと、伝えたいことが万遍なく入れ込まれている。「100%満足」だ。変に茶化したりおどけたりせず、ナビゲーターは変わったスタイルであるが全く「全うなレポーターであり、レポートであった。」
・ 「改革の門」と名づけた正門はじめ、昨年以来実施した「設備施設の充実振り」がすべて映像として入っており、我ながら「本当に良くやったものだ」としみじみと感じる。もう随分前のように感じるがまだ1年前のことだ。門塀の竣工式は昨年の8月31日のことであった。
・ 神社と第2グラウンドと中庭の人工芝が美しい。家庭科教室も綺麗に映っていた。何より生徒が大変良かった。本校の生徒は本当に「」がある。それは「学校に品格」があるからである。
・ 当日急遽「指定校推薦式」の様子も撮って貰ったがなんと2回も入っていた。「保護者と生徒の真剣な顔つき」が監督の心を動かしたのかも知れない。数学のO教諭の「授業中の笑顔が素晴らしかった」。本物よりも何倍も良かった。中学の女性の先生も大変良かった。「知的で何か力強さを感じる」ものであった。
・ そして遂に私が登場だ。やはり映りは良くない。まず体重を落とさねばならない。少し太り過ぎだ。後で出てくる中学のK副校長が「がりがりの痩せ」だから余計に目立った。それに声には自信があったのだがこの日の声も良くなかった。
・ でもまあ「良し、とするか」。贅沢を言っても仕方がない。「見えたものが私の総て」だろう。しかしこの映像は使える。前にも書いたがDVDにして配ることも可能だ。今日はこの映像のお蔭で機嫌が良い。「ルンルンに近い。」

・ 気持ちよく12時30分に家を出る。昨日に続いて「野球の応援」だ。対戦相手はやはり大阪産業大学付属高校であった。今日の先発は近藤、出足から球が走っている。相手のピッチャーも本格派だ。これならエラーのない方が勝つかなと思った。
・ 白熱した良い試合で、本校が「押せ押せ」であった。近藤は連打を許さない。本校はバットを持ち、当てていく戦法が結果として良い方向となり連打で長距離も出る。
  3本もホームランが飛び出す試合となり「7対5で辛勝」だ。後半は危うかったが近藤は要所を押さえた。
・ それにしても今日の万博球場は遠い。モノレールの駅を降りても15分も歩く。それにスタンドなどなくて観客が座る場所さえない。まさか芝生の中に座る訳にも行かない。それに傾斜だから座れない。本当に酷い野球場だ。
・ 夕方天王寺で用件があり、試合後トンボ帰りだ。今度はあの「桐蔭」らしい。何時なんだろう。行ければ行ってやりたい。私が応援に行くと間違いなく勝っている。(?)
途中で雨模様となったが運よく本降りとはならず、濡れずに帰ることができた。

2008年9月27日土曜日

9月27日(土)天皇陛下ご即位20周年

・ 忙しい土曜日となった。まず朝9時からの「豊中ローズ球場である硬式野球秋季大会」の応援に出かける。久しぶりである。場所は思ったよりも近いし、良い球場だ。阪急の曽根駅から歩いて6分程度だ。対戦相手は府立箕面東高校、結果は8対1で7回コールドゲーム勝ちであった。「気持ちの良い圧勝」であった。保護者、OB多くの観戦者がおられた。
・ 明日は13時20分から、万博球場で大商大と大産大付属と勝者との5回戦目である。ピッチャーの近藤が3回から投げたが「ピリッ」と締まった。この投手はいける。トンボ帰りして家で洋服を着替え、学校に戻る。時刻は12時30分。書類の整理や急ぐ仕事を片付ける。
・ 今日は「平成21年度浪速中学校体験学習会」の日であった。14時に始まる。これは先の「高校入試塾長様説明会に匹敵する重要な行事」である。大体この参加者で来年度の入学希望者数が想定できる。勿論参加者全てが本校に入学してくれるとは限らない。
・ しかし「学校の体験学習に参加してみよう」と思うのは大いなる興味を本校にお持ちの保護者が主体であり、学校にとっては緊張する会合であると言える。参加者は小学校6年生、小学校5年生、中には4年生と言うのも少ないがいる。
・ 私立中学も公立中学も高校みたいに「小学校訪問」は許されていない。従って主体は「塾の進路指導」と「保護者の意見」で進学先が決まるのである。保護者は「同じような保護者の評判」か「累代浪速一族」というのが結構多い。おじいちゃんもお父さんも「浪速」というのは私学では多いのである。
・ 昨年はここ15年で初めて3クラス数になった。対前年度1クラス増えたのである。加えて学力レベルも伸びた。画期的なことで中学校の教師は大変喜んでいたのを思い出す。さて「今年はどうか」、嬉しいことに今年も昨年対比で1.66倍の参加者だ。
・ この1.66倍は凄い数値で場合によっては「4クラス数の可能性」もあるのだが、それは「じっくりと考える」ことが必要でどうも教職員は本校では3クラス数が適正規模でそれらの生徒を「じっくりと育てる」というのが基本的な考えである。
・ 経営的に言えば中学生は「今後6年間授業料を払ってくれる安定要因」であり、大変嬉しいのであるが、一方「責任」も大きい。ただ私は「浪速中学校の教育は大変すばらしい」ものがあると確信しており、クラス数の増も自信はあるのだが拙速はいけない。
・ 橋下知事は先の全国学力学習状況調査の結果、大阪府が2年連続で低迷していることで「結果を開示する、しない」との大騒動になっているが大切なことは「開示ウンヌン」よりも「何をするか」であり、本校は着実に進めてくれている。
・ 希望者数の多いのはその辺が評価されているのだと思うが知事以下市町村長が騒げば騒ぐだけ「公立回避」の声は大きくならないか。私立にとっては「公立の紛糾」は一概に歓迎すべきこととも言えず、知事のいう「大阪教育日本一」実現のためには公私が切磋琢磨することが大切だ。
・ 府の財政危機から改革プランで私立中学校は25%もの助成金削減がなされ、いかにも「私立中学いじめ」みたいな動きに惑わされる保護者はいない。今の公立中学校の現実を直視し、私立の教員が土曜日もしっかりと教育している努力を判って欲しいのだ。私立中学に来るのは「お金持ちばかりではない」ことを知事は知らねばならない。
・ 今回は私の挨拶では「関大との連携」が新たに加わった。希望すれば「6年間の努力」で比較的簡単に「関西大學に進学」できるのも保護者にとっては「希望」となっているのかも知れない。しかし「今日も力が入った」。お伝えすることはすべてお話した気がする。
・ 先の「浪速祭」でのあの多くの「来訪者がすべて本校の広告塔」と考えねばならない。何時も教職員にはそのように言っている。我々の日頃の行動が「希望者数」となって跳ね返ってくるのだ。「怖い話し」であるが「やるべきことをしっかり」とやっていれば何も恐れることは無い。

・ これが終わって今度は森之宮の府立青少年会館で行われている「天皇陛下御即位二十年をお祝いする府民の集い」に参加だ。呼んでいたタクシーに14時20分飛び乗る。大分遅れたが第一部の奉祝大会の記念講演への参加である。高千穂神社後藤宮司と東大名誉教授の小堀桂一郎先生のご講演とその後皇學館大學の雅楽演奏がある。
・ 本校には52名の席が与えられ。教職員10名、PTA36名、関係会社代表6名でバランス良く参加させて頂いた。広い会場は超満員であった。平成の御代二十年である。本当に早いものだ。この「佳節に当たり陛下への感謝の気持ちを捧げたい」。
・ とにかく色々な意見があろうが皇室を戴く日本人の一人として私は「この国の素晴らしさと日本人としての誇り」を忘れない。天皇制を否定する政党、組織などまったく信じられない気持ちだ。「歴史は歴史だ。この延長線上に我々は生きている」。
・ 第2部はKKRホテルで「祝賀会」となる。私も「奉祝委員」の一人として、名誉理事長が「横に居て」と言われるのでメインテーブルだ。様々な人と挨拶を交わすことになった。
・ 私は平成7年皇后陛下が述べられた次のお言葉を忘れない。このお言葉の中に私は全てが含まれていると考えている。
人の一生と同じく国の歴史にも喜びのとき、苦しみの時があり、そのいずれの時にも国民とともにあることが陛下の御旨であると思います。陛下がこうした起伏のある国の過去と現在を御身に負われ、象徴としての日々を生きていらっしゃることこそ、その日々の中で絶えず御自身の在り方を顧みられつつ、国民の叡智がよき判断を下し、国民の意思が良きことを志向するよう祈り続けていらっしゃることが、皇室存在の意義、役割を示しているのではないかと考えます。」
・ 些か疲れがあるも帰着後ブログをまとめる。明日の朝9時45分からサンテレビで本校のテレビコマーシャルが放映される。果たしてどのようなものになっているのか。

2008年9月26日金曜日

9月26日(金)音声入力ソフト

・ 昨日近くの山田電気に言ってパソコンのソフトウエアを見て回った。時々そのようにして歩くのが楽しみである。ボツボツ年末の「年賀状作成ソフト」が前面に出てきていた。今後前へ前へと並べられるのだろう。
・ 陳列棚に「音声入力ソフト」というものに目がいく。「AmiVoice」というソフトでアドバンスドメディアという会社の制作である。「声を文字化で業務スピードアップ」「事前に声の登録が一切いらない音声認識ソフトウエア」「誰でも何時でもどこでもすぐに使える」とある。
・ 前にも書いたが「テレビショッピング」にはからきし弱いし、このような文章には「買い気をそそる」のだ。ハードボックスに入れられており、中身は確認することは出来ない。メーカーは上手くやっている。
・ 中身の取り扱い説明書など読まれたら「止めた」と気が変わることを恐れているのか、絶対に中身には触れられなくなっている。ボックスの絵にはUSBマイクが書かれており、イヤフォンから小さなマイクが突き出ている、例のテレビのディレクターなどがつけている格好良いものである。
・ 加えてICレコーダーからも録音でき、「話し言葉がすぐパソコンで文章化される」とうたっている。会議の記録、インタビューの文書化、講義の記録、営業日報、報告書、原稿執筆、ブログ日記、チャットメッセンジャーに有効とある。
・ 更に音声をリアルタイムに文字変換でき、話し言葉、書き言葉、法律経済とジャンルが分かれており、言語モデルが準備され「文章認識は飛躍的に向上」とある。もうここまでくると買わないわけにはいかない。
・ 値段は高かった。希望小売価格は26040円(消費税込み)であり、数は2個しか店頭にない。お店の人は「最近よく出るんですよね」などと言って、今買わないとすぐなくなりますよと言わんばかりだから「決心して買った」のである。
・ 自宅のパソコンはもう古くて動作環境が良くないし、使う場所は圧倒的に学校だから本日学校に持ってきて、早速梱包を解いて取り掛かったのである。箱は大きいが、中身はCDロム一枚と取説一冊、それにミニマイクつきヘッドフォンが入っているだけだった。「中身はないのである。」
・ 最近でこそあまり言われなくなったが、私の「校長日記」を読んでくれている人は「何時書かれるんですか」「毎日毎日、大変でしょう」「それに中身の濃い、それも相当の字数を・・・」などと良く言われる。
・ これらの質問に対しては「いやー、大したことはありません」「いつも何かを考えており、テーマは頭の中にありますから、書くことは苦になりません」「我流ですがキーボードを打つのは結構早いんです」とかなんとか言っており、実際もそのような気持ちである。
・ 大体A4版で2枚きっちりというのが最近の字数であり、「あっという間に出来る」という感じだ。中には厳しい批判的内容もあるから「木で鼻をくくった」ような文章にはしたくないから様々に表現方法を変えたり、第三者の意見を入れたりしているから必然的に長くなっている。
・ 読んで頂いている人には「申し訳ない気」がしているのだが「大変勉強になる」と言ってくださる読者もおられるのだ。「校長日記を読んで以来、新聞の教育欄の読み方が変わってきました」と言ってくださる人もいる。
・ 本校教員の中にも先のブログ「体罰」を読み、大学時代に学んだ学校教育法第11条を思い出し「反省」しましたという先生もいる。又中には「次は何が出てくるか」と想像する楽しみがあるという人もいる。
・ アクセス数は企業秘密であるが他府県の教職員から「勉強になる」という話もあり、具体的にこの11月には大挙して本校に訪問される予定も決まった。「私の話を直接聞きたい」と言われるのだ。
・ 早速今日も3時過ぎ、静岡県のテレビ局のアナウンサーから、静岡県で起こった「調査書改ざん事件に関する8月22日のブログをテレビで扱いたい」との要望の電話があった。驚いた。見ておられるのだ。
・ ブログ以外に「校長公式メッセージ」というのもあり、これは幾分「硬派の内容」なのだが昨年は「書きに、書いた」。今は大幅にペースダウンしているがそれは「書く内容が徐々に少なくなってきた」ということに他ならない。
・ 昨年の今頃はネットにオープンしていない職員会議への「校長メッセージ」のページ数たるや「凄い数」でこれにはさすがに本校の教職員も驚いたらしい。これも学校が安定するにつけ大幅に減少している。
・ しかしながら塾説明会や私信などで「書くことは多く」、一助になればと先の「音声認識ソフト」を求めたのである。果たして使ってみた結果はどうであったのか。そこが問題である。
・ 使い勝手は大変良い。それにUSB対応のマイクも格好良い。しかし、問題は音声認識レベルだ。どうも僕の言葉は語尾がはっきりと受け取れないみたいだ。それに喋ったあとの「息遣い」も文字になる。「フッ」とか「ハー」みたいなものが「ふつ」とか「派」とかに変換される。
・ それにイントネーションが変換に影響を与える。「こうちょう」と言っても「好調」ばかり出て「校長」が出てこないのだ。これでは困る。阪森副校長と打とうにも「酒盛り」「佐賀森」くらいしか出てこない。
・ そこで「おおさか」と打つと、これは「大阪」と出てくるので介入して「大を削除」し「もり」と入れると「森」が出てくるから、合成して「阪森」と作るのだ。勿論学習機能はあるがこれから先大変だ。時間がかかって仕方がない。
・ そのような訳で「パッケージ」を元に戻し、これらの商品は「事務室の主査」に差し上げることにしたのである。「大きな買い物であったが、大変勉強になった。」今後これらのソフトがレベルアップされたらその時に考えることとした。「アーァ」という感じだ。

