2010年8月24日火曜日

8月24日遍路行 十七日目 七子峠

十七日目 8月24日(木)   七子峠

 今日はどうしても37番岩本寺を打たねばならない。ここに向かってただ歩く。30キロ、昨日と合わせて60キロ、車であれば90分の道のり、歩けば二日間、実質15時間の歩き遍路道、歩く価値をどう見るかだが今の僕には歩きは修行である。しかし本日の歩きはしんどかった。辛かった。本当に辛かった。とんでもない地獄であった。


① 須崎のビジネスホテル「まるとみ」を6時出発。食事はない分、それだけ早く出発できる。支払いは4500円、前の日のチェックイン時に前払い。ビジネスホテルと言って工事で来ている人達が気楽に泊まれる程度のもの。ところが結構人気は高いらしい。風呂は何時でも、エアコンも使い放題、部屋もきれいで、第一干渉がない。気楽なのだ。勿論ベッドであり、布団ではない。田舎のビジネスホテルは狙い目である。


② 問題は食事がないだけ。当然朝はない。これが今日の失敗であった。昨日の夕食時に朝の食事分までは買ってはいなかったのである。通常僕の朝食はヤクルト一本、牛乳1杯にリンゴ1/2個と大体決まっており、これでほぼ30年間やってきた。そしてお昼と夜は一杯食べる。しかし歩き遍路に出て以来、民宿では朝食がかっちり出るし、結構旨いものだからついつい一杯食べてしまう。とにかくお四国さんに出て以来、食生活パターンが完全に変わってしまった。朝からしっかりと2杯はご飯を食べる。おまけに夜はビールをしっかり飲むと来るから、宿の女将さんからは「少しお顔がふっくらと・・・」などと言われる始末である。歩きの途中ではポカリスエットは飲みたいだけ飲み、お昼も腹一杯食べれば、自分でも体重を気にするのは当然であった。それで「今日は朝抜きでやってみよう。」となったのである。


③ 須崎を過ぎれば中土佐である。土佐の一本釣りはここ、中土佐を言う。「ほら、行け、はよ、行け、土佐沖へ、大判鰹が待っちゅうに!」と唄われる。道はJR土讃線と付かず離れず平行して続く。土佐久礼から最大の山場、「七子峠」を越えるには3つの方法がある。北側が「そえみみず遍路道」、中が国道56号、南が「大坂遍路道」という。僕は大坂遍路道を結果的に選択した。正直言えば自然にその道になっただけである。


④ しかし歩きながらおかしい、おかしいと感じてきた。僕の歩く道から、遠く国道が見えるのだが、その国道は遠目にも分かるくらい登り勾配がきつくて車がうなりをあげて上っていくのに、僕の道はいっこうに平坦であり、車も通らないのどかな田舎道である。地図では七子峠の頂点で3つの道が合流するようになっている。理由はそのうち分かった。あるところから45度以上の勾配をそのままよじ登る感じで頂上に繋がっているのだ。これには参った。ほとんど死んだ。2キロ弱のロッククライミングみたいな道は蒸し暑さと荷物の重さと、空腹でもう立っておられないくらい体力を消耗した。完全な鎖場であった。10メートル毎に立ったまま休み、また登る。息が切れ、立てなくなって座る。その繰り返しで本当に辛かった。最後は這うようにして登っていった。道は狭く、油断すれば断崖に落ちる。参った。本当に消耗した。


⑤ 急に開けたと思ったらそこは国道沿いの道であった。峠の頂上に休息所があった。僕はまず自販機をまず探し、冷たいものをとにかく体に流し込みたかった。2本を一気に飲んだ。そして自販機横にあるコンクリートで出来たベンチに横になって倒れるように横になった。そうせざるを得なかったのである。周囲をはばからず、車で来ている人たちが自販機に立ち寄るが構わず大の字になって寝た。間違いなく蓄積疲労と朝食のない分の熱量不足であろう。今回の旅で初めて経験した「完全消耗」であった。


⑥ 小一時間横になり、少し回復、ふらふらと立ち上がり、とにかく腹に何かを入れようと思った。今度は長い下り道、体への負担はそれほどでもないがリュックを背負った体は左右に振れる。30分歩いたところで道沿いに屋台風の「讃岐うどん」屋を見る。すぐ入る。狐冷やしうどん大盛りを頼む。11時15分頃、客は僕一人、ご主人は良い人で「歩きですか?どの道で来られました?」と。下というと「頑張られましたね。」「国道にすれば良かった。」「いあやー、あれはもっときついですよ。同じ勾配の道が7キロも続く、」「登り道にはそれなりの歩き方があります。焦っては駄目です。」山歩きが好きで色々と教えて呉れる。天かす入れ放題、最後には小皿に盛ってワカメを呉れた。お接待なのであろう。旨かった。冷たいうどんだしが旨かった。生き返った。考えてみれば昨夜はビール主体であまり食べてもいなかった。食の強さと大切さを痛感した。落ち着き今日の宿、岩本寺の宿坊を電話で予約。どこでも良かった。宿坊ならお寺の側だろう。


⑦ 標識に「四万十町」が出てくる。旧名「窪川町」であるが本年4月合併し新しい名前を付けたという。これとは別途に四万十市というのもありややこしい。観光物産センター、道の駅などに立ち寄る元気が出てきた。現金なものだ。道沿いに「仁井田の米」と宣伝がすごい。全国品評会で良い成績だったらしく、おにぎりを食べたり、お米のアイスクリームをなめたりゆっくりゆっくりと岩本寺を目指す。



⑧ 15時岩本寺到着。大変に趣きのあるお寺さんであった。お寺の裏側には土讃線の鉄道が走っており列車が通るたびにそれと分かる。山門も味わい深く、特に仁王さんのお顔が良いのである。境内の中に宿坊があり、宿坊の玄関の真向かい15メートルに本堂がある。小さいお寺であるがまとまっているのである。良いお部屋に通してくれた。荷物を片づけ、正装してお参りに行った。真ん前に有るから1分もかかりません。夕食が又素晴らしかったのである。お寺のご内儀,お庫裏さんが挨拶に来てくれる。背も高く、美人である。胸もお尻も腰も大きく、ゆったりと、それでいて品がある。年の頃は60歳前後。白いご飯とは別にこちらでいうばら寿司、ちらし寿司とご汁と言う、しらす主体のお汁が特別に付いている。これが旨いのだ。お寺の奥さんと言うのは三島由起夫の小説ではないが魅力的だ。何か妖艶なのである。







⑨ しかし今日はくたくた、荷物も何も放り投げて布団に横になる。体を横にするにもしんどい。大部消耗している。後2つの札所、行けるであろうか。体と胃袋と心はまったく別物だということを痛感した。朝飯は重要である。本当にしんどい忘れられない七子峠となった。