2008年8月31日日曜日

8月31日(日)全国学力調査

・ 昨日の文部科学省発表の「全国学力・学習状況調査」結果を受けて「2年連続下位低迷の大阪府」の橋下知事は私の予想通り又府教委に爆弾を仕掛けた。私は最近彼の行動が「読める」ようになっている。知事の性格ややり方が分かってきているかだろう。
・ 話はこうだ。今朝の朝日と読売が報じている。「教育委員会はなっとらん。府内市町村別の成績開示を府教委に求める。」「状況を知らせないから市町村も危機感がない。」と府教委に対して「学力調査の結果の情報公開」を求めるというものだ。
・ 面白くなってきた。しかし事はそう簡単にはいかない。鳥取県の事態を見ればよい。県の「情報公開監視委員会」が開示を求め、鳥取県がそれに抵抗し、行政裁判になっている。要は「文科省の通達で好ましくない」とされているもので「通達は重い」というものだ。
・ 法的には政府に開示を禁止する権限はないのだが「余計な競争を招き、学校の序列化を招く」という理屈が今はまだパワーを有している。さすがの橋下知事も「学校単位の開示はまずい」と述べているから事の本質はご理解されている。
・ 要は「教育委員会制度」そのものへの「不満」だろう。しかしこれは「国との全面対決」となる。税金を70億円も投入した調査だから「国民が開示請求を求めたら」抵抗する根拠はなくなる。知事は昨日の貝塚市での教育シンポジウウムで参加者に「請求してください」と煽ったというから果たして今後流れがどうなるか。
・ 着任当初「教育委員会に命令する」と発言して顰蹙を買った知事だが、教育委員会は行政の独立委員会だから命令は出来ず要請となる。府内枚方市でも請求をめぐって裁判になっており、今後この動きは加速されるかもしれないが、私は「まあ、急ぐことはない」という立場だ。
・ 昨日のブログで「就学援助を受けている家庭」の多いところは「学力が低い」と記事にあると書いたが、そうであれば明確に市町村単位で実態が容易に想像されるようになるだろう。学力の低い市町村にある学校の保護者は「飛び上がって」驚き、憤慨するだろう。
・ 知事は分からなければならない。少子化で今や小さな行政地区の小学校、中学校の数は少なく簡単に学校名が特定できる。今そのようなことをすべきではないという意見に私は加担したい。「どうしてうちの市は低いの?」という声が飛びかうものと推察される。
・ 知事のやることは「就学援助家庭の減少策」を考えることだ。それと開示したからといって一挙に学力が向上するものではなかろう。「他に行政の長としてやることはある」筈だ。確かに実践論や具体論の出てこない教育委員会に対して「イライラ」する気持ちは分かるが、ここはじっくりと構えて本質を見失しなわないで頂きたい。
・ それにしても知事の勘は良い。勘は良いが「打ち出し方」にぼつぼつ変化を期待したい。バーンと「花火を打ち上げ」そして落ち着くところに持っていき、「議論が出来たことは良いことだ」と総括するが「先の伊丹空港廃止論」のときのように当時の冬芝大臣から「素人」と言われないようにしなければならない。
・ この話は明日以降どう展開していくのか興味ある。府教委は知事の発言を受けて「寝耳に水だ。政府の要請は重い」とかなんとか言って「抵抗の姿勢」を示しているが最後の判断は府民だ。浪速中学については今のところ「開示する気はない。」勿論保護者や塾関係者に差し障りのない範囲で「説明」するのは当然である。
・ この記事の横に同じく知事が大阪シンフォニー楽団の演奏会に出掛けられ、会場の中で子どもが走り回って騒いでいたことに対して「あれで大阪の教育のレベルが分かる」と言ったとある。あれで知事の憤慨イライラしていたのが容易に想像できる。面白い。

・ 午後高槻市にある「関西大学高槻キャンパス」に出掛ける。「関大アイスアリーナ」での「氷の甲子園」というイベントに招待されたからで、高槻キャンパスにも興味があったからである。大体今やスケートリンクはどんどんなくなっていく中で一大学が国際試合の出来るリンクを有すること自体驚きであるし尊敬に値する。
・ 「関大は凄い」。元気がある。同大学の全日本の選手高橋大輔選手や織田信成選手は有名だが、全日本からジュニアから高校生までのスケーターの才能あるものを集め、関西大学の名で養成しようというのだから「スケールが大きい」。
・ 昨日今日と甲子園大会を行い、クラス別に金銀銅の表彰だ。その後式典と一流選手によるエキジビションだ。橋下聖子日本スケート連盟会長の挨拶や長野オリンピック日本代表の田村岳斗選手や他のトップスケーターの協議を始めて見た。
・ やはり「高橋選手と織田選手は別格」だった。目の前で見ると迫力がある。当初は2階で見ていたが1階の目の前で見ると「スケーターの靴のエッジが雪面を削る音と氷の飛び散り」は凄いものだった。目の前を猛スピードで走り抜けていく様は感動した。
・ 高橋や織田などのトップアスリートの演技は「早く、高く」動く。ここが他の選手と全然違う。スピンなども「加速度が大きく急激に停止」できるのは余程のワザと体力筋力だと感じた。フィギアスケートと言うのも「面白い」ものだ。生まれて初めて目の前で見ることが出来た。
・ それにしても関西大学の森本理事長、「凄いお方だ。」昨日は高槻駅前に新キャンパスを作るために「地鎮祭」を行い、今日が子どものための「氷の甲子園」だ。戦略と戦術がすべて的に当たり、「強い関西大学」を50年にわたって作りあげてこられた。
・ 今月中旬の理事会で理事長職をひかれると私は直接お聞きしたが「寂しい」限りだ。関西大学も一つの節目を迎え、大きな転換点に差し掛かったことは間違いないがエネルギーは枯渇しない。更に関西大学は「更に大きく発展される」ことは間違いない。高槻、浅香新キャンパス、外国語学部、健康福祉学部、とにかく「前へ前への進行作戦」が魅力的だ。
・ 本校は関西大学とお互いに「強い高校と強い大学」で「将来にわたって特別な関係」を構築し本校生徒の為に何かを残してやりたいと今日改めて考えた。暑い日であった。スケート場は2階で見るものではない。温かい空気が上がってきて暑くてどうしようもなかった。リンクの側はひんやりして快適であった。「スケートを見るのは1階に限る」。

2008年8月30日土曜日

8月30日(土)全国小中学力調査

・ 「雨の始業式」になった。全校生徒が久方ぶりに勢ぞろいだ。この夏休み、事故など一切なく新学期がスタートすることが出来て本当に嬉しい。式はそれぞれの「ホームルーム」で行う。「体育館」は使用しない。1700名以上の生徒が入り又出て行くには相当の時間がかかるからだ。特別な時以外は教室を使う。私は「校内放送」でしゃべるのだ。
・ 予想通り「全国小中学力調査の結果」を各紙が大きく報道している。まず1面、そして全国版の社会面、そして大阪地方版と記事は3分野に渡って相当詳しく記事にされている。今年は些か問題が難しかったが「正答率の傾向は昨年と同じ」で、やはり「活用力」に課題が残る。応用が利かないのだ。
・ 全国別では昨年と同じく小中とも「秋田県がトップ」で富山青森福井などが上位を占める。「大阪は全国平均を下回り」、沖縄、北海道、高知などとワースト3で「悲惨」である。一体全体大阪の公立はどうなったのか。
・ 西の拠点をうたい、知事が「教育日本一」と叫んでみても全教科で全国平均を下回るという結果に教育委員会も知事も顔色真っ青で特に知事は「このざまは何だ」と本当に激怒したらしい。しかし怒っても仕方がない。新聞を読めば知事の怒りが伝わってくるようだ。
・ 小6のB問題はワースト3位、中3の国語は沖縄高知に続くワースト3位、数学Bもワースト3位で、これでは府教委も申し開きが立たないだろう。知事は「教育委員会と教職員はもっとしっかりしろ」と言いたいと詰めより、教育長も「改めて大阪の抱える課題が大変厳しいということを認識した」とコメントを出している。このコメントも如何なものか。
・ 「巻き返し決意」とあるから大金を投じて「習熟度別授業」や「独自の新テストを導入」とある。大組織だから「その気になればやるだろう」が問題は本校でもそうだが家庭での「生活習慣の改善」である。しかし実際は「家庭訪問くらいしか決め手はない」のが実態である。
・ 「就学援助」を受けている家庭の比率が高いほど「低学力」とのことであるが、そうだとすれば全国断トツでトップの大阪の状態からすればこれは厳しい話となる。確かに「経済力は教育力」の面はあるだけに、先の「橋下改革の方向と整合性」があるのか気になるところだ。
・ 注目しなければならないのは「府独自の学力テストをやるというもので、これは全国学力調査対策としての模擬試験に近い」。ワークブックも作ると言うから「なりふり構わずかかっていく」という感じだ。来年も全国平均を下回れば「責任問題」となり府教委は「信頼感を失いパワーはなくなる」だろうから今後1年は必死だろう。本校も「新しい考えを導入」して対応策を考えねばならない。
・ しかし私は各紙が全く触れていないが今回の結果をすべて家庭とか生徒に振っているところが気に食わない。「学校長とか教職員の意識と熱意」とかあるだろうと言いたいのだ。仕事柄中学校の関係者や塾の先生などとお話を伺う機会は多くあるが、大阪市内の小中では「これが学校の管理職?これが先生?」などの話しは枚挙に暇がないくらい多いのだ。4時過ぎには帰る教員もいるらしい。
・ 幾ら府教委が頑張り、予算をつけても「現場の先生が働かなかったら意味はない」。元々教職員団体は今でも「全国学力調査に反対である。」数値化に繋がり、序列を生み、過当な競争となるという黴の生えたような理屈を未だに振りかざしている。この辺のことに全く触れていない各紙には些か調子抜けだ。産経でさえもそうであった。
・ さて問題は「浪速のポジション」だが、中学の教務部長が鼻歌交じりに部屋に入ってくるから想像できる話しだ。「全科目で全国平均を大きく上回った」。特に国語Bが昨年は悪かったが今年は大きく好転した。これは「視写」と直前に「表を読み取る特別授業を数時間特訓した成果」だと胸を張っている。やれば成果は跳ね返ってくる。
・ 国立、公立、私立間で言えばその「格差は拡大」しているとの分析が朝日の詳細記事がある。国公立は愛知県の犬山市を除いて(今揉めに揉めているが)全学校の参加であるが私立は希望制で昨年に対して「参加率が6割から5割」に下がったとある。
・ 私立の中には参加することが「返って弱点を明らかにする、恥ずかしい」と言って敬遠するのだと思うがそれは良くない考えではないか。「データがないのはわびしいし切ない」ではないか。本校は今後とも参加し、データを蓄積して「日々の教育活動に活かす」ことが大切だと考え連続して参加する。来年は70名と一挙に生徒数が増えるので結果に興味が湧く。
・ とにかく今や「習熟度別授業」は「常識」となってきた。昨年着任してから何回も何回も言ってようやく中学の教員も分かってくれるようになってきた。「伸ばすものはより伸ばし、遅れているものは細かく指導して引き上げる」ためにはある程度レベルをそろえないと効率的な授業は出来ない筈だ。
・ 大阪府も動き始めた。「夜スペ」という何かいかがわしい響きのする追加講習もするだろう。当方も安閑とはしておられない。「中学も高校も更に学力向上対策に集中」していかねばならない。今回のデータを共有して更にレベルアップを図らねばならない。「全国私学平均との差」が問われることになってきた。「私学間競争」なのである。
・ そのためにも「服装などの生活習慣の改善」も重要である。そういう意味で今日の始業式から「全面作戦の展開」をして「生徒生活指導の質的量的レベルアップ」に入った。生憎雨の始業式となったが校長講話もじっくり話した。
・ 一度にはいかないが「全教職員でスクラムを組んで対応」することが重要だ。今度の作戦は「いい加減なものにはしない」。したら生徒に足元を見透かされる。頭髪、スカート、化粧、づり下げズボン、靴のかかと踏み、色物Tシャーツ、徹底して指導する。そのことが「生徒の為になる」と信じて疑わない。
・ 「駄目なものは駄目と教えないといけない」今まで我々は色々と理屈をつけて「逃げてきた」のではないかと最近考えるようになってきた。今日の職員会議でも思いを伝えた。時間はかかるが一歩づつ前に進もう。必ず「投入したエネルギーは何らかの結果を生み出す」ものだ。

2008年8月29日金曜日

8月29日(金)イントラネット第2弾

・ 「教員給与減額へ」と小さいながらも過日の夕刊で朝日が報じている。しかしこの記事は見落とせない大きな意味がある。「文部科学省は来年度の概算要求」で「教員給与をマイナス要求」する方針を固めたとある。担当部署が概算段階で予算のマイナスを要求するとは「厳しい話」だ。今まで文科省は教員給与の充実を求めてきていたのに完全に動きが異なる。
・ この背景は今まで何回もブログにおいても触れてきているが要は公立学校の教員は一般公務員にくらべて「給与優遇が法律で義務付けられている」もので、この優遇をやめようというものだ。
・ 即ち義務教育等教員特別手当を本給の3%分から2.2%に引き下げようとしている。この手当は07年度までは3.8%であったが08年度は3ヶ月のみ3%としていたものを通年に拡大するもので合計75億円の減額となる。徐々に引き下げてきている。
・ 田中角栄元総理の時代に名法律と謳われた「人材確保法」が確か昭和48年だから35年で完全に低下の方向が確認された。「メリハリのある教員の給与体系」が背景にあるのだが組合側の反発は必死だろう。しかし最早この流れは止められない。
・ 逆に校長や教頭の「管理職手当は引き上げ」5億円の増額要求、「特別支援教育」に携わる教員に支払われる調整額は4億円減額するため差し引き1億円の増加だが要は「仕事の質で支払うというメリハリ」だ。
・ 組合が幾ら文句を言っても「出せないものは出せない」のだし、大阪府にとっては先の「橋下改革で職員の給与が10%減額」となるからダブルパンチだろう。私学も「対岸の火事」ではない。もろに影響が出てくる。いや既に出始めている。
・ 「セイムワーク・セイムペイ(同一労働には同一賃金)」の原則からすれば次に私学に話が及んでくるだろう。教育公務員は来年度以降調整手当は2.2%となるが「本校は現在3.8%支給」しており、他の項目もあるので単純比較はできないが、いずれ棚卸ししなければならない局面があるかもしれない。
・ こういう情勢下ではあるが浪速は9月1日以降「勤務時間管理に関して新たな局面」に入る。学校社会で「残業時間管理」に入るなどは「画期的な試み」である。名実共に「公立学校準拠」から「労働基準法下の私立学校」として勤務時間を捉えるのだ。
・ 今まで何回となくブログに記述し「教職員の意識改革と府民保護者への訴え」を行ってきたがようやく本番に入る。感無量である。着任以来1年と8ヶ月ここまで到達した。キーは「個人パソコンの供与」であった。これがなかったらここまでとても来るわけには行かなかった。
・ まず校内メールシステムを整備し、各種申請業務などを「イントラネット」として整備した。そして今回の「勤務時間管理」だ。この間の内容は「すべてノウハウ」に相当するからおいそれとは外部に開示できない。
・ ただ9月1日以降は「勤務中」「非勤務」「クラブ指導中」が明確に時間管理されるようになったということだ。出勤してパソコンの電源を入れ直ぐに勤務に入る場合は「勤務開始」のボタンをクリックすれば良い。極めて分かり易いシステムだ。それと管理職はその日のあるいは特定の日の全教職員の勤務状況は一目で把握できる。
・ 又「特定の個人名で検索」すればその人間の過去に遡った勤務状況が分かるようになっている。これで「職員の労働時間管理」に役立てることが出来る。要は組織の管理者は所属職員の労働負荷について把握しておかねばならない「労働基準法の精神」に沿うことが出来るようになったのである。
・ しかし運用を誤ると「肥大した残業時間」となる。これは避けなければならない。何回も書きているが「残業」と「残留」は異なる。あくまで「上司の許可、指示が条件」である。又システムについても修学旅行付き添いなどは「特殊勤務」と位置づけている。
・ 「クラブ指導と公式戦付き添い」についても区分しており、今回は「業務委託」の考え方を顧問弁護士の意見から取り入れている。勤務時間内、外の教員の講習は「受益者負担」として「兼職兼業」を認めることにした。
・ 従って主体は「分掌業務に関わるもの」が対象となろう。教職員には初めてのことで理解しにくいかもしれないが「残業時間管理とは仕事の進め方の変革」を意味する。分掌の人間が集まって放課後「何時間も会議をして」それを残業としたら総計時間は膨大なものになる。
・ 「仕事の進め方」に工夫を凝らし、「司、司が決めていく」「周知徹底は校内メールで」ということもテーマによっては必要となってくるだろう。とにかく学校というのは「全員が一同に会して物事を決めていく」というスタイルにこだわるが、それでは何時になっても仕事は減らない。
・ 「決めるべきところが決め、それを全員が実行」していくという考えが大切だ。勿論今回の新制度への移行で「教職員に対する残業代の支払い」は当然であり「予算化」もしているがそこには限界もあることを知らねばならない。
・ 「残業代を稼ぐという概念」は間違っている。仕事を整理し、過重労働から解放され、ゆとりある職場生活を達成するための労働基準法である。結果として定時外に行われた労働時間に25%の割増対価をつけて「時間外労働時間対価」を使用者側は支払うものである。
・ 本校の教職員は今までの校長日記に記した「一連の経緯と方針を熟読」し頭に入れて対応して欲しいと念願している。もし実態が異なる方向に向いてきたら「公立教員と同じように教員調整額を減少し最終的に廃止」していかねばならない。こちらの方が影響は大きい。
・ すでに事務職員は3.8%の調整手当は完全にこの4月から削減されており、それでも我慢して頑張ってくれている。本システムが上手く機能し、本校の教職員が「浪速は良い職場」だと思って頂けるように頑張って参りたいが、とにかく全員の意思が揃わないとこういう新しい制度は上手く行かない。期待している。各管理職は徹底して推移をみていかねばならない。

