2008年6月30日月曜日

6月30日(月)府の採用試験

大阪府職員採用給与減で?受験者半減
・ 平成20年度の大阪府職員採用試験(大卒程度)が29日に府立大学のなかもずキャンパスで行われたとある。何と今年の受験者は平成11年以降最も少なく、772人だったという。
・ 採用予定者数は19年度のほぼ半数の75人程度とあるから、結果としては相変わらず「高い倍率」だと思うが、減りこみ数値が少し大きいのでこんな記事になったのだろう。5月に開いた採用セミナーではわざわざ橋下知事が出席して「声援」した時に申込者は1420人とあったのに実際に試験に来たのは半数となった。
・ これは知事が推し進める改革で教職員の給与を平均で11.9%カットされそうなことが「影響した?」と記事にはあるが、そうではあるまい。府の人事委員会は大幅な減少について「大阪市や堺市と試験日程が重なったことや民間の新卒採用が好調なため」とコメントしたらしい。
・ しかし私はこの記事やコメントは少し違うのではないかと思う。確かに民間は十周年ぶりに「初任給」を上げたりし、少子化の中で「採用は積極的」である。これは大きな因子と言える。しかし今日の若者は誰も給料など最初の条件には持ってこないと思う。
・ 要は公務員が「働き甲斐のある職場」かどうかが問われ始めてきたのである。財務省など中央省庁でもキャリアが民間や海外に流れる傾向が出てきたといわれる。国民サービスや府民サービスという「全体の奉仕者という行為」について「むなしく」感じ始めているのだと思う。
・ 公務員は全体の奉仕者で「憲法15条に規定されているごとく公正中立で最大の能力を発揮するよう定められており」、「スケールの大きい仕事」が特徴である。民間などの「車のセールスとか住宅販売とか高島屋勤務とか」とは根本的に異なる。財務省などの役人は国の予算を動かすのだし、大阪府も何億円という大きな予算の執行という事業がある。
・ しかしながら国も地方も財政はパンク状態で「国民府民を幸せにする新しい事業」など提案さえ許されない時代となってきた。逆に「廃止やシュリンク」の話しばかりだ。「偉そうには出来ず」、頭ばかりぺこぺこ下げる職業は嫌だと思い初めているのかもしれない。
・ まして橋下知事は「道州制」を頭に市町村に権限委譲をすると言っており、そうなればますます拍車がかかることになろう。夕張市の職員は「辛く悲しい事態」で職場を去って行った。全国どの自治体も今後給与が上がることはまずない。「下がる一方」だと思う。「人員も削減される方向」だから今のところ良いことは何もない感じだ。
・ したがって公務員を目指すのはやはり「覚悟と心構え」が必要だと思う。表現は悪いが民間と違って「おおざっぱな、ある面いい加減」な仕事は出来ないのだ。すべて「税金だから」である。すべては法律、条例で決められており「裁量の範囲」は基本的にない。
・ 民間は刑法民法を守ってさえおれば後は大体「裁量の範囲」である。教員も公立と私立では全然異なる。公立の教員は処遇はすべて「条例」で決められるが私立は「理事会の決定事項」だ。言ってみれば臨機応変、柔軟に対応可能であるが地方公務員は「議会」を経なければならない。
・ 民間企業人気で言えば相変わらず男子文系は三菱商事、三井住友銀行、東京三菱UFJ,男子理系では松下、日立、NTT、文系女子ではANA,JTBなどがある。昔も今も変わらない構図だ。
・ 日本の大学生の傾向はまず「楽しく働きたい」次が「大手企業志向」そして「暗い、きつい仕事を敬遠」最後に「自分のやりたい仕事が出来る会社」と来るらしいが、自分のやりたい仕事が最初からある訳がない。何にも分からない奴に任せられる仕事があるほど企業は甘くはない。景気の良いときは民間企業に、景気が悪くなったら公務員にというのが傾向だが少しずつ変化の兆しが現れてきていないか。
・ やはり「やりがいのある仕事」「自己を実現させてくれる仕事」「大きな組織の中でも自由度の高い仕事」等が若者の思いなのかなと思う。大企業の良いところは安定しているということもあるが、それよりも「個人裁量の範囲がある程度あり「企業文化の民度が高くて自由度がある」ということだと私は考えている。
・ アメリカでは最近人気就職先は「NGOとか社会貢献団体」が来ており日本の若者と少し異なる。しかし傾向としては「人のために役に立つ」という実感が得られる仕事が大きな位置を占めて来ている。これは重要は視点である。金ではなくて「やりがい」というのだ。
・ そういう視点の中で「教職員の仕事」は間違いなく人の為に役立つ、「やりがいのある素晴らしい、生涯をかけても惜しくはない仕事」だと私は思うのだ。次世代を担う若い世代を「教育訓練する」楽しみは何事にも変えがたい。このことを喜びだと思う人間は教員となる必要条件はパスしている。
・ しかし問題はこれからだ。「威張らず、頭を低く」、生徒の為に自分の時間を如何に投入できるかが問われているのだ。「教員は生涯勉強」だ。まず「生徒が好きでなければならない。」自分は子ども好きか否か、自分の内心を直視しながら自分の将来設計を考えて欲しいと思う。「教員ほど男女に差がなく共同参画の場はない」。誇りを持って意識を高めることが今求められている。

2008年6月28日土曜日

6月28日(土)大久保利通

・ 文部科学省国立教育研修所が全国の「小学6年生の社会科の学力調査結果」を27日に発表した。各紙が報じている。興味あるのは学習指導要領で例示した「歴史上の人物42人について名前と業績が一致するかどうか」の調査結果だ。
・ 読売などは「大久保利通、76%わからず」が見出しである。木戸孝允、大隈重信も30%未満、大久保と並ぶ西郷隆盛は50%、伊藤博文40%と幕末から明治にかけて活躍した人物は軒並み「知られていない」と言う結果だ。何故か福沢諭吉だけは群を抜いて89%だから、福沢先生はさぞかし草葉の陰で喜んでいるだろう。
・ 「今日の日本の官僚制度の形」を明治時代に創設した大久保利通はこの結果をどのように思っているのか興味あるところだ。「残念」などと思っていないかもしれない。「分からぬ人間にはそれでもよか」と言っているかも知れない。
・ 明治維新の立役者は多くいると思うが前半戦は坂本竜馬と西郷隆盛、後半の舞台は間違いなく大久保利通と伊藤博文だ。中でも私はこの「大久保利通と言う人物を好む」。
・ 今NHKの「篤姫」に頻繁に出てくるあの「大久保正助」だ。明治3傑の一人と言われ、徴兵制度や富国強兵制度等を矢継ぎ早に定めていき、内務官僚の元祖中の元祖だ。おしゃれで頭には「ポマード」を付け、故郷である「指宿産の煙草」を愛し、かなりのヘビースモーカーだったという。指宿はこの前中学校の修学旅行で行ったところだ。
・ 竹馬の友、「西郷隆盛」を死に追いやり、西郷没の翌年「紀尾井坂の変」として知られるように6人の維新浪人の手にかかって「暗殺」された人物だ。大西郷の人気は高いが鹿児島県では西郷を責め、薩摩を攻めたとすこぶる人気は悪く、墓は故郷にはなく東京だという。しかし「利権」とは全く関係なく、死後膨大な借金があることに驚いた明治政府は遺族のために特段の配慮をしたとあるから「清廉潔白、本物の政治家」だったと思う。
・ 「堅忍不抜」の言葉を好んだという。私にとっても自戒の言葉だ。「どんな苦労や困難にも耐え忍び、心を変節せず意思を貫き通す」という意味だと思うが、維新後の政治の構築に命をかけて突き進み、凶刃に倒れた大久保らしさを表現する格好の四字熟語だと思う。
・ それにしてもNHKテレビの「篤姫」は面白い。ドラマを見るのは大体NHKの大河ドラマだけなのだが、これには理由があって夜8時からというのが私には丁度良い。9時からの2時間ドラマは「体が持たない」、大体寝てしまう。
・ 先週6月23日のものは特に「見ごたえ」があった。あの大久保正助を演じているのは「原田泰造というお笑い芸人」と言うが「素晴らしい演技」だ。親友西郷が江戸で活躍し、自分は時代の変革期に活躍する場所がなく「悶々」としていたところに吉之助は盟友のために声をかける。
・ 父母は喜ぶ正助のために新しい着物を用意して送り出すのだが、訪問した熊本藩の重職の家で、挨拶の後、大事な場面で「席を外すよう」いわれた時のあの演技だ。それでも、気持ちを抑え屈辱に耐え、家に帰った大久保はこぶしを口にくわえ目を見開き、ある決意を母に搾り出す。「おいは今日から鬼になりもうす」。
・ その母の言葉が又良い。真野響子演ずる母は、(薩摩言葉は間違っているかも知れないが)、「ほいなら、私も鬼の母になりもんそ」。良い場面だったな。世の母はああでなくてはならない。
・ 大体、西郷がけしからん。「こいはおいの友で、同席ば許してやってもんせ」と言うのが真の友だ。友人として声をかけ、連れてきたまでは大出来だが、最後の最後で友を悲しませた。あのシーンでは西郷は一瞬勝ち誇ったような顔をしていた。あの俳優も悪くはない。
・ 原田泰三、大体あの役者の顔は現存している「大久保利通の写真と瓜二つ」だ。だからキャスティングされたのかも知れないが、これから大久保正助は変わっていくのだろう。テレビはそれを暗示していた。
・ 島津斉彬に重用された西郷はその後失脚し、後の藩主島津久光に謹慎を命じられる。今度は「大久保が重用され始める」のだ。話しによれば「囲碁」を通じて久光に近づいたというがそのようなことでは世には出れまい。ドラマは幕末に向けてますます佳境に入っていくことになる。「絶対、このテレビは見過ごすまい」。
・ それにしても喜劇俳優やお笑い芸人は良い演技をする。何時も感じてしまう。何故だろうと考えてしまう。その答えがまだみつからないが、「下積み時代の苦労」が「人間の幅を拡げている」のではないか。私はそのように思ってしまうのだ。「苦労した人間が、そして我慢した人間が、加えて志を持った人間」が「何時かはチャンスをものにする」ものだ。
・ 秋葉原の連続殺人事件の犯人は両親も揃い、県内トップの進学校を卒業し、短大まで出て一応派遣会社とは言え職はあり、食べていけるだけの環境はあったわけで、能力は十分にこの世の中を生きていける環境にはあった筈だ。「彼女いない、これだけで人間失格」などとうそぶいて、自分の弱点弱みをさらけ出し、社会に憤懣をぶつけて何が解決するのかと言いたい。
・ 社会的弱者を訴え、遂には「切れて」考えられないような行動に走る人間が多くなった。大久保利通ではないが「堅忍不抜」だろうと言いたい。余りにも「我慢する」「耐える」ことに今日の一部の人々は気持ちがいっていない。学校の生徒にも若い教員にも最近は特にそのような面がある。
・ 何かあった時に「我慢が出来ない」のだ。1分、1日我慢すれば憤懣や嫉妬、反撃、の気持ちなど揮発蒸発低落すると思うのだが、それを我慢出来なくて強制的に「すぐに発散させる」ような気がする。今私は「心身を強くする」ために何をどのようにするのか深く考えをめぐらせている。
・ 間違いなく「スポーツをやる生徒」は相対的に「我慢、耐えることを訓練」で日常生活のなかで身につけている。例えば本校の野球部で言えば120名を超える部員数だが、もうすぐ夏の甲子園予選が始まるがベンチにはいれるのは15名程度だ。それでも多くの部員は声を出して団体の中で声を出して練習に励んでいる。
・ あの中には遂にレギュラーになれず、ベンチに入れず、悔しい思いをしている大久保正助みたいなこぶしを口にくわえ「耐えて」いるのもいるだろうと思えば、私は生徒がいとおしくなってくるのだ。真の意味の教育と人間の成長とは「耐える、我慢する、努力する、志を持つ」、こういうことかと最近つくづくと感じる。明日のテレビが楽しみだ。

2008年6月27日金曜日

6月27日(金)その2:耐震化陳情

橋下知事東京に出張
・ 「大阪維新プログラム」を発表し、後は7月府議会を待つだけになった知事は2泊3日の予定で東京に出張だ。自民党の「行政の無駄を省く検討チーム」に呼ばれ講演の後、各大臣を回り、いわゆる「陳情」攻勢をかけているが。
・ 昨日は文部科学副大臣である大阪府選出の松浪健四郎氏に会って「公立高校の耐震化」について陳情したとある。松浪氏といえばあの「ちょんまげ国会議員」だ。話しはそれるが時々大阪でもちょんまげ氏を見かけるがどうも「暑苦しい」感じがする。何でちょんまげなのだろう。僕は「天然パーマ」だしもう面倒くさくて「坊主頭」にしたいくらいだ。
・ 知事は「府の財政が厳しく国の財源に頼らないと進まない」と支援を求めたが、副大臣はおそらくリップサービスだと思うが「補正予算を組めるか検討する必要がある」と応えたとある。分かり易く言えば「ゼロ回答」だ。
・ 改正教育基本法を受けて教育振興計画に盛り込む「教職員の増大」も文科省の張りきりに財務省や総務省から「反故」にされかかっており、大阪府だけではなくて全国の公立高校に波及する話しであるから、ちょんまげ副大臣くらいで進む話ではない。
・ 問題は私学についてである。「私学については経営者の責任で耐震化を進めるよう知事から呼びかけて欲しい」と副大臣は言ったそうだ。「私学に対する国の姿勢」はこれだ。本校の教職員は理解しなければならない。前にも書いたが誰も助けては呉れないのだ。
・ 昨日の職員会議後の集会で私はそのことを訴えた。18日に施行された「改正地震防災対策特別措置法」に基づき、公立の幼稚園、小学校、中学校の耐震化は自治体の費用負担が1/2から1/3に軽減されたが「公立高校や私立高校は対象外」となっている。
・ 大阪市に検討を依頼していた校地隣りの霊園墓地の調整については結論が出た。30メーター以上の「高層の建物」はやはり日照権の関係で不可能と結論が出た。「針の穴でも可能性」はないとのことで「方針変更」を新校舎建設チーム長に伝えた。
・ 現在のプール地に4階程度の建物にして柔道場、剣道場、空手道場、ボクシングジム、を集約し、屋上にプールを配置する案を考え、弓道場は別の場所を考えるように指示した。聞くところによれば「贅沢極まりない」案がでているというがけしからん、「現状と比較して、ぎりぎりの線」で案をまとめ、それを図面にする段取りとした。
・ そして平成26年度までの「教室数のシミュレーション」を行い、順序立てて校舎を建設していく「最善の方法、最小のコスト」とした概念をまとめるよう指示した。校舎建設完了は平成25年10月とし、後ろから遡って「工程」を考えて欲しいと。
・ 耐震化に関わって少し「風雲急を告げてきた」感じがする。昨日も教職員に言ったが「皆の力で新校舎を建てる。誰の力も不要だ。自らの力を結集してお金を貯めて自力でやるのだ。」と私は強調した。
・ そのことが21世紀に輝く浪速の基盤であり教職員の職場を確保する唯一絶対の方法だと強調した。分かってくれたと思う。

