2010年4月30日金曜日

4月30日(金)徹底するということ




・ 4月も今日で終わりである。1月以来重要な学校業務の連続で、「卒業、入試、入学とサイクルが廻って落ち着くのが4月末」である。休みも取れず教職員も大変だったが「良くやってくれた」と思っている。「新年度も軌道」に乗ってきた。
・ 生徒にはこの4月30日を休みになるようにしているが、この分は8月31日に2学期の始業式をすることで補っている。従って元来は教職員は出勤日であるが私は「有給取得奨励日」として本日を休暇にするようしている。管理者としてのの配慮である。

・ 私はその性向から「徹底する」という面が極めて強い。これは尋常ではないと自分でも思っている。性癖になっているかも知れない。とにかく「徹底する」。長い間の企業時代のライン長の時代に培われたものだと思っている。
・ 自分が徹底的だから、私の気持が伝わらず、「ボーッとしている人」を見ると、時に「寛容の心」を失う。指示を受けてチャレンジした結果の失敗は「その責を迫る」ことはない。「指示を守らなかったり、忘れていたりすることが許せない」のである。
・ 私は鉄鋼会社に勤務していた時代に「生産工場の工場長を2部門で通算7年半も経験」した。普通はこのように長くはやらないし大体一つの工場で十分なのであるが、当時の事情からこのような経験を付与された。
・ ライン長の工場長にとって最も重要なことは「部下の安全を守る」ことである。製鉄会社の職場ははっきり言って「死との隣り合わせ」であり、一歩間違えば右腕をなくするどころの話ではなくて即死となる危険箇所が極めて多い。
・ 従って「絶対やってはならないこと」「安全厳守事項」「安全会議や巡視」などそれは「徹底の上を行く徹底化」されているのであるが、「やはり災害は発生する」のである。その理由の大半は「決められたことが守られていない」ことであって設備の損壊とか天変地異などは基本的にはない。
・ 入ってはいけないところに無断で入ったとか、高所作業には「命綱」を使う厳守事項が守られておらず足を滑らせて転落したとか「回転体の中に入って巻きこまれた」とか「規則が守られていない」のが原因である。
・ これらの経験から私は「徹底する」ということに「特段のこだわり」があるのである。7年半の生産現場の工場時代に部下の誰一人も怪我させなかった。この間連続で優秀安全表彰も社長から受けた。
・ 人間というのは悲しい、弱いもので「絶対にするな。してはならない」と言っても100人に一人くらいが1000日に一回くらい「規則を破って」しまう生物だと私は思うようにしている。このたった一人が何時かの時点で災害を引き起こすのである。
・ 「右に行ってはいけない。左に行きなさい」と私は指示する。「右は危ない。穴が開いている。足を踏み外して落下するかも知れないから左に回れ」、これが木村流の指示の仕方である。「指示は具体的でなければならない」と強く思っているからである。
・ 「右に行っても良いし、左にも行っても良いが怪我だけはするなよ」などは「リーダーの言」とは思っていない。さも大物ぶって「良きに計らえ」などは私のスタイルではない。トップの指示は「分かり易く、明瞭で、簡潔であるべき」と信じて疑わない。
・ 「声を大にして叫ぶ。何回も言う」。加えて私は次のようにも付け加えるのである。「あいつが危ない。何か最近ボーッとしている。」「彼から目を離すな」と指示するのが木村流である。時には直接本人に言う。「最近少しおかしいぞ」と。
・ ここまでやって「安全は守られる」のであって、普通のことを普通にやっていては「群を束ねることはできない。これが徹底するということ」である。これは「しつこい」とは違う。見た目「あの人はしつこい」というがしつこいと徹底することとは全然異なる概念である。
・ 時に私は「激怒」することがある。自分でも後で反省しているのだがこのような「徹底する」ということが「どぶに落とされたような時」に私は「切れる。」ベクトルは全員が合わさって初めて方向性と力が出る。
・ これが「総合力を発揮する」事だからである。学校改革をまい進している中で誰か一人でも「能天気」で「あっち向いてホイッ」の人が居たら組織の力は発揮できない。「裏切られた」と思うのだろうか。徹底の裏返しで激しい切れ方をする。
・ 「あれほど言ったのに言ったようにしていない」「ほったらかしにしている」「検討違いの方向に進んでいる」などは許せないのである。従って私は資料を自ら作り、「説明責任」を徹底的に果たす。
・ 「表面上はすべてトップダウン」でやっているように見えるのは「私の不徳の致す所」で自分で言うのもなんだが私は「独裁者」ではない。極めて民主的であると自負している。
・ 理事・評議員の中にも「ワンマン」「絶対者」などと思っている人が居るかも知れないが理事会でも「決してそうではありません」と言っているのである。だから「監事による内部監査」にも「教員が直接説明する状況を作り出した」のである。
・ 管理職に聞いて貰えば直ぐ分かる。校長と接触する機会の多い先生方に聞いてもらえば直ぐ分かる。「柔軟そのもの」で「変幻自在」なことを彼らは知っている筈だ。私が厳しいのは「やるべきことをしない」からであって「やって失敗」したことを基本的には責めない。「向こう傷は問わない」のも木村流である。
・ いち早く「全員にパソコンを支給し校内イントラネットシステム」を立ち上げた。今や校内掲示板にはそれぞれの担当から情報が流れ、充実している。「全員が情報を共有化」しているのである。
・ この掲示板に私が入っていくことは稀であり、今や学年主任や分掌の長から情報連絡が行き交っており、ほとんど私が介入することは少ない。それ位今や本校は全教職員が「持ち場持ち場で自らの拠って立つところの責任を果たしている」のである。
・ 即ち「私の徹底するという行為」が一つの組織を大きく変えたのである。自分で言うのもおかしいが今の「本校はトップの有り様と組織構成員の有り様が理想的な形態になりつつある」と自負しているのである。「組織はトップである」。このことだけは間違いない。

2010年4月29日木曜日

4月29日(木)保護者との連絡網システム




・ 最近の朝会での議論は「高校就学支援制度」「PTA総会と高校教育後援総会」「高校3年生修学旅行費精算キャンセル料問題」「施設設備充実寄付金依頼」など重要かつ気を使うテーマが多い。
・ それも生徒に持ち帰らせる「プリント」や学校が切手を貼って出す「手紙の出状」で保護者は「まあ、学校から連絡のプリントや手紙が来るわ、来るわ」と思われているに違いない。確かに最近は多い。
・ 特に授業料無償化関連は「申請主義」だから何としても本校の生徒の該当者には不利益となってはいけないから当方は神経を使って対応しているのである。年のために郵便を使っているのでる。生徒へのプリントではリスクが残るからである。
・ 意味のない資料をご家庭に送るわけはないので各ご家庭におかれては「しっかりと目を通して欲しい」ものである。こういう話があった。担任が電話をして「資料、読んで頂いたでしょうか」と聞いたら「まだ封を開けていない」という返事だったと言われたという。これではどうしようもない。

・ 最近朝会で議論しているものいがある。新システムというべきものであるが「進捗と言うか立ち上がりがはかばかしくないのである。ほんの少しだけ「困っている」のである。我々は長い検討期間を経て「学校連絡網システム」を完成させた。
・ 従来学校と保護者の間のトラブルの多くは実に些細なことから発生することが多い。即ち「聞いていなかった」「学校から連絡がなかった」という類である。テレビや新聞で「いじめ事件」があって学校説明会などで保護者がクレームをつけるのも「学校の連絡が遅い」というものが大半である。
・ とにかく学校は「迅速に保護者に連絡を入れる」ということが極めて重要である。これさえれば今の保護者間との小さなトラブルも大半は解決するのではないかと私は思っている。
・ そういう狙いから「新しいシステム」を作ったのである。このシステムは「携帯電話、パソコン等に登録されたメールアドレスに緊急連絡などの「最新情報」を一斉に送信できるシステム」である。
・ これ自体は今やそれほど目新しいものではないが本校のものは「システムの信頼性」と「コンテンツの豊富さ」である。「保護者への連絡」「災害時の緊急連絡」「暴風警報等の気象情報」「全校、学年。学級単位の諸連絡」「各クラブからの諸連絡」などである。
・ 言ってみれば「何でも保護者に伝達できる」のである。2年前に着手して今回「富士通」とタイアップして完成導入できたがどっこい、「加入登録者が思った以上に伸びない」のである。
・ 当初は直ぐに埋まると思っていたが締め切りの16日で中学で49%、高校で30%と低調であったから第2弾の要請のレターを出した。ようやく26日現在で「中学は87%と伸びたが高校はまだ61%」にとどまっているのである。
・ 目標は最低でも85%以上においており様子を見ながら第3弾の矢を放つことになろう。どうしてこのような良いシステムが受け入れられないのか「つらつら」考えているのだがどうも確信的な事はいえない。
・ まず費用は年間約600円程度であるが従来の「学生証発行費」の2000円を教員が写真を撮るなどして1000円に減らすからこの点では問題はなかろうと思うのである。
・ 登録手続きは難しいものではない。分かり易く書いた説明書きを生徒に持ち帰らせている。5分あれば済む話である。結局「個人情報保護の問題」を懸念されているのかも知れないと我々は想像している。
・ これについては心配は無用である。「学校のサーバーに登録情報をキープするのではなくて」今回は「富士通グループのソフトウエア会社によってセキュリティは万全」に守られているから安心して頂きたいのである。
・ 次の懸念は「保護者にとって仕事中に予告もなく学校からメールが入るのは迷惑」というものあろうが、それはもう少し考えてほしいものである。今でも家族や友人から仕事中といえども受信はされているのではないだろうか。メールチェックは昼休みで良いのである。
・ 次に私が考えたのは「面倒くさい」。本当に必要なことは娘や息子に聞くから一々送って貰う必要はない」というものではないか。しかしこれでは困る。大体娘さんや息子さんが「学校からのプリント」を親に見せないことからこのシステムは始まったのである。
・ 余り「毛嫌い」せずにご協力を頂きたい物である。しかし私は今些か反省しているのである。「頭だけが先走り過ぎて」、「シミュレーションをせずに直ぐ本番化」した事である。「保護者集会」でも企画して事前説明と「事前登録案内」による賛同者の数を見ながら最終意思決定をするべきだったと思うのである。
・ しかしまだ諦めてはいない。第三の矢を放って保護者のご理解とご協力をお願いしよう。絶対に自信のあるシステムであるから保護者のお役に立てる筈である。本校は私立学校である。
・ 「 私立学校ゆえに学校と保護者の距離を如何に縮めるかが重要」である。何時までも生徒の持ち帰るプリントを見ながら学校の状況を知る時代ではない。私は思うのである。「学校と一人ひとりの保護者との関係が重要であってPTAという組織とは別」だと思うのである。
・ 学校の生徒の一人ひとりを大切にするという姿勢こそ今後の私立学校のあり方だと思うのである。それだけにこの先進的な試みである「学校と学年主任と担任と保護者一人ひとりを結ぶ連絡網システム」はその基本部分だと考えているのである。
・ 高校教頭、広報情報委員会、ならびに事務室は「掘り起こし作戦を展開して貰いたい」と思う。第3の要請文を出す時には正式文に加えてこのブログを添付して欲しいと思う。

