2008年12月27日土曜日

12月27日(土)仕事納め

・ 今日が「仕事納め」である。例年に比べてギリギリまでの仕事となった。「忙しくも充実した一年」であったと言える。昼は大阪天満宮と道明寺天満宮の宮司と3人で食事をしながら「一年を回顧」するのが例年のスタイルである。今回は昼にして貰った。
・ 名誉理事長と理事長職務代理であるが実質的な「オーナー的存在」である。言ってみれば私は「雇われ監督」みたいなもので1年の終わりに「プロ野球の監督がオーナーに報告に行く」のとよく似ている。
・ 「優勝報告」とは行かないが「胸を張って報告」できるのが嬉しい。お二人とも大変喜んで頂いた。「ずーと、お願いします。その為には先生の体調です」とご心配頂いた。そうだ。今年は本当に体調が悪かった。私は「男の更年期」だと思っている。
・ 気分が優れない、腰痛、左足足先の痺れ、めまい、平衡感覚の崩れ、大腸ポリープなど書けば、大変な状況だが「根性でねじ伏せた」感じだ。しかし少し気力が萎えるときがあった。昔はこういうことはなかった。はやり年を取っているのだろう。
・ 昼食は「帝国ホテルの最上」でステーキとなった。何時もだが選択される場所が素晴らしい。旨い料理で大いに盛り上がった。昼からビールだ。この3人が集まると話題はあちこちに飛ぶのだが、一度「四条畷神社」に生徒をという話になった。この神社は名誉理事長が宮司を兼務されており楠木正成公の長男の正行を祀っているところだ。大楠公に比して「小楠公」と言われている。
・ さて今年の十大ニュースを挙げたらどのような項目か?朝、両方の副校長と談笑しながら整理した。次から次と出てくるのだが、何といっても「多聞小学校の買収」だと二人は言う。
・ 二人とも最初聞いた時は「ピンッ」と来なかったが、徐々に「感動」に近いものが沸いてきたという。二人とも30年本校に勤務しているが「このような発想」は全くないという。「驚天動地」という。「公立の小学校を一私学が買収に動く」など信じられないと今でも思うと。
・ 本校歴史始まって以来の「高価な買い物」だと思うが私は決して高い買い物ではない。十分に元が取れると述べた。高校の副校長は19日の地元説明会の理事長の対応の仕方に感動したと言う。この先生の最近の話題は何時もこの話だ。同席していたからこの場面の「歴史の証人」だ。
・ 中学の副校長は「改革は一人の人間でなされる」ということが骨身に沁みて分かった1年だという。それについては全くその通りで「合議制などで改革が進むわけがない」とこれだけは私は言ったのである。100%全員が満足するような改革などあるわけが無い。有れば既に為されているはずだと。「スピードがキー」だとも私は強調した。
・ さて「今年のニュース」は順不同で言えば:
*多聞尚学館の買収  
*新経営計画の策定と新校舎建設の公表
*人材育成・評価システムの導入
*イントラネットシステムの完成
*新時間外勤務管理の移行
*関西大学との特別連携への協議開始
*授業料値上げ
*理事会・評議員会の形の完成
*監事による業務監査に導入
*学校敷地内全面禁煙への移行決定
*学校自己評価と生徒による授業評価の実施
*早期退職優遇制度の導入と常勤講師の大量採用
*中学3クラス、高校15クラスの実現
*中学校運動会の導入実施
*第2グラウンドの設置(テニスコート3面化)と食堂の改装カフェテラス化
*学校ホームページの充実と校長ブログの継続  等々
・ 本日一つの話題は「管理職の仕事ぶりと人物評価」であった。5人いる管理職の特に「人間性を話題」にして「今後の相談」をした。私は「管理職には厳しい」。「無礼者は許さない」。これは当たり前で管理職とはこういうものだ。「それだけの処遇」をしている。
・ 筆頭副校長の評価が高い。「人物」なのである。組合教員の信頼も厚い。人物には当然処遇が付いて回る。名誉理事長から「後何年ですか」と聞かれたので「2年です」とお答えしたが「阿吽の呼吸」で「定年後の処遇」についても当然私の方から話題にしたのである。
・ 理事長職代理からは「喫煙の管理職は1月以降どうするのでしょうね」と心配されていた。私は1年という期間を彼らに与えた。「教育者が特に管理者がタバコの臭いを撒き散らす時代は去った」と言ってきた積もりだが果たして彼らはどうするのであろうか。
・ 来年の大きなテーマはこれまた多くあるがまず「多聞の戦力化」である。これは副校長と教務部長以下全員が頑張ってくれるだろう。「部活動活用」についても費用を投じて早く戦力化する積りである。私は多聞を「つわものどもの夢の跡」にする訳にはいかないのだ。
・ 4月早々になるかまだ時期は決していないが「改装なったお披露目」を計画している。行政や村議会、地元住民を招待して「空手と剣道の演」や「雅楽部の演奏」などでキックオフをしたいと思っている。その時は理事会メンバーにも来て頂く。
・ 教職員はバスを仕立てて参加だ。勿論PTAにも参加してもらいとにかく「全員の施設」だという認識を早く共有したいと考えている。年明けの7日に千早赤阪村の村長に会って具体的な買収交渉が始まる。頑張らねばならない。
・ 次の大きなテーマは「公私比率7:3の見直し」問題である。橋下知事は「来年の主要テーマは教育」と昨日宣戦布告した。私学としてはこれを受けて対応を考えねばならない。
・ お蔭様で今年も学校説明会には多くの参加者を得ており、塾の先生方からも「浪速人気」のお言葉を頂いているが「つかの間の夢」となってはならない。年明け8日からは「教育相談」が始まるが正直一抹の不安はあるがここにきて「じたばた」しても仕方がない。やることはしっかりと「入試広報室」はやってくれた。「素晴らしいメンバー」が揃っている。私の信頼は極めて高い。
・ 私が浪速に招聘された理事会から2年が丁度過ぎた。期待に応えて私は頑張ってきた積りだ。それは名誉理事長と理事長職務代理にお気持ちにお応えする覚悟でやってきたと述べた。この3名の「トロイカ体制の継続」を望むと暗に私は言及したのだ。
・ しかし1年を振り返ってみてやはり「教職員の力が大きい」と私は思う。当然「意識差と能力差」はあるが少なくとも私の時に「激し過ぎるとも思える情報発信」に応えて教職員は頑張ってくれた。「心から感謝したい」とリップサービスではなくて本当にそのように思っている。
・ だからと言って来年は少し教員に手を抜くことは全く考えていない。木村改革の3年目が勝負の時だ。知事の手で公立が私学化していく様相の中で「公私入り乱れての激しい市場競争」が始まっている。この戦争に負けるわけには行かない。私は来年も先頭を走る。「教職員にはしっかりと付いてきて欲しい」と念願するばかりである。

2008年12月26日金曜日

12月26日(金)心を病む教師の増加

・ 2007年度の「心を病む教師が15年連続で増加」とある。今朝の朝刊に各紙とも取り上げているが、何時もこの種の記事は「世評」を呼ぶのか各紙とも取り上げに熱心だ。クリスマスプレゼントではなかろうが文科省が25日に発表した。
・ 「うつ病」など「心の病で休職した公立の教員」は前年度より320人増えて「4995人」に上ったという。公立の全国の小中高の教員は916000人というからこの5000人を多いと見るか、まあ普通の数値だと見るかの議論はあろうが、やはり「多い」と見る方が自然ではないか。
・ 1979年以来毎年数百人単位で増加しており、「今後ともしばらくはまだ増加する」ものと私は想像している。特に「うつ病」を訴える教員の割合は「一般企業の2.5倍」であり、「背景に何があるのか」が議論の対象とならなければならない。
・ 文科省の説明は*保護者からのプレッシャー*部活動の指導や報告書の作成に追われて忙しい*教員の立場の相対的な強さの低下*同僚との人間関係の希薄などと説明しているがまあ「文章にすればこういうことだろう」と思うがもう少し掘り下げないといけない。以下私が論考してみたい。
・ まず今回の文科省の発表で強く不満を述べたいのは「年齢構成」を発表していないことだ。このような意味のない発表などするなと言いたい。「若い世代か中堅か、ベテラン」か、「男女比率」はどうかが、本質を見極めるポイントとなる。
・ 一般的に教師は「精神的に脆い性向を有する集団」と言って良い。一般社会の「荒波」など全く関係ない「塀の中に囲まれた」人々である。相手をする人間も「子ども」であり、23歳から60歳まで「先生、先生」と尊称で呼ばれる特殊な職業集団である。
・ この職業を選択した人たちは若い世代では「難関といわれる職業」を手に入れた人たちである。言ってみれば「秀才のエリート集団」と言っても良いのである。ところがどっこい若い世代に対比する団塊世代の教員は「デモシカ教師」と言われてきた。ひどい言い方だ。この「二つのジェネレーション比較」が本質に近づく面白いアプローチとなる。
・ 優秀な友達はどんどん一流企業に就職していくのに自分は決まらず「教師にデモなるか」「教師シカなれない」というのが「デモシカ教師」と言われる所以だ。こういう世代の先生方は「腹はくくっており」、この人達は「心の病」になる筈などなくて、病気になるのはこのようなふてぶてしいこの種の教師に対峙している「校長などの管理職」である。
・ うつ病になるのは「真面目で優秀」でどちらかというと「頭でっかち」の若い、それも「男性教師に多い」というのが私の観測データが示す。元々この若い世代は「ひ弱い」ところがある。「個性を尊重され」「乳母日傘(おんばひがさ)」で育ってきている。
・ 要は「甘やかされて」育ってきている世代だ。材料力学的に言えば「耐力(プルーフストレス)」がない。「ポキッ」と折れてしまうのだ。とにかくこの世代の特徴は「急激な環境の変化に付いていけない」。そして又付いていけない理由を「自分であれこれ真面目に考える」ものだからますます事態を複雑にしてしまう。考えなければ良いのにと思う。
・ 「自分の心の処理の仕方」を知らないから、最後は暗い部屋で一人動かなくなってますます自分を追い込んでいく。「こんな筈ではない、何かがおかしい自分は駄目だ」というのが「答え」でそれで「起承転結」を明確にする。しかしその時は完全に「うつ病」に罹っている。
・ もう一つ大きな要因は結構若い世代は「周辺との関係」についてとても気にする性向がある。「自分と相対的な周囲の環境」がまず心に入ってくる。この点ベテランといわれる教員は「人のことなどお構いなし」で「わが道を勝手に行く」というところがあるから、もう最初の段階から「解放されている」のだ。
・ 若い世代は「パソコンを自在に操り」何でも情報は簡単に手に入れるが肝心の「取捨選択」や「優先順位」などが出来ないものだから「何でもかんでも」受け入れてしまう。だから「心の中の器はすぐ一杯になって」満杯状態であふれ出てしまう。
・ これは特に「男性教師に多い」ように感じる。女性教師はこの点、強いというか「自由」というか「割り切り」というか「自己を解放する手段」をどうも「先天的に有している」みたいだ。どうもこれはジェンダーとしての生まれつきかも知れない。「馬の耳に念仏」とは言わないが一応「聞いたふり」をしているだけで決して心の奥底を開けない。
・ ベテランと言われる教師はこれはもう「ずうずうしい」だけで「パソコンも出来ない」「資料のまとめも出来ない」「他の情報などの関心が基本的にはない」から心が一杯になることは最初からないのだ。だから取捨選択も優先順位もへったくれもない。最もこれは一般論で本校の話ではない。
・ モンスターペアレンツのせいにする向きもあるが私の観察ではペアレンツではなくて「モンスターペアレンツが生んだモンスター子どもの影響」の方が大きい。即ち「生徒への対応の仕方」のマニュアルが出来ていないのもある。
・ その点、ベテランは「完成されたもの」を持っているから「うるさい親が来ようとも」、「小生意気な生徒が為口をきこうとも」とも「扱い方」は上手い。本校には特に「保護者対応の名人」といわれる人が居る。この人に掛かるとどのような保護者も納得して帰られる。
・ テレビでコメンテーターが「学校管理社会化の進展」も理由と言っていたがこれはあるかもしれない。ここに面白い記事がある。府教委の進めた「人材評価システム」が不当だとして府内の学校職員105名が「自己申告票の提出義務はない」と「確認」を求めた訴訟で地裁は「教職員の資質向上に有用、公平性も図られており、合理性がある」と全面的に請求を棄却したとある。
・ この種の「グループに属する教職員」はまず「心の病に陥る」ことはなかろう。なり易いのは確かに「訴える対象を持たない、相談する仲間がいない、孤高、孤独、狭いタイプ」に多いような気がしてならない。私は今少しやり方を変えつつある。
・ このようなタイプには「豆腐を扱うようなオドオドした対応」を改め、「しっかりと鍛える」ようにしたことと、住む環境を変えさせることにした。暗い田舎のアパートに住むのではなくて長居とか天下茶屋とか些かの都会に転居させる。
・ そして圧倒的に多い独身者には「結婚を迫る」のである。分かりやすく言えば「責任を自覚させる」ということだ。それから服装には厳しく言う。大体服装が乱れてきたり、無精ひげなどが見え始めたら「病の前哨戦」だ。大体「おしゃれタイプ」に心の病は近寄らない。
・ どうも今後求められる教師像は「単なる頭でっかち」だけではなくて「幅の広い人間」が求められているようになってきた。偏差値だけでは駄目だ。ますますそのように感じる。しかしこのことは学校だけのことではない。中央省庁も企業も結局はそうだ。
・ しかし私は思うのだ。一般企業に比べて2.5倍も多いと言う「うつ病」に悩む教師の多さはまさしく「学校が変わりつつある証明」ということもあろう。「耐力のある新しい教師の出現」が「日本の教育を変える」ことは間違いない。
・ 「うつ病に悩む教師」は逆の意味で日本の教師のある面での「優しさ、優秀さ」の証明であり、それほど私は心配することではないと考えている。それよりも問題は「仕事もせず、文句ばかり言って、手当てとかばかり気にし、うつ病になど全く関係ない教師の存在」である。

