2010年10月12日火曜日

10月12日(火)遍路行後半戦十二日目

伊予・讃岐二国打ち十二日目(通算三十三日目)



10月12日(木) 遍路行後半戦   横峰寺を打つ



 特段深い意味はなかったが、計画段階から60番「横峰寺」に少し興味を有していた。何しろ西日本最高峰・石鎚山の懐にある標高700メートルの山中札所である。どのようなお寺であろうか。物の本の教えに従って僕は先に61番香園寺、62番宝寿寺、63番吉祥寺を打ち、翌朝、麓の伊予小松駅前の旅館から当日、直接攻めることとした。用意万端整えて臨んだのである。

① 6時朝食。支払いは昨夜のうちに済ませ、お代は6000円。この旅館の朝は活気づいている。何しろ宿泊客が多い。お遍路も工事関係者もとにかく様々な人がいる。遍路でも連泊の人がいる。それだけこの旅館の評判が良いという証明である。遍路にはビジネス旅館小松ルートなる地図があり、宿泊客に女将がコピーを呉れて説明してくれた。


② 6時33分迷わず旅館の推奨するルートを選択した。荷物は宿に預けて身軽にしての登山である。軽快である。家康は、「人生は重き荷物を背負いて坂道を行くが如し」とか何とか聞くが、本当に背負う荷物は重いし背中の骨に食い込む。今日はその荷物も物理的にもなく心の不安も無い。心は晴れ晴れとして脚取りは軽く、女将は往復6時間で帰り着けば早いと言われたが果たして僕はどうだろうか。


③ 旅日記には札所についてはあえて書かないと決めていたが、今回は少し触れてみようか。四国霊場60番札所石鉄山横峰寺は石鎚山系の山麓にあり、海抜750メートルの山頂近くに在る。北斜面に位置しているから冬季は陽が当たらず積雪も有り、道路も凍結する。12月中旬から2月一杯は通行禁止で厳しい自然の中に存在するお寺である。確かに何か神々しい札所であった。お遍路道からお寺には裏から入り、下った状態でお寺の全景が目に飛び込んでくる。僕はまずこの開けた光景に感激した。コンパクトで凛としており、存在感があるのだ。大きいだけでは感動しない。小さくとも存在感のあるお寺である。岩屋寺とは又異なる味があって素晴らしかった。
④ 9時20分頂上に着く。礼拝納経。じっくりと山頂の空気を味わう。持参したお茶と茶菓子を楽しむ。このゆとりが嬉しい。10時下山開始。一挙に下る。極めて歩きやすい遍路道である。厳しいどころか僕には優しく見えた。快感を感じる遍路道である。宿到着、12時。往復5時間30分、女将さんよりお褒めの言葉を頂く。「あんたは勘がよいのね!」と。



⑤ 荷物を整理し、又重き荷物を背負って歩き始める。昼食は「今日はラーメン」と決めていた。久しぶりである。国道沿いのお店で食す。結構旨い味であった。隣の席の老夫婦に語りかけられる。昔大阪の西成に住んでいたとか。四国の人は大阪と関係が深い人が多い印象である。今日は横峰寺も打ったし、時間的にも余裕があり、ゆっくりと歩ける。


⑥ 15時、64番「石鉄山前神寺」を打つ。石鎚神社と隣合わせにある札所である。真言宗派には色々あるがここは真言石鎚派の総本山である。開基は役の行者、小角(おずぬ)と言われご本尊は阿弥陀如来様である。これで西条市の札所はすべて終わった。明日は65番「由霊山三角寺」に向かって歩くだけ。この2,3日厳しい行程であったが何とか乗り切れた。さて今日の宿はと考え本を紐解きながら宿は湯之谷温泉と決めた。結果的にこれが実に良い穴場の温泉宿であった。


⑦ 歴史は相当古く、7世紀の斉明天皇が入湯されたと地元では言う。確かな記録では安永年間に自噴する泉水を湯治に利用したとある。いずれにしても相当歴史は古い。硫黄の臭いがきついし、湯の花を見る。石鹸の泡立ちはなく、お湯は飲めると言う。今でも遠くから湯治客がくると言う。地元にも300円で解放され、完全に独り立ちできる天然温泉である。僕はこの湯治場で一夜お世話になることが無性に嬉しく思った。地元のおじいさんと一緒に風呂に入り、方言でお話をする、この雰囲気極めて快感である。早い投宿はすべてに良い。洗濯は終え、お風呂も済ませ、新聞など読める。食事は6時から。遅くなって」もう一度温泉につかったのである。