2009年5月31日日曜日

5月31日(日)5月最後の日

・ 最近また時々知人から「先生はどうして企業界から学校に転じようとされたのですか」と聞かれる。こういう質問者には一つの特徴があってある程度「親密な関係」になってからである。付き合いの浅い人はこういうことは聞かない。
・ こういう質問が出るには一つの特徴があって「私と本校」のことをよく知っているということで、すでに「何をやっているか、その成果も」十分知っており、「その次に出てくる疑問がそのような質問をする動機」になっていると思われる。
・ 即ち「木村がそこまでやる、そこまで頑張るのは何故なんだろう、どこから来るのだろう」という素朴な疑問だと私は想像している。この様な質問がくると私は「ああ、来た、来た」と思うのだ。
・ そしてそういう場合「丁寧に説明する」ことにしている。これをしておかないと「大きな誤解」を生む恐れがあるからだ。中には誤解が行き過ぎて、特に同窓会のOBなどの中には「卒業生でも親戚でもないのによく頑張ってくれている」などと「信じられないような発言」をする人もいる。
・ 浪速の卒業生だから頑張って、卒業生でないから頑張らないということはないのであって、簡単に言えば「それが仕事だから頑張る」のである。発言には気をつけなければならない。
・ 卒業生で思い込みの激しい人は「学校は自分の私物」みたいに感じているのではないかと見間違うばかりの人がいる。何年か、何十年か前に浪速を卒業しただけの事実のみであってそれ以上でもなければそれ以下でもない。「母校愛」など誰もが持っているの物で特別なものでもなんでもない。
・ だから学校の中には「ともすればややこしい」から卒業生を教職員に採用するのを控えるところもある。和歌山桐蔭高校みたいに教員の半分以上が桐蔭卒業生というのはまったくの異例である。大阪の府教委の方針は知らないが実態としては学校あたり2ないし3人といったところだった。それも「偶々そうなった」というに過ぎない。
・ 話を戻そう。企業人から転職してもう足掛け8年になると思う。自分で数えながら「えー、もう8年!?」という感じだ。「8年も、計算間違いない?」しかしどう計算しても丸々7年、足掛け8年だ。
・ 一言で言うと「あッ」という間の8年であった。「走り続けた8年」「休む間のなかった8年」と自分の性格からは本当は言いたくないが、最近何故だが素直に言えるようになった。自分をゆっくりと顧みる「余裕」みたいなものが出来てきたのであろう。
・ 正直このような気分になったのは、2月の卒業式、3月入学者数の決定、4月の入学式、5月の決算理事会とここ数ヶ月、節目、節目で徐々に心に滲み出てきた。今まではこのような気持ちになったことはなかった。「心の余裕」か。
・ さて冒頭の質問に答えることにしよう。私は「人事異動」みたいなもので住友金属から教育界に転じた。ある日突然住金の人事部から「大阪府最初の民間人校長の話」が舞い降りて来たのである。
・ 平成13年の12月のことであった。当時は学校改革の一つの方法として企業管理職を招き「管理マネージメント実践能力」を期待して東京都、広島県と民間人を招聘する動きが「一種のブームみたいな動き」であった。
・ 方法として草創期は「財界団体に人材を依頼」するというスタイルであった。各地の教育委員会も誰に相談してよいのか分からないから必然的にこういう形になったのだと思う。
・ 大阪府は「関西経済同友会」に相談しその結果、純民間企業として私の勤務していた「住友金属工業と松下電器産業」に「白羽の矢」(?)が立ったのが事実である。そのようにして二人の「大阪発祥の大手製造業出身」の民間人校長が大阪府に誕生したのである。関西電力、銀行とか公益事業もしくはそれに近い会社は外したのだと思う。
・ その後民間人校長の招聘は「一般公募」の形となった。これは教育委員会が一定の条件をつけて「全国公募」をしてその中から採用を決めるというスタイルで今や全国同じ方式である。経済団体推薦か公募のどちらが良いかなどはまったく意味はない。「要は人物とその成果が問われるべき問題」である。
・ そうなのである。だから私は「人事異動」で教育界に転じましたというしか答えはないのである。勿論会社からの打診に対して「断る」こともできたが大企業で30年以上勤務してきたサラリーマンが「人事異動に異議を唱える」というような選択肢は我々の世代にはなかったのである。勿論「教育界に興味や関心があったのは事実」である。
・ 「どうしてそのように頑張れるのですか」という質問には正直「当惑」する。たとえ教育界に転じなくとも民間会社で頑張っていただろうし、「大体組織人で組織から禄を食んでいるものは頑張るのは当たり前」でないのか。
・ 公立教員だろうと私立の教員だろうと「頑張るのは当たり前」でそれが「約束事、契約ごと」と私は考えている。「手を抜く」など私の辞書にはない。自分の仕事は私立学校の理事長と浪速中高の校長であり、その「役職の責任を果たすのが私の仕事」である。だから「どうしてそこまで頑張るのですか」などの質問は困るのだ。
・ 教職員は「不平不満」があっても「仕事はして貰わねばならない」し、「サボタージュ」するなどは「言語道断の話」なのである。労働組合が「ストライキ」をするには私立学校であるからこれは許されている。しかし「ストライキの1秒前」までは一生懸命仕事をして貰わないといけない。
・ 書いて、話して、走って、仕事のベクトルを合わせ。間違いなく予定計画以上に成果を出して、それで「一息」などまったくせずに、もう「次の目標」に向かって用意が出来ているという「仕事のやり方」は私のスタイルであって、部下に「好きか嫌いか」を問うべきものでもない。
・ 特に古い教員文化に染まった教員の一部にはこの種のスタイルがまったく今まで校内に存在せず、見たことも聞いたこともないことだっただけに「戸惑った」ことは想像できるが、私に言わせれば「それが、何か?」という具合だ。
・ 「成果を見よ」とは私は言わない。それでは「品位を失くする」からだ。「打つ手、打つ手がすべて的中」し「学校がどうなったか」、最もよく知ってくれているのは理事会と教職員だ。「この2年間、本校で何が起きたのか」、それを「骨身に沁みて知っているには教職員だけ」だ。このことは「歴史の大きな、大きな一こま」である。気にいる、気にいらないは関係ない。目をそらすわけには行くまい。