2007年10月17日水曜日

10月17日(水)大阪府神社界巨星落つ

1.大阪府神社界の巨星、落つ
・ 本校元理事で評議員でもあらせられた「今宮戎の津江名誉宮司」が「帰幽」された。81歳。昨夜が「通夜祭」、今日、千里会館で「葬祭」。本校理事の坐摩神社、渡邉宮司が斎主で葬儀委員長が本校名誉理事長の大阪天満宮の寺井宮司である。表千家の千宗左お家元はじめ各界の代表者がご参列された盛大にして心のこもった、ご立派なお見送りであった。
・ 個人的には本格的な神式の葬儀で大変勉強になった。帰幽後のお名前は「津江孝夫“大人命”」(つえたかおうしのみこと)となられたとのこと。女性の場合は“刀自命”(とじのみこと)となるとのこと。
・ 昨年の12月頃、寺井宮司と南坊城宮司に伴われて今宮戎の津江先生を訪問したことがある。今となって考えると、あの時は「私の面接試験」だったのかも知れない。寺井、南坊城両先生は一言も発せられず、2時間弱も「二人で教育議論」に花が咲いた。寺井、南坊城先生からは後日「大変、気に入れられましたね。」と言って頂いた。
・ そのときの話はもう明らかにしても良いだろうが、「浪速を清算して、中高一貫のエリート養成の新しい学校を“飛鳥の地”に作る」というものであった。突拍子もない話であったが、津江先生とは話が盛り上がり、結局その話は「夢幻」に終わったけれども、先生には「応援」していただき、その後も達筆なお手紙を数通頂いている。今は私の宝物だ。
・ 先生は神宮皇學館大學と国学院大学の両大学で学ばれ、日本神社界では最高位(浄階で特級)にあらせられ、府内で教諭のご経験もあり、とにかく教育には一家言をお持ちで、私は大変尊敬していた。その後ちょくちょく先生をお訪ねし、お話を伺ったのが今は懐かしい。凛として人格高潔、神社界、近隣地域、教育界、とにかくそのご功績は枚挙に暇がない。心よりご冥福をお祈り致します。
・ 前の席が清風学園の平岡英信新理事長先生で、先生が「文科省は、学ぶ喜びを奪う」というタイトルで寄稿されているボイス10月号を一冊呉れた。「読んどいてよ、少しタイトルが過激だがなー。」と、何時も笑顔が素敵な先生である。
2.弁護士事務所訪問
 ・北浜の弁護士事務所を事務長と落ち合って訪問する。
・ 今までは私経協の顧問弁護士や理事長の個人的弁護士と相談していたが先の理事会で「正式な浪速の専属顧問弁護士」と契約することが決まった。
・ 労働関係がご専門の弁護士で事務所は大きなビルの7階のフロアすべてが埋め尽くされている。その先生曰く「大きな病院のようなもの」ということでそれぞれ専門医(?)が揃っており、「ケース」によっては内部で仕事を振れるのが有利だと。
・ ちなみに近隣のH学園、S学院の顧問弁護士でもある。学校に関して知識とご経験があることが私の選定した理由である。
3.色々と想いが・・・
・副校長から何の連絡もない。「便りのないのは無事な証拠」と安心して自宅に戻る。府立の校長は大体夕刻の時間になると教頭先生などに電話をして様子を伺う。しかし私は何もなければ「こちらからも電話はしないし、報告は不要」と言っている。今日は津江先生を偲びながら一人で酒でも飲むか。知己を得てまだ1年もならないのにもうお別れだ。「人の亡き後ばかり悲しきは無し」、知る人が逝くのは寂しいものだ。
・あの時は公立の後「どこにお世話になるか、色々あった時」だから、余計に津江先生には想いがある。先生は「十日戎」を今日の隆盛にまで引き上げ、「経営には厳しい面と温かい面倒見の良さ」があったという。口当たり良く、何もせず、学校を不安におとしめる無能な管理職・経営者に時に「無意識に加担」し、厳しいが結局それが自分の生活を守ってくれるんだと思ってくれる教職員は人間の悲しさで少ないものだ。「大盤振る舞いが最も人気を得る方法」だがそれでは結局皆のためにはならない。「心を鬼にしてやるべきことをすることが経営の責任である。」