2010年6月2日水曜日

6月2日(水)開いた口が塞がらない











・ 私は「教員の生活レベル」のことを何時も考えている。生活とは即ち「お金のこと」である。幾ら口で「有難う、ご苦労様」と言っても、いわゆる「先立つもの」、即ち「収入、取り分、見返りの収入」がなければ意味は無いというのが「木村流の考え方」である。
・ 私は常に「世間一般の水準、他の私立高校、府立高校の教職員の給与水準」を見ながら「本校の水準調整」を考えている。私立高校は公立と違って「人事院の勧告」などが無いから、理事会即ち理事長の「大きな責任は本校で働く教職員の給与水準を全体を見ながら適切に保つ」ことである。
・ 自分で言うのもおかしいが「先見の明」があったということである。2年前に幾ばくかの「授業料」を上げさせてもらって、給与を上げたのではなくて「給与水準を下げさせて貰った」。
・ これが逆に給与を上げたのなら「大騒ぎ」になっていただろう。授業料を値上げして教職員の給料を上げるのかと。その後登場した橋下知事は突然「高校10%中学25%の助成金のカット」を行った。授業料値上げが効いたのである。これが無かったら大変なことになっていただろう。
・ そして今年の公立高校授業料無償化に連動した「私立高校助成金の拡大と無償化の推進」である。これは今後大きくカウンターパンチとしてボディに効いて来るはずだ。本校でも国の想定レベル10%や11%を「はるかに超える実質授業料無償化対象者がいる」ことが分かり、これは学校法人が「加給型の奨学金制度を担保することで成立」するものである。
・ 年次進行であるから来年再来年の「持ち出し金額」を想定すると「気が重くなる」が仕方がない。「公立も私立も同じ土俵で切磋琢磨すべき」という我々私立高校の監督官庁である大阪府のトップの意思がそうなのだから抵抗しても仕方が無いのである。
・ 現在の本校の経営目標は「耐震強度に不安のない新校舎を一日も早く建設」することである。未来永劫に亘る本校の礎を固めておかねば若い教職員は「安心してここでは働けない」のではないか。後数年で定年になる人間には関係ないと思うだろうが、それでは余りにも「身勝手」というものである。
・ 散々今まで長い間「甘い汁を吸って」、後のことは知らないというのは「とんでもない話」である。しかし国とても借金が800兆円もあって後世に「付けを残して平気な国」だから一介の私立高校が何を言うかと言われそうであるが、これだけは私は聞く耳は持たない。
・ 今進めている堺の「校外グランドも武道館も」、すべては「新校舎建設の種地確保」のためで趣味で作っているのではない。言いたいことはこれから学校は「金が必要」ということなのである。
・ そういう中でも私は冒頭書いたように「教職員の手取りの確保」に留意しているのである。「親心」である。例えばこれは今月の給与で支給するが「過去の残業手当の調整分を支給」することとした。
・ 本校は平成20年9月から勤務体系を改め「時間外手当」を支給しているが、監督官庁の「労働基準監督署」と協議の結果、「時間外手当の単価に住宅手当分を反映する」こととしたのである。
・ 人によって金額は異なるが大体1万円程度手取りが増えているはずである。これも「突っぱねる」理論武装はあったが私は頑張ってくれている「教職員のため」であると考え、労基署の指導に従うこととしたのである。
・ 又昨年度の「有休取得」に応じて取得日数が平均値に行かない教職員の有休を「買い取る」ことも2年前から始めた。これは大きな金額となる。最も大きい人で21万円となる教員がいる。この人は有休を全く取っていなく仕事ばかりの教員だ。
・ 次に17万円、14万円、13万円と続き最も少ない人で7339円という教員が要る。この人はほぼ平均取得ということである。これらは「7月賞与に合算支給」されるがちょっとした「ボーナス」だろう。
・ 法的には有休の買取は違法ではないが好ましいことではない。しかし私は考えたのである。一方では有休の20日を超えて取得している教員がいる中で休まず出勤してくれている教員に「有難うだけでは済まない」と感じたからである。
・ 又「多聞尚学館」で頑張ってくれた教員への手当ては月額の給与の中に合算支給しているが私は賞与月に「多聞指導特別理事長加算」を付けることも実施する。多い人で22000円程度あるから「お小遣い」程度にはなるだろう。
・ 以上のように「頑張った教員にはそれなりに具体的に配分をする」ということである。「21年度の人材育成評価結果の反映も7月賞与において調整」する。評価の高かった人は基準単価が上がっているからまだ1/2反映としても少しは賞与がアップしている筈である。
・ このように私は「メリハリ」をつけて教職員の処遇を考えている。ところがだ。このような私の思いに対して時々「信じられないような動き」を教員はする。その事件はつい最近起こったのである。