2008年9月25日木曜日

9月25日(木)麻生内閣スタート

・ 「麻生内閣が発足」しました。何か「やってくれそうな気」が些かしますが、どうでしょうか。安部、福田と2代続けて「ポイッと投げ出す」という前代未聞の政治劇があっただけに4回目の挑戦で「政権を手にした気概」がテレビ画面から伝わってきますね。
・ そうこうしていたらNHK7時のニュースで「小泉元首相の政界引退」のニュースが流れていました。何が面白いと言っても「政治ほど面白いものはない。」本当に興奮します。それはやはり「権力闘争」の血なまぐさを感じるからだと思います。前の福田さんは派閥に推されて「それならやりますか」という具合だったから、ご本人の「発信力の無さ」とあいまって国民はこの総理のことが良く分からなかった。
・ 私は福田さんのやったことで「一番の成果は政権の放り出し」だと思っています。これで日本の政治はまた一歩「崩壊に向けて前進」したと逆に評価しています。推されたからやるなどの根性では駄目で「権力は取りに行かねばならない。」それが「権力の権力たる所以」だと思います。大化の改心、応仁の乱、戦国時代、幕末、いずれの時代もそうでした。企業社会でも内部の権力闘争はすさまじいものです。
・ 早速麻生総理は閣僚名簿を自ら発表したりして、「やり方を変えよう」としています。閣僚配置もどうも自分なりの考えが随所に反映されていますね。お友達内閣とか論功行賞人事だとかマスコミは書いていますが、結局自民党の8派閥に抱えられた福田さんは完全な派閥均衡人事でニッチもさっちも行かなかったではありませんか。
・ 「小沢一郎率いる民主党と戦う内閣」と広言しており「総理が自在に動かせる戦陣の配置」を考えるのは大将として「当然である」と私は思います。福田さんは就任後すぐ「大連立」を考えたことが「崩壊の始まり」であったと私は思いますね。組織のトップが一戦戦う前に敵と通じようとするのでは意気は上がらないではありませんか。
・ 面白い政治劇が秋中盤に始まります。楽しみですね。日本の最も弱い部分が「政治」であり、官僚超一流、経済1流、政治3流といわれてきたのはもう随分前でもはや経済界も中央省庁も政治も腐ってきています。腐敗臭で鼻をつまみたくなる。ここは麻生総理に期待したいと思います。国民が民主党に期待しているのは小沢一郎の「破壊力」であり、麻生総理は現状を破壊出来るのか、見所です。「太郎・一郎勝負」となりました。
・ それにしても麻生内閣の閣僚18人のうち、なんと11人が「世襲議員」といいます。もはや「国会議員は家業」と化してきているのです。別に立派な人ならそれでも構わないが「どうも2世、3世のか弱さ」を感じてならない。安部さんや福田さんに感じるものですね。
・ 麻生さんも華麗なる系図ですが、この人には小泉さんと同じような普通のセレブを超えた「何か」が感じられる。それを「危なかしい」という人もいますが、それくらいでないと世の中も霞ヶ関も変えられない。小泉さんも「自民党をぶっ壊す」と言って壊しました。この人は「変人」と言われた人です。
・ 麻生さんも小泉さんに通じる「変わったところ」が感じられます。少なくとも安部さんや福田さんみたいな「常識人」とは見えない。この人の失言を聞いていると「人間そのもの」だと言う気がします。常識を少し外れたところに身がある。言葉は人間そのものだとの証明です。
・ 朝のウォーキングのときにキャップを少し斜めに被り、良い服を着て、葉巻をくねらし、漫画本が好きで「ぱっと思ったことを言っているようですがあれで結構気配り人間」なんだと思います。言ってみれば「チョイ悪親父」ってところですね。
・ 教育界は世襲制ではありませんが「似たような構図」です。親が教員だったから「「私も、僕も学校の先生に」というのはとても多い。手元に統計データはないがかなりの比率で「親子ともども教員」と言うのは多いと思います。
・ 大分県はそのような背景で起きた事件であり、出来の悪い子どもを何としても「教員にさせたい」と親は商品券を配りまくったのです。100万円、200万円などすぐ「取り戻せる」のです。
・ 調査機関によれば大分県では民間企業の年収が480万円、教員が732万円と言うから1.4倍の収入格差があります。「親心」とは言え、「あざとい考え」であり、教育界が変わらないのはそういう体質が影響もしていると言われても仕方がない。「皆同じ仲間」なのです。最後の最後は「仲間を守る」のがこの世界の共有項です。
・ 全員が同じ「赤信号、みんなで手を繋いで渡る」ようでは組織はいずれ腐敗してきます。栄枯盛衰とは良く言ったもので「覇者が転落し、敗者が復活する局面」はままある。「平家物語の世界」ですね。本校も敗残一歩手前で「息を吹き返し」ましたが、いずれ又「厳しい局面」に遭遇しないとは誰もいえません。これは歴史が証明していることです。
・ 果たして日本は麻生総理で復活するか、遂に自民公明の連立政権は政権の座から転がり落ちるのか、民主党に政権担当能力はあるのか、国民は目が離せないし、正しい選択をしなければなりません。
・ 政権の不安定は教育行政の停滞を招き、「混乱」が続けばその分、学校現場に影響してきます。橋下知事は最近「地方分権」ばかり発言していますが、お気持ちが分かるような気がします。「もう権限を地方に渡せ。自治体が責任を持ってやるから」というものでしょう。国はもう相手に出来ないって言っているのです。
・ こう次から次と文部科学大臣が変わるような国は世界にありません。世界的な日本の子どもの学力低下、日常生活課題、教育格差社会など課題は山積です。しかし結局のところ「国が悪い」と外部にほえても仕方が無く「現場がしっかりとしないと駄目」と言う結論になります。
・ そのためにはとにかく「現状を守るということではなくて、現状を改めるという気持ち」が特効薬だと考えます。「これで良いわ」となった瞬間に組織は停滞というより後退していると考えねばなりません。それは社会が進み、他の学校が進んでいるから相対的には遅れているということになるのです。
・ 今の教育改革、学校改革は平成12年くらいから叫ばれ始め、平成14年くらいから本格化してきました。もう8年くらい経っていますがまだ道半ばで、これから先も10年くらいは掛かるのではないでしょうか。
・ 衆参の「ねじれ現象が解消し、政党の離合集散で安定政権が出来る」のは何時になるのかさっぱり読めませんが、その間も生徒たちはどんどんは入ってきて卒業していきます。周辺は流動化しても、本校は「匍匐前進しながら、浪速の教育をしっかりとする」という気概と覚悟が重要です。この「匍匐前進という言葉の意味」と私が今この言葉を使っている理由が果たして何人くらい本校の教職員に分かってくれているのでしょうか。

2008年9月24日水曜日

9月24日(水)高松市

・ 私用があって「高松市」に行った。ここには両親のお墓があるし、実の妹夫婦が住んでいる。又親戚が多く言ってみれば私の「第二の故郷」と言える。1年ぶりに会った妹夫婦は元気であった。妹の亭主、即ち義理の弟から「兄貴、何時まで働くの」と標準語と讃岐弁の混じった言葉で聞かれる。とっさのことで返事に窮した。
・ この弟は法政大学を卒業し、そのまま家業である「材木店」を継いで今日に至る。私よりは2歳若いから丁度60歳になる。先祖代々の家業を「社長業、営業マン、何でもかんでも夫婦二人」で頑張ってきたが60歳で「ばっさり家業を整理して」、今後はやりたいように自由にやるというのだ。今は趣味と実益を兼ねて「四国88ヶ所めぐり」の金剛杖を扱っている。「もうぼつぼつ引退したら」と言外に言っているのだ。「その年でそんなに苦労しなくとも・・・」と言ってくれているのだ。
・ 土地、家作、駐車場収入など財産持ちで「食うに困らない」から簡単に言えるのだが、こちらは「働かないと食っていけない」から、働いているのだが、確かに「人生設計」として「何時まで働くか」は考えておかねばならないと思った。
・ 福田総理は今日総辞職されたが、議員の身分まで辞めたわけではない。あんなに簡単に「辞めたッ!」と言えれば楽だがサラリーマンはそうは行かない。「無責任」は「恥」との感覚は我々の世代、即ちプレ団塊、団塊世代には特にそのような気がする。「浪速の礎を磐石」にするまでは辞められない。
・ 前の学校では色々あって結局丸々4年間だから1460日だった。福田さんの365日よりは4倍多い。「おいおい、一国の総理と一学校の校長とは違うよ」と言いたい向きに反論しよう。
・ 物の本には「学校の校長は一国を経営する」とまで言われている職位である。明日の日本を作る人材育成の仕事は内閣総理大臣に匹敵するくらい重要な仕事だと言うことだろう。私はそんなに大層には考えていないが、校長の任期も適切に運用しなければならない。
・ 大阪府の例では過去2年とか3年が最大であったが「これでは短い」という意見が強くなり平成14年頃から4年というのも出てきている。5年と言うのは私は聞いたことがない。個人的にはまあ「4年平均が適切」であると考えている。そうすれば後2年半である。
・ 酷いのになれば3ヶ月とか1年とかというのがある。校長の病気、学校の不祥事での責任更迭、それに「キャリアパス」だ。このキャリアパスというのは「けしからんやり方」で府教委の幹部が現場経験を付与するために1年とか2年校長職を経験させて、又教育委員会に戻すと言うやり方だ。
・ 現場経験は悪いことではないが1年で校長が変わるなど「学校改革の掛け声」と同じ方向とは思えない。要は「人材の払底」ということだろう。3年目の校長の関心事は「次はどこの学校の校長をさせてもらえるか」で頭の中が一杯だろうと思う。
・ 府教委の実態をよくよく見てみると「学校間格差の階段を上がっていく」のが校長人事だ。この意味は「しんどい学校」「テーマの多い学校」「課題のある学校」「歴史の短い学校」から振り出しとなって徐々に階段を上がっていくという意味である。
・ 最初から府立北野高校とか天王寺高校とか高津高校とかの伝統校の校長などさせてもらえない。こういう学校は「ナンバースクール」といって「旧制府立中学のナンバー」を引き継いでいる。北野は一中で高津は七中という具合だ。府内の公立高校はこのようなナンバースクールが牽引していると言ってよい。泉陽高校、清水谷、阿倍野なども旧制女学校の系列で特別な学校なのである。
・ こういう学校への赴任は大体最後の最後、上がりのポストか府教委の幹部が天下る学校である。この点はしっかりと抑えねばならない。余程の実力者か誰もが認める実績を上げたものかでないと「現場たたき上げの校長」ではいわゆる名門校へは行けないのが実態である。
・ こういう校長人事は大分県ではないが教育長とナンバー2の教育監とか審議監がするわけで「訳の分からない部分」が出てきたのが大分県の事件である。とにかく校長人事が商品券で動かされていることが分かった。まあこういうのが実態だと考えておけば良い。
・ さて話を戻そう。何時まで浪速の校長をやるかということであるが「まだ答えはない。」9月16日の理事会では出席者は知っていることであるが名誉理事長と理事長職務代理からは「何時までもお願いします」と席上「肩を抱かれて」までお願いされた。確かに浪速80年の歴史で「神職以外の理事長は私が初めて」である。
・ 名誉理事長は「私は75歳ですよ。それでも頑張っています」と言われるし、職務代理は「とにかく私の健康」だけを心配していただいている。昔は1週間に一度は学校に来られていたが今はもう滅多に来られない。「私のお蔭で寿命が延びた」と喜んで頂いている。
・ 確かにどの私学も理事長・校長あるいは理事長・学園長と名前は色々あるが後期高齢者75歳をはるかに過ぎても頑張っておられる先生は多い。私学は公立とは全然違うし、大体「オーナー学校」が多い。私みたいな「雇われ理事長」はいない。
・ しかし仕事というのは「目標」があってそれに邁進するのが考え方で重要であり、「だらだら」やるべきものではない。今の私の目標は「新経営計画の完遂」で、「新校舎建設のテープカットをする」ことである。そうすれば計画とおりにいったとして「あと6年」となる。
・ 「エー、後6年もやるの」という教職員の悲鳴が聞こえてくる。しかし教職員もここで落ち着いて考えねばならない。「変なのが来て、学校経営が元の木阿弥になったら」どうしようもない。安定軌道に乗るまで「頑張ってお願いします」ではないか。
・ 別に教職員にお願いされてやるものではなくて理事会総数の過半数の決議で決定されるだけの話だが、浪速で最も重要なことは「ポスト木村」である。「誰が後をやるのか」という問題だ。
・ 組織のリーダーで最も大切なことは「後継者指名」である。特に私は理事長と校長との兼務だから次もそのようにすべきか、あるいは理事長は神社庁にお返しすべきか色々な考えがあろう。
・ 校長は内部昇格で適任者がいるのか、又外部から招聘するのか、これまた色々な考えがあろう。とにかく最大の問題である。折角の学校つくりが一挙にして崩壊することは往々にしてあることだ。「立派な校長」を私の責任で作らねばならない。

