2008年10月31日金曜日

10月31日(金)合格裏基準

・ 神奈川県の県立高校が騒がれている。平塚市の県立神田高校は生徒数が347人であるが今年の入学試験で選考基準となっていない「茶髪」や「眉そり」などをチェックし該当する受験生を不合格にしていたことが28日に明るみに出たという。内部からの「チクリ」である。
・ 朝日は「茶髪・眉そり・長いつめ・・・裏基準」、「合格圏でも不合格」の見出しだ。県教委が発表し過去3年間で不合格生徒は22名いると言う。「校長の指示」で行われ、対象項目は以上のもの以外に「スカートが短い、服装がだらしない、胸ボタンを外している、化粧をしている、態度が悪い、軍手で志願書を渡した」とかあるらしい。
・ しかし面白いな。願書を軍手で渡したと言うから、余程出したくなかったか、手に怪我をしていたからだろう。「公立は選考基準を公表」しておりまず「中学校の調査書、面接(あるところとないところ)、学力検査」で点数の上位者から合格を決めることになっており、「身なりとか態度は基準には含まれていない」。
「内部通報」があって県教委が過去5年間の入試に関係した教員ら33人から事情を聴いて判明したらしいがこれは05年当時の校長の発案とされており教員でも異議はなかったと言う。ところが校長が変われば「チクル」奴は出てくるもので、この校長が始めたものかどうか記事では分からないが「可哀想」と言うしかない。
・ とにかく私は「チクる」奴は大嫌いだ。大体「日本人は昔から卑怯者を毛嫌いする」。意見があれば組織内で堂々と議論すれば良いのであって、その上でどうしようもないとなれば告発すれば良い。ところが学校はそうはいなかい。とにかく「覆面でチクる」奴ばかりだ。だから今回も県教委は33人の人間と面談して事実を探る。
・ 理由について校長は「合格後の生徒指導が大変だったから」と説明したらしいが気持ちは分かる。この校長、ちゃんと「先生方の苦労」を分かっているのだ。この高校3学年で347人だから9クラスと計算でき、1学年3クラスの小規模校だ。それに「中退者が年間100人を超えると言う学校」だから「推して知るべし」である。「3クラスで始まった学年は1年後には2クラス」になるという計算だ。
・ 又この学校来年で廃校となり「他の学校と統合」予定と言うことでこの校長は統合に向けて「少しでも良い学校にしておきたい」と思ったらしい。「分かる、分かる。」県教委は不合格の22名の救済措置を考えるとのことだが3年前のことだし、また今年分もすでに半年経過している。「転入可」としても果たして何人来てくれるのか。
・ 可哀想にこの校長はクビとなり配置転換らしい。教育センターみたいなところに行くとのことであるが「内心ホットしていないか」。ひょっとしたらこの学校から抜け出すための作戦だったかも知れない。「やっと抜け出せた」と。
・ 面白いのは電話やメールが120件以上殺到しており、約半数が「当たり前だ。校長を支持する」と言うものらしい。今日の新聞で校長の解任が報道されたから「県教委はおかしい。」「校長が正しい」と更に抗議が殺到するかも知れない。
・ 常識的に考えてもみよ。化粧したり、茶髪にしたり、そりを入れたりする中学3年生が高校の願書提出に来るか。「これは異常」と考えなければならない。企業の入社試験の願書を軍手で差し出すような人間をまず採用はしまい。
・ 「あんた、今日は高校への願書提出の日やろ、ちゃんとして行きなさい」と親は言うのが普通だ。しかし世の中は複雑で必ずしもそういう親ばかりではない。本校も昨年の入学式に二人の女生徒が髪を染めてきた。親も同伴だった。親御さんが言うことを聴かないのだ。「これは地毛です。」と言って。この時はほとほと困った。
・ そういうわけで来年の入試から「面接」を入れることにしたのである。正式に「入試説明会」にて説明責任は果たしている。しかし本校でも「入試の態度が悪かったら不合格」となるかと言えば簡単にはならないだろう。
・ ただ「条件付合格」となるかも知れない。今日以降「校則を守ってください」。それが守れないようであれば合格を辞退してください。「入学料はお返し致します」となる。去年の例はそうだった。そうすると親も子どもも仕方なく納得する。
・ しかし年間100人も中途退学するような学校だ。「教員の心労は容易に想像」できる。生指導上の問題で学校の教員は「走り回っている」のが現実だ。教員には本来業務である「教科指導」で勝負させてやりたいが現実にはそうも行かないのが実態である。
・ 学校は確かに学力だけではない。「日常生活規範」も教えていく必要があるという意見もあるが、考えてみよ。もう15歳の半分大人であるといえば又物議をかもすかも知れないが、小学校中学校の義務教育で学校も家庭も「どうなっているの?」という高校側の声は大きい。「親の顔が観たい」と思っていても口には出せないのだ。
・ それをすべて高校に丸投げしているのが実態である。一つには「高校だけは出ておきなさい」という親の気持ちが社会の通念としてある。「学校が嫌い」という生徒に無理やり高校に入れることが果たしてその子にとって良いのかという議論もあろう。
・ 茶髪にして「いなせな職人の道」を歩ませるのも一つの考えだ。高校卒がそれほど大きな意味は持たなくなった時代である。「職人の親方は厳しい」。直ぐ拳固が出て物が飛んでくる。学校の先生がやれば「体罰、体罰」とくるが親方がやれば「修行の道」となるのだ。
・ 私は生徒指導を諦めていない。だから教員の相当の時間とエネルギーを使って生徒指導を進めているが、「限界」は心得ている。それは残った生徒への影響があるからだ。だから臨界点に近づくと「進路変更やむなし」と判断する。退学許可は「校長のみに出来る専権」である。
・ この前も某教諭がある保護者に「生指上のこと」を言ったら「うちの子だけではないでしょう!」と言ったという。「よその子は関係ないって。自分の子どものことを考えなさいって言うように」教頭に言ったところである。
「辞めてもらっては辛いが学校の方針にそぐわないのであれば私の答えは明確である。」時間は限られているからマジョリティに資源を使わねばならない。少数の分らない懲りないものの為に大切な教員のエネルギーを消耗させるわけには行かないのだ。

2008年10月30日木曜日

10月30日(木)中学校運動会余韻

・ 本「法人の意思決定」はほとんど私が「原案」を決める。それは当然で「校内理事は私一人」だから自分で決めざるを得ない。しかしこの学校は私の祖父や父が創設したものではない。言ってみれば木村家の家業ではないのだ。「実質的なオーナーは大阪府神社庁と財団法人大阪国学院」である。
・ しかし誰がオーナーだろうと学校法人の意思決定は「理事会」が行う。それを「総理」するのが理事長であると私立学校法は規定している。早い話、私は「雇われマダム」であり、当然のこととして重要案件は理事会に諮らねばならない。
・ しかし私以外の6名の理事さんはそれぞれお仕事があり、全員揃うなど極めて難しい。例えば次回の理事会は12月16日であるが、3ヶ月前に全員の予定を確認して日時設定をしたのである。しかしこれでは「スピードの求められる現代」においては「役に立たない」。
・ 従って重要なテーマは「名誉理事長、理事長職務代理と私の3人」で集まり「基本討議」をしてその後資料を他の理事に郵送し、正式理事会を待つことになっている。今日はある重要な案件があって朝一番に大阪天満宮に3人が集まった。「良い議論」が出来た。
・ 宮司が車を出してくれたのでそれに乗って学校に戻る。「センチュリーの新型」だ。素晴らしい車で付いてないものはない。乗り心地も最高だった。南森町から高速に乗って住之江で降りるともう学校で時間は本当に短い。時刻は11時前であった。
・ この日は「他校の校長先生と生指部長」の先生がある件で本校を訪問されており、短い時間だったがお話をする。この校長先生は大変立派な先生で私とは懇意である。留守の間事務長がお相手をしてくれていた。
・ その後管理職朝会を簡単に済ませ、一旦終わらせ高校、中学、入試広報担当の管理職で「特別なテーマ」で打ち合わせをする。天満宮の話も交え、「大きな指示」を私から出したのである。
・ その後理数科長と進路指導部長を呼び今日の「生徒への校長訓話」について調整を行う。その間事務職員が「決済印」を求めて入ってくる。時間は12時30分を過ぎており、何時もより遅い昼食だ。
・ 私の中食は12時に始まる。4限目の授業は12時30分に終わるのでそれまでにすべて済ませておくのだ。このお昼に結構教員が入ってくるから教員の昼時間には私はすべての予定を空けて待っているようにしている。
・ その後「イントラネット」を観ると電子決済が96件溜まっている。教員は一件の申請であるが私にはすべての教職員の決済がくるからそのすべてに決済をしないと事務処理が次に進んでいかないからなるべく溜めないようにしている。
・ 少し延ばすと200件とかすぐ溜まる。目の前が真っ暗になるが仕方がない。それが給料の高い私の仕事だ。一件一件チェックするから時間がかかる。一度情報委員長に一括決済できないかというと驚いた顔をしたのでそれ以来言うのは止めた。一括処理など意味はないからだ。分っているのだが溜まると大変なのである。次に「電子メール」をチェックする。
・ そうしていると、かねてアポの入っていた「中学PTA役員が2名」入って来られる。なんと、なんと「中学校の運動会に感動したから」、「感謝の気持ち」で私と主担のI先生にそれぞれ豪華なお花のプレゼントだ。
・ 全く予期しないことで驚いたが、本当に嬉しかった。役員のところには他の保護者からも「素晴らしい運動会」で感激、感動だと電話やメールがあるらしい。I先生を部屋に呼んでお礼と準備の裏話などする。本当に有難うございました。
・ 時刻は2時30分、大教室に2年生の「特文2クラス」が待っているのでそちらに急ぐ。この2クラスの生徒に「檄を飛ばす」。要は「しっかりと勉強しろ」と私の経験を踏まえて受験勉強と進路の目標について特別に話をしたのだ。誰に頼まれたのでもない。私の強い思いからである。
・ この「クラスは国公立大学の文系」を目指している生徒の集団であるが、学力の伸びが今一つだから「刺激」を与えたのだが、私が話し終わった後で大きな拍手が出るくらいだから、どこまで伝わったのやら。でもこの2クラスの生徒は可愛い感じだ。良い子ばかりという感じである。
・ 部屋に戻って事務処理を行う。この間断続的に情報のY先生と「11月1日の臨時保護者集会の資料をつくり」について調整をする。私がワードで作った資料をこの先生がパワーポイントに変換してくれている。この先生頭が良い。一言、言えば分ってくれる。
・ 「雅楽部」の顧問先生と外部講師の先生が部屋に入る、先の私学芸術文化祭での出張指導のお礼と今日は私に代わって顧問先生に夕食を付き合って慰労する日であった。場所はと聞くと近くの小料理屋の名前を言うので「もう少し良いところにすれば」と述べる。
・ そのうち15時50分となる。急いで大教室に行く。今日は2週間に一度の「職員会議」である。特段大きなテーマはないが、私からは「府内私学の20年度賞与一時金の支給状況」の資料を配って詳しく「流れ」を説明した。
・ その他「大阪府私学課の私学助成削減の考え方」についてこれもある程度詳細に教員に説明した。これらは重要で「他校のことを知るのは自分たちに位置が分るの」である。私は自分で編集した資料より「生の資料」を使って時々説明する。しかし他校の名前がもろに入っており、資料は回収する。
・ 職員会議は15時55分に始まって16時20分には終わる。それは昔みたいに資料を配って「だらだらと説明」する必要がないからである。各人の個人パソコンの掲示板にすべての資料が掲示されており各教職員は時間のあるときに目を通しているから職員会議でいちいち説明する必要などない。
・ だから極めて早い。事務長が「変形労働制での職員会議での勤務時間が6時30分なので来年は見直しが必要」というので「当然だ」と見直しに同意をしたが、早く職員会議が終われば時間休をとって、この日は「早く帰る日」としても良いと私は思うが、教職員の意見を聞いて決めれば良い。部屋に戻り、夕刊に目を通す。

2008年10月29日水曜日

10月29日(水)WBC日本代表監督

・ 「第二回ワールドベースボールクラッシック(WBC)」の日本代表監督に昨日巨人の原監督が決まった。原監督は「快諾した」と出ていた。迷走の上に急転直下という感じだ。その前日の会議では加藤というコミッショナーが原という言葉を口に出した瞬間決まり、別の場所にいた巨人の滝鼻オーナーは早々と「受諾の意向」を表明し、原も「親会社の指示に従う」とコメントを出し、そして昨日の快諾だ。野村監督ではないが、完全な「出来レース」である。
・ しかし私は今回の迷走劇で本当に様々なことを考えるのだ。まず「星野騒動」からこの茶番劇は始まった。まず「星野監督は世の中を読み違える」。全ての出発点はここからであった。星野さんにもまだ手はあったのに彼は完全に世論を読み間違えた。
・ まず「潔くなかった」。「北京の失敗を総括し国民に説明」すれば良かった。それも早い段階で「説明責任」を果たしていればこのような事態にはならなかった。それを「閉じこもり状態」であれこれ世論に「家族のことまで出して恨みがましい」ことを言うものだから事態はますますこじれて行ったのである。
・ しかしコミッショナー事務局もこれまた「世の中が見えなくなっている集団」で、まだ星野監督にこの段階でも固執していた。なんとダイエーの監督を辞任した王監督をコミッショナー顧問に招聘し、「王さんの名を使って星野を再登場」させるのである。
・ しかしここで「イチロー」が登場する。「北京のリベンジなどの気持ちでやるなら間違っている、本気で最強のチームを作ろうとは思えない」との苦言のコメントが出て一挙に流れが変わった。そして加速する。
・ 「星野さんは自らのホームページで固辞」を表明し、コミッショナーの要請にも正式に断らざるを得なかったのである。まさか「海の向こうから矢のようなイチローの牽制球」が飛んでくるとは星野さんも思わなかっただろう。
・ そして1昨日の2回目の会議となった。メンバーはコミッショナー、王、野村、星野、高田他のメンバーが集まり「現役監督で良い」と話が出ると、即座にコミッショナーから原監督の名前が出る。それで「決まり」だ。わずか1時間で話は終わったという。
・ その時点でもまだ王監督は星野監督にこだわっていたみたいだが、その他「日本一の監督」にとかの議論を吹っ飛ばして原監督に決まった。時間的にもこれが限界だったらしい。私は原監督に一物あるわけではない。13ゲームをひっくり返してセリーグのチャンピオンだ。又一度は日本一を成し遂げている。問題はない。
・ 会議の途中で王さんは野村監督に「どうだ?」と一応は聞いたらしいが、野村さんは「わしは良いよ」と答えたとある。王さんも本気で言ったわけではないし、誰も野村さんに任せようと言う人間などいないのだ。王さんの言葉は「社交辞令」だったわけだ。
・ しかし私は野村監督は「やる気満々」であったと思う。しかし残念ながら誰も彼を押す人など居ない。個人的には野村監督でも面白かったと思うが「野村嫌い」がそうさせなかったのだと思う。
・ 当初読売の渡邉会長は「星野しかいないじゃないか」と応援していたが世論がそうはさせなかった。やむなく「ワンちゃん」とか言ったりしていたが、結局王さんも身体が不調とすれば仕方なく、現役監督から出すとすれば誰が考えても野村監督しかいないのにそうはさせなかったのである。
・ ヤクルトの古田も実績はない、西部の渡邉は固辞をする。現役で日本一になった監督でフィルターをかければ原と野村だ。加藤コミッショナーは巨人と示し合わせて「原を打ち出し」1時間後にはジャイアンツが「原をOK」と、大体これを出来レースと言わずしてどうする。
・ 王も原も巨人閥だ。長島、王、原と野球界は巨人でなければならないのである。野村監督や落合監督などは大嫌いなのだ。清原だって使い捨てだった。しかし本当にこれで良いのか。今回の一連の経緯から私は次のように総括する。野球の世界も「血筋」が物を言う。月見草の野村には本流の椅子は回ってこないということ。雑草や亜流の者には日の当たる場所は回ってこない。
・ やはりプロ野球は巨人を軸にすべてが回っており、他の球団には影響力はないということ。阪神と言えども田舎球団にすぎないということ。すべては東京で決まると言うこと。今読売の渡邉会長は「イチローを何時かは巨人の監督」と思い描いている筈だ。絶対そうなる。これが戦略だから。
・ 星野さんは完全に野球界における影響力を失い、「勝負師として潔さのない人間」には何時かはしっぺ返しが来るということを示した。その点岡田監督は絶対に次のチャンスがくる。「見事な退陣」だった。
・ 日本プロ野球界は今回の事件で「古い体質を露呈」し、それにどうしようもなく人材が枯渇しているということを世に示した。相変わらず日本人監督にこだわり、サッカーみたいに外国人監督の発想がまったくないこと。例えばバレンタイン監督とかの「柔軟な発想」がないということだ。
・ 又メジャーで活躍しているイチローや松阪などは全く対岸の火事として「様子を批判的」に見ており、日本の野球の選手ではない。日本で生まれたアメリカの野球の選手だ。最早日本での監督など彼らには意味がないように発言している。「ワールドスタンダードの発想」だ。
・ とにかく私は今回の一連の事件で「もはや日本のプロ野球はガタガタ」になったと感じる。今後は高校生や大学生も日本でのドラフトを蹴って「最初からアメリカ」に出て行くことが加速されると思う。もうこの流れは止められない。「空洞化」だ。
・ 栄耀栄華を誇っているイチローや松阪も何時かは「捨てられる」。しかしそれにしても「イチローの存在感」は凄い。一言で日本の監督人事を左右し、一挙に野村、落合さんなどを旧世代にした。原の世代の時代を作り、「その次の次くらいは自分」だと思っているに違いない。
・ 私は今浪速を世代代わりすべく動いてほぼ80%成し遂げた。ここ2ないし3年で完全に入れ替わるだろう。「若い世代に橋渡しするのが私の仕事」だ。本校には派閥、学閥などまったくないから「誰でも監督になれる」チャンスがある。若者よ、頑張れ!

