2007年12月6日木曜日

12月5日(水)PISAの結果発表

1.国際学習到達度調査(PISA)結果の発表
・ またまた本日各紙の1面を大きく飾る。言ってみれば防衛省汚職やインド洋給油派遣問題などよりも「国家的大事件」であり、そのような意味で各紙1面での取り扱い、尚且つ後面に解析記事が大きく付け加えられている。経済協力開発機構(OECD)が4日国際学力テスト、「学習到達度調査」PISAの調査結果を公表した。
・ 日本の高校生6000人による結果であるが他国に比べ、「理科学習への関心・意欲が著しく低く」、「数学的活用力も低下気味」で、前回調査で明確になってきた「読解力」は依然として中位、いわゆる答えを書かず、白紙のままにする「無解答率」も高く、要は「日本の子供の危機的学習状況」が明らかになったということである。理系の生徒は相対的に学習進度と幅が速く広く、ここが駄目ということは全体が厳しいと見られることから、課題を深刻に捉えねばならない。
・ 2000年に始められたこの調査は前回2003年にも大きな話題になったが3年後の2006年(今回発表)は「科学的活用力」を問うたもので、前回と同様な傾向と言うよりも更に低下しつつある。当然予想されたことだと私は思っていたが、やはりますますひどくなっていく感じだ。続けて2位、2位ときたが遂に今回6位に後退。先進諸国に比べて日本の子供はアンケート結果でも科学関連への興味が著しく「ずば抜けて低い」(文科省の幹部の言葉)結果となっている。「進んでいる国の半分強の比率」しかない。
・ 前回の時の記事は手元にあるが、今回の文面は各紙ともさすがに危機感を素直に表現しており、概して評論家先生や大学教授なども神妙に受け止めている感じだ。文部科学大臣も含め、文科省の係官は遂に数学的活用力が低下した原因を「現行学習指導要領で授業時間数を減らして内容を厳選した結果」とコメントしている。「冗談ではないよ。今頃になって何をいうか」と言いたい。「数学的活用力」は00年が1位、03年が6位、今回が10位と順調(?)に低下してきている。
・ 東京都立のある校長は99年に告示された現行の学習指導要領以降、「理科離れが顕著」になったと明確に述べているし、中学校でも同じ傾向である。間違いなく本校でも「数学」と「理科」が課題だ。理数科でも数学に付いていけなくなる生徒、文系に至ってはなおさらである。「数学力をどうつけるか」の著者で有名な慶応大学の教授も「ショックな結果だ」と「原因は授業時間と教える中身を劇的に減らした今の指導要領にある」と論評している。
・ しかしそんなことより、我々が最も気にしなければならないのは「学習意欲が他国よりも著しく低い」点だ。これは深刻だ。前回は出来る子供と遅れている子供の「2極化」が話題になったが今回はそのような論調はない。出来る生徒の比率が下がったのが明確に出てきたからである。出来る、出来ないの差が縮まり全体が下がっているというのは悲劇的ではないか。
生徒の個性尊重とか、子供の自主性を尊重とか、生徒のやる気を待つとか、寝言みたいなことを言う教師と文科省の「ゆとり教育」が日本の子供たちをこのようにしたとも言える。要は知恵と工夫が無いのだ。生徒も全てが携帯電話を持ち、モバーゲーが友達、友人関係に悩み、お笑いが一番と、テレビにかじりつき、職業の夢などには「しらけて」、夜遅くまで起きてはいるが、家庭学習時間はほとんど少なく、これではどうしようもないことだから、教職員と生徒には「浪速からはこのようなことはなくしていこう」と言っている。そのためにはまず「教科指導」だ。勉強が分かれば学校は楽しくなるし、生活規範も良くなるものだ。まず教科だ。これは私の方針だ。
・ 小さい時には造船所で船の進水式が遠足先であり、科学館や万博などに興味を持たせ、建築家になりたい、自動車会社に入って車を作りたい、橋を作りたい、医者になりたい、「理系への夢」が日本の子供たちにはあったと思う。どうしてこのようになったか?今朝のテレビでみのもんたは「大人が悪い、政治家が悪い」と言っていたが?!。
・ 手っ取り早く「お金をいっぱい稼げる仕事」「アルバイトに精を出し」「しんどいことはいややねん」「楽しいことがしたいねん」「数学知ってなんの役に立つの」等々、「製造業や科学技術の世界から離れたところに子供を追いやったら日本は終わり」だ。額に汗し、手を使って物を作る喜びを感じさせてやりたい。大学の工学部で学び鉄鋼会社で物を作る喜びで人生を過ごしてきた私だけに、なおさらそのように思う。
・ だから浪高生には「基礎基本の教科学習が第一優先」と口を酸っぱくして言っている。そのためには正しい日常生活態度が当然求められるし、最後が部活動による身体と精神力の鍛えだ。しかしまずなにより「教科だ。教科だ。教科だ。教科だー!」なんかアニマル浜口みたいになったが、これは「私の信念」だ。