8月28日(木)学校自己診断

・ 来年度に向けた「入試広報の活動が本格化」してきた。今日も公立中学校から12名の生徒が来てくれていた。中学校単位で高校訪問となる。この「訪問者数が実際の受験人数に関わってくる」ので入試広報は「慎重に親切に対応」してくれている。会議室を覗いてみると冒頭は「ビデオ」を見せていた。例の「ガクナビ」を編集したもので、これは大変良く出来ているから、格好のツールだ。
・ 一方「ビッグイベント」として9月10日には「塾長様対象の学校説明会」が10時から「堺ロイヤル」で行われる。こちらの準備もある。特に今年は多くの生徒を送って頂いたから「そのお礼」と生徒たちの「学力の伸び」について報告する積りだ。
・ 私が言うよりと思って今年は理数科長兼普通科Ⅰ類長の数学科O教諭が行う。彼は「データ」を多く有しており、適任者だが「プレゼンテーション」はあまり上手い方ではない。「練習と時間制限を注意」した。やってくれるだろう。彼の熱心さは全ての人が容易に理解すると思う。本校の進学実績を上げるエンジンの一つだ。もう一人エンジンがいるがこちらの方は時々遅れて到着するので気をつけなければならない。
・ 私からは「大学との連繋」について「初めて公式に発表」する積りだ。今のところ新聞紙上とか電車のつり看板等でPRする積りはない。デパートの催事でもなければスーパーの安売りチラシではない。じっくりと生徒と保護者に伝われば良いと思っている。
・ 浪速高校は既に部活動体験や中学生の学校訪問を受け入れており、徐々に活動を拡げてきているが次は「浪速中学校」だ。9月27日第一回目の「浪速中学校入試説明会」を開くことになっている。こちらの方も資料はほぼ準備できつつある。
・ 本校は高校も中学も「パソコンの使い手」の先生が多く本当に助かっている。「資料作りは上手い」。これが「パソコンなど不得手」などの教職員ばかりだったら「大変な事態」となっていただろう。今指で数え上げても直ぐ20人くらいにはなる。その「レベルも相当なもの」だから「これは浪速の財産」だ。今後採用していく教員も「条件としてはITに強い」ことは有力なアドバンテージになろう。
・ 昨日中学校「各教室にモニター用テレビ画面が設置」された。42インチの大型液晶画面である。パソコンとDVDから映像を取り出し「教育ツール」として大いに武器になる。早速3年生の講習に使った教員がいる。授業に変化が出来、生徒が「意識を盛り上げて」呉れれば「高い投資」もすぐ取り戻せる。
・ 最も中学校教育後援会からの「支援」だから嬉しい反面、成果を出さないと申し訳ない。しかし中学は今本当に良い教育をしてくれているとの実感が私にもあるので、「大きな武器」になるだろう。間違いない。
・ 「平成20年度学校自己評価中学校の部」がまとまった。今年から学校自己評価を本格的にスタートした。その始めにまず「全中学生のアンケート」をとりそれをまとめたものだ。評価基準はA:大変良く当てはまる、B:やや当てはまる、C:あまり当てはまらない、D:当てはまらない の4段階評価とした。
・ 大項目として「豊かな心と健やかな体」「確かな学力の向上」「信頼される学校」の3区分で「経営目標」を定め「自己点検の細目」を決め生徒に問うたものである。最初の項目は「学校が楽しいと思うか」に始まり、「分かり易い授業が多いと思うか」「宿題は多いと思うか」等等が並んでいる。
・ 分析では「浪速がめっちゃ楽しい」という比率が群を抜いている。又自分自身が「浪速中学校で成長しているという実感」を有しているのが大変良く分かるデータだ。これらは大変素晴らしいことで校長としては極めて嬉しいし、「中学校の教員が良い教育を展開」してくれている証拠だ。
・ ところがデータを見ると課題も浮かび上がってくる。「学校で将来の進路について考える機会」の項目では生徒は「少ないと感じている」のだ。最も特段のことが無ければ自動的に「浪速高校に進学」するのだから「進路指導」といった形だったものが少ないのが影響しているものと考えられる。中学生は正直だ。
・ しかしこれはいささか不味い。「軌道を修正」しなければならない。中学生ゆえに早い段階から「進路指導」して悪い筈はない。「知恵と工夫」が必要である。また保護者とも将来の目標について話しあっったりするのはCとD併せて64%にもなる。これも問題だ。次回の保護者懇談会では学校から言及しなければならない。しかし今度の大学との連携は「中学校から始める積り」だからこれは意識改革につながるだろう。
・ 「個人に応じたきめ細かな指導が行われていると思うか」の項目では各学年とも74%の高い数値だ。しかし正直言えば80%以上は欲しいと思う。意外に思ったのは「校内は整理整頓され安全であると思うか」に対しては79%の数値が出ており私の感覚とは違う。生徒はそれほど綺麗でなくとも綺麗に感じるのかなと思う。
・ さて29日は先の5月に行われた「小中全国学力調査の結果が発表」される。学力低下問題で数十年ぶりに何十億もかけて行われた第2回目の結果が出る。これも「学校診断に使える貴重なデータ」だ。浪速中学はどういうことになっているのか。
・ 関心は自校と「大阪府のポジション」だ。昨年と同じように大阪の小学6年生と中学3年生が全国45位。47位とか底辺レベルであったら「大変なことに」になる。橋下知事は「怒り狂う」のではないか。又教育委員が責められる。
・ 恐らく明日以降しばらく新聞紙上を飾ることになるだろうが,大阪市の公立の先生も昨年の実績で頑張った筈だから「昨年みたいな悲惨な状態」とはならないだろう。本校は全国の数値と昨年の数値、それに今年の数値と徹底的に分析する。昨年は数学と英語が大変良い数値で国語に課題を残したが果たして今年の3年生はどうなるのか興味ある。
・ このようにして「教育成果を数値化」して眺める努力が必要だ。「やりました、ただやりました」では駄目だ。「教えた結果、どうなった」が一番重要なことだ。中学の教務部長は「胃が痛い」と言っているがそれが当たり前で3年生の担任も気が気ではなかろう。責任感が強いとそうなるものだ。それがストレスだ。「ストレスの伴わない仕事なんてある訳がない。仕事は遊びではない」。
・ 一部の勢力は「教育の数値化は悪い」ことだ。「数値目標は過度の競争を煽る」とか言って反対するけれども、ならば自分たちの教育活動をどのようにして解析、分析するのか教えて欲しいくらいだ。
・ 結果を受け止めてそれを分析し次ぎに対応していくというごくごく一般社会で行われている当たり前のことがようやく学校にも到来してきた。歓迎する。尚私は「データの開示」については現段階では慎重である。その学校の校長と教師が知れば良いわけで生徒や保護者に結果をすべて開示する必要性は感じていない。

2008年8月27日水曜日

8月27日(水)その2:兼職兼業

兼職兼業で府立高校の教諭処分
・ 昨26日の教育委員会で「一人の府立高校教諭が処分」された。今日のもう一つの校長日記に書いているように「教諭の処分が教員委員会の仕事」だ。今月の処分はこれだけだが大体例月2ないし3件ある。通勤費不正受給、わいせつ行為、セクハラ等色々あるが今回の処分には感じるところがある。教育委員会のあった翌日に必ず新聞に出る。
・ 恐らく「書道の先生」だろう。62才の男性教諭だ。書道の先生は少ないし、62才ときたから「ピンッ」と私には来た。特定できる。知り合いだ。公立の先生は60才定年でその後本人が望めば63才まで1年契約で勤務できる、その途中での事件だ。
・ 勿論年金受給までを考えての「嘱託教諭」としての配慮だが大体週3日勤務くらいだろう。持ち時間は8時間から12時間までとフルタイムではない。言ってみれば「温かい配慮」である。しかしこの先生は大阪市内の画材店で書道を指導し年間100万円を受け取っていたことが、これまた「内部告発」かなんかで明るみになったのだろう。
・ このほか書道の昇段試験で合格者に出す免状の記名する作業を請け負い年間5万円、昇段試験の審査員としての報酬が50万円だったらしい。加えて処分の対象は驚くことに書道雑誌に解説原稿を執筆して報酬を得ていたとか、不動産賃貸しでも利益を得ていたという。
・ 優秀な腕を有した「書道家」である。60才定年で年収規模は300万円くらいだろう。少し時間に余裕ができたから自分の専門を生かせることで利益と言うか報酬というか「謝礼」を受け取っていたことが「公務員の兼職兼業の禁止」に触れたのだ。
・ しかしそれにしても62才の恐らく40年間くらい府の高校生の書道教育に当たってきた芸術分野の教諭を「処分するか」ということだ。しかしここが微妙なところで「やはり処分することが妥当」と法令に準拠したものだ。
・ 処分内容は減給6ッ月1/10と記事にはあるが、教諭は「けったくそが悪い、辞めてやる」と当日付けで「依願退職」したらしい。本人は腹が立ったと思うが「これが法律であり、公立公務員のせつない」ところだ。
・ 私も4年間、公立公務員の経験があり、今でも「公立共済」からお涙みたいな年金があるのだが、この4年間、私は「公立教員にも兼職兼業の自由を」と言い続けてきた。勿論休みにスーパーマーケットで働くというのではなくて「自分の勤務する学校の生徒への勤務時間外の講習や部活動などについてある程度の金銭的報酬」はあってしかるべきものという論理だ。
・ 私は民間企業出身だけに「価値ある人間が動けばそこにはコストがかかる」「無料とかボランテイアとかは人間の尊厳を逆に落としている」なんとか理屈を言いながら攻め寄っていったが結局間に合わなかった。
・ 当時は学力問題から放課後の特別講習とか特に土曜日の講習体制の整備とか山場で「頑張ってくれている教員に報いてやりたい」と強く思っていたからだったが、何とか「教育後援会」から援助して貰っていたがやはり公明正大に大阪府ですべきことという思いは今でも消えない。
・ 府教委も大阪を代表する各学区のトップ校が土曜日に講習をしていることは承知であったが、これは兼職兼業になるといって一切許可せず、前任校では保護者有志に頼んで「教育後援会」を組織し、そこから「謝金」ではまずいということで「資料代」の名目で部活動指導に準じて支払うようにしたのも今では懐かしい。その後単価も上げていったが今でも前の学校ではこのシステムが残っているのかなと思う。
・ 昨年本校は「就業規則」を全面的に改定し、明確に「兼職兼業は禁止」とした。ただし我々は公務員ではないので「私の考え」としては「弾力的に運用」している。即ち本校勤務以外で定期的な収入がある場合は「申請許可制」とした。
・ お家がお金もちでアパートの家賃収入があるからと言って「懲戒処分」には出来ない。しかし奥さんが社長の会社に一応名前は取締役で入って、そこから役員収入があるというのは「?」だとした。「納税義務の違反」があるかどうかが問題となる。
・ 勿論日曜日にパチンコやアルバイトというのも駄目だ。やはり教師は「学校で勝負する」という気構えが大切で、本当は収入に不安なく教育活動に専念させるべく十分支払ってやりたいのだが、今は先立つものがない。しかしそのうち府内で一番給料の高い私学の実現を目指している。もしそうなれば「私の低い鼻は高く」なるだろうし、経営者の夢だ。
・ 私学においては休みの講習などは「受益者負担」であり、「兼職兼業として認める」とした。ただし「所得税はちゃんと支払え」と明確にしたのである。前述した公立教員に比べていかに「私学は融通があり、働き易いか」分かってもらわねばならない。
・ 厳しい運用をすれば大阪府は今度の橋下改革で10%給料がダウンし、定年後の兼職兼業も厳しく問われるということにあれば「人材が枯渇」しかけない。人ごとながら心配する。
・ 最も優秀な教員が公立から私学に流れてくれればこれほど有り難いことはないのだが、大阪の教育を強くするには「公私の切磋琢磨」だ。役人にならなくて良かった。最も公立高校4年間で相当勉強したがね。特に「教育法令」は大体頭に入っている。これが私の武器だ。

