2009年3月14日土曜日

3月14日(土)中学校卒業式

・ 今日は「浪速中学校卒業式」であった。35回目と成る。ただ「雨の卒業式」となった。冒頭私は王維の「謂城の朝雨」(元二の安西に使いするを送る)の「五言絶句」を吟じ「雨の卒業式も悪くない」と生徒たちに伝えたのである。これは大好きな漢詩で高校時代に覚えたものだ。「雨の日の別れに相応しい。」
・ 3月1日が高校の卒業式と時期をずらし今日まで2週間の時間差がある。人数が少ないから会場は新館のピロティ部分を仕切りして部屋を作るのだ。結構こじんまりとした良い会場になる。「手作りの卒業式」と言う感じだ。
・ ただ少し暗い。卒業式はこれで良いが照明を増やしたほうが良いと今日ふと思った。ここは中学校の入試説明会場にも使っているからだ。暗いと気持ちまで暗くなってくる。早急に照明を増やすことにしよう。
・ 卒業生は総勢で33名だ。「男子校として最後の学年」で浪速が最も辛い時に浪速中学に来て呉れた生徒だ。「私はこういうのに弱い」。だからこの学年には「特別に支援とエール」を贈ってきたが、十分なことをしてやれたか内心忸怩たるものもある。
・ それにしても大変仲の良い学年だった。男子校の最後と言うことで「団結力」もあった。喧嘩やいじめなどもまったくなかった。気持ちの良い生徒ばかりで校長の「私とも大変仲が良かった」のである。
・ 初めて修学旅行に付き添った私は今でもあの「大雨の屋久島」のことを覚えている。私にとっても「良い想い出」だ。卒業生代表の答辞でも屋久島のことが語られ、「今でもあの時の校長先生の“撤退”と言う声が忘れられない」と言ってくれた。あれから「団結心が一層強まった」とも述べていた。私には何よりの答辞の言葉だった。少し涙が滲んだ。
・ 私は新しい浪速中学校を今構築しており、その幾ばくかをこの男子校最後の学年に伝えたいと考え、多くの新しいことを中学校で始めた。この子どもたちに「時代の変わり目を共にすごした」と言う思いを持たせてやりたかったからだ。
・ 勉強だけでは想い出とならない。「行事」だ。共に33名がまとまって行動した学校行事こそ中学校には重要であると私は確信している。この学年が在学中になんとか「運動会」をと思ってこれも実施した。そして最後の行事がこの前の「金剛山登山」でしあった。
・ 卒業式で謳う校歌は急遽昨日私が指示して旧制浪速中学校以来の「浪速健男児の歌」を付け加えた。「男子の心意気」を彼らは声高らかに歌ってくれた。これが公式な男子中学校の校歌を歌う最後の機会になろう。「感慨一入」のものがある。そして、「新しい校歌」の2曲で「時代の潮目を」を感じた筈だ。
・ 式辞に私は尊敬する「司馬遼太郎先生」の言葉「21世紀に生きる君たちへ」を贈った。大阪の生んだ歴史家であり、小説家の司馬先生が「21世紀に生きる君たちへ」という本の中で言っておられる言葉を紹介したのだ。その一部から:
  “自分には厳しく相手には優しくという自己を確立しなければならない。
   21世紀においては特にそのことが重要である。自己中心に落ち入ってはならない。人間は助け合って生きているのである。自然物としての人間は決して孤立して生きられるようにはつくられていない。このため「助け合う」ということが人間にとって大きな「道徳」になっている。「他人の痛みを感じる」ことと言ってもよい。「やさしさ」と言っても良い。これらは「訓練」で身に付くものだとも言われている。そして同時に人間は「頼もしさ」ということも必要だと先生は言われている。「頼もしい人格」を持たねばならない。男女とも頼もしくない人間には魅力を感じないのである。「頼もしい君たちになってほしい」と司馬先生は、21世紀に生きる君たちへ言葉を残されているのです。“
・ そしてまとめの言葉として私は万感の思いをこめて語り掛けたのである。“君たちは「浪速中学校で3年間学んだ生徒たちである」「大切な、大切な将来の日本、大阪を背負う生徒たちである。」体を鍛えてしっかりと勉強して素晴らしい高校生活を送ってください。そして「頼もしい君たち」に育って欲しいと思います。他の高校へ進学する生徒もそこで頑張って浪速中学を卒業した誇りを忘れず頑張ってください。もう一度、高校生活は「自己責任」ということと、「自分を鍛える」ということが大切なことです。鍛えるとは「自己に厳しく他人に優しく、そして頼もしくなる」ことです。学校の「授業を大切」にしながら多くの友達と触れ合い、立派な人間になるための基礎基本を学習することが高校生活の目的であり同時にそこに喜びがありますと私はまとめたのである。
 
・ 式の後保護者から「記念品の贈呈、謝辞、そして花束の贈呈」が私と担任にあり私が謝辞を述べたがプログラム外で担任のN先生に私はマイクを渡した。突然のことで先生は感極まって涙を流されたがお人柄の滲み出た素晴らしいご挨拶であった。
・ 最後在校生からコーラスで「旅立ちの詩」という歌が歌われ卒業生は拍手を背に会場を後にして最後のホームルーム教室に向かった。式が終わって会場を出てもまだ雨は降り続いており、まさに「浪速の朝雨」だった。
・ 高校卒業式と同じく終了後の11時30分過ぎに中学3年生の学年団が「職員室に集合」し私から慰労の言葉を述べ担任のN先生からご挨拶があった。彼の言葉で結果的に「中高一貫課程の失敗」と言う言葉があった。辛かったと思うが大変良くやってくれたと私は評価したい。
・ 本校はこの後カフェテラスに移動して「茶話会」と言うのがあり、伝統行事である。卒業生、保護者、教員がリラックスしてサンドイッチなどつまみながら最後の懇談だ。何時もは校長は出ないのだが副校長の求めに応じて特別に顔だけ出した。
・ 私は急いで好きな「美空ひばり」が歌う「島崎藤村の惜別の歌」をCDに焼いて持って行った。何も言わず心をこめてここでも又歌を唄ったのである。ところが生徒の一人が前に躍り出て私の横で「踊り出した」のである。それが又面白いのだ。会場は「大歓声に包まれ、大いに盛り上がった」。
・ このようにして男子校最後の浪速中学校35回目の卒業式は無事に、そして中身の濃い素晴らしい卒業式となった。帰りにはなんと「陽が照り始め、生徒たちの行く末の晴れやかさを暗示」しているような明るさになった。私は満足して気分良く自宅に戻ったのである。