2008年9月23日火曜日

9月23日(火)浪速祭最高潮

・ 朝の気温は幾分低く、「絶好の文化祭日和」である。生徒も今日は朝が早い。私も朝の8時前には全ての新聞に目を通し終わった。途中休み無く10日間も勤務が続くと些か疲労感が残る。先生方もさぞお疲れだろう。今日一日無事に済めば二日間は休業だ。
・ 浪曲にご招待した地元「遠里小野町会」から浪速祭と言うことで「お祝い金」を持参されてきたそうだ。申し訳ないことだったが、有り難くお受けした。それにしても「浪曲の評判」が大変良かったとのこと。これだったら生徒が一巡する3年後には又検討できるかも知れない。
・ 朝一に英語科のK教諭が入る。ESSの顧問だ。昨日、中庭の軽音学部の演奏とESSの発表との時間調整に問題があったのだが上手く話がついたらしい。しかし野外ステージの場所は中庭模擬店の傍で途切れなく楽器が鳴り響き、歌声が劈く感じで聞きたい人、聞きたくない人、お構いなしに人の耳に勝手に入ってくるのは不味いなと感じた。来年は時間制限や設置場所も考えねばならないか。でも雰囲気を盛り上げるには丁度よいかもしれないし、難しいところだ。音量の調整で済めばそれにこしたことはない。
・ 今回は私にとって2回目の浪速祭。要領が分かって来たから「作戦」をあらかじめ練っていた。各クラスの催事と各模擬店を回りクラブ活動の場所も覘いてやらねばならない。中学生の体育館でも寸劇やコーラスは見逃せない。順序が大切だ。
・ 「中学生はいとおしい」からそれだけ時間をとってやりたい。ESSが企画したDVD映画を使って日本語のテロップ付きの英語版を同時進行で会話をESS部員が進めていく「面白い試み」も是非見たいと思って覘いたが面白かった。「知性的な企画」で大変良い。これぞ高校生と言う感じだ。
・ 12時までには戻り、「神輿のお練り」への参加は絶対外せない。「浪速祭のクライマックス」だ。それにしても「訪問客の多さ」は一体どうしたことか。PTAの特製クッキーやPTA絵馬の売れ行きも気にかかっていたがクッキーは早々に完売だ。絵馬は少し残ったみたいで学校に置いて帰るという。
・ そういう中で「嬉しい話」が飛び込んでくる。「硬式野球秋季大会」で本校が関大北陽を4対2で下したというのだ。「これは凄い。強豪の北陽を破ったとなるとこれはいける気」がしてきた。
・ 神輿組はちょうど12時「担ぎ手全員集合」。小さな神輿は中学生3年生、大きなものは高校生運動クラブ員と決めている。全員で神社にお参りして正門を出る。ぐるりと学校の周辺を塀沿いに1周するのである。住吉警察署にはあらかじめ届け出ているから問題ない。
・ もう保護者も外部からの訪問者も驚きだ。特に保護者はカメラ、携帯片手に列に並んで歩かれる。訪問者もさぞ驚いたであろう。小さな町が持っているよりも大きな本格的なお神輿が全員揃いの法被を着た生徒で「ワッショイ、ワッショイ」と掛け声宜しく練り歩くのだから「これぞ祭」と思われたに違いない。
・ 特に今年初めての常勤講師の先生方は「度肝」を抜かれたのではないか。それにしても午後は気温が上がってきた。「校長先生、買ってください」「来てください」と頼まれれば「ハイヨ」と行くタイプだからもう3000円も両替しているがこれでも小銭が足らない。心得たもので事務室は多額のコインを両替用に用意しているのだ。
・ 本当は単衣の着物を着て来ようと最後まで迷ったが「着てこなくて良かった」。汗で大変だ。まだ午後から人が続々と入門される。本当に「入り」が良い。これも「学校の勢い」かも知れない。「嬉しいことだ」。
・ こういう時でも「入試広報室は塾説明会」に出かけて行ってくれている。この「分業」が極めて重要で来週「27日の浪速中学校体験入学」の参加希望者がすでに昨年よりは大幅に超えている。入試広報が生徒を集め残った教員でお祭りを世話する。この「呼吸」が学校を活性化させる。
・ 20年度の中学校クラス数は3クラスであるが。出来れば来年も3クラスで抑えたいと思っているが場合によってはクラス増となるか。その場合は教室が不足する。仮設校舎が必要となる。「ウーン」という感じになるが、生徒が来なくて「ウーン」よりは良い。
・ 体育館の催しもの、3年生が良かった。「ソーラン節」の踊りだ、揃いの法被で本当に上手くやってくれた。男子中学校として最後の学年だ。共にこの5月修学旅行に屋久島に行き「縄文杉」を目の前にして「無念の撤退」をした私の仲間(?)、中学3年生だ。特別の思い入れが私にはある。
・ 来訪者には3種類の人間がいる。まず保護者、これにはお祖父ちゃんやお祖母ちゃんが含まれる。そして近隣のお方、模擬店やバザーを楽しむためだ。最後に若い人々である。これは様々で本校生徒のお友達が多い。中学時代の友人だろう。
・ お友達も色々で、「あっと驚く為五郎ーッ」というようなタイプが居た。歌舞伎の役者みたいに目の周りに隈取を入れて下着が見えそうな短い服で神の色はマリリンモンローみたいな金髪だった。スカートの色も違うし、他校の生徒だろう。私は「安心した」のである。
・ スカートとズボンで本校生徒かどうか見分けがつく。学芸の中等学校も居れば桃山、帝塚山、公立では登美丘も居たが、今生指の先生が頑張っておられるが、「変わったスタイルの生徒」は本校のみではないことが今日分かった。慌てることはないなと感じた。まだ本校の方が良い。
・ 皆一律に本校の文化祭の方が「メチャ面白い。うちんところはショボイ」と言う。特に面白かったのは羽衣の中学生で私が校長と知ると「校長先生、浪速に入れて」と来た。驚いたのは「公立」の生徒だ。「あれは何者」だと言いたいような格好をしていた。口では言えないくらいだった。
・ 全教室開放だから「どこへ行っても構わない」のだが私は部屋を出るときは今日だけは鍵をかけた。もしもの対策である。開いている門は正門だけでそこには当番の先生が門立ちして『不審者』を警戒している。
・ バザーの客は2時30分でもまだ行列だ。時間差で部屋にお入れしておりその分少し時間がかかるがお客はゆっくりじっくりと品物選びが出来る。そして保護者は順番に我が子の出番に見にいけるというわけだ。上手いこと考えてくれた。
・ バザー会場の横には大きな喫茶コーナーが設けられ手作りクッキーとお抹茶、コーヒー、紅茶などが200円で振舞われる。カフェテリアでは「芋粥」だ。本校の伝統の出し物らしい。僕も頂いたが旨かった。かゆに乗せてある「塩昆布」が絶妙であった。
・ このようにして時間はゆっくりと過ぎ、3時になっても人混みが変わらない。私は3時で「上がり」だ。このようにして20年度浪速祭は終わったのである。3時50分「蛍の光」が流れ始めて正門が忙しくなる。
・ これから片付けだがこれがまた嬉しいように完璧に綺麗に片づけが生徒の手で始まる。「本当に本校は良い学校である」ことを痛感する一日であった。そして最後に自治会役員と全教職員が「簡単な締めの会」を職員室で行う。
・ 自治会長の挨拶は大変良かった。私は自治会役員への慰労と激励、そして先生方へ「お疲れの出ませんように」と締めくくって挨拶を行い、「3日間のお祭り」は全く事故無く終了を告げたのである。

2008年9月22日月曜日

9月22日(月)秋季例祭

・ 久しぶりに良い天気となった。今日は「秋季例祭」の日である。「極めて重要な学校行事」である。正式に神職をお呼びして学院神社は完全な装いというか形を決める。周辺には幔幕が張り巡らされ高い幟旗が4つもたなびき、神輿が鳥居の前に飾られ、神聖な空間が作られる。こういう学校は日本全国、本校以外には無いだろう。
・ 従って教職員の服装も「正装」となる。正装と言ってもネクタイと上着着用だ。女性教職員はそれなりの服装となっている。それは神職が正装で「斎行」されるのとご来賓はすべて「略礼服」を召されているからだ。斎主は最近では市内の「坐間神社」神職にお願いしている。その前は「住吉大社」からお出まし頂いていた。ある程度の期間が経てば「ローテーション」で替わってもらうことも一つの考えだ。1社に限れば「ご負担」になる。年末の理事会で図ろうと思う。
・ もう随分と昔のような気がするが「昨年は熱中症事故」で本当に大変だった。今思い出しても汗が出る。着任して半年少し落ち着き始めた頃だったから「先行きの苦難」を感じたものだ。しかし今日は気温が少し低いし、風もさわやかに感じる。それに朝1限からの式典とした。昨年は3限授業して式典としたのが失敗だった。
・ 年に2回の例祭の時くらい授業は無くて良いと思うようになってきた。「少し甘くなってきたのかと自分自身に反省をいれる」のだが2年連続熱中症事故を出すわけにはいなかい。「念には念」というところだ。
・ 例祭の後は「浪速祭の開式宣言」を行い、生徒は明日への準備に入る。祭式の後は必ず「直会」というものがあるが、生徒には「ノート」がプレゼントされる。教職員には昼食用の仕出し弁当を取る。何時もの「寿司弁当」だ。大したものではないがまあ形だ。
・ 手水を使った後、来賓が着座。私は「祭主」として先頭に座る。この時「大太鼓」が鳴り響く。剣道部の部員が太鼓を打ち鳴らす。「報鼓」というらしい。その後「修祓」から正式な斎主の祝詞等本格的に式は進む。
・ 「玉串」は私と高校の自治会長、中学の生徒会会長が続く。今年から時間短縮で来賓は大阪天満宮の宮司、本校名誉理事長を代表として奉奠して頂いた。神社のお供えは昨日から事務室が用意したものである。その他理事長職務代理、同窓会長、PTA会長などが列席される。
・ 「五穀豊穣」を祈るため海の幸は「大鯛」、40センチはあるような大きなもので後は野菜果物などが並ぶ。今日はじっくり見たが本当に多くの種類が並んでいた。まさに山海の珍味と言いたいところだ。変わったところでは「ゴーヤ」があったな。勿論お神酒は欠かせない。
・ 司会は神道科主任教諭だが今日は上手く進行できたとは言えない。大体神社前がまったく見えない壇上から掛け声をかけても揃う訳がないではないか。何故そのときには壇上から降りないのか、そこが分からない。もっと「頭を柔らかく」しなければならない。
・ それにしても「雅楽部の演奏」は益々良くなる。部員も増えている。今日は初めて中学生の女子が「鉦鼓」と言うのを演奏していた。借り物だという。いずれ求めることになろうか。澄み渡った空に雅楽の雅な音がこだましていく様子はまさに冷厳な神域を作っていくものだ。
・ 例祭が終わった後は「第42回浪速祭開会式」というのがある。まず私の挨拶に続いてPTA会長がご挨拶される。そして自治会長が高らかに開会を宣言し浪速祭が始まるという具合だ、しかし実際は各教室などの飾り付けや「模擬店」の設えなど明日に向けて準備に入る。
・ 模擬店だけでも凄い数だから今日から電気工事会社が入り「特設の電気工事配線」がなされる。生徒は喜んで準備に入っている。家庭科教室を使いたいと言ってきたそうだがこれは「教務部長」が断固拒絶したそうだ。「見識だ。」
・ 新春拝賀始業式に特別に誂えた舞台が組み立てられていく。ここが「野外のステージ」で明日は軽音学部が終日使うのだろう。崩れてはならないので私が直接組み立て具合を見にいったのである。
・ 名誉理事長、理事長職務代理から玉串料、初穂料を頂いた。それにこれは記録に残しておかねばならないのだが、なんと前理事長で堀川戎で有名な堀川神社のH先生が「ひょこり」とお顔を見せてくれたのである。「驚き、そして感激」の一瞬であった。
・ 予告もなく突然のご訪問で「宮司になって30年となった。節目の時」であり、今日は吉祥の日として「奨学金に使って貰いたいと寄付金」を持参されたのである。嬉しい話だ。2年振りである。お体の不調も快癒されてきたということで、とてもお元気そうであった。私は全教職員にお気持ちをお伝えしますと申し述べたのである。
・ 全て終わって来賓もお帰りになった。静かに余韻を楽しんでいたら浪曲の三原師匠から「大層なギャラ」にびっくりしてお礼の電話があった。PTA会長も涙が出たと言っていましたというと又電話口で喜んでおられた。今後先生のPRに学校の名前を出して良いかと言われるのでまったく問題ないとお答えした。
・ 春野恵子氏と菊池まどか師の「ギャラ」について「それとなくお教えした」がこれまた驚いておられた。このお二人のギャラ交渉は三原先生から学校でして欲しいといわれたので担当のM教諭が当たったのだが、実態は「言値、即ち先方要望」を100%受け入れたものであった。
・ 三原先生は「びっくり」されていた。本当なら座元の私に対して「これこれ頂いたのですか、受け取って宜しいんでしょうか」と聞きにくるくらいあっても良いのではないかと先生は言われる。まだ3年や4年での浪曲師のギャラではない。私など「芸道60年」という気概が電話口から伝わってくるようだ。
・ 怖いなー。「芸の世界の厳しさ」だ。昨夜も先生に気を使って若い浪曲師はおちおち食事も喉を通らなかったのではないだろうか。先輩後輩のこのような厳しさは学校社会には全くない。それでも一昔前までは合った様子だが今は逆に若い方が「偉そうにしている時代」となった。昨日のブログにも書いたが「タクシー券」を頂いて車で宴会場にくるなど「10年早い」ってところだろう。僕はこういう場面が大好きだ。「趣味が悪い」と時々言われるが。

9月21日(日)芸術芸能鑑賞会

・ 今日は「芸術芸能鑑賞会」の日である。場所は堺市民会館2階の大ホール、収容人員は1350名、本校生徒は1730名、従って「午前午後の完全入れ替え」だ。朝は中学校と高校1年生、午後は高校2年生と3年生となる。
・ 午前の部の生徒は終わった後で学校に戻って明日以降の「文化祭」の準備に入るクラスもある。昨日浪速中学校の生徒会の役員が今日から3日間のプログラムを持参してくれたが高校の自治会よりは良く出来ているのではないか。
・ 今日はとにかく「浪曲」というものが果たして「今日的生徒に受け入れられるかどうかの大きな実験」だった。出演者は3人。すべて女性にした。当初はベテランの三原師匠お一人としていたが途中で急遽2名の若手を投入したのである。
・ 男性の浪曲師は勿論問題はないのだが何か浪曲という「年代ものの古臭い感じと男臭さ」を避ける意味で今回は女性3人としたのである。出し物は事前にお願いして「教育的見地」から出演の先生方に考えて頂いた。
・ それが今日の演目であった。トップバッターは春野恵子師で「神田松五郎」、次席が菊池まどか師の「嫁ぐ日」だ。そしてとりが三原佐知子師匠の映像入り浪曲「母恋アイヤ節」だ。師匠にはその後「私の人生」としてご講演を願った。
・ 結果は「大成功」としか今言葉が浮かばない。あれほど静かに生徒が聞いてくれるとは思っても見なかった。ある生徒は「引き込まれた」と言い、「涙が出た」と言う。すべての出し物が「親子愛」「親子の情愛」で通していただけに訴えるものがあったのだと思う。言うことなし。「企画の大成功」であった。
・ 司会は上がって「頭が真っ白」で、とりの三原佐知子先生を三浦佐和子先生と何回も間違えて遂には三原先生から「三原です。先生は三浦に特別な思いがあるのでしょうかね」とまで言われる始末だ。恥ずかしかったが仕方がない。
・ 普通間違えるのは1回か多くとも2回までだろう。それも芸人さんだから「名前は命」である。先生には申し訳ないことをした。最後に最後、先生が「それではさようなら」といった時にも「三浦先生に拍手」だからここまでくると業としか考えられない。
・ ところがだ。午後の部は「パーフェクト」ときた。やれば出来るのだ。カレーライスの昼飯を食って頭も腹も固まったのだろう。もう一つ面白いと言うか興味ある話がある。午前終了時、K教頭が春野恵子師が演目を午後は「神田松五郎」から「番町皿屋敷」に変えたいと言う。理事長の了解を取って欲しいというのだ。
・ 理由は「親子愛」のテーマでは三原先生の「母恋いアイヤ節」であるから「かぶさるので替えたい」というものだ。私は別にかまわないと思ったが「反対する理由もない」ので「良いですよ」とした。
・ 大先輩が演じる演目とは違うものにするのがこの世界の常識かと瞬間思ったのである。ちなみに春野さんの師匠は三原先生と同世代の春野百合子先生で師匠が違うと言うことは芸能の世界では月と太陽くらいの違いがある。こういうのって「面白いと思いません」。
・ もう一つはお車券だ。普通は「お車代」としてお渡しするのが形であるがタクシーチケット券をお渡しした。春野先生は堺市、菊池先生は駒川中野、三原先生は昭和町でご自宅までのお車、ご自宅からレストランまでのお車のチケットをお渡ししたのだが、三原先生から「そこまで甘えてはなりません」と言われたらしく返しに来られたと教頭が当惑して言ってきた。これも「意味深」で私は面白いと感じた。
・ さて夜は出演していただいた先生方のご接待だ。場所はこういうときは「一流」でなければならない。心斎橋の「ソーニ・ディ・ソーニ」のイタリアンにした。最初は大阪天満宮の宮司に連れて行ってもらった場所で気に入っている。オーナーは郷ひろみだ。まだ一度もお会いしたことは無い。
・ 当初は3人の師だと思っていたが曲師や補助のお方も対象とするのがこの世界の常識だと後日連絡が担当教諭のところにあったというのでそのようにした。「まあ、どうでもよいや」と言う感じである。当方は担当のM教諭と総合司会のK教諭を連れていった。
・ お土産は近くの「大丸」で揃えていった。こういうときは私のスタイルは「高級果物」か「高級洋菓子」と決めている。大体喜ばれる。高級と言うのがミソだ。日ごろ簡単に手に入らないものでなければならない。今日はフランス菓子にした。
・ 手に入らないと言うのは高価というのではなくてその辺のお店にあるようなものではないということだ。わざわざ忙しい中を買いには行かないと思うから、代わりに買って来てあげるという感覚だ。「接待」ということはこういうことだと企業時代に上司から徹底的に教えられた。そのようにしているだけのことである。
・ 勿論「お車」の用意も大切で差し向けるわけにはいかないから「チケット」をお出しするのだ。要は徹底的に「誠意を示し」、感謝の気持ちを伝えることが重要だ。「一期一会」である。もうこれで本校では今後無いかも知れない。
・ 本校での実践で若い浪曲師の先生には他の学校でも成功して欲しいと思っている。そうであるならば本校での経験を豊かなものにして差し上げなければならない。「若くして浪曲界に出てきた人を応援するのも私の世代の仕事」だ。
・ それにしても総合司会をしたK教諭の人気はすごい。「失敗しても人気は絶対」である。今日の宴席はK教諭のお蔭で大変盛り上がった。長い間では課題が残るが短い間ではこの先生、人から少なくとも「嫌われない」。ここが素晴らしいところだ。完全に主役であった。浪曲師はお酒は飲まない。喉を大切にするためにそのようにされているのであろうか。
・ 6時に始まって20時15分に終了。3人の先生方に本校の気持ちをお示しする夕食懇談会は無事予想以上の効果で終了した。三原先生が「今日ほど笑ったことはありません」と言われていた。理事長やM教諭など吹っ飛ばすようなK教諭の存在感を示した会合であった。忙しい一日であったが、このようにして終わる。家に帰った時は篤姫と和宮が火花を散らしているところであった。些か疲労感を感じすぐに寝る。

