2008年11月26日水曜日

11月26日(水)麻生総理、頑張れ

・ 麻生総理、少し「懲りた」と見えてやり方を変える事を決意したみたいだ。就任2ヶ月「感情が高ぶっていた」のだろうと割り引いて考えても良いが一国の宰相である。「覆水盆に還らず」だがもう少し見てみたい気もする。「成りたくて、成りたくてようやく掴み取った総理の椅子」だ。「高揚感に支配」されたのも分かる。
・ 個人的には嫌いなタイプではないが、正直なところ、どうも麻生首相、もうすこし「益し」かとも思っていたが今までのところ「期待外れ」だ。「漂流」し始めた感じで、安部、福田内閣より「脆いというか稚拙というか」、どうもこれ以上浮かび上がれない感じになってきた。
・ 就任直後に「解散」を打つべきだった。元々の戦略はそうだったはずだ。ところが政局より政策とかなんとか言って解散のタイミングを完全に外した。これは「総理の椅子」に固執し過ぎたからだろうと私は思っている。
・ 昨日と今朝の読売だけが小さく報じているのだが政府の「教育再生懇談会」について麻生政権は廃止する方向だと言ったり、今朝は継続だと言ったりふらふらしている。この懇談会は元々教育問題に熱心だった安部内閣が2006年10月に設置した「教育再生会議」を福田内閣が「今までと同じでは嫌だ」といって名前を「教育再生懇談会」に改めたものである。「会議」が「懇談会」に変わっただけでも政府の「やる気」が伺える。
・ 今年2月に衣替えし5月に「英語教育の強化」などの答申をしたがその後9月22日の会合で終わり、福田さんは「バイバイ」で麻生総理になってから一度も全体会議など開かれていない。大体「麻生総理の教育に関する発言」など聞いたことがない。総理も河村官房長官も元々文教族なのにこれでは残念だ。「得意の分野で勝負する」、これも重要な考え方だ。
・ 「教育は国家百年の体系」と言いながら全く持って中央政府はリーダーシップなどなき有様だから、ここに日本の「国を動かしているのは誰か」という構図が見えてくる。「日本は官僚主権国家であり、中でも財務主導型の国家運営」が背景にあるのである。これが「諸悪の根源」である。政治主導で官僚政治を破壊しなければならない。
・ 「ゆとり教育」を見直したのは安部内閣の教育再生会議であった。このような大きな路線転換は「官邸主導の教育行政」の結果であり、「官僚を使う」と述べた麻生さんは「実は官僚機構を温存」し「その上に乗って采配を振るう」という「古典的な宰相論」を夢見ているに過ぎない。従って先の「国家公務員改革」でも極めて冷淡な扱いである。やる気は元々ないのだ。「自分なら官僚を使いこなせる」とでも思っているのだろう。
・ 民主党の小沢代表から「その辺のチンピラ」とまで言われても反論しないそうだ。「挑発に乗らない」と述べてはいるが「言葉が貧弱だから」、攻めには強いが受けにはどうも弱そうに見える。恐らく側近が止めているのだろう。とにかく「言葉が軽い」。これはもう致命傷に近い。「政治家は言葉が命」である。
・ それに「発言がぶれる」。これはもう無茶苦茶に近い。「定額給付金」問題も「特定道路財源」問題も「第二次補正予算」問題も「軽く言って軽く前言を翻す」のは驚くばかりで、私が凄いと思っているのは、それでいて「本人は平気」な様子でいることだ。
・ 「医師は社会的常識がない人が多い」と言い、元厚生事務次官が殺害された時の第一声は「他人事みたいな」コメントで国民をびっくりさせ、19日の全日本私立幼稚園PTA連合会全国大会で何を血迷ったか、出席者を幼稚園の先生と勘違いして「しつけるべきは子どもではなくて母親ではないか」と「普段より子どもで苦労してるよりは親で苦労していると思っている」と親の前で保護者批判の「珍発言」を連発した。言ってることは正しいが言う場所が違う。
・ 自衛隊の田母神航空幕僚長の論文問題の時も「文民統制を揺るがす大事件」にも関わらず最初のコメントは「あれは防衛省の問題」とやってのけた。その後直ぐに発言を強化するのだが、とにかくブレと言うか揺らぎというか「強弱の感覚」が分かっていない人だと思う。「温度差が感知できない」と言っても良い。
・ 22日にはペルーで記者団とのやりとりで「1929年のいわゆるブラックマンデーでしたっけと」言いかけたが事務方が「世界大恐慌」と声を出し、遮って総理も言い換えたそうな。官房長官などは「総理はサービス精神が大きくて」つい思ったことを口に出して喋るとフォローしているが確かに麻生さんはサービス精神は旺盛だ。
・ 週刊誌などはもっと酷いことを書き始めた。「マンガ脳宰相」「アホ太郎」「学習院関係者も大恥」「無教養」などと書き放題だ。1昨日の朝刊各紙は昨日の24日が内閣発足2ヶ月だからいずこも「特集」を組んでいるが「論評は極めて厳しい」。支持率も急落だ。
・ 内閣発足後2ヶ月でこのように「こき下ろされる」内閣も珍しい。しかし私は最近になってこの人は結局こういう人だったんだなと思い始めている。まず「蓄積」が少し足りないような気がする。
・ それは「踏襲」を「ふしゅう」と読むからとかいうのではなくて、幅の広い蓄積された「知性、教養、見識、学識」と言ったものが「匂って来ない」のである。確かに「軽くてさっぱり」して「粋な」感じもあるのだが一言で言えば「重み」みたいなものが伝わって来ない。絶対に悪い人ではない。「気前は良さそうだし」けれんみは無い。
・ 麻生財閥の御曹司、幕末の大久保利通、牧野公爵、吉田茂、皇族にも縁が連なり、閨閥などは群を抜き、学んだ大学も小学校から「学習院一筋」で背広も一着数十万円もするものを簡単に誂え、自邸などは大きすぎて訪問者が迷うほどだという。
・ 性格的には「自信過剰」「プライドは有り余るほど」で「目立ちたがり屋」で「気障そのもの」である。何時も官邸に入るときにちょこっと右手を頬のところに持っていく仕草は見るたびに私はあれは止めた方が良いと思うのだ。それにあの「ベランメー調」は何とかならないか。
・ だから組閣の時も「大物官房長官」を持って来ず、「存在感のない」人に託したのも「目立つのは自分だけでよい」と言うことなのだろう。自民党の幹事長も地味な細田幹事長とした。これらの人事だけでも総理の心根が透けて見える。
・ 麻生総理は得意の外交で得点を稼ごうとしているがどうも「空回り」で今回のAPECでも中国の胡均濤国家首席には良いようにあしらわれ、アメリカの次期大統領オバマ氏にも会えず、レイムダックのブッシュさんとだけ会って「拉致問題は忘れない」などと決まりきった話をしても何の意味もなかろう。
・ 大体選挙をやるためになった総理が「景気優先と孤軍奮闘」頑張っていても国民は誰も信任しているとは考えていない。「勝負時を失った」としかいうことしかない。この勝負時というのが大切だ。何時も私の口癖だ。組織の長の絶対的なものは「勝負時とその時に使う言葉」である。麻生総理、体制を立て直して頑張って欲しい。もはや自民党には他に誰も残っていないのだから。