2010年10月6日水曜日

10月6日遍路行 後半六日目

後半六日目(通算二十七日目)


10月6日(金) 遍路行44番大宝寺、遂に44/88半分まで来る

 3日間かけて歩きに歩き、遂に44番、45番を打てるところまで来た。四国88ヶ所の丁度半分まで来たことになる。思えば諦めずに良くここまで来たものだと感慨に浸る。今日、初めて知ったが僕のような1番からの順打ち、逆に88番からの逆打ち、ここまでは皆知っているが、44番から始めるのもあるらしい。これを「中打ち」と言うと、納経所の方が言っておられた。考えてみたら何処から始めたって良い訳だ。難しく考える必要はない。

① 空模様は少しおかしい。旅館「ふじや」のテレビの天気予報では「中予、午後ところによっては雨と」流れていた。6時朝食。7200円支払い。女将の見送りを受けて6時30分出発。写真を一枚撮った。良い旅館でした。二人の息子、一人は31歳で東京、次男は一緒に住んで家の手伝い、旅館と隣合わせの建物でスナック経営、優しさにだまされて松山から嫁に来たとご本人は言う。僕の突っ込みに対して歳は言わない。結婚して何年かも言わない。伊予弁で「だって歳が分かるじゃ。」



② 道は380号線、ただ一筋、このルートは栗の名産地であり、栗の木ばかり。道に「いがいがの栗の実袋」が落ちており、中には立派な実があり、所々はじけて道端に実だけが落ちているのだ。車に轢かれたりしてぐしゃぐしゃになっているものもある。しかし多くは中身はない。おそらく野生の動物が食べているのかなと思った。道路沿いの100円良心市には栗などが安く売られている。栗の実って何か可愛い感じがする。僕は栗が大好きで、このつやつや光った栗の実を写真に撮ろうと落ちた栗を拾いながら歩いたのである。動物が食べる前に失敬したのである。公道に落ちたものを拾っても泥棒にはなるまい。

③ 緩やかな上り道を3時間もあるけば真弓トンネルにつきあたり、抜けたところに標識があった。町は内子町から久万高原町に変わる。「星の降る町」と格好良い言い方をしていた。このあたりは携帯の通信状態は悪く圏外表示になるが、真弓トンネルを抜けると幾分改善された。しかし内子町からここ久万高原町に至る国道ルートは絶対のお勧め道である。風情があって最高であった。


④ 11時30分遂に「四十四番札所菅生山大宝寺」を打った。十一面観世音がご本尊で、良いお寺であった。巷間言われているとか、一般的評判とかよりも実際に自分でお寺の境内に立ってみるとお寺の良さは良く分かる。僕はこのお寺が大変気に入ったのである。特に杉やヒノキの大木が良く,森閑としており、境内も広い。初めて団体ツァーに混じってお経を唱えた。異分子合流である。先達とか大先達といわれるお遍路のリーダーについて合唱するのであるが、彼らは杓や拍子木などを使ってさすがにそれは形が出来ている。その声にあわせておばさん、おばあさんが声を張り上げるのです。初めての経験であったが、悪くはなかった。


⑤ 横浜の青年と昼食にする。二人ともうどん。僕が蓬饅頭を買って5個入りだったからそれを3個と2個で分けて食した。彼とは今日も同じ宿「古岩屋荘」で一緒になる。これで3日連続して同じ宿泊場所。少し連帯感が出てきます。全く見知らぬ人とでも歩きと言う労苦を共にすると連帯感というか友情に近いものが人間には出てくる。まったくお遍路でも同じことであった。不思議ではない。


⑥ 大宝寺から更に10キロ歩いて結局国民宿舎「古岩屋荘」に15時に到着した。国道沿いの便利な場所にあり、岩屋寺とともに大変有名な遍路宿になっている。8月、10月を通して初めての国民宿舎であった。僕は早速リュックを預けて身軽になり4キロ先の45番海岸山岩屋寺に向かう。


⑦ しかし荷物がないというのは本当に楽である。人の人生と一緒で荷物を誰もが背負っている。荷物がなければどれほど楽だろうかと思うこともなるが、荷物がないとその人生は味気ないものにならないだろうか。歩き遍路も同じことで、荷物がなければ重心がなく、何か変な感じで逆に足元がふらふらするところもあるのだ。背中に食い込む荷物の重さは人それぞれの人生である。人間は荷物からは逃げるわけにはいきません。しかし僕は思った。時に背負っている荷物を外す勇気と時間を自分で考えることが必要だと。


⑧ 今の僕にとってこの歩き遍路は人生の荷物を外している束の間の休息の時間である。次の仕事で又重い荷物を背負うことになるだろうから今は背中を軽くしているのである。高670メートルにある山岳のお寺四十四番札所海岸山岩屋寺、16時に打った。ご本尊が四国霊場には珍しく不動明王だけにワイルドな雰囲気を漂わすお寺であった。霊験あらたかということで参拝者が多い。


⑨ しかし誰があんな断崖絶壁の場所にお堂を建てたのかと嘆息する。お山にあるのに山号は海岩山と言い、謂れは弘仁6年頃、お大師様が修行され「山高き谷の朝霧海に似て、松吹く風を波にたとえむ」と言われたから海岩山にしたとか表示板に書いていた。お年寄りには酷な厳しいお寺で長い石階段で脚が、がくがくになる。


⑩ 打ち戻って宿舎に戻る。17時前、投宿。ここは天然温泉の宿で多くの客が温泉を楽しみにされているとのことであった。周辺は名勝古岩屋で知られている日本三大カルストに数えられており、久万高原の観光中心地、中でもここの岩風呂は感じが良く出ていた。早速入り足腰を温めながら、45番を打っていささかほっとしたのである。ここは前半の山場であった。しかしお大師様も意地が悪いと僕は思った。43番からから44番は3日もかける様に離して、「ああ、88箇所の半分を打った」と一旦は安心はさせるが、後半の一番,すなわち45番岩屋寺は山の上に作ってるのだ。これは一体どういう意味なのかと考えてしまう。決して安心させないというか油断させないというか、人生の厳しさをお大師様は教えてくれているのだと僕は考えた。お風呂は寝る前9時30分頃にも入り、ゆったりとした時を感じた。体が緩んでいくような感じであった。携帯電話は圏外で完全に俗世界とは隔離されている。岩屋寺は秘境であった。