2009年7月6日月曜日

7月6日(月)僕は競艇選手になる


・ 平成20年3月に本校を卒業した者で中々「頼もしい男」がいる。その彼が先週土曜日に「ひょこっ」と校長室に顔を出してくれた。名前をS君としておこう。そのS君が言うには「競艇学校に合格した」というのだ.
・ 私は「そうか、やったか、おめでとう!」と声を張り上げたのだ。彼の宿願であった学校に合格したのだ。昨年チャレンンジしたが失敗し、「捲土重来」を期して頑張ってきたのだろう。
・ S君は「学業成績」も大変良くて、「クラブ活動は野球部」に属していた。「背番号」を貰っていたから「レギュラー」であった。本校の野球部員は120名近くもいるからレギュラーを取るのは余程の才が必要である。
・ しかし不幸にも大きな怪我をしたのと「体格が小柄」だったこともあるから、大学に入って野球を続ける気は最初からなかったみたいだった。「野球は高校まで」と決めていたのである。本校は今高校野球界で問題となっている「野球特待生制度」はないので野球を止めたら一般の大学へという生徒は多い。
・ 何時の頃から「競艇選手になりたい」と思ったのか知らないが3年生になってからは相当に自分でも研究したみたいだった。S君を良く知っている先生から聞いた話である。
・ 私はS君が怪我をしたときに、ご両親にお会いする機会があり、勉強が出来るので「大学進学」を強く勧めたのであるが、「一人息子」が可愛くてならない立派なご両親は「子どもの好きな道に進めさせたい」「もう1年経って駄目だったらそれから大学に行かせるのでその時は進路指導をお願いします」の話し合いであった。
・ あれから1年経って「親子の作戦が見事に成功」し合格することになる。このことが素晴らしい。親は子どもを「大きく包み」、子どもは「親を敬愛し信頼」しているのが良く分かるのである。こういう親子には「幸い」が向こうからやってくるし、例え失敗しても「笑って済ませる」ことの出来る家族である。
・ 「大和競艇学校」は福岡県柳川市大和町にある「日本モーターボート競走会」が設置した唯一の公式養成機関で研修期間は1年間である。かっては山梨県の本栖湖にあったが同湖が水位の変動で思わしくなくなってきたので2001年に柳川に引っ越したものである。
・ 「全寮制」で研修費用は最低でも1年間で64万5000円必要で「相部屋の共同生活」である。徹底して「礼と節」を教え込み極めて礼儀に厳しい訓練で、この段階で雰囲気に馴染めず脱落する訓練士が出るらしい。
・ 朝は6時起床で真冬でも男子は「乾布摩擦」をし、その後点呼で夜はきっちり22時に消灯される。「売店は夕食後たった15分だけ営業」されるのでティッシュなど生活必需品などはその時間にしか買えないという。
・ 「週に一度だけ公衆電話ブースが開放」されるからこの時間帯は電話の前に行列が出来るという。遠く離れた家の親や兄弟、恋人の声を聞きたいと殺到するとのことである。もちろん携帯電話など見つかったら即刻退学である。
「外出」はたとえ週末でも滅多なことでは許可されない。まれにある外出では外出先から戻った直後に必ず「体重計に載せられ」体重オーバーしていた場合は厳しい叱責となるという。マクドナルドや豚マン、お菓子など食べられないのだ。私がお試しに入って減量したいくらいだ。勿論「タバコなど吸ったらそれでお終い」である。
・ カリキュラムはすごいものでモーターやプロペラの調整をはじめ、ありとあらゆる競艇選手に必要なことが叩き込まれ、「基礎体力訓練とかメンタルトレーニング」もなされる。そして見事に卒業できたものが全国区の「晴れて公式の競艇選手」として認められるというのである。
・ 私はしつこいくらい「根堀葉堀」聞くのだが、ニコニコしながら説明してくれた。なんと、なんと今回は「1400人の受験者ら40人が合格」してその中に入ったというから「上出来」で私が嬉しくなるのも当然である。
・ S君は小柄だが「イケメン」でとにかく「性格が素直」で話していても気持ちの良い青年である。私は「謙虚にしっかりと勉強して」、「教官の言うことを一言も聞き漏らすな」とアドバイスした。「宿願が叶ったのだから一心不乱に1年間死に物狂いで頑張れ」と厳しく指導した。
・ 卒業すると「全国の競艇場を回ってレースに参加」することになる。「賞金が稼げるのである。」私は言ったのだ。強い競艇選手になって「生涯獲得賞金10億円くらい」を稼ぐようになれと激励したのである。
・ そして今日あるは「親の恩」であり「ご両親を大切にするよう」に言い、「お祝い金」を金一封渡したのである。そしてついでに何億か稼いだら「母校にいくらか寄付せよ」と言ったら「します」と言ってくれた。同席していた担当のI先生は「女に気をつけろ」と言っていた。大変良いことを言ってくれたと思う。
・ 今後激しい競艇の世界でどこまで彼が伸びるか分からないが私は思うのだ。「大学に行くだけが人生の選択ではない」。このような「厳しい訓練の1年を経験」したことはこれからの人生に必ず役に立つだろう。
・ 私はS君を応援することにした。1年後のデビュー戦は地元地域中心というからこの近辺では「住之江競艇」となる。デビュー戦はI先生と一緒に見に行き{S君一点買い}で勝負するから「裏切るなよ」といったら「笑って」いた。
・ 学校に勤務する者にとってこういう話を聞くのは「至福の時」である。希望する大学に合格した生徒の輝く顔と高校後希望するプロの職業で勝負するという気概と希望に燃える若者の顔を見ると、私もまた「もう一度45年前に若返りたい」と思うのである。「S君、頑張れ」。そしてこういう生徒に育ててくれた関連の「先生方に私は感謝」するのである。学校と言うのは素晴らしい。