2008年12月25日木曜日

12月25日(木)英語の授業を英語でする

・ 高校の英語の先生は一体今回の「新高校学習指導要領」についてどのように受け止めているのであろうか。「英語の授業は英語で指導することを基本とする」と出た。平成13年度から全面的に実施される。
・ 私はこの公表を見て正直「?」というのが感想だ。一見「悪い話ではない」ように見えるが「ちょっと待てよ」という気がするのである。確かに日本人の「英語下手」は分かってはいるが、「英語は学問なのかはたまた伝達手段」として捉えるのか今日本の英語教育は分水嶺に来た感じだ。
・ 近くではノーベル賞を受賞した益川敏英先生は「英語大嫌い」人間を自ら宣言していたが、これもおかしな話だ。理系の学生は「研究論文を英語に訳する」のが今や常識中の常識で「日本語で論文」を書いても世界には問えまい。
・ かく言う私は「英語大好き人間」で時に気障に見えるくらい英語をスピーチに入れたりする。その方が分かりやすいし、表現として良い場面があるからだ。テレビのコマーシャルやタレント、コメンテーター、評論家などの話す言葉は今や「和英折衷」ではないか。
・ 私の場合高校の時の英語の先生が「可愛がって」くれ、英語が大好きになった。一生懸命に先生は私に「文法」を教えてくれた。そのうちに「英作文」についても「これを訳して明日持って来い」と鍛えられた。
・ 企業時代に「ニューヨーク勤務」を命じられて赴任したのであるが「英会話はさっぱり」であった。しかし「何とかなる」もので3ヶ月で聞けるようになり、半年で意思の伝達が出来るようになった。勿論決して「流暢で上手い」とは言えない代物であったが「伝達言語」としては形が出来てきたのである。
・ 人間、その世界に放り出されたら「飯を食って行く為」には「その気になって努力」をするものだ。その時に大切なことは「基礎基本」が出来ているかが問題である。私は当時「褒められた」。それは「お前の英語は正しく喋ろうとしている。」「それは何処で学んだのか?」というものだった。すべて「高校時代の基礎基本の勉強のお陰」である。
・ 突然「英語で授業せよ」と言われても全国の英語の高校教師は「困惑」するだけだろう。90%以上が高校に進学する時代だ。一口に高校と言っても超進学校からスポーツ振興の学校もあるし、課題を抱えている生徒が通う学校もある。
・ 私はこの問題について「二人の教員」を部屋に呼び、今回の件について「意見を求めた」のである、男女で英語にかけてはTOEICで900点を超える「名うての英語使い」だ。「思うところを述べよ」としたのである。
・ その結果は一人の先生は以下のように言う。本校で実施するとしたら現段階では「上位クラス」のみだという。しかし完全に英語だけというのは不味い。文法説明などは「混乱を招くので日本語の進行が望ましい」という。
・ 「復習する場合はそれは既習のことなので英語での進行も斬新」で良いと思われると書く。質問が英語で出来るようになれば上等であり、それくらいになれば企業が求める人材TOEIC500点以上のレベルとなると。
・ しかしこの先生はいう。「率直に言って作文や和訳などを見ていると日本語の言語能力が乏しい」中で「やっていけるとは思わない」。外国語という枠組みではなくて言語はまず「読み書きができてこそ何ぼの世界」だから英語の聞き取りや会話を重要視する必要性を感じないとまで言い切っていた。
・ もう一人の女性の先生は「正直なところ大きな不安を感じる」と書く。英語で授業が可能かどうかの問題ではなくて、「小学校での英語導入、中学の英語指導、高校、大学入試」と文科省には「一貫した狙い」があるのかという指摘である。
・ 「使えない英語」から「使える英語へ」と「強制的に移行」させようとする危険性を指摘し、この先生が出た外大の学長が入学式で「外国語大学は会話ができるようになるための学校ではない。会話が出来るようになりたいなら街の英会話学校に行けば良い。学問として言葉を研究するところだ」といわれたことを思い出すという。
・ 特に最近決まった小学校の英語教育は「学校任せ」で「到達度もばらばら」では意味はないと。「絵本のような教科書」「スカスカの中学英語」から例えば本校の理数科クラスになると10倍くらいの分量の教科書を使うようになる。
・ 今問題は「増えていく英語嫌い」の問題であり、単語をひとつずつ覚え、文法や構文をものにしていく「息の長い努力」をする生徒が減っていると言う現実の解決が教師の目先の問題であり、さらに2人に共通しているのは「大学入試」を如何するのかと言うのだ。
・ 私はこの2人の教師の指摘する点は理解できる。これを本格的にするのであれば「大学入試の大改革が必要」で小学校からの一貫した「シラバス」が絶対必要だと主張する。理想だけの理念を示しただけで後は「現場で宜しく」では間違いなく「日本の英語力は低下する」と断じているのだ。
・ マスコミは教師の側の問題を指摘する論調が目立っていたが、これに対しては文科省も「困る先生を想定していない」と朝日は書いている。確かに高校の英語教師であれば英語で授業自体に問題を感じるような先生はいないだろう。居たら失格である。そういう問題ではないのだ。
・ しかしクラス40人で又習熟度別クラス展開の中で具体的にどのような「英語による英語の授業」が意味を持ち「到達度と評価の仕方」について「学校間でバラバラ」ではこれは大きな問題となる。「ゆとり教育の二の舞」になりかねない。
・ 経団連は「グローバル時代の人材育成」を訴え、中教審は「今回の方針は小学校に英語教育を導入した時点から既定路線」というが現場を預かる英語の先生にはこれは「大変なテーマ」となろう。
・ おそらく何単位もある英語の授業中で一単位位が「日本語絶対駄目、英語だけの日」などで「お茶を濁す」ことになるかも知れない。当面この議論に注目する必要がある。英語を伝達手段とするか、ひとつの学問かという基本問題だ。
・ と同時に「一生英語なんかと関係のない人生を送る生徒」が殆どだということを考えれば、そういう生徒に何で英語を必修で学ばせるのか。「英語は選択で良い」というのは言語社会学の権威である慶大の鈴木教授だ。一理ある。とにかくこの問題から目が離せなくなってきた。

2008年12月24日水曜日

12月24日(水)新学習指導要領

・ 文部科学省は22日に高校の新しい「学習指導要領案」を公表した。卒業に必要な単位数は74単位に維持はしているが、今回は「相当思い切った改訂」となっている。先に発表された小中の改定よりも更に「突っ込んだ内容」と成っている。
・ 完全に「ゆとり教育」から脱却されることになった。この点では「大歓迎」である。しかし未だにこの路線を導入した当時の文部省の幹部はみのもんたの「朝ズバ」などに出演したりして自分を正当化しているが、本当に「国賊」ものだ。
・ 今回の特徴は「英語授業」と「理数系の充実」がある。しかし私はこういう個別の論点もさりながら大切なことは「改定の基本精神」である。全国の学校の先生方がその気にならないと「絵に書いた餅」となる。
・ 昨年改正された「改正教育基本法」を踏まえて「伝統文化の尊重」「わが国と郷土を愛すること」「公共の精神の尊重」を「学校の教育活動全体で行う」ことが明記された。「道徳教育」については「学校による全体計画作成が義務化」されている。
・ 各紙とも極めて重要なことだから1面を飾り、詳細な解説を記載しているが「英語の授業は英語で」などに視点が行って肝心の部分が希薄に感じる取り扱いは不満だ。産経新聞のみがこれらに触れているのがせめてもの「救い」であった。
・ 朝日などは例によって見出しも内容も「英語教育」に特化した編集で論説記事にも「英語で授業、Really ?」とあるくらいだから全く持って意味が良く分からない。朝日の結論は「指導要領は大枠にとどめて、実際の運用は学校に任せる。それが現場の力を引き出す事につながる」と、ここでも寝とぼけたことを言っている。
・ 「ゆとり教育」もその精神は悪いことではなった。ただ教師が「ゆとり」という言葉を悪用して「自分たちのゆとり」「生徒にはゆるみ」となっていったから現在のような事態になったという解析がこの社にはないみたいだ。
・ 実際の運用を現場の教師に任せるなどは「世迷言の類」で学習指導要領は教育基本法を受けた「最低基準」であり、法的拘束力を有するものでなかればならないと私は思っている。卒業式の国旗掲揚や国歌斉唱などの問題もそうだ。曖昧にするから一部の組合教員に隙を突かれるのだ。「公立の教員は公務員」であることを忘れてはならない。
・ 今回の改正は学習内容を制限する「歯止め規定」条項を削除し、「週30コマ以上の授業が行える」ようになった。要は「授業時数は青天井」になったということだ。又「10分単位の短い特定の教科指導」も「体制と責任」があれば「授業とみなされる」ことも決まった。これなど「朝の読書」に充当できる。私が予想していた通りになった。
・ 「部活動」については大きな前進とは思えないがそれでも「総則」に書かれたことは意義深いと私は評価する。「スポーツや文化及び科学等に親しませ、学習意欲の向上や責任感連帯感の涵養・・・」云々と具体的になった。
・ しかし相変わらず「生徒の自主的、自発的な参加による行われる部活動については・・」と冒頭の文言に記載されている如く「教育課程そのもの」ではなくて「関連が図られるように留意すること」となっている。従って教師の部活動も相変わらず公務ではないと解釈される。
・ 教科別では「社会科」に私個人としては不満が残る。「地歴」では一昨年大問題となった「世界史」が引き続いて「必修」とされたが肝心の「日本史」は今回も必修化が見送られた。残念である。何処の国に「自国の歴史」を「選択科目」にする国があろうか。「自分の生まれた国の歴史を知って初めて世界の歴史が分かる」。
・ 「公民」では始めて「天皇の地位と役割」が明記されたのは1歩前進である。しかしいずれにしても日本史の取り扱いや天皇への微妙な対応は本当に「何故ですか」と言いたくなる。間違った「国家観」を子どもたちに与えかねない。欧州や中国や韓国、北朝鮮などの教科書を見れば良い。
・ 「多聞尚学館」を契機として私は今「青葉茂れる桜井の」の歌にはまっているのだが、殆どの人が知らない。言葉が少し難しいのかも知れない。歌詞の中に「とくとく帰れ、ふるさとへ」というのがあるのだがこの「とくとく」という意味が分からないという知人もいた。「早く、早く」と言う意味だ。こんなことも知らないのかと言ってやったのである。
・ 明治時代の「小学唱歌」であり当時の子どもたちは先生に教わって歌っていた。この歌に「後醍醐天皇」「楠木正成」「建武の中興」「 鎌倉幕府の滅亡」「足利尊氏」「室町幕府」などの中世日本史が凝縮されているということを今や多くの人が知らない。
・ 千早赤阪村の住民でも「知らない人は多いですよ」と副村長が言われていた。「とくとく帰れ、ふるさとへ」の「ふるさととは千早赤阪村の千早城」である。「旧多聞小学校のあった場所」なのである。
・ しかし今回の学習指導要領の改訂の公表を知る前に私は今日を予測し、「神道科の教育と道徳教育」「学校教育方針に奉仕の精神」を先行して検討してきた。「先見の明」を喜びたい。今担当教諭が最終的なまとめに入ってくれている。21年度からスタートする。
・ 今回の改訂はあくまで視点は「公立高校の復権」である。公立がこう出てくるなら「私学はもっと先を走らねばならない」。それが「私学の付加価値」である。全教職員に私は強調しておきたい。
・ 浪速高校の付加価値とは「生徒の面倒を徹底して見る」ことでそのツールや活動の柱に「講習制度」「伊勢修養学舎」「多聞尚学館」「部活動指導」がくる。授業時数などはもうこれ以上拡大できないくらいに教職員は頑張ってくれている。
・ 後は「長期休業中の有効利用」と「週末スペシャル」である。加えて「スポーツ合宿」である。高い料金を使って遠方に出かける必要はない。「多聞を使え」、「他校にも多聞に来て貰え」。夏場は平均気温が20℃というから寒いくらいだ。
・ 「考え方を改めよ」。「保護者負担を極力減らせ」。遠くで合宿したからと言って「強くなるのか」と言いたい。「往復飛行機を使ってリゾート地で合宿したら強くなるのか?」「多聞を使え」。千早赤阪近辺にはまだ多くの競技場が一年中空いている。運動部の顧問に言う。じっくりと千早赤阪を車で廻って欲しい。拠点は「多聞尚学館」である。

2008年12月23日火曜日

12月23日(日)二つの衝撃レポート

・ 今私の手元に「二つの衝撃的なレポート」がある。本校の教員がまとめてくれたものだ。一つは11月に採用した38才の男性教諭、「直近まで公立中学校に勤務」していたバリバリの働き盛りの社会科の教諭である。
・ この教諭に対して一ヵ月後に「正直な感想」を纏め直接私に報告せよ、それまでは部屋に来なくて良いとまで言い、12月になったからその報告を副校長と2人で受けたのである。そこに書かれている内容に衝撃を受けたということだ。
・ 詳細は書くまい。ただ私は「看過できない内容」だと考え、「職員会議で発表」するように指示した。本人は「エーッ」と言う感じであったが有無を言わさず厳命とした。こういう場合は書いている内容を一部修正したり「トーン」を落としたりするものだが決して変えては成らないとも言ったのである。
・ この教師は「キャリア」は素晴らしいものがある。又年齢も本校に比較的少ない層であり、最後は私が決断して公立教員を辞めて貰って呼んだ形だけに「それなりの意味」はある。本校の水になれるまでに「新鮮な思い」を聴きたいと考えるのは当たり前だ。
・ この先生のレポートで数点私は刺激を受けた点がある。まず公立と違って「手当て」が充実しているのに驚いたという。「こんなに貰って良いのか」とも感じていると言う。公立にはこのようなものはなかった。「教師の仕事はボランティアが精神」だけに貰うのは嬉しいが「複雑」だという。正直な男だ。
・ 勤務時間は「明らかに短くなりました」という。「土曜日が勤務になったにも関わらず、公立時代に比べて1週間の勤務時間が短くなった」と書く。又「勤務が終わったら直ぐ帰る先生の多いのにも驚きました」とある。「年休や時休を取っている先生が多いのでこの職場が恵まれていることを知ってほしいです」と書いてある。
・ 特に私が気にしているのは「生徒生活指導の徹底さ」が「この学校はおかしい」と先生は言う。この項目は字数も多くつかっているのだ。問題行動が目についても「注意しない先生が多い」、また職員室で生徒を指導している側で別の教員が談笑しているのは「考えられない光景」と述べている。
・ この先生の次の言葉が印象に残っている。「生徒生活指導は全員がやるもので個別の教員だけの仕事ではない。」「又ベテランの教師は仕事以外の勤務時間や残業手当の話などを大きな声でしている」とか私が恥ずかしくなるような状況を報告している。
・ 「 若い先生は言葉使いも良く将来が楽しみ」であると評価するが、ベテラン教諭の悪い影響を心配しているという。もっと若い先生に責任を持った仕事をしてもらうべきだと強調する。「ウーン」とうなずける。
・ この先生が良いのは「前向き」な点が伺えるということである。教務が「しっかりとしたシステムを有している」と言い、素晴らしい「イントラネットシステム」が出来ている学校だからもっとレベルアップ可能だと言い、是非教務部で分掌仕事をやりたいと申し出ていることだ。
・ この教師は正職員のそれも公立教員の職を捨て年収規模が780万円の身分を捨てて約半減で講師の身分に甘んじても「本校で働く覚悟を決めた男」だ。私は言ったのである。「遠慮することは何もない。思いっきり力を発揮し、学校を高めて欲しい」と。この男は必ずやってくれるだろう。
・ もう一つのレポートは「某教員の出張レポート」である。これには「参った」という感じである。私がかねてから「不安に感じていた答え」がその中にあったのである。「教員採用システム」が本校とは全然異なる。「極めて厳しい」ものだ。私は少なからず衝撃を受けた。忙しさにまぎれて確かに他の私学の教員採用システムを学ぶ機会がなかったことも事実である。
・ 又逆に言えば「そのような高等なことを言っても誰が来てくれるの?」ということもあったろう。「教員採用に苦労した学校」だったのである。理事長職務代理が常々言われるのであるが、理事長が変わって初めて「他もお探しください、公立試験はどんどん受けてください」となったがそれまでは「とにかく居てください」とお願いする学校だったらしい。
・ その証明はある。昨年の採用では内定を出しても「辞退」が多く採用が大変だった。ところが今年は未だに辞退は2名程度で「定着率」が群を抜いて良いという。それは本校の相対的地位が上がったと言う事かも知れない。
・ このレポートには多くの示唆が富んでいる。まず採用は「オリジナル問題での筆記試験」が課せられている。本校は面接だけで「はい、合格」としてきた。レベルは関関同立、国公立2次試験レベルで合格点は60点以上としているらしい。
・ 私が「低いではないか」というと、その先生は80%や90%で設定すると生徒指導やコミニュケーション能力に問題がある「頭でっかちの者ばかりが残るからだ」と答えたと私に説明する。K大やH大に較べて神戸大卒が極めて良いと言っていましたと。
・ 次に筆記試験合格者を面接し「人間性とコミニュケーション能力」を見る。次に面接合格者に「模擬授業」を行わせる。このやり方が又工夫されているのだ。圧巻は採用者は1年契約の常勤講師から初めどんなに優秀でもまず常勤講師からとし「担任を持たせて」2年目の契約を考えるとのこと。
・ その次が「衝撃」である。次のステップは「1年専任」、その次が「有期専任」というのがあって期間は3年から5年らしい。その後残ったものが「永久専任」となるとのことである。4段階で初めて永久専任だ。従って若い常勤講師を採用したいから常勤講師の給料はかなり安いとのことである。
・ しかし「凄いシステム」である。本校のやり方について「そのようなシステムで専任採用を決めるとは勇気がありますね」と言われたそうだ。「勇気がありますね」とは「皮肉」と受け取ったら良い。確かにそういう面はある。本校はいとも簡単に専任にするところがある。今までは「3年常勤講師をしたらハイ、専任」としてきた。
・ 生徒数の増大と専任教員の早期退職があり、専任数が極端に減少したので一昨年、昨年と期中も入れて合計9名の常勤を専任に採用した。これらの人々の常勤期間は平均2年もいかない。「大盤振る舞い」と言われかねない。
・ しかし私が見込んだこれらの先生が「やはり良かった。私の目は間違っていなかった」となっていれば全く問題はない。そうあって欲しいものだ。理事長校長の期待を裏切らないで欲しいと思う。私は自分の目に自信がある。私が良いと評価する先生は今後とも本校に来て貰う。ただ少し「システム化」しなければならない。問題は今後どうするかである。副校長が早速検討に入った。

