2009年8月31日月曜日

8月31日(月)2学期始業式


・ 「衆院選の結果が確定」した。夜遅くまでテレビを見ていたので若干寝不足を感じる一日だった。それにしても民主党の圧勝はすごかった。「民主党政権の誕生」である。これを受けて当然私の頭には「新政権誕生による教育界への影響」がよぎってくる。
・ 民主党政権は「私学にとってどのような影響が出てくるのか」ということである。社会民主党と連立政権を組むといっているからこの影響も出てくるだろうし、何より民主党には「右から左まで」余りにも「ウイング」が広すぎる。ここを心配しているのである。
・ 「国旗国歌法」は改正する、卒業式に国旗など掲揚しなくて良い、「君が代」を歌わせるなんてとんでもない話であるとなったら大変である。「教員免許更新制度」はすぐ止める、「人材評価システム」は法的に廃止するなどの政策が出てきたときの対応をどうするかである。
・ まず当面「高校の授業料の無償化公約」がある。公立に相当して「私立学校にも24万円程度支援」し直接保護者に手渡すといっているが、何時からやれるのか。間違いなく私学にもしてもらえるのか。結局私心配は民主党の政策が「私学に対してどのようなスタンス」であるかということだ。クローズドなのかオープンなのか。
・ 我々は更に切実な懸念がある。それは「監督官庁である大阪府の知事のスタイルとその影響」である。自民・公明の推薦で知事に当選した橋下さんは今回の選挙で何も動かず実質的には民主党を支援した。
・ 恐らく「怒り心頭」に達しているであろう自民党と公明党は「府議会で対決姿勢」を示してくるのではないか。民主党は先の知事戦で一敗地にまみれているわけであり、今後「国政の勢い」が地方議会にどのような形で影響を及ぼすのか。それは大阪の「私学助成」にどのような跳ね返りとなるのであろうか。
・ 世の中が又「面白くなった」。見誤ることなく「本校を守る」ために「神経を集中」しておきたいと思う。今最大の関心事は「誰が文部科学大臣になるのか」と言うことだ。民主党の輿石参議院会長だったら少し「ややこしく」なるかもしれない。この人は日教組出身のバリバリの闘士である。「教育の政治的中立など有り得ない」と明言している人である。
・ しかし選挙と言うのは「最高に面白い人間ドラマ」である。「小選挙区の怖さ」であろう。300議席くらい一瞬にして「ひっくり」返るのだからこのように激しいこともそう多くあることではない。
・ ところで投票日前日の朝日の夕刊に「」ブームとして面白い記事があった。責任力、人間力、美人力などと新刊や広告のコピーに「」を付けた「造語」が氾濫している。確かに言われてみればそうである。
・ 私は今回の選挙で自民党が「責任力」と言い始めたときに「怪訝な」気持ちがしたものである。「ちょっと使い方が違う」のではないかと。責任に力も何もあるのはおかしいのであって責任は責任だろう。
・ 98年のベストセラー「老人力」を皮切りに01年「常識力」02年「人間力」03年「質問力」(私は知らなかったが)07年「鈍感力」(これは有名になった)などがあった。「美人力」というのもあったらしい。それに今回の自民党の「責任力」である。
・ 当然このような風潮にさも分かったようなコメントをする解説者はいるもので、この人気は「力という漢字」を使うと「断言型」で「収まり」が良いのと、聞いた方が「分かったような気になる」というものである。更に将来に不安を持つ人々が「力を求めている傾向」の表れではないかと言うのだ。
・ これに対して、少し意味合いが違うが、8月28日の産経には曽野綾子さんが「日本は力が悪とみなされる国」という評論を書いておられる。確かに日本には「判官びいき」というのがあって「弱者こそ正しい」みたいなところがあるが、「力があることは悪いことではない」。力が無いと何も出来ない。力を私利私欲ではなくて「全体最適」のために行使することが大切である。

・ さて2学期が始まった。新型を用心して何時ものように神社前の中庭に生徒は集めず各クラスに分散させて「校長の話はマイクを使った校内放送」で行った。勿論生徒の顔を見ながらやるのが最も良いのだが「安全対策」としてそのようにしたのである。周辺には自治会役員と「部活動の表彰伝達」を受ける生徒だけである。
・ 私の話は勿論「新型インフルエンザへの注意喚起」である。ホームルームで詳細にチェックしたところ新型で休んでいる生徒は高校で1名、中学で2名であった。教職員は全員「ホッ」としたのである。しかしこれから先はまだ分かりはしない。油断なく決めたことを粛々と進めるしかない。
・ 先に行われた「英語検定試験」で英検2級以下目標を達成した生徒に「奨励賞」として図書券を渡した。「励み」になるだろう。早速英語科主任が「お礼」に来てくれた。生徒が喜んでくれていると言う。
・ これらは自民党が民主党を批判したような「ばらまき」ではない。「バランス」をとっているのである。「部活動の生徒」には多くの奨励賞や激励金が行き、「勉強だけの生徒」には何もないのである。これでは「不公平」と考えたのである。したがって勉強は「勉強クラブ」とクラブの一つとして扱うことにしたのである。良い考えだと思う。

・ 13時25分 校務運営委員会
・ 15時45分 「教職員研修会
今日は放課後教職員研修会であった。外部の先生をお招きして「発達障害とその指導・対応」についてである。発達障害とは「発達の遅れや心の病気ではなく発達の偏り」を言うが、環境的なものではなくてもって生まれた資質をいう。「大変勉強になった」。

・ 「礼儀のない、マナーの悪い教員が目に付く
  最近「校長承認印」を貰うのに資料をくるくる丸めて持って来て、それに「判を押せ」とか、部屋に入るのに「赤のポロシャツの襟を立てて心斎橋筋を歩いているような感覚」で部屋に来る教員がいるが「困ったもの」である。社会人としての常識がないのだ。「仕事は大変良くやるが常識に欠ける」。教員の最も多い弱点である。本当にバランスが取れていないのである。案外、仕事がいい加減の人がしっかりとした服装をしていたりして、とにかく「千差万別」である。

2009年8月30日日曜日

8月30日(日)衆議院選挙


・ 今日は休みだが公務があって通常通り学校に行き、その後「多聞尚学館」に向かう。そこで昨夜から「キャンプをはって」いるスカウト隊のメンバーとその保護者に来てもらって正式の「結団式」を実施した。このときの模様は近いうちに別途日記に残そうと思う。中々面白い。「何事も初めてというのは面白い」ものだ。

・ さて今日は「衆院選の投票日」であった。「天地人」が終わったと思ったら、すぐ「民主圧勝」を報じていた。遂に「政権交代」である。投票が終わって1分ですべてが分かるのだから何とも言いようが無い。「出口調査」ですぐ分かるのだ。「悲喜こもごもの人間ドラマ」がこれから何回も報じられるだろう。
・ しかしこのような勝利は一体何と言えば良いのだろう。「地すべり的」「完勝」「大勝」「圧勝」?「すごいことである」。選挙のことは今は詳細は書くまい。しかし歴史的な日となったことは間違いない。今日は「時代の節目の記念すべき日」になったと言うことが分かる。私は何か「国民の怒りの声」を感じる。
・ 「政権選択選挙」と言われ激しい選挙戦が真夏の8月に行われたのも珍しいと言う。私は「アラカン」の世代であるが政権選択の選挙と言われる時代が来たのだと思えば感慨深いというか、まさに「時代の潮目」である。
・ 今から40年前は1969年でちょうど私は大学を卒業して企業に就職した年度であった。昭和44年で「日本は元気」があって「躍動」していた時代であった。私自身も「希望の会社に就職」でき「将来の夢に燃え」て、気力・体力が満ち溢れた23歳の若者であった。
・ 国、国民も「豊かさへの挑戦」であり誰もが「小異はあるが未来への希望」を失わず、頑張ってきて、あれから40年経った。ところが「現実の姿」はどうだ。「希望の21世紀」どころの話ではなくて過去最高の5.7%という失業率に代表される「貧困国家」にずり落ちそうな様相である。
・ 労働市場も、国民所得も肝心の「世相」も21世紀になって「つるべ落とし」の状況である。日本は完全に「制度疲労国家」となったと感じる局面はここ10年間多かったが結局「政治の力」で「あるべき姿への変革は出来なかったいうことだ。「何故だろう?」と思う。
・ 誰もが「今のままではいけない」と頭では分かってはいたと思うが「変えられない」のだ。そこが「人間社会の悲しい性(さが)」である。「分かっちゃいるけど止められない」だろう。
・ 特に米国や英国などと比べ「我が国の文化」がそのようにさせて来た面もある。「まあまあ、そんなに急がなくとも」「上手く行っているのだから」「みんなの声を聞いてあげて」「余り無理しないように」とかなんとかとにかく基本的には「混乱や混沌、混迷」を嫌う国民である。
・ だから自分個人に少しでも「上昇している」「高まっている」「得をしている」という感覚があれば「急激な改革」「痛みを伴う改革」など望んで来なかった国民なのである。典型的な「総論賛成、各論反対」の国民なのである。
・ 戦後60年間、政権を担って来た自民党は「その流れ」の中で「見動き」が取れなくなってきたのだろう。何をやろうにも「がんじがらめ」とはこういう状態を言う。「既得権益グループ」を温存させ、パイを分配しながら「口封じ」をさせておいて「新しいこと」をやろうとしても「成長のパイ」がなければ「早晩行き詰まる」のは明々白白であった。
・ 「分配しまくって」その結果「国の借金は800兆円」と言うから尋常ではない。これをもたらしたのは自民党であってその自民党が民主党を「ばら撒き政党」とののしるのは面白い絵柄で「噴飯」ものだと私は思っている。自民党は「脳死状態」であったのだ。今日で「古い自民党は死んだ」のではないか。
・ 要は「全体最適の視点が欠ける」と言うか出来なかったのである。「部分最適の集合体」ではバブルみたいに膨れ上がるだけである。限られた資源の「選択と集中」と言うことが出来なかったのである。少なくともそういう状況に舵を切ることが出来なかった。だから薄く広く霧のようにばら撒かねば誰もが満足できなかったのである。
・ 以上は政治の話であるが学校に置き換えて考えてみると「構図はまったく同じ」である。戦後60年間「公教育の果たしてきた大きな功績」を国民は忘れてはならない。戦後の復興を私は日本の教育が果たしてきたと強く感じている。
・ 高度経済成長時代から「質と志の高い勤労者」で日本は今日の繁栄を勝ち得てきたのである。その「ベースは教育」にあった。その限りにおいては教職員団体が果たしてきた役割は大きい。高い組織率で「教研集会」を行いながら「真正面から教育に立ち向かってきた」ことは間違いないだろう。
・ ところがだ。政治と同じで「徐々に硬直化」し始め「教育問題ではなくて土台がイデオロギー」に取って変わっていく。そのイデオロギーも「分捕り合戦」の様相になっていき、この辺から「日本の減速が政治も経済も教育界でも始まった」と見ている。
・ 今朝の新聞各紙には自民党と民主党が1面ぶち抜きでリーダーの顔を大写しで最後の新聞紙上訴えをしている。私は大変興味深く観察した。自民党は「日本を壊すな」と書き、「偏った教育の日教組に子供たちの将来を任してはいけない」特定の労働組合の思想に従う偏った政策を許してはいけない」とある。
・ しかし私は言いたいのだ。結局日教組と妥協してきたのは自民党政治に他ならないのである。官公労を中心にして労働組合幹部労働貴族を作ってきたのは自民党政治そのものではないかと。 一方の民主党は「本日政権交代」と書き、まさしくそのとおりとなった。「次の日本のリーダー」は「鳩山由紀夫さんだろうがどのようなリーダーになるのだろう」。大変に興味がある。
・ 組織と言うには悲しいことに時間の経過とともに「疲弊」し「制度疲労」を起こし「腐敗」していくものだと考えるべきである。だから何十年に一度大きな「マグマ」や「巨人」「偉人」「革命家」「独裁者」等が出てきて根本的に仕組みを変えて「組織はまた息を吹き返していく」。「歴史はこの繰り返し」でである。
・ 何を改革、変革するのかと言えば「意思決定方法の変革」である。果たしてこの国は明日以降どのような意思決定方式となるのだろう。「脱官僚」「地方分権」「霞ヶ関解体」とか色々言っているが、それを本当に民主党はやり切れるのか。 どうか「先祖帰り」だけはしないで欲しい。
・ 本校も3年で様変わりと言われるくらい「変えに、変えて」きた。しかし「菜根譚」にあるように「得意のとき、失意の悲しみを生ず」と得意絶頂にあるときにはすでに転落の兆候が出ているということだ。自民党みたいになってはならない。民主党も今日の得意絶頂からすでに組織の弱体が始まっていると思わねばならない。
・ 私は本当に「コワゴワ」して業務を執行している。「先行きが心配でならない。」私の後、誰がこの所帯を守り育ててくれるのであろうか。次の「浪速の指揮者」は誰になるのか。後事を託するに相応しい人物を当てはめるまで私はこの「学校のリーダー」として徹底的に責任を果たしていく積りだ。しかし選挙は面白い。トリプルスコアである。