2010年4月27日火曜日

4月27日(火)浪速ふくろうスタジアム







・ 朝から小雨がぱらぱら来てこれで本日予定されていた「身体計測・新体力テスト」は連休明けに順延となった。これで2回目の順延である。「雨と地頭に勝てない」。私が「いっそ、中止したらどうか」と言うと体育科は嫌な顔をする。
・ それで体力テストをしている学校を調べさせたら、興国、桃山、清明、学芸、上宮、太成、南海、四天、此花、金光など「これでもか、これでもかと列挙」してきた。仕方がない。身体計測・体力テストを継続することとしたのである。
・ 栄養に満ちた食べ物を食べ、文武両道の学校で放課後毎日部活で体を動かしている生徒が多い学校で、敢えて授業を潰してこのようなものはしなくとも生徒は立派な体を持ち、体力を有している。勉強させた方が良いと思うのだがこれだけは上手くいかない。

・ 堺校外グラウンドの担当の先生に「球場のネーミング」を考えるように頼んでいた。一回目は「堺KTスタジアウム」と一個だけ持ってきたので「これでは駄目!もっと考えて」と突き返したのである。
・ KTとは木村智彦の頭文字を持ってきたのだと思う。それだったらTKだろうが?!
  理事長が土地を探してスタジアムを作ってくれるからと言って、敬意を表して気を遣ってくれたのは有り難いが、そのような「甘言」に乗るほど私は「愚か」ではない。
・ 私が全資産を投げ打って寄付し、作るならまだしも「学校のお金」であり、確かに財布の中身ゼロから、一部は借金とはいえこれらが持てるまで改革を進めてきたが、これらは「教職員との合作」だと思っており「金正日」ではあるまいし、個人名を付ける訳には行かない。
・ しかし世間にはこういう「」は多いものだ。「功なり名を遂げる」とその記念を身近に残しておきたいという「人間の悲しい性が現れる」もので、まず「勲章」を欲しがり、終いには「自分で自分の銅像」を立てる人もいるのだ。
・ だが、ここは「我慢のしどころ」でこの辺に「人間の品格」が現れると思って私は自制しているのである。精精「表札の字を書かして頂くだけで十分」である。これとても後世誰も一々この表札の字はあの人が書いたなど思いはしない。すべて「自己満足」である。
・ 2年前本校の学院神社の「御垣内(みかきうち)」、即ち境内の中に大きな岩石に字を彫らせた「記念碑」の類が数個あったが、私はそれらをすべて他の場所に移し、「神域の神聖を取り戻した」のである。そして神道科の主任に「未来永劫、例え木村がいなくなっても神社境内に個人の碑など立ててはならない」と厳命した。
・ たかが「雇われ校長の分際」で「少し期間が長かったからと言って自分の碑を最も神聖な場所に置かせるなど、それも公費を使ってやるなど私に言わせれば「言語道断の所業」である。
・ そういう観点から言えば公立学校には「校長室に歴代の校長の顔写真が額入りで飾っている」のだがあれも私は気に入らない。創立者でもなければ「単なるサラリーマン校長」が3年や4年の勤務で何故写真を飾るのかさっぱり理解できないのである。
・ 伝統ある学校に行くと、さも幽霊が出そうな写真が何枚も壁にかけてあるが、これらに見つめられて仕事をしている現役の校長先生の気持ちを考えると可愛そうな気がする。その点浪速にはそのような悪弊というか風習がないので素晴らしい。
・ 数年前公立校の校長時代に私はこれらの校長の写真を同窓会会館に移したのもそのような趣旨からである。そうすれば校長室が「すっきり」とした。考えて見れば誰も反対する人などいなかった。最も今はどうなっているか知らないが。
・ 大体「去るものは全ての痕跡を消し去って消えていく」のが美しい。痕跡をとどめるとしても「微か」な方が良い。「夏草や 兵どもの 夢の址」である。夏草で良いのである。「男の仕事」とはそういうものである。

・ さてI教諭が持参したグラウンドのネーミングであるが「厳選して5個持ってきました」という。「浪速ボールKTスタジアウム」「浪速KT総合ボールスタジアム」「浪速SAKAI総合グランド」「浪速オウルスタジアム」「浪速総合スポーツスタジアム」の5個である。どれも「しっくり」しない。
・ あれからしばらく私は考えた。そして「回路が繋がる」ように「ピリピリッ」と来たのである。4番目のオウルとは「ふくろう」のことで瞬間「ふくろう」が脳の中に入ってきたのである。オウルなど誰もその意味は分かりはしない。こんなものは使えないが「ふくろう」なら誰でも分かるし「本校の校鳥(スクールバード)」ではないか。
・ 実は私は教員の提案に期待はしていなかったので内心は「浪速浄明スタジアウム」と決めていた。浄明とは本校の校是「浄明正直」から取ったもので神道の位階を示しているのだが「清く明るく」を祈って考えたのである。
・ しかし一般的には「浄明」は分かりにくいと考えていたところにオウルが来たのである。やはり色々な人間の話を聞くと役に立つものである。「決めた!!」。堺市の校外グラウンドのネーミングは「浪速ふくろうスタジアウム」とする。
・ 副題に「多目的総合球技場」そして幾分大きな字で「浪速ふくろうスタジアム」と看板を付けることとしたのである。そして「ふく丸クン」のデザインを銅版に彫っておけば「ゆとりと遊び心」もあって良いのではないかと思うのだ。
・ 生徒も「今日はふくろうに!」と言って「嬉々」として堺の方に行くのではないか。ふくろうは本校の「守護鳥」であり、携帯ストラップなど本校独自の記念品も多い。しかし私はどうして「ふくろう」に気が付かなかったのだろうか。
・ 私は早速事務室の担当を呼んで6月19日の完成披露式までの表札看板を完成させるよう指示したのである。表札の横には本校のイメージキャラクター「ふく丸」のエッチング絵画の銅版もつけるのである。
・ そうしていたら門塀には「多聞尚学館」と同じように石製の「ふくろう像」を両サイドの載せたらどうだとのアイデアも出てきて早速このアイデアにも飛びついたのである。「3人寄れば文殊の知恵」というがその通りである。
・ 堺のグラウンドは正門のタイル張り工事が始まり、今週からクラブハウスの工事が始まる。恐らく周辺を驚かすような素晴らしいスタジアウムが完成するだろう。「私は嬉しくてならない。」小躍りして喜んでいるのである。
・ 一方武道館も遂に「プールの解体工事」が始まった。着々と「学校改革の実り」が結びつつある。こういう時に私が取るべき態度は「謙虚に、謙虚に」である。厳しく亡くなった母に教えられたものだ。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」である。

2010年4月26日月曜日

4月26日(月)壮士一度去って復還らず
















・ 「風蕭々として易水寒し 壮士ひとたび去って復(また)還らず」。こう詠って「刺客荊軻」は始皇帝の暗殺を狙い旅立つ。「史記」の中でも最も美しい場面の一つで私は「この文句」が大好きである。昔、公立高校の校長時代に訳のわからない教員との戦いに職員会議に出かける時に口ずさんだものである。
・ 遂に私の「盟友」が学校を去る。「同志」と言っても良いが、私は「壮士」という言葉を送りたいのである。勿論この先生は刺客ではない。この3年間共に「学校改革」を推し進めてきた筆頭副校長のS先生がご退職される。
・ 本日の管理職朝会で報じ、午後からの校務運営委員会で初めて公開した。並み居る運営委員会のメンバーは一様に驚いていた。それくらいこの極秘情報は伏せていたのである。連休明けの6日に職員会議があるから正式にはそこで述べるが、夕方には校務運営委員会のメンバーから「瞬く間」に全員に知れ渡っていた。
・ 実はこのことは今から半年前には決まっていたことであった。元々はこの3月末で引退したいという強いご要望であったが私の方から強くお願いして5月末と延ばさせて戴いたのである。遂にその日が近づいて来たのである。
・ 先生は昭和20年4月14日のお生まれだから満年齢は丁度65歳になられた。本校では定めによって年度中であるから元来は来年の3月まで勤務出来るのであるが、先生は「私事」があって10ヶ月を残して勇退したいと言われた。
・ 私としては当然、今年一杯は勿論、場合によっては定年後も延長して勤務して頂こうと思っていただけに当初は驚き、慰留に努めたのである。最後は道明寺天満宮の宮司で本校の理事長職務代理にもお出まし戴いて説得したのであるがご意思は固く叶わなかったのである。
・ そのようなわけで二人の妥協点は今年の5月末とすることで落ち着いたのである。5月末というのは先生が満65歳になっているということ、この3年間私と先生が主体となって進めてきた「教員の人材育成評価システム」の処遇反映の作業が完了するということを考えた結果である。
・ 先生が主担当として進めて来てくれたこの制度の「締め」を先生の手でやって欲しかったのである。そして「見事にやり遂げて頂いた。今は「心から感謝」すると同時に「ご苦労様でした」と申し上げたいのである。

・ S先生は府内の超名門校である三国ヶ丘高等学校を卒業され、難関の同志社大学工学部工業化学科に入られた。大学院はこれまた名門京都工芸繊維大学大学院に進まれた。昭和46年に民間企業にご就職されたが昭和50年に本校に奉職され翌年正職員として「教師の道」を歩まれたのである。
・ 「職歴は輝かしい」もので教務部育ちであるがとにかく学年主任を5年、教務主任を6年、入試事務室長を5年、理数科主任を4年と「本校の主要なポスト」をすべて歴任されている。これがこの「先生の質の高さを物語」るのである。これだけで先生の全てが分かる。
・ 言って見れば高校から大学、そして私立高校の教師として「超エリートコース」を歩まれ、期待にそぐわない仕事をして来られたのである。そして平成19年度に私の求めに応じて「副校長兼高校教頭兼学校法人評議員」に就任された。平成21年度は開館なった「多聞尚学館の初代館長」として今日の隆盛の礎を築かれたのである。

・ 平成18年12月23日私は学校法人大阪国学院理事会で理事長に推挙され就任した。同時に明年4月からは学校長兼務も決まったのである。従って約4ヶ月弱は理事長のみの職権であり、既にいた校長との両輪であったのである。
・ 理事長職務代理は当時の校長から「薦した高校教頭を早く正式決定して欲しい」とせかされていたらしく、お会いするたびに「どうしますか」と聞かれたものだった。4月からは私が校長になるわけで「右腕は私が選ぶ」「急ぐことはない」と一向に進めなかった。
・ 年が明けて1月9日に学校に初めて着任し、翌日から私は全教職員と面談を開始した。この面談を通じ「自分の目で教頭候補としての人材を確認する」としたのである。当時本校には校長と副校長が一人、高校教頭、中学教頭と管理職が4名いたが、まず私は校長に「特別顧問の職位」を提供した。
・ 当時の高校教頭は既に前年からその年限りで勇退することは決まっていたのと中学教頭は3年間が過ぎてどうしても平教員に戻って英語が教えたいと申し出てきた。あまつさえ当時の副校長は恐らく「このままいることを潔しとしなかったのだろう」と思うが、立派な態度で勇退辞職を決意された。
・ 即ち新年度の管理職体制は新しく校長に就任する私だけ決まっており留任する管理職が一人もいないという状態であった。翌日からでも「学校改革を押し進める」積りであったから管理職を早急にセレクトしなければならなかったのである。
・ この時の面談を通じ、私はこのS先生を知り、面談が全て終わった段階で「この人でなければ」と思い、先生に「副校長兼高校教頭」を打診したのである。当然先生は「固辞」されたが私は諦めずに「口説いた」のである。その時に先生が言われた言葉が今でも耳に残っている。
・ 「理事長がそこまで言われるなら分かりました。お受けします」と言って貰ったのである。この時の感じが前述した「壮士の風情」だったのである。そして我々二入で中学教頭、他の人事を進めたのである。
・ 管理職が決まらねば「自分ひとり」でもやる覚悟をしていただけに先生から受けて頂いた時は「嬉しかった」。私と言えども「浪速改革の先行き」を考えたら「一人で立ち向かう心細さ」を持っていたのだと思う。
・ そしてばたばたと人事を固めて平成19年2月1日に校内で4月以降の管理職人事を発表した。ギリギリのタイミングであったと思う。その後は分掌長の当て嵌めなどは先生にすべてお任せした。見事な人員配置だったと思う。この体制で3年間が過ぎたのである。
・ あれ以来まさしく丸々3年、「私は先生と共に戦ってきた」のである。目に見えぬ「学校改革」という対象に対して二人で戦ってきたのである。そして「今日の浪速の隆盛がある」のである。

