2008年11月11日火曜日

11月11日(火)教員人事の複線化

・ 「教員人事の複線化」について頭を絞っている。現在の形は「一般教員から始まり担当教頭、教頭、そして副校長、校長」までが人事体系であるがこの「単線だけではなくて複線」を考えている。
・ それは本校みたいに一法人、一中学校、一高校では人事上の当て嵌めに結構苦労するからである。あの先生は管理職としてマネージメントはいささか不得手かも知れないが「進路指導力」「生徒生活指導力」「教科指導力」等にかけては「素晴らしい見識と能力と実績」を有している先生はいるものだ。
・ ところがそういう先生に対する処遇のシステムが無いと管理職にでもならない限り身分上の処遇とはならないので、組織の活性化の観点からいささか辛いなと考えていたのである。教頭、校長にならなくとも立派な教師は多い。
・ そういう観点から大阪府は平成18年度から「指導教諭制度」をスタートさせた。私などは検討の段階で「やるべし」と言った方だった。今はどうなっているか知らないが府立高校には30名近い指導教諭がいると思う。
・ そういうわけで本校も「指導教諭」制度(スーパーティチャー)を現在検討中である。単なる名前だけだったら意味はない。ちゃんと「処遇に反映」されていなければ名前だけとの批判も出よう。ミッションは教科指導、指導方針の企画立案、模範授業、シラバスの作成、若手教員の指導、教育研究などに当たって貰うことを考えている。
・ それに加えて「特別講習の主務教官」としてお願いするつもりである。この意味は大きくて課外の講習の指導に当たる教科指導力を期待してのことであるから「副収入」になる。勿論学校法人は「指導教諭当て嵌め手当て」を支払うことになる。
・ 現在その幅について事務に検討を指示している。いずれにしても「指導教諭当て嵌め基準」を現在詳細に検討中であり、「12月理事会で最終決定の運びだ。来年4月からスタート」させたい。
・ 最も30歳台、40台で指導教諭とはならないだろう。大阪府は55歳を超えて初めて資格を得るはずだ。本校の場合は更に利点があり、指導教諭になれば満年齢が60才を超えても「通常の給与ダウン比率」とはならない方向で検討中だ。
・ 扱いは管理職ではないが一般教員ではないからその中間の手当を支払うことになろう。加えて前述のように講習主担だから「受益者負担の講習費」は収入となるからひょっとすると担当教頭より手取りは多くなるかも知れない。
・ 今大阪の公立教育界ではまことしやかに次のようなことが囁かれてる。「橋下改革で教員の給与がカットされたが管理職のほうがカット幅が大きく、年を食った平教員よりも給与が安くなり逆転現象」が起きているらしい。おかしな話だ。管理職が平教員より手取りが少なければやる気は起きないだろう。
・ そこで橋下知事は月内にも「倫理基準」を改正し「兼職兼業を一部認める方向」という。これは素晴らしい。しかし本校ではすでに先行して実施している。給料が下がるのだから「自分で稼げ」と言うわけだ。
・ 橋下知事も新聞記事にあるが「自分で稼いで欲しい」と述べている。まず講演会などの講師の謝礼について「文句をつけない」ことから始めるという。知事は「能力を活用せよ」と言っているのである。
・ 私の考えはこうだ。競馬の騎手になるとか夜スーパーで働くとかの兼職兼業は許されないが「塾、予備校の先生になっても良いが、ただ生徒は本校の生徒に限る」という条件で兼職兼業や「週末の特別講習」を許すということだ。
・ ただし実施場所は家庭訪問ではいけないし、自分の家に呼んで教えることも絶対に許さない。学校かもしくはこれに準じた公共の場所でなければならない。大体自校の生徒を最も良く知っているのは学校の先生である。
・ これらの学校の教師が特別講習で受験指導に入ることは最も効果ある方法である。「条件は受験指導のできる教師」と言うことになる。こういう先生が一つには「指導教諭」に当て嵌まるであろう。
・ 私は教員に言いたい。基本給は下がっても稼ぐ方法はある。「評価システムで良い評価」を得れば同年齢でも生涯獲得賃金は大きく変わってくる。特別講習で稼げ。お金の要る人間は堂々と講習で稼げと。
・ これが「能力と蓄積と体と頭を使ったことの差」として形に現れるものである。「講習をしてください」「先生の受験指導を受けたいんです」と言われるような教師に成らなければならない。早く帰って家の用事がある先生はそれで良いと思う。人間は二つの道を同時に選択できない。
・ 生徒に向き合って稼ぐか自宅で自分の時間を大切にするか、その人の選択だ。両方の選択に合致するような処遇のシステムを用意するのが私の役目だと考える。
・ 本校で稼ぐ方法はまず日常の業務を見事にこなし人材評価育成システムの評価を高くする方法、失敗して就業規則違反となり減給などの処分を受けないこと、兼職兼業で保護者の信頼を勝ち取り特別講習で受益者負担から戴くこととなろう。
・ それに大切なことは「稼ぐという発想ではダメ」である。あくまで「生徒の学力を上げるという強い責任感」が来て、その結果について保護者から「あの先生ならお支払いしたい」といわれなくてはならない。
・ 段々と教員の世界も「護送船団方式」が通用しなくなってきているのである。皆の影に隠れて何もやらなくとも手に入ってきた「全員手取り平等の原則」が遂に学校社会で崩壊した。「稼ぐ教員は稼ぎ、稼がない教員は稼げない」とメリハリが付けられる時代になったということである。
・ それを格差といわば格差でも良いが格差とは同じ身分上で言う言葉ではない。「学校格差」というのは例えば専任教職員と派遣職員間で言う言葉である。同じような仕事をして、結果も同じであるのに処遇に差があるというのは格差と言われても仕方がない。
・ しかし何処かを退職し、退職金をがっぽり頂いてきている人には格差とはいわない。同一身分、同一年令で処遇に差が出るのは格差とは言わない。それは「能力と業績と体と頭を使った活動の差」である。そこに違いがあれば手取りに差があるのは当たり前である。