2008年10月28日火曜日

10月28日(火)第一回中学校運動会

・ 遂に「第一回浪速中学校運動会」だ。しつこい位運動会という言葉を使うが正式には「体育大会」である。私は運動会の方が好きだ。素晴らしいプログラムと競技要領が色刷りで出来上がっている。正門には大きな看板が立ち、万国旗がはためく。ムードはいやがおうにも盛り上がる。
・ 主担は体育科のI教諭で保健体育部長だ。見事な「実行力」を見せ付けてくれた。「大変良くやってくれた」。高く評価したい。若くして重要分掌の部長に抜擢したが期待に応えて元々有していた能力を磨き、発揮してくれたことが嬉しい。
・ 正直色々いう人もいたが私は前から考えていた。人生には様々なことがあり、人間は弱いものだ。時には「ぐらつく」こともあるが、人間の真価は「苦しい時」と「抜擢された」時にどう力を発揮するかだ。抜擢しても無茶苦茶の人も時にはいる。
・ 勿論多くの人たちが彼の行動を支持し、支援したから力を発揮できたのだが、もともと潜在能力があったことも事実だろう。それを分からず一部の古参教員が「早めに烙印を押し、貶める」ようなことがあったら、それを私は許さないと言っているのだ。
・ 「それ見てみろ」と言いたい。人間は機会を得たら頑張る者だ。もっとも多くの人間は「彼は完全に変わりましたね」と言うのも事実で、色々あったのだろうがこの4月以降の働きは素晴らしい。
・ しかしまあ今回の体育大会で彼は言う。「お金も使わさせて貰いました」と。「それで良い」と思っている。お金は生きたもので使い方が難しい。「生き金を使え」とは私が先輩から教わった言葉だ。 彼は生き金を使った。
・ 彼の今回のアイデアでヒット作は得点ボードだ。なんとガソリンスタンドにある「ガソリン価格を表示するボード」を実際スタンドに行って観察しそれと同じものを作ってきたと言う。マジックテープで点数が「ほら、あのデジタル数値」みたいにテープを色々と張り替えることで0から9までの数値が出来ると言うものだ。
・ 「上手い。」これなど「思い入れ」がないと思いつく発想ではないし、行動力に結びつかない。ここでも彼の特徴が現れている。大体教員は「頑固者」が多いので一旦へそを曲げるとやっかいな代物だが「その気になると大きな力を発揮」する。今回はその典型的な例だ。
・ 学年縦割りの3つのチームで太陽、海、大地と名付けられそれぞれがカラーのTシャツで赤色、青色、緑色だ。裏には「我ら浪速」と染め抜かれている。これも学校が費用を出した。
・ ただ今日は肌寒くて半袖では「ウーン」という感じだ。同時並行で長居陸上競技場では高校生が「陸上競技大会」をしている。そちらにも行きたいが今日は私は中学校でそちらは筆頭副校長先生にお任せだ。しかし昼食のお弁当は届けさせた。
・ 保護者席は350人分を椅子席で用意し、それ以外にもビニールシートを広げていた。至れり尽くせりだ。第一回にしては配慮が出来ている。昼食用にカフェテラスなどを開放した。ここには大型テレビもある。
・ プログラムには教員、保護者参加競技もあり面白い。圧巻は女子と男子のそれぞれの団体演技だった。「集団演技」というが女子はダンスで男子は「空手形」だ。本校は空手の日本チャンピオンだ。卓越した指導者もおり、彼が指導したものだ。
・ しかし、それにしても男子の空手には「感動」した。涙が滲むような立派な出来だった。相当な練習量だったと思う。担当してくれた体育科のI教諭の指導の結果だが生徒諸君が呼吸をそろえて「一つになっていた」のは良い指導と学校全体が良い状態である事の証明だ。有り難う、I先生、ここまで良くもて来て呉れた。「来年も宜しく頼む」。
・ 以上で午前の部は終了、時刻は11時10分であった。早いペースであったがこれで良いと思った。早め早めで良いのではないか。又本日は平日であったが多くの保護者もスケジュールを調整して来校されたもので、申し訳なかったが、週末にすると代休日を設定する必要があり、今日の感じでは平日開催は悪くはないと感じた。
・ 教職員の弁当は中々良い味であったが、値段は1200円と言う。何時もは850円くらいと言うから相当な奮発だと思うが今日は特別だ。最初は「ほっかほっか弁」という話もあったがそれは良くない。若い先生には少し量が少なかったかもしれない。来年はもう一工夫要るだろう。
・ 途中で生徒のお昼の弁当を見に行く。数人の生徒に「何時もと同じおかず?」と聞くと答えは様々であった。「一緒」「ウーン、少し良かったかな」「良かった」と3パターンだ。昔は親が豪華なお弁当を持参してそれを一緒に食べるというイメージがあるのだが時代は変わった。生徒は教室で何時もと同じで保護者は別行動だ。
・ 「女子のダンス」は私の強い希望だった。最適の女性常勤講師の先生がこれまた「気風の良い」先生で彼女が頑張ってくれたらしい。「出来は今日が一番良かった」とのこと。男子校の本校がようやく共学に移行し2年目だ。女生徒が徐々に増えたといってもまだ少ない。3年生は男子のみの最後に学年である。私は「女生徒が学校を動かす」と信じている。」今後とも女生徒を大切にしないといけない。
・ グラウンドにこだまする音楽も知らなかったが「運動会用のCD」というのがあるらしい。それを流しておれば事は足りると言うのだ。便利な世の中になったものだ。PTA会長も早くから来てくれていた。
・ PTA会長と私は同じ体型で「メタボ」であるが幾分まだ私のほうがスマートと思っているが秘書のIさん曰く、私のTシャツ姿を見て「先生はラフなスタイルは似合いませんね」と朝早くから言われてしまった。確かにどうもこのTシャツしっくり来ないのだ。
・ スエーデンリレーでは急遽教員チームを編成し、出場して貰ったが大変な盛り上がりであった。このような趣向もプログラムに書く必要はないがあったほうが「」があって良い。しかしなんと言っても盛り上がりは綱引きで生徒の競技も保護者と教員との番外対抗戦も面白かった。
・ とにかくプログラムについて何も言うことが無いほど上手くできていた。これには感心した。今思いつくことがないのだ。最後に特に強調して言いたい。教員が「まあよくぞ仕事をしてくれた。良い仕事をしてくれた。しっかりと働いてくれた。」これだけは間違いない。心から感謝致したい。
・ 遅れて5時前高校の主担のY教諭から陸上競技大会も「無事終わった。」との連絡が入る。今回から彼がこの大会を取り仕切ったのだ。「声に安堵と喜び」が出ていた。私は心配していなかった。
・ 彼は「人物」である。本校の誇る人材の一人だ。「人間としての品格」がある。彼には皆が協力することは間違いない。彼が生徒指導部長の時よりは人間が一回り大きくなったのだと思う。高校担当の先生方も良い仕事をしてくれたのだと思う。しかし生徒数が増えて些か時間が長い。来年はこれまた一工夫必要だろう。
・ 今日は私にとっても記念となる本当に嬉しい一日であった。特に中学の保護者の方々は大変喜んで頂いた。この勢いで「11月1日の臨時保護者集会」で「授業料の値上げ」をお願いしよう。

2008年10月27日月曜日

10月27日(月)橋下知事教育討論会

・ 橋下知事と公募で集まった府民らが「教育問題」で意見を戦わす討論会が昨日、府立大なかもずキャンパスであった。約700人が参加しこのうち事前抽籤で決まった代表者15人が教育施策について意見や質問を投げかけ、進行したと言うが会場は「終始騒然」とした雰囲気で産経の見出しは「騒然教育バトル」「橋下知事府民と対話」「持論エスカレート」「子にみせられぬ」とある。
・ 面白いのは朝日新聞で「橋下知事討論会で発言」「体罰しょうがない」と書き、写真も知事が片手を挙げまさに吼えているような感じのものを使っている。これに対して産経は会場全体の討論会を想定させる写真だ。これだけ大手新聞でも記事の扱いや打ち出しが違う。
・ 産経は4段抜きで行数も40行、これに対して朝日は2段で20行の扱いである。しかし朝日の扱いは少しおかしいのではないか。教育討論会なのだからそこを主体に記事を構成すべきであると思うが、これでは教育問題を「体罰発言」にすり替えようと誤解されかねない。何か意図があるように思えてならない。先の知事と朝日のバトルを思い出させる。
・ さて橋下知事は少し「エスカレート」したかもしれないが日教組の組合員という女性は、先の「中山成彬前国土交通大臣の日教組批判の発言」を引き合いに出し知事を追及したらしいが、知事の返答「どんな理由があろうと大阪の学力が低い現実から逃げてはならない」と言ったとたんに会場は騒がしくなったという。知事の発言は当たり前だ。どこがおかしいのか。
・ 続けて知事は「私には子どもたちの学力を上げる責任がある。そのために知事に立候補し当選させて貰った」と述べたらヤジが飛び、たまりかねた知事が「まず人の話を聞きなさい。大人なんだから」とたしなめても騒然とするばかりだったらしい。これではまるで子ども以下だ。
・ 知事は続けて「こういう先生に子どもたちを任せてはおけない。中山発言こそ正しいじゃないですか」と述べると会場は知事の発言を支持する参加者から大きな拍手が沸いたという。それくらい一部の教員のマナーのない態度はひどいものであったらしい。
・ その後も組合教員は「まず教員の数を増やせ」「予算を減らすな」とすぐ出来もしないことを述べると知事も頭に来たのか「学校の先生は学力低迷の責任を取らなくとも一生公務員としてぬくぬくやっていける」と徐々にエスカレートする。
・ 更に知事は「トップの方針に学校の先生が従わない。どこの会社に社長の方針に従わない部下がいますか。そんな部下はすぐクビになる。」と述べ、そして「9割の先生は一生懸命やっている。地域や家庭の皆さん、1割のどうしようもない先生を排除してください」と述べたという。良くぞ言ってくれた。
・ 参加していた保護者には「発言中のヤジなど人間としての基本の基本が出来ていない」「冷静に話し合えない姿を子どもに見せられない」と組合教員の姿に怒り嘆き、「学力テストの公表はしなければならない」と知事を支援する声が圧倒的であったらしい。
・ この日の討論会は最初から会場で知事批判のビラを配布した教員らの団体「橋下行政改革にノーの会」の女性教員など対決姿勢が最初からあったみたいだ。誰が自分の給料支払い者に対してビラなど配って公に批判するかって。こういう理屈も分からない連中なのである。辞めてからビラを配れって言いたい。甘えが過ぎる。
・ まあ大体想定したとおりの展開で知事の気持ちは良く分かるが、彼らと議論しても「無駄」だということを分からねばならない。大体このような公募で選んだ不特定の人間と議論が出来ますか。この人たちは特定イデオロギーを有する政党の影響を大きく受けている集団です。拠って立つところが「月とすっぽんくらい違う」のだから議論ができる筈がない。
・ 彼らはこういう時に大量葉書作戦みたいなことをして参加者を占め、意見者を自らの勢力から出そうと企みます。わざわざ「その手に乗って」どうするのですか。そして必ずといって良いほど「会場を混乱に陥れます」。実はそのことが狙いで「貴方のせいで混乱し議論が破壊された」という魂胆なのですよ。
・ とにかくかれらはマッチポンプで「混乱、混乱」と騒ぎ立てます。「学校の混乱」を忌み嫌うのが教育委員会だから「まあ、まあ」と校長などの管理職を責めるから管理職は「やってられない」となるのが常です。
・ しかし「橋下さんは違います」。自らが「混乱大好き人間」みたいですから組合教員の混乱企画など「屁とも思っていません」。組合も少し賢くなって「やり方を変えた方が良いと思いますよ。」頭の切れる論理派の組合員で見るからにインテリジェンスな教員を出して「静かに深く教育問題」を語りかけるのです。
・ 私が組合長だったらそうする。それをヤジを飛ばしたりビラを配ったり、金きり声を上げたりばかりでは府民の信頼をなくします。それに私が組合員だったら「確かに我々は給与を含め処遇には恵まれてきた。」「非常事態の今、給与削減には異論はない。更に下げられても文句は言うまい。しかしだ・・・・」と話を展開していくのだ。それが討論会だ。
・ 同時進行で東京においては「教育の正常化を目指す全国教育問題協議会の教育研究大会」が自民党本部で開かれ「日教組批判が続々」とある。教育基本法審議において日々国会の周りで日教組や共産党系の「組合員の方が子どもの授業をホッポリ出して座り込んでいた」「道徳教育に反対」「大分県の教員採用汚職には教祖役員からの働きかけがあった」などこちらは組合教員批判でこちらも騒然としたらしい。
・ しかし世界中どこを見渡しても日本ほど「教職員団体がこれほど騒がれる国」はあるまい。私は「日本の子どもの不幸を歎く」。最近のブログにも書いたが「職員団体は戦後の運動を総括」しなければならない。
・ 本校にも組合教員は少なくはないが、もし手向かってきたら私は「堂々と受けて立つ覚悟」は着任時から出来ている。だから私の発言録は「職員会議録」「外部非公表の校長メッセージ」「公式ホームページ上の木村智彦の言葉」など常在戦場の積りで日々準備している。私の理論武装だ。
・ 本校教職員は公務員ではない。民間企業だ。唯一代表権を持つ社長会長は私である。「学校に混乱をもたらす連中を解雇するのに臆することはない」。何時でもトリガー引き金は引く。
・ 知事は大阪の公立学校の生徒に対して責任を有するが、私は浪速の生徒に対して責任がある。学力他全ての教育の責任がある。そのために「府民は橋下さんを選択し、株主である大阪府神社庁は私を招聘」したのだ。浪速の教職員にファン投票で呼ばれて来た訳ではない。内は民間企業だ。

2008年10月26日日曜日

10月26日(日)名無しの権兵衛さんへ

・ 幾分しつこいなという感じです。しかし良く考えましたが、いきさつもあり、今回を最後にこのブログを使って「匿名のお方にご返事」をすることにしました。しかし今回が最後です。話は10月1日に遡ります。この日のブログに私は以下のように書きました。少し長くなりますが、関係する一部分を以下に抜粋します。
・ 10月1日ブログより
保護者からも厳しいお手紙やファックスを頂く。この前も以下のようなものが来た。
“9月20日(土)その1:体罰考「体罰は教育の敗北」を読んで
 学校管理者がやるべきことは「事実を可及的速やかに調査し、当該教員の処分を行い、体罰を受けた生徒への謝罪である。」これが最も大切である。
ではなくて
本来学校管理者がやるべきことは「授業妨害する生徒によって真面目に学校で勉学に励む権利を奪われた生徒とその保護者への謝罪」ではないですか。“
おっしゃる通りで「返すお言葉」もない。ただいい訳にはならないが「一つづつ進めている」ことも事実で、近いうちに「授業評価」を大々的に行う予定であることは半年前に決めていたし来年1月24日には本校初めての保護者の「授業参観」を決めている。
何でもかんでも「初めて」だから「準備などに大変」なのであって、意識が無いわけではないのだが、保護者には上手く伝わっていないところがある。しかし保護者のご指摘には謙虚に耳を傾ける度量は本校は有していると思うし、間違いなく昨年対比で授業態度は良くなっていると確信している。
そういうわけで今日の一斉参拝の校長の話は「授業第一」「授業妨害者の排除」「授業中身のレベルアップ」と矢継ぎ早に対応策を決めたことを校内放送で一斉に全校生徒に伝えた。教職員には昨日のうちに校内メールで配信し体制を強化したのである。
・ その文面は:
 “前略 本件重要に付き、徹底して進めて頂きたい。「元来静粛であるべき授業中に私語をしたりざわついたりする生徒への対応について、10月以降少し厳しく対応していくように生徒指導のレベルを上げるよう」にお願いします。「授業を大切にする」ことを具体的に展開する為です。11月には「臨時保護者集会」を開催し、在校生の保護者に「授業料の値上げ」をお願いする予定でいます。「授業料はその授業の中身に対しての対価であり、」これが正当に評価されないようでは理解を得るのは難しいと考えています。一時期に比べれば相当改善されていると思っていますが、それでもまだ問題ある教室や担当教師の授業があると思っています。本件は「学年主任と生指とのタイアップで進めるように」お願いします。指導してもダメなら授業を受けさせないことも視野に入れて厳しい対応を取って欲しい。・まず業間遅刻は制限をつけ、25分とか欠課となる場合は教室に入れないこと。・午前午後でざわめきが違ってくると思うが、特定の生徒に限られている筈で個別指導を徹底のこと。・その他 新しい視点で「授業の中身を濃くするよう」お願い致したい。”    (学)大阪国学院 理事長    浪速中学校・高等学校長         木村 智彦
・ 以上のように匿名のファックスの方に一応はお答えした積りであったが、これには不満足と見えて「又学校にファックス」が入ってきたのである。その文面は:
“週に一度まとめてブログを拝謁しております。先日に下記の件で疑問を投げかけたにも関わらずブログに返答がありません。「保護者のご指摘に謙虚に耳を傾ける度量を有していると思うし、」ということに反するのではありませんか。