2009年8月29日土曜日

8月29日(土)人材評価育成システムの後半戦秒読み





・ 遂に中学校でも「新型インフルエンザ」が発生した。発熱で5名が学校を休んでいる。内2名が新型と診断されているとの保護者からの連絡があった。調べてみるとこの5人の席は見事なくらい左右前後で固まっている。ものすごい「感染力」である。
・ 朝、「学級閉鎖」の決断を下した。今日から一応3日間としたが来週月曜日の状態を見て延長を判断するつもりである。恐らくこのクラスの他の生徒からも発熱する生徒が出てくるのではないか。
・ 月曜日は始業式だというのに残念だ。始業式は中庭への全員集合とはせずに各クラスに集めて「校内放送」を使って式を進めることに決定した。又開始時間をずらせて「全生徒の健康状態」を徹底的に把握する作業を行う。

・ 昨日から「社会科教室のAV化工事」が始まっている。「50インチの大型モニター4面」が設置されあらゆる面で「使い勝手」の良い部屋が出来る。府からの補助金を頂いている工事だ。「職員会議」も今後はこの部屋で行ったらどうかと言っている。
・ ただ職員会議用にするのであれば、「窓ガラスを曇りガラスにするか、テープを貼る」かして外部から見えないようにしなければならない。全教職員が集まって話し合っているところを特に生徒に見えないようにするのが学校文化である。
・ 壁も汚いので塗り直すように事務長補佐に指示した。PTA会合や同窓会でも便利に使える部屋になるだろう。「新校舎建設」まではあちこちに動かして教育効果を高める配慮が必要なのである。それまで何もしないで良いなら楽なのだがそうは行かないのだ。
・ そして現在の新館の大教室は「LL教室」に改造する。「英語強化用の部屋で活用」すればよいと考えている。それに関連して英語科の常勤講師の先生の2名が「英語強化チーム事務局」に入りたいと申し出てくれた。
・ この二人の先生には昨日の昼休みに口頭で正式に依頼したところである。優秀な先生と聞いておりチーム長は心強いだろう。「自ら申し出る」ということが積極的で素晴らしい。

・ 教員と言うのは一般的に「自ら存在感を高めないように、目立たないように振舞う」のが「習性」である。「出る釘は打たれる」というのか、「赤信号を皆で渡れば怖くない」でもなかろうが、長い間、「均等に仕事を分配する」という文化の影響だと私は観ている。
・ しかしこれではこれからは駄目だ。「元々人間の能力には差がある」のだから仕事の均等配分では「出来上がりに差」が出て、組織全体の成果にトータルでは未達になる可能性が出てくる。今までの学校社会はそういう面があった。今後は「仕事の出来る人はもっと仕事」をして、それなりの人もそれなりに頑張るという構図が必要になる。
・ 「それは私にやらしてください」「私に行かせてください」と「積極性が評価のポイント」になる。権利は行使し休みは多く、仕事は均等以下ではこれからは給与は上がっていかない。「能力を高めて自分を売る努力」も必要だと言っているのである。
・ 私は「向う傷」を評価する。積極的にトライした結果で、成果が芳しくなくともそれは必ず次に繋がる。前向きな仕事で失敗したことで叱ったことなど一度もない。私が厳しいのは「仕事から逃げている人間」である。
・ 特に組織の秩序を乱す人間には容赦はしない。徹底的に追求する。当たり前のことだと思う。学校文化には「力は悪である」というようなものがあるが「職位の持つ力」を最大限に発揮し「組織の成果を最大限に高める」ことは「私の責任だから」である。
・ 勿論「パワハラ」などと言われないようにしなければならないが、もうこの年になれば徹底的に争っても良いとさえ最近は感じている。強い指導がパワハラなら「組織管理者の責任」は果たせない。組織に強いことは必ずしも悪いことではない。
・ 「調整型の校長」などと、さも悠然と大物ぶった風情を示しているかに見えるが「格好だけ」で校長の責任を果たしていないのが多いという意見もある。校長が「ぼんくら」で学校が「タイタニック号」になっては元も子もないだろう。私はそうはなりたくない。
・ 校長になるまでの教員時代に「たっぷり」と甘い蜜を吸ってきた校長が組織のトップになって「これやれ、やって欲しい」とか部下になんとか言ったって、余程の覚悟がなければ改革など進むわけがない。私には「しがらみ」などまったくない。「無からの出発」であった。
・ その昔「貴方が先頭に立って反対したではないですか!!」と教員に突っ込まれればそれまでである。だから「理念を語るのは上手い」校長は多いが行動力、実践力、想像力、指導力、プレゼンテーション力など不足を感じる。「理念語り」だけはもう結構だ。私には「自信」がある。
・ 私は何時も「トップダウン型」であると言われるが本校の教職員で私を良く観察している人は「私の実態の姿はボトムアップ型」ともう感じているのではないか。もうそのように感じて欲しいものだ。下から上がってきたものに反対したことはない。「そうか、やれやれ」である。「お金も教員の教育活動には惜しみなく投入」してきた。
・ 「やらない人間は10年経ってもやらない」ものだ。そういう人間にはトップダウンでやってもらうしかない。抵抗したら評価を下げるだけだ。仕事をしない人間に同じような定期昇給をするわけにはいかない。何時かはやってくれるだろうと「ニコニコ」待っていて組織がつぶれたらそれまでである。
・ 仕事をしない人間に限って「やった、やった」というものだがそれは管理者が評価するもので自分が「声高」に言うものではない。同じような年回り、勤続年数などグループの中で相対的に公平に(均等ではない)評価して「順位が決まる」のである。これを「相対評価」という。大人社会は相対評価の世界である。
・ 3年前に「レッドカード」を私学財団から突きつけられた30ページの勧告書の末尾のページには「危機的状況打開のために理事長の強力なリーダーシップの発揮」が最初に明確に書かれている。 私はまさに理事長・校長の権限を行使して責任を果たしてきたつもりである。そして教職員も頑張ってくれた。
・ しかし全国学力調査と同じで「何かをやればそこに差異が発生する」のである。一般の企業社会でもそのようにして勤労者は「厳しい格付け」の中で「自己を磨き能力を開発」して歯を食いしばって頑張っている。売り上げの多いところの社員の給料は相対的に高いのである。
・ 学校の教員だけが「差のない社会」と言うわけには行かない。実際に差があることは本人が最も知っていることだ。「人材評価育成システム」の2年目後半戦が始まる。教職員の頑張りを期待いたしたい。しかし新型インフルエンザで一体全体、どのような状況が待ち受けているのか皆目分からないが、「教職員と呼吸を合わせて」頑張って参りたいと思う。

2009年8月28日金曜日

8月28日(金)第3回全国学力調査結果


・ 朝一番に中学校の副校長と教務部長が入る。この5月に行われた「第3回全国学力調査結果の報告」である。本校は3年連続して参加している。昨日はお客様があったりして時間を持つことが出来なかったので今朝は早朝から結果の把握作業に入ったのである。
・ 当然昨夜のテレビ報道、今朝の新聞各紙は衆議院選挙報道より紙面を割いて記事にしている。全国紙の論調は「学校の地域差固定化」であった。朝日は「学力の地域差固定化」、産経は「上位県の固定化鮮明」との見出しである。連続3回実施し正答率の高い府県と低い府県が固定化されてきたというのである。
・ それはそうだろう。正しく処理されたデータであれば「一夜にして力が付く」と言うものではない。「長い間の積み重ねと努力」が数値に現れるのであり昨年の最下位が翌年トップに躍り出たら「インチキ」と言われても仕方がない。
・ しかし「秋田、福井、富山、青森など」はどうして強い(?)のであろうか。「大阪、沖縄、北海道など」はどうして弱い(?)のであろうか。それも3年連続であるから固定化といわれても仕方がない面はある。
・ 大阪府の「公立小学校は少し上昇」した。「1回目が45位、昨年が41位で今年は34位」だから少しは上がっている。橋下知事は喜んでいるが私は知事の内心として「もっと上がって欲しかった」と思っているのではないかと思っている。お顔からそのような印象を感じる。「ほぼ全国平均」になったからと言って嬉しいだろうか。
・ 「大阪の公立中学は酷い」。「3年連続45位」だからこの位置が「大阪の定席」となった。知事は又「吼え始めて」いる。「中学は深刻、自治体の長は責任を取れ」と激しい口調でバンコクのホテルでののしったという。市町村教育委員会の人事や予算に介入すると言う。是非やって欲しい。ますます公立中学は乱れ、公立離れが進むだろう。
・ しかし公立中学校のあのレベルは一体どうしたのだろうか。3年連続で「超低位」だ。天下の大阪の中学3年生の力がこの程度とは思えない。「大阪の公立の中学校の教師は何をしているのか」と言いたい。「3年連続45位はないわなー」。教師としてもう少し何とかなるだろう。これでは何も言えないのではないか。
・ 新聞写真で見る中西教育長は「愕然」とした感じであった。「予想外の結果」だったのだろう。少しは上がると踏んでいたのではないか。「分析を徹底する」と言われているが「ここがポイント」である。
・ 「分析するのは学校単位の教師の仕事」である。幾ら教育委員会が「はやしたてても」、肝心の学校の担当教師が「放置」していたら「何も変わりはしない」。特に朝日の記事には知事、教育委員会、校長などの管理職と「一般教員の乖離を指摘」する論調である。余りにも「教員バッシング」が過ぎたのではないか。
・ 分かりやすくいえば幾ら知事や教育長や百マス計算の陰山先生が「発破」をかけても「笛吹けど踊らず」で教員は「しらけ顔」で「何もしないか、したふり」だというのである。これでは幾らやっても万年45位だろう。
・ 本校はおかげさまで「3年連続学力の伸長が明確に確認」できた。「すごい伸び」と言ってよい。当然公立対比では問題とならない差をつけているが今年の成果はAクラスが「全国私学平均」をどの教科でも上回ったことだ。
・ 特に「数学の成績が良い」。この傾向は1回目からあったのであるが今回もそれを確認できた。国語はもう少し上げて欲しい。私立中学として公立中学が相手ではない。「あくまで他の有力私学との競争」である。
・ 私が嬉しいのは「学力を伸ばす教師のすご腕が本校の教員にはある」ということだ。3年間の成績で確信した。正直って入学時の成績はいまひとつでもその「学力伸長度」はすごいものがある。例えば昨日明らかになったのだが「五ッ木の模擬試験」で偏差値60以上、70クラスの生徒が輩出していることだ。
・ この全国学力調査、今回辺りから少し「変わった空気」が流れ始めている。「もう十分」「やり方を変えたら」といったものだ。何か分かるような気がしないでもない。「生活習慣が学力に影響する」ということは頭では誰でも分かっていることが3年連続数値的に「証明」された。
・ 「基礎問題は出来ても応用力に課題がある」などは誰でもわかる話でそれも具体的に証明された。「これ以上何を確認する?」という意見だろうが分かるような気がする。地域間格差ははっきりした。もうすべて「分かったではないか」と言う気もする。
・ 大切なことはこれら3年間の結果を受けて「行政と現場の教師、家庭の保護者がそれぞれ何をするか」ということだ。何時までも「全国何位?」などで50億円近い公費を投入するのもいかがなものかと言う意見もある。
・ 最後は「子どもを追い込むことになる」ことを懸念するのだ。隔年、あるいは抽出など手法も色々と議論があることは今の「衆院選での各党のマニフェスト」にある。国がやるならお付き合いはする積もりはあるが、来年度どうするのか一度じっくり考えて見たい。
・ しかし最も重要なことは「文科省からデータ」を受け取った学校単位の「校長以下教員の意識と手腕」ではないか。データを生徒個人の顔を思い出しながら「何処が弱いか、分かっていないか」をあらゆる角度から把握してそれを「授業に反映」することが「教師のやるべき仕事」である。
・ 本校の中学の先生方は「早くデータを見せろ見せろ」と昨日教務部長に迫ったらしい。一日遅らせて申し訳ないことをした。それくらい本校の先生は「やる気マンマン」なのである。ここが素晴らしいし嬉しい。
・ 早速朝日の夕刊には「府教委学力向上対策会議を設置」とある。しかし待てよ。昨年も対策会議を作ったのではないのか。また内容は「教育委員会の教育監センターで課長を20人集めた会議」らしいが「少し違うよね」。まず手分けして各学校を回り「現場教員との腹を割った話し合い」でしょうが。私ならそうしますね。
・ ところで文科省から送られてくるパッケージには「各問ごとの狙いと生徒単位のデータなどがCD-Rになって分かりやすく」まとめられたものである。「極めて貴重なデータ」であり、これを部屋の隅や倉庫に仕舞い込んでいては何もならない。しかし現実にはそのような公立学校はあるのではないか。「そんなもの、知るかい!」とね。管理職でやれってね。
・ 校長の仕事は結果を重要視して「反応する」ことである。そして教員がやりやすいように「地ならしと教員処遇」を考えて上げることである。そしたら教員はしっかりやる。少なくとも本校の先生方はやってくれる。
・ データの利用であるが私は保護者に何時も説明している。ただし個人別にはまだ開示はしない。学校単位での開示で良いと思っている。「本校で学んでいることは安心ですよ、任せてください!」とのメッセージが送れれば良いと考えている。