2009年3月13日金曜日

3月13日(金)多聞秒読み

・ 過日、久しぶりに「改装中の多聞尚学館を視察」した。この日は大阪府神社庁で「例祭」があったので直会の昼食もそこそこにしてとんぼ返りで学校に戻り、事務長補佐の運転する学校の車で現地に向かう。19年度にPTA教育後援会から寄贈頂いたホンダオデッセイが役に立つこと。フル回転だ。
・ この日は別働隊の大物教諭3名が食事の「お惣菜」の手配で具体的な打ち合せに河内長野市に向かっている。行く途中電話が入り「お弁当屋さんで試食」したらしいが「大変美味しく」「ボリュームも満点」と報告してきた。「値段も相当安くしてくれる」そうだ。
・ 何と「ご飯も現地でサービスで炊いても良いですよ」と言ってくれているというから「それなら現地を一度見てもらったら」というと途中から引き返して話に行ったみたいだった。そのようにして頂けたら有難い。シルバーさんに頼まなくとも良い。
・ 多聞の現地は改造工事の真っ最中で今日は「浴場が設置される日」であった。実はお風呂を大変気にしていたのだが「杞憂」に終わった。プレハブのお風呂というからどんなものだろうと不安もあったがこれなら十分使える。立派なものだった。
・ 工事現場や山の中などプレハブの風呂は今や当たり前みたいでマンションや自宅の風呂などをイメージしていたらとんでもないことになる。シャワーも十分の数が付いており、高校生には申し分ないと私は感じた。
・ 大体学習合宿であり、温泉やリゾート地に行くわけではない。これで十分だ。特に女性用のお風呂は素晴らしい設定で、あれなら喜ばれるだろう。ただ天窓など全ての窓にスクリーンを張って覗かれないように追加工事を指示した。
・ 男性用は庭の一隅に設定されておりそこまで歩いていかねばならないので「通り道に屋根」をつけて雨を防ぐこととした。男はこれで良い。後は湯量が十分かどうかだ。これは事前に教諭が宿泊チェックしてくれる。
・ 「心配は夜の寒さ」だが若い高校生で3段ベッド、ベッドにはマットを敷きその上に敷き布団と毛布、かけ布団の3枚セットだがこれでいけるだろう。事前にストーブで部屋を温めておけば良い。これも2人の先生がお試し宿泊をしてくれる。
・ 教室は明るくて適当な広さである。今回は個人机と長テーブル方式の組み合わせとしている。大ホールというか「大教室」も作ったから、ここで120名がゆったり出来、多目的に使用可能だ。これの改造は3部屋分の壁を壊して作ったものだ。
・ 別個に「赤じゅうたん敷きの部屋」を作り、そこではベッドで寝れない子、一人学習など多目的に使用可能でこれが三つもあるから生徒は喜ぶだろう。そして家庭科の調理実習の部屋が格好の調理場となる。ここでご飯を炊くのだ。プロパンガスも来ている。
・ 視察をしていたら先ほどのお弁当屋さんの責任者がお2人到着した。妙齢なご夫人でこの近くの人とか、この辺の地理もよく知っておられ、良いお人に巡りあったものだ。「色々見て」頂いた。「アッ、寸胴鍋もあるわ」「これで味噌汁など・・」と元気でパワーに溢れている。40台と50代前半?どうしてこのように河内の女性はお元気なのだろうか。
・ 副校長に言わせれば「これで年収が数百万円になりますからね」と言っていたが、有朝昼晩と3食分食べ盛りの高校生にスタミナ食を作って持参し、食器を持ち帰り、又作って多聞へ車を飛ばすと言うことが4日間続くのだ。これは「大変だ」と私は思う。加えてお米を洗ってお茶碗も洗ってくれるというから悪い話ではない。私はすぐ「採用を決めた」のである。
・ さて「4月12日(日)に多聞尚学館開館記念式典と祝宴」を開くことを決めて今その準備中だ。センターは3学年主任と事務長補佐。村長、村議会議員、地元住民、お世話様になったお方、PTA代表、勿論教職員で盛大に記念式典をするのだ。
・ ご案内状は「結婚式」みたいな立派な招待状を送り、格好だけでもつけたいと思っている。今リストを作成中である。勿論お世話になっている「塾の先生」がたにもご案内を差し上げて「浪速の心意気」を見て頂きたいと思っている。
・ 保護者のお方には勿論全員は無理なので大口寄付者に限ってご案内しようかという話が出ているがもう少し考えることとした。今回一口1万円のご寄付をお願いしているが中には5万円、10万円の寄付者がバンバンいらっしゃるのだ。
・ 財布のことも考えたが「浪速100年の体系」のためだ。やる時はやろうと決めた。「使う時は使う」これが木村流だ。料理は「堺ロイヤルホテルの出張でビュッフェスタイル」とし、完成された「館内の参観」も兼ねている。この日は丁度生徒が2クラスが合宿中で良い場面を見て頂けるだろう。
・ 「引き出物のお祝い」は「多聞尚学館を彩った高級タオル」をすでに作成している。後メインの品物は何が喜ばれるのだろうか。対象は地元住民で大体お年寄りであるから品物の選択に困る。まだ決まっていない。
・ 当日は「雅楽の演奏」と「高校生による空手と剣道の演舞」を見て頂く予定だ。汗臭いよれよれの稽古着ではいけない。新しい物を身につけるように顧問の先生に言わねばならない。
・ 当日の神事は理事長職務代理から近くの由緒ある「水分神社」の宮司にお願いしている。またその内に学院神社のご神霊を分霊した「神棚を設置」することになろう。こういう仕事は楽しい。併願戻りがどうだとかこうだとか関係なーい。「楽しくてしょうがない」。
・ 昨日から学校の倉庫に眠っていた応接セットとかが多聞に運び込まれている。又木製3段ベッドが九州から到着して多聞に入れられている。待望の組み立てに入った。
・ すでに「校章」は完成し正面入口の上の壁に飾られている。正門の銅版には私が書いた「多聞尚学館の表札」がつけられている。そして今、泉州の書道家に依頼して「楠木正成公」を謳う「青葉茂れる」の書を額装にしている。これは2メートルもある巨大な扁額になる。多聞尚学館のテーマ曲は「青葉茂れる」だ。
・ 「多聞の開館は秒読み段階」に入った。昨年の10月12日に初めて目にして「ほれ込んでから」今日で5ヶ月になる。新年度に間に合った。これを戦力にして浪速のポジションを高めていかねばならない。ところでお金はまだ支払っていない。千早赤阪村からまだ請求書が来ていないからだ。
・ ところが地元の千早地区からはテレビ共同アンテナ新規加入料で2万円、月額600円、NHK受信料(村民扱いとしてくれるそうだ)2ヶ月で3800円、それに自治会費1ヶ月5000円と来た。村民は1000円でその他企業は15000円から20000円であるが特別サービスで5000円にしてくれると言われている。