  要は「懲戒規定」を抑止力として使えるというのだ。ある面において的を得ている。高校にでもなれば「自己責任くらいの概念として持っており、「単位が取れねば落第」「規則を破れば懲戒」になることは高校生は知っている。
と書いた私の文章に対して
  「この学校は勉強しなくとも単位をくれるから勉強しなくてもいい。」と暴言を吐く生徒がいると聞きましたが、これは「単位が取れねば落第」という抑止力になっているのでしょうか?“と一昨日の23日早朝にファックスが又入ってきたのだ。
・ 前回と同じくブログに書いて「返事をせよ」と言われているのだが「困った、困った」。無視するのも一つの考えであるが行きがかり上最後のご返事を以下にしますので、仮に“名無しの権兵衛さん”として、どうかご理解ください。
・ ご指摘のような事案を探しましたがその「事実を把握出来ませんでした」。本校は「学習指導要領、本校の学則、進級内規」にのっとって適切に単位を付与しており、単位が取れねば「原級留置(落第のこと)」となるのは当然です。
・ ご指摘のようなことを貴方様は“聞きましたが”と表現されていますが、「誰から何時どのようなケースでお聞きになったのか」、具体的に示して貰わないと当方は対応の仕方がありません。
・ 1700名を超える様々な生徒がおり、学力も個性もそれぞれ異なり、私は居ないと信じていますが貴方様がご指摘するような“勉強しなくとも単位をくれるに近いことを言った生徒が仮に存在していたと致しましょう。「しかしそれの何処が問題ですか。」
・ 中にはテレ隠しで言う生徒もいれば、突っ張ってあらぬことを言う生徒も要るかも知れません。大切なことは「学校がしっかりとした方針を持って適切に対応しておれば全く問題ない」ことで、いちいち生徒が「言った、言わない」で学校の姿勢を問われるのは心外の部分があります。
・ もうぼつぼつ「正体を明らかにして名乗って堂々と議論」致しませんか。当方はNTTにも連絡して発信先を今調査していますが度重なる匿名のご批判は受け入れようにも「具体的に事案が確定出来ない」ので当方の対応にも限界があります。どうかご理解ください。
・ 平成19年10月23日丁度1年前のブログ「匿名の電話と手紙」を是非お読みください。私の気持ちを述べています。「匿名への対応には限界」のあることをご理解ください。この問題はこれにてブログに言及するのは止めます。他に発信しなければならないことがまだ多くあるのです。ご理解ください、“名無しの権兵衛さん”。

10月25日(土)第1回高校入試説明会

・ 来週「28日の高校の陸上競技大会と中学校の運動会」には「お弁当」を教職員に出すよう事務に指示した。「弁当屋も変える様」に指示したのだが果たして。いつも何時も同じところでは面白くない。とにかく学校と言うところは一旦決めたら変えようとしない。弁当屋も例祭の時にはこの弁当屋さん、運動会にはここと変えるべきだ。何時も同じだと同じ味だしそれでは変化がない。
・ 理事長・校長が「何でも変化を求めている」のは分かっている筈だから、指示を受けた事務室はその意向を反映して新たな弁当屋を探さねばならない。元々は考えていなかったが記念すべき「第一回中学校の運動会」を祝して判断したものだ。それに最近教職員は頑張ってくれている。こういう時に「ささやかな気持ちを示すことは私の本意」だ。
・ 今日は「第一回高校入試説明会」である。実は昨夕も気になって体育館に準備状況を見に行ったのだが職員は悪戦苦闘していた。何かと言うと購入した「180インチの大型スクリーン」の設置状況である。
・ しかし「大きい」。これだと映す映像にも迫力があるし体育館の後部でも映像は十分見える。何しろお金のない中でも100万円以上も出して今日の日のために準備したものだ。ところが問題があるという。
・ DVDの映像がスムースに映らず停止したり飛んだり、確かにこれでは意味はない。担当者と納入業者に厳しく申し渡した。明日までに「万全にせよ」と。そして今朝一番、「OKです」と来た。「良かった」。パソコンの送り出し能力か何か知らないが問題を突き止めてパソコンをとっかえひっかえしてようやく直ったのだという。
・ 今年は「学ナビ」と「得ナビ」とう二つのビデオが手に入り、いずれもその出来が大変に良く、保護者が来られて開式までの時間に繰り返し映像を流すようにしたのである。言ってみれば映画の本編が始まる前の「コマーシャルフィルム」を流すと言うところである。
・ 昨年の第一回目には保護者同伴で参加者が600人弱であったが果たして本年はどうなのであろうか心配であったが昨年とほぼ同じレベルだった。一安心である。第一回目に参加する生徒はどのような子どもたちであろうか。本校は11月、12月と3回実施市、やはり「12月が本番に近い感じ」となる。
・ 基本的に「教職員総出での対応」となる。電車の駅3箇所には「立ち番」がおり「道案内」を置いたりする「心配り」が結構人気の的になったりする。「私学」とはそういうところだ。公立の教員には出来ない相談だろう。
・ 嬉しいのは「ブラスバンド部」だ。正門から入ってくる中学生とその保護者を演奏で迎えてくれている。2年間に渡って数百万の楽器を購入して支援したことを生徒は知っているからこういう時に私が言わなくともちゃんと自主的にしてくれる。その横では狭い場所を使って部活の練習だ。本当に良い学校になった。
・ 私学においては「生徒数」は命運を決める数値である。朝会でもなんと「第1次教員採用」に応募してきた先生方の数が昨年の109名に対して200名を超えたと言う。担当の副校長は驚いている。
・ これから先第2次、第3次と総数は500名を超えるのではないか。昨年が300名だった。一体どういう現象なのだろうか。昨日ほぼ全国の公立教員の採用試験の発表があった。「浪速の勢い」を示す数値であろうか。
・ 大阪府、大阪市もそうであったが応募者、合格者が減少しており、橋下改革による給与削減の影響とか新聞にはあったが、それだけではあるまい。今「私学が面白い」のだ。本校の応募にも近隣の兵庫県からと言う人もいるとのこと。生徒数は4クラスという私学もあるらしい。厳しい世の中になってきた。私学は優勝劣敗だ。
・ 私は副校長に言うのだ。「良い教師は財産」。目を見開いてしっかりと「探して欲しい」と。そして今いらっしゃっている常勤講師の先生方も「本校のカラーに合致しない先生方を引き伸ばしては失礼に当たる。」そういう先生方には「勤務先選択権」があり当方にも「採用選択権」がある。粛々と進めるように指示したのだ。
・ さて入試説明会などの式典では通常、トップの挨拶は冒頭に行うものだが本校では私の強い意向で私が「トリ」即ち最後を締める。先に担当者が具体論を説明して最後に校長が「教育方針」などを強調する方式にしている。要は全ての式がこのような「演出」というか舞台設計されておりここが重要だと教職員には常日頃言っているのだ。
・ 私がお話した点は三つ、まず「全国学力調査結果、関西大学との連携、そして授業料の値上げ」のお願いだ。しかし与えられた時間は10分強だから要領よくテンポ良くしなければならない。それで今日は「パワーポイント」を使った。結果、私の思いは十分にお伝えできたと思う。
・ 本日は中間試験の最終日、終わって喜ぶ生徒の歓声は大きく、説明会の始まる2時までの間、月刊誌「Will」を目にする。「放言大臣大いに吼える やっぱり日教組をぶっ壊せ」の見出しがある。
・ ご存知、先の国土交通大臣中山成彬氏の投稿だ。呼んでみたが論考が荒い。だからあのようなことになる。もう少し冷徹にデータを駆使して主張できたろうに残念である。文部科学大臣もされているのだからもっともっと論理的で実際的な日教組批判が可能であったろうに。
・ すべて終わり16時過ぎには学校を後にして堺市の大仙公園の日本庭園というところに急ぐ。今日はここで「表千家の催し物」があるという。今「千利休の堺で茶道」を本格的に勉強してみたいという気持ちが強い。何かのご縁を探してとにかく堺をうろついているのだ。
・ その後今日は夕刻から堺東でPTA役員との会合がある。先の浪速祭の役員の方々の「打上げ会」に招待されたもので、お断りするのも如何かと考え、管理職とPTA担当教諭が参加するものだ。
・ 大いに盛り上がる。何時もはホテルとか豪勢な場所だが今日は「和創旬采カラカラ」という一風変わった名前のところだった。たまにはこういうところも良い。PTA役員会の時は何時も和服で行くことと決めており今日も和服だ。「大島のアンサンブル」とした。歌った歌は「大阪情話」と「風雪流れ旅」、気持ちよく歌うことが出来たが果たして皆さんには。

2008年10月24日金曜日

10月24日(金)中学校の遠足

・ 生憎の雨の中の「遠足」であると思ったが運よく出発時点では上がってくれた。我々の世代には遠足というのが分かり易いが今は「校外学習」という。同じように「運動会」とはあまり言わない。「体育祭」だ。時々テレビで評論家やコメンテーターと称する人々が「父兄、父兄」というがこれなどは最近の学校内部のことが分かっていない人たちだ。「保護者」と言わねばならない。
・ その理由はお分かりだろうが「父兄」だけではなくて「夫弟」「母兄」も「母妹」もあるだろう。「人権意識」からこのように「現場の言葉は進化」していく。もっと「手短かに喋れ」も良くない。手短かいう言葉が良くないのだ。
・ ジェンダーフリーと言う人々が「男らしさ」「女らしさ」という表現にも口を挟み始め今や学校現場では「禁句」になってきている。かように学校現場は私など「言葉使いの荒い人間」には神経を使う。
・ しかしそれは「揚げ足取り」に繋がりやすい。大切なことは根本的な人間性であって言葉使いにそう目くじらをたてる必要はないというと「人権感覚が薄い」とくるのがその筋の人々の常套言葉であり、手段であるから、波風を立てるのもと考え、今はちゃんとした人権言葉を使っている。
・ さて遠足であるが場所は市立の信太山野外活動センターというところだ。昨年までは貝塚の方だったが、他校とかち合って仕方なくこちらになったという。向こうのほうが大きいらしい。
・ 本校は面白いやり方で「学年縦割りの班編成」としており、全中学生が参加だから結構な人数になる。今の3年生は最後の男子中学のクラスで1クラスだから人数も少ないし、女生徒もいないから幾分華やかさに欠けるがその分団結は強くまとまっている。私はこの5月には修学旅行で屋久島にも同行したので、その分この学年への思いは深い。
・ 9時前に学校前をバスで出発。9時40分には到着した。大きく4つの屋根つきのバンガローというのか調理場、炊事場、かまどが設えられているものでそれように設計されている便利なものである。
・ これとは別に食事をする場所もあり吾妻や風の屋根だけの下で皆と並んで食べるものでこの二つの建物がセットで4つあり結構広い。同じようなものが隣にもあり少し離れているが今日はそこには府内の養護学校の生徒さんが来ていた。
・ 料理はこのようなときの定番メニュー「カレーライス」である。薪で火を起こし、飯盒でご飯を炊くのだがご飯は電気炊飯器で作るものと思い込んでいる生徒には十分に良い体験になる。
・ しかし面白いもので食材はすべて何処かの会社が用意して班単位にビニール袋にいれて持ってきてくれるのだ。生徒はニンジンとジャガイモの皮をむき、たまねぎを切り刻んで鍋にいれる。ちゃんとお肉も野菜もルーも見事に小分けして用意されている。
・ 白米も人数分袋に入っておりそれを洗って飯盒に入れる。問題はかまどの火の付け方であるが縦割りにしているから3年生が経験もあり「仕切る場面」が見られる。見ていても良い感じだ。
・ どうもこういうときは男子生徒が良く働く。女生徒は勿論良くやるのだが何か包丁や皮剥きピーラーの使い方が今ひとつである。まあしかしそれは家庭での教育の経験の差があるのかも知れない。
・ 11時過ぎには火が入り、12時には出来上がった。水を入れすぎて、しゃばしゃばな味噌汁みたいなカレーとか様々であったが4班とも生徒は「おいしい、おいしい」と言ってふうふう食べていた。
・ 面白かったのはある男子生徒がトイレの近くでもじもじしており、私を遠くで見つけ、走り来て「校長先生、おしっこどこでするの?」と聞くのだ。「エーなんだって!」と現場におもむくと、ほら昔風のコンクリートで出来た溝があるだけの細長い小便用が初めてらしく、どこにして良いのか分からなかったらしい。「可愛い」もんだ。
・ 食べるのも早い。12時30分には大体食べ終え、片付けに入る前に「記念写真」となった。私は前列中央で「ピース」サインで納まる。学校は明日の「第一回高校入試説明会」の準備やら何やらで気になることもあり、車を呼んで学校に向かう。
・ タクシーは右に自衛隊信太山駐屯地を見ながら左に和泉霊園というのがあった。突き当たりは鶴田池西の交差点であるが良く見ると右の土地は昨年売却した「和泉の土地」ではないか。
・ 「懐かしい」気がした。土地はまだ売却した当時の様相であった。長年保持してきた1000坪の土地を私は「着任半年で売却し財務体質を強化」したのだがまだ印象は強いだけに「複雑な思い」がした。売却金は定期預金に入れている。
・ 車は鳳に抜け堺市外、そして大和川を渡る。1時30分には学校に到着。近い。生徒たちの到着は4時過ぎになるのか。いずれにしても初めての遠足付き添いであったが勉強になった。
・ 来年は一クラスが卒業して3クラスが最低でも入ってくるから「300人近い大部隊」になる。今から来年の場所ややり方を工夫しておかねばならない。しかし嬉しい悲鳴であり6年間高い授業料を払ってくれる中学生は本当に有り難いし、それだけに「徹底的に面倒をみなければならない。」
・ 私は中学生が可愛い。さて来週の28日は本校は始まって以来の「中学校の運動会」で参加してくれる保護者の数が350人を超えるといって担当の先生は走り回っている。「浪速中学が元気」になってきた。嬉しい限りだ。
・ しかしそれにしても「中学の先生も挨拶が出来ない先生」がいる。滅多に顔を合わすことのない理事長・校長が中学校の行事に参加しているのだ。顔を合わした時に「挨拶」は絶対だろう。それが「職業を持つ大人の常識」と言うものだ。
・ この辺はさすがに「年の功」で、英語のN教諭などは走り寄って言葉はなしでニコッと挨拶だ。S教諭、K教諭、S教諭などはさすがベテランだから立派だが、酷いのもいる。私はしっかりと診ている。
・ 暇があって行っているのではない。行く理由は「生徒の様子と教師の様子」を観に言っているのだ。学校などとは違う「本当の姿」がこういう「非定常な場所と業務」で現れるものだ。挨拶の出来ない教師など評価はしないし専任採用などあり得ない。「教師は立派な社会人でなければならない。」「社会勤労者の常識を持たないとやってはいけない。」「常識とはちゃんとした挨拶が出来ることだ。」
・ 特に「一昨年昨年今年と採用した若い専任が碌な挨拶が出来ない」ことに危機感を有している。「勤務管理が労働基準法準準拠に移行したということは完全な組織人としての常識を求める」と言うことだ。
・ 「今までの単なる私立学校ではない」。ここは「民間の組織」であり、ある面「民間会社」である。「教育と言うサービスを提供する民間教育組織」である。「雇用者は誰か?誰から給与を戴いているのか?そういう人にどのように接すべきか」、これが分からない人の評価は当然低くなる。考え方を一新しないと本校では使い物にならない。