・ 先生は由緒ある家系のご出身で、堺市の住人である。人格高潔にしてそれでいて「骨太」のところがある。「壮士たる由縁」である。温厚であり、激しい感情を表には出さない。そして「礼節」というものをわきまえておられる。
・ 従って先生を慕う教員は多く、だからこそ私と教員の間で「クッション」になって戴いたと思っている。先生がもしいなかったら浪速改革は成し遂げられなかったということは全くない。
・ 先生が副校長でいようが居まいが私はやっと思う。しかし「出来上がり」は今ほど「スマート」に「無血革命」とはならなかったかも知れない。「血みどろの戦いを覚悟」していただけにこの3年間の教職員の理解と協力についてはS先生の存在の大きさもあったことは間違いない。
・ これらはすべて「先生の力量とお人柄」が私を応援してくれたものである。そして先生は「自分が育成した後輩の人材を残してくれた」。これは極めて重要なことで前の校長が一人も人材を残していなかったことを考えれば特筆ものである。
・ 4月から管理職に登用した高校教頭や教務部長、生徒生活指導部長、理数科教諭や女性のコース長などすべて副校長が指導し目をかけて育てた人材である。多くの先生はS副校長のことを「教え子」だと思っているのではないか。
・ 又先生は「人事担当」としてこの3年間延べ40人を超える常勤講師を採用し、その先生方からどんどん専任教諭が誕生している。これも素晴しい業績の一つである。「イヤー、今まで35年間、色々なことがありました」「浪速のおかげで人生を飾ることが出来ました」とさわやかに言われる。
・ 「特にこの3年間は全てが驚きでした」。「勉強しました」とこの年になっても「知らないこと、出来ないことを謙虚に振り返る人間としての品格の高さを示し、香気を感じさせる」のである。
・ 私は先生に心から御礼を申し上げたい。そして先生の第二の人生が「幸多い」ものを祈念申し上げる。名実共に新生浪速は「創業期」を終えて先生のいない「発展期」を迎えることとなった。残ったメンバーで又頑張っていく。
・ 人材は育ってきている。心配はない。S先生という壮士は「引き際」も綺麗だ。こうありたいと思う。このようにして人は入れ替わっていく。「年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず」である。何時かは私もまた去っていくことになる。S先生、35年間の浪速へのご奉職とこの3年間の私への忠誠と誠心誠意のご理解とご協力、有難うございました。ご自愛されて豊かに第二の人生を歩んでください。

2010年4月25日日曜日

4月25日(日)人材育成・評価システム


・ 評価の基本原則とは「評価者が守るべき基本ルール」を徹底的に守ることである。その基本ルールとは「評価期間の遵守」「公私混同の排除」「事実に基づく評価」である。これが崩れれば「評価システム」は成り立たない。
・ 得てして評価者が「陥り易い傾向」というのがあって7つあるとされている。以下のようなものである。詳細な説明は省く。
       *ハロー効果         色白は7難隠す
       *寛大化傾向         親の欲目
       *中心化傾向         十杷ひとからげ
       *論理的誤差         理屈張るほど理に合わぬ
       *対比誤差          己を知って他を知らぬ
       *逆算            つじつま合わせ
・ 平成19年度着任して直ぐに私はこの「人材育成・評価システム」の構築に入った。ほぼ1年かけて検討を進めたのである。外部の公正な研究機関である「日本総研」のコンサルタントに入って貰って「システムを構築」したのである。
・ 目的は大きな意味で言えば一つ。要は教職員一人ひとりが持てる能力を磨き、発揮し、自分たちの職場の維持発展と働き易い職場つくりを理念としているのであるが、その「総合力をマキシマム」にするために是非必要と考えたのである。社会一般の組織では当たり前のことである。
・ 細かく言えば ①教職員の資質の向上と自らの能力開発の一助とする。
②教職員の自己啓発及び職務改善、意識変革に結びつけていく。
③適材適所の人材配置及び学校組織の活性化を図る。
④評価結果を昇給や賞与などの処遇へ反映し、適切な経営資源を配分。
・ 導入経過を振り返れば以下のようなプロセスを踏んできた。すなわち「焦って導入せずにじっくりと時間をかけた」のである。
平成19年度:人材育成・評価システムをマニュアル化。
平成20年度:試行期間としてスタート。ただし、評価はするものの昇給や賞与などの処遇には反映せず。
平成21年度:本格導入初年度。ただし、処遇は50%の反映として実施。
平成22年度:処遇を100%反映。
・ 特に「平成21年度は準本番」というべきものでマニュアル通りに進めていった。筆頭副校長のS先生の「特命事項」として軸がぶれないように進めて頂いたのである。「先生は見事にやりきって頂いた」と思う。
・ 実施手順を振り返ってみると下記のような展開である。
平成21年3月  専任教職員(被評価者)は、平成21年度の各自の目標を設定し、業績評価シートに記入。それを副校長または事務長(一次評価者)に提出。
4月  副校長および事務長は、提出された業績評価シートに基づいて、専任教職員と目標設定面談を実施して指導。
8月  一部の専任教職員は、目標の修正や変更を申し出たので、副校長および事務長は中間フォロー面談を実施。
平成22年3月  専任教職員は1年間の目標達成状況を自己評価することで業績評価シートを完成させ、活動状況報告書とともに副校長または事務長に提出。
4月  副校長および事務長は提出された業績評価シートと活動状況報告書の内容について評価を行い、専任教職員との面談で評価結果を説明し、指導育成を実施。さらに能力評価シートの評価を合わせて一次評価とし、理事長・校長(二次評価者)にその集計結果を提出し説明。
同月  理事長・校長は集計結果をもとに二次評価を行い、査定を全管理職で確認・調整した後、最終査定を専任教職員各々に通知並びに説明。
・ そして過日「私は二次評価者として評価し、査定原案を作成」した。それを元に管理職会議で「議論を行い」最終案を決定したのである。私は中々良い議論だったと評価している。「部下を持ち上げる、中々人間的な管理職」であることを確認し、私はとても嬉しかったのである。
・ 「評価・査定」の方法で本校の形はまず「一次評価は5段階(S・AA・A・B・C)の絶対評価」である。ここでAは「職務を滞りなく遂行し、概ね目標に達し、具体的成果が現れている」という評価で、SやAAはさらに高い評価となる。
・ 「二次評価および最終査定は年代別(20代・30代・40代・50代等)に区切った評価グループ内での5段階(S・AA・A・B・C)の相対評価」である。ただし20台の教諭については任用後3年間は処遇差をつけないと私は決めており全員原則としてA評価を内規としている。経験期間が短くまだ評価もないだろうとしたのである。
・ 私は4月21日に専任教職員に下記のようなメッセージを発信するよう責任者の筆頭副校長にお願いしたのである。その骨子は“平成21年度人材育成・評価システムの理事長による最終査定が確定した。早速、本日理事長から理事長室でAA評価およびB評価に査定された方ひとり一人に通知と説明があった。現時点で理事長から通知がない場合はA評価となる。AA評価というのは、非常な功績と能力を発揮した場合の評価であり、該当者は多くなく、なお、今回は初年度ということもあり、また、管理職全員からも専任教職員の頑張りを評価する意見が出て、結果的にA評価がかなり多いという最終査定になった。云々。(以下略)”
・ 平成22年度は人材評価育成システム制度の二年目に入り、今年の査定は処遇反映が100%となることはすでに教職員には分かっていることである。頑張って欲しいものである。「評価することが目的ではない」。あくまでツールである。
・ 教職員が本校で「自己実現」して貰うための「メリハリ」であり、頑張って成果の見える教職員へは更に頑張って欲しいとの「エール」である。努力の必要性、課題を抱えている人へは「叱咤激励」でもある。又「リカバリーショット」は十分打てるのである。
・ 「自分は頑張っている」と言い張っても「同じように他の人も頑張っている」のである。絶対評価と相対評価の意味と違いを考えねばならない。ただ「他人のことを気にする必要はない。」そうかと言って「自分を孤高の位置におく必要はない」。
・ 「良いお手本」があれば素直に参考にすればよいのである。はっきり言って「自分のことは自分が一番分かっているのではないか」。「誰もが認める素晴しい人材はいる」のではないか。「彼だけには負けるというような人物」は他に多くいるのではないか。結局「意識改革と謙虚な努力」ということなのだろうと私は思う。「総合的人間性と人間力」なんだろうと思う。

2010年4月24日土曜日

4月24日(土)PTA実行委員会





























・ 国の進める「私立高校就学支援金の申請事務処理」が山場となっており昨日も「臨時職員会議」を開いて教職員に私は徹底した。この制度は「申請主義」だから締め切りの過ぎた後で「私の家庭はどうなったのですか?」と保護者に言われても困るから、とにかく「資料の不備」など各ご家庭と連絡を担任が取るように指示したわけである。
・ とにかく日中は連絡がつかないことが多い。今日日、お母さんも働きに出かけておられ、自宅におられるのは少ないのだと思う。従って夜しか連絡が取れないのである。数はここでは書けないが、教員の手助けがないと事務だけではやりきれないのだ。
・ この1週間事務室の電話は良く外部から鳴った。資料の不備の大半は「夫婦合算」の所得証明である。又今まで府から減免措置を受けていた家庭では対象外と思われているのか申請がないから「忘れていませんか」「誤解されていませんか」と確認の電話が必要なのである。
・ とにかくやるだけやらないと本校の生徒が不利益を蒙るようになってはいけないので事務は教員と連帯して頑張ってくれている。全く新しい仕事で4月から1名人員を増強したことが大きな効果となっている。この人が居なかったら臨時の職員を雇っていなければならなかっただろう。

・ 今日は「土曜授業参観日」であった。新年度が始まって落ち着いた4月終わりの土曜日に大々的に行う。中学校も同時である。1限目は少し早いから2.3.4限を参観に当てているのである。
・ この間であればどの授業を参観しても良い仕組みで中々好評である。土曜日だからこそ可能な仕組みで公立では出来ない芸当だろうと思う。考えてみれば「土曜日というのは使い勝っての良い曜日」である。
・ 色々な行事を織り込めば効率よく捗り、ウィークデイをつぶさなくて済むから「気は楽」である。我々が始めた「土曜日選択制」は面白い考えだと今更ながら思う。公立は土曜日が休み、私立は「上手いこと利用する」。この差は大きい。
・ 大体家には昨今土曜日と言えども家族が家には居ない比率は大きいのではないか。そのような気がする。生徒は学校で土曜日を有効に活用すれば良い。ただし「単なる居場所になっては駄目」である。「土曜日に何かを身に付けさせなければ私学ではない」。
・ ものすごい数の保護者が来校された。しかしやはり中学の保護者が多い。私には信じられない数値である。子どもと一緒に過ごす時間が少なくなっているだけにこのような参観日には調整して学校に来られたのではないだろうか。
・ お母さんたち「ニコニコ顔」であった。「子どもが嬉々として学校に行く様」を見れば親にとってこれ以上の嬉しさはないだろう。良い学校だと思って頂ける。本校はそういう学校だし今後とも生徒が喜んで学校に向かうような学校にしたい。