2009年8月27日木曜日

8月27日(木)他府県私立学校からの訪問受け入れ


・ 今日は静岡県浜松市にある私立中学校・高等学校の校長先生、教頭先生以下分掌主事の先生方総勢11名が本校に視察に来られた。間に立たれたのは関西大学の前理事長のM先生だ。
・ 先方が当方に送られてきた「依頼文」には「貴職にご教示を賜ることに対して強いお勧め」と書いている。そして次の一文である。「早速校内で説明しましたところ多くの教員から希望があり・・・」となっている。
・ 恥ずかしい限りだ。我々はまだ「発展途上の学校」で人様に教示することなどありはしない。しかし私立学校というのは公立と違って学校同士の関係性が希薄であり、お客様をお迎えすることは「我々の勉強」にもなるのであって、お受けすることにしたものである。
・ 本校へは公共乗り物を使って来られるのかと思っていたらなんと「自家用の小型バス」を横付けされたのである。恐らく26人乗りだろう。車体の横には「黒々」と校名が書かれており、正直「うらやましいな」と思ったのである。私はすぐに「買いたくなる」性分であるが、これは新校舎を見るまでは無理だし大体大阪は都会であるから必要ない。
・ 時間一杯ご熱心にご視察をされていた。当方も資料を用意して一生懸命プレゼンテーションを行った。お互い「私学同士悩みは共通」で、今後ともこれをご縁に関係強化を校長同士で確認したのである。この学校は素晴らしい9階建ての校舎をお持ちで機会があれば勉強させて頂く積りである。

・ ちょうどこの学校の「ホームページ」を見ていたらタイミングよく広報情報委員長と担当のM先生が入ってきた。この二人の目的は「改定ホームページ」の事前説明であるという。本当に偶然であった。
・ 私は言ったのだ。「今、素晴らしい浜松の私立学校のホームページ」を見ている。「見て」と言って3人が画面を追ったのである。そして「自信がないなら出直したら」「見て気分が悪くなるようだったら、今日は止めて欲しい」と。
・ 勿論冗談ではあるが「本校の新しいホームページに期待」しているだけに「どのようなものが出来つつあるのか」気になるのだ。前回は「外注」するとの要望がありそれを凍結させたから、今度は「自力で開発」しているのである。
・ さりながら、そうは言ったものの「限界もあるのかな」と思って心配していたが「将来の融通性を考えたら自力の方が良い」と言ってくれたのが嬉しかった。外注するとどこかのページをちょっと変えるだけで「お金が要る」ことになる。情報委員会も考えてくれたのであろう。
・ 委員会に属するM先生が殆ど一人で設計しているものだという。「素晴らしい能力」である。確かにこういうものは「合作」というわけに行かないのかも知れない。この先生はまだ常勤講師の身分であるがこの4月に北の方の私立高校の専任の職を捨てて本校に来てくれたものである。
・ 評判が大変良くて担当教科は「情報」である。生徒指導もしっかり出来て、時々私に「浪速はまだ生指に甘いところがある」と苦言を呈される。昨夜中学校の教員2名と夕食をともにしたのだが「中学校に欲しい」と言われるような人材である。
・ 仕事の進め方は巣晴らしく「何より仕事が速い」。ここが素晴らしい。さて肝心の改訂版ホームページであるが「まだ完成とは行かない」というのが結論である。「更に一工夫加えよ」と指示したのである。どのようなものが「アップ」されるか「近いうちのお楽しみ」と言ったところであろうか。

・ 「多聞尚学館の後半戦利用計画」がまとまった。高校教務部長と館長が様々な視点でまとめてくれたものである。明日の28日からの「週末スペシャル」を皮切りに来年の3月26日出発まで「蟻の入る隙間」もないくらい組み入れられている。嬉しい限りである。
・ 今年の3月末から始まった多聞尚学館の利用実績は何と「生徒で延べ人数が1633名、教員98名」である。回数は27回である。半年の週末回数から言えば殆ど毎週利用していることになる。すごい数値だ。
・ ただこの内「部活動での利用」はたった1回アメリカンフットボール部が使ってくれただけで他はすべて「学習合宿」である。アメフトに敬意を表さねばならない。3回も金剛山を登らせたらしい。
・ 特に後半戦の特徴は冬季と春季の「トップインテンシブを廃止」したことと従来の「トップ30」に加えて「セカンド30」を付け加えたことである。生徒から見れば「機会の拡大」であり我々から言えば「裾野の拡大」である。
・ セカンド30は「ネーミングが良くない」ということで案は「SP30」となっていた。「Superier30」と言う意味らしいが私はセカンドの方が良いと今でも思っている。「なにッ、今にトップ30に入ってやるぞ!」と思うではないか。

・ 残念ながら遂に「新型インフルエンザが本校でも発生」した。今朝現在で生徒3名、教員1名が新型と診断されて学校を休んでいる。「遂に来たな」という感じだ。生徒のうち2名はラグビー部であり早速対外試合は自粛して貰う措置とした。

・ 平成22年度4年制「指定校推薦大学のリスト」と「関西大学高大接続パイロット校推薦入学募集要項を校内掲示」した。3年生の生徒諸君は「固唾を飲んで」これを注視し希望を出すことになる。まだ夏だと言うのに高校3年生には「もう厳しい秋と冬」が音を立てて近づいているのである。

・ 「全国学力調査の結果が到着」した。現在中学教務部長が整理している。今日は重要来客でバタバタしていて報告を受ける時間が無かった。「明日の楽しみ」である。「大阪府」もどうなったのか大変興味深いのである。テレビでは早速「力を入れて」報道していた。

2009年8月26日水曜日

8月26日(水)その2:扶桑社の教科書採択




・ 今朝の産経新聞に浪速中学校の記事が出ていた。見出しは「大阪市の私立浪速中」「扶桑社教科書を採用」とある。昨日産経と朝日にプレスリリースしたのであるが、産経新聞が記事にしていた。
・ この2社にリリースしたのは両社とも「本件に関心」がおありと見えて、この間色々と取材申し込みなどがあったからである。「信義」と思って両者に我々の最終意思決定をお伝えしたのである。
・ 同時にこの間わざわざ学校に来られて「採択しないように」との「要望書」を置いて行かれた団体にも我々の考えをご説明した回答書を送付しており「手続きは踏んだ」と考えている。
・ 9月15日の理事会で「最終確認」するが、今後本校での「新型インフルエンザ問題」がどのように展開していくか分からないのでこの22日に神社庁で常任理事会をして先行確認作業をし、時期を早めたものである。
・ しかし大阪の一私立中学の社会科の教科書の採択にここまで気を使わねばならないと言うことが個人的には何か「変?!」だと思うが、政治家の「靖国神社への参拝」と同じで世の中には「様々な価値観を有した人」もおられるので私は慎重にことを運んだのである。ここまで来るのにあしかけ2年である。
・ 最も8月10日のブログ「学校の教科書」11日「行き過ぎた子ども中心主義」12日「倭は国のまほろば」18日「米百票」とお盆前後に私の考えを「校長日記」に詳述したがそれでも、更に考えを深め検証していたのだが「もう締め切り」と思って公開したのである。
・ 内容は平成22年から浪速中学校の「歴史と公民の教科書」について従来のものから「扶桑社版」に改めるというもので今日まで徹底的に比較検討してきた結果、本校の「教育目的により合致するとの結論」から決めたものである。
・ 本件は時にマスコミを含めて「議論となる」というよりも「物議をかもす」テーマであるが神社神道の精神を礎にして建学された本校では「カラーが近い」ということである。「肌合い」と言っても良い。
・ 今検定されているどの教科書も100%の完成版とは行かないだろう。歴史観価値観によって各人受け止め方は様々なことが「人間社会の常」であり、また現実的に字数やページ数の制限もあるだろう。誰もが満足と言うわけには行かない。だからと言って「採択は我々の自由」と突き進むのも「この問題の微妙性」から問題もあるだろう。
・ 扶桑社の教科書で不足する部分は教員がプリントを使ったりして補えば良いのであって、「大阪府内の公私立の中学校で本校が最初に歴史教科書と公民教科書を同時に採択するのは初めて」とマスコミは騒ぐがそれほど神経質な問題ではないと私は個人的には思っている。
・ 教育基本法が改定され「我が国と郷土を愛する態度の育成」「公共の精神の尊重」などが掲げられ、新学習指導要領では「わが国の文化や伝統に関する学習の充実」など掲げられており具体的に「指導に反映することが現場の仕事」である。
・ そのような状況下で「建学の精神と教育基本法」に拠り、民主的、社会的、平和的、自主的、創造的な人格の確立を目標にし、「我が国の精神と伝統の文化を重んじ、祖先の精神を受け継ぐ心を育む」ことに努めることが本校の校長以下教職員の仕事である。
・ 本校は大正時代から神社神道の精神によって、「敬神崇祖の精神を養う」と共に「道徳心」を以て社会の秩序を守ることを基本とし、未来に羽ばたく若者を育てることが本校教育の基調とし戦前戦後一貫している。
・ そのため具体的な教育方針は「敬神崇祖」を教育の根幹として、校訓として「浄・明・正・直」(清く明るく正しく素直に)の心を養うとしている。学校の中に「学院神社」があり先祖を祭る「祖霊社」がある学校は「日本広しと言えども本校のみ」ではないか。56年も続いている「伊勢修養学舎」も本校の代表的行事である。
・ 「今を大切に一生懸命生きる」という神道の教えを通じて、生徒の心に「誇り」と「自信」を育むと共に、才能と適性を開発し、学力・人間力・判断力の増進を図り、「生きぬいていく力」を培う。
・ また、日本文化の原点と言うべき神社神道の精神を礎として、「学院神社拝詞」「浪速生活の綱領」を掲げ、「世のため人のために奉仕する心」「思いやりの心」「謙虚な心」を兼ね備えた、真に自立した心豊かで社会に有為な人材を育てるとしている
・ 以上のような教育を行っていく上で、最もふさわしい歴史・公民の教科書の選定にあたった結果、「扶桑社の教科書を採択することがもっともふさわしい」と考えたのである。
・ 歴史教科書では人物コラムが11項目有り、「各時代の偉人の活躍を学ぶ」ことができ、こういった内容は生きる力の醸成に特に有効であるとの判断でもある。読み物コラムで神武天皇や神話についての記述があり、菅原道真の記述があるのは扶桑社一社である。
・ いかに社会が変化しようと、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力の開発には「歴史に学ぶ」ことが有効である。
・ 又わが国を愛する態度の育成については国旗・国歌法、国旗の尊重に関する記述が多く、わが国を愛する態度を育成することに有効であると考えた。日本の国際貢献に関する記述が多く、内容が充実している。又「公共の精神を育む」記述が充実しており、新学習指導要領に沿った日本の伝統や文化に関する内容が充実している。
・ ただ確かに扶桑社版は過去の戦争の悲惨さを伝える記述は他の教科書に比べて少ないのも事実であり、そういった面は補助教材などで補っていくつもりである。又本校は近隣諸国との善隣友好関係の維持発展には従来からも学校行事などで取り組んできたところであり今後とも充実して行くつもりである。
・ 大切なことは「日本と言う国を理解して初めて国際的理解が進む」もので日本と言う国に生まれ、あるいは住んでいるのであるからこそ、少なくとも古事記日本書紀から始まり現代までの「日本という国の形」が理解出来るような指導を「学校設置者」として望んでいるのである。
・ 朝から外部のお方から「良くやった、ありがとう」などの電話があったらしいが「教科書採択で褒められる」というのも不可思議な思いがする。私に言わせれば「ごくごく普通のこと」と考えているのだがそれを吹聴したり、他に強制したりする気は毛頭ない。未だ「微妙な問題」という認識だけは有しているのだ。
・ 私は「私の責任」で本校に入学してくれた生徒に教職員とともに一生懸命、本校の教育目的達成のために頑張るだけである。「教科書は極めて重要なもの」であるが、一つのツールであり教育の手法すべてではない。

8月26日(水)その1:新学期の始動


・ 朝一、に二人の教諭が報告に来てくれた。「免許更新の研修会」を終えてきた報告である。私は「職務専念義務の免除」措置を与えて行って貰ったものだ。「研修会の費用」までは学校は支払えない「個人が保有する資格」であり、個人でメンテナンスしてもらわねばならない。
・ 私は言ったのである。若し民主党が政権を取れば「免許更新制度は廃止」と公約にあるから、「残念だったね」と。これには一同「大笑い」となった。今回で殆どの対象教員が研修を終えたことになるが本当に民主党はこの制度を廃止するのだろうか。