2009年3月12日木曜日

3月12日(木)公立志願状況最終集計

・ 朝から「幾分憂鬱」である。遂に平成21年度大阪府公立高校「後期入試志願状況」が発表された。昨日の16時に出願が締め切られて「最終集計」として今朝の各紙が大きく記事にしている。
・ 1昨日が中間集計であったが、我々の「想像を超える事態」が起きている。これは「一大事」と言っても良いかもしれない。「従来の志願状況を塗り変える変動」と言っても良いかもしれない。それくらい今年の志願状況は例年と「様相が異なる」のだ。
・ 私は「時代の潮目」と管理職朝会で表現した。即ち長い間続いてきた大阪府の公立学校、私立学校の言ってみれば「志願秩序」が大きく変わって来ている。「その背景は一体なんだ?」と今朝も時間を取って議論したのだが、確信をもって読めない。
・ 大阪府民の経済状態の悪化、橋下改革による私学助成金の削減による私学授業料の値上げ影響、基本的学力低レベル層の増大、就学意欲の低下層の増大など「様々な要因が輻輳」しているのだろう。
・ 何処の私学もそうであろうと思うが我々は今朝の発表記事を見て「併願戻りを想定」する。それは今までの入学実績を知っているからだ。即ち「どの公立高校からの併願戻りか?」ということだ。「偏差値レベル」による中学校サイドの「輪切りによる進路指導」が徹底されているから大体想像できるのだ。
・ 過去のデータを参考に今年の各公立高校の「定員と志願者の数の差」を見ながら読み解けば大体併願戻りの数は読める。だから本校に従来から来ている公立高校の志願者数を私は目を皿のようにして見つめるのだ。
・ 本校の場合、公立の学区は「新4区が主体」で少し3区にもある。市内南部の学校だから北摂の方は余り関係ない。従って特に4区が重点である。今年の受験者数は2500名を数え、「多くの合格者数」を出したが、それらの生徒が「最終的にどこの公立高校を受験するか」はまだ我々には全く分からない。即ち直前まで流動的な部分があるからだ。
・ 我々の分析結果はここには書けないが「厳しい数値」が突きつけられた。特に4区の有力なI高校が今年から定員を320名から360名と1クラス分増やしているのも大きい。従来であればここからかなりの戻りがあったのだがそれは今年激減した。
・ 昨年この高校は「志願倍率」が1.44倍であったが今年はなんと1.14倍と低下している。即ち「併願戻りの対象となる不合格者の予想値」が少ないからだ。「母集団が減少」しているのである。
・ 3区と4区で本校が読む学校を10校とすると予想不合格者数の合計はなんと大きく減である。「何処に消えたのか?」。それが問題である。そこを我々は探り続けているのだが、どうも良く分からない。もう十数年この仕事をやっている教頭も初めただという。
・ 今年の大きな特徴はいわゆる「教育課題校に志願者が集中」している。正確に言えば学区で少し違うが従来定員割れなどする厳しい公立高校が多くの志願者を集めている。4区で言えば2校の課題校の定員との差異はほぼ300名である。
・ 言い換えれば300名の中学生はこの二つの公立高校を不合格となったら一体全体どうするのかと考えてしまうのだ。勿論2次募集とかあるにしてもこの2校を落ちたら上のレベルの学校に行ける可能性はほとんどないと考えられるからだ。
・ 「15の春を泣かすな」と公立中学校、公立高校、私立高校が今までタイアップしてきたが「どうもおかしい」。今年まことしやかに囁かれていたのは「公立2ランクダウン」という言葉である。即ち家庭の経済問題から「公立志向」は大きく、確実に合格するために「偏差値のレベルを2ランク落とした公立受験」で「がっちり固めよう」と言う意識が働いているのではないかということだ。
・ 分かり易く表現すれば「チューブに水を入れて垂直に持つ」と下の方が膨れて長いなすびみたいな現象である。こうなると特に本校のように上位にある学校は影響度合いが大きい。
・ ところが学区のトップ校は志願者を増やしている。これは別の現象で「上位私学ですべり止め合格を得た受験生」が思い切って「公立トップ校にチャレンジ」した結果ではないか。背景は生徒減少を危惧した有名私立が従来からの「ボーダーラインを落として生徒確保」に走ったということである。
・ 従って今年の特徴は一部の公立進学校が少し志願者を増やし、中間部は減り、ボトムは丸々膨れ上がった、実に奇妙な形状の志願者構成となっている。更に極端に言えば公立を落ちたら高校進学など「もうどうでもええわ」という層が出始めていると考えられないか。
・ 「高校に行け、行け」というから「行ける高校の受験」はするが、そこを落ちたら「何処にも行かない」と言う層の出現である。若しそうだとしたら彼らは当然しっかりとした就職などないからフリーター予備軍となる可能性がないとも限らない。「 中学校の進路指導に変化」が出てきたのか?
・ これは「恐るべき事態」で社会問題化する可能性があるとまで事務長と入試担当教頭は言う。昔はやった「公立単願」というわけだ。彼らは併願私学などは受験していないから公立が駄目だったら行く学校がないのである。
・ 全く「想像を超える出願状況」で私の戦略も「一部修正」となるかも知れない。今「生徒数減」に対応して来年度以降の「教室数の手配や教員配置」などに修正が出てくることを覚悟しておかねばならない。
・ 冒頭書いたように「時代の潮目」を感じる。少子化、100年に一度と言う経済危機、橋下知事誕生による公立学校の改革と公立回帰、私学助成の削減による授業料値上げによる私学離れ、全体的な学力低下層、就学意欲の低下層の増大などが「一挙に押し寄せてきた感じ」がする。
・ 私はつくづくと思う。大阪天満宮や道明寺天満宮の宮司が私を招聘して2年でここまで体力を回復していたからこそ、「冷静に事態を観察」できるが、後1年遅れていたら「やばかった」と思う。我々は既に厳しい事態に備えている。 どうも併願戻り「率」は「低下することを覚悟」しなければならないかもしれない。
・ 「運命の3月24日」はあと10日間ほどだ。やるだけやったから結果はどうあろうとも「浪速はびくともせず」、やるべきことをしっかりとやっていく。「9日、10日、11日と3夜連続してブログ」にアップしたことを徹底していけば十分持ちこたえられる。
・ ますます「浪速中学校が重要」になってきた。関西大学との特別連携で浪速中学校のステータスを上げて「浪速高校の専願者」を増やすことに尽きる。「関大と多聞尚学館」、本校に入学してくれた生徒を徹底的に鍛えて「生徒保護者の信頼」を勝ち取ることが「激しい競争に打ち勝つ秘訣」である。「教職員の奮励努力を期待」したい。