・ そして今日は「PTAの実行委員会」が開かれた。来年度の人事と予算関係のまとめで、「5月15日のPTA春季総会」に向けて準備が山場となるのである。新一年生の役員さん方も決まった。私は始めてお会いしたが皆さん、立派なお方で強力な学年委員会が誕生した。
・ 「高校の教育後援会」については少し私が手を入れなければ行けない。今朝の管理職朝会で私は言ったのだ。何でも「メリットを受ける側が一生懸命にならないと駄目だ。あれはPTA,これは後援会だと言っていては先に進まない。」後援会の恩恵を受ける学校側が全てを仕切ってやるようでなければ前に進まない。
・ 教員は立派な人が多いが、悲しさで管理職になっても「こと金銭に関しては貰ったり使ったりは敏感」であるが「稼ぐというか入金する」という点では全くである。お金は天から降ってくるとでも思っているのではないか。こういうところが分かっていない。
・ その点、事務は事務長、事務長補佐は1円でも安いところへ発注するなど敏感そのものである。派遣会社から来ていただいている事務員さんのお陰で「授業料の滞納は激減」した。これらが「民間センス」である。教員というのは私立と言っても「金を稼ぐという感覚」は極めて薄い。平教員はまだしも管理職になればそうはいくまい。

・ どうしても外せない出張があって関西大学高槻に行かねばならなかった。今日は「関西大学高槻ミューズキャンパス」と名づけた「関西大学初等部、中等部、高等部」と新しい大学の学部である「社会安全工学部と大学院社会安全研究科」の「お披露目」に招待されたのである。
・ 特に私は新校舎について感心があってカメラを持って出かけたのである。最近はとにかく関西大学との関係がますます深まっていっている感じである。連携校であるから必然でもあるが嬉しい話しである。
・ 驚いたこことが一つ。それは「体育館で階段椅子がボタン一つを押すと前にアコーディオンみたいにせせり出てきて椅子の背もたれもパタンと立つ」ような全自動設計になっていた。引っ込めればフラットな体育館の床である。感心した。
・ 司会は本校の理事を務めて頂いている常務理事がやられ、多くのご来賓も参列されていた。バンクーバー五輪の高橋選手や織田選手も挨拶に舞台に上がっていた。それにしても「大学の強さ」を感じる。施設が豪華でセンスが良い。私は新校舎建設では負けないぞと誓ったのである。

・ それにしても高槻は寒い。みぞれが降っていた。しかし新快速に乗ると大阪駅まで15分もかからない。近い。丁度学校に戻ったときに「多聞行きのバス」が出発するところであった。今日から明日まで「中学校復習講座」が始まる。今回は先の英語に続いて「数学」である。
・ 「高校の新入学生に中学校の復習講座」をこのようにしてやる私立高校も多くはないだろう。英語と数学を2回打つ。絶対に役に立っている筈である。こういうところを「面倒見の良い学校」と言うのである。私は先生方に感謝しているのである。
・ PTAの会議に出た後「堺のグラウンドを回って多聞に出かけた」。新一年生であるがとにかく「人懐こく」て可愛いのである。付き添いの教員3人が口を揃えて褒めていた。確かに可愛いが、だからと言って勉強はしなくて良いというわけにはいかない。
・ しっかりと勉強してもらわねばならない。礼儀正しいし、先生の言うことは良く聞き、愛嬌があって素直で優しいのである。しかしこのような生徒を見ていると「人間の価値は学力だけではないことがよく分かる」。しかし今日も忙しい日であった。

2010年4月23日金曜日

4月23日(金)ミニ展示?
















・ 4月21日、毎日新聞の朝刊に本校の大きな記事が出たので、2ないし3の電話があった。「凄い」と褒めて頂くのである。昨日は市内の大手の塾の社長さんがわざわざ立ち寄ってくれて「お褒めと激励」をしてくれた。
・ 前の府立高校勤務時代から存じ上げているお方であるが、「今や大阪の塾業界で浪速の勢いを知らないものはいないし、理事長率いる浪速の賞賛の声ばかり」と言われるので、「とんでもない。まだまだです。」と私は答えた。これでは「褒め殺し」である。
・ 「教職員の頑張り」のお陰で確かに成果は確認しているが、私は「旗は振ってはいるが動くのは教職員」である。私学にとっての成果は「入学者数の増大」であるが、私が一人ひとり集めて来た訳ではない。「本校の教育が評価された」からであろう。
・ 「とにもかくにも私立高校は塾の先生方のおかげ」でやっていける訳である。浪速がここまで成長できたのは本当に個人ウンウンの力ではなくて公立中学校の諸先生方や塾の先生方のお陰であることは間違いない。
・ 塾に関して言えば本校はどの塾様とも「誠実に均等に」お付き合いさせて頂いており「不公平やはったり」などは完全に排除する姿勢を貫いてきた。従って本校の入試広報の面々は時に塾関係者には「もどかしい」と思われているかもしれないがこの「誠実」ということだけは人後に落ちないと私は大変喜んでいるのである。「愚直」かも知れないが今の世の中、愚直と言うのも生きていく知恵かもしれない。

・ 学校は極めて「順調な滑り出し」をしている。授業も落着いて軌道に乗ってきている。今年の1年生は中々優秀だという声も聞こえてきているので私は喜んでいる。3年生は600人近いマンモス集団であるが入学した時から成績は良く、団体行動でも揃っている感じである。
・ 2年生も良い生徒は多いのだがどうも「覇気」というか「気概」というか伝わってこない部分があるとかの教員の評価だ。「可愛い子」が多いが、少し「甘ちゃん」だと言うのである。どうだろうか?
・ 教員はよく言うのだが「学年でそれぞれの特徴がある」という。それはそうかもしれないと私も同調する。8年も校長をやっていると何とはなしにそれを感じる。しかし「その違いを個性とは言わない」。単なる「集団の特徴」であって学校のミッションはそれらを「教えて、鍛えて卒業させる」ということではないか。
・ 特徴を個性と勘違いして「個性を尊重する」などと言い、「教育的強制力を行使」しないと「成長」などしないし「いびつな育成」となってしまう。「教育とは強制力を伴うもの」であって「やる気を待つ」とか「支援する」とかは無責任な「寝言」である。
・ うがって考えれば「しんどいことは避けよう」という「教員の逃げ」と取られかねない。特に「学力」と「生活習慣」については然りである。当然生活習慣については「ご家庭」の指導が最大且つ最重要なものであるが、そうだからと言って学校が何もしないのは「的外れ」であり、学校も厳しく「駄目なものは駄目」と罰則を振りかざしながら教えていかねばならない。当然「罰則は抑止力」となる。

・ 学校はここ3日間「ミニ展示」と言って「文化部」が昼休みに自分たちのPRをする「催し」が始まっており今日が最終日であった。昨日は大雨だったが生徒は屋根のあるピロティを使ってやっていた。
・ 「吹奏楽部」や「軽音楽部」がどうしても主体になるが「生物部」とか「鉄道研究部」とかもある。運動部がどうしても目立ってしまうのは仕方無い面もあるが校長としては当然文化部も応援してやりたいのである。
・ しかし何時もそうなのだが軽音楽部の人気は高い。私には「何を歌っているのか」日本語さえ理解できないし、曲も「ガーガー」というばかりでさっぱり良いとは思えないのだが生徒は殺到する。
・ 最近の特徴は「女生徒の元気の良さ」である。女性ばかりのバンドも目に付くようになってきた。戦国武将好きの女性とか肉食系の女性とかいうけれどそうかも知れない。男子は草食系である。
・ 生徒の素晴しいのは「時間がくれば、スパッと止める」ことである。これは立派である。あれほど騒いでいても、「潮が引く」ように教室に戻り、チャイムで授業が始まる。静寂が始まるのである。

・ 来週28日に行われる「校外学習」即ち昔で言うところの「遠足」の計画が出揃った。中学生は石舞台で有名な「飛鳥地方散策」である。これは良い。高校1年生は「神戸三宮」近辺の散策、2年生は「京都の宇治」だ。
・ 最後となる3年生は「市内スポット巡り」となったらしい。大阪城公園から始まって国立国際美術館の「ルノワール展」もコースである。必ずチェックポイントには教員が待ち構えており「サボる」ことは出来ないように設計されている。

・ 今日から本格的に教員の雅楽団の「龍笛」の指導が始まった。講師の先生は大阪府神社庁雅楽講師の先生で市内心斎橋の由緒ある神社の神職である。先生方には頑張って欲しいと思う。私が選んだ先生方である。素晴らしい「笛の名手」になって欲しいものでだ。
・ 先の「神楽舞」とこの龍笛そして生徒の雅楽部が「コラボ」すればまさしく「神社神道の学校」としての「アイデンティティ」を内外に表明できると言うものである。そして将来外部でのコンクールや大会、演奏会などで活躍するようになってくれれば私は大満足である。

・ 今日は又14時から「大阪私立学校人権教育研究会第6部会第1回例会」が本校で行われた。冒頭本年度幹事校の校長としてご挨拶申し上げた。お昼には中庭で生徒が軽音楽でガーガーやっていたので「元気な学校だな」と思われたのではないだろうか。

2010年4月22日木曜日

4月22日(木)堺グラウンドと武道館





































・ 4月20日頃から降る雨を「穀雨」というが確かに雨がよく降る。昨日は素晴らしい天気だったというのに今日は「しとしと雨」であった。しかし「穀雨」とは素晴らしい言い方で「日本語は良い。」私は英語も好きだが日本語が大好きである。だから一向にブログを書くなど苦にはならない。読まされる教職員には大きな苦だろうが・・・。
・ 天気予報で本日が雨ということもあって昨日のうちに「堺の校外グラウンドの工事の様子」を見に行ってきた。丁度正門の型枠を外すということで「正門の概観」をこの目で確認したかったのである。「ネーミング」についてはまだ決まらない。
・ 「多聞尚学館」の時は購入する前から決めていた。千早赤阪村が生地の楠木正成公の幼名「多聞丸」を戴く「多聞小学校」だったから「多聞」の字は残さねばならないと瞬間に私は思ったのである。地元の方々の思いもあると踏んだのである。
・ 「尚学館」は少し考えた。「」は「尊ぶ、重んじる、更に、奨励」など極めてよい漢字である。元々「校外学習宿泊施設」を探していたから「学習」の学を取って尚学館と名づけたのである。
・ もう完全にこの名前は本校では「独り立ち」した。今では生徒も教職員も「多聞、多聞」と下の尚学館を言わない。それくらい有名になったのである。名付け親として私は喜んでいる。だから「堺のグラウンドにも良い名前を考えたい」と思っているのである。

