2008年11月21日金曜日

11月21日(金)荒れる学校、暴力行為

・ 久しぶりに全国紙の1面を飾る教育関係の記事である。各紙とも表現方法は様々であるが「荒れる学校」「小学生の暴力急増」等とある。文科省は昨日「児童生徒の問題行動調査」結果を発表した。
・ そこには「驚くべき数値」がある。平成19年度の全国の小中学校や高校で発生した「暴力行為」は52756件で前年度より「18%増え、過去最高」だった。又「小学校で37%増加」するなど「低年齢化」が進み、遂に高校では校内暴力があった学校は53.6%と初めて「半数を超えた」。
・ いじめについても101127件でこれは昨年より2万件以上減少しているが文科省は「隠れているのがあるのでは」と慎重な見方を示している。しかし「本当に深刻な学校現場」である。
・ 暴力行為の内訳は「生徒同士」が28396件で最も多く、「器物破損」、「対教師暴力」と続く。朝日は都道府県別件数を出しているが私はこれはあまり信用ならないと思う。東京などは余りにも低すぎないか。府県の乖離が大きすぎる。
・ しかしそういう前提で見ても「大阪は暴力行為の発生率が全国で4番目に高い」。2年連続の学力調査の最下位近くと歩調を合わしたのかどうか知らないが両方ともこのような結果では明らかに「基礎学力と校内暴力・・荒れる学校」の相関図が見えてくるではないか。
・ ところがだ。学力トップの秋田、福井、富山などは確かに暴力行為も低い数値であるが学力ワーストの沖縄はそうでもない。しかしブービーであった高知は大阪より悪い数値だから「学力と問題行動は相関がある」と言ってほぼ間違いはないとデータを読むことが出来る。
・ それは本校においてもデータが完全に一致するから私は補強意見として言っている。橋下知事も言っているように「基礎学力が身についていないから子どもたちが自暴自棄になって荒れていく」と言う見方は正しい。
・ 「大阪の悲惨さ」はまだある。「高校中退率」が全国平均の2.1%に対して3.4%と「全国最多」である。又府内の高校生の「不登校」が5881人に上り、04年度に調査項目に加えられて以来4年連続でこれまた「全国最多」である。
・ 校内暴力が全国6番目、中退率全国トップ、不登校全国トップだから府教委の教育長は「非常に由々しき結果で深刻に受け止めている」とのコメントがあるがそれはそうだろう。橋下知事のいうように「勉強が分かるようになればある程度は収まると考える。基礎的な学力を徹底していくことで問題行動の数値を下げたい」と述べている。
・ 「急がば回れ」で私もこれしかないと思う。「授業が分かれば少しは落ち着く」。分かれば次に進もうとなってくる。先日も私は朝会で述べた。「完全に習熟度別を徹底して学習進度を変えること」「新入学生には中学3年生の数学と英語を授業を使って復習するシステム」を検討するようにと指示したのだ。
・ 今や大学でも入学したらすぐ高校の復習をするといわれている時代だ。授業がさっぱり分からない生徒を引きずっていくだけでは「彼らにとっては地獄」だから「地獄から救い出してやる方策を考えろ」と言っているのである。これは本校の「売り」になるかもしれないからとも。
・ 教育評論家は色々な事をいう。「言葉でコミニュケーションをとる力が不足していてすぐに手が出てしまう」「かっては荒れていたグループがはっきりしていたが、今は一人ひとりの突発的な暴力が目立ち、対応が難しくなっている」と「ルールなき学校社会」が現れていると表現する人も居る。
・ 大阪府の寝屋川市立の中学校では「怒りの感情をコントロールする方法を身につける授業」をしたという。「怒りの温度計」として生徒に数値化させる試みらしい。この学校の校長は「集団で学びながら自然と身につけてきたことを授業で学ぶ時代になった」と話しているらしいが「何か変」だと思う。こういうことをするとますます怒りを表面に出すことを助長させないか。
・ 元中学教師で現在日本教育大学院大学の教授をしている河上亮一先生はこういっている。「自由や個人を重んじて子どもを一人前扱いする社会的な風潮が強まり、難しいこと、辛いことに挑戦させる機会も減った。」
・ 「教師と対等だとの雰囲気が広まり、指導に我慢できず、暴力で反抗してしまう」。「自由を大事にするのも結構だがそれだけでは子どもの自立は難しい」と。80%くらいは同調したい。戦後の教育の結果がここにあると私は考えている。
・ こういう問題が出れば誰でもすぐ「教育評論家」になってコメントするが問題は「具体的にどうするか」である。実はここがないというか最大公約数的な正解がないのが学校社会であり、これは個別の学校が独自に考え出していかねばならない。「実践あるのみ」ではないか。口であれこれ言っていても仕方がない。
・ 本校は前述したように色分けをはっきりして教育活動を行うこととした。全員一律は無理だ。特に本校のような規模が大きくなると三つくらい性格のことなる学校があるのと同じである。このことは頭で分かっていたが最近「骨身に沁みてきた」。
・ 文武両道、スポーツで生きていく生徒と難関大学を目指している生徒、目標を見失っている一群と分けて対応を考えねばならない。そのためには世の中の逆で「ゆとり教育」を本格的に研究することも必要だと気付いたのである。
・ 分からない授業を6限、7限まで引っ張っていくことはそのような生徒には「地獄」である。「地獄にならないようにじっくりと分かるまで教える」というシステムが必要かも知れない。
・ 教師にとって出来る子を教えるよりは実はこちらの方が大変なのではないだろうか。しかし今まで本当の意味で「勉強に立ち遅れた生徒の面倒を捨て身で」みてきたことがあっただろうか。今私はそこに着目して検討しているのだ。