2009年2月15日日曜日

2月15日(日)減価償却

・ 「予定もない静かな日曜日」となった。この2週間忙しかったし何より緊張の日々だから疲労の蓄積はどんよりと体全体を襲う。しかし「何もハプニングがない」というのは嬉しい話で贅沢は言えない。部屋の掃除をする。網戸を洗い窓を拭いた。真っ黒であった。
・ 高校入試も2次試験は残っているが大筋、「本年度の業務も終わった」。1昨日のネット合否発表も最終的には30000件のアクセスがあったという。30000件と言っても一人の生徒が何回もアクセスするからこのような数値になる。しかし本当に「面白い試み」であった。「来年」に繋げていきたい。
・ 昨日はある中学校から「ネットで助かりました」とお礼の電話があったそうだ。14日の土曜日に「1.5次試験を行っている私立高校」は多い。浪速を不合格になった生徒は昨日の朝10時の発表で「急いで受験校を決めて」、今日その学校の1.5次試験に臨むことになる。郵便配達なら午前中の10時過ぎになるのだから間に合わないのだ。

・ しかしそれにしても私は「心配症」だ。自分でも分かっている。見た目はそのようには見えないと思っている人は多いのではと想像しているが私は心配症である。学校でも私の身近にいる管理職などはそのことを「骨身に沁みて知っている筈だ。」
・ 「そこまで心配しなくとも」と時々彼らの顔に書いてあるのだが私は最終責任者として「後で後悔しないように」、「念には念を入れる」ことが通常だ。これが時々「しつこい」ということになる。言う事を聞いて「結果が異なり、だから私の言うようにやっておれば」という局面が何時もではないが、ない訳ではない。
・ 基本的に「仕事の経験の数」がもうこれは彼らと「天と地」くらい異なる。教師出身の管理職はこの学校のこと以外には基本的に知らない。事務長は民間出身であるがもう本校に来て長く又民間に居た時は若い時分でそれも銀行だから修羅場の経験はない。
・ 私は同じ会社であるが「産業の米」と言われる鉄鋼業で32年間、大体2.5年ピッチで右から左180度まで、又日本の西東、海外勤務ととにかく「動いて、動いて」来たのである。
・ 仕事の内容も「工場生産業務」「生産管理部門」「製造技術行政」「人材開発人事」「営業」「関係会社の役員」、役職も「副長、課長、部長、製鉄所副所長、役員」等々様々に経験してきた。「辞令の紙一枚」で日本中、世界中を飛んで動いてきた。
・ 色々な局面で「成功と失敗」の歴史を踏んできているから、この年になると「読めてくると言うか、見えてくるというか」、学校とて人間社会の営みであるから「予測、想定、想像、予知」的なものが若い頃よりも「感度」が研ぎ澄まされてきていることは自分でも分かる。勿論裏返しとして「油断」もあるのだが・・・。
・ それに元々「神経質」で「几帳面」である。それに自分でいうのもおこがましいがこの年になっても「勉強」をものすごくする。本もよく読む。人とよく会い、話を良く聞く。私の得意技は「パクリ」だ。良いと思うことはどんどん取り入れる。「柔軟性」などという言葉ではなくて私は「軟体動物」であると思っている。
・ だから余計に心配症になっている。しかし私は弁解として管理職に言うのだ。これが「トップが脳天気でアチャラカチャン」だったらどうするのかと。幾分へ理屈っぽく言うのだがトップが「楽観主義、悲観主義」よりは「悲観主義ではない楽観的心配症」くらいの方が良いのではと。
・ 今私の心配の種はやはり「建物の震災強度」である。不吉であるが若し明日の朝,震度7以上の直下型地震が起きたとして「建物に被害」が出たときにどのように「処置し対応していくか」を考えるとのどかに安閑とはしておれないのだ。
・ 勿論ベストを尽くして「その時はその時であらゆる方策を取る」がそれでも単独の私学だからそう簡単な話ではない。これが公立学校だったら小学校、中学校、高等学校など「融通して使える」が本校の場合行けるのか。
