2010年8月9日月曜日

8月9日遍路行二日目

二日目 8月9日(水)   灼熱の阿波をただ一人





ひねもす歩きて、夜はつれづれなるままにパソコンに向かいて今日1日を想う。「遍路道を歩く」二日目も順調に終え、今、宿に落ち着く。


大きな変化は少し慣れてきたということ。しかし阿波の国、最高気温を記録する暑さの中で、単調の動作はいささか苦行に近い1日となる。足腰は大丈夫なるも肩に食い込むザック(リュック)の重みが今外したあとでも左肩を攻める。それにしても自分は元気かと自問する。間違いなく、人に比べて元気なのだろう。60年生きて今日まで、「元気ですね!」とどれだけ言われたことか。年相応になってくるとこの表現は余り嬉しくないものだ。「元気でいると何か悪いみたい」「元気で悪いのか」と言いたくもなる。作家の瀬戸内寂聴さんも同様らしく、作家らしい表現で「元気が病気です。と答える」と何かに書いておられた。自分もこの表現を頂いて、時に使っているのである。



 ① おめでたい漢字「寿」を冠した今風の遍路宿「寿」を7時に立つ。「寿」は我にとって何処までも宿縁の漢字か。遍路の旅、初日の宿が「寿」とはまさにこれからの先行きを予測する「同行二人」か。是非そう有って欲しいものだ。生卵,海苔一袋、お付け物、みそ汁、和え物でそれなりの朝食、締めて8525円。宿のご主人、ビニール袋に入れたお塩と5円玉、マッチをお土産にくれる。汗が出たら水に塩を入れて飲めと。昨夜からこの季節、これが一番と力説して止まなかったご主人らしい配慮である。


② 6番安楽寺、7番十楽寺、8番熊谷寺、9番法輪寺、順調に歩く。8番熊谷寺の山門は美しかった。特に仁王様というか不動明王が大変立派であった。背筋がぴんと伸びるのである。今日は一段と暑く、加えて蒸す。テレビ報道、本日の徳島37度で新記録とか。一日目と異なり、山里の、既に稲穂に囲まれた舗装道路はどこまでも単調であり、行き交う旅人もなし。従って文明の利器たる車も一切見えず、ただひたすら歩くだけだ。寺の手水に頂いた塩を入れて試すもまったく不味く、飲むには勇気がいる。流れる汗の対応には塩分が必要との教えを守りトライしたが、気持が悪くなってきて止めた。ただし念のためお塩は棄てず。



③ 12時30分、10番切幡寺に到着。難攻不落333段の石段となり、ここを征服したときには汗も足腰も体力限界のピークとなる。しばらく備えられた長椅子に座って動けず。肩で息をする。残るは、11番藤井寺のみ。しかしここも山登りで距離もここから10キロ以上とか。先行き不安、更に今夜の宿をどうするかも考えねばならない。ゆっくりとする時間もないのだ。1人歩きも忙しい。今までこのような事はまったくなく、全て他人が段取りしてくれ、その通りに動けば良かっただけに、身の回りの事をすべて自分でやらねばならない自分に慣れるにも時間がかかったが、別にせつないとは思わず慣れればこれも又楽しいものである。とにかく宿を探さなければならない。宿は命である。




④ 休息している切幡寺頂上にてあるご婦人から話かけられる。ご本人75歳といわれるが決してそのようには見えず、僕のことを携帯電話であちこち宿の手配をしている落ち着きのない、頼りない男と感じたのであろうか、親切に話してくれる。「歩きで通すのか」と聞かれ、「ポイントは徳島を出て土佐に向かう道路にある。多くの人はここで脚を痛め失敗する。決して無理はするな。自分はもう何回も踏破し、歩くことが生活の一部云々」と為になる元気になる話を聴かせてくれた。とにかくスタイルからすべてが決まっているのだ。格好良かった。元気を貰った。品があり、元気で、それでいて隙がなく、人当たりが良くて基本的に人に優しい、親切な人なのだ。おまけに「おしゃれ」とくる。世の中に妙齢な婦人ほど美しいものはないと、ふいと感じた。「男も女も美しく老いる」ことは実は大変なことなのである。




⑤ 13時15分切幡寺を後にする。結局昼食の機会を失ったままである。歩き遍路で最も難しいことが食事のタイミングである。何処で休息し、食事をし、何処まで本日は行くのか、僕にはこの段取りがまだ上手く出来ない。前へ前へしか今は余裕がない。しかしこのまま空腹では、この先10キロもある11番藤井寺迄はしんどいだろうと思案である。どこかで何かを口に入れねばならない。幸い14時頃、国道沿いに格好のうどん屋を見つけ、立ち寄る。天ざる970円、美味なり。それよりもポットで出された冷水の旨いこと、旨いこと、何杯も飲んだ。一番のご馳走であり、お接待である。ここで又興味が湧いて、氷の入った水に例の「生塩」をいれて試飲。ところがこれは一口だけはアクエリアスに似た味がするくらい旨いのだ。でもコップ1杯はやはり無理だった。いくらのどが渇いていても生ぬるい水は美味くはないのだなとこの時分かった。季節によって飲み水には適切な温度があるのだ。真夏の生ぬるい水は毒である。



⑥ 昼食後ただひたすらに歩く。9キロを結局2時間で歩き11番藤井寺に到着。難行だったが、誰一人行き交う人のない四国三郎吉野川の潜水橋をただ一人あるく遍路姿の自分をカメラのロングショットで想像したりすると完全に絵になる。工夫して写真を撮った。遍路本には必ずこのシーンが出ている。それにしても自分は健脚だと思う。本日は6つの札所を打つ。計24キロ以上で9時間。札所で30分かかるとしても走行速度は平均時速4キロ、これはものの本によれば相当な数値らしい。




⑦ しかし世の中には面白い仕事がある。宅配便みたいに他人の「納経帳」を預かり、札所から札所を車で回ってとにかく「朱印とお墨書き」を頂くのである。大きな袋から58冊もの納経帳を出したのには驚いた。これは納経に時間がかかるのでそれ専門の人に頼むという寸法である。そしてそれを最後は高野山でお渡しするというのだ。まあ、人それぞれ、色々あって良いなと思うがそれにしても少し変と思わないか。運ぶ人も頼む人もそれで幸せなのかなーと考えるのだ。


⑧ 4時30分宿に到着。吉野旅館という。まだ遍路関係の紹介本にも出ていない、出来て間もない民宿。どうしてここを知ったかというと、藤井寺から100メートルの近さにある遍路宿に申し込むも電話の雰囲気から「お客さん、うちは素泊まり専門、お客さんには無理、どこか他を捜したら」と断られ、その代わりに紹介してくれたのだ。「料理は出せない」と言われるのである。しかし結果的にはとてもラッキーで、新築の遍路民宿で、結果オーライであった。明日は「遍路転がし」と言われる最初の難関、山越え、お昼の弁当を頼む。6時出発。明日と明後日が天王山か。本日はビールを2本。この日も早く寝た。