2010年6月20日日曜日

6月20日(日)ブログ「校長日記」休筆宣言
























































・ 昨日の「余韻」覚めやらぬ日曜日となった。この1ヶ月の事、19日の天気の心配など思い出しては「ホッ」とする。昨日の様子が甦ってくる。この日をターゲットにして毎日を過ごして来たから、このように見事に終われば「達成感」がほんの少しだけ出てくる。年を取ったのだと思う。昔はこういうことはなかった。
・ 元来私は達成感など感じない性格で「次から次へと仕事に挑戦」して来たから、一仕事終えて「ゆっくり充実感を味わう」などとは縁遠い人生であった。一仕事終えれば荷物をまとめて旅立つなどはあまり経験していない。我が人生で一回だけこのようなことがあったが・・・。
・ どうしても「多聞尚学館」に行きたい用事もあって家を早く出て多聞に午前8時20分頃には到着した。5名の教諭と120名ほどの生徒が学習合宿で頑張ってくれていた。講義の始まる前に生徒に伝えることがあったのである。
・ 今回は高校1年生で初めての多聞利用組が二クラスあったのでそこで「この施設の謂れと学習の意味、そして激励」をするのである。これで一応一循環したことになる。金剛山の麓は気候も良くなり「若葉の匂いが当たり一面に流れて健康そのもの」という状況であった。

・ 多聞を後にして車は河内長野を抜けて天見町から「浪速ふくろうスタジアム」に向かった。このルートは今回初めて利用したが多聞からは便利が良い。今後この道は私の定番ルートになるだろう。
・ スタジアムにおいては本日が「実践的試用」として硬式野球部が府立港高校との練習試合が組まれている。今日は2試合するそうで11時にプレーボールだから実践の様子を見たかったのである。到着した時には両チームが「アップ」に入るところだった。
・ 本校の顧問の先生が「グランドが小さいところで練習する癖が付いているのでこれほど広いところでもまだ隅のほうでコチョコチョ練習する」と苦笑いしていた。相手チームさんが「球場の素晴しさ」に驚いていたそうだ。
・ しかしスタジアウムは本当に機能的に設計されている。ただ細かいところでは我々が気が付かなかったところがあり、今後「手直し」が必要である。例えばグランドから駐車場に出る場合は靴に「グランドの」がついてアスファルト面に砂がはみ出るなどである。
・ トイレや倉庫は駐車場を横切って行くから「砂落とし」みたいなものがグランド出口に必要なのである。又グランドの線引きや均し用具の「トンボ」などは一旦ネットの外に出ねばならず全く遠回りで意味を成さないしアスファルト表面が汚れる。ここは「観客スタンドと駐車場の間を行き来するメイン通路」であり今のままではいけない。
・ 私は様子を見に来てくれたゼネコンの責任者に対策を考えるようにお願いした。本校が後攻で1回の表裏どちらも無得点のところで私は他件があったのでスタジアムを後にした。後刻13時20分頃顧問から電話があり「6対5で勝った」という。
・ 「ふくろうスタジアムでの初戦を勝利で飾ってくれた」のである。おまけに「第一号のホームラン」が出たという。ホームランボールを取ってあるというから明日でも私がサインをしてホームランを打った生徒にプレゼントしてあげようと思う。
・ 「右翼方面への豪快な一発」だったという。実はホームランラインは紆余曲折、喧々諤々とあって現在の高さに決まったものであるがこれは顧問のI先生が「試し打ち」して決めたものだけに、今日の電話の口ぶりには「どんなもんだ」と言いたそうであった。
・ 「ホームランラインの設定は難しい」ものだそうである。ホームランが乱発されるような球場なら試合は面白くなくなり、全く出ないというにも野球の魅力が薄れるとこの先生は言う。結果的に丁度良かったということか。
・ 生徒は嬉しそうに伸び伸びと、それに又観覧の保護者の数が多かった。皆さん、本当に嬉しそうに満足して私にお礼を言われた。この光景を見て私は今更ながら「作って良かった」としみじみと感じるのである。
・ しかし「もう一度やれるか」と聞かれたら「もう出来ない、しんどい」と言うだろうと思う。こういうのも「タイミング」である。昨日のブログ11月6日にたった一人でこの地に立った時に「やると決めたタイミングが絶妙」だったのだ。
・ 昨日の熱気や喧騒はもうこのスタジアムにはないが、今後は時間をかけて「魂が入っていく」のであろう。私のここでの仕事は終わったと思った。今後は「新武道館」に精力を注ぐことになろうが「秋口まで」は囲いに囲まれ口をさす状態ではない。

・ 平成19年6月1日に始まったブログ「校長日記」は本日を持ってしばらくの間「休止」である。既に予告している通りであり「丸々3年間ほぼ毎日A4版2枚」に書いてきた。コピーを一部とっているが膨大な量になる。
・ 平成19年(2007)152日、平成20年(2008)359日、平成21年(2009)354日、平成22年(2010)今日を含めて169日となるから「合計1034日」である。94%のカバー率である。
・ 我ながら「書きも書いたり」である。多くの方々に「続けて欲しい」「楽しみを奪うのか」「1週間に一日でも」などと「要望」されたが「一旦休止をすることが良かろう」と判断したものである。ご理解を頂きたいと思う。
・ しかし私立学校として、また公金が投入されている学校のトップとして「何かを発信しなければ」という思いはあるので今後どうするかじっくり考えてみたい。現段階では今年の12月1日から「再開するかも知れない」がまだ確かなことは言えない。5ヶ月の充電だ。
・ この間休業日となる8月から「散発的」に「面白い試み」が今頭に浮かんでいるのでひょっとしたら8月と10月には何かがお届けできるかも知れない。「乞う、お楽しみに」というところである。
・ 12月になれば「新武道館の勇姿」が見えるようになってこの建設の「実況中継」もしなければならないと考えている。又民主党の管政権が「国家社会主義」の道を歩むのか、「日教組との関係」はどうなるのか、極めて重要な頃になるであろう。
・ 長い間私の「拙文」「冗文」を読んで下さって有難うございました。心から感謝申し上げます。それでは又。しばらくの間「バイバイ」。

