2010年6月16日水曜日

6月16日(火)「V字回復」


・ 民主党の新内閣管直人総理の人気が凄いことになっている。これで民主党支持率は「V字回復」である。この言葉は最近の「流行り言葉となった感」がする。鳩山政権の末期の20%から60%超えだから3倍増のまさにV字だ。
・ しかし「浪速のV字回復」も我々の口からは言えないが、今年になって大変良く耳にする言葉である。確かに生徒数や会計業績はV字よりは急峻な「松の葉回復」をしている。塾の先生方やご関係の教育界に方々からよく言われるのである。
・ だから私は民主党のV字回復などの文言を耳にすると「複雑な気持ち」になるのである。浪速高校と民主党のV字回復は根本的に異なるもので、私や教職員の足を地に付けた「血の滲む努力」を認めて頂いた結果であるからだ。「政治の世界の人気投票」とは全然違うのである。

・ それにしてもあれほど低迷した鳩山内閣の次に登場した「内輪の政権交代」だけでこれほど支持率が変わってくるものか。ここが私には信じられないのである。何時か新聞の見出しにあった「日本の悲劇:大衆民主主義を撃て」というようなものがあったが私にはこの人の真意が大変良く分かる。
・ 「大衆ポピュリズムが日本の政治を駄目にした」とぼつぼつ「骨のある知識人」が声にし始めたことを私は評価している。これで安部、福田、麻生、鳩山と1年も持たない短寿命の総理が4人も連続した。
・ 米国のオバマ大統領は就任して1.5年だがこの間日本の総理は3人目だというから「日本の政治の異常さ」が際立っている。それにこの間のマスコミの報道関与の仕方も評価の対象にしてもよいのではないか。
・ 「大衆ポリュリズムとメディアの合体」が今日の政治状況を作り出したという意見は多い。まさに「映像という武器」を使って政治を劇場化した。「小泉劇場」以来、これは始まった。当然劇場化したら当然視聴率や観客動員数がターゲットになるのである。
・ 「政治ドラマが人気ドラマ」と化したのが今の日本の現状である。だから「V字回復」などが起こりうる。起こって当然なのである。「大衆ポピュリズム」とはそうしたものである。碌に政治の勉強もしたことにない人たちが映像に出て政治を一方的に語ったことが大衆の世論を作り上げていくのである。
・ ここには「企業業績のV字回復」とは同じV字回復でも全く中味の異なる本質的なものがある。政治のV字回復には「血のにじむ」「身を削る」「額に汗した」企業努力に迫るものが全くない。
・ この点が戦後60年の日本の政治と経済を推進してきた企業と根本的に異なる点である。「大衆迎合の政治責任」は極めて大きい。税収入以上の国債発行額という国の借金を増やして、遂にそれは800兆円にもなった。
・ 「中央集権的利益分配型の政治」を自民党政権は60年も続けた。そして「どうしようもない閉塞感」からようやく行き詰まりに気付いた「民衆」はようやく政権交代をさせたのである。私は「脳死状態」からの覚醒を期待したのである。
・ ところが国民からあれほどの「熱気」を貰って登場した民主党政権は「とどのつまりは自民党の上を行く「ばら撒き政治」を展開した。37兆円の税収に44兆円もの国債発行で帳尻をあわせ、「徹底的に無駄を省いて予算を捻出するという目論見」は無残にも出来なかったのである。
・ 「官僚の抵抗」にあって頓挫したのである。縦割り省庁の無駄を削り、「事業仕分け」を「劇場化」して演じたのは良いがたった6000億円程度しか出てこなかった。天下りには手がつけられず独立行政法人の廃止も「お茶を濁す程度」で終わった。
・ 国防予算以上の5兆円を超える「子ども手当て」を現金支給しようとし、高校の授業料無償化、高速道路の無償化、農家の個別所得保障等々「金は無いのに配りまくろう」としたのである。借金して金を作りそれをばら撒くという「似非徳政令」は単に子孫の世代に負担を押し付けただけである。
・ そして鳩山内閣は「ニッチもサッチ」も行かなくなって退陣した。しかし私は思うのである。これは歴史的必然性で「巧妙な天の思し召すところ」だと思うのである。実は鳩山、小沢政治なるものは「自民党的政治の最後の断末魔」であってこれで持って本当の意味で戦後政治は終わったのである。
