2010年8月27日金曜日

8月27日 遍路行 二十日目 足摺岬に立つ

二十日目 8月27日(日)   足摺岬に立つ


 一路足摺岬を目指し3日間歩いて、38番金剛福寺を遂に打った。四国の最南端である。感慨深いものがあった。これからは大阪に向かって戻るルートになる。今までは離れる一方だったが羅針盤が完全に逆転する。さて今日のルートは「打戻り」と言い、来た道を戻ることになった。39番延光寺は「真念庵ルート」が一般的と聞き、その選択を決めた。明日の距離を考え、出来るだけ近づく為に、今日の宿は、「久百百」民宿。今日も40キロ近い歩きとなる。阿波・土佐修行の歩き遍路も残すところ二日となったのである。


① 5時30分朝食、初めての早い出発である。支払い7000円、6時出発。昨夜偶然同宿となったXX君とは別の埼玉県の大学4年生と3人で歩くことになる。この青年、すこぶる感じ良く、同じ大学4年生でもXX君とは多いに様相が異なる。朝食後、宿のご主人が遍路道の近道を教えてくれるため、玄関に待っていてくれる。朝食のご飯は幾分昨夜の夕食分よりはましであった。昨夜のご飯は臭い匂いもあり、ベチャーとしてとても僕には食べられないようなものであった。しかしおかずが近目鯛,子鯛の刺身など素晴らしいものであったので、贅沢は言えない。おばさんもおじさんも大変良いお方であった。荷物を預け、巡拝に必要な物だけを持ち、極めて身軽である。体が軽いのだ。


② 宿から足摺岬まで16キロ、なんと9時には到着。昨日極力足摺に近いところまであるいて距離を稼いでいた作戦の勝ちである。速い出発は3文の得、三人大体揃っての歩行であった。先頭は僕、埼玉の大学生、それにXX君が縦列となる。途中の津呂には気配りの利いた無料接待所などがあり、休憩しながら進む。道端の道路標識と言うか道しるべが有り難い。道が分かり易く、脚は快調な運びとなる。しかしザックのない背中は軽い。肩に食い込む重さが無いということは素晴らしい。人生重き荷を背負いて山道を登るがごとしと、家康は言うが背負う荷物はない方が良い。





③ 38番蹉蛇山金剛福寺、まさに岬の先端にある。嵯峨天皇の勅願で弘法大師が開基され源家一門の尊崇を受けて栄えた。補堕落山ともいうらしい。納経所の方も親切でお接待に紙パック入りの冷えたお茶を頂いた。お土産を買うとお寺の奥様らしい人が「歩きですか、ご苦労さまです。」と言って、お寺の日本手ぬぐいを頂いた。ここの納経所の方はお軸に書く前に自分が書くところを紙できれいに拭って書いた。初めて目にした光景である。すごいことである。感心した。来た甲斐があると思った。





④ 納経の後、展望台に立ち足摺岬を見る。四国の西南の果てに立つ。「思えば遠くへ来たもんだ、よくぞ歩いて来たもんだ。」という感慨である。展望台から見る太平洋、そして金剛福寺の塔の屋根、そして中浜万次郎(ジョン万次郎)の像を見る。そうだ。足摺岬には万次郎の像だったのである。1827年ここ土佐清水に生まれ、国際人第一号となった万次郎の評価はもう少し高くても良い。




⑤ 展望台近くの茶店で「かき氷」を頂く。クリーム金時にした。暑い中、本当に旨い。体の中から冷えていく感じである。大学生の二人も上手そうに食べていたが、彼らは大体食べるのが遅い。観光客も多く、飛ぶように売れている。東京や大阪、都会ではもはや見なくなった「氷」の看板で売るかき氷屋さんは高知県にはとても多い。僕は小さい頃からこの密の味がみぞれでもイチゴでも大好きだ。2杯目を頼みたいくらいであった。10時過ぎ、足摺岬を立つ。3日かけて歩きようやく到達した場所であるが、たった1時間の滞在で不満はない。これで良いのである。帰りの津路の港は素晴しかった。丁度選挙が行われており選挙事務所でお接待を受けたのである。





⑥ 帰路は昨夜の民宿「星空」に立ち寄り、荷物を受け取ることを忘れてはならない。来た道を逆に歩くというのは幾分脚は軽くなる。見知った道は容易である。それぞれの脚力で歩くことに決めた。そうすると3人で歴然と差がでる。埼玉の大学生、木村、XX君と続くがそれぞれの差が完全に出てくる。先頭と僕の差はそれほどでもないが最後は完全に遅れる。休憩所で僕は先頭に追いつくが最後は幾ら待っても来ない。結局埼玉の大学生と一緒になり「星空」に到着。


⑦ この大学生、完全にエリート候補である。二人で歩きながら色々と知る。父は銀行勤めのサラリーマン、慶応大学経済学部4年、就職は東京海上に内定、自分でバイトして資金を貯めて今回歩き遍路に。歩くのが大好きで以前、東京から名古屋を歩いていたとき、旅で知り合った人から「そんなに好きなら四国を歩いてみたら」と言われて知った。「高校は浦高か」と聞くも「浦高は落ちちゃいまして、私学に。一橋を狙って一浪しましたが結局慶応に。」とにかく如才もないが感じも悪くない。大成して欲しい。サラリーマンとしての心得などいう資格もないが経験談や注意すべきことを木村流で歩きながらしゃべる。しっかりと聞く。「今回、四国へ来て、初めて様々な経歴,年代の方々とお話ができます。何時も同年代の者とばかりの話であったが今回の遍路経験は本当に為になっています。」と。通しで9月20日を目標に完遂したいとのこと。


⑧ 13時45分 民宿「星空」に到着。歓迎を受ける。おじさん「ビールを」を持って来てくれたが、さすがに昼間からと思って固持した。そしたらおじさん「かき氷、すっちゃるわ」と言ってみぞれを持って来てくれた。甘かった。おばさんの姿は見あたらなかったが、74歳のおじさんも寂しいのだ。話し相手が欲しいのだ。ここでこのおじさんの話、詳しく書くページ数が欲しい。書きたいことが一杯ある。なんと遍路相手の民宿の親父なのにキリスト教「エホバの証人」のこの地方の主宰者、近くにある「エホバの会館」の持ち主。1300坪の土地を寄贈したとのこと。すごい話を一杯聞いた。


⑨ 15時30分民宿「久百百」に到着。疲れはあまりない。しかし洗濯に困る。無料だが2遭式でやりにくい。洗剤を入れ過ぎたらすすぎの水は何時までも泡がある。一回一回水を入れ替えなければならない。本当に困った。夕食の時、何で2遭式ですかと聞くと「買い換えて2遭にしたの!」「この方が速く終わるの!」。乾燥機はない。部屋にはハンガーが山ほどある。部屋で乾かせということらしい。とにかく美人だが面白いおばさん、阪神大震災をテレビで見て「あのテレビを見て、私の女は46歳で終わったの」と閉経したことをどうどうと述べる。息子や主人を僕に紹介し、デジカメにとられた。明るくて、面白い。こういう女将もいるのだな。でも夕食のメニューはもう少し工夫と量が欲しいと思ったが何も言わなかった。二人の大学生には今宵が最後故、ビールをご馳走した。旨そうに飲んで呉れた。それぞれ頑張って欲しいとつくづく思う。