2007年12月7日金曜日

12月7日(金)教員増

・ 中央における「教員増」の議論がかまびすしくなってきた。構図は「財務省・総務省連合対文科省+官房長官(元文部大臣)+自民党幹事長(元文科省大臣)連合」との戦いだ。政府与党幹部の応援団を抱えた文科省がやや優位に立っている?額賀さんは一時期、防衛省宴席問題で騒がれたりしたから?。今日の新聞は毎日新聞だけで小さな囲み記事だが「文科、財務真っ向対立」とある。
・ 元々は安部前政権の置き土産で「教育再生会議」が「教員の質の向上」と「教員が子供と向き合う時間の増加」を提言したことから始まる。加えて学校現場では「主幹教諭」(東京)、「首席教諭」(大阪府)とか中間管理職を置いたりして時間数を軽減せねばならず、一般教員の補充が必要となるにかこつけて文科省がここぞとばかりに、「公立小中で7000人の教員増と給与の一部で・・・170億円」の増額を来年度予算に盛り込んだことから勃発した。
・ しかし「待てよ」と言いたい。この10年間で児童生徒数は30%以上減少しており、統計による教職員数は8%程度の低減になっている。平成になって子供の数は500万人も減少している。実質、「児童生徒40人当たりの教員数は89年から05年で言えば2.05人から2.70人と32%増えている」のだ。
・ 財務省主計局の係官は「少子化で実質的に教職員や予算は増えたが教育が良くなっているとは思えない」とまで言い切っている。これは面白くて「ここまで言うか」という感じだ。そこにもってきて先の全国小中学力調査の結果だ。又今度のPISAの結果も文科省に追い風になるだろう。「学力向上には教員数の加配が必要」と。大阪府も教育長以下、全国学力ワースト2の発表後中央に教員加配を陳情に出かけるくらいだから。
・ しかしこれには大きな関門があり、「児童生徒の減少に見合う数以上の純減」を定めた「行政改革推進法」が大きな壁になる。始まる前から地方分権三位一体改革は頓挫しかねないだけに財務省も必死だ。
・ 私が言いたいことは以上のような新聞記事解説ではなくて、生徒に向き合い自分の時間を犠牲にして対応してくれる先生を現場が育成する必要があるということだ。仮に一人の先生が能力を10%上げて呉れたら10万人教員を増やしたことになる。「いたずらに絶対数を増やせば良いというものではなかろう。」
・ 誰も彼も一率昇給し、給与に1円も差異が出ないようでは幾ら教員を増やしても同じことだ。素晴らしい教員、成果の上がった教員には思い切って給料を増やさねばならない。頑張る教員を支援することが重要だ。「中には校長より高い給料をとる教員があってもよい。」民間会社や塾などでは今や当たり前の話だ。意味の無い教員加配は税金の無駄使いである。平成になって500万人子供は減って教員はそれほど減ってはいない。何をしていたのかと問われたときに応えは用意しておかねばならない。
・ 昔のことは言いたくないが我々の世代は50人学級が普通でその中で生徒同士触れない、摺り合わせながら伸びて言った。記憶に残る素晴らしい先生方のおかげで今日ある。一クラスあたりの生徒数を減らせよと言い始めたのは何時ごろのことだろうか。減らした方が良い場合とそうではない場合がある。
・ 公立だから簡単に教員数の増をいうが、私学ではとんでもない。「教員一人にざっと年間1000万円の経費がかかる。」真水の1000万円だから授業料で言えば20人分の生徒増のバランスだ。教員一人当たり生徒数が少なければ少ないほど定性的に良いことは当たり前で議論の余地は無い。心配なことは「すぐ教員を増やそうという短絡的な発想」について私は言っている。
・ 本校では「優秀な少数精鋭教師団」で「一人当たりのパイ」を増やそうと言っている。教員社会にワークシェアは馴染まない。出来る教員、創造性のある教員、突破力のある教員が教員集団を引っ張っていく構図があって良い。横並びなんて嘘っぱちだ。「横並びを言ったとたん、組織の力は落ちる。」人によって能力は異なる。20%が組織を引っ張り、60%が確実に実務をこなし、20%はやる気のない、サボりだと考えて組織力を考えた方が良い。学校現場では「あの先生はすごい先生、あの先生はサボリの先生」誰でも知っていることだ。生徒が最もよく見ている。此処に陽を当て、頑張る先生はもっと頑張ってもらい、サボりの先生は反省してもらって「全体の力を底上げし、組織力を上げる」ことが先決だ。教員数を増やすのはその後の話ではないか。