2009年3月11日水曜日

3月11日(水)OJTと職場風土

・ 今、東京のある「教育研修所から論文寄稿を依頼」されているのだが、そのタイトルは「私立学校におけるOJT」である。OJTとは「オンザ・ジョブ・トレーニング」の略称であるが、実はこれが学校社会では難しいのである。
・ 「人材の教育訓練」は「OFF-JT」だけでは限界がある。「研修会」などに出てもそれは「他人の成功話を聞くだけ」で自分のことではないからだ。「気付かせ」でしかないのだ。気付いても「よう、やっとるなー!」で終わってしまえば「それで終わり」で組織には何も残らない。
・ 人間は「知らないことを知ったことで幸せな気分」になるが組織にとってはそんなことだけでは何も意味はない。「知って行動して成果を残して」、初めて研修会参加の効果が出てくる。大体普通の人間は知っただけで具体的には行動に結び付けようとしない。それはそこからが「しんどい仕事」だからだ。
・ 「組織貢献」に繋がることで自分の「自己実現」はなされる。従ってあくまで自職場での実際的業務を通じて人間の育成は為される。これがOJTである。トレーニングと言ってもプロの仕事は毎日が真剣勝負だから、OJTが「模擬試験」であってはならない。
・ 企業社会は「階層社会」だから平社員の上の係長が部下に何も指導などしなくとも更に上級の課長が「何だ、あれは!」と直ぐなるし、ついでに課長は係長に「あいつ何とかしろ、教えてんのか!」とすぐ出てくる。 また「たとえ1年先輩でも神様」みたいだから絶対服従とは言わないが先輩を頼りにし先輩も後輩を可愛がるものだ。
・ 部下に関して上司から何か言われでもしようものなら大変だから係長は目を凝らして新入社員を見ている。課長から「係長は部下をよく育てていない」は出世の致命傷になるからだ。同じようなことは部長から課長への指導にもある。非常に上手い階層なのである。
・ そしてそれが自然と「職場風土」となっていくのだ。この職場風土というのが極めて大切である。しっかりとした会社は「誰が教えなくとも」自然に、言ってみれば「職場の空気」や「周辺から学んでいく」ように完成されている。
・ ところがこの辺が「だらしない職場」であれば「先輩のやる言動」を見ていて、若い人が「あれで良いんだ」と思い込んだら、一貫の終わりで、逆スパイラル現象で職場はドンドン悪くなっていく。昔、公立学校時代にある府教委の幹部が言っていたことを今でも私は忘れない。
・ 今、府教委は教員の新規採用に躍起であるが、勢力を注いで採用した新人が職場配属して半年も経ってみると「もう半年前の姿は何処にもない教員がいる」というのだ。面接などでは素晴らしかった新採の教員が「配属先の風土に染まって」しまい、たった半年でいかにもだらしなくなっているのに「愕然」としたというのだ。それくらい職場風土は急性で罹患する。そしてそれが慢性病となり、じわじわ「学校を壊していく」のである。
・ 本校でも私の耳に良く入ってくる。「ベテランの先生は直ぐ帰宅する。」残っているのは若い先生ばかりで、信じられない話だがベテランが若い先生に「早く帰ろうよ」と自分の帰りが早いことへの正当化作業として進めるような教員がいるという。帰ってよいから「黙って帰れ」と言いたい。
・ 良い風土が出来ていないならそれは「作り、醸成」していかねばならない。しかし口ほど易しいものではない。基本的に部屋に閉じこもり、接触の機会の少ない校長では限界がある。
・ 最も有効な手立ては何時も側にいる「ベテランの教師が若い教師を指導する」ことであるが、学校というのは企業や行政の公務員と違ってベテランになればなるほど「素晴らしいものとだらしないもの」に分かれる比率は高いと私は観ている。
・ 加えて学校は「鍋蓋社会」と言われて教員間には差がなく、校長もフラットな「鍋の蓋のつまみ」と称されているくらいだから推して知るべしである。「同僚が同僚を指導するなど基本的には有り得ない世界」と思った方が良い。
・ それでも昔は「カリスマ教師」とか「卓越した教科指導の先生」とか「人格者先生」とか色々居たのだが、それも随分少なくなってきている。「校内試験問題」など若い先生などは簡単に作らせてもらえなかったらしい。それくらい「権威」があったのである。
