2010年4月3日土曜日

4月3日(土)私立高校の辛さ:その2







・ 昨日の校長日記に続いて連日の「私立高校の辛さシリーズ」であるがまず本校の教職員に対して、そして保護者の皆様にもと考え書いている。この「私立高校就学支援制度」については知られているようで案外知られていないのである。「ここが問題」なのであって大阪府も「保護者への周知徹底」を指導している。
・ すでに本校はフライイング気味に在校生対象に今日まで説明会を行ったり説明資料を送付したりしているが、やはり少し「分かり辛い」のである。「ややこしい」のである。1991人も生徒がいるから「周知徹底」と言っても簡単な話ではないのである。

・ 先般、実施された府の世論調査では「公立私立の学費に差が無ければ公立・私立どちらに進学されますか」の質問に、「私立高校と答えた者は52%で公立高校の17%」を大きく上回っている結果が出た。この無償化施策が無い時のアンケートである。このことは「私学志向の理由は単なる授業料だけの問題ではない」ことを示しているのではないか。
・ 知事は同じ土俵と言われるが、昨日のブログに書いたように授業料が実質的に「許認可的事項」になって、中間値の差額を「吐き出せ」となると私学側としては「本気で公費支出の格差解消」問題に攻め入っていかないと私学は成り立っていかない。
・ 「校舎の新設維持管理が100%税金で賄われている公立学校」と「自力でお金を積み立て校舎を作り、維持管理しなければならない私学」とは根本的に財政構造が異なるのである。この問題こそが実は「公私間格差」の本質なのである。
・ 「学校教育という営為」に必要な設備は「校舎とグラウンド」だけである。トヨタ自動車と違って生産ラインは必要ない。とにかく「生徒が勉強する教室と走り回るグラウンド」が要るだけの話である。後は教える教師がおれば学校は成り立つ。
・ 江戸時代の寺子屋や藩校、私塾なども「雨風がしのげる部屋」さえあれば教育は成り立って来たのである。その基本構造は現代においても変わりはない。ただ近代教育は明治維新後、法令の元に「マスプロ化されシステム化された学校教育」に進化してきた。
・ 教室の大きさ、教員の数まで「法令で規定されて学校は成り立っている」。それは私立高校でも同じことである。強調したいことは法令で縛られているにも関わらず「法令によって公費支出の差がある」という事なのである。
・ この「公費負担の差を私立学校は授業料に頼って来た」のである。法令も誰も助けてくれないから私立学校は相対的に高い授業料を頂く代償として保護者に対して公立とは異なる「教育環境と教育サービスを提供する契約関係」が長い間の歴史を経て成り立ってきたのである。これが今回の新制度で崩壊したとも言える。

・ 3月31日の産経夕刊のシリーズ記事「風」に興味深い記事があった。「それでも私学に・・・理由さまざま」の見出しであった。夫は公務員、“妻が公立学校の教師をしている我が家では娘二人を私立の中高の一貫校に通わせています。勿論妻のたっての希望。家の近所の中学ではいじめや学級崩壊でとても勉強に打ち込める環境でないのを妻が身をもって知っている。”
・ 公立校の教師が「わが子を公立に行かせられない」と「身をもって知っている」というのだ。すごい表現だが、このようなことは教育界では「当たり前の話」で私の前の勤務校の府立高校でも多くの教師の子どもは「私学の有名な進学校」に行かせていた。
・ 私は一度親しかった教員に聞いたことがある。「公立の教員なのにどうして公立に行かせないの?」と。返答は「苦渋に満ちた」もので、得た答えは「9科目の内申では府立のトップ校に足りなかったから」ということであった。
・ 記事は更に“息子はどうしても野球がしたくて私立専願にしました。・・親としては莫大なお金がかかる私立よりも公立へ行って欲しかったのですが高校=野球の息子にとってはやはり設備や環境が整っている私立で野球をしたいという気持ちが強くて私立にした訳です。”
・ 前述したアンケート結果にあるように保護者は私立高校の授業料の高さをその教育環境と教育サービスの対価として了解して「それでも私学に」としているのである。「学校選択の基準が単に授業料の高さ低さではない」ということである。

・ 授業料の高さが私立学校の教職員の給与の高さだと言う指摘を私はまだ正式に聞いたことはない。ただ着任した当時教職員団体に属する教員から「セイムワーク・セイムペイ(同一労働・同一賃金)」と要求されたことがあるが、「へー、本当にそう思っているの?それで良いの?」と反論したことがある。
・ それは私学に勤務する専任教諭と1年契約の常勤講師との処遇差の解消、及び講師制度そのものへの批判であったのだが、セイムワーク・セイムペイなら「公立教員と同じ給与体系になりますよ」ということに当然行きつくことになる。
・ 私立学校経営者協会では経営指針として「ラスパイレス指数」すなわち公立教員の給与を100として、私立教員の給与を限りなく100に近づけるとしてきたが、結局どうなったのかここでは書かない。
・ 私立学校によっては「とんでもない。それなら協会を抜ける」という動きもあったのではないか。「経営が成り立ち、生徒保護者が満足する教育サービスを提供している契約関係の中で100を超える給与があってもそれはおかしくはない」とも言える。
・ しかし異様としか言いようもくらい高い給与の私立学校も最早少なくなったと思うが、ただ一点「公立が休んでいる土曜日に私学はきっちり仕事をしている」ことは抑えておきたい。「労働時間と労働日数の負担感の差」はかなりかなり違う。
・ 私立学校の教員は実質的には土曜日は午後も勤務日となっている。理事長の私が断定的に言うのは問題があるが入試説明会が始まってくると「土曜日は大仕事」である。生徒募集活動がない公立高校とはこの点で根本的に異なる。
・ 「何、最近では公立も中学校を回っているって?」。あんな程度のものではない。私立高校が投入している生徒募集の経営資源の投入は「比較にならないほど大き」のである。