2009年5月8日金曜日

5月8日(金)二つの運動クラブ

・ 今、頭の中に「二つの運動クラブ」のことがある。それほど深刻な問題ではないがボツボツ結論を出さなければならない。そのタイミングが近づいてきている。その運動クラブとは「硬式野球部」と「ボクシング部」だ。
・ まず硬式野球部だが「本校の看板クラブ」と言って良い。知る人は知っているが「甲子園出場校組」である。それも「2回も」。初めては1990年平成2年の時だった。これは一回戦で市川高校に敗退している。
・ この出場に関しては何しろ「初めての甲子園」と言うことで「OBからの寄付金集め」とか、どのように地元の人をバスに乗って応援に来てもらうか、どのような応援が良いのか「しっちゃかめっちゃか」だったと言う。保健体育科のK先生が「盛り上げの中心人物」だったようで時々私はこの話を聞いている。
・ 2回目は、これはほぼ最近と言っても良く「2000年平成12年」だ。しかしもう9年前になるが、まだこれは記憶に新しい。時々タクシーの運転手さんから「最近、野球どうですか」などと聞かれるのだ。第73回選抜大会の時で「ベスト8」まで行った。
・ タクシーの話になったがこれも時々、本校即ち「浪速高校:浪高」と「浪速商業高校:浪商」と間違われる。浪商も野球では名門高校で運転手さんの中には浪高と浪商とをこんがらがっているのだ。
・ 2回目のときは「大いに大阪府民を喜ばせた」と思う。福井商業戦で甲子園初勝利7:6、2回戦が徳島の小松島を2:1、そして沖縄の宜野座との対戦で惜しくも2:4で敗退。息詰まる投手戦であったが延長11回で敗れた。しかし「浪高の粘り」にグラウンドは大いに湧き、大観衆から「惜しみない声援」が送られたと記念誌にはある。
・ 例によって府の代表になると「大阪府知事を表敬訪問挨拶」に出かけるのが常で当時の知事は太田房江さんであった。若し私が校長時代に甲子園に行って呉れたら「好きな橋下知事に会える」のにと思ってしまう。(これは冗談)。
・ このように「本校の硬式野球部は伝統ある野球名門校」なのである。特に本校の野球部は「特待生制度」など全く関係なくあくまで「学力で入学」してきた生徒ばかりで「私立高校お決まりの他府県からの特待生」などは一人もいない。
・ 「 地元の野球少年」を鍛えてこのような成績を残すものだから、このことはマスコミにも知られており、昨年例の「特待生制度が社会問題」になった時は私自身がマスコミ取材を受けたほどだった。部員も多く「常時120名を軽く超える」。
・ この野球部の勢いも「学校改革の勢いと同じ」で、去年の秋季大会は甲子園優勝高「大阪桐蔭」を延長13回まで追い詰め、府下でベスト4まで行ったのである。正直私はこの時は「あわや甲子園」と思ったのである。本気で「応援団編成と寄付金集めのことを心配」した。
・ 2回も甲子園に連れて行ってくれた指導者がこの3月、大学に誘われて本校を辞し、指導体制も大きな変化を遂げた。しかしこの連休中に春季大会があったが3回戦で強豪関大北陽に0:8で叩きのめされたのである。気分を変えるために「ユニフォームを一新」するよう顧問先生に昨日言ったのである。
・ 「ウーン」面白くない。なんとかしてやらねばならない。本校の「野球部員は頭は良い」が何しろ身体が大阪桐蔭、金光、関大北陽、履正社などの野球部員と全然違う。小さいのだ。私はあれで良く戦っていると思う。ただ「専用の練習場」がなく、他の運動クラブと時間割で使っているのだ。
・ とにかく問題は「練習場の確保」である。来年になれば、「新武道館の工事」が始る。工事用車両の出入り、資材置き場、工事関係者の詰め所などを考えたら今のプールの近くに仮設の出入り口を作らねばなるまい。色々と考えたら「今のように自由に広く運動場を使えないだろう」と考えるのだ。
・ サッカーやラグビーはまだ工夫の仕方でなんとかなるだろうが野球は今でも時々ボールが外に飛んで「近隣の民家にご迷惑」をかけており何とかしなければならない。今日も事務長補佐と野球部長を連れて「旧堺商業高校の跡地に残っているグラウンド」を見に浅香山まで出向いた。
・ ここには「関西大学が進出」することが決まっており、使えれば大学の方にお願いに行こうとしたが顧問は一目見るなり。「これは駄目です」とのたまいよった。狭くてネットが低くて、打撃練習が出来ないそうだ。とにかく「工事期間中の野球部の練習場確保」が大きな問題となってきたのである。
・ もう一つの悩みである「ボクシング部」は今ある場所が言ってみれば「なんば高島屋前の一等地」にあるようなもので「何であのような場所に設けたのか」、それも相当広くて、今でも私には理解できないのだ。近くでは中学生が走り回っており、「どう考えても適切な場所ではない」。
・ 当時の教員で考えの浅い顧問が我の強い人間であり、「学校のことは考えず部のことだけ考えて」、一等地を分捕ったに違いない。加えて今でこそ古くなったが立派なジムで国体の試合会場になったこともあったくらいだ。今では他校の生徒が使っているときもある。これも赤井効果だろう。
・ 確かに「赤井英和さん」は本校ボクシング部出身で「一斉を風靡」し、今や「好感度高い人気俳優」であるが、彼の後、逸材がいるのはいるが規模については極めて小さい。興国高校,朝鮮高校などがのしており、加えて部員の数も少ない。
・ 有力理事は私に対して「人を殴るようなスポーツはアカン」と何時も言われるがボクシングは立派なスポーツである。映画「ロッキー」などは素晴らしかった。ただ亀田兄弟とかは確かにイメージが悪い
・ 問題は今の中学生がいる一等地に「ポツン」と練習ジムがあるのは如何なものかということだ。「新武道館の一角に何とか場所が確保」できないか。そうすれば今の場所は中学生用に「集会所」か「大教室」が確保できないか。少なくとも中学生1学年120名クラスが収容できれば言うことはない。
・ 早速「新校舎検討チーム長」を呼び一度正式に検討するよう本日指示した。今回が最後のチャンスだろう。この機会を逃したら未来永劫ボクシングジムは高島屋前に残り、最悪の場合「部員が全く居ない空の部屋」ということも考えられる。
・ 「赤井ブランドは本校にとって大切」であり、勿論クラブはなくさず、逆に「新しいジム」を造って上げた方が部員にも喜ばれるのではないか。余分な投資が必要だが、やれる時にやっておかないと「後で後悔」することにもなりかねない。
・ とにかく私はお金を使うのが好きだといわれかねないくらい使う。しかし「直ぐ元は取る」。「多聞尚学館」など今日も「週末スペシャル」で高校1年生70名が出発した。生徒から人気沸騰の「大評判」を取っており、私は既に「多聞の投資は元を取った」とまで思っているのだ。