2010年6月19日土曜日

6月19日(土)その2:堺校外グランド竣工式その2














































・ 少し歴史を振り返ってみたい。昨年の4月12日に千早赤阪村にある村立の多聞小学校を購入し大改造をして校外学習合宿施設「多聞尚学館」を開設した。実はその翌日からと言っても良い位に「次のプロジェクト」を始動させ始めていたのである。
・ 本命はあくまで「耐震強度に不安のない新校舎建設」である。又その場所は今の場所しか考えられないのである。従って今建っている校舎の脇から作っていくためには「種地」を作らなければどうしようもなかったのである。
・ それが現在工事を進めている「武道館」である。武道館は来年1月には完成するが現在の運動場が15%程度削減される。身を切られるように辛い決断であったが仕方が無かったのである。プールを潰してまで武道館の位置を決めたのは「種地を作る」為、そういう経緯からである。
・ 工事期間中の運動場の代替地はどこかにないかということが直接的な理由でもあったが、それよりも本質的には「生徒数が増え運動場が狭く」、てニッチもサッチも行かなくなっていたのである。特に「中学校が悲惨」であった。
・ 中学校のサッカーや野球などはグランドの隅で「チョコチョコ」という感じで私は「もう限界」と感じ始めていたのである。「本格的なグランドが要る」と。加えて他の私立高校を調査してみると有力な私学は学校以外に「校外グランド」を有していることも分かったのである。
・ 以上のような思いから私は「校外グランド」を捜し求めたのである。本格的には昨年の6月頃だった。知人や本校の支援者なんどに声をかけて「物件紹介」をして貰った。道明寺天満宮宮司は本校理事長職務代理であるが共に貝塚方面の「みかん畑」を候補地として見に行ったこともある。
・ 又泉南の社会保険庁保有の福祉施設や河南町にあるグランド、又千早赤阪村の土地も行政の紹介で大雨の中を数人で見に行ったことも今では懐かしい思い出である。そして遂に現在の堺市南区に「格好の物件」を見つけたのである。
・ その日は今でも忘れていないが平成21年11月6日であった。きっかけは出入りの不動産会社の社長に探すよう頼んでいたのが結局は決め手になった。情報を得て私はこの日多聞尚学館に行くついでに物件を観察した。そして「一目で気に入った」のである。
・ 私は現地から事務室の担当に「買い、買い、買うぞ」と叫んだのである。早速11月12日出入りの不動産会社の社長さんを呼んで「購入の意思」を伝えたのである。しかし先方が売ってくれるかどうかも分からないし、既に先約があるかも知れないという不安はあった。
・ 前述したように私は昨年の6月頃から本格的に物件を探し始め、「売りに出ている物件」があるという噂を入手すれば大体その日の内に行動した。条件はただ一つ「住吉区の本校から車で1時間以内」ということと「野球場は両翼で90メートルの広さ」が取れることであった。
・ 今まででも野球、サッカー、ラグビーは正規の大きさではなくて教員や生徒に「肩身の狭い」「切ない」思いをさせてきたからである。それに有力な私学は校外にグラウンドを有していた。私は、何時かは「それらに負けない十分な広さのあるグラウンドを」と思い続けてきたのである。
・ そのためには他の私立高校のグランドを見学に行ったりした。そこで大いに勉強した。 とにかく「浪速高校は部活動の盛んな学校」であり、部活動の盛んな学校は良い学校の証明とまで私は思っている。「文武両立の学校作りにはグランドは命」なのである。
・ この堺の土地であれば正規のサッカーやラグビー用も取れる。大体12000㎡、4000坪は必要であったのである。加えてバスで1時間以内で4000坪のまとまった「形の良い土地」などはそう簡単に手に入るはずは無いのであるがそれが「運よくあった」のである。
・ しかし「地主さんが土地を売ってくれるのかどうか、そしてその価格は」などとアンノウンなことばかりで幾ら私だけが「欲しい、欲しい」と言っても意味はなかった。それでこの話しはごく一部の関係者だけの「極秘事項」として進めたのである。「プロジェクトX」と呼称したのである。
・ その後紆余曲折もあり、先方担当の不動産の会社と当方の不動産会社との話のやり取りに、気があせるばかりであった。ただこの辺の事情はもはや関係ない。ただ私は他の私立高校や大学などが「競合相手」になることを恐れたのである。とにかく「早く手を打ちたい」とそればかりを考えていた。
・ 昨年の12月6日私は事務長、事務長補佐、委託の本校設備担当、不動産会社社長を引き連れて地主さんのご自宅を訪問して「誠心誠意売却をお願いした」のである。この日は忘れられない記念日となった。俵真智流に言えば「12月6日は忘れられないグランド記念日」となる。
・ そして12月25日クリスマスの日に目出度く「契約が成立」し、午後事務室の職員が銀行に走って「頭金を振り込んだ」のである。まとめて書けば以上の如くであるが勿論日々情勢は変化し毎日、毎日「やきもき」して打ち合わせをしていたのである。
・ これで本校は「校外グラウンド」を有することとなった。12月26日地主さんと売買契約を交わし、堺市から「国土利用計画法に規定」に基づく土地売買等の契約に関して「行政不勧告の内容通知を竹内市長名の公文書」で受け取った。これで初めてオープンに出来ることとなった。
・ もったいぶった言い方でブログの読者には申し訳なかったが何しろ「正々堂々」、法令違反の無いように進めていたから仕方が無かったのである。そして生徒や保護者には本年1月8日の「新春拝賀始業式」正式にオープンにしたのである。
・ 実は「新武道館の建設」が決定されこちらの方も始動し始めた時だったから「本当に資金は大丈夫か」「自分の進めている方向は間違っていないのか」等々常に振り返りながらであったが、私の背中を押したのは「私が浪速にいる間に未来の設計図」を描いておいてやりたいという思いだけであった。
・ 作る以上は「立派なもの」を作ってやりたい。素晴らしい施設を持てば学校は活性化し生徒も保護者も教職員も喜んでくれる。「誇りを持って」くれる。そのことは浪速の基盤を磐石にすることだと信じて疑わなかったのである。
・ 法人理事にはまず11月中旬に理事長職務代理を現地にお連れした。一目で「これは買い」と言って頂いた。二人の感覚は同じなのである。二人でこの土地の隅から隅を歩いて確かめたのである。理事会・評議員会においても「満場一致で賛同を得て承認」された。
・ しかし私は本当に運が良い。当に「神様の思し召し」だと思えるくらい願いが叶う。「私は幸せ者」である。教員の一人が「学校改革の証」として「浪速教育のトライアングル」と名づけてくれたのである。
・ このようにして学校改革の成果が具体的に物件で出てくれば教職員も苦労が報われたとなって又頑張ってくれるだろうと思う。これで「新校舎建設の準備はすべて整った」ことになる。
・ 「多聞尚学館、新武道館、校外グラウンド」と一つづつ進め投資をしてきた。すべては「生徒と教員の為」である。次は「武道館」である。そしてその後は本命「新校舎」である。何としても私の代で「21世紀に生き残る浪速の礎」を完成させてやりたい。それが「私の責任」であると思っているのである。