8月27日(水)その1:橋下知事と教育委員

・ 久しぶりに「教育問題に関して橋下知事の登場」だ。昨夜のテレビ、そして今朝の新聞各紙が記事にしている。昨日の「知事と教育委員との公開議論」で知事は「強く教育委員を批判」したとある。「公立校への信頼 大阪は全国最低」「教育委員はまったくビジョンがない」。
・ ある新聞は「府教委に不信感あらわ」「認識が間違っている」とまで言いたい放題だったそうだ。声を荒げたというから相当なものだったのだろう。このようにして知事が府教委を批判すれば公立をやめて私学に来てくれる人が増えるかも知れない。又大阪の公立が良くなったら大阪の私学の脅威だから歓迎すべきことかも知れないがね。(冗談)
・ どうも話しが噛み合わなかったと双方が感じていたみたいだが、噛み合う訳がない。議論する相手が間違っており、「教育委員ではなくて教育長以下の教育委員会事務局」と議論しなければならない。
・ 法律の文言は教育委員長率いる教育委員会が「学校を管理する」。殆ど全てを管理していると考えても良いくらいだ。「地方自治法」と「地方教育行政の組織及び運営に関する法律(地教行法)」で明確に規定されている。
・ しかし実態は5名くらいの外部の教育委員で府の教育行政に関して適切かつタイムリーな施策が打たれると思ったら大間違いだ。専従の委員ではなくて言ってみれば申し訳ないが「名誉職」みたいなもので実際は「教育長」が取り仕切っているのに早く知事は気づかねばならない。
・ 組織上は教育委員長が上位職で教育長は下位なのだが、「部下の教育長が上司の教育委員長を探す」のであって、これは全くおかしな話であり、教育長が決めて、即ち事務局が案を作り、それに「お墨付き」を与えるのが教育委員会の仕事と言っても過言ではない。
・ 大阪府においても教員委員は例えば俳優の三林京子さんとかシンクロの井原さんとか「耳目を引く人」に委嘱したり、東京都では将棋連盟会長の会長とか場当たり的で本当の意味で「教育に深い造詣と見識」を有している人を当て嵌めているとは考えられない。要は見た目「色々と狭い自分の経験や思いつきで言ってくれる人」が居れば良くて「核心に触れる」ようなことを言う人は敬遠する。
・ 教育委員長は大体大阪府の場合、大学の名誉教授をもってくるのが相場で現在もそうだ。「骨のある財界人」を当て嵌めたりすると「事務局はやりにくくなって」結局再任はしない。要は事務局を代表する「教育長のやりたいような人事」をする組織で、そのような組織に橋下知事は文句は言っても仕方がなかろう。
・ 今回が3回目の教育委員との懇談会だったが何回やってもダメである。情報はなく、現場も知らない5名程度の外部の教育委員が大阪府小中高の教育行政全般でリードする機能というより「教育委員会事務局の監査機能」に特化したほうが実は上がる。
・ 府教委の前教育長の私学関係者との高級料亭接待事件があったがこの時は「教育長を処分」するので「存在感」を示した。又大体月度一回開かれる教員委員会では「問題教師の処分」を正式決定することが教育委員会の仕事だ。
・ 一方「教育長は知事が任命し、府議会の同意」を得て承認されるもので「独立した行政委員会」で「他が余り関与できない仕組み」である。言えるのは府議会のみである。外部が「あれこれ教育長には言えない独立した強大な権限」を有しているのである。
・ 従って教育行政の全ては「教育長と事務局が握り」、教員委員は「お飾り」と言っても良いと思う。橋下知事が言わねばならないのは事務局に対して「もっともっと新しい企画を上げて委員のご意見を聞こうとしないのか」「君らは教育委員に情報を上げていないではないか」「君らは謙虚に意見を聞こうとしているのか」と事務局を責めなければならない。
・ 一方教育委員に対しては「事務局の働きに関してどうですか」と監査機能を要求するのだ。現在大阪府の教育行政の監査機能はどうなっているのかが問題である。「全国学力調査が最低」だったことを5名の教育委員に言い寄っても解決にはならない。「公立学校の改革とは教育委員会の改革」のことである。
・ ここで橋下知事の人間像が明確になってくる。「習熟度別授業とか土曜日の講習とか何故知事の私だけが発信するのですか」「大阪の教育を良くするための具体論を出してください」ととにかく「具体論と実践論が先に来る」。こういうところはまったく私と似通っている。
・ それに勘が良い。頭が良いのだ。今彼の頭の中には「教育委員会の作り直し」があるのだろう。しかしこれは「国との対決」である。知事のやり方は一つの部局で「声を荒げて」批判し、「改革を宣言」する手法だ。そして落ちつくところに持って行くのだ。伊丹空港は廃止だと叫んだ構図とよく似ている。
・ ここまでは良いが勝負はこれからでこれから先が本当に大変なのである。それは文部科学省が予算も配分も握っており、結局は教育問題の根本解決には「国と地方の権限の調整」となってくる。「土曜日に教員が講習しようにも支払うお金は何処にもない」のだ。全ての財布を国に握られているからである。
・ 教育委員会事務局に外部の人間を入れなければならない。居ても居なくても良いような教育委員に外部の人間を入れることよりも事務局内部に外部、それも民間の人間を入れなければならない。民間人校長などでお茶を濁してはならないのだ。
・ 身内だけで固め教育委員会事務局は完全に硬直化している。まず「行政系」と「指導系」の両派に別れているが、これはもはや完全に「勝負あり」で、数の少ない行政系の完勝となった。それは金と事務局人事を握っているからである。
・ 負けた「指導系」即ち教員系は行政系の言われるままにやるだけで残った権限は「現場の人事権」即ち指導系の教員採用、教頭校長の昇進などの権限だけである。大分県の採用汚職はこういう背景で起こった当然の事件でたまたま表に出たが全国大なり小なりあっておかしくない事件であると私は断言する。
・ 教育系のトップは教育長にはなれない。それは教師出身の狭いキャリアでは資質に問題があると認識されたからである。あんたは頑張ったから教育監(大阪府の呼称)審議監(大分県)とナンバー2の職位を与えられ、くすぐられて2年くらいで定年退職の上がりのポストだ。No2といっても教育長の顔色ばかり伺う腰巾着が現れてもおかしくはない。大阪府もそのようなのがいた。どうしようもない教育監であった。
・ 要は教育委員会と言っても実態は「事務局の改革」、それも結局は「教育長」に人材を得ないと行政の改革は出来ない。こういう巣窟に辿りつかないと橋下知事の言う「大阪の教育を変える」と幾ら叫んでしまってもそれは掛け声だけに終わる。別途記すがこの教育行政に同和行政がからんでいるだけに話しは複雑なのである。

2008年8月26日火曜日

8月26日(火)モンスターペアレントその2

・ モンスターペアレントは間違いなく「教師を追い詰めていく」。前述の阪大、小野田教授のデータによればアンケート調査で「無理難題は増えている」と9割の教員が答えているとのことである。
・ 結果としてこれらの保護者の要求が「深刻な教育障害」になっていると8割近い校長などの管理職が回答しているとのデータもあるが本当かな。高校ではそのような高い感覚ではない。浪速中学もほとんどと言ってそのような気配はない。
・ 対応に追われた教員が体を壊したり、うつ病などの精神を病んでしまったりする例は「新聞各紙の教育ものの定番記事」だ。「心を病む教師の急増」などの見出しで。少しまえになるが東京で採用間もない若い女性教諭が保護者から携帯電話と「連絡帳」で激しく攻撃的なクレームに見舞われ自殺した事件は記憶に新しい。
・ 教員の数が12000人を超える大阪市の場合、06年度の市立小中校と特別支援学校の病気休職者は述べ226人でこのうち「73%が精神性疾患」を占める。この割合は全国教員の2.6倍で市の一般職員と比較しても1.8倍で異様な高さが浮かび上がる。表現は悪いが大阪は「モンスターペアレント跋扈」の様相なのである。
・ 大阪市小学校中学校の計428校には保護者からの苦情や相談が年間17万件あるといい、無理難題は3ヶ月の実態調査で計252件あったという。実に日に2ないし3件の対応に追われているとのデータであるが実態はもっと多いのではないか。
・ 仕事柄中学校の校長先生とお話しする機会が多いのだが「仕事は保護者対応ですよ。今日も又一人来て今教頭が対応しています」というお話しばかりである。管理職の仕事は「保護者対応」ですと明確に言っておられたのが印象的であった。
・ そして事態を複雑にするのは、保護者はすぐ「教育委員会に直接言う」ことである。市教委や府教委の担当者はクレームの電話番でこれなどまさしくテレビショッピングのクレーム係みたいな感じだ。学校への不満の捌け口が今や教育委員会となっている。もはや「校長の権威など実態としてはない」のだ。生徒までが「教育委員会」を口にする。
・ このような事態を重く見た市教委は小中支援プロジェクトの柱の一つとして「保護者への対応マニュアル」を作り、本年4月に全教員に配布したとある。言ってみれば「クレーマーへの対応手引書」であるがここの記載している12の例などホンの一部で「役に立つのかな」というのが私の正直な感想だ。
・ とにかく「お聞きするという姿勢、迅速に対応してレスポンスをする」ということが要諦だ。マニュアルなどの話しではない。高校生でもバイト先では理不尽な客の言い分に黙って「申し訳ありません、すぐ改めます。」と言っている。とにかく事態を複雑にしているのは間違いなく「初動の対応ミス」である。
・ 警察捜査と同じで「現場百回」で「事実を確認」そしてとにかく「早く、早く調査した事実とこちらの動きをお知らせする」のだ。「分かりました。直ぐ調べます。今こういう状況です。動いていますからご安心ください」くらいのフェーズで大体ことは収まる。
・ 公立の教育行政サイドは次の手として「弁護士を立てる」ところも現れてきたがこのような「対応」が物事の解決になるとは私は思わない。学校が真の意味で「保護者の目線、視点、気持ちに立っているか」であり、「かび臭い誇」などかなぐり捨てて対応することが近道だ。
・ 最後に強調しておきたい。肝心なことは「生徒の気持ち」だ。生徒と親の気持ちは必ずしも一致しない。そして「生徒は親と先生のトラブルを見たくないもの」だ。子どもが親に「一言、あの先生良いよ」と言えば90%は解決だ。
・ ところが時に子どもは「教育ママゴン」の追求を逃れるために「方便」を放つ。教室がうるさいから勉強できない、あの先生の教え方が悪いから勉強が分からないとかなんとか言って「自己を正当化する」ものだ。保護者はこれを鵜呑みにして、これが「担任や教科担当を替えてくれ」となる。
・ 高校で一度これに類似した例があり、匿名だったから困り果てたが学年全体の保護者に手紙をプリントで出したり、校長、教頭が「授業参観」に行ったりすると「ああ、学校は動いてくれている」と安心するのか、クレームがピタッと止んだりする。「間髪入れずに動く」が木村流の鉄則だ。
・ 前の学校での4年間の勤務時代には1度だけクレームらしきものはあった。それは「どこどこの先生の教え方が悪いというのではなくて、素晴らしい教え方をする数学のH先生やT先生に習っている子どもは幸せでそれ以外の生徒は損をする」という類のものであったが問題とはならず「保護者の愚痴」を聞いただけとなったものだ。
・ 本校に勤めて1年半、クレームらしきクレームはない。本当に助かっている。大阪市の前述した実態は「どこの世界の話?」と言う感じだ。おそらく私学において「保護者からのクレームが多い学校」とレッテルなど貼られたりすれば「一巻の終わり」だろう。
・ 教職員に私は徹底して言っている。「戦争する相手を間違えるな」「我々の給料の原資を払ってくれている支援者」「保護者こそ最大の広報メン」「保護者と言い争って何が得する」「面倒見の良い浪速」「仕事の速い浪速」等々だ。
・ 今のところ本当に教職員は見事に対応してくれている。だからクレームはない。なりそうになっても「直ぐ消火器で火を消すように」ジュッと収まるのだ。これは見事だ。特にベテラン教師、実績として男性教師の対応は上手い。
・ 若い経験の少ない教師は人生の後輩であり、年上の保護者に「幾分気後れ」するのかも知れないが、要は「保護者の気持ち」が今ひとつ理解出来ないのだ。「子を持って分かる親のありがたみ」の逆版だろう。
・ 誤解を恐れずに言えば若い女性教師が時に保護者とトラブる例が多いのではないか。クレーマーは圧倒的に母親が多い。父親が出てきたりしてもそれは「お父さん、学校に言ってください」と母親から頼まれたからだ。すべてではないが基本的に父親は仕事で頭が一杯で「日本の教育は母親任せ」であるのが実体に近い。
・ したがって母親という女性性と若い女性教師の女性性の間には男性をして理解できない心のひだみたいなものが作用していると考えればどうなるのか。誰かが研究してくれれば良いのだがと思ったりもする。女性教師の保護者対応能力が低いと言っているのではない。母親と女性教師のジェンダーとしての深層心理心象学の学問的研究のことを言っている。                      

8月26日(火)モンスターペアレントその1

・ 訳の分からない英語「モンスターペアレント」なる言葉を聞いて「面白い、上手く言っている」と感じるか「少しおかしい、モンスターはないだろう」と感じるか、ブログ読者の方は確認して欲しい。誰が最初言ったか知らないが私は後者だ。
・ 阪大の小野田教授は「モンスター(怪獣)は人格否定に繋がり物事の本質を見えなくする」と言って警鐘を鳴らしている。ところが今や「テレビドラマ化」されるくらいに「社会問題化」し、実は今晩あるが夜10時からだしとても視る気にはなれない。
・ 学校に「理不尽な要求を突き付けたり、無理難題を言う保護者」のことであるが、公立と私学では捉え方が少し違うし、高校と小学校・中学校とではかなり様相が異なる。圧倒的に義務教育と公立に多い現象ではないか。
・ モンスターペアレンツは「堂々と名乗って」来られる保護者で匿名の電話や手紙であれこれ文句を言われるのよりは大分益しと私は思う。先方の言いたい点が極めて具体的で良く分かるからだ。「言い分がはっきりしていて良い」というのが私の受け止め方である。
・ 例えば「担任を変えて欲しい」「ああいう言い方はないでしょう」などと保護者は往々にして言って来るものだと考えておけば学校はそれほど驚くことではない。必ずそこには「そうなった要因や原因」などがあるのだ。
・ まず保護者は「総論賛成・各論反対」だと考えておけば、注意すべきポイントが分かる。「不特定の問題であれば一緒になって教育議論を戦わす」が一転「わが子のことになると眉がつり上がって」来るものだ。
・ 理不尽な要求、無理難題というが「お金を払って可愛いわが子を預けていると言う感覚」は今日的に分からないではない。「預けているという感覚で、教育をして貰っていると言う感覚はないというか少ない」という見方も出来るだろう。
・ 仕事をもっている家庭婦人が幼子を駅前の「ベビーシッター」に預けている感覚に近いというといささか言い過ぎだと思うが、今や「一般的にスーパーマーケットやクリーニング屋、市役所の窓口で文句をいうのと同じような感覚」になっている。良い悪いではなくてこのように考えれば対応の仕方も見えてくる。
・ まず「タックスペイヤー(納税者)」としての自意識の高まりがある。昔は府や市の役人や警察官などに「税金で食っているくせに」と揉めたら必ず捨てせりふとして言うのが通り相場であったが、今やそのレベルが教員にまで降りてきたということだ。
・ その理由として私は次のように考えている。まず「保護者の教育レベルが上がっていきている」ことがある。昔の親は文句なしに「学校の先生というものへの尊敬の念」は極めて高かった。しかし今や保護者の学歴が教師の学歴とまったく変わらないようになり、「大学卒の先生」などはまったく社会的な優越条件にはならなくなった。
・ そしてここ10年の「教員の不祥事の多発」と「容赦のないマスコミの教員バッシング」がある。確かに戦後60年日本の教育制度は輝くような昭和40年代50年代を境に「疲労現象」を起こしながらも過去の栄光に引きずられ「具体的な教育改革、学校改革」の手が欧米に比べて立ち遅れたことは事実であろう。
・ 教職員組合と当局の馴れ合いが改革の手を緩め、「指導力不足の教員、ダメ教師、」など今日ほど「教員の資質」が議論されている時代は過去なかった。「学校の先生は立派な人、偉い人」というのが社会の常識であったが、今や時に「学校の先生です」というのが時にはばかられるようになったと歎く教師がいる。
・ 「教師はプライドこそがエンジン」であり、このプライドをずたずたにされたら「元気はなくなる」のである。しかし教師側もこのような事態を「反省」として全面的に受け止めなければ成らないのではないか。昔は「指導力不足」などの言葉はなかった。それは「教師集団が集団として対応していた」からである。
・ そこには「教職員組合が良い面で作用」していたのだと私は論考する。組合組織率が90%以上と高く、組合の「教育研究会、即ち教研」などが前向きに学校現場の課題を団結で対応していた面がある。
・ ところが組合組織率が30%を切ってくると「教員間はばらばら」でお互いが助けあい、共に対応するという文化がなくなってきたのである。まさに今日は「個々の教員の有している能力・資質そのものに直接的に影響される学校現場」となってきているのである。「やり方の上手い教員は保護者とのトラブルはないし、あっても簡単に収まる」。ところが教員によっては「事態をますます悪化」させかねないようなケースもあるのである。
・ 私学は「お客様商売」と考えると腹が立たない。「仰せごもっとも、申し訳ありません」が言えるかどうかだ。「どうするかは又別の問題」でまずはお客様の「言い分をお聞きする」姿勢が重要だ。そして「すばやく対応する」、この一手だ。とにかく「スピーディに反応」するのだ。まずこれで80%は物事は解決する。
・ 私は何時も教職員に言っていることは「面倒見の良い学校」である。この面倒見の良い学校というのが「全ての切り札」であると信じて疑いない。わざわざ公立中学や高校を蹴って授業料の高い私学にきている「付加価値」はこの「面倒見の良さ」である。
・ 丁度今小学生や中学生を子に持つ保護者世代は丁度25年前の新しい教育観「個性尊重と自由主義、ゆとりの教育」という時代に学校を卒業した保護者だ。今後しばらくこの状態は続く。それを「自己中心的な保護者」と歎いても仕方がない。「いやな物はいや、嫌いなものは嫌い」とはっきり言いなさいと学校は教えて来たのだ。
・ 大体、学校給食で「偏食を治す」というのが決まりだったが今や「家の子はにんじんとピーマンが嫌いですから給食のおかずには入れないで下さい」とメモが学校に来る時代だ。「髪染めは禁止しているが家の子は地毛です」と言って頑強に子どもの側に立つのも聞いてみると「人様に迷惑をかけていないのだから良いではないか」という論理だ。
・ 本校の監事のお一人は「幼稚園を経営」されているが、先般何かの話しのときにこの園長先生は私に嘆息されていた。「運動会が雨で順延、再順延したのだが、田舎から出てきたお爺ちゃん、お祖母ちゃんの交通費を出せ」と言われ困ったらしい。これなど「要求の時代」の最たるものだろう。(その2に続く)