・ 教員というのは「資格職業」で国家が認定した資格を有し、英語、数学、国語など教科単位で「専門性」がまったく異なる。「専門店の社長の集まり」と考えた方が良いから、教員の集まりは「組織体」というより「連合会」「協賛会」「互助会」的で社長・校長を頂点にする「ピラミッド構造」ではないのである。
・ その文化が「学校改革を妨げた」との反省から国や地方行政団体は校長と教頭以外に主幹、首席、主席、指導教諭とかの「中間管理職位」を設けて教員の「管理強化」を図ったのである。即ち「上司」を作ったのである。「同僚から言われたら腹が立つが、上司なら仕方がない」と言ったところだろう。
・ 教師は自分の専門については良くやるし、勿論例外はあるがさすがプロらしい先生は多い。ところがだ。こと社会的な常識となると欠落している人が多いのも特徴である。「学校の常識は社会の非常識、社会の常識は学校の非常識」と教育の本には必ず書かれている。
・ 世に先生といわれる「学校の先生、病院の先生、議員の先生」などはやはり一般人と少し違うという人は多い。最もこれらは全ての人ではなくてあくまで「比率の問題」だろう。先生と言うお方はやはり立派な人間が多い。
・ 本当は「副校長とか教頭が部下指導」をしなければならないが、彼らとて教員一筋だから「社会の常識」を言ってもせんないところはある。だから「校長のリーダーシップ論」を幾ら言っても「教師出身校長であれば限界はある」と考えた方が良い。
・ 本校でも事務室勤務の職員などは教員とは少し違う。それは常に外部との接触があるからだ。公立学校でも事務室は行政側から来ており完全な「上下社会」である。教師の中では体育科の先生が「常識をわきまえている割合が多い」とこの前、何かのブログに書いた。問題は「ガチガチの教科専門の教師と変にサボりに狎れた輩」である。
・ 私は教科指導に関しては指導できない。資格もないし専門性がないからだ。しかし現状を分析し将来像を明らかにして学校の進むべき道を指し示すことが仕事である。進学実績、試験の結果の分析、生徒のアンケートや保護者のクレームを伝えたりは出来る。問題は教員の「ビヘイビア」である。「身のこなし方」「立ち振る舞い」「言動」と言った方が分かりやすいか。
・ 3月9日、10日と続けてブログに「見事に切れる」「切れた事例」を詳述した。これらも部下指導の一貫である。職場風土は長い年月で作られてきており、一朝一夕で変わるものではないが誰かが言わねば何もエンジンはかからないのだ。「誰が警鐘を鳴らしてくれるというのか」。外部の人間は何も言ってはくれない。
・ 私はその「蘇生させる役目を果たしている」。しかし元来は先輩教員が後輩教員、新しい教員を「仕事を通じて指導」していくことが最も素晴らしい姿である。ところが肝心の先輩やベテランが「その気などなくて逆にマイナスに作用」していたら、それはとんでもない話で接触の機会が多いだけに一挙にその組織は腐敗していく。
・ 特に「校内試験問題の作成」と「服務規律」に極端に表れる。この二つを見れば立派な教師かどうかが分かると思っている。見事な実績を誇る教師は人間的にも「人から尊敬」されており、生徒や保護者も一目も二目もおかれる存在だ。私は「そういう教師を一人でも二人でも育てていきたい」。
・ だから若い先生方が「どのような教員と付き合っているのか」一大関心事である。つまらない教員と接して「悪い感化」でも受けたら申し訳ないとじっと見詰めているのだ。専任教諭に採用したら1年間はベテランの指導教官をつけることにしている。
・ 私は長い企業経験、公立学校の校長4年間、私立学校校長2年間の普通は誰も出来ない経験を有している。日本全国私のような人間は多くはいない。それだけに「一つの新しい学校を作る」という気持ちでやっている。
・ この目的は言い換えれば「新しい学校文化学校風土の創造と醸成」である。それが私の仕事だろうと思うのである。私が教壇に立って英語や数学を教えるわけではない。私には出来ないだけに私が出来るところでこの学校に貢献していくのだ。ターゲットは素晴らしい職場風土である。校長は数年で変わっていく。「職場が人材を育てる」というような浪速にしていきたいと強く思うのである。