10月23日(木)都立三鷹高校校長事件

・ 毎日新聞は時々だが「良い記事」をまとめているという印象を持っている。もう10年くらいこの見方は変わっていない。特に教育関係では時々他紙が取り上げない光る記事に当たる。数日前の教育欄「教育の森」には大きな見出しで「言論の自由か経営適正化か」との見出しが躍っていた。
・ 予断だが橋下知事が「朝日新聞みたいに人の悪口ばかり書いていると碌な人間にはならないとかなんとか」批判したらしいが、これに対して朝日が反論していた記事があった。これには笑ってしまった。朝日に対して、まあ同じように感じる人間も居るのだなって。
・ 毎日の記事に話を戻そう。要は「東京都教育委員会が職員会議での挙手採決を禁じた」ことに都立三鷹高校の土肥という校長(59歳)が「撤回を求めて」いる問題である。本件はこのブログでもすでに触れている。もう何時のことか忘れてしまっているが、この騒動はまだ続いているらしい。それを毎日は紙面1ページを使って報道しているのだ。
・ 「現職校長による異例の言動に都教委は対応を決めあぐねている」らしい。しかしもうあと1年で定年だ。ばたばたせずにあと1年待てば「一巻の終わり」と思いそうなものだが、どうもそうではなさそうだ。新聞の記事もそのニュアンスを感じさせる。
・ 要は学校外部の人間を取り込んで「一大市民運動」にしつつあるような「動き」をしていることに都教委は困惑しているのである。この9月27日にこの校長は武蔵野市の公会堂に350人収容のホールに人を集め、「東京都の教育において言論の自由がどんどんなくなっていく恐怖を感じた。誰かがストップをかけなければ恐ろしい社会になっていくから立ち上がった」というのだ。
・ 「無茶苦茶な言い方」だ。この校長、次のようにも言っている。「全ての問題について校長の責任と権限はない。校長は都教委のロボット、コンビニの店長のようなもんだ。」と。コンビニの店長が怒るぞ!それに多くの校長を貶める発言だ!
・ そんなに言うのだったら「辞職しろ、辞職してから何でもやれ」と私はまず言いたい。現職の校長だし「学校があるだろう、生徒も教員も保護者もいるだろう」。「校長はまず24時間」常に学校のことを考えておく必要がある。そのような市民運動などする余裕があるということは「仕事をしていない証拠」だ。生徒や保護者にしてみれば「教育委員会と筋の通らない喧嘩している校長」など信頼はすまい。
・ この校長、8月には都教委に対して「公開討論」を申し入れたが都教委の答えは「組織内の職務は当事者間で対応すべき」と拒否した。『当たり前だ』。校長の任命権者は教育委員会であり、雇用者に当たる。雇用者が被雇用者から「公開討論」を要望されるなど前代未聞だ。聞いたことがない。少しおかしいのではないか。本校でもこれに似た事案があった。要は当事者を抜いた外部への情報公開だ。
・ 逆に都教委は業績評価制度に関する内部情報を報道各社に公表したことが「地方公務員法上の守秘義務違反の疑い」があるとして校長から事情聴取したらしい。その他色々とあるらしい。間違いなくこの校長は「処分」されると思う。しかしもう処分も覚悟で「行くところまでいく」と覚悟を決めたのかも知れない。本校でも守秘義務違反の疑いがないか今弁護士と相談している。
・ この校長後1年で定年退職しても「戦い続ける」のは間違いない。そのうちテレビになど出て「コメンテーター」でもやるのかもしれない。元文科省の高級官僚で「ゆとり教育」を推進した人など今やみのもんたの番組で「教育とは違う環境問題などにも口を出したり」して評論家気取りだ。「引っ込んでおれ」言いたい。この人のことを国賊ものという人もいる。
・ 職員会議での採決は私がこれまでしつこいくらいに言及してきたが間違いなく「学校を腐食させてきた諸悪の根源」である。教職員は基本的には悪くは無い。職員会議というプロセスで意思決定する「やり方が諸悪の根源」と言っているのだ。
・ 「最高議決機関」説がまかりとおって「日の丸君が代」で校長と職員が激しく対立する舞台にもなり校長の自殺事件などから2000年に省令を改正し「職員会議は校長の職務を円滑化するための「補助機関」と位置づけた。これが「全て」である。
・ 職員会議において多数決で学校を運営するのは「校長の職責放棄」であり、都教委の通知は自由な発言を禁止しているのではない。それを「言論の自由の侵害」というのはおかしいと国立教育政策研究所の菱村先生も言っている。その通りだ。
・ 「自由な議論はどんどんしたら良い」。しかし「決めるのは校長」だ。ただ「皆が行使する1票に信頼性を失ってきた」のが現実だろう。「しんどいことには反対」「処遇が悪くなるのも反対」「行事を増やすのも反対」「帰りが遅くなるのも反対」「卒業式の歌旗反対」「教員の評価反対」「何でも反対の勢力の意向が反映される危険性」を排除しないと学校改革など進む筈がない。大きな禍根を残したのが戦後教育の今日の結果ではないか。
・ 東京都は未だに卒業式シーズンになると一部の教職員が世間を騒がす。だから都教委は「舵をきった」のであり、これは「校長としての責任が遂行できない校長たちへの応援歌であり、つっかえ棒」だと私は表現する。
・ 別の都立高校長は「職員会議は時間がかかり過ぎる」「少なくとも2時間以上かかり」と言い、多くの課題をいちいち挙手で決めているからこそ「教員の労働負荷は大きくなる」のだ。「意見があれば私や副校長のところにくれば良いし担当者間や校内研修でも解決できる。挙手採決は必要ない」と言い切っている。
・ 又別の校長は「自分の主義主張で動く教職員がいる学校は実に大変で通知の存在で助かっている学校はあると思う」と語っている。東京都は舵を切ったが本校ではどうかということだ。「本校では挙手の採決をなくしてはいない」。
・ 要は校長が事案の内容で判断すれば良いだけの話で「採決は禁止と言うのも如何かなとは思う」が上記のような校長が居る限り都の意向は届かないだろう。この校長恐らく新聞記事では「平和主義と基本的人権尊重を伝えたい」と校長になったというから特別の考えをお持ちなんだろうと思う。社会科の教諭から出発だ。普通の校長は平和主義とか人権尊重とかをまず高校教育の教育方針の第一には持ってこない。ここだけでも変わっていると私は見ている。
・ 本校では挙手による教員の意向調査は残している。ついこの前も「敷地内前面禁煙」について挙手による意向調査をしたばかりだ。これだと今後が助かる。これだと「校長が一方的に決めた」とは言わさないためだ。「いやー、圧倒的に皆さんの意向もそうでしたよ」と言えば反論は出来なくなるからだ。「同じことでも教員が言えば賛成、校長が言えば反対というのが長い間の学校文化」だったのである。都教委の決定を私は「仕方なし」とする。

2008年10月22日水曜日

10月22日(水)日教組、自己批判せよ

・ 昨日21日の産経「正論」欄に初代内閣安全室長を務めた佐々淳行氏の投稿がある。タイトルは「日教組よ、まず自己批判せよ」とある。骨太の正論だ。最近、中山前国土交通大臣が日教組を批判した事件がありやむなく退職されたが、大阪府の橋下知事も不肖私もこの事件には論評を加えた。
・ 佐々氏もこれは舌禍事件で「日教組批判には発言を撤回せず大臣をやめ堂々と自らの責任を取り」その「出処進退」は九州男児らしく「見事」と評している。私もまったく同感だ。
・ 反体制的な自虐史観、日の丸君が代反対、全国学力調査反対、デモ座り込みなど校外での政治活動いちいち無茶苦茶な行動で半世紀にわたり子どもの教育よりもイデオロギー闘争を優先させ初等中等教育の今日の荒廃をもたらしたのは間違いなく日教組であると氏は談じている。全く同感だ。
・ 更に佐々氏は続ける。日教組関係者は「道徳教育には反対ではない」というが、過去道徳教育の導入には集団暴行や陰湿ないじめで反対し続け、児童生徒の公共心やモラル、愛国心なども低下せしめたことは歴史的事実であると論考を進められている。
・ 氏は「日教組は中山氏を批判する前にまずみずから犯した半世紀の過ちを反省し謝罪すべきである」。黙っていれば言いたい放題、歴史の証人として中山氏が言わなかった二つの事例をあえて証言し「日教組の反省と総括自己批判を強く求める」とある。
・ 「腹に据えかねる」といった感じだ。ここまで佐々氏が二つの実例を挙げて論及しているのだから、日教組はこの正論文章に対して「答えなければならないのではないか」。公人が公的な大手新聞の上にこれまた公的に近い組織の批判をしたのだ。黙って済む話ではない。
・ 大体日教組は東京高輪のプリンスホテルのキャンセル事件などでは居丈高に打って出るがこのような記事には答えようとしない。出ても「そのような事実はないし、個別の事案には答えられない」というのが精々だろうがそれでは人々は良く分からない。自分たちの主張を強調するのであればこの記事にも堂々と反論して欲しい。
・ 佐々氏の子息が世田谷の小学校で日教組闘士の女性教師Sから「お父さんが警察、自衛官の子どもは立ちなさい」と命ぜられ、立たすと、「この子らのお父さんはベトナムで戦争し学生を警棒で殴っている悪い人たちです」といい、夕方まで立たせ続けたという。
・ 子息からこの話を聞いた氏は校長に電話すると「相手は日教組、争わぬ方が良い」という始末で、佐々氏は「親の職業による差別でありいじめであり罪のない子どもを立たせるなど体罰」であるとこの校長に迫ったという。
・ そうすると校長は当の教師を自宅に寄越したが、彼女は「組織をあげて警察の権力的弾圧と闘う」と息巻いたそうだ。佐々氏が「あなたとは一個人の父兄として貴方を首にするまで闘う」と言った瞬間に女性教師は突然床に土下座して「首になると食べていけない。みんな日教組の指示によるもの」と泣訴哀願したという。生生しい話である。恥ずかしくないのか。
・ この女性教師はその後どうしているのか、消息が知りたい。もう退職したのかまだ現役か。その後の教師人生はどのようなものだったのか。日教組の女性闘士と言われるような人物でも土下座して泣きながらわびた時の真情はどういうことか。「思想信条とは一体全体教師にとっていかなるものか」私は知りたいのだ。
・ 実は何時もこの種の話は「概括」や「抽象論」で終わるから一向に「本質に迫れない」のであり、ここはこのような個別の事案の該当教師から赤裸々に「事実を語ってもらう」ことが「本質の理解」に近づくと私は考えている。
・ もう一つの事案も興味がある。昭和33年に日教組が道徳教育の導入に武力で反対した時の事件だ。日教組武闘派が2000人終結して大分県でデモや反対集会を行い別府市を騒擾状態に陥れ、その渦中で警察官一人が日教組の闘争本部に監禁されたという。
・ その時の取り締まり責任者だった佐々氏が相手方の県会議員に「30分後に貴方を検挙し私が手錠をかける」と言ったらまもなく警官は解放されたという。私はその時の県会議員で後の社会党代議士になった人の信条が知りたいのだ。残念ながらこの方は既にお亡くなりになっている。
・ 昨日は毎日がもう一つの日教組関連の記事を小さく報道している。「森元首相が日教組批判」とある。名古屋市の講演で「親や子を殺すようなことが珍しくもない世の中になったのは何故か。やはり戦後の日教組教育の大きな過ちだ。」と発言したとある。ここまでは良いがその後が余り感心しない。それが「民主党の支持母体ではないですか」と言ったとある。
・ この森さん、現役のときはその大きな身体で「象の身体に、蚤の脳みそ」と言われた人だが「もう少し上手く言えないのかな」という感じがする。感は良い人で腹も太っ腹な人なのだろうが、折角の日教組批判なら「論理的」に出した方が良い。
・ しかし私は思うのだ。中山前大臣が日教祖批判、今回の佐々淳行氏の日教組批判、昨年の高輪プリンスホテル貸し出し拒否事件、北海道の日教組教員評価システム反対ストライキ、留まることなく「日教組という組織にまつわる事件」がこうも次から次と出てくるのは何か「異常」と思いませんか。
・ 車やお菓子や冷蔵庫を作っている製造業などの民間会社の労働組合ではない。大切な明日の日本を背負う子どもたちの教育と言う営為を担う教師の集団がかくも「世の中を騒がすことに結果としてなっている現実」に私は暗澹たる気持ちがするのだ。
・ 佐々氏のいうようにもうボツボツ「総括」して「遠い昔の話」として整理できるようになれば良い。そのためには日教組は「戦後60年を正しく総括」し、それを国民に説明した方が良いのではないか。佐々氏の主張されるとおりだ。
・ 賃金闘争や時短闘争は職員団体であれば当然あって良いが、「イデオロギーを教育の現場で振りかざすことは止めてもらいたい」。又戦後教育と今日的生徒についてこれらの教師の集団は今後どうしようとしていくのか語らねばならないと私は思うのです。

2008年10月21日火曜日

10月21日(火)新聞拾い読み・言いたい放題

・ 「岡田阪神涙の終幕」だ。昨夜は丁度テレビにスイッチ入れた時だった。ピッチャーは藤川、バッターは中日4番のタイロン、ウッズだ。ボールが三つ来てその後ストライク二つ。フルカウントで藤川は渾身の力で直球勝負の150キロ、ところがテレビで見ていても分かるような、ど真ん中の高め。
・ ウッズが振り切った一撃はレフト中段に入る「劇的なツーランホームラン」。この瞬間テレビは岡田の顔を追っていたが何時もの仏頂面顔であったがそれでも少しゆがんでいたかに私には見えた。
・ 今シーズンの阪神の有り様を象徴するような試合であった。良い試合であったが敗れた阪神。「チャンスに打てない」。これが敗因だ。金本と言ったってチャンスには打てない。学校の教職員でも「ここぞという勝負の時に仕事をしない人」は駄目だ。
・ 岡田は「運のない男」だ。大阪に住んで長くなるとどういうわけか阪神を応援したくなる。2年連続でクライマックスシリーズ敗退だ。ここぞという時に弱いのではどうしようもない。
・ 今日の夕刊では岡田は「やはり何かが足りないから負けた」と素晴らしいコメントを出している。各紙の夕刊の見出しは「充実の5年間」で揃っていた。本人の偽らざる心境なのだろう。「もうボツボツ監督稼業の激務は限界だったのかも知れない」。各紙とも極めて「好意的」だ。
・ それは岡田の「引き際」は立派だったからに違いない。「男の引き際」はこうでなくてはならない。退陣表明が少し早かった気がするが「けじめ」としたのだろう。この男、イケメン男前でもなく口も余り出ないが最期は「立派」だった。高く評価したい。「星野」なんかより何倍も立派だ。星野の後でやりにくかったろうが務めは果たした。
・ 誰かが朝のテレビで言っていたが岡田は一躍「人気者」になったというがその通りだ。「退いて花が咲く」と言った感じで将来阪神へのカムバックは有るだろう。巨人の原がそうだった。必ず帰って来いと言いたい。男の引き際を見せただけで岡田の阪神は光る。

・ 「冗談ではない」と言いたい。あのおかしげな人形「道頓堀太郎」が戻ってきて「タレント活動」をするという。「いい加減にしてくれ」と言いたい。売るとかやめるとか散々大騒ぎをして今度は事務所を設立してイベントやCMなどに出演すそうだ。
・ 本当に大阪の人があの人形にそれほどの「愛着」を持っているのか。私などは何かあの顔は気味が悪くてあれは「大阪の人形」ではないと思う。大阪を代表するのは「文楽人形」だ。言葉もおかしい。「どうぞ、よろしゅうおたの申します」と書いてあるが頼まれてもなー。このような言葉は誰も使っていない。
・ 大体あのレストランに行った人が何人いて料理の味はどうだったんだろう。テレビではコメンテーターが言っていたが「まだ行ったことはない」人が「太郎論議」だけはするのもおかしな話だ。それほど人気者だったら「倒産」などする筈がない。太郎は結局役に立たなかったのではないか。
・ そのうち「道頓堀太郎もその後出演する場がなくなり今度こそ完全に引退します」ということになるのは間違いないだろう。そうだったら今のうちに「引導」を渡してあげたほうが良い。それにしてもあのお女将さん、「人使いが荒い」のではないか。まだ「くたくたの太郎を使ってまだ金儲けしようとしている」のが許せない。「阪神の岡田の引き際を見習え」と言いたいくらいだ。

・ イタリアレストラン「サイゼリア」チェーン店でピザ生地から「メラミン」が出ていたそうだ。ついこの前も千日前の店に行って食べたところだ。「ふざけるな」と言いたい。ピザが大好きで必ず「イタ飯」では食べるが身体にはメラミンが蓄積しているかもしれない。そういえば身体の調子が今ひとつなのはこのせいかも知れない。
・ 学校給食には「三笠フーズの汚染米」が入っていないのは分かった。これは安心だがもう食品に安全というのは限られてきた。疑えばきりがない。だから「私は昼食の弁当は自分で作って持参」だ。自分で自分を守らねばならない。

・ 「猫が駅長」をしている和歌山電鉄貴志川線に遂に「猫電車が登場」するという。「冗談じゃない」。大体猫が駅長なんておかしいではないか。「冗談が過ぎる」。これ以上「動物をビジネスに利用するな」。
・ 3500万円もかけて「たま電車」を作るという。社内には猫の絵本や本などの「たま文庫」、たまとツウーショットの「たまプリクラ」などが登場するというが「猫嫌い」のことを考えたことはあるのか。今のたまが死んだら「たま2世」を作ろうというのか。「もっと堅実にやれ」と言いたい。

・ 「高級おせち」が人気だという。確かにデパートに行くともうすでに正月用のおせち料理の予約受付が本格化している。「おかしいではないか」。お節とは家で作るものではないのか。暮れが押し迫り、家の大掃除を子どもたちはお父さんに手伝ってしているときに、「お母さんは白い割烹着に身を包んでお正月用のお節を作るのが日本の文化」だ。
・ 高島屋では63000円が売れ筋というから見に行ったがあんなものは私一人ですぐなくなる量だ。三が日朝昼晩だから、あれで家族4人が済むはずがない。三越では老舗料亭「金田中」の15万円ものがすでに完売とかいう。何かおかしい日本だ。
・ 「家で作れ」と言いたい。何が高級素材だ。今は消費者として「節約」に入らねばならに。それが日本を救う道だ。今こそ「家族団欒を取り戻す好機」だ。このことこそ「一番有効な教育改革」である。
・ 大体食べると言うことは「格闘技」である。早くおなか一杯に食べることが食欲だ。高給おせちを「気にしながら食べるなんて体に悪い。」「これはもう食べたから残った一つはお母さんのもの」「これはおにいちゃんに」などと考えながらでは旨くはない。食事は「がつがつ食べる」に限る。人のことなど気にしなくて良い。「消えてなくなれ、高級おせち」。