2008年12月22日月曜日

12月22日(月)多聞の反響

・ 今日は「2学期の終業式」。寒い日であったが生徒は全員元気そのものだ。私はこの日のために用意してあった高島屋に頼んで取り寄せたCD「青葉茂れる桜井の」の曲を放送で流して壇上で一番だけ「斉唱」した。コロンビア製で六郷少年少女合唱団の歌声だ。
・ 素晴らしい。この曲を聴くと涙が滲むのだ。生徒の方は拍手、拍手だ。終業式に壇上から校長が歌を歌うなどは前代未聞のことだったろう。それは「多聞:楠木正成」の話に繋げるためである。1月8日の「新春拝賀始業式」においてもかけることにした。来賓の為だ。
・ そして私はこの曲を「多聞尚学館のテーマミュージック」とすると生徒に宣言したのである。生徒は笑っていたな。そして改めて後醍醐天皇、楠木正成公、千早城、千早神社に触れて「建武の中興」「太平記の世界」「鎌倉幕府の終焉」「足利尊氏の室町幕府」と話を進めるのだが、どうもこうなると反応が弱い。日本史に弱い。本を如何に読んでいないかが分かる。
・ 私は全生徒に言った。「この施設はすべて諸君たちのものだ。」ここも有効利用して「力をつけよ」と強調した。今日の講話の大部分は多聞にした。このようにして多聞が生徒の身近になるように今後とも図っていく積りだ。
・ 「多聞尚学館の反響」はまだ続いている。まず旧知の河内長野市に住んでおられるお方が「新聞記事」をコピーして送ってくれた。手紙が添えられており「凄いことだ」と感嘆したとあった。このお方は「高津高校」を卒業されたお方で私の応援者の一人だ。カレンダーを山のように送ってくれたので事務所にお裾分けだ。期待に応えて頑張らねばならない。
・ 外部からお手紙が来た。淀川区にお住まいのお方で「校長日記ブログのファンレター」と差出人のところに書いているのだが、内容は17日のブログ「浪速高校入学後の中学校の数学や英語補習」について「意見具申」をしてくれている。「有り難い」ことだ。
・ 詳細は記述しないが最後に「校長日記のファンの一人として来春からの多聞の補習が成功することをお祈り申し上げます。この手紙が木村先生のお役に立てれば良いのですが」と締めてあった。
・ 早速副校長に指示して特に数学科の教科主任に検討させることにした。このように補習一つとっても「理論」があり、「下手な補習なら返って混乱を与える」といわれたのには「なるほど」と感心したのである。多聞での大きなテーマでもある。
・ 大きな花束が届く。素晴らしいお花で「多聞が嬉しくて仕方がなく」というメッセージを感じた。大きすぎて大変な豪華さでこちらは恐縮してしまう。有難いが、ご負担になったろうに。しばらく理事長室に置いた後正月休みをどこに置くか考えねばならない。
・ 保健体育部長と運動クラブの担当教諭を呼んで多聞での「運動クラブ用改造」について指示をした。テニスコートは2面は取れる筈だ。ネットが張れる様にすること。体育館は剣道、空手、柔道、バスケット、バレーなどが練習できるように改造すること。そのためには「出入りの運道具店」を連れて行ったらどうかとアドバイスしたのである。
・ 平成21年度「浪速中学校の最後の入試説明会」が20日にあったがそのアンケート結果が入試広報室から送られてきた。多聞が新聞に掲載された日で最後の最後の説明会でどのような反響が保護者から出たのか気になっていたがそれが判明したのだ。
・ 数は80世帯数で昨年の丁度1.6倍だ。「「浪速中学校の人気」は根強い。
  【2】本日の説明会で印象に残ったことがあればお書きください。(原文のまま)
・ 校長先生のお話はいつも説得力があり、ぜひ子どもを入学させて生きる力を身につけさせたいとおもいます。個人相談でも、とても親身になって聞いていただきありがとうございました。
・ 校長先生の力強いお言葉に、こちらの中学で学ばせていただければ20年後に社会で立派に生きてゆける力をつけてくださるだと確信できました。入試の説明も分かりやすかったです。今日は聞かせていただけてとても嬉しかったです。ありがとうございました。
・ 第2回プレテストの前に塾の方へ第1回の問題用紙を届けてくださったり、また第2回プレテスト後にも塾の方へ足を運んでくださり本当にありがとうございました。受験を決めてから受験日までが短い期間になってしまい、勉強不足ですが試験当日は力をで出せるよう頑張りたいと思います。本日の説明会では、校長先生の説得力のあるお話を今後とも聞かせていただきたいなと強く感じました。
・ 校長先生がすごく熱心に教育について語ってくださって感動しました。色々説明会に行きましたけど、熱心な学校だと思いました。
・ 学業だけでなく生活、精神的な面へも配慮豊かで、クラブ活動も活発、元気・活気のある学校だと思いました。
・ 校長先生のお話がとても独創的ですばらしく思いました。特に印象に残ったことが、私学は面倒を見る。私たち親にとって一番うれしいことです。
・ 校長先生の熱心さに驚きました。とてもいい学校だなあと思いました。
・ 木村校長のお話が印象に残っております。
・ 校長先生のお話、ひきつけられました。私が求めている教育方針でした。ぜひ、入学させたいです。
・ 木村校長先生のパワフルなお話、非常に感動しました。
・ 今日で4回寄せていただきました。今回も校長先生のお話は楽しく聞かせていただきました。そして勉強だけでなく部活も一緒にというのがとても良いことだと思います。より一層入学して欲しいと思いました。
・ 吹奏楽団の演奏、並んだ制服、駅からの道がわからなくなった私を案内してくれた笑顔の生徒さん、初めて訪れた浪速中学校でのひとつひとつが感激でした。息子は先月末突然「浪速中学校を受験したい」と言いました。受験生にとっては総仕上げの時期ですが後悔のないよう出来る限りの努力をして頑張れるようサポートしていきたいと思っています。学ぶ姿勢、道徳の心、校長先生のお言葉をとても心強く拝聴しました。ありがとうございました。
・ 貴校生徒指導の熱心さと学校(多聞尚学館)設立についてのお話が印象に残りました。
・ 木村校長先生の情熱は毎回感心しています。今回、千早赤阪村の小学校買収の話を聞けて良かった。
・ 木村校長先生のお話、すごい力強く心が打たれました。浪速中学に絶対合格して学ばせてあげたいと思います。親として合格を祈るばかりです。
・ 校長先生のお話がとても惹かれるものがありました。もう少しお聴きしたかったです。
・ 合宿のこと。子どもが大人になったときに世の中に向かってゆく力を付けられるようにする・・・というのがすごく印象に残った。
多聞尚学館での学び等に興味を持ち、学ばせたいと思いました。ありがとうございました。
多聞尚学館について。
・ 校長先生のお言葉『今を生きる』というお言葉が今、努力し頑張っている本人の胸にいちばん響いた事でしょう。そして私の胸にも強く残り刻まれました。どうしてもどうしてもどうしても浪速中学校に入りたいです。どうか本番テストまで見捨てず努力の結果を見てやってください。どうぞよろしくお願いします。浪速中学に入り多聞尚学館を利用させていただきたいです。
・ この説明会では、浪速中学校・高等学校の魅力的なことがよく分かりました。印象的な言葉は「浄明正直」です。絶対に浪速中学校高等学校へ通りたいです。
・ 校長先生の力の入った説明を始め大変分かりやすかったです。
・ 校長先生のお話で、合宿しながらの勉強会
・ 校長先生の教育への熱心さが非常に心をひかれました。ありがとうございます。もっと早くにこの学校を調べておればよかったと思います。(プレテストを受けれなかったので。)
・ 校長先生のお話がとても印象深かったです。相変わらずの校長先生のパワーに感心いたしました。「多聞尚学館」ことを校長先生の口から実際に伺い、とてもワクワクしてきました。何とか浪速に合格して楽しい学校生活を送って欲しいと思います。スポーツにも勉強にも頑張ってほしいと考えています。
・ 何度か説明会に来ましたが、毎回校長先生のお話には感動させられます。ぜひこの学校に通わせていただきたいと強く思いました。
・ 全ての催しに参加しましたが、どの会もパワフルな校長先生のお話が印象的でした。面倒見が良いこともよく伝わりました。
・ 先生方の熱心な心温まるお言葉、共感させていただきました。公立中学校とは違い“面倒を見る”姿勢、嬉しく思いました。どうぞよろしくお願いいたします。
・ 校長先生の熱意がよく伝わり感動しました。今回で3回目の説明会ですが、毎回熱い先生方の生徒に対する気持ちが伝わります。いつも貴重なお話おりがとうございます。
・ 校長先生のお話。
千早多聞尚学館買収の件
・ 校長先生のお話には心洗われる思いで聞き入りました。力強い教育に対する考えが伝わり、私も更に一層子どもの教育について真剣に取り組みたいと思います。副校長のお話も大変分かりやすく本日お伺いさせていただき、新しい一面を知ることが出来てよかったと思います。ありがとうございました。
・ 発展していかれる貴校の将来をとても頼もしく感じました。
・ 勉強だけでなくクラブ活動、生きていく力がすごく大切と思いました。勉強を頑張ってくれると一番いいんですが。玄関前で在校生がきちんと挨拶してくれて気持ちよかったです。良い学校だなあと思いました。
・ 校長先生の責任を持って面倒を見るというお話に学校の取り組みの熱心さを感じました。
千早赤阪村の公立小の買収
・ 校長先生、教頭先生の説明に熱意があり、この学校方針等が大変よくわかりました。
・ 校長先生のお話が大変印象に残りました。
・ 校長先生のお話、もう少し長い時間聞きたかったです。
・ 学校の感じがわかってよかったです。

2008年12月21日日曜日

12月21日(日)その2:多聞明けて二日目凛とした学校へ

・ 一応多聞は大きな山場を過ぎた。後の価格交渉は私にとって大きなテーマではもうなくなっている。理事長職務代理は大いに気にされておられるのだが。もう引き返すことは出来ない。NHK「篤姫」の「女の道は一本道」ではないが「男の一本道」である。
・ 今大変気にしているのは「10年度から公私比率が見直される」ことだ。「相当な影響が出てくる」と考えた方が良い。「専願比率」の高い私学なら良いだろうが「発展途上にある浪速」はまだ専願で定員が埋まるところには言っていない。
・ それどころか「世界的な金融危機」から来る日本経済の状態と「橋下改革の私学助成削減」は家計を直撃し、「公立回帰」が現実のものとなって来ている。このことは「併願数の増大」ということになる。その面では本校は「併願人気校の道」をひたすら走っていて良さそうであるが実はそうではない。
・ 私学は「専願で埋まる学校」が強い。それは私学としての「付加価値が高い」という証明である。本校も今は仕方がないとしても最終的には「専願人気校」にならねばならない。
・ 併願人気校から「専願充足校」になっていくのが「自然の法則」だろう。だから発展途上と言った。そこで私は「二つの戦略」を立てた。一つは「関西大学との連携」と「多聞尚学館の活用による徹底した学力強化作戦」である。
・ 「学校の人気を左右する要因」は多い。「綺麗な学校、美しい学校」というのも大きな要因である。「新しい校舎は生徒を呼び込む」ことは間違いない。「耐震強度」の問題もある。これは後数年で「新校舎」にする。これが現在の「新経営計画」である。
・ しかし私は理事会で申し上げた。新校舎が建っても「その時に生徒が来なくなっていた」ではどうしようもない。「お笑い草」であると。そのために「今やらねばならない」ことを進めなければいけないと「関大に走り」「多聞の購入」を決めたのだ。
・ 次に何と言っても「教員の質」だ。「学校は教員の質で決まる」。良い教員を育て集めなければならない。しかしこれは「大変な作業」だ。私と人事担当の副校長は今「専任教員比率」を大変気にしている。
・ 伸びない、役に立たない先生を65才まで雇用することは出来ない。余程見極めなければならないと思ったのだ。契機は知事の打ち出した「公私比率の見直し」である。私の後に学校を経営する人のことも考えておかねば無責任となる。
・ 一人ええカッコして専任教諭をバンバン作り、「生徒は減少していった」では泣くに泣けない。「教員の整理という荒業」か「ワークシェアによる給与の削減」とならないためにも「適正規模」というのが大切な考えである。
・ 次の学校評価のバロメーターは教職員の「ビヘイビア」だ。「概観、言動」と言っても良い。人は見た目から評価に入っていくのは事実である。これが間違っているとは思えない。「概観・言動は積み重ねられた人格そのもの」と私は考えている。「少し目に余る」ようになった。
・ 「元々本校は教職員の服装は概して立派」である。このことは評価されて良い。前の校長が相当エネルギーを投入して改善されたものらしい。この原点に戻り、更に形をきめたいと私は考えた。
・ 本校は未だに「校内で教職員が喫煙する民度の低い学校」である。このような学校は2府4県でももう少なくなった。時間をかけたが明年1月1日から「敷地内全面禁」だ。これでこの点では人並みの学校になれる。
・ 次は「教職員の服装」だ。昨日から出退勤時には「ジャケットとネクタイの着用」を義務付けた。夏場の「クールビズは私が導入」した。6月から9月は「ノーネクタイ」を許可したのだがそのままクールビズを継続している教員が目に付くようになったからである。それもだらしなく見える。ノーネクタイほど男にとって難しいファッションはないのだ。年配の教員に多い。
・ 「浪速の教員の服装はしっかりされている。さすがに素晴らしい学校だ」といわれるだけで学校の人気は上がる。「何、あのスタイル?!庭掃除でもするような格好で職場に通勤している」と言われたらお終いだ。現実にそのような者が居る。
・ 特に「自動車通勤」をしている教員に多いと感じる。元来は「自動車通勤は許可しないのが日本の教員への対応」である。全国の公立学校はすべてそうだ。それは教員がたとえ「貰い事故」と言っても人を撥ね、その人が死んだりしたら教育活動にも影響があるだろうという「配慮」からだ。
・ しかし本校は私学だし、通勤圏も広い。従って「例外的に許可」しているという考えも、時が立てば人間は悲しいもので例外的をすぐ忘れる。こういう人は家の玄関から直ぐ車に乗って学校前の駐車場に止める。それから職員室まで2分だから、酷い話、「パジャマ」を着て通勤しても分かりはしない。
・ それで例え2分でもネクタイ、ジャケットを義務付けたのである。又理事長の部屋に入ってくるのに「いい加減な格好で入っていくか」ということだ。テレビでも映画でも見ればよい。上司の部屋に入る、呼ばれたりするときに「いい加減な服装で行くか」ということだ。
・  民間会社ではそのような事をするアホはいない。たとえアホでもそれだけはしない。案外民間経験のある教職員がそのようであるから始末に困る。私は厳しく注意した。結局甘えである。自堕落なのである。組織をなめているのである。
・ 理事長は最高経営責任者である。加えて校長として校務の責任者でもある。そこにええ加減な格好をして入らせてはならないと副校長に言ったら彼もそう感じていたらしく早速「全教職員にメール」をしていた。私は教職員のお友達ではない。兄貴分でもない。雇い主である。雇用者という。
・ 職場を離れたらそこでは「わいわいが、がやがや」があって良い。当然である。しかし勤務中は「凛とした」ものが欲しい。理事会、評議員会、あるいは公認会計士など目の厳しい外部の人たちに浪速の教職員が「あの程度か」と侮られてはならない。「多聞の購入を契機」に「凛とした浪速の教職員を私は誇りする」ように教職員に理解と協力を求めていきたい。「新しい浪速の風土」つくりだ。