・ 「新型インフルエンザのへの対応」は一応考えられる手配は終えた。始業式は31日であるが「実質的に学校は始まっており」、講習などは午前中4限行われている。「中学生は正規の授業」が始まっている。
・ 昨日は高校1年生3クラスの「多聞尚学館での学習合宿」が始まった。今のところ新型の話は聞かない。バスの出発を見送ったが120名と言うのはすごい数だということを実感する。生徒もすでに経験済みなので手馴れたものである。
・ しかし私はある「光景」を忘れることが出来ない。出発前に共に見送っていた副校長がバス1号車のほうから何かビニールに入れたものを持ってきているのだ。「何か?」と聞くと生徒が今しがた「吐いた」ものだと言う。それを淡々とトイレの方に副校長は持って行っているのだ。私は「静かな感動」を受けたのである。

・ 今朝は「千早赤阪村」の松本村長と打ち合わせがあって8時30分には学校を出発した。村長は先に河内長野市との合併問題が頓挫したので「どのようにしておられるのであろうか」と心配していたがお元気であったので一安心である。
・ 「重要なテーマ」について議論をした。副村長も同席された。会談の中身については書けないが、帰り際に「多聞尚学館の地元の評判が大変良い」と言われた。これは大変嬉しいことであった。

・ 村役場を後にして多聞尚学館に立ち寄り生徒たちを「激励」した。役場から更に勾配を上って車で15分程度のところにある。訪問のもう一つの目的は昨日、補修が終わった「大正時代から歴代使われてきた校長の机」を多聞の応接室に仮に納めたのをチェックするためであった。
・ まったく同じものが二つあり一つは理事長用、一つは校長用である。釘一本、使っていない桜の木を使った「名品」とかで大切にしたい。傷んで「ぼろぼろ」であったが余裕のある今のうちにと思って補修したのだ。「新校舎建設」後は校長室に収まることになろう。誰が使うのか知らないが「生き返った机」を見て「喜んで」貰えるだろう。

・ 多聞では中学生が使う「農園」の様子も見た。大きな農園が完成していた。ここに「ジャガイモ」を種付けして「栽培体験」をさせるのである。収穫後は学校近くの「老人ホーム」に慰問としてプレゼントする行為がもう何年も継続されている。9月トップに種付けすると中学の教頭は言っていた。

・ 多聞ではさすがに夜、朝方は「冷える」ようになったという。予想とおりだ。冷房はなくとも千早赤阪村はしのげるが、冬季の寒さは我々の想像を超えるものがあるのだろう。「冬季対策」が必要である。

・ しばらくの間、講義の様子を3教室とも、観察したがさすがに「出来る子ばかり」で緊張感を持って講義を受けていた。今回は「数学、英語、国語の3教科」をそれぞれのクラスが徹底して「単元学習」するのである。
・ 国語は女性の常勤講師の先生が「古典」を教えてくれていたが「なかなか」上手い授業であった。「惹きこまれる感じ」で大変結構である。声も大きく、抑揚があり、時に「これは昨年のセンターに出てました」とか言いながら生徒の関心を引きつけている。
・ この先生、何時も頑張ってくれており、「副校長の評価も高い」先生である。大学は関西大学の新卒で「落ち研(落語研究会)の部長」だったという。異色のキャリアである。生徒の成績もぐっと上げてくれていると言う。私は落ち研だから話が上手いのかなと思ったりして。
・ ただこの先生、どういうわけか私を見るときに、何時も目を見開いて「びっくりしたお顔」をされるので管理職内では「びっくり先生」と言っているのだが、今日のお顔は普通であった。私の印象は完全に変わったのである。指導力はありそうだ。後「担任業務がどうか」だろうがこれなら「行ける」と思ったのである。

2009年8月25日火曜日

8月25日(火)大学の体育会系の不祥事


・ 大学の「体育会系クラブの不祥事」が連続している。心配でならない。昔はこういうことはなかったというか少なかったことは間違いない。特に体育会系には「正義」を感じるような気配もあって「ノンポリ」とは違う「気位」みたいなものを感じたものだが、それらは何処に行ってしまったのか?
・ 社会を騒がす大きな事件になったものがいずれも近畿の大学であった。一つは京都教育大学の男子学生6人による準強姦事件だ。続いて近畿大学ボクシング部の2名による連続強盗事件だ。これなど暴力団も顔負けの手口で「これが大学生の仕業」と信じられない事件である。その前は同志社大学のラグビー部や京大アメフト部による事件など枚挙に暇はない。書けないくらいに「内容も悪質」である。
・ そして最近は多くの大学での学生による「大麻事件」だ。いまや大学キャンパスはもっとも安全な大麻取引場所といわれる。大学生の学力も駄目、スポーツ系学生による反社会的行為ときたら「一体全体、大学とはどういうところか?」と考え込む人は多い。
・ 「最高学府といわれ、知の拠点である大学」が何時からこのような「様相」を見せ始めたのであろうか。特に「大学スポーツのあり方」が問われているのではないか。米国を参考にすると良い。あの国は「大学スポーツの機構」が極めてしっかりしている。
・ 京都教育大学の6人組みの一人は無事卒業して何食わぬ顔で公立小学校の教員をしていたという。すべてが「覆面の社会」「偽装の社会」「仮面の社会」である。社会を「なめている」にもほどがある。
・ 24日の毎日新聞の朝刊には東海大学教授の久保正秋先生が「聞きたい」欄でご意見を発表しておられる。見出しは「体育会系大学生の不祥事」「大局思考訓練を」とあった。
・ 要はスポーツ系学生は軍隊に例えれば「小隊長」だと言われるのである。目標を与えてこれをやれと言ったらその通りにする。目標に向かってまい進するのだが「大局にたって物事をじっくりと考えるという訓練が欠けている」のだと言われている。
・ 又引用としてスポーツ社会学者の意見の紹介としてスポーツ選手は小さい頃から「瞬間的判断」を求められているから、これが「スポーツの脱思考現象」だというそうである。こういうとスポーツ選手は思考能力に欠けるみたいに聞こえるが、私は少し違うのではないかと言う気がする。
・ 芸能界の覚醒剤事件が毎日毎日報道されているが「芸能界とスポーツ界の不祥事も同じ構図」であると私は考えている。一言で言えば大麻や覚醒剤を使わなくとも、「もともと頭が麻痺」して来ているからこういう事件を起こす。
・ その頭の麻痺の原因は「謙虚さがなくなってきた」と言うことだと思う。芸人もスポーツ選手も「社会から注目」される比重は「際立って大きく」なってきている。とにかく「一発当てる」ことばかり考えており、「額に汗して」というものが彼らには感じられない。
・ 「下済み時代」を経験し苦労に苦労をして「世に出る」ということではなくて一発当てれば、マスコミが「引っ張りだこ」にして一夜にして脚光を浴びる。今若者にとって手っ取り早い世に出る方法は芸人になるかスポーツ選手になるかだ。
・ 「最初からスポーツで飯を食う」という思い込み、「食える」と思って「錯覚している層」が増えてきていると言うのは久保先生と同じだが、そこに「人生への謙虚さがない」というのが私の見方だ。昔の人は「足が地についていない」という表現をした。
・ 我々の時代では「体育会系学生は就職にも強かった」がその理由はスポーツそのものではなくて「全人間的に素晴らしい人」が多かったからである。スポーツで鍛えられ、集団の中での立ち振る舞い、敗者への労わり、気配りなど単に学力だけでは計り知れない良い点を間違いなく彼らは有していた。
・ 私の居た企業でも野球、バレー、バスケットなど有名な選手が入社して一般の社員と同じキャリア育成で年月を重ね、「幹部に昇進」していった。大体「営業部門」に多く配属されていた。彼らの「人柄」が客筋に好感度を持って受け入れられたからである。
・ 大体スポーツで飯が食えるのもほんの若い時だけでその後の人生80年、スポーツあるいはその関連で生きていけるのはほんの「一握り」である。ここを考えたら「勝手気まま」に振舞うことは出来ない。このことを「考えておくことができるかどうか」だろう。
・ ところが彼らは小さい頃からその分野で「スポーツエリート教育」を受けてきて親の期待もその分野であるから基本的に議員の世襲問題みたいなもので「生きてきた世界が極めて狭い」のだが、そこが「社会のすべて」だと錯覚してしまう。「井の中の蛙」である。
・ だから「お山の大将」であり、「向かうところ敵無し」で周囲も「ちやほや」するものだから判断力のないスポーツ選手は「何でも出来るし、許される」と思っているのではないか。「ま、良いか」「許されるだろう」と「甘い考えで自分を肯定」するのだ。
「芸もスポーツも才能のない学生」はただひたすら勉強をしながら自己の良い点を見つけ出し、そこで勝負しなければならないから不祥事などトンでもない話となるのである。「全人間的にバランスを取って成長」しているのだ。それに付き合う友人の幅も格段に広いだろう。
・ そして「社会は芸人やスポーツ選手の不祥事に甘い」面がある。先にスマップの草薙というタレントが深夜に公園で真っ裸になって大騒ぎして警察に逮捕された事件の時、社会の論調はこれを簡単に許した。若し大手企業の社員がそのようなことで逮捕されたらその人間は「一巻の終わり」になっている。
・ しかし考えてみれば圧倒的に多い大学のスポーツ選手は真面目にやっており。基本的には一部の学生の所業と思うが、比率が徐々に増えているのはやはり「社会のあり様の影響」を受けているのではないか。
・ 別途書くが戦後の「大学は出たけれど・・・」の時代になってきている。そういう中で「手っ取り早く金をもうける方法」としての芸能界、スポーツ界入りを目指している風潮の今日的社会だとしたら何か「一発風船」みたいな「空虚さ」を感じるのである。
・ 「この際大学スポーツのあるべき姿」について考え方を整理する必要があるのではないか。「猛練習に次ぐ猛練習」「厳しい上下関係」「監督やコーチとの師弟関係」に「精神の構造をコチコチに固められた」大学あるいは到達点としての大学生のスポーツ系学生は「フラッ」と判断力が薄まり、「地獄の谷」に落ち込む瞬間があるのだと思っている。
・ 本校は「文武両道の学校」で多くの選手を大学に送り込んでいるが今まで全く問題を起こしていない。それは「武よりも文を優先」させてきているからである。武文両道,武武ではないのである。それで大学側からも浪速卒業生は「人間的に立派」と評価されているのだ。それは本校の伝統とスポーツの指導者が素晴らしいからだと思っている。今後ともこの線だけははずしてはならない。浪速高校スポーツは「人間教育」そのものなのである。

2009年8月24日月曜日

8月24日(月)日本ボーイスカウト大阪連盟60周年記念




・ 「無愛想なタクシー運転手」は困ったものだが、もう「うるさい」くらいあれこれ気を使って、客に話しかけてくるのにも「閉口」する。何時も私は「しゃべるのが仕事」みたいなところがあるが、それだけに一人車の中くらいは「耳も口も休めたい」と思って、現実にそのようにしている。ラジオも切って貰う。
・ 昨日日曜日だが公務があって昼過ぎにタクシーを使ったのだが、「どの道を使いましょうか」「エアコンはこの程度で良いでしょうか」「頂く料金には私どもの笑顔と態度が含まれて居ます」とか、「何かお気づきのことがあれば何でも言ってください」「ここで曲がりましょうか、次で曲がりましょうか」とか、とにかくうるさいのである。
・ タクシー業界でこの会社は有名である。昔企業時代にこの会社の会長さんを「社員研修会の講師」にお呼びしたことがある。当時運輸省に業界の規制緩和を求めて闘っていた新興のタクシー会社でこの会長さんは「時の人」であった。
・ 会長さんの講演が始まる時に我々は「きついお叱り」を受けたことがある。講演者を迎える態度ではないと言われるのだ。私が幹事役だったものだからこの時に叱責された記憶が今でも消えない。
・ 要はお呼びした講演者に対して迎える「態度がなっていない」と言われるのである。頼んで来て貰った方である。それなりの礼節があるだろう。「講演者を起立してお迎えし一同揃って礼をすべき」であると言われるのだ。「グーの音」もなかったが、その時私が「このお方にどのような印象を持ったのか」もう二十年近い昔のことで忘れてしまった。
・ 昨日もタクシーの中にはこの会社の発行する新聞があり、「自由におとり下さい」とあったが、自社の新聞を乗客に配らなくともと思ったのであるが好奇心旺盛なものだから、目を通した。しかしその論調は昔と全く変わっていない感じがした。
・ 到着したら運転手さんは運転席から助手席を「スルリッ」と抜けて外へ出てドアを開けて呉れるのだが、そこまでしなくても良いのにと思った。何か危ない感じがして気は休まらない。運転席から運転手は離れるべきではないと私は思う。人間は何時もと違う対応をされると何か「違和感」が残って落ち着かないのだ。