2008年9月20日土曜日

9月20日(土)その1:体罰考「体罰は教育の敗北」

・ 「学校における体罰の禁止」の歴史は結構古い。明治12年の教育令にも記載されており現在は有名な「学校教育法第11条」には「校長および教員は教育上必要があると認めた時は監督庁の定めるところにより、学生、生徒及び児童に対して懲戒を加えることができる。ただし体罰を加えることは出来ない。」と明確に規定されている。
・ 体罰とは一般的に児童生徒の身体を殴打することや長時間にわたり肉体的な苦痛を与えるような行為とされており、昨今では「子どもの人権」という概念も前面に出てきて「理由の如何を問わず体罰は厳禁」とされ逆に「教師側の処分」につながっている。
・ 教育問題で新聞紙上を飾るのは今でも「教員の破廉恥行為と体罰」である。どこそこの学校の野球部で監督がびんたを張り、監督を首になったとか、保護者が損害賠償請求に走ったとか、学校管理職が教員の体罰を隠蔽しようとしたとか」枚挙に暇がない。
・ 私は日本の学校において『体罰が増えているか、増えつつある』という懸念が頭の中から消えない。それは間違いなく「今日的生徒の実像」が教師をそのようにさせているという見方も出来ないかという問題提起でもある。
・ 文献によれば70年代の後半から我が国では体罰が増え、「厳しい校則で生徒を統制しようとする学校の姿勢が教師の体罰を容認」したのが始まりとしている。80年代には教師の半数が「体罰を容認」し、数多くの教師が「言っても分からない生徒たち」を殴り、一方では「暴力教師」「やくざ教師」という言葉さえ出た時代であった。
・ この文化は「管理教育」と呼ばれ、その反動から「個性尊重とか生徒の個人の自由の尊厳」とかが出始め、80年代後半から90年代の中頃までが体罰のピークで一挙に「体罰はいけないこと、処分の対象」となってきて、学校においての体罰は減少してきたと思う。
・ ところがここに来て「問題行動を取る、ふてくされる、反抗的態度を取る、何回も繰り返す、他の生徒にいじめや暴力を振るう、為口を聞く、」ような生徒が目に付き始め、我慢が出来なくなった教員が「つい手を出す」場面が多くなったと感じるのは私だけであろうか。
・ 従って今でも「口で言っても分からない生徒に手を出すのは構わない」という「教員の深層心理」は奥深いところで生き続けて、維持されてきており、それが抑えきれなくなって「体罰が思わず出る」ということかと言えば、必ずしもそうではない面もある。結局人間によるのだろうか。
・ 先ほど宮崎県の「東国原知事は体罰条例があっても良い」という発言が物議をかもしたが教育に一家言を持つ人でも「体罰は必要」と言う人は結構いるのである。年配者に多いと感じる。
・ 保護者の中にも「先生、言うことを聞かない時にはガーンと一発ぶん殴ってください」という人は多くはいないが、居ないわけではない。しかしこれには注意が必要で「総論賛成、各論反対」である。
・ 「よその子は殴っても良いがうちの子は困る」という代物で自分のこととなると話は別で真に受けてやろうものなら「訴訟」に発展するケースもある。そうでなくとも今の時代「直ぐ訴えてやる!」というテレビではないが訴訟行為が簡単に行える時代なのである。スーパーに買い物に行くくらい簡単に訴訟にうって出る。
・ 体罰事件で必ず引き合いに出される事件が「砂浜生き埋め事件」である。1990年7月12日、恐喝事件を起こしたと警察から通報された中学生2名を生徒指導の教師7名で海岸に連れ出し、砂浜にクビだけ出して生徒を生き埋めにした事件だ。「恐喝しただろう」「やってません」「しただろう、やっている。」と20分間にわたって詰問し、10メートル離れたところで見守っていたが押し寄せる波に恐怖を感じ「やりましたと白状させた事件」だ。
・ 平成8年福岡地裁は「砂埋めの生徒の屈辱感など精神的苦痛は相当なものであった。・・・・教諭らは生徒指導で体罰が必要だと考えているふしもあり、深刻な反省を求める。」と手厳しい判決であった。
・ 上記の事件に遡ること1週間前の1990年7月6日、女子高生が走って校門に入ろうとしてレール式鉄製扉に頭を挟まれて死亡した事件である。これも社会を震撼させた悲惨な事件であった。最近でも駒大苫小牧高校での野球部長による鉄拳制裁事件、岡山山陽高校での野球部員全裸ランニング事件など数えられないくらい発生している。
・ いずれも「訴訟事件」に発展しており「教師側が勝訴」となるケースはない。体罰は犯罪である。前述したように学校教育法第11条において明確に禁止されており、「行政上、刑事上、民事上の個人責任」を負う可能性がある。
・ 公立の教員は地方公務員法で「職務義務違反での懲戒処分」刑事上は「傷害罪」「暴行罪」「逮捕及び監禁罪」が適用され、民事は「治療費や慰謝料などの損害賠償責任」を負うことになる。公務員の場合国家賠償法で国の責任を問われることもあるのである。
・ 分かりやすく言えば「体罰をして良いことは一つもない」と心得るべきである。体罰をした教師も受けた生徒も大きな傷を受ける。特に児童生徒への精神的苦痛や残る心の傷はその後の学校生活に大きな影響を与える。
・ 又地域や保護者、中学校などに「あの学校は体罰学校やで」などとのうわさが出たら「お終い」であるし、社会は「学校は隠蔽体質」として見ており、体罰を積極的に「隠蔽」するような行為は「自殺的行為」と考えなければならない。隠蔽だけは絶対にしてはならない。今や我々隠蔽で一挙に組織が消滅した例を幾度となく見てきた。
・ 未だに古い感覚の教師の中には「体罰で教師が処分でもされたら、生徒はかさにかかって言うことを聞かなくなる」とか言う主張をする向きもあるが、私はこれらの意見に全く同感の余地はない。体罰はしてはならないし、起きたことを隠すことではないのである。
・ 学校管理者がやるべきことは「事実を可及的速やかに調査し、当該教員の処分を行い、体罰を受けた生徒への謝罪である。」これが最も大切なことである。今日では「公益通報者保護法」に基づき告発告訴し易い環境が整備されたり、最近では「弁護士会」が子ども専門の相談窓口を設置していたりするので、「怪我でもさせれば勝ち目は無い」と心得なければならない。
・ 本校においては体罰は就業規則と内容により厳正に処分し、隠蔽をする気は全くない。勿論積極的に処分を受けた教員の名前を公表などはしない。しかし事実は事実として教職員には公開し指導するのは学校長の責務である。「このことが教職員を守ることだと認識」しなければならない。体罰の隠蔽はその学校の風土となり結局は教員が「辛く悲しい思い」をすることになるのである。体罰教師を守るような方向には動かない。

9月20日(土)その2:体罰考「懲戒規定」

・ 私の観察によれば「体罰は愛の鞭」ですというのは「嘘」である。100%と嘘とは言わないが「冷静にここで一発張らないと、こいつには分からない、こいつの為だ」と愛情を持って体罰に出る教師は居ないと思うが果たしてどうだろうか。
・ 昔「体罰全盛時代」には逆にそのようなケースもあったかもしれないが、今や「体罰は駄目」とほとんどの教師が知っており、「鼓膜が破れるかも知れないがここで一発・・・」とか「唇が切れるかも知れないがここで一発・・・」とか覚悟してする先生は居ないのではないか。
・ 平成7年福岡地裁の判例では以下のようにある。「法はもとより当時の校長も体罰を禁止していたが、被告は「建前に過ぎない」と考えて安易に力に頼る指導をしていた。動機は被害者の態度に誘発された私的で短絡的な怒りの感情で、我を忘れ・・・」とある。大体この判例のような状態が一般の体罰の状況ではないか。私はそう思う。
・ しかし上記判例には続いて以下のような文言がある。「しかし、熱心な教師として被告を慕う卒業生もおり、酌むべき事情もある。・・・。」とこの死亡体罰事件には卒業生まで繰り出して「情状酌量の作戦」で臨んだのであろうが、体罰で生徒が死んだことには変わらない。
・ 大体体罰を起こすのは「真摯で熱心な教師」であるか、あるいは「教室を自分の王国と考え、完全に君臨し生徒はとにかく言うことを聞かせるために押さえつけるか、熱心さとは幾分異なる“偏狭な偏屈な幅の極めて狭い人間性で引き起こす教師」と二つのタイプがあるのではないか。今日では大体後者が多いと私は考えている。
・ 体罰を考えるときに「素晴らしい論文」があり、弘前大学教育学部の安藤氏と埼玉大学大学院の小菅氏の考察であるがこれから我々は多くの知見を得ることが出来る。学生の体罰体験の時期は「中学生時代」が34.7%、ついで小学校高学年が32.7%、「小学校低学年」「高校」の順になっている。
・ 体罰を受けた場所は「教室」が最も多く、43.8%、ついで体育館、「廊下」「職員室」「運動場」とあるし、その他には「修学旅行先」「遠足先」「生徒指導室」とある。体罰をした教師では全体の80%が「男の先生」となる。
・ ついで年令では男女を問わず「40代が40.7%」と最も多く、ついで「30代が34.8%」、「20代」「50代」となる。又「担任の先生」が最も多く、その他「部活やクラブの先生」「体育以外の教科の先生」「体育の先生」「生指の先生」と続く。頭で想像するものとこれらのデータは大体一致する。
・ 体罰を受けた時に「どのように思ったか」については全体では「頭にきた、悔しかった」が最も多く、ついで「悪かったと反省した」が14.4%、「恥ずかしかった」が12%、「先生が嫌いになった」が10.4%と続いている。中には「自殺をしようと考えた」とか「殺してやろうと思った」というのもある。最も多いのは「痛かった」というものである。しかし問題は「精神的苦痛」を引きずるか、後になって出てくることである。体罰で「先生の愛情を感じた」とかいうのは全くない
・ 本校は長い間「男子校」で諸先輩から伺う話は「体罰などの言葉などなかった。「目に余ればバーンと口より先に手が出た」とか「部活の道具でお尻をどつく」とか今では「伝説みたいな話」はよく聞いた。
・ しかし今の浪速にはそのようなことはない。ただ共学になって4年、「女生徒の指導はどうも難しい」と感じている教員は多いみたいだ。「女生徒指導のノウハウ」も積み上がっていないし、微妙な時に対応してくれる女性教諭も数が少ない。それで昨年は女性の常勤講師を増やしたし10月1日で教諭に採用する先生3人のうち2人は女性だ。
・ 私の方針として「生指ができないような先生は不要」と広言しており、教科指導の前提として「日常生活習慣」が極めて重要であるとの認識に揺らぎはない。大体今まで教科指導だけで生きてきている先生など見たことがない。「出来る先生は両方出来る」のだ。
・ 教え方の上手い先生の授業では生徒は静かに聞いているもので、大体運動部、文化部部活動を熱心にしている生徒は「めちゃくちゃな行動」をとる生徒はいない。確かに体罰必要論者の意見には聞いてみる価値もあるのだが、それでも「体罰を許すまでには行かない」というのが私の考えであり、今の社会の通念だと思う。
・ 本校の例ではないが電車や街で私でも時に「頭にくるような生徒のけしからん態度」に出くわすことがあり、「何ーッ」と思うことがあり、日夜生徒に接している教員の気持ちは分からぬではないがやはり「手を出してはいけない」。
・ しからば「どうせよと言うのか」であるが、「心と言葉と懲戒規定」しかない。義務教育の先生方と話をすると「高校は良いですよ。伝家の宝刀があるではないですか」「義務教育は退学には出来ません」そこが根本的に違いますと言われる。
・ 要は「懲戒規定」を「抑止力」として使えるというのだ。ある面において的を得ている。高校にでもなれば「自己責任」くらいは概念として持っており、「単位が取れねば落第」「規則を破れば懲戒」になることは高校生は知っている。
・ 体罰ではなくてまず口で言って聞かせ、限界を超えたときに「懲戒」がある。懲戒にも様々な段階があり、この運用で大きく変わってくるものである。本校では今その実践をしている。「服装、茶髪、化粧等」他の」校則違反だ。
・ 授業中ピアスをしていようが、イヤホンをつけて授業に出ようがまず口で指導し、駄目なら生指補導会議にかければ良い。一挙にびんたを張るなどは「考えられない行為」である。問い詰めたときに「はい、申し訳ありません」とすぐ謝る生徒と「頑強にしていないと言い張る生徒」と「嘘を言って抵抗する生徒」と3種類に分かれる。まず事実を確認してから「どう処分するか」はその後の話だ。
・ 仮にその場で「バーン」と張り、怒り納まらず職員室に連れてきて、そこでも「バーン」と一発するのは「私的な怒りに満ちた行為で教育活動とは一切認めない」と私は断言する。そういう教員は「首」にするしかない。大体やる人間は何回もやるものだ。
学校教育法第11条を知らないという教員が半数いるそうだが「まさか」と思う。本校の教員は本日のブログ2編を徹底的に頭に入れなければならない。

