2008年10月15日水曜日

10月15日(水)退職金

・ 厚生労働省が今月7日に発表した「就労条件総合調査」によると2007年度の1年間に定年を迎えた大卒社員の退職金(勤続20年以上の管理事務技術職)は平均で2026万円で、10年前の調査と比較して約800万円減少したとある。
・ 退職金の調査は5年ごとに行われ、前回調査でも400万円の減少というから「5年で400万円の目減り」は間違いないペースである。高卒社員(勤続20年以上管理事務技術)では1606万円で5年前に比べ500万円の減少で高卒現業社員の退職金は1023万円だった。
・ 企業出身の私の感覚からすれば「ちょっと凄いな」という感じがする。しかしこれらの数値は注意深く読まねばならない。新聞記事にもあるが「雇用形態」が様変わりしてきていることが背景にある。従って単純に昔と比較できないのだ。
・ 私の時代は「高校や大學を卒業して、すぐ会社に入社し定年までただひたすら働く」という「文化であったし美徳」でもあった。しかしこれは完全に変わった。良いところがあればどんどん「転職」していくし、「一生この道一筋」などが返って変な時代に思えるようになったのかと思う。
・ 退職金の計算も従来は大學卒業の22歳から60才までの勤続38年と言うのが典型的パターンであったが、「勤続年数」は余り関心を呼ばなくなり上記のような数値が出ていることも考えられる。すなわち勤続年数は「誇りの数値」でなくなってきたのか。
・ 減少したもう一つの理由は「退職金算定基準となる退職時の給料が減少したため」と厚生労働省はコメントを出している。「間違いない」。どんどん給料が下がっている時代だ。又「退職金財団」などの運用が厳しくなっていることも背景にある。
・ そして注目すべきは「退職金制度のある企業の割合が減少してきている」ことだ。93年の調査では92%の企業が退職金を出していたがその数値は今や85%となっている。その理由としてもう「退職金を月例給与に含めて支給する」と言う考え方が出てきたからだ。又最初から退職金制度などはないところが出てきている。
・ 何時まで働くか分からないところでの「馬のにんじん」みたいな退職金は要らない。「給料に含めて毎月支払ってくれ」と言うものだろう。一理ある。企業も大口の支給が減るから助かる話にはなる。
・ さて問題は「教員の退職金」である。本校の実際を明らかには出来ないが上記数値に比べて「数百万円多い」とだけ言っておこう。教職員の退職金は多いというのが通り相場だ。それは給与ベースが相対的に高いことによる。それは全員が大学卒の職場だから比較には慎重を要する。
・ それに大学卒業してすぐ教員になるという人も少なくなってきている。大学卒業後企業で働いて本校に来た人、海外で過ごしその後本校に来た人、他の学校を渡り歩いて本校に来た人、他の学校を退職して本校に来た人など様々である。定年は65歳でも勤続年数は違ってくるのだ。
・ ただ教員には「前歴換算制度」という温かい制度があって数年すれば大学卒業後すぐ就職したと同じ給料になる。だから勤続年数などは余り関心を示さなくとも良いのかも知れない。ほとほと教員とは恵まれている職業だと企業出身の私には見えるのだ。
・ しかし経済がおかしくなってきた。個人の金融資産は200兆円と言われる。10月1日から11日までの8営業日でなんと株価低落を受けて30兆円近くが吹っ飛んだことになる。「株をやってる人は顔面蒼白」だろう。
・ 日本全体で個人の資産は約1500兆円と言うから日本人はまだ「お金持ち」だが、実は「あるところには有り、ないところにはない」という「格差社会」となってきた。難波のビデオ店1500円宿泊などの悲劇が出てくる。
・ 真面目に働いてきた人間が「老後を心配する」以前に「働いても、働いても楽にならざり、じっと手を見る」人が、即ち「ワーキングプア」と言われている人が増え続けている。恐ろしい世の中になった。
・ 月度の給料が減り、退職金も減るでは「余りにも切ない話し」だが、経済の合理性と循環性では「一人だけ良い思い」は不可能になってきた。情報ネットワークでがんじがらめになっている現代社会はあっという間に「世界同時株安」となる。世界は繋がっているのだ。
・ 教員の給料も遂に反転反落し始めた。「口火を切ったのは大阪府の橋下知事」だ。でも本校では1年先行して私が実施したが、一私学だから目立たない。教員の処遇見直しの流れはもう止められない。頑強に抵抗しても世論の味方は得られないと思う。それは教員の給料が世間相場より高いからだ。「ふざけるな」と言われかねない。
・ 府内私学の本年夏のボーナスの支給状況データが手元にあるが「厳しい状況」になってきている。なんと年間「1ヶ月」「2ヶ月」「3ヶ月」などが目立つ。もう年間6ヶ月とかいうのは数校しかないしそれも見直しが入っている。
・ 私は「退職金の減額」には慎重である。社会年金があのような事態にあり、「第二の人生の出発資金」として「ぎりぎりまで水準はキープ」してやりたいと頑張っている。先の「新人事制度」でも「退職金の算定の基本俸給は60才到達時の水準を適用」とした。これだと「選択定年制」で早期退職を選択しない教職員で65才まで頑張った教員には少なくとも退職金が大きく減額とはならないように制度設計をしたのである。
・ ただ「遅れず、休まず、働かず」だけで長い間本校に居ても、頑張って功績を残してくれた人と同じ退職金と言うわけには行かない。「人材育成評価システム」では評価AA基準の教職員とA基準の人では大きな退職金の差になる。それは勤続年数は同じでも月例給与が違ってくるからである。
・ 「退職金財団の支給率ダウン」は今後十分ありえる話であるが、ダウンした分を法人が補填は出来ない。それは財団加入組合員すべてに共通のアイテムであり、不公平であるし法人の責任ではないからだ。本校では長い間支給率がダウンしても法人が補填して支給してきたが「トンでもない話」だ。すでに見直しを実施している。
・ とにかく先行きは分からない。こういった状況下で大切なことは「自己防御の姿勢」だ。「生活習慣の質的変換」も考えていく必要がある。要は「昔日の夢」に浸っているだけでは自分を、又家族を守れないということだ。当然であるが守る特効薬は「一生懸命、一所懸命、働く」ことだ。そうすれば処遇はちゃんと後から付いてくる。