・ タクシーが着いたところは中ノ島の「中央公会堂」である。13時から「日本ボーイスカウト大阪連盟」の「60周年記念式典」が行われることになっており私はこれに出席するために行ったのである。
・ 本校において「浪速ボーイスカウト団」を結成した経緯については6月29日の校長日記に記した。団番号は165団である。大阪のスカウトたちの眼前で連盟長から中学校、高等学校それぞれの「団旗」が公会堂壇上で手渡されるために私は出かけたのである。
・ 式の冒頭に私は壇上中央にひとり立ち団旗を受け取る。そして「スピーチ」を求められた。私の後ろには「中学生と高校生がユニフォームをつけた正装」で並んでいる。そして会場の皆さんから大きな激励が贈られるのである。
・ しかしこの公会堂の「完成度の高さ」には驚く。ネオ・ルネッサンス様式と言われ、バロック的な壮大さとその豪華絢爛さには驚く。メインの1階2階吹き抜けの大ホールは「すごい」の一言である。
・ その昔は「中ノ島公会堂」と言われ今は大阪市中央公会堂である。昔企業時代の本社は淀屋橋にあり距離的には近いし、教育界に転じても3年に一度位来ることはあってもこのように壇上中央に立つのは「生まれて初めて」であった。
・ 向かった席には例のボーイスカウトの制服を着たスカウトたちが居並んでおり、このような挨拶の機会は慣れているといっても昨日の私はいささか上がったのである。壇上と椅子席の高低差は大きく、下からただ一点、私をめがけた視線は照明の強さとあいまってすごいものがあった。
・ 私は式典の最中も挨拶の終わった後で会場の席についた後でも、落ち着かず「何で自分はここにいるのだろう」と不思議な感覚がしていたのである。まさか「この私がボーイスカウト連盟」に加入して大勢のスカウトの前で「ご挨拶する仕儀」になろうとは夢にも思わなかったからである。
・ 本校のスカウト団の担当である教諭は私にも例の「ユニフォーム」を着たらどうかと勧めてくれたが、何か「照れくさくて」とても出来ないから普通のスーツ姿で行ったのだが会場には年齢差に関わらず皆さんユニフォーム姿が決まっている。
・ 赤や緑のベレー帽をかぶり、ワッペンを上着につけて肩口にバンドがついている上着と首には「ネッカチーフ」を巻いて出るにはまだ心の準備が出来ていない。今までは個人的にまったく「ボーイスカウト活動」から遠いところにいると思っていただけに「感覚がとにかく変」なのである。
・ 式が終わった後、バスで新阪急ホテルに移動して「レセプション」となった。メイインテーブルが与えられた。お酒も出るお祝いの会というか懇親会であり、大会場が満員の盛況で議員諸侯も来られておりずいぶんと顔なじみの先生方も多くおられたのである。
・ 大阪連盟の連盟長は元松下電器の谷井昭雄社長会長で現在でも特別顧問であられる「大物」だがわざわざ私のところに足を運んでくださり、お話が弾んだのである。それと言うのも連盟長は現在北摂の某私立高校の理事長をされておられ、その関係から「浪速改革」のことを詳しく知っておられたのである。さあ30分も二人で「私立学校経営の話し」に盛り上がったであろうか。
・ 浪速ボースカウトについては支援を強化し今後とも頑張っていこうと昨日同行してくれた奉仕委員会のY教諭とも話し合ったのである。生徒たちや3人の先生のユニフォーム姿が「格好良かった」ので自分も作るかなーと帰る頃には思い始めたのである。

2009年8月22日土曜日

8月22日(土)年次有給休暇制度


・ 有給休暇制度について再度教員に「教示」する必要がある。案外知っている人は少ない。「休暇を取ることだけは知っている」がその「法的背景」も知っておく必要がある。正式には「年次有給休暇制度」という。略して「有休」と言うのが一般的か。
・ 年次有給休暇の発生要件は「労働基準法39条1項」に規定されており「労働者に対して次年度に法定の年次有給休暇を与えねばならない」との表現で「二つの要件」を示している。いささか複雑で分かりにくい。
・ 簡単に言えば一つは6ヶ月以上の「継続勤務」と「全労働日の8割以上出勤」した人が対象としており、「付与日数」も色々条件があるが普通は20日までとされている。継続期間によって計算方式があるが「法定最大の20日間」に前年残分を付与するが最大計40日というのが一般的である。
・ 本校では4月採用の新人先生にも30年のベテラン先生にも一律20日を付与し継続年数は影響させていない。大体1昨年も昨年も年次20日間に対して14日程度の「平均取得率」だからまだ余裕はある。理由は「年間変形労働制」を導入したり、「夏季や冬季に特別休暇」を入れているのでその影響も少しあるかもしれない。
・ 有給休暇の「付与単位」は労働基準法では「最低分割単位を1労働日」としているので使用者は労働者に対して「半日単位」とする義務はないのだが有給休暇制度の趣旨から考えて使用者は「半日単位」での付与は可能で、大体どの企業もそのようにしている。
・ 本校も長い間、「半日単位付与」であったが私は着任後それを「時間単位」に改めた。その理由はとにかく「振り替え授業が多くて」生徒に大きな迷惑を与えていたからである。半日ということは「3こまの授業の振り替え」であり、極めて大きい。
・ 従って「時間休」にすれば朝の2こまは振り返るが後の1こまや2こまは正規の授業が可能と考えたからである。特に本校の教員は「振り替え授業」を正当化するきらいがあるが「とんでもない話」だ。まず公立高校ではない。
・ 「授業と授業の間にはリズムやピッチ」があり間隔が空いたり、連続して同じ授業があったりでは予習や復習にも大きな影響を与える。「学習効果に影響」があるから簡単に振り替えということはすべきではない。また依頼した他の教員の「教材準備」の都合もあるだろう。時間割カリキュラムを簡単に変えてはならない。これは私の信念である。
・ 今日もある常勤講師の先生を呼んで「余りにも時間休が多いが、お体の具合でも悪いのですか?」と私は聞いたのである。どうも「授業が終われば帰っても良い」くらいの認識しかお持ちでなかったみたいだ。
・ 「授業のあと、分掌の仕事とかあるのではないですか?」と聞くと試験の時の時間割作成が仕事で今はありませんと答えられたのである。「専任教諭と常勤講師は始業開始から終了までの労働を前提にすべての処遇条件」が決められているのであって「時間休の無原則な取得」は問題である。授業だけなら非常勤講師に成れば良い。
・ 随分前にもとにかく生徒の授業が終われば「時間休」を取り、学校にいないのでその理由を聞くと「奥さんの買い物に付き合う」と言うことだったので、「あきれ果てた」ことがあった。これは徹底的に指導した。
・ このように書くと有休日の「自由利用の原則」に反すると指摘を受けそうだが確かに過去の判例でも「利用目的は労基法上の関知しないところで休暇をどのように利用するかは使用者の干渉を許さない労働者の自由」とされてきている。
・ しかし使用者が「事業の正常な運営を妨げるおそれのある場合」は時季変更権の行使の代わりに「休暇の理由を聞く」ことは差し支えないとされている。「理由は言えません」と言えば使用者は「時季変更権」を行使してその日を変えてもらうだけである。
・ 「時季変更権」とは労基法39条4項にあり、「労働者の請求する時季」に与えなければならないが、前述したように「事業の正常な運営を妨げる場合においては他の時季にこれを与えることが出来る」という極めて使用者にとって重要な条項である。
・ 企業時代の管理職時代を含めて長い間管理者として「部下の労務管理」をやってきたが昨日初めて私は「時季変更権」を行使した。ある教員がこの8月31日の「始業式から連続3日間有休取得の申請」が前にあったらしく一旦は管理職である教頭は承認をしたのである。
・ しかし私はこの事実を知り、今「新型インフルエンザ問題」で学校が「戦々恐々」としている中で「夏休み明けの大事な時」に「クラス担任」として始業式も含め3日連続で有休を取ることは正常な事業が損なわれる恐れ大と判断して時季変更権を行使したのである。
・ この教諭はとにかく連続で有休を取得し8月は3日から連続で4日間有休を取り、そのまま「リフレッシュ休暇」に入っている。連続16日間休んでいるのである。学校再開後の18日は「職務専念義務免除」を申請して「人間ドック」に入り、また重要な始業式も休むと言う。「教師として考えられない行為」である。
・ 確かに労働者はこの日に取りたいとの「時季指定権」を有してはいるが私は「時季変更権」を有しているのである。教職員は有休取得制度の趣旨を良く理解し適切に申請することが求められる。
・ 公立学校は「条例」の縛りがあり徹底した勤務管理がなされている。しかし私立学校は「労働基準法と関連法」の規定で余りにも定義が広いが「職業が教職」という成長過程の子どもの教育に当たっているということを忘れてはならない。
・ 労働者であると同時に労働法の規定を超えた「教育者としての存在」があるわけで勝って気ままに「時間休は取るわ、有休は取るわ」では肝心の事業の正常な継続に影響があることは明らかである。
・ 学校における事業の正常な継続とは「教育活動そのもの」であり「社会に信頼を得る学校つくり」であって「本校の教育の目的を達成する」ことである。そして使用者の立場から言えば「教職員全体のバランスを取る」と言うことも大切な業務である。
・ 前述の教員はもう残余有休日数は少ない状態であるが、別のある教員はまったく有休など取らずこれはこれで問題なのだが、頑張ってくれているのだ。昨年から始めた「残余有休日数の買取」はこのような先生への私の配慮であった。望ましいことではないが「結果論」として有休を取ることができなかった人々への「私の気持ち」なのである。
・ 組織はそこで働く労働者の「勤務の有様が乱れてくれば」その「組織は腐敗」する。「やみ専従」「ながら労働」「幽霊労働」「早引け早退」「遅れ出勤」「有休の虚偽申請」「特別休の虚偽申請」「職務専念義務違反」などすべてである。まず基本は「職務に専念する義務がある」のである。
・ 今私は本気で来年度から「時間休制度の見直し」を考えている。生徒へ良かれと思って導入したが、結局教職員の利便さだけで「学校からの早退」に上手く使われているだけなのではないかと思っているのである。校長という仕事は本当に「気骨の疲れる」仕事だ。教員はもっと「社会的一般常識を持たねばならない」。