2008年10月20日月曜日

10月20日(月)職務命令

・ 「大阪市の裏金問題」はもう聞きたくも無い話しだがようやく終結に向かった。確か7回目のくらいの調査で「これでもうない」と市長が言ったら又何処かの区役所からぼろぼろでてくる感じだった。「腐っている」としか言いようも無い公務員の体質である。
・ 総額7億2800万円というから尋常な数値ではない。すべて大阪市民の税金だ。飲み屋や風俗などにも流用され、上は局長級から課長級一般行政職、全てにわたって「裏金を作り流用」していたのだから酷い話だが、大阪市だけではなく大阪府も太田知事の時代は裏金で大変な騒動になったのは記憶に新しい。
・ 再発防止で市長は公金を扱う部門の全行政職員に「誓約書の提出」を求めたが「26000人のうち106人が拒否」していると言う。困惑した市の総務局は「最高内部統制責任者である市長が職務命令」として提出を求めており、拒否することは「職務命令違反に当たる」として「大量処分」を検討していると言う。これは面白いことになった。
・ 誓約書は「今後一切の不適正資金の取り扱いをしません」と「二度とこのような事態に手を染め市民の信頼をそこなうことのないように公正な職務の執行にあたる」と言うものらしいが報道によれば特に後段の部分に異議を申し立てているらしい。
・ 即ち「二度と手を染めない」というくだりが気に食わないと言うらしい。「個人として裏金にかかわったことがないのに無理やり罪を認めされられているようにしか読めない」と言っているとのこと。
・ これに対して平松市長は「自分自身の指導力のなさとともに大阪市の組織の大きさを知らなかったと反省」しているとのコメントである。何を言っているのかサッパリ分からない。アナウンサーを長年やるとこういう物言いになるのか。とにかくこの人は橋下知事と対照的だ。「トップは分かりやすくはっきりとものを言う」のが最低条件だ。
・ 職務命令違反は「懲戒処分」に相当する。元々公務員は就職時「日本国憲法を守る」と署名捺印が義務付けられており、私なども大阪府の教育公務員になった時は署名捺印した。憲法を守ると言うことは「絶対的な遵法精神、国民府民へのサービス、勤勉義務」等一切合財が含まれており「裏金誓約書」などは元来憲法遵守の署名に含められているものと考えるべきではないか。
・ だから「裏金誓約書」の提出などが元来おかしいのだが「念には念で提出命令が出た」と解すべきでこれに逆らうことは公務員の職を去るということだと私は理解する。「二度と手を染めない」というくだりは読み方で「全体責任」と考えたら良いわけであり、難しく「屁理屈」を言うべきでない。住民目線が全く無い。
・ しかし26000人もいれば「変わった奴」もいる筈で106人で済んだと私は感じる。多くの市の公務員が反省しているということだろう。彼らも「二度と手を染めない」という文言には葛藤があったかもしれないが「ここは連帯責任で我慢」したということだ。
・ 組織のトップが勤務中、業務に関して発した言葉は元来「職務命令」となるというのが私の解釈だ。そうでなかったら40000人の職員を有する市のトップなど務まるわけが無い。「ああ、あれは市長個人の考えです。私は知りませんし、従いません」では組織ではないし仕事にはならない。
・ 学校において「校長は職務命令を出せるか」については学校教育法28条3項の「校長は校務を司り所属職員を監督する」との法律上の規定がある。この監督権とは「学校教育」「所属職員」「学校施設」「学校事務」と重要なポイントは「職務上及び身分上の監督権」も含まれていることである。
・ 「教師の服装や言動に校長の監督権が及ぶ」のは当然であって裁判の判例でも明らかである。教育者として教育活動を遂行する上で支障となる服装や信用失墜行為なども校長は指導助言しなければならないとある。
・ 学校改革で長年「校長のリーダーシップを発揮せよ」との「リーダーシップ論」はこの校長の「監督権を行使して職務命令の形」で進めるべしとの論考があるのだが実際の学校現場で「職務命令という形と言葉」で執行される局面は少ないと言うか殆どないのではないか。
・ かくいう私も「職務命令」という言葉は使わず、「リーダーシップ」を発揮してきていると言える。その代わり「校長メッセージ」という形で「思いを伝え方向を指し示して」きた。「緩やかな職務命令に準じたもの」とでも言えようか。
・ 「職務命令の発行の形態」は例えば卒業式の国旗国歌斉唱に関して一部教員が反対して円滑な式が遂行されない危険性が高いと判断した時に校長は「文書」で職務命令の形で出すと言うことが少ない事例である。
・ 平等で均等で全員の協議で物事を決めていく職員会議のやり方に馴染んだ教員が「校長の職務命令」と言っても「違和感」を覚えるのは考えてみれば当然であり、肝心の校長そのものがつい此の前まで「職務命令に拒否してきた張本人」であることを考えればこの職務命令が生きたものになるのは学校ではもう少し時間がかかるのではないか。
・ 古い世代がすべて居なくなり若い感覚の教員が出てくると「校長先生が言っていることでしょう。それに従うのは当たり前やんか」となってくるだろう。その時は「全ての責任は校長が取らねばならない」のは当然である。
・ 若い世代は割り切っており、「校長の仕事」と「教員の仕事」を峻別している。「自分は何をなすべきかが分かっている。」古い世代の教員みたいに「校長の職務権限を制約するような愚かな真似」はしない。
・ それはそれを行えば「自分の責任に跳ね返ってくる」ことを知っているからである。「責任を取るほど高い給料は貰っていない」ということだろう。「サッパリしている。」それに何でもかんでも「かまされるのはしんどい」と若い世代は思っている筈だ。自分のことで手一杯だ。
・ 「司、司に任せる」という考え方は「個人主義に育ってきた若い世代」には好都合なシステムかも知れない。個人パソコンを供与したが情報のやり取りなどは極めて上手いのが若い世代だ。待ち構えたように職員会議で紙のオンパレードの中で「文句ばかり言っていた教員」にとっては職員会議という落ち着く場所がなくなって寂しい限りだろう。

2008年10月19日日曜日

10月19日(日)利休のふるさと堺大茶会

・ 勤務場所が徐々に南下してくるにつれ、「堺という町に興味」が出てくる。最初は北の「土佐堀」のマンションで淀屋橋の本社には歩いて数分のところであった。中ノ島新線がなくとも便利なところで当時は「北の新地」は庭みたいなものだった。
・ 次に勤務先が「上町台地」ということで「天王寺」に住んだ。4年間であった。もう天王子界隈はこれまた庭みたいなものになった。今度はミナミだ。勤務先が南海高野線沿いの市内南部ということとそのほかの理由もあり「難波」に移ったのである。
・ 「大和川に近い勤務先」には川を越えた堺、岸和田、泉州地域からの生徒らが多くいる。それで徐々に堺という町は深い関係となってきたのである。最も企業時代は堺には関係会社群があの地域には集中しており、よく出張したものだった。定宿は堺ロイヤルであった。歩いて出張先に行けたものであるが市内には行く機会などあろう筈がない。
・ この「堺ロイヤルホテル」は本校の「塾長様対象の学校説明会」で利用する場所で「縁の深さ」を感じたものだった。学校から車で堺旧市街の中心地「宿院」というところには15分もあれば行ける距離で大阪市内といってももう学校は堺市にあるようなものだ。
・ 堺は「千利休」で有名である。もっともそれだけではなく、仁徳天皇陵から考えれば日本の歴史の中枢を担ってきた土地柄であるがなんと言っても好きなのは「戦国時代からの堺の歴史」だ。
・ それに下手の横好きで「茶道というかお茶の世界」が大好きで一度ゆっくりと「利休生誕の地」と有名な「南宗寺」を訪問して見たかったのである。今日は我孫子前駅のポスターで知っていた「堺まつり」の日で特に予定はない。それで本日堺行きを決行したのである。
・ 今日は堺まつりのイベントの一つで「大茶会」というのがあるのは知っていた。場所は2箇所に分かれ、一つは南宗寺もう一つは「大仙公園」というところだが、迷うことなく私は南宗寺を選ぶ。結果的にここは各流派のお席が立てられており「グッド」であった。公園の方は大学の茶道部とかの集まりのような感じであった。
・ しかし本当に分かりにくい場所で数人にお聞きしてようやくたどり着いたのである。南宗寺はあの戦国大名三好長慶が建立したが大阪夏の陣で消失、あの沢庵和尚が1619年再建したものだ。
・ 中は広大で千家一門の供養等、「利休好みの茶室実相庵」、伝説の域を出ないがあの徳川家康の墓と言うものがある。私は「表千家」がどうも好きで今日も「表さん」のお茶席を探す。運の良いことに「実相庵」がお席であった。
・ それにしても極めて多い客であった。洋服のご婦人もおられたが多くは「和服姿」でそれはそれは見ごたえがあったのである。「女は着物姿に限る」。今日は生憎堺の地場振という会館で月に一度の「骨董市」で私はオンボロのバイクで出掛けたから着物は着れなかったのであるが後悔した。
・ 表が2席、裏が2席、武者小路千家が2席と境内の天慶院と徳泉院とか野点席とかそれは「巣晴らしい環境でのお茶席」であった。境内の中には古い建築物もあり、特に甘露門、唐門、仏殿はいずれも17世紀の建築物で国の重要文化財に指定されている。
・ お茶席でお隣さんになった妙齢のご婦人二人とナンと言うことはなくご一緒になり、ともに境内を散策しました。こういう日は「ボランティア」のご年配の方が親切に案内してくれた。これは男の私一人では駄目だったでしょうね。
・ 特に仏殿の「四方睨み龍」には驚きました。素晴らしいものでした。今日は何処へ行こうともお茶席券を買うことで入門はパスなのです。ご一緒したご婦人は「物言い」が本校の女性事務職員のO主任とまったく同じで聞けばやはり「堺っ子」とのこと。堺の女性の話し言葉は「何かはんなりというかやさしいというか感じがとても良い」。私は堺弁が大好きである。
・ それに比べ和泉、岸和田 貝塚などのいわゆる「泉州弁は少しきつく感じます」。もっとも良い人ばかりですが。そのようなわけで今日は堺南宗寺という千利休ゆかりの場所で有意義な、ゆったりとした一日を過ごすことが出来ました。帰宅は15時ジャストでした。
・ 私は「千利休が大好き」だ。。このような「偉大なる俗物」に大いなる敬意を表します。私流に言えば利休も「覚悟の人」です。秀吉にも頑として主張すべきはして転向、偏向はしない。従容として「死についた利休」に「男の激しさ」を逆に私は感じるのです。
・ 「利休は激しい男」であったと思います。だからこそ信長、秀吉と戦国の覇者の「茶頭」を勤めることが出来たのです。そして最後まで「安穏な人生」とはならなかった。そこに惹かれるのです。自宅の「畳の上で大往生」するのはどうも性に合わない。
・ そしてあの短い間に400年経っても基本的には何も変わらず、今に続く「侘び茶茶道」を完成させた「プロデューサー」としての才能は余人には不可能です。彼が聖人君子であったらこのような大事業は為しえていないというのが私の考えです。だから私は「偉大なる俗人」と言っているのです。
・ 私は利休の「遺偈」にとても感動を覚えます。余りにも有名な利休の「遺偈」。激しい男だったんですね。「全身からエネルギーが迸り出る」。
   「 人生七十 力囲希吐   吾這宝剣 祖仏共殺
     提我具足一太刀 今此時 天擲 

  「先祖とか仏とか関係ないワイ。時至れりだ。我が腹を掻っ切って、はらわたを天に投げうってやるワイ」といったところでしょうか。「凄い」。 こんな政治家、今居ます?。

2008年10月18日土曜日

10月18日(土)中学校プレテスト

・ しかし本当に沢山の小学校6年生が来てくれました。「嬉しい限り」です。本日は21年度浪速中学校入学希望者を対象にした「第1回プレテスト」の実施日でした。数値は「企業秘密」ですから公開できませんが昨年の「1.62倍」でした。
・ 欠席率も昨年よりは少なくなっています。欠席と言うことは体調不良というよりも「どこの私立中学を受けるか」、ギリギリまで悩んでいる証拠でこの数値が小さいということは「浪速第1志望」が多いということになります。
・ プレテストを受ければ合否の判定がより現実的になり、生徒の進路選択に混乱を与えないため、少々学校は大変ですが、この方式は中々上手く考えた方法です。プレは2回あり通常2回目には更に受験者が増えます。
・ 2日目に増えるのは1回目をどこかで受けて、志望先を少し上げるか、あるいは第1志望が難しいと知って少し下げるか、いずれにしても「一つはキープ」しておいて少し高い目標に挑戦するようなところがあります。まあ言ってみれば高校の外部模試みたいなものです。
・ 長い間一クラスの時代が続きました。校長になって最初の年が2クラス、昨年が3クラスですから傾向で言えば「来年は4クラス」も十分有り得る話ですが、そうは簡単にはいきません。まず「学力レベル」を見ることが重要です。
・ 特に来年度から浪速中学は「関西大学との特別連携」を図っていますから一群の中からある程度まとまって「関大に進学」してもらわねばなりません。近畿地区で関関同立のトップを走る関西大学に行かそうと思えば相当の学力は必要です。
・ しかしそうは言っても浪速中学、浪速高校と6年間あり、徹底的に鍛えれば「まったく問題はありません」。欲しいのは学力のある生徒ではなくて「学習意欲のある生徒」と「教育環境に関心を有する保護者」の子どもさんですね。
・ 本日の私の話はまず冒頭今騒がれている「全国学力調査学習状況調査」の結果をすべて今日来られた保護者の方に「開示」しました。今回大阪府が開示した市町村部分を含めてです。このデータをみると多くのことが分かります。
・ これはブログには詳しくは書けません。我々は一私学であり、府内の市町村との比較データを幾ら新聞にあるからと言って勝手に開示するのは控えたからです。しかし本校を目指す保護者には本校のレベルと近隣市町村との比較は「保護者が知る権利」があると私は考えました。
・ ただ資料をお渡しは出来ないので「パワーポイントを使って大きなスクリーン」に映し出しました。保護者は食い入るように見ておられました。恐らくこのような開示をする私立中学はあまり無いのではないでしょうか。
・ その後関西大学との連携に触れ、「特別連携」をすることを説明しました。「関西大学の強さと浪速の強さ」が合体すれば面白い生徒・学生が誕生するとも申し述べました。保護者は目を輝かせて聴いてくれました。
・ そして教育方針「生き抜いていける力を育む」について少しお話しました。教育とは「生徒の脚を洗う作業」、「教育とは尽くす」こと、本校は「面倒を見る」ということが背骨だと強調しました。
・ 浪速中学校、浪速高等学校と6年間ここで学ぶ生徒たちは「子飼いの生徒」「まさに直参旗本」であり「徹底的に面倒を見る」と私は強調したのです。この辺からある保護者は目頭を押さえておられました。私の話に感動して頂いたのです。
・ そして最後に「授業料については」現在の府内私学のレベルを俯瞰できるデータを映し出し「橋下改革」で「私学助成が削減」した影響を緩和するための措置として「幾分挙げさせて頂きたい」と頭を下げてお願いしました。
・ 具体的に言えば「削減分の半分」を上げさせていただき残りの半分は「自助努力」で経営を合理化し、転価しないことを説明しました。特にこの時は、話している最中私は保護者のお顔をよく見ていたのですが、どうも「ご納得」戴いたように感じました。
・ この間並行して生徒諸君は一生懸命に国語と数学のテストに取り組んでいます。会場は新館の1階のピロティで設えたのですがこれ以上増えたらもう駄目で来年以降は体育館になるかもしれません。
・ 中学校の副校長が言うのです。「信じられない。こんなに浪速中学校を目指して生徒がきてくれるなんて」と。でも私はまだまだ満足していません。戦略的にも「中学生」を増やし、経営を安定させ、早く「中高一貫体制」を構築し、素晴らしい進学実績を上げたいのです。
・ しからば「今ひとつ成績の伸びていない生徒を外す」ことが有効な手立てとは分かっているのですが、一方では「浪速に来たい、浪速で学びたい」と言ってくれている生徒をわざわざ落とすのかとも言いたいのです。私と教職員の議論がこれから始まります。
・ 終わって執務室に帰る途中に数人の先生が神社の前で何か作業しています。「保護者の方々が絵馬に合格の祈願を書いて神社にお参りする希望者が多く」、その記入する場所を設えているのです。このような光景も初めてでした。
・ 私は言ったのです。神社前の賽銭箱にいくらかでも入れていただければ「ご利益」は更に大きくなりますよと言いなさいと。冗談ですが教員たちは笑っていました。入試広報室や中学校の教員が良いお顔をしているのです。皆「多くの志望者が来てくれて嬉しいのです。」
・ これが全く逆で用意した椅子が埋まらず1クラス相当しか志願者が居なかったら「どうなっていただろう」と思うと「背筋が寒く」なります。気分良く今日は16時から河内長野で用事があり学校を後にしました。
・ 結局自宅に帰ったのは22時前でした。疲れはたまりませんね。次は来週土曜日に「第一回高校入試説明会」です。果たして何名の中学3年生が来てくれるでしょうか。これは中学と違ってまったく読めません。心配性な私はこれから先の1週間熟睡は出来ないと思います。

2008年10月17日金曜日

10月17日(金)学校競争は教師の指導力競争

・ 平成15年「広島県の民間人校長」が勤務する小学校の中で首をくくって自殺した事件があった。赴任後1年目のことであった。この事案に関し「教員一人と県教職員組合(広教組)」が県教委と尾道市教委を「名誉毀損」で訴えていた事件で、控訴審での広島高裁の判決が昨日あった。
・ なんと判決は原告の主張を一部認め「県と市に220万円の支払いを命じた」とある。「驚きの判決」である。この裁判官は現場の実態を全く分かっていない。「自殺は教職員との軋轢に主要因があったとは言えず名誉毀損に当たる」とした。「とんでもない話だ。」これでますます組合教員は勢い付くだろう。
・ 冗談ではない。当時の「県教委の事故調査報告書」によればこの民間人校長に「執拗に国旗国歌問題に関し執拗な質問や意見を職員会議で繰り返し」、この民間人校長は涙ながら頭を下げて「お願いします」とあるくらい、これは「外部からきた民間人校長への陰惨ないじめ」とも思えるような背景があったと私は自分の経験から推察している。
・ 判決は「校長は戸惑いながらも徐々に対応しており、これは両教委の支援不足が原因のうつ病に起因」とした。『何を言っているか』。うつ病になったのは国旗国歌問題に対する組合教員の執拗な反対闘争がこの民間校長を追い込んでいったのではないか。
・ 大体考えてもみよ。広島県の要望を受けて広島経済界から「招聘」してきて貰った銀行出身の民間人校長だ。「それなりの接遇の態度」があるいうものだ。卒業式の国歌国旗掲揚問題などこの人にぶつけて何の解決策があるというのか。
・ 学校経営とか学校財務とか「学ぶべき点は多かった」筈を「戦後から続くどうしようもない卒業式の国旗掲揚国歌の斉唱のイデオロギー問題」を持ち出すことが「大学という高等教育を受け、人に教える立場の人間のやるべきことか」と私は言っている。
・ 「惻隠の情」「人間の情」などがないのだ。そこには「唯我独尊の思い上がったプライドだけが高い教師といわれる職業を持つ腐蝕臭の漂う人間」しかいない。新しい全く学校とは違う分野から全てを投げ打って民間人校長になってくれた人間に対して迎える「礼節」というものがあるだろう。
・ この人と同じ年齢で、同時期に私も民間人校長として古い教員文化の中で戦っていただけに、この校長の自らの死は大きなショックだった。その後の私の「覚悟」を決めた事件でもあった。
・ 私が1年半前に本校に着任したときも私の前任校での辞職の新聞記事が職員室の机の上にばら撒かれていた事件があるなど教員の中にはこのような「卑しい奴」もいるのだ。そのようなことは当方も織り込み済みで赴任しているから、「せせら笑った」ものだが「しょうもない奴のいる本校の先行き」にため息が出たものだった。

