2010年10月14日木曜日

10月14日(木)遍路行 後半戦 十四日目

伊予・讃岐二国打ち十四日目(通算三十五日目)



10月14日(土)  伊予は良伊予(よいよ)最後の札所 三角寺



 今日でいよいよ伊予を終える。伊予は良かった。それでは「阿波、土佐はどうなのか?」と聞かれる。これに対しては、どこもそれぞれ味があり、良かったというのが正直な僕の答えである。トラブルがこれほどない旅も珍しいのではないか。場所や空間に不満はない。菩提の道場、伊予でも多くの勉強をした。菩提の意味、煩悩を断ち切り悟りの境地に達するとは行かないが、発心の阿波、修行の土佐を経て今日で菩提の伊予路が終わる。これで阿波、土佐、伊予の3国を打ったことになった。

① 朝食はおにぎりにして貰って旅館での朝食は抜き。支払いは前の晩、お祭りだからと言って10%増しというのは、あらかじめ聞いていなく、「ムツ!」と来たが、祭りだし、そのまま黙って支払う。昨夜お祭りも見せて貰ったし「マッいいか」って感じだ。朝5時30分起床、5時55分出発。入り口のカウンターに女将の色紙に書いたお手紙つきで弁当があった。こういう技は心憎い。外はまだ暗かった。


② 遍路道は国道11号線、松山自動車道に挟まれた間に位置し、早朝と土曜日と言うこともあり、静かな町並みを抜けていく。田舎の朝の空気は旨く、思い切って息を吸い込めば体に力も湧いてくる。ただ朝食をとる場所が見つからなくて、時間は過ぎていくが、歩けるときに歩く、朝に距離を稼ぐのが歩き遍路のノウハウである。


③ 9時過ぎ伊予三島市、三島公園の入り口でおにぎり、これが旨いのだ。さすがに料理割烹の作るおにぎりはそれなりのものがある。塩加減、握り加減、旨い。3個も入っていた。それに女将が120円、紙に包んで入れてくれている。お茶でも買って下さいと。いい所あるよな。


④ 10時30分65番札所「由霊山三角寺」を打った。良いお寺である。ご本尊は十一面観世音、ご詠歌が印象深い。

          恐ろしや三つの角にも入るならば 心をまろく慈悲を念ぜよ


これが愛媛県伊予最後の札所、しかし特別の感情はない。「ここまで来たか!」「3/4が済んだな!」であろうか。しかし暑いが良好な天気に恵まれてベストのタイミングでの伊予打ち完了であると考えればよい。一つの節目を踏んだ。ブルーの気分は吹っ飛んで行ってしまった。


⑤ 三角寺の次は雲辺寺だ。文字とおり雲の上にあるお寺さんである。遍路道は山中に入り、登って下り、四国中央市(旧川之江市)平山を抜け、下りきったところにある「椿堂」に達する。平山では「ゆらぎ休息所」という立派な遍路休息所が地元の篤志家で寄贈されており、ここでお昼にした。時間は12時30分。メニューは「お芋」、本当の話ふかし芋だ。三角寺の門前の長野商店で買ったものであり、お芋しかなかったのである。喉を詰まらせながらお茶と一緒に久しぶりにお芋を味わった。この休憩所で二人の青年に出会う。二人とも自転車遍路で颯爽と僕を追い抜いて行ったのである。
⑥ 13時30分、椿堂到着。有名な番外霊場であり、ここの住職は歩き遍路の世界では有名な方である。納経をした。しかしご住職は歩きさんからは頂いていないと受け取らないし、かえってコーヒー缶をお接待に頂く。誰も居なく、二人でしばらく教育談義に花が咲く。日本の教育の荒廃に嘆いておられた。「常福寺・椿堂」といい、雛にしては立派な佇まいであった。


       立ち寄りて 椿の寺に休みつつ 祈りをかけて 弥陀にたのめよ


ご詠歌である。


⑦ 道は国道192号線にあたり、ここから徳島方面に向かう。緩い上り道が続く。久しぶりのトンネル「境目トンネル」855メートルを抜けると標識は徳島県となる。おかしな感じになる。午前中は11号線で高松方面、午後は徳島方面である。又この道の古道は古い石の刻み文字に「土佐街道」とある。確かに192号線は徳島・高知と書かれており徳島88キロ、高知86キロとあるのだ。斜めになるが高松も80キロくらいであり、この地、徳島池田の佐野地区は四国のへその中心に位置するのか。
⑧ 15時30分民宿「岡田」に到着。久しぶりの民宿らしい民宿である。名の知れた民宿で雲辺寺を普通通りに打つにはここからというのが通り相場になっており、それも一軒しかないため、すぐに予約で満杯になるという。僕も最初にここを押さえて予定を組んで行ったのである。年長であったせいか、最も広く、良いお部屋に案内してくれた。早い予約はどうも配慮されている様子である。ここのおじいさんがまた良い。

⑨ こまごまと気配りしてくれ圧巻は宿泊者全員で合同夕食会の様相となる。そのように仕向けて来るのである。全国から来ている歩き遍路はこの夕食会で時間とともに身に着けていた鎧を脱ぎかぶとを外して一人の人間に戻さんばかりの夕食会になった。まるでコンパに近くなってきた。

⑩ 今回の遍路行で僕は何を願い、何を望んでいるのであろうか。時々自分でも分からなくなる。しかし何か自分を鍛えているなという感じもあるのである。勿論一日中歩くと言う行為はものすごい運動量ではあるが、そんな肉体的なことよりも体は歩くと言う単調な運動をしながら、心中、脳中、すなわち心と頭がものすごく活動しているのである。繰り返し、様々な位置から脳と心が動いている。このことだけでも僕は今まで経験したことはなかった。時に耐えられないような孤独感、寂寥感に襲われることは身近な遍路の先輩に聞いて分かっていたが、実際経験してその気持ちが分かる。分かったようなことを言うようであるが、まさに人生は「般若心経の教えるところ」という思いが次第に強くなる。

     「さみしければ 空海をこそ頼め 今は人を頼まず」 ある遍路の本より

                「行くも帰るも留まるも お大師様と二人連れなり」 本日三角寺にて僕が発見