2009年8月21日金曜日

8月21日(金)新型インフルエンザ










・ 「新学期」を控え又周辺が騒がしくなってきた。18日の学校再開後、ほぼ毎日保健体育部長、養護教諭とのミーティングがある。勿論テーマは「新型インフルエンザへの対応方針」である。
・ 本校は7月16日、1学期の終業式数日前に生徒の新型への感染が確認され、終業式までの二日間であったが「2年生の1クラスを学級閉鎖」とした。そして学校は「夏休み」に入ったのである。
・ その後も夏休みとは言っても、学校には様々な「行事や部活動」等があるため担任や学年主任は日々、生徒状況を確認しており、この間133名の生徒が発熱症状等が現れたと記録にはある。特に堺、泉州地域は当時新型が猛威をふるっていたときでもあり「遂に本校もやられた」と思ったものである。
・ 正直に言えば「夏休み」はしばらく新型と離れることが出来るだけに「ほっと」出来る時間であった。しかし今我々は「緊張感がじわじわ」と増してきているのを感じる。それは遂に「学校が始まる」からである。
・ 厚生労働省が正式に「本格的流行の兆し」という表現を使い「本腰」と言う様相である。遂に死者が出たりして感染地域も、全国的となった。大阪で始まった新型はいまや沖縄を含め「ものすごい勢い」で拡がっている。
・ しかし本格的流行とか言われても具体的に何を「本腰」にして対応を取るべきか現場では困る話だ。国の力で「ワクチン」を高校生や中学生にすべて用意してくれるとかいうなら別だが「気をつけろ」では正直困惑する。「タミフル」も手に入らないし。
・ ワクチンは正式に「任意」とされた。そもそもワクチン接種は「蔓延防止」ではなくて「重症化防止」と昨日の厚生労働省会議で決まったというが、任意なら1回5000円程度かかるから簡単な話ではない。国立感染研究所の専門家が当初言っていた「軽い症状がいまや重症化と強調」するものだから素人は「びくびく」だ。
・ 大体ワクチン在庫数は1300万人から1700万人程度しか手配がつかないそうであるから中学高校生には手に入る状況とは言えない。結局学校現場では「竹やり敢闘精神」で頑張れということだろう。
・ しかし理解しておかねばならないことは「学校というところは感染する場所」だということである。狭い教室に40名の生徒を入れて「窓を締め切りエアコンで空気をかき混ぜている」のだから間違いなく「自動的自然感染所」である。
・ それに生徒が黙っているのは授業中だけでこれ以外は「口を空けてしゃべりっぱなし」である。また学校と言うのは「集会の場所」であり、とにかく「生徒を集めて何かをするところ」なのである。「うつすな、ウイルスを撒き散らすな」と言っても無理なのである。
・ 先の流行の時は「マスク指導」もしたし、「手洗い・うがい」など薬品を用意して本校も対応した。今回もすでに「100個のデジタル体温計」を買った。突然の臨時休校要請を受けて中学校、高等学校の修学旅行をすべて「キャンセル」してまで対応した。このキャンセル料はすでに旅行会社に支払ったが「辛かった」。
・ 昨日の20日に大阪府は私立園・中・髙・校長宛に「臨時休校基準等」の要請文を出状し先の「学級閉鎖基準」の緩和策を打ち出してくれた。これは現場としては「歓迎」すべきことであるが、本質的な解決策ではない。ガイダンスであろう。
・ 今までは感染者が2名以上となれば7日間の学級閉鎖であったが今回は1クラスに10%から15%程度、すなわち「40人クラスなら5人程度居た場合は4日程度の閉鎖」で良いことになった。
・ しかし潜伏期間を考えれば実質的にはやはり7日程度になると思う。しかし問題は新型だろうと普通だろうと、「インフルエンザに罹患した生徒等の定義」は「医療機関でインフルエンザと診断」された児童生徒であるから、熱はあるが病院には行かないというケースも実態としてはあるわけで、「家庭との連絡体制」が極めて重要となる。
・ しかしこれとて一つの基準で「感染力が強い」だけに「あっ」と言う間に拡がることは我々は経験済みである。前述したように学校は強制感染所だから「早く、早くうつして」と言っているようなものなのである。本当に早いのである。9月以降は「浪速祭」があり、「入試説明会」が毎月あり、「不特定の方々が山ほど学校に入って来られる」。この方々への対応など今のところどうして良いのか分からない。
・ しかし誰かではないが「ぶー太郎」では解決にならない。「ぶー太郎って?」何時も口を開いたら「ぶつぶつ文句ばかり言う人」のことらしい。「自分は悪くない、他が悪い」というタイプは何処にも居るもので、本校にも居ると事務室の誰かが言っていた。「私はぶー太郎ではない」。
・ 本校の養護の先生はお二人いらっしゃって中々優秀で毎日毎日時々刻々と情勢が変化するが「見事に対応」してくれ、本日正式な「本校の対応方針」がまとまった。19日の校務運営委員会、職員会議そして本日の打ち合わせで最終的に決定したものである。しかしこれも「明日になればどうなるか分からない」。
・ 教員はこれをしっかりと頭に入れて齟齬のないように対応しなければならない。学校が始まると「誰が休んでいるのか?その理由は何だ?熱はあるのか?医者に行ってください。診断は何だったのですか?」と電話で保護者と連絡を取り合うのである。「これは大変な仕事ですよ」。
・ 従って保護者の皆様にもご理解とご協力を頂かなければならない。私は「保護者宛の文章」を作成し新学期の始まる8月31日に生徒に配布するつもりである。合わせて本校「ホームページにも緊急連絡体制」などを記載する積りである。
・ 保護者と学校は「車の両輪」として新学期を乗り切って行きたいと思う。ポイントは「自分は、我が家は感染源にならない」という徹底した対応だと思う。しかし正直なところ「万全の自信」はない。「人事を尽くして天命を待つ」と言う感じではないのだ。
・ 望むらくは大阪の公立私立約3000校のうち、本校が最初に感染者が出た、学級閉鎖になった、学年閉鎖になった、臨時休校となったとは「言われたくないなー」。もし再度臨時休校になったら「授業を補填する時間的余裕」はもう無いのである。果たしてどうなるか。

2009年8月20日木曜日

8月20日(木)情報教室機器の更新


・ 朝一番に情報科の常勤講師の先生が部屋に入ってきて「お礼」を言われた。この夏休みに「情報教室のソフトや機器を入れ替えた」ことへのお礼だという。お顔は大変に嬉しそうで、今まで如何に苦労していたか分かるというものだ。本校には情報科には専任教諭はまだおらず3人の講師の先生で回して貰っている。
・ 彼女に言わせると今までの機器は7年前のもので、もはや「化石みたい」だという。処理速度は遅いわ、故障はするわで「泣きの涙の授業」であったがようやく最新の素晴らしいものに入れ替えてくれたと喜んでいるのだ。
・ 実は昨年情報委員会のO委員長から更新の依頼を受けていたのだが「財布の都合」もあって「来年まで待って」と先延ばししたものだが、もうこれ以上は無理と判断したので「Go」をかけたものだった。確かにモニターなど昔のCRTタイプで「液晶画面」ではなくてこの先生のいうように化石に近かったことは間違いない。
・ 今回は「授業支援ソフト」も更新増強したことも喜ばれた。パソコンは53台、性能はCPUがインテルコア2と二つも付いている。「OSはビスタで1Gのメモリー、HDDは80GB」であるからまあ生徒の授業にはもったいないくらいのレベルである。費用は安いところを狙って買ったものだがそれでも「大台に乗る」。
・ 「操作性」も格段に向上しており「教師の機械には全生徒端末の把握が可能」である。勿論「インターネット接続」は簡単に出来るが授業では余り使わないようにしているらしい。プリンターもカラーレーザーがあり、一応「フルラインナップ」と言える。
・ しかし私は未だに高等学校における「貴重なこま数」を使って「情報教育を行う意義と言うか目的」が正直なところまだ見えていない。したがって今日は「ちょうど良い機会」と思ってこの先生のお話を聞くことにしたのである。
・ 平成15年「学習指導要領が改訂」されカリキュラムに「必修として2単位」が必要となった。この時には教育界では大きな論争が湧き上がったのは記憶に新しい。「情報など必修にするのは困る,そうでなくとも時間数が足らないのに」というのが主な反対理由であったと思う。
・ これに対して「情報化時代を向かえ新しい情報リタラシーの教育は必要である」との大勢で、スタートしたのだが、今年で6年が過ぎたことになる。当初は特に進学校では一こまでも英・国・数などの基本科目に当てたいと「姑息な手段」かも知れないが実際は数学を教えて「情報と読み替える」ことも行われていた学校もあるやに聞いている。
・ 2単位だから高校1年で1単位、2年生で1単位とするのが一般的であるが、中には2年生、3年生で各1単位とする学校もあった。変わったのでは3年生で2単位授業をするというのも聞いたがこれなど「読み替え」の意思が透けて見える。
・ 私は指導計画、すなわち「シラバス」を持って来て貰い更に議論を続けたのである。この先生が言うには「パソコンと携帯電話」とは違うとはっきりいう。私はあれほど携帯のネット接続などをいとも簡単にやれる生徒であれば、あえて情報教育の必然性に言及するのだが、先生は「それは違う」と主張する。
・ CPUを使いこなすための基礎基本を教え、上級になればメディアリタラシーなり「情報の使い方」が重要である。まず「ワード・エクセル・パワーポイントなどの基礎」から始めて行く過程は生徒にとって、とても「刺激的」で「物を作っていく喜び」そのものに浸ることであると強調するのだ。この辺の議論になると頭も良く回転するが、口も良く回転する。
・ 私から情報の時間は難しい数学や英語の後の「リラックスタイムとなっていないか?」との問いには「全く逆」だという。生徒は「寝ない」というのだ。数学や英語の授業ではさも生徒は「寝てばかり」と言う感じである。
・ 先生のとった生徒アンケートでは大体80%程度のご家庭にパソコンがあるとも言っていたが、家でパソコンを生徒が触るのは少ないという。女生徒はパソコンに弱いだろうという質問に対しては「まったく差がない」とも言い切った。
・ 「パソコンお宅」は居てその知識たるやすごいものがあるらしい。そういう生徒は「私の右肩となって手伝ってくれます」というが、普通は右腕ではないのか。なんで「肩なんだろう」と思ったがそれは言わなかった。
・ 先生は言う。「本校の生徒はみんな優しい。これが素晴らしい」と。「出来る子が出来ない子に親切に教えてあげているのが普通の光景」だと言うのだ。この話は嬉しかった。
・ この女性の先生のことについて少し触れよう。広島県生まれ、市内の高校を卒業して神戸の短大で「国語の教員免許を取得」。思い立って「関西大学総合情報学部」に編入学しそこで3年間学び「情報の免許を取得」。
・ 先生は強調していた。「関大の総合情報学部で学べたことで現在の私がある。非常に多くのことを教えて貰った」と。ここまで母校のことを言える人も素晴らしいではないか。中学国語と情報の教科が可能である。副校長は高校の国語免許も取るように言っているらしい。
・ 関大を卒業後「とにかく民間経験を」と決めていたらしく、誰でも知っている有名な「情報産業」に就職。1年で「スパッ」と辞めて「本流の教師の道」に入る。「3年間私学と公立の高校を非常勤」で掛け持ちして経験を踏む。
・ そして「本校のホームページの校長日記に触れ」、昨年から本校の常勤講師で今年が2年目である。「浪速は素晴らしい」のオンパレードであった。出来れば「本校で教師の道を固めたい」と言うので「何故だ?」と当然私は聞く。
・ 「先生方が前向きでここの職場にいると私は成長し続ける気がする。また生徒の質が素晴らしい。こういってはいけませんが前の私立での生徒の顔は死んでました」とはっきりいうのだ。「そうか、死んでいたか」と私も相槌を打つのである。
・ 先生は「一人娘さん」だから将来広島に戻るのではないですかと畳み掛けるのだが、「私は大阪に住む」と断言するのだ。そのために長年住み慣れた高槻を離れてこの4月には田辺の方に引越し、毎日「自転車通勤15分で学校に通っている」という。「覚悟と根性」がすわっているのである。
・ 今日は来客が多く、議論は連続とはいかず細切れの面談であったが大変勉強になった。今度「授業も見に行こう」と思う。今後このように時間が有れば他の常勤講師の先生方ともこのような議論をしようと思ったのである。「本校には素晴らしい常勤講師の先生が本当に多い」。
・「そうか、他の私立の生徒の顔は死んでいたか!」。「本校の先生方は大変前向きで素晴らしいか!」。この先生は理事長を喜ばすことをさりげなく言う。「うーん」、賢くて、しなやかで、したたかで中々出来る先生だ。頭が良い。