・ 生徒は現実にいるわけだから「授業は継続させないと進級も卒業もさせられない」。「他校に預けるわけにもいかない」などと考えてしまうのだ。とにかく「生徒が学ぶ教室」だけは「不安のない状態」にしたいと考える所以なのである。職員室などはどうにでもなる。
・ 「そんな!それは心配し過ぎですよ、そんなことを考えてたら生きていけませんよ」とほとんどの人は言うが私もそのように思っている。思ってはいるが、でも「頭の片隅には何時もこの問題」を置いておくことが「トップの責任」だと思うのだ。
・ 中国四川省の地震、宮城三陸地震などの例もある。「備えあれば憂いなし」と言うでなないか。私の今の気分を些かでも緩やかにしているのは「同じような学校はまだ多い」ということである。しかしこのことで「免責」されるわけではない。
・ その学校の建物の老朽化の指標に「減価償却比率」というのがある。「減価償却とは対象とする資産の取得金額を使用可能期間に費用として配分する手続き」をいうが、消費支出に対する比率が低いと言うことは「老朽化を意味」する。
・ こういう基本的な数値は「学校会計基準の公開性」からすべて分かっていることで「全国平均は9.6%」である。「東京都は10.8%で大阪府は8.0%」である。この意味は大阪の学校の建物は東京はもとより全国平均よりも「古い」ということを示しているのである。リフレッシュされていないと言うこと、お金が投入されていないと言うことなのである。
・ これは何時か私もブログで触れたが「校舎の耐震補強工事の遅れ」にも直接関係している。東京はお金持ちで校舎が次々と新しいか補修などして資産価値を高めているということを意味している。さて「浪速はいくらか」であるが、「4.5%」なのである。「驚くような低さ」なのである。もうこれは限界に近い低さである。
・ この意味はもう「建物の残存価値はない」くらいに古く、新たな「投資」をしていないということを意味する。「投資をすればお金は出るが資産は残る」訳であるが4.5%と言う数値は新規投資もしていないということなのである。
・ 例えて言えば、貧乏していたから古くなった家にお金を入れることができず雨は漏る屋根で我慢し、畳、ふすまは破れ、水洗便所にも変更できず、ただ「食うためだけの稼ぎ」しかなかったのか、「将来のことを誰も考えず」、「入るお金をすべて家族で分配」して内部留保もせず「その日暮らし」の毎日であったといいうのが実態だろう。
・ 辛いが後者に近いと思う。入ってきた金をすべて分配し、給料を上げ続け、公立や他の私学でさえしていないような「諸手当」を制度として温存してきた「つけ」が今回きているのが、今の浪速の真実の姿であろう。
・ 歴代の理事会、管理職の責任である。しかし今指針を示し、組織をまとめて、引っ張って行く男が2年前に出現した。この男は極めて「心配症」であるが「共通ルール」として「説明責任」を果たし「刀狩り」を行い、「検知」を行い、「水道」を起こし、「武家諸法度」を定め、「楽市楽座」で人を集め、「難攻不落の浪速城」を作ろうと頑張っているのである。
・ しかし今私は思う。「教職員は立派」だった。しっかりと付いて来てくれた。この2年間黙って付いてきてくれた。「教職員がいとおしい」と思う。それだけに責任は重大だ。今「手を緩めることは出来る」。しかしそれでは今まで苦労してきた甲斐がなくなる。
・ 「」さえあれば人間は生きていける。食べ物などどうでもなる。しかし夜露をしのぎ、倒れない家、即ち「校舎は学校の生命線」である。全教職員が一丸となって「新校舎を作る」という気概を持ちしばらくの間は「艱難辛苦」に耐えていかねばならないのだ。
・ 「俺はもういいわ、あと6年で定年だ。後のことなど知るか」という人には強く反撃する。「先に自分だけ旨いものを食っておいて、あとの後輩にはまずいものを食えってか!」と。ふざけるな、20台、30台の先生方はあと30年本校が「生活の基盤」となるのだ。