・ しかし想定どおり「立派な存在感のある正門」が出来そうである。私はどういう訳か「正門へのこだわり」がある。「学校の正門」もこれ以上はなかろうというくらい大きな「門柱」を立てた。これは「浪速改革のシンボルゲート」と銘打って着任して半年後には完成させたものだ。
・ この大きな正門と学院神社の神様のおかげで「入学者数が大きく伸びた」と私は思っているのである。これくらい建物の玄関と正門は重要であると考えているのである。従って「堺の校外多目的グランドも正門だけは立派にしておきたい」のである。
・ ここで練習した野球部やサッカー部、ラグビー部、アメリカンフットボールクラブ、軟式野球部などが「実力を上げてくれたら」言うことはない。そのためにはまず「誇り」が重要である。
・ 「勝ってから誇りを持つのではない。誇りを持てば勝てる」のである。それが私の考え方である。正門の右塀には表札が来る。これは本校の表札を取り外したものを再利用するがこの門を見ながら生徒は「誇りを持ってグラウンドに入る」だろう。ここが狙いである。
・ 向かって左側には「グランドの名前」が来る。これを今考えているのである。その下に「歴史的経緯」を書いた銘板が来る。多くのお方のご支援で完成されたものだけに「経緯を後世に伝えるのは今の人間の責務」と考えているのである。
・ プロ野球オリックスの大引選手がこの話しを聞いてすぐ「ポンッ」と寄付してくれた100万円を使って何か記念の品物も置かねばなるまい。特に今回は見た目、「本格的」なものとしている。空調機を付けるがこれを「大引エアコン」とするかとも思っている。
・ バックネット裏にはハウスを作ってここには「大学関係者」などの来賓席として使えるようにするためである。1塁側、3塁側にはスタンドを設けてそれぞれ30席程度の「観覧席」を設ける。保護者席でもある。
・ 椅子の色を昨日決めた。1塁側はホーム側だから「安全の意味を込めて緑色」とし相手チームとなる3塁側は「危険要注意で黄色」とした。又昨日はクラブハウスメーカーも現地立会いがあって最終確認をしたのである。
・ 「クラブハウス」は贅沢は出来ない。「プレハブ」であるがこれで十分である。2階建てで2回正面には幅1.2メートルの廊下が来るからここに椅子を置けばグランドが一望できる「アルプススタンド」になるだろう。
・ 明日から建築工事が本格化し、来月末には完成する。楽しみである。「6月19日には完成竣工式と披露パーティ」を堺のロイヤルホテルで計画している。保護者会とお世話になった皆様、それに理事・評議員をお呼びして教職員ともどもお祝いしたいと思う。
・ 竣工式でのグランドの安全祈願にはオリックスの大引選手の父君が宮司を務められている「神須牟地神社(かみすむじ)」の大引宮司にご奉仕をお願いしたいと今申し出ているところである。
・ 正門の右側裏には「一本の楠木」を植えようと思っている。楠木は本校の「校木」であり、鎮守の杜には欠かせない樹である。これを「神木」として「大樹」に育てたいと思っている。この楠木が生徒の練習を見守ってくれるだろう。

・ 一方「新武道館」についても遂に「プールの解体工事」が始まった。懸案の水泳部の練習場所も近くの「民間水泳クラブのプールをお借りできる運び」となった。顧問のI先生が頑張って探して話をまとめてくれたものである。
・ 当然使用制限はあるが年のうち4か月であり、費用は全面的に学校負担とした。「4ないし5年間の辛抱」である。清潔であるし自分のところでプールを持つことに比べ、割安であることは間違いなかろうが使い勝手の問題だけである。
・ この間新校舎建設までに「プールを新設するかどうか」考えれば良いが、私としては「是非作ってやりたい」と思っている。しかしまだまだ先のことである。場所の問題があるが「新校舎の屋上にプールを設置」したらどうだろうか。
・ 府立高校でも例えば夕陽丘高校は屋上に全天候型の素晴らしいプールを有している。一つの参考となろう。ただ部員数と大会成績が判断に影響を与えるから水泳部は頑張って欲しい。

・ 「平成22年度の運動部・文化部のクラブ予算」が固まった。ほぼ例年なみであるがこの予算で不足の場合は「特別支援」を学校法人として考える。ただ本校のカラーに些か合致できないクラブは廃部とする方向である。例えば来年度から学校案内には「スキー部」は書かない。
・ 素晴らしいスポーツであるがまず指導者が全くいない。教職員でスキー経験豊富な者がいないのである。又部員数が伸びず遠征試合などの費用も大きい。又時期が3月始めの為、学校が最も忙しい時で付き添いさせる教員の手配が困難などの理由なのである。
・ いずれにしても「本年度は特別クラブ支援年度」と位置づけて支援をする積りである。今まで十何年間も支援が出来て来なかったから用具や練習場など「切ない思い」を顧問の先生や生徒にさせてきた。私は少しだけ今余裕が出来た時こそ「時は今」と思って進めているのである。こう言うものは「先にやった方が勝ち」である。
・ 「余裕が出来たらやる」というのは間違いで「やるときのタイミングは決まっている」のである。私の後の人がどのように判断するかは分からない。従って今日も「アメフト」への支援を決定した。金額は用具支援で30万円以下である。「削減した理事長の報酬で十分可能なもの」で全く問題はない。

2010年4月21日水曜日

4月21日(水)その2:教員の精神疾患


・ 「その1」に引き続いて「心の健康」について更に論考を発展させてみたい。ちょうど良い資料があった。「昨年12月26日の私のブログ」である。「教職員病休最多8578人」との朝日の朝刊見出しである。「その2」はこのブログを再度論考してみたい。関連性があるからだ。
・ 産経は「心の病教職員最多5400人」とある。文部科学省が調査結果を発表したもので、「16年連続の増加」で、調査を始めた昭和54年度の約8倍になったと言う。その1は大阪府の数値であるから比較すると面白い。
・ 病気休暇の8578人は前年度より509人増えて過去最多であるがこのうち「うつ病」や「精神疾患は5400人」で、こちらのほうも対前年度比で405人増と過去最高という。「精神疾患は病気休職全体の63%」というから異常に高い。
・ 精神疾患による休職は10年前に比べて3.15倍に増えており、全国の教育委員会の聞き取り調査によれば「多忙な業務によるストレス」「教育内容の変化についていけない」「保護者や地域からの要望の多様化」などが背景にあると発表している。
・ 朝日の記事では「教員同士のコミニュケーションが少なく相談相手がいないという訴え」が目立ったとあったが、私に言わせれば「冗談ではない、子供でもあるまいし。相談相手を作れば良いのであって、いる、いないの話しではない」だろうと言いたい。
・ しかし「事の本質」を見逃してはいけない。文科省の調査結果を見ると精神疾患で休職した教職員は「50歳代以上が37%、40歳代が36%と7割以上を占め20代はたったの7%」である。
・ 経験の少ない若い世代の教員が様々な仕事に追いまわされた結果、「心の病」に陥るのは分からないでもないが、結果は逆で「酸いも甘いも」味わってきた「経験20年、30年のベテランが精神疾患に罹る」のが私には興味深い。
・ 「それって本当?」と聞き返したくらいだ。それに勤務時間だって若い世代は遅くまで残って仕事をしているが、一般的にベテランは「時間休」を頻繁に取って「悠々自適」としておられるというのが私の偽わらざる印象である。
・ 学校種別では小学校が44%、中学校が30%、高校が16%である。小学校、中学校に多いというのは分かるような気がする。その理由は後述しよう。子供が小さいからとか「モンスターペアレンツ」とかが理由ではないと私は思っている。
・ 以上は表面に出た数値で実態はもっとひどいと考えておいた方が良いと思う。とにかく同じ日の新聞各紙には詳細に下記の事件を報道している。すなわち「大阪市立中学の教諭が電車内で女子大生の尻を1分間にわたって触り、逮捕」された。又最近の大きな事件では「府立高校の教頭が大麻を吸って逮捕」された。
・ 警察に拠ればこれらの教員は「ストレスが溜まっていた」と言っている。ストレスが溜まるたびに女子大生のお尻を触ったり、大麻を吸われては堪ったものではない。「ふざけるな」と言いたい。
・ 以上のような実態をどのように分析するかが問題である。「精神疾患というとすぐ多忙だとかその職場や組織や保護者や管理職のせいにする向き」があるが、私に言わせれば「とんでもない話」で、教員が忙しくないとは言わないが「病気になるほど忙しいことは全く無い」というのが私の意見である。
・ 本校では「労働基準監督署の指導」を得て現在イントラネットで個々の教職員の勤務状況を把握しており、「時間外労働の実態も把握」している。年間の「有給取得」も他校に比べれば多いほうである。忙しいのが理由になるとは考えられない。
・ それに教員の年間労働日は多いとは言えない。夏休み、春休み、冬休み、試験期間と取ろうと思えば機会は多くある。「くたくたんなって働いている」ということは全く無い。少なくとも「蟹工船」ではない。
・ 要は「考えが甘い」のである。精神疾患がこの10年で3.15倍に増えたと言うのはほとんどが40代、50代の教員であり、私の見方はこうだ。要は「学校改革」「教育改革」がこの10年で劇的に叫ばれ進んできたから、それまで状態との「急変についていけていない」のである。
・ 「サボって」いたとは言わないが「平々凡々」と行事をこなすだけであったベテランと言われる年齢層は「改革」というそのものを理解できなったことが背景にあると私は思っている。
・ 「学校という温泉に浸って」いたが突然、厳寒の山中に放り出されたわけだから羅針盤をもともと身につけていない身としては「どう動いて良いのか分からずに」精神に支障をきたしたと私は分析している。
・ 学校の先生は「視野の狭い真面目人間が多い」から余計にそうなる。開き直ればそれはそれで道があるのだが、そこに「人事処遇システム」が出てきたものだから「人から評価されるという行為」に「面食らって」いるのである。生徒の評価は好きだが自分の評価はどういうものか分かっていないのである。
・ 大体、忙しくしている先生は精神疾患などにはなりはしないというのが私の観察である。「自己のアイデンティティ」を確立できず、「チームワークで仕事をする」と言っているのは、実は一人では何も出来ない教員の「詭弁」である。学校には結構こういうタイプが多い。
・ 最近のマスコミや団体などは常套句で「ストレス、ストレス」というがどこに言っても仕事のストレスはある。ストレスが嫌だと言って金剛山の頂上にテントを張って住んでも今度は「孤独のストレス」が来たと言うのだろう。
・ 相談相手がいないと言うが「仕事は元来一人でやるもの」で、団体はすぐ「同僚感、同僚性」などというが同僚に頼ろうとするから何時まで経っても「独り立ち」出来ないのではないか。赤信号皆で渡ろうということだ。
・ 上司から厳しく叱られたこともない教員、生徒を人質にした「クラス王国の王様」などでは変化に弱いことは分かっている話である。91万人のうちの5400人を多いと見るかどうかだが私は0.5%程度でありそれほど神経質になる必要は無いのではないかと思っている。大阪府も同じような数値だろう。
・ 問題だというのであれば一体全体「どうせよというのか」逆に問いたいくらいである。99.5%の先生は歯を食いしばって頑張ってくれているのである。私学は民間企業である。民間企業の社員の厳しさや辛さを忘れてはならない。

4月21日(水)その1:心の不安


・ 昨日のブログで常勤講師の先生方に出来れば今日のブログを読んで欲しいと書いた。昨日は先生方の「本校での2週間の実践の感想文」を随意選んでブログに転記させて頂いた。それは私の読者に今日のブログを考える参考にして欲しかったからである。
・ 随意に選んだ13件の感想文から「何をお感じになるか?」。私は感動し感激するのである。「頼もしい」のである。一つには常勤講師の先生方が「上手く着陸してくれた」ことを大変喜んでいることと、13人の先生が、それぞれ固有の課題を感じ、目標を持って「燃えている」ことが文章の一字一句から分かったからである。
・ 確かに「初めての世界」「初めての授業」「知らない土地柄」「見知らない人々」「人間関係」全てに亘って「不安な思い」を少なからず書いてはいるが「訴えた」ものではない。自分の力量を知り、先輩達の動きに「学ぶ姿勢」がそこにはあるのである。
・ こういう「心の動き」は確かに言葉としては不安ではあるが「明るい展望のある不安」であり「立ち向かって行こうとする心の躍動感」が満ち溢れている。こういう人たちに今からこのブログに書く「心の健康」とは全く関係ないだろう。
・ 「ところがだ!!」