2008年8月25日月曜日

8月25日(月)本日は夏季研修会

・ 本日は「夏季教員研修会の日」である。午前中の授業が終えて午後13時30分から始まる。何時のも職員会議や職員集会ではじっくり時間も取れないためこの研修会である程度まとまった報告会として全員が「当事者」から話しを聞いて「共通認識」をもつことにしている。
・ 要は「意見交換の場」であるが、実態は「報告会」に近いものになっている。しかし最後は組織の管理者として「理事長校長がどのように考えているか」を、「言葉を尽くして説明」するのだ。ブログに書き、私の執務室で話し、そしてこのような場を生かして「生の声で私の思いを伝えるのだ。」
・ 報告者は我々とは比較にならないくらいの知識を有しており、正直相当な勉強をしなければ議論にはならない。出ても「質問とか付則意見」になったりして議会のような反対意見が出るようなことにはならない。私はそれで良いと思っている。
・ 問題は「謙虚に人の話に耳を傾けることができるか」という人間性の問題だろう。教員は「プライドが高い」だけに「フン、あんなこと知ってるワイ」くらいにしか受け止めなかったら意味はない。要は専門家の意見を「無料(ただ)で聞ける」と考えてくれれば良いのだが。
・ 1時間半程度の職員会議で「あれこれ深い議論が出来る筈がない」というのが私の経験だ。本校の例ではないが、確かに組合に属するグループの教員から校長の学校運営に関する意見や学校方針に対して反対意見が職員会議で出ることはあるが深い議論には時間的都合で不可能である。
・ やはり別の場でじっくりと時間を取って議論を深め、その集約を職員会議等で出すのは良いが「その場で突然動議を出しても議論にはならない。」一方では教職員の労働負荷を軽減することも私の仕事であり、生徒がいない夏季冬季の年2回に時間をある程度取って「研修会」を有している。それも長いといっても「高々3時間程度の話しだ。夜9時、10時までやるわけではない」。
・ 今日は1.残業時間管理、2.2学期制検討チームの答申、3.入試動向の3点がメインだ。担当の教諭や事務が資料をまとめ、常勤講師以上が集まって行う。残業時間管理については遂に「1歩前進」する。恐らく府内の公私通じて本校は先頭を切っているのではないか。
・ 結論的には「一定の条件化で残業代を支払う」ということを決めたものだ。ただ「残業」と「残留」とは違うし「ボランティア活動」とも異なる。学校は企業や行政組織と違って「生徒を相手の特別な活動」であり、全てが残業と言うわけには行かない。
・ 修学旅行や運動会、文化祭での居残り、部活動での校外試合など「取り扱いが微妙な部分」は多くある。いずれはこれらも整理されていくだろうが「やりながら完成形に近づける」ということだ。労働基準監督署とも並行して指導を受けていく。
・ 新しくイントラネットをレベルアップした。「勤務開始ボタン」と「勤務修了ボタン」を個人パソコンに組み入れ、9月からは個人別に全ての時間実績が把握できるようになる。教員には趣旨を理解して貰って皆で「良いものにしていく」努力が必要だ。従来から教員には「残業という概念」が日本全国無かった。これを浪速は先頭を切って「新しい勤務時間概念の世界」に突入するのだ。
・ 2学期制については「検討チーム」が1年かけて検討してくれたものの発表だ。一時期ブームとまで言われる位「2学期制への移行」が報告されていたが、どうも今は一時期のような動きはない。
・ しかし私は大学側の改革が進めばそれは高校にも波及する可能性を否定できない。それに義務教育の小学校、中学校が2学期制になれば高校もせざるを得まい。確かに「2学期制も3学期制もそれぞれ得失があり」簡単に「どちらが良い」などとは言えない。
・ しかし今日のチームの報告である程度の知識が全教職員に行きわたった。前の学校の勤務時代にもこの問題を取り上げ相当私は苦労して「2学期制に移行」した。苦労したのは当時の誰も「2学期制を知らなかった」からだ。教員の性向として「知らないことに臆病」である。
・ もっとも当時も組合分会は強くて「誰がその準備に入るの?今で問題ないから3学期制のままでよいではないか」という意見もあった。しかし一部有力な教員の力で徐々に意思統一をしながら3年かけて移行した。
・ その結果、2学期制は単に「学期の変更」だけではなくて「学校の姿勢と教員の意識改革」に繋がり、名実共に立派な高校に立ち直った。時が過ぎれば当時の関係者も居なくなり、「誰があの学校を体を張って改革したか」は忘れられていく運命だが私は当時たった一人で「2学期制の口にしたときの心」を生涯忘れることは出来ない。
・ ただ前の学校で成功したから本校でいけるというほど単純ではない。「完全なる進学校がどうも2学期制を採用」しているようにも見える。本校でもSSとⅠ類は2学期制でも良かろうが文武両道のⅢ類を中心として現在の3学期制も捨てがたい味がするのだ。
・ 検討チームは「中身の濃い答申」をしてくれた。立派な答申であった。来年からすぐ2学期制に移行するなどの考えは無いがこれで何時でも直ぐに「具体論に入れる基礎基本」は完成した。大きな進歩である。 このチーム長なかなか良くやる。評価したい。
・ 入試動向については「最近の国公立大学の入試状況」を整理して発表されたもので、これも全員の整理された知識とはなったろう。特に大学も2極化がますます顕著になてきた。「高校の進路指導のあり方」を考える良い機会に成ったと思う。
・ 最後に私から2学期以降の教員人事と一般的な社会人の保持すべき「上司へ接する時のマナーや外部研修会レポートなどの常識」について言及した。職業人は朝家を出た瞬間から夜家にたどり着くまで「緊張の連続」であり、それに耐えねばならない。職場の何処にも基本的には「休まるところはない」と認識した方が良いとまで話した。今浪速に必要なことは「緊張感」である。「職場は休息所ではない」。
・ そして最後は「生徒生活指導のあるべき姿」に向かって「切り込む」ための背景と必要性を力を込めて説明した。2学期以降踏み出すのだ。「教職員間の温度差」があればこの目論見は崩壊する。「苦労覚悟で1歩踏み出す」。今日はそのための最後の意思統一の会合と私は捉えている。これでダメなら次の手を考えるだけだ。2学期の始まりが近づくにつれ徐々に「緊張感」が高まってきた。

2008年8月24日日曜日

8月24日(日)星野ジャパン惨敗

・ 日曜日の朝、北京のマラソンを見ている。ケニアのワンジルが最後抜け出している映像だ。時速21キロのスピードだから私の100メートル競走全力疾走よりも断然速い。日本選手のことは何も書かない。一人は前日になって棄権だから「何おかいわんや」である。
・ ケニアで生まれて日本で育ったワンジル選手はオリンピック新記録でゴールした。アフリカ勢がメダル独占だ。3分も記録を縮めているから内容も巣晴らしい。面白いのは優勝インタビューでワンジルは「完全な日本語」で受け答えしていた点だ。笑ってしまった。走っていた途中で考えたことは「優勝したらどうなるか、人生が変わる」ただそれだけだったという。ハングリー精神だろう。
・ それにしても今朝の朝刊各紙、「星野ジャパン」に厳しい。「ここまで書くか」という論調だ。特に朝日は紙面を数ページ使って「あれでもか、これでもか」という具合である。「不完全燃焼」「力負け」「実力の違い」見出しも厳しい。
・ 気になってスポーツ紙もチラッと見たが同じようだ。「野球界での影響力低下必死」「駄目星野」「ダルビッシュは準決勝先発の気持ち、不可解な投手起用」とにかくすごいわ。これは負けた云々よりも「星野の試合運び」に納得できないからこのような記事になるのだろう。
・ 野球は今回の北京で終わりになり、次回のロンドンでは競技種目から外されるだけに星野及び日本のメダルにかける意気込みはすごかった。それも「」以外はメダルではないと監督自ら言い切っていたから反動は余計だ。
・ 長島ジャパン、王ジャパンとメダルを取り、特に王監督率いる世界選手権での優勝はまだ記憶に新しいが、あれから見ると今回の星野ジャパン、「こうなる運命」だったのかも知れない。
・ 選手が小粒で、特に私は「イチロー」「松坂」が居ないのが大きく影響されたと思う。ヤンキースの松井は居なくても良いが特に「イチローは絶対的に必要な選手」だった。今回のメンバーの中に「世界を知っている人間」が全くいないのだ。
・ 朝日は次のようにも書いている。大体「星野監督が田淵と山本という仲良しクラブでチームを編成」したときから見えていたという。守備コーチの経験など全くない山本と星野も田淵も実戦経験から離れて4年も経ち、出発前に日本では数試合しか練習試合をせず、それも負けて日本を離れた。故障選手も多かったこともある。
・ 各紙共通して今回は「星野の采配負け」という記事である。投手出身の星野だからこそ「投手起用」に失敗しているという。これは私もそのように思う。何時も行く「床屋」のおじさんは野球通であるが「こと細かく解説」してくれた。
・ オリンピクなどの「短期決戦」では「非情な采配」が時に必要だというのだが今回の星野監督は「エース、ダルビッシュの起用ミス」「打たれ続けるピッチャーの連続起用」「エラー頻発の選手の連続起用」など「投手交替のタイミングはずれ」まで言及している。
・ 大体1戦目で破れたときから星野の顔は何か「ボーツ」として自分を失っていたように私には見えた。審判のゾーンがくるくる変わると嘆いてもどのチームにも同じことだ。さすがに星野は男で「一切言い訳せず、すべては自分の責任」と殊勝なところはさすがであるが、私はだからといって「庇う気」はない。「責任を認め責任を取る」ことが組織のリーダーの絶対的条件だ。
・ 今回の北京を見て私がつくづくと感じるのはやはり「ハングリー精神」ではないか。最後の2試合は先取点を取って逆転負けだ。北京に応援に行った観客は試合を見ていて「勝とうという気迫」がまったく伝わってこなかったと言っている。「薄味の味噌汁を飲まされたみたい」「淡白すぎる」など憤慨に近いものを与えたというのは各紙の共通だ。やはり「ハングリー精神」などどこにもなかったのだ。
・ 寄せ集めのチームで編成の一体感は出ず、「大金持ちのプロ野球選手」ばかりだ。まあ「名誉参加」くらいしか感情輸入は出来ないだろう。勝とうが負けようが年俸には影響せず、頭には自分のチームのペナントしか頭にないと言ったら言い過ぎだろうがそのように書いている新聞もある。
・ 「 女子ソフトボールの金メダル」と比較すると良く分かる。あれが「優勝を狙うチーム」だろう。本当に女子ソフトはよく戦った。あれが「戦い」だ。アメリカとの決勝戦の気迫は素晴らしかった。柔道の鈴木と星野ジャパンは良く似ている。負けるべくして負けたということだ。
・ しかし「チーム編成」「コーチ編成、即ち管理職編成」が「命運を決する」ということが今更ながら今回良く分かった。シンクロナイズドスイミングで中国に渡った「井村雅代コーチの手腕」は大したものだ。「銅メダル」をもたらした。日本は完全に中国に敗れ去った。当初中国チームのコーチになったときブーイングが起きたが「何を言っているか、日本の指導力が世界に認められた」ということだろう。喜ばねばならない。「世界に通用するスポーツ指導者が日本に何人いるのか?」
・ハンマー投げの室伏も敗れた。もう「お父さんコーチ」では駄目なのでないか。 レスリングの浜口選手などは父から離れてアメリカにわたり世界の指導者に見てもらえばよい。そうすれば「見えてないものが見えてくる」。柔道の石井はそのようなことを言っていたな。日本という狭い範囲でだけ生きている人間には「もはや世界に出て行けない」ことが判明した。「井の中の蛙、大海を知らず」だ。
・ 大阪府、大阪市の裏金問題も、大分県の教員採用汚職も大相撲の不祥事続出もすべて「身内の仲間内」ですべての論理を通し、処理してきた結果が出ている。本校でも管理職の朝会で私は何時もそのことを言っている。
・ 言っても、言っても分からないことがあるが、それは「理解しようにも頭の中に論理的回路構造が出来ていないからだ」。性格が悪いのではなくて「まったく他の世界の経験がないから浪速以外のことには頭が付いていかない」のだ。言われたことは「しっかり」とやってくれるが、新しい企画や複数のアングルでの見方には限界がある。
・ 今のチーム編成は今年4月からだから丁度5ヶ月だ。改革は「短期決戦」でないと為しえない。「時間をかけて」などはまやかしだと何回も言ってきている。5人の管理職の特技、人間性、能力などを何時も考えながら私は指示を出している。
・ 浪速は星野ジャパンみたいに惨敗してはならない。少し良くなったからといって「楽な方向に」考えたらハングリー精神は失われる。近隣は大学名を校名に付け、私学助成は削減され、一挙に増えた生徒の生活指導を一段と高めねばならないときに「管理職が甘い考え」では勝負に負ける。私は時に「非情な采配」をして学校を守るのだ。

2008年8月23日土曜日

8月23日(土)大学で高まる観光教育熱

・ 「大学で高まる観光教育熱」として大阪日日が今朝の新聞に記事を出している。ホテルでの接客や海外旅行の添乗など「観光」に関連する人材の育成を掲げる大学が増え、来年の4月には「全国で40大学で定員は4247人」に及ぶとある。
・ 日本を訪れる外国人観光客を増やすべく「ビジット・ジャパン・キャンペーン」を政府が開始し平成10年には1000万人と目標を掲げて活動した成果もあり、03年の521万人が07年には835万人に増えているからそれなりの成果は上がってきている。
・ 07年4月には「観光立国推進基本計画」を決定し国内の観光旅行消費額を05年度の24兆円から5年間で30兆円に引き上げるなど新たな目標を掲げ、今年10月には「観光庁」も発足する。
・ しかしだ。そうだからと言って大学側が「観光関連学部」を作りまくり、生徒を募集していることが本当に「日本の大学のあるべき姿」か、ここはじっくり考えないといけない。「大学の学生集めの手」に易々と乗ってはならないという気を拭えないのだ。
・ 「観光」「ツーリズム」「ホスピタリテティ(おもてなしの心)」などの名前が付いた「観光関連学科」は首都圏を中心に増える一方だが、今後ともこの路線は動かないだろう。誰しも「観光」という言葉に惑わされる。「格好良いイメージ」があるからだ。
・ 大体「観光は学問か?」と言いたい。大学で「観光関連」として何を学ぶのかが問題である。外国語であれば「外国語系大学」や「外国語学部」の方が体系的に学べるだろうし、「つぶし」が利く。おもてなしの心は総合的人間力の問題だろう。学問ではないはずだが。
・ 問題は「就職」に有利かどうかだろうが、その実績は厳しい。国土交通省は04年度から06年度の観光関連学部を卒業した4200人のうち旅行業やホテルなどの宿泊施設、旅客鉄道会社などに就職したのは約23%というから極めて少ない。全国でたった966人だ。3年間だから1年にすると全国で320人に過ぎない。
・ 大学の観光学部を卒業したが就職は自動車販売業、不動産会社だったなどでは「辛かろう」に。大体大手のJTBや近畿日本ツーリスト、日本旅行などの旅行業の採用枠と大学の卒業生枠は余りにも大きな差異がある。
・ 確かに国内の旅行会社と宿泊施設の従業員は18万人であるが、各年代を考えれば就職機会が多いわけではない。どちらかと言うと「狭き門」であると考えた方が良い。観光学部を卒業したからといって簡単に就職があるわけではないのだ。国道交通省は躍起になって就職者の数を増やそうとしているが、肝心の企業側は冷めている。
・ ある大手旅行会社は「知識は後からでも身に付く。採用は人物本位で出身学部は関係ない」と明確に言っている。又東大の先生は「観光は健康や福祉などと同じように就職先を思い浮かべ易く、受験生を集め易い。しかし教育の中身が伴わなければいずれ志願者は減る」と明言している。
・ 「手っ取り早く格好良いところに就職できそうー」なんて気持ちでろくに勉強もせず、入学しても、「就職に有利」とはならないのではないか。又運よく就職できたとしても隣の「経済学部出身」「法学部出身」「文学部出身」「教養学部出身」「英米語学部出身」者等に比べて学力も常識も品位も全てに劣っているようでは辛いだろう。
・ 要は「実力」だ。実力を磨く、付けることが寛容だ。「名前の格好良さ」で学部を選択してはならないことを本校の生徒には口を酸っぱくして言っている。「新しい物には気をつけろ」まで言っているのだが。
・ それにしても大学は生徒募集のためには「考え付くことは何でもやる」という姿勢だ。教える中身の「シラバスや教授などの指導陣などの体制整備は大丈夫ですか」と心配になってくる。
・ そういう意味では伝統ある国公立や名門私学などは「軸がぶれていない」。しっかりとして「大学の存在意義」を確保している様子だ。経営がしんどいところが何でもかんでも「新しい学部」を作り「生徒募集」をかけているような気がするが「落とし穴」にはまってはいけない。
・ 一部の大学は理系のカレッジなのに「ファンド学部」とかおよそ理系と関係ない学部を設置したりしているが、それは問題である。一時期、介護福祉学関連学部が人気の的に成り学生を集めたのは良いが今社会の大きな問題の一つに「ワーキングプアの代表として介護職」が報道されている。給料が安くて誰もなり手はいなくなるのだ。
・ 高校側から言えば「大学のなりふり構わぬ学部設置と指定校の乱発」は「日本を駄目にしている」と気づいて貰わねばならない。少子化の中で、大学は減るどころか増え続け、学部はうなぎのぼりで増えている現実に団塊世代の私には驚くばかりなのだ。
・ 日本の大学は「本当に大学か?」と最近はふと思ったりする。長い間校長をやっていると卒業していく生徒の学力、常識、規範意識など時に疑問を持つ生徒が居ないわけではない。そのような生徒が「ファッション感覚」で大学に行く。
・ それはそれで良いではないか「本人と家族の決定」だ。高校は学習指導要領に乗っといて「やるべきことをちゃんとやれば良い」という意見もあろう。しかし校長の職位を離れて一人の人生の残余が少なくなった人間として考えたときに、「日本の行く末がいささか心配になってくる」のだ。年を取ったのかな。