12月21日(日)その1:多聞明けて二日目:購入資金

・ 「多聞を買うお金が良くあったねー」と保護者や外部の人は思われるであろうが、「お金はあった」のだ。最もまだ価格交渉はこれからだから「足るのか、不足なのか」はまだ分からない。ただ銀行に走ることは必要はないと思っている。
・ 本校の教職員であれば、皆さんこのことは知っている。私は「会計の中身」をすべて教職員には「オープン」にしているからだ。学校のホームページには「学校会計の決算状況を開示」しているから、これを見れば一発である。
・ お金はあるにはあったのだが言ってみれば「なけなしのお金」である。これを使ってしまえば「もう何も残らない。おけらだ。」しかし私は理事会・評議員会に図り、この「お金を使う」ことを決断した。
・ 話は今から16年前に遡る。当時の理事会が実態は当時の校長であるが、どういう理由か分からないが「和泉市の外れに1000坪の土地を購入」した。「市街化調整区域」で家など建てれる場所ではない。加えて後ろは天然の池で断崖絶壁である。前は化学工場であった。当時様々な「憶測」も呼んだという。
・ 「造成、周囲の垣根の設置」だけで当時のお金でも随分と高いものをかけている。それで一応は今ある学校の場所以外に本校は1000坪の土地を有していたのである。仕方なく中学生の「芋栽培」の場所として細々と使ってきた。芋を収穫して次の植え付けまでは一面「草ぼうぼう」となる。
・ 平成19年1月私は着任した。「学校の財布の中」を見て私は驚いた。「顔色真っ青」である。底が見える。これでは学校運営は出来ない。「手元現金を補充」しなければやっていけないし、万が一の時に乗り切れないと判断した。しかもこの土地は将来の展望がない。早急に売却を決心した。
・ すぐ動いた。複数のルートで「売先を探す努力」をしたのである。条件は一つ、「当時の簿価を上回る金額」とした。条件の悪い土地だから値上がりなどしていない。逆にバブル当時の購入だからすべてが下がっている。「損切り」まで覚悟した。
・ しかし私は「運の良い人間」だ。途中経過は省くが、「良い条件で売却」できた。これを「定期預金」にして今まで「虎の子のお金」として持っていたのだ。いざという時のお金である。そして「多聞の購入にはこのお金を充てる」という考えが12月15日の理事会で承認されたのである。
・ 使い道のない土地1000坪が2000坪の土地に化け、上には草ではなくてコンクリートの建物が建っているのだ。体育館も幼稚園も農園も付いている。先祖も喜んでくれるだろう。
・ ところで旧多聞小学校は数年前に「2億円もかけて改装」したことがひょんなことから判明した。確かに村当局は大きな声で言える話ではなかろう。まさか最後は小学生が10数名に落ち、教育の場所とならなくなったのだから。
・ 多聞小学校と赤阪小学校を廃校として新たに別の場所に小吹台小学校というものを作ったのである。冗談であろうが村の行政当局は「木村さん、もう一校ありますよ」と言われる。
・ 多聞はとにかく床など全面的に張り替えて、トイレもすべて水洗にしたり立派なものである。私は体育館が特に気にいっている。私が見て1週間後に6名の教員をつれて極秘に物件を観に行った。
・ 何処に連れて行くかも言わずに車に乗せてその中で「千早赤阪の廃校の小学校を観に行く」といったときに、全員「暗い気持ち」になったそうだ。山田洋次監督の映画「学校」や「二十四の瞳」的に感じたのだろう。無理はない。
・ しかし6名の教員は現地を見て興奮した。「これは最高」となったのである。使うのは私ではない。教員が使わないとこの建物は腐っていくだけだ。ここで私は自分の目に自信を持ち、「先に進める覚悟」をしたのである。
・ 先輩が残してくれた土地を売却したお金が「多聞尚学館」に化けると考えたら良い。確かにお金はなくなるが「生きたお金の使い方」は私の最たる長所だと思っている。私は理事会で言ったのだ。
・ 新校舎を作っても完成したときに「生徒が来なくなっている学校」だったら意味はない。この投資は大きいがここで決断することが「経営判断」であると声を張り上げた。そして「新校舎建設のタイミングは全く変えない」。当初予定であると。
・ 行政当局と今後値段交渉となるが、これは一歩もひかない。主張すべきはして「合理的な判断」をする積もりだ。購入金額も大切であるが最も重要なことは「この太平記の村の133年の歴史を刻んだ多聞小学校」を生き長らえる努力をすることだ。
・ 千早赤阪村と一体になって浪速中学校高等学校の生徒がここに「新しい血」を通わすことである。12月18日の村議会最終日に与党の議員が行政当局に向かって「学校の前の道路を拡幅するくらいの誠意を見せて浪速さんを招致するのが常識だ。行政はどう考えているのか」と攻め寄った光景は今でも思い出す。
・ 私は教職員に対し職員会議や内部メールなどを使って逐一詳細に経緯を説明してきた。だから教職員は全員が事態の推移を分かっている。これで定期預金もなくなることも分かっているはずだ。
・ しかし今から又貯めていけば良い。今の浪速の力からすれば問題ない。そのような学校に2年で私は変えた。このことは全員が分かっている。私と常勤講師以外は全員前からいた人たちである。彼らも厳しく言えば学校を危機に陥しめた責任はある。
・ 「たった一人の人間で物事は変わる」と言うことを専任教職員は「骨身に沁みて」分かっているはずだ。私は自慢して言っているのではない。「逆に一人の人間で組織はつぶれる」ということだ。食品偽装などの会社を見ればよい。
・ 生徒が喜んでくれている。昨日は中庭を歩いていると「校長先生、多聞は部活でも使えるんですか?」と聞いてきた。もう「多聞」と読んでくれているのだ。嬉しかった。保健体育部長に言ったのだ。「見たか!」というと24日に行くと言っていた。
・ 22日には教室改造に教員の代表が現地をみるそうだ。動き始めた。年明け1月8日の「新春拝賀始業式」には「臨時PTA実行委員会」をして正式にPTAに説明したい。すでにPTAは幾ばくか「金銭的支援」を考えてくれているみたいだ。一口いくらで奉加帳を回すという。有難いことである。

2008年12月20日土曜日

12月20日(土)多聞、一夜明けて

・ 「関西テレビの放映は中学副校長がコピー」を取っていてくれた。学校も映してくれており時間も結構長い。私の思いも村長の思いも伝わる内容だし、ある村民の方が「年寄りの村に若い生徒さんが来てくれるのは嬉しいね」とインタビューに答えてくれていたのが嬉しい。
・ 新聞は産経、朝日、読売、毎日と各紙が取り上げてくれていた。写真つきだから大変良く分かる。ただ産経を除いて南河内版だ。村長のコメントは「廃校となった小学校に新たに命を吹きこんでくれた。学校名も残してくれ、地域や村にとって嬉しい限り」と各紙とも似通った文言である。
・ 私のコメントは産経が「自然豊かで歴史のある学校を大事に再活用したい」、毎日は「133年の歴史ある学校を受け継ぐ。大切に使っていきたい」。朝日は「住民には今までどおり施設を開放するなど地域振興に配慮していきたい」、読売は「自然豊かで学習環境が良いと村に購入を打診した」とある。
・ 特に産経新聞は大きく取り上げてくれており写真も大きい。見出しは大きく「校外宿泊学習施設で再出発」とある。読売は「廃校、合宿地に再生へ」とある。会見場所が千早赤阪村で記者クラブは南河内クラブだったから千早赤阪村からの視点が幾分強い感じであったが毎日の見出しは「大阪国学院が購入」とある。
・ これで9月以来の一連の仕事は「大きな山」を通り過ぎ、次の段階に移る。価格交渉には強い意思を持って臨んで行きたい。しかし陰の最大の功労者は本学校法人理事長職務代理である。この先生が私を千早赤阪村に連れてきてくれたお人だ。後世忘れることはない。
・ 今日は最後の「中学校の入試説明会」である。14時に開始される。すでに山場は過ぎており「機会を逃した小学校6年生のために」設けているものである。プレテストもないし体験授業などの計画もないが「誠実」に対応するのが「浪速流」である。
・ 私としては「多聞尚学館」のことが堂々と言えるのが嬉しい。今日は言ってみれば追加の機会でそれほど参加者も多くないと思っていたら結構の参加者で力が入った。多聞尚学間に大変な興味を抱かれたことが直ぐ分かる。これで本校は生徒募集でも有利な戦いをすることが出来る。
・ 既に外部から反応があった。某私立高校から「トップインテンシブセミナーに数名でもその学校の生徒を加えさせて貰えないか」というお話だ。最近特進コースを作り生徒たちにその雰囲気を味合わせてやりたいというのだ。
・ 多聞では外部講師を積極的に招聘して「生徒にも教員にも刺激」を与えることが重要だと考えている。今度は宿泊も可能だ。ゆっくりと時間が取れるはずだ。私は職員会議で言った。「多聞は学校とは違う」。「学校とは一味も二味も異なるアプローチ」をして欲しいと。
・ 多聞での教師の活動は「特別に配慮」する。2泊3日で頑張ってくれたらちょっとした収入になるように会計基準を改める積りだ。勿論受益者負担の原則であるが法人もPTAや神社界にお願いしたりして「多聞ファンド」を用意して会計を進める。
・ 例えば高校3年生の受験科目に「日本史」を選択して生徒に「体系からはじめ、古代史、近世・・・」などとポイントを教えて詳細単元に入っていくというやり方だ。だから間が空いたら意味はないのである。連続してやるのが「味噌」である。
・ 二泊三日で連続して日本史を教える、それを2回でも繰り返したら、「生徒は何かを掴むはず」だ。後は自分で学ぶことが出来る筈だ。そういうことをする場所が多聞である。古文,漢文、英文法、英作文のコツとか色々ある筈だ。
・ 教員は自ら教材を準備して多聞尚学館の館長の了解を得て「「スケジュールを組む」のだ。言い方は不適切かも知れないが、言い換えれば「自分で稼ぐ算段をせよ」ということだ。今出来上がっている形は「進路指導部のトップインテンシブ」だけだがこのような「特別講座」がどんどん出来なければならない。
・ 「記者会見」でも私は強調したのだが「学校+多聞の組み合わせ」で何かが生徒に生まれてくる筈である。くれぐれも強調しておくが「教室の延長」であってはならない。「宿泊旅行」であってはならない。
・ 着任した年の夏に京都のサマースクールに行った時に私は驚いて、空いた口が塞がらなかった。あれは完全に「ミニ修学旅行」である。「教える体系もなく」単に教科の先生が「付き合って」2なし3コマ分教えて生徒に力が付くかということだ。
・ 多聞では「生徒に本当の実力が付くやり方」を「生徒と共に泊り込んで」頑張ってもらうということだ。恐らく先生にとっても「指導方法の開発」に繋がろう。従って「数人が手分け」してやるなどは余り感心しない。多くても一科目2名だろう。基本的に一人がやらねばならない。「その先生のノウハウ」を生徒に伝達するのだから。
・ さりながら高校生とは違う。体力の問題もあろうから「サブ講師」をつけることを考えている。若い先生をつけるのだ。その先生にとっても勉強になるはずだ。メイン講師とサブ講師では当然手当ては異なる。
・ 夏のサマースクールで実験的に講師料を弾んだ。それなりのブランドバッグが買えるくらいの特別手当を講師の先生は手にしたはずだ。このように付加価値のある先生、価値ある仕事をした先生に収入が付いて回るのが社会の常識である。
・ 本校の教師では駄目だとなったら私は「河合塾」や「駿台」の講師を招聘する。多聞はこのようにして活用するのだ。学校とは違う「教室の延長ではない教科指導」をする場所が「浪速多聞尚学館」である。
・ それにしても反響が凄い。PTA同窓会、他の私学など問い合わせや喜びなどが伝わってくる。ある保護者などは「凄い、凄い」しか言われないがそのお声は「良い学校に子どもを行かせて良かった」と言ってくれているのだ。
・ 生徒の希望を取るのではない。教師が「多聞送りを宣言」してやらねばならない。「君は多聞行きだ。」とね。私は本校の教員に告ぐ。「多聞を使って、生徒の力を伸ばせ、そのことが自分の生活を守り安定させる唯一の手である。」徹底的に多聞で変わった教科指導をして欲しい。普通のことは学校の教室で出来る。

12月19日(金)共同記者会見と地元説明会

・ 久し振りに遅い帰宅となった。今23時30分である。でも今日のブログは今日中に書いておきたいと思ったのでパソコンの前に据わる。しかし忙しい一日であった。朝から午後2時からの「共同記者会見」の準備と19時からの「地元説明会」の準備である。最後まで私は「脚本」にこだわる。従ってこういう「勝負の時」は細部まで指示をして準備を進めるのだ。
・ 12時30分学校出発。事務の主査の運転する車に私は乗り、「初代の多聞尚学館館長に任命」した副校長と広報担当の教頭は別の車である。13時30分前には千早赤阪村役場に到着。記者会見の場所は近くの保健センターである。
・ 少し時間があるので役場において「村長と懇談」する。今日は村長グレーの背広に赤いネクタイだ。恐らく「勝負服」だろう。私は最近、理事長職務代理から頂いた「ゼニア製超高級ネクタイ」だ。今日初めて締める。私は勝負のときに「新品のネクタイ」を締める。
・ 副村長が合流。村長は「橋下知事に今回の件についてメール」を打ったらしく、その発信コピーを見せてくれた。知事は良く千早にお忍びで来られるらしい。どうも知事の癒しの場所が千早赤阪村みたいだ。近いうちに会う予定があり「浪速への多聞小学校売却」について詳細報告すると言われていた。
・ 14時定刻に始まる。八尾で火事があったとのことで朝日と産経が遅参と連絡があったらしい。「関西テレビが完全装備」で取材に来ていた。ここは中央の府庁記者クラブではなくて「富田林の南河内記者クラブ」らしい。従って顔見知りの記者はいなかった。
・ 共同通信の記者がこれは「府庁の教育記者クラブでされたほうが良かったのではないか」とアドバイスされたが私は当初から「千早赤阪でやることに意味がある」とこだわったのである。
・ 司会は役場の総務課長、そしてまず学校法人から私と私の右は副校長だ。私の左に村長、その横は地元選出の村会議員が並ぶ。まず私から資料を使って「今回の経緯や使用目的などを詳細」に説明した。その後「村長が思い」を述べられ、役場の方から売却の面積や多聞小学校の歴史などの資料の説明があった。
・ 両者の説明終了後、「質疑応答」となる。当然私に質問が集中する。関西テレビの記者から始まった。久し振りにテレビカメラのレンズを向けられる。その昔は良くテレビに出たものだ。正直って慣れているからなんていうことはない。この記者若くて感じが良い。好感が持てた。
・ 次は読売新聞だ。結構細かくポイントをついて質問を投げかけてこられた。どのような質問かはもうどうでも良いが私は「今日の会見ですべてをお話した気がする」。そして村長に質問が移る。結局しゃべったのは私と村長だ。
・ 何と時間は2時に始まり3時30分終了だから「たっぷり1時間半」かかったことになる。終了間際に産経と朝日が飛び込んで来て。個別の立ったままの取材となる。村長はその後産経記者につかまり時間を取られたそうだ。
・ 元々一旦学校に戻る予定であったが時間が予想以上にかかったものだから学校に帰っても20分くらいで又出てこないといけないと供が言うものだから帰校を諦め多聞小学校に行くことにした。
・ 副校長も教頭も考えたら初めて見るものでいささか興奮していた。細部を見て歩くと「これは良い。十分使える」と積極的である。何時もは感情を表に出さない教頭も今日は様子が異なる。改造の場所や方法など意見を言う。何時もこうあって欲しいものだ。面白かった。
・ 19時から近くの「老人憩いの家」にて「地元説明会」なのだがまだ時間は16時30分、たっぷり時間があるので河内長野の道路沿いの店にでも行って軽い食事でもと取ろうと考えた。夜遅くなることを想定してのことである。応援で学校から此方に向かっている二人の教員と「道の駅」で待ち合わせ、合流してレストランに向かう。
・ 教頭はここ、河内長野に住んでいるから道案内は全く問題ない。「さぬきや」という「うどんレストラン」に入る。私がまだ柔らかいものしか食べられないので気を使ってくれたのだろう。男5名に女1名が入る。
・ 男3名は「ヘルシー定食」@1050円、後の3人は「釜揚げうどん」@450円だ。年寄りグループはこういう時に必ずヘルシーというものを取る。今日もそうだった。私は勿論うどんとした。量が少なかったが腸には丁度良い。食後コヒーを取る。時間は6時で又千早地区に戻る。日はとっぷりと暮れて何処を走っているかさっぱり分からないが教頭の後を付いて行けば良いから楽である。
・ 場所は言ってみれば地区の公民館である。6時40分には到着し、まず三々五々集まってこられるのでその間DVDを流して「映像で学校のPR」をする。今年放映された「学ナビ、得スマ」などを編集したものを持参したからこれが大変便利で地元の皆さんには大変分かり易い。
・ 携帯電話が鳴る。理事長職務代理からだ。今「関西テレビで報道があった」。「バッチリとした内容」だったと喜んでおられた。一安心する。関テレの記者は上手く編集してくれたのだろう。質問に丁寧にお答えしたのが良かったのかも知れない。
・ 19時には予定通り始まった。なんと松本村長が昼間とは違った服装で来られた。考えたら「村長も地元住民」でもある。さすがにお年寄りも多いが若いお方も居られる。映像の後私はじっくりと経緯と目的などについて説明した。時間はビデヲ放映も入れて1時間であった。こういう時は急いではいけない。「お年寄りには時間を惜しんではいけない」のだ。この人達には時間が十分あるからだ。
・ それから「質疑応答」である。色々なお話が出たが皆さん「歓迎の意向」であることは十分に感じられた。私は誠意を持って質問にお応えしたのである。「グラウンドの枯れた桜の木はどうするのか」とか「街灯が消えている」とか色々あったが、要は「心配なお気持ちをなくして差し上げる」ことがポイントで企業時代から私はこのようなことは経験があるからまったく問題ない。「誠意」だ。
・ ここでもある81歳という男性のお方から「久し振りに颯爽としたお話を聞いた、雄弁ですね」とお褒めにあづかったりして時間はたっぷり1時間経過した。19時に始まって2時間、もめることなど全くなく、極めて「笑い声のこだまする友好的雰囲気」で説明会は終了した。「区長」さんも大変喜んでおられた。
・ 参加して頂いた皆さんにはお土産として記念タオル、「紅白饅頭」、それに学校案内だ。現地を後にしたのが21時15分、学校到着が22時、家に22時30分、シャワーを浴びてパソコンの前に23時30分となった。まだ酒は飲めない。このようにして忙しいそれでも充実した一日は終了したのである。