・ 4月9日の産経新聞の記事である。「先生6割“心の不安”」、「勤務長い、仕事多い」と中見出しがあった。時々こういう記事が出てくる。こういう場合の私の反応は「ウーン、困ったものだ」「又か?!どうせよと言うの?」「いわく言い難し」という感じになる。
・ はっきり言って産経らしくない記事である。単なる統計的事実を伝えるだけなら幾ら夕刊のトップでも意味はないではないか。考えるのは読者だと言ってもこれだけでは良く分からない。
・ 学校社会を論じるなら、「一般社会との比較論」で論考を進めて欲しいし、アンケートなら性別と小中高別に分けて貰いたい。小学校の教員と高校の教員は異業種と言って良いくらいの「デューティの差」があるのではないか。

・ 大阪府内の公立小中髙、支援学校の教員のうち「心の健康」に不安を感じている人が57.7%にのぼることが府教委のアンケートで分かったというものである。心の病を理由に「休職する教員」がこの20年で3倍に増加したことなどを受けて大規模な実態調査をしたものである。
・ 3倍になったと言っても20年経っても350人未満だから分母が50000人としても0.7%であり、これを多いと見るか、それほどでもないと見るかだが、「殊更深刻に捉える必要はない」というのが私の感想である。
・ 記事によれば府教委は「6割近くの教員が不安を抱えていたのは想像以上.勤務時間などを検証した」とコメントしているがこのコメントには違和感が残る。「勤務時間が心の不安をもたらすものだろうか?
・ 「心の不安」「心の健康」の「定義」は一体どのようなものか?「心配性の私」など年がら年中、四六時中、「心に不安」を抱えている。人間誰だって少なからず「心に不安」はあるものではないのか。
・ 調査は平成元年から平成20年までの20年だが20年というのは確かに短くはない。この間には日本には「実に様々な出来事があり価値観の変化」もあった。それは全ての分野に及んでいる。特に教育界においてもそうであった。
・ 見た目、政治や経済と違って教育界の変化は「じわじわ」「湿った空気」のようにして流れるものだから「学校の塀の外の人からは見えない」ものだ。学校と言うのは基本的に「閉ざされた空間」であって「塀の中で何が起きているか」外部の人には分からない。
・ この調査は大阪市と堺市の政令市を除いた教員3000人を対象にしたもので有効回答率は81.7%だったという。「年齢別では50台が一番多く61.3%」、年齢が下がることに減少はしているものの「20台でも51.6%」というから「学校の先生の半分は心の健康に不安を感じている」というものである。本当にそうか。
・ 昨日の私のブログ常勤講師の先生の年齢は20歳代である。13人のうち51.6%の先生が心の健康に不安を有しているとはとても思えない。しかし表面上は分からないと言ったら黙るしかない。20台の教員の半分に心に不安があるというのを「どう見るか」であろう。
・ 20歳台といえば23歳で大学を卒業し、都道府県の採用試験に一発で受かるか、2年か、それよりも複数年かかるかして、公立・私立どこかの学校に職を求めて入るのであるが、言いたいことはまだ教師としての経験もない段階で心の不安を抱えると言うのが良く分からないのである。
・ 50歳台の61.3%というのは何か分かるような気がする。もうこの世代の教員は学校そのものに「ついて行けない」のではないか。生徒も変わり、その保護者も変わり、「組合組織率もダウン」し組合も頼りにならず、高度なIT技術を要求され、聞きなれない「学校改革」という言葉が氾濫している塀の中には「落ちついて据わることの出来る自分の席」がなくなってきたのが心の不安に繋がっているのではないかと考えれば理解できそうである。
・ 不安の原因を尋ねたところ「勤務時間が長く仕事量が多い」が36.3%でついで「職場の人間関係や雰囲気」がくる。次は「保護者との人間関係」「児童生徒との人間関係」と続いているそうだ。これには「失笑」する人は多いのでないか。
・ 大体勤務時間が長く仕事量が多いというがそうでもなかろう。私に言わせれば社会にはもっともっと忙しくしている人は多いし、勤務時間など本校ではITで管理しているがそれほど長いとは言えない。大体「一般社会では19時や20時を遅いとは言わない」。
・ それに全ての人の勤務時間が長いわけでもなかろう。加えて私はいうが大体忙しい人とか長時間拘束されている人は心の不安を感じているような暇はない。「ボーッ」として「何をやって良いのか分からない人」が得てしてそのようにならないだろうか。
・ 「職場の雰囲気や人間関係」についても言える。私の観察では学校における人間関係は確かに「好きか嫌いか」がまかり通る未成熟の面がたぶんにあるが、それでも売り上げや利益を追いかける民間企業の激しさ厳しさに比べれば「天国」みたいなものである。「教員は基本的に優しいし親切」である。
・ 「生徒・保護者との人間関係」がいやだったらもう教師を辞めるしかないだろう。生徒との人間関係に悩むというのは社会一般の人は驚くだろうが実は現実に存在するのである。ここは重要ポイントでそれくらい教員は「弱く、華奢」で「脆い」面があるのである。
・ 府教委に対して意見を求める欄には「相談できる教員OBをおいて欲しい」とか「しんどい先生がしんどいといえる温かい職場作り」と言った記述があったという。何故OBでなければならないのか。先輩もいれば教頭先生も居る。何故OBなのか。現役には相談に行きたくないのである。
・ しんどい先生がしんどいといえる温かい職場作りというが、どうやったら出来るのか。「ハーイ、皆さん、今日のご機嫌は如何ですか?」「辛い時は辛いと言いましょう」と朝の朝礼にでも声を掛け合うのだろうか。まさに組合的発想である。
・ そして最後の方には何時もこの種の記事に対してコメントする大学教授の話が来るのである。この教授、何時もそうなのであるが「6割の教師が心に不安を抱えているのは重大な問題だ。勤務時間の長さなどの問題は直ぐにでも対策が取れる。手を打つならい今だ」と過激にコメントしているのを読んで私は笑ってしまった。昨年もその前も同じようなことを言っているのではないか。
・ 何時ものことだがこのような記事を読むと私の気持ちはふさぐ。記事が正しいとすれば現実に大阪府の公立の先生の6割が心の不安を抱えているのである。「このような学校に府民は子どもを通わせているのである」。心の不安を抱えている先生に教わっている生徒は果たしてどのような影響を受けるのであろうか。同じように心の不安を抱えるのであろうか。
・ 「大なり小なり社会人は組織人はこの種の不安」はあるもので、有していることが普通ではないのかということである。「人は不安があればこそ立ち向かう気概と努力」をする。「不安があればこそ謙虚になり慎ましくなる。」
・ 心の病で休職した先生と心の健康に不安を感じていることとを一緒に論じてはならないのではないか。「艱難辛苦、汝を玉にす」「我に七難八苦を与えたまえ」と不安苦労は人間を強くし大人にするものであると言えば批判を受けそうだが「大なり小なり人は不安を抱えて生きているのである。」               その2に続く

2010年4月20日火曜日

4月20日(火)常勤講師の先生は上手く着陸してくれたか?











・ 4月1日付けで着任頂いた19名の常勤講師の先生方に次のようなメールを入れた。
 本年4月から新たに着任された常勤講師の先生方へ
前略 先生方には頑張って頂いており有難うございます。さて4月1日から2週間が過ぎようとされています。そこで先生方にお尋ねします。本校に勤務して今までのところ如何でしょうか。何でも結構ですから感想や印象、要望、批判、覚悟、等々200字から300字程度で書いてメールしてください。同封にする必要はありません。宜しくお願いします。
・ これに対して早速返信が来ている。代表的なものを一部修正して個人が特定できないようにして記録に残しておきたい。前後のあいさつ文もカットした。私としては若いはつらつとした先生方が「浪速に上手く着地できたであろうか」だけが心配で、例年丁度この時期このようにして「感触を探るのである。
・ 結果は「皆さん、上手く着陸してくれた」様子で一安心である。人それぞれ人生があるが「縁あって」同じ職場で働くことになった「同志」である。私は「仲間」という言葉を使いたくない。「同志」でいたいと思うのである。
・ 体に気をつけて頑張って頂きたい。無理して体を壊しても誰も褒めては呉れない。「自分で自分をコントロール出来ない者が生徒に向き合うことは出来ない」だろう。「しんどい時は休めばよい」。そして気力が充実したらその分取り返せば良い。それが「普通の社会人のとるべき姿」である。
・ このブログと明日予定しているブログ「教員の心の病」については特に若い常勤講師の先生は考えねばならない。ベテランの良いところは「上手く手を抜く」ことが出来ることである。最も何時も手を抜いているベテランの真似はしてはいけないが。

・ A先生(男性):勤務し始めて2週間が経過し、先々週の金曜日から通常の授業も開始されました。教育実習を除けば人生で初めて行う授業に、教壇に立つことができる喜びはもちろんあるのですが、それ以上に、自分は果たして生徒たちが理解できるようにきちんと教授できているのか、その不安の方が大きく、毎回の授業後に反省する度に心が押し潰されてしまいそうになります。私は確かに新卒の新任ですが、生徒にはそんなこと関係ありません。私が行う一回の授業が入試に、延いては生徒の将来に影響を及ぼす、そう考えると教師という職業の重さに、緊張感で思わず身体が震えてしまいます。そして、校長先生のブログを拝見すればするほど、その震えはさらに大きくなります。しかしこの震えは、人間が陥ってしまいがちな傲慢さや驕りから自身を律するための震えであるとも考えています。人間にもっとも大切なことは常に謙虚であることであり、まして子どもたちの将来を扱う教師となれば尚更のことです。校長先生をはじめ周囲の先生方のご指導を仰ぎながら、教師として自律できているか、そのことを常に問い続け、少しでも多く浪速高校に、そして生徒たちの将来に貢献できるよう全力を尽くしてまいりたいと思います。
今後、何かと厳しくご指導していただき、教師として成長させていただければと思います。

B先生(女性):正直、大変覚えることが多く毎日何かしら失敗をし反省し、そして学ぶ、ということを繰り返しています。種類の違う数々の朝テストと朝学習、授業での小テスト、私がそれぞれの課題を生徒に確実にこなし吸収し力にしていってもらいたいと望むならば、用意する私自身が全てのテスト、朝学習において明確な作成意図と、生徒へ何を期待し、どこへ導いていきたいかをはっきり言えるようでなければいけないと考えています。という理想はもっていますが、まだ充分とはいえません。現実は、浪速高校の仕組みに慣れ、本校で長年教えておられる先生方の考え方を理解し、生徒一人一人の力やこれまでの学習の到達度、そして何より生徒の顔と名前を覚えること、それらのことを処理するので今は精一杯の状態です。時間をかけてこなしていくことでしょうが、もどかしい気持ちでいます。早くここでの波に乗っていきたいと思っています。