2008年8月22日金曜日

8月22日(金)調査書改ざん事件

・ 9月になれば「指定校推薦の作業」が始まる。進路指導部長によれば大体資料の整理は出来てきているとのこと。少子化の中で「大学側は生き残りをかけて学生募集」に必死であり、指定校の枠を戴いている大学数はA3版用紙で8枚になるというから凄い数だ。昨年に比べて今年も大幅に増えてきた。
・ 大学進学には今やさまざまな進学方法があり、今日でも正統派はやはり「一般入試」である。そして「大学入試センター試験利用」というのがあり次に「指定校推薦入学」がくる。指定校推薦は「入学試験は受けず3年間の高校学業成績他で判断」される進学方法だ。
・ 多くの大学から指定校を受けている高校は「良い学校」と言えるが必ずしも喜んでばかりいられないというのが実態だ。それは大学生としての「基礎基本の学力レベル」が問われ始めてきているからである。
・ 「AO入試」などは一部の大学で「制度の見直し」が始まったことは本ブログでも触れている。それくらい高校生の学力が世の不安になってきているのかも知れない。受験勉強など一切せず、高校3年生の「9月にはもう半年後の大学が決まる」のであり、そういう進路方法を望んでいる生徒にはこれほど「有り難い話」はない。
・ 人間80年の人生で恐らく高校3年生の3年間で大学受験ほど勉強する機会はない。この苦労や辛さは必ず血となり肉となっているのだが、文武両道で部活動に時間を費やし、一般入試を敬遠したい生徒にとっては「垂涎の制度」である。
・ 元々の発想は大学の特徴と希望する人間像と進学希望する生徒の「マッチング」があれば「貴方の高校には3名上げます。高校を信用しますから生徒を寄越してください、引き受けますよ。」というのが趣旨だ。しかし高校側では大学側の条件と生徒の希望とが必ずしも一致しないから色々と問題が出てくる。
・ 例えばA大学から指定校推薦枠で1名を戴いているが、希望者が5名居たりすると「誰を推薦するか」がポイントになってくるのである。この大学がいわゆるブランド大学だったりすると希望者は跳ね上がる。倍率が高くなるのである。大学入試の倍率よりは同じ高校内の推薦を貰う倍率の方が厳しくなるのである。
・ 担任や部活動の顧問はどうしても自分のクラスや部員の生徒が可愛いから何とか推薦枠に押し込めたいと思うが、どの先生も同じことであり、これらの最終意思決定プロセスを「公正公明」にしなければ「学校は崩壊」する。絶対にこの分野では「情実や不正は許されない」のである。
・ 教員という職業人間は少なくとも最後の「教員の良心」としてこの面に関する不正行為はない。それは他の教師の思いも分かっているからである。無理しても「何時かはその報い」が来ることを知っているからだと私は見ている。
・ ところが、そういう文化を打ち壊すこともあるらしい。今朝の読売新聞は「調査書改ざん指示容疑」で静岡県警は県立高校の前校長を聴取とある。大学推薦入試に提出した「調査書の評定のかさ上げ」が行われた疑いがあるという「内部告発」である。
・ どこかで聞いたような話だ。大分県の教員採用試験で点数をかさ上げした行為と同じことが高校生を対象にして行われていたというもので、今回はお金や商品券などが動く贈収賄事件とは記事にはなっていない。従って公文書偽造なのだろう。
・ 「調査書」というのは高校生の高校生活の言ってみれば全ての記録が書かれているもので教科科目の成績評定、取得単位数、評定平均値、成績グループ、出欠の記録、部活動他人物に関する全てが記載された最重要な書類で「学校長の公印と記載した担任の判」が押印されているものである。これを大学に提出する。極めて極めて「重要な書類」である。大体全国の高校で同じようなフォームである。
・ 情報を寄せられた県教委によれば前校長は2006年度推薦基準に達していなかった評定平均値3.1の生徒について教諭に働きかけ19科目で基準の3.5にかさ上げさせたとある。
・ また基準を満たしていた評定平均値4.2の生徒について合格が確実になるよう3科目を改ざんさせ4.3に持ち上げ、二人の生徒は見事に(?)出願先の大学に合格したという。
・ しかし公立というところは恐ろしいところだ。校長は3月に定年退職、待ってましたとばかりに4月県教委に「内部通報」があり、調査の結果、前校長は否定したが4人の教諭が改ざんを認めたという。
・ 4教諭は減給の懲戒処分とし校長は県警に「虚偽公文書作成・同行使容疑」で告発しこのたび事情聴取になったものだ。前校長は「何とかしよう」「頑張ろう」と言ったが改ざんは指示したことは無いと読売の取材に答えているというが、果たして・・・・。
・ この学校は静岡県立天竜林業高校で浜松市にあるが、私はことの経緯を以下のように想像する。林業の高校だけに校長は「大学進学実績」を上げるべく頑張っていたに違いない。今のままでは「折角頂いた推薦枠の大学に生徒を送り込めなくなり、来年度以降にも影響が出かねない」と心配したのだ。後少し評点があれば「行かせるのに」と思ったことだろう。それを担任や教務部長や進路指導部長に「何とかならないか」と恐らく言ったのかもしれない。
・ しかしこれは「良くない」。校長のやることは「データの改ざん指示」ではなくて自ら大学に出かけ、「何とかこれで通して欲しい、将来絶対伸びる生徒だ」とか働きかけることである。私ならそうする。今回は働きかけ先が大学ではなくて教諭であるが、ここが良くない。
・ 内部告発者はこの学校の者であることは間違いない。外部の人間には伺い知れない話しである。今回告発した人間は改ざんし、幇助した人間が罪の意識で告発したとは考えられないから、恐らく人間関係に伴う問題からそれ以外の教諭が告発したのか、よくは分からないが、こういう面を学校の教員は有している。それもすべて「覆面告発」である。
・ 「本校は絶対に改ざんなどしないし、させない。推薦決定プロセスは公明正大」だ。明日か来週月曜日に指定校推薦大学を掲示板に張り出すことになる。3年生は恐らく固唾を呑んで待っているに違いない。遂に夏休みが終わり、受験シーズンとなってきた。まだ残暑がきつく夏なのであるが高校3年生にはもうラストスパートに入ってきたのである。「舟木和夫のヒット曲 高校3年生」を思い出す。こう言っても若い先生は「?、何のこと?」くらいだろうが。「赤い^夕日が校舎を染め~て・・・」と歌詞は始まる。日の出ではなくて落日なのである。

2008年8月21日木曜日

8月21日(木)学校徴収金と監査

・ 今朝の毎日新聞が記事にしているが、堺市の小中学校で生徒からの「徴収金」を流用している学校が30校以上あったというもので、備品や教員私物に流用しているというもの。要は「目的外使用」であり、条例違反容疑で堺市教委が調査に乗り出したというのだ。
・ 一言で言えば「不適切支出」というものだが、これは中々微妙で難しい。本校でもそうだが一般的に学校では保護者から集めた「学校徴収金」というものがあり、これでテスト代や教材費、学習活動費、消耗品、昨日のブログに書いた芸術鑑賞費など「生徒個人」還元できるものが使途の範囲だ。例外なく全生徒から徴収されるもので一部の生徒からではない。
・ 今回問題にされたものは運動会で使うCDデッキ購入、グラウンドの砂が少なくなったので入れた土代、球が飛んで来て危ないからといって設置した防球ネット、次のものは笑ってしまうが生徒の茶髪を黒く染める染料、授業で使うインスタントカメラとプリント代などが指摘されている。
・ 又これは些か問題と感じるのだが公立高校の合格発表を見に行った教諭の交通費や教諭個人の名詞ファイル代400円などがある。元来はこれらの備品は公費として支給される「需用費」から支出されるべきものだがこれが1学級あたり年間20万円と少ないものだから「学校徴収金」に手が出たのだろうと思う。大きく考えれば生徒への還元であることは間違いないが・・。
・ しかしグラウンドの一部が凹んでおり、そこに砂を補充し、生徒が怪我などしないようにするために支出したのまで咎められたら「お金のない校長」はしんどいだろう。生徒の通る通路に野球のボールが飛んでくるから防御のネットを張ったのも「生徒の為」とはならないかと歎き節が聞こえそうだが、やはり公立学校は許されないのである。
・ それは支出先が規定されている条例があり、「コンプライアンスの精神」からは逸脱しているからである。今回は領収書や出納簿の作成もしていなかった学校があると記事にはあるが、これは言語道断である。
・ 教諭個人のパソコンの記憶媒体や名詞ファイル代などはおそらく学年主任か分掌部長などが生徒情報を管理するのに必要だったものだろうし、対外的交渉事の多い進路指導部長が相手先の名詞管理のために名詞ファイルを必要としたものだろうが、これを教諭個人の為とすると難しいところだ。
・ 私学においては「学校徴収金」と「法人会計」が峻別できているからわかり易い。法人会計を通じて支出すれば良いわけで「学校徴収金」はあくまで「生徒個人に還元できるもの」として厳密に管理している。しかし境目が明瞭であって明瞭でない時もあり、問題は防球ネットなどの「不特定の生徒」への影響がある場合も学校徴収金で対応して問題かどうかは微妙なところだ。
・ そういうケースの時に実は良い方法があり、「不特定の保護者からの篤志による教育後援会ファンド」である。これが大いに役に立つのだ。不特定の保護者からの寄付金を不特定の生徒に還元する形である。これであれば問題はなかろう。校長の依頼で教育後援会長が支出を決定するもので、学校は直接的に関与しない。本校は今年「高等学校教育後援会」を組織してもらって入学時の有志の保護者からの寄付金、と浪速祭でのバザーからの繰入金などが財源で校長としては「大いに助かり、気が強く持てる」ところまで来ている。
・ それ以外の財源ソースは大阪府神社庁へ支援を頼みに行くか、同窓会への支援依頼と方法はある。公立学校勤務の時代はすべては「教育委員会が取り仕切り」、学校長は「与えられた予算の範囲内で業務を執行」することが仕事であったが、これでは進学意識の高揚に例えば「有力な塾関係」を呼んで話しをしてもらうことさえ出来ず、ほとほと困った私は「教育後援会」をPTAに組織してもらって補習補講や特別講習に対応師してくれた教師に「資料代」としてコストを還元できたものだった。公立の小学校中学校の管理職ももう少し「知恵」を出せばなんとかなると思うがなー。
・ 今後学校経営は「ますます厳しくなる」それは国庫の負担金が削られ、地方自治体も財政余裕がないからである。教職員の人件費が削られ、備品購入費用もないとなると「本当に厳しい事態」が予想される。しかるに必要とする経費は増大する一方だ。
・ O157対策で衛生状態は最高レベルに保ち、外部からの侵入者対策で各門には門衛を配備し、教職員には個人パソコンを持たせ、熱中症対策を取り、とにかく新たな費用発生項目が増えるばかりである。一つ新しいことが増えれば一つ古いものが減るのであれば良いがそうならないところに難しさがある。学校長のやりくりは本当にしんどい時代になってきた。
・ 公立学校は上記のように不適切支出など教育委員会の査察などで明らかになるが、一体私学は大丈夫かという声が出るのは当然で、その対応として実は「監事」による「監査」というのが厳しく「私立学校法」で規定されている。
・ 監事とは学校法人の財産の状況や業務を監査する機関であり、役員の立場で2名以上、理事長が「評議員会」の同意を得て選任し、本校では2名の監事を有する。厳正公平中立の立場から監事は評議員、理事、学校の教職員との兼職は禁止されており「極めて重要な職位」である。
・ しかし言ってみれば監事も私立学校法の枠内での内部監査に近く、「公的補助金」を受けている場合はそう簡単な話しではなく、根拠となる法令は「私立学校振興助成法」がある。この場合は「公認会計士」の監査を必要とする。さほど学校会計基準は厳しい運用がなされており、近隣の学校であったような「不適切な会計処理」をしたりすると公金横領的に厳しくその責めが問われるのである。
・ 本校を含めて殆どの私立大学、私立学校が「私学助成」を受けているから「適切な業務執行」が経営側に要求されており、まず内部監査的な監事監査と公的監査である公認会計士監査のダブルでインスペクトされており、「私学は公立に比べてより厳しい目で見られている」のである。教育委員会がないからである。
・ 本日はそういう意味で本年度2回目の監事監査の日である。今日はメインを会計監査として「固定資産管理」をお願いしており台帳と現物管理を監査して頂く。その後「人材育成・評価システムの実施状況」と「校内セクハラ対策委員会」ならびに「学校広報情報委員会」の活動状況について「業務監査」を受ける緊張の一日なのである。

2008年8月20日水曜日

8月20日(水)芸術鑑賞会は「浪曲」

・ 9月21日に計画されている本年度の「芸術鑑賞会」の演目が本日定まったみたいだ。自治会担当のM教諭が報告に来てくれた。今年から「芸術の解釈」を拡大し、「芸能分野」にも幅を拡げている。要は「何でも生徒の為になると思うものはやれば良い」のだ。マンネリは良くない。そして何時か原点に戻れば良いだけの話だ。
・ 音楽だったら「クラッシック」でなければならないとか、主張する向きもあるが別に「ジャズ」を聞かせても良いではないか。大きく枠を広げることも時には必要だと考える。どの学校にも大体「芸術鑑賞会」というのがあり、「文化の秋」に実施される。真夏に入れることはまず無い。秋だ。
・ 「演劇」「交響楽団によるクラッシック」が主体で最近になって「歌舞伎」や「文楽」なども取り入れられるようになってきたが演劇が主体だ。演劇などは「学校向け専門の劇団グループ」があり、全国の注文をさばいているところもある。結構な商売になっているのだろう。値段は結構高い。
・ いずれにしても「生徒一人当たりの費用は少なく」、その範囲内で「教育効果」のあるものとなると「企画」段階から担当者は苦労するのだ。本校では従来9月に行われる「浪速祭」の中の一つの行事として実施してきており、浪速祭が「生徒の自治会主導」となっているから従来からこの芸術鑑賞会も形の上では自治会主導であった。
・ しかし「有名無実」とはこのことで、実際は演目を決める段では学校が関与しなければどうしようもないのである。会場予約、費用の交渉など生徒には無理だし、生徒自治会だけで「演目の決定」などは出来ないのである。
・ そのような訳で今年から「芸術(芸能)鑑賞会」とし「浪速祭」と切り離し、単独企画とし、学校がより強く関与し、「教育的見地」から演目を決めることとし7月末の職員会議で意思統一を図ったのである。
・ 元々学校の芸術鑑賞会は戦後の精神の荒廃から立ち直るべく、各家庭では機会も費用もそう簡単な話しでないから、「文化の香り」を教育活動の一環として嗅ぐべく学校が集団で始めたものだろう。当初は交響楽団や舞台劇などは斬新なものとして生徒に受け入れられたと思う。
・ しかし経済の発展で自分の部屋にまでテレビがあるような時代になり、町にはあらゆるジャンルの音楽や映画や芝居劇場が比較的簡単に目に触れるようになってきた。そうするとわざわざ「学校で芸術鑑賞会も無いんじゃないの?」と言う声が出てきて当然かもしれない。
・ 最も生徒にしてみれば1年に一回学校を離れて外で何かをするのではなくて「聞き、見る活動」は勉強とは違って楽だから違った意味で「楽しみ」なのかも知れない。問題は場所である。1700名の生徒を収容できる会場など多くあるわけでもなく、又照明や装置などそれなりの仕掛けがあるところはやはり限られるのである。
・ 従って本校はここ最近「堺市民会館」を借り切って行っている。費用が極めて安いから大いに助かっているのである。しかしここでも最大1387席で一度には収容できない。従って「午前・午後の2部制」とせざるをえないのである。
・ 中学校全学年と高校1年生831名を午前、高校2.3年生917名を午後の部として今年も計画を組んだ。演ずる側からすれば2回講演だから当然支払いは2倍の費用となるが仕方がないのである。
・ 付き添う教員も然りで2班に分け、駅や道に「立ち番を配置」し交通事故や迷子、食べ歩き服装などの指導をしなければならないし、この日は終わるまで終日気を使うのである。教員は学校に居る限り比較的楽であるが、ひとたび校外に出ると大変なのである。
・ 問題は今年の「構成」であるが最終的に「浪曲」となった。文楽、上方落語、沖縄音楽、雅楽、地歌舞など様々なアイデアがあったが「未知分野」として浪曲に落ち着いたものである。正直私の意向だ。
・ 若い保護者もそうであろうが生徒にとって「浪曲、浪花節」などは皆目検討のつかない演目で「さっぱり分からない、想像できない分野」であることは間違いない。そこに目をつけたのである。
・ 「出演者は一流」でなければならない。今回は「女流浪曲家として有名な3氏」をお迎えすることにした。まず「春野恵子」さん、1973年ちゃきちゃきの江戸っ子で東京大学教育学部を卒業して2003年大阪の春野百合子師匠に弟子入りした成長株だ。東大卒の浪曲家だよ。興味あるでしょう。
・ 次は大阪生まれで本校近くの東住吉区に居住され2006年文化庁芸術祭新人賞、2006大阪舞台芸術新人賞、咲くやこの花賞など総なめにした「菊池まどか」さんという若手実力派だ。上方落語の定席「天満天神繁盛亭」に浪曲師として初めて出演している売れっ子だ。
・ 最後のおおとりは日本の誇る大御所「三原佐知子師匠」だ。NHKテレビの常連で芸道50年、2003年には大阪文化祭を受賞されている。先生には「映像入り浪曲」と「小講演」をお願いしている。お若い頃のご苦労を「私の人生」として生徒に聞かせてやって欲しいとお願いした。前に一度お聞きしたがこの話しが実に「素晴らしい」のだ。
・ 出演者が何を出されるかはまだ明らかに出来ないが、中学生にも分かるように考えて欲しいとお願いしている。きっと今回の企画は「面白いものになる」と思う。午前午後の2回だから会場の席に些か余裕があるのでまずPTA保護者、お付き合いのある取引業者、近隣の老人ホーム、我孫子、杉本町の商店連合会や近隣の団体など「本校がお世話になりご迷惑を与えているところにご招待状を出す」ことにした。私のブログの読者も無料招待だ。
・ このようにして些かでも地元に還元できればと思っている。特に9月21日は日曜日だから保護者におかれては2時間程度の催しものだからお足を運んで頂ければ嬉しい。生徒を通じてプリントを配ることになろう。
・ 学校側の体制は責任者がK教頭とし実務担当はM教諭、事務が補佐役として入れば良い。後、丁度1ヶ月あるので諸準備に抜かりなく進めるよう指示した。「成功を祈りたい」。私の関心は「浪曲」というものが「生徒にどのように受け止められるか」ということだ。古臭いと感じるだろうな。しかし若い世代に今人気があるのだ。
・ 中にはこれで「一生浪曲など耳にすることはない」生徒も出てこよう。それだけに触れさせてやりたいのだ。「未知を知る、未経験を体験する、実はこのことこそ教育の本髄」ではないか。そのように信じている。「楽しみ」である。

