2009年8月29日土曜日

8月29日(土)人材評価育成システムの後半戦秒読み





・ 遂に中学校でも「新型インフルエンザ」が発生した。発熱で5名が学校を休んでいる。内2名が新型と診断されているとの保護者からの連絡があった。調べてみるとこの5人の席は見事なくらい左右前後で固まっている。ものすごい「感染力」である。
・ 朝、「学級閉鎖」の決断を下した。今日から一応3日間としたが来週月曜日の状態を見て延長を判断するつもりである。恐らくこのクラスの他の生徒からも発熱する生徒が出てくるのではないか。
・ 月曜日は始業式だというのに残念だ。始業式は中庭への全員集合とはせずに各クラスに集めて「校内放送」を使って式を進めることに決定した。又開始時間をずらせて「全生徒の健康状態」を徹底的に把握する作業を行う。

・ 昨日から「社会科教室のAV化工事」が始まっている。「50インチの大型モニター4面」が設置されあらゆる面で「使い勝手」の良い部屋が出来る。府からの補助金を頂いている工事だ。「職員会議」も今後はこの部屋で行ったらどうかと言っている。
・ ただ職員会議用にするのであれば、「窓ガラスを曇りガラスにするか、テープを貼る」かして外部から見えないようにしなければならない。全教職員が集まって話し合っているところを特に生徒に見えないようにするのが学校文化である。
・ 壁も汚いので塗り直すように事務長補佐に指示した。PTA会合や同窓会でも便利に使える部屋になるだろう。「新校舎建設」まではあちこちに動かして教育効果を高める配慮が必要なのである。それまで何もしないで良いなら楽なのだがそうは行かないのだ。
・ そして現在の新館の大教室は「LL教室」に改造する。「英語強化用の部屋で活用」すればよいと考えている。それに関連して英語科の常勤講師の先生の2名が「英語強化チーム事務局」に入りたいと申し出てくれた。
・ この二人の先生には昨日の昼休みに口頭で正式に依頼したところである。優秀な先生と聞いておりチーム長は心強いだろう。「自ら申し出る」ということが積極的で素晴らしい。

・ 教員と言うのは一般的に「自ら存在感を高めないように、目立たないように振舞う」のが「習性」である。「出る釘は打たれる」というのか、「赤信号を皆で渡れば怖くない」でもなかろうが、長い間、「均等に仕事を分配する」という文化の影響だと私は観ている。
・ しかしこれではこれからは駄目だ。「元々人間の能力には差がある」のだから仕事の均等配分では「出来上がりに差」が出て、組織全体の成果にトータルでは未達になる可能性が出てくる。今までの学校社会はそういう面があった。今後は「仕事の出来る人はもっと仕事」をして、それなりの人もそれなりに頑張るという構図が必要になる。
・ 「それは私にやらしてください」「私に行かせてください」と「積極性が評価のポイント」になる。権利は行使し休みは多く、仕事は均等以下ではこれからは給与は上がっていかない。「能力を高めて自分を売る努力」も必要だと言っているのである。
・ 私は「向う傷」を評価する。積極的にトライした結果で、成果が芳しくなくともそれは必ず次に繋がる。前向きな仕事で失敗したことで叱ったことなど一度もない。私が厳しいのは「仕事から逃げている人間」である。
・ 特に組織の秩序を乱す人間には容赦はしない。徹底的に追求する。当たり前のことだと思う。学校文化には「力は悪である」というようなものがあるが「職位の持つ力」を最大限に発揮し「組織の成果を最大限に高める」ことは「私の責任だから」である。
・ 勿論「パワハラ」などと言われないようにしなければならないが、もうこの年になれば徹底的に争っても良いとさえ最近は感じている。強い指導がパワハラなら「組織管理者の責任」は果たせない。組織に強いことは必ずしも悪いことではない。
・ 「調整型の校長」などと、さも悠然と大物ぶった風情を示しているかに見えるが「格好だけ」で校長の責任を果たしていないのが多いという意見もある。校長が「ぼんくら」で学校が「タイタニック号」になっては元も子もないだろう。私はそうはなりたくない。
・ 校長になるまでの教員時代に「たっぷり」と甘い蜜を吸ってきた校長が組織のトップになって「これやれ、やって欲しい」とか部下になんとか言ったって、余程の覚悟がなければ改革など進むわけがない。私には「しがらみ」などまったくない。「無からの出発」であった。
・ その昔「貴方が先頭に立って反対したではないですか!!」と教員に突っ込まれればそれまでである。だから「理念を語るのは上手い」校長は多いが行動力、実践力、想像力、指導力、プレゼンテーション力など不足を感じる。「理念語り」だけはもう結構だ。私には「自信」がある。
・ 私は何時も「トップダウン型」であると言われるが本校の教職員で私を良く観察している人は「私の実態の姿はボトムアップ型」ともう感じているのではないか。もうそのように感じて欲しいものだ。下から上がってきたものに反対したことはない。「そうか、やれやれ」である。「お金も教員の教育活動には惜しみなく投入」してきた。
・ 「やらない人間は10年経ってもやらない」ものだ。そういう人間にはトップダウンでやってもらうしかない。抵抗したら評価を下げるだけだ。仕事をしない人間に同じような定期昇給をするわけにはいかない。何時かはやってくれるだろうと「ニコニコ」待っていて組織がつぶれたらそれまでである。
・ 仕事をしない人間に限って「やった、やった」というものだがそれは管理者が評価するもので自分が「声高」に言うものではない。同じような年回り、勤続年数などグループの中で相対的に公平に(均等ではない)評価して「順位が決まる」のである。これを「相対評価」という。大人社会は相対評価の世界である。
・ 3年前に「レッドカード」を私学財団から突きつけられた30ページの勧告書の末尾のページには「危機的状況打開のために理事長の強力なリーダーシップの発揮」が最初に明確に書かれている。 私はまさに理事長・校長の権限を行使して責任を果たしてきたつもりである。そして教職員も頑張ってくれた。
・ しかし全国学力調査と同じで「何かをやればそこに差異が発生する」のである。一般の企業社会でもそのようにして勤労者は「厳しい格付け」の中で「自己を磨き能力を開発」して歯を食いしばって頑張っている。売り上げの多いところの社員の給料は相対的に高いのである。
・ 学校の教員だけが「差のない社会」と言うわけには行かない。実際に差があることは本人が最も知っていることだ。「人材評価育成システム」の2年目後半戦が始まる。教職員の頑張りを期待いたしたい。しかし新型インフルエンザで一体全体、どのような状況が待ち受けているのか皆目分からないが、「教職員と呼吸を合わせて」頑張って参りたいと思う。