6月27日(金)その1:腐敗と格差と貧困

 昨日は故椋本彦之氏の葬儀告別式の日に当たり「喪に服し」、また職員会議後の職員集会で教職員に「重要な理解と協力」をお願いした事もあり、「校長日記」は休みとした。書きたい気がしなかったのである。さて一夜明けた。元気を出して書いて行こう。
・ この国は今壊れつつあるのか?暗澹たる気分になる。25日の読売など読むに耐えない。読売が悪いというのではない。書かれている内容が酷いと言っている。もっとも今日だけではなくて、何時もの事なのだが、私の感覚では「バブルを境に日本と日本人は大きく変わってきている」ということだ。
・ ざっと上げてみよう。「NOVA積立金猿橋忘年会にも流用、不透明な資金繰り“暴走”、「うなぎ偽装口止め料1000万円」「飛騨牛ごまかし」「シャブシャブ肉使いまわし」「硫化水素で元交際相手死亡、殺人容疑で女逮捕」とある。
・ 更に「霞ヶ関で悪しき慣習、居酒屋タクシー、現金商品券5年間で200万円」「出会い系サイト業者7000万円脱税」「大阪駅通り魔大山容疑者“いらいらして切った”「京都産大生、フィレンツエ世界遺産に落書き」、まだまだ続く。
・ 「父の遺体放置し年金90万円詐取神戸」「パロマ工業回収洩れ経産省再点検命令」「大阪府職員通勤費不正受給で58才技師を処分」「日雇い派遣大手グッドウイル廃業」へ、ともう書けないくらいだ。
・ そして経済面に目をやると物価の王様の「卵が値上り」とある。遂にあの卵が値上がりだ。日産のカルロスゴーン会長は「車の値上げが避けられない」と語り、小麦粉、ガソリンとにかく「物価の値上げオンパレード」となってきた。全国漁業組合連合会など日本の16の漁業団体は来月16日に「燃料急騰の窮状を訴えるために一斉休漁を発表」した。
・ 医療面でも「高齢者ストレスで胃腸機能が異常」とか「引きこもる大人たち・・・増える不況リストラ型」と暗くなる話しばかりである。唯一救われるのはスポーツ欄だけだ。しかしこれとて水泳競技で言えば日本の大手スポーツ用品メーカー3社の水着は今回のスピード社製の水着一枚に完膚なきまでに叩きのめされ、「技術の日本」という神話を崩壊させた。なんてことはなかったのである。日本総出でかかっても何ともならなかった。とにかく今元気なのは橋下知事と阪神タイガースだけだ。
・ 私が初めて使う言葉かもしれないが「腐敗と格差」が「同時進行」で進んでいっているように思う。「格差と貧困」はいまや社会語であるが「腐敗と格差」だ。国内政治はねじれて、もはや政治とは言えず、これも腐り始めて異臭がする。
・ 国内経済は完全に勝ち組と負け組に分けられ、勝っているところは膨大な儲けを記録し、負けているところは船場吉兆ではないが「無茶苦茶」をやり、「産地偽装」や「脱税」に走り、気に食わなければすぐ「人を殺す」と言う具合だ。何かが狂い始めているとしか考えられない。「恐怖と悪徳の時代」である。
・ 私など昭和44年に企業に入り、高度経済成長、2度のオイルショック、昭和元禄と謳われた時代を経験し、平成のバブルで「この世の天国」を味わい「バブル崩壊でこの世の地獄」を見て、長い、長い出口の見えない平成不況から、「リストラの時代」をすべて経験しこの目で見てきた。
・ 一時期は「一億総中流」を言っていたマスコミは今やこぞって「ワーキングプア」「ネットカフェ難民」なる言葉を作り煽る。社会保険庁のでたらめや実は中央省庁でも同じ居酒屋タクシー税金を使いまわし、後期高齢者医療制度とお互いが「負担の押し付け合い」と道路財源など「既得権益の固執」など見るに耐えない対立がこの腐敗と貧困をますます加速させる。「俺もやらなきゃ損だ」と。
・ 何かで読んだが、今「小林多喜二」が読まれているという。このプロレタリア作家の「蟹工船」が改めて注目されており、ロシア革命の指導者レーニンを評価するという声も出ていると学者は警告を鳴らす。
・ 歴史は繰り返すからまたぞろ大きな革命が起きないとは限らない。まず「世界は中国の崩壊から大混乱」になるのではないか。世界の工場と言われた「中国の沿海地域と内陸部の格差」は日本どころの比ではない。四川大地震でその実態が世界の目に触れた。
・ 北京オリンピックの後何が起きるか分からない。米国もサブプライムローン問題でかげり、ブッシュの8年で間違いなく世界は「テロとの戦い」にいやおうなく突入した。これは言い換えれば貧困層との戦いなのである。下手をすれば「体制がひっくり返らないとも限らない」と懸念もしたくなる。
・ そうこうしていれば今日の大阪日日は大阪府の橋下改革で「公立高校の非常勤事務職員が削減」されることに対して「府髙教」が白書を出して反対の姿勢を鮮明に出してきた。この非常勤職員は通常「教務補助、家庭科の実習補助」が主体で時に図書室のカウンター業務などもある。
・ 学校はとにかく印刷やコピー枚数は普通の人が想像できないくらい多くて何十万枚の数になるがそれらを主に対応していたりする。前の学校でもおられたが一生懸命に仕事をされる責任感の高い人であった。今その数は府立高校で350人と記事にはある。
・ 「年収規模は100万円から110万円」で大体他にも職を持っておられる人もいるみたいだ。そうしないと食っていけないからだ。これの廃止が正式に決まれば4億7000万円の合理化というがその分一般の教諭で分担してやることになるだろうからこれは大変である。これも格差の典型的な例で何時かのブログでも書いたが「官製ワーキングプア」の典型となる。大体大阪府内の自治体にはいまやこのような非常勤の職員がごまんといるのだ。
・ 又本日の読売には前段に記述した「蟹工船」が登場している。見出しは「格差社会の動かぬ証拠」「蟹工船、止まらぬブーム」とある。新潮文庫版の増刷部数は今年これまでに36万部に迫り例年の70倍という。やはり「今何故、蟹工船?」だ。
・ 過酷な労働を強いられた労働者が団結して立ち上がるまでを描いた1929年に発表された作品で現代と重ね合う部分が大きく読者を呼んでいるのではないかと記事にはある。「一億総中流」と言われた時代からすれば現在の社会状況は「隔世の感」がある。少なくとも本校の教職員には「貧困と格差」に陥らせるわけにはいかない。「学校と教職員の生活を守っていく」ことが今更ながら私の仕事と痛感した。

2008年6月25日水曜日

6月25日(水)椋本先生に哀悼の意を奉げる

椋本彦之氏の死を悼む
・ グルメ杵屋の創業者で会長の椋本彦之氏が昨24日亡くなられたとの訃報が入ってきた。出先に副校長から電話が入ってきたのだが、「驚いた」。「何ともいえない気持ちになった」。悲しい出来事である。
・ 「椋本先生は浪速中学校の卒業生」である。現在の私の職位からすれば母校の校長と同窓生という関係になるが、実は私が浪速に来る前からご厚誼を戴いており、私が浪速に行くことが決まった時には「不思議なご縁」を感じたものだ。
・ 先生とは数回食事をともにしたりしており、親しいと言うか若輩者を温かく見守ってくれる優しい「人生の達人」であった。着任の挨拶に杵屋の本社に出向いた時に「浪速、頼むよ」と言われた。今でもはっきりとそのお声を覚えている。
・ 加賀屋の本社から学校のある山之内まで、会長は自ら高級車センチュリーを運転して学校まで送り届けてくれた。道すがら「学校経営」について色々とご指導を賜ったのである。
・ 「熱血先生が学校を変えてくれる」と言われ、理事長を務めておられた初芝学園の現状を楽しそうに話して頂いたのは平成19年2月頃だ。丁度1年半前のことだから古い話しではない。
・ 平成14年に大阪府初の民間出身校長として府内の伝統ある進学校に着任し、「学校改革」に着手した。その年の夏から秋にかけて改革に反対する組合分会が教育委員会に「異議申し立て」をし、それが大きな騒動になった。
・ マスコミからすれば改革派の民間人校長と守旧派の教職員組合との対立の構図は格好のニュースで某大手新聞などは全国版の特集を組んだりして「進学の数値目標は是か非か」などと騒ぎは当分続いたときに椋本さんは一冊の本を贈ってくださり。その上お電話で「頑張りなはれや」と激励していただいたことは忘れられない一件である。
・ 戦いの最中にたとえそれが声援でも送っていただくと「嬉しいものだ」。この恩義は一生忘れてはならないとその時に思った。爾来私も友人知人が「へこんでいる時や落ち込んでいる時に一言贈る」ことを心がけている。
・ 直近でお会いしたのは昨年11月の同窓会80周年パーティの席であった。丁度初芝学園問題が大きく報道され始めていた時で、ご予定では出席出来ないと伺っていたが、突然お顔をお出しになり、あの人懐こい笑顔で「木村さんに会いに来たよ」と私に言って頂いた。先生はお笑いになる時に背を丸くされる癖がある。
・ 同窓会の幹事もそれから急遽席を作らねばならず、走りまわって私や藤本義一先生や同窓会長のおられるメインテーブルに席を作ったのも記憶に新しい。その時は事件の渦中で「まあな、外部の人間がなー」と嘆息されていたが、この時私とどのような会話があったのかについてはここでは書くまい。私は「先生、気力を失わないで頑張ってください。」と申し上げたら「わかっとる、わかっとる」と微笑んでおられたがお元気はなかった。
・ 椋本先生は「気配りの人」である。相手の心を読み、それに応えようと鋭く反応される。椋本先生は「柔軟な人」である。恐れ多いが私も似たようなところがあって、「何でも吸収、何にでも変化」できる。右90度から左90度の大旋回など平気でとにかく「大きいお人」であった。
・ 良い表現がみつからないのだが「お知恵の人」でもある。今日的に言えば「アイデアマン」の方がわかり易いがこの表現は安っぽくって嫌な感じがする。「進取の人」がぴったりかもしれない。ひらめきも凄いし何しろ「実行力」がある。
・ 1957年と言うから今から半世紀も前、「米穀商い」から出発し、1960年大きな転機が訪れる。米国使節団としてアメリカで「チェーン展開するハンバーガーショップ」を見て閃いたという。
・ 「パンよりうどん」だと言い、遂に奈良に杵屋1号店がオープンする。89年11月株式を上場、翌年の株主総会は今に語り継がれる「異例尽くめの総会」だった。総会の模様全てを公開し、終了後は株主に自社の「うどんを振舞って懇親会」を開いたという。
・ 今でこそ当たり前になってきた株主への配慮だが当時は影で総会屋などが暗躍する「シャンシャン大会」であった。「けしからん、株主軽視だ」と従来の風習に風穴を開けたのだ。「株主は外部モニターと言う名言」を残される。
・ 平成17年頃、まだ私が公立高校に勤務していた時に夕食をご馳走になったことがあった。場所は法善寺横町の高級割烹でこのときはお元気で、新しい名詞を差し出され貝塚の「水間鉄道管財人」というものであったが、「頼まれたから、またやるねん」と気力が溢れていたのを思い出す。その他関空のケイタリング会社の経営など事業欲の衰えることはなくメラメラと輝いて見えたものだ。
・ 本校にとってOB椋本彦之氏のご功績は「浪速中学校の再開」にある。新制浪速中学校を「昭和26年第4回生」として卒業された椋本さんは様々な理由から募集停止になっていた中学校を「わしの母校がなくなって寂しい、再開したらどうか」と応援してくれ、平成60年日本中がバブル景気に湧き始めるちょっと前に中学校は再開された。15年振りの再開だ。
・ 昭和60年6月の同窓会報には椋本先生の寄稿記事があり、先生の喜びが伺える。この年は体育館の完成もあり理数科の設置や創立60周年事業など時々私が書いているように「浪速のピーク」の時であり、以後皮肉にも浪速は日本経済と同じで下り坂道にさしかかる。
・ 平成19年1月浪速に着任した私が考えた「最初の経営合理化案は中学校の閉鎖」であった。一旦は決意したものの、熟慮に熟慮を重ね「もう一度やってみるか」と継続を決め、そのためにも「徹底的に怒涛の如く学校を改革」していった。
・ 「最初からトップスピード」にして走らなければ間に合わなかったからである。今は「中学校を残しておいて良かった」と嘆息して思っている。あの時止めておれば「後世に残る大失敗」として私の疵になったと思う。
・ 昨年理事長職務代理から聞いたことであるが、私の浪速招聘話がある前に椋本会長を大阪天満宮にお越し頂いて当時の浪速のH理事長と四人が「浪速の将来」について話しあわれたと聞いた。椋本氏は「じっと聞いていたが、何も言われなかった」と職務代理は私にはいわれた。
・ 言外に「ファイナンス的支援要請」や「初芝学園グループ入り」などを打診されたと思われたのではないかと職務代理は言われる。この時に何を思われ、何を感じられたか何時かはお聞きしても良いかなと思っていたが、遂にその機会も失われた。中学校を再開させたご本人が当時の中学校の悲惨な状況の報告を受けて「辛い、悲しい思い」をされたから何も言われなかったと私は勝手に想像している。
・ 多くの役職、公職をこなし、ボーイスカウトの支援に大きな足跡を残し、「つぶれかかった私立学校を復活蘇生させ」、グルメ杵屋の店舗数528店、水間鉄道、を含め多くの人々とその家族の生活を守り抜いてきた一代の英雄、椋本彦之氏のご逝去を悼み、こころから哀悼の意を学校法人大阪国学院浪速中学校高等学校を代表して捧げる。そして一人の人生の後輩としてご生前賜ったご厚誼とご指導に心から感謝申し上げたい。
・ 前の学校を突然辞めた時に「専務理事で来ないか、校長はもういるから4人の校長の面倒をみてくれないか」とお話があったのもつい2年前であり、今このようにして先生の母校をお預かりしていることなど想像も出来なかった。「人生」である。
・ あれほど「学校が大好き、生徒が可愛い、教職員を大切に」と心底言っておられた偉大なカリスマ巨人、椋本先生は遂に「初芝」のことは何も語らず、早すぎる死を受け入れ「是非に及ばず」と旅たたれたのであろうか。もって瞑目、合掌。

2008年6月24日火曜日

6月24日(火)人権研修会と職場風土

・ 昨日は「教職員人権研修会の日」であった。年に2回ほど研修会を持つ。講師の先生は私立学校人権教育研究会のK先生だ。その昔は私学M学院の教諭であったが請われて私学中高連人権研究会に専属となった有名なお方である。過日私自身が直接お話しを伺う機会があり、中々良いお話をされたので今回本校の教職員にもとなったのである。
・ 丁度本校の図書室にこの4月から来て頂いている非常勤の先生がM学院勤務であったことを思い出したので「旧交を温めてもらうべく」べく、この先生を部屋にお呼びした。「サプライズ」を狙ってのことである。「ヒャー」と言う感じで双方が驚いていらっしゃった。目的は達成した。
・ 前の学校のときも良く他校の校長が訪ねて来られたが、その時も時間的に空いているその学校出身の教諭を呼ぶのだが、二つのタイプがある。あまり「親しくない感じ」と「大変お世話になりました」と明確に分かれる。それで人間関係が分かるのだ。
・ 一般的に言って公立は4年から7年で勤務先の学校は変わり、校長も2年から3年で移動していくから、余程の接点がない限り、「校長と教員は親しく交われない」。しかし私学は全く違う。23歳から65才まで基本的に同じ場所だから「付き合いは濃くなりそこが良い点でもあり、問題を起こし易い点」でもある。
・ 公立は「ファミリー的雰囲気」などはない。むしろそれを嫌う面が教職員組合を中心として強い。校長は「鍋蓋のつまみで敵対の対象」の考えがベースにあるからだ。まあ組合員の立場からすれば分かるような気がする。彼らには「組織の概念もファミリーの概念もない」から校長の職位は極めて難しいのである。
・ だから「校長の手で真の意味での改革などできない。」「改革といわれるものは教育委員会しか出来ない」と考えた方が良い。公立の校長が「やった、やった」と言っているのは「構造改革ではなくて改善に毛の生えた程度」だ。だから公立は「金太郎飴」みたいなもので何処の学校も切ったら断面は同じだ。ただ「学校単位で生徒の偏差値が異なる」だけの話しである。
・ 私学の場合は「売りは特徴」だから「建学の精神をベース」にして経営者を中心とする「ファミリー化」「家族化」していくのは止むを得ない部分もある。しかしこのファミリー化については気をつけなければならない。本校でも20年近く前に「市教委から大物校長が来て、実はそこから本校は坂道の下り坂」になるのだが、その校長の時代は「悪いファミリー化の典型」だと私は分析している。
・ 学校法人の経営に当たっている人間は「学校を私物化」してはいけない。いままで問題を起こした私立学校はほぼ100%「理事長の学校私物化」だ。府庁の私学課の役人に接待攻勢をかけ数千万円を使ったり、会計をごまかしたりすることは絶対に許されないことだ。
・ 理事長以下理事には一族郎党が入り、「家業」として学校を経営しているようなところは危険であるが、本校は大丈夫だ。私は「新地の雇われマダム」みたいなものだし、お金に淡白な大金持ちの財団法人大阪国学院、大阪神社庁が実質的な経営母体だから「特定の個人や社家」ではない。「浪速はラッキー」なのである。
・ 酷いのになれば九州の大きな学校法人の理事長は75歳を超えて尚現職で「エレベーターの中で女性教職員の胸やお尻を触るのが趣味」だったという。もう「病気」にかかっていたのではないか。新聞で何回も報道されたから覚えていると思う。本校にはエレベーターがないから良かった。
・ ファミリー化のもう一つの欠点は「緊張感にかける」「井の中の蛙」「皆で赤信号を渡る」ようなことだ。どちらかと言えばこちらの方が怖い。「慢性病」みたいに徐々に体を蝕んでいき、体力を損ねていく。これが悪い風土となる。まずい職場風土だ。
・ 良い風土は素晴らしい。伝統であり、校風であり、後世に伝えていかねばならないが、悪い風土にならないように気をつけねばならない。それは「緊張感のない勤務態度と男女関係、そして職場のセクハラ問題」である。問題があるというのではなくて無いようにしなければならない。              
・ 今日のテーマは「今、学校現場で起きているセクシャルハラスメントについて」である。本校は共学に移行して4年目、女性教員が次第に増えてきており、今後も女性教職員の力が必要と考えており、「女性教職員がきらきら輝くような職場つくり」を目指しているために、今回このような企画にするよう主担の先生に頼んでいたものである。
・ 過日生徒が昼休みに中庭にてバレーボールを楽しんでいたが、同じクラスなのに男女別々でやっていたから、まあどうでもよかったけれど「一緒にやったらどうだ」と言ったところ、男子生徒は「セクハラと言われるのが怖いねん」に近いことを言っていた。
ウーン」と言う感じだ。いまやこの言葉はこのようにして使われる。
・ 講演のお話しは大変良かった。「お話しの仕方」がお上手だ。しつこいくらいの独特の関西弁が活かされている。言いにくいことも「関西弁ならうまく伝わる」ような気がする。これがこの先生の持ち味なのだろう。加えて「内容が実践的だから面白い」のだ。すべて実際にあった事件をベースのお話しが展開するから、聞く人をそらさない。「事実は小説よりも奇なり」だ。
・ 特に今日のテーマではなかったが教職員の校外における「男女関係のもつれ」についても部屋で事前にお話しを伺った。社会的に尊敬を集める「教師と言う職業を意図ある使い方」によっては大きな武器となるかもしれない。何を言いたいかというと、その「身分を悪用して世の独身女性に言い寄る行為」である。
・ 最悪は「結婚話」など持ちかけ、「不適切な関係を結ぶ」ことである。子どもでもできたら大変だ。勿論お互いが独身であれば全く問題はないが、男性側が妻帯者である場合は許されない。妻も子もいる男が独身女性を好きになるのは世の中にはままあることだ。それは良い。
・ しかしその状態を維持したまま、子どもが出来たりしてややこしくなり、それでも「教師の身分を継続する」となると、これは問題となる。もしこの事実が男性の夫人に露見し、「学校を訴えてきた時」にどうするかと言う問題だ。「不倫教師を教壇に立たせるな」と仮に訴えて来た時には逃げる手がない。一回くらいとかならまだ分かるがそれが続くとなるとこれは「風土の問題」だ。見逃すわけには行かない。
・ これはセクハラなんかではなくてなんて言えば良いのだろう。世の中には男女しかいないし、特段このようなケースは珍しいものではなく日常茶飯事のことであるが、それを教師を職業としている人間に当て嵌めた場合、どのように考えるかと言う問題である。
・ 話がややこしくなった。セクハラの話しに戻そう。講師の先生のお話の中に教師がある女生徒に「最近,肥えたね」と言ったら「不登校」になったという事例を述べておられた。その親は教師を訴えたという。私の場合は大丈夫だ。PTA役員や女性教師には「先生、最近痩せました?!」としか言わないから。でも今日以降、太ろうが痩せようがそんなことは関係ないからもう言うのはやめようと決心した。                         

