2009年7月21日火曜日

7月21日(火)伊勢修養学舎







・ 予定より15分遅れで学校をバスは出発した。小雨混じりの中であった。「伊勢に7台」、2年生の2クラスの多聞尚学館行きに2台で合計大型バスが9台も正門前に並ぶとそれは「壮観」である。
・ 伊勢行きは浪速高校1年生第1班の269名である。付き添い教員は私を入れて20名である。今日から2泊3日の学舎が始まる。「56年も続いている本校最重要な学校行事」である。私も3回目となる。これが済まないと気が落ち着かないのである。
・ 伊勢神宮は親しんで「お伊勢さま」「大神宮様」「伊勢神宮」と呼ばれているが正しくはただ「神宮」というのが正式の称号である。校長室の「扁額」は神宮大宮司徳川宗武大宮司の書であるがそこにも確かに「神宮」としか書いていない。
・ 役職も「大宮司」とあるのは伊勢神宮だけ許されるもので普通は「宮司」である。神宮にはその他小宮司というのもあり、とにかく一般の神社とは完全に異なる職位である。言ってみれば伊勢神宮は全国の神社の頂点に立つ「別格」なのである。
・ バスは「西名阪」を走る。雨は徐々にきつくなって、私は明日朝の「」を心配した。五十鈴川の水量が多くなると危険だからその場合は翌々日となる。そのために二日間の禊としているのはその為である。
・ 伊勢に向かう街道はいくつもあり、それぞれが「伊勢街道」であるが奈良の宇陀を抜ける街道が「伊勢本街道」と言われている。今日の我々は「伊賀街道」と言われるもので伊賀を抜けて松阪そして「伊勢参宮街道」に入って「伊勢崇敬会」事務局のある「神宮会館」に向かった。到着したのは予定通り12時前である。
・ 生徒は持参の「お弁当」を会館内の講堂で取った後、13時10分同じバスに乗って「外宮」に向かう。正式に「手水舎」で口を漱ぐ。1学期に「神道科の授業」で教えているから「飲み込み」は早い。こういう「所作」を教えていることは彼らの「その後の人生」で必ず役に立つ。
・ 外宮、「豊受大神宮」正宮は第21代雄略天皇の時代にご鎮座されたというからこの地でもう1500年を過ぎている。「食べ物の神さま」であり、「産業の神さま」である。本校は「御垣内」という境内の中での参拝が特別に許されている。私と教職員代表、生徒代表だ。
・ その後は「猿田彦神社」に参る。この神社は「みちひらきの神様」として有名である。ご祭神は「猿田彦大神」をお祭りし、何と何と大神の子孫といわれる「宇治土公(うじとこ)家」が伊勢の神宮創建に尽力されてから今日まで神宮の奉護に当たってこられ当代の宮司は77代目と言われるから想像を絶する話だ。徳川でも15代で終わったのだから凄い話なのである。
・ 何か「神話の世界」が現実の世界とダブって感じるようになるから不思議だ。宮司は昨年もご高話を生徒にして頂いた。何時もご本殿お社の中に招き入れられ歓迎される。有り難いことである。
・ 「国の初めの導きの神さま」で、「聖地を開き護る神さま」であるが「建設の神さま」としても良く知られている。地鎮祭や棟上祭には猿田彦大神の「清めのお砂」や「清めの神塩」を以って清めることは大変良く知られている。
・ 雨はぱらぱらきたり止んだりであったが3時過ぎに神宮会館に戻り「開講式」となる。「神宮司庁」から参事が来てくれて生徒へ激励の言葉を頂いた。その後「校長講話」となる。時間は50分で「校長の授業」である。
・ レジュメを用意してしっかりと話をした。「今を生きる」として「時間というものの大切さ」を訴えたものだが生徒は真剣に聞いてくれた。その後生徒は制服から運動服に着替え、風呂に入ったりして夕食までの時間を自由時間として過ごす。
・ 夕食後はこれで終わりと言うわけにはいかない。19時40分から「男子は明日の禊の事前指導」があり、神宮から指導者が来て頂ける。又女子は「礼儀作法と着付けの指導」だ。指導に当たってくれるのは大阪府の女性神職のお方5人がこの間大阪から出張して指導にあたってくれている。