2009年7月3日金曜日

7月3日(金)花の高校3年生


・ 3年生の「卒業アルバム」に使う「集合写真」が撮影された。中庭に皆が揃い「気勢」を上げる。でも何か私には彼ら、彼女たちが「寂しそう」に見えてならない。見た目は元気そのものだが、夏休みは受験勉強、9月には早いものは推薦で大学が決まっていくのもいる。これからは「彼らの時間は卒業式まで飛ぶ」ように去っていく。
・ 私が若い頃に流行った「高校3年生」という歌があるが、「この歌知っているか」と聞いても、誰も「知りません」と答える。舟木和夫という当時橋幸夫、西郷輝彦と並んで「御三家」と言われた歌手だったが今の高校生は誰も知らない。こういうことを聞いた後で何時も感じるのだが「年を取った」と思うのだ。
・ 3年生になると、とたんに「静かに大人しく」なる。本当に「不思議」なくらいだ。大学を前にした「花の高校3年生」であり、最後までしっかりと「面倒を見て送り出してやりたい」と思う。「3年生、頑張れ」と私も集団の中で声を張り上げて叫んだのである。

・ 「賞与の支給日」であった。詳しいことは1日のブログに書いたので繰り返して書く必要はない。しかし時期が時期だけに今朝の新聞には「ボーナスに関わる記事」が色々と出ている。テレビでも今朝ほど放送していた。内容は「お父さんの小遣いが減らされたというのだ」。それほど「今年の夏季賞与は厳しい」状況なのである。
・ 大阪日日は「ボーナス手取り10万円減」「6割が家計苦しい」とある。損保ジャパンDIY生命保険の調査なのだが「ボーナスが減った」というのは昨年夏に比べて53.6%の主婦が述べており手取り額の平均は9万8千円減の「65万5千円」という。
・ 夫が30代の平均は23万円減の「47万円」という。このボーナスの減少で「旅行や衣料品の購入を諦めた人は61.9%」となり、使い道は「預貯金」が52%。「生活費の補填」が35%、次に「ローン・クレジットの支払い」が31%という。
・ 一方日経新聞は「夏ボーナスなし4割超え」「大阪の中小 全業種で支給額減少」と出ていた。これは大阪市信用金庫の調査結果だ。これは前回の調査の2002年の37%を超えて「史上最悪」という。
・ 支給額もすべての業種で減少し、「全業種の平均支給額は25万1000円」で前年比2.94%の減で同信金が調査を始めた「1998年以来の最低額を更新」したという。これは府内の取引先中小企業1100社対象の調査だから信頼できる数値である。
・ この25万円というのは本校に4月採用された新卒の教員に比べても、あまりにも少な過ぎる。「府内の中小企業の厳しさを実感」する数値だ。府の公務員が平均年齢44.4歳で77万円というからやはり公務員のボーナスは一般企業に比べて高い。
・ ところが学校の先生のボーナスはというと、府の教職員はさらにその上を行っているし、本校は更にその上を行っているのだ。いやみでいっているのではない。この現実を直視して「仕事に誇りを持って生徒の面倒を見て欲しい」と思うだけである。「生徒の面倒を徹底的にみることが私学の教職員の仕事」だ。

・ 話し変わって、今朝の新聞で朝日が報じているのだが「学校全面禁煙66%」という記事があった。「公立小中高 浸透、地域差」もともある。「敷地内全面禁煙」の学校が全国36000校のうち24000校の66%に上っているというのだ。私に言わせれば「まだ少ない」。
・ 調査の主体は小児科医で作る日本小児科医連絡協議会の「子どもをタバコの害から守る合同委員会」で2月からアンケートを始めて調べたものである。まだ43%の教育委員会からは回答を得ていないという。
・ 現場からの声として「喫煙防止の生徒指導がしやすくなった」「敷地内禁煙化は子どもへの受動喫煙防止だけでなく大人が吸う姿を見せないことで子どもへの”吸わせない“教育につながる」という国立生育医療センターの医師の言葉をコメントとして出していたが、このコメントこそ「私が求めているもの」だ。
・ 本校も1月以来「敷地内全面禁煙」に移行して半年が経った。当然だが特段の問題はない。なぜか「校内や建物内の空気がきれいになった」感じがする。また正直言えば昨年多かった「生徒への禁煙指導が今年は激減」している。これも大きな効果ではないかと私は思っているのだ。
・ しかし教職員の喫煙者は結局「禁煙していない」様子だ。あれほど1年も前から期間猶予を私が設けたにもかかわらずだ。あれは私の「牛歩戦術」だった。あそこまでして理事長に迫られて何故タバコを止められなかったのか、はなから止める気がなかったのか。正直残念である。
・ 厳しいことを言うようだが「学校の先生がタバコを吸うのは良くない」と私は断言する。ここまで喫煙の健康被害が病理学的に明らかにされ、医療費問題が議論されているにも関わらず「教育に直接携わる学校の先生がぷかぷかするのは良くない」という論理に立ち向かう反対の論理はあるのかという疑問だ。結局「意思薄弱さの問題」だろう。
・ 「先生の健康のため、家族を守る働くお父さんのため」そして「学校の生徒のために」、学校の先生は「タバコは吸わない禁煙人」をそれとなく勧めたのだが駄目だった人がいる。それくらいしても吸いたいくらいタバコというのは魅力あるものなのか。
・ 「悲しい」のは以下のような現象だ。昼間「禁断症状に襲われて」、敷地外にタバコにいく姿だ。清涼飲料を買いに行くとして自動販売機のそばで吸っている姿をみるのは悲しいものだ。何か「自分は悪いことをしているのか」と思ったりする。
・ こういうのもある。昨日のことだ。某教諭の報告を朝一番に副校長と私の部屋で聞いているとき、「タバコの匂いがものすごい」のである。吐く息から背広から臭うのだ。「普段あまり言いにくいことを言わない副校長」までがタバコの匂いに言及していた。それくらいすごかったのである。
・ 聞くと学校では吸えないから家を出るとき、「思い切って何本も吸って家を出る」という。要は「タバコの吸い溜め」である。これも悲しい現象だ。私の身近にいる管理職の教頭と事務長も朝「吐く息からタバコの臭い」がする。事務長は朝堺東の駅で吸い駄目してそれが最後だという。「そこまでしてまだタバコを吸うか」という気が私はするのだ。
・ 私は「匂いに極めて敏感」である。過敏症なのかも知れない。だから「自分の体臭と口臭は特段気をつけている」。加齢臭も気になる。だから気障ではやっているのではなくて朝の風呂とコロン、歯と口のケアは絶対欠かさない。もう何十年もこれできた。
・ 私の執務室も訪問者に対して「私の匂い」を感じてもらうわけにはいかないから何時も「お香」を焚いている。それくらい私は匂いに敏感だけに「家族ではない他人に自分の匂いを無感覚に押し付ける人」の気が分からないのだ。こういうのは日本人だけだ。先進国の外国の人は決してそういうことはない。