6月19日(土)堺校外グランド竣工式
























































・ 家に帰って「心地よい疲労感」に浸りながら右側のテレビで「ワールドカップサッカーのオランダ戦」を見ながらこのブログを書いている。生徒たちも、特にサッカー部のクラブ員達は今日の日を忘れないのではないか。
・ 朝6時には大雨で「土砂降り」に近かった。天気予報では午後曇りとあったが堺は大阪市と幾分違うらしく、午後も堺は「小雨」程度が残ると言う人もいたが、現地に先行している職員からは「雨は完全に上がっています」と9時半頃には電話があった。まさに「雨降って地固まる」である。
・ 昨日のうちにテントを数張用意しているが一部は必要ないというのである。私は本当に「運の強い人間」である。「神のご加護」である。有り難い。今日も多くのお方から「天気の好転は理事長の運の強さ」と言われたのである。
・ 遂に堺校外グランドの「浪速ふくろうスタジアム」の完成記念式典と祝賀会の日となった。「感無量」である。今日は13時30分に第1部の式典がグランドであり、第2部は同じ堺市にあるリーガホテルを会場とした。
・ このホテルは毎年本校の「入試説明会」の定宿ならぬ定ホテルである。1部の参列者がグランドからバス3台に分乗して会場に向かった。2部には本校の教職員も学校から駆けつけてくれて総勢200名近い参加者となった。極めて「良い雰囲気のパーティ」となったのである。
・ 通常、こういう場合本校サイドはご来賓の方々の接待役という役回りになるのであるが「今日は少し違う」と私は冒頭挨拶の文言に入れた。「教職員が頑張ってくれたからこのようなグランドを持てた」のであって「共に喜ぼう、共に勝利の美酒に酔おう」と話したのである。
・ 感謝感激することに「大阪府の私学・大学課」の代表のお方が式典に参可して頂けることとなった。「名誉なこと」である。又地元住吉区の中野府議会議員、大阪市会の多賀谷議員、髙野議員もお忙しいのにご参加頂けた。有り難いことである。
・ しかしバス6台に分乗したクラブ員の生徒が「それぞれのユニフォーム姿」で初めてグランドに立った姿を見ると「感動もの」ですぞ。生徒は式典の始まる前に既に「出来上がっていた」のである。私も一生の思い出になった。昨夜来の大雨で当然グランドコンディションが悪いからグランドを守るため元々計画していた「クラブの生徒によるデモンストレーション」は私の意志で中止とし、例えばサッカーは校長のシュートなどのパーフォーマンスに切り替えたのである。
・ 生徒代表が「お礼の言葉」を述べてくれた時は感極まった。この素晴らしい運動場を使ってまさに「文武両道」の人材に育って欲しいと思った。「浪速は生徒教職員とも良い学校である」ことを改めて私は痛感した。
・ 先立って「国旗校旗掲揚式」があり、吹奏楽部の生徒が生演奏をして式典を飾ってくれた。共学に移行して5年目、「輝いている女生徒」を見て多くの参列者は「感慨深い」ものがあろう。徐々に「男子校のイメージ」が薄れていくのは時代の流れである。
・ それにしても多くの方々のご支援でこのような素晴らしい施設が半年で完成した。昨日元受会社のエタニティの会長さんがご挨拶に来られて言って頂いた一言が嬉しかった。それは以下のような内容であった。
・ 「営利企業ならこのような施設で利益を出すということなのですが学校というのは利益を目的としたものでは有りません。理事長がここまで頑張っておられる姿に感動して私も利益度外視で頑張りました」と。
・ 私はそのとき言ったのである。「確かに利益がお金では出ませんが本校で学ぶ生徒たちがここで心身を鍛えそのうち社会で活躍し貢献することが最大の利益であり、学校長はそれだけが楽しみです。」と。
・ 竣工式は見事に終わった。オリックスの大引選手の父君のご奉仕であるが特に「祝詞」に感動した。お時間を取って頂いて「生徒を激励する奏上」が大変に魂を揺るがすものであった。さすがにスポーツを愛する神職であらせられる。
・ ラグビー、アメフト、軟式野球、硬式野球の順番でおこなった「始球式」も何とか無事に終わった。結論は詳述しまい。とにかく無事に終わった。これで終わりかと思ったら「サプライズ」で何と生徒は「私の胴上げ」に移ったのである。これにはいささか「参った」。目頭が熱くなったのである。
・ その後生徒代表が「お礼の言葉」を述べてくれた。その中身は「義理のお礼」などではなくて真摯に今回のことを冷静に見つめ、如何に喜んでいるかが伝わってくる素晴しい挨拶であった。本校の生徒は「賢い」。
・ 観衆は式典に参列してくれたお客様であるが皆さん、大きな拍手を惜しみなく送ってくれて式典は盛り上がった。雨の心配どころか気温はどんどん上がり大変蒸し暑くなってきて、私は汗で「びしゃびしゃ」となった。
・ この間吹奏学部は見事な演奏を惜しみなくやってくれて生音楽が式典を彩ってくれた。それにしても高校生というのは成長が早い。今日も高校1年生が大勢メンバーに入っている。この4月に入学だからまだ2ヶ月強でこの腕だから大したものである。
・ 自慢のクラブハウスには皆さん一様に「驚愕」に近いものを受けている感じであった。それは容易に分かるのである。「まさかここまでするとは」と感じられたのではないか。見る人によって評価が異なるのが面白い。
・ 「ビジター用のロッカールーム」を独立して有したことを「殊の外」評価して呉れた人もいた。トイレが「水洗でその数も多い」ことも大きな賞賛の声があった。「手洗い場に液体石鹸が揃って置かれていたのに感」したとも言われた。
・ 本日はリトルリーグの監督さんやコーチの先生方、そして塾関係の先生方が大勢ご参列頂いている。これらの先生方から「浪速のPR」がなされるかも知れない。嬉しいことである。是非PRをお願いしたいと思う。
・ 特に後述するがリトルリーグの指導者からは「是非使わせて頂きたい」とのお話があった。私からは「是非是非お使いください」と言ったのである。地域の子どもたちにとって本格的な野球場で試合をすることは夢らしい。空いている時は是非お使い頂きたいと思う。全然問題はない。
・ この4月に管理職に昇進した高校教頭がこの式典を仕切ったのであるが「見事にやりきった」と思う。細かいところではまだ経験不測の未熟な部分はあるが「冷静に状況を見つけながら」コーディネイトしてくれていた。「合格」である。
・ しかし実際はリーダーが良くてもそれだけでは組織は動かない。「組織が動くというのは究極のところ組織の構成員の人間性が良いという証明」である。これは私の信念である。第2部の祝賀会では特にご来賓からこの点について「賞賛の声」が多くあった。社会的な地位があり多くの部下を有しているお方の見方はこういうところなのである。
・ このような評価の声を聞いて私は大変嬉しかったのである。間違いなく「本校の教職員は質的に変わった」。元々資質は高いレベルだったのかも知れないが昔は力が発揮できる状況になかったということか。今新しいリーダーを得て元々有していた力が発揮できるようになったというなら私は本当に嬉しい。
・ 平成19年4月に始まった「浪速改革」は「浪速教員改革」であった。今このようにして堺に校外グランドを有することが出来るようになったのは実は「良識があり、頼りがいがあって、人間的に素晴しい教職員の意識改革の成果」であると言える。意識改革という言葉が意に染まないなら「元の意識に戻った」と言っても良い。 