2008年8月19日火曜日

8月19日(火)静かなる登校

・ 「静かなる学校の呼び声」静かなる登校である。久方ぶりの学校である。何故か「ホット」する。学校が始まったといっても3年生の授業は明日からだから、生徒の姿はまばらである。「学院神社」に参る。丁度その横に、体育科のK教諭が硬式テニスの練習試合に近隣の公立高校に出かけるところで、ご自分の「真っ赤な大型高級車」に道具を乗せているところだった。「良い車に乗っているなー」という感じだ。「結構、結構 小さい車より大きい方が良い。安全だ。」
・ 7月末のトップセミナーの件で某保護者からの電話メモが入っており、その内容は「セミナーの結果に大変満足している」とのものであった。「嬉しい限り」。
・ 休み中のトラブルや問題事象の情報収集と整理に当たっていた副校長から報告。「一切トラブルなし、珍しいくらい静かな夏休みだった」と。生徒の怪我などの報告も保護者のご不幸なども一切無かったとのことでこれまた嬉しい限りだ。
・ 管理職朝会。9月16日の理事会の資料準備、2学期以降の教員人事について調整。又9月27日の「天皇陛下御即位二十周年をお祝いする府民の集い」への本校PTA動員について確認。橋下大阪府知事、平松大阪市長、木原堺市長もご出席とのこと。
・ 神社神道を精神に持つ本校への動員要望は大きく、本校卒業生の「笑福亭釣瓶師匠」を呼べないかと事務局は期待しており、「駄目もと」であたる事にした。東京に拠点を移し、「売れっ子の釣瓶師匠」のスケジュールが上手く調整できれば良いのだが・・・。
・ 「 PTA会長に電話」し、PTA役員の動員をお願いした。ただ会場の席の都合もあり、先着100名まで。本校の教職員も20名程度動員し、全国に先駆けて実施するこのお祝いの会を微力ながらも本校は手助け致したい。大阪天満宮の寺井宮司、本校名誉理事長が実行委員会の責任者であり、当然のことだ。
・ 休み中の郵便物を整理。特に重要なものはない。お互い夏休みだったからだろう。一つ面白いのは関西大学からの「氷の甲子園」と名づけて関大が高槻市にオープンしたアイスアリーナスケートリンクにて企画された一大スケート演技会への招待状だ。
・ 高橋大輔選手とかあの信長の子孫と言われている織田信成選手とかが出場するし、関西大学理事長がわざわざ招待してくれたものを断るのも如何かと思い、行くと決め返事を出す。楽しみだ。
・ 進路指導部長が入る。夏季トップセミナーの報告であるが、これを見る限り「成功」と断言できる。ただ京都の本能寺会館での3年生は64名の生徒に4名の教諭ではしんどかったみたいで5名の要望が出ていた。早速次回からは増強する。
・ 特に評判が良かったのは「おやつタイム」らしくて、「生徒は大喜び」だったという。「疲れた頭にお茶とスイーツ」は「ほっと余裕のひと時」と成ったのだろう。これは私の強い指示でなされたもので金額で言えば200名の生徒を考えれば大変だったが、効果はあったということだ。
・ 早速進路指導部長には「冬休みのトップセミナーを1年生」で考えるように指示した。場所は阪南市にある大学の施設で新設という。ただし収容人数が60名なので次回は「トップ60」で実施する方向で検討に入るだろう。
・ 本日から来年度の「入試問題の作成」に入る。教務部長センターに選ばれた専任教員が手分けして専門の教科の問題を作成する。高校と中学に分かれて情報管理を徹底して行われている。都合今日から三日間かける。「極めて重要な仕事」である。
・ それぞれの部屋に出向き、「激励と注意」を喚起した。帰りに事務室により、各メンバーに「ティータイムにコーヒーとケーキ」を届けるよう頼んだ。トップセミナーで生徒に出し、大きな効果があったというから、これは先生方にも出さねばならないと思ったからである。
・ 理数科・Ⅰ類長が入る。「進研模試7月記述試験の結果」が出揃ったのでその分析についての報告である。一言で言えば「学校は変わりつつある。いや変わった。」ということを実感できるものがそこにはあった。
・ なんと1年生については経年で見て「最上級層も増え、上級層も増え」、なんと下位層が殆どいなくなるくらい「好転」している。「平均点偏差値で8つも上がるなどあり得ない数値」がそこにはある。普通偏差値を2ポイント上げるのは「至難の技」と言われている中でこのような結果は「学校が変わった」と言って間違いあるまい。
・ どのデータを見てもデータに経年変化の連続線が見られない。このことはまったく「異なる集団」が入ってきたことを意味する。理数科長に言わせれば「新たな民族の出現」とまで言って驚いていた。
・ 正直近隣の学校との差がなかったわけではないが、これで並び一気に抜き去ることが出来るだろう。2年後が本当に楽しみだ。問題はこの1年生をどのようにして後2年間モチベーションを高め、実力を高めて「国公立大学。難関私学」に押し込むかだ。
・ 本当に昨年から今年にかけ、生徒募集要項を全面的に変え、正直不安もあったが蓋を開けてみれば「入学者数は急増」し、入ってくれた「生徒の基礎学力レベルがこれまた一段と高い」ところにあることが分かったのである。これほど嬉しいことはない。
・ これらの結果をわかり易くまとめ、「9月10日堺ロイヤルホテルでの一大塾説明会」に出すことにした。ご支援頂いた塾の先生方へのご報告の義務があると考えたからである。送り出していただいた生徒さんの「伸び」が確認されればさぞ喜んでいただけよう。
・ そしてこの1年生が2年次に進級するときに「思い切ってクラス再編」を行うため近いうちに関係者と協議することを決めた。「理系からの文転」もあるだろうし、難関私学の文系については2年生以降「徹底して国語と社会」をやらせるのだ。英語は理系文系問わず当たり前だ。「柔軟にしなやかに」対応し実績を出さなければ「浪速の遠い将来」はない。
・ 遠い将来とは「ポスト木村の時代」である。「私が居る間は大丈夫である。」しかし何時かは私も退くべき時がくる。その時に又「元の木阿弥」に戻ってはなんにもならない。今は「浪速の遠い将来」のために「少々の難題は無視」しても「輝く実績」を作らねばならない。その対象が今の1年生だ。絶対やらねばならない。なんとしてもやる。

2008年8月18日月曜日

8月18日(月)北京オリンピック雑感

・ 「北京オリンピック」が面白い。開催前は国情が国情だけに「一体どうなるのだろう」という世論やマスコミの情宣状況だったが、「問題ない」のではないか。大体テレビに映る「会場が素晴らしい」。中国はもう発展途上国ではない。このようなことが出来る世界の大国だ。今回、そのように私は完全に受け止めたのである。
・ それにしても「スポーツの面白さ」は何なんだろうと今更ながら考え込んでしまう。一声で言えば「実力の世界」だからだろうか。そこには家柄、学歴、父親の職業、顔かたち、体形、頭脳の中身など一切関係ない世界である。「結果がすべての勝負の世界」が分かり易い。
・ 誰かが「強いから勝つのではなくて、勝った者が強いのだ。」と言っていたが、その通りだろう。私は何時も楽しみにしてオリンッピクゲームを堪能する。そして何時も感じ、考える。並みのテレビドラマよりは面白い。まあ「篤姫」は別格だがね。
・ 今回の華は「北島康介」に留まるだろう。「凄い」の一声だ。私は北島を見ると何時も大リーグの「イチロー」を想う。二人に共通しているのは「徹底したプロ意識」だと思う。そして「強烈な自意識」である。そして「結果を必ず出さねばならないときに出す」のも共通している。加えて言えば「些か脇に構えた生意気な感じ」がするところまで似ている。
・ 柔道の鈴木桂二って言うの?「あれは何だ」。旗手を務めたと言うが負けた後、長い間「柔道場にうつ伏せ」になって動かない。「とっとと去れ」って言うの!舛添厚生労働大臣は柔道2段らしいが、彼もコメントしていた。「顔つきからなっていない」と。
・ 男子柔道会では今回のオリンピック選手団の男子チームの「練習量はそこらの大学チームと比べても少ない」という声があったそうだ。それに「棒立ち」で工夫が足りない。今や世界柔道は進化し続けており、その辺を工夫している重量級の石井は見事に乗り切ったという。顔立ち、立ち振る舞い、負けた後の態度、すべてにわたって鈴木は問題だ。
・ 頭脳に「地頭力」という言葉があるがスポーツの世界も「地体力」という表現を使おうか。卓球の愛ちゃんも他のメンバーもいくら頑張っても当分メダルには届かないだろう。完全な力の差だ。「陸上競技を見るともう悲惨」だ。高校生と幼稚園児くらいの地体力の差があった。
・ レスリングの浜口さんも駄目だ。いくらお父さんが「気合だ、気合だ」と叫んでみても、見た感じから一向に「強そうに見えない」。あれ位練習して、やっとこさ銅メダルが届いたと言うべきだろう。銅が限界だろう。吉田や伊調妹は立派だった。北島に連なる感じだ。「顔つき」から根性と内に秘めた闘志が見る者に伝わってくる。
・ 女子マラソンに至っては「二人とも出場できるレベル」ではなかったということだろう。土佐なんて、勝ったこともない選手で特徴は「粘り強い」ということらしいが、最初から粘り強いといわれること自体、「強くない」ということではないのか。案の定途中棄権だ。聞けば体の調子も悪かったらしいが、後でそういうことは聞きたくない。
・ しかしどうして日本の選手は試合後のインタビューでお決まりのことをいうのだろう。「皆さんの応援のお蔭です」「ベストを尽くしたので満足です」「家族のお蔭です」「自分の力を出し切れば何とかなるだろう。」とか訳の分からないことを言う。テレビでは分からないが他の国の選手もそうなのだろうかと思ってしまう。
・ しかし日本選手の、今回もそうだったが「家族物語」はもう結構だ。辟易する。家族が支え、苦しいときに家族がいたから頑張れたとか、「もう聞きたくない」が、もうこのオンパレードだったな。特に今回は凄かった気がする。
・ 日本の故郷地元で年老いた「お祖母ちゃんがテレビに出るからと言って濃い化粧して」孫の活躍を見守り、「良かった、良かった」という場面の連続だったがもう良いな。しかし今回一つ気付いたのは活躍した選手は「英才教育」「家が道場を経営」「4歳から始めた」とか、「父親の影響」を大きく受けている。母親の影響はとんと聞かない。
・ 「徹底した英才教育と投資が必要」なことがはっきりした。こうなるとポット出には無理な話となってくる。結局スポーツの世界も政治と同じで「環境が左右する」ということだろう。柔道もレスリングもハンマー投げも卓球もフェンシングも大体そうだ。陸上が弱いのは遺伝子を引き継いでいないからではないか。
・ 教員の世界も基本的には同じだ。大分県の教員採用汚職もそうだが「親が教員だから子どもも教員に」と必然的になるのだが、スポーツと違うところは「出来は悪くとも教員にはなれる」ということだろう。
・ いくらJOCや陸連水連に金を渡して「オリンピックに出して下さい」と頼んでもこれだけは駄目だ。しかし今回この世界にも「」があることが分かった。結局才能のある選手は有力な大学へ、例えば柔道の国士舘とかレスリングの中京大とかに行かないと「指導者にも恵まれないし、世に出る機会が与えられない」のではないか。
・ 今回は「フェンシング王子」が誕生したが、彼など「ニート」で今から就職先を探すというが条件は「会社に出なくて、遠征や合宿費用など文句言わずに出してくれるところ」と言っていたのには笑ってしまった。2000日一日も休まず練習したという。このように「少し変わった奴が世に出る」のだろう。
・ 今日の朝日には作家の石牟礼道子さんが「世の中がおかしい」「教養も品格もない」大体テレビでは「アホか馬鹿キャラが受ける」と言ってどうしようもない若者を賛美する風潮を嘆いておられたが確かにそうだ。あのような者からすれば「スポーツ選手の単純さが分かり易くて良い」。
・ 私も一度卒業生にオリンピック選手を出してみたいと今回思った。実は可能性はあるのだ。「ボクシング」である。昨年卒業し、近大に進学したが彼はロンドン大会に出場できる可能性がある。そしたら私はロンドンだ。鉢巻して応援に行き、テレビに出てコメントくらい出来るだろう。楽しみだ。
・ 後は空手が正式種目にならないかな。そうすれば一気に可能性は高まる。本校は日本チャンピオンに位置する力があるからだ。とにかくスポーツは面白い。柔道の石井が金メダルを胸にしゃべっていたが「スポーツと思っていません。戦いだと思っていますから」と。ある面当たっている。果たして教育はどうなんだろうか。「戦いに勝つ為の教育論理と理論」が少しあっても良いというと世の教育評論家からボゴボゴに叩かれるだろうな。

