2009年6月29日月曜日

6月29日(月)浪速ボーイスカウト団結成


・ 私は校内に「ボーイスカウトの団」を結成して、「クラブ活動としての位置づけ」をすることを決め、今その準備に入っている。すでに「日本ボーイスカウト大阪連盟」の幹部の人ともお会いして「団ナンバー」も戴いた。
・ これに先立って学校に「奉仕委員会」を作り組織化を図った。この奉仕委員会は大きな枠組みでありこの中に今まで活動していた「国際ロータリー活動」「神社奉仕」「中学生の老人ホーム慰問活動」等に加えて新たな「公共場所の清掃」などを活動項目に入れたものを計画している。
・ そこに「ボーイスカウト活動」を加えて多面的に学校全体として「奉仕の精神」を「学校教育目標」に加えることを目的としている。社会のニーズとして若者に対して「生きる力」や「奉仕の精神」が議論になってきていることは承知のとおりである。
・ そのとおりだと思う。「自分を大切にする」為には「他人や公共を大切にする」ことに他ならないことを教えていかねばならない。単なる学力だけの「頭でっかち」だけでは生きて行くことは出来ない。
・ 着任以来この「奉仕の精神」のことを私は考えてきた。なんで「ボーイスカウトやねん?」という疑問に答えれば以下のようになる。まず既存の組織の中でボーイスカウト活動は「生きた組織であり国際的」であるということに尽きる。
・ 幾ら良いことを私が唱えても「具体化、実践化」していかねば「単なる念仏」」に終わってしまう。既存の組織に乗ってそこから活動を開始する事がもっとも効率が良い。これも「木村流」である。
・ もう一つの大きな理由は実は「神社界とボーイスカウト活動は極めて密接な関係」があることである。名誉理事長の大阪天満宮や理事長職務代理の道明寺天満宮もその地区のスカウト活動の拠点である。神社精神を建学の礎としている本校にとって「奉仕の精神」の涵養は「教育の目的」なのである。
・ 加えて本校にいる神社の子弟で教員となっている者の中には「スカウト活動について経験豊富な教員」がいる。とにかくボーイスカウト運動は知らない人は多いが結構本校には身近な存在なのである。中でも英語科のT教諭は最適の人材である。とにかく私は今彼に「あらゆる仕事を与えて鍛えに鍛えている」のだ。その意味は将来分かるだろう。
・ もう一つの理由は「多聞尚学館の活用」である。スカウト活動はその設立の経緯から「野外活動」を中心に自然を学び、「友情や協調の精神を育てる」ことが中心である。キャンプもあるし、そうように考えれば「多聞をベースキャンプに金剛山や葛城山等の舞台」にはことかかない。
・ 加えて「奉仕委員会の委員長」にはアルピニストであり、ハイキング、トレッキング、雅楽の指導者でもある教師を当て嵌めた。格好の人材と私は大変評価している。組織はとにかく「トップ次第」である。「トップがよければ組織は動く」ものだ。
・ とにかく「ボーイスカウト運動は健全な青少年育成を目指した世界的な社会教育運動」なのである。こういう立派な組織に乗らない手はないと私は考えたのである。スカウト活動は現在「世界の216の国と地域で約2800万人が参加」しており日本では歴史は古くて1911年と言うから本校の出来る前の明治44年にスカウト隊が結成され、本校が出来る前年の対象11年に全国組織の日本連盟が出来たとある。
・ 日本には現在17万人のメンバーがおり、「大阪府でも16の地域で約14000人が活動」している。近隣の国では韓国、インドネシア、シンガポール、台湾などアジア地域では特に盛んであり、国としてもこれらの国々と今後は今まで以上に仲良くしていかねばならない関係にあるのは当然である。
・ 日本国内では関東の「大学にサークル活動」としてはあるみたいだが、「中学・高校では存在していない」から本校の「浪速中学校・高等学校団」が「日本で最初の学校団という名誉」なことになった。恥ずかしくないように内容を高めて行きたいと考えている。
・ 今後「多聞尚学館の場所提供」「地域への貢献・奉仕」なども考えて行く。例えば大阪国際マラソンの沿道警備や選抜高校野球の開閉会式への協力などである。勿論活動を通じた「自己研鑽」が目的であることはいうまでもない。
・ まず先般、下調べとして生徒自治会と奉仕委員会でアンケート調査を全生徒対象に行ったところ結構多くの生徒が「奉仕活動をする機会や時間がなかった」と言った結果が出てきた。中にはボーイスカウトの経験者も多く居たのである。これを受けて現在全保護者に説明と依頼状をだしているところである。
・ 「スカウト」とは「先駆者」の意味であり「自ら率先して幸福な人生を切り開き、社会の先頭に立とう」という意味である。私はこの20世紀初頭にイギリスで始った活動を、今改めて「浪速ボーイスカウト団」としてこの住吉の地で始めたいと思う。
・ 「育成団体」が必要であるが私の考えはPTA組織でも良いし、教育後援会でも良い。教職員を育成組織として結成する手もある。一度専門家に検討してもらえば良い。一度に上手く立ち上がらなくとも「一隅を照らしながら出来ることから」やれば良いと考えている。
・ このようにして私は「新しい浪速」を作っているのだ。平成19年は「浪速が変わる、浪速で変わる」、20年度は「新生浪速の第二章」21年度が「浪速の教育改革はまだまだ続きます」だったが、「やるべきことはまだまだ多く残っている。」「志を同じくする教職員」と頑張って参りたい。
・ 付いて来られない人は「退場」して欲しい。退場が嫌なら「私の時間の邪魔だけはしないで欲しい。」私はこのように思う。少なくともバブル崩壊後本校は「惰眠をむさぼっていた」から相当遅れていた。沈没寸前まで落ち込んでいた。それを今「急速に回復」させているのである。
・ 今「木村と言うエンジン」で「ふかしにふかして走っている」のだ。これが分からないような連中に今更あれこれ説明する時間はない。私が何をしてきたか、過去2年半を見てば分かるだろう。「評価は後世がする」ものだ。今居る教職員に評価をしてもらう話ではない。