2009年3月10日火曜日

3月10日(火)教職員への指導事例

・ 昨日のブログに続いて、直近数ヶ月で私が「切れた、怒った、きつく指導した事例」を掲げてみよう。どのような現象に私が指導エンジンのスイッチを入れたのかを良く見ることでこの「私が何を問題とし、教職員に何を求めているか分かる」と思うのだ。
・ 内容は既に昔のこと、私にとって昨日のことも時に昔になるのであるが、既に過ぎ去ったことだ。何のわだかまりもない。又指導したことについて反省することも無い。「信念に基づいて、組織管理者として指導」したことである。
・ 切れ度数  3段階 A:まあ厳しい、B:まあまあ、C:柔らかい
・ 基本的ミヘイビアの部分で:
* 今年採用した、ある常勤講師の先生が駅のプラットホームで偶然後から来た私を見つけて、椅子に据わったまま,首をちょこんと下げて挨拶らしきものをした時だ。(それは雇用者に「失礼」だろう、社会人が外で社長に会ってちょこんと挨拶するか!一応椅子から立ったら。それが常識だよと指導した。)切れ度数C
* 私は極めて「タイミングを重要視」する。ある教諭に至急やるように指示した仕事があったにも関わらず、帰宅してしまい結果の報告もない。(自宅に電話して事情を確かめると、他に仕事があったので出来なかったというから指導した。組織人として失格である。出来なかったと「報告」すれば済む話である。切れ度数B
* あるベテラン教諭が秋になってもネクタイをせず工事現場の職人さんみたいな服装なので学校ルールにのっとってちゃんとするように指導した。
(これは簡単な話で“ハイ”で済んだ。)切れ度数C以下
* ある教諭が特別の分掌テーマで特命事項の業務を与えても、あれこれ言って「仕事から逃げよう逃げよう」とするので指導した。(結果的には3ヶ月遅れた。しかし基本的に能力や経験の問題もあり、厳しい指導とはせずにガイダンスに力を入れた。結果的には良い仕事をしてくれた)切れ度数C
* ある重要な式典で司会の常勤講師が無茶苦茶のしくじりをしてもその科の主任教諭は「他人事」みたいに発言し全く「責任を感じていない」ように見えたから指導した。やる前からこうなることを私は想定して警鐘を発していたにも関わらずだ。(完全に私のいうことを理解した。)切れ度数B
* ある教諭が腰が痛いので整骨院に行くからと言って、長い間、朝の時間休を取って10時頃の出勤をするから、これも非常勤講師になって時間的ゆとりを持ってまず体を直すように「アドバイス」した。(病院に行くのを午後か夕方に変更しますと言ってきた。)切れ度数C
* 二人の担当教諭が卒業アルバムに載せる写真のチェックを怠り、二人の先生の写真がないなど本校では前代未聞の大きなミスを起こし、生徒への配布遅れと新たなコスト負担を発生させたことで指導(仕事のチェックの厳しさを指導した。)切れ度数C
* ある若い教諭がメールをコピーとして私に送信してきた。よく頑張っていたので言葉を尽くして「評価し激励」したのだが、何も返信などない。廊下で会っても何も言わない。(上司から何らかの言葉があれば返信して完結するのが常識だろうと指導した。最初キョトンとしていた。その後分かったみたいだった。)切れ度数C
* あるベテランの教諭が理事長・校長を一般教員と同列にしてメールを送ってきて私が企画し主催し実行した行事にも関わらず私はその先生から「慰労され感謝された。」(それはおかしんじゃないのと言った。貴方から慰労され評価されるいわれはないと言った。今までこのことは何回も言って来たことだった。すぐ判ったみたいだった。)切れ度数B
*  ある教諭が異常と思えるくらい、放課後の時間休を取るので理由を尋ねると奥さんが運転できないのでスーパーへの買い物に付き合わないといけないからと言った。(私は家庭は大事だから、専任教諭を辞めて非常勤講師になれば授業が終わればすぐ帰れるので、そうすればスーパーの買い物の付き合いも出来るからそうしたらどうかとアドバイスした。)切れ度数B
・ 「逆鱗に触れる」というか「地雷を踏む」というか:
* 「保護者からのお中元、お歳暮の類は絶対に受け取ってはならない」と2年間言い続けて来たにも関わらず、偶然ある出来事で6名の教諭が昨年末のお歳暮を保護者から受け取っていたことが判明した。一人が高校教諭で他はすべて中学校の教諭であった。「私は愕然」とし「本校教員の意識の古色蒼然さと民度の低さ」に驚いたのである。切れ度数A
* これはつい最近のことであるがあるグループ19名を慰労目的で会食を設定した時の事である。教員の生態の根本的な部分が含まれており、私の忌み嫌う現象が入っているので少し詳しく書いておこう。
“年度末になり、大きな実績を残してくれた二つのグループの責任者とそれらを統括する管理職を含め19名の教員を「難波に招待」した。ところが私の席などは空いた席でその隣は若い常勤講師であった。このグループの責任者二人と管理職の3人は固まって集まり、隅の方に据わっている。私が到着したにもかかわらず据わったままで立って迎えようともしない。60才前のもう分別のあるだろう「いい加減ええおっさん教諭」にも関わらずだ。又顧問で来て頂いている元公立中学校の2名の元校長先生などは入口近くの女性常勤講師や嘱託教諭の側に据わっておられる。大変失礼な席の配置である。そのうちの一人は今年来て頂いた新しい校長先生だ。1年経ってこの先生への遇する形もあろうものを責任者はこのような考えはないらしい。二人の校長経験者は少なくとも教職一筋38年、最後は公立中学の校長先生までやられた先生方だ。ご定年に成られて本校に来て頂いているがそれは私がお願いして来て頂いている先生方である。君らとはキャリアが違うと私は言いたいのだ。別格なのだと言うことが分かっていない。仕方なく私が席を渡り歩いてそれらの先生のお側に行ってご挨拶した。そしたらそのことさえも冷やかされたのである。又本年度でこのグループから去る先生も一人居られるにも関わらず席の配慮などもない。至ってこの3人は平気なのだ。又私が到着しても司会というか幹事は何も言わないので仕方なく一人で立って今年の総括と来年度の方針をした。そして懇談の座を盛り上げようとする私の気持ちも分からず、「今日は盛り上がっていますね」とかとにかく責任者の一人は無礼千万な事を私に連発し、終いには明日の朝はお礼に伺わなければいけませんかと発言した。大体この会はこの人間のために実施した会だ。昇進させ、部下を多くつけ、そのキックオフと思って設定した会食だ。何を考えているのかさっぱりであった。狎れているのか、なめているか、そういう感覚がないのだ。翌朝この二人を部屋に呼んで厳しく指導した。同席していた管理職にはもう何も言わなかった。この人には言っても無駄だからである。切れ度数A
(この二人は指導を受けて初めて気付いたみたいであった。意識がまったくなかったということであった。)
* 朝読書持ち時間減要求事件については「切れるを通り越したレベル」にある。郵政民営化見直し問題で変な発言をした麻生総理に対して小泉元総理が「怒るというより笑っちゃう」と言った感じに近い。従ってあえてもう書かない。切れ度数判定不能

