2009年5月10日日曜日

5月10日(日)碁打ち”秀行”

・ 囲碁棋士「藤沢秀行」名誉棋聖9段が8日午前7時過ぎに亡くなられた。83歳であった。黙してご冥福をお祈りする。本当は「ひでゆき」と読まれるそうだが「しゅうこう」先生と言われている。囲碁をする者で「しゅうこう」を知らないと「もぐり」と言われる。
・ 実は私は「下手の横好き」で「碁好き」であり、今でこそ余りしなくなったが一時期は狂ったように勉強した。しかしこの性格が災いして強くなれない。学生時代に囲碁を始めた人は本当に強いが私みたいに社会人になって、それも40歳を過ぎてでは遅いということか。
・ 囲碁は何歳になっても上達するもので、強くなれないのはお前の「センスがない」からだと言う声も聞こえる。ところで実は私は亡くなられた「藤沢先生のご自宅」にお邪魔したことがある。もう随分前のことである。15年くらい前のことか。
・ 今私の自宅がある住友金属の町、鹿島アントラーズのホームタウン、茨城県鹿嶋市の隣町に波崎町という小さな町があり、ここで「碁盤製作」の会社を経営する社長であり、「碁盤職人」であるが、この方とは今でも行き来のある友人の一人である。
・ この碁盤職人と藤沢先生が極めて親しく先生のご自宅に時々頼まれた「碁盤や碁石」を届けていたのだろう。そういう関係で一度「面白いよ、一緒にいかないか」と誘われたのである。藤沢秀行と言う「ビッグネーム」に大いなる関心があって確か阿佐ヶ谷だったと思う。
・ このとき秀行先生にはご挨拶くらいでゆっくりとお話をしたと言う記憶はない。ただ遠くで「ニヤッ」と「人懐こい笑顔」が極めて印象的であったことは今でも覚えている。帰るときに「藤沢秀行打ち碁全集」のうち2冊を頂いた。今も大切にとってある。
・ ご自宅は普通の家で家の前にはまだ畑があり、「へー、有名な棋士でもこのようなご自宅か」「碁打ちの生活も大変だな」と思ったことが記憶にある。決して「豪邸」というようなものではなかったし、造りもごくごく普通のお家であった。
・ その理由は明確に言えば「先生の波乱万丈の人生」がもたらしたもので、その時にはまだ知る由もなかった。碁盤社長は「面白い人物、でたらめ人間」などと言いながら「せっせ、せっせ」と尽くしておられた。それくらい「魅力的な人物」だったのであろう。
・ 私はこの藤沢棋士のことが大変気に入り、その後大いに研究することになる。研究と言っても「本を読む」くらいしかないのだが、まあとにかく先生の人生そのものが「そのまま悲喜劇ドラマ」になるようなもので、私が若し映画監督だったら「格好の題材」だと思う。
・ 映画も小説も演劇もテレビドラマも「人間を描く」ものでこの「藤沢秀行先生を主人公にする芸術家人生」は絶対に面白いと思う。本を読めば「抱腹絶倒」である。「碁打ち秀行~私の履歴書」とご令室藤沢モトさん(正妻)の書かれた「勝負師の妻~囲碁棋士藤沢秀行との50年」は代表的だ。
・ よく言えば「豪放磊落」「天衣無縫」「波瀾万丈」「天才勝負師」「華麗秀行」などと枚挙に暇がないが、悪く言えば「完全破滅型」「支離滅裂」「アル中秀行」「女たらし」「八方破れ」「太宰治型」等々色々ある。
・ とにかく視界では超有名であるが「酒、賭博、女」が趣味で、これなど「飲む、打つ、買う」そのものである。地で行っているのだ。お決まりの「アル中」で「逸話、武勇伝」の類には事欠かない。競輪で250万円の一点買いで観戦中に興奮して「金網」を強く握りしめ、これを引き千切って壊し「秀行引き寄せの金網」とその競輪場の名所になったりしている。
・ 将棋協会の米長邦雄氏とは長い付き合いで米長氏の妻が「うちの主人が5日も家に帰らない」と嘆いたら「うちは3年帰りませんでした」と答えたという。とにかく女性関係が派手で愛人の家に入り浸り、家の場所が分からなくなり妻を呼び出し自分の家に帰るのに案内させたというから「尋常」ではない。
・ とにかく良く「女性にもてた」のである。私などとはえらい違いだ。しかし「女性に持てる男は男にも持てる」。「逆か」。男に持てる男は女にも持てる?「ウンッ」これは違う。どっちでも良いが銀座の女などは先生を取り合いだったという。
・ 「棋聖戦6連覇」の間に借金で家を取られたが「最善手を求めて命を削っているから借金も女も怖くない」と言いきり、酔えば女性を「」で始まる4文字を連呼する悪い癖があり、「飲んでへべれけになり、真っ裸で公園で騒ぐ」ことが多かったという。草薙さんみたいに逮捕はされなかったが。
・ しかし藤沢先生の「人気は抜群」で「若手棋士の育成」には熱心、派を超えて可愛がり、「来る者拒まず」の「自宅を開放した秀行塾」は今や超有名な話である。今一線で活躍中の多くの若手棋士は藤沢先生を慕っているという。中国からも今回の訃報で異例の弔文が寄せられるなど「中国、韓国の棋士」で藤沢を師と仰ぐ者は多い。
・ 「最初の50手までなら自分が最高の手を打つ」と言ってはばからないが、あるとき「囲碁のすべてを100としたら今の自分は5か6」と言うなど、とても「謙虚」であり、とにかく「ポカ」が多くて敗れることが多かった。囲碁の世界では「秀行先生しちゃった!」は「ポカをした」と同義語である。
・ 偉いのは1994年以来100冊を超える「棋書」を書き下ろしていることで「研究熱心な証明」だろう。晩年は「書」にも通じ各地で書道展を開いている。字体も拝見したがまさに「天衣無縫」「豪放磊落」そのものである。一枚欲しかったが高くて手が出なかった。
・ 私などとても真似ができるような人物ではない。しかし自叙伝を読むとまさに「笑い過ぎて涙が出る」くらいで多くの一般的な男はこのような人物に一種の「憧れ」を抱くのであろう。とてもじゃないが足元にも及ぶどころか行けない。
・ 誰が藤沢秀行棋士のことを「ハチャメチャな人生」といえるだろうか。今回の訃報では各新聞は異例の扱いで大きく好意的に報じている。昨日の読売は連日の報道で「誰よりもめちゃくちゃで、誰からも愛され、誰よりも強かった、もうこういう人は現れないだろう」と編集手帳に留めている。
・ 何か私は寂しい気がするのである。こういう人物が段々と日本に少なくなってきている。「ハチャメチャが出来ないような社会の仕組み」が出来上がってきているのではないか。昔は世の中にこういう人物を許すというか「寛大な包容力のある大きさ」があったような気がするのだ。
・ 世知辛く、何か失敗すれば「徹底的に叩き」、二度と立ち上がれなくなるまで脚を引っ張る世の中になってきている。「昭和は遠くになりにけり」だ。2005年NHKは「無頼人生、棋士50年」かなんかのタイトルで「ドキュメンタリー番組を放映」したがそのビデオはとって有る筈だから今度帰省したら是非見る積りだ。「合掌」。