2009年7月19日日曜日

7月19日(日)その2:宮崎県東国原知事を語る


・ 宮崎県知事「東国原英夫知事に逆風」が吹いている。過日知事は宮崎県庁で緊急記者会見を行い、「国政転出を諦めた」ことを正式に発表した。「衆院選の出馬断念」である。注目して見ていたが「まあ自業自得」でやむなしと言ったところだ。
・ 新聞各紙が報道していたが「もはや興味に値しない」という感じで「扱い」も小さい。確かに「自民党内の争い」の方が面白いことは分かるが、それにしても遂先ほどまでは「知事べったり」の論調がここまで変わるとは「急転直下」というのはこういうのを言うのか。
・ 特に毎日新聞はその中でも扱いは大きく、論調は「厳しい」。しかし私はその中に感じるものとして何か「揶揄した」記事のようにまとめている気がする。例えば過日は大見出しが「そのまんま宮崎に」とあるくらいだから。
・ 「そのまんま劇場」は後味の悪さを残して終幕とか、東国原劇場の「株価」は暴落とか書いている中で唯一大阪府の橋下知事だけが「賛否はあるけどメリット大きかった」とエールを贈っている。私もそのように思う。
・ この間冷静に“劇場”を見続けていた私の論評を書けばこうなる。知事は「大きな失敗を一つ犯した」のではないか。それは「自民党総裁候補とする」ようにと条件をつけたことである。これさえなかったら全く逆の現象が起きていたのではないかと思う。
・ 1昨日本校に制服を納めている会社の部長さんが見えられ、たまたま政治の話題になったのだがこの人も「自民党総裁とは・・・、少し調子に乗りすぎている」みたいな言い方であった。殆どの国民もあの知事の発した「総裁云々のフレーズ」に「違和感」を覚えたに違いない。
・ 橋下知事に比べて非常に「温厚な物言い」をする人で私はかねてから「気配り心配り」できる人物と思っていたが、やはり一挙に「自民党総裁」というのは「遂出た言葉か」あらかじめ「用意していた言葉」か、分からないが最大の失敗になった。
・ 日本国民は基本的に「保守的」であり、保守の土壌の上に時々「革新的」「変り種」「異分子」等をまぶして食べる「ふりかけご飯族」であり、宮崎県知事であれば「面白いし応援する」がそれが中央の総理総裁の可能性にまで言及すると「眉をしかめる」国民なのである。「ちょっと待って」である。ここを知事は読み間違えた。
・ 「知事では限界ある。国政に出て中央から宮崎を更に高める」との一本で良かったのに余計なことを言ったばかりに「自民党を揺るがせ、都議選の惨敗をもたらした全責任」まで背負い込むこととなった。今度ばかりは作戦が「稚拙」であった。
・ 東国原知事や橋下知事が果たした「地方分権の動き」は極めて大きいものがあった。「この二人の存在と力」がなかったらここまではいかない。ここは我々は認めなければならない。
・ しかし私は日本国民にはその心情として未だに「お笑い芸人を馬鹿にした心象風景」があるのではないかと見ている。「俳優」となると一目置いた感じなのに「芸人」となると少し「下に見る」性癖にとらわれていると私は思う。
・ 東京都の石原知事は「芸人風情に古賀(自民党選対委員長)も振り回されて大恥かいた」とか言っていたし、例の自民党の元タレントで弁護士の何とか言う議員も「ああいうのに頼みに行くから都議選は負けた」とか言っている。明らかに「職業意識に差別感」がまだ残っているのでないか。
・ 確かに「そのまんま東」時代から知事はトラブル歴史には名を刻んでいる。「フライデー襲撃事件」「淫行事件」等があったが罪は法的に償い、選挙で圧倒的に支持されて選ばれた人であるが、少なくとも「県民の負託」に応えるためには「一期4年」はしなければならなかった。
・ 師匠であるビートたけしさんは「謝って宮崎に帰れ」と諭したそうだが「覆水盆に帰らず」だ。各紙とも「影響力の低下は避けられず」と書いているが確かに相当な「逆風」であるが「捲土重来」を期して、ここは「隠忍自重」だ。
・ 私は彼が過日漏らした一言に注目している。「議会で予算が通ったら後は知事の仕事はない。プー太郎で暮らす」と言ったとあるが「本音」が出ていると思う。実際のところ「知事の仕事など基本的にはない」のだ。
・ 「行政組織」とはそういうものだ。「予算編成とその議会通過」を図れば後は行政の仕事は流れていく。そのために「役人」がいるのだ。東国原知事も橋下知事も「テレビに頻繁に出演」でき、「東京に出張として出没」できるのは庁舎に仕事がないからだ。
・ 「宮崎をどげんかせんないかん」と叫び「宮崎のセールスマン」よろしく「宮崎産マンゴー」「宮崎地鶏」を売って歩いているが、あれは「時間のもてあまし」がなせる業なのである。
・ 小さい頃から「夢は政治家とお笑い芸人になること」と言っていた知事は県立都城泉ヶ丘高校普通科から現役で専修大学経済学部を卒業、更に2000年には早稲田の第二文学部を卒業、加えて早稲田の政経学部の政治学科に入学して2年で中退し宮崎に戻るなど「筋金入り」の経歴だし政治家は全くの素人ではないのだ。お笑い芸人と言って馬鹿にしてはいけない。
・ 東国原知事は2年で「県政の限界が見えた」のである。同じように橋本知事も「府政の限界」が見えたから今大声で「首長連合」とか言って「東京に向かって分権」を叫んでいるのも私に言わせれば全く同じ構図なのである。
・ 二人の違いは「行政規模の違い」であり、宮崎県民には悪いが宮崎は「大田舎」なのである。「やる気まんまんの知事」を満足させる仕事がないのである。大阪はまだ規模が大きいだけに橋下知事は「私学助成の削減」とか良い悪いは別として「仕事が多い」のである。
・ しかし今私は今橋下知事にも一種の「危うさ」を感じているのである。「東国原知事の二の舞」になってはならない。中央で二人が必要とする時代はそのうち向こうからやってくる。一言で言えば「調子に乗らない」ということではないか。日本は「老人社会」であり、調子に乗ると「老人の逆襲」がある。
・ 有り余る自分の能力を時には仕事の対象に「合わせる努力」も必要である。余ったエネルギーを外へ向かって発散していくと思わぬ「落とし穴」に落ち込むのである。実はこのことは本校を「孤軍奮闘」して経営し運営している「私にも当て嵌まる言葉として自戒」しているのである。管理職と多くの教職員が頑張ってくれているからこその話であり、「謙虚」に「慎重」に「調子に乗ってはいけない」のである。