2010年10月5日火曜日

10月5日(火)遍路行 後半戦五日目

後半五日目(通算二十六日目)



10月5日(木) 遍路行  初めての本格的雨中行軍



初めての本格的な雨の中の歩きになった。雨具の具合は果たしてどうだろうか。雨の中を歩く気分はどうだろうか。それなりに雨中の歩きも大変関心があたのだがやはり上手くはいかない。遍路にとって雨は天敵である。

① 7時、ホテル7階のラウンジでコンプリメンタリィーの朝食。新聞など読めて民宿とは雰囲気が完全に異なる。時にはホテルも良い。7時45分出発。6426円。天気予報では午後から雨と。通常以上に荷物の雨対策養生を行い、雨具は何時でも取り出せるように入れる場所など考えてパッキングした。特にパソコンには気を使う。今回の為にわざわざ購入した最新鋭の超軽量機種だ。


② 計画を又変更した。あれほど練りに練った案であるが2回目の変更である。どうも地図を読み間違えていることと、予想以上に早く歩けるからだと思う。真夏の8月よりは体が出来ているのか、予想以上に早いペースで進むし、翌日のことを考えるようになると、予定が変わってくるのだ。民宿を内子町の徳岡旅館から内子町小田のふじや旅館に変えた。その距離は15キロもある。それだけ脚が伸びているのだ。遍路のベテランになった証拠だ。


③ 十夜ヶ橋の前で松尾君に会う。ここの通夜堂でお世話になり、「良かったです」と。今日は小田の通夜堂でと言い、いつも明るく、見た目はとても感じが良い。本人も言っていたが歩き遍路を経験して「言葉に言い表せない位、為になりました。」と。頑張って欲しい。人生は長い。心でエールを送りながら一足先に出発した。


④ とりあえずここ東大洲から内子町まで10キロ、有名な内子町の古い町並みを見るのが楽しみである。遂に8時30分頃から雨がぽつぽつと来た。我慢していたが取り合えず傘でしのぐことにした。傘も結構便利で様にはなる。しかし登山用のものであるが傘は小さく、菅笠に当たるし、背中のリュックに時々当たり、それに腕を天に向かって伸ばしておかねばならない。左手は金剛杖だから傘との両方では両の手が占有され、落ち着かない。やはりお遍路には傘は似合わないのか。お大師様も菅笠だけで傘姿などまったくない。それでも霧雨に近く内子町までは傘で行軍した。


⑤ 10時内子町、古い伝統ある町である。木蝋と白壁の町とある。圧巻は「内子座」である。この大正5年に出来た歌舞伎劇場は本当に素晴らしい。蝋で栄えたこの町の有志が本格的なものを創建したもので、味わいのある建物となっており、今年9月には勘三郎丈が興行を打っている。荷物になるのだが和紙で出来たポスターを買った。ポスターが好きなのである。しかしこういう建物は大切にしたいとつくづく思う。八日市護国の町並みも江戸末期から明治の建物の町屋は白漆喰や浅葱色で趣がある。僕はこういう場所が大好きで何時間居ても飽きることがない。

⑥ 町並みの一角に鮮魚店があり、大勢の人が寄っているので覗いたら変わった寿司が売っている。丸寿司と言い、寿司飯の代わりに「おから」を使っている。上には(あまぎ)とか(いわし)の鮓だねである。旨そう。おばさんも愉快な人であれこれ僕のことを聞いてくる。そのうちおじさんも会話に入ってきて、「食べてみる?」と言って呉れるのだ。おばさんはおじさんの目を盗んでジャコ天も2枚もそっと手に持たしてくれた。丸寿司を、「食べろ、食べろ」と勧めてくれる。遠慮なく頂いた。お接待の一つですね。お店はすべて叔母さんが仕切っていて僕に何か好意的です。嬉しかったし、旨かったなー。初めて食べた丸寿司、最高でした。おからの甘酢の具合はもう芸術的でしたね。


⑦ 女性が主体であるがこの町の観光客は多い。しかしあまりその行動形式には感心しない。いわゆるおばさん的行動というのか、僕は好きではない。一言で言えば何かずうずうしいのだ。徒党を組んで行動するというのも頂けない。別に悪いことをしているわけでもないし、仕方がないか。僕があるお店の女将さんに道順を聞いていても、ある団体のおばさんは間に入って色々と聞いてくる。お店の人も分かっているようで本気にして相手にしていない感じがありありである。僕にはわざわざ紙に書いて教えてくれる。田舎町のおばさんは本当に親切です。


⑧ 11時30分、予想以上に内子町で時間を取ってしまった。雨も本降りとなってきた。諦めて内子町「道の駅」で完全武装に切り替えることにした。蒸すと思って白衣を脱ぎ上から下まで大変です。お店の人がじろじろ見て笑いながらビニール袋などくれる。山王袋、ポシェットなどもビニールで覆う。リュックもカバーをし、雨がどう降ってこようとも体は濡れない。『サー、矢でも鉄砲でも持って来い!』いう感じである。雨具は雨をよく弾くが、靴は仕方がなく濡れるので、なるだけ水溜りを避けて歩くように気をつけた。雨は段々と大きくなってきたが、完全防具で雨中を歩くのも悪くはない。結構味が出ている感じなのである。金剛杖のカバーは雨に濡れ、しっとりとお杖になじみ、ひんやりとしてこの感触が良い。


⑨ ピッチの上がった脚は雨中を急ぎ、16時30分、旅館「ふじや」に到着。ここも昔ながらの古い旅館で「柱の向こうから坂本龍馬が出てきそうな感じ」である。コの字型の2階の廊下はすべて内側にあり、そこから内庭が見え、完全な木造建築であるが、ただ廊下は歩けばきしみ、階段は狭く、トイレなど直してはいるが、設備は古い。しかし何より掃除の手が入っているのがすぐ見て取れる。ここも美人女将であった。ふっくらとした色白のお方で、松山市から輿入れしたと言っていた。そういえば松山はすぐ近くなのでがそういう感じは無くて、土地感覚はまだ山の中という感じである。同宿のお客は抜いたり抜かれたり、昨日から同じ宿が続く、横浜の若者で落ちついた老成青年です。こういうのを若年寄りと言うのだろう。今日も同宿となりました。大変なヘビースモーカーです。


⑩ この旅館の夕食お鍋でした。大きな一人用の鍋に野菜たっぷり、肉と魚のコンビでだしの味がとても良かった。アイデアでした。外からは笛の音が聞こえてきます。秋祭りの囃子の練習に若い衆が練習しているとのことです。「ああ、もう秋祭りの季節か」という感慨になります。もうこのあたりになるとエアコンは不要です。敷いてくれている布団も毛布と掛け布団がついています。秋も徐々に深まっている感じで、テレビで言っていましたが秋は一雨毎に寒くなってくるらしい。しかし珍しくよく眠れず、必ず深夜目が覚め、「えー、まだこんな時間?」と又眠る努力をするのです。疲労もピークに達しているのかも知れません。疲れたら眠れるという訳ではありません。雨が又強く降り出し、少し感傷的になりました。今回遍路に出て初めての寒い夜でした。もう8月の灼熱の土佐を歩いた頃の感触は遠くなってきています。