2009年3月9日月曜日

3月9日(月)見事に切れる

・ 「教員への言動指導」は難しい。しかし私は「言わねばならないときは言う」ことにしている。この学校の経営者として又校務運営の責任者として「言うことが私の責任」とも考えているからだ。断っておくが基本的に「がみがみ言う」のは好きではない。
・ とにかく「指導する」ということは結構「エネルギーを消耗」するものである。あまり言っても「一々、箸の上げ下ろし」と取られてはこちらも面白くないし、言わなければ教職員は「それで良いのだ」と勘違いしてしまう。
・ 特に今の浪速のように「素晴らしい学校に変貌」しつつある現実を見ると「まあ、これくらいは・・」とか、ついつい思ってしまう。現実として最近は私の怒りや非難、指導の矛先は鈍っているのである。
・ しかしそういう時に限って「失敗した、言うべきであった」とか後で後悔するときも多い。人間というのは悲しいもので「そう簡単に変わらない」ことは自身の体験も入れて痛感している。「意識改革」とよく使うがこれが簡単に出来たら苦労することはない。特に加齢とともにますます難しくなるものだ。
・ このようにして悩んでいるのだが、迷いを払拭するような記事が出ていた。6日の朝日だが「作家の吉武輝子」さんである。見出しは「見事にきれる高齢者に」「60才過ぎれば人生思いのままに」と言うものである。
・ 吉武さんは言われる。「変な社会的制約から解き放たれてドンドン楽しくなりだんだん自分らしくなっていく感じ」と自身を観察し、「年寄りへの注文」としておとなしい年寄りになりすぎていますね。「喜怒哀楽の中で人間の尊厳に関わる感情は怒りです。」「若い後輩たちに対して優しく、そしてその上で切れるべき時には見事にキレる、そういう高齢者になるべき」と言われているのだ。
・ 以上の言葉は「地獄に仏」とはオーバーであるが、私にとって考えさせる吉武先生のお言葉であった。記事には「病気になっても病人にはならない」という感銘するものもあった。さすがだ。人生77年も生きてこられると違うということを感じさせられるのだ。
・ そう「見事に切れる」「おとなしいだけの年寄りではいけない」この二つの言葉が私を「すっきり」させたのである。しかし先生の言われるように「見事に切れる、怒るというのは難しい」。口で言うほど易しいものではない。
・ 少なくとも「私憤」と成ってはいけない。私はこれだけは気をつけている。「オーナー企業やオーナー学校経営者」には時々このようなことがあるみたいだ。公私を混同し、社員や学校の先生を「徒弟」や「召使」みたいに捉えては絶対にいけない。それらを「私物化」という。
・ その点私は「オーナーではない」し、「内部から上がってきた人間」ではない。まだ本校に来て2年ちょっとだから経緯もしがらみもない。私物化しようにも「私物そのものがない」のだ。
・ 着任後に良く耳にした「あの先生とあの先生は仲が悪い。すれ違っても挨拶もしない」から「金魚の糞みたいに、何時も連れ添って歩いている」とかの「人間関係の相関図」などは全くない。要は真っ白で単身落下傘で乗り込んできただけの話だから誰とでも「等距離」なのである。
・ 従って私のキレは「単純に学校にとって良いか悪いか」が判断基準である。それも「昔の話し」などは関係ない。「私の目にしたこと、聞いたことだけが判断基準」になる。だから前の校長先生の時に失敗していようがいまいがそんなことは関係ない。
・ 「すべてリセット」して理事長そして校長としての仕事をしてきたのである。これだけは分かっておいて欲しい。個人が憎くて怒っているのではないのだ。切れた後はあっけらかんとして一部の事例を除いて忘れるし他への影響などはない。
・ 私が切れるには大体のパターンがある。「幾ら言っても分からない、理解しようとしない連中、卑怯な振る舞いの人間、余り勉強もせずに深く考えもせずにいい加減のことを口にする人間、礼儀のない連中」など対してはどうも「寛容性がない」みたいだ。
・ こちらは「神経を張り詰め」この学校の「現状と将来」のことばかり考えている時、あれほど「説明責任」を果たしているのに、「脳天気」なことを言われると「ぶちッ」と切れることがある。何時もではない。
・ 「職場というものに対する基本的考えが違う」のだと思う。「職場には緊張感が必要」というのが私の考えである。仕事をして対価としてお金を稼ぐ職場は「居酒屋でもなければ、リラックスする癒しの空間」ではないだろうということだ。勿論職場の人間同士は仲良く助け合っていかねばならないが「赤信号を皆で渡る」ようなことではなかろうということだ。
・ 大体職場や自分の仕事にストレスなどがないようにというのは「嘘っぱち」だろう。自宅の居間でコタツに入って一杯飲みながらワールドベースボールの試合を見ている場所ではない。「職場というのはプロ職業人の真剣勝負の場所」である。
・ まず「私の指示」を守らず、勝手なことをしたり、遅れたり、又その報告がなかったような場合は指導する。その理由は、例え結果についての影響が大きかろうと小さかろうと許せない。殆どがこれだ。私の仕事の大きな特徴として「タイミングを大変重要視」する。タイミングを外した仕事など全く評価しない。
・ 仕事というものは「乾坤一擲の勝負時」があり、それを外したりしたら意味はないと考えているから勝手に解釈して自分のペースで仕事を進める連中もだ。私の指示は考えに考えた上で出しているからそれを無にされると切れる可能性は高い。
・ それは周辺の事態が時々刻々変化するから、企画した「手順が狂う」と全てがパーになることを恐れている。だから「スピード」を重要視する。結局「感性の問題」なのだろう。遅い仕事などタイミングを狂わせるだけで、それならしない方が良い。
・ 単なる失敗とかボーンミスとかは決して怒らず責めたりはしない。人間誰しも時には失敗はあることだ。しかし一旦私が注意し、指示し、強調したことを「ボーッ」としていて守らず失敗した場合は厳しくなる。私の指示は極めて具体的でその前後までストーリーを指し示し、時には「出来上がりの結果」まで指し示すことがあるくらい「実践的で具体的で良く分かる」ものである。
・ もう一つポイントは「組織の秩序維持」である。大体教職員はこの意識が極めて薄い。変にプライドが高く、力もないくせに偉そうにするところがある。従って「礼儀作法、立ち振る舞い」などはサラーリーマンに比べれば「子どもみたいに無知」なところがある。それは誰も教えて来なかったからである。
・ 近日中に直近6ヶ月で「どのような現象で私が切れたか」記してみよう。どのような項目で私が厳しい指導をしたかを良く観ることで私が「新しい学校つくりで職員に何を求めているか」が分かると思うのだ。