・ 鳩山内閣は完全なる非自民政権に至る「一里塚」だったのだと考えるのである。自民党から民主党への「ワンクッション」あるいは「グラデーション」として鳩山小沢体制があったのだと考えられるのである。「移行期間」だったのである。
・ そして今回2世議員でもなくサラリーマン家庭に育ち、市井の市民から総理まで上り詰めた管内閣の出現によってようやく「自民党に変わる新しい政権が誕生した」のである。実は今回こそが本当の意味での政権交代であったのではないか。そうでも考えないとあのV字回復の人気沸騰の理屈が立てられないからである。
・ まず「神の声を聞く」ようにして管総理と新内閣のメンバーは最も自民党的政治「小沢的なるものの排除」に走った。来年度からの子ども手当ては無理かも知れないと言い、今衆院選を戦ったマニフェストの見直しに動いている。「ばら撒きにブレーキ」を掛けようとしているのである。
・ 漸く「消費税を含めた税議論」を政治日程に載せると総理、官房長官、財務大臣他が言い始めた。「成長戦略」の概念が全くなかったことに民主党は気が付いたのである。民主党の言う「政治主導」の失敗に懲りて管総理は「学校の成績だけが良かった大馬鹿な官僚」から「行政のプロたる官僚と共に」と大きく方針を転換した。私は総理のこの言葉を聴いて飛び上がって驚いた。その「変身振り」にである。
・ 沖縄普天間問題の失敗は「外務官僚のサボタージュ」であったという見方をする人は結構多い。「友愛」などと意味の無い空虚な言葉を乱発した総理と蒙昧無知な前平野官房長官、統一原理主義者的岡田外務大臣などだけでこの国を挙げた安全保障の問題が半年やそこらで解決するはずは無いのである。
・ 日米関係をぐらぐらさせ、日本の安全保障を揺るがせた一大事件であったが、全ての責任は鳩山総理以下の考えられないような「稚拙なアプローチ」、さも「不動産物件をあさる」ような対応がもたらした当然の結末だったのである。民主党のいう「未熟際まりない政治主導がすべての原因」である。
・ 私は今「官僚の高笑い」が聞こえるのである。遂に民主党政権は「官僚の軍門に下った」のである。消費税を含めた税議論は財務省を喜ばせ、辺野古沖に戻ったことで外務官僚は「ほっ」としているのである。
・ 民主党政権は「社会民主的政権」である。これだけは間違いない。幾分急進的な社民党の連立離脱を最も喜んでいるのは実は官僚集団であって、「民主党、組み易し」と思っているのは容易に想像できる。
・ 恐らく管政権には幾ばくかの成果をもたらすように仕組み、この国を自分たちの思いで「行政を進める」だろう。管内閣は成果を上げてひょっとしたら長期政権になる可能性を私は感じる。
・ しかしそのイメージは「徐々に社会民主的国家」に近づくような気がして成らない。総理のことば「最小不幸社会」などはその典型である。管総理は「北朝鮮拉致の実行犯辛光珠元死刑囚の釈放嘆願書に署名」した人である。
・ 平成12年の「国旗国歌法案」には反対票を投じた人である。「外国人への地方参政権付与に賛成」し、夫婦別姓制度には積極的である。市川房江さんに仕えてから今日まで「筋金入りの社会民主活動家」として「弁論さわやかにして野心を隠さず」に遂に政権を手にした。
・ 流れる血は「反権力反権威」であり、「シンパシーは社会主義的な色彩」が極めて強い。しかし「仕事が出来る」。又「四国88箇所お遍路の旅」に出るなどのパーフォーマンスも意識出来る人である。極めて「有為な人材」であることは間違いない。
・ 連合を支持団体とし「日教組と蜜月関係」を有するこの政権は限りなく社会民主的発想で「均等、公平論」を振りかざして「特徴あるものを特徴ないもの」にしようとするのではないか。
・ 特に私は「教育問題について次の手がどのようなものであるのか」大変に気にしているのである。「全国学力調査はすでに抽出方式に変更」させた。「教員免許更新制度も宙に浮いたまま」となっている。年収1500万円の家庭の子どもに子ども手当てや高校授業料無償化もすでに実施したのである。民主党の手でこの国は一体何処に向かうのであろうか。