2008年8月17日日曜日

8月17日(日)後半戦始動

・ 久し振りにゆっくりとできました。残念ながらというべきか喜ぶべきというべきか「後半戦の始動」となりました。学校と言うのは面白いもので常に小さな緊張状態が続きます。「ガターンガターン」といった大きな山場がある訳ではありません。「ブルブルブル」といった小さな振動状態が1年中続いているようなものです。
・ かえってこの小緊張状態は疲れるものです。疲労が蓄積されていくのかも知れません。大きな勝負時を過ごせば後は楽だということではないのですね。4月から7月一杯は新入生を迎え、「新学年の立ち上がり」に小さなエネルギー消費が積み重なって消耗するのですね。
・ したがって8月の夏休みは「緊張を解き放ち、ほっと一息する格好の機会」なのかも知れません。昔聞いたことがあるのですが「教育困難校」と言われている学校に勤めている教員は「生徒が学校に出て来ない夏休み」がなかったら「持たない」としみじみ言っていましたね。
・ 本校は教育困難校ではないのでそれほどではないのですが、それでも教員には「つかの間の休息の時期」かも知れません。19日から後半戦が始まります。前半戦と後半戦について言えば、それはもう圧倒的に「後半戦が勝負」ですよ。比較になりません。
・ 来年度の本校の入試説明会が9月から本格化します。これは「学校経営の死活の問題」ですから中学校、塾関係者への訪問や説明会に勢力を注ぎ、本校ブースへの来校者の数や塾関係者のご意見に一喜一憂することになります。これが来年の3月末まで「ジュクジュク」と続くことになります。「大変です」が正直な気持ちですね。
・ そして学校にとって最大のイベントである「卒業式」に向かって3年生の「進路先」を決める必要があります。私学の受験シーズンの到来は早くて9月に始まります。指定校推薦、AO入試などが始まり、山場は年明けの大学入試センター試験と難関私学、国公立大学の受験となります。これも気疲れするものですが高校の責務です。生徒の為に親身になって対応しなければなりません。
・ 前にも書きましたが「夏休み」という概念はもう変わってきています。20日からは3年生は「授業」が始まります。そして8月30日に「2学期の始業式」となります。「始業式の前に授業が始まる」のです。
・ 感覚的に「始業式や終業式の意味合い」が少しづつ変わってきています。昔みたいに式だけに来て校長先生の話を聞いて帰すなども「古い形」になりつつあります。「なんで始業式終業式の後に授業をしないの?」と言われたら「適切な返答」が出来なくなってきているのです。確かにそういうところがあります。
・ 最近は少し話題となっていませんが「3学期制と2学期制」の議論の本質はこの辺にあります。9月中旬までを「前期」とし、秋季休みを取って10月から「後期」に入る2期制というのも始業式や終業式がなくなりその分授業日数が増えます。
・ 問題は前期に「夏休み」が入ることですが、夏休みといってももう生徒には数える日数しか夏休みは無いのです。無かったら2学期制で良いではないかという議論も当然出てきます。「2学期制の問題は本年度中に結論を出す」考えです。そのために今週教員のチームから意見具申があるでしょう。
・ さて「後半戦テーマ」は極めて多くあります。まず「大阪府の私学助成の削減による経営影響度合いと対応策」があります。次に「教職員の人材育成評価システムの試行の総括」が年度末にありますね。これが2大テーマです。
・ 加えて「残業時間管理」について新たなフェーズに9月1日以降移行します。これはイントラネットの改善も含まれており画期的なものだと思います。ポイントは「残留時間ではなくて残業時間管理」です。
・ そして「大学との連携」があります。これは本校の将来に大きな影響が出てきますが、「自信」はあります。まだ急がなくと良いと思っていましたが、近隣の高校が立命館大学とか近畿大学とか「頭に大学名を付けて校名を変更する」ものだから、こちらも受けて立つものです。
・ そして塾や公立中学校を訪問したりして来年度の入学者を確保しなければなりません。おかげさまで昨年は中学校で107名、高校で620名と言う「信じられないくらいの多い入学者」を確保できましたがこれはひとえにご関係の皆様のお蔭で、来年も是非ご支援をお願いしたいと思っています。
・ そのためには「良い教育」をすることが肝要で、結局、「急がば回れ」で、いくら口で上手い事を言っても直ぐに化けの皮は剥がれます。生徒や保護者は鋭いし正直ですよ。「浪速は良い教育をしている」と思って頂いたら「勝負は勝ち」です。
・ 北京オリンッピクと同じです。実力の有る者が最後には勝つ。練習練習、努力努力、打出の小槌などはありません。「奢らず謙虚に」やるべきことをしっかりとやれば結果は付いてくると思います。
・ 頭の痛いのが「教員採用」です。ここ6年ほど「学校改革の言葉の裏」に「教員の資質」がキーワードになってきましたがますますこの傾向は高まるでしょう。特に私学は「教員の総合力で浮沈」が掛かってきますね。
・ 正直言って良い教員を集めるというのは難しい。ポテンシャルの高さを観察していますが「当たり外れ」が結構ありますね。履歴書や一回くらいの面談で「良い教員に突き当たる」というのも甘い考えなのかも知れません。結局「育てる」ということが必要なのでしょう。
・ 「浪速改革の第2章・・後半戦の部」が始まります。「ワンマン、パットン将軍、皇帝、天皇、天の声、絶対君主」などと揶揄されないように「組織のリーダー」として2年目の後半戦、バックナインに入ります。グリーンは遠くとも刻んで行きましょう。
・ 組織のリーダーとは全員の意向を確認・尊重しながら「最後に決めるべき時は責任を持って決める」ことが出来る者のことです。そして組織のベクトルを揃え、十人十色の教員の得失を見極めながら「適材適所の人材配置」を行い、「公平に評価を下し、処遇に反映」できる人間のことを言います。
・ 教員の担ぐ御輿に只乗っているだけの人間ではいけません。140名の教職員と1750名の生徒の為に頑張らねばなりません。このように自分に言い聞かせながら「気分を高めている」のです。課題を整理し思いを込めながら、今仕切りなおしをしているのです。ジワーッと汗が出るくらい「気分を高揚させて勝負の場に出る」のです。これが私のスタイルです。

2008年8月4日月曜日

8月4日(月)1学期の終了

不審者乱入
・ 久しぶりの学校である。とは言っても1週間ぶりであるが、海外に行った分、長く感じるだけなのかもしれない。こういう時には私は殊更学校には早く行く。今朝は6時50分にはすでに到着していた。
・ まず出張中の事務処理を済ます。秘書が来るまでに分かりやすく整理しておくと彼女の仕事もはかどり易いと考えているからである。昔企業時代は海外出張が多く、慣れたものだ。清算をカナダドルから日本円に換算しなければならに。複数の国に行ったりしたら整理だけでも大変であった。
・ 「インターハイに出かける空手部」のバスが正門に到着する。大阪府代表のメンバーが校長室に出発前の挨拶にくる。「激励」だ。そしてバスのところまで行き、「見送り」した。長野まで大型バスで行くのだが部員も応援のために全員揃って一緒に行くのだ。すべて保護者負担である。皆顔がはちきれんばかりに輝いている。嬉しいのだろう。
・ 「 9時管理職朝会」。留守中の報告を受ける。大体はメールで毎日報告されているから、特段、込み入った話題はない。そこへ突然「不審者が校長室に乱入」だ。私も含めて6名の管理職はこの突然の事態に驚く。
・ しかし侵入者の顔を見て「一安心」する。昨年も酔って乱入してきた方だ。ご近所にお住まいだ。その時は初めてだったから驚いたが2回目になると人間落ち着くものである。私など逆に親しみを感じるくらいだった。とにかくこのお方は体が大きくて「お前ら、お前ら」と「大声で」意味不明のことを我々に叫ぶのである。
・ 話しがあちこちに飛ぶので何をおっしゃっているのか、何を要求されているのかサッパリこちらは理解できず、いきり立っている。「昨年も一度あって警察官に来て貰って一件落着」したが、今日も事務長に指示して即刻「近くの交番」に電話した。
・ よくよく聞いてみるとどうも本校のラグビー部の合宿の大型バスがその方の自宅近くで7時頃停まり、うるさくて目が覚めた。エンジンの吐き出す煙が臭い、生徒が自宅の敷地内に無断で入ったとかなんとかわめき散らしているのだ。
・ 今朝は空手部のインターハイ行きのバスが先着しているのでラグビー部は控えて別の場所、すなわちご自分の家の近くに集合場所を変えたのだがそれが気に入らなかったらしい。幾ら「住居不法侵入」になりますよと言っても引き上げてもらえない。
・ とにかく傍若無人で守衛の引き止めを振り切り、事務所前を通り抜けて直接校長室に来るのである。昔から校長室のある場所はご存知で、前校長時代にも大きなトラブルがあったらしい。したがって言ってみれば「勝手知りたる他人の家」である。15分もわめき散らしてお帰りになった。帰る途中で「こんなの、だれでも簡単に通れるやないか」と捨て台詞を残していかれたという。
・ サッカー部が明日は合宿に出発する。「もう2度とあの近くにバスを停めることのないように決めた」。副校長から各クラブに徹底だ。生徒のいない夏休みでよかった。今年初めての乱入であったが、もう「やめて」頂きたいのだ。こちらも考えなければならない。不満をこじらせ不測の事態を招いてはならない。「生徒を守らねばならない」。しかしJRの我孫子駅からだとどうしても通る道だが、そうは言っておられない。2度とこの家の近くに本校関連のバスの臨時停車はしないように徹底することにした。

前半戦終了
・ 一応今日で私の前半戦は終了だ。明日帰省する。しばらくぶりだ。「近江今津から電話」があり、快調に進んでいるという。又3年生の「京都からも報告」があった。常勤講師の英語の女性の先生が頑張ってくれているらしい。教師は4人派遣して内一人は常勤講師の先生である。「京都堀川本能寺、指導に疲れた女が一人・・」ではない。相当の負担だと思っているが、頑張ってくれているとのこと。
・ この先生2年目であるが「生徒生活指導」が出来て「今回のトップ層の教科指導力」だ。これを見事にこなしてくれれば名実ともに「輝く実績」となって元々高い本校専任教諭陣の高い評価を不動のものにされるのではないか。
・ そうすれば私はこの先生の処遇を判断しなければならない。ぼつぼつその時期が近づいてきている感じだ。後少し頑張って欲しい。そして6日以降はゆっくり休んで頂きたい。

すき焼き
・ 何時も学期の末には「すき焼き」だ。何故か分からないがどうしようもなく「真夏のすき焼き」を食べたくなる。エアコンで部屋を冷やし、ぐつぐつ煮える鍋を見ながら「ビールで乾杯」だ。無事にここまで来ることが出来たと一安心するから余計ビールが旨い。今日は特別に「琵琶湖周航の歌」付だから雰囲気は出ている。
・ しかし「すき焼きの味は難しい」。今日は「割り下」を使ってみたがこれだけでは少し醤油味が勝つ。すき焼きはやはり砂糖だ。お肉には砂糖だろう。溶き卵で糸こんにゃくを食べるのも旨い。最後はうどんを入れて〆るのであるが「贅沢だなー」とつくづく思う。今日の味はまあ65点くらいか。どちらかと言うと 味の立て方は下手だな。それに段取りがドンくさい。今、「喉が渇いて仕方がない」。
・ 勿論学校の仕事はあるのだが副校長先生以下管理職が対応してくれる。「6日からは学校休業日」だ。労働基準法に規定される年間労働時間から本校は6日から18日まで公式休業日だ。勿論当番出勤はいるし、代替も可能である。現実にトップセミナーは一日遅れて入ることになる。1学期、本当に教職員は良く頑張ってくれた。「ご苦労様」。休めるときに休んで2学期に備えてください。

2008年8月3日日曜日

8月3日(日)その2:学習合宿その後

・ 「琵琶湖今津」のことが気にかかる。早朝副校長に指示して様子を伺うも進路指導部長もSS,Ⅰ類の教科長も「授業中」だ。コストを下げ、授業効果を上げるため、余分な教員を派遣していないので「止むを得ない」。とにかく「生徒の様子と食事のレベル」が気にかかるのだ。食事くらいしか楽しみはないからだ。
・ 午後直ぐ副校長から別件で電話が入る。クラブ指導中の某教員がたまたま外部の電話を受けたらしいが「昨日の校長日記」を読んで心配になられた保護者が問い合わせに電話されてきたものらしい。
・ 電話の内容は校長の「今回は失敗だった」とのコメントに驚くとともに憤懣を感じていると言う意味のものであったという。自宅でカルガリー以来のくたくたの体を休めていたが、副校長からの電話報告から「保護者の受け止めは当然であろう」と思う。安くはない受講料を出させておいて「失敗だった」では当然のことだ。
・ 実はこれらの日記は教職員にむけて発信しているもの、保護者向け、一般府民等々準特定の方々を念頭においているものだが、昨日は今津の教員に発したもので、強調した分、余計に「本校の保護者に心配を与えたらしい。申し訳ないことをした」。
・ 昼食中の責任者に連絡がとれたと副校長から電話が入ったのでセンターの進路指導部長だけでは駄目だ、もう一人の責任者Ⅰ類の類長からも情報を入手するように指示した。それらの返事がまとめて13時過ぎに入って来たのである。
・ 結局バスは当初予定の「9時が遅れに遅れて10時20分到着」、すぐ大教室に荷物を持ったまま入り、宿舎の簡単な説明、トイレ休憩のあとすぐ「10時50分から授業に入った」という。1時間20分もの遅れだ。「開校式をスキップ」したのでそれでも10時50分には授業を始めることができたのである。20分の開始遅れだ。
・ 二人の責任者、進路指導部長と理数科長は「序盤の失敗」を取り戻すべく「教員全員気合を入れて」頑張ってくれているらしい。「この点こそ私の狙いとするところ」だ。二人に言わせると「生徒は120%満足している筈だ。手ごたえが極めて良い。居眠りなどするものは一人もいない。」「絶対の力が付きつつあるはず」と自信を持って言っているらしい。「遅れたことは相当へこんでいるらしい」。当たり前だ。
・ 確かに寝るところはお世辞にも立派とは言えないが、今のところ生徒から不満は出ていない。23時過ぎには皆グタッと寝るという。それよりも「食事が大変良くて生徒は大変喜んでいる」との報告があったという。遠い分、食事には気を使っていますとハウスの支配人は言っていたがそのとおりやってくれているのだろう。
・ 私が自ら「選らびに選んだ専任教諭と常勤講師は教科指導力を発揮しながら」、極めてチームワーク良く頑張ってくれており、「生徒の評価」は「最終日のアンケート」で明らかになるだろう。とりあえず「安心」だ。厳しい校長の指導は効果があったと思う。「保護者には安心して頂きたい」。生徒が自宅に帰ってから「生の声」を詳しく聞いて頂きたい。それから今回の結末をつける積もりだ。
・ 結局開校式における校長の言葉での「このトップセミナーの目的や学ぶということ、大学の現状、生徒の待ち受けている将来」などの「校長講話」が吹っ飛んだのと「20分の授業開始遅れ」だ。しかしだからと言って今回の「初動の失敗」は許されるものではない。昨日のブログにも書いたようにこれが「センター試験や外部模試」などだったら大変だった。
・ 「学校の時間管理」とはこういうものだ。「生徒には遅刻しないようにしなさい」と厳しく言っておいて、「教師自ら遅れるとは何事か」が私の言いたい点だった。厳しさが足りない。エージェントの責任ではない。「すべて学校の責任」だ。
・ 保護者にはあらかじめ具体的に予定を説明しご理解を頂いており、校長講話分と20分の授業の遅れ分は「講習費用に入っている」と考えねばならない。実態はこの20分の遅れは休憩時間とか夕食時間を短くして保障していると電話では言っていたがそういうことで正当化することは許されない。
・ この辺の考え方が教員は分かっていない。後で取り返すとかは出来ないのである。予定はがっちりと組まれており、他を短くして補うことなどは絶対にしてはならないことは計画段階において私から教員には説明している。今回の担当教員には「一こま当り幾ら幾らの手当て」を支払うと決めているからだ。もし一人の先生が病気にでもなれば予備の教員を派遣する手筈も出来ている。
・ しかしこのスキップした分については具体的に「受講料の払い戻し」を考えねばなるまい。本校は私学だ。私企業と考えることも出来る。約束のことが出来なかったら「返却か他に代る保障」をするのが「社会の常識」というものだ。今副校長に計算するよう指示を出した。「ペイバック」だ。修学旅行に病気で行けなかった生徒に積立金をペイバックするのと同じことだ。
・ 今日は16時から河合塾の校長先生を招聘し「塾のトップ」から講演をしてもらい「生徒の意識変革」に大きな効果を期待している。これも私のアイデアだ。わざわざ遠いところまで大阪から来て頂くのだ。私にとってはすべての生徒が大切であり、皆が可愛いが今回極めて厳しいスケジュールで早朝から23時まで「勉強に勉強をさせるこの試み」は「本校の質的転換をかけた一大事業」である。私はこの試みと3年後の成果をかけているのだ。
・ 塾の先生も立派な人は多いが何といっても「自校の教師」だ。「生徒のことを一番良く知っている」。教科書のことも分かっている。これらの教諭陣が「浪速予備校塾」として兼職兼業を特別に許した本校にとっては画期的な試みだ。「気合を入れてやって欲しい」。「一こまの授業も授業開始が1分たりとも遅れてはならない」。
・ 尚強化合宿は今回限りとはしない。1,2年生はすでに冬休み、春休みと連続して実施するよう手筈を進めている。今度の場所は近くで良いところを探している。しかし本当に難しい。無いのだ。まず近くて、安くて、食事が良くて、200人が収容出来る場所などシティーホテルならいざ知らず本当にないことも事実だ。「今津は遠い」。いざと言うときにも身動きが取れない。
・ 副校長からファックスが入る。授業が全体で47こま数あり、参加費用から宿泊費、保険、会場費、バス代、河合塾お礼、教材費等を引いて計算すると校長講話と開校式費用は人当たり185円という。
・ すべて終わってから結論を出すことにしよう。「すべては生徒と保護者の評価を得られるかどうか」だ。今はこのセミナーに全力で当たることだ。この1年、どれだけ私が力を入れ、数回のミーティングを持ち直接指示して企画してきたか、教員は分かっているはずだ。それだけに初動のミスはまだ腹が立つのだ。許せないのだ。