・ C先生(男性:「浪速高等学校、関西大学連携浪速中学校の一員として」
浪速高等学校は自分の力を伸ばすことができる職場である。これがこの2週間で感じたことです。私は現在、月曜スペシャル・土曜講座など、新しい取り組みが行われるなか、それと共にスタートをきった第一学年XX組の担任をさせていただいております。そのような責任ある立場に立つことで、この生徒たちと過ごす1年間、私の培ってきた経験を十分に生かし生徒に還元する1年にしなければならないと強く感じました。「三十にして立つ。」の言葉どおり、この1年間を自身の飛躍の年と定め、粉骨砕身の思いで浪速の教育活動に貢献できるよう努力していく所存です。まだまだ力不足の点も見受けられると思いますが、よろしくお願いいたします。

・ D先生(男性):何よりもまず書いておくべきことは、周りの先生方の親切さです。こちらがいかに些細な質問をしても、みなさんが嫌な顔ひとつせずに丁寧に教えてくださるものですから、しょうもない質問をしてしまって申し訳ないと思わされてしまいます。次に、私は主にX類の数学を担当しているのですが、X類といっても、できる生徒の層とできない生徒の層の差が大きいと感じました。そのため、どういうレベルに合わせて授業を展開していくべきかということを最近よく考えるようになってきていますが、まだ自分なりの解答が見えてきません。今は机間巡視中にどの生徒も質問できるような雰囲気作りや、「分からないところがあったらいつでも聞きに来て」と口をすっぱくして言うことを心がけています。今はクラス全体の6分の1ほどが、授業外に私の所に質問しに来るようになってきています。とにかく、40人ほどの人間を相手に授業をしていくことの難しさを身にしみて感じています。とりあえず今は授業のことで頭がいっぱいです。

E先生(女性):学校への印象は「組織」として効率よく成果を出せるように変わろうとしている段階かと感じました。また、今の時点で出せている目標は、授業に関してです。現在、中学では、一年特進コースを担当しています。関大連携コースは今の浪速にとって重要です。これから先、他校の大学連携クラスが抱えるのと同じ問題点が浮上する可能性も今から意識していく必要があるのかもしれません。と同時に、特進コースからⅠ類Ⅱ類に進む生徒もいます。より質の良い(弊害のある言い方かもしれませんが)生徒が集まるようにするには、最終的には『中学から浪速に入れば、大学受験時には関大レベル以上の大学に合格できる』 といわれるようになることも一つの手段だと思います。中1特進コースは、今回、国語の宿題テストの平均差が連携コースとXX点以上ありました。4月9日実施の外部試験の結果が出た時点で、一年間で引き上げる数値目標を設定し、達成したいと考えています。

F先生(女性):働き始めてから今日で20日になりますが、毎日充実した日々を送らさせていただいてます。はじめての土地で、社会人としてはじめての仕事をすることに緊張の毎日ですが、仕事ができる喜びを沸々と感じております。これから教科指導をはじめとした生徒生活指導、入試広報の仕事などやるべきことは多くなっていくと思います。素晴らしい先生方のもとで沢山のことを吸収するとともに報告・連絡・相談をしながら、自己のスキルアップにつなげていきたいです。今後ともご指導よろしくお願いいたします。

G先生(女性):高校2年生のアンケート結果で、英語が好きだと答えた生徒は1クラスに平均5人程度でした。そこで、私の目標は、「生徒に英語を好きになってもらうこと」です。受験に備え、今のうちに英語に対しての抵抗感を取り払いたいです。そのために、いかにわかりやすく英語を教えるかが課題であると考えております。そして、すでに英語に興味のある生徒に対しては、「さらに英語力を引き上げること」が目標です。私の留学経験を活かし、ニュージーランドに語学研修に行く生徒に、事前に会話表現のレッスンや、異文化についての講座を開き、留学を実りあるものにしてもらいたいと考えております。 生徒に国際交流をさせたり、スピーチコンテストに生徒を出場させたいので、英語系のクラブも持たせて頂きたいと考えております。本校を、英語に強い学校にしたいと強く思っております。

・ H先生(男性):浪速高校で勤務を始めて、高校2年の生徒たちとふれあう時間も多くなり、大学の話や進学の話をする機会も増えてきました。その中で気づいたことは、多くの生徒の目標が低いということです。 私の受け持つクラスはXX・X類クラスですが、授業の中や休み時間の中でさまざまな生徒の進学目標についての声を聞いています。 私自身「XX大学」の出身であるので是非XX大学に多くの生徒を進学させたいと考えているので、XX大学をお勧めしているのですが、「XX大学は無理!」という声が非常に多いことが聞こえています。 私は彼ら・彼女らが目指すのであればXX大学に行ける力は秘めているだろうと考えていますが、目標として論外においている状況なので少しずつ生徒の気持ちを改革していくことが必要であると考えています。日々の生活の中では外面的に「活発な浪速の生徒たち」を装っていながらも、内面的には「進学に対してネガティブな浪速の高校生たち」に、「ポジティブな」学校生活を送らせてあげられるような進路指導や教科指導を実行できるように私自身も成長していかなければならないと考えています。そのためにも初任ではありますが生徒のために尽力をつくして生徒たちの行きたい大学を支援していけるよう自らも高い指導力を磨いていきたいと考えています。

・ I先生(男性):常勤講師として勤務し始めて、約20日が経過しました。1日、15日の職員会議に於ける理事長先生の「本校に対する篤い想いや今年度の目標と課題」をお聴きし、「私も何とか、学校に貢献しなければ!!」と考えております。今は、教科指導、校務分掌、部活指導など、非常に充実した日々を送っております。
特に今年は、高校に於けるXX教育が始まった年であり、責任重大であると痛感しております。先週の金曜で高校の一回目の授業が終わり、生徒のXX能力が把握できたので、現在、○○先生と1年間の指導計画を作成中です。指導計画が完成致しましたら、理事長先生にご提出させて頂きます。
校務分掌は、進路指導を担当させて頂いております。今まで非常勤講師として勤務していたので、正直まだ不慣れで大変ですが、「報・連・相」、「横の展開」を大切にして、進路指導部の総合力を高めて行きたいと考えております。
まだまだ未熟者ですが、謙虚に研鑽を高め、頑張って行きたいと考えております。

J先生(女性):この2週間、日々の生徒の様子を見ていると、私の中の本校の印象は、初めて訪れたときと変わらず、「挨拶がしっかりできる生徒が多い」というものです。さらに現在の印象は「勉強に対する姿勢が良い」というものであり、目的意識をもった生徒が多いことに驚かされています。まずは授業に集中し、宿題や予習復習をしっかりとやってくる。当然のことですが、非常に大事なことだと思います。私は今、一部の生徒としか関わっていないので、学校の全体像が見えていないかもしれません。しかし、少なくとも目の前の生徒の真摯な姿勢に無限の可能性を感じ、驚きを感じると同時に、自分自身の教師としての責任感をひしひしと感じる毎日です。今後、私はこの思いを忘れることなく、生徒に日々誠実に向き合っていきたいと思います。今後ともよろしくお願いします。

K先生(女性):まず、学校全体がシステマチックに機能していこうとする姿勢が印象に残っています。効率的な学校運営を目指した体制であると同時に、ソフト面ではフレキシブルな印象を受けました。というのも、今年度から開始された月曜スペシャルや土曜講座等、まずアイデアを実現する事が素晴らしく思いました。定着するまで混乱はありつつ、長期的に考えると、変化の少ない授業時間の中で、時々のニーズに合わせスピーディーな改革が出来るように思われます。また、先日の職員会議で校長先生がご指摘されたように、校務など情報や役割をより共有する事、また各職員の強みをさらに生かせる環境も整えられると学校業務も更に向上していくのではないでしょうか。私は教員として未熟ですので、この様な内容をお伝えすることもおこがましいのですが、浪花高校での勤務を通して多くを学び吸収し、個性を生かし、早く学校に貢献できるよう頑張りたいと思います。(浪速の字が違っています。でも浪花も感じとしては悪くはない。)

L先生(男性):4月1日から2週間ですが、漸く着任当時よりも少しは落ち着いてきました。現在は自分の無力を毎回反省する日々を過ごしております。着任前は色々と「あーしてみよう」云々と考えておりましたが、頭で考えることと、それを実際に行動することが異なるということを改めて思い知らせれました。しかし、生徒から見れば私は浪速高校の数学の教師です。「着任1年目なので、大目に…」等と言える筈もありません。今後は、先輩の諸先生方の意見を伺い「給料を頂いている関西大学連携浪速中学校・浪速高等学校の教員です」と言える様に精進してく所存です。

M先生(女性):2週間が過ぎ、授業準備は勿論、生活指導、クラブ活動、進路指導部の仕事など、やるべきことは多くとても忙しい毎日です。しかし教師という職につけて「ようやく始まったな」という緊張感を持っています。そして、このような機会を与えてくださった先生方に心から感謝いたします。私の場合、教師になるのが念願の夢でもあり、今こうして毎日教壇に立って授業をしたり、生徒たちに接しながら、充実感を感じるとともに「まだまだ勉強不足だ」と自覚し、先輩の先生方の行動や言動を、注意深く観察しながら教師としてのあり方について考える時がよくあります。 第一印象として、浪速の先生方はとても情熱があり、活気溢れる学校で、とても良い印象を受けました。生徒の問題行動にも、必死で立ち向かい、生徒のための教育を常に心がけている様子がよくわかります。要望といたしましては、私は個人的に韓国語を以前に勉強していたこともあり、(韓国語教職免許も取得予定です)クラブ活動として韓国語会話など、楽しく言語や文化を学べるような部活動をやってみたいという気持ちはあります。これからの子供たちは、日本と最も近い国の言語に触れたり、学んだりすることの意義はとても大きいと思います。すぐとは言いませんが、1つの意見としてご提案いたします。