2008年12月18日木曜日

12月18日(木)その2:(旧)多聞小学校の買収

・ 平成20年12月18日午前10時過ぎ「大阪府南河内郡千早赤阪村議会」で村立の「旧多聞小学校の売却先」に遂に「浪速高校」が明るみに出た。そうである。学校法人大阪国学院はこの千早赤阪村立の旧多聞小学校を「有姿で購入」することを決め、かねてより村当局に購買を申し入れていたのだがこのように本日村議会最終日に「招致」が正式に決定し今後は具体的な交渉となる。今日で全てがオープンになった。
・ すでに12月11日には村長の千早赤阪村村長松本昌親氏と学校法人大阪国学院理事長の私との間で「購入」に関する公式な「覚書」を捺印して取り交わしており、今日の「村議会の決議」で具体的に一歩前に進むことになる。
・ これで本校は念願の「校外学習合宿施設」を保有することが出来る。名前は地元千早赤阪村千早地区に敬意を称して多聞小学校の名前から「多聞」を残し、「浪速中学校高等学校 多聞尚学館」と名づけることとした。多聞とは大楠公の幼名である多聞丸から付けたものである。
・ “尚”とは「たっとぶ、尊重する、重んじる、さらに」などの意味があり「さらに学ぶ」の気持ちを込めている。多聞修学館とか多聞練成館とか色々と考えたが当初の案に落ち着いた。始めてこの設備を見た時に私の頭に浮かんだものである。このように最初のイメージは強いものだ。
・ 現在改造工事の設計中であり、教室の改造、寝室、浴場などの設置を考えている。当初は「120名規模の合宿学習」が可能となるように考えている。学習合宿のみならず部活動合宿や教職員、PTA研修場所など幅広く活用できるように門戸を広げる考えである。
・ 全国的に見ても過疎により「廃校となった公立の小学校を一私立学校が買収」し、「校外学習合宿設備として未来永劫存続を図っていく」試みは珍しいもので、何より千早赤阪当局が当方の申し出でに積極的に対応してくれたことが今日に至った最大の要因である。
・ 特に松本村長と私の間の「信頼関係」がベースに出来、それがこのように早く「具体化」した理由である。今日の村議会で村長は「浪速にホスピタリティを感じた」とまで言って頂いた。
・ 特に私は地元住民のお気持ちがこのプロジェクトを左右すると考え最初から「誠意を持って対応する」とお答えした。特に最初から「多聞の名前は残す」と申し上げた。これは相当良い感触で受け止められたと感じた。
・ その他緊急避難場所として又グラウンドは老人会のゲートボール会場に文化祭は何時でも空き教室を開放するなど電光石火に申し出たのでる。こういう速い対応が行政当局の素早い対応を引き出したとも言えなくもない。
・ 初めて物件を見てからたった2ヶ月である。この設備は国庫負担で建設された公的設備であり、大阪の一私学に売却してくれるには関係当局の温かいご理解があったことも大きい。
・ 私が最初に村長に面談し、「売る意思はお持ちですか」とお聞きした時に村長が「この日の来るのを待っていた」と答えて頂いたのが今でも忘れられない。それは本年10月12日(木)であった。あれから2ヶ月でここまで話が進展したのだ。
・ 今回のことで「最も喜んでいるのは教員」である。今まで宿泊合宿する場所に苦労し、京都や湖西などの民間の旅館や研修を借り受けて実施していたが「使い勝手」が悪く、交通にも不便をきたしていたが多聞には学校正門前から1時間以内に行け、好きな時に使えるのが「嬉しい」という。「幸せな気持ち」になったと聞いて私は良かったと思った。
・ 全国的にも珍しいケースということで明日14時から千早赤阪村役場で松本村長と並んで「共同プレス発表」ということになる。その後19時から「公式な地元説明会」の予定である。
・ 今学校は明日の地元説明会の準備に大わらわである。担当は「お祝いの紅白のお饅頭」を地区のお方にお渡ししたいと準備している。又DVDを使ったPRや資料の作成もある。皆前向きで明るく頑張ってくれているのが嬉しい。
・ そして本日4限終了後生徒には「一足早いクリスマスプレゼント」としてこの施設のことを校長から校内一斉放送で伝達した。そして保護者には「嬉しいお知らせ」として概要をまとめたプリントを生徒に手渡したのである。保護者には喜んでいただけると思う。
・ 私の校内放送の最後には「3年生にはすまなかった。君たちには使って貰える機会がない」と言ったときには3年生の教室では「あーアッ」とため息に近いものがあったそうだ。後で3年生の担任から聞いた話である。
・ 極秘に話を進め、本件を知っていたのは一部の人間であったが今ようやく明るみに出て私自身「ホッ」としている。一つの大きな仕事をやり遂げた感じだ。費用についてはこの2年間の「学校改革」で自前のお金で買える。銀行からの借金が不要というのも嬉しい。これも学校改革に理解と協力をしてくれた教職員の成果であり、皆とこの喜びを分かち合いたい。
・ 橋下改革で遂に恐れていた「公私間比率7:3」が平成22年度から見直される方向になった。更に大阪の教育は公私入り乱れて激しい競争の渦に巻き込まれていく。「待ったなしの戦場」となろう。生徒の人気がない私立は退場していく運命になる。もしこれがなされたら「第2弾の合理化」が必要となる。即ち人件費のカットだ。
・ この施設を活用し教職員には「私学らしい生徒の面倒を見る」ことを徹底して欲しいと思う。それが唯一「本校が生き延びる道」である。今日「臨時の職員会議」を行い、少々厳しかったと思うが「我々を取り巻いている環境」について言葉を尽くして説明した。
・ この戦いは他との戦いというより「自分との戦い」であることを認識しなければならない。「凛とした職員室」を取り戻し頑張って欲しいと強調した。この変化とスピードについて来られない教職員は退場し若い常勤講師に場所を譲ってやって欲しいとまで私は述べたのである。
・ この多聞尚学館は副校長を初代館長とし、主坦を教務部長とした。そして多聞で頑張ってくれる教員の時間外活動については「手厚い処遇」を考えると表明した。私は浪速基盤強化のためにこの施設を自ら探し入手する。しかし「これを生かすも殺すも教員であると言明」した。「学校プラス多聞」、この「新しい組み合わせ」で何かが生まれてくることを信じて疑わないと述べたのである。

12月18日(木)その1:千早赤阪村議会

・ 12月14日(日)のブログで「千早赤阪村と楠木正成公」のことについてある程度記したが、この村のことについて少し記さねばならないことがある。千早赤阪村、大阪府で唯一の村、府下最高峰を誇る金剛山(標高1125)を擁する金剛生駒紀泉(紀泉とは紀州と泉州)国定公園と南北朝の武将「楠木正成」生誕の地で知られた「太平記の世界」にある村落である。
・ 府内中東部に位置し人口は平成20年10月現在で6461人、世帯数は2354戸で面積は37.38平方キロである。「村章」は村の象徴である金剛山を示し村訓の「」をイメージしたものである。村の木は当然のことながら「くすの木」で村の花は「山百合」という。
・ 海抜は村役場が120メートルで最高は1020メートル、土地利用は全地目の82%が山林原野の山里に開けた村である。村境界は河南町、富田林市、河内長野市に接し、現在河内長野市との合併協議が進められている。裏側は奈良県に接している。
・ 村の一般会計規模は28億円レベル、それ以外に特別会計がある。農業は作付け面積で大きい順で果樹それに稲作、野菜となる。耕地面積も徐々にではあるが減少しつつある。製造業商業への従事者も減少の傾向であり、過疎と高齢化が進行する典型的な山里であると言える。
・ 気を吐いているのが霊峰金剛山ロープウエイ事業であるが利用人数は平成4年の20万人をピークに年々減少し平成18年度で利用者は114000人、村営のロープウエイ事業収入は6000万円ちょっと。ちなみに料金は大人で片道700円である。
・ 千早赤阪村長は松本昌親氏、父君も村長をされた。長身で気骨のある素晴らしい村長さんである。豪放磊落とでも言おうか、フットーワークも良く誰よりも千早赤阪村を愛し河内長野市との合併に東奔西走されている政治家である。もう数回お会いしてお話ししているが本当に立派なお方である。
・ 楠木正成公や千早城址、千早神社とともに村には多くの「有名なスポット」がある。まず日本でも有名な「千早の棚田」である。さらには「建水分神社」もある。この神社は特に有名で通称は「水分神社」と言われる。古来より金剛山鎮守、又楠木氏の氏神として崇敬されてきている。式内社で社格は府社である。
・ 村会議員数は定員10名で丁度現在第4回「千早赤阪村議会」が9日に開会され、今日18日の木曜日に閉会される。それでその村議会に「ある目的」があって一般傍聴者として本日村議会場に赴いたのである。朝6時には学校に行き、一仕事をして8時に学校を出発した。
・ 村議会は定刻9時30分に開会された。80号議案、81号議案、次期議会に係る議案が粛々と議論され議決された。そして「一般質問」となる。代表質問は与党7名の議員団を代表してのものであると断って、冒頭に質問者の田中議員が述べ始めた。
・ 「議案は旧多聞小学校の売却について」である。傍聴席には本校からの2名以外に千早地区の区長さんや小吹台小学校の生徒が社会見学のためか引率教員に連れられて来ていた。このためほぼ40名程度の傍聴席は一杯であった。
・ 代表質問者田中議員は冒頭「多聞小学校の歴史」についてお話を始められた。多聞小学校は133年の歴史を飾り、地元村民の拠点であった。議員はここで声を詰まらせる。話が先に進まない。思い直して議員は話を先に進められた。
・ 要は一昨年の19年3月31日に「閉校式」の様子からお話になるのだが、ここでも涙でお声にならないのだ。「感極まった感じ」である。「私は今でもあの3月31日の有り難う多聞!」と皆で涙を流した閉校式の日が忘れられないとまず述べられた。
・ そして質問は具体化し、「どういう交渉経緯か」「何処に売却するのか」「地元村民の感情はどうか」「地元への配慮は」などについて独自の調査を踏まえて「行政当局に誠実な回答を求める」と発言された。およそ10分以上の冒頭発言であった。
・ これを受けてまず回答は総務課長から、「10月中旬大阪市内の学校法人大阪国学院から購入の申し出でがあり、地元意向など調査したが大歓迎の意向であり、行政としても願ってもないプロジェクトである。敷地境界の確定など急ぎ極力早い段階で契約成立に向けて最大限の努力をしたい」旨の答弁があった。
・ 引き続いて田中議員は秦副村長を名指しして「村としての財政的見地から売却に伴うメッリト」等について答弁を引き出される。詳細は省略するが「村始まって以来の出来事」で、旧多聞小学校は現状のままでも固定費がかかっている中で、もしこの交渉がまとまれば売却益は既存の学校の整備等にも当てられ、村としてのメリットは極めて大きい等の答弁をされた。又市内有数の大規模校であり、相手先にリスクは感じていないが今後具体的交渉の過程で村の要望など話し合いをして参る所存であるとよどみなく述べられた。
・ そして最終局面になると田中議員は村長に対して「大阪国学院誘致のために正門入口の道路拡張などインセンティブは必要ないのか」「村の責任者としてこの話をどのような決意で進める積りか」と問いかけるのであった。
・ 村長は答弁する。「私自身昭和21年多聞小学校に入学した。兄弟もそうであった。特別の思い入れがある。大阪国学院にはホスピタリティを強く感じた。村長になって一番良い話であった。万難を排し誘致を進めて行きたい。」と。(この前村長は河内長野市との合併問題で散々議会から突っ込まれていた)
・ 更に田中議員は「このような公立の廃校なった小学校を私学に買って貰え、未来に渡って存続する試みは聞いたことがない。村としても積極的にPRし村民に元気を与えるようにして欲しい」との要望がありこれに答えて村長は明日14時に村で共同の記者会見を予定していると答弁された。
・ 平成20年12月18日午前10時過ぎ大阪府南河内郡千早赤阪村議会で遂に「浪速招致」が議会で議員の質問に答える形で行政当局は本学校法人の名前を明らかにし、「浪速誘致に全力で当たる」との「村長の決意表明」が為されたのである。
・ もう少し臨場感溢れるように記述できるのであるが、それは敢えて避け、淡々と今日の村議会最終日のことを記述したが私にとって忘れられない日となった。同席した事務室の主査も些か興奮気味で「感動しました。先生のお蔭で色々な場面を経験させて頂いています。」と言っていたのである。

2008年12月17日水曜日

12月17日(水)浪速高校は「中学の補習」をします

・ 浪速高校は来年度から「新入生の中学補習」を考えている。高校1年生を対象にして特に「数学」「英語」を主体に「中学校3年生の課程」を「高校で復習する補習授業」をしようと検討を開始した。特に数学が問題だ。
・ 数学の基礎が出来ていないから多くの生徒が数学で躓く。「高校の教科は進度が速い」から最初で理解できなくなるとそれはそのまま引きずることになる。それでは「授業も苦しい」だろうし、面白くないだろう。赤点の連続では他の教科にも影響を与えることになる。
・ どのような方法でどこまで範囲を広げるか議論しなければならない。しかしこれは生徒や保護者に喜んで貰える筈だ。勿論意欲のある生徒を対象にして「集中的にする必要」がある。ダラダラとは出来ない。
・ この発想に至った理由は簡単だ。「大学が高校の内容を補習」し始めたからだ。だったら「高校も中学の分を受け持とう」と私は考えた。それにしても大学側も大変だ。中には中学の課程の補習もしている所もある。
・ 「五月雨と書いてさみだれと読みます」「五月はさつきとも読む」などと伊勢市の皇學館大學では国語の補習授業を元中学校の教師を講師にしてやっているそうだ。使っている教材は中卒から高校初級のドリルである。嘘のような本当の話である。
・ 文学部、教育学部の今年度の入学生(約600人)を対象にして今年から国語が髙1レベルに達しないと3年生に進級させないことにしたことを受けて始めたものだとのことであるが、あの「神宮皇學館」を起点にする名門中の名門の皇學館大學でさえこうだ。
・ 「大学生の基礎学力低下」が言われて久しいが「ゆとり教育の弊害」や「社会の文明の変化」など視点は多くあろうが、論評ばかりしていても仕方がなく、背に腹は変えられないとこのような大学は増えつつあるらしい。
・ 文部科学省の06年度調査でも中学高校レベルの「補習をしている大学は10年前の4倍」に増えているそうだ。「全体の33%の234大学」がしているというから最早定常的ともいえる。例外ではないのだ。
・ しかし次のデータには驚く。補習を行う大学の教員らで作る「日本リメディアル教育学会」の調査結果によれば「日本語で中学生以下」と判定された大学生は「国立大学で6%、私立大学で20%」に上ったという。
・ 06年度調査では「66%が中学生以下と判断された大学もあった」という。この大学の名前を知りたいくらいだ。大学ではなくて「大学付属中学校」かも知れない。学会の小野会長は「全体の学力が落ちたというより一つの大学に幅広い学力の学生が存在するようになった」と言われているそうだが、簡単な話で「そういう学生を大学は入学許可」したということだ。
・ いずれにしても麻生総理みたいに国語力の低い大学生が多くなったということである。中央大学理工学部でも数学と理科で「学生のレベルが揃わず、講義を進めにくい」という教員の訴えが目だっているという。出来る子と出来ない子が同じ講義を受けている。これは大変良く分かる話だ。
・ 14日の朝日は詳細分析して記事にしているのだが非常に分かり易く記事にしている。まさか麻生総理を真似てでもあるまいがマンガを使って解析しているのも面白い。要は「学力検査免除」が諸悪の根源としている。余りにも「学生数確保優先」が過ぎると批判しているのだ。そういうことをするから大学で中学高校の補習をする羽目になるのだと言わんばかりである。
・ 朝日の意見には100%賛同する。大学は特に国立大学が法人化されて以来、ただやみくもに学生集めに奔走しているように私には見える。今や「推薦AO入試は4万人を突破」し「08年度で言えば推薦AO入試で進学を決める比率は全体の43.4%」という。私立大学に限れば50%を超えたという。二人に一人は受験勉強などしなくて大学へ進学する。
・ 一般入試では合格しても他の大学に流れたりするから読めないが「推薦やAOは正確な数値が読める」というのだ。「入学者が定員より少ないと経営者が怒るし、多いと文科省から怒られる」。
・ 読めない入学者数を一般入試で取るなど難しくその点特別入試の合格者は確実に入学してくれるというのだ。分からないでもないが、それでは「大学の質」という議論は何処に行ったのかと言いたくも成る。
・ しかし私の見るところ「大学は二つの流れ」が出てきたように思う。一つは国公立を主体にAO入試の見直し機運だ。筑波大学、九州大学、一橋大学は09,10年度から廃止するところも出てきた。
・ ところが「問題は私立大学」である。半数近くが定員割れで「定員確保」は経営の必須条件だから特別入試方法をやめることは死活の問題となってくる。そう簡単な話ではないのである。中には地方の高校を傘下に収めるに躍起な大学もある。
・ 学力確保と大学経営を両立させる一つの案として中教審や政府の懇談会が提案しているのがAOや推薦の受験生の学力を測る「高大接続テスト」の導入である。まだ案の段階だろうが「一定の水準確保を求める」もので現在の「センター試験より基礎的な内容」とする案が出ているらしい。センターでも易しいのにこれ以下とはどんな問題だろうか。
・ しかしこれにはまだ様々な意見が出てくることが予想される。例えば「高卒資格試験」みたいなものになると「高校中退者激増」といった事態も予想されるという。私大関係者の多くは「学力が低い学生が来るものとして対応するのがこれからの時代」だと腹をくくった言い方もしているがこの辺に「本音」があるように思える。
・ 私が大学経営者だったら「まず受け入れて、補習なりのサービスを完備し、最大7年まで在籍させ、駄目だったら退学」とすれば良い。即ち欧米の大学のように「入るは易しく出るは厳しい」で良いのではないかとも思えるのである。
・ 「ファッション感覚」で一応大学と名の付く大学に入っても、卒業は出来ない、就職も出来ないではそのうち高校生の考えも変わってくる。現在京大でも同志社でも「内定取り消し」が出ている。
・ 基本的に大学の数が多いのが問題である。高校卒業数よりも大学定員の方が多いという現実からすれば「学力のない学生が何処かの大学に紛れ込んでいるのは当たり前」なのである。
・ 私は今浪速IT専門学校、浪速経理専門学校、浪速会計専門学校などを作って浪速高校から大学に行かない、言っても意味のない生徒を確保し「徹底的に鍛え直接優良企業に就職」させることを夢見ている。そのほうが企業も嬉しい筈だ。即戦力の「腕を持った事務の専門家育成」である。
・ 大学とは名ばかりの何にもない大学卒業生ほど企業の人事部にとって「扱いにくい」ものはなにのだ。企業出身だけによく分かる。「学士様」の時代はとうに過ぎ去った。