2009年3月8日日曜日

3月8日(日)鹿児島県阿久根市の市長さん

・ 今「鹿児島県阿久根市の市長さん」が面白い。お名前を竹原信一さんという。49歳だ。ウィキペデイアによれば鹿児島県立「出水高等学校から防衛大学」に進み、1988年に退官して帰郷。親の経営する建設会社に就職した。出水高校といえば鹿児島でも指よりの進学校でキャリアは申し分ない。「公人」だから経歴は公開されており直ぐ情報が入手できる。
・ このように「人の論評」をするときは出身県、学歴、職歴から「お人柄などを一人勝手に想像する楽しみ」がある。「大体当たるなー」と思う。私も良く始めてお会いした人から「想像していた通りのお人でした」などと言われることもある。
・ 2005年の阿久根市議会議員選挙に出馬し初当選、3年後恐らく思い余って「市長選」に2008年出馬し初当選した。この時は市議全員が推した前職市長と500票程度の僅差であったという。実はこの市長選挙が今阿久根市で騒動になっている原因だと私は踏んでいる。
・ 竹原市長は選挙期間中も「ブログの更新」をし、選挙管理委員会から注意を受けたらしいが、「総務省の解釈がおかしい」と反発した。どこか橋下知事に似ていません?ご本人はこの選挙期間中の「ブログの更新が当選に結びついた」とは思っているのかどうか分からないが、とにかく更新し続けたらしい。
・ しかしこの指摘はおかしいのであって自民党も民主党も選挙期間中にホームページを更新し、立候補者はブログなど更新しているからこのことを取り上げて批判するには「筋違い」である。要はITに弱い対抗勢力が「イチャモン」をつけたというところだろう。これが第一幕である。
・ 第二幕はブログで「市議の不人気投票」を行ったことだ。「おもろい。」「阿久根市議会で最も辞めて貰いたい議員は?」というテーマで市議会議員15名全員の名前を挙げて「ネット投票を募った」のである。今年の1月12日のことである。市長に言わせれば「私も投票を受けている」からと言っている。確かに市長への賛否をネットで問うている。公職にある身だから仕方がないという論理だ。
・ びっくり仰天し、頭に来た市議会議員は2月6日に臨時議会を開いて「市長不信任決議案」を全会一致で可決した。不信任決議を受けた竹原市長は4日後の2月10日に「議会解散」を告示し、「議員全員の首を跳ね飛ばした」のである。
・ 私はこの4日間に何を市長が考えたのか、思考の中身を知りたい。「出直し市議会議員選挙」は3月22日にあるからこれは「注目しなければならない」。若し前職が通れば改選後の議会でもう一回不信任が可決されるだろう。そうすれば今度は「市長の首が吹っ飛ぶ」ことになる。「失職」という。阿久根市の「民意」は果たしてどうかな?
・ しかしだ。「今辞めて貰いたい教員は誰か?」と言って「生徒と保護者にネット投票」をして貰って上から順番に「○○先生何票、□□先生何票、XX先生何票、・・・・」などとブログにお名前を書くのと一緒だから、果たしてこのようなことは私に出来るかという質問を受けそうだが、答えは「私はしない」だ。「さすがに私でも出来ない」と言った方が良いか。
・ 公職である市議会議員だから許されると考えるなら「私学教員にも公的資金が入っている」のだから半分は公人として許されると言う考え方もあるが、些か無理があるのではないか。我々は政治に直接タッチしていないあくまで教職にある身だ。元々市民や府民の「直接選挙で職にありつけたわけではない」からだ。
・ ところが阿久根市の市長はそれだけでは済まさなかったのである。第三幕が切って落とされたのである。「ブログ市長」は今度は市のウェブサイトに市の「職員268名の給与明細を公表」したのである。これをテレビや新聞がわいわい騒ぎ立てている。
・ 頭に来た市議会が「不信任決議」をしたから市長は二の矢として市のホームページに消防を除く全市職員268人の給与明細を1円単位まで公開したということではなさそうである。どうも「前からの確信犯」である。
・ 勿論個人名は書いていないのだが年令や家族手当などをよくよく見れば個人が特定できると市職員は困惑当惑していると言うし、事前に説明もなかったというが、「地方自治体が給与の号俸単位の額や扶養手当、住居手当などを公表」するのは当たり前で「条例」でそのように決められている。別におかしい話ではないと思う。
・ だから私は阿久根市長が一覧表で全員の分を出したということを問題にしているのか、何が問題なのかまだ良く分からない。市長はブログに「年収700万円以上の職員が54%もおり、市の将来は人件費を適正化できるかどうかにかかっている」と主張している。
・ 市のホームページの「市長の部屋」を読むと市長の公約は市政改革と市議会刷新を強調し「人件費の削減」を施政方針に掲げているのだ。「公約どおりに進めている」と思っているのだろう。
・ 確かに阿久根市の職員の給料は比較的高い水準にあり、「鹿児島県内の49の市町村のうち上から3番目」と言う。又市長は「悪いことさえしなければやる気がなくとも給料は青天井という給与体系をどうにかしなければ」と書いてある。
・ また「給料も今まで一応は公開されていましたが非常に分かりにくいので今回見やすい形にしただけのことです。これは市民サービスの一貫です」と「正当性」を述べている。まあまあシャーシャーとしているな。この辺はすごいところだ。
・ このあたり、「橋下知事に似ていないか?」大阪で知事が進めた全国学力調査結果の公表と似た感じがする。ネットの書き込みは「良くやった、偉いよ、竹原市長」とか「公僕の雇い主は市民です。雇い主が給料チェック、これ普通。竹原市長は正しい」とか色々あるが市長に厳しい反応があることは市長も認めているみたいだ。
・ 予想通りだ。過日の新聞各紙に橋下知事は「阿久根市長に橋下知事賛同」「非常に納得」「オープンにするといろんなことが分かって良い」と大阪府も前向きに検討するそうだ。私の想像したとおりの発想を知事はする。
・ ただ橋下さんは府民の支持率が80%であり、市長さんは50%だからそう強気にも出られないのではないか。個人的には竹原市長に少し「何か変?」と言う気がしないでもないが、とにかく3月22日の選挙が楽しみだ。阿久根市民がどういう判断をされるのか。
・ ちなみに本校でも「教職員の給料一覧表などを1円単位で公表せよ?」って迫られても、お答えは「致しません」だ。その必然性がないからである。しかし世の中は面白くなってきた。特に「地方自治体の首長」に「面白い人材」が出て来た。「地方分権」はこのようにして既に始まっている感じがする。