2010年6月18日金曜日

6月18日(金)堺の完成式前夜





























・ 今私が急いでいるのは「新しい事務職員の確保」である。ホームページに記載し中髙連にも登録し、最後の手段として産経、朝日、読売の新聞広告まで出したのだが実際に「履歴書」を送ってくる人が少ないのである。全く想像していたこととは「異なる現象」である。
・ 国や府の授業料軽減事務処理、武道館工事、亡くなった女性事務職員の後任としてなど将来の事務職員の「年齢構成を考えて人材を配置」するのは私の大切な仕事である。今さえ良ければそれで良いという訳には行かない。
・ 電話での問い合わせは多いのだが実際に募集要項に合致している人は少ないということである。「大卒で40歳以下」というのが「しばり」になっている感じである。即ち世の中には48歳とか51歳とかの世代の人々が職を求めているのであり40歳以下となると激減することを示していると我々は想像している。
・ 「縁故募集」という方法もあるのだが私はその方法はとらないと決めている。身内親戚友人などからの縁故採用では、採用に楽な面はあるが将来「しがらみ」となる。「広く公募」するに限る。

・ 8時からの堺プロジェクトミーティングで明日の天気予報から考えて「雨天対策」を徹底するように指示を出した。あるだけの「学校のテント」を持っていって張るのである。ご案内する見学通路の確認とクラブハウス内に立ち入った場合の靴を脱がなくて済むマット敷き等である。
・ 「堺ふくろうスタジアムの記念タオル」が出来上がってきた。ギリギリセーフで間に合った。中々面白い。これを「全校生徒にお祝いとして配る」。生徒も喜んでくれるだろう。これが私立学校である。
・ 朝一番に中学校サッカー部の顧問が堺グランドのお礼に来た。聞いてみると中学生も大変喜んでくれているというが「初使用」については野球部とグランドを分けて使用と言うから私はこの案を差し戻した。
・ サッカー、野球はそれぞれが堺のグランドで思いっきり走り回ることが大切である。あそこは中学校生徒の物でもあるからだ。一つのものを半分に分け合ってというのは時と場合によると思っている。
・ 中学の野球部があの球場を自分たちだけで使うことで「広さの感覚と自分たちの実力を自覚」をすることが重要である。中学生にも一人前の対応をしてやらねばならない。「これが教育」なのではないか。
・ 一人前に素晴らしいロッカーを一人一個自由に使え、ミーティングルームで生徒たちが考える時間を与えてやらねばならない。要は「独立心」を持たせるように仕向けることが肝要である。
・ 私は今年の「中学校の体育祭は浪速ふくろうスタジアム」で実施するよう中学教頭に検討に入るよう過日お願いした。校内グランドは「武道館工事」で手狭になっており「中学校の全校生徒へのお披露目」をかねてふくろうスタジアムで実施するのである。これは面白いことになる。「中学校の求心力を高め」ことになろう。

・ 9時からの管理職朝会で中学教頭から「学級懇談会のまとめ報告」があった。かなりかなり「厳しい内容」も含まれており、一部「説明責任の不足や当方の配慮不足」もある。これらの声を今後活かしていかねばならない。
・ 中に多聞尚学館での学習合宿において中1と中2で差があるのではないかとのご指摘があったがこれについてはそのように受け取られても仕方がない面もある。ただ中学1年と2年を差別しているわけではない。「区分」しているだけである。
・ 一言で言えば現段階は「実験中」である。まず「鉄は熱いうちに打て」と「入学早々で学習習慣を付けて貰うため」に中学1年生を対象にしたのである。又「高校の週末スペシャル」と違って中学は「ウィークデイ合宿」であり、これは「継続するかどうか注意深い検討が必要」である。
・ 学校での教育活動との差異、例えば「授業こま数」「生徒の気力・体力」「時間効率性」などを現在チェック中なのである。2回目は「保護者参観日がメイン」だったからこれは別ものである。
・ 学校からの往復のバスの出発時間と授業こま数に問題を感じ、これでは「多聞に行く必要はない、学校での教育の方が効率が高い」と私は厳しく「中学校教員の考えの甘さ」を指摘した。
・ それで来週2回目の計画があるのだが、これは6月22日、23日で合計70分授業時間数が学校で授業する場合よりは増えているのと一こまが60分と10分増えているのである。これなら「多聞合宿の価値」はある。
・ しかし一日目の「就寝時間は23時、翌日学校到着が17時30分」で自宅に戻れるのは19時前に成るかも知れない。科目は英語・数学・国語・地理・理科と全教科である。果たして中学1年生に耐えられるのであろうかそこを見なければならない。
・ 中学2年生はこの中学1年生での効果と効率を見て来月度実施する考えである。中学1年生と2年生は当然やり方が違ってくるだろう。「弱いところ、不得手なところ」を区分して「クラス単位ではなくて多聞編成にすべき」というのが私の考えである。
・ 決して中学2年生を無視しているわけではない。「多聞の学習合宿はきつい」ものである。果たしてまだ意識と体力の低い中学生にどのような方法が最も効果があるのか「重要なテーマ」として位置づけているのである。「試行中」なのである。
・ 多聞は「学校と同じことをやる場所ではない。」これは根本原則である。「学校は授業」「多聞は特別」である。特別とは「塾、予備校、弱点克服、集中演習」などの性格を有することが特徴であって我々は高校生で1年間述べ7000人の生徒を連れて行って研究した。これから中学への適用が始まるのである。現在はその前段階なのである。

・ 武道館が出来れば部活動以外はほとんど「中学校が学校行事などで武道館を使える」ように配慮している。又引き続いた工事計画には「中学校用のクラブ部室を設置する」こともすでに決めている。私は「中学生の味方」であるから安心して頂きたいと思う。
・ 6年間本校に通ってくれる中学生のことを「大切」に思っていることは間違いない。間違いなく浪速高校に進学できるのかなどの質疑もあったやに聞くが、「しっかりと勉強させ、勉強して貰わないといけない」。そのように仕向けるのは保護者と教師の責任である。

・ 明日の式典で私の「始球式」が計画されており、逃げるわけにも行かず昼休み少し練習をした。「保護者会寄贈の製氷器や映像装置」も一式出揃った。少し贅沢である。これで「立派なスタジアムが完成した」。明日は竣工式と祝賀会である。「良くぞここまで来た」という感じである。

2010年6月17日木曜日

6月17日(木)広報宣伝の重要性






















・ 6月19日発行の「サンケイリビング堺・和泉版」に1ページも使って本校の堺スタジアウムが詳細な記事になって載っている。「教育トライアングルで文武両道をサポート」の見出し、わざわざ「6月19日新スタジアウムがお目見え」とまで書いてくれている。
・ このサンケイリビングは産経リビング新聞社が発行している「コミュニティの情報誌」というものでありとあらゆるジャンルを網羅している「タブロイド版12ページもの」だからまさに「情報満載」である。
・ 無料配布だから相当数のご家庭に配られるとして本校の堺の「浪速ふくろうスタジアム」が人々の「口の端」に上ればこれ以上嬉しいことは無い。しかし産経リビングは「誠実な会社」である。
・ しっかりと私は「インタビュー」を受けさせられた。当初は逃げまくったのでるが入試広報室が「どうしても」というので受けたのである。インタビューを経てから記者が「記事を書き下ろす」のである。
・ インタビューよりは「自分で原稿を書いた方が早いし中味も私の思いが伝えられる」と考えるのだが、それでは「客観的」ではないと言うのであろう。当初は「教頭に任せるから」としていたがやはり「トップの声」を記事にしたいと申し込みを受けたのである。
・ 受けた以上はと考えて私は質問に誠実に正直にお答えした。1問で回答が10分はしゃべるから合計1.5時間の長時間インタビューとなった。幾分「意地悪気味」に早口でドンドンしゃべったのであるが、出来上がった原稿は「それは見事」なもので、さすがプロの記者はすごい。「プロの技」なのだと思う。それが今回の記事になっている。