2010年4月19日月曜日

4月19日(月)ボーイスカウト阪南地区総会











・ 昨日午後は「ボーイスカウト阪南地区総会」があり、初めてこのような外部の会合に出席した。一つには「まあご関係の皆様が来られるからご挨拶しておかねば」という当然の公務とは別に「個人的な心情」もあったからである。
・ それは総会の行われた会場とそのオーナーにある。例年同じ場所らしいのだが総会の会場は北加賀屋にある「グルメ杵屋本社」で、実のところこの本社ビルには過去2回来たことがあったのである。訪ねたお人は故椋本彦之氏であった。
・ 今から8年前になるが私は府立高校に大阪府初の民間人校長として赴任した。4月に着任して既に5月6月には組合教員ともめ始め、新聞にも「民間人校長、教員と対立」とかセンセーショナルに取り上げられるなど日本全国に発信されるほどの事態となった。
・ 理由は土曜日に外部の民間教育機関とタイアップして土曜講座を始めたことが公立教員の気に入らなかったことが要因であったが、これは府教委の支援を得て結果としてNHKや民放テレビにも取り上げられ、軌道に乗りその他の改革を推し進め、進学実績も急上昇した。「ゆとり教育」問題の走りの時期であった。
・ 今ではこのようなことは「当たり前」になってきており「時代の移り変わり」を痛感するが、この騒ぎの真っ最中に椋本さんはお電話を下さり「負けるなよー。頑張れ!」と激励して頂いたことがあった。その後も「著作」を送って頂いたりしてご厚誼を頂いたのである。
・ 時には市内中心部の高級レストランに招待され夕食をご馳走になったりした。当時椋本さんは本校と近い「H学園」の理事長の職に懇願され就任されていた。前経営者の失敗からほぼ倒産状態の学校法人の財務内容の改善に精力的に取り組んでおられた時だった。
・ お会いするたびに「教員社会の不条理と甘えの構造」に静かな語り口であったが「憤慨の言葉」を述べておられた。そういう状況から教員と戦っていた(自分ではそういう意識はないが)私に対して「親近感」みたいなものを感じて頂いていたのだろう。
・ 「立志伝中の人物」で大阪経済界でも活躍されていた注目される経営者が人生の晩年近くになって「学校の理事長」という職位に「大きな誇りと責任感」を有しておられたのだろう。それが同じ民間企業出身の私への「シンパシー」に繋がったのではないかと思う。
・ その後もご厚誼は頂き、私が府立高校の校長を辞職した時には「H学園の専務理事で来ないか」とまで温かいお誘いの言葉をかけて頂いた。私は「どうしてももう一回校長職をやりたい」と言って結局この話しは実を結ばなかったのである。
・ ところが「縁と言うものは奇なり」で私が現在の浪速高校に勤めるとなったことである。「何を隠そう」、椋本氏は「浪速中学のご出身」で、私も椋本さんも「縁の不思議さ」を感じられたのではないだろうか。私はこの本社ビルにご挨拶に来たのである。
・ 訪問した日、椋本さんは「俺の母校を頼むよ」と言って北加賀屋の本社から愛用の「ブルーのセンチュリー」を自ら運転して学校まで車で送って頂いたことを今でも私は忘れることは出来ない。
・ とにかく「経営者魂」に満ち溢れたお方でこの道すがらでも「今度なー、頼まれてなー、私鉄の経営再建をやるねん」と当時破産した水間鉄道の話しばかり私にされていた。
・ とにかく「仕事、仕事、仕事」のお話ばかりであったが事、学校経営に関しては「先生方のお気持ちを一つにしなければなー」と私なのかご自身に向かってなのか、恐らく両方であったと思うが「つぶやいておられたのも忘れられない」。
・ その後ほどなくしてH学園の経理処理の問題が教育界を揺るがす大問題となり結局椋本さんはH学園を退任された。それから1年前後だったと思うが病を得られてお亡くなりになったのである。
・ 大変立派な大きなご葬儀であった。ご子息が最後のご挨拶で口を詰まらせながら「父は無念の死であっ」と言われた時には私も思わず熱いものがこみ上げてきた。あれほどH学園を愛し教職員のことを思っておられたのにも関らず「何と言うことか」と思ったのである。葬儀には誰一人教職員は参列を許されなかったと後で聞いた。
・ 椋本さんは「大阪府のボーイスカウト活動でも功績者」で企業の社会貢献を超えて支援をされてきたお方である。中々普通は出来ないことである。従って阪南地区の総会の会場などは使わせて頂いているのである。それ以外に「友情の家」とか「グルメ杵屋社会貢献の家」とかある。
・ このような故椋本氏と個人的な関係がある中でまたまたボーイスカウト活動に私が関与するなど今まで考えたことなどなかった。「まさかこの私がボーイスカウトのベレー帽をかぶってユニフォームを着る」などは想像さえしなかったが現実にそのようになっているのである。
・ 私は何か「椋本さんに呼ばれている」感じがしてならないのである。私は椋本さんほど大きな力を有していないが今度開始した「学校ボーイスカウト活動の実験的試み」に力を入れてみようと思っているのである。「ボーイスカウトはクラブ活動」として捉えている。
・ 少子化の中で如何に「スカウト活動を活性化させるか」が大きなテーマであるが、昨日の総会でも私は申し上げたのである。少子化でも「学校には多くの生徒が居る」ということである。地域から学校に拠点を移しその活動を地域に戻していくと言う「逆転の発想」が私の捉え方である。
・ 「 国や郷土を愛し、そのためには公共心と奉仕の精神を醸成させ得る生徒の育成」を図る。同時に国際的なコミュニケーションを忘れてはならない。そのように考えたら「ボーイスカウト活動の精神」に行き着いたのである。
・ 私はスカウトは「水先案内人」で良いと思う。学校全ての生徒がスカウトにならなくても良い。彼らが先頭に立てば良いと思っているのである。従来の概念とは少し違った「スクールスカウトの立ち上げ」が私の狙いなのである。
・ まず本校の165団の発足を祝うためと学校を知って頂くために「学校説明会」を行う積りである。大阪の関係者の多くの方々にお越しいただいて距離を縮めておきたい。この7月には東京の連盟本部からの依頼で「マカオから50人のスカウトの来日計画」があり、学校訪問として本校に受け入れの依頼があった。
・ 私は全面的に協力する旨お伝えし、場合によっては「多聞尚学館」を宿泊場所として提供することも考えている。とにかくこのような活動は「走りながら考え、考えをまとめて行けば良い」のであって最初からゴチゴチに規定する必要はない。
・ しかしそれにしても、まさかこの私がボーイスカウトのベレー帽を被って「カーキ色」のスカウト服を着るとは思わなかった。自分で言うのもおかしいが「似合うとは思えない」のである。鏡を見て笑ってしまった。でも仕方がない。

2010年4月18日日曜日

4月18日(日)財団法人大阪国学院






















・ 昨日はほぼ終日、今日は午後から予定が入っていた。先ほど「ボーイスカウト阪南地区総会」から帰宅してようやく週末がエンジョイ出来たと言いたいが夕方5時だったので今週末は「潰れたと嘆く」のでなくて「充実していた」と言うべきか。面白い写真が撮れた。これは今度のブログのお楽しみに。

・ 昨日は「終日大阪府神社庁に出張」であった。特に3月と4月には絶対にいかねばならない出張があるのである。一つには神社庁の「春季例祭」でありもう一つが昨日の「財団法人大阪国学院の卒業式というか修了式と午後から行われた入学式」であった。特に後者は唯一の「来賓」だから万難を排して出席しなければならないのである。
・ 正式に言えば財団法人大阪国学院が主体の「神職養成通信教育部の卒業式」と「入学式」が執り行われたのである。本校は学校法人大阪国学院、もう一つは財団法人大阪国学院であり、分かりやすく言えば「血を分けた親子の関係か兄弟の関係」だと思う。
・ 「明治43年に財団法人大阪国学院」は文部大臣から設立を許可され、本校は大正12年に財団法人が「浪速中学校を設置出願し神道科を併設」したことから歴史が始まる。戦後の昭和23年に「学制改革で新制浪速高等学校と改称」され今日に至る。
・ 従って本校は文科省認可の学校法人であるが財団の方は公益法人として「神職養成の通信制教育機関」なのである。昭和51年に着手し昭和52年から開講したものであるからすでに30年の長い歴史を刻んでいる。東京の神社本庁の認可を受けている正規の組織である。
・ 神職になるには「皇學館大學か國學院大學で学ぶか通信制の教育機関」であるこのようなところで資格をとるかしか方法は無いのであるが、通信制と言っても2年間の学びは「スクーリング」はあるし神社奉仕実習とかとにかく「大変厳しい」なことで有名である。
・ 相当厳しいカリキュラムらしい。「レポート、レポート」「筆記試験」など生易しいものではないことは受講生全てが言われる。特に2年次は本当に大変らしい。即ち「そう簡単に神職の資格は得られるものではない」ということである。
・ ここに学びにきている人は様々であるが他に仕事を持ちながらの人が多い。全国から来られている。1学年50名前後でそれでも神社の縁者がやはり多い。ここで「階位」を得れば神社をお守りしながら祭式を斎行できる資格を有することになる。
・ 私などは「ご奉仕」は出来るが「お祭りを斎行」することは許されていない。要は神社の宮司になることは出来ないがここの「修了生は宮司になれる資格」を有したことになるのだ。
・ ところで私は神社庁の丁長である大阪天満宮の宮司や顧問の道明寺天満宮の宮司に何時も言うのだ。「神社神道の学校の校長を5年もしたら宮司に成れる資格を下さいよ。そしてどこか適当な神社を預からせて下さい」と半分本気、半分冗談交じりに言っているのである。「OK」とはまだ言って頂いていない。

・ 今、日本には神職の資格を有しているのは約20000人おられるそうであるが「神社は約80000社」あるそうで、従って全国には神職の居ないお社が如何に多いかということである。こういう人々が一つの「鎮守の杜に囲まれた神社を拠点」として地域の活性化や町おこしなどに寄与できれば大きな力になるだろう。
・ 私は唯一一人の来賓で「玉串奉奠」、「来賓祝辞」が卒業式と入学式双方であり「学校法人理事長賞」も授与する役目も仰せつかっている。従ってこの日は午前9時から、午後3時まで「船場近くにある大阪府神社庁」に終日居ることになるのである。
・ 今回で4回目の出席であるが「素晴らしい式」で私は何時も「感動」する。今日の式も大変良かった。それは「中身」が良いからで「大人の卒業式であり、入学式」である。「敬神生活の綱領」を吟じ全受講生に「受講生手帳」が授与される。
・ その1ページには「生日の足日」という言葉があり「いくひのたるひ」と読む。意味は生日とはあらゆる物事がいきいきと栄える日のことで、吉日を意味し、足日とは物事の満ち足る佳き日という意味である。
・ 毎日がそのように「生日の足日」となるように「自分自身がただ念願するばかりではなくて、世のため人のために奉仕し明き清きまことを持って努力することで招来しうる」と教え、「自身を観照する心の鏡」として授与される大切な手帳である。「いくひのたるひ」とは何と響きの良い言葉であろうか。

・ このような訳で私は今や神社界の人々とも大変に近くなり又神社界の様子も大体知ることが出来るようになってきている。特に「作法」などは随分と勉強させて貰った。それだけに「一般の人々の作法に目がついつい行ってしまう」のである。
・ 1昨日関西大学の堺キャンパスの地鎮祭に出席したときにK常務理事から「神式の作法」について「校長、あれで玉串奉奠のやり方は良いですか?」と聞かれたのである。実は私も前には未知でやり方を間違ってしていた時もあり、この時は理事長職務代理の道明寺天満宮の宮司から指導を受けたことがある。
・ その為校長室で「特訓」を受けたことがある。あれ以来正規な作法で「参拝の正しい作法」をしているのだと思っているがまだ自信はない。この前も全校一斉の参拝で「2拝2拍手1拝のスピードが少し早い」と理事長職務代理から指導された。
・ 自分ひとりの時はマイペースでいけるのだが1900名近い生徒と共に参拝するときは「所作がついつい早くなってしまう」のは自分でも自覚していた。生徒はどうしても早くやるにで、それに「合わせよう」とついつい早くなってしまうのである。
・ ところで関西大学の地鎮祭で気がついたことは「拍手の所作」である。「拝礼」をした後、すぐ両手で外から手を寄せて拍手を打つ人が散見されたがこれは間違っている。まず「体の前方で両手をまず合わせて」それから開いて2回拍手を打つのが正式である。
・ もっと言えば合わせた両の手のひらをピッタリ合わせてそのまま打つのではなくて「右の手を指一関節下にづらせて拍手を打つのが正式な方法」である。これは案外知られていない。「音の出し方」についても何かありそうだがまだ詳細は知らない。今度勉強しておこうと思う。
・ 又拍手の前の「」については文字通り「」であって「おがむ」のであるからチョコンとした「」とか首だけちょこんと傾けるのではない。「腰を折る」のである。とにかく多くの宮司さんを存じ上げているが皆さんそれぞれに「絵になっている」のである。社殿の前に進み出る方法も細かい作法がある。昔から伝えられてきた作法というのは茶道や芸事と一緒でそれなりの意味があるのである。