2008年12月15日月曜日

12月15日(月)理事会評議員会

・ 今日は「理事会・評議員会」である。「審議・報告事項を多く用意」している。私のやり方は「全てを出す」ということに尽きる。「理事会・評議員会に隠すものは何もない」。学校というのは基本的に「隠蔽体質」があるが、こと本校に関しては全くない。
・ それにこれは大きな教員の特徴だと思うが、「全てが完成、終了するまでは公にしない」という性向がある。管理職の朝会でもそうだ。「現在進行中のもの」は理事長・校長に報告する癖は全くない。
・ 一昔前にはすべて終わった後、実は「こうこうでした」と報告することが多った。このやり方を私は厳しく糾弾している。確かに今日、中学校のどこそこの生徒が「弁当を忘れて母親と連絡が取れずに・・・」などは必要はない。
・ 何を報告し何を情報としてあげるかはその本人の「感性」の問題である。企業ではその一言で社員は判断するものだが教員はそういう訓練をしていないので「感性の範囲」が分からない。
・ 「そんなことはそちらで判断して」と言いたいこともあるが、黙って私は聞くことにしている。そうしないと訓練にはならないからだ。それに時々部屋に報告に入ってくる教員を観察することは管理者として大切である。
・ まず服装、ネクタイ、靴、髪型それに目の輝きを見る。それで大体全てがわかる。服装のだらしない教員は大体仕事もだらしない面があると言ってよい。通常業務以外には私の仕事のさせ方の特徴は「テーマを与える」方式がある。
・ インターアクトの将来像を纏めよ、道徳教育について研究せよ、朝読書を調査せよ、海外語学研修について新しい方策を模索せよ等々の特別テーマを時に「特定の教員」に与える。
・ これらはテーマを与えられた「教員の実力アップ」に大いに繋がる。テーマを与えられた教員は「幸せ」の筈である。それは「チャンス」を与えられたからである。人間は死ぬまで何回も「機会」はある。如何にしてこの「機会を活かす」かが問われているのだ。
・ 一回や二回の失敗でくじけてはならない。私なども「失敗の連続」であった。しかし「失敗に学ぶ」姿勢は持ち続け「七転び八起き」で諦めずに頑張ってきた。こういう根性が大切だ。教員は「失敗を極端に恐れる面がある。」
・ それは「学校の先生が・・・・」とか「教師とあろう者が・・・」などと社会の見る目が一般社会に比べて厳しいのも事実である。しかし萎縮してはならない。冷静に考えて見ると「違法行為」はサラリーマンでも厳しいのであって企業ではすぐ懲戒処分となるが教員はいささか甘い。生ぬるいところもある。だから世間は余計に教員の不祥事に厳しいのだと思う。
・ 「赤信号、皆で渡れば怖くない」といったような誤解されかねない行動のパターンがあるようにも思う。それは「現状から飛び出さない」のである。「出る杭は打たれる」ということを極端に警戒する。
・ だからこのブログでも書いたが「朝読書」など何人も国語の教員が居ても誰も言い出さないのだ。それは「言い出しっぺに負担がかかる」ことと「ええカッコして、仕事が増えるじゃん」と白い目で見られることを警戒するからであろう。
・ 私は「毀誉褒貶」が激しいところがある。これが大きな欠点であることも自覚している。組織のトップとして良くないことだと反省もするが、この自分にも他人にも「厳しさ」が「組織力を高め」、そこに働く人々を守ってきたという強い自負もある。
・ 従って私が特別に指示したことが守れないとそれは極端に気が高ぶる。「裏切られた気」がするからだ。出来ない、結果が不十分な点については叱ったりしたことはない。これは「重要だと特別に指示したことが守れていない、無視などすると大変」なことになる。
・ 学校といえども組織である。特に私立学校であるから公立のように指導し支援してくれる「教育委員会」などはない。すべて自分たちでやらねばならないである。もたもたしていたら「機会を失う」。常に私は先を読み、現状を観察して「教員のキャパシティ」を見ながら「現状に楔を打ち込む」。それが仕事だと思っているからだ。
・ 正直学校現場に転進してから丸々6年が過ぎようとしている。この校長や理事長という職位は「やりがいのある仕事」である。やりがいはあるが「しんどい仕事」でもあることは間違いない。それはまだ32年間自分が培われてきた企業社会の文化の中で育った自分が未だに「学校文化は異質」だと感じているからである。
・ 異質だと感じなくなったらもはや改革は進まないだろう。それは「問題意識」が無くなるからである。「これで良し」となったら誰が前に進むであろうか。とにかく「異質を確認しながら着地点を探る」のは結構しんどい仕事なのである。
・ 「教員の常識は社会の非常識」「社会の常識は学校では非常識」と言われているが、ある面当たっている。この6年つくづくと感じたことである。単なる「駕籠に乗っている校長」とか「教員の担ぐ神輿に乗っているだけ」ならこんなに楽な仕事はあるまい。
・ しかしそういう校長では結局「学校を危うくしかねない」のであって組織を守り高め、そこに働く教職員の雇用も維持することが管理者の仕事である。「人気投票」ではないのである。橋下さんではないが「木村嫌い」で結構である。
・ さて本日の理事会において「極めて重要な案件の議論」があり「理事長提案は承認」され「評議員会の確認」も得た。これで一連の手続きは完了し最後の詰めに入ることになる。
・ 今日の理事会評議員会の議題はちなみに「中間決算状況」「今年の入試説明会参加者の動向」「来年度の教室手配」「新校舎建設チームの活動」「1年生の学力レベル」「学則変更」「教員採用の動向」「人事案件」「指導教諭の創設」「授業値上げ関係」と盛りだくさんであるが資料も発表も見事であった。本校ではすべて担当に資料を作らせる。
・ 終わった後、本日は理事者評議員の方々を招待して市内某所で「年末直会」を企画した。初めてのことである。大層盛り上がったのである。私は水を飲むだけで何も口にしなかった。結構、これっていける。

2008年12月14日日曜日

12月14日(日)千早赤阪村千早城と楠木正成公

・ 今日は12月14日(日)、「赤穂浪士討ち入りの日」である。ちなみに昨年の12月14日は金曜日でブログには以下のように書いてあった。要約を再掲してみよう。
* 「赤穂浪士、討ち入りの日」である。学校の方はとても静かな日で、「校長はどこにも討ち入りする用事などなく」、終日部屋に。今日で校内考査も終わり。生徒もどこか良い顔をしている。ほっとしているのであろう。
* 遂に「啓光学園」が大工大グループに入ることになった。大阪工大摂南グループが「常翔学園」となるに合わせて「常翔啓光学園」と改称するそうだ。言ってみれば常翔学園の系列校に入り、2009年4月に男女共学化を予定しているという。(12月5日の大阪日日)
* 以下大阪福島女子高が好文学園女子高に、北陽高校が関大北陽高校にと法人合併に絡めて「学校名変更」について記述している。そして大阪学芸、大阪夕陽丘、開明、関西大倉、星翔、清明、阪南、飛翔館、履正舎等改名した学校を上げ、校名変更が成功に結びつく・・・。
・ しかしあれから1年、本校はまだ名前を変える事態にはなっていないが近隣では初芝さんが初芝立命館高校に変わり、飛翔館さんが近大泉州高校と変わった。1年というのは本当に色々なことがある。

・ さてゆっくりとした日曜日、「私の今年のニューストップ」は、なんと言っても「南河内郡千早赤阪村千早」にある「千早城址」と「千早神社」に参拝したことである。千早城、国の指定遺跡でご存知、鎌倉時代末期から南北朝にかけて存在した「楠木正成の城」である。平成18年に日本百名城の55番目に選定された。
・ 四方を山に囲まれ「要塞堅固を誇った連郭式山城」である。築城が1332年で落城というか廃城が1392年というから「60年の短い命」であった。その城跡が現在は「千早神社」となっており社務所が三の丸、神社が二の丸、その後が本丸跡である。
・ ある目的があって道明寺天満宮宮司で本学校法人の理事長職務代理とご一緒であったが時期は本年「10月16日(木)」で暖かい日和であった。私はこの日に起きたことを「生涯忘れることはない」だろう。しかしその理由はまだ書けない。
・ 千早赤阪村、千早城址といえば「楠木正成」公である。尊称で「大楠公」と言われている。歴史を少し振り返ってみよう。元弘元年(1331)年京都を逃れた「後醍醐天皇」は倒幕の旗印を立てて笠置山で挙兵するが鎌倉幕府の大軍に攻められ捕らわれの身になる。
・ 「隠岐島」に流された後醍醐天皇をお救いせんと元弘2年(1332)吉野で挙兵した「護良親王」に呼応して楠木正成は「金剛山中腹」のこの地に「千早城」を築いて再起を図る。100万の大軍と言われているがいささかオーバーで恐らく数万の幕府軍だろうが、それを正成は約1000人の手勢で「積極果敢なゲリラ戦法」を駆使し、知略の限りを尽くして100日も持ちこたえ、幕府軍を撃退する。「太平記の世界」である。
・ 遂に関東でも倒幕の動きが激しくなり遂に「源頼朝開闢以来の鎌倉幕府」は滅亡する。後醍醐天皇は建武元年(1334)京都に凱旋し天皇親政のいわゆる「建武の中興」である。
・ しかし建武の中興は長続きせず、各地の武将は「足利尊氏」を棟梁と仰ぎ、反旗を翻す中、「忠臣」楠木正成は敗戦を覚悟して兵庫県の「湊川の合戦」に出陣し、遂に足利軍に破れ弟正季と「七生報国」を誓って刺し違え自刃する。正成の死から3年で天皇親政は終わり、延元元年(1336)、尊氏は「室町幕府」を開くことになる。
・ この千早城は正成の死後、南朝に味方したその子「正行、正儀、正勝」が根拠地とするが元中元年(1392)足利幕府の畠山其国らの兵に攻め落とされる。遂に千早城60年の消滅である。
・ 当日ご案内して頂いたご年配のお方の後ろについて歩きながら、私の口につい出た歌が「青葉茂れる桜井の」の歌である。そのお方はちょっと驚かれ、「その歌ご存知ですか」と聞かれたので、私は「小さい頃から知っている歌で何時ごろ覚えたものかは分かりません」とお答えした。
・ 私の世代は大体知っている歌だと思うがその後学校で誰彼に聞くのだが案外知っていない。残念である。「青葉茂れる桜井の」は出だしの歌詞で明治時代に国文学者の落合直文が作詞した「学校唱歌」に入るのであろうか、詩、曲とも巣晴らしいと思う。これを口ずさむと「涙がにじむ」のだ。
・ 湊川に死出の出陣を控えた正成が嫡子正行を呼び寄せ、生き延び再起を期し、「滅私奉公」として天皇にお仕えせよと諭す有名な「桜井の別れ(別離)」の名シーンである。場所は現在の島本町桜井の辺りと云われている。「親子の今生の別れの情景」を歌にしたものだ。忠臣正成を髣髴とさせる素晴らしい詩である。
・ 歌は6番まであり「尽忠報国」の精神を謡う詩の出足が「青葉茂れる桜井の」である。
       「青葉茂れる桜井の    里のわたりの夕まぐれ
       木の下蔭に駒とめて   世の行く末をつくづくと
       忍ぶ鎧の袖の上に    散るは涙かはた露か」
  ある人は日本人好みの典型的な歌詞であり「日本の歌謡曲の源流」という人もある名曲である。CDを探しに探しようやく心斎橋のレコード店で見つけることが出来た。
・ 千早城、標高660メートル、千早の里からも200メートルも高く正面は540段余りの急な石段の連続で四の丸跡に至る。この地にある「千早神社」はもともと千早城の鎮守として「八幡大菩薩」を祀っていたが明治以降は正成、正行を祀るようになっているそうだ。ちなみにご存知のように正成は神戸の「湊川神社」、嫡子正行は「小楠公」と称され「四条畷神社」に祭神として祀られてもいる。四条畷神社の宮司は本校の名誉理事長である。
・ まさに千早城址は「太平記の世界」であり、この地に立つと「悠久の大河」を思う。千早城攻防の歴史と正成の一生は「日本人に生まれたことを誇り」とするような感慨を覚える。私は楠木正成を尊敬する。
・ 大好きな歴史上の偉人は二人いる。若い頃から「織田信長」に心酔して来たが、年を取ってくるにつれ「楠木正成」に惹かれていく自分を自覚する。「正成と信長」、全く異なるこの「二人の歴史上の人物が私の生き方を導く」。
・ 歴史家は以下のように評価する。楠木一族ほど、「この美しい生き方、そして悲しい生き方」をした一族はないという。日本外史には「死ありて他なかれ」と賞賛され、この正成の生き方が幕末の多くの志士を奮い立たせ、「明治維新」へと導いたというのです。たった一人の楠木正成の死が500年後の日本の歴史を動かしたというのです。
・ 「道徳教育」が今議論されていますが明日の日本を担う子どもたちに「このような偉人の存在」を「語り継いでいかねばなりません」。私は今日の12月14日「忠臣蔵」赤穂浪士の討ち入りの日にちなんでつくづくと楠木正成公を改めて深く感じるのです。
・ 大楠公も赤穂浪士も「ぶれずに大義に死んでいったその尊さ」を批判するような教育をしてはなりません。「歴史的事実」を教え子どもたちが大人になったときに彼らが評価の判断をすれば良いと私は考えています。千早赤阪村と千早城、千早神社は「神社神道の精神」を礎にする「本校のアイデンティティ」に極めて一致するような気がしてなりません。

