2008年12月21日日曜日

12月21日(日)その1:多聞明けて二日目:購入資金

・ 「多聞を買うお金が良くあったねー」と保護者や外部の人は思われるであろうが、「お金はあった」のだ。最もまだ価格交渉はこれからだから「足るのか、不足なのか」はまだ分からない。ただ銀行に走ることは必要はないと思っている。
・ 本校の教職員であれば、皆さんこのことは知っている。私は「会計の中身」をすべて教職員には「オープン」にしているからだ。学校のホームページには「学校会計の決算状況を開示」しているから、これを見れば一発である。
・ お金はあるにはあったのだが言ってみれば「なけなしのお金」である。これを使ってしまえば「もう何も残らない。おけらだ。」しかし私は理事会・評議員会に図り、この「お金を使う」ことを決断した。
・ 話は今から16年前に遡る。当時の理事会が実態は当時の校長であるが、どういう理由か分からないが「和泉市の外れに1000坪の土地を購入」した。「市街化調整区域」で家など建てれる場所ではない。加えて後ろは天然の池で断崖絶壁である。前は化学工場であった。当時様々な「憶測」も呼んだという。
・ 「造成、周囲の垣根の設置」だけで当時のお金でも随分と高いものをかけている。それで一応は今ある学校の場所以外に本校は1000坪の土地を有していたのである。仕方なく中学生の「芋栽培」の場所として細々と使ってきた。芋を収穫して次の植え付けまでは一面「草ぼうぼう」となる。
・ 平成19年1月私は着任した。「学校の財布の中」を見て私は驚いた。「顔色真っ青」である。底が見える。これでは学校運営は出来ない。「手元現金を補充」しなければやっていけないし、万が一の時に乗り切れないと判断した。しかもこの土地は将来の展望がない。早急に売却を決心した。
・ すぐ動いた。複数のルートで「売先を探す努力」をしたのである。条件は一つ、「当時の簿価を上回る金額」とした。条件の悪い土地だから値上がりなどしていない。逆にバブル当時の購入だからすべてが下がっている。「損切り」まで覚悟した。
・ しかし私は「運の良い人間」だ。途中経過は省くが、「良い条件で売却」できた。これを「定期預金」にして今まで「虎の子のお金」として持っていたのだ。いざという時のお金である。そして「多聞の購入にはこのお金を充てる」という考えが12月15日の理事会で承認されたのである。
・ 使い道のない土地1000坪が2000坪の土地に化け、上には草ではなくてコンクリートの建物が建っているのだ。体育館も幼稚園も農園も付いている。先祖も喜んでくれるだろう。
・ ところで旧多聞小学校は数年前に「2億円もかけて改装」したことがひょんなことから判明した。確かに村当局は大きな声で言える話ではなかろう。まさか最後は小学生が10数名に落ち、教育の場所とならなくなったのだから。
・ 多聞小学校と赤阪小学校を廃校として新たに別の場所に小吹台小学校というものを作ったのである。冗談であろうが村の行政当局は「木村さん、もう一校ありますよ」と言われる。
・ 多聞はとにかく床など全面的に張り替えて、トイレもすべて水洗にしたり立派なものである。私は体育館が特に気にいっている。私が見て1週間後に6名の教員をつれて極秘に物件を観に行った。
・ 何処に連れて行くかも言わずに車に乗せてその中で「千早赤阪の廃校の小学校を観に行く」といったときに、全員「暗い気持ち」になったそうだ。山田洋次監督の映画「学校」や「二十四の瞳」的に感じたのだろう。無理はない。
・ しかし6名の教員は現地を見て興奮した。「これは最高」となったのである。使うのは私ではない。教員が使わないとこの建物は腐っていくだけだ。ここで私は自分の目に自信を持ち、「先に進める覚悟」をしたのである。
・ 先輩が残してくれた土地を売却したお金が「多聞尚学館」に化けると考えたら良い。確かにお金はなくなるが「生きたお金の使い方」は私の最たる長所だと思っている。私は理事会で言ったのだ。
・ 新校舎を作っても完成したときに「生徒が来なくなっている学校」だったら意味はない。この投資は大きいがここで決断することが「経営判断」であると声を張り上げた。そして「新校舎建設のタイミングは全く変えない」。当初予定であると。
・ 行政当局と今後値段交渉となるが、これは一歩もひかない。主張すべきはして「合理的な判断」をする積もりだ。購入金額も大切であるが最も重要なことは「この太平記の村の133年の歴史を刻んだ多聞小学校」を生き長らえる努力をすることだ。
・ 千早赤阪村と一体になって浪速中学校高等学校の生徒がここに「新しい血」を通わすことである。12月18日の村議会最終日に与党の議員が行政当局に向かって「学校の前の道路を拡幅するくらいの誠意を見せて浪速さんを招致するのが常識だ。行政はどう考えているのか」と攻め寄った光景は今でも思い出す。
・ 私は教職員に対し職員会議や内部メールなどを使って逐一詳細に経緯を説明してきた。だから教職員は全員が事態の推移を分かっている。これで定期預金もなくなることも分かっているはずだ。
・ しかし今から又貯めていけば良い。今の浪速の力からすれば問題ない。そのような学校に2年で私は変えた。このことは全員が分かっている。私と常勤講師以外は全員前からいた人たちである。彼らも厳しく言えば学校を危機に陥しめた責任はある。
・ 「たった一人の人間で物事は変わる」と言うことを専任教職員は「骨身に沁みて」分かっているはずだ。私は自慢して言っているのではない。「逆に一人の人間で組織はつぶれる」ということだ。食品偽装などの会社を見ればよい。
・ 生徒が喜んでくれている。昨日は中庭を歩いていると「校長先生、多聞は部活でも使えるんですか?」と聞いてきた。もう「多聞」と読んでくれているのだ。嬉しかった。保健体育部長に言ったのだ。「見たか!」というと24日に行くと言っていた。
・ 22日には教室改造に教員の代表が現地をみるそうだ。動き始めた。年明け1月8日の「新春拝賀始業式」には「臨時PTA実行委員会」をして正式にPTAに説明したい。すでにPTAは幾ばくか「金銭的支援」を考えてくれているみたいだ。一口いくらで奉加帳を回すという。有難いことである。