2008年6月23日月曜日

6月23日(月)校舎10000棟倒壊の可能性

・ 遂にデータが明らかになってきた。本当はもっと前に国民に知らさねばならない事項だと思う。「中国四川大地震で学校校舎が倒壊」し、「多くの児童生徒が犠牲」になり新聞報道やテレビで瓦礫の傍で泣き伏す保護者の姿に同情した国民は多いはずだ。元来学校は何があってもびくともしない「地域住民の避難場所」というのが常識だったが中国では「学校は手抜き工事の対象」だったのだ。
・ その報道も徐々に下火になり国民の関心は「秋葉原事件」に移ったかと思えば日本でも「岩手・宮城内陸地震」に見舞われた。朝早い時間帯と山岳地震だったから、阪神淡路の時よりも地震エネルギーは大きかったにも関わらず被害は比較的少ない状況だ。日本はさすがに「姉歯事件」みたいな偽装設計みたいなものは学校建設に関して言えばないから倒壊などの事故はなかった。
・ 文部科学省は20日、全国の公立小中学校の校舎や体育館約127000棟を調査し、現行の耐震基準前に建てられ、未改修の建物が43000棟もあり、このうち「10000棟は震度6強で倒壊する危険性が高い」ことを発表した。21日の朝刊で産経が、22日は読売が詳細に報じている。
・ 注目すべきはここでも「大阪府で全国最多の1045棟でトップ」だ。名誉なことではない。とにかく大阪は「全国学力調査でも下からトップ、私学助成金も下からトップ」と、一体これはどういうことか。次が北海道605棟、埼玉524棟と続く。良いのは沖縄県で29棟でちなみに東京は403棟だ。大阪はダントツのビリだ。
・ こういう場合人口が多いとか学校の数が多いとか言ってはならない。「比率の問題ではなく絶対数」が重要な考えだが行政の姿勢を図る上では「比率」で判断できる。大阪府で言えば田尻町100%、大阪市は大変立派で87.6%の進捗率だ。
・ 自治体でこのように大きな違いがあるのは勿論「財政状態」があるが、私は「行政の長の見識や市議会議員の熱意」など色々あると思う。どう考えたって大阪府はおかしいのではないか。阪神淡路大震災を受けた場所だからもっと「敏感」であって良いと思う。
・ 大阪市の関市長は平成7年度から「耐震診断」を行い、9年度から改修や建て替えを進め、27年度末には完了するという。「阪神淡路大震災を受けて取り組みを始めた。生徒や市民のために学校は安全でないといけない」と説明している。大変立派だ。関さんもこの辺をもっとPRすれば良かったのに。あの人は「今の人と違って行政のプロ」だ。
・ 今朝の読売は府全体で診断実施率93.7%、耐震化率56.9%と報じ、「府最低、高石市の7.3%」との見出しだ。高石市長も市議会議員も「顔色真っ青」だろう。高石市民は市に対して説明を求めなければならない。耐震化がとりあえず「可」であるとして60%以上の自治体で言えば鵜原枚方市64.3%、富田林市60%、河内長野市78%、松原、大東などが続く。
・ 低いところは理事長職務代理に住んでおられる藤井寺市が25%、守口12.1%、豊中19.4%だ。問題は耐震診断結果を学校に伝えていないと報じているが、積極的に開示する必要もないと私は思うが・・・。
・ 余分な「不安」を与え、「混乱」を避けるために今までは公表していなかったが、政府は四川大地震を受けて突貫で法律を見直した。それが18日に「改正地震防災特別措置法」として施行されたので今後公表の動きは加速されるのではないか。
・ 吹田市は19,20日に学校長に対して「あなたの学校は倒壊する危険性があります」と伝えたとある。言われた方の校長も「困りるわなー」。「一体どうしろと言うんだ!」と言いたいだろう。その校長は「補強や避難経路を考え直さねばならない」とコメントしている。
・ ただ同市も「生徒保護者への開示は消極的で今後方法を検討していく」とあるから、役所の検討は「しない」ということだから、騒ぎにはならないだろう。騒いでもどうにもならないからだ。
・ 変な言い方だが今回の発表で内心ほっとした。本校以外にも多くの学校が耐震対策を打っていないからだ。今回の発表と政府の財政出動で加速されるだろう。本校は「簡易耐震診断」は実施した。本格的な耐震診断は費用が極めて高くつき、やっても結果は同じことだから、一挙に「新校舎建設」を考えたのである。耐震補強工事も相当な費用がかかり、外観も制限され、タイミングも返って新築よりは長くかかると考えている。
・ ただ世の中の動きは我々の想定を超えて進んでいる状況の中で「間違いない判断」をしなければならない。公立はこのように積極的に開示されてきているが私立学校は全くその様子が分からないのでその分「不安」を感じている。
・ ただ府内でも私立は「生徒獲得競争の強力な武器としての新校舎」を謳い文句にしてきており、「建設ラッシュ」だ。確かに本校は「立ち遅れている」が心配はない。私が「しっかりと対応していく」から教職員は安心して欲しい。そのためにも武道場を先行しないと何も進まない。
・ 「 検討チームが現在全国を調査し、データを集めている」。今度関東の方に見学に行きたいと行ってきたから「どんどん、行きなさい」と言った。世間がびっくりするような「新しい感覚の校舎」を作りたいものだ。「21世紀の浪速発展の基盤」だ。皆で苦労を分かち合い、絶対に「やりきる覚悟」が必要だ。誰も助けてはくれない。自らの手でやらねばならないのだ。

2008年6月22日日曜日

6月22日(日)同窓会総会

平成20年度同窓会総会
・ 朝から雨だった。何時もなら日曜日だからゆっくりして「四天王寺の市」に出かけるところだがそれもやめて学校に行く。日曜日の午前中9時過ぎに学校に行くのも久し振りだ。今日は13時から本年度の「同窓会総会」、場所はカフェテラスだ。理事長校長が出るのだからといって管理職は野球の試合で遠征する教頭を除いて全員出席である。形の上では私は「同窓会名誉会長」である。
・ 定刻どおり始まる。形通りに事業報告と会計報告が粛々となされ、「私の話」となる。あらかじめ時間を取って欲しいとお願いしていたので今日は30分ほど頂いた。「皆様何時も有難うございます・・・。」と型どおりの挨拶なんかでは出席した意味はない。
・ 「着任以来の経緯と実行したこと」、「残る課題」を分かり易くお話しすることが重要だ。「心に訴える」ものでなければならない。教頭が準備していたパワーポイントを使って締めをする。「手を変え、品を変えて迫る」のだ。こういう「真正面に向き合う姿勢」が重要である。「いい加減の準備ではいい加減の話」しかできない。
・ 話す内容はあえて語る必要はない。「力を込めてお話しする」だけだ。原稿などない。すべて頭に入っている。原稿の必要な人はまだ「真打」と言い難い。加えて「何事も事実・真実が重要」だ。「希望や願望や理念など幾らしゃべっても意味はない。」特に校長といわれる人は理念は上手く話せるが実践となると途端にパンチはなくなる。「結果だ。結果だ。すべては結果だ。」
・ 結果があればこそしゃべれる。結果がない時に何をしゃべろうというのか。私には出来ない。「結果があればこそお話できるのだ」。世の中には結果も出てないのに、時間をかけてしゃべる人がいるが私には信じられない。結果は必ずしも「成功の結果」とは限らない。「失敗の結果」も対象だ。ただ失敗の結果をしゃべるには勇気がいるが、私はむしろそのほうが得意だ。しゃべる内容も同じ対象者だからといって同じとは限らない、そのときの雰囲気で変えていかねばならない。だから私は原稿は作らない。
・ 自分でいうのもおかしいが,他のことは出来ないがこのような領域、即ち、資料つくりとプレゼンテーションは木村流が完成されていると考えている。これも経験と訓練と気概だ。しゃべる以上は聴衆を惹きつけ、分かって頂き、出来るなら「心を動かして」もらわねばならない。「今日のトップの資質の一つ」だろう。何を言いたいのか分からないような演説ならしないほうが良い。橋下知事の言い方も相手に強く届くから支持率は高い。平松さんとは全然違う。この人の話は他人事みたいだ。
・ 今日は理事長校長の話が「大ギリ」で決まっていた話だ。「何だ、今度の校長はあの程度か」では同窓会諸氏に落胆を与える。それでは来ていただいた意味はない。一生懸命にお話した。しわぶきひとつせず、皆さんじっくりと聞いて頂いた。チクリと痛いことも言わねばならない。おべんちゃらだけ同窓会に言っても仕方がない。「強い同窓会」を期待したいと思って言いたいこともお話ししたのである。
・ 総会の後、2次会。「持込の宴席」となる。宴席といってもつまみとビールだけだが、盛り上がった。今日は旧制浪速中学から本年卒業した女生徒が4名も参加してくれ、盛り上がる。総勢80名くらいであった。案の定各席で同窓の皆様から「校長の話は良かったー」との声を頂いた。「感銘」「感動」「分かり易い」という声ばかりであった。
・ それにしても「母校というのはそんなに良いものか」と思わんばかりに皆さん、浪速を愛しておられる。前の学校でも同じことであったが齢60前後になると残る記憶は高校生時代になるのか。「浪速大好き人間の集まり」であった。18歳から80歳までのワイドな年令帯であったが、「浪速を愛する」気持ちは皆さんそれぞれであった。
・ 中には私のブログの読者もおられ、わざわざ席にまで来られ「先生、あれは良い。感動する。続けて欲しい。」とか、「家族中で読んでいます」とか「女房にも鼻が高い」とかいうのもあれば、旧職員で「木村浪速改革の動向」をブログから探っている人など色々耳に入ってきた。特に旧職員は浪速改革の動向は「複雑」なものなのだろうと思う。
・ 分かるような気もするがこちらも複雑だ。私は理事長で最高経営執行者だ。あなた方のファン投票で呼ばれたのではない。決定機関が正規の手続きで招聘されたものだ。昔の教職員とは現役教員の為に縁を切っておきたいと考えている。 その方が良いだろう。
・ 大体旧職員の匂いは「あの木村という男は何をしようとしているのか、我々の時代と比べ私の勤務した浪速で何を変えようとするのか、変えてはならないものはあるのだ。」と何とか「浪速のオーナーみたいな感覚で私を見ているのではないか」。それが分かるだけに「貴方は浪速に何を残しましたか、貴方は今浪速の今日に責任は感じませんか。」と言いたい気もするのだ。
・ 多くの教職員は少なくとも先輩といわれる旧職員をあがめ奉っているとは言いがたい。それよりか「一言言いたい」と顔に書いてあるのだ。給料をがっぽり貰って退職金をたっぷり貰って、その結果の現状に少しは後輩の苦労を分かれと彼らは言っているのだろう。 橋下さんが府庁の先輩に少しくらい寄附してなどという感覚と同じなのだろうと思う。
・ 2次会は定刻に3時過ぎに終了。私の為に「3次会」があるという。「名目は歓迎会」という。1年半も経っての歓迎会も珍しいが、お言葉に甘えてお誘いを受けた。場所か天下茶屋の割烹料理店である。出席者は同窓会長以下それでも20人近くが参加されてお店は貸切だから遠慮は要らない。座は大いに盛り上がる。
・ 久し振りに随分と飲みました。料理の味が大変良いのだ。聞けば新地で修行した料理人という。滅多に食べないが今日の「お造り」は良かった。それに最後の「茶蕎麦」もいけた。
・ 飲めば大きい声がますます大きくなる。それは余程機嫌の良いときだ。皆さん、本当に気持ちのよい方ばかりで、気持ちよくほろ酔いだ。6時車を呼んで貰って帰宅とあいなった。気持ちの良い日曜日となった。夕食はスキップとなる。今体重管理をしているのでこれ以上は駄目だ。

2008年6月21日土曜日

6月21日(土)進路週間最終日

1. 進路週間最終日
・ 今週16日(月)から始まっている「進路週間」の最終日の行事として本日は「大学説明会」である。16もの大学からご担当者が来校され「大学説明」となる。3年生にとってはボツボツ緊張し始める時期だ。全てではないが一部の保護者も説明会に参加される。
・ 3年生も今までサボっていた反省ともう高校生活とはバイバイするような気が真正面から押し寄せてきて「先行きの不安と期待」に深く心が覆われるようになる。今日以降「半分大学生の顔つき」となる。9月には指定校推薦が決まり始める。早いものだ。
・ 今回ご来校頂いた先生方は述べ24名となる。大人数だ。最初に私からご挨拶を申し上げた。後で進路指導部長が「理事長・校長があそこまで丁寧にご挨拶される高校はありませんよ」と大学の方が言われてましたと言っていたが「当たり前」だ。
・ 本校の生徒がお世話になる大学だ。「誠心誠意対応しなければならない」。生徒を送ってやるなんて「えらそうな態度」は許されない。「浪速は品格のある高校」を標榜している。本校の教諭もその辺のところは心得ている。常勤講師の先生方が大変良くやっていただいているみたいだ。
・近畿大学からはあのアテネ水泳のシルバーメダリストの山本貴志さんが来られていた。奥様はあの千葉すずさんだ。本校の水泳部の生徒が群がっていたという。。「スピード社の水泳着、どう思われますか?」と質問したりして私の部屋でしばらく懇談だ。
2. 英語集約コース海外語学研修の説明会
・ 13時30分から最後の「保護者同伴の説明会」となる。私も出席してお話しをした。このコースはこれで最後となるが近い将来「形を変えて再興」を考えている。今の1年生から海外修学旅行とし、行先は「オーストラリア」を計画しているが、「将来は北米カナダも視野」に入れたい。ここでの「ノウハウを蓄積」しておきたいのだ。
・ 又高校Ⅱ類に、選抜で「海外語学研修を希望する者の長期研修会」を夏休みに考えても良いと考えている。又現地姉妹校や現地の大学から指定校を受けたらという考えもある。いずれにしてもこの関係は大切に保存しておきたいと思っているのだ。
・ 生徒は「7月11日出発で7月31日関空着」、長丁場であるが健康に気をつけて成果を上げて欲しいと念願している。「完全アテンドの教員は2名」とし最初は経験あるベテラン教諭を1週間帯同させ、最後の5日間は私が現地に赴き先方へのご挨拶や今後の見通しなど現地調査に入る予定だが果たして時間が取れるかどうか。
3. PTA会長と教育後援会会長と打ち合わせ
・ 9月浪速祭のバザーの段取りと今後の「高校教育後援会の運用」に関して調整の打ち合わせ。私のほうから再度趣旨や今後の展開について説明をした。
・ PTA本部役員と教育後援会役員の方々を慰労し感謝申し上げる「恒例の懇親会を7月5日に難波で開催」することを通知した。これは「理事長の招待」である。校長ではなくて理事長としてである。本当にPTAは大変良くやって頂いている。感謝感謝。
4.20年度賞与一時金の調整打ち合わせを理事と断続的に調整
・ 全教職員にメールして来週「26日の職員集会にて支払日や内容を伝える」ことを知らせた。大阪府の職員の人件費削減の今後の展開について情報を集めているが見通しははっきりしない。
・ 昨日も深夜まで府労連と知事も出席した当局との団交が報道されているが、結局時間切れで歩み寄りはなかったみたいだ。「ふざけるな!」との怒号が深夜にこだましたと新聞記事にはあるが、威圧怒号などは組合の団交常套手段であるが知事は「このような場でそのような言葉を使ってどうするんですか」とたしなめたとある。
5.中学生への音楽実技教育
・ 「情操面でも音楽や美術教育は重要」だと考えている。今まで音楽教室や美術教室には相当のコストをかけて(まあ大した額ではないが)施設の充実を図ってきたが、今後とも支援していきたい。勉強だけでは駄目だ。
・ 音楽の時間に実技教育で雅楽器の「龍笛」をやるよう指示を出した。これは検討ではなくて指示だと念を押した。「神社神道の学校が洋楽器ばかり教えてどうする、雅楽器も考えろ」ということだ。今は「アルトリコーダー」だが吹き口が大きいし3年間もこれ一本だけでは如何なものか。
・ 和楽器も加えるように考えたのである。どうして今まで気が付かなかったのかと反省だ。「龍笛」をやればフルートも吹けるようになる。そのうち生徒の中には雅楽部に入りたいというのも現れるだろう。問題は指導してくれる先生だ。まあなんとかなるだろう。
.弓道部OB来室
・ 顧問のY先生と有力なOBが入る。弓道部の指導を担当していた先生がご事情があり、京都のご自宅に帰られるということなり、困っていたが「当面OBに指導を頼む」ことにした。本校は全国の高校の中では慶応高校についで最多出場を誇る「弓道名門校」だ。今年も「2名がインターハイに出場」する。
・ 指導料を出すといったら 「無料でやりたい」と言ってきたから、「それではお断りする。しっかりと教えるということで契約金の考え方だ」と理解して貰った。そのOBは府警本部に勤務の現職の警察官であり、他にも数名府警にいる。
・ とにかく「浪速の卒業生で警察官はとても多い」。嬉しい話だ。帰り際に「給料が下がるから大変だね」と言ってやったら、怪訝な顔をしていたので「橋下改革で・・・」というと大笑いになった。まあ第一戦の警察官は日常、給料のことなど考えてはいないのだろう。それは分かるような気がする。
7.教育実習生終了式
・ 今年は例年に比べて極めて少なく3名であったが、無事実習が終了し本日体育科の3週間実習が終了して閉校式だ。「教師と言う職業を目指すなら誇りをもって更に自分を磨き、素晴らしい教師になるようたゆまぬ努力をするよう激励」した。
.明日の準備
・ 明日は「同窓会の総会」だ。年に一度の総会で新調なった「カフェテラス」を会場としてお貸しすることにした。昨年は時間が取れず出席できなかったが今年は出席して、「学校の現状と計画」をテーマに少しお話ししようと思う。土曜日といっても自宅に帰れたのが6時だが「気分は充実」している。。