2008年12月13日土曜日

12月13日(土)保護者からの贈答品

・ 年の瀬も押し迫ってきた。本当に「師走」という感じだ。先生方も頑張ってくれている。今日は最後の「高校入試説明会」である。それぞれが役割分担を担って、持ち場持ち場で頑張ってくれている。
・ ところで年の瀬というと「お歳暮のシーズン」である。これには特に学校関係者は気をつけなければならない。私は着任以来言い続けてきた。「保護者、業者からの贈答品」は受け取ってはならないと。
・ 本当にこのことは着任して2年間言い続けてきたことである。又このブログにも書いてきたことでもある。1年前に2名の教員が贈答品を贈って来た時も「受取辞退」で処理した。そしてその教員には優しく諭したのである。
・ およそ組織の中で「部下が上司に季節の贈答品を贈るような組織」はいずれ終わってしまう。それは著しく「民度が低い組織」の証明だからである。勿論贈る方もよこしまな考えはなくてお世話になっているからという理由だと思うが「上司が部下の面倒世話をするのは仕事」だ。
・ 間違いがあってはいけないので、8時25分「臨時職員会議」を行い再度徹底した。特に「中学校と部活動」が気になる。順序だてて私は説明した。世の中の経済状態、授業料の値上げのお願いなどますます厳しいご家庭の経済状態の中で保護者からの贈答品を受領するなどは浪速を潰す要因であると。
・ 保護者から基本的に「子どもがお世話になったお礼です」と言われても「受け取る根拠」は何もない。御礼とは何事かと。「生徒の面倒を見るのは教職員の本来の仕事」であり「仕事の対価は法人からの給与」である。保護者からの物品ではない。
・ 本校の風土や体質は基本的にそういうものはないが「念には念」を押さねばならない。それが私の仕事である。差し出された時に「生徒の面倒をみている」「この子は手がかかっている」「これくらいのお礼があっても良い」と「自分を正当化」していくことだってあるだろうが、それが間違いの始まりだ。
・ 私は今「新しい浪速の文化、風土」を作るために奮闘している。「教職員間の贈答の習慣」が大分県の「教員採用汚職」を生みだした。そのうち「教員評価システム」も始まる。臨時職員会議で私は30名を超える常勤講師の先生方にも言った。私や副校長や教頭に物を贈っても「専任教諭にはなれませんよ」と。成るためには「仕事の質と浪速教員としての人物評価」ですと。
・ そして全教職員に私は申し上げた。「品格ある学校は品格ある教職員から」であり、学校が安定し上昇気流に乗りつつある今が最も大切な時であるとの認識を忘れてはならないと。
・ 大体物品の受領などは「何かの目的」があって成り立つもので「職務権限のある人間」は余程注意しなければならない。学校の教職員は生徒の評定、進級、進路決定、調査書作成、大学推薦など「極めて大きな職務権限」を有している。それを忘れてはならない。
・ 社会一般よりも相対的に高い報酬を得ているのだから「肉やハム、果物」などは「自分の金で買え」ということだ。生徒の親から物を受け取るなどとんでもない話である。受け取ったら、相手は心の中で「笑っている」と思ったほうが良い。
・ 人間の底の部分を生徒の保護者に見せてはならない。万が一、生徒の知るところとなって「あの先生にお母さんはウイスキーを贈ったんだよ」なんて事はないと思うが気をつけなければならない。
・ 特に「部活動の保護者会」からの贈り物には注意が必要である。「うちの子をレギュラーに」「うちの子を一回は試合に出して」などの理由ではないと思うが特定の部員の親から贈答品を受け取ることは誤解を招きかねない。
・ 「同じようなものを返したら良いのではないか」「相手が気分を害する」とかの意見が出るがこれは考えが足りない。「受け取る行為自体を厳禁」と言っているのだ。欲しくもないのに受け取って「お返し」をすると計画外の出費にもなろう。
・ 「浪速は保護者からの贈答品は絶対に受け取らない学校」だという「学校作り」を進めているのである。心して欲しいと今日私は臨時職員会議をして強く述べた、職会の記録担当は本日の私のメッセージを記録に残してくれるだろう。

・ 前述したように今日は3回目の高校入試説明会である。年明け8日から「教育相談」となって今度は「公立中学校進路指導部が公式に前面に出て来て本校との教育相談」となる。今日も私は気合を入れてご説明した。
・ しかし本当に多くの生徒と保護者に来校して頂いた。300ほど追加した椅子が満杯だ。数は書けないが昨年よりも増えている。高校副校長は来年の人事構想を検討して教員採用をしているのだが、ひょっとしたら「クラス数増」も考えねばと言っていた。
・ しかし体育館に居並ぶ中学生と真剣に聞いてくれている保護者のお顔を見ていると「責任感に身が引き締まる」。今日は時間を5分多く貰って、少し突っ込んでお話したのだが、今日も終わった後の「拍手」が大きかった。校長の挨拶に拍手を頂けるのが嬉しい。
・ 今年の大きな特徴であるが終わった後、生徒と保護者が「学院神社に参詣」して一生懸命お祈りしているのだ。「合格祈願」だろうと思うが1年前にはなかった光景だ。「チャリン、チャリン」とお賽銭を投げる音がする。
・ 私は最後の最後に言ったのだ。「併願よりも専願で行ったほうが良いですよ」と言った時には場内「爆笑」となった。ぴったし15分、持ち時間を使って部屋に戻る。
・ 年が明ければ具体的な入試相談とか出てくるが「入試ルールを厳守」するように改めて管理職に厳命した。「口利き」「問い合わせ」など今後出てくる局面が予想されるが勝手に振舞うことはしてはならないということである。
・ 入試合否に関することでは本校における「責任者は2名」である。一人は当然のこと、校長ともう一人は入試担当の教頭である。この2人が責任を持って対応する話である。私も基本的には「口を出さない」ことにしている。教頭に任せるほうが良いと考えているからだ。教頭が困れば相談に来るだろうと考えている。そのために私はコストは掛かったが「入試担当の管理職を創設」したのである。
・ OB,役員、議員先生、塾、大学関係者等から当然問い合わせなどはあっても不自然ではない。あった場合には「教頭に振れ」ということだ。振って手を引けということだ。今まで浪速はこの面では「極めて几帳面で正義の学校」と高く評価されてきた。これは「誇り」にしなければならない。

2008年12月12日金曜日

12月12日(金)その2:岐阜市長の辞職

・ 朝日ともう一紙が報じていたが「高校問題で岐阜市長が辞職」した。昨日はテレビでも結構大きく取扱っていた。話というのは岐阜市立岐阜商業高校を学校法人立命館に移管し付属高校として開校する計画が「市議会の不同意」を受けて市長がその場で辞職したというものだ。
・ この市長60才で出直し市長選に再出馬し市民に移管問題の是非を問うと表明したそうだ。11日の市議会で「岐阜商の存続」を求める請願が賛成多数で採択されたことをうけての行動であるが、そんなことで辞職するか。税金を使って又選挙をするのもアホらしいではないか。
・ 市長は「古い岐阜が新しい岐阜に生まれ変わる試金石、民意を確認したい」と言っているそうだが立命館に明け渡すことが新しい岐阜の創設ではなかろうにと思う。立命館側から「付属の中高一貫校にしたい」と言ってきて「悪い話ではないと飛びついた」のであろう。
・ 市によればこの学校の維持に年間4億円がかかり存続には校舎の建て替えや耐震化に「今後20億円から30億円必要」とされているらしい。市長は財政負担や少子化でこれ以上の維持はしんどいと思っていたところに立命館が「そーとっ、救いの手を差し伸べてきた」というところだろう。
・ 土地と建物の無償譲渡と貸与し10年度に開校と言うから忙しい話だ。市議会は「教育は市の活性化の道具なのか。有名ブランド校の誘致で市が活性化するとは本末転倒だ。」と反対し、テレビでは生徒が「定員割れしいない学校なのに学校を無くさないで」「立命館など関係ナーイ」と訴えていた。
・ 当然市は用意周到に(?)に11月に市民や在校生向けに説明会を開いてきたが存続を訴えるOBや移管に賛成する自治会の動きを含め、市民を二部した論争に発展しているらしい。
・ 立命館は「市長の辞意は予想外であり誠に驚いている。当面は事態の推移を見守りたい」と型どおりのコメントを出している。面白くなってきた。これは今後の大学戦略に影響してくるかもしれない。
・ とにかく最近の立命館大学は旧私立宇治高校、北海道の私立札幌経済高校を含む中高一貫校を運営している。2年前には滋賀県守山市立女子高校を移管し、ここに中学校を併設して一貫校とした。
・ 最近では私立初芝学園を系列化した。大体このような高等学校を見ていると私なりの観察だが一つの特徴があるかのように思える。
・ 出すのは「立命館の名前」だけである。系列化した中高一貫から、たとえ何名でも京都に来てくれれば良いと思っているだけだ。全員が立命館に進学出来るわけがない。 立命館の名前の高等学校に行って、それよりもレベルの高い大学に進学するのならまだしもそれ以下の偏差値の学校に行けば「アレッ、どうしたの、立命館大学ではなかったの」といちいち言われるのも辛かろう。一般入試で力があればどこの高校でも進学できるのだから。
・ 果たして立命館は「今後どう出るのか」大変興味がある。しかし今回の問題は大学のグループ入りに一定の歯止めがかからないか。今回は市立の学校である。今まで投資した国庫負担金や県の補助金の投入など大きな公金が入ったいわば「貴重な市民の財産」を簡単に私立大学に譲り渡して良いのかと言う議論も出てこよう。
・ この市長が再当選し、話が進むのか、振り出しにもどるのか、沙汰止みになるのか分からないが、立命館は「もう、けちが付いた。ここは止めた」と成らないとも限らない。しかし全国私町村が財政難に陥っているのであり、そういうところの公立学校を維持するのは大変なことも分かる。当然面倒を見てくれる私立大学があるならそこに経営権を渡し「後は宜しく」と思っている首長は多いはずだ。
・ 完全に「公設民営」の動きになってきた。私の見方は残念ながらこの「流れ」は止まらないと思う。そのうちに続々と出てくることが予想される。しかし問題は特定の大学に偏ってしまうことだろう。
・ ブランド大学に面倒を見て欲しいと考えるのは自然の成り行きで聞いたこともないような大学に渡そうなら更に大きな問題となるのは必定である。しかし「京都の立命館」が北海道の札幌とか沖縄とか全国至るところに立命館の名前が出てくるのだから、全国何処にでもある名前のようになっても新鮮味にかけるなーという感じもする。しかしブランド大学はさすがに強い。

12月12日(金)専門性の高い大学が強い

・ 朝一番に図書室の講師の先生が「朝読書」の他校の資料と有力な図書を持参してくれた。誰かに理事長のブログを見せられたに違いない。近隣のライバル校OG校とMG校のやり方だ。特にMGは素晴らしい。「形が出来上がっている」。
・ こういうのを見ると「じわじわと腹が立ってくる」。国語教員の図書研修部長、中学教務部長、国語科主任の3人を呼びうつけて「叱った」。「今まで何をしていたのか」と。どうしようもない。本校の生徒だけ「国語科の教員のお陰で割りを食っている」のだと思えば申し訳ないのだ。
・ しっかりとした「答申」を出すように改めて「厳命」した。中学、高校それぞれだ。職員会議で全体のものにしてから動き出す。ちょこちょこッとした答申など許さない。「徹底した研究と企画案」をまとめるように指示したのだ。とにかく新しいことをしようとしない。それでも国語の成績がよければ文句は言わない。

・ 早稲田大学を受験する2名の生徒に「今後の心得」を伝授した。「面構え」が大変良かった。出来る生徒の目は輝いている。

・ 本校1年生理数科の生徒の「進研模試」における「伸び」について理数科長から報告を受ける。なんと全国45万3737人の中で1420番目、大阪府では16356人の内で55位の生徒が出現した。偏差値もびっくりするくらい高い。「楽しみな宝」である。今後とも大切に育てるように言った。

・ 一方代々木ゼミナール第2回全国高1模試では3教科で本校普通科の2名が232番と490番2名、579番1名とデータブックの成績優秀者欄に学校名と名前が載るようになってきた。これも素晴らしい。1年生は頑張っている。

・ 管理職朝会で「実力テストの有り様」を全面的に見直すように指示した。勝ってばらばらに単なる当番を決めて「問作」するようなものではないだろうと。そうだったら「外部模試」に切り替える方が良いということだ。
・ 中学の数学は「3人の先生」が集まって「ああでもない、こうでもない」と「問題作成」に時間をかけているみたいだ。そうでなければならない。力も付かない、力の把握も出来ないような「実力テスト問題」なら「外部模試」の方が余程良いという私の考えから副校長に検討を指示した。
・ 今回の国語の「朝読」で本校の教員の性向が分かった。私は生徒を守らねばならない。思い切った方法を取らざるを得ない。定期考査は教員が作ってもらうが実力試験は外部試験に参加だ。「一発で生徒のレベル、教科担任の指導力」が分かる。
・ 問題は教員の「問題を作る腕のレベルアップ」に影響を与えるという意見だ。それは分かるが今のままでは現状を打破できない。定期考査だけに当面は限定して生徒の学力の伸びを正しく公平に把握することが今急がれる。そのためには外部の共通模試だ。当然「授業の進捗」も外部模試のそれに合わさなければ意味はない。「シラバスの変更」となる。

・1ヶ月前に採用した教員の「一ヶ月感想」をまとめるように指示していたのだが一応出来たというので副校長と2人で聞いた。そこには「恐るべき内容」があり、「言い悪いはともかく」これをそのまま職員会議で述べるように言った。
・ この先生は「公立中学の教員でキャリアも素晴らしい」ので来て貰った先生であるが、私のほうから1ッ月後に正直に感想をまとめてレポートを出すように言っていたものである。「本校の垢にまみれる前の印象」が大変重要である。他の教員にも参考になるだろう。

・ 防衛大学1次合格の6名に面接模擬試験を行う。絶対に「合格する」よう激励し、気合をいれた。しかし何か「ぼーッ」としているのだ。気合を顔や肩に表わさねばならない。進路指導部長と担当にあと1週間の特訓を申し渡した。

・ インターアクトクラブの顧問が「有るべき姿」案をまとめて入ってきた。相当中身のあるものになってきた感じだ。本校は来年から「教育方針に奉仕の精神を加える」。そのための肉付けの段階だ。
・ 今日はロータリークラブの例会とかで担当教頭と出張とのこと。来年はインターアクトも本校は幹事校で色々やることが有るが「憲法」が大切である。今この憲法を見直そうと作業中なのである。極めて大切な仕事だ。

・ カウンセラーの先生が11月分の纏めをもって報告してくれる。課題を大きく抱えてくれている生徒は3名である。注意深く対応してくれており一安心。「来年も宜しくお願いします」と年末の挨拶を受けることになった。週2回勤務だからもうお顔を合わすこともないのだと分った。

・ 過日のブログで「酪農学園大学」に始めて合格者を出したことを書いたら、知人から携帯電話にそれは「どんな大学か」という問い合わせが結構あった。若い世代は良く知っているが年配の人には知られていないが今や「難関中の難関大学」だ。
・ 分かり易く言えば河合の総合学力マーク模試で「合格偏差値は69が必要」である。私学レベルで言えば慶応の環境情報、早稲田の先進理工、麻生大(あそうだいではなくてあざぶだい)に並ぶ。上は慶応の理工や気象大学校、日本獣医生命科学大が70である。とにかく「凄い大学に浪速の女生徒が合格」した。
・ 獣医になることが夢であったという。本当に「夢こそ力」である。心からお慶びを申し上げたい。さそかしご両親も喜んでおられることだろう。北海道の江別に高大な緑のキャンパスが広がる。「大阪を離れて女一人、単身北海道に渡る」というのが素晴らしい。
・ もう一度青春がもどれるのであれば私も「獣医さんになりたい」と思う。もう人間相手は十分だ。学校ももう結構だ。十分やったような気がする。このように総合大学から専門大学が今後伸びてくるように感じる。 専門学校から専門大学という線もある。防衛大学もそうだ。「目的のはっきりした進路選択が今後は強くなる」。意味もなく「ファッション感覚で大学に行く時代の終焉」が近づいてきた気がする。