・ 通常国会が閉幕しいよいよ参議院選挙であるが各政党とも「党首のポスター」や「マニフェスト」「公約」の類を昨日辺りから宣伝し始めた。政党にとってこれらは極めて重要である。「ポスター一枚で票が左右」されるだけに広報本部長や選対本部長のセンスがポイントである。
・ 学校で言えば「入試広報室長」の職にあるものがその任に相当する。私立高校の生徒募集活動は「選挙みたいなもの」と考えられなくも無い。多くの私立高校や中学校が乱立しており有権者である生徒と保護者の「清き一票」を頂くために我々は努力しているのである。
・ 私が着任した時は「入試事務室」という「カビの生えたような呼称」で広報という概念などは無かったに違いない。私は「人も金も物も場所も情報も」すべて与えて「戦力を整えた」のである。
・ そして今年から「入試広報担当教頭」の職位を新設し合わせて入試広報室と広報情報委員会の二つの分掌を所管するように「指示命令系統を明確」にした。担当教頭は管理職であり、管理朝会や理事会評議員会の常任メンバーとした。それくらい私は重要な職位としているのである。

・ 高校、中学校の22年度版「学校案内」が「大詰め」を迎えている。昨年度分までの3年間お願いきてきた会社さんから新しいところに切り替えた初年度ある。「出来栄え」が人気にも直結とまでは言わないが、生徒保護者に目に触れる極めて「感覚的」に重要な影響を与える。
・ こういうものも最大で3年とし発注先を替えた方が良いと私は広報室に言っている。「マンネリ」を避けるためである。我々が気が付かない新しいセンスで作ることを得るためである。自らセンスを磨くというのは結構難しい。「手っ取り早い」方法は「相手を変える」ことである。
・ 3年前に私はそれまでの会社から新しいところに変えた。結果としてこの「3年間入学者数は増えた」。そして今年更に新しいところに切り替えたのは「株の売買」と同じで「まだはもうなり」である。気付いた時には大体「手遅れ」となっていることが多い。
・ 今回の学校案内では当然変更部分はあるが特に気をつけなければ成らないのは「引用する写真等」である。良くあるではないか。20年前かと思うような「顔写真」を使ったりしているとそのPR誌は「嘘っぽく」見えるものだ。私は一部の写真の変更を命じた。
・ 今年の表紙は当然「浪速ふくろうスタジアム」を中心とした「教育トライアングルの構築」であり、これ一本で今年は勝負をかける。「多聞尚学館」「浪速ふくろうスタジアム」そして来年1月完成の「武道館」である。我々はこの「種の神器」に自信を有している。これが伝わらないような表紙では駄目だ。
・ 又「女生徒に訴える内容」も強調しておきたい。特に来年度入試はライバル校が「共学に移行する」だけに極めて重要である。表紙に「インターハイ大阪代表に男女ともなった弓道部の女子選手の写真」を使ったのは「ヒット」だと思う。

・ 「浪速通信:我ら浪速」のVOL14号が出来上がってきた。これは私が着任してすぐ始めた保護者生徒塾関係の皆様方などへ「ホットニュース」としてお知らせする目的の広報誌であるが、年4回発行のペースで確かに「3年間続け14号」になったのだ。
・ 「地道な努力」であり私は評価したいと思う。残念ながらこれを担当する先生は常勤講師の先生であったが過去二人の先生はすでに本校にはいらっしゃらない。残念である。そういうことで今回から又「新しい常勤講師の先生が主務者」である。
・ この先生、見た目以上に「写真撮影のセンス」が良くて特にシャッターチャンスと構図に「光るもの」がある。時に「最先端の髪型」をされて学校に来られるが。実は私の「ブログ写真」はほとんど自分で撮るのだがどうしても一斉参拝や朝礼などで不可能な場合はこの先生に頼んでいる。腕は確かである。
・ 今回の「我ら浪速」のトップニュースは「浪速ふくろうスタジアム完成間近」とあった。これで結構である。内実を明かせば実はこれは2回目の編集で当初原案にはスタジアムのことも「国や府の授業料軽減措置」のことも無かったので私は変更して貰った。
・ 若いし、講師の先生だけに「何をトピックスとして載せるか」は教頭がチェックしなければならない。どうも今回はそれが抜けていたみたいである。それに記者たる常勤講師の先生も「今本校で何がホットなのか」は考え感じておかねばならない。それが「センス」だろう。
・ 広報情報の仕事は「経営に直結」しているだけに元来は理事長校長直轄のマターであると言っても過言ではない。「入試広報室や広報情報員会の分掌に属している人はその自覚を忘れてはならない」。それくらい今日では広報という言う仕事は重要なものである。企業でも広報業務を見事にやりきるというということは「出世の登竜門」である。

2010年6月16日水曜日

6月16日(火)「V字回復」


・ 民主党の新内閣管直人総理の人気が凄いことになっている。これで民主党支持率は「V字回復」である。この言葉は最近の「流行り言葉となった感」がする。鳩山政権の末期の20%から60%超えだから3倍増のまさにV字だ。
・ しかし「浪速のV字回復」も我々の口からは言えないが、今年になって大変良く耳にする言葉である。確かに生徒数や会計業績はV字よりは急峻な「松の葉回復」をしている。塾の先生方やご関係の教育界に方々からよく言われるのである。
・ だから私は民主党のV字回復などの文言を耳にすると「複雑な気持ち」になるのである。浪速高校と民主党のV字回復は根本的に異なるもので、私や教職員の足を地に付けた「血の滲む努力」を認めて頂いた結果であるからだ。「政治の世界の人気投票」とは全然違うのである。