2008年6月20日金曜日

6月20日(金)目立つ地方大学と浪速

“目立つ”大学と浪速中学校高等学校
・ 「グローバルCOEプログラム29大学68件」が文科省から認定された。2002年度から3年間行われた「21世紀COEプログラム」を引き継ぎ、昨年からスタートしたもので本年度は医学、数学物理地球科学、機械土木建築、学際、複合などの5分野で公募しその審査結果が18日に発表された。
・ 文科省から「世界水準と認定され研究教育費が十分担保される」から各大学にとっては必死に認定を受けようと努力する。大学にとって「栄えある偉大なる勲章」みたいなものだ。第一に採択されれば「これ以上ない大学のPR」にはなる。
・ 早速今回認定された「近畿大学農学部水産学科」は「黒マグロ等の養殖科学の国際教育研究拠点の指定」を新聞半ページを使って大々的に広報している。近畿大学、頑張っているなー。連続だから立派である。
・ しかし指定された大学をみれば「やはり国立大学が強い」ことが分かる。採択数全体68件に占める国立の割合は81%で昨年の79%と相変わらず高水準だ。トップは東大の10件、東北大7件、京大6件、阪大4件、である。私立では慶応4件、早稲田3件となり西日本勢では立命館大と近大が各1件となる。
・ 完全に「東髙西低」「国髙私低」だ。特に「酷い結果となったのは公立大学」だ。15大学24件の申請はすべて不採択という厳しい裁定に西日本の公立大学の関係者は「母体の自治体が財政難にあえいでいる時に採択されれば士気が上がると思ったのに・・。」と嘆き節だ。嘆いても仕方がなかろう。もっと特徴を出して頑張らねば。
・ もう一つ今回の採択で特徴的なことは「地方大学の活躍」が目立つ。山形大、長崎大、熊本大、愛媛大、帯広畜産大、横浜国大、鳥取大などが入っており、少しずつ地方が頑張ってきているのか。こうでなくてはならない。
・ 「地方の時代」は間違いなく来るだろう。「地方大学の逆襲が始まる」と私は見ている。誰もが中央に行く必要はなくなる。全国に拠点が分散する時代になるだろう。今日も「岡山大学の学長」が中四国の学都になると言ってのろしを上げていた。そのためにもいずれ地方財政が逼迫して現在47もある都道府県が「道州制」で縮減されなければならない。
・ 私立大学でも雨後の竹の子のように新しい大学、学部が出来てきているが、今後は「何処で何を学ぶか」という「学部学科選択の時代」になるのではないか。国公立私立が境目がなくなり、融合し始める。国立大学法人の授業料が上がればうまみはなくなる。「地方でじっくり学問」という時代は来る。
・ 「首都圏大学、近畿圏は関関同立を中心に、加えて地方の国立大学の3分野」に淘汰され始めるのではないか。関西の私立大学はもう少し頑張らねばならないと思う。東京とは異なる視点で頑張らないと空洞化してしまう。
・ 早稲田、慶応が関西に高校も含めて「進出」だ。何で「東京の大学が大阪に出てくるのだ」。今回の採択でつくづくそのように思う。大阪は「偉大なる田舎」で良いではないか。東京の真似をしても勝てる訳がない。
・ しかし旧七帝大は強い。北大、東北、東京、名古屋、京都、大阪、九州の7大学だ。今回採択された大学は29大学でそのうち7帝大だけで合計35件/68件だから過半数だ。「どうしてこのように強いのか」。教授陣か、学生のレベルか、伝統の蓄積か、やはりやっている内容が素晴らしいのか、経常研究費の差か、文科省のえこひいきかおそらく全てが影響していると考えざるを得ない。それくらい力の差が出ている。何時も暗澹たる気持ちになる。地方大学、私立大学はもっともっと頑張って欲しい。そのように考えてしまう。
・ それにしても「東大は強い」。圧倒的だ。頂点に立つ「東京大学に今年本校から一人送り込んだ」がその後もその余波は続いており、6月29日のサンデー毎日には「徹底分析!低偏差値を確実にアップさせる注目の私立中高一貫校」の例によって大きな見出しで特集記事がありその中に本校の名前がある。「低偏差値だけ余分だ」。
・ まあしかし記事にならないよりなった方が良いかと考えることにした。浪速中学の評判が徐々に上がってきているらしい。記事の内容は「各校の改革力や教育力が評価点」とあり、「入学後本当に学力をつけてくれる学校はどこか」ということらしい。この評価は「本望」である。
・ 「塾関係者の言葉」として「偏差値が低くても出口の部分で何とかしてくれそうだという学校に人気が集まっている」ということらしい。近畿圏で「浪速中学高校は二重丸」がついている。入るときに偏差値が低いと書いているのは間違っている。「今年の中学高校入学生は凄い。あのデータは古い」。気にいらないが、「何とかしてくれる学校」と言うのは気に入っている。確かに「灘中学」と偏差値は違うがそのうちに追いつくだろう。
・ その証左はあるのだ。「浪速高校への入学が少し難しくなってきて、浪速中学から狙うという話し」が出てき始めているという。確かにそういう動きがある。この2学期から市内公立中学から浪速への転入希望者が学校に来られたという。「公立中学ではやってられないから浪速中学に入れて欲しい。」と平野区の保護者は強く言われていると副校長が報告にきた。
・ 今日の朝刊各紙、市内の公立中学校で生徒指導をしていた女性体育の教員が生徒が突然キレて「バタンと急にドアを閉め」、そのため指を挟まれ切断した事件が大きく記事になっている。「可哀想に、公立中学教員残酷物語」だ。
・ 仕事柄私のところには様々なお話があるのだが、昨日も旧知の大学教授からお電話があり、知り合いの市内某中学校の社会の教諭が「公立を辞めて浪速に勤めたいが先生の空きはあるかどうか」問い合わせがあった。
・ そう簡単に言われても困るのだが、本当に公立中学校教員も「大変」なのだと思う。とにかく「今でも良い学校なのだがもっともっと良い学校にして行きたい」と考えている。まあ、昨年からの改革開始で2年目にして、ここまで話題に上がるようにはなった。先生方、自信を持って頑張って行こうではありませんか。

2008年6月19日木曜日

6月19日(木)天皇陛下ご即位二十年

天皇陛下御即位二十年奉祝大阪実行委員会
・ 「昭和が終焉した時」の私は住友金属工業の鹿島製鉄所で熱延工場という製鉄所で最も大きくて重要な工場の「工場長」であった。直接の部下だけでも600人を超えていた。気鋭の技術屋として白ヘルメットに作業着姿で溢れるばかりのエネルギーで日夜、自分の仕事に誇りを持って頑張っていたと思う。41歳の若さであった。昭和天皇のご崩御の発表のニュースは自分のデスクで聞き当時の官房長官が「平成」を発表したテレビのシーンも今でも鮮やかに覚えている。
・ 平成の御世、「御即位されて二十年」、今上陛下はお元気で節目の年を迎えられた。国民にとって大変な喜びである。しかしこの20年は阪神淡路、新潟中越他大規模自然災害が多く発生し、両陛下の御心を思う時に、深い慈しみのお言葉やまなざしにどれほど国民は励まされたであろうか。西宮市職員の仲西さんは被災で陛下のご巡幸を得て「低かった空気、重かった空気が一瞬に払い除けられた」と印象を述べられている。陛下はすでに全国47都道府県ご巡幸されたという。これは「凄いこと」だと感嘆せざるを得ない。
・ 東京ではすでにこの6月5日に「中央奉祝委員会」を設立し名誉会長には経団連会長の御手洗富士男氏が会長には日本商工会議所会頭の岡村正氏が就任した。「中央奉祝行事」として本年11月9日に東京ドームシティホールに3000名を集めて「奉祝中央式典」が計画されており、11月12日には皇居前広場で「国民祭典」が開催されると言う。さすが東京だ。やることが大きいが皇居のお膝元だけに当然と言えば当然だ。
・ 「大阪府」も動き始めた。この16日に「第1回実行委員会」が開かれ大筋の計画がまとまった。不肖私も「奉祝委員」の一人として末席に連なった。橋下知事、平松市長、堺の木原市長を名誉顧問としてお迎えし、会長には大阪商工会議所の野村会頭が、「筆頭副会長には大阪府神社庁長、で大阪天満宮宮司、本校の名誉理事長の寺井種伯先生がご就任」だ。
・ 関経連会長、同友会会長他経済団体トップに加え、関係衆参議員がずらりと顧問で並び、府議会議員、市町村長、市町村議会議長、法人・団体・企業代表者が奉祝委員で並ぶ。「天皇陛下御即位二十年をお祝いする府民の集い」として全国に先駆け、地方版初の「奉祝大会を計画」している。
・ 具体的には「9月27日(土)」森之宮の「府立青少年会館文化ホール」で「奉祝大会」が午後2時から、そして「祝賀会」は午後5時から会館前のKKRホテルで計画されている。その他学者有識者の講演、奉祝記念誌の発行、御製碑の建立など府民を上げてお祝いするための趣向が今後具体的に練られることになる。
・ 「神社神道の学校」としてこのたびの御慶事は極めて嬉しい限りである。浪速中学校高等学校は生徒保護者、教職員一致協力してこの「御即位二十年と皇室を戴く国柄を誇り」にして陛下への感謝の誠を捧げて行きたいと考えている。
・ 校内に「学院神社」を擁し、「伊勢神宮の内宮の天照大神、外宮の豊受大神をご祭神」に戴き、五十年以上に亘って「伊勢修養学舎」を綿々と繋ぎ、五十鈴川で「」を行い、「垣内」への参内を許されている本校は「皇室」とは極めてご縁が深いと考えて良い。校章は三種の神器「八咫鏡」を形取っており、制服のエンブレムは天皇家の象徴「三種の神器」のデザインそのものだ。
・ 「本校は大阪府神社界が作った学校であり、神社神道を建学の精神に持つ学校」である。素直に誠を持って平成の御世20年を寿ぎたいと私は素直に思う。勿論個人の思想信条や宗教の選択は自由であり、本校にはクリスチャン、仏教徒、在日の人々他様々なご家庭から生徒を送り込んで頂いている。神社精神を絶対視し、それを強要する学校ではないが、指導方針や学校行事には色濃く建学の精神を反映するものがある。
・ 私も曹洞宗の家に生まれ、両親は永平寺に永代供養されている。それでも元日には近くの八幡様に初詣に行き、事あるごとに神社へのお祭りは欠かしていない。「五穀豊穣」を祈り、「八百万の神々」といるという安心感と喜びは何事にも代えがたい。「神も仏もあり難きかな」は私の好きな「空海の言葉」である。
・ 天皇は神ではない。「国民統合の象徴」である。万世一系の天皇と皇室を頂く国柄を2000年以上に亘って戴いている国は世界何処を見渡してもない。国民の一人として私はこのことこそ我々「日本人の誇りであり喜び」だと思う。
・ 「天皇制」などという言葉自体、私は「不快に感じる」のだが、1922年,荒畑寒村、山川均らが結党した共産主義政党の尾を引くのが今の日本共産党で、この政党が最初にこの言葉を使い始めたようであるが、今やこの「天皇制」という言葉自体、一般化してしまった。1955年の武装闘争を放棄して以来、幾多の変遷を経てこの政党は徐々に党勢を低迷してきているが未だに心底では「天皇制」を認めていない。
・ 確かに綱領の変更では「護憲の立場」から現憲法の象徴天皇は容認しているが天皇制自体は現在においても「世襲性は平等に反する」「封建制の遺物」と否定的であり、政権政党となった場合は国民の合意に基づいて「天皇制の廃止が最終目標」としており、そのため国会開会式への天皇の出席や皇室外交も「憲法違反」として認めていないから、この政党の議員は国会開会式にも参加していない。私と全く考えが異なる。
・ しかし面白いではないか。このような政党を友好団体に持つ教職員組合に入っている教員が本校には多く居て、私が来る前には日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」が白昼校内で配られていたと言うから信じられない話だ。さすがにそれは止めてもらった。
・ 神社神道の学校で天皇家のご先祖とされる伊勢神宮の神々をご祭神として御祭りしている学院神社を精神的バックボーンにしている学校にそのような共産主義シンパの教員が居るというのも不可解な話だ。建学の精神と本校の教育方針を妨げる思想信条を本校で教宣したりすることは絶対に許さない。「思想信条は自由だがここは私立学校だから自ずと制約がある」ことは分からなければならない。
・ 有名な判例がある。昭和41年に「青山学院で実際に起きた事件」での東京地裁での判決例だ。キリスト教の信仰に基づいて教育を行うことを教育方針とする青山学院において教員が礼拝に参加しないことを理由とする「解雇」を相当としたものである。
“前記の如く長期にわたり正当の事由なくして講堂礼拝に参加せず、初等部長の再三にわたる注意や勧告にも応ずる色を見せなかったのは被申請人学院初等部の正当な傾向教育の基本方針に協力しないものであって、被申請人がこれを理由として申請人を解雇に値すると判断したのは何ら不当ではなく、これがために同人を休職処分に付した上でその休職期間の満了を持って解雇することはなんら解雇権の正当な行使の範囲を逸脱するものではない。”
生徒に関する判決例もある。これも有名な「昭和女子大学事件」で最高裁の判例である。
学生が大学の定めた生活要録の規定に違反し、大学当局の許可を受けることなく民主青年同盟に加入したり、学内において政治的暴力行為防止法の制定に対する反対請願の署名運動をしたことを理由とする「退学処分」を相当としたものである。
特に私立学校においては建学の精神に基づく独自の伝統ないし校風と教育方針とによって社会的存在意義が認められ、学生もそのような伝統ないし校風と教育を受けることを希望して当該大学に入学するものと考えられるのであるから、右の伝統ないし校風と教育方針を学則等において具体化し、これを実践することが当然認められるべきであり、学生としても又当然大学において教育を受ける限りかかる規律に服することを義務つけられるものといわなければならない。”

2008年6月18日水曜日

6月18日(水)施設使用損耗料

施設使用損耗料
・ 本校も他の公立や私立の学校と同じく「生徒が必要とする物品」を間違いなく手配してくれる一般的に言えば「協力会社」がある。いずれも永い、永いお付き合いだ。今の経営者の先代や先々代からの関係というのもある。
・ まず「制服、靴、かばん、運動服、教科書、水泳着、柔道着、アルバム制作会社」もそうだ。制服といっても夏冬、ジャケット、ズボン、スカート、セーター、カーディガン、シャツ、リボン、ネクタイ他まだまだある。教科書も教科別、副教材を入れればその「種類は極めて多い」。それに洋服でも靴でも「サイズ」がそれぞれ異なるから「もう大変」である。
・ 今日までまったくトラブルがないから余程しっかり内部管理された業者さんであることがこのことだけでも分かる。「素晴らしい」。大体これらの会社の経営は難しい筈だ。何が難しいかというと「必要とする人数」が年度末ぎりぎりまで分からないからだ。
・ 3月末の公立の合格発表で初めて併願者の本校入学希望者が把握できるから、4月初旬の入学式までの短い間に採寸、手配、調達、手渡しなど一刻を争う事態となるのだが極めて上手く対応してくれている。「ノウハウ」があるのだろう。これぞプロの仕事だと思う。
・ しかし「ちょっと待てよ」と私は考えた。すべての生徒は本校が命を懸けて集めた「虎の子の生徒」だ。我々が集めて、「最後に顔を出して有難うございます」といって「売り上げ」を“ごっぽり持っていく”のは「如何なものか」と思ったわけだ。言ってみれば「元締め」は我々ではないか。
・ 生徒募集には入試広報室に直接対応している教職員スタッフ、直接広報費等このブログでも書いて来た様に「相当のコスト」がかかっているのだ。人件費を入れれば軽く1億円は下らない。そのようにして集めた入学者はすべて「100%本校の仕事の成果」だ。業者さんから別に広報費の支援を1円たりとも受けているわけではない。
・ それに販売は本校の校地や施設を使っている。細かいことを言えば光熱費もかかっているのだ。「無料で本校の施設も使い、電気代も払わず」、上がりを掠め取っていく(ごめんなさい)のは理不尽と考え昨年着任と同時に私は他校を調査するよう事務長に指示した。場所代や電気代くらいはあっても良いではないかと感じたわけだ。貧乏をするとどうにかして収入の途を考えるのは当然だ。
・ その結果、「施設損耗使用料」等の名目で適切な損耗料を学校に支援してくれている事実が判明した。勿論すべての学校ではないがほとんどの学校が実施している。中には学校が直接小売業者として物品を扱っている学校もあることが分かった。「私の勘は当たった」のだ。お金がなくてどうしようもない学校だったのに(今は違うが)、誰もこのようなことを考えて来なかったのにも驚く。
・ 要は「他人事なんだ。」理事会や学校の管理職、事務室の人間は誰も本気で収入を増やすことなど考えず、「自分の手取りばっかり主張」していたのだ。私は動いた。関係の会社の経営者を呼んで趣旨を説明し「ご協力頂けるなら考えて頂きたい」と丁重にお願い申し上げた。 「業者いじめ」になってはいけない。
・ 各社さんは本当に気持ちよく「分かりました。協力致しましょう」となったのが昨年だ。それで昨年は頑張りに頑張って生徒募集に走り、「浪速改革」の評価をいただいて「中学高校で720名」という大きな入学者を得た。通年の2倍の数だ。平均の2年分である。各社さんの中には「理事長先生、生徒さんが増えて我々も助かりました」とお礼を言って貰えるところまで来たのだ。
・ 会社単位で金額の差があるのは良くないと考えて「すべて一律の乗率」をかけて頂くことになった。売り上げ、即ち、入学者が増えれば「学校の取り分」も増えるし「業者さんの収入も増える」という具合だ。今「各社単位で数値の精査をしている」ところだ。順番にお話を聞いている。無理をしてはならない。あくまで「協力会社の経営安定が優先」される。「余裕があれば」の条件だから。本音は「数年遡って欲しい」くらいだがこれは諦めた。
・ これらの「入金はすべて法人会計」に入れなければならない。公明正大、「学校会計基準」にのっとって処理されなければならない。「裏金」に直結し易いお金であるがそれをしてしまえば、「近隣の他校のようにお仕舞い」であるし、折角業者さんのご好意を無駄することになる。
・ 「すべては生徒の為や新校舎に使う」ことになる。教職員の人件費に化けるなんてことは絶対ない。税理士、公認会計士のチェックを受けなければならない。業者さんの帳簿の経理的数値と本校の決算書の数値がぴったり一致しなければならない。
・ このようにして私はここでも学校の為に金額は小さいが「収入拡大の途を開発」した。それもこれも「しがらみがない」からで、今後とも学校の為にならないと判断したり、お取引会社に社会的不祥事があったりすれば「取引停止」とするつもりだ。遠慮はまったくない。
・ 「カフェテラス」もそのようにして売り上げが上がればいくらかはペイバックと考えていたがこれはどうも当てが外れた。自動販売機からペットボトル一本あたり、うどんや丼一杯あたり数円の施設貸し出し、光熱費を頂こうと考えていたが、これこそ「獲らぬ狸の皮算用」で逆に「赤字補填」を業者さんにしなければならないかもしれない。すべては上手くはいかない。

