2008年10月12日日曜日

10月12日(日)舞台「黒部の太陽」

・ 大手会社の専務取締役大阪支店長をしている大学の同窓生が観劇のティケットを呉れた。舞台「黒部の太陽」である。団塊の世代であり、「お互い若かった昔を思い出そう」といったところだろう。梅田芸術劇場で上演中である。1950年代日本の高度経済成長の皮切りとなった黒部第4ダム、通称クロヨンダムを造った「男たちの群像劇」である。
・ 僕は今でもこの「映画」のことははっきりと覚えている。小さい頃から「映画好き」で良く見に行ったが、これは1967年封切りの映画だから大学2年生の時だ。昭和の大スター石原裕次郎が、助演に三船敏郎というこれも大スターを呼び、名監督「熊井啓」が作った映画だ。
・ 石原裕次郎というと若い世代は「銀幕の大スター」のイメージではなくてテレビの「太陽に吼えろ」のイメージだがとんでもない話だ。今でもこのような「華のあるスター」はいない。まさに輝くスター中のスターだった。私などは歩き方まで真似たものだった。
・ 裕次郎と呼び捨てにするのがカッコよかったし、「裕ちゃん」と呼ぶのが普通であった。今の世では“きむたく”とかが並び称されるのかも知れないがとんでもない。足元にも及ばない。スケールが違う。
・ 本校では55歳以上の先生方は私の言うことを理解出来る筈だ。この前20台の先生に聞いたら「お名前は聞いたことがあります」とだけ言っていた。「昭和は遠くなりにけり」だ。
・ 切符を貰ったときに聞いた話であるが「裕ちゃんの遺言」でこの映画はDVD化されず今日まで封印」されてきたと言う。そういえばビデオが無い。これを再映画化ではなくて「舞台化」するというのだ。しかし「映画のあの迫力」が舞台で出てくるのか疑問であった。
・ 当時の裕次郎は「夜霧よ今夜も有り難う」の歌が大ヒット中で上り調子の時代だった。映画会社で出来ないようなスケールの大きい映画を作ろうと意気込んだのは良いが「五社協定」という障害があって「配給」できないという苦難に相当悩まされた。出水シーンの撮影中に裕ちゃんは足を骨折する大事故を起こすなど曰く因縁の映画だったのである。
・ 筋道は発注元の「関西電力」の責任者と工事請負の「熊谷組」の技師の二人が家族を巻き込んだ「群像人間ドラマ」であるが極めて演出が素晴らしい。筋は二重構造で進んでいく。一つは「映画つくりのストーリー」で裕次郎に中村獅童、三船敏郎に神田正輝だ。
・ 並行して進んでいくドラマは工事場面で関電の責任者北川に神田が、熊谷組の技師岩岡に獅童が扮する。即ち二人が二役を演ずる、上手い筋たてで、話が単純でないから「舞台に厚み」が出た。お連れした友人は「ボリュームのある舞台」と表現されていた。上手い表現だ。
・ 一部、二部の構成であるが、なんと言っても圧巻は一部の終幕の「トンネルからの出水シーン」だ。テレビなどのコマーシャルで流されているが実際40トンもの水が舞台前面から噴流してくるのだ。「ど迫力」があった。
・ 場内最前列の人には「雨合羽」が支給され、めがねも渡されていた。水の飛沫除けだ。一部と2部の幕間は30分でこの間に舞台の水を大勢の人が出て取り除くくらいの水の量である。
・ 舞台中央にはあの大きなトンネルと、くるりと変わる石原プロモーションでの裕次郎の映画つくりの場面、これらが交互に映画の「カット割り」みたいに出てくる。佐々部清脚本演出というが、この監督は存じ上げなかったが映画出身だけに「映画を見ているような錯覚」に陥るくらい絶妙な演出であった。「素晴らしい」。
・ 脇役陣には芸達者が揃っており中でも獅童の父親役で「大地康雄」が舞台を締めていた。良い役者だ。その他ベンガル、勝野洋。渡哲也は石原慎太郎役でスクリーンから特別出演している。中村獅童は「やはり実力ある俳優」である。
・ 彼は歌舞伎、映画と存在感のある俳優であるが、奔放な部分で裕次郎に肉薄はしてはいるけれども、裕次郎ほどの華はない。それくらい「石原裕次郎は別各の大スター」だったというのが分かる。誰も100%裕次郎を再現は出来ない。それに「脚の長さ」が違う。
・ 最後の場面、裕次郎が「俺は待ってるぜ」という大ヒット曲の題名を「せりふ」として獅童が言うのだが、「このようなスケールの大きい映画を作れ」、それを「俺は待ってるぜ」とかけているのだ。「俺は待ってるぜ」の歌を知らない人には意味は分からなかっただろうが、僕は笑ってしまった。
・ 久しぶりの観劇であったが大変良かった。観劇には「着物姿」が良く似合う。それで今日の「結婚式も着物」にした。結婚式だから普段着の着物と言うわけにはいかない。「お召しの紋付」に色違いの「一つ紋のお召し羽織」に下は「仙台平の袴」だ。これで一応準フォーマルな装いとなるだろう。
・ 元来は羽二重の黒紋付であり、持ってはいるが、今日はそこまでは必要ない。母がすべて揃えてくれていたものだ。今まで着ることはなかったがどういうわけか昨年くらいから「着物にはまっている」。着ていて楽なのだ。体形がメタボになったからだろうと思うがメタボの体系には着物が良い。
・ しかし最近の結婚式は夕方から始まるらしい。11月にあるのもそうだ。考えてみると分からない話ではない。披露宴は夕方6時に始まり8時30分には終了した。大変良い披露宴であった。
・ 新婦は大阪私立小学校の教諭で信州大学教育学部卒業の才媛だ。ご実家はぶどう園を経営さされているという。そういえば素晴らしいワインをちょっと前に新郎のH教諭から戴いたのは奥様の実家の産品だったのだ。あれは「旨いワイン」」だった。
・ このように「若いカップルが希望に燃えて輝いている顔」を見るのは嬉しいし、私も頑張らねばと思う。もう何十回、結婚式に出ただろう。まさか教育界に転じてまで結婚式にお招き頂くなんて思ってもしなかったが、この年になると複雑な気がする。そんなに若くない自分を思い知らされるのだ。「先生ももうお若くないんですから」との葛藤だ。しかし一方ではもう十分な気もする。「若人にエール」を送らねばならない。