2010年10月15日金曜日

10月15日(金)遍路行 後半戦十五日目

 伊予・讃岐二国打ち十五日目(通算三十六二日目)

10月15日(日) 遍路行   讃岐に入る、涅槃の道場とは

 三角寺を打ち、伊予は終えた。これで阿波・土佐・伊予の三国打ちが終わったことになる。残るは遂に僕の第二の故郷、讃岐の国、遂に香川県に入る。雲の辺りの寺と書く66番巨ごう山雲辺寺を越えれば又新たな世界が開けるか?雲辺寺、行政庁は徳島県であるが、四国霊場としては香川県に入る。香川県讃岐は涅槃の道場と言う。煩悩の火を消し智慧の完成した悟りの境地を涅槃と言うそうだがこの最後の道場を通じて僕がそのような境地に到達するとはとても思えないけれども、とにかく頑張ってみたいと思う。

① 民宿「岡田」は良い宿であった。親父さんが良い。連れ合いを7年前に亡くされ、一人で頑張ってきた、この世界では有名なお方である。お遍路の事は何でも良くご存知である。僕に親しみを感じてくれたのかあれこれ世話を焼いてくれる。僕の持っている小型のパソコンがいたくお気に入りの様子であった。この世代はなんでも小さいものに感動するところがある。「これで何でも出来るのか」と興味深そうに眺めていた。


② 昨夜の夕食も親父さんが仕切る。大きなエプロンをしてご飯は自分がよそうのである。山盛りにしてよそう。息子が定年で福岡から帰ってきてくれたと喜ぶ。一安心であろうが、宿の仕切りはまだ手渡さない。おそらくこれを取ったら「がっくり」と成るものと想像され、息子のお嫁さんも親父さんの言うなりにしていた。息子ときたら親父さんが来たら余所へ行く。一緒に居ようとしないのだ。ここが面白い。「とうべや」の親父ほど「こわもて」なところはないが、共通して二人とも良い年を取った老齢期に差し掛かった男の味わいがそこにはある。僕もそうなりたいと思った。


③ 実は大きな問題が発生した。ことの起こりは親父さんが、「民宿岡田からの歩き遍路の80%は明日、雲辺寺、67番「大興寺」68番「神恵院」69番「観音寺」までは行く。これが普通だが、ちょっと足の強いお人は70番「本山寺」だ。今までの最高は71番「弥谷寺」の前までというのがあったがこれは例外だ。僕に向かって「おたくの体格は立派で本山寺まではいかなくては」というのだ。もともと日曜日は休息日にしてハードな計画を組んではいない僕だがこの親父さんの言葉には少し押されたのである。長い間民宿の親父をやればこのような言葉が出てくるのだ。プロである。


④ しかし問題はこれではない。食事後立てた計画表を見ていたらなんと明日の宿はダブルブッキングしていることに気付いた。『一大事』である。宿に電話して確認すると間違いはない。67番大興寺の側の「民宿おおひら」にはちゃんと予約が入っており、弥谷寺側の温泉宿泊所にも予約が入っている。それでその後の予約がなされており、一日ずつ日にちがずれていくことになるのである。大きな僕の失敗であった。10月の本格的遍路のシーズンを迎え、今更旅館は変えられない。8月の真夏の遍路においては当日の朝でも民宿は確保できたが10月にはそうもいかのである。どうすればよいかの答えは一つで、2日分を1日で歩けばスケジュールが合ってくる。最高峰、雲辺寺の山を越えて弥谷寺まで行けるか。40キロ近い距離となる。


⑤ 6時25分親父さんの見送りを受けて出発、7600円。おにぎりを持たせてくれる。宿の前から通りのかなた、曲がり角で僕が見えなくなるまで立って見送ってくれていた。別れる時僕はおじさんときつい握手をした。その手はごつごつとしていた。親父さんに「あと10年頑張らなければ」と言うと、親父さんは天に指差して「もう近いよ」と笑いながら返してくれた。「予定を変えて今日は行ける所まで歩くよ」。と僕は最後に言って歩き出した。気合が徐々に入ってくる。これが出来ないと今後の予定が大変なことになる。標高800メートルの上り、完全にこなし、8時50分到着。快調な出足である。標高差400メートル距離6キロを2時間25分。下りは標高差700メートルを1時間で下る。さすがに舗装道路に立ったときはひざががくがくして雲の上を歩いているようであった。11時67番「小松尾山大興寺」を打つ。あとは只管国道沿いに観音寺市を目指す。ここには側に並んで二つの札所神恵院と観音寺がある。
⑥ 気温は高く汗がひたたる。気持ちの焦りもある。雲辺寺くだりで無理をした膝もしばらく歩けば調子が出てくるが徐々に疲れを感じるようになる。しかし本当に自分は元気、健脚、頑健と分かる。12時15分親父さんが作ってくれたおにぎりを無人の祠みたいなところでほおばる。妙に親父さんが懐かしい。休む間もなく出発。観音寺が近づくに連れて車の量も多くなり、人出が多い。そうだ、今日は日曜日、町は秋祭りである。お太鼓で込み合う中、菅笠を目深に被り、時代劇俳優みたいに人ごみの中を幾分前かがみで通り抜けていく。14時30分68番「琴弾山神恵院」、69番「七宝山観音寺」を連続して打つ。


⑦ 次は70番七宝山本山寺、今の時間なら十分行ける距離である。しかし計画の71番「剣五山弥谷寺」は更にそこから11キロ先、今日は夜の8時頃まで歩くことになるか。とにかく本山寺で止めるか、思案のしどころであった。しかし相当に足、特にかかとが痛くなってくる。筋肉疲労だと考える。16時過ぎ、ようやく「70番本山寺」を打った。親父さんの言っていたように歩けた。年は年だが体はまだ若い。老け込む年ではない。多くの若者遍路に僕は負けていない。自分に言い聞かせる。しかしこれから11キロはさすがに無理な感じで、明日以降を考えれば今日無理はできない。それに元々明日は75番善通寺で余裕を取っており、無理は必要ないと考え、今日の宿を探すこととした。結論的には弥谷寺まで8キロの国道沿いの「ほ志かわ旅館」を取ることになる。そして運よく明日の宿は善通寺の宿坊が取れた。明日は空海が生まれた敷地内で寝られることになる。今日頑張ったお陰であり、我が身の運を感じたのである。


⑧ うす暗くなった夕方6時前「ほ志かわ」旅館に到着、今までで最も遅い宿入りである。ここも三代続いている老舗旅館で大きい。ところがこの旅館も三婆(ごめん)でやっている。大女将90歳、女将65歳、女中頭(といっても一人だが)72歳、この三人である。広い旅館で設備もしっかりしているが、隅々は汚い。掃除の手が行き届いていないのだ。でも婆の作る料理は旨い。僕は好きだ。風呂も大きく、酷使した足を丁寧に洗い揉んだ。8時のNHKに間に合った。テレビでは山内一豊は松方弘樹演じる家康に完全に食われていた。

⑨ 今日は何もする気にならない。疲れきっている。酷い日曜日であったが、民宿岡田の親父さんの一言がなければ大変なことになっていた。「お客さん、予約は入っていませんよ。ちょっと待って。きのうじゃないですか、昨日の予約だったですよ。悪いのですが今日は満杯です。」と言われたりして。今日も忘れられない「遍路道を行く」だった。