・ 「北海道教育委員会」は昨16日人事評価に応じて教職員の給与に差をつける「査定昇給制度」を各市町村教員がこの12月払いのボーナス(勤勉手当てというが)から導入するよう通知したとある。
・ この北海道と言うところは組合の無茶苦茶に(?)強いところでこれに反対して今年1月にストを打つなどの「北海道教職員組合(北教組)」は今後またストをして抵抗するのかその動きが楽しみだ。未だにストをする教員組合も珍しい。もっとも本校も一昨年まではしていたが。
・ しかし抵抗しても始まらないだろう。1月ストに参加した12000人が処分され、未だに労使の対立が続いているが道教委は頑張っている。東京や北海道の教育委員会はやる。
・ 大阪府ではすでに昨年から実施中だし今やこの流れは止められない。「当たり前」だろう。「生徒の為に頑張っている教員と自分のことしか考えない教員」で給与に差が出るのが「世の中の常識」というものだ。大体一部の教員は「甘えが過ぎる」。

・ 今朝の各紙、例によって橋下知事の「全国学力調査の開示問題」だ。「遂に踏み切った」。文科省は「想定外」と不快感を示しているが「何処吹く風」の感じで「大阪教育改革」にかける知事の「意気込み」が伝わってくる。しかしこの問題は尾を引くと思う。正直知事は「肩の力が入っているなー」という感じだ。
・ 市町村に30億円交付金として奨励資金を出し、基礎基本の反復学習とか携帯ゲーム機を使った学習方法とかサポートチームの編成とかようやく具体論が動き出した。これは注視しなければならない。
・ その他、管理職校長への登用なども教頭経験など不要で若手の抜擢なども言われている。ご自分が30代で知事になったのだから、30代の校長が居てもおかしくないということだろう。
・ 背景には「ダメ教師の排除」という知事の論拠があり、教育行政部門と教員に対する強い不満感が背景にある。教育委員も実践的な方に変わられ名誉職に近い人間は排除された。
・ 昨日の職員会議、今朝の管理職朝会でも私は強く指示した。「眠れる巨象が橋下という調教師の手」で少しずつ「動き始めた」。これで大阪府の小中学校の学力が大きく好転すれば私学にとって大変な脅威になる。
・ 公立私立の格差を維持するためには「公立以上の対応」を取らねば今の差は縮められるだけだ。新しい企画を考えるように指示した。中学は中学なりに高校は高校なりにである。今私の頭には「飛びっきりのアイデア」があるのだがそれは『今はまだ明らかに出来ない』。
・ いずれにしても大阪の教育は「公私で境目のない激しい競争時代」に入っていった。教科指導力のない教師には「退場」してもらうつもりだ。生徒指導のできない先生も「お引取り願いたい」。自分で「自分は能力があると錯覚」している教師に言っておきたい。学校競争、生徒の学力競争と言うならそれは「教師の指導力競争」ということだ。数値で私はきっちりとそこを診させて貰う。「能力も努力もない人間を抱えるほど余裕はない」のだ。

2008年10月16日木曜日

10月16日(木)台所事情

・ 橋下知事が「苦戦」している。応援に駆けつけたいくらいだ。「府庁のWTC移転案」がどうも自民を除いて府議会の賛同を得られそうになく「暗礁」に乗り上げている感じだが、ここは絶対に「ブレークスルーする気迫」がないと駄目だ。全国学力調査結果の開示にかける意気込みほど迫力がない。これはもたないかもしれない。
・ 府議会野党も一旦決議したからとか何とか言って抵抗しているが「昔の話」だろう。「新しい知事」が誕生しその人が取り組んでいるテーマだ。虚心坦懐に一からスタートすれば良いではないか。又大阪市もここは「大きな腹」を見せるところだ。
・ 平松市長もこれ以上橋下さんに「ええカッコ」されてはたまらないだろうが、元々破綻した第3セクターの経営だ。府に買って貰ったら一挙両得ではないか。訳のわからない民間会社になど売るべきではない。
・ もし大阪府が手を引いたら「元も子もなく、これ以上に損をする」ことは間違いない筈だ。それを安く売ると何が「住民訴訟」を恐れるだ。平松さんがこれを大阪府に売ったら「名市長」となる。自公の知事と民主の市長が合体で議会に立ち向かわなくてはならない。
・ 新しい大阪のシンボルでウォーターフロントに立つあの高層ビルから 「ちぬの海」越しに遠く「アジアを見詰めて」府庁の役人は仕事をすれば良い。そうすれば少しは考えも大きくなるだろう。
・ アクセスが悪くなるだと!?どれほど時間が長くかかると言うのか。大阪城をバックにして「何が何でも大阪城」を守るの気概で府庁を「出城」にすれば良いではないか。大阪城の側にいる必要はない。寄らば大樹の陰ではいけない。私は「府庁WTC移転に大賛成」だ。「職員の意識も変わろう」。ここにいるから「親方日の丸」となる。
・ 耐震強度補強工事をするより、その費用に上乗せしてでもWTCビル移転の方が「合理的」である。知事の言うように「新築などとんでもない」。1200億円など何処にあるのか。来年1月を目途に結論と言い、限界費用は153億円とか161億円とかいうが私なら大阪市が言っている240億円でも買う。

・ 大分県の「教員採用汚職」で県教委ナンバー2の審議官の処分が決まった。なんと「休職」だという。加えて教育長が減給1/26ヶ月間だという。「それって何かの間違いだろう」と言いたい。多くの若者の人生を狂わせてこのようにして居残るなんて許されない。
・ 大体この審議官、事件が明るみに出てから仕事には出て来ず「引きこもり」状態で「起訴」されているにも関わらず給料に支払われる休職」というのは解せない。それに6人も校長などの逮捕者を出し、懲戒免職になっているにも関わらず教育長が居残るか。「信じられない」。
・ しかしこれが「公務員の体質」だ。「身内には甘い」。しかし私はこの審議官に厳しい処分を下せなかった「裏の理由」があるように思う。ナンバー2だからここに話が来るのはその上の職位だ。そうとすれば教育長、教育委員会メンバーそれに知事部局の副知事以上の幹部だろう。口を封じるために「穏便な処置」で時間稼ぎをしているように思えてならない。

・ 今日の日経には中央教育審議会で「教員残業問題を議論」とある。作業部会を作って来年夏には結論を出すと言う。ようやく「政府レベル」で議論が本格化してきた。「調整手当4%カット」の方向らしい。働かないものにも4%はけしからんという感じだがこれは少し違う感じがする。
・ 本校は9月から従来と残業管理との中間に乗り出した。「調整手当は残したまま」だ。そのかわりまだ完全なものではないが、それは歩きながら手直ししていけば良いと考えている。本校しかやっていないということを私は「誇り」にしている。調整手当もしばらくは維持する。来年の入学者の数値と「公立教員の動き」を見てから判断すれば良いと思っているからだ。

・ 各紙に出ていたが大阪府給与が民間を29264円下回ったらしい。府人事委員会は知事と議長に報告したとある。通常1%程度に収まっている民間との給与格差が橋下改革による影響で7.74%になったらしい。
・ しかしこれは「基本給」でそれ以外の部分が分からないから何ともいえないのではないか。民間には訳の分からない地域手当とかいろいろあって正直公務員の給与体系は良く分からない。ただ基本給の部分はこれで全国最低となったらしい。
・ 面白いのは知事のコメントで「公務員ほど安心感のある職業は無い。府の「台所事情」をすっ飛ばして民間と給与を比較しても納税者は納得しない。台所事情が悪かったら給料の引き下げを我慢するのが普通の感覚だ。」と述べたとある。
・ 私は少し違うが以下のようなものだ。「私立学校の台所事情とは授業料と補助金だ。すべてこれで賄われている。生徒数が少なく助成金が削減されれば給料に影響するのは当たり前だ。」ただ私は以下のように付け加える。「良い状態になれば教職員に還元するのは当たり前だ。それでこその私立学校だ。ただその前に生徒への教育環境整備を忘れてはならない。」

・ さてそれで「授業料値上げ問題」だ。この微妙で勇気ある決断をしなければならないテーマについて「私の腹は固まった」。「熟慮に熟慮し決まれば電光石火の如く動く。風林火山だ。」
・ このために今週から気を使う仕事が続く。まず「10月18日の浪速中学校第一回プレテスト」に来られた保護者に「学校の考え」をご説明する。
・ 次に「10月25日の浪速高等学校第一回入試説明会」にて参加された保護者に「学校の考え」をご説明する。
・ 尚在校生については既にPTA役員には詳細ご説明しご理解を戴いており「11月1日の臨時保護者集会」にはPTA会長も出席頂き資料を提出して誠心誠意、詳しくご説明し「ご理解とご協力」を頂く努力をする。 その後全校生徒に当日と同じ資料を家庭に持ち返ってもらい、当日ご出席できなかった保護者にも学校の思いをお伝えする。
・ 同時並行にて「本校公式ホームページに理事長校長公式メッセージ」として「授業料」にすいて開示する。入試広報室は対中学校や塾関係者に10月25日以降ご説明する。3月31日までの「シリヤスな後半戦」が本格的に始まった。クライマックスシリーズだ。「ガンバラねばならない。」 今日の職員会議で「全教職員の意識を結集」した。                                          

2008年10月15日水曜日

10月15日(水)退職金

・ 厚生労働省が今月7日に発表した「就労条件総合調査」によると2007年度の1年間に定年を迎えた大卒社員の退職金(勤続20年以上の管理事務技術職)は平均で2026万円で、10年前の調査と比較して約800万円減少したとある。
・ 退職金の調査は5年ごとに行われ、前回調査でも400万円の減少というから「5年で400万円の目減り」は間違いないペースである。高卒社員(勤続20年以上管理事務技術)では1606万円で5年前に比べ500万円の減少で高卒現業社員の退職金は1023万円だった。
・ 企業出身の私の感覚からすれば「ちょっと凄いな」という感じがする。しかしこれらの数値は注意深く読まねばならない。新聞記事にもあるが「雇用形態」が様変わりしてきていることが背景にある。従って単純に昔と比較できないのだ。
・ 私の時代は「高校や大學を卒業して、すぐ会社に入社し定年までただひたすら働く」という「文化であったし美徳」でもあった。しかしこれは完全に変わった。良いところがあればどんどん「転職」していくし、「一生この道一筋」などが返って変な時代に思えるようになったのかと思う。
・ 退職金の計算も従来は大學卒業の22歳から60才までの勤続38年と言うのが典型的パターンであったが、「勤続年数」は余り関心を呼ばなくなり上記のような数値が出ていることも考えられる。すなわち勤続年数は「誇りの数値」でなくなってきたのか。
・ 減少したもう一つの理由は「退職金算定基準となる退職時の給料が減少したため」と厚生労働省はコメントを出している。「間違いない」。どんどん給料が下がっている時代だ。又「退職金財団」などの運用が厳しくなっていることも背景にある。
・ そして注目すべきは「退職金制度のある企業の割合が減少してきている」ことだ。93年の調査では92%の企業が退職金を出していたがその数値は今や85%となっている。その理由としてもう「退職金を月例給与に含めて支給する」と言う考え方が出てきたからだ。又最初から退職金制度などはないところが出てきている。
・ 何時まで働くか分からないところでの「馬のにんじん」みたいな退職金は要らない。「給料に含めて毎月支払ってくれ」と言うものだろう。一理ある。企業も大口の支給が減るから助かる話にはなる。
・ さて問題は「教員の退職金」である。本校の実際を明らかには出来ないが上記数値に比べて「数百万円多い」とだけ言っておこう。教職員の退職金は多いというのが通り相場だ。それは給与ベースが相対的に高いことによる。それは全員が大学卒の職場だから比較には慎重を要する。
・ それに大学卒業してすぐ教員になるという人も少なくなってきている。大学卒業後企業で働いて本校に来た人、海外で過ごしその後本校に来た人、他の学校を渡り歩いて本校に来た人、他の学校を退職して本校に来た人など様々である。定年は65歳でも勤続年数は違ってくるのだ。
・ ただ教員には「前歴換算制度」という温かい制度があって数年すれば大学卒業後すぐ就職したと同じ給料になる。だから勤続年数などは余り関心を示さなくとも良いのかも知れない。ほとほと教員とは恵まれている職業だと企業出身の私には見えるのだ。
・ しかし経済がおかしくなってきた。個人の金融資産は200兆円と言われる。10月1日から11日までの8営業日でなんと株価低落を受けて30兆円近くが吹っ飛んだことになる。「株をやってる人は顔面蒼白」だろう。
・ 日本全体で個人の資産は約1500兆円と言うから日本人はまだ「お金持ち」だが、実は「あるところには有り、ないところにはない」という「格差社会」となってきた。難波のビデオ店1500円宿泊などの悲劇が出てくる。
・ 真面目に働いてきた人間が「老後を心配する」以前に「働いても、働いても楽にならざり、じっと手を見る」人が、即ち「ワーキングプア」と言われている人が増え続けている。恐ろしい世の中になった。
・ 月度の給料が減り、退職金も減るでは「余りにも切ない話し」だが、経済の合理性と循環性では「一人だけ良い思い」は不可能になってきた。情報ネットワークでがんじがらめになっている現代社会はあっという間に「世界同時株安」となる。世界は繋がっているのだ。
・ 教員の給料も遂に反転反落し始めた。「口火を切ったのは大阪府の橋下知事」だ。でも本校では1年先行して私が実施したが、一私学だから目立たない。教員の処遇見直しの流れはもう止められない。頑強に抵抗しても世論の味方は得られないと思う。それは教員の給料が世間相場より高いからだ。「ふざけるな」と言われかねない。
・ 府内私学の本年夏のボーナスの支給状況データが手元にあるが「厳しい状況」になってきている。なんと年間「1ヶ月」「2ヶ月」「3ヶ月」などが目立つ。もう年間6ヶ月とかいうのは数校しかないしそれも見直しが入っている。
・ 私は「退職金の減額」には慎重である。社会年金があのような事態にあり、「第二の人生の出発資金」として「ぎりぎりまで水準はキープ」してやりたいと頑張っている。先の「新人事制度」でも「退職金の算定の基本俸給は60才到達時の水準を適用」とした。これだと「選択定年制」で早期退職を選択しない教職員で65才まで頑張った教員には少なくとも退職金が大きく減額とはならないように制度設計をしたのである。
・ ただ「遅れず、休まず、働かず」だけで長い間本校に居ても、頑張って功績を残してくれた人と同じ退職金と言うわけには行かない。「人材育成評価システム」では評価AA基準の教職員とA基準の人では大きな退職金の差になる。それは勤続年数は同じでも月例給与が違ってくるからである。
・ 「退職金財団の支給率ダウン」は今後十分ありえる話であるが、ダウンした分を法人が補填は出来ない。それは財団加入組合員すべてに共通のアイテムであり、不公平であるし法人の責任ではないからだ。本校では長い間支給率がダウンしても法人が補填して支給してきたが「トンでもない話」だ。すでに見直しを実施している。
・ とにかく先行きは分からない。こういった状況下で大切なことは「自己防御の姿勢」だ。「生活習慣の質的変換」も考えていく必要がある。要は「昔日の夢」に浸っているだけでは自分を、又家族を守れないということだ。当然であるが守る特効薬は「一生懸命、一所懸命、働く」ことだ。そうすれば処遇はちゃんと後から付いてくる。