・ 「開いた口が塞がらない」とはこういうことである。もう「怒りを通り越して笑って」しまった。これも「教員のお金に対する性向の一部」である。とにかく教員は「考え方が甘い」。特に金銭に関してはそうである。「だらしない」と言った方が良いか。
・ 随分前のブログにも書いたがボーイスカウト大阪連盟の連盟長さんは大阪に拠点を置く有名な家電会社の社長会長を歴任し財界活動でも有名なお方であるが、このお方は今北摂の某私立学校の理事長をされている。
・ このお方がある会合で私に「ねー、木村さん、どうして学校の先生というのはどうしてお金にこんなに細かいのでしょうね?」と言われたことがある。大阪人でお金に細かいと言うには「執着、貪欲、我欲、」という意味に近い。要は基本的発想が「がめつい」のである。
・ この種の話しは「良く聞く話」で前の学校でも最初に感じたのはこのことだった。とにかくお金というものに対して一種独特のこだわりと言えば格好良いが、そうではなくて「欲が深」だけのことではないのか。
・ 「漢検受験日」をミスして生徒に受験させられず、生徒から集めた受験料がまったく無駄になって、再トライのためのお金75600円が手当てできない。これを学校法人が出して欲しいというのである。
・ 「顛末書」を格好良く書いてはいるがその「書き様が振るっている」。教員が書いた文章を「そのまま」書いてみると以下のようになる:
* 5月29日に受験した生徒の団体受験の控除が84210円ある。
* 事務所管理の漢字検定の備蓄費用を次回7月9日の受験料に充てて頂きたく存じます。
・ 「充てて頂きたく存じます」ですぞ。お願いしますではない。私は笑ってしまった。そして「あきれてしまった」のである。備蓄はしていない。これは教室使用料、電気代などの施設利用協力金であって「コスト」である。教員が犯したミスの補完金ではない。「ふざけるな」と。
・ かかる教員間の連絡ミスのために一々公金の入っている学校の金を回すわけには行かない。関係者が4人ないし5人いるのだから「関係者で弁償するのが筋」であると私は「即座に却下」したのである。あろうことか管理職が同行して来たのだ。「何をか況や」である。
・ 遂この前まで、どうみても「お金の亡者」みたいな人が居て、とにかく学校から「お金を取ろう、取ろう」というのが居て「閉口」したが今はもう居ないからこれで万全と思っていたら今回の事件である。
・ 勿論このような教員ばかりではない。「お金にきれいな先生」は多くいる。正直7万、8万のお金はどうにでもなる。しかし今回のケースで学校が「肩代わり」するわけにはいかない。問題は今回の教員も「教師としては平均以上の力を有している」にも関わらずだ。ここが残念でならない。
・ 2年前には学校費で購入した図書が「有りもの調査」をしたら「行方不明」になっていた。このときも私はその「書物代総計を英語科の教員で弁償」して貰ったことがある。社会では当たり前のことだろうが教員社会ではこのようなことがまま起きるのである。