2009年6月9日火曜日

6月9日(火)その2:関西大学との連携調印式


・ 河田学長は生徒に「三良」と教えられた。即ち「良師・良友・良書」である。わざわざこの日のために先生は「レジュメ」を用意されていた。「孟母三遷の教え」で有名な「孟子の言葉」、世界三聖と言われる「孔子の言葉」そして幕末の儒学者「佐藤一斎先生の言葉」の三つを三先人の自画像入りでA3版で準備されていたのだ。
・ これを先生は自ら「読み下し」、「生徒に音読」をさせるのである。そして優しく噛んで含めるように意味を解説し「努力の大切さと生涯学習」を諭される。特に最後の一斎先生の「少にして学べば壮にして為す、壮にして学べば老にして衰えず、老にして学べば死して朽ちず」(私が一部簡略化)は講演の最後を飾り、保護者も参加だ。これは大変分かり易かったと思う。
・ 先生の講演の司会はKコース長のK先生だ。Kとは関大のK、この先生の頭文字のKそれに木村のKだと言われている。私は今日「河田学長のKもある」とした。女性初の分掌長で英語の教師でTOEICが960点と言う教師だが河田学長のご紹介も「大変良く出来た。」恐らくネットなどで調べて作ったのだろう。特に最後が良かった。
・ 「先生は2007年度のネクタイの似合う人に贈られる“京・ベストタイ・ドレッサー」に選ばれましたとまで紹介したのである。これには先生も苦笑いされておられた。学校に到着され私のお部屋でお会いした時に「すぐ目に付いていた」ネクタイであったが、まさかベストタイドレッサーとは知らなかった。
・ 確かに「センスの良い色と柄」のネクタイで赤でもなくピンクでもない朱に近い「品の良い色目」に細かな白の柄が控えめにちりばめられているネクタイだったような気がする。濃紺のスーツにぴったりとするものであったが、どこで求められたのだろうか。分かれば私も早速買いに行くのだが。どうも「エルメス」ではないか。
・「 第39代関西大学学長は中国哲学研究者でご専門は中国思想史、現代中国論の泰斗」であらせられる。公職も極めて多い先生である。中国思想ということで前述のように孔子、孟子、そして佐藤一斎と「儒学の思想」に連なるお話をされたのである。
・ ソフトであるがしっかりと生徒に伝えるべき点は強調され、「大きく包み込んでお話される」のが素晴らしかった。それに「気配りのお人」だ。私のブログも読んで頂いており、この日曜日に書いた「NHK大河ドラマ天地人」のことにまで講演の最初に言及して頂いた。少し私は照れたのである。
・ 調印式の式次第はまず私から「本日に至る経緯」をお話した。「今日のブログその1」に書いたようにこの1年を振り返り、「関西大学の素晴らしさ」を生徒に語って、「大変光栄であり、感謝の言葉と今後とも教職員一同頑張って参りたい」の一言が結論であるが、生徒には「誇りと自覚」を持って頑張って行こうと「激励した」のである。 生徒は憧れの大学の学長のお話を聞けて目が「らんらん」と輝いていた。
・ そして上原理事長先生のお話だ。理事長は現在の関大の状況をある程度詳しくお話していただき、「関大一高、高槻に出来る新学舎、関大北陽、そして「浪速中学浪速高校」の4校が切磋琢磨して頑張って欲しいと生徒に激励をして頂いたのである。
・ 上原先生は関大法学部OBで有名な法曹人であり「大阪弁護士会会長や日本弁護士会の副会長を歴任され旭日小授賞」を受けられておられる。先生は「皆良い顔をした生徒ばかりだ。」とおっしゃって頂いた。
・ 今日のハイライトは「調印そのものの行為」である。まず上原理事長と私が「法人連携の署名」をした。先生は予想通り「筆ペンで毛筆の署名」、私は「モンブランの高級ボールペン」で対抗した。その後お互いが署名入りの冊子を交換して2冊を作る。その後「立って握手」である。
・ その次は河田学長と「高大接続のパイロット校推薦入学制度」の契約書署名式(調印)である。河田先生は毛筆ではなく、ネクタイに比べ余り高価そうに見えなかった普通のボールペンみたいだった。今度の握手の時は署名した「契約書を開いて」持って報道陣に見せるようにして握手だ。先生は手慣れた感じである。ご経験が豊富なのであろう。
・ この間記者や報道陣が壇上に上がってきて写真を取りまくるし、署名しているところまで覗き込んで「写真を取る」のだ。私も今まで長い間生きてきて、色々な経験をしたがこのような契約調印式は「生まれて初めて」であった。
・ 調印式が30分程度で終わり緞帳が下りたその時に私は理事長と学長にご挨拶に行ったのだが、河田学長の第一声は「校長先生は声が良いですね」だった。学長先生のみが壇上に残り他のものは会場の席に移り河田先生の講演をお聞きしたのが本日のあらましであった。上原理事長先生も学長の講演を最後までお聞きされていた。
・ 本日の立会い者は関西大学から小西常務理事、岡田大学本部長、本校からは寺井名誉理事長・大阪天満宮宮司、南坊城理事長職務代理・道明寺天満宮宮司に教職員を代表して副校長の阪森先生だ。
・ 「格調高く一切のトラブル無く見事に調印式は終わった」。私の執務室に戻り先ほど署名した契約書に「大学理事長印、学長印、浪速理事長印、校長印」の実印を押すのだ。自筆の署名だけではなくて公印まで必要らしい。
・ 大学関係者はさすがだ。お茶を飲む間もなく大学へお戻りになる。「理事長、学長は当然ピカピカの黒塗りの専用車」であった。私の車は同じ黒塗りでも薄汚れたタクシーで、すぐ堺ロイヤルホテルに急いだのだがこのことは明日のブログにでも書きたい。そこでは「塾長様対象の学校説明会」が11時30分に始っていたのである。
・ しかし今日大学のトップをおそば近くで拝見していると、ちゃんと理事長先生も学長先生も本校の「学院神社」に案内されるまでもなく「お参り」されていたことだ。さすがである。私は感動しそして嬉しくなった。
・ そして学長がお話の中で「浪速改革」を評価してくださり、「信頼にたる学校」と全生徒の前で述べて頂いたことである。今最も元気な高校とも言ってくださった。今日は約80名のPTA役員の保護者の参列があったのだが、お帰りになる保護者は「先生、素敵だった―!」と声がかかったのである。世紀のシーンを自分の目で見れたことの喜びだったのだろう。
・しかし課題はこれからだ。「関西大学に良い生徒を送り込まねばならない」。早速進路指導部長、3年生の学年主任、英語科長、英験担当、などを呼び込み作戦を指示した。「昨日までが新生浪速の草創期、今日以降が新生浪速の発展期」だ。歴史が1ページめくられたのである。