2008年9月18日木曜日

9月19日(金)近づく浪速祭

・ 「台風」が近づいて来たが「浪速祭」も近づいてきた。徐々に雰囲気が盛り上がってきている。自治会会長以下役員が頑張ってくれている。朝、自治会長がポスターとプログラムを持参してくれた。生徒というのは「大人を超える才を見せる」ものでポスターなどプロはだしの素晴らしいものだ。
・ 今年のテーマは「NANIWA FESTIVAL 神道 REVOLUTION 2008」である。ここで神社神道の精神を再確認しようと自治会も「神道革命2008」の表現に行き着いたのだろうが、立派な話だ。学校が強制しているわけではない。生徒が考えたものだ。
・ 又わざわざ自治会役員が着る「お揃いのTシャツ」を持ってきてくれた。当日これを着てくれという。真っ黒のシャツに白字で神道革命2008と染め抜かれたもので、いささか恥ずかしい感じもあるが、この上に「祭り法被」を着て「神輿の先頭」に立とうと思う。
・ 本校の浪速祭というのは完全に「お祭」である。神社神道の第一義は「やしろとまつり」であり、「本校にはやしろが二つ」あり、「学院神社と祖霊社」である。この2社の祭典即ちまつりは「春季例祭」「秋季例祭」「月次祭」「奉告祭」「合祀祭」というもので構成されている。このうち月次祭は毎月の一日の日に感謝と決意を込めてお社にお参りするものである。「一斉参拝」と称している。
・ 奉告祭は入学式、卒業式、始業式、終業式の「開始前に神に奉告」し、「祈願と感謝と決意を表明」するもので、今年から1月の始業式は「新春拝賀始業式」として単なる奉告祭から格上げした。
・ 合祀祭は4月新年度に入ってすぐ行われるもので前年度の本校関係者の物故者の御霊を祖霊社に納め祀るもので「霊璽簿」というものにお名前を記帳する「御霊鎮めの儀」である。
・ 私はこのような「祭り、祀りをとても大切」にしている。「遥かなる尊厳」「偉大なる絶対的なもの」「神」「畏敬の対象」「心の安らぎ」、ふっと生徒が立ち止まり神社の前で頭を垂れて「2拝2拍1拝の拍手を打つ形」は絶対に生徒に何かを与えていると信じて疑わない。
・ そして最後の祭りが「浪速祭」である。これは「完全なお祭り」である。今年は9月21日の芸術鑑賞会、22日の秋季例祭、23日の文化祭と3日間続く。その後は24,25日と振り替え休業となる。徐々に気分が盛り上がっているのである。自治会にとっては1年に一度の大仕事ということになる。
・ まず21日の芸術鑑賞会「浪曲」の準備は怠り無く進んでいる。NHK紅白歌合戦ではないが「総合司会は体育科のK教諭」だ。彼しかいない。さぞ盛り上げてくれるだろう。司会進行の要領を聞いたが良い原稿が出来つつある。
・ 地域のお方が午前、午後それぞれ50人以上来てくれるそうだ。「大変良かった。」地域のご年配の方には喜んで貰えるだろう。府会議員の先生方や理事、評議員の方たちも見えられる。どうも保護者はバザーの準備があり今ひとつだが、こればかりは仕方がない。
・ 自治会から最後に演者に対する花束やお帰りの車の手配、入れ替え制の2部構成だから昼食の手配もある。学校総出で対応し、生徒の無事な往復と会の成功を期さねばならない。
・ 22日の例祭は「今から、びくびく」だ。昨年は酷い目にあった。油断したのである。今年も「熱中症事故」を起こすわけには行かない。相当対策を取ったので今年はあるまいと期待しているのだが油断は出来ない。とにかく温度の低い朝一番にやることに決めた。
・ 1限目から行い、その後は翌日の第42回浪速祭の準備に備えることにした。式次第も短縮版を用意した。弱い子はあらかじめ教室で例祭に参加することも決めた。幔幕を外し風の通り道を確保することも考えた。それでも心配である。
・ そして23日は『本番の浪速祭』となる。生徒はもう顔色を変えて準備に入っている。クラス数が45クラスと多いから、もう場所の取り合いで出し物の順番と時間割に自治会が大変だったそうだ。
・ 全教室が埋まり、中庭も体育館も野外ステージもすべて占有される。本校の特徴は「模擬店が多い」ことだ。定番の「たこ焼き」、「うどん」「フランクフルト」「ねぎ焼き」『キャベツ焼き』「串焼き」「ポップコーン」まだまだある。「カルメ焼き」とか「チキン」とか、良く分からない「たけまさ焼き」とか「テニそば」と言うのもあるらしい。
・ 今年1月新春拝賀始業式で「雅楽と舞の舞台として作成したステージ」は「軽音学部」が占有で十チーム以上が出るらしい。どうして若者はあの軽音が好きなのか私には分からない。正直「うるさい」だけだ。「音楽は演歌」に限るが仕方がない。
・ 今年は長い歴史で初めて同窓会が「ブース」も持ち、活動をすることになっている。同窓会活動の認知度アップを図る目的だそうで「グッズ」の無料配布などもあるらしい。又写真の展示や、OBによるライブコンサートとしてデュオによるボーカルギター演奏なども入っている。
・ そしてPTAのバザーだ。これは副会長が大きなケーキ製造会社を経営されているので「浪速特製クッキー」を焼いて販売したり、「PTA絵馬」の販売とかアイデア満載らしい。「どういうことになるのか楽しみだ。」売り上げはすべて学校に頂けるのでこちらは「宜しくお願いします」という訳である。
・ 今日は11時から「大阪府神社庁の秋季例祭」があり、来賓として出席した。名誉理事長が本校の例祭に出席して頂けるそうだ。学校が良くなったから、頻度多く学校にお顔を出して頂いている。嬉しい限りだ。
・ 「台風13号」が気になるのでトンボ帰りで学校に戻った。用心をして6限終了後速やかに全校生徒を退校させることを決定。こういう場合本校は3つの駅、「我孫子前」「我孫子」「杉本町」に教員を配置して指導することにしている。1700人が殺到するので「時間差退校」をさせてホームの混雑を避けるのが目的である。「浪速の面倒見の良い面」ではないか。

9月18日(木)テレビコマーシャル

・ 「得スマ」という番組があり、入試広報室が探してきた番組だ。要は「宣伝番組」である。私は見た事も聞いたこともない。何か作成値段は安くて結構長い時間の録画だという。長いと言っても6分弱らしいが、とにかく「テレビコマーシャルを本校が初めて流す」と言うから「画期的」だ。入試広報室を褒めてやりたい。
・ メディアXという広告代理店が表で株映像社が撮影にきた。過日下見に来たらしい。慣れたもので昨日脚本と言うかシナリオが送られてきて、場面と言うのか「カット」というのか、本校の沿革に始まって様々なシーンなどを挿入して「1篇のコマーシャルフィルムを作成」するのだ。
・ 撮影は今日から始まり、本日は学校全体、クラブ活動、生徒へのインタビュー、9月22日は秋の例祭、その後授業風景など撮って9月28日(日)サンテレビ「得ナビ」で朝の9時45分から放送される予定だそうだ。絶対私のブログの読者は見て欲しい。そうすれば「視聴率が上がる。」
・ 私は「衝動買い」の常習者で、上手い宣伝にはとても弱い。テレビショッピングでは私はカモだ。鍋、食材など直ぐ買ってしまう。この前は「電子レンジ」で煮炊きが出来る鍋を買ったが一度それを使って「餃子」を焼いただけで、もう鍋はどこにあるか分からない。フライパンの方が早いし、上手く焼ける。なぜこのようなものを買ってしまったのか、今でも理由が分からないのだ。
・ サントリーから「健康サプリメント」の宣伝があり、早速買ったが3日続けて呑んでみて今は飲んでいない。面倒だし、忘れてしまう。薬などを毎日欠かさず、決められた時間に取っている人を見ると「尊敬」してしまう。
・ 「鯨の缶詰」も買った。大和煮という代物だが、においが鼻についてきたのでしばらく休止している。しかしあのテレビショッピングは本当に上手い誘い方で、最近は有名人や俳優などが出て「宣伝」しているから、ついつい誘われるのだろう。この前はあわや大型の健康器具を買いそうだった。冷静になり止めた。部屋が狭くなるからだ。
・ この「得ナビ」をみて中学生が浪速に来てくれれば目的は達成するのであるが、そう簡単な話ではないだろう。テレビのコマーシャルで学校は決めまい。しかし興味を持って一度学校を見ようかと言う気になるかもしれない。そこを入試広報室は期待しているのだろう。
・ それに「映像権利」は本校にあるとかで「他に流用」しても構わないそうだ。これは有利であり、今後色々な場面で使えるかも知れないし、私が今考えているのは先の「学ナビ」と併せてDVDにして関係者に配ることも可能だ。
・ 問題は「校長インタビュー」の場面があるから「出て欲しい」と入試広報室が言う。私は「ノー、副校長に出演(?)してもらうように」と言うのだが、ダメだという。60才から、私は生き方としてもう「全面に出ないよう」にしてきた。
・ 浪速に来て「新聞の取材申し込みや講演依頼」などもすべて断ってきた。理由は「露出を避ける」ことと「黒幕」として背後にいる方が「心地よく」なってきたからだ。関連する団体の会議にも一切出ていない。すべて二人の副校長と事務長にお願いしている。
・ とにかく本人は意識していないのだが小さい頃から「目立つ子ども」だった。大人になっても目立つらしい。これで得をした思いはない。損ばかりだ。とにかく「学校と言うのは目立つことを嫌う社会」だ。本校でも正直僕より目立つのは誰一人いない。今一人ひとり顔を思い出しているのだが誰もいない。K教頭がその気配があるが私の相手ではない。だから私もそのように振舞っているのである。
・ 朝は7時に学校に来て電子決済をし、新聞数紙に目を通し、その日の仕事を考え、ストーリーを組み立てる。そして次から次と教員を呼び込み報告を受けたり、相談にのったりしている。
・ これらの時間はもう完全に「至福の時」で「体全体に快感」が走る。必要以外は学校の外に出ない。昼食も弁当持参か事務の女性秘書が段取りしてくれる。学校長は学校にいなければならない。公立の時は何時も学校を留守にする校長がいたがこれは良くない。「何時も校長室に校長がドーンと据わっている」という感覚が大切だ。
・ しかし自らの言葉で『内外に説明する』ことは重要だから、ホームページのブログでは発信している。言ってみれば「ネット露出」だけで説明責任は果たしていると考えている積りだ。勿論外部の方からの訪問は退きも切らないし、逆にお誘いしている。「先生、一度校長室にコーヒーでも飲みに来てくださいよ」と。「エー、ええんですか」「イヤー待ってますよ」という具合だ。
・ PTA,同窓会、大学関係者、中学校関係者、塾、神社界等々電話や応接は結構忙しいのである。表に出てあれこれ喋るのはもう疲れを感じる。「楽しいのは教職員と飲み食べながら人のうわさ話」をすることだけだ。
・ しかし「校長が出ない学校案内はない」と入試広報室がしつこくいうので仕方なく「受けた」。やる以上は変わったところを見せると言うのも木村のスタイルだ。「着物を着る」ことも考えたが結局「学校の制服を着ることにした」。
・ 私は1年前に自分用に生徒と同じ制服を一着作った。式などのときはこれを着ている。今日の撮影にはこれを着て出た。担当のO副室長には「とにかく面白い編集にするように」言った。堅苦しいものなど面白くも無い。出来れば「吉本の売れてない芸人さん」に依頼してナビゲーターとして雇ったらとまで言ったのである。
・ ところが今日来たナビゲーターは女性3人組でわざわざ吉本さんに頼まなくとも良かったという感じだ。テレビを見てもらえば分かる。録画はたった2分、やり直しは1回のみ。「見事修了」。ディレクターには「慣れていますね」と言われてしまった。果たしてどのようなものになっているのか。大体僕は写真映りは良くない。従って映りの方はあまり期待していない。本物を見てほしい。
・ ところで今日は夕方16時から「指定校内定式」というのがあった。第一次の指定大學推薦の内定が決まった生徒とその保護者に対して「内定を通知し卒業までの注意」などを伝達する日であるが、予定にはなかったが急遽、撮影クルーに頼んでワンシーン入れてもらうようお願いした。真剣な生徒と保護者のお顔が伝えられるのと「本校は指定校としての大学数が極めて多い」という宣伝にはなると考えたからである。

2008年9月17日水曜日

9月17日(水)教師の給料

・ 毎年この時期に楽しみにしている雑誌がある。「週間ダイヤモンド」である。ダイヤモンド社発行の些か硬派の「ビジネス週刊誌」である。本は好きでよく読むほうであるが、加齢と共に分厚い本は段々と億劫になってくる。週刊誌程度の厚さが「丁度良い感じ」となってきている。
・ この週刊誌の良いのは旬でタイムリーなニュースや話題を集中的にまとめて情報発信してくれているところである。又表やグラフがふんだんに使われておりとても読みやすいのが気に入っている。
・ ただし年間定期購読するほどではない。新聞を読みながら「気になる特集」が出たときには書店にて求めることで良い。最近では8月9日号の「老後地獄」や8月30日号の「格差世襲・・・下流の子は下流?」が良かった。
・ さて9月13日号は「給料全比較・・年齢別賃金、社内格差、残業時間」特大号だ。実は昨年の10月6日号も今手元にあるのだが、このようなものは例年同じように発行するのだろう。昨年は職業別、会社別、官民別、規模別と整理されていた。
・ 校長の責務の一つに「教職員の意識に迫り、時に意識や知識を変えてもらう」という業務と言うか責務がある。これをやっている校長は立派であるが、言うほど簡単な話ではない。特に公立の校長など、見ているとどうも限界があるように感じてならない。
・ その理由は「やりにくい、言い出しにくい気分」があるのだと私は想像している。同じ学校と言う狭い閉じられた社会でキャリアパスしてきた校長や教頭は「ついこの間まで平の教員」であった。それがある日、「突然に管理職」になる。管理職としての訓練は何も受けていない。
・ 中には管理職になる前に、組合活動を精力的にやって、職員会議などで「校長を追い詰める、糾弾する、イデオロギー的なことを叫ぶ、卒業式の国旗掲揚に反対する、国歌は歌わせない」と言ったことをしてきた教員が校長になることは公立では普通のことなのである。
・ 特に大阪府にはその手の校長が多いと見ている。前の学校でも教員から良く聞いた話があるが、それは「あの校長、よく言うよ!教員の時には今と180度違うことを言っていたくせに」というものだ。そういう校長は必然,教員に対しては「引け目」もあろうし「まだ心底では管理職になり切っていない」面もあろう。
・ 話が脱線した。言いたいことは私は落下傘で降りてきた異星人、エイリアンであり、「しがらみ」も全く無い。従って上記のような遠慮みたいなものは全く保持していないし、根っからの「プロの仕事師を自負」しているから何でも遠慮なしにやれる。遠慮と言うのではなくて「前向きに親切に教員に情報が発信できる」と言いたいのだ。
・ さて今回の特集「給料全比較」は又又大変興味深い。まずパート1では「多様な仕事の待遇」としてプロ野球選手から農家林業までの100職種の「推定年収をランキング」して出している。毎年の定番メニューだ。
・ トッププロ野球選手3553万円、2位Jリーガー2667万円、3位国会議員2193万円、4位競艇選手1827万円となる。ボトムからいけば農家123万円、ミシン縫製工192万円、ビル清掃員222万円、給仕従事者266万円というところだ。
・ さて「公立学校の高校教員はトップ17位で44.4歳768万円、私立の高校教員はトップ20位で43.9歳736万円とある」。100番中20位だから低くは無いぞ。上の下か中の上だろう。
・ データの元となっているのは厚生労働省「賃金構造基本統計調査」などを使っているから信頼性はある。又私なりに「検証して」、これらの数値が大きくはずれていないことを確認している。
・ 今回35ページに「教師の欄」がわざわざ設けられており、あの『大分県の事件』との関連だろうが「大分の汚職事件に潜む地方の官民格差の厳しい現実」として「大分の教師の給料は民間の1.4」と調査している。
・ それによれば大分県の民間企業の年収は478万円、これに対し大分県教育委員会の教師の給料は673万(推定平均年齢40歳未満)として、大分県では教師と言えば「誰もがうらやむ高給取り」なのである。だから腐食の温床となりやすいと記事にはある。
・ 更に興味あるのは燃料高と低賃金にあえぐ運転手の給料のレベルだ。タクシー運転手55.9歳で342万円、バス運転手46.5歳で420万円、大型トラック運転手44.9歳で444万円だと言う。
・ ところが西日本高速道路公団の従業員は41歳で809万円というから官の給料は跳ね上がるのだ。眠たい思いをして車を走らせてる運転手よりも高速道路でチケットをチェックしている職員の方が2倍近く高いのだ。府の施設に派遣されている職員とプロパーの職員との給料が4倍も違うと言って橋下知事は怒ったが、これは間違いない「官民格差」である。
・ ところがどっこい教師の世界では「官民格差」はない。これは積年の先輩の努力の成果と日本の政治の産物であろうか。大阪府の公立私立教員の給料比較を現在徹底的に行っている。完成したら職員会議で「皆に開示」してやりたいと思う。
・ 決して教職員にデータを隠す必要はない。隠すものさえないのが「私立学校 学校会計基準」の精神である。私は時々、預貯金はこれだけ、借金はこれだけと「開示」している。このことが重要だと思っている。
・ 教職員の給料が「低いレベル」であってはならない。「当たり前だ」。生活を安定して貰って「教育と言う営為」に全精力を注いで欲しいからだ。教師は「一般労働者ではない」。だからと言って「聖職者」だとも言う気もない。 私は個人的には「労働者と聖職者の中間の職位」と考えている。
・ 「国家百年の体系」をこつこつと刻んでいく職業は「教職」であることに間違いは無い。「責任感」と「あくなき研究心」「生徒への愛情」、なにより「教員と言う職業に誇りと矜持」を持つことが大切だ。
・ 昨日3名の常勤講師を本校の正職員に採用内定した。「初心忘れるべからず」である。給料は後から付いてくる。社会から尊敬され学校管理者から「評価が上がれば給料は上がっていく」。ダメなら駄目な分だけ給料は上がらない。そういう時代になったのだ。教師であるからと言って誰もが同じ給料の時代はとうに過ぎ去った。「教育界が外からこじ開けられるよう」にされてきているのである。橋下知事などはハンマーで壊そうと思えるまで激しくやっている。私はもう少しスマートにやってきた。

