2008年11月26日水曜日

11月25日(火)橋下知事教育討論会

・ 24日橋下知事との二回目となる「教育討論会」が大阪厚生年金会館であった。希望者が多くて会場を変更し昨日は1700名の府民が参加したという。第一回目は堺市で行われ、このブログでも書いたが「ヤジや怒号で騒然」としたもので、とても討論会と言える代物ではなかったらしい。
・ これを受け主催者の府教委は「ヤジなどがあったら退出」と前宣伝をしたり、会場でビラを配ったりしたそうだが結局、「怒号と拍手」が渦まくようなものになったらしい。途中までは混乱なく進行したらしいが知事が「競争を否定する教員は無責任」と発言した途端に教育関係者と見られる参加者から「反論のヤジ」が相次ぎ、会場は一時期騒然としたとある。
・ 面白いのは各紙の取り扱いで朝日などはたった2段で「隙間を埋めている」ような冷たい取り扱いであった。「何故だろう」。「一部の教員の生態」を読者に報道する義務はあろうと思うのだ。大体他の新聞は写真もつけた4,5段の大きな取り扱いであったと言うに朝日の扱いは少し変だ。
・ 「競争を強いることで子どもの意欲が育まれるとは思わない」との参加者からの発言に対して知事は「競争を否定してはいけない」と反論する。「学校の先生から競争は良くないと教えられた子どもたちも高校を出た途端に競走の荒波にほおり込まれる」と知事は言う。
・ 更に「競争を否定できるのは絶対に倒産がない公務員だから。それが教員の無責任さ」だとも述べている。この発言の途中から「帰れ」とかの怒号と「知事を支持する拍手」が交錯する異様な雰囲気になったと産経の記事にはある。
・ 続いて設けられた「意見表明のコーナー」では二人の教員が「知事への拍手が多かったのは意外だ」と発言したとある。この「発言に私は興味を持つ」。それはどういうことか。実は教員に多いのだが「自分で体験したことや目の前で見たこと以外に信用しないという習性」がここにも現れている。
・ まあしかしこれは仕方がないのであろうか。だから公立も私立も学校と言うものを変わってこなかった。それは自分たちが「学校を一番知っているという勘違い」が全ての源になっているからである。この「思い違い」が全てを支配している。だから「考えが発展」して行かないのだ。
・ 「自分たちは学校のプロだ」「素人は間違っている」「学校は教師に任して欲しい」と思い込んでいる連中だからこのような知事が「競争は現実の姿」だと発言しても「競争と言う意味」について考えたことはないから「彼らの精神に受け止めるような素地」などない。「競争は悪いことだ」と信じ込んでいる教員に「競争原理の意味するところ」を喋っても意味はない。
・ 運動会で走った順位付けは無く試験の答案も個人だけで「相対評価はしない」と決め込んでいる人たちである。知事が言うように「現実に社会は競争社会」と言っても彼らは「それは企業が悪い、社会が悪い」となるのだ。
・ しかし府民が「大きな拍手」をして知事を支持する光景を見せ付けられたら「驚いた」に違いない。この教員は恐らくヤジを飛ばすグループとは距離をおいている比較的「幅の広い」観察が出来る先生なのだろう。
・ 誰かが言っていたが「教員ほど勉強しない職種はいない」と言うが「外部を知ろうとはしない」「実践と考察といった研究」をしないだけにこのような社会との乖離が生まれてくる。25歳で教員になって60才まで全く変わらなくともやっていける職業が教師だと論破した人もいる。一言で言えば「謙虚」でないのだ。
・ それはそうだろう。6年間で小学校は、3年間で中学と高校は「生徒は完全に入れ替わる」から又、又スタートから出発するだけで「学校生徒のの平均年令」は全く変わらない。「グルグル回っているだけ」なのである。しかし「教師だけは年毎に一才づつ確実に年を取っていく」。年を取れば体力も衰え、考え方も硬直していくものだ。
・ 討論会の後、知事は報道陣の取材に「ヤジを飛ばしていた人は前回と同じ顔ぶれだった。前に比べて勢いが無かったのは自分たちの主張が府民に受け入れられていないと会場の雰囲気から感じた為ではないかと言ったとある。
・ 教師には4つのタイプがあるというのが私の統計学的分類だ。まず「コチコチの組員教員」「組合員ではあるが良識を有している教員」「非組ではあるが右顧左眄の日和見的な教員」「非組で社会常識を有している教員」、これは「謙虚な教員」と言い替えても良い。
・ この中で厄介なものが非組で日和見教員だ。都合の良いように動く。時には組合員ばりに動いたり組合員をけしかけたりするが組合費は1円も払わない橋下流に言えば「クソ教育委員会ならぬクソ野郎」だ。こういう連中は時には簡単に「権力の側」に擦り寄ったりする。
・ コチコチの組員はこれはもう幾ら話し合っても無駄だ。「行き着くところが異なる」のだから時間の無駄だ。特にイデオロギーを真正面に据えて出てくる教員は絶対的に「卒業式の国歌斉唱と国旗の掲揚」には幾ら説明しても反対なのだからもう時間の無駄だ。
・ 「人事評価は反対」「全国学力調査反対」「開示反対」「給与削減反対」「日の丸君が代反対」「教員削減反対」「職員会議のやり方変更反対」「ゆとり教育見直し反対」とにかく何でも反対で幾ら時間をかけても平行線で交点はない。
・ 知事に言いたい。確かに広報宣伝ではこのやり方は分からないでもないが本当の意味で「教育議論」をするにはしっかりとした考えを有した教員をセレクトして議論を進めなければならない。
・ それが例え「組合教員」でも良いではないか。壇上に組合教員を5名くらい並べ「討論会」だ。それを会場の府民が見守りながら「考えれば良い」のである。テーマを絞らなければならい。
・ 今回は「卒業式の国旗国歌問題について」次回は「全国学力調査」について、その次は「公立教員の給与削減問題について」と。これは「真剣勝負」となる。何ゆえ国旗国歌の斉唱が「子どもを戦場に送ることになるのか」反対の教員は論理的に議論を展開しなければならない。
・ しかしこうすると「特定される」と言って「出て来ない連中」が大半ではないか。ヤジは飛ばすが理論と勇気はないという輩が結構多いのである。ところで本校には組合員はいるが良識を有してる。
・ 問題なのは非組合員であるがサボることとお金のことばかり計算する奴だ。ここは私学だ。私は生ぬるくはない。「正論と筋を通す」。したがって足元を掬われないように個人的に向き合った時の発言は120%気をつけている。「いざというときの為」である。時には発言はテープに取って証拠の為に保存しているのだ。