2008年10月14日火曜日

10月14日(火)私学進学熱

・ 先週末の「学年集会が成功裏」に終わったと各学年主任が報告に入る。話題はもっぱら「大学進学」に関することで特に1年生2年生の保護者には「関西大学との連携」について質問が集中したそうだ。これは「11月1日予定の中高1年年2年生の保護者集会」にて私からご説明することになる。
・ 10月は大変重要な月度で「18日(土)が浪速中学校第一回プレテストの日」、翌週の「10月25日(土)が第一回浪速高等学校入試説明会」となる。そして前述の11月1日に在校生の保護者集会につながる。
・ ぼつぼつ来年度の入学者数を予測できる具体的な学校行事が予定に入ってきた。つまり中学校で言えば「何名プレテストに参加してくれるのか」、高校で言えば本校で行う「入試説明会に何名参加してくれるのか」が大きなバロメーターになってくるのである。
・ 「前評判が良い」とか「塾を回っても手ごたえは大きい」とか言っても実際に本校の説明会に参加して貰わないと学校側としては数値が読めないのだ。過去の統計データはあるのだが果たして「去年の浪速ブーム」はまだ続いているのか、「心配症」な私としては今から来年の公立高校の合格発表の日、3月23日前後まで正直不安な日々が続く。私立高校の理事長も大変なのだ。
・ 「少子化」の中で増して世の中の経済問題がここまで不安要因が出てくれば「相対的に高い私学の授業料」を考えたら「公立回帰」が起きても不思議ではないが、ところが実態の動きはどうも違うらしい。
・ 即ち「私学人気」はますます強くなっているという。例えば小学校で言えば1999年、全国で171校あった私立小学校は2008年には206校あるという。横浜国大の望月准教授の調査だ。日経に記事として出ている。
・ 地域別にいうと東京26%、神奈川埼玉千葉20%、京都大阪兵庫で17%と首都圏と関西圏に2/3が集中しているという。「ここ10年で6%増えており」この傾向は徐々に地方にも拡大していっている。
・ 最も児童数で言えば学校数は伸びたといっても私立小学校の在学者はまだ全体の1%に過ぎないが、従来から「小学校は地域の公立小学校という枠組みが崩れ始めている」のは間違いない。
・ 私立小学校と言えば「慶応幼稚舎」ではないが大学までの進学が保障されたエスカレーターを連想するが実は「多様」であり、望月先生によれば併設大学に半数以上進学する「エスカレーター型はむしろ少数派」に過ぎず、最大多数は「中学校受験準備型」だという。「悲しくて面白い話だ」。
・ 私立小学校は難関の私立中学校の受験準備で入学を目指すというのだ。併設の私立中学校高等学校は「万が一の保険」であり、「すべり止め」と言うわけだ。本当に色々なことが起きはじめた。全ては「公立不信」であり、親の気持ちとしたら「子どもの人生のためには私立が良い」と考えているのだ。
・ しかし小学校から私立の学費を考えると「富裕層」にしか「私立にはやらせられない」という傾向にもなるだろう。でも付属小学校を併設する大学側は単純明快で「選択権は生徒保護者にあり、授業料をちゃんと支払ってくれる学生が私学では当然のこと」と言ってはばからない。確かにそうだ。「だからこそ私学の付加価値がある」と言える。
・ ますます「親の経済力格差が子どもの教育環境格差」となってきているのか。教育費は幾らかかり私立受験の実態はどうなっているのかについては「文部科学省の調査データ」がある。「子どもの学習費調査」と言われるもので授業料などの「学校教育費」や塾や習い事にかかる「学校外活動費」などの平均額が幼稚園から高校まで公立、私立別に出ている。「生涯獲得賃金を見れば十分元は取れる」ということだろう。
・ 2006年度の調査によれば幼稚園から高校まですべて「公立の場合は571万円」、「すべて私立なら1678万円」という数値がある。それでも「私立受験熱」は前術したように年々高まっており、大手学習塾の四谷大塚によれば首都圏の1都3県の小学校6年生の17.7%が私立中学校を受験し、この数値は新記録と言う。
・ 「30台、40台の夫婦で子どもに質の高い教育を受けさせたい」という比率が急増しているという報告もある。ファイナンシャルプランナーの藤川さんは「年収400万円以下でも子どもは立派に育てられる」が塾や習い事を考えると年収は800万円は必要だという。
・ しかしここまで「公教育の信頼」がなくなったということは私らの世代の驚きを超えている。正直言って今まで私立にお世話になったことは一度もなくすべて公立であったが、それだけに「公立の怠慢」が余計に目に付く。特に大阪府は酷い。橋下知事が吼えまくるのも分かる。一体誰の責任か。
・ 「うちは一人っ子になりそう」と歎くのは首都圏に住む39歳の女性だ。ご主人は大手メーカーのエリート社員(41歳)年収は奥さんのパートの分も入れて940万、住宅ローンや税、社会保険料などの天引きで手取りは約770万円、結婚した時は「子どもは3人は欲しいね」と話していたが「夢に終わる」というのだ。一人で一杯一杯というのだ。
・ 長女が3歳になり、私立幼稚園受験の準備を始め受験対策の費用がなんと月10万円、入園後の学費は月4万円、ソルフェージュ教室で音楽を習い、水泳、バイオリンも習わせ本も月に5~6冊という。学費、習い事、本代で月度10万円を超えるという。
・ ところがそこまでは覚悟していたというが実際は学校にきて行くための自分の洋服代、保護者間のお茶やランチのお付き合いに月3万から4万円、それに小学校の制服代も高く夏冬で靴やその他を入れると何十万でそれも2年しか持たないそうだ。
・ それでもそのお母さん「子どもには出来る限りのことをしてやりたい。私立は教育熱心でしつけもしっかりとしてくれる。子どもの友人関係も必ず将来役に立つ。だから母親同士の付き合いも必要」と断言するそうだ。記事にはそうある。
・ しかしお金のために子どもが生みにくくなっていきつつある日本の社会って「なんかおかしいと思うがこれが現実だ」。我々ができることは治世のことはさておき「高い授業料を払って本校を選択してくれた生徒保護者に120%尽くす気概」だ。あえて「尽くす」と言う言葉を使う。一面「教育とは尽くす」ことだ。「私立においては尚更だ」。これがなかったら生徒を預けてはくれまい。

2008年10月13日月曜日

10月13日(月)激動の時代の指導者像

・ 麻生政権が誕生し、今自民党公明党の与党と民主党を中心とする野党が衆議院選挙を巡って鍔迫り合いをしているが、いずれにしても麻生総理か小沢総理か、はたまたどの政党も過半数を単独で取れず大連立となって第3極の人が総理になるのか、相撲の仕切り時間と同じで面白くなってきた。
・ 海の向こうのアメリカでは共和党のマケインと民主党のオバマ候補がしのぎを削って大統領の椅子を争っている。「激動の時代、指導者に求められるもの」は一体なんだろうかと考えてみるのは面白い。「企業や、学校などあらゆる組織の指導者についても本質的には変わりはあるまい。」
・ 数日前のブログで「学校の校長に求められる資質」について少し触れた。“個性豊かな教職員、中にはわがままそのものもおり、これらをまとめてベクトルを併せて率いていくのは「そう楽な仕事」ではない。まず経営センス、法的知識、なにより「胆識」が必要だ。場合によっては「法廷闘争」を辞さない「覚悟」が必要だ。”と書いた。
・ そして“A4版2枚くらいのブログを15分で書けるような「文章作成能力」のある人、入試説明会で来訪者を感嘆せしめる「プレゼンテーション能力」、着るもの食べるものに「品位とセンス」がないとダメだろう。大学関係者に直ぐアポを取って「交渉力」のある人間、「戦略と戦術」を兼ね備えておれば言うことはない。一言で言えば「発信力」のある人でないと今後の理事長、校長は務まらない。加えて前述したように「勉強し続ける努力」は絶対だ。”とも書いた。
・ 今年は戦後63年、明治維新から太平洋戦争までが73年だったことを考えれば「戦後まもなく作られた日本の社会システムはもうそろそろ限界を迎えている」と論考しているのは「歴史作家の安部龍太郎」さんだ。尊敬する歴史作家で上手い。
・ 実際「年金」「医療」「環境」「所得格差」「教育」あらゆる面で「行き詰まり」だ。もうにっちもさっちも行かない感じで、問題なのは全員が分かっているのだが「処方箋」が見つからないのが、余計に人間をイラつかせている。
・ こういう激動の中で「指導者」とは一体どのような人が求められるのかというのがテーマだが、これに対して安部さんは「確固とした世界観」を持っていることを挙げる。確固とした世界観とは一体どういうことか。
・ 「新しいシステムの創造が必要」である。今の日本には「右肩上がりを前提としない新しいシステム」が求められていると言う。「その通りだと思う」。私の表現でいえば「少子高齢化社会で今後国民総生産が増える勘定にはならない。パイが増え続ける時代は去り、縮小の中で新たな分配システムが必要になった」ということだろう。
・ 安部さんの記事は小さいものだったが私には「霧が晴れるように頭の中が整理」できた。安部さんは「現代は豊臣秀吉政権の末期に似ている」と言う。信長から引き継ぐ形で中央集権国家を作った秀吉であったが、それは戦国末期のシステムの最終型というのだ。
・ 権力を自分のところに集めようとして失敗し、反発を招き崩壊したが家康は秀吉の失敗を参考にして「地方分権型の政権」を作り300年近くも続いた。このシステムは300諸侯の大名の動きは「徹底的に厳しく監視」するというもので、その代わり「自治は認める」というものだ。
・ 安部さんは個人的には既成概念を次々と打ち砕いていった信長を評価していると言われているが、「現代の日本に望まれるのはむしろ家康型」ではないかと論考される。破壊しただけではなくてそこから「創る」という行為が必要で、創造には「思想が不可欠であり、家康にはそれがあった」と言われる。
・ 紙の下から磁石を近づけると紙の上に散らばっていた砂鉄は一ヶ所に集まる。同様に人間の行動は価値観によって左右される。混迷の時代にあってはその「価値観を変える」ことが求められている。
・ 「新しい価値観がもたらす世界を具体的に提示」してそこに国民を導くのが国家のリーダーの役割と安部先生は言われる。一言一言心に入ってくる。国家を一つの学校に置き換えれば良い。
・ 校長は磁石を近づけると紙の上に散らばっていた砂鉄が一ヶ所に集まるように、多種多様な教員を強烈な磁石で集めなければならない。その要諦は「新しい価値観を示す」ことだ。その価値観にそって施策を推進し、その結果生まれ出る「世界観」を提示しなければならない。
・ その具体的な行動は「破壊」だけではなくて「創造」が必要である。一つのキーワードは「分権」だということで校長への中央集権の限界は長続きはせず、各教職員がそれぞれの権限を持ち責任を果たしていくということである。そしてリーダーたる校長は権限委譲した後の「それぞれの教職員に働きと実績を適切に評価し配分を決めていく」ということである。
・ 私は「極めて大きな破壊」をした。そのことは間違いない。「完膚なきまでにこの学校の有り様を破壊」した。そして今「新しいものを創造」している。一つは「人材評価育成システム」であり、もう一つは「労働基準法準拠の新勤務管理システム」である。
・ 従来日本の私立学校に無かったこの二つのシステムを用意し私は「教職員に新しい価値感・世界観を示している」と考えている。道は厳しいがやらねばならない。このことが「教職員の為」である。
・ 月々の給料を上げ、賞与を増やし、結果として学校がつぶれては意味はないのである。99%の人間が理解してくれている様相である。今後とも新しい価値感、世界観を示していかねばならない。時には立ち止まって考え、時には走りながら考えていかねばならない。時間的猶予がそれほどあるとは思えない。
・ そういえば最近は「理事長、なんでそれほど急ぐのですか」と言われることはめっきり少なくなった。一昔前はこればかりだった。それは私の価値観、世界観が理解できなかったからだろう。
・ 世界の政治経済システムが我々の予測を超えてうごめいている。どうも世界も日本もおかしい。まさに激動の時代である。マニュアルはない。「全員が一致協力してスピーディに目の前の問題を解決」していかねばならない。あれこれ理屈を言っている暇はない。教員も「大局観」が大切だ。
・ 「大局観」など微塵もなく「銭勘定が先にくるのでは思想は語れない」。今ようやく新しい世界観が求心力を持ってこの学校に出来つつあるのを実感する。「それはこの学校を愛し、大切にするということが自分の職場を守る」ことだと全教職員に再認識されてきたからではないか。
・ 今浪速は粘着力が増して上昇気流に乗ろうとしている最も大切な時だ。学校内、学校外を峻別して動かなければならない。「教員は校内が勝負の場所」である。校外ではない。校長から言われなくとも積極的に動き、「私の働きを見てくれ」と言えるようにならなければならない。

2008年10月12日日曜日

10月12日(日)舞台「黒部の太陽」

・ 大手会社の専務取締役大阪支店長をしている大学の同窓生が観劇のティケットを呉れた。舞台「黒部の太陽」である。団塊の世代であり、「お互い若かった昔を思い出そう」といったところだろう。梅田芸術劇場で上演中である。1950年代日本の高度経済成長の皮切りとなった黒部第4ダム、通称クロヨンダムを造った「男たちの群像劇」である。
・ 僕は今でもこの「映画」のことははっきりと覚えている。小さい頃から「映画好き」で良く見に行ったが、これは1967年封切りの映画だから大学2年生の時だ。昭和の大スター石原裕次郎が、助演に三船敏郎というこれも大スターを呼び、名監督「熊井啓」が作った映画だ。
・ 石原裕次郎というと若い世代は「銀幕の大スター」のイメージではなくてテレビの「太陽に吼えろ」のイメージだがとんでもない話だ。今でもこのような「華のあるスター」はいない。まさに輝くスター中のスターだった。私などは歩き方まで真似たものだった。
・ 裕次郎と呼び捨てにするのがカッコよかったし、「裕ちゃん」と呼ぶのが普通であった。今の世では“きむたく”とかが並び称されるのかも知れないがとんでもない。足元にも及ばない。スケールが違う。
・ 本校では55歳以上の先生方は私の言うことを理解出来る筈だ。この前20台の先生に聞いたら「お名前は聞いたことがあります」とだけ言っていた。「昭和は遠くなりにけり」だ。
・ 切符を貰ったときに聞いた話であるが「裕ちゃんの遺言」でこの映画はDVD化されず今日まで封印」されてきたと言う。そういえばビデオが無い。これを再映画化ではなくて「舞台化」するというのだ。しかし「映画のあの迫力」が舞台で出てくるのか疑問であった。
・ 当時の裕次郎は「夜霧よ今夜も有り難う」の歌が大ヒット中で上り調子の時代だった。映画会社で出来ないようなスケールの大きい映画を作ろうと意気込んだのは良いが「五社協定」という障害があって「配給」できないという苦難に相当悩まされた。出水シーンの撮影中に裕ちゃんは足を骨折する大事故を起こすなど曰く因縁の映画だったのである。
・ 筋道は発注元の「関西電力」の責任者と工事請負の「熊谷組」の技師の二人が家族を巻き込んだ「群像人間ドラマ」であるが極めて演出が素晴らしい。筋は二重構造で進んでいく。一つは「映画つくりのストーリー」で裕次郎に中村獅童、三船敏郎に神田正輝だ。
・ 並行して進んでいくドラマは工事場面で関電の責任者北川に神田が、熊谷組の技師岩岡に獅童が扮する。即ち二人が二役を演ずる、上手い筋たてで、話が単純でないから「舞台に厚み」が出た。お連れした友人は「ボリュームのある舞台」と表現されていた。上手い表現だ。
・ 一部、二部の構成であるが、なんと言っても圧巻は一部の終幕の「トンネルからの出水シーン」だ。テレビなどのコマーシャルで流されているが実際40トンもの水が舞台前面から噴流してくるのだ。「ど迫力」があった。
・ 場内最前列の人には「雨合羽」が支給され、めがねも渡されていた。水の飛沫除けだ。一部と2部の幕間は30分でこの間に舞台の水を大勢の人が出て取り除くくらいの水の量である。
・ 舞台中央にはあの大きなトンネルと、くるりと変わる石原プロモーションでの裕次郎の映画つくりの場面、これらが交互に映画の「カット割り」みたいに出てくる。佐々部清脚本演出というが、この監督は存じ上げなかったが映画出身だけに「映画を見ているような錯覚」に陥るくらい絶妙な演出であった。「素晴らしい」。
・ 脇役陣には芸達者が揃っており中でも獅童の父親役で「大地康雄」が舞台を締めていた。良い役者だ。その他ベンガル、勝野洋。渡哲也は石原慎太郎役でスクリーンから特別出演している。中村獅童は「やはり実力ある俳優」である。
・ 彼は歌舞伎、映画と存在感のある俳優であるが、奔放な部分で裕次郎に肉薄はしてはいるけれども、裕次郎ほどの華はない。それくらい「石原裕次郎は別各の大スター」だったというのが分かる。誰も100%裕次郎を再現は出来ない。それに「脚の長さ」が違う。
・ 最後の場面、裕次郎が「俺は待ってるぜ」という大ヒット曲の題名を「せりふ」として獅童が言うのだが、「このようなスケールの大きい映画を作れ」、それを「俺は待ってるぜ」とかけているのだ。「俺は待ってるぜ」の歌を知らない人には意味は分からなかっただろうが、僕は笑ってしまった。
・ 久しぶりの観劇であったが大変良かった。観劇には「着物姿」が良く似合う。それで今日の「結婚式も着物」にした。結婚式だから普段着の着物と言うわけにはいかない。「お召しの紋付」に色違いの「一つ紋のお召し羽織」に下は「仙台平の袴」だ。これで一応準フォーマルな装いとなるだろう。
・ 元来は羽二重の黒紋付であり、持ってはいるが、今日はそこまでは必要ない。母がすべて揃えてくれていたものだ。今まで着ることはなかったがどういうわけか昨年くらいから「着物にはまっている」。着ていて楽なのだ。体形がメタボになったからだろうと思うがメタボの体系には着物が良い。
・ しかし最近の結婚式は夕方から始まるらしい。11月にあるのもそうだ。考えてみると分からない話ではない。披露宴は夕方6時に始まり8時30分には終了した。大変良い披露宴であった。
・ 新婦は大阪私立小学校の教諭で信州大学教育学部卒業の才媛だ。ご実家はぶどう園を経営さされているという。そういえば素晴らしいワインをちょっと前に新郎のH教諭から戴いたのは奥様の実家の産品だったのだ。あれは「旨いワイン」」だった。
・ このように「若いカップルが希望に燃えて輝いている顔」を見るのは嬉しいし、私も頑張らねばと思う。もう何十回、結婚式に出ただろう。まさか教育界に転じてまで結婚式にお招き頂くなんて思ってもしなかったが、この年になると複雑な気がする。そんなに若くない自分を思い知らされるのだ。「先生ももうお若くないんですから」との葛藤だ。しかし一方ではもう十分な気もする。「若人にエール」を送らねばならない。