9月16日(火)秋の理事会

・ 今日は秋の理事会である。7名の理事と33名の評議員の先生方がお忙しい中を来校された。昔に比べて参加率が劇的に増えて、90%以上の出席となっている。これも寺井名誉理事長の言葉ではないが「出ても仕方がないような理事会・評議員会から質的に変わってきた」ことの証明だろう。
・ 意見を頂くためには「学校としてしっかりとした説明責任を果たす」ことが必要だ。大阪府の教育委員は橋下知事から「お飾りとかクソ教育委員会」と言われて、今回も2名の委員が継続を拒否された。朝日にはこれら2名の委員が知事に「反撃」を加えていたが、これは「任命権者の専権事項」で仕方がなかろう。
・ 私学においては「理事会が教育委員会に相当」する。理事会は最高の議決機関で厳密に言えば人事権、予算権、設備管理権、学則、教科書選択権、その他殆ど全ての権限を有している。それらを「総理するのが理事長」で、理事長は重要事項については評議員会に意見を聞くことが決められている。
・ 昨年11月12日に当時の太田房江知事に「寄附行為の改正」を申請し、認可され、有効とされた日からの現在の理事会体制であり、又評議員にとっては今年4月から評議員の人と数の入れ替えを行って今日に至っている。時期のねじれについては時機を見て「修正」し、元来の理事と評議員の任期を揃えなければならないと思っている。
・ 今日の理事会での欠席理事はこの15日の開票で見事に摂津市長に2期目当選された森山市長を除いて全員の出席であり、評議員も多くの先生方のご出席を頂いた。評議員は新メンバーで2回目の会合となるが皆さん大変熱心で助かっている。
・ この理事会・評議員会は企業でいうところの「取締役会」に相当し、最も重要な会議であり、私立学校の経営の根幹を成す組織とされており、議長は理事長が執行する。議事録については詳細をまとめ、理事の印鑑を捺印して必要なものは「大阪府に届ける」ことが定められている。
・ 今日は「盛りだくさんのテーマ」となった。この方が良い。上っ面だけの良いことだけを報告しても意味はない。良いことも悪いことも表に出さなければならない。この方針で私はやっている。だから「会議が面白くなる」。その代わり理事も評議員も「真摯に向き合う」必要がある。
・ 思いつきのちゃらんぽらんの意見など本校の評議員の先生からは一切ない。何の会議でもそうであるが、会議においては「見識が疑われる」ような意見は不味い。したがって重要事項のテーマについては事前に資料を送付している。そしてしっかりと考え、考察された意見には「傾聴し、真面目に受けとめ、真摯に検討する」ことが学校側にも必要な姿勢である。
・ 報告者もしっかりと準備し、分かりやすく報告することが重要である。時間がふんだんにあるわけではない。短い時間をどう使うかだ。式次第はまず理事長から「経営と運営の全般の概要説明」を行う。本日のメイン議題は「私学助成削減」と「授業料の見直し」「教職員の時間外勤務の管理」「関西大学との連携」である。いずれも他校に先じて対応を進めており、本日の理事会でのオーソライズとなった。
・ 特記事項は多くあり、順不同であるが「生徒生活指導部の活動状況」「新たな収入策としての施設使用料の徴収」「神道科の教科書再編作業の中間報告」「SSコース・Ⅰ類の学力報告」「国学院栃木との比較」「浪中全国学力調査の結果開示」「広報情報委員会活動」がある。それぞれの担当の先生が資料を用意して説明してくれた。
・ 各担当の先生方の説明はそれは立派で、上手いものだった。彼らは聞くことが出来なかったが最後の名誉理事長の講評は開口一番以下のようなことを言われた。「昨年1月29日の職員集会に出たときのことを思えば感無量だ。」今日の各先生方の立ち振舞いや内容を考えた時に「これがあの学校か」と思うようなものだった。
・ ポロシャツを着ている先生や斜に構えた先生など、目に付いて「これが学校の先生?」と驚いたが「かくも劇的に変わるものか。今日の先生方の立派さと内容に驚くばかりで今の浪速の底力を今日も見ました。」と褒めて頂いた。
・ 校長として何が嬉しいと言っても学外の方からの「本校の教員に対する賞賛の声」を聞くことほど嬉しいことは無い。「先生方、ご苦労様でした」。このようにして一般の教員を理事会に出てもらって雰囲気になれてもらうことも私の仕事だ。勿論『常ではない』。教師はあくまで「生徒に向き合う」ことが仕事である。
・ 理事会に先立ち、理事長職代理から10月1日付けで「専任教諭として採用が内定している3名の常勤講師」の先生との面談があった。名誉理事長は急遽ご親戚にご不幸があって欠席されたが「思いを込めた職務代理のお話」を先生方はしっかりと「受け止めた」ことと思う。
・ 私からは一昨日のブログ「帰り修行」を忘れてはならない。人生で自己実現するには「浪速でしっかりとした教育活動をして、立派な先生になること」であり、そして人生を『豊かに彩る』ために初心を忘れず「謙虚に、特に人との交際」について気をつけるよう話した。「採用人事は理事会で正式に承認」され、今日で手続き的には「完了」したことになる。
・ 副校長から朝方他の常勤講師の先生方の「来年度の本校での勤務意向調査結果」の報告があったが、ほぼ全員『来年度も本校で働いても良い』とのご意向らしい。これは「嬉しい話」で若い先生方から「本校は魅力ある職場」として映っているのかも知れない。
・ 朝一にそれぞれの学年の主任が揃って部屋に入り、「10月の学年集会の要領」について少し議論した。これは重要につき、「心して準備するよう」お願いした。ポイントは「かゆいところに手の届く」、「行かねばならないと思わせるような内容」だと強調した。
・ 理事会が終わり私の執務室でまだ他聞をはばかる2点の内容で「極秘会談」を行う。13時に始まった会議は16時30分、終わりを告げた。今日はその後の予定もあるが、順調に進んでいる。後は「浪速祭と芸術鑑賞会」の成功を祈るばかりだ。今日から7限カットで週末の「浪速祭」の準備に生徒たちは入る。どの顔を見ても生徒は嬉しそうだ。
・ 18時40分から市内某所で「懇談会」となる。楽しいひと時であった。教員と時間をともにするのは「楽しい」。「皆、良い男ばかりだ。」「浪速に悪い奴はいない。」そして「皆、仲良くしなければならない。」

2008年9月15日月曜日

9月15日(月)映画「おくりびと」

・ 本当に久し振りの「連休」である。大体土曜日は午後も学校において様々な行事があり、午後から休みと言うことにはならない。体ももう慣れてしまった。そういうわけでこのような祝日があると連休となり、「嬉しく」なってくる。
・ 前日から「さて明日は何をしようか」となるのだが、いざそのような時になると取り立ててということもなく、時間を若干もてあまし気味になってくるのが悲しい。別件で京都で用事もあったのだが、午後から雨の予想で、結局取りやめてしまった。
・ そういうときに便利なのが「映画鑑賞」である。田舎と違って今住んでいる場所は快適な映画館が歩いて直ぐそばにあるから「良いと評判の映画」は行くのである。しかし本当に久し振りの映画館だ。
・ この夏は藤田まこと主演の「明日への遺言」も見逃してしまった。気分が乗らないとどうも行く気になれない。しかし今日はその気になったのである。見たい映画は封切二日目だから、混むと思って9時半頃チケットを劇場まで買いに行く。15時20分始まりを求めたがもう一杯だという。
・ 「シニヤー料金」とかで格安だ。当初はシニヤーとか言われて何か複雑な思いがしたのに、今は平気である。収入があるのでこういうサービスなど私には不要なのだが今日は顔を見るなり「シニヤーさんですね。」と言われた。去年まではそういうことはなかったのにと思う。老けたのかも知れない。休みは顔のひげも剃らないからそのように見えるのかもしれない。
・ 映画は「おくりびと」というタイトルで「本木雅弘、山崎勉」が主演で「納棺師」という職業を真正面から捉えた意欲作だ。海外のモントリオール世界映画祭で賞をとった作品で、監督は良く知らなかったが滝田洋二郎氏である。
・ 確かに「素晴らしい映画」だった。私がここ10年で見た映画のうちで最も良かったと自信を持って言える。テレビなどでも宣伝しているので興味があったのだが、期待を裏切らず「面白いというか感動」というか「何かが私に入ってきた」映画であった。
・ 映画でも舞台でも唄でも美術展覧会でも見ることによって「何らかの影響を自分自身が受ける」。これが大切だ。それにしても主演の本木、山崎両氏の演技は圧巻だった。巣晴らしい。特に名優といわれる人の演技の素晴らしさは「物を食う」シーンに現れるというのが私の見方で、今日の映画もそういう場面が多かった。
・ 脇役陣も広末涼子、余貴美子、吉行和子、笹野崇文、峰竜太等でそれぞれが良い味を出していた。中でも広末は良かった。しかしとにかく山崎勉、本木雅弘両氏はこのような役では他の追随を許さないだろう。代表作となるような名演技であった。私は感動した。
・ 「親子の情愛」を絡ませながら「人間の尊厳である死での旅立ち」を主題に涙あり笑いありで、昔伊丹万三作品の「お葬式」という映画があったが、それを超えるものだと感じた。家に帰ってもまだ「死体の雰囲気の微粒子」が体にまとわり付いている感じで、さすがにそのまま「夕食」というわけには行かなかった。それだけ映画が良かったということである。風呂に入る。
・ 是非多くの人に見ていただきたい作品でした。詳しくは書きませんが「きっと心に残る映画」となるでしょう。家の大きなテレビでDVDで見るのも悪くはありませんが、映画館でみる迫力と臨場感は違います。
・ それにしても最近の映画館はちょっとしたホテルのラウンジみたいな誂えで椅子も広くて立派です。くつろいで見えるし、何より全館指定席だからその時間に行けば宜しい。立ってみている人など皆無であの「ゆったりとした開放感」が私には丁度良いのである。1000円で3時間、ゆったりと良い映画は「こころのコリをほぐしてくれました」。人間がやさしくなれるような気がするのです。
・ さて連休も終わった。明日は「秋の理事会」である。色々と重要な課題があり、「議長」として立派に運ばなければならない。明日の特徴は理事会、評議員会に「教諭に出席してもらって、報告してもらう」ことだ。何時も管理職だけではなくて時に先生方も経験して欲しいと思って考えたものだ。