・ それにしてもあれほど低迷した鳩山内閣の次に登場した「内輪の政権交代」だけでこれほど支持率が変わってくるものか。ここが私には信じられないのである。何時か新聞の見出しにあった「日本の悲劇:大衆民主主義を撃て」というようなものがあったが私にはこの人の真意が大変良く分かる。
・ 「大衆ポピュリズムが日本の政治を駄目にした」とぼつぼつ「骨のある知識人」が声にし始めたことを私は評価している。これで安部、福田、麻生、鳩山と1年も持たない短寿命の総理が4人も連続した。
・ 米国のオバマ大統領は就任して1.5年だがこの間日本の総理は3人目だというから「日本の政治の異常さ」が際立っている。それにこの間のマスコミの報道関与の仕方も評価の対象にしてもよいのではないか。
・ 「大衆ポリュリズムとメディアの合体」が今日の政治状況を作り出したという意見は多い。まさに「映像という武器」を使って政治を劇場化した。「小泉劇場」以来、これは始まった。当然劇場化したら当然視聴率や観客動員数がターゲットになるのである。
・ 「政治ドラマが人気ドラマ」と化したのが今の日本の現状である。だから「V字回復」などが起こりうる。起こって当然なのである。「大衆ポピュリズム」とはそうしたものである。碌に政治の勉強もしたことにない人たちが映像に出て政治を一方的に語ったことが大衆の世論を作り上げていくのである。
・ ここには「企業業績のV字回復」とは同じV字回復でも全く中味の異なる本質的なものがある。政治のV字回復には「血のにじむ」「身を削る」「額に汗した」企業努力に迫るものが全くない。
・ この点が戦後60年の日本の政治と経済を推進してきた企業と根本的に異なる点である。「大衆迎合の政治責任」は極めて大きい。税収入以上の国債発行額という国の借金を増やして、遂にそれは800兆円にもなった。
・ 「中央集権的利益分配型の政治」を自民党政権は60年も続けた。そして「どうしようもない閉塞感」からようやく行き詰まりに気付いた「民衆」はようやく政権交代をさせたのである。私は「脳死状態」からの覚醒を期待したのである。
・ ところが国民からあれほどの「熱気」を貰って登場した民主党政権は「とどのつまりは自民党の上を行く「ばら撒き政治」を展開した。37兆円の税収に44兆円もの国債発行で帳尻をあわせ、「徹底的に無駄を省いて予算を捻出するという目論見」は無残にも出来なかったのである。
・ 「官僚の抵抗」にあって頓挫したのである。縦割り省庁の無駄を削り、「事業仕分け」を「劇場化」して演じたのは良いがたった6000億円程度しか出てこなかった。天下りには手がつけられず独立行政法人の廃止も「お茶を濁す程度」で終わった。
・ 国防予算以上の5兆円を超える「子ども手当て」を現金支給しようとし、高校の授業料無償化、高速道路の無償化、農家の個別所得保障等々「金は無いのに配りまくろう」としたのである。借金して金を作りそれをばら撒くという「似非徳政令」は単に子孫の世代に負担を押し付けただけである。
・ そして鳩山内閣は「ニッチもサッチ」も行かなくなって退陣した。しかし私は思うのである。これは歴史的必然性で「巧妙な天の思し召すところ」だと思うのである。実は鳩山、小沢政治なるものは「自民党的政治の最後の断末魔」であってこれで持って本当の意味で戦後政治は終わったのである。
・ 鳩山内閣は完全なる非自民政権に至る「一里塚」だったのだと考えるのである。自民党から民主党への「ワンクッション」あるいは「グラデーション」として鳩山小沢体制があったのだと考えられるのである。「移行期間」だったのである。
・ そして今回2世議員でもなくサラリーマン家庭に育ち、市井の市民から総理まで上り詰めた管内閣の出現によってようやく「自民党に変わる新しい政権が誕生した」のである。実は今回こそが本当の意味での政権交代であったのではないか。そうでも考えないとあのV字回復の人気沸騰の理屈が立てられないからである。
・ まず「神の声を聞く」ようにして管総理と新内閣のメンバーは最も自民党的政治「小沢的なるものの排除」に走った。来年度からの子ども手当ては無理かも知れないと言い、今衆院選を戦ったマニフェストの見直しに動いている。「ばら撒きにブレーキ」を掛けようとしているのである。
・ 漸く「消費税を含めた税議論」を政治日程に載せると総理、官房長官、財務大臣他が言い始めた。「成長戦略」の概念が全くなかったことに民主党は気が付いたのである。民主党の言う「政治主導」の失敗に懲りて管総理は「学校の成績だけが良かった大馬鹿な官僚」から「行政のプロたる官僚と共に」と大きく方針を転換した。私は総理のこの言葉を聴いて飛び上がって驚いた。その「変身振り」にである。
・ 沖縄普天間問題の失敗は「外務官僚のサボタージュ」であったという見方をする人は結構多い。「友愛」などと意味の無い空虚な言葉を乱発した総理と蒙昧無知な前平野官房長官、統一原理主義者的岡田外務大臣などだけでこの国を挙げた安全保障の問題が半年やそこらで解決するはずは無いのである。
・ 日米関係をぐらぐらさせ、日本の安全保障を揺るがせた一大事件であったが、全ての責任は鳩山総理以下の考えられないような「稚拙なアプローチ」、さも「不動産物件をあさる」ような対応がもたらした当然の結末だったのである。民主党のいう「未熟際まりない政治主導がすべての原因」である。
・ 私は今「官僚の高笑い」が聞こえるのである。遂に民主党政権は「官僚の軍門に下った」のである。消費税を含めた税議論は財務省を喜ばせ、辺野古沖に戻ったことで外務官僚は「ほっ」としているのである。
・ 民主党政権は「社会民主的政権」である。これだけは間違いない。幾分急進的な社民党の連立離脱を最も喜んでいるのは実は官僚集団であって、「民主党、組み易し」と思っているのは容易に想像できる。
・ 恐らく管政権には幾ばくかの成果をもたらすように仕組み、この国を自分たちの思いで「行政を進める」だろう。管内閣は成果を上げてひょっとしたら長期政権になる可能性を私は感じる。
・ しかしそのイメージは「徐々に社会民主的国家」に近づくような気がして成らない。総理のことば「最小不幸社会」などはその典型である。管総理は「北朝鮮拉致の実行犯辛光珠元死刑囚の釈放嘆願書に署名」した人である。
・ 平成12年の「国旗国歌法案」には反対票を投じた人である。「外国人への地方参政権付与に賛成」し、夫婦別姓制度には積極的である。市川房江さんに仕えてから今日まで「筋金入りの社会民主活動家」として「弁論さわやかにして野心を隠さず」に遂に政権を手にした。
・ 流れる血は「反権力反権威」であり、「シンパシーは社会主義的な色彩」が極めて強い。しかし「仕事が出来る」。又「四国88箇所お遍路の旅」に出るなどのパーフォーマンスも意識出来る人である。極めて「有為な人材」であることは間違いない。
・ 連合を支持団体とし「日教組と蜜月関係」を有するこの政権は限りなく社会民主的発想で「均等、公平論」を振りかざして「特徴あるものを特徴ないもの」にしようとするのではないか。
・ 特に私は「教育問題について次の手がどのようなものであるのか」大変に気にしているのである。「全国学力調査はすでに抽出方式に変更」させた。「教員免許更新制度も宙に浮いたまま」となっている。年収1500万円の家庭の子どもに子ども手当てや高校授業料無償化もすでに実施したのである。民主党の手でこの国は一体何処に向かうのであろうか。