2008年6月17日火曜日

6月17日(火)常勤講師のレポート

常勤講師のレポート
・ 最近嬉しいレポートを目にした。いずれも常勤講師の先生によるものだが、若いというのは素晴らしいことだ。まず「頭が柔軟だし、素直」だ。そこが大変良い。私などは手前味噌かもしれないが同年代の人と比べて決して「柔軟さ」では負けてはいないと自負しているが、若い人から見て「古臭い」と言われないようにしなければ。
・ 従って訓練と思い、他人のレポートや新聞記事を徹底して読み、自分の頭で考える癖をつけている。「唯我独尊に陥るのを避ける」ためだ。従ってこのような若い人のレポートは大いに勉強になる。必ず目を通している。そして副校長には常勤講師の先生を極力外部講習に出て貰うよう言っている。「本校だけの実践では危険」だ。業務を離れて時に人の話を聞かせることが若い先生には必要だ。彼らはすべてを吸収する。そこが年寄りと異なる。ベテランは「フン」と「それくらい知ってるワイ」くらいにしか受け止めない幅の狭い人間がいる。人間は加齢とともにそうなるものだ。
・ 6月6日大阪私学人権新任研修会への受講レポートであるが、テーマは「いじめに学校はどう取り組むべきか」である。本校からは常勤講師の先生方が7名も出席してくれて、グループ討議では「講師の先生が感心するような意見」も出たという。鼻が高い。
・ 中でも2人の教員のレポートは質的にレベルが高いものであると感じた。一人のレポートの中から:「いじめのサイン」でのグループセッションで「自分の経験から授業中、トイレに行く生徒に注目すべし。大体いじめにあう子どもは一人になりがちであるが、休み時間にトイレに行くとトイレで加害者の生徒にいじめられるケースがあるため、休み時間はまわりに人がいる教室に居て、授業中に安全なトイレに行くという傾向がある」とこの先生は発言したそうだ。
・ 素晴らしい。「常日頃から考え、観察」していないとこのような意見は出ないだろう。私は感心した。もう一人の先生のレポートも面白かった。先生にやたら話しかけてくる生徒を人懐こい生徒と思っていたら実は疎外されている生徒だったとの話しでこの先生も授業中トイレの話に感心していた。この先生も「感性が研ぎ澄まされている」ように思えた。「出力全開で前向きに問題を捉える」先生だ。大変良い。
・ 組織人で重要なことは「感性」である。「感性とは積み重なったもの」で一朝一夕に身に付くものではないが、「努力で身に付く」ものだ。人と議論をする、人の意見に耳を傾ける、書物を読む、新聞を読む、旅をする、とにかく「森羅万象に興味を持つ」ことから始まる。
・ ところが加齢と共に頭が固くなり、他人の言うことには耳を貸さない、自己主張に凝り固まる、勉強しなくなる、勉強しなくてもやっていけるから努力する必要がないのだ。こういう人間ばかりになるとその組織の「改革は難しくなる」。「現状維持が最も心地よい」からだ。
・ 更にもう一つの感心したレポートがある。これは特筆ものだ。河合塾主催の入試情報分析報告会に出席した常勤講師の報告者は「読み応え」があった。関関同立産近甲龍の各私大の合格者の河合塾センター試験分析を自分なりに解析し、今後の方向性を論じているもので「迫力」があった。これを「説得性」のあるレポートという。これぞ進路指導部の教師の仕事と言う気がする。
・ 「大切なことは自分の言葉でレポートをまとめることができるか」ということである。誰に観て貰うとか、提出するとかではなくて議論の時に「思いつきで発言するのではなくて」、データで勝負しながら傾向と分析から方向を導き出すという「仕事の進め方」が訓練で身についているかどうかだろう。企業では総合職社員は徹底的にこの部分が鍛えられる。
・ 私が着任して以来、このことを言い続けてきた。専任教諭は骨身に沁みて分かっているだろうが、「データ」を大変重要視する。大体教員の習性は「資料は作らない、作っても何を言っているか分からないような資料にする、配布しない、配布しても会議後は返却を求める」等を何時も感じている。背景にはとにかく「責任からの回避」だ。
・ 基本的に教員は資料の作り方は下手である。資料と言っても「成績会議」とか「進路実績」とか、「何年も形が決まっており」、そこに埋めれば済む話だ。新しいことにチャレンジする訓練が足りないから、例えば「人材評価育成システムの自己申告表」などになると途端に困ってしまうのだ。「企画書」となるとからきし駄目である。当然かも知れない。訓練されていないからだ。
・ 資料も「早く作らないと意味が無い」。「資料を生かすも殺すもタイミング」だ。一つのレポートに1週間もかけているようでは世の中を生きてはいけない。昨年某教員が私に「企業から来た人と違って、資料つくりなど慣れていない。早くせよといっても無理」と私に反論した事件があったが、それは頭の中が整理できていないからであって根本的な素養の問題ではないのか。常勤講師でも素晴らしいレポートをまとめる。大体論文などの作り方や文献検索などは「大学で学んだ筈」だ。
・ 資料は「分かり易く、読み易く」が最も重要だ。字の間違いなど大した問題ではない。何を言っているのか分からないような資料だったらかえって作らない方が良い。混乱するだけだ。読んだ後「頭に残る」、要はアレンジ、文体、語彙の選択は書いた「本人の人間性そのもの」だ。「文章には人間が現れる」。
・ 常勤講師のレポートを読んでも「通り一遍の、ただ書いただけの文章」的なものは私のように文筆で勝負に生きてきた人間にはすぐ分かる話だ。底の浅いレポートは直ぐ透けて見える。たとえ400字の原稿用紙1枚に書く短文でも「この紙1枚に勝負をかける感覚」がないと読む人に訴える「パワー溢れる文章」は生まれて来ないのではないか。

2008年6月16日月曜日

6月16日(月)教員採用汚職

教員採用で数百万円
・ 今朝の朝刊2紙が報じている。「贈収賄で校長ら逮捕」とある。大分県警は「公立学校の教員採用」を巡り数百万円のわいろを授受したとし14日の夜、「収賄の疑いで県教委の義務教育科参事(52歳)」、「贈賄の疑いで私立小学校の現職校長(52歳)他を逮捕」した。
・ もう一つの新聞の見出しは「わが子も教師に」と些か揶揄した表現であるが、この校長ともう一人の県教委参事の妻が同期採用で親しく(現役の教頭)同じ学校に勤務したこともあるらしい。この伝から妻が夫に頼み、この夫が県教委同僚の採用試験で面接官を務めたもう一方の参事に頼み「お金が動いた」と言うのだ。
・ 完全に仲間内の「ぐるぐる回し」であり、酷い話だ。逮捕された男3人はすべて52才だ。分別のある年だろうに・・。一生懸命頑張って受験した一般の教員志望者はこれでは浮かばれない。
・ 大分県の昨年の採用試験は472人が受験し、この校長の長男と長女を含む41人が合格したとあるから、相変わらず「10倍を超える狭き門」だ。面白いのはこの長男、過去2回は不合格で3回目の受験とわざわざ記事にしているところが、私の想像を掻き立てる。
・ この息子、余程出来が悪かったのか知らないが、もう親は「どうにかしなければ、合格など覚束ない」と思ったのか。長女の年令は書いていないので分からないが新卒とすると話しは分かり易い。長女が受かり、息子は3回目も落ちたら息子と長女は「逆転現象」となり、親としては「不憫」と感じ、この際「お金で買っちまえ」となったに違いない。相撲の年寄り株でもあるまいし。
・ 数回に亘って現金や金券など計数百万円を「便宜を図ってもらうため」に賄賂として贈ったのだから公務員として間違いなく逮捕の4名は「贈収賄の罪」である。数百万円で長男長女の「教職身分」が買えるとするなら「安い買い物」と考えたのだろうが、世の中はそう上手くは行かない。
・ 逮捕の4人は恐らく懲戒解雇で退職金も無いだろうが「身内に甘い公務員」だから、ひょっとしたら退職金はあるかも知れない。親はこれで良いだろうが、問題は子どもだ。不正採用だから「合格は取り消し」になるのかどうか分からないが、一生「贈収賄での合格教員」と言われかねない。これは地獄みたいな辛い話しだから「もはや公立の教員を続けるのは無理ではないか」。
・ どうして「露見したのだろう」であるが、間違いなく「内部告発」であろう。県教委の内部告発もあるだろうし、不合格になった学生から「おかしい、なんであの出来の悪いのが受かって、私が落ちるの?親が校長だから教育委員会も合格にしたのよ!」などとマスコミなどに流せば持たないかもしれない。
・ この子どもが今回のことを親に頼んだとは考えにくいが、親の責任で子どもの人生を台無しにするのも可哀想だ。こういうのを、今は差別的表現だから使うのは良くないが敢えて言えば「盲目的親の愛」とでもいうのか。私は若い人が大好きだから、「出直せ」と言って「激励」してやりたい気がする。
・ 「私学も気をつけなければならない」。3年前、大阪府教委の教育監という要職にあった人間が私学の経営者から「非常勤講師の採用の口利き」に応じ、30万円以上の高級お仕立券つき背広地を受け取って贈収賄事件となり「大阪の教育界を震感させた大事件」があったがとにかく教員採用には「職務権限」を有している人間は気をつけなければならない。
・ 本校では私と理事各位、副校長以下管理職がそれにあたる。中でも採用センター長として「筆頭副校長・高校教頭は直接の人事採用責任者」であり、気をつけなければならない。まあこの先生は大丈夫だ。謹厳実直、正統派の教員だし大体、人間に「品格」がある。若い人は知らない言葉だろうが「人品骨柄卑しからず」だ。卑しいやつがおかしなことをする。
・ 本校は常勤講師の先生方にとっては「大いなるチャンスのある学校」である。それは「専任比率が極めて低い」からである。なるべく早い段階で専任教諭を多く採用していきたいと考えているが、これは「本校の採用基準」に合致しているかどうかで決まる話しだ。
・ 現在能力、将来ポテンシャル能力、意欲、姿勢、体力、協調性他「総合的に判断」して「副校長が原案を作成し私が最終的に決済」することになる。必要とする教科等で「運不運」もあるだろうし、少なくとも「好き嫌い」「背の高さ」「体重」「容貌」「タバコを吸うか否か」等で決まる話しではないし、「公平に公正に」決まっていくだろう。
・ 学年主任や分掌主任、科長、類長などが「常日頃見ている」だけに副校長から意見を求められれば「意見具申」するかもしれない。多くの目が注がれており、そこには不正の形は出来ない。誰が見ても本校には合わないという先生を採用したら、「不審な目」が注がれるだろう。
・ 本校では「教職員間の物品贈答およびPTA保護者からの物品の受領は厳禁」している。その昔、某教諭が二人ほどお中元を贈ってきたが「突き返した」記憶がある。私が時々招待して一杯飲みに連れて行く「お礼」だというから「御礼は仕事で返せ」ときつく言った。「部活動顧問も保護者との関係」に気をつけなければならない。
・ 「結婚式への出席」もおめでたい慶事ではあるが、常勤講師の先生の「結婚式へのお誘い」については「私は出席を遠慮」させてもらっている。専任教諭はまったく次元の違う話で喜んで出席させて貰うが、1年契約の常勤講師の先生の、例え慶事だからと言って「私的な密な関係を避ける」ことを決めている。
・ 「それはそれ、これはこれ」という意見があるのは十分承知しているし、「腹の小さい奴だ」とそしりを覚悟して決断した話だ。主賓で出席し、「将来を祝って」おいて、年が明けたら「お世話になりました。契約は打ち切ります」では当方も先方も辛いからである。
・ 昨年結局ご縁が無く、ある3年も勤められた常勤講師の先生との契約が切れたのだが、先方の奥方から某管理職に電話があり「結婚式にまで来て頂いたのに何故ですか」と言われて結婚式に出席した管理職の先生方は困ったそうだ。前の校長以下管理職総出でその先生の結婚式に出席したそうだが、先方の奥様の気持ちは分かる。
・ また一見有力ぶっている教員が「私から校長に言って専任になれるよう口を利いてあげますよ」と言いながら、個人的に夕食などに誘い「妻や子もある男性教員が独身女性常勤講師に言い寄る」のは典型的な「対価要求型セクハラ」で事実が判明すれば、間違いなくこの教員は「厳しい処分」が待っているだろう。
・ 今年は多くの独身女性講師の先生方が来られている。独身男性教諭にとっては「状況だけは有利だし・・・?」バンバン、「勤務時間外に青春を謳歌」すれば良いが、「妻帯者が本校女性講師に変なこと」をしたら絶対に私は許さない。
・ 「物の本」によれば、大体彼らのいう手段と言葉は決まっているそうだ。「相談にのるとかなんとか言い」、個人的に食事に誘って「家がうまく行っていない、家内とはもう駄目だ」とまず言い寄るそうだ。常勤講師の独身女性もそれに「ひっかかっては駄目だ」よな。
・ 教員採用はもっと「カラッ」とした「公明正大」で「オープン」でなければならない。言い方を変えれば私学であるだけに転勤などもなく一生一つの学校で働き続けるのだから「人事採用権者はその学校そのもの」と考えることが出来る。
・ 今私が目指しているのは「そのような道」だ。専任教職員、皆が「その目で見る」という意識が重要だ。本校に合わない教員を40年間に亘って雇用することは学校にとって「壊滅的な大事」なことなのである。