8月3日(日)その1:琵琶湖哀歌

・ 「琵琶湖周航の歌と琵琶湖哀歌」のことが頭から離れない。年を取るとこのような哀切迫る歌曲に弱い。琵琶湖周航の歌は従来から知っていたが琵琶湖哀歌は知らなかった。それで今日ネットで調べたのである。昨日買ったCDはフルート演奏で歌詞は入っていなかったからである。
・ 昭和16年4月旧制第四高等学校のボート部が練習中に比良の山おろしの突風にあおられ11名が亡くなるという大きな事故が発生し、「鎮魂の歌」として作詞作曲されたものだという。遭難地にはソメイヨシノが植えられているという。
・ ネット上の再生回数は「東海林太郎と小笠原美都子のデュエット」が最もアクセス数が多く、ヤフーで「琵琶湖哀歌」を検索すると直ぐ出てくる。大正時代の曲だが素晴らしい曲だ。当時も大ヒットしたらしい。校長日記を読んで下さっているお方は是非ヤフーで「琵琶湖哀歌」で検索し「東海林太郎・小笠原美都子のサウンド版」を聴いてください。無料で3番までフルコーラスが聴けます。
・ 滋賀県の美しい風景が情感豊かに歌いこまれている。ところが不思議なことによくよく調べてみるとメロディーも歌詞も大変似通っているのだ。自分で口ずさんでいても「同じようになる」。基本的には同じ歌なのだろう。
・ 琵琶湖周航の歌は6番まであるが琵琶湖哀歌は4番までである。ところが竹生島、比良、志賀、湖の子、紅椿、雄松(地名)浪枕、などは双方の歌詞に使われているのだ。どうしても両方の歌曲のCDを入手したくなった。
・ 心斎橋のレコード店まで脚を伸ばすも「東海林太郎」のCDは見つけることは出来なかった。若い人は知らないだろうが正統派の流行歌手で大正から昭和の初期にかけての第一人者で「名月赤城山」など国民的歌手だった人だ。歌い方に技巧がなく、姿勢正しく声を出す歌手で懐メロファンの私は大好きだ。結局見つけ出すことはできなかった。
・ 琵琶湖周航の歌はこれはいくらでもある。まずネットでは「賠償千恵子」がもっとアクセスが大きそうだったが、これは無料だからだと思う。フランキー堺とか渡哲也とかあるがはやり「加藤登紀子」だ。
・ 今津の記念館でも流しているのは加藤登紀子のものだった。それを探すのだがこれもないのだ。しかし諦めずに「中古店」で遂に見つけた。「日本哀歌集 加藤登紀子」で第1版は1986年だから32年も前だ。あの有名な「知床旅情」をメインにしたアルバムの中にあった。
・ 彼女の歌い方は何か「反体制的」な趣がして声が太く、それが情感を盛り上げ「加藤登紀子の世界」を作り上げている。今これを聞きながら日記を書いているのだ。「カチューシャの歌」「ゴンドラの唄」「北帰行」や「さすらい」なども入っているのだが中々良いものを手に入れた。1500円だった。
・ 彼女の「琵琶湖周航の歌」は圧巻である。彼女の唄になっている。京都大学ボート部100周年記念斉唱などもあるのだがはやりプロの歌が良い。昨日も書いたがやはり歌詞は3番だ。「波のまにまに 漂えば 赤い泊火 懐かしみ」「行方定めぬ 浪枕 今日は今津か長浜か」だ。
・ 実は加藤登紀子さんは私が勤めていた会社の上司の妹さんにあたる。鹿島製鉄所の20周年事業にお祝いとして地元貢献で小さな町に「お呼びした」のである。当時私は現場の部長だったと思う。
・ 「100万本のバラ」が大ヒットしていた時代で田舎の町に大物歌手をお呼びするなど土台無理な話であったが「兄を通じて」手を回し来て頂いたものだ。会場は超満員で大変地元の人々にも喜んでいただいた記憶がある。それに高かった。凄かった。
・ それに驚いたのは彼女くらいの歌手になると音響設備や照明など一切合財車に積んで来る事だった。余計なことをしてはいけないのである。裸の会場で良いのだった。プロが来て準備を進めていく。それを眺めながら私は驚いていた。
・ その後私は東京本社の部長に転勤となり登紀子さんの実の兄、加藤副社長は直接の上司になった。仕事の関係から渋谷文化村などでの「加藤登紀子リサイタル」などは副社長から「券を頂いて」良く「お客さんをお連れして行く機会」があった。加藤登紀子の兄が住金にいるのは誰でも知っていたのである。「券は入らない?」などと良く頼まれたものだった。そういう時は副社長に頼めば直ぐだった。
・ そしてあれから10年になる。今私立学校の理事長として加藤登紀子の「琵琶湖周航の歌」のCDを聞いている。「流転変転の人生」だ。加藤副社長は会社をリタイアされて今京都におられると聞いている。この人は私のことを「木村は住金の小沢一郎」と言った上司である。あんまり嬉しくはなかったなー。

2008年8月2日土曜日

8月2日(土)琵琶湖今津失敗物語

・ 昨日は大変気分の良い一日であった。その余勢を借りて今日は「1,2年生のトップ層学習強化合宿の日」だ。「1年間準備をして今日を迎えた」。昨夜は京都から延々一時間もかけてここ「湖北の地」まで脚を伸ばし「琵琶湖周航の歌の地、近江今津」となった。この地でも良いと朝までは思っていたのだ。
・ 遠いと思ったが担当が是非にというので受け入れたが「少し遠いな、でも今年から“バス借りきり”だから行けるだろう」と思うのは当然だ。部下を信頼しているのだ。私は朝7時から準備をして「今日は昨日の3年生とは違う。少し違ったことを話そう」「丁度今頃学校を出発した頃か」「しかし2時間でここまで来れるのか」等考えながら時を待つ。
・ 9時到着、9時30分開校式だ。私は8時55分には勉強場所となる「アクティプラザ琵琶」に一足先に到着し生徒の勉強する場所や食堂、寝室などを「巡回してチェック」する。少し暗澹たる気分になる。決して「良い環境だなどとは言えない」代物だ。
SS、R-1,R-2,R-3、その他様とあるが「その他」とは何事か!
・ 今か今かとバスを待つが一向に来ないし、この企画のセンター進路指導部長からも連絡はない。聞けば8時30分頃京都桂川にいるという。「」と思う。本当に時間通り始まるのかと。
・ 元々この会場は昨年京都北山の「善林房」というところが余りのも遠く、京阪電車と市内定期バスを利用してのことだったから、午前中の貴重な時間を無駄に費やしてしまっているので私の方から強く会場変更を指示しこの地になった。別に具体的にこの場所を指定したのではない。担当が下見までして決めてきたのだ。
・ 加えて今年から学校の正門前にバスを仕立てて全員が一度に動けるようにも配慮したのである。担当部長と教科長二人が下見までしてきた場所だ。「よもやのことはあるまい」と思っていたが、生徒の乗ったバスは一向に来ない。
・ 校長一人ただ待っている。開校式の始まる時刻9時30分を過ぎてもバスは来ず、連絡もない。「少しづつ、いらだってくる。」大体大阪市内住吉区の学校を7時に出て2時間で湖北今津まで来られるのか。
・ 今日は土曜日だ。夏休みの本番のタイミングである。道路は観光地やリゾート地に出かける車で込むはずだ。そんなことは分かっているはずだ。子どもでもあるまいしと思うのは当然だろう。ましてや湖北街道はこれ一本、車は集中すると考えなければならない。
・ 京都東からの湖西道路は高速ではないしどう考えても2時間では無理だと思うが、「下見までした場所だし、当方は待つしか方法はない」。予定では10時30分から1限目の授業である。「校長講話」などよりも「授業の方が大切」だと考えた。しかし私が教えたいこともあった。
・ 10時まで待ったが「予定」は諦めて大阪に帰ることとし、新旭駅に向かうことにした。予定を崩しては生徒に申し訳けがない。「受益者負担で高い受講料」を保護者には納めて頂いている。私が居ない方がすぐ授業の体制に入れると考えたのである。
・ とんだ「琵琶湖周航の歌」ではなくて「琵琶湖哀歌」になってしまった。この結末ははっきりとつける。1年準備して来たのは何だったのか。アメリカ映画ではさしずめ「Shit ! Damn it !」(あの、糞野郎、ボケナス!)と言ったところだろうが、私はそのような品のないことは言わない。
・ しかし校長を待たせて、連絡もなく「バス4台が行方不明」になるとは一体どういうことか。更に言いたいことはある。会場はまあ夜露をしのげるというくらいで食堂などは見ていて悲しくなるような代物だ。これなら京都の方が良かった。
・ 加えて最終日にはここを追い出され別の会場に追いやられるという。聞けば京都府立紫野高校が学習合宿に入るから「出て行け」ということらしい。なんでこのような場所を選んだのか。バスまで使い、生徒は選りすぐりのトップ層に絞り、昨年よりも高いコストで企画した強化セミナーは「大事な初動段階でスタートの失敗」だ。「ロケットスタートとはならなかった」。この「責任は追及」する。教員手当ての理事長加算などはとんでもない話だ。
・ 皆、無責任で「仕事の詰めが甘い」。人ごとなんだ。昔なら腹きりものだ。電車も駄目、バスも駄目ならもう「前日に宿泊する」しか方法はない。各人が三々五々電車をつかって夜の内に会場に入れば朝7時から始められる。それなら京都くらいでも良い。「3年生の教師陣は呼吸が揃って見事にスタート」した。1,2年生担当の仕事は甘い。「少し甘い顔をするとすぐこれ」だ。
・ 「伊勢修養学舎は3班で620人の生徒を見事に連れて行き、見事に連れて帰ってきた」。何処が違うのか「総括」しなければならない。アメリカ映画のマフィアものなら「もう終わりだろう」。私は寛容な人間だからそういうことはないが「どうして遅れたのか、リスクマネージメントはどうだったのか」説明してもらわねばならない。
・ 「私が厳しいと言うなら言え」。当たり前だ。一歩間違えば全軍を破滅させることになりかねない。これがもし「センター試験会場行き」だったらどうなる?計画を立てるということは「結果を保証する」ということだ。「結果責任」である。
・ 「交通渋滞で道が込みました」などと言ってきたらそれこそ「終わり」だ。「許さない。」覚悟して「始末書」を持って来いというくらいの気持ちだ。カルガリーから直接、来たが無駄な一日になってしまった。
・ エージェントに上手いこと言われてその気になって「自分の頭で考えないからこういうことになる」。大体この施設はこの会社のもので何とか使ってもらおうと言う手に載せられたのだろう。私から7時の学校出発で9時にここに着く訳がないではないかと言ったら「返事はなく、ただ汗をだらだら流している」だけだった。「要は騙された」のではないか。

2008年8月1日金曜日

8月1日(金)琵琶湖周航の歌「今津」

・ 「高3生の大学知名度」についてリクルート社が全国8000人の生徒を対象に調査した結果が発表された。それによると関東では早稲田、中部では中京大、「関西では関西大学」だという。
・ 早稲田は全国でも第8位に位置しており、全国レベルでトップ10に入っているのは早大だけで、こういうのを「全国区」というのだろう。就職有利では東大、京大、おしゃれな大学は青山学院大学と関西学院大学が双璧だという。学院というのをつければおしゃれになるのか。
・ 関西大学、頑張っている。奮闘している。「強い大学」であり、「関西は関西大学の時代が来た」ような気がする。本校と気風も似た所があり、経営陣も素晴らしいしなにしろ教授陣が光っている。私は関西大学を応援したい。関東の大学など関西から「追っ払わないといけない」。太閤秀吉が泣いている。

・ 「大阪府の人事に異変」が起きていると数紙が報道している。昨年対比で職員が7倍の22名、教員が5倍の34人が早期退職したという。採用試験も1979年以来の最低レベルで772名が受験者で受験率が54%という。要は大阪府の人気が急落しているというのだ。
・ 退職金が5%カットされ給与が10%程度ダウンすることが「大阪維新プログラム」で決まったから「逃げ出した」というニュアンスの記事だったがそうではあるまい。本校みたいに高額の退職金上積みを設定しているわけではなく、単なる「引きどき」と考えた人が表に出ただけだろう。そういう人は居ない方が良い。大阪府も助かっているのではないか。

・ 朝9時過ぎの京阪電車で京都に向かい、「本能寺会館」に入った。「是非に及ばず」と言って死んだ大好きな「信長の館」である。3年生のトップ層に対する「校長講話」だ。「社会の仕組み」「職業選択」「切磋琢磨」「大学の現状」「受験勉強の意義」など体系的に話した。できる子ばかりだからしっかりと聞いてくれた。
・ 朝7時から夜23時まで「徹底的に学習」するのだ。この内容は凄い。教諭陣も一流だ。しっかりと自分を見つめ、自分が努力しなければならない。こういうものに参加したから「学力が伸びる」というわけではない。しかし相当の自覚と効果が今回のセミナーで得られるものと確信している。
・ 昼食を頂く。2段弁当であった。最初は「ちらし寿司」との話が流れていたらしく女生徒は「エーッ」という声が流れていた。私からは若いし頭を使うとお腹が空くものだから、「食事の量」は配慮するようホテル支配人に言った。又3時過ぎには「スイーツ」を出すようにも指示したところである。
・ それにしても京都も暑い。「言うまいと決めてはいたが 暑さかな」だ。能寺会館を後にして湖西の近江今津に向かう。京都駅から普通通電車で近江舞子まで、乗り継いで今津に到着した。

・ 今津は「琵琶湖周航の歌の発祥の地」である。駅の近くに「琵琶湖周航の歌記念館」があるというので早速のぞく。こういうのは本当に大好きだ。玄関の外には加藤登紀子の歌が流れ館内も様々な演奏が流れている。
・ この唄は本当に良い唄でメロディーも何か感傷的で私は昔から大好きだ。大正6年当時の3高生がオリジナル版を作詞し、広まったものだという。良い唄は時代を経て生きていくものだと思う。湖西線の駅名が織り込まれ、「われは湖の子・・・♪」に始まる歌詞が良い。私は3番目に最後「行方定めぬ 波枕、明日は今津か長浜か」が好きだ。長浜は秀吉出世城の長浜だ。
・そう言えば、長浜は6月にPTA社会見学会で行った。これで長浜と今津に続いて行ったことになる。 とにかくこの歌を聴くと「私を愛してくれた両親、私が愛した人、愛する人を想い出す」のだ。「何時も涙が出そうになる」。どうしてだろうか。
・ この歌を歌っている歌手も多く、ペギー葉山、賠償千恵子、都はるみ、小林旭と色々あったが美空ひばりの物がなかったのは残念だ。私は絶対的な「ひばりファン」だから、彼女の歌声が聞きたい。ひばりの「別れの歌」も良い。藤村の詩だ。
・ もう一つ「琵琶湖哀歌」というのがあり、これは昭和16年4高(現金沢大学)のボートが沈没し部員11名が亡くなったときに作られたもので、今回初めて知った。素晴らしいものだ。周航の歌と哀歌の入ったフルート演奏のCDを1000円で購入したのである。帰ってゆっくりと聞きたい。
・ ホテルは今津の「サンブリッジホテル」というところで館内はこの歌のオルゴール風のメロディーが何時も流れている。途切れることがない。進路指導部長がセミナーハウス側と相談して決めたらしいが琵琶湖畔に位置し、中々良いホテルだ。運よく今日は近隣で有名な「花火大会」である。部屋の窓から一望だ。又8時からは「高島音頭総おどり」の日でホテルの浴衣を来て散歩がてらで歩いてみた。
・ 昨日までカナダに居て今日は湖西に居る。「人生は流転変転、おかしな感じがする。」でもスピードの早い世の中になったものだ。ホテルで食事だ。サービスしてくれる女性は湖北の人だという。「お市の方だね。」というと破顔一笑喜んでくれた。