2008年12月11日木曜日

12月11日(木)中高一貫校

・ 一時期「高大連携」が大きな教育界の話題になってきたが今は声高にそれを叫ぶ人は少ない。新聞記事などにも最近は出て来ない。それは高大連携と名前はカッコ良いが「実質的なもの」が何もなかったからだと思う。私は教育界に転じた時から見抜いていた。素直に何か「おかしい」と感じていたからだ。だから前の学校でも一切高大連携は進めなかった。
・ まあ高校生に「大学への親しみ」みたいなものはある程度期待できてもそれ以上のものは何も生み出さなかった。逆に言えば「学生数確保」に奔走する「大学側の戦略」に引き込まれる危険性もあったかもしれない。
・ 大学で講義を受けても「高校の単位認定に繋がらない」のが致命傷ではなかったか。大学の雰囲気を嗅ぐのであれば「オープンキャンパス」で十分である。又時期を同じくして教育界において「学力不足」問題が大きな社会的問題となり、高等学校で「授業時数の増大」など図ったから「高校側に余裕がなくなった」のも一因かも知れない。
・ 代わってそれよりも手っ取り早く「大学と連携」するほうは効果大という風潮が出てきた。少子化の中で生徒募集に苦労している高校などは「起死回生」の策として「大学のグループ入り」を次々と図っている。「大学の力を借りて」というのである。
・ 大阪府でも北陽,摂陵、初芝、飛翔館など「辛い局面の高校」が関西大学、早稲田大学、立命館大学、近畿大学と合併吸収、合体などの方法で「生き残り」を図ってきている。本校はまったくニュアンスが違うが、関西大学と「特別な関係」を結び生徒の不利益にならないように考えている。
・ 高大連携に比べて今高校教育界に「じわじわ」と迫ってきているのが「中高一貫」である。最近では「小中接続」の流れも出てきた。中高一貫が不気味である。この中高一貫制度は平成11年4月にこれまでの中学校、高等学校に加えて生徒や保護者が選択できるように「中等教育の一層の多様化」の一貫として制度化されたものである。徐々に勢いを増している。
・ 例えば平成19年度は全国280校であったものが本年度は334校と54校も増加し、特に公立の中高一貫教育校は今や43都道府県にあり、そのうちの39都道府県は複数校が設置されている。
・ これらは区分して呼ぶために「3種類」に分けられ、細かく言えば「連携型」「併設型」「中等教育学校」となる。データを読むと連携型は人気がない。これは廃れていくと思う。理由は「存在自体にパワーがない」からだ。
・ 伸びているのは併設型と中等教育学校である。狙いは学力の伸張と個性の伸張であろう。結果として「進学実績」の向上を目的としている。平成20年度の併設型は219校で対前年49校の伸びを示し、中等教育は36校で4校の伸びである。平成20年度334校の公私別は公立が158校、私立が172校、国立が4校の合計334校である。前述したように「公立の伸びが大きい」のである。
・ 報告されているデータでは来年度即ち21年度の公立では17校がスタートする。うち中等学校が7校(群馬、東京2、神奈川2、仙台市、新潟市)で併設型が10校という。場所は(岩手、宮城、東京都2、滋賀2、熊本2、川崎市)と聞いている。
・ 21年度の私学では13校が計画されており、中等教育が1校、併設型が12校と言われている。こうして見ると「猫も杓子も」と言う感じだ。「融通性」を考えたら「併設型」が主流になってきそうな感じだが、ここはもう少し勉強したいと思っている。
・ 現在本校の中学校と高等学校は同じ学校法人が「経営」している学校であるが「中学校と高等学校はまったく別の学校」である。即ち浪速中学校を卒業しても高校選択は全く自由でどこの高校に行っても良い仕組みとなっている。
・ 従って浪速中学校の生徒は浪速高校に入る場合はちゃんとした手続きで受験をして貰うことになっている。今の中学3年生の中にも他校の受験希望者が数名居る模様でそれはそれで全く問題はない。
・ しかし問題意識はそれで良いのかということだ。圧倒的には殆どの生徒が浪速中学から浪速高校に進学するのであるから、6年間同じ学校法人で学ぶ、言ってみれば「家の子郎党、子飼い中の子飼いの生徒」だ。それを浪速高校1年生で外部からの入学者と同じで良いのかという疑問も出てこよう。
・ しかし本校は過去数年間に亘って「中高一貫」で大きな失敗をした。二度とこの過ちは繰り返してはならない。中高一貫が単なる「高校受験の免除」となってはならないのである。私は今慎重に先を読みながら答えを探しているのである。
・ しかし基本的にはいずれ「中高一貫に移行」せざるを得ないと思っている。それは「新たな浪速中学の歴史の始まり」となるであろう。勿論大きな因子は「関西大学との連携」が頭にある。関西大学浪速中学校、浪速高等学校を中高一貫として関西大学に進むルートの確立について研究しているところだ。
・ ここで公立の進める中高一貫に一言意見を言わせて貰いたい。昨日のブログでも橋下知事の公私比率の論理的問題について言及したが、恐らく知事や府教委には「公立中高一貫校」構想が頭にあることは間違いなかろう。
・ この公立中高一貫については「それはないだろう」と言いたい。これは明らかに「行き過ぎ」である。中高一貫制度は「私学の形」に限定しておかないと論理がおかしくなる。
・ 公立の特色つくりの行き過ぎが公立の中高一貫である。同じ税金を使い公平な教育をやることが公立教育のはずであり、税金の使途としても普通の中等教育と中高一貫中等教育とでは意味合いが違う。
・ 特に中学校が問題となる。「中学校は義務教育」という名前を付けている限りその受け皿の公立教育は少なくとも同じ教育、待遇をしなければならないのではないか。最近流行の総合学科とか単位制高校とか明らかに教員の加配など違いが大きく生徒一人当たりの公金投資額は大きく異なっている。
・ 言ってみれば「公立教育の水準の違い」がどんどん異なってきておりこうなるとこれはもう私学である。しかも「助成の公私間格差は5.6倍」もありのままでは「私学教育の行く末」は暗いものになる。「公立が5.6倍の公金を使って、限りなく私学の形に近づけている」と強く感じる。余りにもハンディが大きい。
・ 私は「公立中高一貫の授業料は私学並み」にしなければ理屈はおかしいと言っているのである。もしくは「私立の中高一貫の私学助成は公立並み」に手厚くすべきである。無茶苦茶なことを言っているのではなくて、この辺で「公私の役割、教育の原点」を見つめなおす時期にきていると言っているのである。「闇雲」に公立の中高一貫をやられては私学はたまったものではない。

2008年12月10日水曜日

12月10日(水)公私比率はカルテル

・ 11月28日のブログにおいて「授業料値上げ」について言及したときに私は下記のように書いた。もう一度書いておきたい。
*しかし今回のことで私は大変気になることがある。それは橋下知事が府教委に次のように指示を出したことだ。このブログでも何回も言及しているが「大阪府の場合、公立私立の割合は昔から7:3」で来ている。知事はこの数値を見直せと言ったと言う。
*大阪日日だけが取り上げている。この記者は相当学校のことに詳しい記者だと思う。単に授業料がこれだけ上がって大変だなどの記事だけではなくて「本質の問題」に言及した知事の発言を捉えているのである。
*同日行われた来年度の予算編成に伴う「知事ヒヤリング」で「府公私立高等学校連絡協議会」が決定する公立私立の受け入れ比率ありきではなくて、公立高校進学希望者は「受け入れる」体制づくりの検討を指示したとある。
*知事は「七、三は経営者同士のキャパシティの割り振りで子どもたちには関係ない」と批判したという。更に「授業料の関係で公立しか行けない人のため公立のキャパシティを広げるよう検討していただきたい」と述べたという。
*昨夜の夜8時45分からのNHKテレビはここだけであったがキャスターがこの問題に言及し、「場合によっては学級の人数を45人とか50人とかにして受け入れることも含めて」とかなんとか言っていたが「トンでもない話だ」。

・ そしてその後は何も本件に関してニュースはなかったが、今日、朝日新聞だけが報じている。「公立定員増検討を」「橋下知事 私学側は反発」の見出しである。朝のABCテレビでも取り上げていた。あれ以降私学連盟は国会議員に陳情したりして反対する構えを強めているのだが、昨日も知事は「あれはカルテルみたいなもの。これでは何も改革できない」と述べたという。
・ 高校での定員枠の設定は75年当時第2次ベビーブームによる生徒急増を見越した当時の「文部省が指導」して公立と私立が協力して生徒を受け入れるよう両者の「協議会」設置を求めたことから始まったのである。
・ 大阪は80年代の入試から府教委と中高連が協議しほぼ7:3でやってきたのである。大都市圏では東京都が59.6:40.4、神奈川県が6:4と定員枠を定めているのだが橋下知事はついに「パンドラの箱」をこじ開けようとしている。
・ しかしこれは府教委幹部が述べたように「そう簡単ではない」と思う。教師の増配や教室の確保など大掛かりな制度改革と大幅な予算が必要で又50人学級などに戻したら「納税者たる府民」が黙っていない。「一人当たりの公教育費投資(私の造語)」が学校やクラスで異なると言う現象が定常化する。
・ 無理してこれをやられたら「つぶれる私学は少なくないだろう」と中高連幹部は述べたとあるが、だろうではなくてつぶれることは間違いない。しかし橋下改革も「何かおかしく」なってきた。それは「論理」が崩れてきているからである。
・ 今までの知事の発言は「筋と言うか論理」が一応は立っていたと思う。だから府民は支持してきた。ところがこの問題は論理が間違っている。これは「やりすぎ、いきすぎ」である。何故か?この論理展開はいささか難解な面があるが一言だけ書いておくと「受益者負担の原則」に外れるからだ。「納税者受益公平性の原則(これも私の造語)」にも外れる。
・ いずれ論理を明らかにしていきたい。私学側は橋下知事と「論理で勝負」しなければならない。「公費助成の公私間格差の問題」に係る論理である。私学に通う保護者は立派な公民であり、国税の納税者であり、府税の納税者である。
・ 学校選択の自由は生徒保護者にあり、「授業料が高いか安いか」が問題ではない。「教育の中身」が問題であり、その付加価値について議論すべき問題である。「私学の授業料が高いから公立の受け皿を大きくする」ことが知事の言う「大阪の教育日本一」には繋がらない。
・ 根本的考えが間違っている。「知事の私学嫌いの感情」が左右しているとしか考えられない。法廷論争をしてでも一歩でもここは退くべきではない。私はそのように思うのだ。しかし本校の教職員に言いたい。正しく世の中を観察するようにと。
・ 従来タブーとされてきたことがタブーではなくなってきた。「思い上がりは許されない」と。ちゃらちゃらした格好や言動は人物全体が、ひいては浪速そのものが疑われるとも限らない。「心して欲しい」。

・ さすがに昨日のブログの影響か、3人の国語科の立場ある教員が校長室に入ってきた。何か「もじもじ」している。さすがに「恥ずかしかったんだろう」。本校には「朝読書を研究している教員は一人も居なかったことが私も含めて恥ずかしい。自分に腹が立つ」という教員もいた。正直で良い。
・ 清教学園の知り合いから情報入手。「朝読を毎日10分間」すれば週で合計60分、これを「総合的時間」にカウントできるからその分は時間的に楽になると。しかし別の意見もあるらしい。「単位認定」にしたら目的が外れるというものだ。この理屈も分る。しかしこういう研究は他校ではどんどんやっているのが私は悔しいのだ。

・ 大阪労働局労働基準部長から「協力依頼文」が入って来た。「最低賃金を守れ」というものだ。「大阪府は748円」という。最も高いのが塗料製造業で840円、最も安いのが各種商品小売業の765円だ。本校にはそのような安い人は居ない。低い人でも1200円以上だ。

・ 不機嫌な理事長を慮ったのか進路指導部長が入る。「防衛大に6名一次合格」と来た。「これは朗報」だ。早速「面接模擬試験」をやる旨申し伝えた。何とか最終合格に繋げてやりたい。

・ 11時府庁に出張。私学課と府議会議員にあることで面談。極めて良い雰囲気の会談であった。公私比率の問題で知事に文句を言おうと思ったが止めてすぐ学校に戻る。

12月9日(火)朝読書

・ 12月5日の賞与一時金支給日のブログに私の願望、即ち「朝読書」について触れたが全く反応がなかった。従って翌日に担当教員を呼んで話をしたことは既に書いた。その後さすがに国語科は「前に進めて」くれているみたいだ。しかし「複雑な気持ち」である。
・ 複雑と言うのは「なんでやねん、校長がいわな、せえへんのかいな」「そんなにはよ出来んの」というところだ。「疲れる」というのが正直な感想だ。「言われる前にやったらどれほど素晴らしいか」。教員というのは「こういうものだ」と思わざるを得ないのか。
・ 企業ならつぶれているところだ。次々と新しい技術、新しい商品を出さないと市場に弾き飛ばされる。「学校はつぶれない」。生徒が来ている間はつぶれない。つぶれないから新しい企画は、しようがしまいが「関係ナーイ」だ。ここの相関に私は疲れると言っている。
・ 平成19年度は「学校の形」を作り直した。もうこれは「新しい学校の創設」と言っても良いくらい全面的に、本当に徹底して「変えた」。また途中であるが「残業と言う概念」まで学校現場に取り入れた。そして20年度は「中身の充実」と当初から宣言した。
・ そのために「学力と生活規範の向上」を全面に立てて取り組んでいる。教職員は頑張ってくれ、少しづつでも「手ごたえ」を感じている。しかし先行する他の私学をみるとまだまだだ。「これで良いと思ったら、進歩は止まる」。私学間の競争は激しい。今や公立とも取り合いになっている。
・ 「学力と生指は車の両輪」だ。生徒にとっても日常生活規範が出来ている生徒は「学力も高い、少なくとも進歩はしている」と言える。学力の絶対的高さも重要だが日々進歩しているという「実感」が重要である。そうであれば生徒は「やる気」になるものだ。
・ 生指と学力の双方に有効な手が「朝の読書」だと考えた。今や学校現場では「常識になりつつある朝読(略称)」である。インターネットで「朝読書」を検索して見れば良い。物凄い数が現れる。この朝読はもうこういう「一般常識の状態レベル」なのである。
・ 「朝の読書推進協議会」なるものもありホームページまで開設している。「朝の読書ホームページ」「広げよう、朝の読書」といった具合だ。もう「実践例のオンパレード」である。情報には事欠かない。「誰か研究している教師が本校に一人でもいるのか?」
・ 情報としてはまだ不確かな部分があるが千葉県の2人の高校教諭が提唱したもので、徐々に広がりを見せ全国的な取り組みに成ってきている。全国都道府県別実施校一覧というのがあり、小学校が16183校、中学校が7875校、高校が1902校というデータがここにある。
・ このデータは日々更新され以上の数値は20年12月5日現在のものだ。もし本校がやってくれたら1903校になるであろう。とにかく全国の小中高で25960校がやっているのだから「中途半端」なものではない。
・ 「実施率」というのもある。高校だけで言えば「全国平均が38%」である。「大阪府は埼玉県の15%に継ぐ16%」とどん尻から2番目だ。ここでも全国ワーストレベルである。「一体大阪はどうなっているのか」。橋下知事がしればまた「怒り狂うであろう」。
・ 沖縄も26%と低い。全国学力調査の結果と同じ傾向である。60%以上は岩手、山形、栃木、福井、山梨、静岡、広島、愛媛、高知、福岡、佐賀、長崎、熊本、宮崎、鹿児島である。
・ 九州勢が頑張っているが例の大分は入っていない。44%と低い。大分は不正採用教員が多いからと言われないようにしなければならない。全国愛媛がトップで87%の実施率というから凄い。しかしそれにしても「大阪は恥ずかしい」。
・ どうも私の情報では「朝読の4つの原則」があって、実践例からすれば各校どうも同じような仕方である。
* みんなでやる
* 毎日やる
* 好きな本を読む
* ただ読むだけ、感想文など求めない

・ 時間はどこもかしこも10分間である。「10分間朝読書」というのは今や「熟語」になった感じがする。こういうのもある。「朝の10分間読書」。時間は大体8時30分から40分までが多い。
・ こういうのもある。8:30分から朝読書、40分から50分がSHRだ。そして8時55分から1限目が始まる。「学校の事情」に応じて様ざまな考えが出てこよう。特に朝講習や放課後講習などに影響を当然与えるが「優先順位」の考え方だ。
・ あれもこれもは出来ない。それに7限日であれば「部活」にも影響が出てくる。来年からは類で課程を変えるつもりだ。Ⅲ類が6,7限までしなくて良い。しからば当然朝読を入れて「1限目は遅らせて始める」と言う考え方も出てくる。疲れ果てて放課後の時間を延ばすよりも頭の比較的冴えている朝に読書をするというのもあるだろう。
・ 教職員は10分、15分延びようが勤務時間内だから問題ない。放課後講習を10分縮めたらどうだという考えも出てこよう。とにかくこれは「国語科だけの話ではない」。それでは絶対に失敗する。「全校のもの」にしないといけない。
・ 京華女子では「毎朝8時30分から40分まで学校と言うのがウソだと思えるほど静まりかえります」と言っている。「せわしない朝に心落ち着ける時間を導入したことでこの後の授業の能率も上がりました」。
・ その他「問題行動が減少しました」「遅刻が減りました」と良いことばかりの話なのである。「読書を通して自分を見つめる」事が可能に成ったのである。やらない手はないではないか。
・ 朝担当教諭が進捗報告で廊下での立ち話となったが「慌てることはない。しっかりと「事前研究が必要」とだけ申し渡した。管理職朝会で副校長が週3日とか簡単に言っていたが、研究が足りないわ。これではどうしようもない。
・ 私は理系出身だが文系大好き人間である。「事前に研究し考えに考えて企画案」をまとめる。ところが教師と言うのは本当に考え研究して「物を言っているのか」時々不安になる。大体「教材」はどうするのか。
・ ネットには「高校生のための一押しガイドブック」とか「朝の読書46校の奇跡」とか様ざまな実践例がある。これらをまず研究して物を言って欲しい。「カッコウだけならやめとけ」。やるなら成功するようにやって欲しい。本校の「付加価値を高める」ために私は気合を入れて言っている。