2009年8月19日水曜日

8月19日(水)インターハイ空手道部全国優勝
















・ リフレッシュ休暇中の7日に副校長からメールが2回に分けて入ってきた。「私に幸せをもたらす内容」であった。特に2通目に「今井先生が嬉しそうでした!」とあったが、この今井先生とは「空手道部の監督で体育科の教師」である。私はこのメールを見て「今井先生の喜びが手に取るように分かった」のである。
・ 浪速高校はインターハイ空手道で全国制覇を成し遂げ組み手部門で団体「優勝」した。前回から4年振りである。前回は勿論私はまだ居ない時代であったが、「着任3年目で全国優勝の経験を空手道部は私に与えて呉れた」のである。私は「日本一」を抱えることになった。
・ 本日「学校のリフレッシュ休暇」が終えて全教職員が「後半戦に向けて始動」し始めた。9時校務運営委員会、10時職員会議と全員が晴れ晴れとした顔で勢揃いした。どの教職員も久方ぶりの休暇で「英気」を養ったと見えて「良いお顔」をされていた。
・ こういうタイミングに先行きに「吉兆」を示す「全国優勝を成し遂げてくれた」のである。私は嬉しくて涙が出そうであった。昼休み選手諸君と今井先生が正式報告に校長室に来てくれることになっており、楽しみにその時を待っていたのである。
・ 「優勝旗,盾、賞状」と選手がそれぞれ手分けして入室して来てくれた。皆晴れ晴れとした顔をしていたが中でも「大将」の3年生「大西誠一君の顔」は「満足感と誇り」に満ち溢れていたのである。私は彼にどれだけ「発破」をかけたことか。
・ 団体1回戦は「島根松徳学園に5対0で完勝」、2回戦は「岩手釜石高校にこれ又5対0で完勝」であった。問題は3回戦の相手である「東京代表の強豪世田谷学園」であった。優勝経験が何回もある空手の第一級の高校である。
・ 出発前に私は選手諸君に天童よしみさんの「負けたらあかんぜ、東京に」を本当に口ずさんで「東京には負けてはならない。」ときつく念を押していたのである。全国の空手関係者は「実質的な優勝決定戦」とまで言われていたのである。結果は浪速が3対1で勝ったのである。圧勝と言ってよい。
・ 次が準々決勝で相手は九州の誇る「熊本の九州学園」であったがこれも3対0で圧勝であった。「空手道の団体戦は5人の選手が先鋒、次鋒、中堅、副将、大将」と5人の選手が「勝った、負けた」で「勝ち数を争う勝負」である。
・ 3対0とは5人のうち3人が勝ちを収めたものであるから私は圧勝と言う表現を使っている。そして準決勝は「埼玉県代表の埼玉栄高校」で、これまた名にしおう強豪校である。この学校は全国駅伝でも常に名前の挙がる学校である。当然であるが勝ち進むに連れて確かに強いところと当たる。
・ 埼玉栄とは何と3対2で「辛勝」と書くと選手職員に悪いか。とにかく勝ったのである。結局後述するがこの勝負が次の決勝戦に繋がったのだろうと思う。先鋒は勝ち、次鋒は負け、中堅も負け、この時点で1対2で遅れているのである。しかし次の「副将戦で本校の3年生前田卓人君が見事に勝ち」を取り、遂に2対2の同点である。「勝負は大将戦」となったのである。
・ 本校の「大将大西誠一君」は気迫こもる進撃で、相手を「寄せ付けず」ポイントでは8-0で圧勝であった。「見事な逆転勝利」である。そして勝負は「8月7日の決勝戦」となったのである。場所は兵庫県立武道館で姫路にある。
・決勝戦の相手はこれまた有名な「岡山山陽高校」である。素晴らしい空手道場を有する空手名門高校である。決勝戦の模様は余程文章が上手くないと臨場感溢れる報告が出来ないが、広い会場が一試合ごとに「ウォー、ウォー」と地鳴りのするような「大歓声に包まれていった」という。
・ 先鋒、次鋒、中堅と勝負がつかず「0対0のまま、引き分けで副将戦」となった。しかし副将前田は準決勝のようには行かず、結局3-8で「5ポイントの大差で敗れた」のである。この時点で「浪速万事休す」と誰もが思うのは当然である。
・ 「1試合たった2分」で5ポイント差を跳ね返しても「引き分け」であり、決勝戦であるだけに到底手が届くとは思えず、優勝は相手の山陽高校と誰もが思われたに違いない。確かに山陽は「優勝を掌中」にしたかに見え、山陽の観客席も勝ち誇ったように喜びに沸いていたという。
・ 「ところが勝負事は最後まで分からない」。これからまさに本校主将で大将の大西誠一君は「鬼人の働き」をする。「なんと、なんと10-2で8ポイントをつけて優勝を呼び込んだ」のである。突き技でポイントを稼ぎ試合時間43秒を残して勝ったのである。野球で言えば9回裏の逆転満塁ホームランである。
・ 結果から言えば1対1で引き分けであるが「内容勝ち」と言うのがあって「完全に試合の内容が勝っており本校が文句なしの優勝」となったのである。勝った瞬間「雄たけび」「感涙」そして「笑顔」と新聞記事の見出しにはあった。
・ 監督の今井先生は「一人一人の肩を抱いて泣きながらねぎらった」とある。実は1月の全国選抜大会では優勝していたが本選では3回戦で敗退したことが背景にある。その後今井監督は「鬼になった」と自ら語っている。決して妥協をせずにこの日に向けて精進をしてきた。この日の監督の涙は私は分かるのだ。しかし彼は見事に期待に応えた。これが「プロの仕事」である。仕事をするとこういうことである。
・ 理事長からは空手道部を「特別強化クラブ」に据えて、府内の有名な街の道場の先生方に挨拶に回り、懇親の場を持ち、あまつさえ、「新武道館」には「専用の空手道場」を作るから「全国一になれ」とまで言われて「相当なプレッシャー」になったことだろう。
・ 素晴らしい働きをしたキャプテンの大西選手は新聞のインタビューに次のように答えている。「監督を信じ、チームが一丸となって戦ってきた。自分を信じ勝負をまわしてくれたのが嬉しい。」だから「勝てた。チームの勝利です」とのコメントが新聞の見出しを飾っている。「信じる力で結実」と。そして新聞は書く。「これが大将の仕事」と。 私も大変良く知っているが本当に「性格の優しい良い男」だ。彼の「青春を一生飾る大きな思い出」となったに違いない。全国の有名大学から「引き」もすごいのである。
・ 私は近々「全国優勝祝賀会」を一流ホテルでやるつもりで早速手配に入った。保護者会と共同主催である。中学生、高校生部員、府内のお世話になっている先生方やご関係の先生方をご招待して祝ってやりたいのである。
・ 本校の保護者も素晴らしい、ほぼ部員全員の保護者が4連泊して姫路に応援に出かけたという。OBも20名以上が応援に駆けつけてくれた。大将大西君の母君は30分以上応援席で動くことなく「喜びで泣き崩れて」いたという。
・ 今回の「まほろば総体」で全国優勝した大阪のチームは団体競技では本校の空手道とハンドボールだけでだけであった。本当に良くやってくれた。「新武道館建設に花を添える素晴らしい一事」であった。関西大学の学長先生や多くの方々から「ありがたい祝電」を頂いている。
・ 私は今日の校務運営委員会でも職員会議でも言葉を尽くして空手道部の良い結果を褒め称え、同時に他のクラブにも激励をしたのである。「私学の私学たる所以は文武両道」であり、拠って立つためには「クラブ活動は極めて重要」であり、今回インターハイの応援に出かけてつくづくと思ったのである。「部活動を奨励し支援」しなければならない。

2009年8月18日火曜日

8月18日(火)「米百俵」


・ 遂に第45回衆院選が「告示」された。先月21日の解散以来事実上の選挙戦に突入しており、与党の自民・公明と「政権奪取を狙う民主党」の攻防はいよいよ「最終局面」である。しかし「選挙ほど面白いものは無い」。「胸が躍る」感じだ。小さい頃から政治家になりたかったから尚更である。何か「うらやましい」のだ。
・ 昨日17日には東京の内幸町の記者クラブで「主要6党の党首討論会」があり経済、安全保障など論戦が交わされたが、何か民主党の鳩山総理を前提にした討論会の様相だったとして各紙が報道している。
・ しかしだ。まったく「教育問題」の議論はなかった。今朝の新聞すべてを見たがどこにも無いのだ。これが「社会の現実の姿」「政治家の姿」なのである。私は憤って言っているのではない。結局「教育は後回し」なのである。
・ 「大衆迎合の政治」では目先の「ばら撒き」にどうしてもなり、効果の出るのに時間のかかる教育問題は「票にはならない」のだろう。しかしこれは間違っている。余程の腕力のある政治家なり圧倒的に強い政党で無ければ「無限の教育問題」に税金は使えないのである。
・ もう一つの大きな問題はどの党首も民主党の危うい「教育改革の方向性」を質そうとする人はいなかったのである。しかしこれは後々大きな問題となろう。世界が「社会民主主義的」な流れの中で民主党の教育改革の方向性は大いに議論があってしかるべきであった。
・ 私は今回の「政権選択」の選挙の最大の論点は「教育問題」にあると思う。大体経済も安全保障も生活保護も自民党と民主党で大きな違いはない。80%程度同じではないか。ただ本質的に両党が抱える「教育問題への姿勢が根本的に水と油」で異なると見ている。
・ 自治労、日教組など組合を支援団体に持つ民主党はここ数年進めてきた「教育改革路線」を踏襲するとはとても思えないからである。小泉内閣から安部内閣と進めてきた教育改革の反動として民主党政権でゆり戻されないかとても心配なのである。
・ 「教育こそ国家百年の大計」であり、政治家が最も重要視すべきテーマである。英国のサッチャー政権、米国のレーガン政権以来「教育立国」で両国は立ち直った。しかし日本はいまだに先進各国の中で公的助成も少なく最も教育改革に遅れをとっている。
・ 先のブログで越後長岡のことを書いたが長岡と言えばもう一つ「米百俵」のことに触れないわけにはいかない。この米百俵を一躍有名にしたのは元総理大臣であった小泉さんであった。首相就任演説で「改革の痛みを我慢する」と言う例で引用したものだったと思う。
・ 「戊辰戦争」で敗れた長岡藩に三根山藩(新潟県巻町)から「百俵の米」が贈られた。激しい窮乏の中で百俵の米は数日でなくなるのでは意味はないと若い藩士「小林虎三郎」はこの百俵を将来の千俵、万俵として「生かすために「学校設立資金」に使ったと言う。
・ 設立された「国漢学校」は後に幾多の人材を育て上げることになった。今の痛みに耐えて明日を良くしようと言う「米百俵の精神」こそ改革に立ち向かう者にとって重要なことである。 小林虎三郎は1928年長岡藩士の三男として生まれ河井継之助より1歳年下。佐久間象山に学び吉田寅次郎(松蔭)と「二トラ」と言われた秀才であったが生来の病弱で明治10年に50歳で生涯を閉じている。
・ しかしこの一事だけで今日に至るまで日本の歴史にその名を刻まれている。どちらかと言うと海外での評価が高い人物と言う。確かに欧米人にはこの種の話は好まれる。上杉鷹山も然りだ。
・ 特に「路傍の石」や「真実一路」で有名な小説家「山本雄三」が尊敬する長岡市の「山本五十六」を調べている時に「河井継之助」を知り小林寅三郎という人物にたどり着いたという。これで「米百俵という戯曲」を書いたことから、この話が広まっていったとものの本にはある。
・ 長岡市のホームページには「国が興るのも町が栄えるのもことごとく人にある。食えないからこそ学校を建て人物を養成す」のだという寅三郎の主張は「目先のことにとらわれず、明日を良くしよう」となっている。
・ これに対して確かに「反対する声」もあるだろう。行政当局の常套手段であるからだ。政治家が「国民に我慢を強いる」ために引用されているが、実際は長岡の藩士は領民に痛みは求めず、学校を作ってなんとこの学校を今までの藩士だけではなくて「町民農民に開放」した。
・ このことが「偉い」と思う。「教育の機会均等」である。反対を押し切りリードした小林寅三郎も立派であるが侍から侍に渡された米百俵を家族に食べさせずに「明日のために使った藩士が偉い」のである。これが武士である。「武士道の精神」である。
・ 長岡藩士は2月の旧正月までは決して新米を食べなかったという。領民の苦しさを知っていたからである。長岡藩は幕末に「禄高の均等化の改革」を行い上士の禄高を大幅に減らし多くの下士の禄高を上げた改革も有名である。
・ 要は「年老いた働かない高給取りの給料を減らして若い世代に配分」したのである。是非これは「本校のネクストテーマ」だと私は思っている。そして改革のために藩主も藩士も多くの資財を処分し先祖伝来の家宝を処分して国漢学校に多額の寄付をした。
・ そして遂に明治2年、国漢学校が設立された。明治3年「米百俵を売った資金」で新天地に移転。洋学と医学局がスタートする。そしてこの学校は明治7年に阪之上小学校、明治5年に長岡洋学校となり、一つには明治6年に長岡病院となる。
・ 幕末の小さな学校がこのように三つの分野に分かれ発展してきているのである。長岡洋学校は明治33年長岡中学校となり、昭和23年「県立長岡高等学校」となる。平成20年には創立137年だから尋常ではない歴史である。
・ 私は思う。今衆議院選挙前だが各党の政策責任者に「米百俵の精神」を理解し「国は教育をもって興す」という根本に具体策をとって欲しいのである。8月1日のブログ「教育は人生前半の社会保障」ということと合わせていまこそ「政治の力で最低限の仕組みを組み立てて欲しい」のである。仕組みさえ出来れば細かいことは「現場でやれる」
・ 「現場で頑張る校長や教職員を正当に評価できるような学校改革」をしなければならない。サボりの教職員は排除できる「仕組み」を考えねばならない。頑張る者もサボりの者も1円も給与が変わらないのはおかしいのである。今のままでは「学校間格差」がその内大きな問題となる。学校に「投網」を投げ、「最低限のライン」は敷かねばならない。
・ 私は私の出来る範囲で「米百俵の精神」で頑張っていくつもりである。「明日の浪速のため」に最後の力を振り絞って「新校舎建設」まではなんとしてでも頑張っていく積りなのである。「お盆休みでリフレッシュ」出来た。明日からまた頑張ろうと思う。