2008年6月14日土曜日

6月14日(土)それなら職を変えてください

それなら職を変えてください
・ 昨日のブログはPTA社会見学会を書いたのでこの記事には触れなかったが、読者の中には「書いて欲しい」と思っておられる人もいるだろうし、学校の教職員も理事長は「絶対書くぞ!」などと想像している人もいようから、ご期待に応えて結局本日書くことにした。昨日はわざわざ部屋に来て「知事は理事長と同じことを言っていますね。当たり前ですよね」という先生も居たが、「俺の方が先だ。」と言ってやった。
・ 12日に府庁で行われた朝礼で男性職員の一人が用意したメモを読み上げたというのだ。その内容は「我々は人件費がカットされ兼業も禁止されているが知事はテレビに出て稼いでいる。」「人件費削減や思い付きの独自事業、選挙の負託を受けたと言って自分を正当化する姿勢に士気は下がっている。」「「職員は納得しているのではなくて諦めている。」「橋下さんは人として尊敬できない」とまくしたてたというのだ。
・ 12日の夕刊には朝日、読売、日経が翌日13日の朝刊は毎日などが囲みにして記事にしていた。見出しは各社それぞれであるが、例えば朝日では「府庁職員“尊敬できない”、橋下知事“なら職を変えて”」である。読売は橋下知事“批判に応戦、それなら職を変えてください”」、日経は「府の男性職員“士気が下がった”、知事“不服なら職かえて”とある。
・ 知事は反論したそうだ。「ここは団体交渉の席ではない。上司に対してのものの言い方がある。私のやり方が貴方の意に沿わなければ職を変えてくださって結構です」と切り返したという。これは朝日の記事からだ。
・ 読売は知事の発言として「公務以外のテレビ出演は断っている。」また「僕は府民の代表者。府民に軸足を置かなければ選挙で選ばれた意味が無い」と。知事は会議の冒頭、「人件費カットは大変申し訳ない」と謝ったというのにこの職員はまくしたてたという。
・ まったくこの職員は「分かっていない」。こういう人間が府庁にいる事自体悲しいことだ。「橋下さんも辛いなー」と思う。5兆円の負債残高があり、10年連続の赤字財政、ここで職員の人件費カットなど「仕方がない話し」だ。当然とは言わないが仕方がないではないか。
・ 4%から16%カットしても345億円だが、それでも大きい。1970年代の革新府政時代から始まり、ノック知事や太田房江さん時代の「失われた8年」でここまでになった。太田さんは減債基金の取り崩しまで秘密にして財政状態を隠し続けた。そこを橋下知事は「臭いものの蓋を取り、聖域といわれる職員給与や私学助成の削減にまで手をつけよう」としている。
・ 企業でいう『破産』にあたる「財政再建団体」に指定されたら「鉛筆一本買うにも国の許可が必要」と言われるほど厳しい国の管理下に入るのを知事は阻止しようと頑張っているのだ。部下が「ボスに付いていかなくてどうする。」
・ 夕張は市長ら特別職は月額70-80%、一般職員の基本給は平均30%カットだ。その状態を避けようと「収入の範囲内で予算を組む」というごくごく当たり前のことをやろうとしているだけだ。知事は言う。『府民サービスに切り込むのだから職員の給与カットは仕方がない』と。
・ それを「尊敬できない」とか「選挙で選ばれたことを正当化している」とか無茶苦茶を言っている。議会制民主主義や「首長の役割」などこの男は全く分かっていない。知事が「それなら職を変えてください」と言ったのは当然だ」。そこまで言われたら「知事も言うしかないだろう」。
・ 大体某新聞などもけしからん話だ。前の見出しに「府庁役人の声の代弁として“何か悪いことをしましたか”」と書いてあったが、悪いことをしたからカットではなくて「お金がないからカットしているだけの話」だ。この連中の頭には給料が下がるのは悪いことをした時だけと思っているらしい。
・ 先般伊勢神宮で行われた評議員会でも全国の代表者から私が大阪府から来ているのを知って、「何か悪いことをしましたか」とだれそれが言ったと新聞にはありましたが「あれは戴けません」社会や民間では当たり前ですと言っておられた。
・ 今回のことはテレビでもコメンテーターは「言い方が良くない」とこの男性の発言を非難していた。新聞記事もその後の余波はまったく報道されていないから、「取り上げるにもアホらしい」と考えたのではないか。
・ それにしても前には「知事をあなた呼ばわり」した女性職員や今度の男性職員など困ったものだ。「言論の自由ではあるが、こういうのは言論の自由とは言わない。」頭脳や意識のレベルも高くはないのだろうが「一般の社会的常識」を有していないということではないか。
・ 私も最近ではあまり言わなくなったが「自ら転進をお考えください。本校は今“これこれしかじか”なので、このようにしなければなりません。」としっかりと「説明責任」を果たし、それでも「分からない、付いてこれない」お方には「転進をお考え頂いたほうがあなたの人生にとって良いのではないですか。無理して辛い職場にいる必要はありません。先生の人生です。お好きな道をご選択ください。私はやらねばならないことを責任を持ってやりきり、不退転の決意で進めます」とよく言った。余り感心した言い方ではないことは分かっている。
・ 知事がこの職員から「尊敬など出来ない」と言われたから応戦、応酬、激論したとは考えたくもないが、私は「尊敬などして貰わなくて結構」である。尊敬などする前に「自分の仕事をちゃんとしてくれ」と言いたい気分だ。
・ 今は「平時ではない。激動の変革の時だ。」「同じ船にのっている乗組員が一枚岩でなくてどうする」。まったく大阪府と同じ状態で同じようなことを「丁度まったく1年先行して実行」している本校だけに「橋下知事の思いは良く分かるのだ。」部下の人件費を喜んで切るトップなど居ないだろう。「我慢、我慢、我慢だ。我慢しなければならないことは人生で2ないし3回くらいはある。それが人生だ。今がその時ではないのか。

2008年6月13日金曜日

6月13日(金)PTA社会見学会

・ 予定が立て込んでおり、じっくりと学校におられないが副校長がしっかりと留守を守ってくれている。今日はPTA活動へ一日お付き合いだ。本校では「成人研修会」というが一般的にいう「PTA社会見学会」である。
・ かかる行事には今まで公立時代を含めて参加したことはなかったが「今回は是非出席すべし、行くと言ったではないか」と保護者も強硬なので「喜んで出席します」と言ったのだ。お母さんのパワーは強い。行き先は秀吉ゆかりの「長浜」である。
・ 朝8時30分観光バスで正門前を出発。本校は昔から1台と決められているらしい。大体その程度の人数だったのだろうが、今回は「校長先生も参加されます」と案内したから直ぐに一杯になり「早いもの順」となったらしい。総勢45名である。
・ 圧倒的というかほとんどは妙齢なご夫人で男はPTA会長、副会長二人と私を含めた本校教諭3名の6名だけだから勢力バランスは完全に女性陣にある。迎えのバス奈良交通で、新車だという。確かに立派で美しいものであった。
・ しかし最初から驚くことになる。住之江ジャンクションから高速に入ったのだが、「シートベルト」をしなければならない。申し訳けなさそうに運転手さんとガイドさんが頭を下げられる。下げられる話ではなくて「しなくてはならない」のだが、慣れないから感覚は良くないのだ。しかしこればかりは仕方がない。
・ 「ガイドさんも面白い姿勢」になる。シートベルトをガイドさんもせざるを得ないから運転手横の補助席に座って「前の方を向いて」、後ろの我々にしゃべらないといけないから大変である。
・ 新しく作る観光バスはガイドさん用のシートを客席に向かって設置するようになるのではないか。そうでもしないとどうしようもなくなる。ただし通行の邪魔になってはいけないから設置の場所には工夫が要る。「天井から降りてくるシート」が最も良いのか。一生懸命私は考えた。
・ 今日のガイドさんは見るからにベテランのお方で推定年令も全く想定できないが、とにかく私の前で丁寧にガイドされていた。私は「彼女の頭と背中を見ながら説明を聞くだけ」だ。しゃべる方も大変だったろう。髪の毛の数を数えられるくらい頭を眺めていたのである。
・ それにしてもすごいガイドさんでした。「何でもご存知」で、もう完全に学校の先生的なお話になる。同じ事を時々2回はお話された。特に山内一豊と千代の10両へそくりと名馬購入の話は私は2回も聞いた。昼食の前と後と。
・ バスは長浜城、予定通りに到着。秀吉が最初に城持ち大名となった「出世城」だ。素晴らしい天気に恵まれ天守閣から四方が見通せて殊の外「満足した」。琵琶湖、遠く比叡山、安土山、浅井遺跡、「湖北の情感」が感じられた。
・ 待望の昼食だ。感じの良い「高級割烹レストラン」で料理も良かった。事前に幹事の方が下見をしているだけあって、皆さんご満足の様子であった。各円卓テーブル盛り上がっていた。時にお母さんも「このような機会が必要なのだ」と感じたものである。
・ 昼食後は長浜旧市街の散策だ。「レトロの趣」を漂わせながらお土産店や食べ物店などが通り沿いに並んでいる。皆さんは有名な「石焼パン」を買いに走っておられた。2種類しかなく一個が大きい丸いパンだ。生憎私が行った時は売り切れであったが匂いは良かったな。
・ 私はこういうところに来ると「お饅頭とお抹茶」と決めている。季節の茶菓子は地方地方で味があり嬉しいものだ。今日はやはり「青梅」であった。まさに今は青梅の季節だ。「日本人って偉い」。季節を大事にするところが素晴らしい。美味い、品の良いお菓子とお抹茶一服に満足した。
・ 現地滞在時間は4時間弱であったが、一同満足して学校に向かってバスは出発。途中草津のインターで休憩だったが多くの保護者が「お土産を追加」だ。縁ある方への心遣いであろう。
・ 我々は先頭集団、しゃべってばかりいたらあっという間に学校へ到着だ。最後にガイドさんが「こんな面白い校長先生、見たことがない。どこまで冗談でどこまで本気か分からず、存在感とパワーがあって、素晴らしかった。橋下知事の後に出られるなら私はウグイス嬢をさせてもらいます」とお世辞。
・ PTAにも「こんなに明るくてまとまりのよい、感じのよいPTAも初めてでした。運転手さんと私にとっても楽しい一日でした」とお褒めの言葉。「13日の金曜日の社会見学はこのようにして無事終了」したのでありました。

2008年6月12日木曜日

6月12日(木)伊勢神宮

神宮・伊勢神宮崇敬会
・ 今日は伊勢神宮に出張である。「平成20年度神宮・伊勢神宮崇敬会参与、評議員会」が開催されるため、出席しなければならない。本年3月改選が行われ評議員を委嘱されたものだ。
・ 初めてのことで勝手が分からないが、朝早く鶴橋から「近鉄特急で宇治山田駅」へ。車を飛ばし「神宮会館」に着く。全国から参与評議員が500名近く参集されており、「神宮大宮司鷹司尚武氏の開会挨拶」から始まる。皇室に繋がるお方だ。
・ 神社神道系の学校に勤めているから徐々にこのような仕事が回ってくる。元々神道精神には大きな関心があるため、興味が尽きない。要は「好き」なのだ。本当に勉強になる。「大宮司の呼称」は伊勢神宮のみに許されるもので一般の神社は「宮司」である。私の執務室にある扁額も「徳川大宮司の書」になるものだ。
・ 南坊城職務代理は「伊勢神宮における一般の神職の最高職位は“小宮司”」と言われていたが、要は全国神社の中でも「伊勢神宮は別格中の別格」なのである。神宮には「祭主」というかたがおられ、現在は「池田厚子氏、天皇陛下の妹君」だ。
・ 「崇敬会会長はトヨタ自動車の名誉会長の豊田章一郎氏」でとにかく全国通津浦々から錚々たるお方が集めっておられる。議事は事業計画、予算、人事等は提案承認され、粛々とすすめられた。
・ 特に今は平成25年にクライマックスを迎える20年に一度の「第62回式年遷宮」の準備時期に当たり、この4月25日には一般の地鎮祭に相当する「鎮地祭」が斎行され、徐々に盛り上がっている時である。
・ 19年度は年間700万人を超える国民が「お伊勢参り」をしたと報告にはあるが、すごい数値だ。「赤福事件」の影響はなかったのかなと不届きな想像をしたりしてお話を聞いていた。
・ 式年遷宮は持統天皇の御世690年に始まり1300年にわたって脈々と続いており、日本の文化そのものだ。日本書紀、古事記の昔から続くもので我々は「日本という国体を護持」するためにも後世に繋げていかねばならない。
・ 第62回遷宮の時期に評議員として一隅で関与できる幸せを感じながら、出来る範囲で一生懸命努力して参りたいと決意を新たにしている。夏休みには高校1年生を対象の「2泊3日伊勢修養学舎」がありこれも更に良いものに仕上げていかねばならない。
神社奉仕
・ 何時もこの時期になると本校に府内神社数社から「奉仕」のお誘いがある。もう何十年も歴史がある今や夏の本校の風物詩だ。具体的に言えば「神社の夏祭りの神輿の担ぎ手のアルバイト」だ。数も延べで180名近くなる。時給は結構高い。
・ アルバイトと言って終えば「見も蓋もない」が要は神社神道の学校として具体的にお宮のお祭りに参加して「五穀豊穣を祈り」、「地域住民と神社の関係」を肌で感じることは十分意味あることと学校は理解している。
・ 問題は神社によって人気の差があることだ。長年の伝統だから先輩に引き継がれて生徒はその神社のことを大変良く知っているのだ。「行きたい神社」と「行きたくない神社」だ。
・ 行きたい神社は、これは大人社会でもそうであるが「仕事が楽でアルバイト料の高いところ」である。ところが大体神社間で相場が決められているとは言っても「内緒に上乗せ」があるところがあって、「あそこは分が良いよ」などと言い伝えられているらしい。
・ 神社の中には終わった後で生徒を並べ「スイカでも食べるか」と言って優しく対応して追加で図書券など呉れたりするところもあり、又そうかと思えば「それ働け、それ働け、何で座っとんねん」と追いまくるところもあるらしい。
・ 一人の担当教諭を当て嵌めているのだが6月初旬から一斉に「生徒募集」に入る。しかし人気の神社は「すぐ埋まる」が人気のないところは、一向に埋まっていかない。だから担当の先生は最後には生徒に「来てね」と頼むか、思い余ってクラブの顧問に額を擦り付けてお願いするらしい。
・ 学校としては『神社で差はつけられない』から校長は担当にプッシュするのだ。しかし府内に数多く神社があるがいずこの神社も「お神輿の担ぎ手」に困っているという。若者が居なくなったというのだ。浪速高校の生徒に注目せざるをえないのも分かるような気がする。
・ 昨年着任時にこの神社奉仕の話を知り、驚いたがとにかく「授業は休ませない」「深夜までは拘束しない」「安全を確保する」「保護者の同意を要する」等矢継ぎ早に体制を整えた。特に驚いたのは「災害保険に入っていなかった」ことで体が身震いしたものだ。何かあった時にどうすると思ったものだ。
・ 特に大阪天満宮の天神祭りの「御鳳輦」(ごほうれん)講と言われる手車引きは本校のラグビー部の部員であり、又白装束に身を固めて烏帽子を被って列の先頭にたっているのも本校の生徒である。テレビに映っているので観てやって欲しい。
・ 担当教諭のこの仕事は大変である。生徒をちゃんと集め、事故なく見届け、最後まで監視する仕事は並大抵の気苦労ではなかろうか。こういう仕事を馬鹿にしてはいけない。私はこういう先生を大切にする。一度神社庁長にお願いして「表彰状」を発行して貰いたいと考えている。

2008年6月11日水曜日

6月11日(水)出張

・ 今日は「出張」だ。北の方に出向く。朝10時のアポイントだから、直接家から出る。これを「宅発」という。公立高校勤務時代に学んだ言葉だ。逆に出張先からもう学校に戻っても夕方遅くなるから「許可」を得て直接家に帰るのを「宅着」という。それは「出張精算」に関わるからである。元来公的出張は勤務先からしか旅費や手当は支払えない。
・ このような言葉も本校にはなかった。「自由出退勤」であったから出張先からどこへいこうと勤務時間内であるにも関わらず私的に時間を使おうとも誰も何も言わなかったとのこと。すでに退職されて何年にもなる元本校の教員は出張先から勝手に「滞在日数を伸ばしても」、何も言われなかったと私にいう。驚いたものだ。
・ 元来は出張は学校から学校に戻るまでをいうのであるが管理職の許可で自宅からの出発、自宅への直接帰宅は許される。即ち「許認可事項」なのである。公立高校はこの点しっかりと管理されている。
・ 例えば教頭先生が人権研修会出席のために出張し、16時頃終わったとすれば必ず校長に電話して「今終わりました。宅着でよろしいでしょうか」と問い合わせがある。もしご指示があれば「今から学校へ帰りますが・・・。」ということが言外にあるのだ。勿論校長は当然許可する。これが筋だ。
・ 本校では副校長が出張されたら必ず私に許可を求めてくる。「大変立派である。」一般の教員は教頭、副校長に事前許可かもしくは当日許可を得なければならない。入試広報室の勤務員も出先から直接帰ることもあろうが事前に管理職に了解を求めておかねばならない。
・ 今日の出張は初めて「部下を帯同しての出張」で初めてであろう。3人も連れて行った。企業時代は場合によっては複数出張というのはあったが学校というのはそれほど多くはない。「一人で行って一人で済ましてくる」というのが普通であるが、「今日は特別」とした。
・ 話だけなら「私一人で十分間に合う」のである。大体テレビや映画にあるように部下を帯同して最初の挨拶だけ済まして後は資料説明など部下がやるというスタイルはもう古い。
・ トップがすべて細かいことも大きなことも話して進めなければならない。「細かいことは部下に・・・」というのは今日的ではない。国家同士でも首脳の直接会談で物事は決まっていくのである。
・ 今日の会談でも先方はトップが一人しゃべり、次席のものは何もしゃべらない。トップの指示で資料を取りに行ったりするのと、トップから振られたときに「お答えする」だけだ。
・ この辺の常識が分からなくて上司の許可を得ず話に入り込んだりするびっくり人間が時々いるが今日の本校の人間にはいなかった。一回だけ私が振ったが、その場合も簡潔に適切に返答しなければならない。今日は良かった。職場内、内輪の議論と会談を峻別しなければならないのだ。今日は「重要なトップ会談」なのである。
・ 民間出身である事務長もその辺は心得ている。同席を許しても私の許可がないと絶対しゃべらない。当たり前だ。学校でしか育ってきていない人間はその辺のことが当然分からない。それを教えていくのも私の仕事だ。
・ 本日の会談の為に学校で何回も何回も議論をして「理事長は考えを仕入れて」、それをまとめ、先方との会談に望んだ。この会談の経緯を後世語り継ぐというか、大げさであるが「歴史の証人」として立ち会わせたというのが本日の目的である。
・ 会談には資料は不要である。大切なことは「話の変化についていける柔軟さ」と「押し引きのバランス」である。先方も取り分があり当方も取り分がある。「5分と5分の関係」が重要である。決して規模の大きさなどでひるんではいけない。嘘は言ってはいけない。言い方は「考えに考えて言葉にしなければならない」。結構難しいのである。
・ 今日の会談には斯界で超有名なトップ中のトップが突然部屋に入って来られ、15分程お話に入って頂いた。あれは「先方の好意」であり、当方に対する「社交的儀礼の表れ」である。これも一つのスタイルである。途中で秘書が入ってきてメモを見せ、来客といって退室されていったがあれもスタイルである。私には良く分かる。木村が来ているから「お顔を出してくれた」ことに他ならない。
・ 「会話録」をまとめるように指示した。何の為に来ているかといえばこれをまとめるのが仕事だから。関係の理事などに今日の雰囲気を伝えねばならない。しっかりとまとめるように指示したが果たして。「ボーッ」と聞いているだけのために連れてきたわけではない。
・ しかし会議室には「灰皿」など全くなかった。大学内敷地内禁煙とは思えないが、タバコの匂いは全くなかった。今日連れて行った3人は3人とも「ヘビースモーカー」で、途中でタバコを取り出さないか(これは冗談だが)心配したがそれは杞憂に終わった。
・ 会談は10時始まりということで「コーヒー」が出された。終了後は「建物入り口まで見送って頂いた」。これも見習わなければならない。お昼の弁当を届けてくれる業者さんを見送る必要はないが、何事も何人にも外部の方には丁重に対応するのが「学校の品格」だ。教職員はこのことを忘れてはならない。「偉そうにするな」ということだ。