2010年6月15日火曜日

6月15日(火)堺グランド大詰め





































・ 堺の校外グランド「浪速ふくろうスタジアム」の工事が山場を越えた。今は細かい処を処理しながら「19日の竣工式に向けて大忙し」の毎日である。これからは所謂「使い勝手」に影響してくるから神経を使うから大変なのである。
・ 特に私は「細部にこだわる」。細部にこだわるがゆえに必然的に厳しくなるのである。「何億円も使った一大プロジェクト」であり、「脳天気に、良きに計らえ」は私の流儀ではない。特に建設物は最後の1週間で「出来栄え」が変わる。誰でも自分の家を建てた時のことを考えれば良い。
・ 柱だけ立っている時には誰も何も言わない。「意匠工事」が始まってから「施主」は口を出し始めるのである。それと同じことである。「施主の熱意」が良いものを作るのである。しかし観察していると概して教職員の性向は「あれは公共のもので自分のもの」とは思っているみたいだ。それだけに私が気を使わないといけないのである。
・ 例えば「ロッカールームのハンガーをかける横棒の高さ」である。昨日現地の工事状況を視察した時にあれでは上着が棚についてしまってハンガーの意味を成さないのではないかと感じた。
・ すぐ私は堺に来る予定の出発前の教頭先生に電話して私のブレザーを持って来てもらったのだが、「案の定」上着の下が下のロッカーについて垂れてしまうのである。これでは駄目とハンガーを掛ける棒の高さを変えるように指示した。
・ すでに木製のロッカーは出来つつあり、棚の高さを変えることは出来なかった。棒の位置を変えるしか方法は無かったのである。しかし棒の高さを高くすれば「背の低い生徒」は伸び上がってハンガーに掛けないといけない。これはこれで問題である。
・ 私のしたことは身長163センチの人に実際にかけて貰って、「背伸び」や「かかとを上げ」なくともかけられるのかどうか実際に確かめたのである。「これが木村流」である。「いい加減には済ませられない」のである。このへんのことが教職員でまだ分かっていない人がいる。まずこれを理解すれば後は「理事長への対応は楽」なものだ。難しいものではない。
・ このように最後の細工の段階で色々あるのである。このためには「真剣に」「熱意を持って」「使う側の目線で」工事を進めなければならない。その他、手洗い場の石鹸入れとか下駄箱とか色々ある。グランドなどは一度整地すれば後はなんてことはないがこのような「細工物」は「概観」にも影響を与えるから神経を使う。特に私はそうである。

・ しかし「PTA寄贈の桜の苗木が36本」、グルリとグランドを取り囲むように植えられると素晴らしい。造園屋さんによれば「来春には花が咲く」と言われた。楽しみである。又「同窓会寄贈の大きな時計」も設置された。
・ しかし準備は順調でも問題は雨である。週間予報では19日は「曇りのち雨マーク」であるがまだ諦めてはいない。午後2時間くらい止んでくれればありがたいと学院神社にお願いして最中である。
・ 第一部の記念式典の皮切りは素晴らしい掲揚台にまず「国旗」と「校旗」を掲揚する。「大切なこと」である。今の予定は本校のブラスバンド部がまず「国歌」を演奏し、生徒部員がユニフォーム姿で「国旗」を掲揚するのである。
・ その後「校歌」が演奏され中学校旗が左のポールに、右側のポールに高校旗が同じく生徒の手で掲揚される。雨が降ったら吹奏楽部は演奏できないから、何とかして欲しいと「天にお願い」しているのである。
・ その後「竣工祭」と「生徒安全祈願祭」が神須牟地神社の大引宮司のご奉仕で厳粛な「神事」が挙行される。その後「パーフォーマンス」が行われるらしいが私には知らされていない。「サプライズ」なのかも知れない。
・ その後記念植樹とか記念品の贈呈式がある。特に今回はPTAから頂いているにも関らず、このグランドをメインで使う「クラブの保護者会」が製氷機と大型モニターを寄贈して頂けるという。総額94万円にもなる高い物である。申し訳ないが助かるので有り難く頂くこととした。

・ とにかく万が一雨が土砂降りになっても予定通り実行する。「雨降って地固まる」の所以である。参列者は200名近くも来られるということで「嬉しい限り」である。府議会議員の先生や市会の先生もお忙しいのに参列頂ける。
・ 19日に竣工式典があって翌日から早速「使用開始」であるが、当面は「調整使用」ということで「各クラブがグルリと一循環」するように担当には指示しているところである。細かいところで「手直し」が入るかも知れないからである。
・ その後は既に「1週間の使用予定案」が私の手元に届けられた。「堺グランドと本校の学校グランドを組み合わせ」で、公平にバランスよく使えるように考えてくれている。特に今まで高校の陰で「割を食っていた中学校」が学校グランドを週に4回使えるようになっており、これは中学生には大歓迎だろう。またまた中学サイドの「校長人気が沸騰」するだろうか。
・ 堺のグランドについて言えば「月曜日はノークラブ・ノー会議デー」の所謂「月曜スペシャル」の日だから「月曜は空きの日」である。当面はこの方針を保持する。そのうち「公式戦が近いので使いたい」などと言ってくるのは「見え見え」であるが「ルールはルール」である。
・ 火曜日がサッカーorラグビー、水曜は硬式野球、木曜日はサッカーorラグビー、金曜日は硬式野球、土曜日・日曜日・祝日は午前9時から11時30分がラグビー、11時30分から14時がサッカー、14時から17時が土曜日のみ「軟式野球部」でその他の日は硬式野球となっている。「フルフル」である。「結構、毛だらけ猫灰だらけ」である。
・ 硬式野球部が最後でも良いと思っているのは「照明設備があるから」だ。真夏の暑い日の昼間はサッカーやラグビーに譲って自分たちは日の陰った夕方にやればという魂胆だと私は想像している。
・ 問題は現地に行く乗り物の「」であって実は今まで検討を進めていたがほぼ最終結論を出せそうである。「南海バスと年間契約」を結ぶ方向で進めているが、極めて「割安」にしてくれそうである。
・ 「浪速ふくろうスタジアウム」は「分校扱い」だから、あくまで「基地」というか「ホームベースは住吉の学校本校」である。だから「全ての発着点を学校」とした。例え休日といえども一旦は学校に集まってバスで堺に行くこととした。これが「生徒の安全を守るため」である。
・ バスは本校専用でありそのうち車体に「浪速高校」と「ふくろうのロゴマーク」など入れて貰えるだろうと思う。通常はバス出発は学校が休みのときは正門前出発8時、10時、12時となる。即ち一日3便出発という具合だ。
・ 専用バスが本校と堺の間を行ったり来たりするというイメージである。このバスは「多聞尚学館」にも行けるから「一挙両得」である。バスの費用は他の私立高校の事例を十分検討して生徒からは「受益者負担」で一日500円とする方向である。これでバランスが取れる。
・ 電車やバスを乗り継いで現地に行ったとしてもこれ以上は往復で費用がかかるから貨切1年契約にすれば相当安くなるということである。それに「南海バスの利点は通常のバス停を利用」できることであって練習試合などで他校が堺に来た時にそこでピックアップできることである。
・ 堺の「浪速ふくろうスタジアム」はふくろうの離陸のように大詰めを迎えつつある。「浪速の勢いを持続する第2エンジン」がこの球場である。「第一エンジンは多聞尚学館」であった。そして「第3エンジンは浪速武道館」である。我々は「はやぶさ」のエンジンように長距離を飛びたい。しかし燃え尽きてはならない。

