2010年8月22日日曜日

8月22日 遍路行 十五日目 太平洋で泳ぐ

十五日目 8月22日(火)   太平洋で泳ぐ


 太平洋に面した海で今日は絶対泳ぐぞと決めていた。一路「宇佐」を目指し、「竜の浜海岸」で絶対泳ぐと決めた。海は大好き、泳ぎも大好き。明後日から足摺岬を目指して難行苦行が始まる。今日、明日が憩いだ。土佐の巡拝も大詰めになってきた

① 6時起床、シャワーを浴びる。食事は今回の旅で初めてバイキング形式、民宿の朝食はメニュー大体同じにつき、もう幾分厭になって居たところ故、新鮮だった。「スポーツパレス春野」悪くはない。支払い7590円。支配人が種間寺まで車で送ってくれる。サービスすこぶる良し。学生のスポーツ合宿場所から熟年のお遍路さんもターゲットに新たな市場開拓とのこと。なるほどと合点の次第である。しかし気づきが少し遅いのではないか。


② 7時、「種間寺」前出発、誰もいない、掃除をしていたお寺の方が「これから歩き?」と親切に35番清滝寺への道を教えてくれる。距離10キロ、朝から蒸し暑い、どうも調子が悪い、脚が重たい。デジカメのレンズが曇るくらい湿度が高い。


仁淀川を渡れば土佐市に。遍路道は通常の車道と異なるため人とも会わず、だらだらという感じで進む。9時30分、清滝寺に到着。時間を見れば1時間4キロのペースで通常と変わっていない。気持と体は違うのか?脚の歩みは気分と別なのか?


③ 35番「清滝寺」でおじいさんと会う。親しそうに話しかけてくる。地元の人、山が大好きで大阪にも住んでいたとのこと。74歳、今でも1日に一回は清滝寺に来る。宮尾登美子はこの近くで生まれ、小さい頃は貧乏で大根を売って歩いていたのを今でも思い出すと。本も好きで瀬戸内晴美、宇野千代、有吉佐和子と次から次と女性作家の名前が出てくる。


④ 土佐市を横断する形で土佐湾の飛び出た半島、宇佐大橋を目指す。道は単調、暑くて苦しい。自販機にすぐ手が出る。塚地峠の頂点で「あずまや」形式の休息所があり、たまらずごろりと横になる。風が心地よい。30分ほど横になったか。11時45分起きあがり出発。それというのも運転手さんなどが持参の弁当を食べる場所として利用しているらしく、混んできたので立ち去ることにしたのだ。食事は欲しくない。ただ水を飲む。お茶、スポーツ飲料、コーヒー牛乳、水、コーラと一応変えてはいるのだが・・。


⑤ 塚地坂トンネル1キロ、トンネルの出口から太平洋の海が目に飛び込んでくる。今ま


でもそうであったがトンネルの中を歩くというのは結構勇気が要ります。怖い感じがします。それでも昔は隧道などはなくて山越えだったわけだから歩きの辛さから言えばトンエルは楽なのです。白装束だからドライバーには見えやすいかも知れませんが僕は必ず右側を歩いて金剛杖に白いタオルを巻いてそれを振りながらトンネルの中を歩いた。


 ⑥ 山越えをして宇佐漁港についたことになる。湾沿いの道を北上、赤い大きな宇佐大橋がゆったりと半島を結んでいる。昔は対岸に渡しがあったらしい。半島の先端をぐるりと廻り、時間は2時を少し廻ったくらいだがもはや気持は限界、通常の人はまだ次に向かって歩くのが一般的であるが、今日の僕はもう限界。一歩も歩けない。宿の真ん前は「竜の浜海水浴場」、地図の通りだ。この海に入ると決めた。まず宿に飛び込みで入り、押さえる。「三陽荘」という。知らなかったが「黄金大師」で有名らしい。そこにザックを預け、身軽に36番札所青龍寺を打つ。ご本尊は波切り不動、珍しい。お不動さんです。






⑦ 宿に戻り、パンツ一枚で歩いて海に出かける、時間は歩いて1分、国道を横切ればそこは太平洋である。海は気持良かった。海に入るのは何年振りだろう。海の中では下着は付けていない。誰もいなし、気にする必要はない。真っ裸は本当に気持が良い。水温は高く、しょっぱい海の水、寄せる波に身を任せ、漂っていると疲れが溶けて流れていくようだ。僕は開放感に浸った。30分も海に居た。


⑧ 宿に帰り、洗濯、風呂、極めて豪華な施設のグレードの高い宿と知る。森繁久弥、長島茂雄、朝青竜、最近では管直人氏など有名人が泊まった宿である。確かに浴場などは並のゴルフ場のものとは比べられないくらい豪華である。良い宿に泊まれた。部屋から外部へは全て窓で前面海である。部屋は大きく、豪華である。食事も良い。今日は早めに宿に入り旅日記もはかどった。少し余裕が出てきたが、明日の戦略を決めなければ。須崎まで遍路道には何もないという。この道は危険だと宿の人は言う。元の国道に戻れという。よくよく考えなければならない。元に戻るなど僕の人生にはなかった。時には元に戻るのも必要か。ままよ、行ってしまうか。明日朝決めることにして早めに床についたのである。