2008年6月10日火曜日

6月10日(火)芸術鑑賞会

・ 大体どの学校でも秋口には「芸術鑑賞会」という学校行事がある。年に一度であるが、「芸術文化に親しむ」と言う狙いで校外に出かけることが多い。生徒にとっては時に校外に出かけることは「授業からの解放感」にも繋がり、喜ぶもので「これは嫌いだ」という人間は少ない。
・ 教師にとっては「しんどい仕事」だ。行き帰りの生徒の行動に問題があってはならないし、交通事故など注意喚起も必要だ。特に今時の生徒は「場所の特定」が不得意になってきたりしている。時間に遅れず、来ているのかどうか、気になるものだ。
・ 本校もご他聞に洩れず、「芸術鑑賞会」なるものを実施してきた。本校の特徴は例年9月に行われる「浪速祭」の一連行事として実施してきたものである。これは珍しい。浪速祭とは読んで字の如く「お祭」である。神社神道の学校であり、「秋祭り」と考えてよい。
・ 文化祭などとはおよそ趣の違うもので「徹底的にお祭りである」。実際数千万円もするお神輿が二つもあり生徒が「わっしょいわっしょい」担いで近所を練り歩く。やってみればこれはこれで面白いもので去年などは「模擬店のたこ焼き」の店が4店も出たりして。この面白さは残しながら「浪速祭」のレベルアップも私の仕事だ。これは次の機会に譲るとして問題は芸術鑑賞会をどうするかだ。
・ 結論としては今年度より浪速祭とは切り離し、「浪速中学校高等学校芸術鑑賞会」としての単独行事として実施することに決めた。時期も流動的であって良い。今までは担当教員が2ないし3の種目を苦労して選びその中から生徒のアンケートによる決定方法を慣例としていたがこれは廃止とした。生徒が決めるものではなかろう。あくまで「教育活動の一環」だ。教育の中身は教員が決める。
・ 過去10年の演目を調べてもらったが様々なものであった。色々と苦労しているのが分かる。結構高くついており、やるほうは「稼ぎ時」かも知れない。
・ 場所は「堺市民会館」を借り受けて(勿論有料)実施しており、中高を2回に分けて午前午後の部の二回入れ替え制でやっている。生徒数が多く、学校の体育館では無理であるし、主催する方もある程度の設備対応が必要となってくると受け入れられる場所は限られてくるのだ。
・ 今後は、神社神道を建学の精神とする本校のアイデンティティを高めるため、「文楽・古典芸能・上方落語・浪曲・沖縄音楽・宮中雅楽、地方歌舞伎、人形劇、能、浄瑠璃などを含めた幅広いジャンル」から生徒達が「未体験」である日本文化を見て・聴いて・学ぶ機会として実施したいと考えている。「知らないことを見せる」のだ。
・ 今年はアイデアが枯れたと見えて「オーケストラ」ときた。「青きドナウ川のさざなみ」を聴くと言うから「今頃になって、青きドナウか」と言ってやった。「新しく作った校歌も演奏してくれる」というので、「芸術鑑賞で校歌を聴いてどうするの」と言ってやったのである。
・ 自治会担当の教諭に、「浪速中学校高等学校芸術鑑賞会」として本年度の内容については、チャレンジ精神を持って、ジャンルを思い切って拡げ、検討するよう伝えた。「知らないものを知らしめよ」と指示したのである。
・ そして生徒は100%出席、次に希望される保護者、そして地域のお年寄りたちをお招きすれば良い。勿論席に余裕のある範囲でだ。そのようにして地域住民のお方と交わりを深くすることが今後の学校のスタイルの一つかも知れない。
・ 「賑わいを取り戻す町」、その拠点に「学校という公的な社会の装置」があることは間違いない。このようにして本校はここ「由緒ある住吉の地で学校を進化」させていきたいと私は考えている。芸術鑑賞も単に見るだけではなくて、何か一本加えたいと思うのだが・・・。

2008年6月9日月曜日

6月9日(月)中学校運動会

中学校体育大会
・ 「運動会、運動会」と言っていたが「今頃、運動会と言っている中学校などないですよ。殆どが体育大会か体育祭といいます」と言われた。「古いのか」少し恥ずかしい感じがした。まあ、どちらでも良いが浪速中学校には「体育大会がない。」もうずーっとないらしい。
・ 現在は高校生対象の「陸上競技大会」というものと併せて「長居陸上競技場」を使ってしているものだ。中学生の出番など少なくて、なんだが可哀想と感じたのがそもそもの発端だ。公立中学は「しっかりと実施」している。
・ 局面打開のために着任以来、なんとかならないものか考えてきて、昨年度、「行事検討チーム」に委嘱して検討を進めていたがようやく概案がまとまってきた。保健体育部長と中学校側が協議しながら案を煮詰めつつある。この間の連携が上手く行っているのか心配だ。何時も中学は高校の日陰であったように見えるからだ。
・ 高校と比べて中学校は「義務教育」であり、趣は違う。やはりまだ中学生だ。高校生とは大きく違う。「慈しんでやらねばならない。」「公立を蹴って私学の浪速中学に来て呉れた生徒」たちだ。「大切に、大切に育てる」必要がある。
・ その大切にする一環として、もっともっと「全体がまとまった行事」が必要と考えたのだ。「6年間、基本的に本校に通学する」のだ。「多くの教育の場の提供」、即ち「形の変わった行事」を持たせてやりたいと私は考えた。「学業」のほうはもうこれは教員の頑張りで素晴らしい状態に高まってきている。まったく問題はない。
・ 「修学旅行」も大変立派だった。初めて同行して多くの得るものがあった。これは来年に向けて再設計だ。共学初年度の中学生で数も2倍だ。再来年は3倍になる。知恵を出さねば成らない。今までと同じでは済まされない。様々な中学生対応をすれば、浪速中学校の評判が高まり生徒募集に効果があるなどは結果の話で、あくまで現在来てくれている生徒のためだ。
・ 「伊勢修養学舎」は中学生向けは廃止し高校で本格的に取り組むことも決めた。中学生には早すぎる。「浪速祭」も中学生への配慮をどうするか考えなければならない。何時も体育館の使用が早い時間帯で観客数も少なく、中学生は舞台で言えば「前座」だ。これも一工夫要る。
・ 中学校の運動会、いや体育大会は「保護者参加」でなければならない。おじいちゃん、おばあちゃん方が学校のグラウンドに来て貰って年に一度、「孫の晴れ姿」を見てもらいながら、一日を楽しく過ごす場の提供が体育大会だ。地域の人も来てくれればこれにこしたことはない。
・ 陸上競技大会みたいに「走ってばかり」では駄目だ。幾分気の張らない「娯楽的要素」が混じっても良い。そしてようやく案が出来たという。狙いに「種目を通して自ら積極的に参加するよう育てると共に強力・助け合いの精神を養」とある。これは良い。「皆で一つの物を作り上げる」という精神が重要である。
・ 6月中にプログラムを最終決定し、「10月28日(火)に実施」とする。平日になっているのは高校の陸上競技大会との同時実施が授業に影響を与えないと言う考えだが今年やってみて駄目だったら来年から日曜日に実施することもあり得る。
・ 学年縦割りで中学生を3つのグループに分けるらしい。原案の資料には「松、竹、梅チーム」と名称がつけられていたがさすがに検討の段階で「お酒の名前でもあるまいし」という声が上がり。「本校の校訓浄明正直」から明・正・直チームという案も出て来ているらしい。
・ しかし「これもなー」と言う感じがする。何か良いチーム名はないのか。理事長に「全員のカラー別のTシャツを何とかなりませんか」というので「用意してあげる」旨約束した。「金は出すから知恵を出せ」と言ってやった。入退場門も必要だ。
・ お仕事の都合で見学に来られない保護者もおられるだろう。肩身の狭い思いをさせてはならない。そういう生徒には教職員と同じ些か豪華な弁当を用意しよう。カフェテリアも開放して使って貰えば良い。
・ 今年入った常勤講師の女性の体育の先生が今熱心に「ダンス集団演技」を指導しており中学校の女生徒が燃えに燃えているそうだ。男子は「空手の形」をやるという。「明るく、楽しく、元気一杯に」に「秋の中学生運動会が大成功」するよう学院神社に祈願する。

2008年6月8日日曜日

6月8日(日)日曜日閑休二題

橋下改革その後
・ 5日に発表された橋下改革のその後であるが、至って「静か」だ。明日は新聞が休みであり、新聞各紙も「些か食傷気味」と見えて一切記事がない。原油高と男子バレーのオリンピック行きばかりである。
・ しかし「毎日新聞」だけは違う。この新聞はとにかく「強く差別化」を意識しており、時に変わったアプローチをする。本日も毎日だけが1面トップで橋下改革の余波を伝えている。毎日新聞は6日、7日を使って大阪府民から900人近くから「アンケートを取って分析」している。
・ それによれば「改革内容支持が88%」という。すごく高い数値だ。男性が89%、女性が83%の支持という。「知事自身への指示も67%」というから小泉元総理並みだ。30才台に至っては90%の支持というからもうこれは教祖みたいなものだ。
・ 府庁役人の「人件費削減も賛成が83%」で府民の支持は大きく、「削減はやむをえない」と言っている。政党別の支持者でも自民は82%、民主85%、公明79%、共産81%というから驚く。共産党支持者の81%が橋下改革を支持するというから驚天動地だ。
・ 「勝負あった」のではないのか。ここで下手に反対すれば矛先が自分に向かってくるから議会の先生方も7月府議会でどのように動くか、頭を絞らねばならない。府労連も大変なことになった。4%から12%も給与が削減され、退職金が5%カットだ。もはや「組合に入っても何の特典もない。組合から脱退だ。」などの動きが出てくれば組織は持つまい。

タバコ一箱1000円へ?
・ テレビや新聞を気をつけていると案外この「タバコ一箱千円の話」は結構出てくる。要は「タバコ税」の増収だ。日本では一箱300円のタバコに対して189円が税金だ。これが例えば英国では1297円で税は995円、フランスは782円に対して628円が税だ。とにかく「先進各国はタバコ一箱の値段も高く、税金も高い」。
・ これに「政治家は目をつけた」。基礎年金の国庫負担率が1/3から1/2にアップすることが決まっているがその財源は2.3兆円もの金が要る。もしここで「タバコ代を300円から1000円にし税金を上げれば消費税4%程度に相当し9兆5000億円の財源が確保」できるという。
・ 厚生労働省は「渡りに船」で「医療費の削減」にも繋がり、「大歓迎」、財務省も「大歓迎」、自民党の上げ潮路線派で前の幹事長の中川秀正議員は自身がヘビースモーカーであるが「大賛成」、民主党も「大賛成」勿論政界の「禁煙促進議員連盟」の先生方も大賛成という。
・ しかしタバコが一箱1000円になればタバコ生産農家は破産するところも出てくるだろうし、小売業者も黙ってはいまい。まず第一「1000円にすれば現在の喫煙者のうち90%が止める」だろうという予測もある。
・ 個人的にはこのようなやり方は好ましいとは思えないが「日本のタバコ代が安いというのも事実」だ。いずれにしてもタバコのみにはどう考えても辛い世の中になってきた。ここまで来ても「まだ吸うか?」。1000円は一度には無理としても500円にはなるのではないか。

2008年6月7日土曜日

6月7日(土)早稲田、大阪に進出

早稲田が大阪に進出
・ 些かショッキングといっても、予想された動きが出てきた。遂に東京、「都の西北」が大阪に進出だ。朝日と読売が1面に囲み記事を載せている。「ウーン」という感じだ。私の想定を超えて動きが此処にきて「早くなっている」。
・ しかし面白い。「系属校」というらしい。何処の辞書を探してもこのような文字はない。系列校ではなくて系属校だ。学校法人はお互い分離独立しているがある程度の数を入学させるというものである。付属高校と系列校は同じ意味であり、原則系列大学に進学するものであるが系属校はそこまでの強制力はないという。
・ 茨木市の摂陵中学校高等学校は名前を早稲田摂陵みたいに「早稲田」を冠にして名前まで変えると記事にはある。来年から早稲田の傘下に入るということだ。同時に佐賀県唐津市の早稲田佐賀中学校高等学校も10年度から九州地方初の系属校とするらしい。
・ 摂陵は立派な中堅の進学校でその昔大阪繊維工業高等学校をスタートとする有力な私学であったが今年などは中学も高校も生徒数が落ち込み「危機感」が背景にあり、この道を選択したとある。近いうちに男子校から共学校に移行するらしい。
・ 早稲田といえども最近は首都圏からの進学比率が60%超えで大きくなり「少子化を睨んで地方に着」しこのような動きになったのだと思う。摂陵は早稲田の名前を借り、再起をかける勝負に出たのだ。
・ 早稲田から見れば「何の損もない」。優秀な生徒であれば40名入学を許可するというだけで地方から生徒を集められる。さて本校はどうするか。そこが問題だ。思い切って早稲田に対応して「慶応大学に話を持っていくか」。
・ 少子化の中でとにかく大学も私立高校もその数が減らないのだから「不思議で仕方がない」。逆に有力大学は学部数を増やし、遂には小学校から「囲い込み」を始める始末だ。恐ろしい「市場競争」になってきた。
・ 「大阪の私学も大学の系列化の話で持ちきり」である。恐らく「独立系」と「大学系列系」の二つに分かれて行くのか。星光学院が系列に入るなどは今のところ考えにくい。独立でやっていける学校だ。清風学園も行ける。
・ 神社神道を建学の精神に持つ本校はまさか「ミッション系の大学」というわけにもいかないか?いや関係なく行けるか?隣の私立高校がある大学と提携したところに本校も同じ大学でということは可能なのか。色々と悩ましい。
・ 独立系の学校だから「本校に来たい」といってくれる生徒や保護者もいてくれるかも知れない。判断に迷うところだ。「独立独歩で行けるところまで行くという考え」も一つの有力な考えだ。系列に入るとしても「誠実な大学」と話がしたい。やるなら「浪速中学高校を育ててくれるという姿勢」を期待したい。
・ 様々な生徒が集う学校が「生き延びていける学校」と最近は考えるようになってきた。勉強が出来る生徒、スポーツが出来る生徒、素直な人間的魅力に満ち溢れた生徒、「生徒に色を付けず」のびのびと延ばすことの出来る学校つくりが目標だ。大学だけに行かせるだけが教育ではなかろうと。「私としては思い切った発言」だ。
・ トップが「あたふた」してはまずい。どっしりと据わって「方向を見定め、間違いない判断をしていきたい」と思う。本校は今上り調子だ。別に経営が苦しくて生徒集めの為に大学の名前が欲しいというわけではない。今後の戦略だ。
・ それにしても「東京の大学が大阪や地方に拠点校をつくる」なんて一昔前には考えもしなかった。この意味は全然違う。大阪の大学が東京の私立高校を系属化しようにも誰も乗ってはこない。東京だから出来る話だ。
・ 企業も本社を東京に、東京に、大学も東京に東京にとなると「大阪は空洞化」する。そう言えば橋下知事も早稲田卒で東国原知事も早稲田で学んでいる。今や東京は一人勝ちだ。なんとか独立系で生きていくか。本当にそれで我慢できるのか。悩ましい。
・ それに少子化の中で本当に「東京に出て行って」経費やその後のことを考えれば「本当に成り立つ話しかという問いもあろう」。「大阪で良いではないか、大阪の大学に進学し、大阪の地で頑張るという意思も尊い。」と思う。秀吉が家康を東京に追いやったのだ。大阪で良いではないか。
・ 理事長校長として「橋下改革での私学助成削減」「大学との連携」「新校舎に関わる行政との調整」「教職員の労務管理」ややこしいテーマは次々と出てくる。人間ドックで検査したが「食いすぎ、飲みすぎ」と言われた。完全に、典型的な「メタボ」と言われた。「体重を落とさないと大変なことになりますよ」と言われた。こっちの方も大変だ。