2010年6月14日月曜日

6月14日(月)弓道部と空手道部
































・ 昨日17時前頃だったと思うが携帯電話が鳴った。私は「大雨の中をウォーキング」をしていた。電話の相手はY教諭で3年生の学年主任をやって貰っている信頼厚い先生である。電話の内容は「男女共に優勝し沖縄に行けます」というものだった。
・ 昨日「大阪城弓道場」で行われた「インターハイ予選をかねた大阪高校弓道春季大会」において「本校は男女共にリーグ戦を全勝で飾り優勝を勝ち取った」のである。「快挙」である。男子個人でも浪速は1位、2位を独占し本校3年の浜平選手が個人戦2連覇を果たした。
・ 何時もは冷静なY先生も電話では幾分興奮気味で「7月末の沖縄インターハイは遠いですし費用もかかりますが宜しくお願いします」というものであった。男女共に優勝だから旅費だけでもかかるがそんなことは問題ではない。「喜んで出したい」と思う。
・ 今朝の新聞は「浪速男女が全勝優勝」とあり写真は個人戦優勝の浜平君である。「良い顔」をしている。浜平君の名前は「胤命」と言い何か弓道が強そうな立派な名前である。普通の人には読めない漢字だ。皆さん、読めますか?読めたら「大したもの」です。最初私は読めませんでした。末尾に読み方を記しています。
・ 弓道は昨年の「奈良まほろば国体」に続いて全国大会に出場するが決勝戦で何とか2回戦に進んで欲しいものだ。全国となると強豪揃いで予選は突破しても決勝での一回戦の壁が厚いのである。
・ それにしても弓道部は頑張ってくれている。特に「女子の躍進」が素晴らしい。共学にして5年目で大阪大会優勝だから「立派の一言」である。強豪校は好文学園、四条畷学園、大阪夕日丘学園、岸和田産業髙などであるが特に好文学園を破っての優勝は価値がある。
・ 好文学園の理事長・校長先生と私は親しく、随分とあらゆる面でお世話になっている。弓道についてもご指導を頂いてきた学校だけにこの学校に勝てたということは「ご恩返し」が出来たということだろう。
・ しかし私は思うのである。やはりスポーツは「監督・コーチ・指導者の力量」にかかっている。弓道部は一昨年一人の若い先生を本校に来ていただいた。好文学園の指導者からのご紹介であった。兼ねてから私が強くお願いしていたのである。
・ 平成20年の12月26日、年末の慌しい時に初めて理事長室でこのお方とお会いした。この時の印象がとても良く一目で私は気に入った。ただ問題は立命館大学の4回生で故郷熊本の地方銀行に「就職が内定」していることであった。この意味は重要で、私が「本校に来て」と簡単に言える話ではない。
・ 私はまず大学側、そして来るお正月に熊本に帰省し、ご両親と相談し、そして内定を頂いている銀行から本当に「円満な内定辞退」が頂けるのかどうか、そして自分が卒業した熊本秀岳館高校の弓道部の監督から他府県の私立高校に勤務しても良いのかまで具体的に「筋を通す」ことを教えたのである。
・ 高校、大学と弓道を窮め、「立命館では主将」として大学選手権を納めたほどの輝かしい経歴を有していたこの先生は故郷に帰って銀行員になるよりかせっかくの高校教師の職とそこで弓道を教えられるという願望の方が強かったのだろうと思う。
・ 年明けに再度面談した時には「さっぱりした顔つき」で「すべて円満決着、本校で働きたい」となったのである。そして私は採用を決めた。これらの人事は当時の人事センターであった副校長マターではなく「私の直轄人事」で決めたのである。
・ そういう経緯から私としては銀行を止めて本校に来て貰った経緯から「彼の人生に責任」もあるから、注意深く観察してきたのであるが、押しも押されぬ結果を出してくれた。今日も部長のY先生に聞くと「生徒が尊敬する先生」だという。素晴らしいことである。
・ 顔は「端正」で「品があるお顔」をしている。今日までの「育ってきた環境」が分かろうというものである。加えて「礼儀正しい」。背は高くなく、声も大きくなく、気力を全面に出すというタイプでは全く無いが生徒は直立不動で先生の指導に従っているという。
・ ただ私としては弓道部の先生でお呼びしたわけではないので現在は高校1年生の担任をして貰って「クラス経営能力」や「社会科の先生としての教科指導力」を観察しているのである。いずれにしても将来を期待している先生である。
・ はっきり言って新武道館は「半分が弓道場」みたいなもので費用も弓道部の場所が半分を占める。「高校生には贅沢」といわれそうな立派な弓道場がそのうちに完成する。恐らく全国でも評判となるのではないか。
・ 私は今回の男女優勝で武道館に「花を添えて」くれたと評価している。武道館が完成すれば全国の強豪校にも練習試合で来て頂けるだろう。宿泊用の48畳の和室もある。とにかく私は力を入れているのである。
・ それに比べて「空手道部」は柏原高校に団体戦では敗れてインターハイには行けなくなった。監督が弓道部の後小さくなって報告に来た。ただ「個人組手では1位、2位を浪速が独占」してインターハイに出場できるが団体戦は決勝で敗れたのである。
・ 昨年は「インターハイで全国チャンピオン」になり難波のスイスホテルで大々的な「優勝祝賀会」をした。「如何にスポーツ分野では連覇が難しいか」、空手道部の結果が示している。しかし私は理由はそれだけではないと思っている。
・ 詳細は書けないが、最近このクラブには生徒に関る問題が発生している。又ベテランの専任教諭が非常勤講師に退き、常勤講師の先生も替わられた。要は「目が行き届かなく」成っているのだと思う。「慢心は無いだろうが管理の眼が届いていない」と私は思っている。
・ 武道館の武道3種、弓道部、空手道部、剣道部は「神社神道の学校」として特別に「強化作戦」を展開し、「最新鋭の練習場がもうすぐ完成」する。「意識改革」して貰わないといけない。「覚悟」して「努力」して貰わないといけない。
・ 剣道部は頑張って呉れているが「先行する高校との距離がまだある」。しかし「追いかける強み」があるのだ。ところが弓道や空手道は「追われる立場」であるから「余程の努力」が必要である。それにはまず「指導者の意識」ではないか。私にはそのように思えてならない。
・ 「胤命」は「かずのり」と呼ぶそうです。