2009年6月2日火曜日

6月2日(火)晴れた日にはGMが見える

・ 私は「アメリカ大好き人間」である。自他共に認める「親米派」である。それだけに「GM倒産」のニュースは衝撃が大きい。もう言いようもないくらいに「悲しい出来事」と言っても良い。寂しいのだ。大袈裟の話、「アメリカが倒れた」みたいに感じる。
・ 日本とシステムが少し違うから誤解を招き易いが日本の「民事再生法」に相当する「連邦破産法11条」の適用を受けるべく6月1日にニューヨークの連邦破産裁判所に申請した。実質的な「倒産」である。
・ 「米国通」か「米国に住んだことのあるサラリーマン」なら大体知っていることだと思うが破産法11条は「チャプターイレブン」と言うほうが一般的な米国人の言い方である。とにかくアメリカビジネスマンと話していたらこの言葉は良く出てくる。
・ よりによって私の誕生日に、それも大好きなニューヨークで「アメリカを象徴する世界最大の自動車産業」のGMが倒産するなど信じられないがこれが現実だ。ついこの前オバマ大統領の就任式で乗ったあの鋼鐵のような大型「キャデラック」の映像をまだ覚えている人は多いだろう。
・ いささか不適切かも知れないが、アメリカ人にとって特に黒人の人々にとって「キャデラック」に乗るようになれることが「アメリカンドリーム」であったのである。それ位アメリカ人にとって「GMという言葉の響きは特別」なものである。
・ 20世紀は「アメリカの世紀」であったと言える。その「アメリカの夢は自動車産業そのもの」であった。20世紀に花開いた「自動車文明」の旗手として「ジェネラルモータース」は20世紀に世界に君臨した。トヨタなど足元にも及ばない「威光」があったのだ。
・ 「アメ車」と呼ばれ「エルビスプレスリー」に代表される「シボレーオープンカー」など若者の夢であった。私も80年代初頭米国ニューヨークに駐在した時に買った車は「カプリース・クラッシック」という大型車でトランクには大きなスーツケースが4個は十分に入った。
・ まさに「アメリカの夢凋落」である。先には「クライスラー」が破綻し、「車の世紀」は終わり、このことは「米国の世紀」の「終焉」を意味するのか。GMは1908年の創業でありまさに「101年で終わった」のである。この100年という数値が何か象徴的である。
・ 創業100年で倒れるのである。私は32年間鉄鋼業に勤務してきた。自動車産業は「重要な顧客」であり「デトロイトのGMの工場」には駐在時代には大変良く行っただけに、それだけ「特別な思い入れ」があるのである。
・ 思い入れがあると同時に「むべなるかな」という思いもある。「致し方なし」とは言いたくないが「アメリカにはこういうところがある」とも思うのである。アメリカを知っているだけに、これも「アメリカ的」「アメリカ風」とも感じるのだ。
・ 日本だったらGMクラスの「国そのものと言える会社」を倒産させるようなことにはしないだろう。例えて言えば新日鉄、トヨタ自動車、松下電器産業、東京電力、NTTなどを破産させはしない。「公金を投入するだけ投入して」1歩手間で救うのが日本流だろう。
・ これでGMは「思い切ったリストラ」に入る。「国有化」までして「再生」するのだから、その狙いは明らかで「会社の仕組み」を根本的に変革するのである。オバマ大統領の狙いはそこにある。ガソリン垂れ流しの大型車から燃費の良い小型車、ハイブリッド車や電気自動車にシフトするなどは「当たり前の話」で問題はそこにはない。
・ 問題のキーは「経営陣とそこに働く人々の意識の問題」である。私は強調する。今回の破綻劇の真因は朝日新聞が今朝も書いているように、「高給を取り自家用ジェット機でワシントンに出張する経営陣」だ。「政府が助けてくれる」という「思い上がった奴らの責任」である。
・ そして全米自動者労組(UAW)という「モンスター組合」だ。労働貴族・労組との妥協の中で「企業年金と医療年金」が経営の脚を引っ張ったことは間違いない。GM中国で生産した安い車を逆輸入しようとしたが労組は大反対をした。とにかくアメリカの労働組合は「手に負えない」。
・ 私は今回のGM破綻に規模こそ違え、我が国にとっても本校にとっても大いに参考にすべき点があると強く教職員に伝えたい。経済不況の中で「社会保障制度はぐらぐら」になり、「医療制度もふらふら」である。多くの労働者は「非正規雇用」という荒波の中で収入規模は削減の一途である。
・ 私はGMの破綻、アメリカの黄昏の中に「明日は日本」という危機意識が湧いてくる。「明日は我が身」である。しかし「あのGMがこのようになるか」という驚きと言うか衝撃の余韻はまだ私の身体に残っている。
・ 「晴れた日にはGMが見える」というノンフィクションがある。確か「You can see the GM on a clear day」が原題だったと思う。skyだったかもしれない。私はGM破綻のニュースを聞いた時にすぐ「この本のことを思い出した」。自宅の方に大切に取ってある本だ。今度帰った時に読み返して見る積りだ。
・ 昭和61年4月新潮文庫にある翻訳本で、かってGMの副社長にまで上り詰めたデロリアンとう男が突然の退職後に内部告発した内容をまとめたもので、「大変興奮して一気に最後まで読んだ」ことを思い出している。書いている中身がすごい。
・ 1980年が初版本であるが当時からGMは余りにも巨大化し疲弊した組織であったことが分かる。「今から30年前に書かれた本の結末が昨日の倒産」だと思えばこの本は「預言書」となる。今朝の朝刊各紙のGM記事でこのことを書いているものはなかった。私のブログの読者だけがこの本のことを知って頂ける筈だ。
・ シボレーなどのヒット作品を次々と世に出し、自動車業界の風雲児と言われ次期社長候補の筆頭であった男が自動車産業界の内幕を赤裸々に語るこの本は、「組織と個人の関係論として格好のテキスト」と言われた。
・ 組織体が大きくなるとその運営が「官僚的」となり会社の外で起きていることに「疎く」なって専ら「内部処理」で済ますようになり、「個人に都合に良いように」しか考えず、「会社を食いもの」にして「自らが病に冒されている」にも関わらず「自分だけは損をしないように」と人間は考えるのだ。
・ 「会社のことは知らない、関係ない、つぶれることはないだろう」「それは経営陣の仕事だ」「労働者には関係ない」と嘯いているのが「末期的組織の姿」だ。「会社を学校と置き換えて考えてみれば良」。一時期の何処かの学校のように見えないか。
・ 「組織には寿命がある」ことが分かった。GMは101歳で終わったが「浪速は未来永劫存続」させねばならない。「学校と言っても結構簡単に終わっている」のだ。法人合併や法人吸収なども同じことだ。このことに気が付かねばならない。今後私立学校にはこの波浪が押し寄せるだろう。