2008年10月11日土曜日

10月11日(土)女性パワー

・ 今日は「学年集会」当日である。従来この日は「PTA秋季総会」であったが今年から「学年集会」に衣替えしたものだ。PTA総会は春だけで十分である。春は役員人事や会計決算などがありこれは「総会での決議が必要」であるが、秋については「総会」まで拡大する必要はない。
・ それよりも私は「保護者と教員の距離」を縮める必要が有ると考えた。総会となると学校側も校長以下管理職で対応し、PTA側も役員が主体となる。管理職と役員は言ってみれば何時も会って話しているような感じであり我々が時間を取るべきではない。
・ それに総会だと全ての学年となるが1年生は1年の課題、2年生は修学旅行とか転科転コースとか、3年生は卒業までもう時間が無い。それで今年から「学年に特化」して「学年集会に衣替え」をしたのだ。これも改革の一つである。このような些細なことでも学校は誰かが強烈に指導しないと変わらないのだ。
・ 案の定各学年で「テーマ」は変わってくる。それに進路指導部が直接保護者に説明する機会など今までなかったらしい。これも不思議な話だ。前の学校では進路指導部長の話を楽しみに保護者が多く集まってこられた。「校長先生、出来ればご挨拶は短めに」まで言われたものだ。
・ 大体公立の学校は学年で日時が違うのが普通であるが本校の初回は結局同じ日になった。この方が確かに効率は良いのだが問題は会場である。3箇所必要となる。それに進路指導部長は1年と2年の掛け持ちだ。「管理職もPTA役員も顔を出さず学年主任とPTA学年委員長がすべて仕切る」。果たして結果はどうだったろうか。副校長から「順調」との報告があったが学年主任から直接報告を聞きたい。
・ 時に刺激として「外部の講師先生」、しかし本当は本校の教師が「お預かりしている生徒のことを語る」ことが良い。そう有るべきと思う。一回目だから果たしてどうなるのか。心配だ。来校していただいた保護者から「あの先生の話、とても良かったわ」と言われるようにしなければならない。
・ それにしても「殆どの出席者は女性」だ。当然と言えば当然であるがそれにしてもこれだけ女性が揃うと圧巻だ。私は「女性のパワーを再評価」している。女は強い。男は脆いといったら語弊があろうが、男性は女性に勝てない気がこの年になってする。それくらい女性は強いし考え方が「実践的」だ。
・ あれこれ理屈を言わない。「単刀直入に本質をずばり」と突いてこられる。ここが良い。それに男性みたいにカッコつけないから、話が早いし、決まったらしっかりと実行する。今や男性よりも実行派であり、武闘派だ。

・ 本校で画期的なことが起きた。共学4年目で遂に「自治会に女性会長の誕生」だ。「嬉しい」。副会長二人も女生徒でまさに女性パワーが浪速にも現れてきた。8名の役員のうち会計と運動部長、文化部長の3人だけが男子生徒だ。風紀部長も女性だ。面白い。

・ そこで「女性教職員の比率が問題」となる。一体どうなっているのか。ここに数値がある。専任教員で11%、常勤先生で42%、専任職員では50%だ。全体では24%の女性比率だ。まだまだ低い。特に問題は「専任教員では男性49名、女性6名」だからお寒い限りだ。
・ 女性の先生を増やしていかねばならない。だからこの10月に3人の専任教諭を採用したが2名は女性だ。66%である。私の夢は早く類長か学年主任を女性の先生にお願いすることだ。早くそのような時期が来れば良いと思っている。自治会には女性会長が誕生した。教員も負けてはならない。
・ 「男女共同参画社会の最たる現場は学校」である。給料も一切変わらず男女間で処遇に差がない。このような職場はない。それくらい「学校というのは女性にとっては魅力的な職場」だと思う。 しかし当然のことながら責務もある。男性と伍して同じように業務をこなしていかねばならない。「女性だから・・というのは通用しないのも事実」だ。
・ ジェンダーとして「女性性」を考慮し「女性としての保護」は当然である。しかし夕食を子どもに作ってやらねばならないから「今日は早く帰ります」とかあれこれ理由をつけて本校生徒の面倒を見られないのであれば退場して貰わねばならない。職場と言うのは「甘くはない」。女性だからと言って、夫がいるからと言って、子どもがいるからと言って「甘えが許されない」のが職場というものだ。
・ しかし素晴らしい男性と巡りあって「良い結婚」もして欲しいとも思う。それでこそ人間の幅が広がり自分の教育技術も広がると思うからだ。「職業婦人」という言葉があるが今も昔も職業を持つ女性は男性に比べ「何か特別な重荷」みたいなものをしょっていると言う感じもする。それでも頑張っている女性教員を見るといとおしい気がして応援してやりたくなるものだ。
・ どうも女性教員に独身者が多い気がする。一つには忙しくて男性とめぐり合う機会が少ないのか、しかしそれは男性教員とて同じことではないか。実は「明日は数学の専任教員の結婚式」だ。11月にも結婚式がある。これも英語の男性教員だ。男性教員はどんどん結婚していくのに女性はどうしてないのか。専任女性教諭の結婚式に女性側として出席することを楽しみにしている。「何時のことになるやら」。 
・ ただ結婚しても理解のある夫なら良いが何時も、何時も帰りの遅い妻を我慢して待ってくれるとは会議らない。不機嫌な時もあるだろう。いざ子どもが生まれ、姑から皮肉の一つも投げかけられたら「気が萎える」かも知れない。しかしだ。そういうことは教師という職業を選択したときに分かっていた筈だ。それくらいで崩れるようでは教師にならないほうが良い。「覚悟」が足りない。うまくやれと言う。
・ 夫に理解して貰い、子どもも立派に育てながら65才、おそらく孫がいる年くらいまで本校の教師としてやりぬくという「覚悟のある女性専任教諭」に今いる常勤講師の先生から果たして何名の先生が採用されるのであろうか。人事担当副校長が苦しむ「人事の季節」が近づいてきた。女性の先生を増やさねばならない。                         

2008年10月10日金曜日

10月10日(金)中間決算

・ 「上半期の決算」の状況が概略把握できた。「極めて重要な経営状況分析」である。一言で言えば「予算通りに推移」しているというというところだ。対予算で「塀の外側に倒れ出る」ようなことは無い。一安心だが油断は出来ない。この「月次予算トレース」は新事務長により4月から実施されているものである。
・ 元々銀行出身の事務長だけに「若干こだわり」が強い面があるのだが、私は「それで良い」と思っている。本校みたいに一法人、一学校の小さい所帯で「月次予算と月次決算」をトレースして行くのは正直大変なのだが、「会計を預かる者」として「絶対必要」なことだと彼は主張する。
・ 他の事務職員もこの点は見習わなければならない。確かに「得意な分野と好きなものには傾倒」して時に他のことには集中できないことも有るのだろうが経営執行者たる理事長としては彼の「情報提供を評価」している。私は「上質な情報提供者を評価」する。
・ それは年度当初に立てた予算が計画通りに進んでいるのかチェエクできるからだ。収入、支出を「フロー」で俯瞰し、「理事長として経営のグリップの強弱」を調整しなければならない。厳しいと、きつく締め、余裕が出てくると些かグリップは緩められる。
・ 特に「人件費」の占める割合が大きいから人件費については細目をチェックする。当然収入となる補助金の動静が最大の関心事と成る。「橋下改革で私学助成の削減」が大きいものになり、ここが最大の不安材料だ。
・ 「入り」は決まっているから「家庭の家計簿」と同じで「出」を常にみておかねばならない。この「出を見ることが理事長の仕事」だといっても良い。出の最大な部分が人件費と「施設設備費」である。
・ 本校の収入は「生徒からの納付金と私学助成金がメイン」で他の「事業収入」は無い。生徒が購入する物品も全て出入りの業者さんに「商権」をお渡ししている。しかし今年から「施設使用料」として幾ばくかを「ご寄付」として戻入れしてもらうことにしたことは既に6月18日の「施設損耗使用料」ブログに詳述している。
・ 後は「寄付金」だ。神社庁から定期的に頂いている「大口寄付金」があるが大変助かっている。又9月浪速祭では名誉理事長、理事長職務代理から金一封を戴いた。又前理事長からは宮司職30年の記念として30万円頂き「奨学金ファンド」として使わせて頂く積りだ。この10月7日には「色々あって」、私も100万円を学校法人に寄付した。以上が収入の全てで他には一切無い。これから「全ての支出を賄う」ことになる。
・ 事務長は余計なことは言わないが「顔には余り使わないで」と書いてある。しかし私は必要な時は思い切って使う。「お金使いの名人」と言われてきたがそれは企業時代の昔からで、単なるお金を使うだけと言うのではなくてその使用で「他に効果が波及」することを評価して頂いてのことだと思う。
・ 例えばこの4月払い給与には「理事長特別加算」として「生徒入学者数増の祝儀」として全教職員に○万円を支給した。又5月には19年度「有給休暇未消化」の人々に対して希望があれば「買い取り」も実施した。これらだけでも数百万円にはなる。
・ 又9月1日からの「新時間外管理」への移行だ。これによる「支出増」も年度を通算すれば大きいものとなろう。しかし私は「職員が元気を出して頑張ってもらうためにも、今後ともメリハリ」をつけた人件費を「財布をやりくり」しながらやっていく積りだ。
・ しかし最も大切なことは、ここは学校なのだから「生徒の為の支出」が大切だ。教員の手取りばかり考えているようでは「私学助成の考え方から逸脱」しかねない。本校は私が着任するまで「施設設備への資金投入」はなされていない学校であった。まあお金がなかったのであるが。
・ それを私はドラスティックに革新した。正門塀、家庭科教室、体育館、中庭の人口芝生、第2グラウンド、カフェテリア、視聴覚教室、女性用トイレの増設、ブラスバンド部の楽器購入、雅楽部野楽器購入、浪速祭ステージ、教室の照明増強、弓道部の床張替え、各クラブの支援等々「今日まで2億円以上を投入」した。これでようやく「人並み以上の学校」になった。後は「新校舎建設」だけだ。
・ 私のこのような執行を見て教職員は「私という人間を理解」してくれ始めたのではないか。正門塀が更新され、生徒も保護者も教職員も胸を張って門をくぐれるように「誇らしく」なってきた。そういう行為が本校の「存在感」を高め、「生徒募集」につながったと教職員は理解してくれている筈だ。
・ これらがすべて教職員の人件費に消えて、その後学校が消えてなくなっては意味は無いだろう。生徒があれほど減っても給料が上がり続けていた学校であった。「先憂後楽」と私は言い、思い切って「学校の形」全てを改めたのである。
・ 「早期退職優遇制度」で世の中の通念とは大きく異なる「早期退職割増金」を付与して勇退して貰い、その結果、「意欲溢れる若い教員」が校内には溢れかえっている。この姿を見て「ぬくぬくとぬるま湯につかっていた」教員も安閑とはしておられなくなった。
・ 今浪速の教員は「仕事師教員」として脱皮し始めている。「凄いことだ。」自分で言うのもおかしいが今本校は「私を中心にして粘着力が高まっている」と思っている。それは最近の「某重大事件」で一般の教員がますます理事長・校長を気遣ってくれているのが良く分かるからだ。「教員が私に優しくなった」と感じている。
・ 中間決算は「ほぼ予定通り」であるが、本日一つの装置を発注した。それは「180インチの大型画面とプロジェクター」だ。先般生徒に「人権研修会」でアイヌ民族について勉強して貰ったのだが画面が100インチでは小さくて両サイドからは良く見えない。それで決心したものだ。
・ 100万円以上かかるが生徒も使え、入試広報室も利用でき、PTA集会でも活用できる。このようなIT機器は「ツール」だから使わないと損だ。お金はかかるが効果を考えれば「購入する」と言った気持ちに揺らぎはない。決断に時間が要らない。
・ このような「私の意思決定のプロセス」を教職員は見詰めておかねばならない。自分の懐にだけ入れることばかりでは人間として必ず煮詰まってくる。しかしこれで施設設備費は年度予算をオーバーしそうだ。後は来年3月の志願者の受験料と入学金の前受け金でなんとかなろう。「楽観的に考えていこう」と思う。

2008年10月9日木曜日

10月9日(木)「そうお若くないのですから」

・ 遂この前のことだ。親しい友人から「先生もそうお若くないのですから」と言われてしまった。これには些かショックを受けている。普通「まだまだお若い!」「そんなお年には見えませんよ!」とかが社交辞令だろう。
・ 人間誰しも自覚している時に「念を押されて」本当のことを言われると「ガクッ」と来るものだ。少し落ち込んでいる時に大好きな俳優の緒方拳さんが亡くなったとの訃報が入ってきた。ますます落ち込む。本当に素晴らしい役者さんだった。
・ 享年71歳というから今の世ではまだお若い。私などそれでは後10年しか生きられないではないか。10年と言うとあっという間だ。本校の理事長として新校舎建設まで何が何でも頑張ろうと思っているが、「色々有って」しんどいばかりだ。
・ 筆頭副校長に「先生、校長やれる自信ある?」と半ば冗談、半分本気で振ったら、顔色を変えて「トンでもありません。今が最も重要な時、新校舎を見るまでは先生に頑張ってもらわないと」と生真面目なお顔で答えられた。
・ 北館の補修と正門塀の設計に当たってくれた某設計事務所の社長さんがぶらりと立ち寄ってくれた。この社長さんも木村応援団のお一人だ。お年は80歳をゆうに超えていらっしゃるが、声もお姿も昨年のようなお元気さはない。
・ 今年の春先は体調を崩され、ようやく回復にあるのだが、まだ見た目は大変お疲れのご様子である。私は「社長、お顔の色が良いじゃありませんか」「まだまだですよ」ととにかく元気を差し上げる。お帰りの歩く姿も大変なご様子だった。これにも落ち込む。
・ この社長さんも、「後継者に悩んでおられる」みたいだった。「集団指導体制」でと言われるから、友人としてこれだけは言わねばならないと思い切って言った。「社長、集団指導体制なんて何にもなりません。誰が責任を取るのか分からない集団指導などは会社を潰す元ですよ」と。
・ 社長も分かっているのだ。自分が創業者でここまでの会社に持ってきたとの自負は強いが、「自分が弱ってからようやく後のことに気付く」。そういうものだ。「後のことが気になって仕方がないのだが、後継者に悩んでおられる」中に私からそのように言われて、恐らく帰り道に落ち込んでおられたかもしれない。申し訳ないことをした。
・ トップにとって最も大切なことは「後継者」だ。誰に後事を託すのか、そこが問題だ。名誉理事長、理事長職務代理も私よりはご高齢だ。「ポスト木村の理事長、校長の後継者はどうするのか浪速にとって最大の問題」である。
・ 王監督みたいに私は引き際を大切にしたい。そうかと言って緒方拳さんみたいに現役のまま突然に終わるわけには行かない。緒方さんは役者だから良いが私はサラーリマンだ。まして学校の校長だ。現役で倒れるなど皆に迷惑をかけることになる。
・ 個性豊かな教職員、中にはわがままそのものもおり、これらをまとめてベクトルを併せて率いていくのは「そう楽な仕事」ではない。まず経営センス、法的知識、なにより「胆識」が必要だ。場合によっては「法廷闘争」を辞さない「覚悟」が必要だ。
・ 皆から陰口をごちゃごちゃ言われることを恐れ、誰にも嫌われたくない、誰にも良い子に思われたい、大儀を忘れ自分が損か得かの判断基準だけの人間と付き合い、パソコン一つ使いこなせない人、事務能力が無い人、思想信条が右から左まで180度ふれている人間の「群像劇場が学校」だ。そういうところに集団指導体制など有り得ない。すぐ「ばらばら」になる。「強烈なリーダーシップのあるトップが絶対に要る」。
・ A4版2枚くらいのブログを15分で書けるような「文章作成能力」のある人、入試説明会で来訪者を感嘆せしめる「プレゼンテーション能力」、着るものにもセンスがないとダメだろう。大学関係者に直ぐアポを取って「交渉力のある人間」、戦略と戦術を兼ね備えておれば言うことはない。一言で言えば「発信力」のある人でないと今後の理事長、校長は務まらない。
・ 社会は最早年令構成など気にしなくなっている。しかし本校の校長に例えば40歳代後半、50歳前後の人を外部から連れてきて果たして校長が務まるだろうか。50代後半の「本校の主みたいな教員」を率いていけるだろうか。それを考えると暗澹たる気分にもなるのだ。
・ 理事長と校長は私の後は「分離」することはもう私は決めている。理事長の職位は「神社庁にお返しする」積りだ。後にも先にも「理事長・校長は私一代かぎり」で良い。必然性があったからそのようにしただけで本校は「オーナー学校」ではない。神社庁のしかるべき人が理事長であるべきだと思う。
・ 問題は校長だ。「理事会の経営方針を受けて校務を執行できる人材」でなければならない。一部の勢力と敵対したりくっついたり、自分の損益ばかり気にするような奴はダメだ。それに「勉強する」人でないといけない。
・ 次の体制は「校長のマニフェスト」をはっきりさせる。「公約」が達成できなかったら理事会で「解雇」する。今でも出来るのだが要は過去の理事会はそれをやってこなかったから学校は崩れたのである。「二度と失敗はできない」。他の私学では当たり前のことでそのようにして学校の力を高めているのだ。
・ 「校長は教職員の仲間ではない」。このことが分かっていないのが教員文化だ。しかしそれが難しいことだというのは分からないではない。昨日まで「好きなように言いたい放題言っていた人」がさて「今日から管理職です」と言っても周囲は「唖然とする」場面もあるだろう。
・ 府立高校は管理職になれば職場即ち学校が変わるからまだ助かるが、本校では同じ場所だ。若い頃から「やってきたこと」は皆に知れ渡っている。わがままを言ったことも有ったろうし、教員間でいさかいもあったろう。人的関係も複雑になっていると考えるのが自然だ。
・ そういう中で「今日から私は校長」と言っても「なんであんな奴が」と心で思っている人間はいる。本校の校長になる資格のハードルは高い。成って然るべき人間がなれば上手く納まるがそうでないと昔のようになる。
・ 今日はこの10月1日に採用した新任の専任教諭のお祝いの席だ。指導教官も一緒に楽しい一時を設けた。「若いなー」と思う。平均年齢25歳だ。この先生方が浪速の将来を支えてくれると思えば嬉しい。しかし年の差を考えれば冒頭の「先生もお若くはないんですから」という言葉を悔しいが実感せざるをえない。