2008年9月14日日曜日

9月14日(日)帰り修行

・ 今朝の日経だったと思うが俳優の「仲代達也」さんの記事があり、タイトルは「帰り修行」というものであった。聞いたことのない言葉であるが、その意味はざっと以下のようなものである。
・ 「無名塾」という俳優養成塾を随分前からやっておられるのだが、塾から育った俳優さんには一つのパターンがあるそうだ。ようやく「世に出て」、仕事が次々と舞い込むようになってくると人間の悲しさで「原点」を忘れて「俳優としての基礎基本を忘れる」ようになってくる人がいると書く。
・ 「危なっかしい」と思って、忠告しても耳を貸さずそのうち「行き詰まり」となって消えていく俳優の人たちは結構多いと仲代さんは言う。もう一皮剥ければ「素晴らしい素質が花開いて一段高いところに上がることができる」のだが、現状に満足して、「もう今が限界」いう人もいるらしい。
・ 仲代さんは「昔、売れなくて、食えなくて、それでも頑張っていた時代を思い出すというより、もう一度、舞台の右から左を歩く等の“基礎基本の再修行”などをしたら、今の自分に気が付く」と言われる。それを「帰り修行」と言っておられるのだ。本当に良いことを言っておられる。私は感心した。
・ 「教師の世界も同じではないか」。上記の俳優を教師に置き換えても通じる言葉だ。20年、30年前に教職を得て初めて勤務先の学校に赴任した時のこと、初めて授業に出た日のこと、初めて担任を持たせて貰った時のこと、病気で生徒を亡くした日のこと、教え子の卒業式の日のこと、「年月は人を成長させ、熟成させていく」が、同時に「しわと垢」も身についていく。
・ 教師に成って「研究と工夫と気力」を振り絞り頑張っていた若い時代をもう一度それぞれが考えたら今の自分に気が付くのではないか。「原点に帰る」「初心忘れるべからず」という言葉があるが「帰り修行」はこれらに近い意味だと思う。良い言葉だ。
・ 私は誰かの使った良い言葉をすぐ「自分のものにする」。勿論引用はするが。そのようにすると文章が生きて来ないか。少なくとも躍動感が出る。「他の人生の達人が同じようなことを違った言葉で表現している」のに接すると嬉しくなる。
・ 10月1日付けで期中であるが「専任教諭」に採用することが内定している3人の常勤講師の先生から「2000字論文」の提出があった。じっくり読ませてもらった。立派なものであった。それぞれの個性がやはり文章に出て、「専任になれる喜びと“やるぞ”という気概」が十分伝わるものであった。
・ 何回も読み直し、「採用は間違っていなかった」と確信した。本校は小さい学校法人だ。1中1高の規模であるから教職員の数も150人そこそこで回していかねばならない。学校は規模の大きさではなくて「教育の中身」だ。これは「教員の中身」を意味する。
・ 「山椒は小粒でもピリリと辛い」筋肉質の強靭な体力でなければやってはいけない。一人でも役にたたない教職員を抱えておく余裕は今はない。一人ひとりが前にも書いたが「一騎当千」の武者、女武者であれば厳しい「私学間競争に打ち勝つ」ことは出来る。
・ 文中「覚悟」という言葉や私のメッセージやブログに素直に学んでいる姿勢も「ういういしくて」大変良い。「謙虚に、素直に、明るく」だ。25歳、26歳、27歳の年令だからこれらの先生が65歳の定年までにはまだ40年ある。40年だ。2048年ということになる。どういう時代だろうか。
・ 勿論私はあの世に行ってこの世にはいないが、「採用してくれた木村理事長の名前」だけくらいは忘れないだろう。それで結構だ。しっかりと自分の仕事を大切にして、「自己実現」を図っていかねばならない。「自分の人生を豊かにする」ことは「浪高で良い教師となる」ことが前提ではないか。
・ 内定面談で私は特に「男女関係の注意」と「素晴らしい結婚」をするようアドバイスした。幸い3人とも現在そのような状態ではないと明確に否定していたが「あっという間に考えられない事態に陥るのが人間の常」だ。
・ 加えて特に英語の教師にはTOEICで800点以上を取るようにこれは「指示」として述べた。3人とも素晴らしい本校の若武者として育ってくれるだろう。1年間は試し雇用期間だから「緊張感」を持って頑張って欲しい。
・ 誰を「指導教員」にするかであるがこう次から次と専任教諭を作っていくと指導員の当て嵌めに苦労する。教科の枠を外しても良いのではないか。副校長が判断されるだろう。
ベテランの先生は「悪い影響を与えないで欲しい」と思う。
・ 新しい学校として浪速は平成19年4月にスタートした。まだ伝統は1年と半年だ。「新しい伝統は今の若い教員が作っていく」。「つぶれかかった学校にした責任は誰にあるのか」などとはもう言わない。大切なことは過去ではなくて未来だ。しかし過去は忘れてはならない。
・ そのうち20台、30台、40台、50台、(60台は管理職を除いていない)の年令バランスが絶妙になるだろう。今の最年長者は64歳で来年4月にはご定年だ。その後2年で管理職の中からも定年の方が出てくる。寂しいがこのようにして組織は変わっていくのだ。
・ この循環で世代は変わり、若い人が松明を引き継いでいくのだと思う。丁度「免許更新制度」が来年から本格的にスタートする。教員は常に「帰り修行」の気持ちを忘れてはならないと思う。「新任の先生も帰り修行」を心がけよ。
・ 私自身も「帰り修行」の気持ちを忘れないようにしなければならない。企業社会から学校社会に参入したときのあの気持ち、公立高校時代の成功と失敗、浪速に着任したときの気持ち、忘れられない場面場面での出来事、その過程過程で、様々な教職員との出会いなど、「過去を忘れないことが私の帰り修行」だ。
・ 学校がこのように良い状態に、かくも早くなってきたのは「すべて教職員の理解と協力」であることは間違いない。勿論抵抗があれば徹底的に戦う積りでの赴任であったが「心配するような事態はまったくなかった。」浪速教職員の見識だと思えば私は「いとおしく」なるのだ。
・ このような教職員の為に「私が残せるものは残し」、次の理事長、校長にバトンタッチしていきたい。今回私が造った40歳近く年の離れた若い教員を見るとき「人生の残り」を実感する。私が残せるのは意識が変わり、前向きに頑張ってくれる若い教員だ。今後とも積極的に「教員を作り、育てる覚悟」だ。私はどうも覚悟という言葉が好きみたいだな。

2008年9月13日土曜日

9月13日(土)インター・アクトクラブ

・ 「インターアクトクラブ」を「再編強化」しなければならない。今のままでは世間に「大恥をさらす」ことにもなりかねないと危機感を抱いていた。インターアクトクラブとは年令14歳から18歳までの青少年または高校生のための「奉仕クラブ」のことをいう。
・ インターナショナル・アクションの略で「ロータリークラブの提唱」だ。基本的には二つの奉仕プロジェクトを実施するもので一つは「学校や地域に奉仕」するものと一つは「国際理解を推進するプロジェクト」である。
・ ロータリークラブの提携と提唱によって「継続的に指導」を受け「インターアクトクラブは熱心に協力」することが当然求められる。歴史は古く1962年に米国で創設され世界各地に急速に広がり、今や世界69の国以上に幾多のクラブを擁し会員数も53000名を数えると言う。
・ 本校は国際ロータリー第2660地区、「大阪住吉ロータリークラブの提唱」を受け、その中の「インターアクト委員会」の支援と指導を受けている。高校は本校以外に清風、桐蔭、四天王寺、金光八尾、相愛の6校である。皆錚々たる高等学校・中学校である。「選らばれている幸せ」を感じなければならない。
・ 本校の活動歴史は結構長いのだが調査してみると「活動が活性化」しているとはいえない面があり、今後どうすべきか悩んでいた。特定の個人に偏っていたのである。学校と言うところは奇妙なところがあり、「あれはあの人がやっている」「これはあの人の仕事」となったら、「遠くに身をおき、何も言わない」ところがある。一切口出ししない。だから時と共に力を失う。カナダ語学研修もそうであった。
・ 余程の事態にならないと「病気」に誰も気づかない。固定した人間が取り仕切って何年も立つと「必ず廃れるか、腐敗するか、仮死状態」になるものだ。大分県教員採用汚職も相撲協会騒動も皆その理屈だ。陽が当たらないからカビが生えたり腐ったりしてくる。対策は太陽に当てるように表に出すか、外部の血を入れるか、人を全面的に入れ替えるかだ。
・ 今私は「学校の形つくり」は目途が付いたので「中身の検証と再生」に入っているのだが、最初に槍玉にあがったのがこの「インターアクトクラブ」だ。今のままではやらないほうが良いと、一時は「撤退」まで考えたが、もう一度考えてみようと「テーマに掲げた」のである。
・ 数人の部員で顧問の先生も固定化した二人だけで、正直「お先真っ暗な状態」からどうすれば脱却できるのか。顧問は頑張っているのだろうが「学校全体のものになっていない」から他の支援も無く、活動も活発化していないのをどうすれば良くなるのかがテーマである。大体こういうものは熟成した学校において為されるもので、本校みたいに今「発展途上にある学校」では「10年早い」と言われそうである。
・ 例えば国際理解というプロジェクトで毎年教諭と生徒をすべて「ロータリーの費用持ち」で海外に行かせて貰っているのだが、もう固定化されている。ここ最近でも台湾、シンガポール、タイ、香港、今年がタイと海外研修があったのだが付き添い教諭は女性教諭の二人が「交替」で、それでは負担にもなろう。そして先般ロータリーからも「やんわりと問題提起」されたのである。
・ それで、この二人の顧問教諭に「現状課題と提案」を上申するように指示し、今日が2回目の議論であった。同席は副校長、教頭、英語科のT教諭と顧問の二人である。本日はある程度具体案が出てきて1歩前に進んだ感じがする。「来年は本校が幹事校」で今のところ「来年8月に韓国ソウル3泊4日の計画」を組まねばならない。「大変なこと」なのである。
・ 丁度体制強化には良いタイミングであった。行先の最終決定、旅行会社との打ち合わせ、現地の工程など予算内で計画を組み、また現地で日本文化を紹介する「出し物」など今から準備しなければならない。相当な仕事である。二人だけでは正直無理である。
・ しかし議論をすることはやはり良い。「考えが整理出来てくる」。今日の顧問の資料には本校は神道の学校であり学院神社の拝詞や浪速生活の綱領には「世のため、人にために尽くすこと」と言う言葉がある。そして今の浪速は改革により「国際交流や奉仕活動に真摯に取り組むことの出来る精神性を持つ生徒が増えている」と論じている。これらの文章には参った。
・ 以上のようなO教諭がまとめた「浪速高校インターアクトクラブの理念」の文章はそのまま使える立派なもので「私の琴線」に「ビビッ」と触れた。やはりこの先生の頭脳は明晰な部分がある。「今西の蛍雪」と謳われる愛媛県立トップ校の今治西高から関学、そして全日空に入社し、やはり教師になりたいと転じた英語遣いだ。優秀なキャリアである。「私の覚悟」は決まった。「再生」することを決めた。「O教諭の文章が私の背中を押した」のである。何時もこのようであって欲しいものだ。
・ 「浪速高校インターアクトクラブを体制強化してレベルを上げる」ことを校長として決意した。早速生指担当教頭を呼び「本校のインターアクト担当管理職」を委嘱し、来年度の幹事校として齟齬のないように進めるよう指示した。来年は団長として韓国に行ってもらう積りだ。彼ならやってくれるだろう。
・ ロータリーの窓口とし月度1回くらいは金曜日の例会にも参加してもらう。顧問の先生をもっと増やし、学校の全ての「先生に機会」を与え、「生徒にも機会の拡大」を考えるべきだ。優秀な生徒は「学校費用を補填してでも海外に出してやりたい」と私は考えている。「神社奉仕」もやっている学校だ。「筋は通っている」。
・ 活動も例えば何時もお世話様になっている我孫子駅と我孫子前駅くらいは月に一度「清掃奉仕」に行くくらいでなければならないと感じるが、この教頭先生も同じ意見であった。「人のため世のために尽くすことの具体的な行動」をロータリークラブと言う素晴らしい組織があるのだから、そこと連携して「教育活動の大きな柱」として育てていけばもう本校には「もう一本の軸」が出来そうだ。
「学校のアイデンティティに奉仕」を加えたい。「世のため人のために尽くすことの大切さを生徒に教える」のだ。こう考えると「嬉しくなってきた。」そのためには具体的行動を取る必要がある。それがインターアクトクラブだ。このクラブは「通常のクラブと同列ではなくてその上に位置づけたら良い」。言い換えれば「全ての本校のクラブはインターアクトクラブの一員」と言うことである。                            
・ 英語科はもっと全面に出て頑張って欲しい。最も人数も多く、単なる英語と言う語学を教えているのみではなくて外国語を教えながら文化を教えているという思いもあるだろう。「カナダの語学研修も体制強化と見直しが必要」だ。今答申を待っている。
・ 芸術芸能鑑賞会、浪速祭、学年集会、中学校体育祭、高校陸上競技大会、実力試験、職員会議、なんでもかんでも一度「棚卸し」して「良いものは残し、古くなったもの、カビの生えたもの、腐りかかっているもの、弱いものは見直す」ことが大切である。「これが改革」ということである。
・ 改革とは『難しいことではない』。常に新鮮さをキープする。効果を測定する。全員参加になっているか。等々を考えることから「やるべきものが見えてくる。」
・ 早速今日の議論を踏まえて資料を用意し、「職員会議で報告」するよう指示した。そして住吉ロータリーの「例会」に出て「本校の方針」を報告するようにもお願いした。来年のクラブは「雅楽部」が良いのではないか。しかし韓国ソウルの高校で「雅楽演奏」は「靖国神社」を思い起こさせて「ちょっと、まずいかな?」。

2008年9月12日金曜日

9月12日(金)資料の作り方

・ 企業社員で、それも「総合職の社員」において最も大切なことは「書類・文書の作り方」だ。「報告書」「企画書」「起案書」「提案書」等々様々であるがいずれの場合も極めて重要である。勿論「私信」もそのうちに入る。「同じことは教員にも当てはまる」のではないか。
・ 「出来よう」によっては「出世に大きく影響」する。「あいつは中々考えている。」「面白い提案だ」「いいことを言う」などと評価が固まれば、サラリーマンにとっては「出世の糸口」だ。「なんだ、このレポートは誰が書いたのか」「何を言いたいんだ、この資料は!」などと上司に言われようでもすれば、失地回復に相当のエネルギーが必要となる。
・ 極端に言えば中身は無くとも上手く書くのに越したことはない。「センス」だ。「書いたもので勝負の世界」であり、そういう意味では小説家やエッセイストと変わりはしない。自分の考え、意思、問題意識を伝えるには「書いたもの」が最も効果的だ。「一遍の文章で人や組織は変わる」ものだ。
・ この資料で何を言いたいのか。聞いてくれる人、読んでくれる人の心に「ズーンと響くような資料や形つくり」に手を抜いてはならない。組織人として極めて重要な視点だ。大体教員は試験問題は上手く作るが、概して資料作りは下手だ。ここは私企業と言っても良い私立学校である。「教員も資料つくりが重要」なことは言うまでもない。今やただ教えておれば良いという時代ではない。特に私学だ。全員が一騎当千でなければならない。
・ 書いたものでないと「まず残らない」し、残らないと「歴史にはならない」。後で「ああ、言った」とか「そうではなかった」とか混乱の元だ。会話でも意思は伝えることができるが、「会話録」を作っていないと後後大きな問題となる可能性が出てくる。
・ だから国や地方の自治体など行政や議会も「会話録」は公文書として確実に残される。本校でも時に「会話録」は取ることがある。それは微妙な問題で校長が教員から「ヒヤリングする場合」にあらかじめ了解を得て会話録をテープに取ることは常にある。テレビでは府教委に盗聴マイクが仕掛けられていたという。明日、私の部屋もチェックしよう。
・ 橋下知事みたいに「隠し撮り」はしない。大体「覆面記録」は陰湿ではないか。私は堂々と理解を得てテープレコーダーに記録する。そして場合によっては「テープ起こし」して文書に残すが法的には「肉声の入ったテープ」が証拠書類となる。
・ 話を元にもどそう。教員はもう少し「レポート類の書き方」を訓練しなければならない。特に私には目に付く。管理職もそうだが、経験の無さからくる無知なことと訓練不足、それが結果として「センスの無さ」に結びついている。
・ 「書くことは考え方の整理」であり、時に今まで気づかなかったことに気づいたりする。書くためには「他を勉強」しなければならない。「数枚のレポートに書いた人の全てが現れる」ものだ。
・ 教員採用においては本校では「2000字の論文提出」をお願いしている。この2000字にその方の全てが現れるものだ。「ベースとなる教養、蓄積、ボキャブラリーの豊かさ、表現力、物事の見方、考え方」が完全に出る。
・ 「本校ホームページの木村智彦の言葉」を題材に「教育論や教育観」などをまとめてもらっているのだが、例えば校長日記のどの部分に影響されたかなどでもその先生の性格などが一発で私には分かる。
・ 分掌部長、類長クラスでも下手だ。しかしさすがに教職だけあって「一度注意すれば」2回目は見事に変わる。これも教員の面白いところだ。進路指導部長は最初全くダメであったが最近は殆ど手直しが無くなった。最初は元の原稿がなくなるくらい変更した。
・ 中学の教務部長は最近厳しく指導した。まず全国学力調査のまとめの仕方と「習熟度授業の諮問答申資料」だ。机を叩いて指導したが時間を置いて2回目は私が感心するくらい立派な資料であった。納得せざるを得ない説得力のある『立派なまとめ方』であった。
・ 英語科のI教諭には他校との比較表を作ってもらったが2回目でパスした。彼は「要領が良い」。しかしこれは「特技だから気にする必要はない。」数学科のO教諭は最近「晴れ舞台」があって資料から発表まで直接指導しようやく形ができた。個性はあって良い。評判が良かった。
・ 一昨日はこれまた大きな声で指導した。まずけしからんのは資料が途中で抜けていたり、日付けがないような資料を持って忙しい私の時間を無駄に取らせることだ。資料の日付けと文責者の名前のない資料は「誕生日も無い無国籍資料」で読む気になどなれない。『とんでもない話』だ。
・ 事務室でも事務長は才がある。中々上手い。しかし「べた書きする癖」があるから自分には分かっても「初めて見る人間にはよく分からない」ところがある。銀行出身だからワザと分からないように書いているのかも知れない。
・ ところが同じ事務のM主査は極めて優秀なのだが決して資料作りは上手いとは言えない。これなど会計計算ばかりでレポートをまとめると言う訓練をしていなからだ。今徹底的に私は彼を鍛えている。
・ 入試広報室の面々は概して上手い。これは「訓練の成果」だろう。特にO教諭は「理事長の考えを想像しながら作ってくる」ところが巧妙だが、これは重要なことで、広報みたいに外部に発信する資料は勝手に個人の思いで出されては困るからだ。この先生は「いわゆるセンスがある」のだ。
・ 2学期制のチーム報告のときは「ひやひや」したがチーム長が数日かけて手直ししたのだろう。最後の形は「立派」であった。もし駄目なものを私の目の前に見せたら「資料が吹っ飛んでいただろう」。「1年もかけてこの程度か?!」と。
・ 校長日記、校長公式メッセージなど「いい加減に書いているのではない」。書いたものに責任を持ち、私の考えを広く内外に伝えることが「学校長の説明責任」である。教職員の心の臓にガーンと届くブログを心して書いている。早速昨日のブログで「関西大學との連携」の問い合わせに入試広報室の電話が鳴りっ放しと聞く。
・ 資料の書き方・作り方は極めて本校では重要な評価アイテムと心得よ。「真剣勝負」と考えねばならない。簡単な話だ。「5W1H」「起承転結」「論理を補足する客観的な証拠等」。要は求められたものになっているかどうかだ。検討違いは逆にマイナスとなる。「心してかかるべき」である。