2008年6月6日金曜日

6月6日(金)大阪維新プログラム発表

・ 遂に「大阪維新プログラム」と称して財政再建計画が「橋下知事の案」として正式に発発表された。昨日午後16時の外部発表であるから「上手いやり方」だ。午後13頃では夕刊記事になるから遅くし、「朝刊狙い」としたのだろう。案の上、今朝の各紙は「1面トップ記事」で社会面にも大きく補強解析記事が出ている。
・ さすがテレビ慣れしているからメディアの使い方が上手い。テレビに映る知事は「高揚感」で一杯で顔は紅潮、鼻を膨らましていた。「俺はやったぞ!」というところだろう。しかし悲喜こもごも、特に私学関係者は落ち込む内容だ。
・ 本校の教職員は120%感じているだろうが、全く「本校の改革足跡と同じ」だ。記者会見で知事は「とりあえず出血を止める」と表現した。これもまったく同じである。ただ根本的に異なっている点がある。知事は次のように言っている。「この改革の後に夢が来る内容ではない」と言い切っていることだ。これでは府庁の職員は辛いだろう。
・ 本校には「夢がある」。それは改革の後は「新校舎建設」だ。素晴らしい校舎を作る。現在、府には5兆円を超える借金がある。850万人を超える府民で赤ちゃんも含めて一人当たり60万円の借金を抱えている自治体だ。本校も銀行ローンはあるが額は比べようもなく少ない。だから夢が描けるのだ。「借金が多ければ夢は描けなかった」。
・ しかし昨日の知事の発表は当選したマニフェストと異なる。「収入の範囲内で予算を組む」といった公約は早々と破られた。財源不足の185億円を「府債を発行」して賄うという。退職金用の府債であるがこれも本校と良く似ている。本校も退職金引き当て資産がまったくなかった。すべて人件費に消えていったのだ。
・ 1100億円の削減目標で正味の削減は665億円、内訳は事業費抑制で320億円、人件費で345億円。残りは資産売却等で435億円の収入増を図るとしている。それで単純計算すれば185億円不足するから又「借金」」だ。
・ 各界の反応はまず、「知事を泣かせた市長会」は「及第点、60点」、財界は「一応評価」、総務省は「大歓迎」といったところだ。中央は「大阪方式が成功すれば他の地方に伝播」するから、心の中では「橋下、行け、行け」だろう。「大阪モデル」となるかもしれない。今全国の知事は固唾を飲んで大阪府を注視しているに違いない。
・ 新聞各紙、それぞれ斯界の一流人がコメントしているが「元鳥取県知事の片山善博氏」が上手いことを言っておられる。結局「役人風で取りやすいところから取っているだけだ。」「国との論争や仕組みの改革が全くない」とポイントを突いておられた。本校は仕組みを変えている。
・ しかし私は知事はなかなかしたたかで、前にも書いたが「知恵袋」がいると思う。今回の内容は「弱者へは優しく、市場で戦えないものへは切り込まない」」「市場で勝負できるものは勝負してください」と峻別していることだ。やはり彼は頭が切れる。
・ 大変良いと思うのは目だっていないが「新人事制度」の検討に入るとしている。この言葉もどこかで聞いたような言葉だ。「頑張ってくれている職員に報いる処遇制度」とすると言っている。恐らく3年以内に大幅に人事制度は変わってくるだろう。
・ 悲しいのは「府庁の役人」「センチュリー交響楽団」「ワッハ上方」「ドーンセンター」等他「ハコモノ」だ。努力をせず存在感が認められなかった団体は軒並み補助金を削減された。府立体育会館はかろうじて残ったが「あれは場所といい、大きな売却益が見込まれるので時期をずらしただけだろう。
・ しかしそれにしても「私学には冷たい」扱いだ。今でも全国最低レベルの補助を更に減らすという。私学中高連の会長はコメントで「私学差別」と憤慨し、副会長は「目の敵」と言われているが、まったくその通りだ。
・ 傍らでは「私学助成府議会議員連盟」の先生方が「傍観」せざるをえないくらい、きっぱりと「聖域」に切り込んできた。従来私学助成は「アンタッチャブルな領域」であり、ノック知事も太田知事も「口にさえ出せなかった」領域であったが、「しがらみのない知事」はどこ吹く風でやってきた。
・ 私学助成金は高校で10%、20年度で31億円、21年度の通年では48億円もの削減となる。授業料援助も年収規模を800万円から540万円に下げるか、厳しいご家庭では辛い話になろう。本校でも今事務長に指示して計算させているが大きな影響を受ける。
・ しかし知事は「私学が余程嫌い」に見える。彼の論理は「公立に行けば良い。私学の付加価値を求めるならそれなりのコストはかかる」と単純だ。お金持ちばかりが私学に行くと思い込んでいるみたいだ。
・ そのくせ、大阪府は知事の意向を受けて小学校3年生から中学3年まで習熟度別授業をやり、週2回の放課後講習、高校も土曜日の講習予算をつけるという。まるで私学だ。加えて「高校のトップ校の学区撤廃」を図り、「公立進学校化を促進」するという。
・ 私が恐れるのは「公立回帰」が加速するのではないかという危惧だ。助成の削減も痛いがそれ以上に「私学離れ」を恐れる。私学は生き残るためにますます「差別化、付加価値の向上」を図らないと、このように「公立が私立みたいなことをし始めたら存在価値は薄れる」。公立で良いということになる。
・ その辺のところを本校の教員は分からないといけない。私は公立のトップ校から私学に来て1年半になるが、今の感覚は「私学は大阪府民の声援」を受けているとは言いがたい。「物言わぬ一般の応援」がないのだ。私学に子どもを行かせている保護者は分かっているのだが、どうも「私学への好ましい感じは一般の府民はどうも希薄」なような気がする。
・ 確かに、一部の私学の経営者が乱脈経営で教育委員会幹部と癒着をしたり、最近では裏帳簿で無茶苦茶なことをしたりで評判は良くない。しかし圧倒的に多い私学は「しっかりとミッションを果たしている」のにだ。「何故だろう?」と思う。一部には「ええカッコして、公立に行けば良いのに、私学に行かせたりして」などのやっかみもあるだろう。
・ 「 7月府議会を経て今の暫定予算を本格予算化」しなければならない。もう私学助成削減は決まったも当然だと思う。我々はこれを「前提に20年度の経営見通しと対策」を考えねばならない。もう大阪改革については何回も何回も書いてきたので本校の教職員は分かっていると思うが「世の中も本校も完全に変わった」ということを強く認識しなければならない。

2008年6月5日木曜日

6月5日(木)職員会議の挙手

職員会議の挙手禁止
・ 昨日の読売に面白い記事がある。東京都教育委員会が定めた「職員会議における教職員の挙手による採決禁止」の通達に現職の校長一人が「撤回を」と異議を申し立てたというのだ。記事の扱いは巨大な都教委に歯向かう些か変わった孤軍の校長というという感じだ。「言論の自由がなくなる」と言っているらしい。
・ 2006年東京都は例えば卒業式に国家を斉唱し国旗を壇上に掲げるという行為に対して「子どもを戦場に送るな」と短絡したイデオロギーを振りかざし、反対する教員に懲り、とにかく校長の学校運営にことごとく反対する一部の教職員グループの不適切さを排除するため「学校の意思決定を校長に取り戻す」として「職員会議の教員による挙手による決定を廃止する」と明確に定めたものだ。
・ これに対してこの校長は「教員に何を言っても仕方がないという空気が広がり、職員会議で殆ど意見が出なくなった。教員の声が直接反映されないと活性化につながらない」と撤回を求めてきたものらしい。
・ 「何を言っているのか!」。そんなことで職場が活性化するとか、活性化しないとか関係ない。活性化しないのは「君の腕が悪いからだろう」と言ってやりたい。「何も考えず」「自分にとって損か得か」「しんどいことはしたくない、今のままで良いではないか」「子どもを戦争に送るな」「教育基本法反対」「何でも反対」と言った連中の意見を聞くことが活性化につながるのか。
・ 偏った考えを有しているグループや都合の良いときは組合教員の動きを支持し、影に隠れて、ときに管理職に擦り寄る「日和見主義の教職員」に見識ある意見があるとも思えない。まだ新卒で学校に来て2ヶ月くらいしか経っていない常勤講師の先生に深い洞察力が備わっているとも思えない。
・ 大体「挙手で方向を定めて、一体誰が結果責任を取るのか」、賛成、反対どちらでも良いが意思決定に手を上げた教員全てが責任を取るのか。「責任はすべて校長」にある。従って「最後は責任ある校長が全てを決める」。当たり前の話だ。
・ 大体この校長、その昔「平等や平和主義を生徒と考えるために」教師になったという。社会の政治経済の教師から2002年に校長になっており、もう6年も校長をやっていてこの発想だから、「些か変わってる」と言われても仕方があるまい。
・ 議論はすれば良い。私などは何時も議論している。今日も職員会議の後で関係の教員で集まり「大学との連繋」について議論をした。学校の教職員は会議といったら職員会議とか分掌会議とかしか頭にないが、「会議や議論は形や場所や時間の長さではない」。
・ 議論とはある程度のその問題に対して基礎知識があり、勉強しており、あるいはデータを有しており、経験があり、そこそこレベルのあった人間間でないと議論にはならない。「思いつき」や「感じ」で意見を言っても場を混乱させるだけだ。
・ 5分で終わる会議もあれば廊下を歩きながら決める議論もある。2時間議論しても結論の出せない議論もある。この校長の言う「言論の自由がなくなる」というまさにこの言い方に「偏向」を感じるのだ。本校では何時でも何処でも議論をしている。議論はすれば良い。しなければならない。浪速は本当に職員室でも結構議論は多いらしい。時に喧嘩みたいになるらしいが。
・ 都教委も「議論は禁じていない」と言っており、議論はしたら良いのだ。ただ議論の最後に「議長とか申す人」が「それでは賛否をとります」と言って議論の集約に教員の挙手で決めるのは「校長権限の侵害」だから「それは駄目」と言っているのである。「議論の行方を校長は見ながら自分の頭で最終判断」することになる。
・ 職員会議は学校教育法施行規則の改正で2000年に「校長が主宰」とし「校長の校務運営の補佐機関」と明確に規定されたのだ。「校長の職務の円滑な執行に資する」と大阪府も管理規則に規定を盛り込んだ。本校は4月から議長制を廃止し、教頭が職員会議の進行をしている。
・ 都の他の校長の一人が「教職員組合に決定権を握られるのも困る。都教委につくか、組合かと問われれば多くの校長は教育委員会につくしかない」とコメントしているが、これも「だらしないいい様」だ。
・ 東京都みたいに「強い教育委員会」であれば校長は楽であるが、そうでなくとも校長の見識と力で現状の体制でも可能であり、ここに「校長のリーダーシップ」が問われている。これを私は「胆識」と言っている。「腹だ、腹だ。腹を据えてやれば何でも出来る筈だ。」
・ 私はテーマによっては教職員の賛否を問うようにしている。この前も教職員代表を一人決めるのに指名などしなかった。全員の挙手で「教職員の意向を確認」した。しかし昨日のブログ「有給休暇の買い上げ方針」などは教職員の賛否で方針を決めることではない。これは「理事長の専管事項」だ。

2008年6月4日水曜日

6月4日(水)その2:有給休暇を買い上げる

有給休暇取得状況と対応
・ ここ数週間深く考えていることがある。それは教職員の「19年度分の有給休暇取得実績」が最終的に確認されたからである。何が問題であるとかと言えば「教職員間でばらつき」があるからである。「放置できないばらつき」である。
・ 管理職を除き、専任教員の平均が16.8日であるがこれは平均値で「多いほうのトップ3は28.1日、27.8日、23.2日」、少ない方では「2.4日、4.7日、5.8日」となっている。
・ 事務では平均が7.3日と教員の半分以下であるが、4月に職場の替わった職員を除けば「5.6日となり教員の1/3」だ。校務員さんも5.9日と少ない。事務の人間は元々数も少ないので融通が難しい面はあるのだが「これでは事務職員残酷物語」だ。
・ 教員も同じことが言える。1年を通じて2.4日しか有給を取らない人間と28.1日消化している人間が居て「はい、それまでよ!」とは言えないのではないかと考えているからだ。
・ この2.4日の教員は「必死になって生徒のために自分の時間を使ってくれている」ということだ。管理する側が「有給をとりなさい」と言ってもそんなことは眼中にないのだ。我々は彼のこの奉仕に甘えている。
・ 事務だってそうだろう。私が来る前の「事務職員のポジションは教員のしもべ」みたいなところがあったらしく、初めて事務職員の地位が私のお陰で上がったと喜んでもらっても「酷使」されているのでは内心辛かろうと思う。最もこれも昨年からだが。その前はゆっくりゆったり。
・ 有給の取れる人間だけが取れてというか取って、取れない人間は取れないのを放置とは行かないのではないかとここ最近考えていた。最もこの話しは「去年から出てきた現象」でその前は全員の有給実績は1.5日とか2日とかで極めて少ない。
・ その理由は「自由出退勤の学校」であったから労働基準法もへったくれもあったものではない。好きな時に来て好きな時に帰ることが許されていた学校で「統計データもない」のだ。20世紀初頭のような学校であった。
・ ひどいのになれば終業式に出てきて、次の出勤日は夏休み明けの始業式だったという信じられないような話を耳にした。又それも何処にいるか誰も把握してなかったというのだ。「こんなの、ある?」。
・ 昨年から「就業規則を変え、変形労働制」を取り入れ、「時間休」が取れるように大幅に改善した1年目の有給取得実績がこの結果である。余りにも「爬行性」があり過ぎる。データを眺めていると特徴がある。年配の教員ほど取得率が高く若くなるほど低い。女性教員は概して「お一人を除いて」取得比率が高い。男性より4~5日は多い。
・ 年次有給休暇に関する規定は「労働基準法39条」である。極めて重要な法律で全てがこの法律から出発している。法廷論争でもこの39条の解釈が問題となる。例えば39条4項は使用者は年次有給休暇を「労働者の請求する時季に与えねばならない」とあるが一方では「時季指定権」や「時季変更権」が管理側にある。
・ 有休を「自由利用の原則」と言って学校の教職員が好き勝手にとれば授業が成り立たなくなりこれは大問題である。又団体に属する教職員が「一斉休暇闘争」でもしたら学校は休業になる。
・ しかし過去の判例において一斉休暇闘争の有休は労基法上の趣旨から言えばこれは有休と見做されず、賃金は払う必要はないという判例もある。いずれにしても微妙であり難しい。従って「学校の教職員は生徒の夏休み、冬休み、春休みを利用」してリフレッシュするというのが一般的であったのである。
・ 時間休を取りまくり、担任が「生徒のホームルームに顔を出さない」のは問題である。時間給を取りまくり「何時も時間変更する教員も大きな問題」である。当たり前だろう。急に時間割が変わったら「生徒は予習などしてきていない」し、大体教師の事前の教材研究無くて、すぐ行ったことも無いクラスへ授業に行って「効果ある授業ができるのか」という問題もある。
・ 1年前までは勝手に休んで生徒の自習が年間1000コマ以上あり、「これは授業料の詐欺だ」と怒り心頭に達しこれは完全に改め、ようやく自習は基本的にはなくなった。しかしどうもまだ「時間割変更が多そう」だ。元来時間割変更など余程のことが無い限りあってはならないのが学校である。公立高校ではまずない。あっても台風とか天変地異の時だけだ。
・ 事務室の職員の有給取得のために「2名の派遣職員を職員並みの勤務時間」として対価を支払うこととした。2名の女性職員には「月度1日、土曜日を交互に指定有給休暇」とするよう事務長に指示した。これで格段に増えるだろう。事務職員救済策だ。
・ しかしそれでも爬行性は解消できない。考えた結論は以下のようにしたいと現在弁護士に相談するよう事務長に指示した。即ち「未消化の有給休暇を買い上げる」のである。
労働基準法を勉強しているのだが「買い上げ行為が使用者による無言の取得抑制」に繋がってはいけないのだが、「事後買い上げ」は「労働基準法の趣旨から言えば好ましいことではないが、そのこと事態は基準法違反とはならない」というのが一般的な解釈である。勿論事前買い上げは許されないと明記している。
・ 案は前年度の平均数値まで個人の実績数値との差を最大としてご本人の希望日数を買い上げる方式とし、支払いは「7月の賞与・一時金に合算して支給」する。例えば前述した2.4日の教諭は平均が16.8日だから16.8-2.4=12.4日まで買い取らせる権利があり「最大とすれば30万円を超える臨時収入」が夏のボーナスに入ってくることになる。
・ この方式は教職員に「大変喜んでもらえるのではないか」と思う。一つの「善政」と思っている。管理職の朝会で考えを述べたら賛成して貰えた。勿論金で解決するのではなくて「しっかりと有給取得を奨励すべき」であることは分かりすぎるくらい分かっているのだが「ここは企業ではない、学校だ」労働基準法の適用にも「変化球」があって良い筈だ。私は労基署と論争してもこれを実現してやりたい。

6月4日(水)その1:ガソリン価格

・ 「ガソリン価格」がこう上がって来ては「どうしようもない」。日本郵便会社は配達用の車を今後「電気自動車」に順次切り替えていくと発表した。「民間企業になった証し」だ。これを民間的発想という。郵政省ではこうはいかない。何十億もかかる話しだが「すぐ元が取れる」話だ。
・ 本校でも燃費の悪い車に乗っている人や大型車の人には辛い話しだ。最も教員は大体良い車に乗っている。クラウンが多いのではないか。それに3年ピッチで乗り換えているらしい。
・ 私は自分専用で1台有していたがこの5月の連休で帰省したときに処分した。年間3回か4回しか帰省できなくて無駄だ。それでも「思い出多い車」だったから寂しかった。将来、国に帰れば「電気自動車」に乗ってみたいが、一体幾らくらいするのであろうか。買えないかも知れない。その時は小型車だ。
・ 今後「ハイブリッド車」や電気自動車が徐々に主流になっていくのだろう。「アルコール燃料車」にもその昔ブラジルに長期出張した時に乗っていたが、どうも町中が甘いアルコールの臭いで閉口したしたことを覚えている。日本では果たしてどうだろうか。
・ 昨年就業規則を変えて「旅費規程」を見直したのであるが、1年で再度見直さねばならない。「公務で自家用車を使用するときの燃料費の費用弁償」であるが昨年まではガソリンリッターあたり145円で計算していたが今度170円に改定した。しかしこれも時間の問題ではないか。200円を超すかも知れない。
・ これで排気量2000CC以上の自動車を使っている教職員は従来1キロあたり19円で計算していたが22円にアップする。部活動などで自家用車を使用する先生には「良い話」の筈だ。
・ 「何ッ、自動車通勤の人にはどうするのかッテ?」。答えは何もしない。これは府の教職員と合わせているから、府が変えれば変えるが、その動きはなさそうだ。元来「自動車通勤は特例扱いで認可」しているに過ぎない。
・ 「公共交通機関」を使ってくれれば「事故は避けられる」「お金は安くて済む」「地球環境に貢献している」と良い事づくめなのだが、一旦自動車に乗ったら「あの開放感自由感と癒し効果」は何事にも変えがたいのかもしれない。本校には自動車好きと煙草好きが多い。
「何、又禁煙の話しかって?」。そうだ。調べて見ると喫煙派は自動車通勤派が多い。間違いなさそうだ。仕事が終わって煙草の煙を吸いながら車を運転して帰るときは、彼らにとって「至福の時」なのだろう。
・ しかしそのような車には禁煙派は誰も乗りたくない。臭くて堪らないからだ。学校車は勿論絶対禁煙にしている。