2009年8月12日水曜日

8月12日(水)倭は国のまほろば








・ 「教育の目的が健全な国民を育てる」ことにあることは誰しも疑いは持たないだろう。ところがその教育が問題で、事はそう簡単にはいかない。学校で教える教員の側には「厄介なもの」があるからだ。それを「」という。
・ 「教育観」「価値観」「社会観」、「歴史観」何でもかんでも「」という言葉を使って自分たちを正当化しようとする勢力がいるのである。数学や理科には「なんとか観」はあまり関係ない。「自然科学の世界」ではそうかもしれない。
・ ところが国語や英語、なかんずく社会科の科目である「歴史や公民」で「教員が有する個人の価値観や教育観、歴史観」で授業をされては時に「とんでもないこと」が起きる可能性がある。
・ 「日本の歴史を否定的に扱い」、「教科書を読むと日本が嫌いに成る」ような教育観で授業を受けた子どもたちは自国を愛する態度を見に付けられなくなって、「自虐的」な国家観を有するようになったら、これ以上の不幸はない。「お仕舞い」である。
・ 従って「学習指導要領」が定められ、「教科書審議会」や「教科書調査研究委員会」などの手続きを経て教科書は採択されるのである。勝手気ままな「教材」を使って授業をされないか教育委員会と私立学校の理事会は注視しているのである。教員に教科書の採択権限がないのはそういうことなのである。
・ 戦後長い間学校現場では「価値観を押し付けてはならない」とする風潮の中にあった。日本教職員組合(日教組)が「教え子をふたたび戦場に送るな」というスローガンを掲げ「戦前の日本の歴史を否定する」が日本の教育会を縛ってきたと私は思う。
・ 国家は悪であり、権威を否定し、愛国心などはとんでもない話で学校の方針は、教職員、自分たちが職員会議において多数決で「民主的」に決めるとしてきた。「校長は教職員に対峙する存在」として基本的に学校は「校長を頂点とする管理され、組織化された」ものとは程遠い状態であったのである。
・ 言ってみれば戦後60年、学校現場は「コミューン化された社会」であったのである。私はそのように思っている。「校長のリーダーシップ」など言葉さえ存在してこなかったが平成12年頃から「卒業式における国歌斉唱国旗の掲揚」問題でようやく教職員団体が社会の批判をあびるようになってきたのである。
・ そのような中に「子どもの権利条約」が更に拍車をかけ、一部の勢力はこの条文を「子どもの自己決定権を尊重」すると捻じ曲げる解釈をするに至り、そこに「ゆとり教育」が覆いかぶさってきたと私は見ている。
・ 子どもを指導し教育するのではなくて子どもが主体的に行う学習を「支援する」という「教育観」がアッと言う間に教育界に広まり定着した。その結果「学力の低下」は勿論、「公共でのマナー」なども目に当てられなくなる生徒の出現と「学級崩壊」などの問題が出て来ているのである。
・ 子どもの野放図な自由を、「個性を尊重する」との美名で認めたことにより、まず「忍耐力のないすぐ切れる」生徒の出現に繋がったという識者も多い。前日のブログ「行き過ぎた子ども中心主義の破綻」である。
・ 子どもがやる気になるまで待つ、教えない、支援するのだ。「今のままが子どもの個性」である、それを尊重するなどの「寝とぼけた教条」は教員に「何もしなくても良いという免罪符」を与えることになったのである。
・ 「ゆとり教育」などは典型的で、勉強が出来ないのも個性と放任するものだからますます授業が分からなくなり学校がおもしろくなくなるのである。「学校の友達は楽しいが学校の授業は嫌い」と荒れてきたのである。
・ そこに持ってきて「社会科の教科書に大きな問題」があったと私は見ている。日本の歴史教科書なのに「日本の偉人が出てこない」のである。前日のブログで「他律たるべき教科書」と書いたが「子どもの気持ちを豊か」にしていく教科書が必要である。
・ 偉大な先人の話に子どもの目は輝き、「自分もああなりたい」と思うはずだ。公民教科書においても「家族や社会に感謝して生きていく」と言う他律の意義をもっと重要視すべきと私は考える。
・ 歴史は「自分よりも前の時代の人がどういう社会を築いて来たのか」、その「成功と失敗」も含め、それを次の世代に繋いでいくことを教える教科である。ところが日本の歴史教科書には日本の偉人は出てこない。「歴史上大事な人のことを学ばなくて」歴史を学んだとは言えないのではないか。
・ 遣唐使を廃止し「国風文化」が起きるきっかけを作った「菅原道真」や農村復興政策の指導者「二宮尊徳」などの時代の革命家などは我々の時代にはまず絶対的に学ぶ対象であったが今や教科書からは姿を消している。
・ 小学校の学習指導要領で特に取り上げる人物とされている日露戦争の連合艦隊司令長官の「東郷平八郎」も中学校では姿を消している。この東郷平八郎には少し思い出が私にはある。
・ 前の公立高校勤務時代に「東郷平八郎の直筆の扁額」があると古い同窓会報にあったので私は校内の隅から隅まで一生懸命探し、それをようやく見つけ出したのである。綺麗に整備してそれを同窓会館に飾った。恐らく戦争の張本人として遺棄されたものだろう。しかし旧制の中学校には講堂に飾ってあったのである。
・ 「聖徳太子」に関する記述もたったの数行であり、「柿本人麻呂や勝海舟」などは多くの教科書に記載がないのである。日本と言う国に生まれてきたわけであるからその「国の伝統と文化の中で育まれた規範やルール、マナー」を系統立ててきちんと教えていくことは家庭では無理である。この部分こそ「学校教育しか担えない部分」ではないか。
・ どうも戦後教育は「根無し草」「無国籍」の教育であったような気がする。生徒たちは市町村という地域に住み日本という国に生きる国民である。多くの公民教科書は「国民とは」「「国家とは」はどういうものかに触れずに一足飛びに「地球に住む地球人」とか強調されているがまず「自国の理解が先」ではないのか。
・ 平成18年12月「教育基本法が60年ぶりに改正」され新しい理念が条文化された。第2条には「豊かな情操と道徳心」「公共の精神」「生命を尊び」「伝統と文化を尊重」「我が国と郷土を愛する」が明記された。
・ 私は今自国への素直な愛と希望の光をもてるような社会科教育を成し遂げるために少しでも「子どもたちの目が輝くような教科書を採択すべき」と考えているのである。清らかで明るく正しく直く平易にして品格ある教科書を望むべく「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会」に属して自らが勉強してきた。
・ 私は「多聞尚学館」を開館してから敢えて河内の偉人「楠木正成」」と「後醍醐天皇の建武の中興」を生徒に語り「青葉茂れる桜井の」を何回も生徒の前で歌ってきた。これは「明治時代の小学校唱歌」である。今の中学生、高校生は余りにも我が国の歴史を知らない。全く悲しいことである。
・ 「倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣 山こもれる 倭しうるわし」この古代史の中でも際立つ国民的英雄である「ヤマトタケルノミコト(日本武尊)」が故郷を偲んで歌った「この国に生まれて良かった」と思えるような生徒を本校で育んで行きたいのである。
・ 「古事記」に詳しく記されていることを「古事記に書いてある」と少なくとも教えていかねばならない。「神話」だと馬鹿にしてはいけないのである。「我が国はこのような美しい伝説を神話として後世に伝えてきた」のである。
・ 「伊勢神宮」を中枢におく「神社神道の精神を建学の礎」として「校内に学院神社」があり「天照大御神」と「府内各神社の八百万の神々のご加護」を頂いてる本校に相応しい教科書を採択しなければならないと私は今考えているのである。

2009年8月11日火曜日

8月11日(火)行き過ぎた子ども中心主義?


・ いくら反抗期と言っても「親が尊敬できない」というのは問題だ。「親は嫌いではないが余り好きになれない」というのもある。その分おじいちゃんやおばあちゃんは好きだと言う。その理由は「怒らないし、お小遣いを呉れる」からという。
・ 「どんな先生が好きか」と聞くと「優しい怒らない先生」「友達みたいな先生」という。要は「教師と友達感覚」でおられる先生が「好み」なのである。側に寄っただけで「威厳のある」ようなタイプは「息苦しい」し、一方的にしゃべる教師も「暑苦しい」のである。
・ 教師の中には「生徒と友達で良し」と思っているような者も居たりして酷いのになると「媚を売ったり」して「お母さん教師」を自ら振舞っているようなものもいる。教師がお父さんやお母さんではあってはならない。
・ 立場上「保護者の相談」はよく受けるが、生徒からの直接の相談はほとんどない。校長とはそういうものだ。生徒がどのようなことで悩んでいるのかはまず「担任」や週に2回来て頂いている「心理療養士のカウンセラーの月度報告」で詳細受けている。時に保健室の養護教諭からもの情報もある。
・ 生徒は本当に様々なことで悩んでいる。しかし大体「家庭問題や親との関係」で悩んでいるケースが目に付く。本校の生徒は酷いやんちゃな生徒もいないしほとんどが真面目な生徒である。ご家庭もしっかりしているから学校としては安心なのだがそれでも時に心配する局面はあるのである。
・ 「問題行動のある生徒」から事象を論じると時に間違いを起こす。マジョリティである圧倒的多数の生徒の「最大公約数的行動パターンというか物事の考え方を観察」していると「今日的子ども」の群像劇が見えてくる。
・ 一言で言えば「子ども丸投げ主義の失敗」であったことが分かる。教育論議風に言えば「行き過ぎた子ども中心主義」であろう。「口では子どもの為」と言ってはいるが実は「責任回避」の詭弁であり、親も学校の教師も戦後長い間この響きの良い「子どものため」という呪縛に囚われてきたのではないか。
・ 子どものためと言えば「何でも通った」のである。子どものために「私もパートで働く」「子どもの教育費を稼いで私学に通わせる」とか、何か「子ども、子ども」と言いながら、その実態はまず「親と子どもの遊離」が始まったと私は思うがどうだろうか。
・ 親と子どもの遊離による摩擦熱はすべて「学校に向かう」ことになる。「何でもかんでも」と言う感じで学校に矛先が向かう。元来どちらかと言うと「学校教育の純粋な部分」に「社会の複雑な仕組みとかは家庭教育」で行うのが普通であったが「今やすべてが学校に舞い降りてくる」のだ。今や基本的に家庭教育は存在しているのかという疑問もある。
・ 教師とは「オールマイティの力」を有しているわけではない。逆に世間の人々が言うように「教師の常識は社会の非常識、社会の常識は教師の非常識」というように「生き方が不器用」な面があってなんでもかんでも「こなせる力」があるわけではない。
・ 確かに数学や英語や社会や「専門の教科を教えるのはプロ」であるが社会の複雑な絡まった問題を大学を出て10年未満でまだ独身の若い先生が快刀乱麻で処理できると考えてはならないのである。又ベテランと言えども、「学校という塀の中」一筋できた教師にすべてを求めても無理なところはあるのである。
・ それを社会は誤解して学校の先生は「何でも出来る世の中の達人」みたいに思っているとしたら早速改めて貰わねばならない。「学校の教師が教科指導に特化」できるようになったら彼らは今まで以上に教材の研究と指導法にのめりこんでいくだろう。教師とはそういうものだ。
・ 最近教育雑誌で「学校はサービス業」などの表現が出てくるがこの言葉を使ったのは私ではないか。平成14年、今から7年前の話である。公立学校に民間人校長として着任した時に余りにも公立学校の教員の「サービス精神の欠如」に驚き、論文等で使った言葉である。
・ 基本的に「学力向上」に関した言葉である。「学校と言うのは強制力を持ってすべての科目の学力の定着を図るところ」であり、まず此処を外したら学校ではないと言うのが私の信念である。「学力向上へのサービス活動こそ学校の使命」である。
・ しかしこの「サービス」という言葉は独り歩きして、時に曲解されたりしているがサービスというのは「なんでもかんでも奉仕」と言う意味だけはなく「より良いものの提供」であり、その過程で「個別の対応の必要さ」を表したものであった。叱ることも厳しいことをいうのもサービスなのである。
・ とにかく子ども中心主義がどうも教育全体に「大きく重たい霧を降り注いでいる」と私は感じてならないのである。このような傾向は何時から始まったのであろうか。少なくとも私たちの親の時代では全く異なるものであった。まず「親の存在」が最初に来たと思う。「孝養はすべての源」であったはずだ。
・ 1989年バブル景気真っ最中に「国連が採択」し1994年平成6年に日本も批准した「児童の権利条約」の都合の良い解釈もあるだろう。この憲章は元々勉強したくとも勉強できない発展途上国の子ども達の権利を護るために作られたものであるが、時に教職員団体はこれを持ち出してきて自分たちを正当化する。
・ 一部の公民教科書では「子どもの権利条約」と言って原文とは似ても似つかない解釈をしている。又これを受けて全国の自治体では子どもの「自己決定権なる子どもの権利条約」が制定されている。
・ 酷いのになると「ありのままの自分でいる権利」が保障されているが子どもがありのいままでいられるなら教育やしつけは成り立つものではなかろう。「今日は学校に行きたくないから家でゲームをする」というのを認めざるをえないだろう。
・ 昔は朝起きて学校に行かなければ親は「追い出して」学校に行かせたものだ。私の母なども厳しかった。要は「サボり」は許されなかったのである。又「遊ぶ権利」とか「自分のことは自分で決める権利」というようなものもあるのが実態なのである。
・ 元来「子どもと言うのは何も知らない」という原点に立ち返らないといけない。何も知らない純真無垢から「生きていく自律の芽」が芽生えるわけがない。芽生えてもそれは到底社会に受け入れられない、間違った、短兵急の、独りよがりのものになる可能性が高い。
・ 「これは良い」「これは駄目」「駄目なものは駄目」といってやる「他律の動きが必要」になる。この他律こそ親であり学校の教師である。「正しい自立への自律を養うために他律としての教育が存在する」と言うことではないだろうか。
・ そして学校の他律とは「教科書を通じた教師の指導」なのである。指導とは「指し示して導くことである。」「強制力を有した教え」なのである。「教え育む」ことが教育なのである。そこにおける生徒と教師の関係においては生徒への権利条約など全く関係ない話なのである。