2008年9月11日木曜日

9月11日(木)9・11職員会議

・ 今日は「9.11」だ。あれから7年になるのか。「あのテロ事件の異常さ悲惨さ」とは別に私にとっても忘れられない日である。7年前の9月1日、私はニューヨーク経由でブラジルに長期出張する時であった。飛行機が2機WTCビルに突っ込んでいく、あのテレビの画面は今でも目に焼きついている。
・ 結局NYに入らずアトランタから乗り継いでサンパウロに入って行った。3ヵ月後帰国の時には無理をしてNYに飛び、あのビルのそばに佇んだ。建物は完全に取り払われていたが土煙と蒸気が立ち上っているのが目に焼きついている。若い頃ニューヨークに駐在しワールドトレードセンターには日本からの出張者をお連れして良く行ったものだ。
・ そしてブラジル滞在中に正式に「大阪府最初の民間人校長」として市内の伝統ある進学校に赴任することが正式に決まった。日本への帰国は、寒い雨が降る12月24日のクリスマスイブであった。
・ 成田からそのまま関空に飛んで翌日の25日府教委での記者会見に臨み、テレビカメラに囲まれたあの日から、色々なことがあり7年経った。そして今浪速にいるのだ。私にとってはこの9月11日は決して忘れられない日なのである。
・ 今日は「職員会議」の日。重要な項目があった。まず「明年1月1日から敷地内全面禁煙移行」について動議が用意され常勤講師以上で賛否を取る。結果は「有効投票総数86票で賛成82票、反対0票、保留4票」となった。これで「結論が出た」。
・ 私からは教職員の理解に対して感謝の言葉と喫煙者には「思い入れ」を持って慰めると言うか協力を願った。もう学校と言う場所で「禁煙は議論を超えたところ」であることは皆分かっている。昔私もヘビーな喫煙者だったから分かるのだが、もう限界である。「諦めなければならない。」
・ しかし管理職5名のうち4名が喫煙者でそれも相当なヘビーだから「どうするのだろう」と思ってしまう。だれも禁煙しようとは言い出さなかった。一般教員は3人も禁煙に成功したというのに。もう年も取ってるし「今更止める気などないのだろう」が、1月1日以降は絶対許さない。当たり前だ。「何のための管理職か」と私は厳しく迫る。
・ 10月1日付けで「3人の常勤講師の先生を専任教諭として採用」することを内定し、今日校内に発表した。いずれもそれぞれのキャリアがあり、様々な意見があったが「本校と運命を共にする覚悟」を確認し「今後の努力」を約束してくれたので期中であったが採用を決めた。65歳まで健康で「素晴らしい浪速の先生」として育ってくれることを願うばかりだ。
・ 本年4月に契約した常勤講師の先生方にも頑張って欲しいと願う。「粒が揃っている」とは大方の管理職先生や分掌長などの意見である。楽しみである。「緊張感」を持って仕事をしなければならない。しかしながら本校の目指す方向とご自分の教育観や生き方スタイルが異なると思ったら。早く本校を去って「自分に合った学校」を探すことだ。人生を無駄にしてはいけない。
・ 朝から「ホームページの校長公式メッセージ」について広報情報委員会、女性の常勤講師のY先生が対応してくれた。元来は「専任の男性教諭の担当」であったのだが、体を壊して休んでいるから、急遽彼女に回ってきたのだろう。この先生とは初めての仕事であったが「中々根性がありそうだ。」立派である。今日一日私との仕事で相当経験をした筈だ。それにしても「男は弱い」。専任に引き上げても「体調をすぐ壊す」。これには参った。2名連続だ。
・ 「関西大学との連携」について正式に外部発表した旨全員に伝え、「問答」についてサジェッションを与えた。朝から塾関係者から「問い合わせ」の電話がじゃんじゃん鳴っているらしい。あわせて「関大インテンシブコース」について来年からスタートする旨徹底した。「関西大学に行きたいと頑張る生徒」を多く育てていかねばならない。
・ 「10月の中学校体育祭の準備」に抜かりのないよう「更に徹底して指示した」。これは単なる中学校の運動会ではなくて「浪速中学校の存在」を世に知らしめる戦略もある。公立中学校が橋下知事と府教委と市町村教育委員会とで「全国学力調査結果の開示」をめぐってバトルをしている最中に「公立中学から私立中学へ生徒を呼び込む絶好の機会」と考えよとまで説明した。
・ 最後は「残業時間管理の問題」だ。職員会議から職員集会に切り替えて私から基調の説明をした。もう何回もブログなどに書いているので職員は分かっているが、最後の説明をした。その後事務長が用意した資料で考え方、手順などについて丁寧に説明したのである。事務長も大変だったろう。
・ その後職員代表の教諭がこの「テーマの捉え方」を個人として説明し、今後の手順について説明があった。これで1月以降進めてきた一連の「極めて大きな課題」は「新たな局面に入る」時間をかけてじっくりと進めてきたが「如何に日常管理が大切か」を私は痛感した。
・ 同時に「私の先見性」についても自負できるとも思った。すべては「教職員に個人パソコンを手渡した」時から始まったのである。今考えてもこれは「凄いことだった」のである。これがあればこそメールシステムが完成し、「イントラネットで勤務管理が可能となった」のである。付いてきて、ここまで持ってきてくれた事務室ならびに担当O教諭を評価したいと思う。
・ 最後に「嬉しい話」として大阪府神社庁が「200万円寄付」してくれることを皆に披露した。明日事務長が私の感謝状を持って「小切手」を受け取りに行く。「浪速の先生方が頑張ってくれているから、神社庁の気持ちです」と言われるのだ。「嬉しいではないか」。先生方はこういう学校に勤務しており「誇り」を持って頑張ってくださいと私は述べて職員集会を閉めた。
「今日の9・11職員会議は極めてエポックなもの」で新たな出発を確認できた日であった。早速校務員さんが正門に「来年1月1日以降の敷地内全面禁煙の予知予告看板」をつけていた。手回しが良い。

2008年9月10日水曜日

9月10日(水)21年度塾長様対象入試説明会

・ 今日は「21年度塾長様対象の入試説明会」であった。少しだけ秋の気配を感じる9月のこの日に毎年「堺市のロイヤルホテル」で実施することが恒例となっている。この場所が本校にとっては「位置的に最適」なのである。本校生徒の居住地の主体は堺泉州地域と大阪市南部であり、丁度中間に位置し、アクセスが大変に便利だからである。それに施設設備も立派だ。汚らしいところでは出来ない。
・ 昨年は1回目が6月26日、2回目が9月19日であった。直ぐ分かるのは「校長日記」に、すべて当日私が喋ったことなど詳細に記録されているからである。今年は1回限りとし、本日がそれだ。
・ 1回に合理化した理由は6月と9月ではその間隔も空いていなく、出席いただく塾長様も同じ顔ぶれで「お時間を2回も取って頂いては申し訳ない」ということで今年から9月の1回にした。
・ その代わり、資料や説明する内容は「十分に吟味」し、会場設営なども「雰囲気を盛り上げる」ように工夫したものだ。昨年実験的に行い好評だったので今年は更に「時間を大切に」するコンセプトで式次第を入試広報室がまとめてくれている。待ち時間には「先のテレビのガクナビ」などもビデオを流した。
・ 昨年は昼食時にかかるので「ブッフェスタイル」のランチをご用意したが塾の先生方、お忙しくて料理が多く余ったが、それでも「昼時だからご用意しないわけには行かない」。それが礼儀だ。このロイヤルホテルの味は中々いけるもので今年は強くお誘いしたから先生方には残って頂き、その席でも色々なお話が聞けた。
・ 会場借用の費用は大したことはない。それに「昼食料理代」などは「予算化」しており全く問題ない。わざわざ塾の先生方お忙しい中をお脚を運んで頂くからには「学校の誠意」を見せなければならない。塾長様には「誠意で対応」、それが「浪速流」だ。「入試広報室は大変よくやってくれた」。
・ 昨年の6月の私の話のタイトルは「浪速が変わる、浪速で変わる」で、2回目の9月は「塾と学校の連携プレー」でお話した。今見ても間違いはない。自信を持って言える。今年は学校ホームページの「公式メッセージ」にそのうちアップされると思うが「大学との連繋」を主題とした。
・ 今回の目玉は初めて公式に「関西大学との連繋」を公に発表したことだ。ただ他の私立高校のように大々的に「記者会見」などして発表する気は当初からなかった。この塾長様対象の説明会で始めて公式にお話しようと考えていたからである。
・ 理由は他校と同じようにはしたくなかったし、デパートの売り出しみたいに電車の中の吊り下げ広告やスーパーの安売り新聞チラシのようで嫌だったからである。実際問題、進路指導は塾の先生が主体でなされており、形は中学校の進路指導部が最後は出てくるが、それは年明けの大詰めの時で、そのときには「あらかた勝負がついている」のが実態だ。そのような訳で私は「本日まず塾長にオープン」にしたのである。
・ とにかくこのブログにおいても何回も言及しているが今や「私立高校と大学との連携というか接続」は「ブーム現象」となっている。しかしこれは注視してみると「一つの特徴」があり、一言で言えば「経営難の高校」に偏っていることは明らかであった。
・ 即ち「生徒募集に困難を来たしている学校、そうなりそうな私立高校」がまず考えることは「何処かの大学と引っ付く」ことであったのである。大学側も少子化の中で「生徒の囲い込み」は焦眉の急で、今や小学校、中学校まで系列化するか、自前で作るかしかない。
・ 自前で高校を作るのは「口で言うほど簡単ではない」から、今厳然と存在してある高校が「擦り寄ってくれば」これほど嬉しいことはないはずで、「にんまり」と頬が緩む大学関係者の顔が想像できる。
・ 北のほうの学校は今度東京の有名な大学の「なんとか校」になるという話であるがその大学は「一銭も出さず、ただ大学の名前を頭に付けることを許す」だけらしい。うわさであるが、それにしても「大学関係者は厳しい」。「さすがに大学だ。高校とは違う」。これなど強い大学だから成せる業で全てがこうではないと思うが。
・ 本校の近隣の高校は経営者の不祥事から経営難になったという話で、もう一つの高校は今や生徒が来なくなったということで、この夏前に一つは「立命館大学」もう一つは「近畿大学」の名前を冠につけることとなった。
・ 先には啓光学園が大阪工業大学入りしたし、ここも生徒募集に困難を来たし、学校法人が身売りしたのだと世間では言われている。このように考えてみるとやはり「大学は強い」のであって、私立高校は相対的に「基盤は弱い」と考えなければならない。
・ 系列高校を有する大学法人は今や多くなっており、短大も含めれば圧倒的な数になる。「独立派」と言われているところは稀少である。本校は間違いなく「独立派」だ。私が良く会いに行く上本町にある学園もそうだが、「独立派の特徴は相対的に強い高校」である。
・ たとえば「星光学院」などは独立独歩で幾らでも優秀な生徒を集められるし、広報活動などしなくても大丈夫な学校である。神戸の「灘高校」などもそうだ。こういうところは「大学などなくても問題はない」。なくても東大や京大に何人も送り込める生徒を毎年集まられる学校だからで、このような高校は「大学との接続」など関係ないのだ。
・ 本校は独立派であり、昨年来の改革で「強い高校への仲間入り」の1歩手前まで来た。東大に合格者を出し、国公立大学へも倍増させた。難関私学も数が大幅に増えた。この4月の高校入学者数は620名と府内トップレベルの極めて高い数値を示した。
・ その結果「財務内容はV字回復を果たし」、「新校舎建設」を目指して教職員は目の色を変えて頑張ってくれている。しかし私の深層心理では「先行きにまだ不安を感じている」ことは疑いようもない。「私は心配性」なのである。今回の大学との連携は「本校の将来の保険」である。
・ こういっては失礼かも知れないが「経営難とは無縁の強い高校」であると自負している。その道筋を力強く歩んでいると言っても過言ではない。「強い高校と強い大学」の連携の絵を描いた先の大学が「関西大学」である。「素晴らしい日本を代表する大学」であり、どのような形とするか最終的に話を詰めているところである。今日の塾長様説明会ではその辺のところを少しお話したのだ。「今日もまた祈念すべき日」となった。